八 角 形 に ゅ ー す
2001年4月8日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
のり越えた自分・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 トーマス・テハン神父
出発点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行地区 大野 龍子
わたしの希望キリストは復活し・・・・・・・・・・・・・大庭地区 池田 孝
『仮の宿』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 岩城 典子
藤沢きょうかいの みなさん こんにちは!・・・・・・・・ヴェロニカ・ナラヤン
老犬とマタイ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 阿部 隆文
「星の王子さま」帰天・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 野中 陽子
光の中へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区本多 正昭
ルカ福音書を祈るシリーズ・・・・・・・・・・・・・・M・ハンティ神父
静修の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 平野 和子
鵠沼ブロック家庭訪問を終えて・・・・・・・・・・鵠沼1区 小笠原 絢子・加藤 あや
神は与え 神は取られる 神の名に賛美(ヨブ1・21)・・・・・聖心の布教姉妹会 シスター 我妻 志づ枝
主日ミサの公式祈願モニター中間報告・・・・・・・善行地区 岡村 正
暁の星園を訪ねて・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 浮田 久子
藤沢教会の皆さま・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 リディア・米山
壮年の集い報告・・・・・・・・・・・・・・・壮年部長 鵠沼1区 窪田 直明
鵠沼ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 八子 俊吉
使徒パウロ大講演会・・・・・・・・・・・・カトリック秦野教会 寺田 正明
のり越えた自分
主任司祭 トーマス・テハン神父
ご復活おめでとうございます。ルカは、キリストの復活の朝についてこう書いています。「さて、週の初めの日、明け方早く、婦人たちは、用意しておいた香料を持って墓に来た。見ると、石が墓からころがしてあった。中に入ってみると、主イエズスのおん体はなかった。それで彼女たちは途方に暮れていた。すると、まばゆいばかりの衣を着た2人の人が、彼女たちのそばに現れた。彼女たちが恐れおののいて地に顔を伏せていると、この2人は言った。
『なぜ、あなたがたは、生きているかたを死人の中に捜すのですか。そのかたはここにはおられません。復活なさったのです。』
この婦人たちは、マグダラのマリアとヨハンナとヤコブの母マリアであった。」 彼女たちのしたことは当然で、イエズスは墓の中におられなかったので恐ろしくなりました。2人の人から言葉を聞いた時、婦人たちはびっくりしました。
「イエズスがガリラヤにおられたころ、仰せになったことを思い出しなさい。『人の子は罪びとたちの手に渡され、十字架につけられ、三日目に必ず復活する』と、仰せになったことを。」
ある意味で、私たちはこの婦人たちと似ています。墓のような所にイエズスを捜しています。すなわち私たちは、考えることや想像することの中にイエズスを捜しています。生きている復活なさったキリストは、そこにはおられません。もしそこにおられないとしたら、どこにおられるでしょうか?
イエズスは仰せになりました。「2、3人がわたしの名によって集っている所には、その中に私がいる」と。
ヨハネの第1の手紙4章の中で神は愛であることについて書かれています。
「神は独り子を世に遣わされました。それはわたしたちが彼を通して生きるためで、ここに、神の愛がわたしたちに現れたのです。わたしたちが神を愛したからではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪のために、あがないの供え物として、おん子を遣わされました。ここに神の愛があるのです。愛する皆さん、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合わなければなりません。いまだかつて神を見た者はありません。しかし、わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちに留まり、神の愛はわたしたちの中に全うされます。」
考えることや想像することよりも、現実の生活の中に復活なさったキリストがおられます。もちろん一番身辺な人と出会うこと、かれらと親しく交わることの中に、復活なさったキリストの現存を感じることが出来ると思います。
今年、藤沢教会の活動の一つとして、家庭訪問を行っております。 学校の家庭訪問と違い、信徒一人ひとりに、本人の希望にそった人を送り、話を聴く機会を提供しています。主に地区の人々の活動であり、それに司祭もシスターも協力します。各地区で訪問の仕方を、各々に考えていただければありがたいと思います。
先の婦人たちと同じように、皆さんの心からの話を聴くことにより、相手の方の中におられる復活なさったキリストの現存に気付くことになるでしょう。教会から遣わされた聴く人は恐れはいりません。 なぜなら、個人としてではなく共同体の代表者として、すべてを神に委ねればいいと思います。婦人たちはイエズスの復活なさったことに気付いた時急いで使徒たちの所に行き、これらのことを話しました。残念なことに使徒たちは、この話がたわごとのように思われたので、婦人たちを信用しませんでした。
今、私たちは生活を通して、キリストの復活の証人となりましょう。皆さんの心が、復活されたキリストの喜びで満たされますようお祈りいたします。
出発点
善行地区 大野 龍子
ご復活の喜びと共に、4月は入園、入学、進級、就職と喜びの声が聞かれます。
この時期に、何もかも新しかった丘の上の藤沢カトリック教会のスタートの頃を(当時は若輩でしたが)振り返らせていただきました。
@丘の上の教会
☆ミサ 勿論、 背面ミサ 神父様や侍者の背中を見てあずかっていました。 聖体拝領台があって、並んでひざまづいて拝領をしました。
外は、右も、左も市内を見渡せるロケーションの良さ、高い建物がない頃は夏には、江ノ島の花火大会も見る事が出来ました。
高校1年だった私は、部活に誘われるように聖歌隊を創るからと誘われて入りました。
当時の仲間は、高校生、大学生、歳の上の方が3、4人いらっしゃいました。その中に、忘れてはいけない人、(故)横井節子さんも初代の聖歌隊の一人でした。
指揮者は、森本Mさんのご主人と、六会にお住まいだった高橋さんとおっしゃる方でした。また、昨年まで横浜ベイシェラトン・ホテルの総支配人だった高橋さ ん(通称コブタ)もその中の一人でした。
伴奏は聖園女学院の高校生だった山本さんと言う上手方でした。他に現在もご活躍の黒田(当時)先生でした。グレゴリアン聖歌も練習しましたし、楽譜作りは謄写版で手を真っ黒にして皆で頑張りました
年2回くらい老人ホームを訪問し、一緒に歌を歌ったりお手伝いさせていただいたりしていました。
ハイキングもしたり、練習のあと喫茶店でコミュニケーションの場を持ちました。
聖歌隊を創って行くと希望と期待で若い力が頑張っていたと思います。
ある時期、ごミサの時間に耐えられないような小さいお子さんをあずかっていたことがありました。ミニ保育所でした。
やはり幼稚園の先生だった小倉(当時)さんと担当しましたが、神父様が代わって、幼な児の声は天使の声とおっしゃられて無しになりました。
月1回のスタッフミーティングと2ヶ月に一回くらいの教会訪問があり、JRの沿線は、小田原まで、小田急沿線も町田から相模原辺り迄行きました。
祈りの庭が創られると言うお話しになったとき国府津教会に行き、帰りに海岸にでて石を拾って帰ってくる途中で、電車の中で袋が破れ石を落としてしまい、お客さんにびっくりされたりしながら、帰ってきてから「あー疲れた」と言う子どもたちと一緒に庭に石を並べきました。
センターが創られるときには空缶を皆で集め、ラベルを貼り1円募金を子どもたち主役でしばらく続けました。
リーダー養成に努めました。
ちょっとリーダーには無理かなと思った女子にもしてもらいました。結果は最初は蚊の泣くような声でしたが、二晩寝食を共にするうちに自信がつき帰りは変身していました。
御殿場の農道をオリエンテーリングで約1時間歩き帰った時にS君に「僕は一分間死にました」と書かれた事は今も懐かしく思い出します。
小学校低学年のキャンプには5、6年生がサブリーダーとして付き添い、中高生が我々のサブリーダーとして手伝ってくれました。
みなさんは、日曜学校のリーダーとなって後々長く我々を助けて下さいました。
家庭環境、社会環境、学校環境も今とはずいぶん違うと思います。いじめの話しも少なかったように思いますが、子供たちの中に自然な姿がありました。
何もかも新しかったので、皆で一生懸命頑張ってきました。
神の国も建設のために若い力も、動かされてでなく、動いていた気がします。
当時壮年だった方々は天国に召された方もあり、私はその方々に育てられたと思っています。
先日、北1ブロックの聖園こどもの家庭訪問するのに善行の坂を歩いていたらみそののコンクリートの塀の下に10cmくらいのつくしんぼうが車の排気ガスを目いっぱい受けながら伸びているのを見て強いな!と感激でした。
このつくしんぼうの芯の強さは昔も、今も子どもの中にはあると思います。
長く、子どもの世界で仕事をしていた私は、共同体の中で思う存分活躍して欲しい。活躍の場が与えられる事をねがい、子どもたちから与えられるのを待つのではなく自分達で捜して欲しいと願っています。
御国のギル神父様他、たくさんの神父様方とお付き合いさせていただいきました。これからも御国の建設のために続くカトリック藤沢教会を見守っていて下さいと、心から願いながら終わらせていただきます。
わたしの希望キリストは復活し
大庭地区 池田 孝
2月28日は灰の水曜日。ミサ中、祝福された灰を受けようとする信徒の行列が静謐に進んでいた。
