八 角 形 に ゅ ー す

2000年11月5日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

キリストはきのうも今日も永遠に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 トーマス・テハン神父

教会委員会報告

ルカ福音書を祈るシリーズ(5)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・M・ハンラティ神父

大聖年第5地区合同巡礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・準備小委員 大野龍子

大聖年の巡礼を子供達と共に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校リーダー 風間孝子

「壮年の集い報告と教会フォーラムについての雑感」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・壮年部長 窪田直明

バザーの報告とお礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー委員長 荒井康昌

試用版「主日の公式祈願」のモニター募集

11月の主な行事

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キリストはきのうも今日も永遠に
主任司祭 トーマス・テハン神父

紀元2000年は、大聖年として迎えられ、後2ヵ月で終了いたします。3年前から教皇ヨハネ・パウロ2世は全世界の信者に、反省と回心、祈りと学びによって大聖年を準備することを勧められました。その期間は、「イエス・キリストの年」「聖霊の年」「御父の年」の三つの年に分けられ、準備してまいりました。2000年は、キリスト誕生2000周年記念であり、新しい世紀を迎える年でもあります。一言でいえば、神の訪れる時です。大聖年をこの意味から考えればよいでしょう。

もちろんイエスの誕生は、聖書に神の訪れだと書いてあります。ルカによる福音書に、「父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言しました。『イスラエルの神である主はたたえられるように、主は、その民を訪れて、これをあがない、われらのために、力ある救い主をしもべダビデの家に立てられた』」と。また、マリアがエリザベツを訪問した時、神の訪れでもありました。「そのころ、マリアは旅立ち、急いで山地に向かい、ユダのある町に行った。そしてザカリアの家に入って、エリザベツにあいさつした。エリザベツがマリアのあいさつを聞くと、胎内の子がおどり、次のように声高らかに叫んだ。『あなたは女のうちで祝福されたかた、あなたの胎内の子も祝福されています。わが主のおん母がわたしのところにおいでくださるとは、いったい、どうしたことでしょう。あなたのあいさつの声が、わたくしの耳に入ったとき、胎内のわが子が喜んでおどりました。主から自分に告げられたことが成就すると信じたかたは本当にお幸せなことです』」とあります。

ザカリアの讃歌とマリアのエリザベツ訪問の神の訪れの共通点は、聖霊に満たされたことです。聖霊に満たされることは、ザカリアもマリアもエリザベツも、彼ら自身が中心なのではなく、神ご自身が中心なのです。つまりその人の中に神が留まっていらっしゃいます。マリアの場合、胎内にイエスがおられました。イエスの生涯でも神の訪れが多くありましたが、オリーブ山での祈りの時、「父よ、み心ならば、この杯(十字架)をわたくしから取りのけてください。わたくしの望みではなく、あなたの望みが行われますように」。キリストの復活により、キリストを通して神への道になりました。“キリストはきのうも今日も代々とこしえに”のことと、神の訪れのこととは同じことです。

ミサの記念唱に「御子キリストの御からだと御血によってわたしたちが養われ、その聖霊に満たされて、キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心となりますように」とあります。私たち自身のことだけでなく、多くの人々に伝えていくことです。私たちは、一人ひとり、神の訪れの光を、自分の生き方を通して証ししてまいりましょう。

2001年、新しい世紀の初めに、教会活動の一つとして、神の訪れと家庭訪問を合わせて行いたいと思います。



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教会委員会報告(10月7日)

1.静思のひととき

心身をリラックスさせるエクササイズの後、マルコによる福音書10・13〜16について、しばし黙想をおこなった。

2.バザー準備状況/巡礼の件確認

(1)バザー準備状況

バザー委員長からの報告があり、これまでのバザーの反省点を少しでもつぶしてゆくという形で進めており、寄付品はほぼ予定通りの手順で持ち込まれているようである。バザーの後のごみ処理費用を少なくしたいという問題提起があり、意見を交わした。当日はバザーの廃棄物以外にも教会からのゴミも多くあるので費用の負担なども考えてほしい。寄付した方の心を尊重する上でも、分別処理しても実際には有効に利用されないケースがほとんどの衣類の売れ残りを有効利用するために、バザー終了後少し時間を貰って整理することをバザー委員会に諮っていくなど対策を考えたい。売れ残りを減らすために、今年は寄付品の持ち込みに条件を付けたので、結果を見て今後の検討課題とすることにした。また、安全上の考慮から福祉関係の売り場の一部を奥の方に移動した。その他、バザー準備の細かい点についても確認した。

