八 角 形 に ゅ ー す

2002年3月28日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会

目次

復活により生活が一つになる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 テハン神父

エマオの旅人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 池田

ある男のヒトリゴト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 下村

聖霊に導かれ、社会福祉の道を歩む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 小野

支え合う喜び・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 野中

ゴスペルとポップス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 八子

春風と共に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 大野

栄えある復活祭を迎えるために・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野

福音を宣べ伝えなさい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・カトリック秦野教会 寺田

ご復活おめでとうございます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教会委員長 牧野

教会委員会報告

家庭訪問振り返って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ティム・ムルロイ神父

藤沢カトリック教会の皆様へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・カトリック使徒宣教者会 山口

典礼研修会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村

鵠沼ブロック黙想会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 野村

初めての「静修の日」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 曜吉、昌子

「聖書100週間」を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・由比が浜教会 岩沢

ひとこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 梅田

「四季の色」コンサート

「四季の色」演奏会を終えて

エルダーズの会より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 大津留

辻堂ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 高橋

ウガンダからのお便り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田

3月、4月の主な行事

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復活により生活が一つになる
主任司祭 テハン神父

 ご復活おめでとうございます。

 使徒パウロのローマの教会への手紙により、「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」と書いてあります。パウロはこの言葉を通し、わたしたちの共同体生活のために大事なヒントを与えていると私は思っています。復活と洗礼と死と新しい命との関連です。わたしたちは洗礼を受けた時、今年の復活祭で洗礼を受けた求道者と同じように新しい命をいただきました。

 すなわちキリストに結ばれ、復活なさったキリストにより生きるものになりました。しかし、命を大事にしないと死んでしまうでしょう。復活なさったキリストに結ばれ、その命を成長させるため、信仰生活も共同体生活も社会の中の日常生活も合わせて、一つにならないかぎり、復活の生き生きしている豊かな命ではなく、分裂されている生気のない命になるでしょう。三つの生活を合わせるのは大変難しいことです。この三つの中の二つまでは大事にする人は少なくないと思います。

 しかし、三つ合わせる人はどこにおられるでしょうか? 私の見ている日本の教会はその方向に向かっている。「開かれた教会」と「交わりのある共同体」と「社会に奉仕する共同体」との考えのもとにある貧しい人の立場からものを計りましょう。幸い藤沢共同体は色々な祈りの会と勉強会と活動を通し、または典礼により、キリストの復活をあかしする信者になろうと思う人が多い気がしました。

 特に典礼を通し、社会から皆が一人一人集まり、キリストの十字架に従い、御言葉を聴き、地区の人の作った共同祈願を唱え、またキリストの十字架に従う、共同体として感謝の祭儀に参加しながら、聖霊の力により一つになり、神の祝福をいただき、もう一度キリストの十字架に従い、社会に向かって、復活なさったキリストのあかし人になるように、毎日の生活の中で、復活なさったキリストがどこで現れているのか、気づいたら自分勝手をのりこえ、聖霊の光のもとでなすべきことが出来るようになります。そして典礼の集まりに社会で出会ったキリストの経験を持ち、共同体とともにキリストと結ばれ、前よりも、キリストの福音を宣べ伝えることが出来るような成長になるでしょう。社会の中でわたしたちを通し、復活なさったキリストがおられるとはっきりして、わたしたちの日常生活も信仰生活も共同体の生活も一つになるでしょう。それなら、中心である神は、わたしちを通し、ご自分の意志を行うことになります。

 私の祈りは、共同体の大勢の方が復活なさったキリストからいただいている新しい命が、円熟するまで成長することができますように。



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エマオの旅人
大庭 池田

 ちょうどこの日、2人の弟子が、エルサレムから60スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、2人の目はさえぎられていて、イエスだとは分からなかった。(ルカ福音書24章13〜16)

こんなにも閑(のど) かな場面設定で始まる説話が、新約聖書の中の他のどこかにあっただろうか。

 ここには、さしずめ今なら「追っかけ」と呼ばれるかもしれない例の「群衆」も登場しないし、また、事あるごと主イエスを試みようとしたファリサイ派もいない。いま舞台は一本の田舎道と、そしてそこを(たぶん気楽に横に並んで?)歩いている3人の旅人、それだけである。

 最初に出てくる2人の弟子は、論じ合って、という表現からも比較的情熱型の若者を連想させる。が、後から来て親しげに仲間に加わってしまう旅人、この方こそ、今エルサレムを騒がせている渦中の人。すでに3日前に十字架上に処刑されて息絶えさせられ、墓に葬られていたはずの、のちにキリストとよばれることになるナザレのイエスの復活されたお姿だったのである。

 しかし今は未だ目を遮られている2人の弟子は、それと気づくことができない。ここで主イエスはお尋ねになる。

「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」(同章17)

 主イエスは道々2人の弟子が熱っぽく何を話し合っていたのか、その内容が御自分の、つい3日前までの公生活のすへての出来事についてであることをご存じのうえで、なおも「何のことですか」と尋ねられるのである。イエス様もお人がわるい。

いいや、違う。そんなお気まぐれなこなど、どうしてあり得よう。 このときの主イエスの聖心(みこころ)のうちを、読者の皆さんと共に深く偲びたいと思う。

 このあと、問われるままに2人の弟子の1人であるクレオパが語って聞かせる。『ナザレのイエスという人の生涯』を耳を傾けられる主イエスは、ご自身、いつそれが出るだろうかと期待されていた言葉、すなわち『生前に何度か約束されていたとおりに、わたしたちの主イエスは復活されたんです! そうに違いありません!』その確信に満ちた歓喜の言葉が弟子たちの口からついに出ないで終わってしまったことに、主イエスはどんなにか気を落とされたことであろう。

 そこでイエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く予言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」(同章25〜26)

「え? ご復活ってつまり生き返ったということですか? 脳細胞だけじゃなくて完全に心肺も停止した方が3日後に? いや、他の教理はすべてパスしましたが神父様、それだけは理解できません」

 お気の毒だが、たぶん、この求道者の洗礼志願式は先送りとなる。

 既にそれを主イエスから学んでいたはずの弟子たちでさえ、当初は復活という感動の言葉はついに再生されなかった。その難しさは、これを裏返せば「主の復活への賛美」こそわたしたち信徒にとっての誇るべき「信仰の核心」を成すものでなくてはならいのである。



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ある男のヒトリゴト
善行 下村

 『あんたたち、毎日毎日ここにラーメンもらいに来るけど、自分でなんとかしようとは思わないの?、仕事がない、仕事がないって、ふたこと目にはいうけれど、なまけているからそうなるじゃないの? 人の世話になろうなんていう根性だから、そんな風な結果になるんだ、マッタク、キタならしいし、くさいし、目ざわりなんだ!教会にとっては・・』

「その婦人は、にくにくしげにいい放って教会の建物の中に入っていった」という。

『なんどか、そんな目にあったことはあるけど、面と向かって女にあゝまでいわれたのは初めてだヨ』うすよごれた、ホームレスの男はそういった。

「この場面はある日教会の事務所の前のベンチでの出来事だった」と話てくれた。

 一体どうなっているんでしょう。耳をふさぎたくなるような話・。私だけかな?・・。

 その男はラーメンをもらわずに帰り、『くやしくって涙が出たヨ。その女にも自分にもコンチキショーってネ』

「これ以上ちぢこめないというほど体を丸くして、つめたいコンクリートの上でなにも掛けずに横になっていた。夜11時すぎ、星も凍るような夜空の下で・・。」火曜パトロールの1人が男に声をかけた。

『教会からくれる毛布なんかいらネーヨ。仕事をしろったって、出来ネー体だし、ネーからこんなことになっちまたんじゃネーカヨ。だれが、好き好んでこんな生活してるもんか。家が無ければ、仕事にもつけない。詳しいことはいいたくねーがヨ。会社が倒産して職をなくしてからは、家にいずらくなっちまってネ。女房が働き、息子が稼げば、仕事のないオレの居場所なんか、なくなるワーナ』

 こうして、『一直線にホームレスの社会というやつに突込んでいった』という。

 ホームレスとは、住む家が無いだけでなく家庭レス、仕事レス、福祉レスでもあるわけです。

『生きていく上で頼れるのは自分だけなんだとは思うヨ。それでも手をさしのべてくれる人もわずかにいるんだネ。ホームレスになりたくて生まれたヤツなんか1人もイネーヨ。』 ガンバレなくて生きている人、病気の人も心を病んでしまっている人もガンバレないんです。いまは。ガンバルだけが最高だったり美くしかったりしないはずです。

