八 角 形 に ゅ ー す
2003年7月6日
聖シモン&聖ユダ
カトリック藤沢教会
目次
ゆるしの秘跡と私・・・(2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハンラティ神父
バザー企画チーム活動報告&お願い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・チームリーダー 宮内
教会遠足、大磯へ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 遠藤
元売店活用計画にあたって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 田邊
藤沢ブロック歓迎会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 小沢
辻堂ブロック集会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂 高久
北2ブロック地区集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 長野
壮年部歓迎会に出席して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 亀井
壮年部黙想会に出席して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 野澤
アイルランド人姉妹のチェロとハープの演奏会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 戸村
スカウトデー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ベンチャー 山本
第13回インターナショナルデーに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中高生会リーダー 宮内
司祭と信徒の対話 ―聖堂と典礼―
福祉活動の概況 その3
生命に対する特許は倫理的に認められるでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ポール神父
6・7月の庭作業予定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野 勝
ゆるしの秘跡と私・・・(2)
ハンラティ神父
60年以上にわたって、この秘跡を頻繁に個人として受け、司祭として四十年以上の間人々に授け、またそれについてもっと深く学びたいと常に願い、努力を重ねてきた結果、私のこの秘跡に対する理解の仕方、考え方、実践の仕方は変わってきました。
その頻度は、長い間毎週、次の何年間は毎月、そして昨今それほど頻繁ではなくなりましたが、秘跡を頂く準備、授かり方は現在の形式とは全く違うものでした。
私個人は、長い間この秘跡に対して、ひどい苦しみ、不安、痛みさえ感じたこともありました。しかし第二バチカン公会議で出された新しい神学的識見から学んだように、長い年月の体験からより多くのものを学び、私の考え方は大きく変わってきました。勿論、新しい識見が助けになったことは確かですが、実際に最も大きな助けは、聖書・・特に福音の中で出会うイエス・・と親しむようになったことです。
現在、この秘跡を考え準備する時、また司祭として授ける時、福音のさまざまな場面が私に大きな影響を与えていることに、強く気付かされます。そして他の方々にも最も勧めたいと思っているのがこの習慣です。おそらくこの文を読まれた方々は、私が如何にこのことに影響されているかがお解かりになるでしょう。
私は秘跡、特にゆるしの秘跡がどのようなものであるか、よりよく理解するために次のような想像をします。人々が三列か四列になって円を作り、その円の下の方に深い溝のようになった入口があります。私はこの溝の外にいて惨めな気持ちになっています。溝の向こうで、イエス様が私にもっと近づいてくるよう手招きしていらっしゃる様子が伺えます。イエス様は私に手を差し伸べ迎え入れ、勇気付けようとしていらっしゃいます。私が急いで前進するのを皆が見ています。皆も私がイエス様と親しく出会い、私の気持ちが変わって、イエス様が人々になさったように、私にももっといろいろなことをする新しい力が与えられることを願っています。
これが私にとって秘跡の真髄です。福音書には、いろいろな形でこの想像図に似た出来事が書かれています。例として、イエス様とライ病人との出会い、エリコの盲人、木の上のザアカイ、中風の人、足を洗う場面、最後の過越しの食事、エマオに行く弟子たち、トマス、等など。
イエス様はどうしてこのようなことをなさったか、いろいろな出来事を通して説明しておられます。それはイエス様が父なる神様と同じ気持ちを私たちに対して持っていらっしゃるからです。私たちは、放蕩息子の父親の話の中でイエス様の考え方を知ることができます。
イエス様と彼らの出会いを通して、私たちはいろいろな形のかわいそうな人たち…体の不自由な人たち、苦しんでいる人たちが癒されたり、解放されたり、一つになったり、強められたり、変えられたりするのを見ることができます。また、同じ弟子たちが、この様な特別の出来事を通して、イエス様をより良く知り、だんだん成長し、イエス様のようになっていく例を見ることができます。
ですから、福音書に書かれているさまざまな出来事は、私がゆるしの秘跡の中で体験していることを認める助けにもなっています。
またそれらの出来事は、私にとって「罪人であること」がどういうことかをより良く理解する助けにもなっています。
(このことについては、次の機会にお話するつもりですが、今は準備として、先ず皆が聖人になるよう招かれていることについて、少しお話しておかなければならないと思っています。)
教会委員会(6月21日)
5月25日にオープンした「元売店」はこれまでのところ「ネットワーク共に」及び南米の方々のカウンセリングのために週に三回程度使用されている。募集されたネーミングは29案に上ったが、委員会で5案に絞り、皆さんに投票していただくこととなった。ネーミング案は
ぶどうの木
シダーハウス
さくら館
サイモン(西門)ハウス
ガリラヤハウス
6月14日(土)開催された聖コロンバン会協力者会主催のチェロとハープのチャリティコンサートはチケット568枚売上、400人強の出席となり、盛会裏に終了した。経費を差引いた収益金477,677円は予定どおりペルーの神学校建設援助金に当てられる。多くの影で働いて頂いた方に心から感謝申しあげる。(詳しくは後記参照)
6月15日(日)壮年部世話人会メンバー及び婦人有志により、開催の目的・心構え・具体的な実施方法などが話合われた。委員会でもいろいろ意見が出され、これらを参考に再度検討することとなった。次回は7月6日(日)を予定。
既報のとおり、今年のバザーは委員会組織ではなく合議制で行うこととなった。チームリーダーとして青年会の宮内毅氏(辻堂二区)にお願いした。これまで決まったことは
テーマ…今日の汗は明日(あした)のために!みんなでワッショイ!03バザー
収益配分…賛助金は全額、教会修繕のために使用し、バザーの売上は全額福祉に当てる。
賛助金の集め方…9月上旬に賛助金袋を各家庭に配布、各自教会の献金箱にいれていただく。教会に来られない方で、希望者は配布者がお預かりする。(詳しくは後記参照)
福祉部有志から提案された「教会の福祉のあり方」フォーラムの日程・当日の運営方法等が検討された。事前に福祉についての意識調査のため、アンケートを配布することとした。フォーラム開催は9月28日(日)9時半ミサ後となろう。詳しくは後記参照。アンケート・フォーラムとも多数の参加をお願いしたい。
教会の防災体制については壮年部世話人会の中に防災体制委員会を設けて検討しているが、6月8日の検討会で金子昌義氏(鵠沼二区)から防災体制策定の枠組みが提案された。
