八 角 形 に ゅ ー す

2002年1月6日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

2002年 新年おめでとうございます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マーフィ神父

教会委員会報告

ルカ福音書を祈るシリーズ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・M・ハンラティ神父

江の島親睦旅行報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 大谷

親睦旅行に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 澤内

第29回「藤沢市民クリスマス」を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 梅澤

ボーイスカウト・クリスマス会

クリスマスの聖劇を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 日野水

クリスマスの家族ミサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野

「親子で集うクリスマス」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 八木

1月の主な行事

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2002年 新年おめでとうございます
マーフィ神父

新しい年の初めにあたり、今年が去年よりも良い年となり、この一年が神様の恵みにより喜びと幸福に満ちたものとなるように、多くの人々が願っていることでしょう。今年も苦しいことや困難があるかもしれませんが、聖パウロが言うように、神を愛する人々のために益となるようにすべてが互いに働き合う(ローマ 八章二十八節)ことを私たちは信じ、祈っています。

去年の今頃、私は藤沢教会へ赴任してきました。ここでの生活はどのようなものになるのだろうと考えていたことを思い出します。そこで今日は、私が藤沢に来て、特に印象に残っていることを皆さんと分かち合いたいと思います。

藤沢教会に来るまでは、私は小〜中規模の小教区でしか働いたことがありませんでした。ここに来る前にいた千葉寺教会には六百人の信徒が所属していました。でも藤沢には三五〇〇人以上の信徒が所属していて、何もかも規模が大きいことを感じました。例えば、藤沢の日曜朝七時のミサに参加する人は、千葉寺でのミサ二回分の人数よりも多いです。また、日本のコロンバン会の小教区での日曜のミサ一回に、六百人もの人が来るということも初めての経験でした。また、クリスマスのミサには二千人以上の人が参加することも驚きでした。

そして、私が働いてきた他の教会と比べて、藤沢の雰囲気はだいぶ違いました。たとえ信者でなくても教会に興味を持っている人が多いことを感じました。その一つの理由として、この地域にはミッションスクールが多い、ということがあるのではないかと思います。他の地域では、信者でない人たちにとって教会はなかなか行きづらい所のようですが、藤沢では、信者でない人も道で私に挨拶したり、教会を訪ねてきたり、洗礼を受けるためにキリスト教講座を受けたりしています。

藤沢ではたくさんの人々が教会のいろいろな仕事に携わっているということも大きな喜びでした。特に、洗礼の準備のための講座のリーダーとして、多くの信徒の人達が働いて下さっていることには驚きました。またある人は、教会を掃除したり、お花を生けたり、祭壇をきれいにしたり、朗読、聖体奉仕者、待者、聖歌隊のメンバーなどとして典礼に携わって下さっています。このような奉仕をして下さる方々は他の教会にもいましたが、藤沢では特にその数が多いと感じました。また、ミサの手伝いをしたり、いろいろな行事をスムーズに進めるために陰の力となって働いて下さっている男の人の数が多いことにも感銘を受けました。

それから、今まで働いてきた教会の中で、ホームレスの援助をしているのは藤沢が初めてでした。私が東京の豊島教会にいたとき、池袋の周辺にはたくさんのホームレスがいましたが、教会には援助のためのグループは特にありませんでした。そのため、藤沢の人達が、ホームレスを助けるため真剣に努力しているのを見て、本当に嬉しかったです。でも、ホームレスの人がアルコール中毒だったり、周りを汚くしてしまったり、公共の物を壊してしまったり、暴力をふるったりするのではないか、などと心配する人達が中にはいます。ホームレスへの援助をうまくやっていくためには、このような問題にきちんと対処していかなくてはなりません。

このような問題の一つとして私たちの共同体に、ホームレスの人達のためにシャワールームを設置するかどうか、という問題が持ちあがりました。この事についていろいろな議論がなされていますが、これは私にとって、今年とても印象に残ったことのうちの一つとなりました。どこの共同体にもあるように、賛成や反対など様々な意見を持つ人がいて、真剣な議論がなされます。議論に参加している人達は皆、共同体とホームレスの人達のためにどうするのが一番良いのか、そして、今現在何をするのが良いのか、ということに思いを寄せています。このようにオープンで、時に白熱しても他の人達への敬意を忘れずに意見を交し合う小教区を見たのは初めてでした。皆が賛成・反対両方の意見を理解し、神様が私たちに何を望んでおられるかを見極められるように努めていました。このようなことは大抵困難が多く、時には苦しみ、そして分裂を生み出すこともあります。でもそれが起こらなかったということは、この共同体が成熟している証拠だと思いました。

