八 角 形 に ゅ ー す
2000年6月4日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
心の目・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ティム・ムルロイ
私と聖霊との関わりあい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・M.ハンラティ
初聖体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校 清水裕子
召命 ・ 神との出会いの体験・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聖心の布教姉妹会 Sr.高橋恵子
ブラジル・佐々木神父の活動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 辻垣正彦
横浜山手教会巡礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 鹿野明子
「新入者歓迎親睦会」についての報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 鈴木健史
小児ガンの家族を支えるために・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ファミリーハウス
重度障害児へのボランティア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ゆーぼ」
心の目
ティム・ムルロイ
克子は15年前に贈られた蝋燭立てに特別の思いを抱いています。それはきれいな空色のデルフト焼きで、一見花瓶のように見えますが、横に星型の穴がいくつか開けられ、そこから蝋燭の光が放たれる物でした。特に美しいというわけでもなく、高価というわけでもなく、どこにでもあるようなごく普通の蝋燭立てでした。
しかし、これは14歳の誕生日に友達の広からもらった物で、克子にとって特別の意味がありました。彼女はその蝋燭立てを見る度に、広が土曜日の朝、店に行き、長い時間かけて彼女を喜ばせるプレゼントを探している姿を想像しました。そして、彼女の好みを思い出して、たくさんの色やデザインの中から空色で星型のものを選んでいる姿が目に浮かびました。また、少ない彼のお小遣いから彼女の為に支払ってくれたことも考えました。そのような事を思い巡らせて蝋燭立てを眺めていると、それは克子にとってかけがえのない宝物のように思え、広の心の温かさ、思いやり、優しさ、愛情が何の変哲もない蝋燭にのり移って、とてつもなく素晴らしく美しい物に見えてきました。
それから15年たって克子は結婚しました。広とではなく、賢次郎と。しかし、彼女は中学時代のほほえましい思い出を、新しい人生のステップとして振り返っています。
「あのプレゼントによって、私は始めて『心の目で物を見る』という表現を理解できました。私達はしばしば何か新しい物を買う時、どこか遠く離れた所へ行く時、また、誰かすてきな人に会う時、幸福感や充実した気持ちを求め、期待します。私達が求めているものが目の前にあっても、『心の目』が開かれていなければ、実際にはそのことに気づきません。美しさは日常の生活の中に秘められ、また普通でないことが普通の生活の中に隠されています。」と、彼女は言っています。
イエス様が用いられた喩え話の多くは、普通のこと、日常の出来事についてです。しかし、これらの話は、私たちに「心の目」を開き、当たり前のことを新しい観点から、また、新鮮な考え方で見つめるよう導くものです。「心の目」を開いて考え、見つめることが出来れば、私達は自分の人生や周りの世界の中で、豊かさ、美しさ、そして神秘をいろいろ体験できるでしょう。
1. 静思のひととき
ヨハネの手紙一3章18節〜24節について、しばし黙想をおこなった。
黙想の後、新メンバーによる最初の委員会なので、委員長から議題の締切日、委員会の話の伝達等に関する要望がなされ、メンバーの自己紹介がおこなわれた。
2. 堅信式・司教訪問について
5月28日(日)の梅村司教様司式による堅信式(ミサ)の後で簡単なパーティーをおこなうが、お茶の準備担当は婦人部と青年部で連絡をとって決めておくこと。パーティーの後、司教様と食事をしながら懇談を行うが、出席者は運営委員会メンバー、ブロック代表、活動グループ代表等である。活動報告は委員長、活動部代表、ブロック代表の内1名、湘南台センターが行う。
3. 委員会のあり方に関するフォーラム開催について
