八 角 形 に ゅ ー す
2001年10月7日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
中国人洗礼志願者との出会い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・チリロ・マーフィ神父
ルーファス・ハリー神父の思い出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・トーマス・テハン神父
藤沢教会の皆様・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ブラジル在住 佐々木 治夫神父
横浜教区一粒会大会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 鈴木 祟代
国際ミサに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 伏見 奈緒子
「葬儀を考える集い」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 池田 恭子
2000年SVP 藤沢協議会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 高橋 剛
カンボジアの支援について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2001年度バザーコミッティ
バザー ☆10月28日☆Bazar・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部
「2001年平和のための合同祈祷会」に参加して・・・・・・・・藤沢2区 兼子 盾夫
中国人洗礼志願者との出会い
チリロ・マーフィ神父
「奇跡は本当に起こるの?」と疑問に思う人がいます。病気が治ったなどの大きな奇跡についてはたまに耳にしますが、実は、私たちの日々の出来事の中で、小さな奇跡はよく起こっているのです。そのような小さな出来事について、偶然だとか、運が良かったからだとか言う人もいますが、信仰の目から見ると、そこに神様の力が働いていたということがわかります。今日は、私が最近経験した、そのような小さな奇跡についてお話ししたいと思います。
でもまず最初に、藤沢教会の司祭が所属しているコロンバン会についてお話ししたいと思います。皆さんは、コロンバン会が中国での宣教を目的としてアイルランドで創立されたことをご存知でしょうか。1918年にコロンバン会が設立されてから、コロンバン会の司祭たちはほとんど皆中国へ送られました。後になって会員が増えてから、フィリピン、日本、韓国、南米などにも送られるようになりました。そのため、1950年より前にコロンバン会に入会した司祭たちは、自分は多分中国に行くのだろうと思っていました。
そのようなわけで、今日私は、自分が初めて出会った中国人の洗礼志願者についてお話ししたいと思います。この人との出会いは私にとって特別なものでした。彼はダビデという人でした。日本人のご主人を持つ、南米出身のクララという女性に連れられて、今年の2月、彼は藤沢教会を初めて訪れました。自分は中国出身で近く国に帰るのだけれど、その前に洗礼を受けたい、と私に話してくれました。私は彼が本当に洗礼を受けるのにふさわしいかどうかわかりませんでした。洗礼を必ず授けるという約束はしませんでしたが、今度会ってイエス様や救いについての話をする約束をしました。ここからダビデの信仰と洗礼への3ヶ月の旅が始まりました。
ダビデは30代のお医者さんで、医学をもっと学ぶために日本にやってきました。日本に来るときに、伯父さんに、教会に行ってキリスト教の勉強をし、洗礼を受けたらいいと言われたそうです。ダビデの家庭はあまり裕福ではありませんでした。彼を日本へ行かせるため、家族は貯金を使い果たし、借金までしたそうです。日本に行けば生活費や大学の授業料などをすぐに稼げると聞いていたからです。
でも日本での現実は厳しく、ダビデは苦しい日々を過ごしました。彼が日本に着いたとき、彼の全財産は5万円でした。ただ、語学学校の費用だけはあらかじめ払ってあったので、日本語の勉強を始めました。そこで同じクラスにいたクララに出会ったのでした。でも、語学学校の校則に反して彼がアルバイトをしていたことが学校側にわかり、退学処分になってしまいました。
長期間のアルバイトを見つけることはたやすいことではありませんでした。あるときはホームレスになり、公園で寝ていたこともあったそうです。借金を返すために、ダビデの家族は彼が稼いだお金を送金してくれることを心待ちにしていたので、実家に助けを求めるための手紙を書くこともできませんでした。