1)藤沢市の防災対策
2)藤沢教会危機管理対策基本検討案(2000年11月)
3)教区通達「大規模災害に備えて」(2002年9月)を踏まえての提案で、
信徒の生命及び家庭は行政の防災対策の中で考えていくこと
教会としての使命と特色を生かした対応を図ること
教区の現地本部としての機能に対応すること
行政指導に馴染めない人々の避難所として対応すること
等が策定枠組みの骨子となっている。委員会では同時に提案された策定の基本方針に特に異論はないとして概ね了承、今後の検討の過程ではブロック・各活動部を交えて全教会としての取組みが認識された。
カトリック共済システムのカリスから「カトリック信徒障害見舞金制度」の案内があった。他教会でも加入していることでもあり、当教会として加入の是非が検討された。教会施設内での怪我・骨折等の災害に対し、程度により1〜50万円の見舞金が出る制度で、信徒1名につき年間25円の保険料。当教会では信徒数が多いので年間9万3千円かかる。いろいろ意見が出たが、
保険料が災害頻度に比し多額であること
これまで教会でお見舞金を出すような状況はなかったこと
高齢者対応としては問題個所の舗装・修理等を優先したいこと
教会内での作業頻度が高い方にはボランティア保険等別途保険を検討すること
万一見舞金が必要な場合にはその都度検討できること
等が多数意見を占め、今年度はこの制度への加入を見送ることとした。
5月24日(土)教会遠足は皆さんの協力で無事終了した。大磯教会には大変ご協力を頂いた。
5月18日(日)新人歓迎会を開催、新人6名、参加者51名で盛会裏に終了(詳しくは後記参照)。こんごは11月頃黙想会を予定している。
6月9日(月)にブロック集会を行った。テハン神父から福祉についての話を伺ったり、バザーの打合せを行った。3月からバースデーカードを差上げているが、反応がよいので作る方も張りきっている。
4月のブロック連絡会で(詳しくは後記参照)皆で祈る場が欲しい、各地区でお祈りを必要としている方々がいる、との意見が出され、5月から第2日曜日9時半ミサ後、小聖堂でロザリオ1環を唱えることとした。事前に連絡網で祈りの意向を尋ね、それを中心に祈っている。5月は12名・6月は18名参加。細く長く続けていきたい。
6月15日(日)ブロック集会を行った。新人9名を交えて参加者40名。最初にテハン神父から福祉についての話を伺い、インドのマザーテレサの施設にボランティアとして行ってこられた大坪さんの報告を聞いた。地区外からも参加され、一緒に食事ができたことなど好評であった。
5月31日・6月1日テハン神父と宣教司牧評議会総会に出席した。詳しい報告は「宣教司牧評議会便り」が秋に発行されるので参照願いたい。
6月7日(土)初めてのゆるしの秘蹟があり、参加された方からは秘蹟がより身近なものに感じられた等の感想を頂いた。
6月8日(日)第五地区福音宣教委員会があり、短期セミナーは第五地区の行事として取組むことを再確認した。スタッフに任せるのではなく信者一人ひとりがそれに係わっていこうということが話合われた。
6月22日(日)幼児洗礼がある。
5月・10月のマリアさまの月の9時半ごミサの前にレジオマリエがロザリオ一連を先唱しているが、二ヵ月だけではなく年間通してできないかとの意見が出ている。レジオマリエだけではなく、ブロック・地区・活動部の協力を頂いて、共同体の連帯で祈ることを目指したい。実施に向けて更に典礼部で検討する。
5月25日(日)3年生以上の保護者会があった。40名以上の出席で中高生会も参加し、各学年に分かれて分かち合いの時間を持つことができた。例年になく祈りのある保護者会となった。
7月13日(日)9時半、終了式ということで子供と家族のミサを行う。
7月19日(土)〜20日(日)サマーキャンプでセンターに宿泊する。
@売店の消費税負担について
教区からの消費税分担計算が収益事業全体で計算されているため、実費計算より多額と思われる。今後簡易課税が撤廃されるとなお負担が増えると思われるので、教区に見直しを申し入れている。
A 国際部長の交代
牧野進一氏(辻堂一区)が海外勤務となったため、斎藤菊代さん(鵠沼一区)に後任を引き受けていただいた。今後各コミュニティをサポートしている日本人の方々とチームをくんで運営していきたい意向。
以上
バザー企画チーム活動報告&お願い
チームリーダー宮内
今年は辻堂ブロックがバザーの企画・運営を担当いたします。今回は例年の「バザー委員会」「バザー委員長」という名称を使わず、「バザー企画チーム」「チームリーダー」という呼び方を採用しました。「チーム」という言葉には、みんなで力を合わせて仕事をするグループという意味を込めました。文字通りチーム一丸となって準備を進めていきたいと思います。
さて、10月26日に行われる今年のバザーのテーマは「今日の汗は明日のために!みんなでワッショイ!03バザー」に決定しました。私達の教会の未来のために精一杯働こう、それもみんな一緒になって、しかも楽しくやろう、というのが趣旨です。
また、今年のバザー収益の分配方法は、バザー賛助金が全額教会建物維持のため、またバザー当日の売上げは全額福祉に充てるということになりました。
バザーの成功には、共同体の皆様の御理解と御協力が欠かせません。どうぞよろしくお願いいたします。
早速ですが、次の2点について皆様にお願いしたいと思います。連絡は宮内(36-1743)までお願いいたします。
@ 企画チームの中で、バザー賛助券に関して、以前行っていた抽選をまたしようではないか、という意見が出ています。ただわざわざ景品にお金を掛けるというのはバザーの趣旨に沿わないので、景品にするものの寄付を共同体の皆様に呼び掛けようということになりました。もし、金券(商品券・図書券・ビール券・食事券等)をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご協力お願いいたします。
A 今回、バザー会場には旧売店が新たに加わります。そこで、あの場所を活かせるような企画のアイデアを公募することにしました。締切は7月18日(金)です。ユニークなアイデアをお待ちしております。
みんなでワッショイ!楽しいバザーにいたしましょう!!・
教会遠足、大磯へ!
辻堂2区 遠藤
5月24日、午前9時50分を過ぎた頃大磯駅前には、テハン神父様を中心に見慣れた顔がそこここに集まった。日差しも強すぎず、薄曇りの、格好の遠足日和となった。
先ずは目と鼻の距離にある、澤田美喜記念館に向かう。門を入ると坂を上がって、ちょっとした森林気分。休館日なのに特別に開けて戴いた。自称御堂守と仰る鯛(たい)さんが出迎えて下さる。先ずは二階の御聖堂に。
聖公会なので我々にも違和感はない。80才を超えておられる鯛さんの説明の口調に、のっけからちょっと刺がある。やはり休みの日に、引っ張り出されたせいかなと思っていると、どうもそうではない。地のようだ。盛んに聖公会の批判をなさる。自分が知っている聖公会の司祭の方々は尊敬できる方が多いのにと、内心訝しく思いながらも、御聖堂の中だ、説教は仕方がないと諦める。
階下に移動すると、数多くのキリシタン時代の収集品。マリア観音像、十字を刻んだ地蔵に十字架を内蔵した仏像、木彫、掛け軸、漆器、陶器、磁器、厨子、刀剣、キリシタン鍔、高札、文書と大変な収蔵品。ただ惜しむらくは、充分な解説書きが無いので、どれほど貴重なものかなかなか素人目には分からないのだ。高山右近が彫ったというイエス像は貸し出し中だとしても、信徒発見の時に、マリア様は何処、と聞かれた時のマリア像(高柳説)、最古の踏絵の版木、その他多分見逃してしまった多くのキリシタン遺品。
鯛さんが盛んに外の日の光を気にされる。とすると、皆を表に呼び出し、僅かに雲が切れ日が差した時に、銅製の魔鏡を陽に反射させると、十字架上のイエス様が反射板に映し出され、見ようによっては、更にイエス様のお顔にも見える。鯛さんは、この現象を是非我々に見せたいとさっきから空模様を気にしていたのだった。本当は親切な人なのかもしれない!