『1日に1食か2食がやっと。路上で寝るチューのは並み大抵のことじゃネーダヨ。石を投げられるワ、ライターで火はつけられるワ、空き缶は飛んでくるワ、おちおち寝てられないんだ。第一、人が通らなくなる深夜から人が動き出す早朝まで、ほんのわずかな時間しか寝る時間がないんヨ。だから仕事のない時は、公園で休もうと思っても追い出されるし、水を飲もうと思っても水道栓ははずされているなんていう状態ダヨ。社会の中でも居場所がネーしな。まだまだいろんなことがあるんけど、週1回でも食事をくばってくれる人がいるんダヨ。最初は変な人たちがいるもんだと思っていたけど、そのうちありがたいと思うようになったネ、ホント、オレたちのことを考えてくれる人がいるんだと知った時、変にジーンときたりしちゃって!マッタクヨ。これオレのヒトリゴトなんだけどネ』

「藤沢火曜パトロール」というボランティアグループがあります。藤沢駅近辺で野宿している人たちに、わずかな食事や毛布を持っていったり、月1回は一緒に食事して話を聴いたり、生活保護の手続きを手つだったりと、いろんな人が参加しています。

 お米を寄付してくれる方、現金を教会事務所にとどけてくださる方、着る物、毛布を出してくれる人もと、・・。ありがたいことです。でもヒゲそりや石鹸、タオル、寒いので帽子や靴下や靴、それに下着類と結構こまごましたものが必要なんです。

 でも・・、でもです。
 ほんとうに彼らにさしあげたいのは“あなたたちを忘れていませんヨ”という心の、コミュニケーションではないでしょうか。
 考えてしまいます。

 こんな詩があるんです。

  小さな船が海にいっそう浮かんでいました
  船はただ 波にもまれて
  ただよっているだけでした
  そうやって長い年月が過ぎましたが
  どんなに強い嵐に出会ってもなぜか
  船は沈みませんでした
  ・・・・・
  けれど船のペンキはとっくにはげていました
  ・・・・・
  私はときどき生きることが
  この船に似ていると思うことがあります
  私はときどき この船のように見える人に出会います
  私はときどき船は沈んだほうが
  安らかなのではないかと思うことがあります
  けれどもそれは違うのです
  船は海に浮かぶために作られたもの
  沈めるために作られた船はどこにもありません

・・ ホントーですヨネ。いい詩ですネ。

 もう一つ、この詩人の作でこんなのも あります。

メロン

  メロンが好きな人がいました
  だからメロンが大嫌いな人に
  どうしてもメロンのおいしさを
  わかって欲しいと思いました
  世界一おいしいメロン
  みんなで喜ぶメロン
  けれどメロンが大嫌いな人には
  それは意味のないことです

              保野温子 作
   「さびしくてたまらないとき」より



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聖霊に導かれ、社会福祉の道を歩む

藤沢2区 小野

 畑仕事に精を出している、シャベルで深く耕した後に鍬で畝を作る、冬の間に作った堆肥を蒔く、種々の野菜の苗を植えていく。その時、神父の声が聞こえて来るのです。

『神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパンはあなたから頂いたもの、大地の恵み、労働の実り、私たちの命の糧となるものです。』

 ここは、藤沢市の某・知的障害者の通所更正施設の広い畑。やや年配の看護婦職員と私が利用者たちと共に、季節に合わせてマイペースで畑仕事を楽しんでいる。やがて、サツマイモなど収穫の時を迎えると、多数の利用者が畑に出て来て土の感触を味わい、昆虫を見つけニッコリしている。その様子を眺めている職員も微笑し、私自身も感動し、幸福感に満たされます。

 想えば4年前、藤沢カトリック教会の復活祭で初めて洗礼を受け、その後多数の神父様やシスター・先輩信者たちから温かい指導を頂き、心が安らぐ人生のひと時を歩んで来れたことに対して深く感謝し、厚く御礼申し上げます。

 サラリーマン時代に50才の大台を迎え、『このままの生き方で良いのか?』と自問自答を繰り返した挙句、思い切って藤沢教会の入門講座(故Sr野口)を受講。そしてバーガー神父の夜間講座を経て、5年後に再度入門講座(同じSr野口)で勉強して、漸く1998年春に受洗しました。

 ビジネス分野では存分に働いたとの自負がありましたので、定年退社後は社会福祉分野に挑戦したいと考えていました。2年前に勤務先のリストラ募集に応じて58・5歳で早期退職。自由時間が大幅に増えたのを幸い、雇用保険給付を受けながら1年間福祉関係を勉強し、充電させて頂きました。

など。

 現在(60・5歳)は、

も続けています。

 35年間の会社員時代とは全く異なる社会福祉分野へ私を自然体で導き、そこで働く喜びを与えてくださったのは、誰だろう・何故だろうか?と考えることがあります。要因として、

この他に、

が上げられます。迷った時や不安な場合に『それで善いのだ、前進しなさい』と後押してくれることが再三ありました。今後とも、「祈りによる聖霊の導き」を信じて、無理をせずに「時が満ちる」のを待って、生涯学習に邁進するつもりです。「豊かな人生と素晴らしい出会い」を座右の銘として新たな生き甲斐を求めて、関係者の皆様との協働により、ゆとりを持った人生を過ごしたいと考えています。今後とも宜しくお願い申し上げます。



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支え合う喜び
湘南台 野中

 1月は長後・湘南台地区のミサ当番月。ブロック委員中心に、早くから役割分担も決めて準備してきたが、形式が変わって初めてだけに、4回のミサは緊張の連続だった。

 先唱・朗読・奉献・案内など、人のを見るのと、自分たちでやるのとでは大違い。私は2回案内係を。人間の目は前に付いているのに、この大聖堂で何で後の人から聖体拝領なの? と内心ブツブツ。でも同じやり方で習慣になってしまうより、新鮮でいいのかも。 4週目の主日、私は第一朗読。ところがである。ミサの始まる前、早目に席に着いて、バッグから携帯用眼鏡ケースを取り出し、開けてビックリ、中身が無い。頭の中は真っ白。第二朗読担当の戸村さんに相談すると「事務所で貸して下さるわよ」と、にっこりおっしゃる。本当に助かった。

 過去何回かの朗読奉仕の中でも、今回ほど慌てたことはない。それでも後で友人の1人が落ちついて声もよく透って良かった、と言ってくれた。もし本当なら、眼鏡をお借り出来たのと、守護の天使のように侍者のお嬢さんが、側についていてくれたお陰。

 そんな私に「どうしたら朗読がうまくできるの?」とN子さんが訊く。そう言われてもアナウンサー出身でも、劇団に所属していたわけでもない私に、答えられる筈がない。

 そこで帰宅して、5年前の当教会での“先唱者研修会”の資料を開いてみる。すると中の頁の書き込みに、バーガー神父様のお言葉として「聖書朗読は、聞かすより意味を伝えるように読むことが大切です」とある。

 父の創作童話を聞いて育った私は、子供の頃から朗読が好きだった。娘時代、勤務先の大和学園(現・セシリア)で、短大の学生に聖人伝を読んで聞かせたことがある。

 そのときの録音テープが手元にあり、先日、ン十年ぶりに自分の声を聞いてみた。学長命令であったが、読み方が一本調子で、どれだけ若い女子学生に内容が伝わったか。言葉の間の取り方や、抑揚にも気をつけて、もう少し温かみのある朗読が出来なかったのかと思うが、その時は精一杯だったのであろう。

 内容を伝えるには、読み手自身、その内容をよく理解する必要がある。知識も要る。それは簡単ではないが、永遠のベストセラーといわれる聖書には不思議な力がある。

 例えば第一朗読で「イザヤの預言」といっただけで、数千年前に思いを馳せることが出来る。福音書も言葉が端的なだけに、情景を思い描きやすい。内容については、神父様が分かりやすくお話して下さる。

