八 角 形 に ゅ ー す

2002年11月3日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

金祝を迎えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マーフィ神父

教会委員会報告

「マドレーヌの会」よりお知らせとお願い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 村上

生まれたばかりの東ティモールに健やかな成長を!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聖心侍女会 Sr. 中村

横浜教区一粒会大会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 金子

壮年部の黙想会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 山内

壮年部 黙想会に参加して‥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小川

「壮年の集い」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・壮年部長 浮田

ボーイスカウト藤沢16団入団上進式

「北一ブロック集会」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭地区 祖父江

11月の主な行事

葬儀を考える会Q&A

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金祝を迎えて
マーフィ神父

 私の司祭叙階50周年にあたり、11月10日に金祝記念感謝ミサを藤沢教会でして頂くことになり、とても嬉しく思います。この特別な時に神様が皆様とご家族を祝福して下さるよう祈ります。また2年前、皆様が藤沢教会の共同体の一員として私を迎え入れて下さったことに深く感謝しています。

 最近いろいろな人に、なぜ司祭になったのですか、と聞かれます。きっかけは単純なものでした。私は幼児洗礼で、神様への信仰とイエス様、マリア様への愛とが生活の中心となっている家庭の中で育ちました。6才の時、ミサの侍者になりました。日曜のミサだけでなく、平日のミサでも侍者をしていたので、神父様にいつも会っていました。少年の私にとって、神父様はミサを捧げ、ゆるしの秘跡を授ける方でした。両親が言っていたように、神父様とは聖なる方であり、祈る人でした。私達子供がよく知っている人でもありました。神父様は家や学校を訪れ、共にボーイスカウトの集まりをし、またピクニックにも一緒に行きました。人々の喜びや悲しみの時にも、いつでも一緒にいて下さる人でした。

 私は侍者であったこともあり、司祭職の召し出しについてたびたび考えていましたが、他の道についても考えました。高校を卒業した時、神様は私が神父になることを望んでいらっしゃるのか、はっきりとはわかりませんでしたが、コロンバン会の神学校に申し込むことにしました。面接後、入学が決まり、神学校の先生から、ここにいるうちに自分に司祭職の召し出しがあるかどうかわかるでしょう、と言われました。その年は28人がコロンバン会の神学校に入学しました。皆、自分が司祭職に呼ばれているのか知りたいと望んでいました。結局、14人は自分の召し出しは司祭職ではなかったとわかり神学校を後にし、残りの私達14人は1952年12月21日に叙階されました。3人は天国に召され、11人が今も生きています。そのうち5人は病気や高齢のためすでに引退しています。また、1人は司祭職を後にしましたが、アメリカの自分の教区で積極的に働いています。

 叙階されてからの50年のうち、私は15年間日本で働いてきました。叙階後すぐの7年間と、今までの18年間です。日本にいない間は、10年間イギリスで、15年間アイルランドで働いていました。

 ところで、第二バチカン公会議により教会は大きく変化しました。司祭の考え方、働き方、そして生き方も変わりました。公会議以前は、掟、つまり神と教会の掟を守ることに重きが置かれていました。誰かが問題をかかえて来た時、司祭はまず、掟で何が定められているかを考えたものでした。私には、これが冷たく人間味のないやり方のように思えていました。でも、第二バチカン公会議により大きく変わったのです。公会議以後は、掟ではなく、人に重きが置かれるようになりました。勿論、掟を守ることも大切なことでしたが、「この人をどうやって助けられるか」を考えることが第一になるようになりました。この変化により、私は自由を感じるようになりました。

 また公会議は、教会が「神の民」であることを強調し、福音を司教、司祭、修道者だけでなく、すべての信者に述べ伝えるよう提唱しました。今では司祭も信者も、神のみ国のために共に働く、宣教における仲間です。

 このような変化により、藤沢教会の共同体も大きく変わりました。今では共同体のあらゆる場で奉仕し、働く人々と司祭とが手をとりあいながら、私達の共同体が社会における「光」となるよう努めています。この共同体にいることは私にとって喜びであり、このような発展を目にできるまで長生きでき、神様に感謝しています。



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教会委員会報告

(10月19日)

