八 角 形 に ゅ ー す

2002年12月15日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

交わりと六つの「あい」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 テハン神父

交わりのなかで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村

旅する教会と共に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 池田

ある日のケアーセミナーから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 山崎

ケアーセミナーと共に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 白井

『蜘蛛の糸』から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 橋本

人として生きる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さいか屋1階のNさん

どん底から這い上がった自分・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 堀川

グリフィン講座と夏の旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 阿部

「カンボジア福祉基金藤沢」の皆様へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・JLMMカンボジア鎌田

聖霊刷新セミナー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・茅ヶ崎教会 北野

聖霊刷新セミナーに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・雪の下教会 松山

教会委員会報告

バザー成功へのご協力に感謝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー委員長 安田

結婚式係の交代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教会副委員長 三神

マーフィ神父様の金祝によせて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 石川

壮年部親睦旅行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 里原

静修の集い

病気の時から埋葬まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 中村

「葬儀を考える会」報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 佐々木

「祈り講座」からのお知らせ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハンラティ神父

紙上フォーラムをはじめませんか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

辻堂ブロック集会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂 佐々木

12月の主な行事

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交わりと六つの「あい」
主任司祭 テハン神父

クリスマスおめでとうございます。

ヨハネによる福音、「ことばは、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってではなく、神によって生まれたのである。ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」と書いてあります。ことばはイエス・キリストを意味します。イエス・キリストを受け入れた人、その名を信じる人々は神の子となる資格を与えた。そして神によって生まれたものです。わたしたちは神のものです。そしていつも、ごミサの集会祈願を唱えると、次の言葉を言います。「聖霊の交わりに中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって、アーメン」。イエス・キリストの名により、わたしたちを集め、心を開き、聖霊の交わりが行なわれるようになるでしょう。私はごミサの説教で「交わり」へのステップとして、出あい・分かちあい・支えあい・祈りあい・チャレンジしあい・派遣しあいの六つの「あい」を紹介しました。一人でごミサに与り、自分のためにお祈りするだけでは交わりにならないでしょう。さいわいに長い間、藤沢教会でその六つの「あい」の中で三つか四つぐらいはよく行っています。すなわちキリスト入門講座や活動会や祈りの集いなどを通し、出あい、分かちあい、支えあい、祈りあいとの経験を持っている人は少なくないと思います。しかしチャレンジしあいと、派遣しあいは非常に弱いと思います。この二つの「あい」を知らないと福音宣教をするのがあんまりうまく行かないと思います。チャレンジしあいに対しては、フォーラムを通し、意見交換だけではなく、感情と経験の分かちあいもありました。

違う意見を持っている人の気持ちを理解する望みもありました。私にとってすばらしい経験でした。信徒の意見を尊重する例の一つです。神の御言葉がわたしたちにチャレンジすることがあるかどうかと聞きたいと思います。とくにごミサの間、心を開き、聖霊の導きにより、もっと神の愛をあかしするものになったら、いかがでしょうか。四つのあいは交流と奉仕することにより、わたしたちはほとんど自分で出来ます。しかしチャレンジしあいと、派遣しあいは聖霊の働きです。九月二十九日のごミサの時、福音宣教のために藤沢教会から鍛冶ケ谷教会に岡田友季子さんを派遣しました。交流の奉仕を通し、教会でまたは社会であたたかく迎え入れられた人は、喜びのニュースのメッセージ、すなわち皆神から愛されていることを経験し、イエス・キリストを知ろうとする人は少なくないと思います。一日も早く藤沢教会の皆さんが六つの「あい」を育てることが出来ますようお祈りしております。



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交わりのなかで
善行 岡村

はじめは「ミサとともに」、後に「交わりのなかで」と変えた集いを毎週金曜日の夜続けてきて十年余になります。

ミサの榮唱のことば、「聖霊の交わりのなかで」がその元になっていますが、それ抜きにしてわたしは「交わり」を考えられませんと言うのも、聖霊のはたらきなしにわたしたちに交わりはあり得ないからです。

人と人とが聖霊のはたらきによって結ばれるとき、今までの夫々に留まるわけにはいかなくなります。

己にも相手にも知らないところがあると互いに認めなければならない引き合わせを感じるからです。

わたしたちは日常ほとんど互いに知っている分かっているところで関わっていますから、今更相手に確かめもせず夫々の思いや考えで勝手に、交わり抜きに物事をしています。

後から互いのずれに気付いてそれが一方的なやり方だったと思い、そこから交わりがはじまるのです。思いこみやとらわれから離れて、今ここにしかない「いのちの創造」にこころを開くと、今まで聞かなかった事が聞こえ、見なかったことが見えてきます。

それが聖霊のはたらき、未知の引き合わせです。もう長い間やってきたから未知のところはないとどうして言えるでしょうか。

己の思いや考えの支えにしている今までの知識と体験だけで充分と言えるでしょうか。未知の引き合わせは絶えずわたしたちにあるのに、それを感じないのはわたしたちが引き合わせを知っている分かっていることしか見ないし聞こうとしないからなのです。

物事を己の知っている分かっているところで説明して片附けていて説明出来ないことは受けいれようとはしないからです。

聖母マリアが思い巡らしていたのは説明できることだったのでしょうか。できないことを受け入れ、これは未知のこの先にどのように必要とされるのだろうかと思い巡らしていたのではないでしょうか。

無意識のうちにわたしたちは物事を知っている分かっている説明できるところだけで終わりにしています。

それは、物事を己にとって良いものにする、つまり利用できるのはその知っている分かっているところでだけだからです。

安心できるように、物事を知っていてやりたいと誰でも思っています。己の中に力を得てそれでやりたいと誰でも思います。

だから、思いや考えを超える未知の引き合わせがあっても気付かないし応えられないのです。己の思いや考えに留まっていることさえ気付きません。

「わたしは外に立って戸をたたく」と言われてもそれに気付かないのです。

もしも今ここに、引き合わされて未知のことがはじまっていると感じたら、人は声を潜め耳を傾けそれにこころを開かないでしょうか。

己の思いや考えの外を意識するようになると、戸をたたく小さな音が聞こえ、見えなかったことが見えはじめます。そうすると、未知の引き合わせの必要をその中に感じることが出来るでしょう。わたしたちは、物事をその思いや考えで間に合わせているうちは未知の引き合わせに気付きません、引き合わせがあることさえも。引き合わされた未知のこの先が必要としている何かを感じ、それに応えようと探りはじめて引き込まれるのが聖霊の交わりです。知っていてやっていることに聖霊のはたらきも、新しいいのちの創造である「交わり」もありません。

今まで支えにしていた己の破壊(それを組みかえと言ってもよいでしょうが)が起こり、新しいいのちの創造がはじまります。「死と復活」とはこのことを表しており、復活とは元に戻ることではないのです。

「神を見た者は死ぬ」と信じられていたことが旧約聖書の至るところに語られていますが、神=創造のはたらきに出会った者は、もはや今までの己のままでは生きられないという意味でしょう。しかし旧約聖書の人たちは実際に死ぬと思いこんでいたようです。

「何故恐れるのか。まだ信じないのか」というイエスの呼びかけがこれに向かい合って立っています。

イサクを奉げたアブラハムは神を、死から復活させることがお出来になる方と信じたのだ、と聖パウロは言いますが、その時アブラハムには神が必要としておられると感じる他に、それに応えることに対する何の保証も支えもなかったのです。これほど完全な死があるでしょうか。そしてその死を通してアブラハムは新しいいのちに復活させられたのではないでしょうか。

今までの己を確保しておいて、それを超えるいのちの創造にはいることは出来ません。人は支えにするものによって、いのちの創造に対してこころを閉じるからです。「今日神の声を聞くなら、神にこころを閉じてはならない」にはイエスの「恐れるな」という呼びかけが一対になっているように思います。

己の無力であることを恐れるな、力はその時そこで「交わり」の中で与えられる。

未知の引き合わせとの交わりを通して過去の出来事の意味とはたらきが変わります。「己が変わった」とはそういうことで、今までの出来事の意味とはたらきが変わることによって未知のこの先を生きる力が与えられるのです。

過去を固定化し支えにする者、物事を終わりにする者はこの先を生きられない。いのちの創造を恐れ、敵にしてしまうからです。

「守る」のは何から何を「守る」のか、何を恐れるのかと己に問わなければならないでしょう。



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旅する教会と共に
大庭 池田

私は旅が好きだ。ほんと、こよなく好きなのである。「旅」がそんなにも心嬉しくさせる、その要素って何だろう?

まず見慣れた、というか見慣れすぎて新鮮味のなくなりかけた我が家。ヴェランダから見える年中さして変わり映えのしない風景。家の真上の空がコースになっているらしい某国の戦闘機の日常的な轟音。そういう単調さから、たとい2日でも3日でも解放されたい、そういう下心もあるいはあるのかもしれない。しかしそれらは私の中で、ごくごく消極的な理由でしかない。

もし私が、キャンプに行く日を待つ子供のようにはしゃいで旅に出る、その理由を誰かに尋ねられるなら、「新しい〈出会い〉への期待です」と即座に答えたい。

私は(勿論家族も含めて)この45年間に所属教会を5つ変えている。ご当所で6つ目である。そのことは転勤その他の事由でやむをえないが、私の場合〈出る教会〉と〈入る教会〉での挨拶になぜか、それぞれ毎度同じコメントが挿入されるのである。

◇出る教会=途中下車が、つい○年にも及びました。(中略)これから私たちとの新しい〈出会い〉を待っている教会の人たちのことを想像すると、胸が躍ります。◇入る教会=(前略)旅が続いています。新しくこの教会に途中下車しました。みなさんとの〈出会い〉は神のお取り計らい。この出会いが〈交わり〉へと、そしてやがては〈一致〉へと深まりますように。

旅する嬉しさは、予知できない〈出会い〉にある。あっけらかんと登山電車を降りたとき、不意に視界のなかに富士が忽然と現れたりする、あの感動である。

初秋のある日だった。

ふらっとカメラを手に出かけた江ノ電の車内で私は、思いも寄らない〈出会い〉を体験することになる。

最近はあまり見かけないのだが、詰襟の学生服の胸をはだけ、かつてはボンタンと呼ばれていただぶだぶのズボンに隠れていたスニーカーが、思いっきり私の足を踏んで駆け出したのだ。駅は稲村ヶ崎。残念なことに、ホームへ出ようとした彼の鼻先で扉が閉められた。予想もしなかったことが、この後で起こる。電車を降りそこねた例のボンタンが、肩をゆすりながら私に近づいてくるではないか。私は怯え、席を立って後ずさりする。

「おっつあん・・。さっきは悪かったな。ごめんよ」久かた、私は感動で胸がこみ上げてくる。およそ〈しがらみ〉と呼ばれるほど人間関係の難しいこの世で、ごめんよ、これほど短くて、やさしくて、そしてこれほど口に出しにくいことばが、ほかにあろうか?この短い言葉〈ごめんよ〉が言えないばっかりに、どれほどの人たちがつまずいたことだろう!それをボンタンが私に、多くの乗客の前でさらりと言ってのけたのである。

ところで、この世で最も神秘的な出会いは?そういう問われ方をされて、はて皆さんは、どんな場面を連想なさるだろうか?

