八 角 形 に ゅ ー す
2004年1月12日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
新年おめでとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マーフィ神父
中高生会の合同例会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中高生会 宮内
「第31回藤沢市民クリスマス」を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 梅澤
洗礼を受けるまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中学校3年 小林
洗礼の喜び・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 古武
聖劇「イエス様のご誕生」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校
湘南台センターファミリー・クリスマス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 石井
鵠沼ブロックの集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 石黒
お隣さん、こんにちは!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北ブロック 荒井
「カンボジア福祉基金藤沢」の皆様へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・JLMMカンボジア 鎌田
キジト神父様を訪ねて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 宮内
仏教とキリスト教(5) ・・・仏教の空と無・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子
ふくらしまんじゅう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼三区 平野
新年おめでとうございます。
マーフィ神父
新年になると、前の年にあったことを思い返し、また、この新しい年にはどんなことが起こるか希望に胸を膨らませたりします。
私自身、昨年を振り返ってみるといろいろな思いが甦ってきます。嬉しかったこと、悲しかったこと困難に遭い、また乗り越えてきたこと、周りの人々を通してたくさんのお恵みを頂いたことなどを思い出します。この小教区の人たちと共に過ごし、語り合い、祈り、学んだこと、聖週間や復活祭、バザーやクリスマスのために準備したことなどは、いつものことではあっても大きな喜びでした。また、長崎に巡礼に行って、殉教者や隠れキリシタンが生活しまた亡くなった場所を訪れたことはとても印象に残っています。
一方で、イラクでの戦争で多くの罪のない人が亡くなったこと、世界中でエイズが猛威をふるっていることなどは悲しい出来事でした。また身近なところでは、この教会の信者の方や、スコットランドにいる私の義理の兄、また神学校のときの同級生で、保土ヶ谷教会で働いていらしたカラン神父様が亡くなったことは深い悲しみでした。
それでもなお、2003年を振り返ると感謝の気持ちで一杯になります。神様が下さった信仰の恵みというすばらしい贈り物に感謝せずにはいられません。このお恵みを充分に大切にできなかったこともありましたが、信仰により、喜びは深められ、悲しみは慰められました。私たちが病気や無力さに苦しむときには信仰が力となります。正義、平和、喜びに満ちた神の御国という観点からものごとが見えるようになり、いくつになっても勇気を持つことができます。私たちの永遠の住まいとなる神の御国を築くように今年も共に歩み続けましょう。
また信仰により、この新しい年を勇気、確信、希望に満ちた目で見ることができます。今年起こること全てを予測することはできませんが、「神を愛する者たちには万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8・28)と書かれているように、恐れることは何もありません。
最後に一つ、今年の予定として皆さんにお話しておきたいことがあります。コロンバン会の管区長と相談し、司教様とお話した結果、私は今年日本を去り、アイルランドに帰ることにしました。私が藤沢教会で働くのは復活祭までとなりますが、五月の終わりまでここにいます。藤沢教会で皆さんと働くことは大きな喜びでしたので、アイルランドに帰る決心をするのは容易なことではありませんでした。
20年前に日本に再び赴任してきたときから、自分が健康で宣教活動を続けることができるのであれば、65歳、70歳になったときにそれぞれ自分の進退について考え、70歳になったら主任司祭の職からは退こうと決めていました。また、健康であれば、小教区での仕事を75歳になるまで続け、そしてアイルランドに戻ろうと決めていました。テハン神父様やハンラティ神父様は私の決意に賛成してくれました。アイルランドでは、コロンバン会の宣教活動に何らかの形で関わっていきたいと思っています。
とりあえず、まだ数ヵ月はこの教会で皆さんと一緒に働きます。お互いのために祈り続けましょう。
教会委員会報告(12月18日)
既にブロック委員を通して配布されている来年度年間スケジュールを確認した。一部に未確定もあるが、実施の都度確認することになろう。委員会の年間予定も併せて確認した。本年度と同様、教会委員会は原則として毎月第三土曜日午後三時から、運営委員会は第二木曜日午後七時から行われる。八月はいずれも休会。詳しくは別表参照。なお、1月17日(土)は午後二時から新委員・新活動部長の顔合わせ、午後五時から新旧委員活動部長の懇談会が企画されている。新任活動部長は前月に加え、新たに福祉部長・曽根和子、広報部長・福井敏之のお二人が紹介された。
財務部から既に横浜教区に提出済みの来年度予算が報告された。年間収入見込みは5千8百万円、支出見込みは6千6百万円で、単年度では約8百万円の不足が見込まれている。この内、司祭給与分担金による影響が約6百万円と計算されているが、これまでの蓄積もあり、すぐに資金不足に陥る心配はない。来年度は先ずは経費削減の検討が必要とされている。詳しくは別表参照。ブロック・活動部の予算は一部修正のうえほぼ原案どうり算入されている。
クリスマス・新年ミサの準備の報告・検討を行った。クリスマス八時後のパンとココアのサービスは辻堂二区が行う。
12月6日(土)福祉部例会で前月記載の配分基準に基づき検討されたバザー収益金の配分先が報告された。討議の中で、
「カンボジア福祉基金藤沢」及び「ESAアジア教育里親の会」については、昨年の水準を維持する。他の海外関係は差異をつけがたいので同額とする。
「ホームレス支援の会」は給食経費の漸増が見られるほか、求職や居住に関する経費の援助を考慮する。
「救急の会」は支援要員の補強や対応する外国人を広げていくことの先駆けとして増額する。
「NPOライナスの会」は今後当教会からの係りを進め、更に学ぶ必要がある。
「NPO横浜マック」(アルコール依存症支援)は関心をもつような普段の働きかけが必要。
昨年の「ビンセンシオ」「信徒宣教会」は他からも支援があると思われるので保留した。「マドレーヌの会」は今回辞退された。
等の判断があったことが紹介されたが、福祉部内でも絞込みに苦慮されたようである。来年度までに決定をどのようにするか考えたいとしている。
委員会では前記提案をもとに質疑応答が行われたが、基本的には全員一致で承認された。
これまでに解決済みの課題と今後の課題が確認された。詳しくは別表参照。
2月15日(日)に行われる信徒総会のテーマおよび資料作りの手順が話合われた。テーマは「ブロックと活動部の連携・融合(仮題)」で、私たち一人ひとりが教会運営にどのように係われるか、活動部の働きをより充実したものにするためブロックの協力をどのように期待されるかを考えていこうというもの。各ブロック・活動部から、これまでの歩みとともに展望・課題を1月15日頃まで文書で提出いただき、財務報告等と併せて二月初めには資料を整えたいとしている。
11月30日ブロック集会を実施、ブロック活性化について話し合った。
2月8日(日)新年会を予定
新旧連絡員引継とブロック活動の反省・方針を検討。