 ミサ係りの中でも大変なのが先唱者。先の研修会では、元アナウンサーの方が、司会進行の心得を話された。

 当番最終日、先唱・初体験の田代さんは、前夜の湘南台センターミサにも与って準備され、立派に役目を果たされた。経験のある中村さんが側について。

 積極的に参加すること、互いに支え会うことの大切さを実感したミサ当番であった。



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ゴスペルとポップス
鵠沼1区 八子

 今、ゴスペルがブームなようですね。ゴスペルというと黒人達の音楽と思われがちですが、決してそんなことはないのです。ある本によればゴスペルとは(キリスト教音楽)あるいは(歌という表現形式で信仰心を吐露した音楽)と書かれています。私達がよく知っているポップスにもたくさんのゴスペルがあるのです。

 アメリカにはゴスペルヒットチャートがあり、毎日たくさんの新しいゴスペルが作られ、ラジオから流れています。

 一番有名なゴスペルシンガーは誰でしょうか。エルビス・プレスリーではないでしょうか。彼は敬虔なクリスチャンであり、少年時代から聖歌隊に属していました。彼はたくさんのゴスペルを歌い、今レコードやCDで聴くことができます。彼の歌った有名なゴスペルに(クライング・イン・ザ・チャペル)があります。カントリー風のスローバラードで皆さんよくご存じの歌です。私は長い間、この歌は失恋してチャペルで泣いているのだと思っていました。しかし、歌詞カードを読んでみてゴスペルだとわかりました。歌詞を訳すと、

(あなたはチャペルで泣いている私の姿を見ました。その涙は喜びの涙だったのです。私は安らかな心の意味をしっています。今、私は主と共にいることができ、幸福です)

 では一番有名なゴスペルは何でしょうか。(アメージング・グレース)ではないでしょうか。私達もミサの時よく歌いますね。プレスリーを始めたくさんの歌手によって歌われています。日本でも岩崎宏美や白鳥英美子が歌っています。私はゴスペルの女王といわれるマヘリア・ジャックソンの実況録音盤を聴いたことがあります。これは本当にすごいと思いました。聴衆といっしょに歌い、祈り、叫びに近いものを感じました。いかにこの歌がアメリカ国民に愛唱されているかよくわかります。歌詞はイギリス人のジョン・ニュートン(1725〜1807)によって作られました。この歌の解説をプレスリーのCD解説書から引用してみます。

(ジョン・ニュートンは、幼くして母を亡くし親戚にあずけられて、愛に飢えた荒れた子供時代を過ごした。やがて船乗りだった父に連れられて海に出るが、すぐに逃げ出して放らつな日々を送る。ふらりと水兵になり、そこから再び乗り移った船は悪名高い奴隷船であった。ある日のこと、大海原の真中で激しい嵐に襲われ、帆はちぎれマストは折れ、今にも船は沈没するかに見えた。思わず傍若無人なニュートンの口から【神よ、我らを憐れみたまえ】という言葉がもれた。神を恨み、憎んできたはずの彼には、なぜ自分がそのようなことを言ったのか分からなかった。しかし彼はその時、はっきりと自分が心の底で神を愛し、神を求めていたことを知ったのである。彼の人生は、その日から変わってしまった。彼は悔い改めて陸に上がり、牧師になった。【アメージング・グレース】は、彼がその時の経験をもとに、自分の教会の土曜祈祷会のために作詩したものである)

 歌詞の一番の訳を書いてみましょう。

(驚くべき神のご慈悲【アメージング・グレース】なんと甘美な響きでしょう。それが私のような哀れな人を救ったのです。今まで私は道を見失っていました。しかし、今、進むべき道をみつけました)

二番、三番も素晴らしい歌詞です。

(漕げよマイケル)この歌は日本でもアメリカでも大ヒットしました。アメリカに古くから伝わるフォークソングです。歌の中で何度も「ハレルヤ」とくりかえすので,ゴスペルだとわかります。

 歌の内容は旧約聖書の(出エジプト記)のヨルダン川下りに基づいています。エジプトに支配されていたイスラエルの人々は、自分たちを守ってくれるマイケル(ミカエル)と共に紅海を越え、ヨルダン川を下って、自由と栄光の土地(カナン)へ脱出しました。このヨルダン川下りの歌が(漕げよマイケル)です。 (マイケル、ボートを岸まで漕いでくれ、ハレルヤ、兄弟達よ、手を貸してくれ、ハレルヤ)と歌います。また、この歌は奴隷歌とも言われています。アメリカの黒人奴隷が労働の時に声を合わせて歌ったのでしょう。日本にも有名な労働歌がありますね。(よいとまけ)です。(父ちゃんのためならエーンヤコーラ、母ちゃんのためならエーンヤコーラ)と歌います。歌手の美輪明宏はこの歌をテーマにして名曲(よいとまけの唄)を自作自演しています。この(よいとまけの唄)は日本のゴスペルと言っていいのではないでしょうか。私は(漕げよマイケル)と(よいとまけ)には共通するものを感じます。同じ労働歌だからでしょう。

 わずか数曲しか書けませんでしたが、まだまだよく知られているゴスペルはたくさんあります。音楽って本当に素晴らしいですね。



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春風と共に
善行 大野

 昨年のクリスマス頃に、1人の女子高校生が売店に来ました。

 どこか寂しげな、不安な表情で「教会は入って良いですか?」「もちろんよ、今お客さまもいないから一緒に行きましょうか」と閉めて聖堂に案内しました。

 その後、9時30分のミサにも来ましたが人数の多さに驚いていました。

 2月の受験の前日「明日、受験なんです。部活やいじめで、ずっと悩んでいたけど教会によってみてよかった」その日私はあしあとのカードをプレゼントしました。

 このカードの最後のところに

 私の愛する子どもよ、
 わたしは決してお前のそばを離れたことがない。
 お前がもっとも苦しんでいたとき、
 砂の上に一組のあしあとしかなかったのは、
 わたしがお前を抱いていたからなんだよ

と言う文章が書かれています。

 涙を滲ませて彼女は「明日、頑張れそうです」と帰りました。

 大学合格の報告にも母親と一緒に来ました。

 表情はすっかり変わって明るい少女でした。

 そしてまた、先日、がりらやに来た彼女は「ある日、戸塚教会に行ってみたのです。そして女の人が話を聞いてくれ、ベンサン神父様も話しを聞いてくれました。大学も決まったんだったら土曜学校を手伝ってくれませんか?と言われたので、お手伝いさせていただくことにしました。」何か嬉しそうだったので「どうしたの?何かあったの」「一緒に土曜学校をしている男の子と仲良くなったんです」これを言いたかったようでした。

 今まで、高校生活はいじめにあったり、良いことはなかったけれど、藤沢教会にふいに来たことから良いことが続いてきて、神様っているんだなあ----と、感謝しています。

 春風と共にさわやかな笑顔が復活した一少女の話をお聞かせしたくてペンを取りました。     〜がりらやの役目の一つです〜



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栄えある復活祭を迎えるために
鵠沼3区 平野

 十字架の道行は、「キリストよ、あなたは尊い十字架と栄えある復活によって、世界を救ってくださいました」の祈りで始まります。藤沢教会では、四旬節の毎金曜日、今年は私が先唱者を勤めて、十字架の道行とごミサが行われています。参加される皆さんが、ゴルゴタの丘への歩みにも、祈りの応答にも、式の準備片付けにも、進んで協力してくださるのを、とても嬉しく思い感謝しています。

 十字架の道行の中で、「第十二留、イエス十字架に死す」の場面は、大変に感動的だといわれます。十字架は、それまで、「重罪人を処刑する道具」でしたが、キリストの処刑を行った時から「尊い十字架」に変わりました。福音書には、キリストと共に、十字架につけられた盗賊の1人が、前非を悔い、「主よ、み国に至らん時、我を想ひ給えといいければ、主は、汝、今日、我と共に楽園にあらんと、のたまえり」とあります。キリストは、その盗賊の願いを直ぐに聞き入れて罪を赦し、天国へ導きいれたのでした。

 私は、この話を信じます。そして、限りなく優しいキリストに希望をおきます。

 愛する人のために、祖国のために命を捧げる人はいます。金銭や名誉や快楽のためには命懸けで働く人もいます。しかし、罪人のために死んでくれる人はいません。そのいない筈の人がここに1人だけいたのです。私は今、この十字架の上で、盗賊を含む、すべての罪人のために死んでくれた、キリストに出会いました。この出会いによって私は、キリストが生前に話された、「放蕩息子の喩話」は、実は、喩話ではなく、今の世も引き続き繰り返されている実際の話であること、そして、私自身が放蕩息子の1人であることを再認識させられました。