4月の信徒総会でも現在の教会委員会運営は委員会規約に沿っていないという意見があったように、教会委員会のあり方に関して色々な意見が寄せられている。この問題は皆に情報を公開しながら、広く意見を求め、時間をかけて議論を進め、纏めていきたい。フォーラムは7、8名の小委員会形式で進めていき、そこで出た話を公開しながら広く皆の意見を頂きたい。皆の意向をどのような方法で集めるかということが問題で、記名の投書箱みたいなものとか、まだ一部の人だけで申し訳ないがメーリングリストの利用も考えている。次回の委員会にはその骨子を示す予定である。
この件に関しては壮年部で何回か検討を重ねているということで、壮年部長から説明を聞いた。
4. 第5地区合同巡礼について中間報告
10月14日(土)に聖母の園で横浜教区第5地区の大聖年の合同巡礼があり、10時30分からミサで、その後1時間くらい交流会を行う。ミサは野外ミサにする予定でつめている。テハン神父様がこの巡礼の指導司祭で、典礼等は藤沢教会が中心になってやって欲しいとのことである。神父様の意向では、お年寄りや体の不自由な人も連れて行きたいので、青年達が動いて欲しいということである。特に子供達も出席して欲しい。
5. ガーデンパーティ、バザーについて
ガーデンパーティは8月5日(土)に昨年と同様に開催し、外国コミュニティー中心に国際屋台村を開く。台所の調整や衛生管理上の問題は婦人部にお願いする。新鮮味を加える必要があるので、何か新しいことを(例えば老人ホームの人の招待等)皆で考えてくること。近隣に騒音で迷惑を掛けているので、スピーカのボリュームはなるべく抑え、夜8時終了厳守で進めることにする。
今年のバザーは開催するのかしないのか、開催するなら聖堂を使うのか使わないのか、規模はどうするのか等について検討した。バザーは困っている人や貧しい人に購入の場を、体が不自由な人に販売の場を与える。バザーの準備は大変かも知れないが、苦労がない教会は問題である。また、バザーは地域社会との掛け橋にもなっている。バザーの準備をスタートすることにして、北1、北2ブロックが担当で規模縮小も念頭において検討委員会を発足させることにした。
6. その他
聖堂内の優先席と救急体制について―足や体が不自由な方とその付き添いの方のために左右側前方に優先席を設けているが、前に机がないために、立ち上がるのに不便であるということなので、椅子を肘掛け椅子に変えることを検討している。また、ミサ中に具合が悪くなられる方があるが、大勢の人が寄って来て色々なことをいうので混乱する。医者や看護婦を中心に救急チームを作ったら良いのではないかと考えている。
大船教会が創立50周年を迎える。7月23日(日)午後2時から50周年記念ミサが行われる。
センター台所の地下室を埋めたいという話があるが、配管のメンテナンス等に便利なので、埋めないことにする。
私と聖霊との関わりあい
使徒行録を祈ることに助けられて
M.ハンラティ神父
聖霊との関わりについて、私の体験を少々書きたいと思います。この事について書くのは初めてです。それは、父なる神との関わり程強くはありません。また私は復活のイエスと話しあう程に、聖霊と話しあってはいません。沢山の人達と話しましたが、皆同じ事を言っていました。聖霊との関わりは気付かれるのも最後だし、深められるのも一番遅いと分かりました。
使徒行録を読むと、使徒達や弟子達そして新しいキリスト者達もみんな同じ事を言っていると思いました。聖霊が彼等の周りで、また彼等の内で、彼等を通しても働いていらっしゃると初めて体験した時、彼等には驚きだったのです。知らなかった新しい世界に引き入れられたかのようだったのです。そしてその体験は彼等をすっかり変えて、彼等は今までと違った目で物事を見、今までと違う行いをしたのです。
すべてのキリスト者は、最初の弟子達と同じ道を旅するよう招かれていると私は信じています。すべての人が聖霊との関わりを深めていくよう招かれているのです。この事について私自身の体験から分かった事を分かち合いたいと思います。
聖霊について、私は小さい頃から教えられてきました。その通り信じてきました。沢山研究もしてきました。けれども聖霊が私と共にいると感じる事とは違うのです。聖霊に導かれようと意識して努力する事ではありません。日常生活の中で聖霊が働いて下さって私が変えられたり、私を通して聖霊が働いて下さっている事を感じる事なのです。
聖霊との関わりを育てる為に、使徒行録を祈る事は最大の助けとなります。(ヨハネ福音書及びパウロの書簡で聖霊について述べられている所をよりよく理解する為にも、よい助けとなります)中でも私にとって一番重要な箇所は始めの2章です。そこを祈って戴いた事の内いくつかを皆様と分かち合いたいと思います。最近私はとてもよくこの箇所を使うのです。