来年1月10日(土)片瀬教会で黙想会を予定している。指導はマリオ神父
5月9日(日)新人歓迎会を予定。
12月7日(日)新旧引継連絡会を行った。
11月30日(日)新旧引継連絡会を行った。
クリスマス案内等12月上旬から新旧委員で各家庭に配布
1月4日(日)当番ミサ勉強会を予定。
11月16日(日)ブロック集会
11月28日(金)新旧役員会を行い、12月初金後クリスマスの予定、新連絡網等を配布。
1月10日(土)17時より新年会
1月18日(日)防災訓練を行う。今回は大掛かりなことはせずお聖堂からの避難訓練のみとする。
12月16日(火)第二回福祉活動連絡会を行った。ごミサ後の販売等について、取敢えず決め、一月から実施して行くこととした。取決め事項は別表参照。なお、「ぶどうの木」の利用に伴い暖房設備の設置を検討願いたい。
12月6日(土)市民クリスマス、今年は参加人員がやや少なかったが、献金も多くスリーグレイセスの出演もあり、炊出しも好評であった。
クリスマス
12月24日(水)20時ミサで12名の受洗式・堅信式が行われる。
12月25日(木)9時半ミサで3名の幼児洗礼。
なお、新しく来られた方への案内を準備している。
来年からキリスト教入門講座を新たに開講の予定。
12月13日(土)中高生会・青年会・土曜学校・日曜学校それぞれが教育部全体との係わり、教会との係わりについて話合った。年齢層が違うのでこれまで活動がばらばらであったが、もう少し纏まりもっていこうというこことになっている。
12月14日(日)近隣教会中高生の例会がもたれた。詳しくは後記参照。
12月24日(水)17時子供のミサ後サンタクロースにお菓子を配っていただく。
12月7日例会を開き、来年度計画をたてた。
1月4日(日)新年会14時〜17時新年会、初顔あわせの場としたいので、委員会メンバーも出席して欲しい。
メンバーから日本の料理を教えて欲しいとの希望があり、2月29日(日)「一緒に作って食べよう」として豚汁とお赤飯で行うこととした。これにも皆さんにできるだけ参加していただきたい。
前回報告のとおり、11月29日クリスマス飾付け完了、湘南台は12月6日となった。
撤収作業は1月10日(土)を予定。
片瀬教会で「信徒会館兼司祭館」の建直しを行うことになった。教区から「第5地区の他教会からも意見を聞きながら、建設計画を進めることが望まれる」との指示があったとして当教会にも案内・依頼状が届いている。
12月26日(金)雙葉学園で横浜教区司祭団として、一年の最後の感謝ミサ及び濱尾大司教の枢機卿親任式の祝賀会を行う。
マーフィ神父が2004年5月末で故郷のアイルランドにお帰りになる。
福祉部からの要請もあり、「ぶどうの木」に壁掛け式空調機を取付けたい。9万円程度の予算。
(1) ミサ後の募金・販売等の場所の設置について
駐車場の出口寄りのスペースにテーブルを合計8台まで分散して並べる。1日曜日に10グループを限度にテーブルを使う。
場所を使う希望グループは1週間前の日曜日までに教会事務所に申込む。
テーブルは使用するグループが設置する。
雨の日は聖堂南側回廊又は「ぶどうの木」を使うことを検討する。
指定の日曜に出店するグループは現在のところ次のとおり。
第1日曜日 マドレーヌの会
第2日曜日 マドレーヌの会
第3日曜日 マドレーヌの会・ウガンダの会・カンボジア福祉基金
第4日曜日 手を貸す会
第5日曜日 マドレーヌの会
共助組合の販売も同じ場所にするよう要望する。中高生会のドリンクデスクは当面現在の場所でよいが、状況によっては福祉テーブル近辺への移動も考慮する。
(2) 「ぶどうの木」の利用について
金曜日と土曜日を定期的に使用する。
使用の目的は販売・PR・募集などを試行して工夫を図る。場合によってはストールなどを置いて話ができるような工夫も試みる。
金曜・土曜以外の日に福祉施設のためのフリーマーケットとして提供できないか検討する。利用の手続きなどは使用しながらでも更に検討する必要がある。
(3) ミニバザーについて
ボーイスカウトが年間行事として5月にバザーを開催する機会に、ミニバザーを同時開催できるよう関係者で協議する。考えられる態様としては、バザーに使う場所を限定する。
一般参加者は売上から経費を差引いた収益の1割を教会に寄付する。
中高生会の合同例会報告
中高生会 宮内
12月14日(日)に、カトリック雪の下教会において、雪の下、磯子、鍛冶ヶ谷、藤沢の四教会による中高生の合同例会が行われました。中高生約25名、リーダーも含めると30名を超える参加がありました。
プログラムは、10時30分の主日のミサに与ることから始まり、レクリエーション、昼食、グループに分かれての分かち合いという内容でした。分かち合いは、少人数の(6人)のグループに分かれ「クリスマス」をテーマに行いました。合間に絵本を読むなどして、クリスマスは何の日か、何をする日かということを考えました。
「貰うことではなく与える」「自分のことではなく周りの人のことを考える」をリーダーからのメッセージとして伝え、最後には自分が今年のクリスマスに何が出来るか、何をしたいか、ということを全員が一人ずつ発表しました。
最後は「きよしこの夜」をみんなで歌い散会しました。初めての試みでしたが、リーダーにとっても子供たちにとってもよい交流の機会になったと思います。今後もこのような場を持っていきたいと思います。
「第31回藤沢市民クリスマス」を終えて
辻堂2区 梅澤
主のご降誕を待ち望む12月6日(土)に今年も藤沢市内キリスト教連絡会が主催する「藤沢市民クリスマス」が当教会で開催されました。今年は第一部の「祈り」では藤沢バプテスト教会の小川牧師を司式に、そして、メッセンジャーには当教会のマーフィ神父様をお迎えいたしました。マーフィ神父様のアイルランドでの幼少の頃の心温まるお話、それにイエス様のお生まれになった意味と現代に生きる私たちのへの神様からの呼びかけのお話は、私たち信徒はもとより、一般のかたがたの心にも熱く残ったことでしょう。
第二部の「調べ」ではスリー・グレイセスの軽快で楽しいジャズ・コーラスの世界に身も心もワクワクと、ご出席いただいた425名の方々と共に楽しいひとときを過ごしました。
第三部の「愛餐会」も早くから各教会の方々がご奉仕いただいたお蔭で沢山の皆さまに暖かく美味しい豚汁とおにぎりを振る舞うことが出来、今年度の副代表を仰せつかっております私はホットいたし、胸をなでおろし神に感謝いたしました。
この会も発足して32年、(途中一回だけ開催されない年がありました)現在は藤沢市内の24の教会、団体で構成されており各々の教会の教師と信徒による教派を越えた会で、市内の教会活動を相互に強め、支援しあい、イエス・キリストの生涯を学び、その教えを広める活動を行っています。
今ではすっかり定着しました「火曜パトロール」の働きも、この会での呼びかけにより超教派の働きにすることが出来たかと思います。今年も日本の、世界のあちこちで信じられないような暗いニュースが後を絶たず、苦しんでいる人、哀しんでいる人が大勢います。そんな中で、これからも教会が、今も生きて働いておられるイエスさまの愛の心を一人でも多くの方々と分かち合いたいと思います。尚、当日の席上献金は15万5258円でした。「藤沢市愛の輪福祉基金」と「YMCA国際協力募金」に用いさせていただきます。
次回「32回藤沢市民クリスマス」にはフォークシンガーの新谷のり子さんをお迎えして開催される予定です。どうぞ、皆さまのお祈りとご協力をよろしくお願いいたします。
主の平安
洗礼を受けるまで
中学校3年 小林
今回、僕が洗礼を受けようと決心したのは三年前の母方の祖父の死があったからです。以前は教会に興味がなく、学校で授業を受ける程度でしたが、大好きな人の死に直面したときに真逆と言っていいほど、僕のキリスト教に対する考え方が変わりました。母は昔、僕たちくらいの頃に、洗礼を受けていたのであとは父と僕の二人でした。キリストを少しでも多く学ぶために、「キリスト教講座」を受けることにしました。父は祈りの講座を受けたことがありましたが、僕は初めての講座だったので、何を話してよいのか分からないということが度々ありました。でも学校がプロテスタントで、聖書の授業を受けていたことと、周囲の方の助けもあり、回を重ねるごとに自分で考えて発言ができるようになりました。