<報告事項>

(1)元売店活用について

9月の教会委員会で承認され、検討チームで具体的推進を開始した。

@基本方針

A工事スケジュール

B予算

C使用団体の募集、管理など今後検討。使用方法は基本的には会議室利用方法と同様としたい

(2)バザー準備状況

滞りなく進行中

(3)教会メンテナンス計画プロジェクトチ−ム経過報告

2020年を予測しながら聖堂・センター・司祭館・事務所の法定原価償却を含めてマスタープランを立案する。また付帯設備・運営によるもの・新たな設備計画についても立案する。年内に最終案を教会委員会に提出予定。(メンバ−:辻垣夫妻・高田・川辺・篠澤・高柳)

(4)マ−フィ神父「金祝」準備状況

(5)シャワールーム利用報告

利用状況及び利用者の声

(6)財務報告

2002年1月〜9月の収入:43,400,000円支出:43,100,000円で均衡している。詳細は作業中であり、11月の委員会に書面で報告の予定。

(7)活動部からの報告

<討議事項>

(1)2003年度予算作成について

2003年は教会活動年度が1月から12月となるのに伴い併せて、小教区の予算を11月末に教区に報告する都合があり、今年は例年より早めて11月3日までに作成する事になった。全体の予算計上の関係から、総務部・湘南台センター・事務局も予算を作成する事となった。2003年度より各部門の予算案は教会委員会で審議、承認する手続きを経る事となった。

(2)監査制度について

教会の公金に関して、リスク管理・透明性・健全性を高めていく観点から財務部に監査制度を導入することについて、運営委員会から提案があり全会一致で承認された。

(3)教会の名称について

今後教区で統一している「カトリック藤沢教会」の名称を使っていく。(正式には宗教法人カトリック横浜司教区藤沢教会」)

(4)教会委員会規約について

運営委員会より下記理由により委員会規約改正について提案があった。

改正内容については各ブロック、活動部、グループを通して教会全体に説明をし、広く討議の機会を持ち、12月の委員会で意見の集約を図っていく。意見箱の設置も考える。提案内容については別掲「規約新旧対照条文」「改正について」を参照。

<その他>

(1)聖体奉仕者

来年5,6,7月に教区の新しい聖隊奉仕者の研修会が藤沢教会で開かれる予定。ごミサ・病人訪問・日曜学校・湘南台センター等で奉仕してくださる方を各地区から推薦していただく。

(2)葬儀を考える会

11月17日(日)9:30ミサ終了後「病気のときから埋葬まで」のテーマで研修会の予定。

(3)静修の日

11月24日(日)指導:久我神父(鍛冶ケ谷教会)



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「マドレーヌの会」よりお知らせとお願い
辻堂1区 村上

 約10年間にわたりフィリピンの子供たちのしあわせを願ってマドレーヌを焼いてきましたが、これからは東チモールの子供たちのために「藤沢カトリック教会内、マドレーヌの会」として作業を続けることになりました。

 毎月、第1・第2・第3日曜日に販売の予定です。皆様のお買い上げによるご協力があってこそ成り立つことですので、どうぞよろしくお願い致します。なお、特別のご注文は辻堂1区牧野、藤沢2区浅野がお受け致します。

 東チモールはようやく独立を果たしたものの未だに戦禍の荒廃から立ち直れず、貧困のために子供たちの過半数は体重不足の状態だそうです。

 長らく東チモール支援にかかわってこられた聖心侍女修道会のシスター中村の御紹介により、収益金は「東ティモール子ども募金」の口座に振り込みます。これは日本で35年余りの働きを終えて東チモールのアッサベ教会に赴任され、子供たちのために尽力しておられるサレジオ会司祭ステファニ師のご活動を後援する日本のグループの口座です。 東チモールの平和の確立を、子供たちの顔にかがやきを、と祈りつつ焼くマドレーヌが、皆様のお茶のひと時に楽しみをそえますように」」。



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生まれたばかりの東ティモールに健やかな成長を!
聖心侍女修道会 シスター 中村

 この度『マドレーヌの会』から東ティモールを支援したいとのお申し出を頂き、心から感謝申し上げます。東ティモールは今年の5月20日に誕生したばかりの幼い国です。しかも、その誕生に至る経緯があまりにも残酷なものであったため、健やかな成長が果たして可能なのか、と私は憂慮しています。この国の現状を数字で示すと:

 人口約85万人。乳幼児死亡率は1000人あたり70〜95名。1000名の新生児に対し、8名の母親が出産時に死亡。全国で医師はわずか47名。平均寿命57才。人口の半分は1日55セント以下の生活で、アジアの最貧国、世界の最貧国20ヵ国の中の1つ(WHO,UNDPの発表による)。

 この国に去る1月、30年以上日本で宣教されたイタリア人司祭ステファニ神父が赴任されました。神父は長年東ティモール支援活動に従事し、東ティモールの悲劇を国際社会に知らしめるのに貢献した方でもあります。1999年8月の住民投票時には選挙監視団員として現地に赴きましたが、外国人全員が国外に避難せざるを得ない状況になり、「私たちが独立を選び、民兵やインドネシア軍に襲われるようなことがあっても、あなた方は私たちを守ってくれますか」との民衆の問に「もちろん」と答えていながら、彼らを裏切った、と深い心の傷も負われました。そうした体験が66才の神父に、これまでの日本での豊かな生活を捨て、電気も水も通信手段も、満足な食糧もない東ティモールの山奥アッサベに住み、民衆と苦しみを共にする道を選ばせたのに違いありません。

 日本でも数百人に及ぶ外国人労働者の世話などを精力的にしてこられたステファニ神父のこと、東ティモールでの活動にも目を見張るものがあります。1万3千人以上の信徒を抱える教会の主任としての仕事の他に、住民の自立のためのマイクロクレジットを推進・支援したり、心の傷を癒すために独立記念館を建設したり、奨学金支援(今年度は54名)や医薬品の日本からの調達などを行っておられます。

 この度の『マドレーヌの会』の支援お申し出を神父に伝えたところ、本当にありがたい、と大喜びしておられます。藤沢教会の皆様が人権・福祉の活動に広範に従事しておられることは様々なルートで伺っておりましたが、その一つに東ティモールを加えてくださったことは私にとっても殊の外嬉しいことで、深く御礼申し上げます。



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横浜教区一粒会大会
鵠沼2区 金子

 9月23日、横浜市青葉区のカリタス女子短期大学で、横浜教区一粒会大会が開催されました。教区一粒会は、1942年に発足し今年で60年、大会は35回目となります。一粒会の目的は、邦人司祭の召命と成聖のため、祈りと献金を含めた小さな犠牲をするもので、約1万人の会員数は司祭召命への願いの表れといえるでしょう。今大会のテーマは「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(ルカ5−4)で、主イエス様の語りかけとペテロの応えをもとに、召命について、また私たちの信仰に生きる姿勢を考えさせていただくものでした。

 午前中の基調講演は、東京カトリック神学院院長、板垣勤神父様のお話です。概要をご紹介します。

「沖に漕ぎ出す」は、非常に魅力的な印象と同時に困難を想像させます。ペトロの応えは大切です。「でも、お言葉通り網を降ろしてみましょう」。もう精一杯働き、くたくたに疲れています。これ以上やっても魚は捕れるはずはないと考える、それは彼の経験知識からすれば当然でしょう。しかし、「でも、お言葉通りに」と主を信じ応えます。これまでの経験知識により、枠とか殻を造り判断してしまう私に、主は「あなたができないと感じている壁は破れないか、もう一度考えなさい」「もう一度沖に漕ぎ出しなさい」とおっしゃいます。また主は、「沖」は無限の可能性があり、その果てしない広大な海に憧れの気持ちを抱かせなさいとおっしゃいます。私達に、海原の彼方に何があるかわかりません。だから躊躇したり、やっても無駄だという気持を持ちます。その私に、主はチャレンジを求めています。未知のことに不安を感じ怯えることは誰でもある、でもこの気持ちを持ちながら進んでいくことを受け止めることが大事です。そこに挑戦していく歩みが始まります。でもひとりで歩むのではなく、神さまが声をかけてくださるから歩むことができると理解したいものです。私は神さまに活かされている小さな人間です。神さまを信じながら反することばかり繰り返します。それを認めることが大切です。へりくだらなければ、見ることも、理解することもできないことが世の中にたくさんあります。これは、「祈ってきたが本当に祈ることをしてきたのだろうか」と振り返ることに通じます。神さまの前にへりくだり、真剣に祈りを捧げるとき、その中で神さまの顔を求め、神さまからの応えを聞くことができるのです。それは今まで考え想像したこともない応えかもしれません。神さまの呼びかけに応えた者に相応しい答えがあるのだと思います。