先ず、祈る前にどの位の時間をかけるのかを決めておきます。 この祈りの為に時間はたっぷり必要です。
この箇所をもっとよく理解したいと望むのではなく、弟子達が体験したものを私も戴きたいと望みます。読んでその光景を想像し始めます。
弟子達の気持ちを味わう一つ所に集まって皆で一緒に祈っている仲間達を想像します。 そのように祈る事はもう習慣のようになっていたのだと気付きます。聖霊降臨の所で“みんな”と書かれている事も心にとまります。一つ前の箇所では、ユダに代わる新しい使徒を選ぶ為に、弟子達が、男も女も、約120名集まったと書かれています。その事から、ここにいたのは120名以上だったのだろうと分かります。私は今までそれ程沢山の人々が集まっていたとは思っていませんでした。 婦人達がそれ程沢山だったとも思っていませんでした。この光景を見つめながら、弟子達の感じている事を味わいたいと望みます。それには時間がかかります。私の心はイエスの埋葬直後の弟子達の状態に引き戻されます。 彼等の失望、恐れ、混乱を思い出します。それから私は彼等のその気持ちが変わったのは何時だったかと考えます。それは、彼等がイエスの新たな出現を信じるようになり、イエスが本当に復活された!という真理を受け入れるようになった時でした。特に疑った事をイエスがゆるし、もう一度親しくつながりたいと切に望んでいらっしゃると分かった時だったと、思い出します。それから私は彼等のこの時の喜びと興奮と感謝を理解し味わおうと、し始めます。
弟子達は、イエスがご自分の使命の継続について話されるのを聞いて喜びました。ご自分の仕事を一緒にしてほしいと今だに望んで下さっている事がことに嬉しい。その仕事とは、御父を囲んですべての人が一緒に集まる仕事です。
何とも輝かしい成功になるだろう!その仕事に参加できるとは何とすばらしい事だろう!期待でワクワクしている弟子達の心が伝わってきます。十字架にかけられる前にイエスはあれ程多くの人々を魅了し、あれ程多くのよい事をなさり、ご自分と一緒に沢山のよい事をするよう弟子達を導かれました。ですから復活されたリーダーとなられた今、これから更にどんなに沢山のことがお出来になるでしょう!と彼等は夢見ます。敵は皆恐れをなして逃げたり、弁解して降参するでしょう。人々は畏れ敬うでしょう。万歳!イエスはすぐにイスラエルの王国を建てるでしょう。すべてがすばらしいことになるでしょう。勝利は確実だ!
自分達にも分け前があるでしょう。
しかしその時ショックがやって来ます。イエスは弟子達を目に見える形で指導するつもりではない、少なくとも彼等が期待するやり方で、ではないとおっしゃいます。イエスは天にあげられて、彼等の目の前から消えてしまいます。“これからはあなた方の仕事なのです”とイエスはおっしゃいます。もちろんイエスは特別な助け手を約束します。けれども彼等は納得していない、彼等が予想したものではない、彼等が望んだものではない、彼等が望んだやり方ではない、どうやってそれが起こり得るのか分からない。イエスはご自分の教えがイスラエルだけではなく、ローマにも、更に世界中にも広がるとおっしゃいます。200人位のものである彼等にそれ程巨大な仕事とは! 途方もない事です。彼等には教育がありません。エルサレムの住民が彼等のアクセントを理解する事さえ難しいのに、まして言語のちがうよその人達にまでとは・これはもう不可能です!
混乱とショックの深みに落ちている弟子達が見えてきます。よく観ると彼等は心配と疑いの中で再び集まり祈っています。光と指導、慰めと救済を求めて真剣に祈っています。幸いにマリア様が一緒にいて下さっています。
彼女の霊的体験と祈りの力が弟子達を支えます。“ひどくとまどっている”彼等の現在の経験は、お告げの時のマリア様ご自身の経験に類似しています。マリア様は思い煩いながら何も出来ない彼等が信頼して待つように、そうして神の力が臨んで下さるように助けます。
祈りの中でこの場面を想像していると、私も助けを求めて待ち続ける張りつめた気持ちになります。(この状態はいやなものです)しかし待ち続ける彼等を見つめている内に突然、神様の偉大な力が働いていらっしゃる!と気付かされます。見えなかったけれど、待っている間中ずっと神様は静かに働いていらっしゃった、本当にそうだったのだ!と突然打たれたように認識します。彼等が受け入れることが出来るまで神様は待っていらっしゃるのです。彼等がもっと自分を空にして、もっと心を開くまで待っていらっしゃるのです。そうしたら彼等はより豊かに戴く事が出来るからです。 その時彼等はもっと寛大に応える事も出来るからです。(祈りの中で私が待たされている時も、同じ理由によるのでしょうか?)
