八 角 形 に ゅ ー す

2002年7月7日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

「あなたに何を与えようか・願え」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・テハン神父

教会委員会報告

ゆるしと正義、そして平和

今年のバザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー委員長 安田

召命の日の集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聖マリア修道女会 シスター高木

教会遠足に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 石川

壮年部歓迎会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 片桐

スカウトバザーを終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・総括リーダー 清水

辻堂ブロック黙想会で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 宮崎

藤沢ブロックの集いと新人歓迎会に出て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 安田

修道院聖堂でのミサの体験・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 鈴木

聖パウロ修道院でのミサに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鍛冶ケ谷教会 島

「主よ 許してください」こんな考えは、異端でしょうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 鈴木

「藤沢市民と沙魚朗希望小学校展」のご報告とお礼

7月の主な行事

葬儀Q&A

八角形にゅーすのページに戻る




「あなたに何を与えようか・願え」
テハン神父

 日本の夏の暑さを感じると、私の体には自然に弱点が表に現われて来ます。夜よく眠れないし、何もしなくても汗をかくし、最近夏の暑さは9月の末まで続いています。もし、夏の間、私の夢の中で、神が仰せになった。「あなたに何を与えようか。願え」と。私は直ちに迷わずに「夏の暑さから私を救って下さい」と返事することに違いないでしょう。

 35年前に日本に初めて来た時、気温が20度になったら自分は仕事も何も出来ないと思いました。ある司祭の話では、夏の間、説教を休んだら、信者は喜ぶでしょう。幸いにその誘惑を乗り越え、違う大事な経験をしました。30年前の夏、ある土曜日の夜のミサの説教の時、暑くて汗が額から川のように説教を書いてあった紙の上に流れてきて、全部読めなくなりました。大失敗だと感じながら、ミサの後、皆が帰るまで香部屋から出ませんでした。その嫌な経験から沢山の実りが生まれて来ました。弱点を受け入れれば入れるほど、捨てるのではなくて、利用することにより、生きる喜びに合うことが出来ると思います。

藤沢共同体の去年の8月の暑い第2の日曜日の9時半ミサ後のシャワールームについての話し合い(フォーラム)は、藤沢教会の聖霊降臨の一つの例だと思います。弱い立場から、ホームレスの時の経験についてあかした女性の言葉が心の底まで響きました。交わりは表に現われてきました。シャワールームについて賛成しても反対してもかまいませんが、相手の心の持ち方の方が大事でした。ソロモンのような信者は藤沢共同体の中におります。列王記3章には「その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現われた。神は仰せられた。『あなたに何を与えようか。願え』ソロモンは言った。『善悪を判断してあなたの民を裁くために聞き分ける心をしもべに与えてください。』神は彼に仰せられた。『あなたが、このことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵の命を求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、わたしはあなたに、知恵の心と判断する心とを与える。』」と書いてあります。

 幸いに藤沢教会の信者の中で、知恵の心と判断する心を持っている人は少なくないと思います。神は今あなたに仰せられる。『あなたに何を与えようか。願え』あなたはどう答えるでしょう。夏の暑さに負けないようにとお祈りしております。





目次に戻る


教会委員会報告

(6月15日)

(1) バザー委員会経過報告

バザー副委員長の古沢俊博氏(F1)が出席され、進行状況を報告いただいた。

4月7日委員会スタート、メンバーはマンネリを防ぐ意味で新人が中心となっている。これまでのところ次のことが決まっている。

  1. 収益をあげて教会のため・福祉のために使いたい。

  2. 具体的な使い方は教会委員会に一任する。

  3. テーマは「ほほえみ溢れる助け合い辮gの回りの想いを形に―」

  4. 昨年同様バザー賛助金はお願いせず、寄付袋にする。

  5. テハン神父から「普段教会にこられない人とのコミュニケーションをどう保つか」との意向をいただいているのでやりかたについては検討したい。

  6. より具体的な使用目的があれば推進していく上での意欲になるので意見をいただきたい。

 このあと、川辺事務局長より収益金の使途につき、信徒会館建設・福祉目的・阪神大震災・修繕予備費など過去の変遷についての説明があった。

 テハン神父からは「バザーは収益だけが目的ではなく、そのやり方をとおして共同体として育てていく、司牧と福音宣教の精神が肝要である。目的は教会のためだけではなく、外の人のためにも使うという大きな括りでもよいのではないか」との示唆をいただいた。

