八 角 形 に ゅ ー す
2000年9月3日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
教会の国際化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ブライアン・ベール神父
神奈川県大聖年司教ミサに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 松尾池鶴世
聖書を祈るシリーズ(3)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・M・ハンラティ神父
中高生会サマーキャンプの報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中高生会リーダー 宮内 毅
中高生キャンプ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 元橋春雄
ボーイ・ベンチャーキャンプ報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ボーイ隊リーダー清水康男(片瀬教会)
カブ・ビーバーキャンプ報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ビーバー隊リーダー岡田芳明(藤沢1区)
大盛況!ガーデンパーティー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 木村美智子
湘南台バザーについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 中村裕子
大聖年、よろこび感謝そして希望のバザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 荒井康昌
教会の国際化
ブライアン・ベール神父
この度、8月5日に行われた藤沢教会のガーデンパーティに参加しました。ガーデンパーティでは様々な国の食事があり、各国の踊りがありました。色々な国の人達が一緒に楽しんでいました。私はそれらを共にして、つくづくと教会の国際化を感じました。
私は今年5月に、ニュージーランドで叙階25年の銀祝を祝いました。銀祝のパーティーには私の出身の小教区の主任司祭も銀祝で一緒に行きました。彼は以前、南米のエクアドルで働いていたことがあり、また、私も日本で働いていたので、会場となったニュープリモスの人々は、私たちのためにパーティーの場にエクアドルと日本にちなんだ飾り付けを用意してくれました。こういった事も教会の国際化の一つの現れだと思います。その折のミサとパーティーの参加者の中には、チリとフィリピンで働いていたことのあるコロンバン会の司祭もいましたし、南太平洋の西サモアで働いていた私の親戚のマリスト会司祭(叙階65年)もいました。私は宣教師としての道を選びましたが、これらの経験から「地上を旅する教会」をつくづくと実感します。
私は20年前にも藤沢で働いたことがあります。その頃と比べて、今回随分変わったと驚いていることがあります。それは新しい文化、国籍の人々がとても増えたことです。藤沢教会では、日頃、日本語、英語、スペイン語、ベトナム語、タガログ語など各グループが、それぞれの言語のミサで祈っていますが、今回のガーデンパーティのように、それらの人々が一つに集い、それぞれの文化、食事、踊りなどをお互いに楽しめる場を持つということはとても良いことだと思いますし、また有意義なことです。世界には色々な言葉や文化がありますが、それらを越えて、私たちは一つの教会なのです。
神奈川県大聖年司教ミサに参加して
六会 松尾池鶴世
8月13日山手教会の教区大聖年ミサに参加させて頂きました。
ミサに先立ち、梅村司教様から「横浜教区大聖年ミサを静岡・長野・山梨と行ってきて最後の神奈川県でのミサとなりました。特に今日は平和旬間にあたっており、平和のために祈りたい」とお言葉がありました。
ローマから夏期休暇でお帰りの濱尾大司教様・梅村司教様ほか20名以上の司祭と約500名の信徒の「入祭の歌」でミサが進められました。
第1朗読は、イザヤ書(61・1〜9)、福音朗読はルカによる福音(4・16〜21)が読まれました。