 私はこの盗賊のように、素直にキリストの優しさを信じます。そして、安心して、急いで、キリストの許に帰って行きます。勿論、そのためには、これまでの生き方の中で、必要な赦しを願い、これからの生き方に忠実であることを約束しなければならないと思います。カトリックの教えを要約した「公教要理」には、人間とは、肉体と霊魂が合わさったものと定義してあります。即ち、人間は、限りある肉体のいのちと、限りない霊魂のいのちで生かされています。 私どもは、体が不具合になったり、まして、命取りの病気ともなれば、それ薬だ、手術だ、名医だ、病院だ、有り金残らず叩いても等、と「限りあるいのち」のために大騒ぎします。命は神様から預かったものですから大切にしなければならないのは当然のことです。しかし、「限りないいのち」の霊魂はもっと大切に扱わなければならないでしょう。自分の魂が死にかかっていても気付かず、気付いていても無下に放置しているようなことがあってはならなと思います。

魂が病気になったら矢張り手術は必要です。これを「赦しの秘跡」といいます。魂の手術は簡単で、1人でも出来、失敗する心配もなく、苦痛も後遺症も伴いません。完治するまでに薬も医者も病院も金も要りません。時間もかかりません。時間がかかるようでも困るのですが。

蚕は糸を吐いて繭を作るまでに、4回脱皮します。脱皮の前には、桑の葉を食べず、じっとしている「沈黙」の時間があります。美しい絹糸が出来る裏には、そんな蚕の営みがあるのです。栄えある復活祭を、よりよく迎えるために、私どもも、どのようにしたら、魂の霊的脱皮が出来るかを、一緒に黙想してみませんか。



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福音を宣べ伝えなさい
カトリック秦野教会 寺田

 主の死を思い、復活をたたえよう、主がこられるまで。(ミサ典礼文)ご復活祭おめでとうございます。

 イエス様がこの世で宣教を始められたのは洗礼を受け、同時に聖霊をお受けになって「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」との天の声をお聞きになってからです。「時が満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ書)とおっしゃってガリラヤ全土を巡りながら、弟子を呼び集められ、熱心に宣教なさいました。多くの病人を癒し、悪霊につかれた人からは汚れた霊を追い出し、目、耳、口、手足の不自由な人たちを癒して回られたのです。評判を聞きつけて、集まった大勢の人々には福音を、しかも、分かりやすいたとえをもって、親しくお話しになりました。ある時は長くなり食事の心配もしてくださったのです。4千人とか5千人もの人々の食事を、しかも十分に用意なさったのです。奇跡です。イエス様の教えは「実に権威ある新しい教え」でした。それもそのはずイエス様は天の御父と祈りを持って対話し、すべては御父のご指示によって話し行動しておられたのです。従順の模範です。福音宣教は弟子たちにもお任せになりました。汚れた霊に対する権能や油を塗って多くの病人を癒す権能を与え、弟子達を2人1組にして、村々に派遣されました。弟子たちは人々の前で「神の国はあなた方のために近づいた」悔い改めなさいと宣教し、権能を行使し多くの奇跡を行ないました。イエス様と同じ奇跡が起きたのです。弟子たちは喜んで帰ってきて報告しています。イエス様はさらに重大なお話をなさいました。すなわち神の愛の御業、救いの御業です。聴いている人々は理解できませんでした。21世紀に生きる私たちはその偉大な恵みを知っているし享受しているのです。

 私たちキリスト者は、しばしば聖書を開き、神の恵みを繰り返し学ぶことはまことに大切なことです。

 イエス様の十字架の死によって私達の罪の許しをいただき、イエス様の復活によって永遠の命をいただき、神の栄光を受けた王の王キリストがその玉座から聖霊を注がれるのです。私たちは神の子とされ「アッバ父よ」と呼べる身分なのです。御父のことについて、イエス様はどなたか、私たちのために何をしてくださったのかを教えてくださるのです。すると、心からの感謝と賛美、「イエスは主である」と叫ぶことができるようになり、個人的な礼拝へと導かれるのです。聖霊はまた、私たちのうちで働かれ、愛、喜び、思いやり、やる気など心のうちを変えられるのです。そして、隣人の世話や奉仕も寛大な心をもって自発的に行動できるようにして下さるのです。

 さらに聖書は語っています。この恵みの受け方として「信仰によって受ける」とか、「聖霊に従って歩みましょう」とかの記述があります。イエス様が御父の御心に従順であったように、私たちも自分の思いに生きるのではなく、聖霊の導きに聞き従う忠実さをもって歩むべきことを学びます。神の恵みのすばらしさと、キリスト者の生き方をすばやく理解したパウロは次のように語るのです。「私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのはもはや私ではなくキリストが私の内に生きておられるのです」(ガラ2・20)と。自分を捨て去って主に仕えるとき、主が身代わりになって事を成してくださるのです。このように考えると「全世界に行って、すべての者に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ・16・15)と、イエス様が命じられることに挑戦したいとの勇気が湧いてきます。弟子たちと同じ喜びを味わわせていただくためにです。



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ご復活おめでとうございます
教会委員長 牧野

 今年のご復活は3月になり、いつもより早い時期にあたります。今年の暖かさから、桜も祝うご復活になりそうです。

 私が教会委員長の重責をいただいてから4年の間、ご迷惑をお掛けしながらも、何とか勤めさせていただきましたことを厚くお礼申し上げます。

 さて、この藤沢教会では、昨年度も一緒に力を合わせて、様々なことを行って参りました。

 典礼においては新しい試みをいたしました。

祭壇を皆で取り囲む聖堂の配置です。共にミサに「参加する」ようにと考えて、研修会などを行いながら、ミサ典礼を見直し、検討して参りました。フォーラムやアンケートにより、何回か意見交換をいたしました。今までにない配置でしたので、びっくりされた方々もいらっしゃいました。今後も教会は神の共同体を実現するための典礼を求め、考えていきたいと思います。

 また、社会貢献の一つとして、教会にシャワールームを設置する件等の検討をしました。教会全体で行った代表的な行事のバザー、ブロック活動、各活動部、祈りと行事も活発に行われていることはたいへんにうれしいことです。

 このようなことを通して、私は、この教会での神の働きが更に活発になっていると実感いたしております。一昨年来、共に共通の場で、率直に同じ土俵に上って賛否両論を話し合えたことはありがたいことです。みんなの協力をいただき、教会の中で、共に議論しあい、お互いを認め会えるようになってきたことを感謝しております。

 さて、教会の中では色々な改革運動が行われております。大阪教区では、ご存じの通り小教区をなくし、地域をブロック化して、その単位で活動をするような改革を行っております。横浜教区では、教区全体での取り組みを逐次拡大しております。小教区だけでの活動には限りがあります。小さい規模の教会ではより困難があります。私たちの教会も他の教会と共に祈り、共に活動をすることを望まれております。今年から片瀬教会と共に横浜教区第5地区(鍛冶ヶ谷、中和田、戸塚、原宿、大船、片瀬、藤沢)の福音宣教活動幹事教会になります。片瀬教会から生まれた藤沢は、感謝しつつ、お隣の教会と共に手を携えて進みたいと思います。

 4月14日の信徒総会より、教会委員会は新しい体制になります。委員の多くは交代をいたします。皆様、今までの温かいご援助に深く感謝いたすと共に、新しい委員会への全面的積極的なご協力をさらにお願いいたします。



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教会委員会報告

運営委員会報告(2月14日(木))

 運営委員会では次の項目について検討したが、地区委員会と重複するので内容は省略する。

  1. 第3プロジェクト報告(将来建築中間報告)

  2. 信徒総会への検討事項

  3. 来期の活動計画集計

  4. シャワールーム設置の具体的推進状況

  5. 第2プロジェクト推進の具体策

  6. 活動部から

  7. 行事確認

地区委員会報告(2月16日(土))

 本日の委員会には典礼部長、宣教部長、総務部長、教育部長、次期副委員長内定者、次期地区委員内定者もオブザーブ参加をした。

1、静思のひととき

 心身をリラックスさせるエクササイズの後、創世記(2・7〜9、3・1〜7)について、しばし黙想した。

2、第3プロジェクト報告(将来建築中間報告)