『回心して福音を信じなさい』司祭が親指の灰を一人ひとりの信徒の額に十字に印しながら唱えるこの言葉は、聖書では次のように見出される。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ福音書1〜15)
これは公生活に入られた主イエスがガリラヤで始められた宣教の第一声と受け止めてよい。私の大好きな聖句である。この短いフレーズの中に、御子イエスを遣わされるほど世を愛された、つまりわたしたちを愛して下さる父なる神の、その愛の証(救いのご計画) の全容が凝縮されているように思う。
ここで少々不謹慎だが、私と旧制中学時代に出会ったある風変わりな数学の教師との、その出会いの場面を挿入させてほしい。大嫌いな数学の時間、半ば眠っていた虚ろな私の耳に『・つまりXの値が増すにつれYの値は限りなくゼロに近づく』という教師の声が飛び込んできたとき、反射的に私は、ハ、ハイと手を挙げ起立してしまっていた。
『先生、先生は数学者でしょう?だったら〈限りなく近づく〉だなんて持って回った言い方をしないで簡明に〈やがてYはXに合体する〉って言ったらどうですか』みんな、どっと笑ったが、教師だけは笑わずにじっと私をにらんでいた。
『いくら近づいてもゼロには成らぬ。ところで池田よ、聴くんだ。 合一してしまうよりも、限りなく近づくという状況のほうがどれほど希望に満ちているか、お前に分かるか』私は脱帽し、以来この先生に私淑した。
神の国は近づいた、というのは簡明にいえば既に来ているということである。しかし『近づいた』(あなたに向かって近づきつつあるのですよ)という表現がもつニュアンスの、なんと愛に満ちていることか。
この〈神の愛の呼びかけ〉が来る年ごと四旬節の初め、灰の水曜日に更新されなくてはならないのは、肉の世を生きるわたしたち人間の罪深さ、その原点に謙虚に立ち返らせるためなのだと思う。わたしたちが完全な形で霊に生き、その状態を継続することが不可能なのは、遠く創世の、エデンの園を想い起こすまでもない。だからこそわたしたちは年ごと、ちりにて生まれしものなれば塵に帰る、そのしるしとしての灰を受け、回心し、罪を悔い、年ごとに四旬節を祈りのうちに過ごし、主イエス・キリストと共に復活するという希望によって新しくされ続けるのである。
間もなく21世紀初年の復活祭である。いま稿を草しながら静かに〈復活の続唱〉を小声で歌ってみる。すると、やがて聖堂に響き渡るであろう信徒たちのハーモニーが想い出され、私の心は歓びに弾んでくる。
わたしの希望キリストは復活し
ガリラヤに行き待っておられる
ともに讃え告げ知らせよう
主キリストは復活された
『仮の宿』
藤沢2区 岩城 典子
私は最近ショートステイで、10日間私設のかなり高額の老人ホームで過ごしました。私はそこで多くの出会いと体験をしました。そして今、私は神様に召される前のまた痴呆になる前に、残された時間が少なくなったと思うので、この拙文を残したいとわが身に鞭打ち、書いております。私はそのホームで弱いものになり、皆様と心身の痛みを共有することが出来ましたことを感謝しています。
しかし、私には例外がありました。私は信仰により、ご聖体と塗油の秘跡をいただくことができ、また「神の家へ帰る」という希望があります。しかし、私は自らの弱さのために四旬節の犠牲をすることが出来ませんでしたが、神様のお恵みにより、他の犠牲を捧げることができました。
それは、私が風呂場で強い痛みをともなう足の怪我をしたことです。私はそのホームは安全管理が欠けていたと思い、他のご老人のために改善策を願いましたが、私がいる間には改善されませんでした。
また、老人の何人かは家へ帰りたいといっていましたが、その人に対して側にいた友人が「あなたは家が無いの、ここだけが家なの」といっているのを耳にして、私は何という残酷な言葉かと胸を突かれ、悲しくなりました。私はその時、私には帰るべき家「神の家がある」、私には希望があると感謝しました。ここは神の家に帰る旅路の「仮の宿」であると私は信じています。
しかし、あの方たちには希望が無い、人間は誰でも神に喜んで迎えられる家があることを皆様にお知らせしたい、そして希望をもってもらいたいと真に思いました。私は折りをみてそのことをお話しようと思いましたが、車椅子のわが身では手が廻りません。ただ祈るばかりでした。しかし、この祈りはきっと神様に聞き届けられると確信していました。
どうぞ家族の方は、寸暇を作って皆様を訪ね、そのことを知らせてあげてください。このような高級なホームに預ければ事足れりと決して思わないでください。皆、家へ帰りたい、寂しいのです。無視されていることが一番苦しいのです。各々の家庭には色々な事情もあるでしょう。しかし、いくら痴呆になっても皆神様から頂いた「心」があります。何回も心をこめて話してあげればきっと理解し、納得すると思います。
神は全能なのですから、人間は子供に還って神に召されるのです。 褒めてあげ、力づけることが大切です。
私は最後に私の役割として、「老」の苦しみの現実を子供たちに身をもって知らせ、直視して貰うことだと思います。それが教訓となり、子供達は貝原益軒のいう五計の最後の「老計」と「死計」を計画できるでしょう。
そして、私が希望をもって神の家へ帰ったことを知ってもらうことが、弱き母として子供達に与え得る最後の愛の証だと思っています。
皆様の上に希望と復活がありますように。
鶯に慰められる仮の宿 梅の香に送られ帰る神の家
藤沢きょうかいの みなさん こんにちは!
ヴェロニカ・ナラヤン
わたしはフィジーからきているヴェロニカ・ナラヤンともうします。 きょうかい・にゅうすのぶんしょうをかきたいとおもいます。どうぞよろしくおねがいいたします。
わたしはうまれたときから、めがみえません。よるだけ、わたしはしんごうがすこしみえます。みぎめがすこしみえます。でも、それはよるだけですねえ。ひだりめがぜんぜんみえません。わたしはしゅじゅつをしたくなかったです。こわかったですから。
しゅとにいったときわたしはこわかったです。わたしはひとりですんでいました。ほかのかぞくたちはいっしょにすんでいました。りょうしんはいませんでした。フィジーのみちには、てんじブロックがありません。とてもひろいです。あるくときはときどき、とてもあぶないです。くるまとバスがおおいですから。それから、しゅとですから。
でも、わたしのしまには、くるまとバスはおおくないです。じゃりみちですから。わたしのしまには、ときどき、くるまが走ることができません。じゃりみちですから。でも、バスだけは走ることができます。フィジーには、バスとでんしゃには、アナウンスがありません。もし、しかくしょうがいしゃはバスにのりたいとき、とてもむずかしいになります。でも、みなさん、でんしゃは一本だけあります。ひとはのることができません。わたしはちちからききました。そのでんしゃはかもつのためのでんしゃですから。それから、アナウンスがありません。
しゅとでは、ちゅうがっこうにいったとき、わたしはまよったことがあります。みちがせまくて、てんじブロックがありません。まよったとき、いろいろなしんせつなひとはわたしをてつだっていました。みちをあるいたときわたるときはとてもむずかしかったです。いつもみちがこんでいましたから、しゅとでしたからねえ。うちから、ちゅうがっこうまであるいたときは10分ぐらいかかりました。ちゅうがっこうにいったとき、わたしはひとりでいきました。
でも、こうこうにいったとき、わたしはまよったことがありません。わたしはほかのひとたちといっしょにおなじバスにのりましたから。わたしのしまには、わたしはいつもりょうしんといっしょにいろいろなところへいきました。あるいたときとか、バスにのったとき、まよったことがありません。いつもりょうしんといっしょにいきましたから。
にほんにきてから、わたしはこわかったです。はじめてでしたから。りょうしんはしんぱいしました。にほんにきてから、こうつうはとてもおもしろいです。でんしゃとバスにはアナウンスがあります。フィジーには、アナウンスがくうこうだけにあります。 にほんのタクシーにのるとき、わたしはきもちがわるくなります。わたしはバスとでんしゃがとてもすきです。それから、アナウンスがありますから。
にほんのくだもののなかで、わたしはみかんがとてもすきです。わたしはりんごとなしがすきです。でも、わたしはみかんのほうがいちばんすきです。あまいたべもののなかでは、わたしはほしぶどうをたべることができません。きもちがわるくなりますから。ほしぶどうのいみはレーズンですねえ。
それから、にほんのたべものでは、わたしはぶたにくをたべることができません。フィジーはみなはなまざかなをたべますねえ。でも、わたしはたべることができません。にほんでは、みなはなまたまごをたべますねえ。フィジーには、それはぜんぜんちがいます。みなはなまたまごをたべることができません。それから、わたしはおくらをたべることができません。みなさん、ごめんなさいねえ。そのせつめいはたぶんわるいですねえ。
では、みなさん、いまわたしはきょうかいのぶんしょうをおわりたいとおもいます。どうもありがとうございました。では、また日曜日にきょうかいであいましょうねえ。ああ、わすれました。藤沢のきょうかいのなかには、わたしは、まいしゅうの日曜日、あたらしいともだちをつくりますねえ。よかったですねえ。では、さようなら。
この文章は、今年1月から藤沢教会のミサに参加しているフィジー出身の留学生『ヴェロニカ・ナラヤン』さん(21歳)からの寄稿文です。彼女は昨年9月に来日しました。12月まで東京で日本語を勉強したのち、今年1〜5月まで藤沢市獺郷(おそごう)の社会福祉法人・光友会にて視覚障害者用パソコン、その他勉強中です。カトリック信者の彼女はボランティアと共に東京・四谷の聖イグナチオ教会に通った後、藤沢教会のミサにも熱心に参加されています。
福祉部 藤沢2区 小野精司
老犬とマタイ
藤沢1区 阿部 隆文
「エライコトヨーッ」、玄関のほうから家内の悲鳴が聞こえた。「門が開けっ放しだからタローが逃げちゃったじゃない!」
アア、まずい。さっき帰ったばかりの私が門扉をキッチリ閉めていなかったらしい。愛犬が出ていってしまったのだ。「ドウスルノヨーッ」と泣き出さんばかりの家内の声と、続いてすぐ探しに飛び出していった様子に、のんびり風呂に入っていた私は悄然と頭から冷や水ならぬ湯をかぶった。
うちの犬は、犬好きの長男が、やっと中学に入ったとき、家内と藤沢のペットショップにいって生まれたばかりの柴犬の子犬を買ってきた。その長男が就職して独身寮へ入り、家を出てからもう数年経つから、人間で言えば80才を超えた老犬でボケも出ているから外へ出すとどうなるかわからない。