梅村司教様の説教は「今年はキリストが誕生して2000年の記念の年で救い主キリストが人となられ、この世におられる、受肉の神秘を祝うのです。特にカトリック教会はこの偉大な年を大聖年として「許しと和解」の年としました。民族的な紛争が跡を絶たない現代社会にあって、人種、民族、宗教の壁があり、我々キリスト者がこの壁を取り除き、キリストの心をもって人々の喜び、希望、悲しみと苦しみ、中でも貧しい人々の心を自分のものとして人類に奉仕する、この使命を大聖年にあたってもう一度心の中に明記し、この使命を証しする恵みをご一緒に願いましょう」とお話し下さいました。
共同祈願は日本語で「青少年のために」、英語で「東ティモールのために」、韓国語で「平和のために愛と正義の主イエス・キリストよ」、タガログ語で「貧しさの克服のために」、スペイン語で「国際紛争の解決のために」、ポルトガル語で「一致のために皆がひとつ」と6ヶ国の代表が祈願し、全員でこの願いを神が聞き入れて下さいますように声を合わせて祈りました。
濱尾大司教様のローマでのお仕事の報告も興味深いお話でした。
最後に司教様から盛儀の祝福を頂いて閉祭しました。各教会の代表が復活のローソクから火を頂いて小教区に持ち帰ることになり、藤沢教会では牧野教会委員長が頂きました。山手教会の大聖年準備委員の方々や第三地区各教会委員の方々が3年前からご準備なさったと伺っています。一人一人の輝いた顔を拝見し、わたしも感無量でした。恵み多い一日を有り難うございました。
聖書を祈るシリーズ(3)
ザカリアとエリザベト(ルカ1章5〜25.57〜80)
M・ハンラティ神父
この箇所は、欲求不満や落胆を長い間抱えている時に使うとよい、と気付いています。ザカリアとエリザベトにして下さったように、今同じような状態にいるこの私にも神様が来て下さる事を体験したい、と願ってこの箇所を使います。またこの箇所は、神様に忘れられてしまったと思えるような時にも、神様は絶え間なく働いていらっしゃる事を思い出させてくれ、それによって状況を新しい目で見れるようにしてくれます。恐れや落胆は消えて、問題に面と向かう新しい力や希望を戴きます。同時に、神様がなさっていらっしゃる事を静かに思い巡らす事の大切さを、再認識させてもくれます。そしてすべての人の救いのご計画にもっとよく協力しなさい、という新しい招きを聴くようにも導かれます。
この箇所で、私と交流する為に神様はとてもよく私の想像力を使われます。
そのつど、先ず最初にこの箇所をどの位の時間祈るかを決めます。
それから自分を見つめます。今この時に本当の私がどの方向に引っ張られているのか、今この時に神様に一番来ていただきたい所はどこか、認識します。そこが私の中で神様が働いていらっしる事を一番認めやすい場所だからです。
それからルカ1章5〜25と57〜80(ヨハネの誕生)を読みます。私はこの二箇所を一つのものとして祈ります。ザカリアとエリザベトの1年にわたる経験の描写として捉えます。ゆっくり読んで、特にその中の人々の気持ちを想像しようとします。
エルサレムの神殿を想像します。中庭に大勢の人々が集まっています。毎日の夕べのいけにえの奉献が、これから行なわれようとしています。祭服を着た祭司が今聖所に入ろうとしています。聖所の中の祭壇の上で香をたいて、子羊と葡萄酒と小麦粉を奉献する為です。
私はその祭司の気持ちを想像しようとします。選ばれてこの役目を受けるチャンスは、平均すると20年か30年に一度しかない事だと知っています。ですからこのすばらしい名誉に興奮しているでしょう。もちろん大きな責任も感じているでしょう。神様の前に民族を代表して行う事なのですから。このいけにえは自分たちの歴史のなかで働いて下さった神様の救いの力を感謝する為に、特別な恵みを下さったり解放して下さったり偉大な指導者を送って下さった事等を感謝する為に捧げられます。更にイスラエルの失敗や怠慢をお詫びする為でもあります。また現在の悲しむべき状態のただ中に、神様が約束して下さった救い主を急いで送って下さるよう、乞い願う為でもあります。
この度の祭司はザカリアです。かなり年をとっています。緊張しておどおどしているようです。何故だろう?と想像しようとします。一つには全イスラエルを代表して祈る事の重い責任を非常に意識しているせいでしょう。しかし自分が人々を代表するに値するかどうかと恐れるからでもあると推測します。何年も前だったら若い祭司としてこの名誉をどんなに感謝した事でしょう。しかし今彼は自分がここにいてよいのか疑っています。自分が神様に受け入れられていないのではないかと恐れています。