このようなとき偶然、クララに再会したのです。クララと彼女のご主人はダビデを自分の家に泊め、仕事を探すのを手伝ってくれました。ダビデは早朝に清掃のアルバイトをし、夜はレストランの皿洗いの仕事をしました。また、病院の清掃アルバイトもしました。そしてついに小さな病院で、医者の助手の仕事を見つけ、そこで3ヶ月間働きました。でもある日病院側からビザについて聞かれ、彼のビザが就労ビザではなかったことがわかり、仕事をやめさせられてしまいました。次にマッサージ治療院での仕事が見付かり、中国で医師の資格の他にマッサージ師の資格も取っていた彼はそこで働きました。でも給料が一向に支払われず、そこをやめました。(やめる時に院長から、治療院にあるものから何でも好きなものを持っていってよい、と言われ、ビデオカメラをもらったそうです。)そのようなときクララがダビデを藤沢教会に連れてきたのでした。
3ヶ月の洗礼準備期間の間、ダビデは週に2、3度教会に来て、私と聖書を読み、神様の救いのご計画についての勉強をしました。回を重ねるごとに彼の信仰が深まっていくのがわかりました。彼はいろいろな質問をしてきて、時間が予定よりも長引くことがよくありました。私は彼には信仰があり、中国に帰っても聖書の勉強を続けるだろう、と確信しました。そこで彼の洗礼を受けたいという望みを喜んで受け入れました。洗礼式は5月の第1週の英語のミサで行われ、彼は洗礼名としてダビデ・ペトロを選びました。ミサのあとにセンターの一室で小さなお祝いもしました。洗礼式やパーティーのようすは、例のビデオカメラで撮影しました(笑)。中国に帰ってからこの洗礼式のビデオを家族や友人に見せたいと言っていました。
ダビデはその3日後に中国に帰りました。ある日くれたEメールには、彼が無事に家についたこと、彼が洗礼を受けたと聞いて家族が喜んでくれたことなどが書いてありました。彼が家族を導き、藤沢教会で頂いた信仰と洗礼の恵みが家族にも与えられるようにと願っています。また、彼にはまだいろいろな困難があり、特に中国で医者としての仕事を見つけるのがとても難しいようです。皆さんもダビデと家族のためにお祈り下さい。
運営委員会では次の項目について検討したが、地区委員会と重複するので内容は省略します。
- 典礼委員会の聖堂内配置に関する方向付け
- 教会委員会の運営
- ガーデンパーティーの教会内での位置付け
- シャワールーム設置に関する方向付け
- 3プロジェクトのスタートへ
- 次期委員長候補の推薦プロセスについて
今日の委員会には福祉部と総務部の代表及びバザーコミッティーリーダーにも出席してもらった。
心身をリラックスさせるエクササイズの後、ルカによる福音(14・25〜33)について、しばし黙想した。
初金(9月7日)の集会でバザーキャンペーンパンフレットと賛助金袋が入った封筒を地区委員にお渡しして配布をお願いした。今年は「福祉基金バザー(アジア支援バザー)」ということで、バザーの収益金はカトリック信徒宣教者会を介してカンボジア国バタンバン州地域の福祉のために使います。また、賛助券の配布、回収は非常に苦痛だという声がありましたので、イースター献金と同じように純粋な寄付行為ということで、献金スタイルを採らせて頂きました。バザー会場は例年に近い形になると思いますが、バックヤードを省力化して楽して参加して楽しく盛り上げるというスローガンの下で、実施部隊が現場の方で皆様方をサポートいたします。
以上の報告に対し、信徒宣教者会の説明を含めてバザーの主旨のPRを徹底して欲しいという意見があった。広報担当チームが組んであり、パネル等を使ってPRして行く計画とのことであった。
8月26日の「シャワールーム設置を考える集い」では、小さい方のために早く設置しないとチャンスを逸してしまうという意見から断固設置反対という意見まで幅広く出された。これを受けた対応について検討した。尚、この地区委員会に先立つ9月6日の運営会議では再度幅広く意見を求める場を作ること及び、その際、設置する場合の具体案を明示し、これもベースに話し合うという案が決められた。
事務局より報告があり、行政に関しては、藤沢市のホームレス担当は生活福祉課で、昨日この件に関して話し合いをしたが、市長の方針が福祉行政も民で出来ることは民でやるということであり、民間のNPOが施設を作るのを支援することは出来るが、政令指定都市ではない藤沢市のような小さな都市で施設を作ることは難しい。市としては気心の知れた教会のようなところがやってくれればありがたいということであった。
討議では、設置する場合は早急に結論を出す必要があること、教会の施設としての位置づけ、管理運営の方法、若い人の意見の紹介などが出された。また、前回の公聴会でも巾広い意見が出ていることから、その意見の収集方法及びどのようなプロセスで結論を出すのかについて討議した。
結論としては以下の通り。本件は福祉関連の案件であることから、福祉部に取りまとめを依頼する。メンバー公募のシャワールーム検討チームを設ける。ここで賛否両論を含めて整理して、前回と同様の公聴会に検討材料を提示する。公聴会での多くの方々のご意見を踏まえて最終的には教会委員会が責任を持って決定する。結論は早急に出すものとする。
教会委員会の運営について昨年度末にフォーラムの答申を受け、従来は委員構成などについて暫定的な運用を行っていたものを、4月より教会委員会規約通りの運営を行い、9月までにその評価を行うことになっていた。今回、これまでの教会委員会で出された意見等を踏まえ、委員長から当面の委員会運営暫定案について説明があり、了承された。
- 基本的には現規約内で運営する。ただし現状に合わせて以下の運営を行う。