冬至も過ぎた師走の日曜の夕方6時頃、外は既に暮れて真っ暗。 探すといっても東西南北どの方向へ行ったのか、犬の気持ちがわかるでなし、見当もつかない。慌てて風呂から上がったものの自分も続いて飛び出す気力もなく、逃げだしたのは今日が初めてじゃない、そのうち家内が諦めて帰ってくるか、犬のほうから戻ってくるだろうと言い訳しながら滅入ってへたりこんだ。十分、二十分、待てども音沙汰もなく、さすがに探しに行かねばと腰を浮かした途端、リーンと電話がなって家内から、バス停付近で見つけたが溝に嵌まり込んで出られないから道具を持ってすぐに来てと。おっ取り刀で駆けつけると人だかりがしていて事態は既に近くの人たちのご協力で解決されていた。額をこすりつけんばかりに皆さんにお礼を申し上げて連れて帰り、暗渠に突っ込んで泥だらけの老犬を家内は赤ん坊のようにすぐ風呂に入れ、さっぱりさせて抱き上げて「生きていてよかったねえ。車に轢かれているんじゃないかと心配したよー。」と安堵の大喜び。
それにしても五里霧中の暗闇の中からどうやって見つけたのか。 次第を聞くと、家を出て道ゆく人ごとに恥も外聞もなく、こんな犬を見なかったか必死で尋ねて廻り、その迫力に押されるのか親切な人のなかには一緒に探してくれる人もいて見つけてもらったという。フーム!犬好きとは知っていたが、一念というか、愛情というか。以前にも似たような状況で、暗夜の雨の中を捜し回って抱いて帰ってきたことがあった。すぐどの方向とか、見つかる可能性とか、無理だろうとか、頭で考えるのが先で純粋な気持ちが後廻しの私には思いもつかず、ただ感心するばかり。
聞いてすぐ思い起こされたのがマタイ18章。失せたる羊の譬え。 「百頭の羊を持てる者、もしその一頭を失わば99頭を山にさしおき、行きてその迷えるものを尋ぬるにあらずや。これを見いだすに至らば、迷わざる99頭の羊の上よりも、なお、この一頭の上を喜ぶなり。かくの如くこのいと小さき者の一人にても、その滅ぶるは、天にまします汝らの父のみ旨にあらざるなり。」
私は子供のころよく子犬を飼っていた。昭和20年代の衛生状態では伝染病の厄から護ることは難しく、何度も死なせて遺骸を庭の隅に埋め弔った。しかし教会に行くと「動物に霊魂はないから冥福を祈るのは間違い。」と教えられ、子供心に釈然としなかったことを思い出す。日曜学校の先生が、伝統的な教会の教えとして人間の霊魂の不滅を強調したのはそれなりに正しかったのだが、それは西欧の合理主義的傾向の強い神学の考え方の影響を受けており、キリスト教はあまりにも人間中心的に理解され過ぎていた。
「ご覧よ、空の鳥、野の白百合を」マタイ6章山上の垂訓。人間も、人間だけでなく動物も、自然も、神様が造られたあらゆるものはよいものであり、犬であれ、何であれ、私が生きていく上で大きな影響を及ぼして、それなくしては今の私はない、というものはみんな私の救いと一緒になんらかの形で復活の栄光に与るのでしょう。まして現代のエコロジー神学は、創世記の「神の似姿」教説に由来する人間優位の自然観、「地の支配」教説に基づく人間中心の自然観を否定している。自然も動物も創造主である神の前で共に生きる被造物仲間なのである。
これだけ頭に入っていて私はなにをしていたのだろう。羊も犬も探しにいかなかった。どうして家内のように何にも考えずに飛び出して行けなかったのだろう。あまつさえ、漸く見つかった老犬を連れて返る途中、これなら将来私がボケて徘徊しても家内が見つけてくれそうだと考えているなんて、どこまで自己中心にできているのだろう。頭でわかっていても体がついていっていないのだ。第二バチカン公会議からもう40年近くが経つのに、その精神が血にも肉にもなっていないのだ。
この日神様は、老犬と家内を通して私に仰った。「観念的信仰はもうよろしい。実戦的信仰に生きなさい。」
騒ぎを起こした私を咎める風もなく、老犬を癒している家内の後ろ姿に、私は心のなかで呟いた。「負けました。」
「星の王子さま」帰天
湘南台 野中 陽子
四旬節に入って間もない3月5日、聖イグナチオ教会における小田稔さんの葬儀ミサ・告別式に、私は夫と息子の嫁と共に参列した。小田さんは日本のX線天文学を、世界屈指のレベルに引き上げ、93年に文化勲章を受賞。元文部省宇宙科学研究所長であり、ローマ法王庁科学アカデミー会員でもある。
洗礼を受けたのは、知枝夫人の影響が大きいと思うが、「宇宙のことを知れば知るほど神の存在を信じたくなる」と、若き日の著書にも書いておられる。
小田さんは夫の母方の従兄弟に当たる。両親に早く死別した母は娘時代、長兄の小田俊郎氏(当時北大医学部助教授)のもとに身を寄せ、幼い甥の稔さん、滋さん(現国際司法裁判所判事)を大変かわいがっていた。後年お二人が各々の分野で、世界的に活踊するようになってからも、母はよく当時のことを話しくれた。
その母が6年前の1月、87歳で亡くなり、片瀬カトリック教会でのお通夜には、寒い中を稔さんが夫人と来てくださった。
「こんなに温い心のこもったお通夜は初めてです」との、帰りぎわの一言が忘れられない。今度は、その稔さんがこれほど早く逝かれるとは・・。多くの星を発見し、天文衛星打ち上げの推進力となり、若い研究者を育てた彼は、とても家庭を大切にする人でもあった。毎年の賀状には家族の近況がさり気なく書かれていて読むのが楽しみだったが、今年のにはそれが無い。心配していたがまさかの訃報。78歳、心不全とのこと。
上品な物腰と、少年のような好奇心の持ち主だった稔さんは、研究者仲間から「星の王子さま」と呼ばれ、だれからも好かれていたようだ。
母の法事でお会いしたとき、私が折り紙をやっているとお話すると、興味深そうに頷いておられたが、その折り紙の研究でも有名な伏見康治・大阪大学名誉教授(物理学)は3月2日の朝日新聞に、「常に自由な発想をし、新しい発見に目を向け、講演で人を喜ばすのが上手だった」と追悼の言葉を寄せておられる。一度、講演を聴きたかった。湘南キリスト教セミナーの講師にと思ったこともあるが、ご多忙で高齢でもあり言い出せなかった。
生涯現役だった。6年前、東京情報大の学長を引き受けられたのも、「学生に学問の面白さを体で伝えたい」からとのこと。
息子が科学の道を選んだのも、間接的にではあるが、小田さんの影響が大きい。現在単身研究留学中であり、訃報を知り、ボストンの教会でお祈りすると伝えてきた。
「神ともにいまして、行く道を守り・・」
聖イグナチオ教会の聖堂に静かに聖歌が流れ、大学や学会・山岳会・教会関係など多数の参列者が見守る中、イエズス会の司祭方の司式により葬儀ミサは捧げられた。告別式で『皆さん、今日はこんなに大勢集まってどうしたの?』と、小田先生が今にも出て来て言われそうな
、との愛弟子の方の弔辞に、目頭を押さえる人がいた。
最後に親族が花で埋めた棺を囲むと、神父様は先づ、故人が神父たちによくしてくれたことへの礼を述べられ、「小田さんは充分清められました。清めが必要なのは皆さんの方です」と言われ御香を撒かれた。もちろん私も神父様の近くにいてかけていただいた。
幡ケ谷斎場を後にして、家に着く頃には日も暮れ、空には宵の明星が冷たい風にとがれて明るく輝いていた。「星の王子さま」は本当のお星さまになられたと、私は思った。
光の中へ
辻堂2区 本多 正昭
「おばあちゃま、長生きしてくれてありがとうね。いつか天国で会おうね!」 「優しいこと言ってくれるのね・・」
藤沢教会の四旬節“静修の日”の前日の未明、98歳の祖母の血圧が降下しているとの連絡があり、親族は町田の老人病院へ向かった。その1週間前に見舞った際に交した会話が、祖母との最後の会話となった。 祖母は花園を前にして微笑んでいるかのような安らかな顔で帰天した。
少し前より、祖母は見舞う人全てに、別れの挨拶のつもりか合掌し、“ありがとう”を繰り返すようになっていた。最後に見舞った際、私は祖母の合掌する両手を外側から包み込むようにして手を合わせた。そして、不自由になった祖母の耳元で、怒鳴るようにしてこうも言った。「おばあちゃまの孫だから天国へ行くのはずっと先だろうけれどね!」看護婦さん達が少し笑っていた気がする。しかし、「私は若い頃、辛い想いもしたけれど、今、皆にこうして貰って、とても安らか・」と言う祖母と天国について話していて、“死は誕生です。(中略)ぼくはいつの日か必ず死にます。必ず光の中へ生まれます”との晴佐久神父様の詩を思い出していた。心の中で、「アーメン、その通りですとも!」と言っていた。
十数年前、当時、千葉にいた祖母は、白内障の手術後のベットで、臨終の洗礼に準ずるようにして、遠いところを行って下さったガラハ神父様より洗礼を受けた。 「やっぱり神父様は死ぬことなんか何にも恐くないんでしょ」と質問していた。
祖母は17歳で学校を出るとすぐ、曾祖母の一存で亡き祖父に嫁いだ。祖父は、五高首席、東京帝大銀時計組の弁護士。180センチ近い長身、法廷は勿論、陸上競技、テニス、囲碁から夫婦喧嘩に至る迄、勝負には滅法強かったが、毎日1升は軽かった事等、他にも強い事が色々ある人だった。孫から見ても豪傑といった感じであり、バーコードも厳しかったが、人から「俳優みたい」といわれる事もあり、何となく可愛いところもあった。当然、品行方正ではなかった。
若き日に親の一存で嫁いだ直後より、祖母の心は傷つき、その傷は一生消えなかった。祖母は救いを求めてのことだったのであろうか、歌人・若山牧水の弟子となり、最後の頃まで歌を詠んだり、布の造花を作ったりしていた。文学賞の佳作に入ったこともある。
“出来の悪い子程、尚可愛い”というが、祖母の受洗は、かなり可愛い部類の孫に付き合った面があり、後から勉強していたが、教えに疑問を呈することも多かった。しかし、最期の頃の合掌と、繰り返す“ありがとう”そして光の中で微笑んでいるかのような顔にこそ、秘跡の効果が隠されている気がしてならない。そして、我々が、必ずしも上手に答えられなかった祖母の疑問や、苦しみの意味について、神様が全て答えてくださっている気がしてならない。三女である母が、舞台を終えて帰って来る女優に語りかけるようにつぶやいた。「良かったわね、おばあちゃま。上出来よ・・」
(3月17日)
心身をリラックスさせるエクササイズの後、「使徒パウロのコリントの教会への手紙」について、しばし黙想した。
フォーラムの兼子座長から次のような状況説明があった。
:昨年から今年にかけてフォーラムは4回開催され、第2回フォーラムで座長に指名され、同時に発足した専門検討チームの座長も務めている。フォーラムでは教会のあり方、2回目以降は特に教会委員会のあり方について検討を重ねてきた。