予定を30分遅れで、大磯教会に向かう。ごミサはテハン神父様の司式で12時40分から。窪田、小藤、八子氏ら鵠沼ブロック総力(?)をあげてのバーベキューの用意が整ったのは、午後も1時半を回った頃で、皆、焼肉の網まで食べそうな空腹感と、ビールの缶まで飲みそうな喉の渇き。着任間もない大磯教会の笹気主任神父様、10人以上の応援部隊の指揮をとられた渡辺教会委員長のご挨拶を頂いた後、早速大磯の方々と、差し入れて戴いた漬物やコーヒー、お茶を交えての昼食バーベキューとなった。それにしても広々とした、潮の香が届く教会の庭がちょっと羨ましかった。
50名に達した今年の教会遠足。初めての参加だったが、藤沢教会共同体の一員を実感した一日だった。申し分の無い企画と準備の鵠沼ブロックと、お世話戴いた大磯教会の皆様方に感謝して、午後3時に解散した。あなたも次回是非ご参加を。
元売店活用計画にあたって
大庭 田邊
お待たせしました! と、壮年部よりご案内が出ましたとおり、5月25日(日)には、テハン神父様のご祝別を戴き、活用できる運びとなりました。まだ、多少設備面では手を加える所は残って居ります。皆さんが使ってみた感想から、より使い易い部屋に対応していきたいと考えています。
この計画の発端は、一昨年、壮年部の新人歓迎会で、北二・松尾さんからの話題の中で『ご婦人方の活発な活動と比較することは出来ませんが、男性方の気軽な交流・活動の場が少ない様に思われます。特に、定年を迎えられた、経験豊かで、時間的にも比較的余裕の有る壮年の方々が多くいるでしょう。一緒に活動し、何か手伝おうと思って居ても、何をしたら良いのかが解らず、手が出せない方も居ると思いますよ。御ミサの後、皆で話をしたいと思うが、落着いて話す場所も無い。仕方なく、教会では挨拶程度で、何処か寄り道して家に帰ってしまう。これは「共同体として大変残念なこと」です。それなら、誰もが自由に使えて、気軽に話し会いが出来る交わりの場を、自分達の手で造りましょうよ。教会入り口に在る元売店の建物は、道路に面し広さは少ないが多目的に利用出来るので、活用してはどうでしょうか』といった話にまで発展していった。
後に、教会委員会に提案され「元売店活用検討チーム」が発足、改装計画案・予算見積案・等が進められました。基本は出来る限り壮年部の手で改装して行く方針で決まりました。仕事は素人集団だが、経験ある器用な人達の集まりです。時間的には週三日位、体に無理な負担が掛からない様なやり方で、余裕を持って進める事にしました。目的は、皆が協力し合い知恵と力を出し合える喜びです。
外装では、古いシャッターの撤去と壁の補修を業者が施行。その後、外壁の洗浄と下塗り塗装へとスタートしました。壁塗りなんて初めて、子供心に帰る思いがする、家に帰って家族に自慢する、なんて面白がって仕事をした人も居ました。薄汚れた建物も一気によみがえり、教会の建物である存在感を現して来ました。内装では、頑丈な書棚の取壊し・天井のアスベスト材の剥し・床のコンクリート打ち等が有り、2月の寒中での作業は一番大変だったと思います。これらの基礎的な工事は、皆さんの協力が有ってこそ、順調に進められたと思います。新しい内装材は天井から張り替えられ、床の断熱効果や平坦さを出す基礎工事、板壁材の施行方法等々に付いて、主張し合い・試行錯誤しながら、着々と完成に向っていきました。
振り返ってみると、多くの経験をさせて戴きながら、隣のお店の方に限らず、色々な人と交流し、分ち合いが出来た事は素晴らしい体験でした。半年近く、一緒に仕事をした事で、この仕事の最初の提案者であり実行推進者の松尾さんを「師匠」と言い、私を「棟梁」と気楽に呼び合える気持ちに成ったことに、感謝いたします。
藤沢ブロック歓迎会
藤沢3区 小沢
5月18日のミサ後、11時センターホールで藤沢ブロックの新人歓迎会が開かれました。冒頭は集会を行い一連の報告がされましたが、次の事項が主題とされました。
教会財政のため維持費の増額及び未納入者の納入推進
福祉活動に対する多くの方が出来る範囲での参画
テハン神父から司祭の高齢化と減少に伴い、信徒それぞれが教会での司祭のサポートの一助を担って欲しい
さて、メインプログラムの歓迎会に入り、先ず6名の方々が自己紹介されました。進行役のチョッカイを挿みながら、楽しく愉快なひと時を持ちました。
12時には、どのテーブルもサンドイッチと紅茶で軽いランチをとりながら和やかな会話が進み、その間に各地区の今年度の連絡委員の紹介があって、12時半、古郡氏のお祈りで盛会のうちに終わることができました。
当日はうれしい飛び入り参加者がたくさんおられました。何かと不手際がありましたが同じ地域に住む者として新しく受洗された方々、転入された皆様と神父様を囲んで初めてご一緒の時を過ごせたことは大きな感謝でした。
これからも神様が共におられ、みなが共に祈れるこのような会が、辛い時も弱い時も喜びの時も変わらずありますようにと祈りつつ元気をいただいた日曜日でした。
辻堂ブロック集会報告
辻堂 高久
6月8日、聖霊降臨のミサ後、35名の出席のもと、センターホールにて辻堂ブロック集会が開かれました。集会テーマは(1)福祉について、(2)バザー企画報告とテーマ決定でした。
まずテハン神父様より福祉のあり方についてのお話があり、いろいろな福祉のグループが様々な活動を行っているが、大事なことは活動を通してお互いが学び合うことであり、各グループ間の相互理解と協力のうえで、活動が一方的にならぬように、享受する側の立場も十分考慮して、福祉の原点をもう一度皆で考えて欲しい、とのお話でした。
辻堂ブロックは、今年度バザー担当ブロックとして、すでに3月2日より企画チームを立ち上げ、若さを全面に宮内毅さんをチームリーダーに活動をスタートしています。辻堂ブロックらしく「気負わず、無理せず、楽しく資金集め」をモットーに、委員で絞り込んだテーマ候補を、出席者の賛否とご意見をもとに、さらに検討しました。
また7日には、前回バザー担当の藤沢ブロックバザー委員の皆様にお集まりいただき、様々なご意見やご助言をうかがって、今年度に生かしていきたいと思いました。
現在企画委員は、10名で構成していますが、若干の増員を募りましたところ、お1人が加わり、11名体制とパワーアップいたしました。
10月26日バザーに向け、今後の活動への協力をお願いして閉会いたしました。
北2ブロック地区集会
長後 長野
6月15日(日)ミサ後11時から、北二ブロック地区集会が、センターホールで開かれました。
最初にテハン神父様から、教会と福祉活動について、今このことについて皆で考えて見る必要があるのではないかということでした。
次に新人の歓迎と紹介がありました。お子さんを含む9人の方が出席してくださり、かわいらしいお子さんの自己紹介に、会場がなごやかな笑いと拍手に包まれました。
次は、春休みにインド・カルカッタのマザー・テレサの施設にボランティアとして行ってこられた、大坪康代さんの体験談を聞かせていただきました。今回参加された40名ほどのボランティアの中で、半数がヨーロッパ系、半数が韓国、日本その他の東南アジア系の方で、日本人の中でカトリック信者は大坪さん1人だったそうです。施設には長年にわたりそこで働いておられる日本人シスターやボランティアの方がおられるということでした。弱い立場の人々へ「愛の運び屋」として働く方々のお話を伺い、自分の福祉に対するあり方について考えさせられました。
昼食はカレーととサラダが用意され、少し余分に出来た分を、日頃からご活躍のレオの方々にも、一緒に加わって食べていただき、地区の方々との交流にもなり、とても良かったと思います。
食後は、教会委員会、福祉委員会の報告と九月ミサ当番月の打合せ、そろそろ来年度の役員の候補のお願いなどで会を終わりました。
壮年部歓迎会に出席して
六会 亀井