(2) 元売店活用検討チーム発足

第1回会合(6月2日)で

  1. 壮年・婦人・青年など各層から交わりの場・居場所が欲しい、あるいは各種団体・チームから連絡の場として使用したいとの希望があるので多目的ルームとして活用したい。

  2. そのために構造・設備・改装の程度などを検討し、必要により見積りを行う。

  3. 現在格納されている売店の在庫品圧縮あるいは必要スペースを確認する。

 などがまとめられた。チームとしての結論が出次第、委員会に提案される。

(3) 財務部からのお願いと報告

・支出の手続きについて

従来あまりはっきりしていなかったが、財務への現金支払いの請求はブロック・活動部責任者の承認を受けることを原則としたい。

・ブロック・活動部の予算編成

これまで予算への認識が不充分で、各ブロック・活動部提出の内容にばらつきがあり、実質的には機能していない。年度内に来年度予算制度の仕組みを検討し、提案したい。今年は個別に相談しながら進める。

・監査制度について

教会委員会のあり方を考える検討チームからの提言もあり、主任司祭の意向でもあるので教会財務の監査制度を検討している。

・会計報告

1〜5 月収支は支出の時期的な変動はあるが、実質的には前年と余り変っていない。

(4) 平和旬間行事について

当初8月11日に開催する予定であったが、人数・会場・費用・交通事情等を勘案し、8月10日(土)午後3時から藤沢教会で開催することとなった。
運営の分担は
典礼    大船・鍛冶ヶ谷教会
交わりの部 戸塚・藤沢教会
運営事務局 片瀬・中和田・藤沢教会
司教館との折衝 片瀬教会
横浜教区の全ての教会にポスターを掲示するが、来場者は300人〜500人か。
壮年部としてはガーデンパーティを7月末に実施する予定であったが、わずか2週間のうちに重なるイベントは大変であり、小教区を越えて他の教会との交わりがいわれているときでもあるので、今年に限ってガーデンパーティーに代えてこの平和旬間の「交わりの時」のパーティーに協力することとしたい。(事前に世話人会での討議あり)
運営は各担当教会の意向を前提に当委員会中心に壮年部・婦人有志が協力し、当教会からもできるだけ多くの参加を呼びかけ、広く信徒の交わりが一層深まるよう努力する。

(5)「交わりとしての教会を目指して」の具体的な取組みについて

 先月の委員会で司教書簡をもとに出席者全員が感想・体験・意見などを述べあったが、その具体的な取組みについて意見交換を行った。メンバーにはまだ「交わり」についての共有がなく、具体的な話合いにはなっていない。テハン神父からご指導いただいているが、なお話合いの時間が必要であろう。

(6) ブロック・活動部報告

[藤沢B] バザーの目的をさらに検討したい。
[辻堂B] 6月8日(土)黙想会を行った。
[北1・北2B] 6月9日(日)教会遠足として大庭公園に出かけた。天気もよくマーフィ神父はじめ42人が参加、歌に、フォークダンスにじゃんけんゲームと和気藹々と3時間を楽しく過ごすことができた。
[典礼] 9時30分ミサでは5分前にオルガン奏楽をすることにした。沈黙のなかで静かにごミサを迎えていただきたい。
[教育] ホールでのミサのため、レオに祭壇を作っていただいた。メンバーと子供たちが一緒にごミサをあげ、年代を超えて共感できた。祭壇の上には荷物を置かないよう留意していただきたい。
[総務] 保管箱の整理作業進行中。7月の半ば頃までかかる予定。
[国際] 南米コミュニティの委員会が始めて組織された。今後のまとまりが期待される。
[福祉] 前回案内した「送迎ボランティア」 今日現在で20人応募。ブロック間調整の上利用者のお誘いを始めたい。
[一粒会] マーフィ神父の金祝について横浜教区では司祭の金祝をその所属する地区、今回の場合は第五地区で一粒会がまとめ役をすることなっているが、ご本人が藤沢教会の中で行うことを希望されていることでもあり、当委員会にお任せしたい。もちろん必要あれば一粒会としても協力させていただく。
この提案に対し、マーフィ神父の金祝は12月21日だが、クリスマス直前のことでもあるので教会行事を勘案し、11月10日(日)に行うこととし、大勢が参加できるよう外でパーティ等も検討することになった。

(7) その他

「教会のメンテナンス」プロジェクトは前月号で案内のとおりメンバーは決定したが、都合により7月から発足する。
前月号に掲載した「教会委員会課題」のフォロー表を作成した。この表をもとに逐次検討していく。





