八 角 形 に ゅ ー す

2001年5月6日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

カラスとの出会い・・・・・・・・・・・・・・・・・・チリロ・マーフィ神父

教会委員会報告

ルカ福音書を祈るシリーズ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・M・ハンラティ神父

すべては主のお望みのままに ・・・・・・・・・・・・・・・聖心の布教姉妹会 シスター 浜崎 英子

ご復活前夜祭・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 板津 葵子

『光あるうちに歩きなさい』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 中村 和子

シスター我妻に感謝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 大谷 浩洋

ウタンダの子供たちより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田 久子

5月の主な行事

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カラスとの出会い
チリロ・マーフィ神父

 「あの時もしアシジの聖フランシスコが私の立場にいたらどうしていたか?」

 朝起きたとき、近頃いつもそのことを考えています。自分には厳しかったけれども他の人や動物たちには優しかった聖フランシスコは、自分の住んでいた洞窟にイノシシを招き入れたり、肩にとまってくる鳥たちを心から喜んで迎えたと言われています。でもイノシシや鳥の話は知られていても、カラスの話はなかったと思います。でも聖フランシスコのことですから、カラスに対してもきっと、カラスと心を通わせる特別な方法を知っていたかもしれません。聖フランシスコが知っていた、カラスと心を通わせる方法が後々の世代まで伝えられていたら、私のように困った状況におかれた人達も、うまくそれを乗り越えられていたかもしれません。

 3月20日の春分の日は、お天気でとても気持ちのよい日でした。やっと回復の兆しを見せ始めた友達のお見舞いから帰るとき、外は暖かく、そよ風も心地良かったので、病院から駅までの道のりを歩いて帰ることにしました。

 しばらくして駅に着きました。駅の改札への入口は、陸橋を少し行ったところにありました。この陸橋に上がるのに、屋根がついているエスカレーターから上るようになっていました。エスカレーターに乗っているとき、ポケットから財布を取り出して、切符を買うための小銭を数えていました。エスカレーターから降りたその時、後ろから飛んできた大きなカラスが私の手から財布をくわえて飛んで行ってしまいました。私はとてもショックで、その瞬間何が起こったのかわかりませんでした。カラスは私の財布をくわえて、エスカレーターの屋根の上に止まっていました。私はどうしていいかわかりませんでした。その財布には、小銭のほかに2万円も入っていたのです。

 カラスがもし、近くのデパートの屋上に財布を持って行ってしまったらどうしよう、もうおしまいだ、と思っていました。そうしたらこの話もおしまいなのですが、カラスはくちばしで財布を振ってから、地面近くまで舞い降り、そしてバス停の屋根の上にとまりました。バス停にいた20人くらいの人は私とカラスを見つめていました。それから、カラスは地面に降りてきて、バスのすぐ前に私の財布を置きました。1人の女の人が財布を取ろうとして急いで行ってくれたのですが、彼女が取る前にカラスはまた財布をくわえてバス停の屋根の上に飛んでいきました。

 カラスは今度は財布をつつき始めました。ファスナーのある財布で、横にはポケットが付いていました。このポケットのところに千円札を5枚くらいたたんで入れておいたのですが、カラスはつついているうちに、その千円札を次々と取り出し、下に落とし始めたのです。千円札は風に吹かれながら歩道に落ちていきました。何人かの人が、「お金、お金!」と叫びました。車の往来の激しい道路に千円札が飛んでいってしまう前に私は走って行ってお金を拾いあげました。それから、そこを通りかかった女の人が、買い物袋の中から大きなビスケットを取り出して、そのかけらを上にあげながら、「カラス、カラス、おいで。」とカラスを呼びました。カラスはバス停の屋根の端に財布を置いて、彼女が地面に投げたビスケットを食べようと降りてきました。

 その間に私は他の人達の助けを借りて、鉄製のごみ箱の上によじ登って、指2本で何とか財布を取ろうとしましたが、そのとき、カラスが戻ってきて、私の指の下から、財布をかすめ取って行ってしまいました。私は怒りたくなりました。カラスは私の財布を屋根の真ん中あたりまで持って行ってしまったのです。もうごみ箱に登ったところで財布を取り返すことはできません。