- 地区委員会は、現規約では原則2ヶ月に1回を現状の必要に合わせて毎月開催する。
- 各活動部担当の運営委員を決め、任にあたる。(継続)
- 必要に応じて運営委員会、地区委員会に活動部の出席を依頼するが議決権は持たない。
- 総務部は、原則地区委員会への毎回オブザーブ参加を依頼する。
- 活動部が、オブザーバーとして、地区委員会に出席することを推奨する。
- この当面の委員会運営については2000年フォーラムの検討チームに報告する。
尚、今回の評価の中では地区委員会の役割や、婦人部の問題など、規約にも係わる基本事項の意見も出されているので、この点については、今後の婦人部の問題等の推移を見極めた上で、時間をかけて検討し、前回のフォーラムのような形で再討議に諮る。
教会はマンネリズムに入ってはいけないということで、典礼委員会では色々考えて、前回は祭壇を中央にする試みを6週間行った。典礼委員会で検討した結果、前回は試行期間が短すぎたのではないかということで、前回の試行時に頂いた意見を参考にして問題点を改善した配置で、バザー終了後から来年の信徒総会まで半年間試行したい。また、待降節と四旬節間に皆さんの意見を聞く会を開催して、取り入れていきたい。今回の配置は、長野にあるベネディクト会の6角形の聖堂の祭壇を囲む配置を参考にしています。
この案に関して質疑応答が行われ、ころころ変えると落ち着かない等々、色々な意見が交わされた後、了承された。
今年のガーデンパーティーについては婦人部が実質的に動いていないため、運営委員会に於いて「今年は準備会を発足させ、有志により実施する」としたが、一部の方から、有志での実施ということは教会行事ではないのか、重要な行事ではないのかとの意見が寄せられた。9月6日の運営委員会では、当然教会の行事であることが確認された。有志という言葉は、過去に主に婦人を中心として、当番制ではきついという意見が出されており、その点を配慮したものである。来年のガーデンパーティー開催について12月の地区委員会で討議することになっているが、併せて、教会行事としての運営体制、教会委員会の係わり方等にいても検討をする事を確認した。
耐震診断の必要性の調査プロジェクトはメンバーを公募したが応募はありませんでした。事務局の方で堀祐吉氏(F2)、金子昌義氏(K2)、辻垣淑子氏(善行)、鈴木伸司氏(F3)の内諾を得たので、委員長から正式に依頼して9月23日から4名でスタートする。
教会のメンテナンス計画作成プロジェクトは耐震診断を行うか、行わないかで大きな影響を受けるので、上記プロジェクトの見通しが得られてから発足させたい。
将来の建築計画を考えるプロジェクトは岡田芳明氏(F1)が中心になって人選を進めている。みな忙しい年代なので発足は10月にずれそうである。
規約によると次期委員長候補者を地区委員会から推薦することになっている。地区委員会で候補を決めるにあたり、各ブロックから2、3名の名前を推薦して欲しい。候補者はそのブロックの人でなくても良い。また、委員長の役割は大変ですから、一人で背負うのは大変なので委員長、副委員長を含めたチームの推薦でも良い。次の待降節までに内定したいので次回の地区委員会(10月20日)に持ち寄って下さい、そこで推薦候補者を決めたいと思います。各ブロックの代表者ではなく、教会全体を見て活動して頂くので、政治的な考えから決めないで、祈りの後で決めて下さい。
- 地区割り委員会は休眠中です。(4月度教会委員会報告参照)
- 北の方の家庭訪問は北一ブロックが10、11、12月ということで準備を進めています。
- 16日9時半のミサは先日フィリピンで射殺されたコロンバン会のハリー神父様のために捧げ、16日のミサ献金はミンダナオ島でのコロンバン会の働きのために送ります。
ルーファス・ハリー神父の思い出
トーマス・テハン神父
8月29日、フィリピンの聖コロンバン会のハリー神父が帰天されたとの知らせを受け取った時、大変なショックを受けました。9月9日付けのカトリック新聞にはこう書いてあります。「聖コロンバン会のルーファス・ハリー神父(57歳)が8月28日、フィリピンの南部の小教区へオートバイで帰る途中射殺された。ハリー神父は、ミンダナオ島独立を目指す反政府勢力、モロ・イスラム解放戦線の兵士3人に同行を求められ、拒否したために頭を撃たれたと警察は発表した。身代金目的の誘拐を狙ったものと見られている」
1963年9月から1967年6月まで、ハリー神父と。私は聖コロンバン会の神学校で一緒でした。
40名の新神学生の中で、一番覚え易い名前はルーファス・ハリーでした。なぜなら、ルーファス・ハリーの髪の毛の色は自然な赤色でした。ルーファスとはラテン語で赤という意味であります。彼は私より背が高く、スポーツのうまい選手でした。紳士で相手のナイスプレーを応援したハリー神父、試合で勝つことより、よい試合であることを望みました。命の豊かさがあり、輝いた顔をよく見せました。友達に恵まれました。
フィリピンでは、イスラム教とキリスト教の間に様々な問題があり、ハリー神父はそれに対して何か出来るのではないかと思って自分の使命を持って、高位区内の総人口約85万人のほとんどがイスラム教徒という中で生活しました。イスラム教徒と対話するために彼等の言葉を学びました。