ついに時が来ました。神様は今ご自分の力をはっきりとお表わしになられます。それは突然です!しかも思いがけない方法で!でも結果を見ると、神様が働かれた事を疑う事が出来ないのです。更に、神様の力はあり余る程豊かで惜しみないと感じます。溢れる程に“満たす”のです。神様の力「聖霊」がグループ全体の上にくだり彼等を変える!また一人一人別々にもくだり、一人一人を内から変える!と分かります。ペトロがその例を示しています。
その部屋のすごい興奮を想像します。それから弟子達が外のすごい騒ぎに気が付くさまを観ます。あの大きな音は一体何だったのかと沢山の人が集まってきて、黒山の人だかりでガヤガヤ騒々しい。ペトロが先に立って高間からバルコニーに出て見る。下に集まっている群衆に向かって語り始める。その声は力と自信に満ちていて私は驚く!これは新しいペトロです!すごい勇気です。しかも群衆の為を想うあたたかい心から話しています。
ペトロは語ります。父なる神からの教えを伝えたイエスは死から復活されました!御父とイエスは今ご自分達の霊を送って下さいます。神に向かって心を開き、心の中の邪魔物をはずした人がこの霊を受ける事が出来ます。
この光景を見ていると、変えられたのは弟子達だけでなく、このメッセージを聴いた人達もだ!と分かります。霊はここまで導いたのだ!彼等が心を開いて聴くようにも助けている。聴衆もすばらしい勇気と信頼で寛大に応えている。“ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に3千人程が仲間に加わった”(2・41)と書かれています。すばらしい変化です。
弟子達が受けた霊と、聴衆が受けた霊とが、両者の間を通っている!というイメージが心に湧き、私は感動します。ここに、弟子達とエルサレムの人々との和解が始まっている!従う人の数がどんどん増えます。もう広まり始めているのだ!(この霊を充分に受ければ受ける程、他の人達に広げる事も出来るのだなあーと私は感じ入ります)
このようにこの光景を見つめている内に、時々私は生活の中での自分の状態に引き戻されます。どうする事も出来ないと自分ではあきらめているのに、自分の力の及ばないその事をするように呼ばれていると感じるようになります。この気持ちに留まってまっている内に、御父は私にご自分の霊を下さりたいと熱望していらっしゃるのだと分かり、安心する事がしばしばあります。でもそれからまた、無力感と失望感が戻ってきたりします。 相反する二つの気持ちの間をピストンのように右に左に行ったり来たりする時です。この中から不意に何か新しいものが出てきます。その時私は今までと違う新しい目で物事を見る事が出来るのです。その時あせったり心配したりやきもきしたりする事もなく、落ちついてどうすべきかを判断できます。驚く事には支障なく円滑に実行する力も自分の内にあるのです。後になって、これは実りあるやり方だった、聖霊についてのこの箇所を祈ったから出来たと気付きます。これこそ私の聖霊降臨です!
※ある人が自分の問題について支えと助言を求めて私の所に来ました。何を言ってあげたらよいのか?私は困って言いました。“私には分かりません.しばらく一緒に静かにして何が起こるか待ってみましょう”そうしている内に私の心に何かが生まれ、待てば待つ程それはよさそうに思え、その内に“助けになる”と感じてきます。その考えを伝えるとその人はすごく喜びました。後で“本当に助けになった!”と言ってくれました。“聖霊がそのように私を導いて下さった”と今私は言えます。聖霊降臨のこの箇所を祈ったから、乏しさの中で聖霊の働きに希望をおいて待つ事が出来たのだと思います。
※※一つの強烈な体験があります。お互いの関わりの中で和解が出来た時のことです。互いにゆるしあい、受け入れあいました。聖霊のこの箇所を祈ることによって、信頼してまかせること、心を開いて相手から聞くこと、私自身が変えられて導かれるままになる事が出来たと感じています。 後で改めて聖霊に向かって“ありがとう!あなたが私の内に、また同時に相手の内に働いて下さった!”と感謝し、“私はもっと戴きたい、これからも導いて下さい”と願いました。
※※しなければならないと思いながら後回しにしている。やりたくはない。そんな時も祈り終えると突然に“さあ、しましょう”という気持ちになり、しかも簡単に支障なく出来て、自分で驚いてしまう。この事もこの祈りが実り豊かである事を証明しています。以前私は単に神様が私の祈りに答えて下さった”と言っていましたが、今は“聖霊が私を強め導いて下さった!”と言います。