現在の教会委員会規約は9年前に私(兼子氏)を座長にして数名の人達で作りました。現規約制作の主旨は、それまでの教会委員会は活動部が主体で出席人数が多く、30名になることもあり、報告や意見陳述に時間を取られ、実質的な審議ができなかったので、主任司祭の要望により、日常的な問題を決断・解決するために小回りが利く委員会を作るというものでした。それに基づいて、教会委員会から活動部を切り離して、日常的な問題に対処するための小回りの利く7人位の運営委員会と地区の代表を含めて少し人数を多くして中長期的な方針を検討する地区委員会に分けて委員会を設けたのです。
フォーラムの座長になって考えたことは、信徒総会と教会委員会との間で中程度の規模で教会のことを自由に議論する機関としてフォーラムが機能すれば、建設的に機能できるのではないかということです。専門検討チームで一番考えた大事なことは、意見の違いを際立たせるのではなくて、建設的に共通の意見・選択できるものを見出すという観点で進めるということでした。従って、現教会委員会規約と実際運営のずれの分析は行っていません。結論は第4回フォーラム(3月4日)で配布した「フォーラム『教会のあり方』『教会委員会のあり方』検討結果についての提言」にまとめました。
4月22日の信徒総会にはこの資料に前回のフォーラムで提出されたフィードバックシートの結果も若干付け加えて報告したい。フォーラムには66名が出席し、フィードバックシートは25名の方から提出いただき、その内約7割の方から前向きの評価を頂いている。最終的には主任司祭を含めて教会委員会に報告書を提出します。:
教会委員会では、それを受けて個々の事項についてどのように対応するか前向きに検討していくことになる。
前回のフォーラムでは座長の説明後、小グループに分かれて検討したが、これを理解するだけで終わったグループがあった。この問題は非常に複雑で難しいので、問題は何であるかということをもう少し簡単に分かり易く説明して欲しいという要望が出たが、対応が困難なので、総会に向けて事前に資料を配布して質問を受け付け、総会で回答することにした。
前回の教会委員会で辻堂ブロックからの「婦人部のありかたについて」の提案を各ブロックに持ち帰って検討するという件に関して確認した。
鵠沼ブロック―活動はブロックで行ない、婦人部は親睦会として残す
藤沢ブロック―活動はブロックで行なう
北1ブロック―活動はブロックで行ない、婦人部は不要
北2ブロック―まだ検討していない
辻堂ブロック―提案どおり
婦人部―婦人部は置かない
壮年部―活動はブロックで行なうが、婦人代表を選出する
とりあえず1年間婦人部なしでやってみることになった。(地区委員会メンバー(定数13名)の出席者12名で決を取ったところ、賛成10名、反対2名で可決された。)教会からの連絡で、従来婦人部長を経由して流していたものはブロック委員経由になる。
昨年と同様な形の資料を準備する。昨年度は大項目として活動報告、会計報告、湘南台センターの報告、教勢報告、本年の活動方向、修繕報告と今年度の計画であった。今年度特に取り上げるべき議題について検討、討議した。センターホールの冷暖房装置の改修については検討を進めているが、ホールの照明については照明器具を整備すればもっと明るくなると思われる。傷んだ備品の交換も考えなくてはならないが、椅子のクッションが破れているものは、資源を大切にするという観点から、多少高くついてもクッションを交換・修理する方向で進めることにした。その他の詳細は信徒総会の資料をご覧下さい。
今年度と大きな変化はありませんが、国際ミサを9月16日(日)午後1時からということで予定に入れました。青年会と中高生会が中心になって行います。青年会と中高生会は5月13日に東京教区で行なわれるインターナショナルデーに参加する予定でしたので、これも参考にします。
シスター我妻が復活祭の後に転勤されます。転勤先は鹿児島県の沖永良部島です。後任は茅ケ崎教会の浜崎シスターです。4月1日の9時半ミサの後に簡単な歓送迎会を行います。
先月お話した相模原教会へのリーダー派遣の件は先方の受け入れ準備不足のために中止になりました。
今度の復活祭では9時半のミサで説教の代わりに青年会が10分位の聖劇を行います。
復活祭を迎えるにあたり、枝の主日(8日)の9時半ミサの後に試みとして祭壇を中央に持ってくる。復活徹夜祭の後で元に戻し、復活祭のミサは従来の位置で行なわれる。
4月29日(日)午後1時から鶴見教会の50周年記念行事が行なわれます。この教会にも鶴見教会出身方が何人かおられますので、皆さんも一緒にお祝いして下さい。
3月24日(土)に聖テレジア病院の隣に七里ガ浜ホーム(特別養護老人ホーム)ができ、竣工式が行なわれます。
年度末なので、懸案事項について状況を説明してもらいたい。
@ 建設検討小委員会の答申への対応は、復活祭後に発足する予定である横浜教区の新しい建設委員会の動向を見守りながら決めていきたい。
A 教会委員会の改組の話は報告を受けて、暫定で運営しながら検討していく。
B 婦人部なしで行く問題は1年間見守っていく。
C地区割り委員会は今動いているが、婦人部の問題に関連してブロックで仕事を引き受けてみて、地区割り見直しの必要性を再検討する必要がある。
ブロックより複数の方が委員会に出席しているケースがあるが、複数の方を正式の出席者とするのは問題があると思われる。ただし、ブロックへより良い報告をするためにとの意図もあるので、ケースバイケースで傍聴者として出席することを認める。
3月4日(日)午後3時より、横浜教区十ヵ所の教会から、66名の入信志願者と代父母の方々の、入信志願式と署名式が藤沢教会で行われました。復活祭を前にして、入信志願者の方々と共に、司教様のお話を心からしっかりと受けとめたいと思います。
イエス様が救い主としての活動を始められる、その最初にあたっての出来事が朗読されました。砂漠での試練の後、イエス様はガリラヤで宣教を始められます。ルカ福音書はそれぞれの出来事の最初に次のように記しています。
さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。 そして荒れ野の中を霊によって引き回され、40日間、悪魔から誘惑を受けられた。そしてこの荒野の出来事のあと、イエスは霊の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、みなから尊敬を受けられた。すべて聖霊の導きによるものであると、霊に満たされてイエス様はその宣教を始められたと、語られています。イエス様ご自身ヨルダン川で洗礼を受けられ、聖霊を受けられた次第が次のように語られています。 民衆がみな洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上にくだってきた。私たちはイエス様と同じように洗礼を通してこの聖霊の賜物をいただきます。そしてこの霊の働きによってイエス様の救いの業を続けるようにとの招きを受けています。
イエス様、このナザレの会堂でお開きになったイザヤ書、「主の霊が私の上におられる、貧しい人に福音を告げ知らせるために主が私に油を注がれたからである。このイザヤの言葉は今日あなた方が耳にしたとき実現した」と、そのようにおっしゃられました。油を注がれたもの、それがキリストと呼ばれる称号であります。私たちも洗礼を通して主から油をいただき、この聖霊の賜物をいただきます。
しかし、このイエス様からの招き、選びというものは私たちのそれまでの歩みが立派であったとか、あるいは人から褒められるような、そうしたこの生き方をしていたか、とかいうものではありません。それはイエス様ご自身がお呼びになった使徒の姿を通しても分かることだと思います。
マタイは十二使徒の一人でありますけれど、微税人であったということがマタイの福音書の中に記されています。みなから蔑まれていたそういう罪人というレッテルを貼られていた人が使徒として選ばれた。その人が福音書を書き記すときにそのことをはっきりと口にしていると言うことは一つの驚きであります。そしてこの十二人のこの名前を連ねるときに、マタイの福音書には次のように記されています。
「十二使徒の名は次のとおりである。つまりペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリッポとバルトロマイ、トマスと微税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである」と。私たちが名を連ねるとき、恥とするような肩書きを付けたりはしませんし、また恥とするような人物を書き記したりしません。しかし、イエス様の選びはこのようなものでしたよと言うことをマタイの福音書は私たちに告げています。微税人、罪人と人々から言われていた一人が十二使徒として選ばれた、あるいはこの愛国心に燃え、乱暴ものとみなされていた、みなから警戒を受けていた熱心党のその一員であったシモンが選ばれた。そして最後にイエス様ご自身を裏切ったイスカリオテのユダ、イエスを裏切ったイスカリオテのユダというように記されています。イエス様による選びというものがこのようなものだったということがですね、こうした記事から分かるかと思います。
実際イエス様が復活なさって昇天なさったあと、使徒たちは聖霊降臨という不思議な出来事を通して、聖霊の恵みを受け、イエス様のその救いの業を継承していく者となりましたけれども、使徒言行録に、この使徒たちの活躍ぶりが記されていますけれども、このペトロとヨハネはそうした活動を始めたとき、ユダヤ人から尋問を受けることになります。衆議会に引き出されて、彼らは自分たちの活動の次第を力強く語るわけではありますけれども、使徒言行録の4章のところに次のように記されています。