(2)合同巡礼の件

大野典礼部長から式次第が各教会との共同作業でできたこと、当日のミサを司式される大船教会の鈴木神父様と打合せをしたミサに関する詳細等の報告があった。その他関係者から報告があり、意見交換を行なった。

3.教会委員会室活用について

聖堂脇の教会委員会室が雑然としていて倉庫になっているような感じなので、もっと整理して幅広く使えるように見直しをしたらどうかということが壮年部から提案があり、検討した。この部屋の具体的な使い方を名称の変更を含めて委員会の幹事で検討することにした。また、アイデアを広く求めることにした。

4.積み残し事項に関して

教会委員会の未処理と思われる問題について検討した。

(1)2020年への提言

1998年2月に当時司祭館検討小委員会の委員長であった魚津氏(T2)から、2020年に教会建築物の司祭館等の法定償却期限が終わるので、それを目処に建て替えのための費用を用意すべく、検討を始めたらどうかという提言がなされた。これに関してこれまで教会委員会で積み残し課題となっていたが、改めて検討した。最近の趨勢として、横浜教区を始めとして他の教区でも、小教区独自にではなく、建築や新しいことを始める時に教区全体として考えていこうという動きがあるので、司教館の考えを確かめた上で、どの様な形で進められるか再度検討をすることにして、今日のところはペンディングということにした。

(2)北部の宣教拠点のための基金に関して

北部の宣教拠点のための基金は、元は現在のセンター建築時に同時に募金した3千万円が長いこと具体的物件がなく手つかずになっていたものである。しかし、それを寝かしておくのではなく、湘南台に賃貸でも場所を確保し、宣教の拠点作りを始めたいとのことで、公聴会を2回開く等して慎重に審議を重ねていき、信徒総会にも諮り、湘南台センターを開設することにし、その乗り出し資金として役立てたものである。湘南台センターは開設以来7年目になり、利用者もかなりおり、旨く機能している。この件に関しては特に未決着の問題とは考えていない。基金の残りはその他の地区も含めた宣教拠点や湘南台の今後の発展のために保留されており、残額は2900万円ほどある。

(3)教会事務所の5時以降の対応

以前、教会事務所を一般信徒やアルバイトの手で5時以降もなんとか開くようにできないかという要望があったが、その後特に検討されていないので改めて検討したが、現在特別に問題となっているわけではなく、大きな必要性も認められないので現状維持とすることになった。

(4)ごみ処理の見直し

ごみ処理をもっと組織的に検討する必要があるのではないかということで、問題提起されたが、現状は環境委員会が月に一度、ごみの整理をし、それを各持ち出し日に事務所またはボランティアの人に持っていってもらっている。この方法であまり大きな問題はないので、現状維持ということになった。

5.今後の予定

  1. 11月26日(日)に東京教区晴佐久神父様による共同回心式と研修会が行なわれます。
  2. 12月9日(土)は恒例の市民クリスマスです。今年のテーマは「2000年目のメリークリスマス」です。会場準備は総務部にお願いします。福音コールをはじめ、6団体によるがコーラスあります。皆様、お誘い合わせの上ご参加ください。
  3. 1月7日(日)に大聖年の終幕のセレモニーに白柳枢機卿にいらして頂けることになった。具体的な内容はこれからだが、9時半のミサに来て頂き、その後、お話やセレモニーを考えている。
  4. クリスマスの行事は例年通り行なわれるが、24日が日曜日に当たるので朝7時と9時半のミサがあり、夕方5時の子供と家族のミサからクリスマスの行事となる。5時のミサには外国コミュニティの子供たちも参加するように誘って欲しい。年末の31日も日曜日なので、朝7時と9時半のミサがあるが、夕方からは年末年始ということで夜の7時のミサはなく、新年のミサが深夜0時から行なわれる。
  5. 来年の3月4日(日)午後に藤沢教会で神奈川県の教会合同の洗礼志願式が司教の司式で行われる。

6.ガーデンパーティーの見直し

ガーデンパーティーについて壮年部で出ている色々な意見を紹介してもらった。本件に関しては次の教会委員会までに、婦人部、国際部、各ブロックでも検討して意見を寄せて欲しい。