うまれてまだ10日か、遅くても2週間ほどしか経過していない赤ちゃん。つまり、この世に生を受けたばかりのみどりごが、である。抱いてくれているわが母わが父をじっと正視して〈ウソじゃない!ほんとうに正視している、としか思えないのだ!〉にっこりと微笑む、あの感動の一瞬である。

あの微笑みは神秘である。顔面の神経の発作だとか、フィジカルな、尤もらしいことを誰が言おうと、私は聞かない。あれは赤ちゃんの、自分を抱いてくれている両親に対する初めての、出会いの挨拶なのである。創造主がご褒美として両親に下さった恵み、なんという神秘!

2千年前。ベツレヘムの馬小屋で聖母マリアに抱かれながら、わたしたちの主救い主、やがてキリストとよばれることになるイエスさま。あなたは、ご両親との最初の、あの神秘な出会いの挨拶を、どのような笑顔で示されたのでしょうか。

出会いは〈交わり〉に進んで、はじめて実りを得る。出会いから交わりへ。現実にこの進展を妨げるものが幾つかあるが、それらのなかで、線を引く、という自閉的かつ縄張り的な営みが尤も手ごわく、厄介である。

人はどうして〈線を引きたがる〉のだろう。

境界線を引く、これぐらい排他的で罪深い心情はない。人はその仕切られた線の中で安住し、線のゆえに〈内と外〉とで相克(そうこく)し、区別のはずだった線が差別の線となり、それが時に〈いじめ〉となり時に大量殺戮(さつりく)を伴う争いの伏線となってしまう。悲しい。あの人は好き、しかしこの人は嫌い。神の恵みとして用意されたせっかくの出会いの場が、やがて交わりへと発展していく可能性が、線を引くことによって、ふっつりと絶たれるのだ。

最近は、ある程度の広さの多目的ホールをもつ教会では、祝賀会や各種集会などで立食形式のパーティーが目立つ。それぞれに理由はあるだろうが、基本的には「交わり」の重視だろうと思う。藤沢教会のように近隣諸教会はもとより、多国籍の人たちとも自由に交われる洗練された教会では問題ないが、現実には笑うわけにもいかない〈仲よしの場所取り〉が始まるのである。

「○○さァ〜ん、こっちよォ、こっち」「◇◇地区ゥ、ここだ、ここだ」それでも立ってくれているうちは、まだよい。やがて勝手知ったる者が、どこからか椅子を持ち出して来て、結局ワン・グループみんなテーブルを囲んで座ってしまう。これでは交わりを得ようとする取り皿やグラスを持ってめぐってきた〈旅する信徒〉は遠慮するしかなくなる。

実を明かせば、「旅する教会」を合い言葉に、ようやく〈意識の境界線をはずし始めた〉のは、必ずしも私たち信徒の一人一人が先ではなかったはずだ。

カトリックが1960の実質3年有余をかけ、全世界から2860名の司教が参加して開かれた第二バチカン公会議の「公文書全集」(1986年7月・中央出版社)を私が、最初に読んでまず驚かされた語彙を、今も覚えている。それは同「公文書」の中の〈現代世界憲章〉第2章の見出しに使用されたものでそこにはなんと《人間共同体》と表記されていたのである。いくら目を見開いて見直しても、「カトリック共同体」ではなかったのである。

1517年。マルティン・ルターが貼り出した95ヶ条の提題から約450年を経て、カトリシズムはついに、線を引くことの愚かさから解放されたのである。

さあ兄弟姉妹の皆さん!取り皿を持ち、お箸を持ち、痛みや不自由のある人たちと心を通わせ、ボーダーレスな教会の未来を共に祝おうではありませんか。



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ある日のケアーセミナーから
辻堂1区 山崎

毎回、ケアーセミナーにはテーマがあります。「あなたは充分だ・・」「無駄なことはない」「仮面とは」「必要なもの・・」などいろいろありました。それぞれのテーマがどのような話に展開していくのか期待にも似た祈りをもって参加しております。

その日のテーマは「ゆとり」でした。静思のひととき、知恵の書6・12ー16を聴き、4人のグループに別れて、そのことについての分かちあいの後、神父様から「ゆとり」について、たくさんの「考えるヒント」をいただきました。ゆとりがないということは、ストレスからくるもの。心にキズがある。緊張。昔からの荷物。支配されること。また支配すること。事実を受け入れないこと。圧力や分裂などによるもの。これらからくるということです。

グループでの分かちあいで、ある人が体を痛め、思うように動けなく不自由だけれど、その静かな時、本を読んだり、考えたり、感動したり、霊的な思いに浸ることができたという。それは「ゆとり」だと感じたそうです。現実を受け入れたことによるものだと思います。

それぞれの体験から、解放されたことなども分かちあった後、神父様からまとめの説明がありました。光と闇の関係で闇を通して成長があること。困難や病気など、その事実を通してゆとりが生まれるのだということでした。自分の闇を知れば知るほど「ゆとり」が生まれてくるのではないでしょうか。それを解っていても出来ないのは、事実を受け入れた時失うものがあるとこだわりが出てくるからだと思います。

分かちあいをして気づかされたことが多く、神様は私達の中で私達を通して働いておられることがよく解ります。そして分かちあえる場があることと、毎回少しは神様に近づけたような気持ちになれることは感謝です。また自分自身をケアーするという意味で、少しずつ役に立っていることも感謝したいと思います。



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ケアーセミナーと共に
鵠沼3区 白井

12月14日、ケアーセミナーは、75回の時を迎えます。父母の合同法要が、同日であることを知った時、私はケアーセミナーのかかわりの中で、ここまで歩んでこられたのだと改めて感じ、温かい気持ちになりました。1996年4月20日、ケアーセミナーが初めて開かれた日、アルツハイマーで入院中の父と、病弱な母のことで、頭がいっぱいだった私は、偶然いただいたリーフレットを手に、全くの飛び入り参加で、この会に参加しました。知人は一人もなく心細い限りでしたが、そんな私を、カトリック藤沢教会のスタッフの方々が、やさしく接してくださったのを覚えています。

当時は、「Be助っ人の会」という名でも呼ばれ、同じ共同体の中で、病人の方々、体の不自由な方々、また、看護に疲れている人達に対して、よりよいケアーを行うことが、できないだろうかという志のもと、テハン神父様のご指導によりケアーセミナーが、始まったことをこの時知りました。ロールプレイという寸劇をすることで、その演じている人の気持ちを味わったり、乳ガンの手術を目の前にした人や、手術後の人々を精神的にサポートしている「あけぼの会」の方が、講演してくださったりと様々な試みがなされてきました。そして、その歩みの中で、静思のひととき、聖書朗読、その後事前にいただいたテーマに沿って、神父様のヒントを手がかりに、グループに分かれて、分かち合うというスタイルが出来上がってきたように思います。

初めて分かち合いを持った時、老若男女を問わず、全くお互いを知らなくても一つのテーマの中で、心に触れる会話が出来るのだという体験は私には驚きでした。

そして、セミナーの日を重ねていくうちに、ケアーする人が、いい状態でなければ他の人のケアーはうまくいかないということ、ケアーの対象は他の人ではなく、まずこの自分自身であるという気づきをいただきました。この気づきは私にとって大きなお恵みでした。何故なら、ケアーセミナーと共に歩んで行く中で、父の死、母の死とつらい経験をすることになりましたが、どのような時も、「あなたは、あなたでいいのよ」というもう一人の内なる自分の声に、素直に耳を傾けることが出来ました。父母のよりよいケアーのためにと、出発した私ですが、常にケアーをいただいていたのは、実は、他でもないこの私だったのです。

クリスマスを前に、ひょっこり教会の前を通った私にケアーセミナーを通してたくさんの方々との出あい、分かちあい祈りあい、支えあい、チャレンジしあい派遣しあいの六つのあいをプレゼントしてくださった。カトリック藤沢教会という共同体に、感謝すると共に、人と人の交わりの中に神様がいらっしゃることを深く味わうことが出来るよう希望を持って、みなさまと共に歩んで行きたいと思っています。そうです。共同体の一人に加えていただいたのですから・・。



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『蜘蛛の糸』から
善行 橋本

『蜘蛛の糸』「芥川龍之介」作、主人公は、天から降りてきた蜘蛛の糸にしがみつき「これで血の池、針の山、etc、ともおさらばだ」

血の池でのたうつ人、針の山で血を流し動けなくなっている人、炎と煙の中で身をよじらせのけぞらせる人・・。彼はそれを見降し「俺だけは」と思ったがなんと下から次、次、と糸にむらがり糸にしがみついて登ってくる人、人人、「糸が危い」彼は夢中で糸の下をちょん切って、ほくそえんだ。その瞬間、糸はなくなった。確かそんな筋だったと思う・。現代、人間は『自分だけは・・』と思いがちだ。しかし、我々は既に『地獄』に墜ちている。いや突落とされている。だからこそ、『主の救い』『キリストの再臨』を(我々の『罪』をあがなって下さる)祈り、天使の奏でる樂の音で心の平安を求めているのではないだろうか?『エボラ出血病』の患者を抱きしめる事ができますか?ホームレスと同じ盃で酒をくみかわし、人生を社会を日本を世界を語る事ができますか?