目次に戻る


ゆるしと正義、そして平和

横浜教区平和旬間行事

日時:8月10日(土)
午後3時より歌と語り「ガラスのうさぎ」
午後4時より平和のためのミサ(梅村司教司式)
午後5 五時より 交わりの時
場所:藤沢カトリック教会

「平和旬間」とは

1981年、来日された教皇ヨハネ・パウロ二世は広島で「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と告げられました。翌年六月の定例司教総会で、広島、長崎の原爆の日、そして終戦を記念するこの期間を平和を祈る「平和旬間」(8月6日〜15日)として日本のカトリック教会の行事と定められました。

その主旨は「福音の精神に根ざし、キリストの教える真理・自由・愛・正義に支えられた社会の実現に努力する」ことです。

この期間、広島、長崎をはじめ、各教会で平和祈願ミサや平和行進、そのほか平和を主題とした催しが行われます。横浜教区でも、各地区持ち回りで平和旬間行事が行われています。今年は、藤沢教会の所属している第五地区が担当地区に当たります。

(宣教部 平野)





目次に戻る


今年のバザー
テーマは「ほほえみ溢れる助け合い・身のまわりへの想いを形に」
バザー委員長 安田

 今年のバザーは10月27日で、企画・推進は藤沢ブロックが担当します。

 新鮮さを指向するために未経験のメンバーのみで委員会が結成されており、委員長以下全員で精一杯努力しますが、なお至らないところがあるでしょうから、皆様の絶大なバックアップとアドバイスをお願い致します。

 テーマ実現のために、バザーを通して大いに「交わりーコミュニケーション」を推し進めたいと思います。

 良く知られていることですが、「人」という字は、「二人の人が支え合っている」ことを表していて、「人間」という言葉は、「人の間」と書きます。そこで、今年のバザーは、出来るだけ多くの人々の交わりと支え合いを具現する場の提供を目的と致します。

 聖書によりますと、「自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」(ルカ12・33〜34)とあります。

 賛助金を含むすべての収益金は教会委員会に渡して、私たちの教会と福祉のために、適切かつ有効的に役立てて頂く方針です。

 そのための具体的な計画は未だ検討中ですが、次のような案を考えつつあります。

 テーマの通り、ほほえみ溢れる楽しいバザーをみんなで作り上げましょう。





目次に戻る


召命の日の集い
聖マリア修道女会 シスター高木

 5月26日の藤沢教会「召命の日の集い」に参加させていただき、どうもありがとうございました。広報担当の方から、私の話の要約を記すようにとお話をいただきましたが、その前に、マーフィ神父様が私たち聖マリア修道女会にお声を掛けてくださり、藤沢教会を訪問させていただく機会を恵まれましたことに心から感謝いたします。以前から藤沢教会の皆様が活き活きと信仰共同体を創られていらっしゃることをお話には聞き及んでいましたが、初めてお訪ねし、ご一緒にごミサをお捧げし「神の恵みが与えられた有様を見て喜んだ」(使徒11-23)という使徒の言葉が私の目の前の現実と一つになっていました。

 「集い」では、私も本当に個人的なことを話させていただきました。私は、子供の頃、両親が近所にあった養護施設に時々食べ物や私たちが着た古着を持って行くのを見たり、時には父の運転する車の助手席に乗って行ったりするうちに、私もここのお姉さん(後に保母さんという仕事であることを知りました)になりたいと漠然と思うようになりました。それが高校生になった時に、大学は社会福祉学科と自然に考えるようになりました。大学生になって私なりに“良い心”で勉強に、サークルに、募金活動に励んでいたつもりでした。街頭募金をしてくたくたになった時に、父から「今していることは、何百万の飢えた人にお米粒一つずつ配っているのと同じではないか」と言われて、子供の時からそれまで私の前にいつも用意されていた道が突然消えてしまったように思いました。不思議なことに父の言葉に反発は感じませんでした。結果としては自分が置かれている場所を改めて眺め、思いを巡らす良い機会となりました。身近にシスターもいました。神父様のご指導をいただくこともできました。大変恵まれた環境に置いていただいたと思います。養護施設のお姉さんになりたかった私が、その延長線のように一人の人だけでなく、一つの家庭だけでなく、一人でも多くの人のお姉さんになりたい、お母さんになりたいという単純な思いで修道会に入会し、出会う人に育てていただきながら今日に至っています。