解決すべき問題はこれからも起こることでしょう。でも私は、藤沢の共同体がホームレスの人達を援助して下さっていることを神様に感謝しています。この数ヶ月私は四、五人のホームレスの人達と接してきました。彼らは毎日朝早くから教会の周りを掃除したり水をまいたりしてくれています。このような姿を見る時、神様に感謝せずにはいられません。

今年もいろいろな問題があるかもしれません。でも聖霊の助けによりそれらを乗り越え、そして私たちの共同体だけでなく、隣人であるすべての人々に喜びをもたらすことができるでしょう。このような藤沢教会での体験を通して、私自身霊的に豊かにされたのでした。



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教会委員会報告

T.運営委員会報告(12月11日(火))

運営委員会では次の項目について検討したが、地区委員会と重複するので内容は省略します。

U.地区委員会報告(12月15日(土))

 本日の委員会には典礼部長、宣教部長、バザーコミッティ・リーダー、次期副委員長内定者もオブザーブ参加をした。

 1.静思のひととき

心身をリラックスさせるエクササイズの後、イザヤの予言(35・1〜6a、10)について、しばし黙想した。

 2.バザー寄付金の取扱い

バザーコミッティーの石黒リーダーに2001年度バザー報告をしていただいた。委員会ではその収益金約350万円の扱い方について検討した。収益金は一度全額教会に寄付し、その中から300万円をカトリック信徒宣教者会(JLMM)の中に設ける「カンボジア福祉基金藤沢(Fujisawa Toule-sap Partnership)」に再度寄付する。従って、基金はJLMMのものとなり、その管理はJLMMの下で藤沢教会の信徒も協力して行う。一括寄付ではなく基金設立資金としたのは、JLMMの山口神父からのアドバイスで継続的な運動にすることを目的にしたためで、今後も信徒の皆様の支援をお願い致します。以上の件について了承した。

3.次年度教会委員会体制とその運営方法

  主任司祭から次期教会委員長、副委員長について次のような報告がありました。各ブロックから委員長に推薦されていた片桐さんと話し合って、副委員長を含めたチームでやるなら可能であるということで決めました。委員長は片桐福子氏(鵠沼1区)、副委員長は篠沢敏雄氏(藤沢1区)、興膳美保子氏(辻堂1区)、三神喜信氏(大庭)の3名です。オーバーラップさせて引継ぎをスムーズにするために、現在の教会委員会のメンバーでない方も12月の委員会からオブザーブ出席するようにお願いしました。

チームの構成は女性2名、男性2名であり、所属ブロックも分散しており、大変バランスが取れている。副委員長が3名になっても教会委員会規約には人数の規定がないので規約上の問題はない。婦人部や委員会運営に関連した規約改定の必要性検討は新しい委員会メンバーに任せることにし、次の信徒総会には規約改定の提案はしない。

 4.地区委員(5名)と活動部長の次期委員選出について

  地区委員の任期は規定にはないが慣例で2年になっており、各ブロックとも交代すると思いますが、1月の委員会までに決めて頂きたい。また、活動部の部長も交代するところは同じタイミングでお願いしたい。

 5.信徒総会予定変更

  信徒総会は4月7日(日)に予定していましたが、諸般の都合で堅信式を4月7日に行うことになり、信徒総会の日取りを変更することになりました。候補日としては3月17日と4月21日がありますが、準備の都合上後者にしたい。本件は了承され、信徒総会は4月21日(日)に変更になりました。

 6.来期の活動計画集計に向けてのお願い

  各ブロック、活動部の2002年度活動予定と予算を今日お渡しした表に記入して1月18日までに事務所に提出して下さい。活動部の中で更に会に分かれて活動し、予算を組んでいるところは1枚ずつ分けて提出して下さい。また、予定や予算はなるべく精度を上げて提出して下さい。

  これに関連して、教区の予算は1月から12月になっているので、藤沢教会もこれに合わせようかという話が出ています。その場合は、来年の9月頃に、年度の途中ですが見直しをして、2003年の1月から12月までの活動予定と予算を出してもらうようになると思います。

7.プロジェクトの進捗状況

(1)シャワールーム設置検討プロジェクト

   第1回目の会合を行い、設置場所、資金、運営・管理体制について話し合いましたが、結論は出ていません。先程、建設の見積りが出たので、近々、第2回目の会合を開きます。

(2)修繕(メンテナンス)長期計画プロジェクト

  本プロジェクトのメンバーも公募したが応募者はいなかった。そこで、総務を中心に耐震診断チームのメンバーにも加わってもらって、進めていきたい。

本件に関連して、耐震診断結果について検討し、震度6の地震に耐えるということで、建築物に対する地震対策は行わないことを確認した。

(3)将来の建築計画を考えるプロジェクト

  月に1回位のペースで、教区の考えや教会の将来像や近隣の教会のこと等を考えながら意見交換を行っている。将来的には片瀬教会の若い人達も入れて話し合っていきたいと考えている。