7.フォーラムの進め方

フォーラム準備のために教会委員長が召集した副委員長、壮年部長、婦人部長、事務局長からなる準備グループが、これまでの二回のフォーラム(準備会を含む)を踏まえて検討し、作成した資料について説明があった。説明の主旨は、教会内の公開討論会の場としてのフォーラムを教会委員会から切り離した形で開催し、当面、@小教区内の運営について(教会委員会のあり方等)、Aさらに広い視野に立った教会活動について(小教区主義からの脱却)B社会に向かっての発進(社会の谷間にいる弱い人との係わり等)をテーマとして順次取り上げ、そのテーマに関する専門チームによる事前討議で用意した資料を参考にして公開討論を進めていこうということである。次回は11月19日に開催し、教会の未来を考える会による四つの教会像等をプレゼンテーションし、小グループに分かれて討論し、今後のフォーラムを進めていく上での共通土台作りをする。また、壮年部長から、この問題に関する壮年部の代表的な意見について説明を受けた。

フォーラムの必要性に関する疑問、現状でフォーラムを進めるには教会の行事が多すぎる等の指摘について討論し、チェックアンドレビューをしながら上記の方針で進めていくことで了承された。



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ルカ福音書を祈るシリーズ(5)
マリア様のエリザベト訪問(ルカ1章39〜59)
M・ハンラティ神父

私はこの箇所が本当に好きでよく使います。この箇所は、他の人達と一緒に神様に聴くことが習慣となるように、一歩一歩私を導いてくれます。

先ず、神様は他の人達を通して私に恵みをくださることを、私に分からせてくださいます。それから、私を通して他の人達に恵みをお与えになるという事も、分からせてくださいます。更に、その人達と一緒に神様に賛美と感謝を捧げたいと、私が望むようにしてくださいます。そして最後には、この感謝の心で神様の仕事に更に協力するように、という新たな招きが聴けるように、導いてくださいます。このように、この箇所は神様にも他の人達にも私を近づけ、私の信頼、希望、勇気、寛大さを増してくれるのです。

その都度、まず最初にこの箇所をどの位の時間祈るかを決めます。

それから自分を見つめて、本当の私が今この瞬間に一番引っ張られている場所を見つけます。そこが今この瞬間に一番、神様に来ていただく必要のある所だからです。そこが、この瞬間にも神様が働いていらっしゃる事を私に分からせてくれる所だからです。

☆ルカ1章39〜56

この箇所をあたかも初めて聞くかのように聞きます(または読みます)その場面や登場人物を想像しようとします。それから、今日神様が連れていって下さりたい所に導かれるがままになります。

☆エリザベトの所に行くに当たって

マリア様の葛藤この場面を見つめていると、この時のマリア様の気持ちはどんなだったのか、と思い始めます。そんなに急いでこの困難な旅へと彼女を駆り立てたものは何だったのか?一つの理由はすぐに思いつきます。年とったいとこのエリザベトが妊娠したと天使から知らされて、エリザベトには今多くの助けが必要だと思われたからでしょう。ザカリアの世話をし、家の内外での家事全般をするには、他の女性の手が必要でしょう。ですからマリア様の優しい思いやりと女性の本性が、出かけるように、早く出かけるように彼女を駆り立てたのだと思えます。

しかし、もう一つの大きな理由も想像できます。それは、マリア様とエリザベトは二人とも神様の特別な働きによって今妊娠している、とマリア様が悟っていらっしゃる事です。この特別な恵みは同時に、受け手の側の明け渡し、即ち神様の約束に完全に信頼しきって先の見えない将来に身を任せるという、極めて難しい明け渡しを伴います。ですからマリア様の心には、この事について誰かと話し合いたいという強い望みが自然に湧いてくるでしょう。そしてエリザベトはこの事を理解できる唯一の人なのです。その上マリア様は、エリザベトも同じように自分の体験を誰かと話し合いたい、と強く望んでいると感じます。この理由もあってマリア様はエリザベトのもとに急ぎたいのです。

これらの理由が彼女を駆り立てて出かけさせた、と私は想像します。けれど同時に、行かない方がよいと引き止める心配、恐れも大きかったと想像します。4日もかかる旅の困難さの故だけでなく、エリザベトがどう受け止めるかが不安なのです。もしまだ結婚していないマリア様が妊娠していると聞いて、エリザベトが社会一般のように反応したら・・。エリザベトはマリア様が結婚式もまだでヨゼフの家にも入っていないと知っています。マリア様はエリザベトの妊娠について、天使から告げられました(そう書かれています)が、エリザベトがマリア様について聞いたとは書かれていません。どのようにしてエリザベトは知るのでしょうか?