去る6月1日、壮年部の新人歓迎会がセンターホールで開かれ、私も転入者として参加させて頂きました。当日参加した新人は私を含め五名で、私の他は新たに受洗された方で壮年部のメンバーとは既に顔見知りである中、初対面の方ばかりでしたが、少々のアルコールも入り和やかな雰囲気の中、楽しく過ごさせて頂きました。
浮田壮年部部長の御挨拶に始まり、テハン神父様の歓迎の言葉を頂き、乾杯、新人の自己紹介などを行い、壮年部の活動内容の概略等を知ることができました。
気だけはまだ若いつもりの私としては、「壮年」と呼ばれることにまだ抵抗? があったのですが、同年代のメンバーもいらっしゃり、また、年輩の方々も皆若々しく、御自身の経験を活かして活動されており、感銘を受けました。
私自身は他の教会(世田谷:瀬田教会)からの転入とはいえ、これまで仕事の多忙などにかまけて、教会との関わりをあまり深くは持たずにきており、歓迎会に参加されたテハン神父様からは他の教会の活動などを知らせてほしいなど過大な期待を頂き、ただただ恐縮するばかりなのですが、自分が何をできるかを考え(当面は壮年部の若手? として力仕事くらいですが)、少しずつでも教会との関わりを深めて行こうと思いました。とは言え、仕事その他のしがらみもあり、すぐに全面的にとはできないとは思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。
壮年部黙想会に出席して
藤沢2区 野澤
6月14日に壮年部主催の黙想会に参加させていただきました。幸い天気にも恵まれ緑の濃い鎌倉黙想の家へ車を分乗して到着、土曜日にもかかわらずスムーズに来れたことを出迎えてくださったイバニエス神父様に報告すると、「神の道は真っすぐですから」と一言。良い黙想会になる予感がしました。
初めてお会いした神父様は小柄ながら胸を張った正しい姿勢で目に力のある方でした。快く私達を迎えてくださり、早速神父様の講話の始まりです。テーマは「すさみの時も神の恵み」。すさみと言う重い言葉の印象から難しい話になるのかと思っていましたがとても興味深い色々な話をしてくださり、講話の時間が短いと思う程でした。
「すさみ」とは心が混乱し、混沌としている中に閉じ込められ重く、暗い気持の時、信仰、希望が低下している時などを指すそうです。このような気持にしばしば落ち入る私はそんな時弱い自分を責め、どうしたらいいのか解らず不安になっていました。
神父様の話では「すさみは神に対する態度がどんなものか確かめられる時」「すさみは自分の貧しさを確かめる機会で自分に何が必要か分かるためにすさみが与えられる」のだそうです。
今後、気持が重く暗くなった時には何よりも神様を信頼し願いたいと思います。すさみの時には神様が離れている感じを受けますが、神様は絶えず愛してくださっていることを想い起こし自分自身を委ねるべきなのでしょう。 すさみの時必要な姿勢は「忍耐」「我慢」ではなく、根気強く「待つ」姿勢だそうですから、いつも(いつもと言う訳にはいきませんが)絶えず祈り神様の慰めを待ちたいと思っています。
コリント2・1章3節〜9節に慰めについて書かれています。“わたしたちが苦しい目に遇うとするなら、それはあなたがたが慰められ救われるためです・・自分を頼りとしないで死んだ者を復活させてくださる神を頼りとするようになりました・・”
すさみの時、物事が思うように行かない時、自分を責めたり他人を責めたりするのは大事な問題から逃げているのでしょう。問題を解決するには神様の愛により頼んで「待つ」必要があるのでしょう。惜しみなく愛して下さる神様を強く感じられるように祈り、黙想していきたいと思います。
最後にイバニエス神父様が一年間日本を離れます。無事に帰国され再度ご指導してくださるのを願います。温かく私を仲間に入れてくださった壮年部の方々に感謝いたします。
アイルランド人姉妹のチェロとハープの演奏会に参加して
長後 戸村
初めにチェロとハープの演奏を通して、心に響くものを・・と期待して主任司祭テハン神父様のご挨拶のあと、早速、アイルランド人姉妹アネット・クレアリー(チェロ)、マリア・クレアリー(ハープ)の演奏に入り、聖堂内に設けられた席は、ほぼ満杯、折しも季節は入梅でもあり、ニュース天気予報では30度を越える関東地方今年初の真夏日とあって、なんとなくざわめき立っていたのも束の間のこと。
やがて、拍手と共に一斉に注目は舞台へと移り、演奏が始まるや否や、しんと水を打ったように静まり返って清澄な空気に包まれると同時に、美しい姉妹の演じる様をしっかりと脳裏に焼き付けながら、軽く眼を閉じるとそこは、もう別世界と申せましょうか? 果ては海と空との大いなる空間に身を委ね心を自由に解き放って遊び揺たう風と波、弛みなく寄せては返えす心地よい波のうねりと、思いのままに踊り煌めく光りと輝やき、その無限の喜びを肌で感じながら、摩訶不思議な神秘の中で神を意識し、神との出会いを賛美する境地と、その喜びを共に深く味わうことの出来る世界へと誘われてしまいました。なお、演奏中は、無我と集中の中に在ってか、あたかも演奏者の心と技に加えて聴衆の息と心がぴったりと合って始まる前の蒸し暑さなど一瞬の中に吹き飛んでしまい正に、清涼感の漂う世界に浸れることの妙。このように瞬時にして異次元に没入出来る対比を体感させられた思いでした。また、折々に穏やかな語り口での萩田様の司会振りも程良く絶妙でした。
さて、一部と二部との間に15分間の休憩を挟んでのお茶の接待を受けて、美味しくて冷たい喉越しは勿論のこと○○様の何気なく温かな振る舞いと、その優しい心遣いにも密かに、ほろりと感動し一息入れてのち、ケルソ神父様から聖コロンバン会宣教者会と、その協力者会の各々の活動を通しての感謝と理解を求める説明と同時に、それぞれが神から戴いた賜物を生かして隣人への愛を呼びかけられました。この第二部冒頭・ではピタゴラスの調律を使った中世の珍しい一見して小振りのハープで、クラシック音楽以前の幻想的ともいえる吟遊詩人の世界を共に旅し、さらに、懐かしい曲目を折り混ぜての選曲で、最初から最後まで、まるで夢見心地の愉しい一時を恵まれ、万籟の拍手の中で深々とお辞儀する姉妹へ純白のドレスが良く似合うエンゼルのように愛らしい少女二人からの花束贈呈。加えてアンコールに応え、予てから日本人には馴染み深い『庭の千草』として親しまれているところの、実はアイルランドの民謡とやらに唯うっとりしながら、郷愁を感じ聞き惚れてしまいました。
このように清らで卓越した音楽の世界を通して、感性に国境は無いことをも再確認することが出来ました。ふと、聖書の一節に『始めに言葉ありき』と書かれてあったように思いますが、言葉など要らない位というよりは、言葉以上の言葉に満たされて真に珠玉の一時を心から有り難う!! との叫びに代えて手が痛くなる程に精一杯の拍手を送ったことでした。遠隔の地からお越しくだされて、熱心に心を込めて演奏された姉妹に対して、改めてお礼申し上げます。
また、会を裏方で支え続けておられる方々と、聴衆としての立場からも、この会に協力参加された総ての方々も、この感動は大なり小なり共通のものと思います。このイベントを通して沢山の不思議な出会いにも与り、成功への導き手としての神の存在を認め得る謙虚な目を見開き、みことばに傾聴する耳を開いて戴く時を与えられ、聖霊の交わりの中で、三位一体の唯一の神様が、何時も、良きに計らい助け、且つ、働いてくださっていることをしみじみと実感できたことは、最も大きな恵みでした。
神に向かって心を尽して賛美し、喜び合いそうして素直な心で、魂を尽くして感謝出来ることの幸せを共に噛みしめ味わうのみです。引いては、苦しみすらも喜びに替える技も、同時に学んだような、そんな気にもさせられたとても素敵な演奏会だったと思います。
また、聖堂の中で、全員が一つの祈りとしての場を与えられ、その中で一致出来た至福の時だったようにも思います。この境地をさらに日常の生活にも生かせたなら、より一層素晴らしいことと念じながら、豊かな満足に酔ったまま、家路に向かうことでした。
改めて神に感謝!!