家へ帰り、母にその日の講座での内容などを話すと、母は凄く嬉しそうな顔をしていました。「祖父の死に直面したときに」と先程書きましたが、他にも色々、キリスト教への第一歩を導いた出来事があります。それは、祖父の葬儀の時のことです。僕の想像していた葬儀は、木魚を叩くお坊さんが祖父を成仏させてくれるということで、教会で行うなんて考えもしませんでした。祖父が、毎週日曜日に教会に通う信者であったことを、うっかり忘れていました。実際は聖歌を歌い、別れというよりもより上の世界へ旅立っていったという感じでした。初めての経験だったので驚きましたが、もし自分の旅立ちの日が来た時は、絶対に教会でやりたいと思いました。祖父のお墓参りに行き、そのことを祖父に報告すると、何だか喜んでいたような気が本当にしました。母が以前から一度教会へ行ってみなさいと言っていた理由が、やっとその時に分かりました。講座も終盤にさしかかっている時に、やっと洗礼というものの大切さが分かりました。僕が洗礼を受けるにあたって最も望んだことは、やはり祖父にまた会いたいということです。きっと会えるでしょう。
これからは、今まで講座で色々助けてもらった人達や家族への感謝の気持ちを込めて、神様に祈りたいと思います。今回父も一緒に受洗という恵みを受け、幸せに思っています。また、姉の学校、聖園学院でお世話になっている、シスター清水、シスター橋本、シスター奥にも式に来ていただき嬉しかったです。ありがとうございました。マーフィ神父様、浮田さん、小藤さん、福井さん、式さん、そして一緒に講座で学んだ皆さん、お世話になり、また可愛がってくださり、ありがとうございました。皆さんこれからもどうぞよろしくお願いします。
洗礼の喜び
藤沢1区 古武
5年前、私は夫が退職するのを楽しみにしておりました。退職前の7年間を、夫は大阪で単身赴任をしておりましたので、藤沢へ帰ってまいりましたら、その分まで二人で大いに楽しもうと思っていたのです。ところが退職して帰ってきた夫は、まるで一人で生活しているかのように振るまい、私はただただ驚くばかりでした。それでも二年間は、私なりに一生懸命やってきたつもりですが、ある時パニックに陥り、どう接していいか分からなくなってしまい、気が付いたら教会を訪ねていました。
事務所におられた方が、何も聞かずにとても優しく接して下さって、キリスト教入門講座があることを教えてくださり、入門講座に入れていただき、今日まで3年間勉強してまいりました。講座は二回目になりますが、講座で出会った皆様がとてもいい方ばかりで、毎週講座へ出るのが楽しくて、毎週充たされた気持ちで家に帰ります。講座へ通うようになってからは、夫との関係も少しづつよくなり、ホッとしています。講座で教えられた、あるがままの自分を受け入れて先ず自分を愛し、それから前向きにどうするかを考えると
いうこと、日々自分らしく感謝の気持ちを持って生きるという事、等々、共感を覚えることが多々ありました。
人間は例え夫婦であっても、死ぬ時は一人ですし、病気になっても一人で病気と戦わなければなりません。そんな時、神様が側にいてくださったらどんなに心強いか知れません。所詮人間は一人では生きて行けない弱いものですから、私は、生涯神様に支えていただこうと思って、洗礼を授けていただきました。その瞬間はとても感動しました。今日からはもう一人ではなく主と共に、共同体の皆様と共に歩んで行けるという安堵感と、生涯勉強する目的が出来たという幸福感でいっぱいです。
夫とずっとすんなり来ていたならば、謙虚さの微塵もなく倣慢な生涯を終えたかも知れません。そういう意味でも夫に感謝をしておりますし、洗礼を授けてくださった神父様、事務所の受付で優しく接してくださった方にもとても感謝しております。それに私の悩みを親身になって聞いて下さったリーダーの方には言葉では表せないほど感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。これからの人生が喜びと希望に充ちたものになりますように、努力すると共に聖霊の導きを願い祈りたいと思います。
週日なのに、聖堂は今年も満員でした。聖劇を見たい人たちが年々増えているようです。「聖劇の筋書きは毎年同じなのに、見るたびに感動します」と常連の古老たちが、感慨深そうに話していました。子供と家族のミサが終わって、司式のマーフィ神父様と侍者たちが聖堂の入口から退出するのと入れ替わりに出番待ちのサンタさんが入ってきました。右に左に「おめでとうございます」と挨拶しながら歩いて会場の中央までくると、待ってましたとばかりに、小さなお子さんたちに囲まれました。これに刺激された小一、二年生も加わってサンタさんは話しかけられたり、帽子の飾りを引っ張られたり、担いでる福袋もつつかれて中の風船を破かれたりで立ち往生し、とても話の出来る雰囲気ではありませんでした。サンタさんは何回か話を試みましたが不調に終わり諦めて外に出ました。こうして今日の行事は終わりましたが、サンタさんも結構楽しそうでした。一年に一回しかもてないからでしょう。
サンタさんが、今日予定していた話の原稿には次のように書かれていました。
「感動的な聖劇を見せてくださった教会学校の皆さん、ありがとう」「聖堂の内と外の素晴らしい飾りつけをしてくださったレオの小父さんたち、ありがとう」「皆さんは、ご自分の誕生日には、お家の人やお友達から誕生祝いをもらいますね。お友達の誕生日に招待されたら、何かお祝いを持っていくでしょう。イエス様の誕生日のクリスマスにはイエス様に何を差し上げましたか。差し上げてないのにイエス様からクリスマスプレゼントを戴くのは、何か変ですね。聞いた話ですが、教会学校ではクリスマスにイエス様に喜んでもらうために、沢山の善いことをしたそうです。寒いのを我慢してミサに与ったり、弁当持参で聖劇を熱心に練習したりおうちでは沢山の手伝いをしたり、有難う・ごめんなさいを言い忘れないようにしたり、お年寄りや体の不自由な方にも優しくしたことなどを、イエス様に誕生祝いとして差し上げました。イエス様はとても喜ばれて、そのお返しにクリスマスプレゼントをくださることになったのだそうです。これを聞いて私はとても感心し、嬉しくなりました。クリスマスプレゼントはイエス様からのお返しだそうですから、遠慮しないで戴くことにいたしましょう。
まだ、イエス様に何も差し上げてない人は早く差し上げるようにいたしましょう。何でもいいんです。一つでもいい、小さくてもいい、それを出来た時に他の人たちと同じようにクリスマスって嬉しいなあ、楽しいなあと思うようになりますよ。
私はこれから戦争や災害で、食べる物もない、着る物もない可哀相な子供たちの所に、プレゼントを届けに行きます。昨年はトナカイの・ルビ・橇・そり・に乗って行きましたが、今年は天使の背中に乗って、天使の背中の大きな羽根と羽根の間に座って大空を飛んで行くのです。超スピードで行きます。素敵でしょう。一緒に行きたいですか? 連れて行きたいけど、残念! 一人で満員なんです。それで、私を運んでくださる天使と打ち合せをするために、さっき天国まで行きましたが、小さな天使たちは皆、藤沢教会の聖劇に出掛けて留守でした。他の天使たちは、集まって大きな声でグロリアを歌ってクリスマスを祝っていました。その中にはラファエルさんも、ガブリエルさんも、私の洗礼名のミカエルさんもいました。もう直ぐ天使が私を迎えに来ます。時間がありませんからサンタさんのお話はこれでおしまい。サンタさんのお話が短いと、皆さん嬉しそうですね」
「外でプレゼントを貰ってください。そして気をつけてお帰りください。さようなら」
聖劇「イエス様のご誕生」
日曜学校
今年も約100名の子供たちが午後5時のミサで福音朗読の代りに聖劇をいたしました。限られた時間内での稽古のため、ぎりぎりまで大変でしたが、ミサではよくがんばってくれました。また、この日の奉納は、子供たちが毎日の生活で行った祈りや手伝い、親切などを心のプレゼントとして赤ちゃんのイエス様に捧げました。
聖劇には人を引きつける力があるように思われます。子供たちはこのお話が大好きです。そこには私達の予想も出来ない不思議なドラマがあります。主の降誕は、考えれば考えるほど神様の素晴らしい愛の働きがあり、出て来る人びとの深い信仰があるからでしょうか。
子供たちと共に「主の降誕」を祝うことの出来た恵みに感謝すると共に、聖劇に関わっていただいた皆様にお礼申し上げます。
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はじめての聖劇 6年 梅田
私は聖げきははじめてです! 学者の役はとてもかんたんでセリフもおぼえやすかったです。自分でもその役はけっこう気にいっていました。本番の時、あまりきんちょうしませんでした。とてもたのしかったと思います!!