  プロジェクトメンバーの大森淑仁氏(湘南台)と岡田友季子氏(藤沢1区)により、 「将来の建築計画を考えるプロジェクト」 中間報告が行われた。昨年10月に7名でスタートして、5回の会合で得られた結論として、互いに受け入れあい、よそ者がいない教会共同体(コイノニア=パロキア)づくりこそ将来建築の準備であるとしている。そこで、今後のプロジェクトを進める方向として、
(1)同世代、さらにはより若い世代との分かち合いの輪を、小教区の枠にこだわらず、広げながら、問題意識を共有していくこと、
(2)具体的取り組みとして、小教区を越えた、教会共同体づくりのための養成、次世代養成に協力していくことを提案した。詳細は17ページに掲載して あるので、お読み下さい。
  以上の報告について検討した。プロジェクトで得られた結果はすばらしいものであり、特にテハン神父様は8月の司祭大会の良い材料になるといって喜ばれ、引き続き、提案の方向で進めてもらうことにした。

3、信徒総会への検討事項

 4月14日に開催される信徒総会に向けて、活動報告、次年度計画、教勢報告、財務報告等について検討した。総会の資料作成について関係各位の協力をお願いし、3月の地区委員会には資料の素案を提出して検討する。組織図も資料に入れるが、婦人部は部長欠員のままにする。
 新体制への引継ぎ事項として、第2プロジェクト(修繕長期計画プロジェクト)の問題がある。リーダーを依頼する予定にしていた方が転勤になるという話が出てしまい、人選をやり直さなければならなくなってしまった。

4、来期の活動計画集計

 例年通り来期の活動計画を集計したものをプリントして、3月1日の初金のときに配る。予算関係については財務部に渡す。
 また、年度の区切りを4月〜3月を1月〜12月に変更する件を信徒総会に提案する。その場合の信徒総会開催時期について検討した。会計報告も行う必要があるので2月第2日曜日とする。

5、財務報告

 財務部長から資料により2001年度(1月〜12月)会計報告が行われた。
一般会計と修繕特別会計を合わせた全集計では400万円強の赤字である。これは大規 模修繕としてセンターホールの空調設備を改修したためである。一般会計は皆様の協力により200万円強の黒字であるが、収入を昨年と比較すると月定献金が減少傾向にあり、祭儀献金が大幅に落ち込んでいる。一部項目間の修正を行い、承認された。
 横浜教区の経済問題評議会委員をされている篠澤氏(次期副委員長)から、教区のペイオフ解禁対策について説明があった。本年4月からペイオフ解禁になるが、横浜教区管内小教区の預金はすべて「(宗)カトリック横浜司教区」の名義となっているため、一金融機関への預金が1000万円を超える部分は保護されなくなる。(当初1年は定期預金が対象)これに対応するため、教区としては、経済問題評議会の答申を受け、教区長の決定に基づき、リスク回避及び効率的な資金運用を目的として、教区に「資産運用基金」を設立し、小教区の資金を集約して、横浜教区全体で資金管理と運用を行うことになった。
 教区事務局から、小教区で、1年以上使う予定のないお金について、本年3月末までに、100万円単位で資産運用基金に拠出して頂きたいとの要請を受けた。なお、会計処理上は、教区本部と小教区との「預り金・預け金」取引となり、教区本部の一般会計とは独立した別会計で運用される。拠出金に対し、小教区毎に一定の利子が支給される。藤沢教会の対応は、主任司祭、教会委員長、事務局長、財務部長に一任することにした。

6、シャワールーム設置の具体的推進状況

 シャワールームのための献金は2月10日現在で40件、271,000円でした。目標達成のために専用の献金箱を設けることにした。

7、各活動部より

・典礼部より

 3月10日に典礼フォーラムを開催するが、それに向けて答え易いアンケートを準備中 です。前回のフォーラムでは出席者が少なく、アンケートも少なかったが、一部の人の意見で今後の典礼の形式を決めるのは問題があると思われるので、各ブロック、各活動部でも意見を聞き、その中身と数を含めてまとめて欲しい。2月11日の教区典礼研修会では今の形が好評であった。典礼研修会では、神父様が朗読中は案内しないで、待ってもらうように、また、席に座るときには列の真ん中から、前の列から座るようにいわれた。
 聖体拝領を前の人からにした理由は、2ヶ月間後ろの人から行った結果、行列に並ぶタイミングに気を遣い、落ち着かない等の意見を考慮し、今後2ヶ月間前の人からを試行することになったもの。
 四旬節の間、派遣の前にお知らせに書いてある四旬節の祈りを皆で一緒に唱えることにした。

・宣教部より

 8月の平和旬間は第5地区(幹事は片瀬教会と藤沢教会)担当なので、有名な方の講話を聞くよりも、皆で平和を作り上げていくような行事を考えていきたい。

・教育部より

 昨年11月3日の日曜学校リーダー研修会で、国井神父様のミサについての講話があり、聖堂の真中を中心にしたミサの良い点を話された。3月23日にはシスター田島が「子供と共に捧げるミサ」という講義をされる。
 スポーツ大会は4月28日(日)、聖園女学院のグランドで行うが、第5地区全体にも声を掛けてある。中高生が何をやるか、上の人はどのような運営体制で協力するか検討している。

・事務局より

 4月7日の堅信式はでベトナムの人やラテノスの人も大勢受けるし、司教様の公式訪問も兼ねているので、国際部で調整して、国際ミサの形で行う。

8、その他

  1. 3月31日にティム神父様に贈る霊的花束は工夫を凝らしたものを一粒会のメンバーで考えている。

  2. 4月21日に初聖体があるが、準備をティム神父様が進めている。

  3. ティム神父様が青少年の指導をしているが、この役割を信徒が引き継いでかなければならないということで、リーダー会を含めて検討を始めている。



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家庭訪問振り返って
ティム・ムルロイ神父

 藤沢小教区では、昨年1月から今年の復活祭まで、司祭またはシスターが各地区の何方かの家庭を訪問し、その家の方々、または、小さなグループの方々と分かち合いをいたしました。この企画は、一応終止符を打ちましたが、そこから得たものはこれからも活かされることを願っています。

 多くの人にとって、教会は公の場であり、そこで働く人達にとっては、必ずしも自分に合った役割や、自分が望む仕事が出来る場ではありません。しばしば、自分の意に反しながらも、他人に求められていることをしたり、司祭に頼まれたことを従順に聞いて、言われるがままに受け入れています。また、教会活動をする時、あまり良く知らない人々と一緒に仕事をするのは肩がこると思いながら、避けることが出来ない時もあります。

 家庭訪問は、私達が共同体の一員でいなければならないと同時に、「ありのままの自分」になりたいという願いのバランスをとるための一つの企画でした。ほとんどの人は、自分達の体験、希望、恐れなどを公の場より自分の家で分かち合う方が気楽にできると思います。家庭訪問は、なすべき協議事項とか決定事項がないという点で、家庭集会とは異なります。司祭やシスターに対して、ミサを上げてもらおうとか、話をしてもらおうとか、質問に答えてもらおうと思っていません。その代わりに、集まった人達が体験したことや、考えを気楽に分かち合うことが望まれています。

 私は、この家庭訪問を通して、非常に多くの方々と出会い、話を聴く恵みが頂けただけでなく、多くのことを学びました。自分の家が狭くて古いという理由で、司祭や他の方々をお招きするのを恥かしく思っている人、持ち物や職種によって判断されることを心配している人、司祭と個人的に関りたいと強く願っていながら、直接話しかける自信がないという人など、様々な考えを持っている人がいることに気づくようになりました。また、司祭と話をしたいと思いながらも、「神父様はお忙しいから、私の相談にのって頂く時間はない」とか、「私は神父様に迷惑をかけたくない」と、遠慮している人もいました。私は、そのような話を聞いた時、少し悲しく思いました。そのような方達は、司祭を、一般の人を見る目と、全く違う目で見ているのでしょう。もし彼らが、司祭を特別な人間とか、偉い方とか思っているなら、彼らは司祭を近づき難い人と思い、気楽には関れないでしょう。