 神様は家庭や共同体を通し、人と人の出会いによって人間を育ててくださいます。私はこの「集い」を通して出会わせていただいた藤沢教会の共同体からよい信徒の家庭をつくるように招かれている方も、司祭・修道者の召命をいただく方も、ここから出なければ他にはないと思います。





目次に戻る


教会遠足に参加して
鵠沼2区 石川

 「6月9日(日曜日)遠足、場所、大庭城址公園、集合時、12時半、お弁当持参」こんなお報せをいただき、参加させていただいた。私は大庭城址公園が大好きで、以前に3回訪れている。1回目は教会遠足で、十年位前だったと思う。その時は公園の樹木も未だ若木ばかりだった。2回目は昨年4月初旬、桜が見事だと言うことを耳にし、お花見に出かけ、広大な庭園の中の満開の桜並木の豪華さには心を奪われた。そして桜は大庭に限るとばかりに、今年も春の訪れを待ち侘び、大庭公園で花見を楽しんだ。この公園は昭和60年(1985)4月に開園されたが、この地には、縄文、弥生時代から人が住み、12世紀末には大庭氏の拠があり、築城もされたが、16世紀となって豊臣秀吉に滅ぼされ、現在に到ったようである。海岸に比較的近い場所であるが、小高い場所なので、地形上から考えてもいい場所のように思われる。

 集合時間に間に合うように自宅を出発し、「小糸小学校前」でバスを降り、とぼとぼ歩いている途中、片瀬の井上さんが車から声をかけ、私を呼び止め、車に乗せて目的地まで連れて行ってくださった。公園にはマーフィ神父様はじめ、大勢の方々が集まっておられた。大芝生広場の大木、桜の大きな木陰の下にゆったりとビニールシートが敷かれ、大木の木陰は屋根となり、参加者43名のお座敷ができていた。マーフィ神父様ご指導によるお祈りの後、皆、思い思いに場所を取り、初対面の方も、日頃から親しい方も皆仲良く持参のお弁当を楽しみながら、なごやかに話し合った。車でいらした方ご持参の温かい日本茶のお味はまた格別であった。参加者の中には、おみ足のご不自由な方もいらしたが、壮年部の方がお連れくださったとか、教会の方々のご親切が嬉しく頼もしく思われる。食後、芝生に輪になり、フォークダンスを踊った。足長のマーフィ神父様、足の短い私共老女、みんな足並みそろえて楽しく、若者だった日のことを思い出しながら踊った。

 続いてゲーム、最後にマッサージ体操と、日頃の雑事を忘れて楽しみ、お土産までいただいた。

 この遠足のために、主催者の北1、北2の壮年たちは、朝9時の公園開園と同時に入場し、公園内で一番いいと思われる場所にビニールシートを敷き、席を取ってくださったとか。また、バス停では道案内係が参加者の道案内をしてくださる等、いろいろのお心配りがあったようである。初夏の晴天の日、大庭公園で楽しませてくださったことを感謝し、この喜びが、あしたからの力になるよう祈ってやまない。





目次に戻る


壮年部歓迎会報告
鵠沼1区 片桐

 去る5月26日、主日のミサ後センターホールにて、壮年部に新しく入られた方達の歓迎会が行われた。当日は8名の新しく入られた方を始め、テハン神父様、教会委員会役員の方々、ベトナムコミュニテイーからも2名ご参加を戴き、楽しく1時間半余を過ごした。

 浮田壮年部部長のご挨拶に始まり、テハン神父様のお祈り、歓迎の言葉を戴き、片桐教会委員長の音頭による乾杯と続き、少しアルコールを入れつつ、新しく入られた方達の自己紹介、ご挨拶を戴いた。中には壮年部の平均年齢を高める?方もおられたが、今年は30−40代の方が目立ち、益々活発な壮年部の活動が期待されるようなご挨拶であった。

 また、平均年齢を高める?方も、お話の内容は豊富な経験の中にも若々しさが見られ、今後の教会におけるご活躍が期待された。今回のご挨拶で目立った事は、・受洗のきっかけが婦唱夫随?である事・幼児洗礼を受け、またカムバックされた方・ご自身が教会、または壮年部で何ができるか等であった。

 また新しく入られた方以外の方でも、今回初めて壮年部の会合に出られたとのことで、ご自身より進んでご挨拶された方も二、三方おられ、これからの壮年部におけるより自由な意見の交換が予想された。