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楽しかった聖劇 6年 木口
最初は悩みましたが、引き受けて良かったです。「楽しかった!」本当に良い体験が出来ました。ありがとうございました。
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ヨゼフ様の役 6年 原田
日曜学校で、六年間聖劇をやってきましたけど、今回のヨゼフ様の役が、自分では一番良く出来たと思いました。
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聖劇の練習と本番 6年 萩原
一日目、練習の時はあんまりうまくできなくて誰ともしゃべれなかった。
二日目、一日目よりは練習もまあまあできた。けっこう友達とも仲良くしゃべった。
本番、なかなかおもしろかった。
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聖劇の感想 大渡
私は小学生最後の聖劇の役をマリア様にしました。なぜかというと、幼稚園のときにもマリア様の役をしてとても楽しかったからです。練習は大変だったけれど、本番上手にできてすごく嬉しかったです。今、私には一年生の妹と、いとこの女の子がいます。その子達(どちらか一人)にも、マリア様の役を演じてほしいです。
湘南台センターファミリー・クリスマス
湘南台 石井
12月25日、湘南台センターにてファミリー・クリスマスが行われました。
予想をはるかに上回る、40名ものお友達が集まってくれました。用意していただいたブルーシートが見えないほどでした。初めて参加してくれたお友達も多かったのですが、あっという間に仲良くなって、楽しい時間を過ごすことができました。
ピアノ伴奏に合わせて歌ったあと、テハン神父様のお話を聞き、みんなで「マリア様へのお祈り」を唱えました。みんな上手にお祈りできました。小さな手を合わせてお祈りする姿は、天のお父様やマリア様にご覧いただけたでしょうね。
クリスマスの紙芝居に始まり、テハン神父様と野澤先生によるフルート合奏。いつも教会でお会いする神父様とは違って、ピカピカのフルートを吹いていらっしゃるお姿に、子供たちも大きな拍手! きれいな音色でした。折り紙の野中先生のご指導でサンタさんも折りました。スペイン語クラスのお友達による楽しい踊り、色鮮やかな衣装にみんな思わず声が出るほどでした。ビンゴゲームも盛り上がりましたね。帰りには、テハン神父様から一人ずつお菓子をいただき、「また合おうね!」と手を振ってみんなでさよならしました。
楽しいクリスマス会を企画、準備してくださいました湘南台センターのスタッフの皆様ありがとうございました。
鵠沼ブロックの集い
鵠沼2区 石黒
はじめに、清水ブロック長より「ブロックの皆さんのご協力を得て今年度計画が順調に終了しました」とのご挨拶で始まりました。
続いて、最近の教会委員会報告が披露されました。「教会の命」である福祉活動の方法について討議されていること、具体的な提案を討議する「福祉連絡協議会」が発足したこと等々。
次に、八子・新ブロック代表のご挨拶、地区連絡員の方々のご紹介。更に、福祉部ブロック代表に井上夫人が選出されました。来年度宜しくお願いします。
ここで、片桐委員長よりご挨拶を頂戴。「はからずも主任司祭のご意向で、もう一期を務めさせていただくことになりました。皆様のご協力をなくしてはやって行けないので、よろしくお願い致します」全員が拍手でご協力を約束しました。
食事をしながらの懇談。ご近所の気軽さから話が弾みます。一段落しました所で、グループに分かれて「ブロックの活性化」について討議をしました。
当番月の仕事(掃除、葬儀等)のマニュル作成でみなが参加できるようにする。
家庭集会の頻度が少なくなった。地域でのミニ集会を検討したら如何か。
遠足、ブロック集会などイベントを増やし顔を合せる場を作っていく提案。
電話連絡網だけでは一方的な連絡で終わってしまう。少なくともブロック内の把握に努めたい。
現状では顔合わせの機会が少なく思える。
転入時に連絡委員さんが来訪され色々教えて下さり大変ありがたかった。ミニ集会など顔合せの場を増やそう。
良いブロック集会になりました。来年も皆様宜しくお願い致します。神に感謝。
お隣さん、こんにちは!