ザカリアがこのように恐れるのは、彼と妻には子供がないからです。子供がない事は神様に拒否されている印だと一般に考えられていました。この恐れ故に、落胆と混乱と疑いに傾こうとする心がどんどん大きくなっていたのです。更に、二人は本当のイスラエル人ではないと見なして、公然と辱しめる人々もいました。苦痛の日々でした。二人は祈り続けました。ふさわしくないのではないか?恐れが重くのしかかるなか、ザカリアは今一人いけにえの聖所に近づいていきます。
聖所に入っていくザカリアが見えます。畏れ敬う聖なる雰囲気があたたかい雲のように彼を包んでいます。モーゼのように神様の前に出ていると彼は感じます。恐れを感じながらも、生贄の捧げ物を奉献している彼が見えます。
このような気持ちで奉献していると突然、そばにまばゆい姿が立っているのを見てびっくり仰天ぎょうてんします。ぎょっとしてひどく衝撃を受けます。これは自分がふわしくない証拠なのでしょうか?この輝く姿が“恐れるな”と言っても、恐れはすぐには消えません。
私はザカリアを見つめながら“恐れるな”という言葉を聞きます。その言葉が私をつかみ、その言葉に注目させられます。その言葉を一人繰り返し続けます。これは、ひどい事が起ころうとしているのではないと安心させる為だけでなく、続けて伝えられるメッセージを、信頼して感謝までして受入れ、成し遂げるように、という招きであるのだと理解し始めます。私はガブリエルが次のように言っているかのようだと理解します。“このメッセージをよく聞きなさい。ここに働いていらっしゃる‘神様の心’を理解しなさい。あなたとエリザベトへの、そしてすべての人への神様のお望みを理解しなさい。時間がかかってもこのメッセージを受け入れなさい。そうしたらあなたの心は変えられます。神様のなさる事を信仰の内に受け入れなさい。勇気を持って神様の偉大なご計画に充分に協力しなさい”
“恐れるな”の言葉がこれらの事を私の心に入れます。
そして神様からのメッセージの内容がまさに驚きです。消化するのに何故それ程時間がかかったのか、私は理解できます。すばらしい約束の連続で、しかもどの約束も更にびっくりさせられる事、更に信じがたい事なのですから。
第1に、“あなたの妻エリザベトは男の子を生むであろう。あなたの願いは聞き入れられたのだ”
第2に更にすばらしい事には、救い主が正に来て下さろうとしている!神様は働いていらっしゃる。神様は忠実である。新しい救いの時が始まろうとしている!
そして第3に“あなたの息子はこの偉大な救いの計画が実現する為に、特別な役割をもつであろう。人々を神様に結びつける。あなた方二人にとってだけでなく、多くの人々にとって大きな喜びとなるであろう。
エリアのような力強い預言者となるであろう。彼はヨハネと呼ばれるであろう。その意味は‘神様の恵み溢れる贈りもの’である。
これらのすべてを理解し信じようとするザカリアが見えてきます。夢を見ているのではないだろうか?雰囲気や香料のせいで幻覚を見ているのではないだろうか?といぶかる。自分も妻も、もう年をとってしまった!何故神様は子供をさずけて下さるのに今まで待たせられたのか?年をとった夫婦に、そのように特別な子供を育てられるのだろうか?いやもし若かったとしてもそのような子供を育てられるとは思えない。私が抱いていた夢をはるかに越えている。信じ難い事だ。何かの間違いではないだろうか?
信じて楽しみにしてしまってから幻覚だったと分かったとしたら、もうその苦痛に耐えられないだろう
ザカリアはぼう然としています。混乱しています。神様のメッセージの力が彼の内深く働いて彼を変え、強めるに至るまでには、長い間の静かな黙想が必要だったのだ、と私は悟ります。
中で何が起こったのかといぶかりながら待っている外の民衆が見えてきます。ザカリアがついに出て来ます。彼の様子がおかしい。何かあったのか?でも何も語らない。やっぱり変だ。人々は新しい霊的な時代がやって来ようとしている事を知りません。ザカリアは家に帰り、‘神様の心’について示された事を把握しようと試みます。長い沈黙の時間が必要でしょう。