マタイ福音5・9に「平和をもたらす人は幸いである、その人は神の子と呼ばれるであろう」と書いてあります。
ハリー神父と彼の家族の皆さんに神の恵みと慰めがありますようにお祈りいたしましょう。
藤沢教会の皆様
ブラジル在住 佐々木 治夫神父
昨年11月にお送りいただいたファイバードラム缶3個の衣類を、先々月、入手できました。有り難うございました。通関のため4カ月半、交渉に時間がかかりましたが、お陰さまで何の盗難にも会わず幸いでした。すぐにお礼の手紙をと思いましたが荷物の開封が遅れ、お礼も書けず申し訳ございませんでした。全部で88個のドラム缶でしたので、これで1年は十分間に合うと思います。
日本は雨が足らないようですが、ブラジルも私たちの住んでいる南部を除いて降雨がなく、節電節電で大変です。政府の見通しの甘さと、IMFの金持ち中心の経済指導のしわ寄せが、電気だけでなく、生活全体にわたり国民の上に大きくのしかかってきています。
先日もブラジル地理統計院からの公式発表で、ブラジル人口の30%にあたる5000万人が貧しさ以下の“ミゼラブル”であるという記事が出ていました。ブラジルは世界8位の経済大国ですが、貧富の差の大きさが世界4位です。世界一のカトリック国ということは、一体、何を意味しているのでしょうか、どうして“神の国”から一番遠いこれほどの貧富の差ができてしまったのでしょうか。
先日、ブラジル全国の司教会議が300名以上の司教を集めて行われましたが、そのメインテーマは“貧困者対策”です。しかし、約半数の司教は“教会はもっと霊的面に力を入れ、政治面から離れるように”と主張していました。解放の神学への反動でしょう。歴史を見ても、社会も教会も上から良くなったことはありませんから、下から改革していく以外に方法はありませんね。
昨日、ここサンジェロニモで“土地の巡礼”が行われました。4か月の準備の後、約2万5千人が集まるという、この町始まって以来の大きな出来事でした。シスター共々、今日はくたくたですが、皆の喜びは最高です。市役所のひどい反対もありましたが、パラナ州全体のエクメニカルな大会で、そのすばらしい組織力と創造性は参加者全体を熱気の渦に巻き込んでくれました。この“土地の巡礼”は聖書のメインテーマですね。アブラハムやモーゼの土地を求めての巡礼を思い出しながら、人々を不正と抑圧から解放し、もっと祝福された土地へ導いてくださる神への信仰を深めていく預言的大会です。ブラジル的明るい喜びに満ちたもので、苦しみのうちにも喜びと希望を失わないすばらしい貧しい人たちの大会でした。司教さんが3人、教区の司祭全員が参加、私たちの教区の教会ではミサは行われませんでした。テーマは“生命の尊重、人類に生命を与えてくれる自由な土地、流れる水”で、午前中は社会の不正にたいする抗議を中心にした集会、午後は、50km離れた所の大河のほとりに移動しての、エクメニカルな明るい儀式が行われました。
サンジェロニモに水力発電所のダムを作る計画に反対し、世界的に飲料水が不足して来ていることと、この建設でインジオたちの土地が失われることに注意を向けられました。ブラジルの大きな河には、ダム建設以前に130種類程の魚がいましたが、今は、14種類に減ってしまいましたし、止まった水を飲料水にすると、流水の浄水料よりも百倍もの費用がかかること等、日本では報告もされていない被害があるようです。また、土地なしには生きることの出来ないインジオから、もっと土地を取ってしまうことは彼らを殺すことだということも強調されました。
先ずは、お礼方々、ブラジルの生き生きした教会の近況まで。
2001年8月20日
8月5日 11時よりテハン神父様の挨拶と祈りと話で始まり、主旨説明は川辺さんによって行われました。
その後、グループに別れて話し合われました
話しのポイントは
@ 聖堂配置の件(アンケートも含めて)思った事、 感じた事など
A これからどうしていったら良いと思いますか
各グループの報告より ()内の数字は同一意見の数
@ 聖堂配置の件(アンケートも含めて)思った事、感じた事
- この建物自体は囲む形になっている、祭壇の位置を変えてよいと思う
- 小聖堂の前であずかったら、食卓の外れに呼ばれた気がした
- 違和感なし 囲む形に適している教会 (4)
- 元に戻ったとき淋しかった。囲む方がよい
- 皆も中央に集まると良い。集中でき一緒に歌え祭壇が近く元気な共同体の顔が見える (3)
- 家で祈るときも、ミサで祈るときも共に祈り食卓を囲む、聖体拝領の混乱も慣れてくるとなくなってきたと思う
- 皆が主役である。(神ー私ー仲間) 共同体の感覚が養われた。
- 祭壇がもっと真ん中でも良かった 聖歌隊は正面でない方が良い
- 工夫で変わると思う よりよい物に変えていく事は良いと思う
- 共同体意識を持たない人には落着かないかもしれないが、あたらしいことに挑戦をしてみる事が大切
- 全体としてとても良い、聖歌隊として不自然さは感じなかった
- 一体感があって、交わりと一致を感じられた
- 聖歌隊の場所は少し嫌だった
- 周りの人と聖堂内に座った人で意見が異なった・いずれ落着くだろう