北ブロック 荒井
「わたしたちの体には多くの部分があるがそれらの部分がすべて同じ働きをしていな いのと同様に、大勢のわたしたちも、キリストにおいて一つの体であり、一人びとり互いに部分なのです」(ローマ12)
世界がもし100人の村だったら、33人がキリスト教徒。日本がもし100人の村だったら、キリスト教徒の数は・・。まず、この現実的環境の落差を思う。
あらゆる年齢層と知識と信仰の層からなるぼくたちのブロック。その信徒の方々と有意義で感動的な活動を行うことは至難の業。四苦八苦の思いや行動が、聖霊の助けによるのか、ときには一部の信徒から好意的に受け止められることもある。だからと言って、いつも聖霊にすがるわけにもいかないよね。どうしたらいいのだろう。
ぼくたちのブロックでの行動は、種蒔く人、畑、種そのもの、蒔き方の総合的課題として考えなければならないと思う。どれかひとつ欠けていたら、実りは期待できないよね。種蒔く人は当然平常の努力が求められる。けれど、それを受ける畑の側の問題も見過ごされてはならないよね。ぼくたち信徒は、自分の心の糧、慰めとして信仰し、この世に与えられた人生をどうにか耐えて生きる信仰は学んできたと思う。けれど、信仰によって自分を豊かに育み、キリストを体現して証する信仰は、納得いくほど習わなかったと思う。もともとそんなつもりで信仰に入った人は少ないのかも知れない。「自分の周りのことで手一杯で、とても教会のことまでは・・」
ぼくたちの生きている社会は、恵まれた豊かな社会だと思っている人は少ないと思う。ぼくたちは一体何を願っているのだろう。何を求め、何処に向かって行けばよいのだろう。何かを探し求めているよね。ぼくたちには、神が願っておられる道を探し出す道標があるよね。ぼくたち自身がその道標になろうよ。
毎週ミサに行き、祈るのが当たり前と思っているぼくたち。本当に信じるとは果たしてどういうことかしら。信徒であるということはどういうことかしら。もう一度、自分の信仰を見つめ直すきっかけをつかもうよ。
みなで祈り、惜しむことなく神からいただいた才能を活かして人と人と触れあう。互いの欠点は大目に見て、ありのままの姿の自分を互いに受け入れあって働こうよ。ブロックなんていう大業なことは考えず、まず、ご近隣の仲間の顔と顔を覚え、出会ったら笑顔で挨拶しようよ。こんなことなら、ぼくたちみたいな教会ノンキャリにもできるよね。「お隣さん、こんにちは!」
「カンボジア福祉基金藤沢」の皆様へ
JLMMカンボジア 鎌田
ご無沙汰しておりました。便りを出せない間も元気にしておりました。ご安心下さい。紆余曲折ありながら、先月の九月二十二日無事に日本からカンボジアに戻ってきてすぐにコンポンルアンに向かいました。手短に言えば、日本で一ヵ月半ほど過ごし、何とかコンポンルアンに帰ってきたとき、「ここに帰ってこれて本当に嬉しかった」と感じました。だから私は私をここに送り出してくれた全ての方々に対する感謝の気持ちでいっぱいです。力はないけれど、やる気はむくむくと湧いてくるのを感じました。
今私が知りたいことは何でしょう? カンボジアのこと? カンボジア語? カンボジアの文化? コンポンルアンのこと? 答えはどれもYESなのだけど、私が一番知りたいのは、やはり自分自身のことではないかと思います。最近自分のことが不思議になってきてしまいました。
カンボジアに行く前まで、私は自分はそれなりにどこかでどんな風にも生きていけそうな気がしていました。と、いうよりはそれはカンボジアで二、三年過ごして、言葉を勉強してカンボジアの人々とともに働いてみて、その後はまた何事もなかったように、日本で暮らすのだろうという気がしていた、という方が正確かもしれません。今、その当時のことを思うと、私はそんなことを思っていたように思います。
そう、何事もなかったように…本当に何事もなかったように…暮らせるのだと思っていました。カンボジアで一年二年と暮らしている間でさえも、私は、「きっとしばらくしたら、何事もなかったようにまた日本で暮らすのだろう、また私はそうしなければならないし、あるいは私はきっとそんな風にできる」という自信さえもあったのです。
今私はそのことを考えると、心臓がドキンと動くような気持ちになります。
「世の世の中ってそんなに上手くいくのだろうか。」
「私ってこれからそんな風に上手く器用に生きていくのだろうか?」
「それでは二年六ヵ月カンボジアで過ごしてきた私は何だったんだろうか?」と。
実際にカンボジアに暮らしてみた私というのは、実に、特に何事でもないような気がします。特にすごくカンボジア語が上手くなったわけでもないし、大きな大事業を成し遂げているわけでもない。だからきっと私は、もし日本に帰ったとしても、カンボジアでのことを懐かしみ日本で何気なく暮らしていけるのかもしれない。でも何故私が今このことを考える時に心臓がどきんと動くような気持ちになるのか、私は知りたいのです。
私の心の中から、たくさんのカンボジアの人々の笑顔や、悲しそうな顔が浮かんできます。
トンレサップ湖にある村、コンポンルアンに行き人々の生活を見るとやはり圧倒されます。小さなボロボロの船に住んでいる人たち湖の水をそのまま掬い取りがぶがぶ飲んでいる人たち、その水で水浴びもすればトイレもするし、お皿も洗うし…。これは本当に驚きです。これでもか、というほど子どもを叱るし、喧嘩もしょっちゅう。親は子どもを学校に行かせないし、カンボジア語が通じないし暑いし蚊は多いし…。私自身が途方にくれることもしょっちゅうです。でもなんだか私がここにいてもいいみたいです。
そんな中であるお母さんが小さなかわいい女の子を出産しましたが、お母さんも十分な栄養を取っていないせいかお乳が全く出ませんでした。だからといって粉ミルクを飲ませられるわけでもありませんので、コーンスターチを水で溶かしたものを子どもにあげていました。お母さんは「お乳が出ない、何も飲ませてあげられない自分も死んでしまいたい」とぼやき始めました。
粉ミルクの一キロ缶は約6.5ドルで売られています。貧しい家庭ならこのお金で家族全員の一週間以上の食費を賄っていることでしょう。食べ物もお金もその家にはなく、その家の小さな子どもは学校にも行かず、ほんのわずかなお金を稼ぐために、奉公に出て働いています。水の上で出会ったその子が働いている姿を私はただじっと見ていたら、その子が笑いもせずに私の顔をじっと見ていました。その子どもにしてみても小さなかわいい女の赤ちゃんにしてみても、生まれたときから必要なものを得ることが出来ずに、食べ物のこと、教育のこと、衣類のこと、自分の願いが叶わずに、一つ一つの小さな障碍を超えられずに、個人としての大切な自信が失われ大きな障碍を超えられずに生きていくようになるのではないかと思うのです。私はそんなことは本当は許せないことです。本当に彼らにそんな風になってほしくないのです。
私がそのことに接する時、人々に頼られます。でもそれは時に私にはすごく重すぎる仕事だし、途方に暮れるような出来事だと感じます。そして同時にそんなに助けてあげられることは出来ないのだと、わかるのです。ただ自分には全部は助けられないけど、話を聞いて、ほんの少しの支援をしていくということしか出来ない、ということが最近少しずつコンポンルアンの人々もわかってきてくれたような気がします。
キケ・バッタンバン代牧区地区長に会うと、私は勝手に「この人は私の師かもしれない」と感じます。彼の身の振る舞いや、発する言葉はなんだかいつも愛情に満ちていて、なんでなんだろうといつも不思議に思うのです。私は彼が折々に触れて書いていたり、話している以下の言葉が大好きです。
The word and the Good News is preached through our lives, our prayer, love, caring and the service to others. We do this also through our accompanime -nt and friendship, our ability to list -en to the people in need and sometimes through our words.
これは福音を宣教するということは単に御言葉の文章をのべ伝えることではなく、私たちは基本的に自分の生き方、態度、貧しい人々に寄り添うこと、友情を持って接すること奉仕を通して貧しい人々への愛を通して、祈りを通して、そして時には言葉を通して、福音をのべ伝えるのだ、という意味です。いつも心にとめておきたい言葉なのです。
11月11日の夜にはコンポンルアンで双子の赤ちゃんが誕生しました。その時もいろいろなことがありました。本当に興味深いです。そして水浴びプログラムもいよいよ開始! 次回はそれらのことについて報告したいと思います。それではまた。Chomliap-lia!!