 新入者の自己紹介に続き、壮年部からのお知らせとして、・ガーデンパーティー ・黙想会 ・送迎ボランティア k「元売店」の活用法等についてそれぞれ担当より説明がなされ、意見交換が行われた。また、本年度のバザーについて藤沢ブロック 安田バザー委員長より「今迄と違った形で行いたい」との発言があり、「違った形は大いに結構だが、バザーは女性無くしては出来ないので、女性の意見を大いに聞くべきである」などのやり取りがあった。

 最後にテハン神父様のご感想、お祈りを戴き心静かに閉会となった。 





目次に戻る


スカウトバザーを終えて
総括リーダー 清水

 6月9日(日)皆様の温かいご協力により、無事スカウトバザーを終了することが出来ました。皆様のご協力に心から感謝いたします。

 このバザーの開催にあたりまして、スカウトのご父兄の方々の献身的なご奉仕により、皆が一丸となって運営することが出来ましたことは誠に素晴らしいことでした。

 さらに心強く感じさせられましたことは、教会の数多くの方々に温かく協力していただき、このバザーを支えていただいたことでした。

 当藤沢16団の財政は決して豊かなものではなく、むしろ厳しい状況にあります。そのような中においても藤沢教会のスカウト達がスカウティングを通して「神へのつとめ」「他人へのつとめ」「自分へのつとめ」を追求し、快活な青少年に育って行けるよう、リーダー、団委員、保護者が協力の精神をもって資金面その他の政策を検討しております。

 藤沢16団が藤沢教会のカトリックスカウト団として名実共に成長して行くことが出来ますように引き続き皆様方のご協力、ご指導の程よろしくお願いいたします。





目次に戻る


辻堂ブロック黙想会で
辻堂1区 宮崎

 6月8日、茅ヶ崎市浜竹のメルセス会修道院での黙想会に参加しました。

 はじめに詩篇139“主よ、あなたは私を究め、私を知っておられる」」”が朗読され、テハン神父様のお話がはじまりました。日々の暮らしの中で、私たちはどのように考えたらよいか、いろいろな場合に即してのお話でした。私なりに受け取り、心に残ったことを、少し書いてみたいと思います。

 私たちにとって先ず何より大事なことは、心を開いて神様のまえに立つこと。過去の自分にも未来の自分にもとらわれず、唯“ここにいます”と言って、ありのままに神様の前に立つこと。その時、神様が心に撒かれる種は、やがてそこで大きく育ちます。神様の前で心を開くことが、私にどれだけできているのか、心もとないことです。私たちは、とかく相手の人に同感してその人を理解したつもりになりますが、大切なことは共感すること。同感でなく、共感するということを、自分には何も出来ないが、ただ“あなたと共にいます”という、十字架のもとにたたずむマリア様の姿としてお話になりました。頭でなく、全身で人を受け止める態度は、今の私たちが、失いかけているもののひとつです。あまりにも馴れすぎた、自分の日々の生活を思うと耳の痛いことです。また、頭だけで物事を捉えようとすると、エゴが物の本質を見る邪魔をする。そのひとつの例として、亡くなった者への想いが断ち切れぬのも、このエゴゆえのことと話されました。私にとっては、大変重い言葉です。

 介護のこと、老齢期にこそ持てる心のゆとりのこと、暮らしの中での沈黙の時間の必要性など、考えなければならない宿題を沢山いただきました。

 神父様が、最後にすてきなお話を聞かせてくださいました。以前、イタリアでサッカーワールドカップが開かれた時のこと、志半ばで帰国した選手たちを、アイルランドの全人口の8分の1(!)の人たちが、街に出て歌をうたって迎えたそうです。“これがケルトの文化です、アイルランドです”とおっしゃった神父様のお声がとても晴れやかでした。

 庭の木々の間を通り、緑に染まった海の風が、私たちの間を吹き抜けてゆく素晴らしい午後でした。





目次に戻る


藤沢ブロックの集いと新人歓迎会に出て
藤沢1区 安田

 6月16日センターホールで小澤ブロック長の司会で標記集会が開かれた。

 まずテハン神父のお話では、教会に来られない人、病気の人に何が出来るか、助け合いの活動をブロックとして実行してほしいといわれた。

 引き続きブロック長から教会委員会報告があり、「八角形にゅーす」をよく読む奨めがあり、平和旬間、ガーデンパーティー、バザーへの協力要請があった。

 バザー委員長として、私が委員会発足とテーマの報告と賛助金・労力・時間・アイデア

のブロック全員への拠出依頼を行い、委員全員の自己紹介を行った。

 福祉部の小野氏(1区)より送迎ボランティア活動の説明と、ブロックとしてのかかわり方の報告があった。

 テハン神父のお祈りで歓迎会に入り、新受洗者、転入者の自己紹介があり、最年長の長岡さんと、もう1人、幼児洗礼以来の信仰生活に触れられた方のご挨拶に感銘を受けた。

 昼食、連絡員の紹介、懇談の後、平和旬間行事についての討議と、11月10日のマーフィ神父叙階50周年祝いの話があり、締めとして「アーメン・ハレルヤ」(平和旬間での手話曲) のコーラスによって、なごやかな雰囲気のうちに散会した。