マリア様が次のような返礼を受ける可能性があります。“えっ、あなたも妊娠したのですか?まだ結婚していないのに、妊娠するとは!そんな人の助けはいりません。お帰りください!”それがマリア様の大きな不安の理由です。

それなのにマリア様は先に引き延ばさず、心を決めて、すみやかに支度して、出かけます。神様へのすばらしい信頼に私は感心します。当惑したり、不当に扱われるかも知れないと承知しているだけでなく、これから御父がなさることすべてに明け渡しています。この不安の中で、マリア様は信頼して分かる時が来るまで待つ事が出来るだけです。お告げで答えた“はい”を答え続けています。ですから不安があっても、手伝おうと急ぐのです。

マリア様は隊商にお金を払って一緒に行かせてもらった、と私は推測します。日中は隊商の女の人達と一緒に歩き、食べ物をわけあい、夜は彼女達のテントに入って眠ったと想像します。道中どんな祈りを唱えたのですか?どの詩篇が希望を与えてくれましたか?聖書のどの部分が元気付けてくれましたか?と聞いてみたいです。

そしてついに決定的な時が来ます。マリア様は隊商から別れて、ザカリアの家に近づきます。すごい勇気と神様への信頼の求められる時です。玄関に立って大きな声で御挨拶するマリア様が見えます。

☆驚くばかりの歓迎

返ってくるエリザベトの挨拶は、マリア様が想像出来なかった程すばらしかった!無理解と拒絶の怖い言葉はありません。代りに喜びと賛美の言葉です。神様は霊の賜によってこの出会いに備えてエリザベトを準備してくださいました。彼女の胎の子が喜んでおどることによって確かめられます。喜びに溢れてエリザベトはマリア様を抱きしめます。神様に感謝しマリア様をたたえる言葉がほとばしり出ます。

☆エリザベトのすばらしい賛美の祈り

エリザベトの叫びが聞こえてきます。“あなたは特別に選ばれたお方‘女の中で最も祝福されたお方’あたたが身ごもった子は特別‘あなたの胎の実も祝福されています’神様があなたを私の所に来させてくださいました。あなたの御来訪により、神様は私を強め喜ばせてくださいます。私の胎の子までも大喜びしています。あなたの神様への信頼の大きさに私は驚嘆しています。あなたは神様の約束を完全に信頼なさいました。あなたはすべての人の救いという神様の仕事のすばらしい道具です”

☆マリア様のすばらしい讃歌

驚くばかりの歓迎を受けて、マリア様がどれ程喜びに満たされたかを想像し尽す事は難しい。予想もしない程!で、感窮まります!!

こんどはマリア様から神様への深い感謝がほとばしります。まず、この優しい思いやりに満ちた、想像を絶する御挨拶をいただいた事を感謝します。このように会える準備をしてくださった神様のなさり方は、神様がイスラエルに、また彼女にこれからしてくださる事のすばらしさの一端を示しています。すべては神様が惜しみなく寛大にしてくださったこと“私が何かしたからではありません。すべてはひとえに神様のみ心のお優しさから出たものです”と彼女は言います。

☆共に賛美する事は習慣となる

この感謝と賛美の祈りが、エリザベトの家の玄関でだけの事だったとは思えません。いえ、むしろ一緒に暮らした3ヶ月の間毎日、感謝の溢れたこの二人の妊婦が賛美の分かちあいを続けている様子が見えてきます。彼女達の内で、彼女達の為に、また彼女達を通して神様がしてくださっている事を畏れ敬まい分かちあいます。