キジト神父様を訪ねて
辻堂2区 宮内
昨年の8月15日から9月22日まで、東アフリカのウガンダという国に行ってまいりました。今回の旅の目的は、キジト神父様と再会し、彼が働いている現場をこの目で見てくることでした。ホセマリー・L・W・キジト神父様は、ウガンダのホイマ教区の教区司祭です。昨年の5月13日で銀祝を迎えられ、現在50歳です。今は、アルバート湖のほとりにあるルウェミサンガ小教区の司牧と共に、小教区内にあるキャングワリ難民居住区のチャプレンをなさっています。
神父様と日本とのご縁についてですが、1991年にコロンバン会の司祭の勧めで、初めて来日されました。2000年には栃木県で一年間農業の研修をなさったそうです。私が初めてお会いしたのは、2000年の8月でした。当教会の「キジト神父様をお助けする会」の浮田久子さんの勧めで、辻垣篤さんと一緒にキジト神父様を鎌倉にお連れしたのです。その際神父様に、いつかウガンダに来なさい、と言われたのが今回のウガンダ訪問のきっかけでした。
帰国なさった神父様とは文通を続け、一昨年から少しずつ準備を始め、お会いしてから三年目となる昨年の夏休みにやっとウガンダ訪問を実現することが出来たのでした。
ウガンダへはアラブ首長国連邦のドバイとケニアのナイロビを経由して入りました。神父様は約束通り空港まで迎えに来てくださっていました。本当にうれしい再会でした。
最初の一週間は、主に首都のカンパラにあるキジト神父様の妹さんのお宅で過ごしました。また、この間にウガンダ第二の都市であり、有数の観光地であるジンジャに連れていっていただき、ナイル川でのラフティング(川下り)も体験することが出来ました。このとき途中で誤って川に転落し、溺れかけました。まさかナイルでこのような目に遭うとは思ってもいませんでしたが、今となってはいい思い出です。さらにナイルの源流(ビクトリア湖とナイル川の境目)も見ることが出来ました。実際に見るナイル川は本当に大きく、迫力あるものでした。
カンパラではキジト神父様のもう一人の妹さんが経営する小学校を訪ねました。教室を一つ一つ回って子供達に挨拶しました。みんな日本人を見たことがほとんどないようで、珍しそうに私の顔を見ていました。とにかくかわいらしかったです。そして彼らの目はとてもきれいでした。ところでキジト神父様は両親のいない子供達を学校に送る活動をなさっています。これは小さな規模のもので、その子供達の何人かは神父様のご親戚です。この活動は日本からの寄付で成り立っています(「キジト神父様をお助けする会」からの寄付もこれに含まれます)。神父様の活動はこれに限らずほとんどすべて、日本からの寄付で行われているのです。
さて、カンパラを出る日、難民担当相の事務所に行きました。キジト神父様は月一回ここの会議に出ていらっしゃるそうです。私はそこで、難民居住区に入るための書類を書いていただきました。神父様がいらしたからこそ、こういうことが可能だったのだと思います。
カンパラの次に向かったのはカンパラとホイマの間にある、キバリ県のカクミロという村でした。キジト神父様はここに家と農園を持っておられます。日本で学んだ成果はまずここの農園で試され、洗練されていったのです。バナナ、コーヒー、トウモロコシなどの栽培や山羊、乳牛、鶏の畜産が行われています。もっとも神父様は普段はここにおられないため、神父様のお仲間達がここを管理しています。
家と農園の周囲は本当に何もなく、自然が豊かです。反面、水道はなく電気は発電機を使うしかありません。トイレももちろん水洗ではありませんし、ガスもありません。ウガンダ滞在中、カクミロとルウェミサンガでは今の日本では体験できない生活をすることが出来ました。確かに不便ではありましたが、慣れるとそれほど気にならなくなりました。カクミロで二日間過ごしたのち、ホイマ県のホイマ・タウンに向かいました。キジト神父様を含む八人の神父様達をお祝いする(金祝一人、銀祝七人)式典に出席するためです。ミサは司教様の司式によりホイマのカテドラルで三時間に渡って盛大に行われました。ミサの途中、子供達が何度も祭壇の前に出てきて伝統的な踊りを披露してくれました。このあたりはいかにもアフリカらしいな、と思いました。
ミサのあとの式典では、司教様にご挨拶したり、出席者全員の前で短いスピーチをさせられたりと、珍しい体験をたくさんさせていただきました。
式典の翌日、ホイマを出発しついにルウェミサンガ小教区に到着しました。ところでウガンダには鉄道がないため、移動はすべて車でした。キジト神父様の義理の弟さんが私のためにパジェロを貸してくださり、それに乗せていただいていました。カンパラ以外ではほとんど神父様が運転して下さり本当に申し訳なかったです。もっともウガンダの道路は舗装されていなかったり、されていても穴があいていたりと不便な状況で、慣れていないと運転がとても難しいようでした。
小教区にはキジト神父様の他にフランシス神父様という四十歳ぐらいのとてもお元気な神父様もいらっしゃいました。また、司祭館の道を隔てた反対側には小テレジアを守護聖人とする女子修道院があり、四人(私が帰った時には二人になっていました)が働かれています。聖堂は修道院の隣にあります。いかにも田舎の教会という外観でした。なお、修道院と教会は、老朽化のために来年には司祭館の隣に新築されるそうです。
私は司祭館の一室に泊めていただきました。このあたりもやはり電気はなく、司祭館はわずかな太陽光発電と電池とで電灯に使う分の電気をまかなっています。バケツの底に、シャワーの口をとりつけたものが、ここではシャワー代わりとなりました。飲み水は雨水を沸かしたものが主でしたが、ミネラルウォーターもありました。
食事についてですが、主食はバナナ、トウモロコシ、米、パンなどです。ウガンダではバナナの種類が多く、主食として使うものは私達が食べるものと違って、緑色のうちに収穫し茹でたものです。甘くなく、芋のような触感で、ウガンダでは一番ポピュラーな主食です。おかずとしては牛、鶏、豚などの肉のほかに、ビクトリア湖で獲れる魚も出ました。その他に豆や芋類、果物などもありました。ルウェミサンガでの生活は、一日居住区に出かけては一日司祭館でのんびり過ごす、というゆったりしたものでした。神父様は今回の滞在中、いつも私の体のことを気遣ってくださいました。また、日本と異なるライフスタイルを体験して欲しいということをいつもおっしゃっていました。キャングワリ難民居住区はルウェミサンガ教会から車で二十分ほど行った所にあります。キジト神父様のお仕事の中心はここになります。中にはUNHCRやウガンダ難民担当相の事務所があり、それぞれの責任者の方にもお会いすることが出来ました。神父様はこの両者と協力しながら難民のために働いていらっしゃいます。
難民居住区のための神父様の仕事は多岐に渡っています。居住区内には母国や言語、部族の異なるグループがいくつもありますが、彼ら全員の精神的なケアが神父様に任されています。また、居住区内には六つの教会がありますが、そこでミサをあげるのも神父様のお役目です。さらに、神父様は各教会にCRFDAという組織(メンバーは各教会の難民の方達)をお作りになって、そこで農業をはじめ難民の方達の生活に関わることの指導もなさっています。加えて、特に立場の弱い方達(老人、病人、子供達)には、毛布、ミルクなど必要物資を寄付もしていらっしゃいます。
これらの仕事は、シスターや居住区内の各教会のカテキスタ、さらにはCRFDAの方達と共に行われています。しかし、どの仕事もキジト神父様の指導なしではなかなか難しい状況であるため、神父様はとてもお忙しい毎日を送られています。