 私は、昨年末に転入して今回ゲストとして歓迎され嬉しく思っている。また、新米のバザー委員の仕事にキープスマイリングで取り組んで行くつもりである。教会員あげてのご理解とご協力を期待する。





目次に戻る


修道院聖堂でのミサの体験
辻堂1区 鈴木

 典礼部の企画で、6月1日土曜日、八王子聖パウロ会修道院聖堂でミサに与る機会を得ました。当日は天気に恵まれ、高尾に近い緑に包まれた山の修道院へ、電車やバスを乗り継いで、遠足気分で出掛けました。体験を通して典礼をより理解し深めていくための企画と聞いていたので、そこでのミサにはとても興味があり、楽しみにしておりました。いつも売店でお世話になっているサンパウロのブラザー元田、そして修道院長の谷口神父様が笑顔で私たちを出迎えてくださいました。谷口神父様は、テハン神父様とミサを共同司式してくださいました。幼い子供から年配の方まで参加者は50人程、こぢんまりした聖堂のミサにはちょうど良い人数という感じがしました。

 祭壇は、聖堂中央の一段高くなったところに四隅を柱に囲まれて位置し、明るい光に包まれています。朗読台兼説教台(兼先唱席)の場所は、祭壇に向かって右側に、さらに一段高くなっています。祭壇を囲むように会衆席のベンチが置かれ、オルガンは祭壇に向かって左後方、会衆の後ろにあります。正面奥、祭壇後方の壁面に聖櫃が配置されています。修道誓願式、司祭叙階式もこの聖堂で行っている、とのお話でした。

 この聖堂でのミサの体験から、気づいたことをいくつか書いてみようと思います。

 藤沢教会より広さが無いことから、祭壇がとても近くに感じられましたが、朗読台兼説教台の高さは、天井があまり高くないだけに、ちょっと違和感がありました。(山手教会に残っているような、昔の説教台のイメージ?)

 今回のミサでは、藤沢教会で現在行っているような、みことばの食卓から感謝の食卓への移動がありませんでした。そのために、逆に移動することの意味を考えることが出来たように思います。みことばに養われ、それに応えて祈りを捧げ、その心をパンとぶどう酒と一緒に奉納し、感謝の祭儀に進む、という流れを食卓を移すことで、会衆がより強く意識し、はっきりと理解出来ると思いました。 翌日の日曜日はキリストの聖体の祝日で、そのミサ中テハン神父様は「みことばの祭儀も感謝の祭儀も、両方とも、永遠の命に到る道」とのお話をされました。前日のミサの体験があったことで、私には神父様のお説教の言葉が強く印象に残りました。

 修道院の聖堂は近く感じられますが、藤沢教会のような何も置かない空間を広く取ることは出来ません。中心に、神の、そしてキリストの存在を感じながら、共同体として、皆でその場所を囲み、祈りを捧げることは本当に大切なことで、それが出来る藤沢教会はとても恵まれていることも思いました。

 いつもと違う場所と雰囲気でのミサは、そこから派遣されて、各々の日常生活に戻って行くことの意味も強く感じられました。

 私は時々旅行などで他の教会のミサに行くことがあります。色々な気づきがあり、嬉しい体験も多くあります。自分のミサ体験を豊かにすることになっている、と感じています。今回のような企画をまたお願いしたいと思います。





目次に戻る


聖パウロ修道院でのミサに参加して
鍛冶ケ谷教会 島

 荘厳な十字架型の聖堂とグレゴリアンに憧れて? 家内に勧められるまま受洗した私は、“食卓を囲む”形のミサのため、聖堂は八角形、鍛冶が谷教会の新聖堂にはかなり違和感を覚えた。八角形といっても祭壇は前方にあり扇形の座席で“食卓を囲む”雰囲気ではなく、またサッカーや野外ロックコンサート等“動”に対しては一体感という意味で囲む形式は効果があるが、“静”の場合はあまり」」などと感じていた。