私の想像は、家にいるエリザベトに目を注ぐように導かれます。彼女は長い間身を切られるように苦しんできました。子供がいない事で当然感じる淋しさと悲しさに、人々に軽蔑される苦痛が加わっています。それでも彼女は委ねて祈り続け、ザカリアの面倒を見、家の内で外で日々の家事をしています。神殿で何か起こったのでしょうか?ザカリアは別人になってしまいました。何があったのか彼は言ってくれません。不審に思いながらも彼女は待ちます。
このようにして数週間を過ごした後の彼女を見つめます。彼女は困惑しているようです。自分の体に何かが起っている、不思議だ、と思い始めます。妊娠の徴候があるのです。でもそんなはずはありません。もうあえて望まなくなって久しいのです。けれどその徴候は消えません。いえ、むしろ増えていく!やっぱり妊娠したのかも知れない、と思い始める。ついに驚嘆と共に彼女はそれを信じます。でもまだ人に話す気にはなりません。神様への感謝がどっと湧き出て、感謝は一日一日大きくなっていく、と私は感じます。
ついにザカリアに告げます。彼も喜びと感謝に圧倒されます。生まれてくる息子について、神様のご計画について、自分の体験した事を妻に伝えます。日毎に高まる感謝と賛美の祈りと共に、二人は段々神様のご計画を受け入れていきます。
エリザベトがどれ程霊的に成長したか、よく示されています。老後の支えとして息子にしがみつきたい、頼りたい気持ちがあったでしょう。けれども二人は、イスラエルへの神様のメッセージを語る準備をする為に、ヨハネが砂漠に住む事を許すことが出来ます。“その名はヨハネです”という事によって、エリザベトは感謝の心で寛大に、ヨハネを神様に、神様のご計画に完全にお返しするのです。
私はザカリアの内に起っている大きな変化も見ていきます。神様のご計画を完全に受け入れるよう成長しました。“ヨハネが彼の名前だ”と強調します。そして長い間黙して思い巡らし祈った事によって、神様がすばらしく働いていらっしゃる事を今もっとはっきりと分かる事が出来ました。イスラエルの歴史に働いていらっしゃる神様がもっとはっきり分かるようになりました。神様がご自分のなさった約束をどんなに忠実に守る方であるかを今やはっきりと認識しました。正に神様のみ心を垣間見ているのです。長い讃歌となって彼の気持ちがほとばしり出ています。将来への大きな希望と信頼に満ちています。恐れは去りました。口がきけなくなってからこのように神様を賛美するまでになりました。何という変化でしょう。
祝っている周りの人々を見ます。彼らの気持ちを感じます。彼らも正に神様の力が働いている事を意識しています。感動し不思議な思いでこれからを見ています。“この子は一体どんな者になるのだろう?”どんなすばらしいことを神様はして下さるのでしょうか?と互いに言いあっています。
祈りの時間が終わるまで、この最後の気持ちに留まります。
祈りが終わると、祈りの間に起った事を短い時間で回想します。神様がどのように私の心に触れ、気持ちや心の姿勢を変えて下さったかに気付きたいのです。その時その時で違います。次にその例をいくつか書きます。
ザカリアとエリザベトを見ている内に、私の現在の状況を見つめるように導かれます。恐れていたり、がっかりしていたり、不快でイライラしていたりという状況です。でも次第に神様はここでも働いていらっしゃると思い出させてもらえます。この現実の後かなたで静かに働いていらっしゃる!
私の気持ちは、希望をもって信頼して忍耐しよう、という風に変えられます。
ある時は、私は神様が私を忘れてしまった、私は捨てられてしまったと長い間感じていた時の記憶に引き戻されます。神様はそのように私を導きます。そして、その時も静かに働いていらっしゃった事を、現在私が戴いている賜物はその時に起因している事を、今私に示して下さいます。あるいは、神様が私に送って下さった、‘よい知らせ’の天使は誰だったのか、今知ったりします。
しばしばある事ですが、信頼と希望に気持ちが変えられた後に、すべての人の救いという神様の仕事を神様と一緒に力を合わせてするように、新しい方法で神様は私を招いていらっしゃるようだと気付き始めます。例えば祈りの時間をふやしなさいとか、他の人達が神様の働きをもっとよく見れるように助けなさい等の招きです。そして神様は“恐れるな”と私におっしゃいます。
また他の時には、祈りの中で沈黙して聴く時間がもっと必要だと気付かせてくれます。
そして時々、神様がこれからすばらしい事をしようとしていらっしゃるのだ、と私も心を開いて信じる事が出来ます。このシリーズを始めた事もその一つの例ではないでしょうか?