現在キジト神父様は、大きなプロジェクトを手がけていらっしゃいます。それは居住区内にレンガ造りの聖堂付多目的ホールを建設しようというものです。建物の建設は、既に始まっていて僕の滞在中も着々と工事が進んでいました。難民居住区内の教会はどれも粗末なもので、一番ひどいものになると木の下が教会という有様です。そうでないものも吹き抜けだったり、雨漏りがしたりということで、不便な点が多いとのことです。加えて、居住区内には集会所のような施設がなく、難民の方達へのプログラムや異なるグループ同志の交流のための場がないということでした。こういうわけで、神父様はこのプロジェクトを始められたそうです。なおこの施設の名前は「聖パトリック社会司牧センター」だそうです。
さて、ルウェミサンガ滞在中、私もキジト神父様について居住区での活動に参加してきました。居住区内のいくつかの小学校では、終業式ミサに参加させていただき、全校生徒の前で挨拶させていただきました。神父様が日本からの寄付で用意してくださった子供達への贈り物を生徒の代表に渡したりもしました。また、体の具合がよくなかったり、火事で家が焼けてしまった方達にミルクや毛布を持って行ったりもしました。
それから、毎週日曜日には教会へ行き(週ごとに行く教会は違います)、朗読奉仕や洗礼式のお手伝いをしました。ミサの後には子供達のために一人にコップ一杯ずつミルクを配ったりもしました。
私が特にうれしかったのは、神父様が私の滞在している時期を選んでいくつかの行事を計画して下さっていたことでした。たとえば難民居住区内の全教会の若者達が集まって、それぞれの歌や踊りを披露し合ったユース・デイもその一つです。彼らと交流できたことは本当に大きな喜びでした。特にコンゴの若者達と、一生懸命に腰を振って(彼らの腰の振りにはついていけませんでしたが)一緒に踊ったことは忘れられません。音楽に国境はない、ということを実感することが出来ました。
また、キナキタカ教会で行われたキジト神父様の銀祝のお祝い会にも招かれました。ここでは何と、この教会のCRFDAのリーダーと一緒に踊りました。踊ったあと彼と抱き合ったことは一生忘れないでしょう。
さらに、ルウェミサンガを離れる前の日には、聖パトリック教会の建設祝福式にも参加させていただきました。いつの日か完成した聖堂を訪ねたいと強く思いました。
私が驚いたのは、難民の方達のホスピタリーです。彼ら自身とても厳しい状況の中で生活しているにもかかわらず、外からの訪問者である私を本当に歓待・歓迎し、温かく接してくださったのです。いくつかの教会からは素晴らしい贈り物をいただきました。ミサのあと、食事に招かれてこちらが恐縮するようなご馳走をいただいたこともありました。何人かの若者達は私のために歌や踊りを披露してくれました。彼らの心の広さ・深さ・温かさに胸を打たれました。
ルウェミサンガでは小教区内のウガンダ人の方達とも接する機会がありました。毎週土曜日に行われるミサでは、彼らと一緒に手を叩き、体を揺らしながら歌を唄いました。平和の挨拶ではたくさんの方と握手をしました。また、当教会のバザーのために民芸品を作って送って下さっているアバンナ(聖アンナからとった名前)というグループが私と神父様を招待して下さいました。アバンナは、お互いに助け合い協力し合って生活していくためにキジト神父様が作られたグループで、メンバーは村や部族の異なる女性達です。
さて、約三週間の滞在の後、私達はルウェミサンガを後にしました。そして、ホイマ県に入る前に訪れたカクミロの家に再びやってきました。今度は、キジト神父様が学校に送っている子供達のほとんどが夏休みを過ごすためにやってきていました。彼らはここで、農作業・家事、そして家族の生活を体験するのです。私が日本から持って行った、折り紙や独楽で彼らと一緒に楽しむことが出来たのはいい思い出です。
四日の後、カクミロを去り、カンパラに戻ってきました。カンパラを観光したり、ジンジャでお土産を買ったりしながら、ウガンダでの最後の日々を楽しみました。そしてお別れ…。キジト神父様と再会を約して、ウガンダを去ったのでした。
今回の旅行では本当に多くの人にお世話になりました。キジト神父様の御家族をはじめ難民居住区の各教会のカテキスタやCRFDAのメンバー達、カクミロで一緒に過ごした若者・子供達、ルウェミサンガ小教区の人々など数えたらきりがないほど数多くの人々に助けていただきました。そして、誰よりもキジト神父様のおかけで、大変貴重で素晴らしい体験をさせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。同時に神父様のお仕事には本当に感動しました。いつの日か、またウガンダを訪ねたいと思っています。
旅行前に励まして下さった皆様、そして旅行の間祈って下さった皆様、本当にありがとうございました。
仏教とキリスト教(5)-仏教の空と無、仏教はニヒリズムか
藤沢2区 兼子
仏教では無常アニカとか無我アナタンとか言う。この無はギリシャ語の否定の接頭辞アと同じだ。この時の無はあくまで、在るもの・右揃え・(常住、自我) がないという意味で、本源的な虚無の主張ではない。さらに言えば二元論的対立の否定だ。大乗仏教の中心的教理は空クウだから仏教では空や無という言葉がとかく多く使われる。因みに『般若心経』という短いお経の中で無という言葉は何回出てくるか。小乗仏教に説一切有部なる学派があるが、その学派は文字通り、ありとあらゆる存在の有ウ(実在性、実体)を主張する。故に『大毘婆沙論』の中で三世実有論サンゼジチュウロンを展開し「もし過去、未来が実在しなければ現在もまた無い。…もし三世が無ければ一切法無く、一切法無くば解脱・涅槃もない。しかし解脱・涅槃が無いというのは馬鹿げた考えだ。故に三世はある」と論証する。これは西洋論理学で言う帰謬法 reductio ad absurdum による証明である。
有部は有を肯定しているが、大乗仏教になるとニュアンスが違ってくる。例えば二〜三世紀、中観派の龍樹ナーガールジュナは有もそれの否定の無もともに観念上の戯論ケロンで実相ではないと否定する。即ち龍樹によれば真理は有無の相対性を離れた平安な寂滅にある。その後の唯識説の主張も我々の認識を離れ独立した所に実体としての外的存在はないという、一種の観念論である。
無はこのように有の否定であり、空はさらに積極的な世界観・哲学である。それは煩悩から開放され解脱の境地にある状態、心が一切の執着から解き放たれた状態である。たしかに空と言う概念はサンスクリットのプリミティヴな意味ではシュンヤ空(何もない、何かが欠けている)を意味するが、大乗仏教の中心的教理としての空は何もない、空っぽであると言う形而下的な意味ではなく、何物にも実体がない、即ち人間の自己のなかに自我という実体がない(人空)、またすべての存在は因縁によって生じたのであるから、存在それ自体のもつ固有の性格(自性)をもたない無自性ムジショウ(法空)を意味する。
一代の碩学、井筒俊彦先生はここのところを、我々の意識と言語の働きを手掛かりに分かりやすく『意識と本質』岩波書店の中で説明されているので以下に引用する。