 そのような折、昨年藤沢教会で祭壇を中央に移動してのミサ、思っていたよりも雰囲気が温かく、侍者としてミサ奉仕を行っているときとは異なった一体感があった。が、少人数であるともっと“食卓を囲む”雰囲気がでるのではと思っていたところ、そのようなミサへのお誘いが大野さんから、早速参加させて戴くことにした。

 当日、JR高尾を下車し、何も考えずにタクシーをつかまえて「聖パウロ学園」と告げる。学校であるから町の中、と決めてかかったのが大間違い、繁華街から住宅街、その住宅もまばらになり周囲は草木ばかり、前方を見ると小高い山林がせまり、財布の中身とカシャ、カシャの料金表示に脂汗を流しながら、ふと気が付くと山中の坂を走っている。急カーブに体を振られながらどうにでもなれと、あきらめかけた頃、木々の間から聖パウロ修道会の建物が現れた。山の中に、建物と運動場等、必要な部分だけを申しわけなさそうに切り開き、自然に溶けて生活しているという雰囲気である。修道院の聖堂はコンクリートの4本柱に囲まれるように祭壇が中央に位置し、それを囲んで祈りの席がある。まさしく“食卓を囲む”形式である。修道院長とテハン神父様の共同司式でたった60名足らずの信徒が食卓を囲む、一流のホテルでの晩餐よりの贅沢なひとときであった。ミサ後、緑一色の野外で昼食であったが、知っている人はあまりいないし、家族、グループの中に割り込んでいくのも気が引けるので、独り寂しくと思ったら、一粒会の鈴木さんが「一緒に食べませんか」と声をかけてくださり、ここでも食卓を囲むことが出来た。上着のポケットは軽くなったが、心のポケットはその何倍もの充実でぎっしり重く満たされ帰途についた。

 藤沢教会の皆様有り難うございました。





目次に戻る


「主よ 許してください」こんな考えは、異端でしょうか
鵠沼1区 鈴木

 教会の近くの喫茶店で・・

 5月末の土曜日、藤沢南口の喫茶店。ランチとお茶を楽しむ、4人連れの主婦がいました。

 歳恰好は、40代後半というところでしょうか。その明るい会話が、つい、わたしの耳に入ってきたのです。どうやら、このご婦人たちは、話の模様から藤沢教会の信者のようです。