『愛』共に生きる。共に生きよう!

私達は『牧場の羊』、私達を世界を森羅萬象を支配できる方は『主』のみ。主のみ聖なり、主のみ王なり、主のみいと高し、イエスキリストよ。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。それ故に、共に手をたずさえ、平和に、そして、自由に、互を認めあって、生きて往かねば。それは無限の方程式、その方程式を解ける唯一の方、その方は『主』人々を祝福し、心から生きる喜びを奏で響かせることのできる方『主』、光で闇から人を解放し、目を開いて下さる唯一の方『主』『イエスキリストよ』



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人として生きる
さいか屋1階のNさん

私はホームレスになってから約2年になります。社会の内にはいろいろな人生を送られてきた人たちが多く、自らの人生に疲れた人も数多くいます。普通の人生、ふてくされて酒におぼれた人生。金銭に限らず、たとえ不正であっても過度の欲に勝てぬ人たち・・。

他人の人権などどうでも良い、自分さえ良ければ・・。正直者がバカをみる、生きていく価値のない(もちろん全てではないが)そんな世で私たちのような形になった人達。自らの責任は当然のことですがそれだけでしょうか?

真面目だが世渡りが不器用ゆえ、社会の流れに沿って生きて行けぬ人、沿って生きて行かぬ人。いろいろな人生があると思いますが(生まれ持った星の下?)、そんな私達を暖かく受け入れてくださっているボランティアの方をはじめ、教会などの方々のご支援に対し厚くお礼申し上げます。ご多忙の所、夜遅く差し入れなどお骨折りをいただき…、そしてこの度のシャワールーム設置に厚くお礼申し上げます。私50年の人生、こんなに優しく迎えてもらったことは今までありません。私事になりますが、私がホームレスになったのは長い時間、いろいろな過程を経てきています。24年前の離婚がきっかけで、愛する我が子の顔も見れず手紙一つ書けず24年が過ぎました。もちろん一時として子供のことを忘れたことはありません。自分への将来の夢が一八○度反転してしまったのです。生き方のズレを自ら自覚しながら、その時その時の酒におぼれ、自らを変えたつもりのふて腐れ、愚か者人生を送ってしまいました。酒に逃げてきた今までの人生。現在のような生活になってから、自分の食も確保できない自分の力の無さに疲れ踏切で数時間飛び込んでしまえば全てが終わる。しかし、生きているだけでいいか、生きてさえいればそのうち我が子の顔も、と死にきれず。

私がこのような形になった本当の原因は分かっています。欲突っ張ったこの世の汚さ(もちろんそんな事ばかりではないが)に私は免疫を持っていません…。どうにもならぬこと。不器用だけどくそまじめに一生懸命(特に仕事は)生きてきた私です。つまらぬ愚痴話をくどくどすみませんでした。

私達が一般社会人に戻るためには(この生活を好んでいる人も結構います故)仕事のことだけでなく知識(情報)や心の矯正(ケア)等が必要です。自らの力だけでは社会復帰出来ない人がほとんどだと思います。自らも甘えることなく、1日も早い社会復帰出来るようがんばって生きていく所存です。ボランティアの方、教会の方々の差し入れやシャワー設置などに対し厚くお礼申し上げます。またこれからもご指導、ご支援をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。



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どん底から這い上がった自分
六会 堀川

自分は生まれたときから家が貧乏。学校は中卒、10代の時、ある会社で指4本を無くしてしまった。病院に1週間くらい入院、何回か死を考えた。でもいろいろな人を見て生きることにした。20代の時、会社の人に誘われて、ある小さな教会に行った。そこで神様と出会った。20代の時、いろいろな人と出会ったが、指のためやめた。

小さいときから音楽が好きだったのでギターを習った。でも指のためやめた。40代の時、自分のすべてをなくしてしまった。父、母、兄、そして土地、家、お金、仕事、物。また何回か死を考えた。でも自分には神様がいると思って、生きることにした。

10代〜40代まで、自分で働いて貯めたお金が1千万あった。半分がいろいろな人にだまされて消えた。後の半分は父母のお葬式に使った。

50代で人間として最下のホームレスになってしまった。コンクリートの生活が始まった。(10年間)また何回か死を考えた。夢の中で神様が生きなければダメだよと言われたので生きることにした。

自分に何か出きることがないかなと思って、ここの教会に来て外のそうじをはじめた。そうじをしながら何かを見つければと思って。いろいろな人とお話をしながら神様に毎日祈った。

50代の終わりに教会の人、ボランティアの人、そして神様に助けられて、新しいタタミの上の生活が始まった。今まで生きていて良かった。

人間は生まれたら、どんな人でもいつかこの世と分かれなければならない定め。だから自分が出来ることは生きているうちにやった方がいいと思います。

今の自分は、神様が自分の体の中にいる。本当に皆さんのおかげで、新しい生活が出来たので、ありがとうございます。とにかく自分に残された時間を精いっぱい生きる、自分自身を強くして生きようと思ってます。



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グリフィン講座と夏の旅
藤沢1区 阿部

ケルンを出たローカル列車は西へ走ること1時間余、ベルギー国境ほど近いアーヘンの駅にきしみながら停車した。降り立ってもこれといった特徴のない駅前のロータリー。ミュンスター広場に向かう路線バスの車窓からもマクドナルドが幅を利かせるなんの変哲もないドイツの中都市。ホテルで旅装を解いて、かのカール大帝以来の大聖堂に向けて小雨に濡れた石畳の道を歩く頃、漸く歴史が感じられた。

聖地は別としてカトリック教徒にとって訪れたい巡礼地といえば、ファチマ、サンチャゴ・デ・コンポステーラ、ルルド、ローマ、アッシジ、というところであろうか。しかし私にとってはここアーヘンが一度は訪れずにはおられなかった巡礼地なのである。

私は3歳のときの幼児洗礼で、子どもの頃は否応なく教会へ連れていかれ、日曜学校で公教要理を教え込まれた。しかし小学校へ行くと「アーメン、ソーメン冷やソーメン」とからかわれ、中高はカトリック校にいったが、今度は神父に取り入る周りの信者生徒の取り澄ましたしたり顔にこの連中はほんとうにわかっているのかと反発し、反逆児で通してしまった。そこを出てキリスト教と関係のない大学に入るとカトリックの呪縛から解放されたようでホッとしたし、教会からも離れた。三位一体、受肉、降誕、十字架、復活。いくら聴いてもキリスト教の教義は難解で、なぜこういう理にあわないことを押しつけられるのか私には馴染めなかった。のちに遠藤周作の「沈黙」に出会い、裁く神ではなく、赦す神受け容れてくれる神の概念を得たことを契機に教会に戻ってくるまで随分時間がかかった。しかしその間、私に纏わりついた教会の教えを完全に捨て去ることもできなかった。

神戸の六甲教会の主任司祭だったそのドイツ人神父は何十年も前から、家に来ては私に冗談ばかり言っていた。日曜日の説教以外、それらしい話を聴いたこともなかったし、たまに聴くへたな日本語のその説教もなにも憶えていない。しかしなにも語らなくても、その後ろ姿が離れようとする私に語りかけていた。祖国を捨て故郷を捨て家族を捨て、宣教師として波濤万里、この極東の島国でそのためにはたらき、二度と再び故国の土を踏むことなく、かの地の土となっていく神父の信じているものを無碍(むげ)には捨て去ることはできなかった。18才で故郷のアーヘンを出てから60余年、晩年の闘病の末、4年前の秋に帰らぬ人となった。今は府中のカトリック墓地に眠っておられる。臨終の前に見舞った私に彼は言った。「もういいです。天国でお母さんに会いたい。」私は、「大丈夫です。早く元気になって下さい。」などとうわべの言葉などとても言えなかった。私はただ頷いて「そうですねえ。」と相づちを打った。なんの役にも立たない不肖の私の、それは精一杯のはなむけだった。

私には長年キリスト教徒としてのコンプレックスが二つあった。ひとつは、成人してから受洗した人に比べ、自分自身で教義を極めることもなく、生のままでいわば宣教師の後ろ姿についてきただけの人間が持っているものが、果たしてほんものの信仰と言えるのか。他人の信仰の請け売りをしているに過ぎないのではないか。自分自身への疑いが消えない。現代ではあのカトリック教国のフランスでさえ、幼児洗礼はもはや姿を消している。

ふたつ目は、自分も、周りの日本人社会も、キリスト教の価値観の基である罪の意識が稀薄で、考えに考え、かなり無理してようようそこに辿り着くという有り様で、根無し草。日本人社会という土壌も不毛の砂漠に種を蒔いているようなものではないだろうか。

そのことは暫く措いて、昨年の初夏の頃、魚津さんが誘ってくれた。9月からグリフィン神父様のリーダー養成講座が始まる。おれ達みたいなタイプでも人生経験を生かせば人の役に立つかもしれない。一緒に受講してみないかと。リーダー養成と聞いて、とてもじゃないと思ったが、人のためというよりもこんな自分のため、なにか得るところがあるのではないか、本来の趣旨にはもとるかもしれないがと申し込むことにした。行ってみると案の定そうそうたる方々ばかりで、甚だ場違いではあったが、9月から今年の4月まで、そこは宝の山だった。そして私の二つのコンプレックスはグリフィン講座を受講したことで、朝靄が晴れるように拭い去られていった。

講座前半では、自分に出会う、ということがテーマだった。それはこんなに貧しい私でも赦され、受け容れられていることを認識する旅で、こんな楽しい旅は生まれて初めて味わうことが出来た。後半は教義中心になり、それが苦手な私が戸惑う暇もなく、宗教比較研究の宿題が出て、緊張感が一気に高まった。この宿題がのちに、他宗教の信仰に対するそれまでの独善的理解は、そのまま自分の信仰そのものの貧困にほかならない、ということを私に知らしめた。