 1人の男の人が、そばで仕事をしていた若い女の人に、どこかにはしごがないか聞いてくれました。道路の向こう側にあるお店にあるということを聞いて、その男の人が取りに行ってくれました。先ほどビスケットをくれた女の人は、その場から去る前に、私にビスケットをくれました。そして、このビスケットを地面に投げるのではなく、カラスが財布をくわえて来るまでずっと手に持っているといい、と教えてくれました。私は彼女が教えてくれたように、ビスケットのかけらを手に持って高くあげ、カラスをおびき寄せようとしました。でもその時、私は後ろにまわしていたもう片方の手に持っていたビスケットのパックから、ビスケットがすべり落ちていたことに気付きませんでした。でもカラスはそれに気付いていたのです。そしてカラスは下に降りてきて、歩道でビスケットを食べだしました。私はカラスが財布のことを忘れてくれるようにひたすら願いました。

 でも、まだはしごが来ません。何でこんなに時間がかかっているんだろう、と私はいらいらしていました。ついにはしごをもった3人の男の人がお店から出てきましたが、信号が赤になってしまい、なかなかこっちまで来てくれません。その間、ずっと私はカラスを見ていましたが、カラスは隣のバス停の屋根にとまっていて、おいしいビスケットに大満足の様子です。ついにはしごが到着し、3人のうちの1人がはしごを上って私の財布を取ってきてくれました。私は皆さんの優しさに感謝しながらその場を離れましたが、その時カラスはまだビスケットをつついていました。

 その日から、毎朝ひげを剃りに鏡に向かうとき、あのカラスのことを思い出します。鳥たちと心を通わせ合った聖フランシスコがあの場面にいたら、きっと何かいい方法を知っていたかもしれません。私のひげも聖フランシスコのように伸びていたら、カラスと心を通わせられたかもしれないですね(笑)。でもとにかく、聖フランシスコは財布なんて持っていなかったので、こんな事態に巻き込まれることなどなかったことでしょう。



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教会委員会報告

(4月21日)

1. 静思のひととき

ヨハネによる福音

2. 運営委員会報告

フォーラムからの提言を受けて規約に沿った形の開催となった。今後6ヵ月間規約に則った運営を行うこととし、4ヵ月経過したところでメリット・デメリットをチェックし6ヵ月経過後、必要で有れば来年の信徒総会(2002年4月7日)までに、現状に合わせた措置を手続きを踏まえとっていく。従って運営委員会は毎月、地区委員会は隔月(5月、7月、9月)の第3土曜日に行う。各活動部との意志疎通は運営委員会のメンバーがそれぞれ担当して連絡を図ることとする(宣教部・第5地区・YMCA:牧野、典礼部:牧野・片桐、教育部:川辺、総務部:窪田、国際:川辺、広報:丸茂、福祉:窪田)。
これに関してブロック委員より、ブロック委員はブロックを中心とした活動を活発化させるためには責任をもって各地区に情報を伝えていかなければならない大切なパイプ役だと思っている。そのために試行しながらもシステムが現状に合わせて整ってきていると評価しているのに、フォーラムの提言を受け、また地区委員会を隔月にしてしまうことについて良く検討してほしいとの意見も出された。

