八 角 形 に ゅ ー す

2000年3月5日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

イエスの洗礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・澤田和夫(浅草カトリック教会主任司祭)

教会委員会報告

聖書を祈る(ルカ3章3〜22 イエスの洗礼)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マラキ・ハンラティ神父

藤沢教会の皆様へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・梅崎隆一

横浜教区典礼研修会より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

鵠沼ブロック・ミニ黙想会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 窪田直明

中高生会保護者会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・リーダー石岡・原・佐藤

野宿者(ホームレス)たちの座談会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・川辺克郎

3月の主な行事

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イエスの洗礼
澤田和夫(浅草カトリック教会主任司祭)

人々皆が洗礼を受け、
イエスもまた洗礼を受ける。

祈っておられると、
天が開け聖霊が下る。
ヨルダン川でのこと。
ルカ3・21-22

「天が開け」といいます。「どうか天を裂いて下ってください」との古くからの祈りがここに実現する、そうとも受け取れますが、八方塞がりとかいわれる中で、「天が開け」とはうれしいことです。

天が開け
聖霊が下る。
形をもった姿で鳩のように。

だれよりもイエスの上に、そして人々お互いの上に聖霊を、おん導きと、清さと、暖かい光を、力を、祈り、おくり合いたいと願います。

天からの声
あなたはわたしの子

だれよりもイエス。イエスはひとり特別に「天にまします父」からこのように言われる方。

あなたはわたしの子

応用して言えば、この言葉は新生児皆に言われる。新生児一人ひとりの父母が言うこと。ところで生まれたとき、何かのわけで実の親が言わなかったとして、天にまします父が言う。

あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。

イエスと父との親しい仲にわたしたちも加わるように招かれています。どんな過失を背負っていても、どんな未来が待ち構えていても、ひとり特別な神の子イエスのおかげでわたしたちも神の子になっていくように。



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教会委員会報告

1.静思のひととき

コリント人への第1の手紙10章31節〜11章1節「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」について、しばし黙想をおこなった。

2.来年度予算について

各地区、部の活動予定と予算についての提出をお願いしたが、まだ提出されていない活動部があるので、早急に提出していただくように要望する。なお提出された活動予定と予算については、特に問題はみられなかった。また計画の中で、予算を伴うものは基本的には、教会の主体的な事業であり、それ以外の事業は原則参加者負担で実施することが確認された。各活動部の予算を伴う事業の場合には、決済責任者(担当者)を事前に決定し、財務部に届出ることは、既にお願いしてあるが、未決定の活動部については早急に届け出られたい。

3.地区割り検討小委員会について

地区割り検討の小委員会については、鵠沼地区、藤沢地区、辻堂地区は各2名の委員が決定したが、北2は一名のみであり、北1は未定であるので、小委員会の開催が出来ずにいるので、未定地区については早急に決めてほしいとのこと。

4.委員改選について

教会委員については、正副委員長をはじめ、各活動部の委員長選出などが3月中に行なわれる予定であり、4月信徒総会以降は新しいメンバーによって、教会運営がなされる。各活動部は事務局と連絡して進めて欲しいとのこと。

5.委員会規約改定について

委員会の規約をどの様なものにするかについては、委員会をどの様にとらえるかによって見解が異なるのではないか。委員会を、小教区運営を委嘱された最高議決機関ととらえるならば、それなりのチェック機能も含めた厳密性が必要とされよう。しかし、信徒の様々な自主的活動が円滑に進められるように環境を整え下支えしていくものであるととらえれば、厳密性よりもフレキシビリティが必要となろう。教会法上ではすべての権限は教区長である司教が持っており、その委任を受けた主任司祭が小教区のすべての権限を持っている。そのこともふまえ、今後さらに検討することになった。

6.その他

メーリングリスト開設の件

教会信徒および求道者の方々がコミュニケーションを深め、よりよい教会共同体を作って行かれることを目的に、メーリングリスト(電子メール開設による話し合いの広場)を開設したので、参加希望される方は事務所まで申し込まれたいとのこと。