私はマリア様が家の内外での家事をすべてしていらっしゃると想像するのが好きです。料理、洗濯、繕い物、糸紡ぎ等々、特に暗くなってからエリザベトと一緒に火を囲んで(こたつ!に入って)いるところ。二人が分かちあい祈っている声が聞こえてきます。これからどうなるのかまるで分からない、普通ではないという事だけが分かっている、そのような将来を待っている二人の妊婦です。けれども二人は、信仰と信頼をもってこの不確かさに面と向っています。共に分かちあう時、イスラエルの歴史の中に絶え間なく働いていらっしゃる神様の救いの力がより一層はっきりと見えます。神様がイスラエルにすばらしい恵みをくださった時を、イスラエルを助けに来てくださった時を、必要な指導者を送ってくださった時を、二人は一緒に聖書から思い出します。聖書のある言葉が、過去の恵を現在の自分達の経験に結びつけてくれます。こうして二人は感謝と賛美の祈りに益々聖書を使います。(ここで分ちあわれた祈りに基づいて、初代教会の讃歌ができました。初代教会の讃歌に基づいて、私達が今だに使っているマリアの讃歌ができました。ですからマリアの讃歌はその時のマリア様の心を示しています)私はしばしば、一緒に祈っているこの光景を長い時間想像し続けます。

☆マリア様の次の試練が暗示される

喜びの溢れた分ちあいのこの光景を想像していると、いつも幸せになります。ところが“マリア様が‘自分の家に’帰る支度を静かになさった”このくだりにくると、この言葉の意味に気付き、ショックを受けます。‘ヨゼフの家に’と言っていないのです。私は悲しくなります。これはマリア様にとっての新たな苦しみを暗示しているのではないかと恐れます。でもこのエリザベト訪問、そして共にした祈りの分ちあいが彼女を強めたと考え、慰められます。神様に尚一層の信頼をもって家に帰り、この苦しみに面と向かうマリア様が見えます。

☆この箇所は私にどんな影響を与えるか?

この箇所を祈って、マリア様のそれ程の嬉しい驚きを見ると、私も一諸に嬉しくなります。この歓迎をマリア様に与える為に、神様がエリザベトを準備してくださった事を思うと、神様の細やかで優しい思いやりに感じいります。同じ思いやりを私にもくださっていると感じ、私の神様への態度は変えられます。

すぐに行動に移されたマリア様の信頼と、勇気と、寛大さにも感心します。私は羨ましくなります。私にもその力が欲しい。それからまた、心を開いて霊を受けいれたエイザベトも羨ましいです。それを可能にした彼女の祈りの生涯に思いをはせます。そして、この二人のように他の人への恵の道具になりたいという望みが私の内にふくらんできます。

マリアの讃歌はしばしば、私をちょっと立ち止まらせて、私がいただいている恵に気付き感謝するようにさせてくれます。ここで神様が私の目を開いてくださって、他の人を通して私にくださっている恵を具体的に認識させてくださいます。私が絶対にそんなはずはないと思う時でさえもです。また別の時には、神様は私を通してどれ程人々に恵を与えていらっしゃるかを見せてくださいます。神様のすばらしい優しさの故です。これらすべては私の感動を大きくします。たまに、マリア様とエリザベトの中に私も入って、以上のような事を二人に分ちあい、一緒にこの讃歌を祈っていると想像しようとします。

またある時は、他の人と一諸に神様に聴くというこの新しい習慣をしっかり続けるように、神様が私を引っ張っていらっしゃると感じます。

☆習慣となった祈りの分ちあいを顧みて

この箇所から、私は祈りの分ちあいについて多くを学びます。神様への賛美と感謝がいかに信仰を深めるかをよく分らせてくれます。人々を神様に近づけ、またお互いをも近づけ、それはこれからに向う力を強めてくれます。

特別な時間をとって、生活の中で神様がしてくださった事を互いに分ちあう事は、すでに私の習慣となりました。そこからいただいた効果は、自分が体験した神様のみわざを語ろうとする時、私自身がその事をよりはっきりと見れるようになり、私の感謝は深められます。

また他の人の体験を聞く事により、すべての人に注がれる神様の優しさを感じ、賛美の心は一層大きく広がります。更に今まで気付かなかった神様の働き方に気付かせてもらえます。このようにして、私は他の人達と共に神様にもっとよく聴くように導かれていると思います。

この分ちあいは私を神様に近づけ、互いに分ちあっている人に近づけ、やはり神様の子供であるすべての人への私の態度に影響を与えています。この箇所は、この習慣のよさを私に再確認させ励まします。

以上の理由で、私はこの箇所が大好きで、よく使います。



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大聖年第5地区合同巡礼
準備小委員 大野龍子

大聖年の秋、第5地区合同巡礼の日は見事に晴れました。「良かった!」この気持ちは、戸塚、原宿、中和田、大船、片瀬、藤沢教会の神父様方、準備委員会、参加の皆様方の誰もが感じた朝だったと思います。