「議員や他の者たちはペテロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、またイエスと一緒にいた者であるということも分かった。ペトロとヨハネ、力強く宣教を始めたこの二人の弟子、衆目の一致するところ、二人が無学な普通の人であるということを知って驚いた」と。このイエス様の選びというのはこのようなものであったということをですね。聖書を通して分かると思います。私たちがこのイエス様の弟子として選ばれたというこの事実は、この使徒の場合と同じであります。決して誇れるものがあったからイエス様は私たちを選ばれたのではないと。 かえって私たちは何者でもありません。神様の前にあって、頭を垂れなければいけないそういう存在に過ぎなかった私たちを選ばれる。 あの放蕩息子の父親が放蕩の限りを尽くして帰ってきた息子を大きく手を広げて迎え入れたように、父である神様は私たち一人一人を迎え入れてくださった。そして新たな働きのために派遣なさろうとしておられるということであります。私たちはそうした慈しみ深い父である神様の愛をまず心に止めるべきではないかと思います。この十二使徒の中で一番イエス様から愛されたといわれる使徒ヨハネはその手紙の中で次のように記しています。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛してくださった。神様がまず私たちを愛してくださった。私たちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです」と言葉をつなげています。何物でもない私たちを神様ご自身がまず愛してくださって、私たちを受け入れてくださったとか、イエス様の弟子として歩むその第一歩は、このまず神様が無償で、無条件で愛してくださったというそのことから始まるのではないかと思います。ヨハネはその福音書の書き始めの冒頭で自分の体験からでしょうか、私たちはみなこの方の満ち溢れる豊かさの中から恵みの上にさらに恵みを受けたと言っています。私たちもそのことをまず第一に心に留めたいと思います。私たちはそれぞれイエス様に呼ばれたものではありますけれども、イエス様の呼びかけ、選びというものはそういうものであったということです。たぶん、教会を見回したときに、なんておかしな人が多いところだとお思いになるかも知れません。その時に思い出していただきたいのは、このイエス様の選びということと関連して次のような言葉です。「この私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのである。健康な人ではなく、病人のために来たのである。」私たちは罪人だから、病人だから、イエス様が呼んでくださった。教会共同体の中になんでこんな人が、と思う人が沢山いるということはそれこそ、イエス様の選びであるという証に他なりません。イエス様はそういう人々をお呼びになって、その救いの、ご自分の救いの業をこの世にあって続けようとなさっているということです。私たちはこのイエス・キリストを通して示されたこの神様の愛をしっかりと受けとめたいと思います。そしてその愛に応えるために、このイエス様に従ってまいりたいと思います。そうした決心が今日神様のみ前でそして教会共同体の前で、新たなものとしていただけたらありがたいと思います。
ルカ福音書を祈るシリーズ・イエスの洗礼(ルカ3章3〜22)
M・ハンティ神父
福音書を旅しながら、自分のために私のイエス像を描いていきます。 ‘イエス像’といっても、イエスの外見の肖像ではなく、イエスの人格像の事です。イエスの態度、望み、気持、習慣などの事です。 このような事を私はもっともっと知りたいと思います。この箇所は、そのようなイエス像をつくりあげるために、実り多いところだと考えています。
けれども、この箇所は祈りやすくはありません。聖書で祈ることを始めたばかりの人にとっては特にそうです。他の多くの箇所のように沢山の動きや人々のやりとりがありません。また気持ちがすごく伝わってくる訳でもありません。実に、この話の中心部分は“イエスもまた洗礼を受けた”という本当に短い文章なのです。ですから私は質問でいっぱいになります。“イエス、あなたは何に導かれてこの決心をなさったのですか?”“洗礼をお受けになられた時、どんな気持ちでしたか?”“その後の気持ちはどんなでしたか?”等々の質問です。
祈りにくい箇所ではありますが、このように沢山の質問が出てくるので、イエスにとてもよく話しかけるようになります。更に、答えを聞くために、祈りの内に静かに待つことも学びます。この努力は結果として、私がイエスをもっとよく知り、イエスにより近づいていけるように助けてくれると言えます。
またこの箇所を祈ることは、自分の洗礼をもっとよく理解するためにも助けになります。このような理由で、たとえ難しくても、辛抱強く、時間をかけて、この箇所を祈ることは価値ある事だと考え、私はしばしばここを使います。
“イエスの洗礼”の前は、洗者ヨハネの宣教についての記述です。そこは私の質問にとてもよく答えてくれるので、私はこの2箇所を同時に祈ります。
祈る前にその都度、どの位の時間をかけるかを決めます。それから聖霊に“イエスをもっと親しく知ることが出来るように、この祈りの時間を導いてください”と頼み、テキストを取り上げ、3節から始めます。
ヨハネはヨルダン川周辺の全地域に行って宣べ伝えた。“悔い改めて、洗礼を受けよ。・・・あなた方の罪はゆるされる・・・主の道をまっすぐにせよ・・・
‘人 は皆神の救いを見るであろう’
ヨハネから洗礼を受けるために出てきた群衆・・・
悔い改めにふさわしい実を結べ・・・“我々の父はアブラハムである”と言ってもいけない・・・おのはすでに置かれている・・・よい実を結ばない木は皆切り倒される・・・ ・・・持っているものを分けてやりなさい
私より力ある方が来られる。その方は聖霊と火によって洗礼をお授けになる。
ヨハネは民衆に、さまざまな面から福音を説き、変わるようにと熱心に促した。
すべての人が洗礼を受けた後、イエスも洗礼をお受けになった。そして祈っておられると、天が開け、
聖霊が鳩のような形をとって、イエスの上に下り、そして天から声がした“あなたは私の愛する子、私の心を喜ばせる者である”
ここをゆっくり読むと“イエスも洗礼を受けた”という簡単な言葉に私は強く引かれます。この言葉が私に飛び込んで来ます。いつの間にか私は、この言葉を静かに繰り返しています。私の心の内に、この言葉に向かって強い反応が起こっていることに気がつきます。
その一つは“余りに簡単に言っている”という不満です。私はもっと詳しく知りたいのです。沢山の質問があるのです。“何に導かれて、洗礼を受ける人々に加わったのですか?”“水の中に入られた時に、何を考えていらしたのですか?”等々の質問です。
祈りの中でイエスに質問をする時には、私の考えや気持ちがどこに導かれるのか、待ってみなければならない、と気が付いています。 時々長いこと待たされます!(待っている間は、静かに尋ね続けます)
そしていつも私は、先ずヨハネの話を聞いていらっしゃるあなたをみつめ直すように導かれます。群衆に混じって何日もの間、ヨハネの話に耳を傾けていらっしゃるあなたを想像します。私はあなたに“ヨハネの教えについて、どうお考えですか?”と尋ねます。すると“大賛成だ”と答えが返ってきます。
それから更に、あなたがナザレで過ごされた長い年月を見直すように導かれるかも知れません。仕事をしたり、祈ったり、聖書を勉強したり、また父なる神様について実感していることをヨゼフ様やマリア様に分かち合っていらっしゃるあなたが見えます。あなたの‘知恵が増す’時は、イスラエルが怠慢と不従順から脱して、神様に立ち返る必要があることに益々気がついていかれた時、と想像します。まさにこのテーマで、ヨハネがヨルダンで教え始めている、というニュースがナザレにも届いた!それであなたはヨハネのもとに行かれた!と想像します。
そして今、あなたはヨハネの話を聞いていらっしゃいます。ヨハネは呼びかけています。
イスラエルは契約を習慣のようにしてしまい、機械的に、外面的に守っているだけなのに、神様のみ旨を行っていると自分をだましている。このことを認めなさい。
ヨハネは契約の内面的遵守を呼びかけます。心と生き方を変える、と本気で決心するように促します。
各々が自分の生活の中で契約を遂行する責任がある事を思い出しなさいと呼びかけます。
そしてこの刷新は急を要する。これ以上待てない、と強調します。
ヨハネは希望も与えます。もし変わるならば“神の救い”を見るだろう。これがヨハネの‘よい知らせ’(福音)です。
イエス、あなたはヨハネのメッセージに賛成していらっしゃいます。ヨハネは神様の声を語っていると考えます。彼は預言者だと信じます。ヨハネの献身と、目的へのいちずな心を本当に感心して眺めます。確かにヨハネはまさに預言者の姿そのものです。砂漠に住む、食べるもの、身にまとうもの、そして火のような言葉、暮らし方、すべてがいにしえの預言者の通りです。更に、神殿からも、そこでのいけにえの奉納からも、支配者や司祭達からも、遠く離れた所に身をおいています。砂漠のはずれで、内面の刷新を求めています。
謹んで聴いている人々をあなたは見ていらっしゃいます。彼らの気持ちを感じていらっしゃいます。彼らは自分たちがひどい時代に生きていると感じています。神様がモーゼやダビデのような指導者を遣わしてくださり、特別な国を立てて、自分たちを解放してほしい、という切望が一般的な雰囲気でした。どのようにイスラエルを新生させてほしいのか、ということについては、様々な集団が様々な願いと期待を持っていたのですが、新しい指導者を強く求め憧れる心は共通でした。ですから、砂漠に預言者がいると聞いたら沢山の人々がわざわざ会いにでかける、ということは驚くことではなかったのですが、そこには思いがけないことに徴税人や売春婦や兵士たちまで沢山いました。ヨハネの教えは人々が期待していたものとは確かに違いましたが、人々の心を動かして、考え方も振る舞い方も、徹底的に根本から変える決心をさせました。
彼らは洗礼を受けることによって、この内面の変化を形に表しました。(主よ、私の質問は徐々に答えられていると感じます)
この光景を眺めていらっしゃるイエス、あなたを想像します。彼らが水の中に入り、ヨハネの前に立ち、ヨハネがよしとした時に再び水から出てくる様子を、あなたはじっと見ていらっしゃいます。一度死んで棺桶に入ってから、新しい命に入るイメージが私の頭に浮かびます。ヨハネから洗礼を受けることで、彼らはどれ程神様への信頼と希望を公に表明していることかと、また一緒に受けることは共に変わる必要があることに気がついている表われだ!と、あなたは喜んで眺めていらっしゃいます。
導かれてこのように黙想していく内に、私の質問に答えを戴いていると気がつきます。これまでの黙想が、洗礼を受けるためにヨハネの前に立たれるあなたを見つめる準備となり、“何があなたを導いてヨハネから洗礼をお受けになったのですか?”という私の質問の答えが分かってきます。私は悟ります。先ず、あなたはヨハネの教えに賛成だということをお示しになりたいのです。イスラエルは、より深い新たな方法で父なる神に立ち返る必要がある。また新しい心でお互いを受け入れあう必要がある、ということを認めなければならないと教えるヨハネへの賛同を表わしたいのです。人々と一緒に洗礼を受けることでこの賛同を公に宣言なさるのです。