 いろいろな機会に驚いたことは、教会活動にもっと関りたいけど、何か新しいことを始めたり、新しいグループに入る自信がないという人達がかなりいるということでした。毎週出される「お知らせ」には、沢山の活動が載っているにもかかわらず、多くの人は直接頼まれない限り、参加することに二の足を踏んでいます。ですから、いろいろなグループに入っている方々は、そのような方達に参加するよう声をかけることが大切のように思われます。また、新しく入られた方達が慣れるまでサポートしてあげ、責任あることを無理にさせないよう心を配ることも大切です。 いつか、あるグループがある方の家に集まり、彼等の信仰や教会との関りについて分かち合いをした時、私は初代教会の姿を思い起こしました。その中には、長い間教会から遠のいている方、、また未信者の方も何人かいました。私にとって、彼らが教会をどのように見ているのか、考えているのか、その異なった見解を聞く良い機会でした。 彼らは自分の信仰心がどうして離れたかを話し、私はその正直さに感動しました。そして、信者の方々が、回りの一般の方々と、信仰について飾ることなく正直に分かち合うことは、社会に強いインパクトをもたらすということを改めて認識しました。もし、一つのグループの信者達が、1年に2回位どこかの家に集まり、一緒に祈り、信仰について分かち合ったら、それは素晴らしいことではないでしょうか!と、私は思っています。

 私が学んだことは、他にも沢山ありました。でも、もしそれらを全て書き留めるなら、八角形ニュースの「特別号」が必要になるでしょう! この家庭訪問を企画し、関ってくださった方々に、私を招んで下さった家の方々に、そしてそこに参加してくださった方々に心から「ありがとう」と、申し上げたいと思います。皆様も、私と同じように沢山のことを学ばれたことを願いながら!



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藤沢カトリック教会の皆様へ
カトリック使徒宣教者会 山口

 昨秋のバザー収益金からカンボジアの人々のために多額のご寄付をいただいたことカンボジアの友人に代わり御礼申し上げます。

 バザー開催以前に皆様には既にご説明致しましたとおり、頂戴いたしましたご寄附は、カンボジアの北西部バッタンバン使徒座知牧区の下、トンレサップ湖上に点在する極貧の村々の幼児教育、識字教育、衛生教育等にあてたいと考えております。この地域には国籍どころか如何なる社会的ステータスも持てないベトナム系住民数10万人と、土地を所有出来ないやはり貧しいカンボジア人、さらに少数民族でイスラム教徒のチャム族が湖の上で混在して水上生活を余儀なくされています。長年にわたる欧米諸国の勝手な覇権争いの犠牲となり、内戦や民族の対立は今も深い傷として残っております。 特に近年に起きたインドシナ戦争全般やポルポト政権による大量虐殺、冷戦末期の中越の対立がもたらした悲劇は、数百万個におよぶ地雷の未撤去、数十万人の障害者、肉親を亡くした遺族のトラウマという形で現在も続いています。中でも、トンレサップ湖周辺の問題は、センシティブな民族問題に直接関わることにもなるため、どのNGOも、また教会としてもほとんど手を付けていないのが現状です。しかし、カンボジア国内での民族問題にある程度の和解が無い限り、インドシナ半島の安定も各国家間の和解も当然あり得ません。そこで、大海の一滴であっても問題を引き起こした欧米人ではなく、アジアの一員である私達が出来る範囲で何か手伝えればと考えました。特に藤沢教会には、たくさんのベトナムの兄弟姉妹がいます。これもまた、他にはない藤沢教会ならではの貴重なポテンシャルであり、この問題に取り組んでいくにあたって大きなプラスだと思います。

 今の構想としては、頂いた300万円の内、3分の1程度を立ち上げのために直ちに使わせていただき、後の3分の2は何らかの形で基金としてまわしていきたいと考えています。この基金からの利益は、僅かかもしれません。しかし、上記のような各教育プログラムは、直ぐに結果が現れるようなものではなく、地道に進めていかなければなりません。始めるからには、責任をもって継続できるもの、さらに、将来現地の友人たちに手渡していけるよう真剣に取り組むべきだと考えます。ありがちな、一度限りの資金援助、お金だけ送金してしまえばその後どう使われたか、そこの人たちがどうしているかにまったく関心を持たないような無責任な関係でなく、遠くはなれていても、共に生きていることを実感できる人と人の関係が出来ることを望んでおります・。

「カンボジア福祉基金藤沢」をとうして、皆様と共にアジア人としての責任を果たしていければ幸いです。

ご意見、ご助言等お待ち申し上げております

 感謝の内に

  2002年2月26日



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典礼研修会に参加して
善行 岡村

「キリストの中に一つになろう」という典礼聖歌を歌って横浜教区第21回典礼研修会は始まりました。

遠くは長野県・静岡県からも参加者のあった3百65名もの信徒が集まる研修会は、はじめてでした。

「秘跡における共同体の役割」というテーマがいかに、今、この時に信徒たちの関心を引きつけたかを表しているのでしょう。40年近い歳月を経てようやく第二バチカン公会議の目的が、わたしたちの間に受入れられ息づきはじめたのも表しています。

それにしても今回の会場が、新しい聖堂の中の配置と典礼を試みている最中の藤沢教会であったというのはあまりのも出来過ぎた話だと思います。

 教区典礼委員たち自身も、こんなに大勢の人が入ってもなお人々に囲まれて中央に大きなスペースが残されていることの力強いはたらきに驚嘆していました。これは人々を一つに結びつける大きなはたらきだ、とそこにいた誰もが感じたことでしょう。

 当日参加者に手渡される資料の中に、藤沢教会報のクリスマス号に掲載された「新しい聖堂の発見」の別刷りに聖堂の配置図をつけて入れておきました。

どうしてこうしたのか、と問われるだろうと予想したからです。

果たして昼食時に、一人の藤沢教会信徒から、他教会の参加者に尋ねられて「これがそうですと示すことが出来てよかった」と言われました。

 素晴らしい暖かい手作りの昼食が藤沢教会の女性信徒たちによって参加者に提供され、また男性信徒たちが黒子のように様々な所で影のはたらきをして下さり、身をもって参加者たちに共同体のはたらきを印象づけていたように感じます。散会後に何人もの参加者からお礼のことばを伺い、うれしくなりました。 3つの講話の内容はいずれ録音テープによりまとめられ、紹介されるでしょう。

 わたしが講話とそれを聞きいっている参加者の様子から感じたのは、次のようなことです。

 今現在わたしたちの心が益々引きつけられていく秘跡、特に共同体になくてはならない秘蹟イエス・キリスト御自身とキリストのからだが、どのようにして常にわたしたち信徒と、その派遣される社会の人々と共にあるのかが繰り返し語られ、参加者は日頃感じていることを講話の中に聴きとり確かめていた、ということです。

 色々の人の話から、今日この会場で体験したことは、参加者にとって良い意味でショックだったようです、とは講話者の1人市岡神父の話です。



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鵠沼ブロック黙想会に参加して
鵠沼2区 野村

 立春も過ぎた2月11日、鎌倉十二所イエズズ会黙想の家で、黙想の家指導司祭インバニエス神父様によって「信仰と日常生活」というテーマで黙想会が行われました。

 午前の講話、個人黙想に続き、昼食後は午後の講話、ミサ、ティータイムという行程で、午前10時から午後4時まで、すばらしい有意義な1日を過ごすことができました。総勢14名、この方たちの中には、何度か黙想の家でイバニエス神父様のご指導を受けられた方もおりました。私は初めてのことで、後ろには山を控え、周りは静寂そのもの、建物の中では神父様とシスターの出迎えを受け、講話の始まる前から心が引きしまりました。40年間も日本で宣教されているといわれるだけに、どちらかと申しますと東洋人的な感じのする神父様が席に着かれ、1日のプログラムを丁寧に、しかも厳粛に説明してくださいました。

 講話の内容は、四旬節は紀元325年のエフェソ公会議で灰の水曜日から復活祭までの40日間と定められ、さらにバチカン公会議の教会典礼憲章の中でも、今一度、四旬節のことが強調されているのだというお話から始まりました。

 四旬節中は、洗礼を受けた時の約束をしっかりと思い出し、また復活祭に受洗する方のよりよい準備の時でもあります。そしてこの期間は償いの時ともいわれ、自分自身の回心の時、自分自身のはっきりとした方向を見つけ出す方向転換のときであり、祈りにはげむ大切な時だとおっしゃいました。

また四旬節の償いとは、内的なもの(自分のため)だけではなく、外的なもの(社会的な)にも向けられたものでなければならない。  そして、ご復活からご昇天の40日間も四旬節の40日間と同じように喜びの期間であると話されました。