8.活動部から

(1)典礼部関係

典礼部から16日の典礼フォーラムについて説明があり、実施方法の詳細について検討した。

主任司祭から、混乱防止のために、主日の九時半のミサで聖体拝領を次のように行うという話があった。聖体奉仕者が五人のときは一人は小聖堂で行い、真ん中は四人で行うようにし、四人のときは真ん中で四人が行い、終わったら小聖堂へ行くようにする。

(2)広報部:復活祭特集号は3月24日に発行して、3月、4月合併号とするという報告があった。

(3)福祉部:福祉基金が300万円弱あるが、現在は活用していない。基金を使ってゆき、減額分をミニバザーや献金等で補うようにしたらよいのではないかという話しがあったが、色々な意見が出されたので、結論は次回に回した。

(4)財務部:11月の収支は+10万円でした。1月から11月までの11ヶ月間では800万円の赤字が予想される。このうちセンターホールの空調設備の改修費650万円を大規模修繕費として修繕積立金からまわすことにすれば、残りの収支は12月の結果次第ということになる。主任司祭から、歳入が落ち込んでいるので、皆で節電等により支出の削減に努めてもらいたいという要望があった。

9.その他



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ルカ福音書を祈るシリーズ・イエスを見失い、見いだす(ルカ2章41〜52)
M・ハンラティ神父

弟子はイエスとの‘新しい’関わりへと絶え間なく呼びかけられる

☆前置き

ルカは、彼のキリスト者共同体の中の、新しくイエスの弟子となった人々のために、書いています。彼らがイエスにより近づき、より親しくなるために、彼らの心の旅を助けたいのです。イエスとの親しい交わりへの招きは、絶え間なく深められていくものであることを、ルカは福音書のはじめから強調します。それは、弟子が今まで思っていたよりもずっと偉大なイエスに出会っていくため、絶え間ない呼びかけなのです。それは、今まで知らなかったイエスの面、イエスの深さに常に出会っていくこと、すなわち常に‘新しい’イエスに出会っていくことを意味します。マリアとヨゼフの話を使って、ルカはこのことを強調します。また、この‘新しい’イエスに出会った時に弟子はびっくりして混乱します。イエスは、進んでこの弟子の所に留まり、より一層親しい一致へと招き続けられます。このこともルカは教えたいのです。 (そしてイエスを通して、御父にも他の人達にも近づけられます)

 更に、喪失の痛みの時は、イエスをもっとよく知って、イエスと一緒に出かけるためにとてもよい時となり得る、ということもルカは示します。

☆この箇所を祈る前に

*この箇所を祈る前に、イエスをもっとよく知って、イエスが御父から与えられた仕事に私も加わりたいと、改めて望みます。

*もしこの時、私が何かを失う痛みや不安をかかえていたら、それを通して、‘新しい’イエスに出会えるように、特に頼みます。

*次に、この箇所をどの位の時間をかけて祈るかを決めます。それからこの箇所を見つめながら、聖霊が私をどこに導かれるのかを待ちます。

ルカ2章41〜52さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。イエスが12歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。ところが、祭りが終わって帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 そして道連れの中にいることと思いこんで、1日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引き返した。そして3日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞く人々はみな、イエスの賢さやその答えに驚嘆していた。両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った。

「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様も私も心配して、あなたを捜していたのです。」するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか。」しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらのことをみな心に留めていた。

イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。

この箇所で私がどのような祈りへと導かれたのか、次にその例を書きます。日によって色々な所から祈りは始まります。

☆“両親は過越祭に毎年エルサレムへ旅をした”

この言葉を黙想していると、私は過越祭のためにエルサレムに巡礼に行く準備をしているナザレの村人達を想像し始めたりします。9日〜10日かかるこの巡礼を彼らは毎年行いました。これは年間で最も重要な宗教行事でした。彼らの宗教生活のすべてと神様との関わりを総まとめするものです。ヨゼフとマリアも準備で忙しいです。霊的な準備の他に、長い徒歩の旅とエルサレム滞在に備えて、食料や必要な物を準備しなければなりません。

☆“イエスが12歳になった時”

この年、両親は殊の外嬉しいのです。イエスが一緒に出かけられる年齢に達しました。イエスはよい息子で、よく祈り、いつも感謝し、寛大で、よく手伝い、勤勉です。今やっと、彼らはイエスに、イスラエルの宗教的儀式の中核をもっとよく伝えることができるのです。