- 全体として良いと思う。昔からの信者なので長方形の方が落ち着くが祭壇が(お聖堂の中心にあるのは後ろに座る人にとって司祭の後ろ姿を見ることになる)ことと(司祭の)声が聞こえにくくなることから馬蹄形の方が良いと思う。将来的には祭壇の上段をはずす事を考えた方が良い。
- 長方形の方が特別と言う感じがする。どちらかと言えば丸く囲む方が良い。違った形でやる事の意味があるのだと思う。先唱者も会衆の一部だと思うがどうして特別の場所でなければならないのか
- 囲む形に賛成 皆の顔が見えて嬉しかった
- 私達がミサに集められたのは「日曜日のミサに与かる」ために集められたのではなく、共にミサを捧げ、一つとなるために集められた。そのためには共同体一人々が家族の顔を見ながら食卓を囲み(食事をする)ことも大切と思う。
- 反対の方のご意見も大切にしながら、多数の賛成の方々と共に一歩々歩みながら主の食卓に向かいましょう
元の方が良い
- 信徒一人一人、つながりを大切にする事が強調されると、神と自分との祈り(語らい)に集中できない
- 主日の、共同体のミサの形を追求する前に、後の6日間の会社 ・学校 ・家庭 ・仕事の中での神との共働を意識し探るべきではないか
- 聖堂内につられている十字架の下に祭壇がないのは違和感がある
- 象徴としての十字架は大切にされるべきではないか。
- 湘南の他の小教区の方も関心を持ってミサに参加される方もいる。共に模索する姿勢は大切と思う
- 当惑していた 元に戻った時ホットした 神に向かう自分はいつもガサガサしてるので静かさが欲しい
- おちつかない 第二バチカン公会議前、いいのか悪いのか分からないが、いつも定位置に慣れ親しんでいたので、そこに座ると落ち着いて祈れるが、しかし、落着かないと言う気持ちは慣れの問題もあるので形から入るのも良いのかもしれない。次第に慣れて落ち着くようになるかもしれないと思う
- 葬儀ー参列者に取ってはどちらの形でも良いのではないか
- 結婚式ーバージンロードの短さが淋しい
- バージンロードなどは当事者たちに使い方を考えて貰うのも良いのではないか?
- 案を準備しておくのも必要と思う
A今後どうしたら良いと思いますか?
新しい試み
- 八角形は現実的には反対 集中できない
- 建物自体が「八角形」という事で、十分食卓のイメージを果たしている
- 踏み込みすぎては、祈りの妨げになると思う
- 今回のフォーラムのように、話し合い、練り上げていくプロセスを大切にしたい
- 今のままで盛り上がりを大切にしたい
- 外国人との関係や、色々話し合いが必要だが半年ずつ形を変えてみたらどうか
- 老後は囲む方がよい
- 1.2ヶ月は短かった 1年ぐらい試行して色々な形で考えてみてやった方がしこりがのこらない (3)
- 教会共同体のやり方は私達だけのものではない、社会に開かれたものである
- 司祭だけが中心ではない 皆がつくるものと思う
- もっと全体が解るようにミサの勉強会をして欲しい
- 祭壇をもう少し奥にした方が良いのではないか
- み言葉の祭儀と感謝の祭儀は別れたのは、メリハリがあって良かった
- 司祭に、奉献などもう少し動作を大きくして欲しい(後方からミサに参加している人のために)
- 前の方が良かったが、多い方で良いから、考えてばかりいないで行動した方が良い 試行期間が短かったと思う
- ベンチや椅子の配置を考えること
- どちらかというと丸い形が特別な場所と言う概念がある
- 先唱者、奉仕者、聖歌隊という人達は段を下げた方よい
- 先唱者についてもっと考えて欲しい
- 今回の事を通して、私達一人一人が与えられている物で満足せず、よりよいもので、より福音的なものを目指して行かなければならない、自由に考えて良いのだという事を示唆された。またこれまでのものにこだわることなく多少抵抗があったとしても新しい物を受け入れて行こうと言う姿勢の見える方がおられて素晴らしいと思った。
- 小聖堂の泣部屋は辞めた方がよい、聖櫃の前で騒いででいるのはどうかと思う。
- 参加している大人も、子どもといっしょにという意識よりも自由にしている
- 小聖堂とは別に一部屋を区切って、泣き部屋を作った方が良い
- 1965年に出会った神父様によって典礼について根本から考えるようになった。日常生活とミサの関係を主に考えている。又、お茶室と教会の関わりにも深く関心がありお茶の「一期一会」つまり生きる本質を探る所からその精神を表せる教会(建物)を建てたいと思っている日常生活から切り離されて神に結ばれて一つになる、共同体が生まれる。私たちには聖なる場が必要、お聖堂のなかはすべて聖な る場だとおもう。形ではなくその使い方、働きが必要。ミサは食卓を「拝む」ではなく「囲む」もののはず。これまでの形だとどうしても「拝む」感じが強い
以上の報告会の記録と、アンケートでも賛成の多かった囲む形を創って行く事、ご指摘頂いた聖歌隊の事、聖体拝領の問題、等も検討しながら7月1日の國井神父様の講演を参考にして神父様・事務局長 ・典礼部担当の教会委員長 ・副委員長と共に典礼委員会で話し合い、10月より下の図の様な形を試行してみる事にしました。
今回の案は最終案ではありませんが、 アンケートの結果から出てきた、疑問点、問題点を考慮し典礼的な見地から提案された形の一つです。
◎國井神父様の講演より(八角形にゅーす8月号に記載)