 神さまが私たちを癒すとは、直に何かをなさると言うよりも、神さまによって罪を赦された私たちが、喜びを持ち神さまを信頼して生きる者となる、その生き方により世の中が変るということです。沖に目的地を見据え、漕ぎ出していく前進の状態。神の子として自由に生きる者の心と身体の自然体が求められます。その時、神さまに求められたとき「はい。お言葉ですから」と応えられるのです。神さまが私に期待され、生きる者にしたいという望みから声をかけられることを、もっと信じる必要があります。そして神さまは私たちに、この自然体の生き方をして欲しいと望んでおられます。

 午後は、「私の召し出し」をテーマに梅村司教、飯野雅彦神父、中村吾郎神父、そして古川勉神父のパネルディスカッションです。子供たちの質問も受けられ楽しいひとときでした。召し出しの減少に信徒として何ができるかという質問に司教様は、「教会は一般社会と同様に、司祭・修道者の高齢化が問題です。皆さんは、司祭の肩代わりをするという観点ではなく、洗礼堅信で頂いている使命について考え、その恵みによりできる奉仕職に積極的に関わって欲しい」と話されました。

 記念ミサでは、司教様から次のようなお説教がありました。

 「沖に漕ぎ出し網を降ろし、漁をしなさい」との主の呼びかけに、ペトロは「先生、私は夜通し苦労しましたがなにも獲れませんでした。しかしお言葉ですから網を降ろしてみましょう」と応えます。漁師の長年の経験から無理だと思ったに違いありません。しかし、ペトロが主の仰せの通りすると、おびただしい魚で網が破れそうになり更にもう一艘の船までも魚で満たされます。非常に不思議な出来事です。マタイ福音書では、主は「来なさい」といわれ、ペテロは船から下りて水の上を歩き始めます。しかし強い風に吹かれ恐ろしくなり、ペテロは、「主よ、助けてください」と叫びます。すると主はすぐに手を差し出し支え、「信仰の薄いものよ」と叱責されました。しかし、ここに主の思いやりと励ましを見いだします。共にいて、手を伸ばし助け起こしてくださる主への信頼が問われています。神からの召命、それは人間の考えが及びません。「何故この私が」と一生懸命考えあぐねたとしても致し方ない。とにかく主を信頼し、主に身を委ね、主の呼びかけに無条件に応えることが大切であることを、この出来事は語ります。

 召命は救いと深く結びついています。豊漁の恩恵はペテロだけでなく、他の漁師達、更に数知れぬ人々にも及びます。主に選ばれ声をかけられた者が、その呼びかけに応えるとき、その人を通し多くの人が主の恩恵に預かることを語っています。そこに福音の出来事が起こることを忘れてはなりません。この船は、教会を象徴しています。ペテロは人を漁どるものとしての召命でなく、無条件に従うこと、また教会が多くの人々で満たされ、その教会を通して人々の救いが実現することの召命を受けているのでしょう。同時に私たちには、この船にお乗りなさいと呼びかける使命が与えられています。

 大海原で助けを求める人々が数多くいます。それを見ぬふりして通り過ぎる教会であってはなりません。その為には、司祭だけでなく信徒も「さあ、お乗りなさい。」と呼びかけ、手を差し伸べなさいと神さまはおっしゃいます。神からの呼びかけに真に応える人の行動があり、そこに神さまが救いの業を成し遂げられます。召命に応えることは、個人の問題ではなく、私たちの救いに関わる重大な出来事です。関心を持ち、熱心にその促進に力を注いで行かなくてはなりません。

 御ミサの終わりに司教様から、交わりの教会、諸教会の交わりついて話され、現在ベトナムから3名の神学生を横浜教区が受け入れたこと、横浜教区としてアフリカに本柳神父様を派遣された紹介があり、私たちは教区の枠にとらわれず、他教区さらには世界に目を向けて行かなければならないことを強調され、今年の一粒会大会を終えました。