又“聖霊、あなたがここで私を導いて下さった”と言っている自分に気がつくと、更に嬉しくなります。何故ならそう言う時私は友達に話すように聖霊に話しているのですから。聖霊が私と共にいて助けて下さっているという意識が私の内で育っていること、聖霊との関わりあいが育っていることを示しているのですから。 聖霊は、この関わりを深めていきたいと望むように私を更に導いてくれます。
これらの体験は私を変えます。私は、信頼して待つこと、自分で物事を支配しようとしないこと、神様の力に導かれ強められていくこと等のことが段々よく出来るようになってきています。しかし今まで話してきたように、私と聖霊との関わりは、キリスト者としての長い年月を経た今になって育てられています。
丁度歩き始めの子供が習うように、今この方向に歩み始めているのだと感じています。
私は聖霊降臨のこの箇所を使い続けています。その度にいつも新しい何かを戴いています。更に聖霊に関する使徒行録の他の箇所にも私を導いてくれています。
初聖体
日曜学校 清水裕子
5月7日に日曜学校の子供達27名が初聖体のお恵みを授かりました。5月晴れのとても気持ちの良い日で、神様が子供達のためにこの日を用意して下さったような穏やかな日曜日でした。 ティム神父様司式のもと、初聖体の子供達、保護者による朗読、共同祈願、奉納と進み、やがて聖体拝領の時となりました。一人一人が前に進み出て神父様から御聖体を頂き、そして席へと戻りました。御聖体を頂いた子供達の顔は光り輝き、また、様々な表情をしていました。それぞれに思い描いていた御聖体はどのようだったのでしょうか・・・・?そして、感想は・・・・。
5月7日は、わたしの初聖体の日でした。真っ白いいしょうを着て、頭にチューリップのベールと花のかんむりをつけていただきました。でも、初聖体のいしょうのリボンが、なぜか、少しずつおちてきたしまって、少しこまりました。神父さまのお話は、教会は一つの食じ会で、イエスさまといっしょに、食たくにつくところ、と言うことでした。それと、食たくには、食べ物と水と話し合いがひつようです。話し合いは、心を成長させると、神父さまがおっしゃったので、わたしの心も話し合いをして、もっと成長させたいなと思いました。その後、イエスさまの体をいただいたり、おめだいや証明書をいただきました。とてもきんちょうしたけれど、うれしかったです。
(3年加賀屋菜々)
自分が神様の子どもにになった気がした。ごせいたいがおいしかった。
(3年工藤浩之)
はつせいたいで、はじめはとてもきんちょうしたけど、だんだんへいきになって、きがついたらごせいたいをいだだく番になっていました。わたしは、はじめごせいたいはもうちょっと味があると思ったけどいただいたら「あっ、ちょっとクリームをつけたらおいしいな。」と思いました。
(3年大渡千歌)
ぼくは、きょう(5月7日)はつせいたいをうけました。しゃしんをとったりたいへんだった。おいわいに、お花をもらってうれしかった。はつせいたいをうけて、ちょっときんちょうしたけど、おとうさんとおかあさんにほんめられた。
( 3年原口たかひろ)
とくべつ初せいたいクラスは、とってもおもしろかったです。ハムスターの話になったり、犬がどうとか、そんな話ばかりでした。でも、お友だちもたくさん出来ました。お友だちは、いまとみさんと、みきちおりさんです。ゆるしのひせきの帰りにも、3人でアメどろぼうをつかまえて、「かしてっていったんだから、返してよね。」とか、言いました。はつせいたいのリハーサルの後にも、オニごっこをしました。はつせいたいの当日は、とってもドキドキしたので、そういうおしゃべりはできませんでした。ごせいたいは、おいしかったです。
(5年百留マリー和子)
ぼくは初聖体にすごくきんちょうしていたけど、でも終わったら、すごくきんちょうがなくなりました。ご聖体をもらったときは、なんか初聖体がすんだんだな〜と思いました。でもリハーサルのときは全然きんちょうしていなかったんだよな〜。
(6年萩原宏貴)
召命 ・ 神との出会いの体験
聖心の布教姉妹会 Sr 高橋恵子
去る5月14日、梅崎師の初ミサ後、梅崎師、シスター高橋(聖心の布教姉妹会)、信徒宣教者の方を囲んで召命についての話合いが行われました。 その時のシスター高橋の召命についてのお話です
小さい頃、私は神父様やシスターを見ていて(子供の頃から真面目に教会に行って、活動にもよく協力する模範的な信徒だったんだろうな)と思っていました。一方私はというと、幼児洗礼を受け、学校はミッション校という恵まれた環境にありながら、小学生の時から教会を離れていました。毎日、お祈りもしたし、時には聖書にも親しみ、神様を忘れたことはありませんでしたが、秘跡からはずっと遠ざかっていました。