懸案事項への対応

 司祭館立て替え基金:司祭館は2020年に法廷耐用年数を迎えるが、その建設資金を積立を初めてはどうかということが1997年に司祭館建設検討小委員会により答申された。今後これをどう実施していくかについて話し合った。
 具体的な建設計画のない時に、建設のための献金は実感がわきにくい面もあるが、例えばこの目的のために維持費の一ヵ月500円の増額を呼びかけ、協力をいただければこの増額分年間約500万円ほどを将来の建築資金として積立てたらどうか。計算上は20年間で1億円の積立ができる。しかし、横浜教区も小教区だけでなく教区全体として教会の維持、建設活動の体制をとっていくという計画がスタートする状況のもとで、藤沢教会としては、今後の教区の方針も考え合わせ、藤沢教会が積み立てたお金も一旦教区に移管するということも有り得るのでそういった点も含めて皆さんにお話ししたうえで教区全体の建築資金という観点からも、実施していきたい。
 地区割り委員会:婦人部からブロックへとそれぞれの行事や当番のやり方がかわっていくと思われるので様子を見てそのあと結論づけていく。この状況を確認するための委員会を開催する必要がある。
 フォーラムの今後:いろいろな話しをできる場をこれからも続けていきたい。司教団が日本の一般社会にむけて出した最初のメッセージ「いのちへのまなざし」を共に読んだり、信徒総会でよびかけてテーマや座長を募集していく。
 福音宣教の長期的対応:主任司祭より「いのちへのまなざし」を読んで学びながら考えるようアドバイスをいただいている。横浜教区から出された司牧書簡、司教団からのメッセージの両方に福音宣教のことが含まれているが、藤沢教会ではすでに未来のためのリーダー養成、講習会、研究会、聖体奉仕者などに参加している。今年9月からはグリフィン神父のリーダー養成講座も組まれている。教会委員会、地区、教区相互の交わりのなかで福音宣教の大きな流れを捉えフォーラムなどを活用して取り組んでいきたい。

3. 信徒総会に向けた準備

 総会への質問や意見はこれまでのところ出てきてていない。司祭の祈り、2000年度の活動報告、教勢報告、財務報告、湘南台センター報告、フォーラム報告と提言、婦人部からブロックへ、2001年度の活動方針(わたしたちのめざす教会像)、質疑応答、新委員・活動部長の紹介の予定。

4.その他

  以上



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ルカ福音書を祈るシリーズ・ペトロと不思議な漁(ルカ5章1〜11)
M・ハンラティ神父

 聖書で祈っていくと、次のようなイエス像が浮かび上がります。 イエスは困っている人々に希望と、寛大な心と、新しい力を与えたいと、熱烈に望んでいらっしゃる方なのだと、とてもはっきり分かってきます。私はイエスの行いから見たイエス像を想像するだけでなく、人々がイエスに近づいた時に感じるイエスの温かさ、思いやり、活力の面から見たイエス像を想像し始めます。

☆思いがけない呼びかけ

 さらに、人々に希望を与えるイエスの活動に加わって助けてほしい、とイエスは日常生活の中で、私に呼びかけていらっしゃると感じ始めています。その‘小さな呼びかけ’‘大きな呼びかけ’に気づき始めています。両方共いつも“思いがけない”ことで、“したくはない”ことだと正直に言わなければなりません。ある呼びかけは、笑ってしまうようなこと、また“考えられない”と思えてしまうようなことです。でもその時、イエスが私にとって充分に魅力があるならば、私は何とかその呼びかけに応えられます。

 そして私がそれに応えると、驚嘆する程の結果がでます。驚くべき方法をとって、神様は私を通して働かれます。そして、私はさらに新たな呼びかけへと、ますます信じがたい呼びかけへと導かれていく! と、しばしば感じます。私はさらなる寛容へと呼ばれています。時には自分の内に抵抗感をみつけますが、私にとってイエスのもつ魅力がどんどん大きくなっていくならば、私は身を任せて、御自分の仕事をなさるイエスに合流することが出来ます。

 ですからイエスの魅力をもっと強く感じるために、イエスの呼びかけをもっとよく聴くために、もっとよくイエスに従うことが出来るために、私はしばしばこの箇所を使います。

 始める前にその都度、どの位の時間をかけて祈るかを決めます。 それから導かれるがままに聖霊に身を任せます。(この箇所の中で神様は、特別に次から次へと場面を想像させて下さることによって私に話されます。)