「様々に文節された事物の世界の中に…それらの事物の存在中核に、それぞれをひとつのものとして凝固させる本質を認めない…それらはただそういう形で現れているだけであり、本当はないものであり、いわゆる本質は虚構である。ここに大乗仏教特有の徹底的な本質否定が、本質虚妄説として現れてくる。『般若経』以来、ナーガールジュナ龍樹の中観を通って唯識へと展開する大乗仏教の存在論の主流の、これが中枢的テーゼをなす空観である。注目に値するのは、仏教のこの空観的存在論の構成においても、さきほどから問題にしてきた言語の本質喚起的機能が重大な役割を担わされているという事実である。本質などというものはどこにも存在しない。そのないものがあたかもあるかのように見えてくる…『この故に一切の法は言説の相を離れ名字の相を離れ心縁の相(意識の対象としてのあり方) を離れ、畢竟、平等』と『起信論』がいっている。究極的境位まで追い詰めて観れば何の差別もないという。すなわち絶対無文節ということだ。こうしていわゆる本質は実に完膚なき迄にその虚構性を暴露され徹底的に実在性を否定されてしまう。」
さらに私が付け足せば絶対無文節(無意識)の世界では主客は不二である。道元のいう身心脱落すれば主観と対象世界の区別はない。道元でなくとも遊行上人一遍が法燈国師に示した歌のなかにも見事にその境地が表されている。そこにはもはや自力と他力の区別はない。あるのは浅原才市の言うただ一面の他力ばかりである。「唱うれば、仏も我もなかりけり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。一心に弥陀の名号を唱すれば、いつのまにか唱えている主体も唱えられている客体の別なく、あるのは只無量、無碍の光ばかりである。 ところで仏教の中で特に空を重視するのは禅宗だ。それ故、ここで『般若心経』の中でも有名な一節「色即是空、空即是色」を取り上げよう。これはただ諸々の感覚で捉えられる物質界は空である(実体がない)という意味を述べたに過ぎない。有形・無形のすべての存在に我々は名前をつけ概念規定しているが、それらすべては本性上、実体のないもの(空)であるから、それらの名称も概念もみな虚構にすぎぬと言う意味である。因みにそれに続く箇所も大要を述べるとこうだ。即ち感じたり知ったり意欲したり判断する精神の働きもまた空である。このように物質と精神のすべてが空であるから、事物の生滅も、きれい汚いも、増減もない。空の中には肉体もなく、また諸々の精神作用もない。小乗仏教では老死という苦悩の原因は人間の根源的迷妄(無明ムミョウ)にあるとし、無明をなくせば苦悩も消滅すると説き、これが十二縁起という小乗仏教の教理であるが、すべては空であるので空の中に、この無明や老死もない。また小乗仏教には四諦シタイ(四の真理)があるが、この四諦にこだわる必要もない。大乗仏教では悟りを開いてもその悟りに執着する必要が無いからである。こういうふうに「一切がないない尽くし」であるので、門外漢は無を虚無主義ニヒリズムと早とちりするのだ。最後にあの「ギャアテイ、ギャアテイ、ハーラギャアテイ、ハーラソギャアテイ、ボジソワカ、ハンニャシンギョー(彼岸に達したとの意)」という真言マントラが続く。子供ごころに坊さんがギャアテイ、ギャアテイとやりだすと足の痺れも、もう少しの辛抱とばかり元気を取り戻したものである。
ふくらしまんじゅう
鵠沼3区 平野
先日、お隣の茅ヶ崎教会で「長崎の人」の集まりがありました。
平戸紐差教会ご出身の橋口神父司式のミサに約30名が与りました。教会の座席の配列は藤沢の八角形と異なり短形ですが、主の食卓を囲む雰囲気は素敵でした。
ミサが終わり、みんなで囲んだ食卓は、昼食と懇親会を兼ねて、隣接の使徒会館で行われました。長崎浦上教会ご出身の髭の戸村神父も出席されて座は一層賑やかなものになりました。初めての出会いの方も多かったようでしたが、仲良く皿うどんを分かち合い、永い間の友人のように親しく話し込む姿は、初代教会のそれを思わせるものがありました。
皆さんが大きな歓声を上げたのは、「ふくらしまんじゅう」がテーブルの並べられた時でした。ふるさとの味と香りと想い出を目の前に見たからでしょう。膨らし饅頭は酒まんじゅうに似て、私の記憶では、小麦粉にふくらし粉をいれてこね上げ、一晩寝かせてふくらませたのち、皮にあたる部分をちぎって、小豆あんこを包みこみ、せいろで蒸し上げて作っていたようです。せいろに入れる時、かんねかずらの葉を下敷きにして並べておくと人間の掌の模様が饅頭の底に写し出されます。掌の模様は母の手のぬくもりを感じさせてくれたものです。
膨らし饅頭は、そとめ地方ばかりでなく、田平、平戸、五島にも伝えられ、クリスマスやマリア様の祝日には、多くの家庭で作られていたご馳走だったそうです。今では少なくなったでしょうが、こうした習慣がそれぞれの場所に受け継がれているのは、迫害時代にそとめ地方から、信仰を守るために津々浦々に避難したり、あるいはド・ロ神父の国内移住計画に沿って離散して行った土地柄だからでしょうか。饅頭の由来は知りませんが、長崎県に特に多い島々の巡回教会では、嵐のため海が荒れて舟を出せず、神父がミサを挙げに渡ってこれない時など、膨らし饅頭のあんこを十字架の形にして蒸しあげ、これをご聖体のツモリで戴いていたとききます。教えの面からの是非は分かりませんが、信仰の精神がなせる業として心を揺さぶられるものがあります。
マリア様の祝日以外にも、珍客や旅人は、膨らし饅頭でもてなしを受けていたようでした。私の幼い頃の村では、垣根や門扉施錠の家は少なく、夏の夜は開けっ放しの家庭が多かった。越中富山の薬売りも、見知らぬ旅人でも「私はカトリック信者です」といえば、特別な事情が無いかぎり、心よく泊めてもれえたものでした。家族と夕食を共にし、楽しく語らい、夕べの祈りとロザリオを一緒に唱え、翌朝は、膨らし饅頭かおにぎりかを、貧しい家庭でも、ふかし芋に塩辛いわしの詰合せ弁当を作って送り出してくれたものでした。
遠藤周作文学館の開設もあってでしょうかこのところ、私どもの藤沢教会でも、外海、五島方面への観光巡礼者が増えているようで時々、相談されるのをとても嬉しく思います。そとめでは、土産品としてド・ロさまソーメン、かんころもちの他に膨らし饅頭も売っています。茅ヶ崎教会の集まりに出された饅頭は、藤沢駅の北口近くで売られている酒まんじゅうでした。誰も気付かなかったようですが、シスター浜崎の見立てでは、「本物はあんこが小さく、皮はもっと厚い」とのことでした。願わくは、昔、厚い信仰の心で味わった、あんこの小さい、皮の厚い膨らし饅頭のほうが、現代、薄い信仰のグルメの舌で味わう、あんこの大きい、皮の薄い酒まんじゅうよりも美味しいと言って欲しいものですが。
Q:墓が遠いので近くに持ってきたいがどうしたらよいのでしょうか。
A: いったん納めたお墓または納骨堂から、遺骨を他のお墓または納骨堂に移動させることを「改葬」といいます。
改葬手続きの要点は、遺骨のある墓地や納骨堂を所管する自治体に「改葬許可証」を交付してもらうことにあります。それには、現在の墓所の「埋葬証明書」(寺の住職あるいは墓地管理事務所が発行)と移転先の「受入証明書」を添えて、必要事項を記入した「改葬許可申請書」を役所の窓口に提出します。
手続きが済んだら、係員(環境衛生監視員か関係官吏、お寺だと住職)立会いのもとに遺骨を取り出し移転先に運びます。土葬で遺骨がなくなっているときは代わりに一握りの土(霊土)を移します。この場合は「改葬許可証」は不要です。
新しい墓所に「改葬許可証」を提出して改葬は終了します。
なお、改葬の際に分骨する場合には現在の墓所の管理者に「分骨証明書」を発行してもらいます。受入先の「受入証明書」、「改葬許可申請書」、「改葬許可証」は同様に必要です。
1(木)神の母聖マリア 元旦 新年ミサ
4(日)主の公現 外国コミュニティ新年会
9(金)初金ミサ・例会
10(土)壮年部新年会 藤沢ブロック黙想会 福祉部例会午前10時より
11(日)主の洗礼 成人式 9時30分ミサ中
18(日)防災訓練 9時30分ミサ後 スカウト餅つき
24(土)キリスト教一致合同祈祷会