スカウトデー
ベンチャー 山本
今年も5月25日にスカウトデーがありました。皆様のご協力で、年々16団の規模が大きくなっている、そのような感じがします。
スカウト全員でセレモニーをした後、僕は昨年までなかった燻製を売っていました。ミサ後20分で完売という盛況でよかったです。この燻製が一番人気があったように思います。 次回はもっとたくさん用意して、より多くの方に味わっていただきたいと思います。来年は自分たちでなにか作りたいなと思います。その時は皆様、ぜひ食べてください。宜しくお願いします。
バザーの売上は、夏のキャンプのときに使わせていただきます。どうもありがとうございました。
今回の燻製はボーイ隊佐々木隊長が作りました。
第13回インターナショナルデーに参加して
中高生会リーダー 宮内
さる5月18日、今はシカゴにいらっしゃるティム神父様に2年前連れて行っていただいたインターナショナルデーに、中高生と一緒に行って来ました。
インターナショナルデーは年一回行われる東京教区の一大イベントで、会場は東京カテドラルです。
イベントの中心はなんといっても国際ミサです。今回は駐日バチカン大使による司式でした。このミサは本当に国際色豊かです。まずミサに与る人々が本当に多国籍です。さらに典礼文は英語で、聖歌は約10カ国の言語で歌われました。たとえばあわれみの賛歌は中国語、答唱詩篇はスペイン語、といった具合です。ミサ曲はともかくそれ以外の歌は意味もわからずフリガナを必死に読んでいるだけなのですが、そのことが逆に言葉は違っていても同じ信仰で結ばれているということを実感させてくれました。また、お説教の代わりにパントマイム、奉納の際にはフィリピンの方達の踊りが披露されるなど、本当に楽しいものでした。
国際ミサ以外にも色々な国の料理が楽しめるワールドバザーや、舞台でのアトラクションなどもあり、見所いっぱいでした。
来年もまた参加したいと思っています。
司祭と信徒の対話 ―聖堂と典礼―
「八角形ご復活特集号」のテハン神父さまの巻頭言を読まれた阿部さんがその感想を「聖堂典礼考」にまとめられました。
それを読ませていただいた私はこれはぜひテハン神父さまにも読んでいただき、できることなら顔を合わせてお互いの思いを語り合い聴き合う場を設定させていただいた方が良いのではないかと思いました。本日ここにテハン神父さまのご賛同を得、また同じように考えられた魚津さんにもご同席いただいて自由にその思いを語り合い、聴きあう場が実現しましたことを感謝いたします。
参考・「聖堂典礼考」の骨子『この世にあるものはすべて、様々の因果、要素がかかわり合ってできている。この無数のかかわり合いが離れると、死に、また滅ぶ。これが無常であり、この道理が原始仏教以来、お釈迦様以来の仏教の「空観」です。「空」はすべてのものの存在と滅亡の原理である。般若心経風に言えば、色不異空、目に見えているすべてのもの(色)は、相互に関連して初めて在るのだという原理(空)そのもの(不異)なのだということです。単なる「無」(非存在)ではない。仏教の根底はこの無神論をも包摂する空観=縁起思想にあって、唯一絶対者である創造主という根源的存在を想定していません。キリスト教ではこの因果論を認めると神の介在する余地が無くなるので因果論は取り上げません。また、禅宗は、キリスト教徒が座禅をやるときには、キリストを、神への祈りを、おあずけにして、裸の、何もない、神も人間もない所で座ることを求めており、その中で座る人間がいかにして神信仰について語るのか、このつきつめがないとほんとうには宗教対話は成り立たないのではないかといわれています。宗教思想の異なる座禅の空をカトリックの生命であるミサ聖祭、聖堂に導入することは自らの否定に繋がりかねず、ご勘考いただければと思います。』 |
藤沢教会聖堂の配置
テハン神父:阿部さんが「聖堂典礼考」を書いてくださったことをとても感謝しています。聖堂の真ん中の空は座禅の丸に通じるというのも一つの見方。何もないところ、すなわち無から自然にあらわれてくるものがある。沈黙のなかで神に出会うことと似ている。ケノシスの概念も「フィリポ2章6〜11節」に著されている。また先に空間があるところから典礼を考えたのではなく「み言葉の祭儀」と「感謝の祭儀」を二つに分けるベネディクト会の例があり、なるほどと思った。
イエズス会のラサ−ル神父の話にも共鳴した。
魚津:神父が座禅の「空」「無」を瞑想に取り入れ思索することは理解できる。しかし、典礼を重んじるカトリックの儀式に、その座禅の「空」とか「無」を形として導入することには疑問を持っている。
阿部:我々自身もリーダー養成講座では、静思のひとときを持った。神と人とは静思において結合するといわれる。座禅という道を通って真理に近づくことはむしろよいことではないかと思う。しかしそれはあくまで方法論である。ミサ聖祭はカトリック教徒にとって、日々を、或いは人生を反省する恵みを与えられ、神から直接霊的エネルギーを頂く場である。その授受の場に、宗教思想を異にする仏教概念に介入されることは遮断・インターセプトであって、気もそがれ心もそがれる。
テハン神父:聖堂真ん中の「空」はいわば「無」であり、その「無」のなかにキリストがおられるという理解である。三日目にマグダラのマリアやぺトロがみつけたイエスの墓はからであった。つまり空=無=復活である。それも女性が先に見つけて弟子達に知らせた。
阿部:それはキリスト教徒としてなじみづらい。キリストはすべての人の心の中におられるという意味では、空間に限らずどこにでもおられると思うが、これはミサ聖祭において向かい合う象徴としてのキリストであるから、神の人間救済の業としての十字架上におられるとしか思えない。歴史的に仏教の影響を受けてきた背景を持つ我々日本人信徒においてさえ、空間にキリストがおられるという発想は頭も心も整理がつかない。
テハン神父:「聖堂典礼考」を予め読んでおれば、ご復活特集号巻頭言もああいう形では書かなかっただろう。復活号なので「空の墓」から「復活」の意味を表そうとしたが阿部さんの書かれたものを先に読んでいれば違うアプローチをとったのではないかと思う。二人三人の人がいるところにキリストはおられる。共同体はキリストの名によって集まるところであり、キリストの存在を感じることができるところでしょう。
そして、十字架がミサ聖祭の中心であるということは間違いない。現行の藤沢教会におけるミサ聖祭を解説すると、社会である聖堂入り口から、十字架を顕示した待者を先頭に行列が入堂し、聖書朗読台の横に十字架を据えて、このふたつをミサ前半部分のことばの典礼の中心に置く。ことばの典礼を終え、再び待者が十字架を顕示して、行列が祭壇へ移動する。この移動の時間は、会衆がみことばを咀嚼して感謝の祭儀における主の来臨に備えるためにある。十字架を祭壇の横に据え、祭壇布を祭壇に敷いて備えの準備を行い、感謝の祭儀は祭壇と十字架を中心として執り行われる。