☆ルカ5章1〜11

☆イエスの使命

 深い祈りの中でこの箇所を見つめている内に、先ず私の頭に浮かび上がってくるイメージは、早朝、湖畔に立って、水面(みなも)をじっと見つめている淋しい姿です。この方が、あのナザレの預言者イエスなのだなあ、と思います。“どうしてここにいらっしゃるのですか?”“お気持ちはどんなですか?”と尋ねてみます。ナザレの会堂や他の所でイエスが教えられたことが頭に浮かんできます。 そこで、世界中のすべての人に“よい知らせ”(福音)をもたらすことが、イエスにとってどれ程大切なことか、をよく考えてみます。 それをなさりたいイエスの燃えるようなお望みを、私はさらによく理解し始めます。その上で、今ここに立たれるイエス、その淋しいお姿を見つめ直します。田舎の大工にすぎない身なのに、目の前に広がる遠大な仕事! イエスはしばしば、助けを求めて夜を徹して祈られたに違いありません。ここでも今まで祈っていらしたのだろうと推察します。

☆群衆の渇望

 それから私は、イエスに気がついて興奮し、そのニュースを次々伝えていく人々を想像します。あちこちから人々が駆けつけて来ます。群衆の熱烈な憧れが伝わってきます。さまざまな面で、神様からの希望と慰めを渇望している彼らです。

☆イエスに助けを求める人々の叫び

 今、イエスの周りに群がって、助けと希望を乞い願う人々が見えます。彼らはイエスを預言者だと考え始めています。イエスを通して神様の力が働くと分かり始めています。飢饉で飢えた人々が救援物資のトラックを囲んで群がる光景、テレビで見る光景に重なります。イエスに触ってほしくて、イエスにこちらを向いてほしくて、差し出される沢山の手、手、手。皆が前に出たくて押しあっている。すごい騒ぎだ。“私の眼を直して−”“お願い、もう一度歩けるようにして−”“傷に触って−”“病気の夫の所に来て下さーい”“この子を祝福して下さーい。病気なのです”等々の叫びでイエスの声はかき消されてしまう。イエスはどんどん押されて、あっ、水に入ってしまう!

☆イエスはペトロに助けを求める

 その時イエスが叫ばれる。“舟を持って来てください”とペトロに向って。ペトロ達は飛び上がるほど驚いた。一晩中漁をしたが、何もとれなくて力尽きている。お腹がすいている。気落ちしている。 今晩再び漁に出ようと、今急いで網を洗い繕っているところだ。早く食べて、早く休みたい。でもこんな調子で家族を養えるのかと、段々心配になる。ですから、この頼みは思いがけなく、また喜べないものだっただろうと想像します。まだ働けというのか!

 もう一方でペトロは、預言者に助けを求められたことに感銘をうけました。今のイエスの話を聞けなかったのは、仕事が気になり過ぎていたからであり、イエスを尊敬していないからではないのだ。 そこでペトロは素早く舟を運んでいく。イエスは舟に乗って、座って教え続けられる。

☆静まり返る

 場面はがらりと変わって、イエスは舟に座って静かに教えておられる。群衆は静まり、岸辺に腰をおろして落ちついて聞いている! ペトロも漁師たちも、今度は座ってかしこまって聞いている! 彼らは皆、心満たされ、感謝している。休息や朝食はもうどうでもいい。場面は一転して、皆が養われている平和な光景です。

☆静けさの中に新たな招き!

 この落ちついた光景に、もう一つの大きな衝撃が走る! “沖に漕ぎ出して、網を降ろし、漁をしなさい”とイエスが新しい招きをなさる。今聞いたことをペトロは信じることが出来ない。大工だから漁を知らない! 全く分かってない! ペトロはひとり言を言う。 “魚はこの時間には、ほとんどいない。夜でさえかからなかったのだ! たとえ漁によい時期だとしても、誰が日中に漁をするか。しかも今は真昼間だ! これはあざ笑いものだ。”

 ペトロは迷う。イエスの頼みを断ったり、反対したくはない。ペトロはイエスに魅せられている。二人の間にどんな壁も立てたくはない。けれどもペトロの長年の経験と常識は、なすべき賢明なこととして受け入れられない。そして、せっかく片づけた網を思い、朝食と休息がさらに遅れることを考える! これをして一体どれ程になるというのか?