野宿生活者との座談会

教会周辺には約40名のホームレスの方々が居られるとのこと。毎月奇数曜日の火曜日に夜9時に集合して、11時半頃まで巡回して、必要な事柄についての話を聞いている。また第2火曜日には、夜7時から炊き出しを兼ねて、食事をしながら話し合いの場を当教会で行なっている。そのための準備は5時から行なっているので、協力いただける方はお願いしたいとのこと。これらホームレスの方々が求めておられるのは、住む処(家)、食事、仕事でる。

日本山平和行進

22日には朝、鎌倉市役所前から出発して、例年のごとく平和行進が行なわれるが、今回は焼津までの行進とのこと。

信徒総会

今年の信徒総会は4月9日に開催されます。

堅信式

堅信式は5月28日、梅村司教をお迎えして行なわれます。そのための準備会も3月と5月に行なわれるとのこと。

大聖年

第5地区では聖母の園への巡礼を計画中とのこと。また海外巡礼に関しては、共助組合でそのための費用の貸し出しを行なっているので利用されたいとのこと。気楽に相談し利用してほしいとのこと。

叙階式

横浜教区の保久要師の叙階式が、3月25日に鶴見の聖ヨゼフ学園講堂に於いて行なわれます。教区司祭の誕生をともに祝いましょう。



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聖書を祈る(ルカ3章3〜22 イエスの洗礼)
マラキ・ハンラティ神父

この箇所は、私にとって主要な箇所となっています。沢山の事を教えてくれます。

第一に、これはイエスの生涯に於ける一つの重要な決定だという事です。洗礼を受けるという決定によって、彼はすべての人が神の道に立ち返る必要があると宣言し始めます。

同時にすべての人をお救いになりたい御父のお望みと力への信頼もお示しになります。

第二に、彼はご自分の洗礼によって、御父のあわれみ溢れる力を特別に取り次ぐ者に、喜んでなろうとする心をお示しになります。

たとえそれが苦しみと完全に自分自身を与え尽くすことを要求するとしても、この使命を引き受けようと心に決められます。

第三に、洗礼を受けるというこの行為は、これまでとこれからを含む彼の全生涯の原形、また要約を表しています。

第四に、これは彼と御父との関係についての新しい知識へと私を導きます。この事はまたイエスと私との関係、また他の人々との関係についても私に教えてくれます。

以下は、想像力を使って聖書を思い巡らす例です。時間はかかりますが、私をイエスとより親しくさせてくれます。ここではルカ3章3〜22を使います。

ヨハネの所へ急ぐイエス

この箇所は、私の想像力にスイッチを入れます。エリコに向って長くほこりっぽい道を歩いていらっしゃるイエスが見えてきます。

「どうしてあなたは今そこに向っていらっしゃるのですか?」と私は尋ねます。あなたを最後にみたのは、神殿からナザレトに戻ってお暮しになられたところでした。あなたは沢山の答えを探しておられました。御父との関係をもっと深く理解なさろうとしていらっしゃいました。それは18年前の事です。その間あなたは「知恵が増した」と私は聞かされています。この意味は何なのでしょうか?

ナザレトでのその長い年月の間のあなたを想像します。あなたは大工として働いていらっしゃる…祈っていらっしゃる…聖書を思い巡していらっしゃる…御父の霊によって動かされるように心を開いていらっしゃる…「知恵が増した」という事がどういう事なのか、私は今理解します。あなたは、今まで信じられてきたり理解されてきたよりもずっと深く、ずっと広く御父を知るようになられたという事を意味するのです。あなたは御父の忠実さ、御父のあわれみ、忍耐、すべての人を救いたいお望みをもっとずっと深く理解するようになられたのです。目に見えない彼の現存、この世に絶え間なく注がれる彼のあわれみを、益々敏感に感じるようになられたのです。御父への感謝と信頼、希望そして御父から戴く愛に応えようとする心が、どんどん大きくなっていかれたのです。