高校2年生の時、看護婦になりたくて、受験勉強をしながら自分の将来を考えていた時、私の将来は結婚生活ではないと、なぜか感じたのです。そして、せっかくカトリックの信仰を頂いたのだし、自分の幸せだけを考えるのではなく、神様の為に何か良いことをしたいと思い、ふと(そうだ、シスターになろう)と思いました。びっくりしました。教会からも離れている不真面目信徒がシスターになれるはずないじゃないかと、自分でもびっくりしたのです。それから、私がシスターになろうなんて、自分の力では思いつくこともできない、神様が私にそう思いつかせたのではないかしらと思うようになりました。
そこで、一人の学校のシスターに相談に行きました。とても勇気がいりました。絶対、“とんでもありません”と言われるに決まってると思いながら行ったんです。ところが又々驚いたことに、そのシスターはまるで予感でもしてたかのように、ニコニコ笑いながら私の話を聞いて下さるのです。とんでもないと言われなかったことで、又、もしかして神様は本当にシスターの道をお望みなの?と考えるようになりました。私より立派な信者さんがたくさんいるのに、どうして私が?と恐ろしく、迷いましたが、祈って決心し、それまでのためらいがうそのように教会にも戻りました。私は召命を感じたことで回心し、教会に戻った珍しいシスターというわけです。
決心はしたものの、何しろ日本には百近い女子修道会があるのです。いったいどの会が神様のお望みなのかわかりませんでした。母校の修道会も、その他知ってる限りの会も、“なんか違った”んです。ある日、ある修道会の掲示ケースに“御自由にどうぞ”と置いてあった月刊誌あけぼのを見ていたら、聖心の布教姉妹会が紹介されていました。そこに、『物質的には豊かな日本の社会の中にあって、精神的貧困に苦しむ人々に聖心の愛を伝えます』と会の精神が書かれてるのを読み、(あ、ここだ!)と思いました。今なら聖霊の照らしと言うのでしょうが、その時はピンときたと言うのがぴったりです。広い世界へ出ていく事も素晴しいけど、私は、家庭崩壊、孤独等精神面で多くの問題を抱えているこの日本の中で、神様を知らない人に宣教することが使命だと気づき、すぐ聖心の布教姉妹会に入会しようと決めました。
聖心の布教姉妹会は私の出身教区にはありません。何の面識もなく、入会希望の手紙一通を出しただけで、突然飛び込んできた志願者を、シスター達はまるごと受け止めてくれました。 信仰は捨てなかったものの、教会から離れていた元放蕩娘の私は、過去を問わず、今あるがままの私を温かく受け入れてくれるシスター達を見て、イエズス様の愛の懐の大きさ、深さ、温かさを見たようでした。
シスターになってからも、神様との大きな出会いがありました。 シスターをやめようとした体験です。小さな事が原因でしたが心は荒れ狂い、自暴自棄になっていました。早朝シスター達が全員聖堂に行った間に、勝手に帰り支度をしていました。するといるはずのないシスターが一人階段を上ってきて、「何してるの?」と聞くので、私は「私帰るの」と答えました。シスターはしばらくじーっと私を見てから「あのねシスター、今イエズス様の所にいきたくないかもしれないけどイエズス様の所へ行ってらっしゃい。そして御聖体を頂いてらっしゃい」と言ってくれたのです。それを聞いた途端、スーッと私の心が静まりました。今でもあの時のシスターの静かな一言が耳にこびりついています。
心は静まったものの相変わらず、やめる、やめる、と思い続けたその3日後、クリスマスのお祝いに目上の所へ行った私は、目上から頂いた一枚のカードの表を見て愕然としました。『道でためらわず目標を見失わず
常に歩み前進していきなさい』というある聖人の言葉が印刷してあったのです。道をひき返しイエズス様から逃げ出そうとしていた私は、イエズス様につかまったことを知り降参しました。(わかりました。もう逃げません。あなたに従います。)そして初誓願のお恵みを頂きました。
山あり谷ありの修道生活ですが、シスターになろうと思った時の体験、シスターになってからの体験が私を支えてくれています。 その体験の中に神様が確かにいるからです。
私が体験した神様の愛、私を回心させ、ついてくるようにと私をつかんで離さない聖心の愛を、これからもたくさんの人との関わりの中で伝えていきたいと思っています。
ブラジル・佐々木神父の活動
善行 辻垣正彦