神様があなたに近づきあなたと話す為に、この種の祈りを使われるという事を、あなたは発見していくでしょう。神様は数えきれない程のさまざまな方法でそれをなさいます。ですから試して下さい、何回でも。
そして結果を見て下さい。次回はルカ1章26〜38、“お告げ”を使います。
この箇所での経験が助けになるでしょう。“やってみて下さい”
中高生会サマーキャンプの報告
中高生会リーダー 宮内 毅
8月6日9時半ミサ後から、翌8月7日のお昼前まで当教会にて中高生会のサマーキャンプを行いました。活動場所はほとんど教会周辺であったので、「キャンプ」というのは名ばかりでしたが、場所が近くということで途中参加や顔を出しただけの人も含めて16人の中高生が参加してくれました。6日の日中は、中学生はリーダーといっしょに映画を見に行き、高校生は青年会の方達と教会に残って活動しました。夕食後はテハン神父様のお話を聞き、それから希望者だけで銭湯に行きました。そのあとは、ホールで夜遅くまでゲームをしたり、話をしたりして過ごしました。翌朝は9時のミサに参加し、残った人たちで近くの公園で少し遊んでから、また教会に戻って解散しました。短い間でしたが、一泊二日を無事に終えることが出来ました。
中高生キャンプ
大庭 元橋春雄
中高生会では8月6日〜7日にかけて教会でキャンプを行いました。高校生グループではケーキを作り、中学生とリーダー達は映画を見に行きました。夕食の時には総勢30人程も来て、中には青年会の人達も飛び入り参加をしてとても賑わいました。そして食後は、皆でテハン神父様のお話を聞きました。夜はキャンプというだけあって皆なかなか眠れないのか、おしゃべりをしていたり、カードゲームをしたりして過ごしました。
そんなこんなでキャンプは終わってしまいましたが、参加したみんなの心の中では忘れられない楽しい思い出として残るこでしょう。
そして最後に、このキャンプの許可をくださった神父様へ、本当にありがとうございました。今度は、もっとたくさんの人達とまたこのような事ができることを願っております。
ボーイ・ベンチャーキャンプ報告
ボーイ隊リーダー清水康男(片瀬教会)
ボーイスカウト藤沢16団のボーイ隊、ベンチャー隊キャンプは、7月28日(金)〜8月1日(火)の5日間、新潟県粟島にて、ボーイスカウト(小6〜中3)6名、ベンチャースカウト(高1〜高3)6名、リーダー6名が参加して行われた。
粟島は新潟県沖の日本海に浮かぶ周囲20キロの島で、漁村が散在する人口400名の小島である。当団は創立25周年記念を迎えたこともあり、ボーイスカウトらしい野外活動を体験するため、ボーイ、ベンチャー隊はカブ、ビーバー隊と分かれて、この小島をキャンプ地として選んだのである。
さてベンチャー隊は、28日昼に藤沢駅からJR普通電車を乗り継いで、夜11時に岩船港に到着、ボーイ隊は同日夜に教会を車で出発し、翌朝4時に岩船港に到着した。
岩船港から粟島までは船で1時間半。スカウト達は初めての島生活に張りきり、着くや否や、荷下ろし、テント設営、炊事をテキパキとこなし、余った時間は海水浴を楽しんだ。透明度は抜群で10メートル先まで見えるほどだった。
夜はキャンプファイヤ。ゲームと夜話で楽しく静かな時がゆっくりと過ぎて行った。
3日目は荷物を背負っての移動キャンプ。4日目は朝市に出向き、取れたてのサザエの壷焼きを味わった。
キャンプを通じて時間厳守を徹底し、特に炊事にはチームワークが欠かせないことから、スカウト全員が一致してキャンプに取り組んだ。その慌しさの中にも、食前食後の祈りを交代で唱えたり、大海原や夕焼け、星空の美しさに心を奪われたりと、沈黙の時間があった。日中の気温は37度に達するほどで、途中バテ気味の者もいたが、5日目には全員元気に藤沢教会に帰着した。
最後になりましたが、このようにキャンプを実施できたのも、皆様の当団への物心両面のご支援のお蔭であり一同感謝しております。当団の推進するカトリックボーイスカウト活動への変わらぬご理解、ご支援をお願い申し上げます。
カブ・ビーバーキャンプ報告