更に私はヨハネの所に向って急いでいるあなたを見ます。あなたは御父について知った事を誰とでも分かち合いたいという燃えるようなお望みをもっていらっしゃいます。そして更に御父へのあなた自身の心構え、関係も分かち合いたいと望んでいらっしゃいます。

この心構えと、この応えがどんなに必要とされているか、あなたはよく分っていらっしゃいます。御父に対して皆がもっている誤った考え、イメージがとても悲しかったに違いありません。御父との契約についてもイスラエルはほとんど分っていないと、どんなに深くお心が痛んだ事かと思います。彼らは本当に表面的に浅くしか捉えていなく、しかも自分の勝手な思い込みによって目がみえなくなっている。

「それであなたはヨハネの所に向うのですか?」と私にあなたは尋ねます。ヨハネが新しい方法で、イスラエルが神に立ち返るように説いているというニュースが、ナザレトのあなたの耳にも届いたのですね。人々は悔い改めて彼のもとに行き洗礼を受けている。ヨルダンのエリコで今おこっているというニュース。あなたは彼の仕事に参加しようとして出かけられるのですか?

ヨハネに聞き入るイエス

私は今、群衆の片隅に立ってヨハネの話に耳を傾けているあなたを見ています。ヨハネは御父のメッセージを公に宣言する偉大な預言者であると、あなたは認めています。彼の言葉はあなたの心に強く響きます。すべての人に悔い改めの必要があることに、あなたも同感です。自分の妄想に惑わされている時ではない。心が変えられるように目が開かれなければならない。加えて私達は皆同じ父の子供達、お互いにそれ程頼りあっている、それ程つながっている。分裂は癒されなければならない。御父は新しい時代をもたらしたい。

私達は一つになって御父と一緒に喜びあうよう呼ばれている。そうです。これらすべてにあなたは同感していらっしゃいます。

彼等の洗礼の意味

洗礼を受けている人々を見て、あなたはとても喜んでいらっしゃいます。彼らの行為は心が変えられたいという内面的望みを目に見える形で表現しています。彼らは心が変えられる為に今すぐ神にたち帰らなければならないと認めていることを表わします。それはまた彼らの信頼と希望を表わします。公衆の前でヨハネに頭を押してもらって水に沈められる行為は、信頼して神の支配に身を委せる事を表わします。新しい状況によみがえる事を楽しみにして、古い命と共に墓に入ることを表わします。神の力によって日常生活をこの新しい命で無事に切りぬけていく事を望んでいます。

ここでの彼らの受洗の行為は、彼らの一致をも表わしています。彼らは自分達が改心を必要としているグループであると認めています。更にお互いに相互依存し合っていると認めています。自分達は皆同じ父の子供達で、皆一緒に一つになって父を賛美するように呼ばれていると、段々はっきりと意識してきています。

イエスが洗礼を願う

人々が洗礼を受けているのを御覧になっていらっしゃる内に、あなたは進み出て水に入りヨハネと一緒になさろうとされます。「えっ」と私はびっくりします。あなたはヨハネが洗礼を受けるのを手伝おうとしていらっしゃるのではなくて、ご自分が洗礼をうけようとなさっている!この事を思い巡して時を過ごす内に、私は次の考えに辿りつきました。

先ずこれは洗礼を受けた人達へのあなたの喜びを表わしている。次に、あなたは悔い改めの必要な人に寄り添って、喜んで一緒に水に沈みたい心をお示しになりたい。そして一緒に沈む時あなたはとても喜んでいらっしゃる。更に、あなたの洗礼によって、まだその気になれない人達が悔い改める決心をして進み出るよう呼びかけていると、分かってきました。

これらすべての意味することを思い巡らしながら、そしてもっともっと深く理解しようとしながら私はこの光景を見つめ続けます。

あなたが喜んでヨハネに従う光景を観る時、あなたの頭が水の中に押し入れられるのを見る時、「彼はご自分を空しくされた」の言葉が繰り返し繰り返し私の脳裏にこだまします。あなたは御父のあわれみへの感謝と信頼と希望によってそうなさいました。そうです。あなたはすべてをお委せになっていらっしゃいます。そしてそうする事によって、あなたは御父の救いの力があなたを満たし、あなたを通して働くようにおさせになっていらっしゃいます。