サンパウロ南方のパラナ州で活動する横浜教区出身の佐々木治夫神父さんの活動を紹介します。40年前、救ハンセン氏病から初まり、現在は青少年のための小さな農業訓練所を(ストレート・チルドレンの救済)開設するようになりました。野菜、果物生産者に必要な農業技術を教え、将来農業経験者としてサポペマの模範になる人を教育の目的としています。10人を一ヶ年順次交代して多数の希望者を育成し、現在30人程が共同生活をしています。
日本の信徒も全国約20の教会が「フマニタス救らい事業後援会」としてこの運動を支えています。ドラム缶に衣料、薬品類、学用品、人形、おもちゃ、ゆかた、キャラメルなど私達の思いを込めて年3回ほどお送りしております。現地では有償で支給されます。しかし運営のための資金も不足しており、ブラジルの経済的な不安定さが一層状況を悪化させております。これからも皆様のご協力を得てブラジルの青少年、病者のため援助を続けたいと考えています。
お問い合わせは、善行の辻垣(0466−81−1428)・教会事務所のSr我妻
ご寄付は:三菱信託銀行フマニタス救らい事業後援会 郵便振替00190ー0ー76844
ここで佐々木神父様からの手紙を紹介致します。
「私は今年1月15日に新しい小教区の主任司祭に任命され張り切っていますが、理想だけが先立って、体がついて行かず歯痒い思いをしています。この町は人口3700人ほどの小さな町で、その70%が信者さんといった小さな教区です。出張教会も3つだけです。全人口の3分の2が月収120$の年金生活者で、町には職もなく、若者のいない死んだような町です。これからどうやって町起こしをしていったらよいか、皆で相談し合っていますが、政府が農業を捨ててしまっていますので、なかなか良い考えが浮かびません。特に小農の人たちの苦労は大きく、土地を売って大都会へ出ていくのを止めるのは至難の業です。結局、将来を見つめて、大農場ではできない自然農(無農薬で有機肥料)や果樹を伸ばしていく以外には道はないと思います。
こうした現実に合っていると、イエスが言う「救い」とは何を意味するのか、良い勉強になります。「皆さんの上に祝福がありますように。さあ、家に帰って腹をすかしていなさい」では、救いになりませんからね(ヤコブ2・16参照)
とにかくブラジルは私たち宣教者にとって仕事に溢れ、やらなければならないことが一杯の国ですし、聖書の言葉を霊化してしまわないで、忠実にもっと現実化して読むことが要求される所です。あの時代の政治、経済、宗教、社会的背景を考慮にいれながら。いつもご協力くださる神父様がた始め、教会の皆様に心から感謝申し上げます」
私たち日本の信徒はブラジルや東南アジアの貧しい子供たちの犠牲の上に生きているのでしょうか。
不正に土地を追われた農民や子供たち、ハンセン氏病の人々が、この世に於いて存在が価値あものだという認識が持てますように闘っている佐々木神父を応援しないではいられません。 自らプロポリスを開発し販売しながら活動している姿に大いなる手を差し伸べたいと思います。
横浜山手教会巡礼
善行 鹿野明子
5月14日、北1・2地区の巡礼は、横浜石川町から山の上の教会へ、94段の階段をのぼることから始まりました。心のこもったお出迎え、信徒館でのご接待を受けた後、いよいよ、聖堂へ入りました。
折から、3人の幼児の洗礼式が行われていて、共にお祈りをし、ほのぼのとした気分になりましたところへ、女性信徒の方が一人来られ、聖堂の説明をして下さいました。 「ここは『イエスのみ心』に奉献された聖堂です」と中央のご像を示され、また左右の像、聖画、ステンドグラスなど、一つずつの解説をお聞きしました。中央左には司教座があり、梅村司教様のお徴がついていました。
その後、新装なった司祭館前のマリア像が江戸時代にフランスから贈られた文化財ということで、そちらにまわりましたが、内にも外にも、ずっしりと歴史の重み、大きさを感じたことでした。
するとその時、司教様が一番奥の執務室におりてこられるのが見えました。勇気のある方が、お窓をトントン!司教様はにこやかに玄関までおいでになり、館内をご案内下さったのです。「まだ片付いていませんよ」とおっしゃいましたとおり、塗料の匂いなども強くしていましたが、一同司教様についてぞろぞろ拝見して歩きました。記念撮影にも入って頂き、みな感激してしまいました。
実は、洗礼式が予定外の事で時間が少しずれていたのですが、おかげで素晴らしい機会を恵まれ、そのみはからいにみんな心を打たれて感謝にあふれました。
そのまま墓地に向かい、亡くなられた司教様、神父様方にお祈りを捧げました。黒い御影石を洗う人、拭く人、お花の水をかえる人、なつかしい方のお名前をさがす人、各自の思いでゆったりと流れたひと時でした。さつきの后に見守られているような、穏やかな初夏の陽ざしの残る中、巡礼は終わりました。山手教会の皆様、特に「大聖年奉仕委員会」という巡礼受入委員の方々に心から感謝申し上げます。