ビーバー隊リーダー岡田芳明(藤沢1区)
ボーイスカウト藤沢16団のカブ隊、ビーバー隊キャンプは、8月4日(金)〜7日(月)の4日間、山梨県白州町尾白の森キャンプ場にて、スカウト15名の他、テハン神父、リーダー、団委員、保護者、スカウトの姉妹等を含め総員33名が参加して行われました。
一人一人が「リトルインディアン」として、1日目:川遊び、工作、肝だめし、2日目:ハイキング・野外ミサ、笹舟競争、3日目:工作、川遊び、キャンプファイヤ、4日目:野外技能大会をこなすことで、心と体を鍛え、仲間との協力を実体験していく盛り沢山のプログラムでした。あいにく3日とも夕方から雷雨になり、一部、屋内プログラムに変更しましたが、夕方までは快晴で、南アルプスの麓、名水百選に数えられる水の名所での水遊びを満喫し、またハイキングの日向山頂では大パノラマを目の当たりにし、大自然の様々な音に耳を澄ましながら、テハン神父とともに丸太を祭壇として野外ミサを捧げました。
この楽しく美しい大自然体験、仲間とのふれあい・ぶつかりあいの体験は、日頃テレビゲーム等バーチャルな世界に閉じこもりがちな子ども達にとって、何物にも代えがたい宝物となることでしょう。より多くの子ども達にスカウト活動への参加機会が与えられることを心から願っております。
今年もこのようにキャンプを成功裡に実施できましたのも、教会の皆様のスカウトバザーへのご協力等のお蔭であり、改めて厚く御礼申し上げます。
尚、スカウト入団説明会を9月10日(日)9時半ミサ後、204号室にて実施します。幼稚園年長以上のお子さん・お孫さんをお持ちの方はお誘い合わせの上、お越し下さいますようご案内申し上げます。
大盛況!ガーデンパーティー
藤沢1区 木村美智子
今年度のガーデンパーティーは昨年の7カ国参加に対して4カ国と、国際交流目的としては、ちょっと淋しいスタートでした。それでも、テハン神父様のお知恵を拝借して、急きょアイリッシュ・シチューを加え、まずまずのメニューとなりました。酷暑の8月5日土曜日は、朝から婦人部はセンターの台所で野菜たっぷりの夏カレーとシチューに大奮闘。対する壮年部は、炎天下で汗だくのテント張り。昼食のビール、カレー、さし入れのきゅうりの漬物とにがうりの酢の物のおいしかったこと。
外国料理も、ペルーのアンティクーチョ、韓国のトックポッキと順調に作業は進み、夕方5時には、韓国チジミ用の火元も、フィリッピンのトロピカル・ドリンク、中高生会のアイスクリーム、ベトナムの春巻き、壮年部の焼そばも、ほぼ支度が整い、ミサが終わる頃には、すべてお客様を待つばかりとなりました。教会入り口に置かれた200円均一の値段表を見て、通りすがりのガングロ少女が、「安いじゃん。寄ってく?」と、足を止めていました。そうです、いつもは教会に足を運ぶ機会がない人たちに、この時こそ是非来てほしいのです。6時をまわると、魚津さん、荒井善博君、フィリッピンのセシール嬢と、バライエティに富んだ司会陣のもとに、まずは、片瀬教会の協力による軽快なウクレレのリズムに乗ってのフラダンスに、浴衣姿の女性たちも混じって、場内は盛り上がリました。次に、ベトナムの少年少女がおそろいの衣装で、かわいいミレニアム・ダンスを披露してくれました。フィリッピンの美しいクワィアには、皆うっとり。それに続くバンブーでは、竹に足をはさまれないようにと不器用に飛び跳ねる男性陣に混じって、優雅に身をこなす女性もいました。さあ、お待ちかねのサルサです。南米の情熱的なラテンリズムに乗って、花火の煙にまみれ、皆が入り混じってエネルギッシュに踊る姿には、国境はありませんでした。
推定入場者300人と、まずまずの人出、準備段階でのコミュニケーション不足など、いくつかの反省点はありましたが、皆が楽しめた2000年、藤沢カトリック教会"真夏の饗宴"でした。今後も壮年部、婦人部は勿論のこと、もっと外国コミュニティー、若い人達と手を結んで楽しく充実したパーティーが開けたら・・と祈っております。今年はいらっしゃれなかった方々、こんなに楽しい「ガーデンパーティー」です。来年こそ是非ご参加下さい!