 四旬節での大切なねらいは、み言葉を聞く、み言葉を大切にする、み言葉を聞いて自分を浄化する、洗礼の約束通りの生活をし、毎日の生活を成長させ、そして四旬節の霊性を味わうこと。

 1日1回、寝る時、起きている時、食べる時、その他、どんな時であっても、神の前にいる、そして神を信じていることを感じるならば、自分の人生の中に神の愛が住まわれるという素晴らしさを実感することが出来るのだともおっしゃられました。

また、毎日の生活でのキリストとの祈りは神と、私たちとが顔を見合わせて対話(カンヴァセーション)する祈りであって、私達の一方的な祈りではないのです。神を礼拝し、神を賛美し、神と2人きりで神と一緒にこの世の中にいる神秘的信仰体験をすることです(詩篇139参照)。そして祈りの中に、毎日の経験と事実があるのだと締めくくられました。

 ごミサの後、ティータイムでは、皆さまから、この日の黙想会の感想と分かち合いがあり、それぞれに神父様のお話を心に刻み帰途につきました。



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初めての「静修の日」
辻堂2区 曜吉、昌子

 皆さん、こんにちわ。私たちは昨年11月にプロテスタントから改宗してこちらの教会に迎えていただいた梅澤曜吉・昌子です。12月には堅信の秘跡にあづかることが出来、神さまの不思議なお導きと祝福に心は感謝で満たされ嬉しくミサに出席させていただいております。

 同じキリスト教であるので、特別な違和感がある訳ではありませんが、やはり今までの教会が礼拝出席30名前後の小さな教会だったので規模の大きさに圧倒されております。

 また、毎日ミサがあり、入門講座や受洗者アフターケア講座、、堅信信者準備講座などなど沢山の講座があるのにも驚いております。また、2月13日には「灰の水曜日」のミサでティム神父さまより「回心して福音を信じなさい」のお言葉と額に十字のしるしをいただきました。ティム神父さまを通してイエスさまが私たちに心から望んでおられることなのだな、と感謝で心が熱くなりました。

 そして、2月24日の静修の日・共同回心式の日です。私たちははじめこの日がどんな日なのか、また、どんな事をする式なのか全くわかりませんでしたけれど、きっと参加することを敬愛する神父さま方もイエス様も望んでおられることでしょう、との気持ちで参加いたしました。ミサに引き続きいよいよ集いが始まろうとしている時、教会の広報部の方がいらして、「八角形にゅーす」への原稿依頼を受けました。突然で困ってどぎまぎしていると「頼まれたらハイとご返事をいたしましょう」とのお優しくきびしい平野さんのお言葉、一も二も無く承諾することになり、早速ペンを走らせながらの初めての「静修の日」を迎えることになりました。

 そして、この原稿をまとめるにあたり夫婦で当日を振り返りながら、神さまの不思議なお導きと神さまが私たちに心から望んでおられることを知ることになりました。

 まずはじめにティム神父さまは聖書(マタイによる福音書)から神さまは私たちの心を癒してくださるお方であり、私たちは癒していただくために、自分の弱さを知り欠点を認めることが必要とお話してくださいました。とかく、私たちは怪我や病気でどこか体の一部が悪くなると、病院に行くし、その部分をとても大切にするので自然と治すことができるが、心が病気の時は忘れようとしたり、無視したりして受け入れず、認めず、その心の一部の傷を大切にしないので、もっとキズを大きくしてしまっているとおっしゃいました。そして終わりに聖書から(コリントの信徒への手紙12章7〜10節)「人の誰もがもっている欠点、みじめさ、弱さは全て神のご計画であり、お恵みであるので喜んで受け入れましょう」との奨励をいただき午前の部を終えました。昼食後、午後の部が「回心の祈り」で始まり、聖書ヘブライ人への手紙(4章15節〜5章2節)から大祭司(イエスさま)は自分自身も弱さを身にまとっているので、私たち無知な人、迷っている人を思いやる事がお出来になる方だということをお話してくださいました。

 この後それぞれが個別のゆるしの秘跡を受け、最後にセンターホールでお茶をいただきながら分かち合いのひとときをもちましたが、当日はティム神父さまの藤沢教会での最後の「静修の日」のご指導でもあり、大勢の方の参加を得て大幅に時間が遅れてしまいましたが、私たちにとっては初めての体験に少々緊張いたしましたが、とても祝福された1日でありました。これからも、私たちが私たち自身を愛するよりも、もっと深く私たちを愛していてくださる神の愛を信じて、日々神のみ前に回心し、福音を信じていきたいと思います。また、この喜びを沢山の方と分かち合いたいとも思いました。



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「聖書100週間」を終えて
由比が浜教会 岩沢

 森田さんから「聖書100週間」のお誘いを受けたとき、私には「自分には続けられないだろう」「今更」という気持ちがありました。しかし、一方では強く惹かれるものもあり、どうしようかと考えているうちに、何となく流されるように参加することになりました。

最初のころは読みなれた「創世記」から始まったこともあり、大きな感動もなく、また発表も苦手なことから、何とかその日その日を終らせるのに精一杯でした。

 そうした中で皆さんの聖書に対する様々な感想を伺って、新しい発見をし、感動することが多く、皆さんのお話をもっと聴きたいと思うようになりました。回を重ねるにしたがって、皆さんはご自分の体験、思い出、希望などを絡めながら、実に素直に話をして下さるようになり、次の回が本当に楽しみになるようになりました。同じ聖書を読みながら神様がそれぞれの者にその時その時に応じて語りかけて下さっているのが少しずつ聴こえてくるようになった喜びや、発表される方々の口を通しても神様が語りかけてくださっているのを感じました。テハン神父様によるステップのまとめのお話も一言一言とても味わい深く心に沁みこみました。もう100週間は私の中でとても大事なものとなりました。

 初めは参加するのがやっとだった私も、皆さんの言葉を聴いているうちに、少しずつではありますが自分の思いを言葉にすることが出来るようになりました。私にも今まで感じることのなかったようなことを聖書の中に感じられるようになり、是非皆さんにそれを聞いていただきたいと思えるようになったことは大きな喜びでした。

 また、お世話をしてくださった吉原さんのお人柄でしょう、クラスの皆さんの強い結びつきを感じました。友人。いやそれ以上のもの。心許せる兄弟・・。途中、都合で数週間お休みした時などは、久し振りの参加を暖かく迎えて頂き、まるで古巣に帰ってきたような、大きな忘れ物を見つけたような・・。「ああ、来てよかった」 と心から思うことが出来ました。今、終って、それぞれの道に別れて歩み始めねばならないのが不安で、とっても寂しく思います。よそ者で勝手なことばかり話していたこの私を本当に親切に、仲良くしてくださった藤沢の皆様への感謝の気持ちで一杯です。

 私のように食わず嫌いで「聖書100週間」を知らない方がいらっしゃいましたら、是非参加されることをお勧めしたいと思います。 テハン神父様、吉原さん、森田さん、そして藤沢の皆さん、本当にありがとうございました。

 終わりになりましたが、今、病床に臥しておられる吉原さんが1日も早く快復されて、再びご活躍されることを心よりお祈り申し上げます。



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ひとこと
辻堂1区 梅田

聖書100週間、頑爺が今更何をとは思いますが約3年半余の間、自分ながら、周りの人達に支えられてではありましたが良く頑張ったなと思い、また、いい尽くせない程のみのり多いものでした。

読んで、書いて、話して聴き、そして祈る。勉強のことについては改めて申すまでもありませんが、話し終わっての祈りの時、真珠のように光る美しい涙を見たことが度々ありました。それは心情を吐露してのもの、それを聴いてともに祈る。これこそこの頃いわれる「分かち合い」の純真純粋の姿でないでしょうか。温かく、強く結び合った心と心、マリア様が、一番お好きだったロザリオの珠と珠を想います。

これは聖書100週間で頑爺の私が最も感銘を受けたことでした。



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「四季の色」コンサート
「四季の色」をうたう実行委員会

 藤沢ブロックでは何か親睦をはかるための催しを開催するべく、いろいろな角度から考えて見ました。今までに藤沢ブロックで実施してきた催しは、遠足、各種講演会等でした。今度は時間がかかっても「何か創っていくのもいいのではないか」という意見があり考え合った結果、「堀明子詩集 四季の色」に出会ったわけです。みんなで詩をうたってみようか・・ということになりました。さっそく、堀さんのご家族にお願いしたところ、快く、お許しをいただきました。また、堀部隆二さんに私たちの気持ちをお伝えしたところ、ご協力いただけることになり、作曲家も紹介していただきました。コンサート開催日を2月3日(節分)に定め、「春を待つ」というサブタイトルをつけ、これにふさわしい詩を堀さんご家族が選んでくださいました。