「最近、あなた教会に顔を出している?」

「うん、ときどきね」

「あたしも、月に2回くらいかしら」

「うちは自営業だから、日曜のミサにはほとんど行けないな」

「あら、悪い信者ね!」

「ちょっと、何よそれ、信者に、いいのと悪いのがあるっていうの?」

「そう、あるかもね。ミサには必ず行くとか、教会の集会や行事にできるだけ参加するのは、いい信者。そうでないのは、悪い信者だわ」

「おかしいわ。そんなの差別じゃない!」

「いい信者と悪い信者の違いは、敢えてあげれば信仰の深さでしょ」

「でも、それもどうかしら、今度、神父さまに聞いてみよう」

 なるほど 、ところで、わたしはどっちなんだろう。何気なく入った喫茶店で、小耳に挟んだ主婦の会話に、しばし考え込んでしまったのです。

 男同士の本音が・・

 教会で、ある集会が開かれたときのこと。ホールの同じテーブルに座り合わせた気安さから、懇談のときに、つい本音が出たのかもしれません。

「どうです。お仕事の方は、最近」

「いやぁっ、景気はなかなか上向きません」「一部には、ワールドカップ・サッカーの経済効果もあるってことですがね」

「さぁーて、それはどうですか? たとえあっても、やっぱり一時的なもんでしょう」

「ところで、話は替わりますが、あなた日曜ミサにはよく出ます? 聖体拝領で、何か感じませんか」

「・・・・」

「僕は、どうも得心がいかないな。聖体奉仕者っていうのか、ともかく、神父以外の人の手からご聖体を拝領するのは」

「そういえば、わたしもつい無意識のうちに、神父さんの前の列に並んでますね」

「どこの教会でも、同じなのかどうか知りませんが、僕の考え方は間違いですか?」

「さあーて、どんなもんでしょう。まあー、よく考えればご聖体のパンそのものは、神父さんが予め祈りを捧げたものだから、それを、だれの手からもらっても、同じなのかも」

「いや、それは違いますよ!絶対に」

 この掛け合いを聞いていて、さて、自分ならどう答える、と自問自答せずにはいられませんでした。

 教会の庭で立ち話

 6月、梅雨に入ったある日曜日。ミサが終わった教会前庭、桜の木陰で、5〜6人のグループが語り合っていました。

「今のお聖堂って、ミサの間、どうも落ち着かないのはどうしてかしら?」

「うーん、わたしもそうね、きっと、あの2つの祭壇とそれをぐるっと囲んだ、椅子のせいじゃない」

「なるほど、お聖堂のレイアウトに問題があるかもね」

「たしかに、開放的かもしれないけれど、軽すぎて教会のイメージにはそぐわないか・・」

「一段と高い祭壇、荘厳なとか、重厚さとか、そしてきらめくくようなステンドグラス。やっぱり、やっぱり、わたしはヨーロッパの街にあるような、お聖堂のたたずまいが、しっくりくるわ」

「このごろ、よく“開かれた教会”っていうけど、それは、形だけのことじゃあないはずよ!」

 教会は、ある人にとっては救いの場です。教会は、ある人にとっては希望の場です。

 教会は、ある人にとっては癒しの場です。だとしたら、お聖堂の形や在り方が、いろいろあってもいいのではないでしょうか。

追記・贅言(ぜいげん)

 この原稿を書きながら、南太平洋、ソロモン群島のブーゲンビル島、ブインにあった小さい教会を想い出していた。若い頃、取材で訪れたときのことである。

 陸海軍、併せて8万1435柱の戦没者を数えた太平洋戦争最大の激戦地、ガダルカナルとブーゲンビル。取材当時、ホテルなどなかったこの島で、泊めてもらった教会は、電気もつかないあばらや同然の粗末な建物だった。

 そのお聖堂は、もちろん何の飾りもなく、神父が手作りした正面の十字架の下に、祭壇がわりの木箱が一つおかれただけだった。





目次に戻る


「藤沢市民と沙魚朗希望小学校展」のご報告とお礼

 6月2日(日)センターホールをお借りして、藤沢市と中国混明市および藤沢市民と沙魚朗(さぎょろう)希望小学校とのこれまでの関わり、そして今後の両者の交流計画について、10枚のパネル、希望小学校児童の絵と刺繍作品などの展示をさせていただきました。また、過去の訪問団の写真をスライド上映しました。

沙魚朗希望小学校は山間僻地にあり、貧しい少数民族のこどもたちが多く学んでいます。藤沢カトリック教会の信者、酒井氏の遺志を受け継ぎ、こどもたちの就学を助ける愛の運動が実現しました。

 朝のごミサが終わると、大勢の方々が会場にお立ち寄り下さいました。中には、急いでいるのでごめんなさいとおしゃって、カンパだけしていかれた方もあり、この地域のこどもたちの教育に寄せる、教会のみなさまの深いお心を感じました。

 近燐の市民の方たちの来場もあり、終了時刻の3時までには、合わせると80名位の入場者がありました。募金も約2万円いただきました。全額「中国教育支援基金・ふじさわ」に入金し、沙魚朗のこどもたちのために使わせていただきます。心から感謝申し上げます。

 最後になりましたが、今回、神父様初め教会委員の方々に会場でお話しをうかがうことが出来て大変よい交流になったと思っています。数々のご助言ありがとうございました。

 藤沢教会のみなさまの平安を祈りります。       (湘南日中友好協会 生田)





目次に戻る


7月の主な行事

5(金)初金ミサ・例会

14(日)日曜学校終業式

20(土)教会学校キャンプ

30(火)〜8月1(木)中高生合宿キャンプ





目次に戻る


葬儀 Q&A

洗礼を受けていない人のご葬儀を教会でお願いできるのでしょうか。

 「ご葬儀は誰のためにするのでしょうか」また、「亡くなられた方やご家族の方の希望はどうなのでしょうか」などの観点から、できるだけ生前のご本人やお身内の方のご希望にそえるよう配慮しています。 ご本人が洗礼を受けておられない場合でもその事情や状況によって教会での葬儀はできます。

 葬儀は通常「葬儀ミサ」または「ことばの祭儀」で行われます。洗礼を受けていない方が中心の場合は「みことばの祭儀」での葬儀・告別式をおすすめしています。

「第二バチカン公会議」後、カトリック教会では「社会に開かれた教会」、「困っている人々、苦しんでいる人々、悩んでいる人々にまなざしを向け、共にあゆむ教会」であるよう努めています。私たちもその精神に生きる共同体を目指しています。

 どうぞどのようなことでも教会事務所にご相談にいらしてください。

次回は命日や追悼ミサなどについての予定です。





目次に戻る