 私はまた、この大きな祭りに参加できることを心待ちにしているイエスの喜びを想います。イスラエルと神様との関係を象徴するエルサレムと神殿を初めて見れるのです。3日間歩き続けた後、エルサレムの街が、神殿が、はるかに見えてきた時のイエスの興奮も想像します。門を通って街の中に足を踏み入れた時に、イエスは畏敬の念を感じられたことでしょう。同時に、信じられない程多くの人波に圧倒されもしたでしょう。エルサレムの人口は普段は3万人でしたが、過越祭の時には世界中からユダヤ人が巡礼に来て16万人にもなったのです! ガリラヤの丘の上の人口150人程の村から来た田舎の少年は、この違いに目を見張ったことでしょう。

 イエスは、それぞれのグループが過越の食事を祝うためにする準備にもびっくりします。沢山の違う国々からやって来たユダヤ人達が、神殿税を払ったり、過越の子羊を買うために両替しているのを、不思議そうに眺めます。ヨゼフが子羊を買うのも見ました。それから何時間も並んで順番を待って、祭壇の前でその子羊を殺してもらい、それを自分達の仲間の所へ持っていき、これからの過越の食事のために焼きます。イエスは食事の場所の準備や他の食べ物の用意も手伝います。

☆答えを探すイエス

沢山の巡礼者達の信仰と忠実さに、イエスはとても感動しました。 しかしながら、私はイエスの感じられた大きな悲しみと困惑にも気付きます。神殿には本来あるべき深い祈りの雰囲気が欠けている、とイエスは感じます。不必要な商売が多すぎる。多くの人々にとって、外面的なことの方が大事になっていて、内面的な深い祈り、落ちついた静けさが欠けているようだ。イエスは契約に対する彼らの応えの深さをいぶかります。父なる神様と、もっと深い内面的な関わりを持つ必要があると感じます。もっと深く、霊的に祭りに参加したら、もっと恩恵を受けられるのに、と思います。このことに関して何かするようにという大きな呼びかけを心の内に感じます。けれども何を? イエスの心は疑問でいっぱいになります。

“あなたは私が何をするようにお望みですか?”“今ここで私は何をしたらよいのですか? 教えて下さい”御父へのイエスの祈りは、どんどん強く深くなっていくと私は想像します。

☆学者達のまん中で宗教の専門家に尋ねてみたい、という望みがイエスの内で段々にふくらんでいくと想像します。このような学者達はここエルサレムに集まっていて、毎日神殿で教えていましたが、祭りの期間は特にそうでした。ところが彼らの囲りには、沢山の立派な人達が大きくとり囲んでいて、田舎の少年であるイエスは近づくことができません。ですから、学者達に直接質問するために、過越祭が終わって群衆が帰り始める時までイエスは待たなければならなかったのだ、と私は今悟ります。

☆過越の祝い

 マリアとヨゼフそして親戚の家族達と一緒に過越の食事を祝っている間も、導きを求めて、祈りは益々強くなっていったと私は想像します。イスラエルの長い信仰の歴史がいっぱいに詰まった食事の雰囲気を感じようとして、私は時を過ごします。彼らは感謝と賛美の内に、イスラエルの歴史の中に働かれた神様の救いの御業を黙想し、実際に再演してみるのです。ここで契約を更新することによって、自分自身を改めて神様に委ね直そうとしていることに、私は感動します。

☆エルサレムから帰るマリアとヨゼフ

祭が終わってエルサレムを発つ時のマリアとヨゼフの嬉しい気持ちを想像します。過越の宗教的つとめをしっかり果たして、心は新たにされ、祝福されたと感じています。イスラエルの歴史の中の神様をとても身近に感じています。巡礼者達は心も軽く、早朝出発してガリラヤへの帰途につきます。

道々和やかに詩篇や感謝の祈りを歌いながら、また3日間の徒歩の旅です。

☆イエスを見失ったマリアとヨゼフのショック

 イエスがいなくなってしまった、と段々気が付いていらした時のマリアとヨゼフのショックはどれ程だったのか考えて、ひと時を過ごします。気も狂わんばかりに色々なグループのキャンプを捜しまわっている2人が見えてきます。翌朝、夜明け前に出発してエルサレムへの長い道のりを急いで引き返す2人、心配で心配で道々出会う別のグループの人達に尋ねながら引き返す2人を見つめます。不安と挫折感が段々大きくなっていきます。心配と恐れで自分達は不注意な‘悪い親’なのかと思ったりします。一刻も早くイエスを見つけたくて、心の中は絶え間なく、父なる神様に助けを求め続けていらしたと、私は想像します。“今ここでなすべきことを教えて下さい”と何回も繰り返し頼んでいる2人の声が聞こえてきます。