☆疑いながらも従う

 それでも結局ペトロは他の人達に合図して、彼らは湖の真ん中へと漕ぎ出していく。物も言わずに、不機嫌で、疲れた漕ぎ方だ。彼らは心の内で“バカげたことだ。時間と労力の無駄だ。まともではない。人は笑うだろう”とつぶやいている。

☆神様の力の不思議

 突然、水の中に動きを感じる。網がぐいぐいと引っ張られる! 魚がかかったかのようだ! すぐさま彼らは網をたぐり込み始める。元気が出て、新しい力が湧いてくる。今だかって網がこれほど重いことはなかった。すごい力が必要だ。とれた数の総数は莫大で、舟に注ぎ入れる時、まるで滝のようだ!  それでもまだ魚は増え続ける。舟はすでにいっぱいで、水の中に深く沈んでしまいそうだ。

 そこで岸にいるヤコブとヨハネと他の人達に助けを求める。来てくれた彼らの舟でも同じことが起こる。舟が水浸しにならずに、無事に岸にたどりつけた時には、皆ほっと安堵した。彼らは完全に圧倒されている。これほどのことを今まで誰も経験したことはなかった! これで当分の生活費がまかなえることは確かだ。

☆人間の限界を認める

 ペトロはとても静かになった。今ペトロは自分がイエスを全く知らないと認めている。この方は、どういう方なのだろうか? そして自分のとった態度、行動を顧みて、叫ぶ。 “主よ、私はあなたを充分に信頼しなかった! 私を信用しないで下さい。私は神様からこれを戴く資格がない”

☆さらなる招き

 イエスはペトロに向って、ほほえんでいらっしゃるだけです。そしてますます驚く招

きを与えます。“勇気を持ちなさい。あなたはもっとすごいことをするだろう! 今魚を集めたのと正に同じように人々を集めるだろう”これは招きに留まらず、はっきりとした約束でもありました。それにしても、これは思いつくことも出来ない招きです!

☆より大きな明け渡し より大きな変化! 

 そうです。神様の働きのすごい体験をした後でも、これはやっぱり信じ難い招きです。ペトロとヤコブとヨハネは、教育のないガリラヤの漁師にすぎない。一体どうやって彼らはこれに応えることができるのだろうか? けれども彼らは応えます。直ちにすべてを置いてイエスに従います。イエスへのすごい信頼が生まれました。彼らの内に大きな変化がありました。今までにない寛大な心が彼らの内に育っています。これまで彼らのすべての関心の中心は、舟と網に象徴されるものでした。それらをすべて置いて、彼らは今、寛大に、イエスに従います! 先延ばしにもしません。イエスに従って、どうなるのかまるで分からない将来に向います。

☆この箇所での私の祈りの体験

 この箇所を祈るといつも“寛大”という言葉が、私の前に飛び出してきます。豪勢な魚の贈り物に神様の寛大さを見るのはもちろんですが、それ以上に“寛大に応える”という考えが私の心に浮かび上がり続けます。この話の中で、弟子たちは神様の力によって、この難しい招きに、とても寛大に応えることが出来ました。それを見て、私は感動します。

 この時、次の3つの内の一つが起こることがよくあります。その1つは、人に希望と慰めと支えを与える仕事を引き受ける招きに、とても寛大に応えている私の周りの人々を私は見せられることです。 年齢、健康、教育、訓練、社会的地位、経験などを口実に、その招きを笑い飛ばそうという誘惑が起こるに違いないのです。しかし驚いたことには“主よ、もしあなたが私をお使いになることがお出来になるのでしたら、結構です。そうなさって下さい!”と彼らは言い始めます。私は沢山の例を知っています。これらの例を見つめていると、すごい賛美と感謝の心が起こります。

 2つ目は、私自身の生活の中にこの例を見つけて驚くのです。 “さあ休んで食べる時だ”と私が思う正にその時は、たぶんイエスと一緒に出かけて、他の人に実りある何か思いがけないことをイエスと共にするように促されている時だ、と私は気がついています。 しかも私はそれに平気で応じている! そのことに自分が驚いてしまう! でもこの箇所の祈りがそれが出来る準備をしてくれたのだと思います。