私は父祖伝来の、そして東西霊性交流などでキリスト教との対話の機会も多いと聞く禅宗をやってみようと、禅に造詣の深いカルメル会の奥村一郎神父に相談してみた。中川宋淵老師に出会って座禅に親しまれた若き日の奥村神父は、聖書に出会って抱いた違和感を、聖書は荒唐無稽でキリストは神ではない、というアンチ・キリスト的東大卒業論文として書きながら、信仰のゆらぎを宋淵老師にうち明け、老師の「汝洗礼を受くべし」の一転語によって、キリスト教徒への道が一挙に開かれた。これは私など凡夫の目にも明らかに、理を超え人智を超えたこと、ダマスコ途上のパウロの回心を連想させる。

しかし、奥村神父から受けた示唆は禅ではなく、まずお釈迦様以来の原始仏教から紐解き、教義的にパウロに近い親鸞というヒントと読書指導を頂いた。そのガイドラインに沿って数冊を読み解くうち、信心と信仰の差異はあるが、両者が絶対他力を本願とする点で酷似していることに驚いた。親鸞の説く悪人正機の考え方「善人なおもて往生す、いかにいわんや悪人をや」と「幸いなるかな、心の貧しき者。天国は彼らのものなればなり。」(マタイ5・3)とはほとんど重なっているではないか。「心の貧しき者」「悪人」とは、この世でより多くの汗と涙を流しながら生きる人間のことである。更に、講座終了後その延長線上で歎異抄を読んでいるうちに、次の親鸞の言葉に出会い、私は驚愕してしまった。「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひと(法然)の仰せかぶりて信ずるのほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん。また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」(歎異抄第2条)なぜ信じるのか、と訊ねられて親鸞は応える。「よきひとの仰せのままに。」と。パウロと並ぶ世界の大宗教思想家親鸞にして、ほかにこれという理由もないのだ。念仏して阿弥陀仏の助けをいただきなさい。と法然上人に言われて、自分はそれを信じたに過ぎない。数年前、教育事業に生涯を捧げ、その人徳と清濁併せのむスケールに私淑していた、さるシスターが卒寿を超えた大往生で他界された。その葬儀ミサを司式された森司教が説教の中で話された。「このシスターは愛だけを力として、愛だけを人生の武器として、それをこの修道会の創立者である神父から受け取られました。創立者の神父は、その心をキリストから受け取りました。キリストは、その心を父なる神から受け取りました。ここにハートの伝承というものを忘れてはならないと思います。神が人間を愛したその愛、それがキリストの中に響き、それが創立者の神父に伝わってシスターの心を燃やし、そしてシスターの心を燃やしたその愛の炎が、多くの人々の人生を豊かにしました。ハートが響き合って互いの人生が豊かになる。それをシスターは私たちに伝えてくれたのです。」これを聴いて私は、自分の後ろ姿信仰も捨てたものではない、とささやかな気持ちは芽生えたが、親鸞のこの言葉を読んで、それは確信に変わった。「よきひと」とは、師でもあり、先輩でもあり、また友でもある存在。そして、その「よきひと」はすべての人の出会う可能性のある「よきひと」であろう。「よきひと」との出会いなくして「信」への道はない。と私は思う。「よきひと」のなかにある、属し信奉する宗派という形態を超えたもっと遥かなもの。私の中にあるもう一つの遥かなる私を、「よきひと」を通して直観する。それが私にとっての霊性なのではないか。そのような「よきひと」と出会えるか、出会えないか、各人の心がけや信仰への情熱によるとは限らない。求めて得られるとも限らない。縁がなければそのような人と出会うことがないままに生涯を終えることもある。それこそが聖寵、天啓、親鸞の説く他力のはたらきなのではなかろうか。

「まことに知んぬ。かなしきかな愚禿鸞愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることをよろこばず真証の証に近づくことを楽しまず。恥ずべし。傷むべし。」(教行信証)些か難解であるが、本願他力によって救いに近づいても、「恥ずべし傷むべし」と自分の煩悩と罪業に思い悩む親鸞の告白である。

戦後、ルース・ベネディクトの「菊と刀」がよく読まれた。ベネディクトは、人類の文化を罪の文化と恥の文化に二分した。罪の文化は内面的な罪の自覚に基づいて善行を行う。これに対して恥の文化は、表面的な他人の批評を推測し、恥が強力な強制力になると定義される。そして日本の文化は恥の文化であると位置づけ、具体的に「幸運を祈願する儀式はあるが、贖罪の儀式はない」と言い切っている。私も若い頃、これを読んでまことに然りと共感し、そのことも罪の文化であるキリスト教に惹かれた由縁のひとつではあった。しかし、今考えてみると日本の恥の文化とは、支配階級である武士が洗練させてきた武士道の文化であった。民衆すなわち大多数の日本人の間に地下水のように浸透していったのが念仏と「罪」の思想である。しかも親鸞はその罪の意識で自分と仏が一対一で向き合う。そのことによって救済されるということは、完全にではないが一神教の「神との契約」という概念と、重なり合うのではなかろうか。無神論をさえ包摂する悟りの世界・仏教にあってひとり救済宗教として光芒を放つ浄土教。私たち日本人社会は父祖以来その意識の下に育ち、無宗教という不毛の砂漠ではなく、どの民族にもまして肥沃な宗教的土壌に生きてきたのである。私たちはコンプレックスどころかその原点に立ち帰ることができれば、国家神道の消滅以来、人生観、世界観が空白のまま放置されてきた、戦後の宗教的悲劇の空白を埋めることができるのかもしれない。

アーヘンをあとに、ハイデルベルグ、シュツットガルト、ウルム。ラインラントから黒い森の分水嶺を越えてドナウ川流域へと旅を重ね、日を経ず次の巡礼地アウグスブルグの駅に到着した。この街はその名を紀元前のローマ皇帝アウグストに因んだぐらいの歴史の街ではあるが、今ではむしろ十六世紀の宗教和議の街として聞こえている。新教・旧教の聖堂がひとつの教会敷地内に共存する聖ウルリッヒ&アフラ教会が和議の象徴として街の中心に建っている。しかし、私はそちらには向かわず路面電車に乗って、真っ直ぐに聖アンナ教会というプロテスタント教会へ直行した。ここは3年前の1999年10月31日、永年対立していたカトリックとルーテル教会が、義認の教義に関してはじめて共同宣言を出した場所である。私はその年の11月のカトリック新聞の記事でそのことを知った。ローマ任せ、司教任せ、神父任せ、シスター任せで受け身の私たちカトリック教徒に比べ、プロテスタント信徒の主体性が優れているとかねて感じていた私は、この記事はなにを意味しているのか知りたかったが、例によって記事は難解な神学用語の羅列でまったく理解できなかった。そこで比較的神学に長けておられる親しい修道者に質問してみたが、中身はもちろん、その報道さえご存じなかった。専門外のことを質すのは非礼と気づいて方向転換した私は、カトリック中央協議会のエキュメニズム事務局に電話してみた。しかし、義認とはプロテスタントにとっては重要だが、カトリックにとってはさほどのことはなく、中身についてはよくわからないというような説明しか得られず、到底納得はいかなかったが、諦めるより仕方がなかった。

ところが今年になって、歎異抄のあとに更に読み継いだ浄土真宗系の書籍の記述には、驚いたことにこのことが私にもわかるように詳述され、その意義まで説かれていたのである。浄土真宗とは親鸞の教えである。仏教には自らの叡智に便る智の道と、自らの小を省みるがゆえに他からの慈悲に一切を委ねてかかる悲の道に分かれる。前者を自力道といい、後者を他力道という。自力道とは天台宗、真言宗、禅宗。即ち造像、起塔、智慧、持律、読経、写経、座禅。いわば難行であり、自力でこれらの功徳をなし、救いの道に入るのは選ばれた少数の者だけであった。しかし、もし仏法が自力一道に限られるのなら、無数の大衆は済度にあずかることはできない。だが仏の慈悲は小さき者、罪に泣く者、貧しき者、無力な者の悲嘆をそのままに放置するであろうか。その哀れな衆生を済度する。これが阿弥陀仏の本願である。母がふしあわせな子に情を傾けるように仏の済度の思いは罪ある者たちの上に降り注がれる。そのためには大悲の叡慮は彼らのために難行ではなく易行の道を考えねばならぬ。難しい行いなどなんの役に立とう。阿弥陀仏が「我が名を称えよ」と世にも簡易な称名の道を用意したことは、インド・中国を超えた我が国固有の、法然、親鸞による真に希有な発見であった。ナムアミダブツと称える称名の、ナムはサンスクリットで帰依する。アミダは永遠の命、無量の光。キリスト教徒がクレドの最終句で、永遠の命を信じます。と唱えることと同義語である。称名によって自我が消え去り、そこが浄土である。称名は自力の行ではなく全く他力の行である。浄土宗、浄土真宗、時宗。これを他力道という。自力と他力については、第二バチカン公会議公文書ノストラ・エターテ(キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言)も言及しているところである。ローマ書5章に明らかなように、キリスト教もまた他力道である。

以下、その記述の要旨を紹介すると、「義認」とは、神がイエス・キリストを通して、人間の罪をゆるし救うはたらきを意味する。これまでカトリックは「神に帰依すると同時に人は地上での善行によって救われる」と、教会や善行の重要性を強調してきた。これに対してマルチン・ルターが主張したのは、「神の救いは、人の善行や修行、禁欲、慈善などの生前の行いによるものではなくて、ただ一途に神を信ずるときに神が恵むもの」という信の立場を第一とすることだった。プロテスタントの牧師でもある徳善義和ルーテル学院大学教授は、「プロテスタントは、罪深い存在である人間は、自らの力では自分を救うことはできず、キリストによってのみ救われるとし、いわば他力を強調する。カトリックは、キリストの助けを得ながら自分の努力でも救われうるとして、他力プラス自力の立場をとる」と説明する。第二バチカン公会議ののち、一1967年からの長い神学的対話を経て、1999年6月にルーテル世界連盟とバチカンのキリスト教一致推進協議会が合意し、10月31日にアウグスブルグで調印した共同宣言では、「義認はただ神の恵みによるものであり、善行によって得られるものではなく、人は信仰によってのみそれを受け、善行のうちにその実が表れるということに、両教会が合意する。」と述べられている。この宣言の内容を知って、驚かない親鸞思想の共鳴者がいるだろうか。ルーテル教会とバチカンのこの共同宣言は、文字通りわが国の他力仏教思想の核心にそのまま迫るものだからだ。この宣言をもし、「救い(往生)はただ仏(阿弥陀仏)の慈悲(本願)によるものであり、善行(雑行)によって得られるものではなく人は信仰(帰依)によってのみそれを受け、感謝(念仏)による行いのうちにその実が表れる」と訳すれば、それはまさしく「本願他力」の核心をつく表現となるだろう。この共同宣言のあらわす信仰は、いわば絶対他力の立場と大きく重なりあう。それは無条件の神への帰依なのだ。キリスト教の偉大さの本質は、そこにこそある。「他力の信は、義なきを義とす」という親鸞の言葉は、「不合理ゆえに吾れ信ず」というアウグスティヌス「告白」の言葉と重なっている。