私の愛する子

「私の愛する子」この言葉は私を捕えます。

自分がその言葉を何回も何回も繰り返していることに気が付きます。自分がその意味することをもっと深く理解したがっている。深く深く飲み込みたいという強い憧れを持っていると気付きます。こうして思い巡らして教えられた事は、第一にあなたは御父にとって特別だという事。第二に、その言葉は預言者イザヤが書いた「苦しむ僕」を私に思い起こさせます。そしてそれはあなたをもっとよく理解するように助けてくれます。あなたは誰にとってもあの忠実な苦しむ僕のようであろうとしていらっしゃいます。これは今あなたが喜んで引き受けていらっしゃる使命です。そしてこれは御父が群衆の前で証明なさりたかった事なのだと分かります。あなたはご自分の愛する子にふさわしく行っていると彼は宣言なさっています。つまりあなたはすべての人を救う為に御父の下さる特別な贈り物だということです。

御父の現存

そして私は、あなたが御父の現存について途方もない程よく御存知でいらっしゃったと想像します。天と地を隔てている壁は刺し貰ぬかれ、あなたの上に神の力が降り注いでいます。彼が「あなたと共に」いらっしゃることを、それはそれは強く感じていらっっしゃいます。あなたの内で彼の救いの力が働き、あなたを通して流れ出ていることをあなたは感じていらっしゃいます。それはあなたが信頼して御自分を空になさったからです。あなたは私をその状態に導きたい。あなたはこの「よい知らせ」を一番賤しい人をはじめ誰とでも分かち合いたいのです。

あなたは感謝と信頼の祈りを終えると、霊に導かれるままに進んで荒れ野に入ります。これはあなたの内で洗礼の経験が深められる為に必要な、特別の場所であり時なのでしょう。今はまだ分らないけれど将来の為に必要なのでしょう。

私の体験の例

時々私はこの箇所を祈り始めるとすぐに、私も川に入ってイエスあなたのそばにいて、私の目の前であなたが喜んでご自分をすっかり委せて、水の中に沈められていくさまを見ている自分を想像し始めます。そのような時「あなたはご自分を空にされた」と何回も何回も繰り返している私に気が付きます。あなたの寛大さ、あなたの勇気、あなたの信頼への畏敬の念が私の内で大きくなっていくのを感じます。

また「あなたは本当に愛された子です」と繰り返して時間を過ごした日、その日の仕事中の色々な時に自分がこの言葉を自然に繰り返していることに気付きます。祈りの時と同じあなたへの気持が戻ってきます。あなたは御父にとって特別な方、そしてあなたはまさに「愛された子」らしい、すばらしい応えをなさいます。あなたは御父から私への特別な贈り物です。

時にはあなたは、私の洗礼の時に私と共にいて下さった事を私に思い起こさせます。私は幼くてよく分かっていませんでした。しかし今、その後の私の人生での秘跡の内にそれを見ます(秘跡はすべて洗礼という基本的秘跡の繰り返しであり、改めてし直す事です)。あなたは私と共にいて、堅信を受ける、また司祭叙階を受けると心が決まる時助けて下さいました。ミサによって、ゆるしの秘跡によって、病者の秘跡によって、あなたは今だに私の基本的な明け渡しが私の日常生活で実行に移されるように私を助けて下さっています。この箇所はこの事をもっと意識するように私を助けます。

また別の時には、あなたが水の中に入るのを見ると、何かあることが私の頭に入り、それに対して私自身を空にしてみようと感じ始めます。これに直面することを避けたい気持に傾いている時、心に葛藤が起こります。そんな時私は無理にでも自分をその葛藤の中に押し留め、そこでイエスあなたの脇にいるようにします。あなたは忍耐をもって私と一緒に川の中で待って下さると感じます。この新しい邪魔者を取り除く為に、もう一度水の中に浸されるよう導いて下さいと、私があなたに頼むまであなたは待って下さいます。そしてあなたは喜んで、もう一度私と一緒に水に沈んで下さいます。この事が起こるとその後の日常生活に於て、私は自分の内に新しい忍耐や優しさを見つけます。そしてそれは私が他の人達の気持に寄り添うように助けてくれます。その時私は、あなたがご自分の霊を私に分けて下さりたいという事をもっとよく理解します。