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壮年部の黙想会に参加して
藤沢2区 山内

 10月5日(土)鎌倉十二所のイエズス会鎌倉黙想の家にて、プラチド・イバニエス神父様の指導のもとで、黙想会が開かれました。今年度で4回目になるそうですが、私自身ははじめての参加となりました。10時より神父様の講話がはじまり、1981年に出版された神父様の著書「祈りの道」という本の解説と、新約聖書のルカ十章の善いサマリア人の部分、そしてフィリピの手紙一章の9〜10が中心に読まれましたが、そのどちらも、個人的にもとても好きな箇所でした。ルカ10章では善いサマリア人であるイエスという認識の中で、自ら僕は口が悪いとおっしゃる神父様のお言葉で、「イエスよ忘れないでね、わたしはあなたの宝だぜ」という内的進化の体験をお話しされました。フィリピの手紙の1章9〜10では、御父の望みを見分けること、つまりは、識別の大切さで、神様の喜びを○×という単純なことでは

なくて探して行くことで「神様の望みとは何か?」は、祈りの道の不可欠の一つであるとお話しされました。神父様は余談でサッカーくじの例え話を出してイタリアの婦人が「神父様、サッカーくじに当たるよう神様にお願いしてください」という失笑を買う例を出されましたが、これは人間のエゴのお祈りの例えであると思います。 また、祈りのポイントとして、山登りの例をあげ、山に登るうちに何もないその上に神に出合うということで、キリスト教の本当の祈りが分ると同時に人生の本質がわかるとお話しされました。著書「祈りの道」の中に、『あくまでも、イエズスのみ心と私の心の望みが一致しているなら、その時御父である神に向かって、私の内部でイエズスご自身が祈っているということなのです。』とあります。神父様は聖女テレジアの『自伝』をすすめてくださいましたが、私も是非読みたいと思いました。私は、これからも祈りの道を極めようという望みを持って帰途につきました。



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壮年部 黙想会に参加して‥
小川

 10月5日土曜日、秋の日差しの下、あちこちの小中学校では運動会が真っ盛り。そんな中、壮年部長の浮田さんのお誘いに、壮年部主催の黙想会に参加させていただいた。例によって何も考えることなく、まるでガーデンパーティーの会場つくりの手伝いをする軽い気持ちで参加してしまった。

 会場である鎌倉の「黙想の家」に到着したのは9時半ころ。緑に覆われた、箱根か軽井沢の高原の中のような雰囲気。中に入るとすでに15名ほどの方が来られており、いわれるままに名簿に名前を書く。そこで、「新約聖書をもっていますか」と聞かれ、黙想会には聖書がいるのかと新鮮な驚き。

 黙想会の指導をしてくださったのは、プラチド・イバニエス神父。午前と午後、2回にわたりご講話いただいた。喉のご病気を患われた後とのことで、時折水で喉を潤わせながら、力のこもったお話と、受講されている方々の真剣なお姿に、こちらも少しでも理解しようと必死になるのだが、お話のテーマは「祈りの体験課程」。さて、信者でもなく、「祈り」といわれても、所詮、苦しい時の神頼みくらいしか思い当たるもののない小生には少し重たいテーマ。「祈りを通じて、神様と対話をし、神様の望みに自らを近づけていくことで自らを浄化し、内的な前進を」と難易度Aランク」」。

 神父様のお話の後で、ミサに参加させていただき、ちょっと厳かな気分になった秋の一日。簡素と秩序が醸し出す美しさの中で戴いた美味しいお昼ご飯と、参加されていた壮年部の方々の、明るく生き生きとした姿だけが妙に印象にのこった。

 ここまで書いてやっと納得! そうか、皆さん、お祈りして、神様と対話をされているから、あんなに明るく生き生きとしていられるんですね。「お祈り」って奥が深そうだけど、まずはちょっと練習。



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「壮年の集い」
壮年部長 浮田

「壮年の集い」が10月6日(日)9時半のミサ後、テハン神父様の御出席を頂き、開催されました。この集いは例年上期・下期の年2回実施されるもので、教会委員会で話し合われた事柄や、今後の壮年部の活動予定等が報告、論議されます。当日は30人弱の方が出席されました。