第二にこれを成し遂げるために、あなたはご自分の全生涯とすべての望み、すべての力を献げようとしていることを公に宣言なさるのです。更に、御父のこの遠大なご計画を人々が成し遂げる為の助けになりたいのです。そしてこれが、御父の呼びかけ、“新しい命”新しい希望への呼びかけにたいするあなたのこたえであることを、すべての人に分かってほしいのです。このように理解してくると、“洗礼を受けていらっしゃる時、どんな気持ちで何を考えていらっしゃったのですか?”という私の質問への答えもおのずと分かってきます。
洗礼式が終わったあとに起こったことをもっと深く理解したいという望みが起こります。イエス、あなたは今深く祈りたいのですね。 そして祈っていらっしゃる間に、あなたは御父がすぐそばにいてくださると、とても深く実感なさったと私は想像します。“天が開けた!”とは、あたかも天と地を隔てていたものが溶けてしまったかのようです。ご自分の周囲あまねくぐるりを神様に包まれているとあなたは感じていらっしゃいます。
そしてイエス、あなたに御父の御心がドーンと伝わります。御父のあわれみと、“皆が一つになる!”即ちすべての人が救われる!という御父のお望みを腹の底からお分かりになります。それはつまり、御父ご自身の霊があなたに分け与えられたこと。そうです、“聖霊があなたの上に下った”のです。そして、その霊はあなたの仕事に、あわれみと力と寛容を約束してくださると同時に、希望とあわれみと寛容の霊をあなたが他の人達に与える力もくださる、とあなたは感じられます。
また、あなたと御父との間の“独特(ユニーク)な関係”について、あなたは更にはっきりと自覚なさったと私は想像します。そこには特別な“親しさ”があります。御父はあなたを“私の愛する子”と呼ばれます。しかしながら私には、これらの言葉がイザヤの‘苦しむしもべ’に重なって響きます。あなたの使命が何に似ているかを暗示しているのでしょうか。
御父がイエスに“私の心を喜ばせる者”とおっしゃる声が聞こえます。御父はあなたの寛大な応えを受け入れると、公に宣言なさいます。あなたは孝行息子にふさわしく行っていると、明言なさいます。御父はあなたの使命にご自分の認印を押されます。
御父はこのことをあなた、イエスにおっしゃっているだけでなく、私にもおっしゃっていると私は悟ります。御父はイエスについて、私に教えてくださり始めています。そして私は、イエスあなたをよく知らない、と分かります。この箇所の祈りに時間と努力を注いだ成果です。これは私がイエス、あなたの肖像を描くためのよい出発点になります。私はあなたにもっと近づくように引っ張られます。
祈りの中で答えを待っていると、聞いたり読んだりしたことがあっても、忘れていたり、よく分からなかったことが、ふっと頭にうかんでくるという結果になります。そして今私は、以前には気がつかなかった関連が新しい目で見えるようになり驚嘆しています。例えば、洗礼と聖霊降臨の関連が新しい面から分かりました。続いてミサ、ゆるしの秘蹟、叙階の秘跡との関連についてもです。これらの秘蹟の中には、ご自分自身を与えると決心なさったイエスに合流して、イエスと共にイエスの使命に向かって出かける招きがあります。しかも、それを成し遂げる力を与えてくださるという約束もあります。
今までにない目で、私は自分の洗礼を見つめ直すようにも導かれます。イエスの洗礼は、すべての人が御父に立ち返るように導く使命の‘公的受諾’でした。またこの使命を遂行する心と権能と力をイエスはもっているということの、御父による‘公的証言’でした。 となると、私は自分の洗礼の意味について改めて考え直してみなければならなくなります。
私は幼児洗礼です。決めたのは両親であり、私ではありません。 けれどもそれ以来、私は自分の意志で他の秘跡を受ける度に、その決心を繰り返し更新しています。そうです。それはイエスの洗礼に、イエスの仕事に私も参加する決心だったのです。残念ながら今までそのことに余り気が付いていなかった、と認めます。この箇所は、それを正すよう刺激してくれると感じています。
キリスト者としての日常生活に於いて今私は、霊の力がもっと沢山に、もっと頻繁に必要だと感じ、いつもそれを願っています。しかし私の洗礼の時に、すでに霊の力と支えは約束されているのです。この事実を忘れています。この箇所は、このことを本気で考えるように私を促します。
この箇所を祈る大変さ、努力のすべては報われます!イエスが、洗礼において起こったことを深く理解する為に、荒れ野での長期間の祈りへと導かれたことを考えます。私も自分の洗礼の意味を深く理解する為に、沢山の祈りが必要だと悟ります。以上が、私がこの箇所をこれ程重要だと考える理由です。そんな訳で、ここに時間をかけるよう皆様にも勧めます。
静修の日
藤沢2区 平野 和子
2月25日は、原宿教会の山本遼神父様(フランシスコ会司祭) をお迎えしての四旬節前の恒例の「静修の日」でした。当日のスケジュールは、9時30分のミサ、その後第一講話、昼食後第二講話、共同回心式と個別のゆるしの秘跡、終わりの祈り、お茶を頂きながら一日を感謝しながらの分かち合いのひとときでした。
神父様の講話は「2001年、わたしたちは何を求められているか。 20世紀、21世紀、岐路に立つキリスト者」という大きなテーマのもと、ご趣味の魚釣り、干物作り、燻製作りのお話を織りまぜながらものでした。聖書から、また聖フランシスコの「平和のいのり」から分かりやすくお話してくださいましたが、私の印象に残った内容を簡単に記したいと思います。
人間は、神様からよいものとして造られ、選ぶことができるものとして造られた。先き行き不透明な現代に生きていく上で、情報の氾濫、物の氾濫のこの時代にそれらがたくさんあることが人間の幸せに繋がるのではなく、それらをどう判断し、整理し、処理するかが問われている。
また何が大切かを見分ける知恵と知識の違い、生きていく価値観の中心をキリストに置く。昨年大聖年に教会がゆるしを願ったように、まずゆるしを乞うこと、それにより新しい関係が生まれる。振り返ることの大切さ。神様はキリストが選ばれた不完全な弟子たちに救いの業を任されたこと、それは結果として人間に託された神秘であること、それは神様がどんなに人間を愛してくださるかということである。心にある閉塞状況から、希望を持つこと、光を見いだすことが復活の兆しとなること。
この「静修の日」に参加することができたことを感謝しながら帰途につきましたが、改めて、私自身21世紀の初めのこの現代に生きていることは決して偶然ではないこと、神様のお計らいであることを実感いたしました。そして神様が私に何をお望みなのか、神様との和解、自分との和解、ゆるしを願う姿勢があるかを問い続けることが少しでも出来るようにしたいと思いました。
当日参加できなかった方、もう一度講話をお聞きになりたい方は、是非湘南台センターのテープをお借りになることをお勧めいたします。
家庭訪問ミサを受けて
鵠沼1区 小笠原 絢子
春は名のみの浅い日射しのさし込めるなか、マーフイ神父様の訪問ミサを受けるチャンスに恵まれました。私の母は、横浜で独り暮らしです。89歳の高齢になり、心身共に弱くなり、最近は私の家で一緒に暮らすことが多くなりました。日曜日のミサにあずかる程の体力もなく、私も何とかしなければと心傷めておりました。
神父様訪問の朝、母はゆっくりではありますが、身支度の動作も軽やかでうきうきしているようでした。ごミサは、祈り、回心、聖体拝領と進み、聖書の御ことばを受け、神父様と対面式で身近かにお話が出来ました。神の呼びかけに自分はどう答えたらよいのか、心を開き神の愛をいただく喜びに、どう答えていくのか?『人の為に、働きなさい』神様に心を向けるように祈りました。渇いた砂漠に水が満々と注がれるるように、母の心は栄養で満たされたようでした。母は目を閉じ、とても穏やかな表情になり安堵で輝いていました。私はその母の姿を見た時、神父様がここにおられる、この小さな存在である私共の、この部屋で一緒に祈ってくださっていると本当に涙が出てしまいました。母にとって静かなミサは、生きる励みであり、希望の糧です。また機会がありましたら、ミサにあずかることが出来ますように!神に感謝。
家庭訪問をいただいて
加藤 あや
主に向う時、いつも私の心をよぎる“主のみ前に出ずるあたわざるものなれど”の言葉でした。そして私はひたすら、主のあわれみを祈ってきました。神父様の家庭訪問を、いただいた時も、この言葉を呟いていて、心配でした。でも神父様の身近でお話を伺っているうちに、なつかしい、やさしい父と、話しているような気がして、自分のおろかさやみにくさも、さらけ出して、言いたいことや、つまらないことをお話し申し上げていました。神父様は噛んで含めるように教えて下さいました。
“聖霊の助けによって”と祈り願うようにと。自分の努力によって、御旨に叶うものとなりたいとして来た。自分の謙遜の足りなさ、信仰の浅さに気づかされ、主の愛が限りなく深いことに今更心うたれて、泪がこぼれました。これから出来るだけ教会に近づいて、皆様の心に一致したいと、思った良い一日でした。
神父様に深い感謝を捧げます。そして、私共を助けて下さった、笑顔のシスターにも、感謝と親愛を申し上げます。
神は与え 神は取られる 神の名に賛美(ヨブ1・21)
聖心の布教姉妹会 シスター 我妻 志づ枝
主のご復活のお喜びを申し上げます。新しい兄弟姉妹を迎え、共同体も喜びに包まれています。自然界も主の復活を寿ぐかのように、樹々が芽吹き、花が咲だしました。今年の桜もきれいでした。
このよい季に、みなさまとお別しなければなりません。聖霊は、今年になってここを去ることを知らせていたと思います。何となくそう感じていました。院長から言われた時、“やはり!”と、思いました。足掛け十年、初めて皆さまにごあいさつしたのがつい先日のような気がいたしますのに、月日の経つことの速さを痛感しております。正に光陰矢のごとしです。
先ず、神様が聖心の布教姉妹会の総長シスタ−菊地を通して私を、藤沢教会へ遣わしてくださり、こんなに長くいさせていただきましたことを深く感謝いたします。次に、共同体(修道院)の姉妹達の祈りと犠牲・理解の協力は、私が藤沢教会で仕事をする上で大きな支え、助けでした。
そして、代々の主任神父様はじめ神父様方には、お導きいただき、育ててくださり楽しく仕事をさせていただきました。本当にありがとうございました。皆さまには、沢山のお祈りと惜しみないご協力のお陰で、神の国のためにともに励ませていただき、本当にお世話になりました。心から感謝申しあげます。
形に残るものはありませんが、皆さまと出会い、ともに過ごした十年は素晴らしい時でした。藤沢でのことは、きっと忘れることはないでしょう。
混沌とした今の世にあって、であればこそ、なおさら私たちは光となるよう主は望まれているような気がいたします。『死を通して復活へ』の生き方を!!