このような理由で、私はこの箇所を益々有り難く思っているところです。



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藤沢教会の皆様へ
梅崎隆一

藤沢教会の皆様お元気でしょうか。4ヵ月という短い期間でしたが、いろいろとお世話になりました。ありがとうございます。

現在私は司祭叙階の準備のために兵庫県宝塚市の黙想の家におります。他の黙想者はいないのでとても恵まれた環境で日々を過ごしています。

黙想の中でさまざまな事を思い出します。

藤沢教会での事も思い出しますが、つい最近の事であったにもかかわらず、遠い昔の事であったように感じています。

外国籍信者との関わりを望んでいたけど、うまく関われなかった事、土曜学校、クリスマスの劇のお手伝い、中高生会、青年会主催の聖書と典礼を読む会も、関わりの期間が短かったということで、私としては中途半端な関わりになってしまって申し訳なく思っています。しかしそんな私をいつも暖かく迎えて下さったこと、励まして下さったことを感謝しています。

何のおかえしもできませんが、この黙想の中で藤沢教会の為にお祈りいたします。

(宝塚黙想の家にて)



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横浜教区典礼研修会より
典礼部

気候不順な今年の冬ですので、天候が心配されましたが晴天に恵まれ、横浜教区各地から220名もの方々が集まりました

指導は教区典礼委員会の指導司祭のカンペンハウド神父様とカーテン神父様でした。

講話の内容は

日頃私達は時間・時の中で生きています。ラセン形に目的を目指して進展している神の救いのみわざの時間を生きているのです。キリストの受肉によって生まれる前と生まれてからの時に、二つに分けられました。