 テハン神父様の開会の祈り後、北一ブロック荒井康昌氏の司会で、4月から順を追ってテーマ毎に、それぞれ深く関っていらっしゃる方の解説付きで報告がなされました。

 ざっと上げるだけで、「教会メンテナンス計画」・「教会委員会規約見直し」・「小教区の枠を越えて他小教区と共同で行われる可能性検討」・「梅村司教書簡 交わりとしての教会をめざして」・「元売店の活用検討」・「平和旬間」・「車による送迎ボランティア」・「マーフィー神父様の金祝」等など、4月から僅か半年しか経っていないのに、教会には巾広い、また一つ一つ掘り下げると深いテーマがよくもこうあるものだと驚かされます。

 この中でも、「信徒総会」のポジションについて、「報告の場か、決議の場か、論議の場か」、特に熱心な話し合いが持たれました。壮年がこの様なかたちでゆっくり話し合うチャンスは極めて少なく、皆様と貴重な分かち合いの時間を持てた事を感謝したいと思います。

またこの話し合いを通して、皆様が信仰との関りの中で、いかにこの教会を愛しているかを実感でき、とても心強く感じられました。壮年部と言えば、バザー会場設営とか、労働奉仕のイメージが強いのですが、今後は「何故我々はここにいるのか?」、キリストの教えを学ぶ者として、信仰・祈り・福音・宣教等について話し合う機会を増やしていきたいと考えています。

 今回「壮年の集い」のお便りは約370名の方々に差し上げ、御出席は30名弱、これでは正直少し淋し

い感じがします。教会活動は数ではなく、内容が大切だとの御意見がありますが、壮年部は常に新しい方々を歓迎するオープンな集まりです。

 ご一緒によき学び、よき働き、よき遊びましょう。



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ボーイスカウト藤沢16団入団上進式

 10月13日(日)9時半ミサにおいて、毎年恒例のボーイスカウトの入団上進式が行われました。お蔭様でビーバー隊入団9名、カブ隊入団・上進8名、ボーイ隊上進6名と大がかりな式となりました。また、小教区を越えた勧誘活動の結果、片瀬教会から2名がビーバー隊に入団しました。以下、入団上進スカウトの感想を掲載します。

ビーバースカウト(幼稚園年長)
いまいずみ

 10がつ13にちは、ボーイスカウトのにゅうだんしきでした。きょうかいのなかで、たくさんのひとのまえで、しきをしてとてもたのしかったです。8にんのおともだちがいました。おなじようちえんのおともだちは、3にんでした。おんなのひとは、ひとりだけだったので、はじめはさびしかったけれど、おともだちをつくって、なかよくしたいです。

上進式を迎えて
カブスカウト2組 長谷川

 10月13日、ぼくはビーバースカウトからカブスカウトに上進しました。今までは、おまけみたいだったど、青い、かっこいい制服になって、いよいよ本物のボーイスカウトというかんじでうれしいです。ぼくは、恐竜や生き物が大好きです。だから、海や山に、いっぱいキャンプに行って、いろいろな生き物をみつけたいです。

ボーイ隊に上進した喜び
5年 大森

 僕は、10月13日神様の前で、3つの実行を誓いました。ボーイ隊に上進でき、今嬉しい気持ちでいっぱいです。テント設営や料理も上手になりたいです。これからは、野外活動や他の団のスカウトとの活動も増えるのでとても楽しみです。頑張って課題をクリアし、菊スカウトを目指し、難しい事にもチャレンジして行きたいと思います。



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「北一ブロック集会」に参加して
大庭地区 祖父江

 9月27日ミサ後に頭記集会を持ち、ベイル神父様をお招きして、@ミサ勉強会、A活動の報告と今後の予定、B懇談と分かち合い、C「交わりとしての教会をめざして」の取り組み の順で進めました。その中の幾つかを書き出してみたいと思います。