教会は決まった方だけで動いているものではなく、出来るだけ多くの方々の参加協力が必要ですし、どんなに小さな声も大切にされるところだと思います。 “あの方たちに任せておけばよい”の依存から“私の一言”“私の手・足”“少しの時間”“私の祈り”そして“私の耳”の協力が、今、必要な気がいたします。
年頭から始まりました家庭訪問、素晴らしい計画です。どうぞ、心を開いてこの計画に参加されますようにお勧めいたします。藤沢教会のこれからのために、大きな力になると思います。
日曜日のミサ後には、いろいろな集まりがあります。活発に意見を交わしてください。その時、自分の考えや感情に振り回されず、先入観を入れずに相手の意見を聴くことから始めましょう。よくお分かりのことですが、なかなか実践できないことです。しかし私たちには祈りがあります。まず自分から解放されるように、自由になるように祈りましょう。そうすることによって相手の意見が聴け、ともに神様のお望みが何であるか分かるようになると思います。話す時には大いに意見を述べ合い、その後は、その事を引っ張ったり、根に持たない事です。
藤沢教会にはよい種がたくさん隠されています。芽がでますように育ててください。地区で、ブロックで、それぞれの活動部で声をかけてみてください。
長い間、ご高齢の方、ご病人を訪問させていただきました。皆さんからどんなに沢山のことを学ばせて頂いたでしょう。訪問するたびに、私のほうが恵みを頂きました。長く訪問出来ない時は、心に潤いが無くなるような気がする程でした。本当にありがとうございました。これからもお互いに祈り合ましょう。どうぞお大事に。
私たちを通して復活された主のいのちの喜びが、まわりの人々に伝わりますように努めましょう。みなさまどうぞお元気で、主のいのちを大きくふくらませていらしてください。
いままでお掛けしましたご迷惑や、きつい言葉、不親切、出来なかったことなど、どうぞお許しくださいませ。
藤沢教会で頂きました豊かな恵みを携えて、鹿児島の離島“沖永良部島”への宣教へ出掛けます。皆さま本当にありがとうございました。
祈りのうちに心から感謝をこめて。
シスター我妻への感謝のことば(共同祈願より)
長い間、私たちと共に、温かいお心と聡明な頭脳を持って、藤沢教会のために尽くされた、シスター我妻のために祈ります。
日常、細かい事柄から、神のみ旨を実現するための教会活動まで、何時も未熟な私たちを支え、励ましてくださったことに感謝します。 新しい任地でも、豊かな神の実現のために、主イエス・キリストの支えをいただきながら、お元気で活躍することが出来ますように。
卒業感謝ミサが3月18日(日)9時半ミサ中に行われました。小学生30名と中学生4名です。小学生2名からメッセージをいただきました。
6年樋川充士
☆ぼくが、日曜学校に入ったのは、お父さんと教会に来るようになったからです。日曜学校に来るようになり、たくさんの、友達ができました。そして、リーダー達とした神様についての、お話もとても勉強になりました。あと少しで、6年生も終わり日曜学校も、もうすぐ終わってしまいますが、これからも教会に来たいと思います。
6年里原智美
☆私が一番おもいでに残っているのは、最後の卒業感謝ミサで朗読をしたことです。初めて聖堂でやったので、とてもきんちょうしました。しっぱいしないように本番まえに3回ぐらいの練習をしました。本番はけっこううまく言えました。でも、あせをたくさんかきました。あと、ミサの時にかざったパズルもよかったです。色をぬるのが大変だったけど、友達と楽しくできてよかったです。
日曜学校では、いろいろなことを学びました。友達やリーダーとたくさんお話ししたりしました。私は日曜学校に行ってよかったなと思いました。
主日ミサの公式祈願モニター中間報告
善行地区 岡村 正
ミサの中でわたしたちが司祭に一つになって父である神に呼びかける公式の祈願が三つあります。集会・奉納・拝領祈願です。
耳で聞き取りやすく、内容もわかりやすい言葉にしょうと中央協議会典礼委員会が試作した祈願を、今わたしたちは試しています。
昨年十二月から今年二月までのモニター・レポートを見て感じたことをお伝えします。
モニターをして下さった殆どの人が、試作祈願を聞き取りやすくわかりやすいと言いますが、内容がわかりやすいということには、典礼委員の努力が表れて居ると思います。 日頃わたしたちの生活に現れる神のみわざを思い起こして結びつけることが出来るようなことばを選ぼうとしているからです。
モニターをやったみて、神への力強い呼びかけに感動したという方も、その日のミサの主題がはっきりと表されており、祈願が生活と具体的に結びつくということがよくわかったという方も居られます。
しかし一方ではなお、信者でなければわからない言いまわしや言葉を気にする方も居られます。すべての人のために捧げられるミサ聖祭であると人々に示すことが出来るには、生活の中から神に力強く呼びかけることが出来るような内容に変えていくわたしたちの更なるミサへの参加が必要だと思いました。
暁の星園を訪ねて
辻堂2区 浮田 久子
3月4日の日曜日、箱根強羅の暁の星園に伺ってきました。その日行われるおたのしみ会に当教会の小藤さま方が、子供たちに弦楽四重奏をプレゼントなさるご計画を知り、私もお裾分けにあずかりたくなって参加させていただいたのです。
私がすこし遅れて園についたとき、既に演奏がはじまっていました。楽の音をたよりに進んでいき、ソッと扉に手をかけてのぞくと、子供たちが真剣な顔をならべて音楽に聞き入っているのでした。演奏中に入室する不作法は重々心得ていますのに、この時ばかりは一刻もはやく子供たちの仲間になりたくて、マスールが手招きしてくださるのをよいことに、そのままスルリと中にはいってしまいました。幸いにも、子供たちは侵入者には目もくれず、音楽に集中しています。演奏されているのは「アイネ・クライネ」モーツアルトらしい楽しくも高雅な珠玉のようなクラシック音楽です。それを2、3歳から中学生までの40人ばかりが、本当に、一かたまりになって聞き惚れているのでした。そのことは私はとても感動しました。演奏する方々もさぞかしと思われ、全くすばらしい演奏でした。
一つの曲が終わるとチェロ奏者の上田さまがひとつひとつの楽器について、子供たちと一問一答を交えながら、わかりやく説明されました。後半は、子供たちにもおなじみのアニメ映画の音楽を次々に弾いてくださり、皆々大満足の様子でした。大橋マスールも「これからも時々いらっしゃってください」と演奏者の方々におねがいしておられました。
私は演奏終了後、幼児たちの部屋に行って童心に帰って楽しく遊び、4時半頃の登山電車で戻りました。
本当にたのしい一日でした。
藤沢教会の皆さま
鵠沼2区 リディア・米山
今年はペルーで私がグラシアス・アミーゴをはじめて20年になります。
20年前のペルーでは家庭内暴力でいじめられる子供や、文字の読めない人や子供が大勢いました。街路には家出した子供があふれていました。私と私のグループの先生たちは今、何をなすべきかを考えました。 お金をあげるようなことはしないことにしましたが、物はあげました。そして文字の読み書きを教えることにしました。バッファロー教会の神父さまのご好意で、教会を使うことができました。
義務教育を受けられない子供たちを助けてきました。20年でその数は約数百人になりました。その子供たちの中には、国立大学を卒業して弁護士や技術者になった人もいます。また大工やパン職人などになった人もいます。社会人になった彼らはグラシアス・アミーゴのためにいろいろな援助をしてくれています。
ペルーの国のシステムは日本とは違っています。インフレーションは激しいです。国際電話を掛けると18%の税金がかかります。外貨レートの変動は非常に激しいものがあります。物価は上がり続けていますが、給料は上がりません。
このため毎年グラシアス・アミーゴに救済金を送るためにチャリティコンサートを開かなけばならないのです。数年前から私たちは中学生と高校生には1人当り年間200ドルを送ることができています。小学生には150ドルです。そして里子には日本の里親から月に5○ドルをペルーのスタッフを通して送られています。昨年、我々は高座プロテスタント教会から17万円の特別の寄付をいただきました。
藤沢教会からも3万円の寄付をいただきました。
今年3月のチャリティーコンサートは新鎌倉フルート合奏団に出演していただき、大勢の方に楽しんでいただきました。すばらしいコンサートになりました。1枚1500円のチケットを492枚買っていただきました。このおかげで7700ドルを送ることができました。心から感謝いたします。
神様、そして一緒にボランティアで出演してくださる方々、手伝ってくださる方々、そして聞きに来てださる皆様のおかげで、グラシアス・アミーゴの活動を続けることが出来ています。
最後にこれからもボランティアで出演してくださるグループをお待ちしています。またコンサートのやり方などについてのアイデアやその他のご協力をお願いします。
2001年3月
壮年の集い報告
壮年部長 鵠沼1区 窪田 直明
去る3月25日(日)、今年度の締めくくりとしての壮年集いが開催され、テハン神父をはじめ、33名の壮年の方々にお集まりいただきました。今回は、ご婦人からのご希望もあり、3名のご婦人が壮年の集いをオブザーブして下さいました。今回のテーマは、去る3月17日の教会委員会で取り上げられた、「教会委員会のあり方」に関するフォーラムの提言内容及び、「婦人部のあり方」(今年一年、婦人部なしでやってみる)について、主に話し合いが行われました。経緯については、本紙の教会委員会報告に掲載されていますのでまず先にそちらをお読み下さい。今回の壮年の集いでは本当に多くの壮年の方が、巾広いそれぞれの見識の中で発言をされました。その代表的なご意見を発言者の了解を得て、私なりにまとめましたのでご紹介致します。