インカルチュレーションといわれ、キリスト教の土着化といわれる。その素地はこの通底にこそあるのではなかろうか。

平日の午前中とて聖アンナ教会にはほかに誰もいなかった。祈るでなし、考えるでなし、聖堂のベンチに家内とふたりぽつねんと座っていると、壮年の牧師が出てこられて、三年前の出来事のパンフレットを下さり、熱心に説明して下さった。私の初級ドイツ語ではほとんどわからなかったが、単語の断片、予備知識、そしてなにより牧師の顔を凝視することで、意がかなり通じたような気がした。

8月も末の31日、私はフランクフルトから帰着した。昨年9月1日に始まったグリフィン講座の旅は、丸1年かかって漸く旅の終わりを迎えたようである。



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「カンボジア福祉基金藤沢」の皆様へ
JLMMカンボジア鎌田

はじめに―

チョムリアップスー!皆さまお元気ですか?先月私は日本にいましたので、カンボジア便りをお休みしましたが、また今月からは元気に頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。やっぱりカンボジアは暑いです。日本からカンボジアに戻ってきてから、2週間経ったばかりです。やっともとの調子に戻ってきた所です。

今回は日本に久しぶりに戻った私のこと、コンポンルアンでの新しい動きについてお知らせしたいと思います。

*久しぶりに日本に戻った私

日本へ一時帰国しました。1年8カ月ぶりでした。家族や友達に会うことに大忙しの日々でした。やりたいことはたくさんあったけれど、全部はできませんでした。

埼玉県の実家に戻ると、私の部屋は一応元のままになっていました。本棚やCDケースを覗いてみました。きれいな本や、CDがたくさんあってびっくり!!

「これって全部私のもの?」そうです、そうです。誰かがくれたものではなくて、ほとんどは私が自分で働いて買ったものです。どれもこだわりのある品々であったはずなのに、本当にこれらが自分のものだということを、すっかり忘れていたのです。

洋服ダンスを覗くとこれまたびっくり。「私ってこんな洋服を持っていたのか。」あれもこれも、きれいな革靴も出てきました。自分の好きだった音楽をゆっくり聴きながら、自分の小さな部屋の中でひとり、いつまでも自分の以前からの付属物を眺めていたのでした。

カンボジアでの1年8カ月の間、日本のこと忘れるわけないのに、きっとカンボジアでの生活に一生懸命だったのでしょう。日本での生活を本当に日本において出かけていったことを思ったのでした。

私の日本にいない間に開通した都営大江戸線に乗ってみることにしました。埼玉県、西武線沿線に住む人々にとってもこれは素晴らしい電車だ!新宿や渋谷に出なくても六本木に行けるのです。信じられないほど、素晴らしい…。私の心はまるで小旅行にでも行くようにワクワクしていました。西武池袋線練馬駅を降り、大江戸線に乗り換える、エスカレーターに乗ります。大江戸線は地下鉄です。どんどん下っていきます。また下っていきます。私の顔や髪の毛にふわっと生暖かい風が通り抜けました。そして私はどんどん下に吸い込まれていきます。一瞬「私はどこに行ってしまうのだろう?」と不安になってしまいました。一瞬どこか異次元空間に誘い込まれているような気分になってしまいました。

カンボジアには地下鉄もないし、地下室もほとんどないのです。きっとカンボジアの人が大江戸線に乗ろうとしたら、きっと私以上にドキドキするのだろうな。大江戸線、練馬―六本木間の行程を楽しみながら私はそんなことを考えていました。

自動車運転免許証の書き換え。たくさんの人々がやってきています。でもカンボジアみたいにごちゃごちゃしていません。みんな静かに手続きの順番を待っています。そこで働く人々もてきぱきと仕事をこなしています。

「はい、@番の窓口へどうぞ」

@の窓口ってどこよ!?と、思いながらやっとの思いで行ってみると、

「はい、A番の窓口へどうぞ」

B番C番と次々に行き終わると、しっかりと手続きの準備が整っていて、これまた不思議。「どこどこ?」と聞きたい気持ちになっても、「見ればわかるでしょ」という暗黙の了解と、立派に立ちはだかっている案内板がそうはさせてくれないのです。

人がたくさんいるけど、とても静かな運転免許センターでの出来事でした。

自分がまるで日本人ではないような自分を感じた日本での滞在でした。

*コンポンルアンに戻る

1ヵ月半ぶりにコンポンルアンに戻りました。日本に一時帰国するためにコンポンルアンを去ったときの私ったら本当に疲れていて、弱くて、悲しい気分だったものですから、そんな私をみんなはどんな風に感じていたのだろう?しばらくぶりに訪れる私をどんな風に彼らは迎えるだろう?そんなことを考えるとコンポンルアンに行くのが少し怖い気持ちでした。

しかし行ってみるとそんな不安は無用でした。

着いた翌日、ホームケアを手伝ってくれていた、ハンとイェアンが私に「今晩ミーティングをしたいの」と言ってきました。「ボンスライ、こっちに来て。」言われるままに、聖堂に行ってみると、コンポンルアンの若者たちが12名集って私が来るのを待っています。

これまたどんな苦情を言われるのかしらとこわごわしていると、いきなり彼らは話し始めました。ただ驚くばかりの私で、本当にいきなり、予期しないことだったので、最初は彼らの言っていることがさっぱりわかりませんでしたが、つまりはこういうことなのです。

これからこのグループが病人がいる家を助けるために毎回ミーティングを持つ。ミーティングの度にそれぞれ有志が募金をしていく。ミーティングでは病人のケアの方法について話し合う。自分たちが集めたお金で、薬を買ったり、砂糖を買ったりする。もし足らなければ、教会の委員に相談して、協力を求める。皆が助けに行けるわけではない。でも行ける人が協力する。私にもなにか!?をしてほしいらしい。

そしてみんなはそれぞれ五千リエル、千リエルを会計のハンに差し出しているのです。彼らは、私は一言もそんなことを言わなかったのに、私のいない間にこんなボランティア活動を考えていたのでした。読み書きもほとんどできないし、病気や健康に関する知識だってあまりないのに、一体どうするのだろう?そんな彼らを私が教えることなんて多分無理なのではないか・?とても不安です。でも彼らはすごく楽しそうにしているのです。

私は集まった彼らに各々の名前を書いてもらいました。自分の名前を十分に書ける人書けない人がいます。書ける人がかけない人の分も書いています。私は一人一人の名前を発音してみました。みんなが「私だよ」「僕だよ」と意思表示してくれました。13歳から20歳までの男子5名、女子7名のグループがにわかにできあがりました。

私たち、本当に知識もお金もないけれど、自分たちで何とか考えてやってみることにしたのだなあ、と思うと泣きたい位嬉しくなりました。

翌日、さっそく自分たちの知っている病人の家に訪問しました。専門的な知識も一切なく、病人に対する所見も様々です。問題は山積みです。これから彼らと話し合っていくにはどこからどう手をつけたらいいのやら…。でも私ができることと言ったら、彼らが自分たちの健康を自分たちの力で守っていくこと、助けあっていくことを手助けすることぐらいなものなのでしょう。

来年は特にこのボランティアを対象にヘルスケア講習会をしてみたいなあと思いました。できるでしょうか。不安でいっぱいです。でも課題ができたことはとてもいいことです。

私はしばし考えてみました。そしてこのグループに素敵な名前を付けたいなあと思い立ち、早速ハンに提案してみました。彼女は目を輝かせて喜び、みんなでミーティングを持って決めることを約束してくれました。「犬」「猫」グループなどと言う味気ない名前をつけやしないか心配で仕方ありませんが、とりあえず彼らだけで決めてもらうことにして、私はコンポンルアンを後にプノンペンに戻ってきました。(編集注・JLMMカンボジアの本部は首都プノンペンにあります。超々凸凹道を4時間以上車に揺られての出張です)

どんなグループになっていくのでしょうか。たくさんの不安とたくさんの希望を胸に秘めている今日この頃の私です。

おわりに―

言葉がもっと流暢に話せたらいいのに・。いつもいつもそう思います。でもやはり私のことですから、そう簡単にはいきません。ベトナム語なんてさっぱりわかりません。こんな私がコンポンルアンであたふたと生活しているのをみて彼らはどんな風に感じているのでしょうか。

温かさを感じています。6百ドル以上かけて日本を往復したりできる私。コンポンルアン水上村の人々とは全く違う生活をしてきた私。そんな私でも彼らは一生懸命受け入れてくれようとしているのかなあと感じました。

一日一日を精一杯生きていきたいと思います。皆さんも彼らをどうか応援してください!

チョムリアップリア!