 勉強会の中で神父様は「ミサ祭儀の中で朗読・説教がこの高さとすると奉献はこれ位」等と言い乍ら棒グラフ状に祭儀の進行を図解して下さったので、ミサの諸段階での意味、意義、重要度などがよく分かりました。これからはその事を噛みしめ乍らミサに預れると思います。そして又、「真のミサは受け身で列席するだけなく、イエス様の代わりに街に出て行動すること、知らない人と話をすること。イエス様はその人の中に居られる」とも言われました。勉強会が済むと司会者がミサの意味である「共に食事をすることは感謝すること」と言う神父様の言葉を受けて「では、神父さまも共に」とユーモアたっぷりに食事に誘われ、45人の大昼食会となりました。自家製ケーキや、果樹園の実家からというぶどうの差し入れもあり、大きな鍋でたっぷり煮込んだカレーライスは実に美味しく皆さん幸せそうでした。共に楽しく食事する中で、口も心もほぐれ話も弾み、お互い顔と名前だけでなく人となりや考え方を知り、親しくなり理解し合えます。これが分かち合い、支え合い、祈り合い、派遣し合い―「交わりの中で」鈴木隆―へと連なるのかなと感じました。イエス様が共に食事することを大切になさった、その深い意味を知る思いでした。懇談の中で、献金について、維持費の他にミサ時に献金するのは二重になるのではないかと言う人がいました。多分その方は、維持費で精一杯献金をしていると解釈なさっておられるのでしょう。このことに関して数人が発言しました。「維持費と献金は違うと思います。小さい子が手にコインを握りしめてカゴの回って来るのを待ちかね、嬉しくて仕方ないという気持ちで献金してるという事もあるのですよ」とあるご婦人がおっしゃると、「僕の小さい頃が正にそうでしたね」と、ある男性が。私も発言しました。私事ですが私の母は8月末に亡くなりました。入院して亡くなる迄の3カ月間、毎日、娘である私と姉、弟の妻の誰かが母の傍らに寄り添い、お祈りし奇跡をお願いし、そして神さまは、それらを全て聞き届けて下さいました。母は誇りを持って生き抜いてくれ、素晴らしく感動的な最期でこの世を去りました。その日、私は神さまにお礼を申し上げたい。気持ちを表わさずにいられない思いでいつもの何倍も献金しました。それは深い感謝と喜びを伴いました。強制とか義務と把えると、しんどいと思いますので私は献金を、その時どきの自分の素直な気持ちに従って行っています。そのほうが精神衛生上もいいと自分では思います。

 この日の集会では色々なことを感じました。自分の考えをはっきりと言えること。何をどういう風に言おうと、他人の話はよく聴いて、きちんと受け止めお互いに尊重し合い同じ目的のためにさらに前進させようという雰囲気、土壌があることに驚きと感動を覚えました。八角形ニュースの第123号(今年の新年号)でマーフィ神父さまの書いておられることは本当だと思いました。こんなに気持ちのいいコミュニティに属しているなんて私はとても幸せです。

 今回は集会が終わった後で「受洗して2年目のあなたの視点で書いて」と言われ、言葉通りに未熟者が正直に感じたこと考えたことをそのまま書きました。これからもよろしくお願い致します。



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11月の主な行事

1(金)諸聖人・初金ミサ・例会

2(土)死者の日

9(土)壮年部親睦旅行

10(日)マーフィ神父金祝 9時半ミサ

    七・五・三 祝福式 午後1時、 結婚セミナー同窓会

17(日)入門式 9時半ミサ中

    葬儀を考える会、 辻堂ブロック集会

23(土)障子貼り

24(日)王であるキリスト

    静修の集いと共同回心式



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葬儀を考える会Q&A

Q.家族の中で、私一人が信者です。家族、親族のために教会での葬儀はどのよう にしたらよいのでしょうか。

A. 生前から家族や身近な人に、自分の葬儀はカトリック教会で執り行ってほしいと希望を伝えておくことが大切です。その場合教会とのかかわりがない家族の方が戸惑わないように、カトリック信者の友人や代父母または司祭や教会関係者にご自分の葬儀のことを頼んでおくとよいでしょう。教会に依頼してあるとすれば、そのことを家族の方々に伝えておくことが必要です。

 もし、ご家族の方がやむえを得ず、仏式やその他の方法で葬儀をすることになった場合でも、親しい信者が教会で追悼の祈りをささげることはいつでも、またどなたでも出来ます。

 藤沢教会では、春と秋の年2回お彼岸の日になくなられた方々のために追悼ミサをささげられています。

 【次回は司祭が葬儀の司式が出来ない場合】



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