 昨年9月11日に(火)に第1回の練習が始まりました。堀部先生のご指導をいただくことで、緊張している方もおりましたが、6ヵ月間、練習を続けることができました。途中、体調をくずされて応援に回った方、練習が夜のめにどうしても参加できなかった方達の分まで、一生懸命練習に努めてくださいました。ピアノ伴奏の伊東優子さん(K1)は御仕事の合間を都合してくださいました。

 私たちは、明子さんの詩を大切にしたいと思い、詩の朗読もコンサートのプログラムに入れたいと思い、日曜学校に相談しましたところ、子供たちが賛同し、手をあげてくださいました。また、堀明子さんの出身の藤沢市立大道小にもお話したところ、3年生が3人も参加してくださいました。明子さんは童話もつくっています。みくに幼稚園の道家まゆみさんが作曲して、それを園児たちが今でも歌っていると伺い、発表をお願いしてみました。朗読のバックにはミュージック・ベルのグループにもご協力いただきました。

 藤沢市教育委員会の後援もいただき、たくさんの皆さまに応援していただき開催することができました。

 コンサート当日は雨天にもかかわらず、約500名のお客さまをお迎えすることができました。自然の美しさと大切さを感じたままに優しく、素直にうたった「四季の色」の合唱、朗読に感銘された方がたくさんおられたと思います。

 コンサート開催に際して、当日の会場をはじめ、練習会場の提供などで特別な配慮をいただきました藤沢カトリック教会のみなさんに心からお礼を申しあげます。そしてコンサートで合唱と朗読に参加された皆さんはじめ、ご協力いただいたすべての皆さんに感謝を申しあげます。



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「四季の色」演奏会を終えて

指揮者 藤沢1区 堀部 隆二

 約半年の間、堀明子さんのけがれのない自然に対する心と、作曲家・徳永洋明氏の豊かな芸術的感性の世界に遊ばせていただき、大変楽しくまた充実した時を過ごさせていただきました。また思いのほか大勢の人達が集まってくださり、1回1回の練習の楽しかったことがとても印象的でした。信者以外の人も多く参加してくださり、共に歌うことが出来ましたこと、きっと天国の明子さんが一番喜んでくれたことでしょう。

関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

ピアノ伴奏 鵠沼1区 伊東 優子

 藤沢教会でのコンサートのお話をきいたとき、ベルギー留学時代に、教会でトリオをしたときから始まったいくつかの教会でのコンサートが思い出され、少しずつできあがってくる楽譜を手にとっては、コンサートの日を楽しみに音を作る日々を過ごしておりました。 当日は冷たい雨の1日でしたが、たくさんの方がみえて、熱心な良いクリスチャンとはいえない私もささやかな奉仕をすることができたことをうれしく感謝しております。



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エルダーズの会より
藤沢1区 大津留 達郎

 聖堂の片隅で呱々の声をあげたのがつい先頃のような気がしますが、早いものでやがて満5年、「教会の中に日向ぽっこをしながら、楽しく寛いで何でも話し合い、交わることの出来る場を作りたい」 との願いから始めたこのささやかな集いも、今では教会を取り巻く「漁礁」の一つ位の役割は果たせるところ迄成長したといえるようです。

 エルダーズという看板のせいか、若い方の参加が殆ど得られないのが如何にも残念ですが、教会の集まりにしては珍しく男性が多く、そのせいも有ってか、その時その時の話題性のある政治、経済、社会の出来事なども井戸端会議的な雰囲気で話し合い、突飛な意見が出たりもして老化防止の刺激になっていることなど、内容的に充実して来たなと自賛している次第です。

先日メンバーの1人からこんなデータが配られました。

「世界には63億の人がいますが、もしもそれを100人の村に縮めるとどうなるでしょうか? 100人のうち、70人が有色人種で、30人が白人です。33人がキリスト教、19人がイスラム教、13人がヒンズー教、6人が仏教、5人が木や石に霊魂があると信じ、24人が様々な宗教であるか、または何も信じていません。
20人は栄養が十分ではなく、1人は死にそうです。でも15人は太り過ぎです。
全ての富の内の59%を6人が持ち、74人が39%を、そして残りの2%を20人で分け合っているのです。
 もしも、あなたが逮捕や死を恐れず信仰や信条、良心に従って何かをし、ものが言えるなら、そうでない48人より恵まれています。 もしも、あなたが武装集団による襲撃や拉致、地雷による殺戮に怯えていなければ、そうでない20人より恵まれています。等々以下略」

折りを見てこれを種に私たちに何が出来るのか、何をすべきなのか、いろいろ意見を交わすことになると思います。

エルダーズの集まりは毎週月曜日10時から12時まで204号室で、そして第2月曜日はセンターホールで食事会を楽しんでいます。

また湘南台センターでも、第3木曜日10時から12時まで集いを行っています。

ご都合のつく方は、何時でも結構ですから是非覗いて見てください。女性、男性、特に若い方々も大歓迎です。皆さまのお越しをお待ちしております。



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辻堂ブロック集会
辻堂3区 高橋

 3月3日(日)冬に後戻りしたような寒い日、辻堂ブロック集会が開かれました。

 また、この日は会の始まる前に聖コロンバン会協力者会のキャンペーンのビデオを見る機会をいただきま有意義な一時をすごすことが出来ました。その後、会がはじまりました。 集会にはマーフイ神父様、シスター浜崎、川辺さんにご出席をいただき、40余名が集まりました。今のごミサ、聖堂の配置などについてどう思うか皆の考えを話し合いました。あとはいよいよカレーパーティーです。前日は1区の山本さんのご指導のもと楽しいカレー作りでした。

 このカレーの一部は、丁度葉山で行われていた、青年の黙想会におすそわけして大変よろこんでいただきました。おひな様を囲んで桜餅も用意され、和やかにおお話も弾みました。

 その後は、この教会に来られて1年になられるシスター浜崎のあたたかいお話をうかがい、新旧連絡員、世話人の挨拶、新しいブロック長佐々木さんの承認とご挨拶で会は終わりました。ブロック集会は、親睦を深める大変良い機会です。今回、参加出来なかった方も次回はぜひお出掛け下さい。

 すべてのことに神に感謝!



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ウガンダからのお便り
辻堂1区 浮田

 ウガンダのキジト神父様から2月19日付、 次のようなお手紙をいただきました。

みなさまのホイマのいとこ達、孫たちから心をこめた挨拶をお送りします。前便でお知らせした通り、1月14日、コル神父経由で、みなさまからのクリスマスプレゼント25万円確かに入手いたしました。

 四旬節に入りましたので、私は難民キャンプを戸ごとにおとずれて、御聖体を授けたり、物資を配ったり、こうして世界中から失われた平和の印を届けるため、元気でいそがしい日々を過ごしております。

 神は無論、テロをお許しにはなりません。教皇さまと心を同じくして、私たちもテロリズムに反対します。アフリカにおける戦乱状態、そして難民発生の原因はイスラム原理主義などの暴力的風潮なのですから。

ともに平和のために祈りましょう。

こちらでも、私たちは白いリボンのような平和のキャンペーンをはじめました。私たちのはロザリオを使っての運動です。難民の人々の反応は上々です。

(キジト神父様に歌ってあげている難民の子供たち)

 ホイマの婦人たち、そしてキャンプのなかの婦人たちが、藤沢教会のバザーの「ウガンダの店」のめに手工芸品作りに取りかかっています。みな、何か役に立ちたいと積極的です。品物がまとまりましたらお知らせし、発送したいと考えております。

 一方、私たちは宮内毅君が、この夏来訪されるについて、準備を整え、楽しみにお待ちしています。

  愛と祈りのうちに

             キジト神父



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3月、4月の主な行事

3月

24(日)受難の(枝)の主日

28(木)聖木曜日

29(金)聖金曜日

30(土)聖土曜日 復活徹夜祭

31(日)復活祭

4月

5(金)初金・例会

7(日)堅信式 梅村司教司式

14(日)信徒総会

21(日)初聖体

28(日)スポーツ大会



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