2002年11月15日

◇◇◇◇

※「カンボジア福祉基金藤沢」を応援する会事務局より

この基金は2001年度バザーの収益をJLMMカンボジアに寄贈し設立された基金です。

この基金を「応援する会」は機会あるごとにカンボジア王国コンポンルアン水上村教会でのプロジェクトの動向、基金の運用状況をご報告致します。

本年10月20日、基金の報告講演に藤沢教会へ来訪された鎌田頼子さんをご存知の方は多いと思います。日本から5千キロ離れた世界最貧国の、戦争難民が1万人以上暮らす水上村へ、看護士さんですが若いお嬢さん1人で、良く指導役として赴任されたと感心する次第です。「でも一人ぼっちでない、何時もイエズス様が御一緒して下さる」そのままのレポートでしたので是非お目通し頂きたいと思いました。

水上村でホームケアに参加するボランティアの若者達を応援して下さい。

石黒栄一、小藤晃



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聖霊刷新セミナー
茅ヶ崎教会 北野

教会生活がすこしづつ、充実を覚えるようになったものの、肝心な聖霊について学ぶ機会は少ないように思っていました。そんな折、日ごろから、私も年を重ねていく中で、あの方のように、と思っていた方から、セミナーにお誘いをいただき、セミナー参加と相成りました。会の初めと終わりに歌う賛美の歌はどれも比較的歌い易く、すでに数人の方は本を見ないで歌っていることに、熱心な姿勢を伺い知りました。賛美の言葉や祈りは身体の深いところから出てくる力強いものが、どの方のときにも感じました。心からも体からも突き上げてくる主への感謝や賛美が自然に手を上げさせ、やがて極まり踊りにいたることは想像にたやすいことでした。

神父様の短い時間のお話は、私達、まだ満たしを受けていない人々ヘ、何とか満たしの恵みにと導いてくださるのにふさわしく、働きかけに十分な内容のものばかりでした。私は、あることで不安に思っている時、ある神父様がお話の中で満たしにも器がありますということでした。はからずもその神父様にその日告解の秘跡にあずかることになりました。僅かな時間でしたがお話することが許され満ち足りた思いを与えられました。神父様のお書きになったものを、とりあえず読むことを思い立ち神父様にもそのように申し上げました。

セミナーが終わってからも、日々の生活の中に、15分といわず、せめて30分位はその日の聖書個所が私に何を求めまた、神様が何を話して下さろうとしているのか、この祈りの時間は、今後も持ち続けたいと考えています。



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聖霊刷新セミナーに参加して
雪ノ下教会 松山

このセミナーに参加してたくさんの喜びをいただいた。主を賛美する楽しさ、異語の賜物、そして身体の癒しまで・・。しかし、それらを越える大きな喜び、今生きているイエスの命に出会い、“私の主”その確かな思いを注がれた。それがすべてに勝る恵みだった。主を見つめ主に見つめられて過ごす沈黙の時間/御聖体の中に息づく主の慈しみを思う/どんなに賛美や感謝を重ねてもちっぽけな言葉では語り尽くせない・・/そんなもどかしさが喉元まで募っていった/主を愛したい・心に満ちたキリストへの愛が異語となって溢れ出た/主への思いだけが私の存在/私は祈りそのものとなって天に届く。

鼓動も呼吸もキリストに重なる/もはや身体さえも自分のものではなくなり、キリストの中で生きている感じがした/主を愛しこんなにも主に愛されている/賛美と感謝が湧き上がる/一人ひとりの賛美が共鳴しあってその喜びは何倍にもなった/主と共に神に向かって歩み、皆ひとつになって賛美と感謝のうちに生きる/それだけで人は生まれてきた意義がある/いや本来人はそのために創られたのかも知れない/互いにともに居るだけで喜びが増す/益々人が尊い存在に思えた。

社会的には何の役にも立たず隅に追いやられ/自分には価値がないと感じている人々/そうであっても神の目からは同じように価値がある/そのことに気づかず苦しみの中にあるその人たちにこそ福音を知らせたい。/私たちはこんなにも愛され祝福され/母の胎内に形創られる以前から今この瞬間に至るまでずっと/豊かに恵みが注がれているのだということを。/富、権力、業績、学力、才能、・・そんなもので武装しなくても/あなたはあなたのままで愛されているのだということを。/神に背を向けたまま行き先を見失った人々の苦しみ、葛藤、心の叫び/それらの痛みが鋭利な刃物のように私の身体を突き刺す。/苦しむ人の痛みが自分の痛みとなって覆い被さってくる。/ゲッセマネでキリストの苦しみの祈り/十字架上での叫び/キリストの心が自分の心に重なった。/自分だけが主と結ばれていても苦しむ人がいる限り/何の平安も訪

れない・/たった数分の満たしの間に/賛美の喜びと共に苦しみが注がれた/人を愛するが故のキリストの魂の苦しみが・・。

愛されている喜びを分かち与えることができるなら・・/私は福音を宣べ伝えずにいられなくなる/すべての人に喜びの知らせを。/そしてキリストを宣べ伝える/人は何ものでであろうとなかろうと、存在そのものが/はじめて神の栄光を表わすものとなるのだろう。



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教会委員会報告
(11月16日)

出席:テハン神父・(委員長)片桐(副)篠澤・三神(壮年部)浮田(事務局)川辺(鵠沼B)清水(辻堂B)佐々木(北1B)荒井(北2B)長野(宣教)平野(典礼)大野(教育)風間(バザー委員)安田・木下・木村(敬称略)

<報告事項>

(1)マーフィ神父さまの金祝

「多くの方々のご協力でささやかではありましたが、心のこもったお祝いができました。神父さまにとっても喜んでいただいたことがなによりで、この記念の日をともに祝うことができたことに感謝いたします。経費は祭服・お菓子など有志のご協力で手造り中心であったため、当初予定の何分の一かですみました。お花・カード・写真代等を加えて約7万円程度。心から御礼申しあげます。」
(片桐委員長)

(2)バザーについて

安田バザー委員長から「経験がなくどのように進めていったらよいかまよった。先ずはバザーとは何かとの基本的な問題についてずいぶん議論をした。自由な発言で議論したことで皆の気持ちが一つに纏まることになった。テーマである『ほほえみあふれるたすけあい――身のまわりへの思いを形に』もその成果。教会の中のふれあい、教会の外とのふれあい、教会に来れない人とのふれあいを大切にしたいとの思いであった。

収益金は半分を教会自体に、残りを教会の外の人達に使っていただきたい。具体的な使途については教会委員会にお任せする。」との挨拶があり、木下・木村副委員長から会計報告・反省点が報告された。(バザー委員長挨拶参照)

バザーの目的は予め教会委員会で決めるべきではないかとか、実施するに当っての簡素化・合理化・システム化、或いは若い人たちの参加、係わり方などについて意見交換が行われた。問題点はまとめて次期バザー委員に引継ぎしていただくこととした。

総じて、初めてのわりにはチームワークもよく、明るく、適切な運営であり、品物の提供を絞った割には利益が上がったと評価された。

テハン神父からは「毎年同じようなことを繰り返すのではなく、新しい試みを期待していたが、今年の場合はいくつかの新機軸があり非常によかった。ある意味で経験がなかったことがよかったかと思う。」とのコメントがあり、バザー委員の努力に感謝された。本当にご苦労さまでした。

(3)財務報告

財務部より1〜9月の収支が報告された・。

さらに、一般会計について細部の報告がなされ、こんご特別な支出がなければ年間で若干プラスになるとの見通しが示された。

来年度予算は各ブロック・活動部から提示されて集計中だが、維持費の状況によっては若干マイナスになる可能性があるとのこと。

(4)信徒総会開催日の変更

今年度の信徒総会を来年2月の第2日曜日と決めてあったが、都合により今回に限り第3日曜日(平成15年2月16日)に変更する。

<討議事項>

(1)バザー収益金の取扱い

川辺事務局長よりバザー収益金配分について過去の経過報告があった後、バザー委員会から一任された今年の収益金取扱について協議がなされた。教会と福祉との配分比率・小グループへの配慮・藤沢教会としての継続性などいろいろ意見が出された。途中、ここで結論を出さずブロックで意見を聞き、12月の委員会で決めてはどうかとの提案もあったがクリスマス・年末を控えて事前に役立てたいこと、12月が会計年度の締めにあたるため、早期に処理する必要があるなどの理由でこの場で結論を出すことになった。

・配分はバザー委員会の意向を尊重し福祉に150万円・残金(1,459,040円)を教会の修繕特別口座に積立てる。

・福祉分の配分は福祉部に検討を一任する。ただし、左記教会委員会の意向を配慮していただく。

・教会委員会の意向

イ.提供先は従来どおり教会との係りある関係先に絞る。

ロ.多くの関係先では余りにも少額になってしまうので、3箇所程度に絞る

ハ.前年実施したカンボジア福祉基金の積み増しにも配慮する。

ニ.教会委員長が、福祉部の検討会に参加する。

ホ.最終的には主任司祭の同意を得る。

以上を片桐委員長から福祉部に依頼することとなった。

(2)委員会規約改正について

前月の委員会に提案された「教会委員会規約改正案」が「八角形にゅーす」に掲載された。すでに何人からか意見を頂いているが、各ブロックとも意見集約中である。「おしらせ」にも掲載し、なお多くの人のご意見を頂きたい。意見集約の目途を12月8日とし、次回委員会に調整案を提出する。

<ブロック・活動部報告>

[壮年部]クリスマスが近づいたので、飾付け作業を呼びかけたい。

[北1・北2]1月26日、北1・北2合同黙想会を予定している。ブロックを超えて参加者を呼びかけたい。指導司祭は当教会出身の佐藤直樹神父、場所は聖母の園を予約済。

[教育部]日曜学校で明日保護者授業参観とクラス懇談がある。中高生がよくやってくれている。

[宣教部]リーダー会のまとめ役を辻堂1区増田幸子さんにお願いすることになった。兼務していた平野和子さんには宣教部長を継続してお願いする。

<その他>

・ブロック当番について

今年から会計年度が暦年になったことにより、ブロック当番の順番、ブロックの中の人事についても調整が行われている。来年1月からは北部ブロックの当番となる。

・活動部長の任期について

活動部長の任期は教会委員同様「原則として2年、再任を妨げない」となっているが、各活動部によって事情が異なっている。それぞれの部の中の問題として考えていただきたい。

・ブライアン・ベイル神父の転任

ベイル神父が来年5月、ニュージランドに転任することになった。

・事務所・天ヶ瀬さんの交代

天ヶ瀬さんが退職することになり、教会全体に呼びかけ3名の方と面接した結果、鵠沼3区多胡(たご)千恵さんにお願いすることになった。1月からの勤務となる。

・ガス漏れ修理

センター台所入口の外、地中ではあるがガス漏れが発見された。下水管工事の際に傷がつき配管の一部が腐蝕したのではないかと思われる。事故個を特定するのに大騒ぎとなったが、無事修理終了。

・結婚式係チームの交代

結婚式係を長年続けられた鵠沼3区平野さんチームから藤沢2区澤内さんチームにバトンタッチされた。(詳しくは後記参照)