阿部:その解説を承ってかなりの理解が得られた。しかし尚かつなぜ会衆が祭壇と聖書朗読台を取り囲まねばならないのか、理解がいかない。その趣旨に則って中心である祭壇に向かっても、祭壇の向こう側にかなりの人影がちらついて神との関係に集中しづらい。私は聖変化の時を除いて、視線を祭壇ではなく上方にもっていき、集中を図ることを余儀なくされている。
片桐:この形になったことで典礼について与えられたものを守るだけではなく、もっと考えチャレンジしていくことができるということが分かり、ミサそのものが一層身近なものになったと思う。共同体のミサであるから向こう側に信徒の顔が見えることはよいことでしょう。仲間の消息が分かり、共同体としての意識を共有できるはず。
阿部:それは聖徒の交わりのことでしょう。ミサ聖祭において聖徒の交わりが、ひとり一人の神との関係を越えて、そこまで重要であるとは思えない。キリスト教に限らず、一神教では神とひとり一人が契約を結ぶ。この契約、つまり神との一対一の関係が根底にあってこそのキリスト教。そのあとに第二の掟として、相愛、つまり聖徒の交わりがある。聖徒の交わりのことは、むしろミサ聖祭が終わり派遣の祝福を受け、聖堂を出た瞬間に始まるのでしょう。過日のリーダー養成講座の集いで、二俣川教会の方が新たに受洗した方の教会離れの問題を取り上げられ、カトリックは新入者に冷たい、なんとか温かく、と言われていた。新しく入ってきて既に出来上がっている人の輪の中に自分の方から入っていくのは勇気が要る。この重要なことはミサ聖祭でいくら「主の平和」と平和の挨拶を交わしてみても、それはしるしに過ぎない。実効をあげるのはミサ聖祭ののちの心配りにあるはず。つまりミサ聖祭では第一の掟である神との関係が最重要視されなければならないはず。それかあらぬか、かっての典礼では平和の挨拶は存在しなかった。
テハン神父:平和の挨拶は、その頃はなかったが、遡れば歴史上存在した時期もあった。第二バチカン公会議にてそれが復活した。第二バチカン公会議後は来世より今の生活を大切にするようになった。その中で神と自分という縦軸、隣人愛という横軸をあわせる。
私が子どもの頃、その当時の典礼で、待者の練習をいつもやり、重い聖書を捧持して聖堂内を行き来した。そのことが私の召命に大きな影響を与えた。
阿部:それはカトリック教徒としてたいへん肺腑に沁みるお話です。その背景を持たれた司祭としての典礼への思い入れは理解いたします。
聖堂と典礼から話はそれますが、もうひとつ信徒としてお願いしたいことがある。この教会では、ここ一、二年「交わり」が強調され、勧められている。それはよいことであり、大切だと思うが、更に大切な「一致」が図られていないと感じる。教会憲章においても「一致」は「交わり」に倍して要請されている。具体的には、二年前魚津さんが「フォーラム」を言い出されて以来、いくつかのテーマがフォーラムとして取り上げられた。しかし、一定の時間を掛け、全体集会の下に検討チームを置き、数度のアクセスで練り上げていったのは、教会委員会フォーラムだけであったと思う。典礼、シャワー、いずれもさあこれから分かち合い、練り上げようというときに見切り発車され、とても「一致」があったとは思えない。全体国家みたいな3千6百人全員100%足並みが揃うことなどあり得ないが、なにかをやることよりもその練り上げのプロセスを重視することが、取りも直さず信徒にできる教会の一致ではないか。
魚津:当時教会委員会規約問題で、私がテハン神父と話し合ったとき、信徒の意見が割れて教会が分裂するのではないかと心配された。しかし、分裂などさせないと言って、教会委員会フォーラムは、統一した意見書を採択し、それが信徒総会で採用された。あのテーマが雛型になるのではないか。
阿部:「交わり」のための「交わり」ではなく、「一致」のための「交わり」だと思う。
テハン神父:召命の減少、聖職者の高齢化により司祭の絶対数不足は急速に顕在化している。由比ヶ浜、国府津。身近に切迫した事態がある。藤沢教会も例外ではない。私は司祭としての職務を重点的に絞り込み、多くのことを信徒に委ねていかねばならない。そのためには本日のような話し合いはたいへんうれしいし、実効が期待できる。フォーラムもまだまだ考えねばならない余地はあるものの、3、4年前とは比較にならない信徒の意識の向上と協働の実が挙がり、感謝している。
片桐:練り上げのプロセスが大切だということはよく理解したいと思う。
今この時間を共有できたことはひとりひとりにとって貴重な体験になったことと思います。たとえそれぞれの思いが異なっていても、ゆっくり時間をかけて語り合い、聴き合い、それぞれの違いを多様性として認め合うことで少しづつでも理解が深まっていくのではないでしょうか。共有した時間がとても豊かで貴重な賜物に思えました。
この賜物をより多くの方々と分け合い、感じ合う手段の一つとしての「八角形にゅーす」の持つ役割の大きさにも気付きました。
また、これをお読みになっての感想やご意見などどのようなことでもお寄せいただけたら幸いです。
(片桐 記)
福祉活動の概況 その3
(活動の内容):老人、病人、身障者等への訪問援助。例会は月一回。年次報告は本誌に掲載。
(活動のきっかけと目的):1833年パリに設立された。当時貧困に苦しむ人たちの救済のための平信徒の会の、日本における一末端組織で、現在は会員の資格制限はなく、助けを必要とする方々のために力になりたいとの考えに賛同する人の集まり。
(活動の始まり時期): 1960年11月
(現在の人数):20名(定期的資金援助者を含む)
(現在の状況):昨年の訪問先 延約100人、施設 延8ヵ所
(今後の展望):引き続き活動する
(活動の内容):主任司祭を中心にスタッフ4名と共にセミナーのテーマを決め準備をします。月1回第2土曜日10:00〜12:00 当日は司祭からそのテーマにそったヒントを頂き、参加者の方々と共に感じたことなど分ち合います
(活動のきっかけと目的):今から7年前、教会の中で助け合いが出来たら、ということでビスケットの会(微助っ人)が生まれました。その第一回目のセミナーのテーマが「私が病気になったとき」でした。セミナーを始めて気が付いたことは、実は助っ人になりたいと思っている私達の心の準備が出来ているのだろうか?ということでした。それを考えるために続いているのが現在のケアセミナーです。
(活動の始まり時期):1996年4月
(現在の人数):主任司祭とスタッフ4名、毎回の参加者平均15名
(現在の状況と今後の展望):引き続き、多くの方々に参加していただけるようなセミナーにしていきたい。
(活動の内容):ルワンダで義足制作活動を続けるムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト(日本代表吉田真美) のサポート。
(活動のきっかけと目的):以前、当教会所属であった信徒が吉田真美と出会い、教会の内外を問わず、周囲の人たちに話をしたのがきっかけ。以後、より多くの人に吉田さんの活動を伝え、独自の支援スタイルを考えてもらうことを目的とする。
(活動の始まり時期): 1997年
(現在の人数):10人くらい