- ミサを捧げる主体はキリストに結ばれたキリストの体である我々共同体であり、司祭も司式者として参加し奉仕します。
- 共同体にはいろいろな役割があります、司式者 ・会衆 ・朗読者 ・先唱者・聖歌 ・オルガン・侍者 ・奉納 ・共同祈願 ・案内等 。出来るだけいろいろな役割を担えるようになれると良いでしょう。以前は気が付かなかったことが、はるかに良く理解できるようになり、共同体の典礼の豊かさが身についてきます。
- 一つの役割を通して奉仕するときも、他の役割がわかっているとはるかに良い奉仕が出来ます。よい奉仕を通して共同体全体が豊かになります。
- 場所についてもこうでなければならないと言うことはなく、これ以外の形も考えられます。いろいろ可能性はあります
- 今、教会はいろいろ工夫しています。もっと新しい形が生まれてくるかもしれません
- バザー終了後、配置を換えて来年4月までの、教会にとって大きな典礼行事をご一緒に過してみたいと思います
- この期間にも、進めていくうちに皆様方が気付かれたことや、ご意見、ご感想を聞く機会を作ってまいりますが、典礼委員にはいつでもご意見をお聞かせ下さい。
(典礼委員会は毎月、最終木曜日夜7時より 303号室です)
横浜教区一粒会大会
辻堂1区 鈴木 祟代
9月15日(土)山梨県忍野村の聖ヨハネ学園を会場に第34回横浜教区一粒会大会が開催されました。藤沢教会からは、テハン神父様とともに、朝早い出発にも拘わらず近隣の教会の方約30名を含め、バス2台約100名での参加となりました。今回はベトナムコミュニティーから20名以上、そして南米コミュニティーや韓国人のご家族の参加があり、子供も多勢いて、行き帰りのバスの中では各国語が飛び交い、子供達の元気が溢れていました。子供からお年寄りまで、幅広い年齢層が集い、国際色豊かな、藤沢教会らしい参加となったように思います。また、バスの中では米山リディアさんが、米国同時多発テロの犠牲者のため、犯人の改心のためにと祈りをこめて“アメージング・グレース”“エーデルワイス”を歌ってくださいました。
今大会のテーマは「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである」(マタイ19・14)というものでした。
午前中は、典礼聖歌の作曲家として有名な新垣壬敏氏の基調講演が行われました。
「やさしく話すということは、大人にも子供にもわかるということ、わからない言葉で言われても心に響かない。(典礼を自国語で、となったのはこのため)子供の歌というと、理解できないからと質を下げてしまうことが多いが、子供には理解できなくてもちゃんと教えることが必要で、評価を下げてしまってはいけない。子供のための聖歌と言っても、大人が歌っても照れないような歌を」という話の合間には、新垣氏作曲の子供や召命をテーマにした曲が紹介されました。また、私達の信仰を生活の隅々に表わすために、詩吟や盆踊りの曲があってもよい、とのお話もありました。
午後は渡辺裕成神父様とファム・ディン・ソン神父様がそれぞれの召命体験を話されました。
渡辺神父様の「素朴に聖書を読み、素朴にキリストに従う」というお話や、神学生時代に指導司祭から「神学校は通過するところだからあせらずに」と言われたというエピソード等は、神父様のお人柄や生き方がこちらに伝わって来るような感じでした。
ベトナム人であるソン神父様のお話は、子供の頃、他の男の子と同じように「大人になったら神父になりたい」と言っていた時から、大きな試練を幾つも乗り越えて司祭叙階に到るまでの感動的なお話でした。とてもわかりやすく聞き取りやすく話され、話に引き込まれるような感じでした。
大会記念ミサでは梅村司教様の次のような説教がありました。
「いつの時代であっても司祭職は私達の信仰生活に必要不可欠なものであり、神様からの何よりも尊い賜物です。司祭を含めて教会は罪人の共同体であることを忘れてはいけません。イエス様ご自身が、たびたびつまずくような者達を弟子として選び、救いの完成のために働かせた。かえって罪人だから私達を呼んでくださった。人が他の人を受容れる大らかさを持ち、寛容に、自らを惜しげなく人のために捧げる時、共同体に召命を神様はくださるでしょう。この信仰のもとに祈りましょう。」
若い司教様、若い神父様方の頼もしい姿に、横浜教区の明るい未来が感じられました。同時に、永年日本で働いて来られた神父様が共にミサを司式し召命のために祈る姿には、頭の下がるような、神々しさを覚えました。
一粒会は、司祭の召命、神学生の養成を、祈りと献金そして行動で支える会です。一人でも多くの方が会員となってくださって、召命のために祈り、献金で神学生養成を支援してくださることをお願いいたします。
横浜教区一粒会大会は、毎年開催されております。会員で有る無しに拘わらず、参加をお待ちしております。
国際ミサに参加して
辻堂2区 伏見 奈緒子
9月16日の午後1時から、英語・日本語・スペイン語・タガログ語・ベトナム語・韓国語による国際ミサが行われました。それぞれの言葉での聖歌や朗読・奉納があり、国際色豊かなミサでした。