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バザー成功へのご協力に感謝
バザー委員長 安田

非常に多くの方々のご努力とご協力により、また当日は天気も良くて、新企画にも多くの方が参加され、テーマ「ほほえみ溢れる助け合いー身のまわりへの想いを形にー」の通り、ほほえみ溢れる楽しいバザーをみんなで作り上げる事が出来ました。

ここにあらためて教会の各部および各ブロックの関係者・売場責任者・スタッフをはじめ、いろいろなご寄付や賛助金を出して頂いた方・当日買って頂いた方に、心からお礼申し上げます。収益は、295万9040円となりました。長年の不況の中で、売場の売り上げは例年並みでしたので、皆様のご努力の成果であり、交わりを拡げるという意味でも成果があり、怪我や病気もなく全体として好結果だったと思います。収益金は全て教会委員会に渡し、その使途については、福祉に150万円を、教会のために145万9040円を使って頂く事に教会委員会で決定されました。

なお、運営上スムーズに上手く行ったことや反省点や今年の経験を踏まえての提案もありますので、これから来年のバザー委員会への伝言や資料をとりまとめて、より能率良く準備出来、より多くの成果が期待出来るようにしたいと思います。その幾つかは次の通りです。

・バザーは教会あげての行事であり、教会委員会で実施の有無、目的、目標(収益金の使途など)を決めて、バザー委員会に実施方法(大規模一回または小規模複数回など)の検討から実行・まとめまでを委託するという方式の方が良いのではないかということ。

・今年も近隣の福祉団体や外国コミュニティーからの出店を受付け、助け合いの輪をひろげることができました。教会を拠点とする多くの活動団体も、同じような形でバザーに参加し、バザーを利用してほしいということ。

最後に、バザー委員は初めてという者ばかりの委員会で、皆様にかなりのとまどいや混乱を与えたと思います。それでも無事に出来たのは、ご協力頂いた方々のおかげです。本当に有り難うございました。



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結婚式係チームの交代
教会副委員長 三神

11月9日(土)結婚式係新旧交代の昼食会が行われました。新チームが持寄りで旧チームへの感謝の会を設けたもので、都合で来られなかった方もいましたが、送られる側は鵠沼3区平野きく子・藤沢1区畑山嘉乃・杉山佐登子さん。送る側は藤沢2区澤内章子・藤沢1区岡田友季子・星初子・藤沢3区菊田由美子・湘南台宮崎良子・清水和子さんの皆さん。それにマーフィ神父と教会委員会からとのテハン神父のご要望で私が同席させていただきました。

平野さんチームは28年間に渉って結婚式の準備をしてこられました。事前の準備から後片付けまで、日が決められているとはいえなかなか大変なことだったと思います。今でこそ年間15〜20回位ですが、一時は100回以上、一日に3回もあったり、お葬式と交互だったりしたそうです。当時は社会一般土曜日が休みではなく、日曜日に集中したのでしょう。通算すれば1000回を超えるのではないでしょうか。

先日マーフィ神父の金祝を祝いましたが、そのとき教会からプレゼントの祭服は平野さんのお手製でした。何かお礼をと申し入れましたところ「作らせていただいたことが喜びです」とのご返事。長く務められた結婚式係に相通じるものがある気がいたします。信仰と愛がなければできないことと感服いたしました。

これからは澤内さんチームになります。これまでとは違った時代の結婚式係。ご挨拶のなかでもお世話をしながら自分たちも成長していくとの心意気が伺えました。平野さんチームの長年のご努力に心から感謝申しあげるとともに、澤内さんチームによろしくとのお願いと頑張りましょうとの激励を申したいと思います。楽しい昼食会でした。神に感謝。



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マーフィ神父様の金祝によせて
鵠沼2区 石川

マーフィ神父様、12月21日、司祭叙階五十周年金祝を迎えられましたこと、心からお慶び申し上げます。いつもにこやかに私共をお導きくださるマーフィ神父様を、私共藤沢教会の信徒は一人残らず、ご尊敬、お慕い申し上げております。叙階後、最初のご着任は片瀬教会、丁度その頃、新しくできる藤沢教会献堂式にご参加くだされ、藤沢教会完成後は、片瀬教会からミサをお捧げにお出まし頂いたとか。しかし、片瀬教会も半年でご転勤、豊島教会に勤務なさいました。

マーフィ神父様には1952年12月21日司祭に叙階され、翌年6月まで神学校でご研鑽をお続けになり、1953年10月、25歳の時、遠い西の果てアイルランドから、東の果て日本へと船で旅立たれました。イギリス南部のサウサンプトンからスエズ運河、ボンベイ、スリランカ、シンガポール、香港まで1ヵ月、さらに香港から台風に見舞われながら10日間かけて横浜港に到着されました。一緒に乗船された司祭は6名(日本3名、フィリピン2名、韓国1名)で、乗船中は嵐が無ければ、毎朝4時30分、乗船者が未だ目覚めぬ中にロビーでミサを捧げられました。そのミサにはインドのゴア出身のカトリック信者の船員がいて、彼も一緒に祈られたそうです。

マーフィ神父様ご着任当時の日本(昭和29年、1954年)は、敗戦後の傷も未だ癒えず、衣食住のどれをとっても不足するものばかりでした。そのような時代、心の安らぎを得ようと教会を訪れた方々が今より多かったということをものの本で読んだことがあります。丁度その頃、片瀬教会でマーフィ神父様から洗礼のお恵みを頂いた方が、五十年近く経った今でも感激し、その慶びを大切にしていらっしゃいます。私もマーフィ神父様ご参加のアイルランド旅行に参加させて頂きました。今までも何度か、司祭参加の旅行に出かけましたが、大抵の場合、神父様は教会でミサを捧げてくださるだけですが、マーフィ神父様はミサは勿論のこと、その他、私共旅行者のために、いろいろとお世話くださいました。ホテルでは鍵を配ってくださったり、街中の通行中は先頭に立ち、十字路では私共が安全に通行できるよう道の真ん中に立って導いてくださったり、行方不明者が出れば昼食も取らず市中を捜し歩いたり・・。

現在私は、マーフィ神父様ご指導の「旧約聖書を読む会」に参加させて頂いております。私はそのご誠実なご指導に頭のさがる思いをしております。それはご準備のよさです。いつもノートを持参され、私共に説明すべきことを用意して臨まれます。私共のつたない質問にも正しく美しい日本語で一生懸命お答えくださる指導者としてあり方に、ただただ尊敬申し上げるばかりです。ミサの折りの神父様のお説教は、私共の楽しみでもあり、救いでもあります。どうぞご健康にご留意くださいまして、何時までも私共をお導きくださいますようお願い申し上げます。



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壮年部親睦旅行
大庭 里原

街路樹も日ごとに色づきを変え、新たな装いを見せる晩秋の季節の中、11月9日に壮年部親睦小旅行が行われた。参加者12名が9時15分に大船駅に集合して、旅行幹事の三神氏、荒井氏の引率で横須賀駅まで行き、明治初期の横須賀製鉄所の建設に貢献したベェルニーを記念したベェルニー記念館を見学して、バスで三笠公園に向かった。

先ず、荒井料理長の指示の下にさいか屋にてバーベキューの食材、飲み物を仕入れた。それから歩いて三笠公園に行き、音楽と噴水の共演を見ながら小休止し、それから11時30分のシーフレンド号で目的地の猿島へ向かった。10分位で島に到着、早速バーベキュー用の道具をレンタルして、準備に取り掛かった。砂浜に道具をセッティングして、肉、魚、サザエ、野菜などを焼きながら、ビールで乾杯!。中でも、荒井料理長のサラダは好評であった。猿島は周囲1.6キロで、その呼び名は日蓮が房州から鎌倉へ渡る途中嵐に逢ったとき、1匹の白猿がこの島へ案内したという伝説によるという。私は一時バーベキューの場を離れ、島内を散策した。要塞のレンガはフランス積みで立派な建造物であった。時間もなく島を一周することはできなかったが、展望台から横須賀市街地、横浜のランドマークタワー、房総半島を眺めることができた。私を含め、参加者のほとんどが猿島は初めてということであった。近場で家族連れなどで1日楽しめる場所だと思った。他にも身近なもので再発見できるものがあるのでは・・。

三笠側から見ると外観はちっぽけな島であるが、中に入って見てその大きさなど実際の様子が分かった。人と人との関係でも同じことが言えるように思う。私が島内を散策している間に本音で色々な話がなされたとのことであるが、場所を変えて一杯やりながら本音で語り合うことができれば、この親睦旅行の目的が適ったことになると思う。後片付けをして、14時45分に猿島を発ち、三笠公園着後戦艦三笠の船内を案内人付きで見学して回った。その後、三笠教会を訪問した。ちょうど御ミサの最中であったが聖堂内に入り、1日楽しく過ごせたことについて感謝の祈りを捧げて、バスで横須賀駅に向かった。バスに乗ってから、どうも一人足りないことに気づき、横須賀駅でS氏が到着するのを全員で待った。全員揃って大船駅に向かい、そこで解散となった。途中雲行きがあやしくなりかけたが、天候に恵まれ、1日楽しく過ごせたことを感謝している。



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辻堂ブロック集会報告
辻堂 佐々木

寒さも一段と厳しくなった11月17日、9時半ミサ後にブロック集会を持ちました。テハン神父様による「臨終から埋葬まで」のお話しに続く集会でしたが50名近い方がご出席くださり、嬉しく思っております。

毎年、連絡委員の交代は4月で、復活祭を目安にしていますが、横浜教区の会計年度が今年から1月から12月に変更された事に伴い、1月に交代という事になりました。このため大慌てでその旨を皆様にお伝えし、併せて連絡網の作成もお願い致しました。クリスマスカードの配布と共に、連絡網も同封するために、連絡員の方々には大変忙しい思いをさせてしまうのでは・・と心配しております。また、来年度の当番月が10月、11月、12月に当たり、バザーの担当になります。その事も併せて、皆様にご協力をお願い致しました。壮年部長の浮田さん(辻堂1区)から、「30代〜40代の若いご夫婦にバザー委員長をお願い出来れば」とのご意見が出されました。今後どのような方向に進むのか今の所良く分かりませんが、皆様の好意的な眼差しの中に、とても力強い協力をいただけると感じられ、「何とかなるだろう・・」と少しほっとしました。