☆神殿の中に見いだす名の通った長老達の輪のまん中にイエスを見つけた時のマリアとヨゼフの安堵と驚愕の両方を想像しようとして、私は時を過ごします。2人はそこにイエスを見つけてびっくり仰天するばかりでなく、そこの人達がイエスに感心していることに、もっとびっくりします。長老達も、たかが12歳ですぐには答えられないこんな深い質問が出来るものだろうか?と驚きうろたえています。マリアとヨゼフは混乱します。その上、イエスから何も聞かされてなかったことにとても傷ついています。それでそのことをイエスに伝えます。

☆ナザレへ戻る

マリアとヨゼフはまだ驚きの中にいながらも、よく分かろうとして祈っています。イエスもまた御自分と父なる神様とのつながりをより深く分かろうとしているようだ、と2人は分かっています。自分達も、知っていることは本当に少なくてまだまだ沢山学ばなければならないと感じています。

 でもイエスは一緒にナザレに戻ろうとしている!と分かって彼らはほっとします。イエスが次に何をしなければならないと感じているのだろうか?と不安になり始めてもいます。ナザレに戻った時には、御父への信頼が更に大きくなったと、3人共感じていました。 同時に、絶え間なく導きを求める必要もまた、更に強く感じています。マリアとヨゼフは、思い巡らし、祈ることによって、これから益々、常に新しいイエスに出会うために心が準備されていきます。

☆このエピゾードが私の祈りに影響を与える例

 時々、マリアとヨゼフの混乱を見つめていると、それが引き金になって、失って探し求めた自分の体験が思い出されます。長く続いた、特ににがい体験です。私は不眠になり、疲れはて、悲しみに沈み、怒りがほとばしり、こらしめたくて残酷になりました。それに取りつかれ悩まされました。“どうしてあなたは私にこんなことをなさるのですか?”と何回も何回も心の中で叫びました。苦悩の中であえぎ求めていた時期に、今祈りの中で引き戻されるのです。

 それらの体験から新たな贈り物をいただいたと、私の一部分はしっかり認めています。例えば、

・私は祈ることをよく学びました

・他の人達の助けに感謝するようになりました

・本当の私を、自分の本当の感情をもっとよく知るようになりました

・神様にも他の人達にも近づけられました

等々です。それでもまだ今だにその暗く淋しい辛かった時期に引き戻され、“何故? 何故? 何故あなたは私にこうなさるのですか?”と尋ねている自分に驚きます。それは、そこから学ぶべきものがまだまだあるといわれているのだ、と私は思っています。

☆“私は聴かなければならない”

 こうして“何故ですか?”と聴き続ける時、“あなたがその質問をすることはよいことです”と主がおっしゃっているように思えます。“何故ならそれによってあなたは聴き始めるようになるから! すべてがうまくいっていると思える時、あなたが思い描き期待したことが妨げられない時に、あなたは決して聴こうとはしません。でも、今あなたは聴いています。すべての人への御父の偉大な御計画をもっとよく知ろうとしています。今あなたは、‘自分が知らなかったということ’を学びつつあります”

☆別の‘失って求めた’体験に導かれる

 また他の時には、現在や過去のまた違う喪失体験に導かれます。それらはそんなに強

くないかも知れませんが、それらの多くは、また時にはその内のいくつかは、一度だけでなくもっと度々祈られる必要があります。 (誰もが、身体的、感情的、精神的、霊的に引きはがされる体験を持っています。また期待が打ち砕かれたり、喪失によって悲しみや不安、怒り、いらだち、落胆が引き起こされて、探し求める体験もあるでしょう。これを読んで大きくうなずいている親御さんの顔が目に浮かびます。ほとんどの親は、子供が育って個人として、自立して行動し始める時に喪失体験をします。)けれどこれらすべての体験は、もっと親しくイエスに出会い、共にいて下さるイエスを見い出し、イエスをもっとよく知って、イエスにもっと近づいて一緒に出かけたい、と望ませてくれる場所となり得ます。

☆弟子の旅について

このようにルカは福音書のはじめの部分で、弟子はイエスを見失う辛い過程をくぐり抜けなければならない、これは、その時も尚共にいて下さる‘新しい’イエスを見つけるためだ、と教えます。彼は、最初の弟子達が今まで思っていたよりもずっと偉大なイエスに出会っていく体験を、何回も繰り返したことを提示します。その都度彼らは“この方はどんな方ですか?”と聞き直した事でしょう。最初の弟子達は、特に、イエスの御死去と御復活、また御昇天と聖霊降臨に於いて(これらは全てエルサレムで起こっている!)イエスを失い、見つけ、更に以前よりもずっと深く知っていくことを、体験したのです。ルカは私達、今の弟子達にも、同じ旅を用意します。