2ヶ月に一回の宣教委員会の中の小委員会で、5月に“ミサは藤沢が担当されるのが一番良いのではないですか”と、その場で決まってしまいテハン神父様と二人で出席していた私は“さあ、大変!”。

1.段取り

6月、当番でもある大船教会の鈴木神父様の所へ、小委員会でミサ担当になった報告をしてから、大聖年のミサを神父様と一緒に計画をしていきました。鈴木神父様とファックスのやり取りが始まりました。そして、原案を作成、鈴木神父様の所に郵送、ご指示いただき仕上げたものを藤沢の典礼委員会、7月の小委員会に提出して了解を得ました。

2.7月頃

“手話が入ると良いね”と山本神父様からお話がありました。教区の福祉委員会に問い合わせ、ご紹介をいただきましたのは8月に入ってでした。

3.難しかった点

相互間の連絡でした。戸塚教会の昼間お勤めの方とは、連絡は夜中のメールを早朝受信したり送信したり、手話の方とも連絡は夜しかとれずファックスもすべて私の家からでした。そのようにして進めて行きました。

4.協力・一致・交わりへ

5.感謝

この大聖年の秋の合同巡礼の日に一致、交わりで結べた事を感謝して終わらせていただきます。多くの皆様、本当にいろいろありがととごさいました。



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大聖年の巡礼を子供達と共に
日曜学校リーダー 風間孝子

合同巡礼にぜひ子供達の参加をとテハン神父様のおさそいに、日曜学校のスタッフはもちろんボーイスカウトや青年会も一緒にこの日のために話し合い準備して参りました。それなのに当日は殆どの公立小学校は登校日になってしまい、ショック!!藤沢・片瀬教会の子供達約40数名の参加となりました。

日曜学校とボーイは9時半に教会に集合、バスに乗り「影取」から歩いて10分、聖母の園に到着。受付をすませてから聖堂に入り大聖年の御絵のカードに巡礼地のスタンプを一人ずつ押しました。

日差しが暑い位の中での野外ミサ、奉納では用意してくださった生花を子供達は一本ずつ祭壇に献げました。

午後からの交流の時間では、聖堂で大船教会聖歌隊の歌声を聞く事になり、子供達は2階の特等席、35名以上乗ったらこわれるとおどかされながらも用意された椅子に坐り天使のような歌声にしばしの落ち着いた時を過ごしました。

いよいよ子供達のゲームタイム、この時を楽しみにしていたという車椅子の子供達に会いました。ゲームの始めは自己紹介、タンバリンの数だけの小さなグループをつくり、名前、教会名、学年、合同巡礼に参加してよかった事を話してもらいました。私のグループは女の子が多く、よかった事として「この聖母の園に来れた事」、「他の教会のお友達に会えた事」等をニコニコしながら話していました。次にボーイの岡田さん担当のジャンケンゲーム。かめ同志のジャンケンに始まり、勝ったらウサギに、そして最後に人間になって終るこのゲームは大人も子供も入り交じって楽しみました。最後は青年会の山野井さんの担当の○×ゲーム、クイズが○だと思う人は○のプラカードへ、×だと思う人は×のプラカードの所へ集まります。かなりひっかけの多い難問に私も3問目に、もうひっかかってしまう有様でした。

子供達のミニ巡礼(ロザリオの行列)はテハン神父様の御指導をいただきました。聖堂で子供達はロザリオの意味と意向についてシスターからお話を伺った後、木製の大きな量感のあるロザリオの珠を一こずつ持ち、聖母の園の周りを唱えながら歩きました。毎日なくてはならない食べ物、飲み物、着る物、安心して暮せる家、そして愛してくださる人々を戦争、地震、いじめ、虐待等により失ってしまった子供達のため祈りました。5連を唱え聖堂に入った私達はロザリオを持ちながらリコーダーに合わせて祭壇に進み、車椅子の子供達も後に続き中央に並びました。そしてベネディクション、派遣の祈りと歌に見送られ退堂しました。今日の記念に集まった子供達全員に白いロザリオをプレゼントしました。