 3つ目は、静かな祈りの中でいつの間にか私はイエスに次のように尋ねている時があります。“私はあなたに充分聴けているでしょうか? 何か私にして欲しいことがありますか? 寛大な心であなたに合流してする仕事がありますか? 私はあなたを充分信頼していますか?”そのような時、私に出来ることは“主よ、私を寛大にして下さい”と祈りの時間が終るまで祈ることだけです。そして後で何が起こるのかを見るだけです。

☆終わりに

 私が聖書で祈ることを教わった時、最初に使ったのはこの箇所でした! ですから私にとってこの箇所は特別な所です。それで私はしばしばここに戻ります。もちろん外国人宣教者にとって大事な箇所です。しかし聖ルカはこの出来事をこのように書いた時に、イエスに従うと心に決めたすべての人を考えていました。イエスと一緒にもっと働く招きに答え続けていけるように、お互いに祈りあい励ましあっていきましょう。



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すべては主のお望みのままに
聖心の布教姉妹会 シスター 浜崎 英子

 このたび、復活祭の大きな喜びと感謝の中に、9年にわたって藤沢教会でお世話になりましたシスター我妻の後任として、聖心の布教姉妹会総長より派遣されてまいりましたシスター浜崎英子と申します。よろしくお願いいたします。出身地は、長崎県外海町の出津教会です。近くには、ドロ神父様の記念館、遠藤周作文学館などがあり、県外や外国からも多くの方々が来られ、皆様のなかには、ご存じの方やお出でになられた方も、いらっしゃるのではないでしょうか。

 この2月の始め、院長より藤沢教会に聖旨が変ることを知らされ、一瞬「はい、喜んでお受けします」との言葉が出ませんでした。今までの教会と違って信徒数も諸活動も格段大きい教会に、どうして自分が、もっとふさわしい姉妹がいるのでは、との思いや、自分には荷が重すぎるなどの恐れ、不安、戸惑いを隠せませんでした。それらの思いの中に聖堂で、「父よ、み心ならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、み心のままに行ってください」(ルカ 22章42)と祈られました主イエス様のことを思い、祈っておりましたとき「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。たじろぐな、わたしはあなたの神だから」との主のみ言葉が繰り返しメロディーとなって、心いっぱいに響きわたりました。主のみ言葉は少しずつ、今までの恐れや不安、戸惑いを消し去り、大きな安らぎが与えられました。イエス様がわたしを呼んでおられる、イエス様の小さな道具になろう。イエス様が共にいて助け導いてくださるのだから恐れることはない。すべてをゆだねて使徒職にはげみましょうと、その恵みの感謝のなかに信頼して歩んでまいりたいと思っております。あとになりましたが、4月1日には、シスター我妻と私のために、歓送迎会を催してくださり、また、教会共同体の中に温かく迎え入れていただきまして、ありがとうございました。これから、神父様方、信徒の皆様方にいろいろ教えていただきながら、お手伝いさせていただきます。

 皆様のお祈りとご協力のほど、よろしくお願いします。



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ご復活前夜祭
辻堂1区 板津 葵子

 ご復活前夜祭は、聖週間最後の14日夜8時より行われました。

第1部「光の祭儀」

 皆、手に持ったローソクに火を灯し、盛大に始まりました。神様のために守る徹夜の日とされ、明かりを灯し、目を覚まして夜を過ごし、主が死から生命へお移りになったこの最も聖なる夜に、喜びの食卓に招かれるのです。

第2部「ことばの典礼」

 人間の歴史を通して、神様がどのように働きかけて下さったかを深く味わいます。中でも第3朗読の「出エジプト記 14章」は、主の過越のかたどりとして最も重要なところです。