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江の島親睦旅行報告
鵠沼3区 大谷

 東西に大きく張り出した高気圧に覆われた無風快晴の勤労感謝の日、藤沢の名所「江の島」を訪ねた。午前9時15分小田急片瀬江の島駅前集合、壮年部男性21名、女性4名の総勢25名の参加者に、江の島探訪倶楽部ボランティアガイド3名が配置された。 ガイドから島内散策(岩屋コース、植物園コースなど)の概要説明があり、希望によってコース分けがなされた。

 弁天橋を渡りながら、前方に見る江の島。いちょうの黄葉、かえでの紅葉が色付き始めて美しい。青銅の鳥居(寄進者の思惑の様々)、絵図屋(島内案内地図)、恵比寿屋(江の島で最初の旅館)、岩本院(岩本楼の前進で島内三宮寺の総別当職)などとそれぞれに興味深い説明が付く。辺津宮拝殿手前の福石は見落とすところ。杉山検校がここで小石に躓いて、鍼治療の鞘に収まった鍼の器具を発明するきっかけを得たことを初めて学んだ。

 時間の制約があることから、検校の墓の横から緑橋を渡って木食上人行場跡の説明板の脇までショートカット。途中眼下の相模湾の先に伸びる海岸線、大山・丹沢・箱根の山並み、さらにその奥に純白に冠雪した富士が、ひときわ高く聳えて美しい。大百味講中の寄進した常夜灯が、グルメ仲間の食い歩きは昔からあったことを納得させてほほえましい。百貫の亀石、30貫の力石を持ち上げんと試るつわものが、わが壮年部にいるのは心強い。

山田検校の碑の前で、何故に目の不自由な人が、岩山道の多い江の島参りをしたのかと問う人があり、それへの返答も面白かった。奥津宮の八方睨の亀は3代目の画師によるものとか。稚児ヶ淵の階段横にある、へんたい仮名で書かれた句碑は殆ど読めず、解説書と見比べてやっと納得。かの時代の有識者の国語力に感服。

 岩屋洞窟への道と、岩屋洞窟の内部はすっかり作り替えられて、かっての面影が全く無くなってしまって淋しい。しかしここから南に大きく広がる相模湾は雄大。気温が上昇してきたことから大島は霞のかなたで見えない。風も無く波も穏やかで、岩場は乾いており、多くの釣り人や家族連れがみられた。帰路は遊覧船で戻る人、再び山越えをする人とそれぞれに、昼食会場の旅館岩本楼に向かった。  岩本楼は昭和の初期に作られたローマ風呂が、今年9月国の有形文化財に登録された由。入浴は皇帝気分で皆ご機嫌。幹事の計らいで弁天洞窟風呂にも入浴できた。会食はアルコール付きで、これが主目的で参加したとの好人もあり、和気あいあいの内に時がたった。 今回は、女性初参加とのことであったが、このような行事には、今後もさらに沢山の参加があるように、次回からは、女性幹事を加えて計画することを申し合わせて閉会、午後2時解散。

 素晴らしい方々と、教会とは異なった雰囲気の中で、気楽に語り合えたことは貴重な経験でした。企画実行された幹事団の方々、参加された皆様に心から感謝いたします。

(2001年11月23日 記)



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親睦旅行に参加して
藤沢2区 澤内

 11月23日、大好きな江の島と「ローマ風呂」と「料理」という魅力に誘われて、壮年部の親睦旅行に参加させていただきました。

観光ボランティアさんのガイドで、総勢25名、3コースに分かれて、江の島へ。

私は欲ばって岩屋洞窟まで行くコースに参加しました。

 江の島弁天橋で、富士山と穏やかな海に出会いました。島の入口、青銅鳥居の前では、江の島の生い立ちと、江の島が日本のモン・サン・ミッシェルという楽しいガイドさんの話。まだ見ぬモン・サン・ミッシェルに思いを馳せ、参道を登って行きました。

辺津宮では弁財天の謂われ、江戸時代まで、江の島神社は神仏習合であったという話を聞きました。

 奥津宮の天井絵、八方睨(にら)みの亀を眺め、皆で記念写真を撮り、ガイドさんの質問形式クイズに和気あいあいと江の島の歴史、文学碑、自然に触れながら、岩屋洞窟へ、到着しました。ローソクを手に中へ入りました。少しひんやりして幻想的な感じがしました。 この洞窟が富士山の風穴や氷穴に繋がっているのでは? という話にはとてもロマンがあると思い、楽しくなりました。