(現在の状況):賛同するメンバー達でコンサートをしたり、クッキーやチョコレートの販売などをしていたがメンバーの結婚や引っ越しなどで、ここ一年は、活動報告会を開いたり、ワンラブ通信の発送。少しづつ独自の活動部分を再会する。活動に賛同して独自に経済的支援を続けている人もいる。
(今後の展望):教会内外の人たちと、引き続き活動を行う。
(活動の内容):私たちにとって一番苦しいとき、悲しいとき本人および家族の希望を考えながら、共同体にふさわしいかかわり方で共に歩み最後の見送りを考えていく。
(活動のきっかけと目的):藤沢教会にふさわしい葬儀のあり方を、幅広く考えていくために始まり「臨終から葬儀まで」の小冊子を制作した。
(活動の始まり時期):1998年
(現在の人数):11人
(現在の状況):月一回主任司祭と共に共同体にふさわしい葬儀に関する、さまざまな問題を検討しその一部を・「八角形にゅーす」のQ&Aとして掲載し、いずれ小冊子にする予定。死者の月11月にはアンケートを集め、葬儀に関するフォーラムを行っている。
(今後の展望):信者の方々からいろいろな意見をききながら、墓地の問題を含めて総合的に考えていく。
(活動の内容):JLMMのカンボジアにおける福祉活動を支援するために設立された基金を維持拡大して行く活動。応援する会の会員による定期的献金、バザーでの物販などによる募金活動。
(活動のきっかけと目的):鵠沼ブロックが担当した2001年の藤沢カトリック教会のバザーの収益金の使途として、藤沢教会出身の山口道孝神父が事務局長を勤められている日本カトリック信徒宣教者会(JLMM)からの海外派遣先、その中のカンボジアにおける福祉活動を支援するために、基金を設立し、その運用益を現地での活動に必要な物資の購入、活動費の一部に充当。当グループは継続的に支援活動を行う。
(活動の始まり時期):2001年10月
(現在の人数):約30名
(現在の状況):基金はJLMMのカンボジア事務所で管理運用されており、応援する会に登録してくださった会員の皆さんからの献金(1口100円/月)により、より基金の拡大を図っている。
(今後の展望):現地で実際に活動されているJLMMの派遣信徒宣教者による講演会を開催したりして、より多くの方にこの活動を理解してもらい、応援する会の会員の増加を図っていく。また募金の方法のひとつとして会員による手打ちそばの注文販売も計画している
(活動の内容):春巻きなどを販売してベトナムに送金する
(活動のきっかけと目的):ベトナム本国には孤児、貧しい家計を助けるために物を売ったりしているストリートチルドレン等が多くいるため、何とか支援したい。前は皆で寄付し合って集めたけれど、バブル崩壊等で仕事をなくすメンバーなどもいて集めにくくなったので春巻を売ることにした。
(活動の始まり時期):2年前ぐらい
(現在の人数):ベトナム共同体の人達
(現在の状況):9時半ミサ後に2度ぐらい実行出来たけど、今は中止になった。
(今後の展望):引き続き活動する。
生命に対する特許は倫理的に認められるでしょうか?
ポール神父
これまで世界中のほぼすべての宗教・文化において、神からの神聖なる贈りものとして扱われてきた生命はいまや人間の「創造物」として扱われるようになりつつあります。つまり遺伝子や化学物質などか遺伝子工学技術を使って組み換えたり、特許取得者か売買したりする対象になっているのです。企業は生物を利益のために好き勝手に乱用してもよい物品とみなしています。いま、生命の多様性は、これまでにない大きな危機にさらされています.私たち人間の生活に欠かすことのできない食品や医薬品などが次つぎと、種子の遺伝子や病気の原因遺伝子などの特許奪取に奔走している、数社の巨大企業の支配下におかれるようになってきています。たとえばある企業が、エイズのような病気を引き起こす遺伝子を分離し、病気に対する治療法の開発に成功した場合、その企業は巨額の利益を得ることになります。生命に対する特許は、環境、健康、農業、南北間題、バイオテクノロジーなどをめぐる問題に関心を寄せる人々にとって、憂慮すべき新たな問題となっています。
ハーシー・シュマイザーさんはカナダ人農家です。数年前にシュマイザーさんの近隣農家がモンサント社のラウンドアップ耐性遺伝子が組み込まれたナタネ品種を栽培しました シュマイザーさんによれば、このGMナタネの花粉が風にのって彼の畑に飛んできて交配拡散し、彼が一九七四年以来種子を自家採種しなから栽培しつづけてきた700エーカーの従来品種ナタネを汚染してしまったそうです。
しかしモンサント社は、自社が特許を保持する遺伝子を含んだナタネ品種を勝手に栽培することによって知的所有権を侵害したとして、シュマイザーさんを起訴しました。裁判所は、どのようにして問題の遺伝子がシュマイザーさんの畑に入ったかを問わず、「カナダの特許法はシュマイザー氏が自分の畑で、GMナタネを栽培したことでモンサントの特許を侵害した」との判断を下し,企業側の主張を認める判決を出しました。(現在この訴訟を最高裁に持ち込まれています)
種子に対する特許は,ごくわずかのアグリビジネス企業にとてつもない経済力を与えます。こうした企業は自社製品を世界的な規模で販売しますが、その価格は決して安くありません。パイオニア・ハイブレッド社が開発したハイブリット病害虫耐性トウモロコシ品種には16の特許保持者が保持する38種類の特許がからんでいます。また、農家はさらに、次に購入する種子や自分が生産する次世代以降の作物や動物についても、そのたびごとに特許使用料の支払いを求められることになります。許可を得ずに、また定められた特許使用料を支払わずに、前作の収穫からの種子を保存することは、違法とされます。このようなシステムは、農家を多国籍アグリビジネス企業に完全に依存させるものです。第三世界諸国は壊滅的な影響を受けます。そしてこうした中で南側諸国の農業の、北側アグリビジネス企業への依存は制度化されてゆきます。その結果、アグリビジネス企業がよくうたい文句にしているように、飢餓にあえぐ南側諸国の人々に食料が提供されるのではなく、実際には逆に、さらなる食料不足と飢餓が引き起こされることになるでしょう。
西アフリカでは、ベリー品種プラゼインは強い甘味をもつ果実として広く知られています。このベリーは砂糖よりもかなり甘く、その他の代替甘味料(砂糖以外の甘味料)とは異なり、過熱されても味が損なわれません。このため、年間売り上げが1千億ドルにも達するノンシュガー製品の業界にとっては、まさに理想的な甘味料といえます。アメリカのウイスコンシン大学の研究者が、西アフリカで人や動物がこのベリーを好んで食べている様子を見て、このベリーから分離したたんはく質に対する特許をアメリカとヨーロッパで申請しました。プラゼインをつくりだす遺伝子組み換え生物の開発も現在すすめられています。これが成功すれば、南アフリカでこのベリーを栽培する必要性がなくなってしまいます。