祈り、遊び、交わり、緊張と発散そして感動、沢山の体験が出来た幸せな大聖年の一日でした。

1年ON

ごうどうじゅんれいでたのしかったことは、大きいロザリオをもってミニじゅんれいをしたことです。ほかに、うれしかったことは、きょうかいのいちばんまえにすわって、せいたいけんじをみたことです。

1年MS

みのりくんとおべんとうのあといっしょにあそんでもらってよかった。ろざりお、もつのがはじめてだったからよかった。

2年MM

たのしかったごうどうじゅんれいわたしが一番どきどきしたのは、大きいロザリオをもって、マラナタとか、おいのりをするときでした。いっぱい声をだし、とちゅうのどがいたくなったので、ちょっとこえがちっちゃくなったけどうまくできてよかったと、おもいました。かえるときは、ふう、もうかえるのかとおもいました。わたしはもっともっと、やりたかったです。

2年YK

せいぼのそのにいって私は、じゅんれいの遠足にいきました。はじめて見たきれいなけしきで、ひつじぐもが見えました。ぞうやひこうきの形がいっぱい見えました。ひつじぐもってきれいだなと思いました。おべんとうがとてもおいしく楽しくなりました。

5年MC

合同巡礼に行って私は、合同巡礼に行って、友達もできたし、お祈りもしたし、楽しいことがいっぱいでした。外でミサをした時は、なんかいつもとちがうふんい気でした。食事もおいしかったし、大きなロザリオを持って歩いた時なんか、すごいなぁって、思いました。聖堂に入った時は、なんか主役!!って感じでした。とても楽しい合同巡礼でした。

5年MS

私は、じゅんれいで、心に残っているのは、お昼を食べてから、ゲームをしたことです。そのゲームの中でも楽しかったのは、うさぎとかめのゲームです。あとロザリオを持って歩いたのにつかれたけど帰りロザリオをもらえてよかった。

4年HH

合同じゅん礼に参加して9月14日の合同じゅん礼に参加しました。聖母の園で、いろいろな教会の方といっしょに、野外ごミサをしたり、ゲームをしたり最後には、大きなロザリオをみんなで持っておいのりをしながら、きれいなお庭を歩きました。とても良いお天気で、みんなと心が一つになったようで、うれしかったです。ゲームでは、ウサギとカメが楽しかったです。神様にもらったとても楽しい一日でした。



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「壮年の集い報告と教会フォーラムについての雑感」
壮年部長 窪田直明

去る10月8日(日)9時半ミサ後に、恒例の壮年集いが開催されました。当日は、29名の壮年の方々にお集まりいただき、ハンラッティー神父様による5分間の静かな沈黙の祈りのなかで、これからの話合いでお互いの意見に耳を傾けることが出来るよう聖霊の助けを願う、そんなオープニングとなりました。テーマは上期の活動報告などいくつかありましたが、今回は特に11月19日に予定されている教会フォーラムについての話にテーマに絞ってご紹介いたします。この件についてはすでに8角形ニュースなどでも紹介されていますので、経緯などは皆様ご承知かと思いますが、事の始まりは、現在の教会委員会の運営方法、特に委員会出席メンバーが教会委員会規約で決まっている形と異なり、活動部なども入って大所帯となり、本来教会委員会が担うべき大きなテーマの審議が出来ていないのではないかという指摘が壮年の一部から出されたものでした。しかしこの指摘は、壮年をはじめ多くの信徒の方の教会に対する捉え方の違いというか、どこに重きを置いて教会というものを考えているのか、本当に巾が広いということを改めて教えられました。今回の壮年の集いでも巾広い意見が出ました。一方では、この3500人の信徒をかかえる教会委員会はもっとその役割を認識して、業務と情報の流れの整理、施策方針の立案、教会委員の役割分担の制度化など、より機能的で実行力のある教会委員会を目指すべきだという主張がありました。他方では、このような考え方に対し、これは教会に会社的なマネージメントを持ち込んでいるのではないか。教会は、それぞれの信徒の信仰に根ざした活動が前提にあり、教会委員会が求心力を強めるというのは本来の姿ではないのではないか。大きいことではなく、小さいことの積み重ねが大切であり、まずそれをやるべきではないか、等の意見が出されました。今回の壮年の集いでは教会フォーラムの前哨戦の如くこのような議論がなされましたが、この二つの代表的な意見を見て皆様はどのようにお感じでしょうか。以下は私見ですが、とかく私たちはどちらの意見に賛成と言うように考えがちですが、皆それぞれ御自分の信仰、そして教会のためを思っての意見だと思います。次回の教会フォーラムでは、教会委員会のあり方のテーマを通して、自分の意見を主張して通すのではなく、如何に相手の意見の中からも光るものを見つけて採り入れる事が出来るか、これが求められているのではないでしょうか。これは今回、多くの壮年の方々からの意見のまとめ役をさせていただいた私の小さな気づきだったと思います。皆様の教会に対する想いを、これからのフォーラムの中で共有する事が出来たら素晴らしいなと思っています。