 岩屋を後にして遊覧船で、海から少し紅葉している江の島と雪化粧した富士山を眺めました。小春日和にぼんやりしている富士山がとても素敵でした。

今までに何度も訪れた江の島の魅力を再認識させてもらいました。

 第二目的の岩本楼へ。私たち女性は貸し切り状態の洞窟風呂に入りました。昔、牢獄だったということで細く長い、チョット入り組んでいるお風呂でした。

 お風呂から上がり、宴会場へ、ビールで乾杯。美味しいお料理とお酒に舌鼓みしました。チョット一杯入っこともあって、普段、教会の中では話したこともない方とも話が出来ました。そして、いつも厳めしい顔の男性陣の楽しく、嬉しそうな顔を拝見させていただきました。

 今年度は暫定的に婦人部を置かないで、ブロック中心で活動してみましょうという中で、私たち女性陣は壮年部の親睦会にお邪魔させていただきました。男性とか女性とかでなく、共同体の一人として、新しい出会いと分かち合いができたと親睦旅行になったと思いました。ありがとうございました。



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第29回「藤沢市民クリスマス」を終えて
辻堂2区 梅澤

 嬉しい主のご降誕を待ち望むアドベントのただなか、先日12月8日に藤沢市内キリスト教連絡会が主催する市民クリスマスが当教会にて29回目を迎え、無事開催できましたこと心より嬉しくご報告いたします。

 まず、当日は朝より好天気に恵まれ、また、各教会より40名を越える沢山の働き人を得て準備も万端整えることが出来ました。   一部の礼拝では日本基督教団・片瀬教会の萩原時子牧師の力強いメッセージをいただき、2部では5団体のコーラスの美しいハーモニーに心を酔わせ、3部では500食用意したおにぎりとぶた汁も、気持ち良くはけて心も体も本当に満足させることができた1日でした。

 参加者448名、10万円を越える席上献金の中間報告なども昨年に引き続き、連絡会の代表を勤めさせていただいている小生にとっては主よりの祝福を確信でき、またその大役を果たし終えてホット胸に手を置き、神に感謝いたしたことでした。

 しかし、一般の市民の方々に本当のクリスマスの意味と、その喜びをお伝えできたかどうかは、これからもひきつづきの課題でもあります。この席上献金はここ数年、そっくりそのまま藤沢市の福祉課「愛の輪」に献金させていただいており、昨年はその功績が認められ福祉大会において表彰されました。キリスト者の少ない日本において、一般に交じってキリスト者が表彰されたことも嬉しいことですが、この場をお借りして、これまで導き守ってくださった先輩方の労をねぎらい、また3ヵ月前の悲惨なテロ事件を思う時、教派を越えたこの連絡会の働きの益々の重要性を思わざるを得ません。

 イエス様は「平和を造りだす人は幸い」とおっしゃられております。私たちは誰でも平和を望みます。しかし、平和を望むだけではなく、この連絡会がこれからも教派を越えて、時には宗教を越えて平和を造りだす働きに用いられますように心から願って止みません。



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ボーイスカウト・クリスマス会

カブスカウト  中井雄大

 12月16日、ボーイスカウトのクリスマス会をやりました。 マーフィー神父様のお話、げき、プレゼント交かん、ビンゴ大会など、内容がいっぱいあって楽しかったです。

 神父様はお話の時に、「にぎやかでなく、静かにすごすのもクリスマスと言うのだよ。」と言われました。ぼくは、「へー、そうなんだ。」と思いました。

 あと、クリスマスはどうやってできたかなどを教えてくださいました。 ぼくは、クリスマスの本当の意味を知ったみたいでうれしかったです。

 

ビーバースカウト しばたひろき(六会)

 ボーイスカウトクリスマスかいで、ぼくたちはジングルベルのスタンツをやりました。 ぼくがかぜとトラのやくをやりました。 きんちょうしたけどじょうずにできた。 スタンツをやってすごくおもしろかった。



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クリスマスの聖劇を終えて
六会 日野水

今年もまた、多くの人に見守られて無事に聖劇を終えることが出来ました。

 イエス様の降誕を演じることはもちろん、評判の1年生の子羊達や6年生のマリヤ・ヨゼフ達の配役もいつもと変わりはありませんでしたが、祭壇を囲む形になったレイアウトのためか、より一層温かく見守られているように感じられました。

 練習不足で、直前の練習でも「このまま本番で、本当に大丈夫かな?」と心配させてくれていた子供達も、皆さんの温かい励ましの視線と、(持ち前の?)ここ一発の集中力で、立派に演じてくれました。

 同時多発テロに端を発した戦争が続いていたり、経済不況で失業率が上がったりと暗い話題の多い今こそ、貧しい馬屋でお生まれになり、弱いものの側にたって生涯を送られたイエス様のことを改めて思い起こすきっかけになればと思いました。