福音では、ルカ書の『「見失った羊」のたとえ』と『「無くした銀貨」のたとえ』が日本語で読まれました。神父様のお説教は、日本語でお話された後に同じ内容を英語でお話されました。『神様は、私たちのうち一人が欠けていても寂しさや悲しさをお感じになります。また、一人の人が罪に気づいて回心することをお喜びになります。』ということがテーマでした。神父様のお話によって福音を分かりやすく理解することができたと思います。
共同祈願では、平和・教会・子供・和解・移民をテーマにしたお祈りが参加者それぞれの言葉で捧げられました。国や民族が違っても、神様の子供として願うことは一緒なのにどうして争いや戦争が絶えることなく起きてしまうのかと感じました。世界で抱えられているそれぞれが一日も早く解決して欲しいと願ってやみません。
ミサ中、もっとも印象的だったのは主の祈りです。参加した人たちがみんなで手を繋ぎながら、自分の国の言葉で唱えました。言葉こそ違うけれど、みんなが一つになっているように思えて感動しました。
閉祭の歌の後には自然と拍手が起こり、よい雰囲気でミサを終えることができました。
ミサ後には、教会のお庭でパーティーが開かれました。少し暑かったですが、よいお天気に恵まれてよかったです。中高生会と青年会によって準備されたお茶やお菓子を手にしながら親睦を深めることができました。ステージ上では第二聖歌隊によるアメージング・グレースとソーラン節やフィリピンコミュニティ、ベトナムコミュニティによる歌の出し物が行われ、手拍子をしたりすることで一体感を感じることができてとても楽しかったです。最後の方には、ティム神父様も英語で歌を歌っていらっしゃいました。
普段は別々のミサに出席している人たちが一つの場所に集うことはあまりありませんが、今回の国際ミサとミサ後のパーティーはよい機会でした。同じ教会の仲間として、もっと頻繁に交流することができたらよいと思います。またこのような機会があったら積極的に参加したいです。
藤沢ブロック集会「葬儀を考える集い」に参加して
藤沢3区 池田 恭子
「死は盗人のように来る」 足音を忍ばせて全く思いがけない時にやって来る。
9月9日藤沢ブロックで行われた「葬儀を考える集い」の説明会では、私たちがより良い人生を生きるために、生の延長線上にある「死」についてあらためて考えるきっかけを与えていただきました。
テハン神父様出席のもと40数人の集まりの中で、活発な意見、質問が続出したことからも、人々の関心の深さが伺えました。実際に直面した時、多分戸惑うであろう具体的問題をQ&A想定質問の形でいくつか、後日ファックスで送られて来ました。
これらを一つ一つ検討の上、手引き書の付録としてまとめていただければ、きっと良き助け手となってくれることと思います。
神父様のお話からは、葬儀のもつ意義を再認識させられ「私の葬儀は近親者のみで・・」を望んでいた者としては軌道修正を余儀なくさせられた感じです。
確かに葬儀の儀式書には「教会の葬儀は死者のためにのみを目的としているのではない。生者のために祈る場でもある。神ご自身が、悲しみのうちにある遺族の力、励ましとなってくださるように祈ると同時に、洗礼によってキリストの死に結ばれた者が、その復活にも結ばれることができる、という復活の信仰を新たにし、宣言する場でもある」と書かれています。
誰にでも確実にやってくる死。
私たち信者にとって死は終わりではなく、新しい生命のはじまりである、この時間と空間を越えたすばらしい信仰をあかしする時にむかって準備するよう心掛けたいものです。
2000年SVP 藤沢協議会報告
六会 高橋 剛
2000年度もひき続き病人、老人、身障者、母子家庭の訪問、病院や老人ホーム等の施設訪問、在日外国人の教育費の援助等を行いました。身障者とのかかわりについては、約6年間続けた一児童の特殊療法が本人の成長に伴い、援助は困難になり、先方からの申し出もあり、中止することになりました。クリスマスプレゼントとして山手協議会からの呼びかけに応えて外国船員のための手編みの毛糸の帽子を19個送ることが出来ました。今年はもう少し早くから皆様にお知らせしますので、よろしくご協力下さい。
今年は日本のSVPの全国大会がありますので、大会の報告も含め、SVPの日本および世界の状況については次回に報告いたします。
なお仙台協議会の若い会員が起案作成したパンフレットをお聖堂内に置いておきますのでご覧ください。
バザー報告第3回カンボジアの支援について
2001年度バザーコミッティ
来る10月28日開催する2001年度のバザーの収益金を、カンボジアの辺境の地で、未だに内戦の後
遺症に苦しむ人達への援助に使うことにしました。この援助は今回限りではなく継続的に関与して行くことを意図して、「福祉基金」の設立を検討しています。皆様のご協力を引き続いていただくために、ここに至りました経緯を以下にまとめます。
収益金を効果的に活用できる方向を検討した過程で、同じ金額なら海外で使用すると何倍にも有効に活用出来ることを知り、私達の住むアジアに視点を向け、この中で援助を必要としている国々、すなわち、カンボジア、東チモール、フィリピンの現状を調査しました。これらの国々には、日本をはじめ先進諸国から毎年多額の資金援助、技術協力が行われており、沢山のNGOが活躍しています。カトリック教会もこれに協調して、主として貧困層の人々を対象として、医療、教育、職業指導を行っています。日本からは、カトリック信徒宣教者会(JLMM: Japan Lay Missionary Movement)が信徒を派遣して活躍しています。