キリストは十字架の死に至るまで、御父に従順でした。私たちの従順は御父の愛によって生きること、今、ここにいる私を神様のみ心に自分の心に合わせる従順を捧げるのです。

神は私に何を望んでおられるか?神の愛の中には必ず要求があります。

私たちはキリストの復活を祝い、祝う事が出来る恵みに感謝します。

その他、求道者と共に信徒が生きられるよう考えられています。たとえば四旬節は求道者の勉強してきたことの仕上げと同時に信徒の刷新の時でもあります。

求道者・志願者の出発を信徒が共に味わう共同体のためにも洗礼は復活祭、特に聖週間に結び付けられるのが適っているのです。

すべての人は同じ御父の子供であり、キリストの兄弟でもあるのです。

復活の主日から、聖霊降臨の主日までは、受洗者のアフターケアーの大切な時期です。

共に、キリストの死を思い復活を讃えよう。主がこられるまで。

最後に、朝早くから会場準備に力を貸して下さいました総務部の方々に感謝いたします。横浜教区典礼委員会からも感謝のお言葉を頂きました。



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鵠沼ブロック・ミニ黙想会
鵠沼1区 窪田直明

松林の残る静かな住宅地の中に、戦前の別荘のたたずまいを思わせる和風の建物があります。

ここは鵠沼松が岡アトンメント会黙想の家。土曜日のひととき、日常から離れ、ほっとする静かな時とミサに預かる集いとして、ブロック主催のミニ黙想会を開くことができました。指導はテハン神父。鵠沼ブロックを中心に、28名の方々が参加されました。テーマは、「心静まる癒しと祈りの体験」。プログラムは、午前中、神父様より、体をリラックスさせる祈りについてのお話の後に、実際に、「静思のひととき」と題したエクササイズにより、沈黙のうちに頭から指先まで全身をリラックスさせ、ひとときの瞑想のなかで、詩編8を味わう体験をしました。お昼の時間も、普段何気なく口に運んでいるお弁当の一つのおかずに心を込め、感覚を集中させてゆっくり味わう、そしてわき上がってくる感謝の気持ちをまた味わいました。午後は「瞑想について」というテーマで、インドで瞑想を学ばれた、ベネディクト会ジョン・メイン神父の瞑想の紹介を織り交ぜてご講話を頂きました。テハン神父ご目身も、毎日朝と夕方に30分程度の瞑想の時間を生活の中に取り込まれており、体の健康、そして主任司祭としての激務のなかで、心の癒しと力の恵みをいただいておられるそうです。情報化が進む現代に生きる私たちは、毎日、会社に、家庭に、そして教会においても、何かと忙しくしていることが多いようです。このような中でのほんの一時、障子を通してほのかに伝わってくる冬の光を感じ、遠くに聞こえるカラスのなき声の中で、共同体の仲間と沈黙のうちに過ごす時間は、貴重な体験であったと思います。最後にごミサに与かり、そして感謝のうちにお茶の時間となりました。沈黙が大切な黙想会ですが、そこは賑やかな鵠沼の女性軍(?)、「昔の家庭ミサを想い出すわ」などと和やかに話も弾み、このミニ黙想会を締め括ることが出来ました。

今回、指導をお願いしたテハン神父様と、この黙想の家を提供して下さったアトンメント会のみなさま、そしてこのような機会を私たちに与え、共に祈って下さる神に心より感謝いたします。

2000年2月19日



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中高生会保護者会
りーダー石岡・原・佐藤

2月13日(日)9時半のミサ後、中高生会の保護者会を開きました。

李神父を中心に、リーダー三人と関係者二人にも参加していただき、アンケートや中高生会の活動を参考に話し合い、10人の保護者から自由に意見を出していただきました。

1、中高生会の活動

第1週聖書にふれる
聖書のビデオを見て話し合いました。

第2週レクレーション
遠足、ポウリングなどを楽しみました。

第3週コーヒーショップ
コーヒーを販売し活動費をつくりました。

第4週講話
若い人に経験や生き方を伝えたいという教会の方の希望がきっかけとなり、8人の方のお話をうかがい話し合いました。

それぞれの方の深い生き方が伝わるいい場が持てたと思います。

2、保護者の意見

3、まとめ

  1. 子供たちが中高生会に参加できるような零囲気をつくる。中高生会では現在参加している中高生一人ひとりが心を開いて、学校の仲間に話せないことも自由に話し、誰でも迎え入れられるようにしています。教会に遊べる広場があるともっとよいのですが。

  2. 若いリーダーのパワーがどうしても必要です。中高生と一緒に遊んで下さる方いらっしゃいませんか。募集中です。

  3. 現在中高生の部屋として、日曜日の午前中のみ使える部屋(委員会室・聖堂の左側)をいただきましたが、いつでも自由に気軽に使える場として、元ボーイスカウトが使用していた部屋を希望します。

  4. 教会の中で、壮年部や婦人部と一緒に中高生でもできる仕事に参加する機会を与えていただけると、他人の役に立つこと、仕事の大変さ、協力の大切さなど体験し、成長していきます。

「青少年は教会の未来です」、中高生を皆で育てていきましょう。

ご協力ご指導をお願いいたします。



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野宿者(ホームレス)たちの座談会
川辺克郎

藤沢駅周辺の野宿生活者の方々への訪問、支援活動をしている藤沢火曜パトロールの会では、野宿をしている方々からの声もあり、皆が集まり語り合う場を持ちたいとの思いから、炊き出しもかねて月1回の集会を毎月第2火曜日午後7時より藤沢教会で行うことにいたしました。

その第1回目が去る2月8日に行われました。当日は、午後5時より雑炊作りの準備を始めましたが。周囲に少しお声かけしたところ教会の有志の方々が7名くらい来てくださり、それに加えていつも寿町の炊き出しに参加している日本基督教団のご婦人や野宿をしている方々まで手伝いに来てくれてあっという間に準備は終わってしまいました。