ブラゼインが「ウイスコンシン大学マディソン校の研究者による発明」であるという大学側の主張はまったく突拍子もないものだと、ほとんどの人は考えるでしょう。しかし、同大学はいまのところ、幾世代にもわたってこの植物を育んできた西アフリカの人々に、この「発見」から得られる利益をいくらかでも還元しようという考えは一切もっていません。コミュニティーが守ってきた知識や、維持向上に向けて取り組んできた努力は認識されることもなく、報われることもないのです。
ハプアニューギニアのハガハイ族は1984年にはじめて「外界」と接触しました。その結果彼らは、これまで接触のなかったさまぎまな新しい病気にも触れることになってしまったため、自分たちの命を救うのに必要な予防接種を施してくれる海外の研究者とコンタクトをとることにしました。しかしこのときこの研究者は、破らのDNAサンプルを採取し、アメリカに送ったのです。その後の研究により、ハガハイ族が白血病やその他いくつかの病気に対して免疫をもっていることが明らかになったため、アメリカの研究者らはハガハイ族の人の遺伝性質に関する特許をアメリカで取得しました。血液を採取された原住民はこのことについて一切知らされませんでした。(その後、国際的批判が高まったため、この特許は取り消されました)
乳がんのスクリーニング検査に使われる二つのヒト遺伝子の特許を保持するアメリカの企業が、イギリスの公共資金で運営されている研究所に対し、この遺伝子を使った遺伝子検査を実施するたびにロイヤルティーを支払うよう求めました。アメリカ企業側は、イギリスの研究所が検査費用としていた額の倍額を請求しています。
アメリカ国内の研究機関の所長に対するアンケート調査では、四人に一人がバイオテクノロジー企業に雇われた弁獲士から、アルツハイマー病や乳がんなどさまぎまな疾患の臨床実験の中止を命令する手紙を受け取ったことがあるそうです。事態を憂慮したアメリカ人医師および研究者のグループが以下のような声明を発表しました。「医師や臨床実験機関による遺伝子検査の実施を阻止するために、特許権を持ちだしたり法外な特許料を課したりすることは、医療の受給を制限し、質を脅かし、不当に医療費をつり上げるものです」。
アメリカは、世界貿易機関の知的所有権の貿易関連の側面に関する協定−特に第27条3項(b)−を通じて、世界のすべての国々にアメリカの特許制度を押しつけようとしています。協定は、人間の健康を守ると同時に、被害を受けやすい立場にいる第三世界諸国の零細農家と環境を守ることができるように、書き直されるべきです。見直し作業をおこなう際の主軸は、すべての生命体は私たち人類と私たちの住む地球の共有財産とみなされるべきものである、という共通認識の確認です。現行協定の偽善性とは、遺伝資源の保獲を怠る一方で、北側諸国の多国籍企業に利益をもたらす遺伝資源に対する特許取得を促進していることです。これは『自由貿易』などではなく、世界的な規模で独占状態を構築しようという策略です。
さらに詳しい情報については
〒399-4111 長野県駒ヶ根市北町9−11
Eメール lifejapan@sirius.ocn.ne.jp
(聖コロンバン会はこの運動を支援しています)
6・7月の庭作業予定
鵠沼3区 平野 勝
6・7月は庭作業は忙しい時期です。既に終了した作業もありますが、人手不足のため、まだ手をつけてない作業も多いので、手伝ってください。時々「お手伝いしたいが、何をやったらよいか、わからないのでとの声を聞きますが、大いに当てにしています。短期間の週末の予定表はレオの小屋の掲示板に張り出してあります。自分が出来る作業、やりたい作業に見合った身繕いでおいでください。道具だては総て揃えてあります。道具・資材は自由に使って結構です。作業が終わったら必ず出来るだけの手入れをして、元の位置に戻しておいてください。作業方法や加減の分からない人は、総務部長かレオに聞いてください。
土・日と祭日には、ミサ後、汗流すレオのグループが働いていますから仲間に入ってください。現時点では、労災は適用されませんので、安全第一に願います。この時期は特に、曇りの日には蜂が低いですから周りに気をつけてください。
雑草採り 正門、裏門、祈りの庭、事務所前の雑草をとってゴミ袋に入れ、集積 場に置きます。火・金早朝に業者が処理します。聖堂周りの雑草採りは(毎日の男子便所清掃も含めて)お泊さんホームレスが やっています。雑草とはその美点がまだ発見されていない植物をいうそうです。疑わしき時は触らないことにしましょう
花あとや摘果あとの剪定・お礼肥・消毒 ウメ、ハナモモ、カイドウ、ツツジ、サツ キ、バラ、ツバキ、盆栽十二鉢など
ブドウの枝の誘引、消毒、傘掛け、脇芽 摘み
聖堂北のベニカナメは小田急駐車場との目隠しになるように剪定する
その他のベニカナメは、垣根としての刈り込み剪定をする
今年移植するベニカナメは 駐車場からセンター 204、203、302のテラスに移す。夏期中にセンターを利用する責任者には、植込みの土が乾ききらないうちに撒水をお願いします
サクラなど高木消毒は、早朝のクレーン車利用のため業者に依頼する
その他の消毒は、石灰硫黄剤・オルトラン・スミチオンなどを撒布済ですが、今後の状況を見て対応しましょう
聖堂内の観葉鉢を、戸外に出して外気を吸わせ、葉を洗浄する
門かぶり松 みどり摘み、整形
常夜灯の点検整備 祈りの庭・いこいの庭
正門のソテツ移植 道路にはみ出すので、シダレサクラの隣に移す
聖堂内の床まわりの通風口を開け、十月末に閉める。大扇風機三台を物置から搬入しセットする
聖堂回廊下の整理整頓 教会用具と私物置場を区分する
聖堂回廊上の整理整頓 ガラス戸・網戸・回廊を水洗いする
教会東の塀際の美化作業 雑草雑木ならびに、蔓・はみだしベニカナメなどを削除する。脚立も必要な危険を伴う仕事です。三人以上で取り組んでください
草花に関しては、藤沢二区の平野和子さんにお尋ねください
(普段から疑問に思っていること 聞いてみたいこと何でも聖堂内の質問箱にお寄せください) Q カトリック墓地を手に入れたいと思っているのですが、どうしたらよいでしょうか、教えてください。 A カトリック墓地はごく限られたところにしかありません。特に湘南方面では数少ないです。 その中で鎌倉カトリック墓地は現在 ごくわずかしか残りがありません。ただ、そこに隣接している納骨堂は現在、改装中で今年の十一月頃に出来上がる予定だそうです。そうすると、少し余裕が出来るとの事です。 そのほかでは、大船、戸塚教会の納骨堂では、お骨を持っていて納骨する場所がない方に限り相談に乗っていただけるとの事です。 国府津教会は満杯ですし、甘沼カトリック墓地は茅ヶ崎、平塚、二宮、大磯教会の信者のみが対象です。なお管理は茅ヶ崎教会です。 藤沢教会としては、墓地の問題を具体的に考えていかねばならない時期に来ていると思います。 これに関して、関心のある方、ご意見のある方は聖堂内の「葬儀に関する質問箱」に投書するか、直接当メンバーにお話くださっても結構です。 |
4日(金)初金ミサ・例会
13日(日)日曜学校終業式
19日(土)〜20日(日)教会学校キャンプ