尚、この巡礼が準備段階から当日まで、多くの方の助言助力を受け、実現しましたこと、ブロック委員一同よりお礼申しあげます。愛の御心に導かれて、日々励むことが出来ますように祈りつつ。
「新入者歓迎親睦会」についての報告
藤沢1区 鈴木健史
5月20日、藤沢ブロックの新入者歓迎親睦会が戸塚の「聖母の園」での山本神父さまの御ミサと、付属の老人ホームの訪問が行われましたのでご報告致します。
私は受洗して50年たちますが、仕事の関係で藤沢には20数年間不在でしたので今回初めて新入者として親睦会に参加させていただきました。
毎年親睦会は恒例となっているようです。参加者は33名(内男性4人)で、予定通り10時20分車に分乗して教会を出発、11時には「聖母の園」に到着、早速山本神父さまの御ミサが行われました。声の大変綺麗な方が数人一番前の席で聖歌を歌われごミサを引き立てて下さいました。
御ミサ後修道院の食堂に集まり、シスターからこの修道院付属の養護老人ホームについてのお話をうかがいました。昼食会後自己紹介を行いました。
13時より「聖母の園」特別養護老人ホーム・養護老人ホームの説明を受けながら見学させていただきました。とても環境がよく、敷地も広大で芝生や木々もよく手入れされていました。 入居者の方々が気持ち良く、心豊かな生活が出来るように、シスター方、職員の方々が努力されておられました。お話の中で強調されていたことは、現在ボランティアの方が350人登録されていますがそれでも足りないそうです。
わが国の高齢者社会問題としてホームを見学できましたことは、大変勉強になり感謝致します。1時間余りの見学で老人ホームを後に小雨の中を藤沢教会に帰ってきました。
小児ガンの家族を支えるために
ファミリーハウス
メリーノール会のSrキャサリンが中心になって活動しているファミリーハウスに対して、7年もの長きにわたり、誠意あるご支援をみなさまからいただいておりますことを心から感謝いたします。
多くの方々は、初めはご寄付をくださるのですが、そのうち少しづつメンバーの数が減り、いつかお忘れになってしまうケースが多くあります。ご存知のようにガンは消滅するどころか、反対に患者の数は増えつづけています。
特に小さなお子様がガンやその他の難病にかかられると、最新の医療を求めて東京に出ていかざるを得ず、それに伴いご家族の方が遠方から生活を移さなければならなくなります。
そうした家族のために、一時的な家を探すことからはじまり、ファミリーハウスは、東京に滞在なさるに必要な費用の一部を責任をもって援助しております。
それぞれの家族にふりかかる公共料金、寝具類、維持費も高騰を続けておりますが、私たちは一泊千円で部屋を提供できるように最善の努力をしております。
皆さまからいただいたご寄付は、そのために大いに役立っております。もしお友達やご近所の方で年間2千円のご寄付を当会にご提供いただける方がおりましたら、私達にとりましてもこの上ない助けとなりますし、またお祈りも必要です。
重度障害児へのボランティア
「ゆーぼ」
藤沢カトリック教会の皆さま、一昨年、昨年と続けてご寄付をいただき、本当にありがとうございます。
私たち「ゆーぼ」は重度障害をもつ、お子さまたちのグループ「優」を支援するために10年前に生まれました。「優」のボランティアなので「ゆーぼ」という名前をつけました。
けれどもこの10年の間に、5人の子供が亡くなり、また卒業した、子供たちは地域の作業所や適所施設へと移ってゆき「優」 の人数は少なくなってきました。それにつれて私たちの活動は「優」以外の障害児への支援へと拡がっていきました。現在会員は20名、20才台の方もおりますが、主に40〜60才台の主婦が活動を担っております。
活動の主なものは、週一回、湘南台活動ホームでの学童保育と、それに伴う学校→ホーム→自宅への車による送迎。脳性マヒの子供の運動訓練、筋ジストロフィーの子供の訪問援助、障害者の日常生活、外出の援助、彼らが編んだ毛糸のマスコット作り。フリーマーケット開設、勉強会、「ゆーぼ通信」の発行などなど・・です。
年間経費約20万円のうち5万円ものご寄付はほんとうにありがたいことです。小さな働きに過ぎませんが。喜びをもって続けております。私たちのことを忘れずにお祈り下さい。
2(金)初金ミサ、例会
3(土)北1・北2ブロック黙想会
4(日)典礼研修会9時30分のミサより
11(日)聖霊降臨・聖体奉仕者派遣式・スカウトデー・ミニバザー・壮年部歓迎会・「ルワンダへ愛をこめて」報告会
18(日)青年達によるゴスペルミサ9時30分