毎月のブロック長の意見交換の場で、どの地区でも連絡委員の選出が難しい事や、連絡網が上手く機能していない事が話題になります。辻堂ブロックの皆様も各々にご用が多いと思いますが、今後とも力を合わせて私たちに出来る事を分担して行きたい旨をお伝え致しました。



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静修の集い

11月24日(日)鍛冶ヶ谷教会主任司祭久我神父(イエズス会)指導による静修の集いが行われた。9時30分のごミサに引続き、講和・黙想・回心式・分ちあいがあり、その要旨は次のようであった。

・1年を振り返る

今日「王であるキリスト」は教会で1年最期の祝日である。この1年を振り返り有意義な人生を送れたことに感謝し、反省するよい機会である。

反省というと、どういう悪いことを犯したかという罪の究明から始めるのが常であろう。しかし、今日の福音の中で、王様という形で表現されている主は私たちにどういう悪いことをしましたかを問うているのではない。『私たちが飢えているときに食べさせ、のどが渇いたときに飲ませ、旅をしているときに宿を貸し裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』最期のときの問いかけとしてあるのは主に何をしてくれたかという積極的な行為が問われている。聖書の中にも罪をひとつも犯さなかった消極的な生き方について何も出てこない。あなたに預けたタレントをどれだけ生かしたか。何をしてくれるのですか。積極的なことに対しての問いかけです。

1年を反省するのに、主のよびかけに応えて生きているだろうか、私の望みが神の望みとあっていただろうか、神は自分に何を期待していただろうか。それが私たちの意識の中にあればすばらしい反省になることであろう。

・「待つ」ということ

現在社会は人対物の対話が多い。人対物は正しい操作に正しい応えがかえってくるが、人対人はそうはいかない。自分とは違う人同志を受入れあうことが大切。たとえ自分の意思に沿わないと思われても、受入れて待つことが望まれる。

宣教に専念していたキリストはピラトに引渡されるときからは何もしていない。できないのではなく、御父の御旨が実現するために余計なことはせず、ただ待っておられた。

次の1年をどういう自分として生きるか。神からの福音を受取るために待つことのできる1年でありたい。

・教会の「つどい」

私たちの身のまわりに完全主義者は多い。その考えが生活の全てに入って、自分にも、他人にも完全であることを求めている。自分の不完全さ、弱さを受入れないと人を受入れるのも難しい。4月に障害のある人を交えての巡礼があったが車椅子で不便を感じたことがなかった。ヨーロッパのキリスト教国としての伝統を感じた。

ある集まりで、障害者がいたときは盛んであったが、いなくなり、世話をする人だけが残ったとき、その集まりは自然に消滅に向かっていた。

教会にとって大切な集いはクリスマスであるが、そのクリスマスに主イエス・キリストは馬小屋の中で一番弱い、世話をしてくださる方を待つ「いのち」として誕生した。

教会が福音を伝えていくためにはどうしても弱い人の存在が必要。弱い人が安心していられる教会でありたい。

私は主を待ち望んでいる。主も私達を待っておられる。主に待っていただいている自分に気づくことが、待降節の課題かもしれない。



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病気の時から埋葬まで
六会 中村

11月17日9時半のミサ後、「葬儀を考える会」に私も日頃から、そろそろ考えてみたいと関心もあり参加しました。

司会者の福井様から1999年春、教会でこの会が発足し皆様からのアンケートをまとめ、毎月定例会を開き、八角形にゅーす「Q&A」で質問の回答もされ、現在「臨終から葬儀まで」というカトリック信者の手引き書ができております。

続いてテハン神父様のお祈りとお話があり、最後に皆様からの質疑応答がありました。

質疑応答

Q.自分の友人が病床にあり、洗礼を受けたいとのことですが

A.司祭が行けず、急を要するときは誰でも洗礼を授けられます。信者でない方でもです。ただし後で必ず教会に連絡すること。

Q.散骨は出来るのでしょうか。

A.八角形にゅーす(127号)の「Q&A」でも回答しましたが、死者に対する敬意をもって、自然環境などにも配慮する事が必要でしょう。

Q.ご聖体をのみ込めない時、御血を少しだけでも含ませてあげたいのですが。

A.ミサ後の御血なら持って行けますが、その他は例外です。

Q.痴呆で本人が分からなくなった場合は如何でしょうか。

A.「病者の塗油」を行う。神様にすべてをゆだね、神の恵みに感謝をする。マッサージとか手をつなぐとか、身体を通して伝える、反応は認められます。

Q.自分だけが信者ですので、墓地のことで夫に話したら、小さい十字架をお墓につけてくれると言ってくれました。

A.生前にこのような話が出来ることは素晴らしいです。このことは遺族の方にまかせるしかないですが、生前に本人の希望をよく伝えておくことが大切です。

最後に「葬儀を考える会」の福井氏より、死を直前に控え、病気で苦しんでいる人へ、少しでも共同体として軽くして差し上げることが出来たら、また残された遺族の方々の慰めとなれるご意見、要望がありましたら今後ともお寄せてくださいとのことでした。

最後の感謝の祈りで、12時に終了となりました。

今回、「葬儀を考える会」に参加して神父様より具体的なお話を伺い、またいろいろな方の質問も聞けたことは、今健康ですが、自分の死と向き合い、本人の気持ちを大切にし、家族と話し合い、身を軽くし整理して、自分らしさを出した死を迎えることの大切さを学びました。

カトリック教会共同体の一員としての喜びと感謝でいっぱいです。



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「葬儀を考える集い」報告
辻堂2区 佐々木

死者の月にちなみ「葬儀を考える会」では11月17日、恒例になっていた集いを持ち、テハン神父様に「臨終から埋葬まで」に関するお話をしていただきました。寒い日でしたが、100名近い参加をいただき、有意義な時間を過ごすことができました。以下神父様からのお話をまとめました。

臨終から埋葬まで

テハン神父様のお話(11月17日)

これからも、中高年の婦人ばかりでなく、男性や若い方にも参加していただき、葬儀を考えながら、よりよき生き方を考えて行きたいと思います。八角形にゅーすに、葬儀に関する質問や疑問を「O&A」の形で載せておりますので、どなたでも原稿をお寄せください。



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「祈りの講座」からのお知らせ
ハンラティ神父

1、第1期・祈りの講座

今年の第一期祈りの講座は、多くの方々にとって、大変実り豊かのものでした。約90名の方々が、この講座を終了しました。参加者の内、鎌倉からいらっしゃった2人のベテランの方は、同じプリントとご自分達の体験を使って、9月から由比ガ浜教会で同じような講座を始めました。先日、私はそこを訪ね、九人の新しい参加者達が、すでに大変深く祈り、分かち合っている様子を見て、とても嬉しく思いました。

来年、藤沢でもベテランの参加者達が第1期祈りの講座を始めて下さることを希望しています。すでに3名の方が、1つの講座の担当をして下さることになっています。そして、他にも何人かの方が、違った形で、その講座のお手伝いをして下さいます。私も、これまでとは異なるやり方で手伝うつもりです。しかし、来年は、この他にもっと多くの講座のグループが出来ることを祈っています。沢山のグループが出来ると、参加希望者が日時を選択できるだけではなく、将来のリーダーが養成され、その数が増えることに繋がっていくからです。

計画が進むにしたがって、そのことを日曜日の「お知らせ」に載せる予定ですが、事務所に問い合わせて下さっても結構です。

2、第2期−祈りの講座

来年、私はルカの福音書を使いながら第2期祈りの講座をするつもりです。今回の主な目的は、「イエス様との関係を深めること」です。それは、第1期講座の祈りの中で体験したり、気付いたり学んだりしたことを使いながら進めていきます。ですから、この講座は、今年あるいは以前に、第1期の講座を終了した方達のためのものです。聖書の研究というより、祈りを強調する第1期祈りの講座の続きになるでしょう。第1期と同じように、私の説明、例をお話するだけではなく、沈黙、受身の祈り、祈りについての回想や分かち合いなどの時間をもつ予定です。

スケジュールは今年度と同じように、夏休みをはさんで、1月から11月まで、毎月、第1と第3の水曜日と土曜日に行います。

(1月15日〜6月21日まで・夏休み・9月17日〜11月19日まで)



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紙上フォーラムをはじめませんか
典礼部

今ここに集まっている私たちについて感じたこと考えたことを、どなたでもどんなことでも私たちに話してください。

昨年の今頃、シャワールームについての話し合いの場(フォーラム)が開かれていました。そのころから私たちは何か分からない事を目指して今までなかった働きが私たちの間で働き始めているのを感じたのではないでしょうか。

そして今まで気付かず知らなかった私たち自身の姿が見え始めました。

共同体という言葉がそれぞれの思いや考えで使われていますが、誰もなかなか納得できる説明は出来ません。

しかし引き合わされて今ここにいる私たちの一人ひとりの思いや考えを超える働きが、私たちの間に働いていると感じるそのとき、共同体が生まれかかっているのではないでしょうか。

この試みは私たちの間にも様々な反応がありました。私たちばかりでなく教区の催しで訪れミサに参加した信徒の方々は「よくあんなことを始められましたね」と驚いていらっしゃいました。皆さん、人々に囲まれて中央が大きく空になっているこの場の見えない力を感じられたようです。

葬儀や結婚式で訪れた人たちの感想もあります。そして今までに私たちの間にも様々な変化が現れているのが、わかります。

これはどういうことなのだろう。良いのか、よくないのか。何にとって良いのか、よくないのか。話し合ったり、考えたりする時間が必要なのではないでしょうか。

「今感じている事を率直に話し合って見ませんか何か、新しい発見があるかも知れません」

典礼部会は毎月、最終水曜日(原則)の夜七時〜九時頃まで開いております。どうぞ、どなたでもお出かけください。そしてご意見、ご感想などお聞かせください。



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12月の主な行事

1(日)待降節第一主日

6(金)初金ミサ・例会

8(日)ミニ・バザー

9(月)無原罪の聖マリア

14(土)市民クリスマス

15(日)スカウト・クリスマス

25(水)主の降誕

29(日)聖家族



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