◇フォーラムの提言にもあるように、婦人部長、壮年部長は、婦人、壮年の代表として教会委員会に派遣されているので、この形で進めていけば旨くいくはず。こんな大切なことを簡単に教会委員会で決めてもらっては困る。信徒総会やフォーラムのような場で検討して慎重に決めるべきである。
◇この件は一旦ブロックに持ち帰って検討する事になっていたそうだが、ブロックによっては議題にも上ってなく、充分検討されていない。何故このような状態のものを教会委員会で決めるのか。このようなことを決める教会委員会は見識がなさすぎる。加えて婦人部長の問題をなぜ一ブロック委員が扱うのか。婦人部の問題とブロックの問題とが混同されている。
◇フォーラムの提言を考えても、またフォーラム検討チームのメンバーが教会委員会に出ていながらこのようなことを票決で決めたことは全く唖然としている。教会委員会は機能していない。残念です。
◇教会委員会には、それぞれのブロック委員が責任を持ってブロックの意見をまとめて出席をしているとすると、そこで採決されたことに対して何故非難しなければならないのか。
◇壮年の集いは非難の場ではない。婦人部長になる人が居ないなら、空席ということでやって行くこともできる。婦人部長は今後出てもらうことを希望するが、今後も無理ならば、規約を見直す必要があるということではないか。
◇この問題は、婦人部だけの問題ではない。規約などの手続き論の前になぜこのようなことになったのかを考える必要がある。婦人がミサや葬儀などハードな仕事を担っていることも考え、一人一人が宣教活動の主役であるという観点から、日常の小さな集団の信仰活動を通して地道に議論して行くべきではないか。
◇辻堂ブロックの提案は良いと思っている。新しい21世紀には、男女ということでは無く、新しい役割をお互いに果たしていくと考える必要がある。規約を改訂するなら、このようなものも含めて考えると共に、壮年部としても真剣に考えてもらいたい。
◇教会役員は委員長はじめ7名の構成で、その内の一人が婦人部長であり、教会の進路や基本方針の素案を作るなど教会運営の重要な役割を担っている。その意味では、この問題は婦人部だけの問題ではなく教会全体の問題として考えるべき。教会委員会で多数決で可決されたという事だが、教会の中で十分に話が煮詰まっていないと思われるので、信徒総会に諮るなどもう少し慎重に議論した上で結論を出して欲しい。
◇今の議論は組織論の色合いが強すぎる。大切なのは、信徒使徒職として自分の与えられたタレントをどう教会活動の中で活かして行ったらよいかということ。中高生の意見では、今の大人は何を考えてるか分からない。結局よく分からない教会の活動に参加しない、教会に来ないということに繋がっている。もう少し柔らかい現実に合ったアプローチが必要。
◇世の中はどんどん変わっている。その中で教会が変わらないというのは時代錯誤ではないか。男性女性と分けるのではなく、社会のニーズに答えられるような教会の活動を考えるべきではないか。
◇行事についても男女で分けないで全体でやっていくことを壮年部として決議してはどうか。
◇壮年と婦人の話し合いの場が必要、お互いに意見を開示しないで真の交わりなどあり得ない。我々も婦人の話を直接聞きたい。壮年部としてぜひそのような場面を作ってほしい。(この話し合いの場の提案については、参加者全員の賛同を得て、来年度の計画に盛り込むことになりました)
全ての意見を紹介出来ないのは、残念ですが、巾広い壮年の意見が自由に云えるという点では今回の壮年の集いは意味があったと考えています。テハン神父が最後にまとめて下さったように、「多くの意見を出してもらい、それをお互いに聴いてあげる。多くの意見を聴いてから道を選ぶのが大切」という示唆のもとに、これからこの問題についても皆で真剣に考えていく必要があると考えています。オブザーブしていただいたご婦人3名の方に感謝致します。
鵠沼ブロック集会
鵠沼1区 八子 俊吉
3月11日、11時より鵠沼ブロック集会がセンターホールで開かれました。約50名が集まり、活況でした。
小藤ブロック委員より2001年度の地区連絡委員と世話役の紹介があり、続いて行事と活動計画が述べられました。鵠沼ブロックには8百名近い信徒がいます。でも活動に参加する人はほんのわずかです。一人でも多くの方が行事に参加してほしいと、ブロック委員より希望がありました。
その後、今、藤沢教会で問題となっている
@教会の行事当番を婦人部からブロックに移行する件
A婦人部・壮年部のあり方について
B今年のバザーについて
を3グループに別れて話し合いました。
@については、基本的には反対はありませんでした。しかし移行するためには少しずつ時間をかけて話し合ってやっていきたいという意見がありました。
Aについては、いろんな意見が出ました。壮年部と婦人部はブロック活動を支えるためには必要である。ブロック活動が盛んになれば壮年部、婦人部は不要である。
B今年のバザーについてについても、たくさんの意見が出ました。バザーもたくさんの問題があります。絶えず問題点を見直してよりよいバザーにすることは必要だと思います。
この3つの点は大事なことであり、ブロックだけでは解決できません。信徒が皆で考えて時間をかけて解決すべきだと思いました。1時間30分位の話し合いでしたが、活発に討議して有意義なブロック集会でした。
使徒パウロ大講演会
カトリック秦野教会 寺田 正明
新世紀初頭の夢です。今日は「カトリック藤沢教会」と「神奈川祈りの集い」共催の大講演会です。講師は「名高いタルソ出身のパウロ大先生」です。カトリック藤沢教会の主任司祭の歓迎挨拶の後、彼は話し始めた。 「使徒として召される神の福音を告げるために、選びだされたキリスト・イエスの僕パウロです。
神に愛され聖なる皆様にお話する機会を与えられた事を感謝します。私達の父なる神と主イエス・キリストの恵みと平和が皆さんにありますように。イエス・キリストはすべての人の主であり、私達の主です。キリストについての福音宣教がこの教会の内にしっかり根を下ろし、神のどんな賜物にもかける事なく、神も皆さんをしっかりと支えておられます。・・私達が受けたのはこの世の霊でなく、神からの霊です。恵みとしていただいたのです」・・霊に生きるとはキリスト者の生き方です。その歩みを皆さんが始めるなら、今も生きておられる主があなた方を導かれます。私達の主を自由に讃美し、礼拝できるようにしてくださるのです。そして、み言葉を生き生きとさせ、よく理解できるようにさせてくださいます。主の奥義を味わうものとしてくださるのです。主について人々に語りかける新しい力や喜びも湧いてくるのです。霊のいのちは、また、兄弟たちと交わり、一致したい望みが湧き上がってくるのです。そして、私達は共同体をしっかり築き上げる事ができるようになるのです。私はダマスコで主と出会いの体験をしました。また、あの偉い人ペトロも聖霊降臨の体験をしたのです。キリスト者は主との出会いである「聖霊体験」が常に必要なのです。
いつも求めてください。必ず与えてくださるのです。そしてこれが、すべての事の始まりとなるのです。キリスト者にとって必要不可欠の基本要素なのです。この教会でも『聖霊による生活刷新セミナー』が開かれるそうですね。よい機会だと思います。聖霊の満たしを受け「聖霊体験」をしてください。この事がどういうことを意味するのか要点をまとめてみましょう。第一に、イエスを人生のあるじとして選び直して生きる力をいただくことなのです。第二に、自分の力に頼ることなく、聖霊の力に頼って生きるキリスト者に変わっていくことなのです。第三に、私たちの中におられる聖霊を自由にし、聖霊の働きを体験できるようになることなのです。
さて次に「霊と真理の礼拝」について話をしましょう。これも大切なことです。主は「人は上から、あるいは水と霊から生まれた・・新しく造られた者を礼拝者」として招いておられ、熱望しておられるのです。ですから私達は「詩や讃美の歌と霊的な歌をもって互いに教え、語り合い、忠告し合い、主に向かって心から歌うのです」。そしてまた「私たちはイエスを通して讃美のいけにえ(を捧げるのです)、即ち、御名をたたえる唇の実を絶えず神に捧げます」。これらのことを私は各教会の皆さんに強く呼びかけているのです。それでは早速、今、実際にやってみましょう。音楽奉仕者を連れてきていますので。さあ、声をあわせて、心をこめて歌いましょう。「アバ父よ」感謝します。「イエスは主です」讃美します。そうです、そうです。・・やがて、参加者が一つに結ばれました。主の栄光とご臨在に深く包まれました。そして、おー、なんと甘美な至福の状態へと、・・⇒眠りから覚めました。
1(日)北1、2ブロック合同黙想会
6(金)初金、例会(連絡員引継)
ゆるしの秘跡個別 午前11時〜12時
7(土)ゆるしの秘跡個別 午前10時〜12時、午後3時〜5時、7時〜9時
8(日)受難(枝)の主日ミサ 午前7時、9時30分、午後7時
9(月)ゆるしの秘跡個別 午前10時〜12時、午後3時〜5時、7時〜9時
10(火) ゆるしの秘跡個別 午前10時〜12時、午後3時〜5時、7時〜9時
12(木)聖木曜日 ミサ・洗足式 午後7時30分
13(金)聖金曜日 十字架の道行き 午前9時30分
受難の祭儀 午後7時30分
14(土)聖土曜日 ゆるしの秘跡 午前10時〜12時(午後のゆるしの秘跡はありません)
復活徹夜祭・洗礼式 午後8時
15(日)復活の日 ミサ 午前7時、9時30分(幼児洗礼)午後7時
午後1時(英語)、午後2時(スペイン語)、午後2時30分(韓国語)
午後4時(ベトナム語)
22(日)藤沢教会信徒総会
29(日)初聖体