大鍋2杯の雑炊が用意でき、7時前くらいから一人、また一人と参加者が集まり始めました。当日の参加者は、野宿者が22名、火曜パトロールのメンバーが7名、配食などのお手伝い下さった方が4名、それ以外にこの集まりのことを聞きつけた市役所の福祉課長さんとスタッフの方々、ホームレス問題に関心を持たれている市会議員の方もオブザーバーとして参加され、総勢36名の集いとなりました。

温かい雑炊を一緒に腹一杯食べた後、2月17日に予定されている藤沢市との話し合いの内容について皆で意見を交わしました。「市に何を期待しても無駄だ、どうせなにもしてくれやしない」と言う意見もありましたが、率直な生の声を伝えていくことで少しずつでも行政として出来る事への対応を求めていこうと言うことになりました。

多かった要望は、「仕事」、「安心して寝られる場所」、「食べ物の確保」、「荷物をおいておく場所」、「医療」などでした。

野宿生活をするようになったのはいろいろなどうしようもない状況もあったが、自分たちのだらしなさもある。仕方がないと言われればそれまでだが、この状態では仕事をしたくても住所不定で断られ、日雇いの仕事があっても荷物をおく場所もなければ仕事へ行くための交通費もない。金がなければ食べられず、しょうがなく万引きする仲間も多い。寝ていれば追い出されたり、ひどい時には石を投げられたり殴る蹴るの扱いも受ける。公園のベンチは寝られないように杭が打たれ、着るものを洗濯していた水道は取り払われてしまった。持ち歩けないので置いておいた荷物が無くなってしまうのもしょっちゅうだ。自分たちのせいもあるかもしれないけれど、自分たちも人間だ。ゴミじゃない。自立する意欲を失ってしまった仲間もいるけど、多くは仕事して食っていきたいと思ってる。だからそれが出来るように助けてほしい。こんな声が多く聞こえました。

今後もこんな交流の場を続けていこうと言うことで、第1回目の集まりは終了しました。

2月17日にはパトロールの会のメンバー6名と野宿者達の代表10名が市役所との話し合いに行きました。生活福祉課の課長さん始めケースワーカーの方々が対応して下さり、彼らの生の声を伝えました。担当の方々は誠意を持って受け止めてくださいましたが、出された要望はとても1部署の権限で対応できる範囲ではないので、全市的に、また他の市町村との協力もふまえながら出来るところから対応したいとのこと。今年の冬は藤沢駅周辺でもう3名もの方々が亡くなっていると言う現実をふまえ、医療の面ではだいぶ真剣に取り上げてもらえ、協力の約束ももらえました。他の面では進展はあまり望めませんが、それでも、少しずつは進めそうです。

社会の中で様々な理由から落ちこぼれてしまったかもしれない人々、それは人ごとでは無く自分の身にもおこることかもしれない。そんな人々も人間として受け入れられる社会を築いて行くことは、私たちに託された神の国の実現へのワンステップではないかと思うのです。市内のキリスト教諸教会、地域の人々、市の行政と手を取り合って、ここの場で私たちの教会が何を出来るのかを考えて行きたいと思います。

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ25:40)

藤沢火曜パトロールの会は現在奇数週の火曜日の夜9:30より藤沢駅周辺と市民会館周辺の訪問をしています。定期的に参加している人数はおよそ10〜15名。日基藤沢教会より3〜4名、バプテスト教会より2名、藤沢カトリック教会より2〜3名、保土ヶ谷教会より1名、寿町の支援グループより2〜3名、その他の市民の方が2〜3名です。関心のある方、ぜひ一度ご一緒しませんか。



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3月の主な行事

3(金)初金ミサ・例会

6(月)、13(月)エルダーズ(今月は食事会はありません)

8(水)灰の水曜日・ミサ9:30、夜7:00

11(土)ケア・セミナー

12(日)四旬節第1主日 入信志願式

16(木)湘南台エルダーズ

19(日)卒業感謝ミサ9:30

20(月)春分の日 彼岸ミサ10:00

25(土)福祉部例会

26(日)壮年の集い



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