 使徒の書は、「使徒パウロのローマの教会への手紙 6章3〜11」、C年の福音朗読は、「ルカ 24章1〜12」が読まれました。

 テハン神父様のお説教は、イエス・キリストご自身が私達に教えて下さった愛についてでした。「自分が中心か、相手が中心になるかを乗り越えるために、神の存在がある。命の泉の力によって、エゴを乗り越えることが出来る。神の愛を知ろうとするには、キリストの復活の神秘にあずかること。そして、相手と喜びを分かち合うこと。」

第3部「洗礼と堅信」

 諸聖人の連願の後、入信の秘跡が行われました。

 洗礼の儀11名(内、子供1名)、プロテスタント教会よりカトリック教会へ移ってこられた2名の方達と共に、堅信の儀12名でした。その後、私達は洗礼の約束の更新をするため、一同で信仰宣言を唱え祝福された水を受けました。

 神に感謝し、ここでまたローソクに火を灯し、心の闇を照らすようにキリストと共に死に打ち勝ち、神の国に生きる希望を持ちます。

第4部「感謝の典礼」

 主の過越を記念し、皆が一つになって祈ります。 

 奉納祈願から、いつものミサと同じように行われました。ミサ終了後、洗礼を受けられた方達の紹介と証明書が手渡されました。最後に聖歌隊により聖歌が歌われ、徹夜祭は10時に終了しました。前庭で、温かいお汁粉が振舞われ、翌日の復活祭の喜びを胸に秘めながら、それぞれに感謝の気持ちで帰途につきました。神に感謝。

 



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『光あるうちに歩きなさい』
辻堂1区 中村 和子

 4月14日、神秘的で暖かな蝋燭の光に包まれて、受洗式を迎えました。「おめでとうございます。」という声を沢山の方々からいただき、感無量でした。

 1年2ヶ月前には、今日このような式に自分が参加できるとは夢にも思っておりませんでした。1年前の2月28日、夫が心筋梗塞で帰天いたしました。53歳という若さでした。数年間体調を崩し、自宅で療養しておりましたが、私が仕事から帰るとすでに冷たくなっておりました。その時のショックは口では説明できません。夢を見ているような混乱の中、小学校のときに洗礼を受け、ミカエルという霊名をいただいておりましたので、藤沢カトリック協会で葬儀をお願いしよう、夫もそう望んでいるに違いないと思いました。こちらの教会にお世話になっている妹夫婦の紹介で、葬儀をお願い致しました。テハン神父様が快く引き受けて下さり、その上優しく励まして下さいました。

 妹に誘われても、バザーを覗く位しか教会へは足を運ばなかった私ですので、何も分かりませんでしたが、突然残された家族を、暖かく励まして下さる事は良く分かりました。葬儀の侍者を務めて下さった高野先生は、偶然にも夫の中学校時代の担任でした。今から思えばこれも神様のお導きだったのだと思います。失意のどん底での皆様方の暖かな励ましに、どれだけ癒されたことでしょう。本当に感謝しております。

 日曜日のミサに預かり、神父様からの祝福をいただくと、涙が止まりませんでした。悲しみの涙というより、ホッとするなんともいえない安堵感を感じるのです。静かな心安らぐ時間をいただいたという感激です。数ヶ月後、「新しい講座が始まるので参加してみませんか。」というお誘いがあり、シスター我妻の入門講座に参加しました。隔週での参加しかできぬため、置いていかれるのではないかという心配もありましたが、シスターや片桐さんの暖かなご配慮でなんとか付いていくことができました。

 洗礼式の蝋燭を見ていたときに、夫の墓石に彫った言葉を思い出しました。『光のあるうちに歩きなさい』(ヨハネ12章35節)そして、「ずいぶん苦労をかけたけど、本当にお前は良くやってくれたよ。」と夫が言ってくれているように感じました。

 まだまだこれからが勉強です。一生かけても終わらないと思います。でも、今まで1人で背負ってきた重い荷物を、一緒に背負って下さる方がいて下さる・・と思うと、心が安らぎます。これからは、焦らずゆっくりと教えていただきながら、進んでいきたいと思っております。