 最後になりましたが、この聖劇のため準備やお手伝いをしてくださった方にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。



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クリスマスの家族ミサ
鵠沼3区 平野

 藤沢教会では、毎年、12月24日に、クリスマスの家族ミサが行われます。大人は家族でミサにあずかる意義を歓び、子供たちはイエス様の誕生に纏わる聖劇を見たり、出演するのを楽しみにしています。もちろん、クリスマスプレゼントも心待ちしています。 今年も午後5時から、超満員の参加者を迎えてミサが挙げられました。

 超満員になったのは、評判になってきた聖劇見たさもあるでしょうが、高齢者社会を反映して、従来、多かった親子2代家族が、親子3代家族に変わってきたことや、1人だけの老若の参列者が多くなったことにもよると思われます。聖堂内は今年から、椅子の配列が円形に変わり、収容人数も数十席増え、司式も聖劇もサンタさんも、八方からよく見えるようになりましたが、聖堂に入りきれないで、外の寒風の中で我慢している人も多かったので、来年は、椅子席や立見席を増やす工夫も必要になりましょう。

 聖劇は、ミサの中の「福音朗読」に代わって行われます。リーダー達の苦心の演出の甲斐あって、例年にも勝る出来ばえでした。出番待ちの子役者たちも、きちんと椅子に座って静かだったのは印象的でした。世は、時代を反映して、だらしない目立ちたがりやが多い中で、「私達の教会学校の生徒達は模範です」と誇りに思いました。

 ミサが終わり、司祭団が退場するのと入れ替わりに、サンタさんが、「クリスマスお目出度う」といいながら、大きな袋を担いで聖堂に入ってきます。早くプレゼントを配って欲しい子供たちの、いらいらを無視しながら、何らかの話をする習慣があります。何処のサンタさんもそうみたい。「イエス様の幸せを配る役」ですから、嬉しくって黙っていられないのでしょう。サンタさんは、教会活動の経験高齢者の中から指名されるとかで、サンタさんに不満の人たちも、「あの老人のたった一つの生き甲斐だから」と、我慢して話を聞いてあげているのだそうです。

 今年は、サンタさんは話の代わりに、楽しいクリスマスを準備してくださった人たちに対して、サンタさんが音頭をとって、子供たち全員で、感謝の「有難う」をいうことにしました。その後でプレゼントが配られました。感謝の「有難う」は、先ず、素晴らしい聖劇の出演者全員に贈られました。続いて、クリスマスの見事な飾りつけを、聖堂の内と外回り、売店がりらや、湘南台センターに設置してくださった田辺小父さんや沼波小父さんたちに、そして3番目に、このクリスマスが日本で最後となる教会学校の校長先生ティム神父様に、「教会学校で、沢山の美しい思い出を作ってくださったティム神父様、有難う」の言葉に添えて、大きな拍手が贈られました。最終の締め括りは、サンタさん自身へ。「サンタさん、今年は、お話を短くしてくれて有難う」。軽い冗談のつもりが、大いに受けて笑いと拍手。これにはサンタさんも苦笑い。明るく温かい余韻を残して行事はおわりました。



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「親子で集うクリスマス」
大庭 八木

12月25日、恒例のクリスマス会が湘南台センターで行われました。

 クリスマス・キャロルから始まり、リコーダー演奏(勿論テハン神父様出演)、ティム神父様のお話、中高生会の合唱、ピアノ演奏など会場はクリスマス熱気に包まれました。

 野中先生の折り紙も悪戦苦闘の末、サンタクロースが出来上がり、一人ひとりの子供達自作のサンタさんが胸に立派に飾られました。

 お母様方を中心に行われた人形劇「神様からのプレゼント」を顔を輝かせながら観入る子どもたち!! 中高生のお兄さん、お姉さん方の協力と応援は子どもたちにとって何よりのプレゼントでした。若いお母様方のそれぞれのご活躍もうれしいことでした。

子供達はこのクリスマスの集いを通して何を感じたでしょうか?本当のクリスマスを見つけることが出来ましたか?

その答えはティム神父さまのお話の中に全部ふくまれているように思えました。

メリークリスマス!! 湘南台センターに元気のいいサンタさんが来てくれてありがとう。世界中の子どもたちの心の中に神様の愛とやさしさが、プレゼントされますように・・。湘南台センター「親子で集うクリスマス」に参加してこんな思いになりました。



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1月の主な行事

1(火)元旦新年ミサ
2(水)ベトナム人協会新年の集い
6(日)スカウト餅つき
11(金)初金ミサ・初金の集い
12(土)壮年部新年会 17:00
13(日)成人式・防災訓練
20(日)鵠沼ブロック新年会
26(土)キリスト教一致合同祈祷会



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