このJLMMの事務局長を、藤沢教会出身の山口道孝神父が奉職されておられることから、山口神父からこれら3国の事情と、援助ニーズの優先順位を伺い、カンボジアの西北部バタンバン州を選定しました。この地区は、長らくポル・ポト派の拠点となっていたため、戦乱の傷跡が今も生々しく残っています。未撤去の地雷が推定300万個残っており、生活に必要な薪取りで森の入る女性・子供が毎月百人前後犠牲になっています。犠牲者の医療機関も、リハビリ施設も全く不足しています。無償の義肢提供・メンテナンス施設も数が少ないため、そこに通うことも出来ない人が多くいます。学校に行けない子供たちが多数います。また、ベトナムから川伝いで逃れてきた難民達が、川の上で船上生活、または川辺の仮小屋に生活しており、これらの人々の医療、衛生、教育の場も求められています。ベトナム系難民と、カンボジア住民との和解のためにも、別け隔てのない援助が必要です。
山口神父は、援助は、ただ単に資金を提供するだけではなく、藤沢教会の人達が参加出来る継続性のあるものを強く求めておられます。具体化にあたっては、JLMMを通して、どの組織と手を組み、どのような援助が出来るのか、実施はどのようにするのか等々の検討が必要です。また藤沢教会としての窓口も必要です。今後の進展を逐次ご報告いたしますので、皆様のご助言とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
バザーとは、語源的にはペルシャ語でbazar「市場」の意味のようです。そこは、売店や専門店が立ち並び、数多くの人びとが行き交う活気あふれる広場です。欧米では、チャリティーのためのバザーという意味合いがあるようです。
今年は、福祉団体やボランティア・グループが20店参加します。ほとんどのお店では自主製品が売り出されます。皆さんたくさん買って下さい。自主製品とは、福祉施設や作業所で入所者や通所者が自分たちの手で作った製品です。売るためですが、製作することが勤労であり、生きている証のひとつなのです。
「2001年平和のための合同祈祷会」に参加して
藤沢2区 兼子 盾夫
皆様ご存じのように、第二バチカン公会議以降、カトリック教会はエキュメニズム(キリスト教会の一致)のために「別れた兄弟たち」と様々な共同作業を重ねて参りました。当教会もまた20数年前からこの精神に則り、市内の新教諸派と合同祈祷会(年2回)、市民クリスマス等、共同のイベント開催に携わって来ました。私自身も「平和のための合同祈祷会」に何回か参加しましたが、今回は特に盛り上がったように感じました。この場をお借りし、合同祈祷会のあらましとその後の交流について簡単にご報告致します。
8月25日(土)午後2時から3時迄、日本キリスト教団藤沢教会(南口の、もう一つの由緒ある教会)において、市内十三教会と一無所属団体からなる計110名の参加者が、市内キリスト教会の一致と世界平和のために、心を合わせ、心に祈りました。今回のように、市内在住の大勢のキリスト者が平和と教会一致のために共に祈ることができたことは、世界中で平和が叫ばれている現在、とても大きな喜びでした。
祈祷会は当教会のティム神父様(当教会の関係者として計4人の神父様が御出席)の司式で、基調においてプロテスタントの礼拝のスタイルをとって行われました。すなわちオルガン演奏(前奏)に始まり、賛美歌を歌い、司式者と出席者が交互に詩篇からの言葉を唱え(交唱)、その後に聖書から「詩篇51章5〜6節」、「エフェソの教会への手紙2章1〜10節」と「ヨハネ3章26〜30節」の三箇所が、片瀬教会、教団片瀬教会、聖マルコ教会の信徒によって朗読されました。続いて「あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し」(詩篇51章6節)と題する「すすめの言葉(奨励)」が鵠沼ルーテル教会大和師によって、いかにもプロテスタントらしい熱の籠もった語り口で行われました。次にそれをうけて出席者は祈りを捧げ、黙祷します。その後、聖フランシスコによる平和の祈りを歌い、平和の挨拶を交わします。さらに、主の教えに背いて、この地上で平和を欠いている私たちのために「取りなしの祈り」を参加した十一教会の中の七つの教会の信徒が朗読し、全員で「主よ哀れみを」と応唱しました。いちばん最後に「主の祈り」、結びの祈り、司式者による祝祷、賛美歌、再びオルガンの演奏(後奏)で祈祷会は終わりました。その間、約1時間。その後、50分位、階下の幼稚園の教室で小さな椅子に腰掛け、とても楽しい交流の一時を持ちました。事務局の労をねぎらい、会場と茶菓を準備いただいた教団藤沢教会への謝辞、島本牧師様の歓迎の挨拶、参加者数・献金額(56、488円)の発表と各教会・団体の挨拶兼自己PR等々に対し、笑いと拍手が巻き起こり、散会しました。
5(金)初金ミサ・初金の集い
6(土)敬老コンサート 午後2時
7(日)ミニー バザー(藤沢2区 主催)
14(日)壮年の集い・スカウト入団 上進式
28(日)教会バザー
藤沢教会保護聖人シモンとユダの祝日