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シスター我妻に感謝
鵠沼3区 大谷 浩洋

 『“今のあなたのままで良い、何も恐れる事はない”との、御声を聞いてこの講座を担当することになりました』このようなご挨拶で、シスター我妻が急拠リードされることになったキリスト教入門講座が開始(昨年5月連休明け)されました。第1期「自分との出会い」第2期「キリストとの出会い」と、楽しく学ばせていただいていた去る3月下旬、『御復活祭の後、沖永良部島の教会に転勤することになったので、講座の第3期のリーダーは交替する』と、これまた突然のご挨拶でした。開始時には、予定しておられた前任のシスターのご病気で、そして今回の第2期終了時には、ご自身の所属される修道院のご都合によるご転勤でと、いずれも予期せね出来事にも拘らず、“前もって啓示をいただいており、神はいつも共にいて下さる”と平静に対処されておられたご様子は、信仰の裏付けによるものと、私にとっては驚きでした。

 藤沢の教会で10年間奉仕されたとのことですが、私が最初にお会いしたのは7年前の秋でした。病気入院中の妻に代わって、日曜日朝7時のミサに出席させて戴いていた私に、お見舞いの声を掛けていただきました。その後、お会いする機会があるごとに『お元気ですか?』と声が掛かり、私からも競って同様に発声するようになりました。当時私にはミサへの出席は初めてで、何かと心細い思いをしていた教会であったことから、このことは温かい思い出になっています。妻を亡くしてから後、私自身の受洗を前提にして、キリスト教を理解し納得したいと思い、聖書の勉強会等に参加させていただきました。しかし“教会が何故か立ち寄り難いものがある、どうしてだろうか?”の思いは深まるばかりでした。シスター我妻にも、時折この疑問をぶつけて、悲しい思いをさせていた当時のことを振り返って、申訳ないと思っております。

 一昨年夏、聖書の勉強会が途中で消滅したので、シスター野口が担当されておられたキリスト教入門講座に途中から参加し、引き続いてシスター我妻の講座に参加させていただきました。受講生の半数が既に信者になられた方の構成でしたが、終始笑顔で親切に、時折出てくるシニカルな質問にも優しく応えていただきました。さらに第2期の講座の途中でしたが、今年4月の御復活祭に洗礼を受ける希望者が出た為に、シスターはお忙しい時間を割いて下さって、第3期の受洗に関連する箇所の補講を、第2期に平行して指導して下さいました。

 過ぎ去った7年間に載いた数々のご芳情、この講座に心血を注いでリードされたこと、その結果、長い間迷っていた私が洗礼を受ける決心が出来たこと、シスター我妻には感謝で一杯です。講座の第2期を了るに当って、キリスト教講座を受講して良かったと思う事項を提示するようにとのご指示があって、次のように纏めました。ここに転記して、感謝の気持ちとさせて頂きます。

1、キリスト教に対する親しみを深める事が出来たこと

  中でも強く印象を受けたお話

2、講座に出席された方々との出会いが出来たこと

3、洗礼を載く決断が出来たこと

 長い間、戴いたご指導とご親切に、改めて感謝すると共に、新しい任地でのご活躍とご健勝を心からお祈り申し上げます。

       (2001年4月12日記)



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ウタンダの子供たちより
辻堂1区 浮田 久子

 私たちがささやかなお援けを続けているウガンダの子供たちからやさしい心のこもったお礼のお手紙と写真が届きました。

 子供たちの輝く目の光、賢い表情に打たれます。大きい二人はキジト神父様をお援けして子供たちの世話をしているようです。

 ここに写っていない大勢の子供たちのことを思い、ひきつづいてお祈りとご援助とをつづけましょう。ある篤志家が贈って下さった山羊については、特に言及して感謝されています。その方には私からも厚く御礼申し上げます。



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5月の主な行事

6(日)北1ブロック集会

11(金)初金ミサ、例会

13(日)日曜学校1年生開始

     鵠沼ブロック歓迎会

18(金)教会遠足 藤沢市長久保公園

20(日)共助組合総会

27(日)教会学校遠足 聖母の園

     壮年部歓迎会



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