藤沢カトリック教会、2000年、真夏の饗宴でした。
湘南台バザーについて
長後 中村裕子
7月29日(土)、地元湘南台まつりに参加して、今年も暑さ厳しい西日を受けて、夕方4時より公園の入口にテントを張り、衣類、日用雑貨品が所せましと並べられ準備OK。
衣類を一緒にさがしてあげたり、男性の背広上下サイズピッタリ、もう一つコート500円は安い、品物の良さとサイズが合って喜んで買い求めるお客さんからこんなに安くていいのですか?など会話もはずみ地元の方たちとの交流がしっかりなされている。お買上げくださった袋の中には藤沢カトリック教会湘南台センターのチラシを入れ、サークル活動のお知らせしたり、さりげなく、しっかりと布教活動がここにあります。お手伝いにかけつけて、準備かたづけまで男性の力作業と女性たちの売り子作業を通して、皆が一つの目的をはたしている。今日一日(5時間)の代償しめて6万8000なにがしの売上があり、その中から社会福祉の為にと教会より、地区地元へ一部寄付されている実状を知って、大汗を流してもなぜかさわやかな楽しい雰囲気で終わる事が出来ました。布教活動のありかたに、これも自然と地元にとけこむ大切な活動の一つと実感し、感謝と喜び希望の一日でした。
大聖年、よろこび感謝そして希望のバザー
大庭 荒井康昌
第24回バザーは、10月22日に行われます。北1、北2ブロックのバザー委員総勢30名は、大聖年のバザーを担当できることに、心から喜び、頭記のテーマのもとに、祈りと共に準備を進めております。
全員で大聖年の意義を、もう一度原点に戻って勉強する機会が与えられたことに感謝しています。バザー当日には、藤沢カトリック教会のパンフレット、大聖年のパンフレットを受付で配布し、全ての人に開かれた教会をアピールします。
私達の教会の伝統あるバザーについては、皆様の色々なご意見があります。私達はそれらの項目について真剣に討議し、教会委員会にも、その声を伝え「八角形にゅーす」第107号で真摯な解答をいただいております。過去のバザーでの諸先輩の申し送りの反省事項の中の一つでも改善できることはトライしたいと思っています。
私達は、ぶどうの木であるキリストにつながれた枝として、互いに支え合い、生かし合える場としてのバザーを目指して、共同体の皆様のご協力、また一人一役運動の一つとして積極的なご参加をお願い致します。
私達は気負わず、無理せず「出来ることはやる、出来ないことはしない」と割り切った気持ちで作業を進めております。
ともに新しい千年期への第一歩を、のバザーを通して、キリストとの交わり、人との交わり、自分との交わりの証しとなるよう、心を一つにして踏み出そうではありませんか。
今年のバザーの催し物は、大方例年の通りです。今後、日程、お知らせは逐次行います。
バザー案内 配布9月1日初金
一般スタッフ募集 別途お知らせ
出店申請締切り 9月30日
衣類、日用品寄付お持込み 前年度バザー委員会の申し送り事項によりますと、衣類、日用品に関しては残念ながら、売り物にならない品物が多く、ゴミ処理の手間と出費がかさんだとの指摘があり、これを改善する為次の要領でお願い致します。
持込み期間10月1日から14日迄衣類持込み点数10点以内、日用品は参考に、希望価格を付けて下さい。所属地区、氏名を記したメモを添付して下さい。
整理、値付開始10月15日より
環境保護のためバザー当日は「マイスプーン・マイおはし」運動にご協力願います。
事務のお手伝い共助組合は、会員のみなさまの大切な資金の運用・貸し付け業務などボランティアで行っています。高齢化、経済環境の変化などにより、これからますます共助組合が必要とされる状況にあります。そこでみなさまのお役に立つために、お手伝い下さる方を求めています。ご協力お願いいたします。
じゃがいも今年もじゃがいもの販売をいたします。ご予約を受け付けています。共助組合事務室まで、どうぞ。
1(金)初金ミサ・例会
14(木)敬老会11時ミサ
16(土)壮年部黙想会
23(土)秋分の日彼岸ミサ・10時