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バザーの報告とお礼
バザー委員長 荒井康昌

10月22日に行われた第24回2000年バザーは、幸い天候にも恵まれ、喜びと感謝の中に終わることができました。ありがとうございました。

皆様の一人ひとりのタレントを生かした働きが、このバザーに結集されたと思います。私達は最初から無理せず、気負わず、「できることはやる」そして「小さなことでもひとつ改善できればよい」そんな心構えでやってみました。その「小さなこと」のいくつかは、実施に当たって皆様に戸惑いを感じさせたこともあったかもしれませんが、私達はこのバザーが、共同体一人一人が楽しく参加できる出会いの場にしたいと思っていました。嫌なことも、苦しいことも、みんなが一つになれば、聖霊が働き、楽しことに変えて行けると確信していました。

このバザーを通して、神がこの共同体を支え祝福し、21世紀のよりよい教会へと導いてくださると思います。

バザーの売上げ収益は例年並みになりました。全額、バザー実行委員会から教会委員会に寄付させていただきました。その活用使途につきましては、教会の方針にお任せしたいと思います。「マイスプーン、マイおはし」運動の定着へのご協力も併せてお礼申し上げます。

最後に、大聖年のバザー実行委員長として多くの方々との触れ合いの好機を与えていただいたこと、そして共に働いてくださった北1、北2ブロックの30名の実行委員の皆様に、心から感謝いたします。あなたにとって「大聖年、よろこび・感謝そして希望のバザー」・・一人ひとりがキリストに出会う日・・が実感できましたでしょうか。



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試用版「主日の公式祈願」のモニター募集

ミサの中に、その日のテーマに合わせ、わたしたちを代表して司祭が唱える集会・奉納・拝領の三つの公式祈願があります。

主日に朗読される福音は、年ごとにA年(マタイ)B年(マルコ)C年(ルカ)と変わりますが、日本の教会では公式祈願は毎年同じものが長年用いられて居りました。今、それを各年毎に朗読される福音の意向に合わせ、日本の文化などにも合わせて、わかりやすいように作り変えた祈願が試用しています。そして、試用期間中にあがってきた様々な声を参考にして、数年後に日本の教会としての公式祈願が制定される予定です。

今年の待降節から1年間、横浜教区ではわたしたち藤沢教会がそのモニター教会になります。

教区の典礼委員会から、試用中の公式祈願が、わたしたちがリーフレットを見ないでも耳で聞いてよくわかる言葉になっているかどうか試してほしいと言われています。福音宣教のためにも、ミサで用いられる言葉は、誰にでも聞きとりやすく、聞いてすぐ内容がわかる、やさしい言葉であるのが原則です。神学的な言葉や大人でなければわからないむずかしい言葉ではなく、説明すればすぐ子供にでも内容が伝わるような言葉が望ましいのです。その意味でも年齢、性別、信仰歴に関わらず幅広い方々にモニターを引き受けていただければと思います。

モニターは、各ブロックがそのミサ当番月に引き受けて、複数の方にお願いする方法を基本に考えていますが、それ以外の方でもご協力いただければ、聖堂入口のモニター用紙にご記入の上公式祈願モニター箱へ入れていただければ幸いです。



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11月の主な行事

1(水)諸聖人

2(木)死者の日

5(日)福祉部講演会11時〜12時半、藤沢ブロック集会9時半ミサ後

10(金)初金・例会

11(土)壮年部親睦旅行

12(日)葬儀を考える集い9時半ミサ後七五三祝福式午後1時

18(土)湘南短期セミナー

19(日)フォーラム教会のあり方を考える、鵠沼ブロック集会9時半ミサ後

25(土)湘南短期セミナー

26(日)王であるキリスト、静修の日・共同回心式9時半ミサ後



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