八 角 形 に ゅ ー す
2004年4月4日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
藤沢共同体の新しい象徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・テハン神父
司祭叙階式に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 宮内
壮年の集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 八子
辻堂ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田
藤沢ブロック集会を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 安田
国際交流「料理を作って食べよう会」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・国際部 フジモト
福祉部だより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ホームレス支援の活動
卒業感謝ミサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校リーダー 清水、六年 大渡
横浜教区カトリックスカウト団・指導者研究会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢16団 岡田
生命に特許はいらない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ポール神父
仏教とキリスト教 (8)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子
藤沢共同体の新しい象徴
テハン神父
ご復活おめでとうございます。藤沢教会のイースター・カードの中の言葉は、キリストと我等のミサ感謝の典礼の最後の言葉「キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに全てのほまれと栄光は世々にいたるまで」と祈ります。
国井神父の藤沢教会での話にあるように「初代教会の共同体はイエス様のことを忘れないために決まった日に集まって食事を共にして、そこでイエス様の記憶を語り継いでいく。・・(週の初めの日に、イエスは復活によって主になられた。その週の初めの日のことをキリスト教では「主日」とか「主の日」と呼ぶ)。主の日にキリスト者は町でも、村でも全部が集まります。そして時間の許す限り預言者と使徒の思い出を聴きます。それからパンと葡萄酒が準備されて司式者がその上に長い感謝の祈りを捧げます。その祈りに会衆は大声で『アーメン』と応えます。」
バチカン第二公会議で教会は建物より神の民の説明をしました。国井神父の最後の言葉は大事だと思い、すなわち「共同体のミサで大事なことは、その中の役割分担です。ここで私がお薦めしたいと思うのはある奉仕職、一つの奉仕職の専門家にならないでいただきたい。朗読も出来る、侍者もできる、歌も歌える、初めて教会に来られた方の案内をする。横に座っていろいろ質問を聴く・・などなど。私は朗読専門ですから・・ではなくて、いろいろなことをやってみる。それで初めて共同体の典礼になるのです」
バチカン第二公会議の前の典礼はイエスの十字架をイエスの復活より強調しました。その影響で、今の生活より天国に入ることに力を入れました。教会は救いの場所と考えました。
バチカン公会議の教えにより、神の国は教会より大きい、いつも神の働きが社会の中に表れています。イエスは復活によって主になられた。キリストは聖霊の賜物を私たちに与え、私たちは社会の中に表れている神のみわざを見、あかしします。そのすばらしい経験を持ち、主の日に共同体として集まり、キリストの出来事を祝います。
イースターカードの前の方にある新しく生まれた象徴を見てください。今の藤沢共同体の歩んでいるところをあらわしていることだと思います。
教会委員会報告
(3月13日)
2月24日に行われた信徒総会(<八角形にゅーす>三月号参照)の総括を行った。
新しく来られた方を含め二百人近くの方々 が参加し、教会運営に関心がもたれてきている。
その基本にはブロック集会の関心が強くなっているのではないか。
「分かちあい」については時間が足りなかったとの反面、途中で帰られた方もいた。
信徒総会ではなく、信徒大会として信者各層の分かちあいを中心としている教会もある。
若い人の参加も考慮したい。
等の意見がだされ、当教会における信徒総会のあり方をブロック・活動部の集りで意見を聞き、来年に反映していくこととした。なお、信徒総会資料の内容は全て委員会承認済みかとの問いがあったが、ブロック・活動部報告はそれぞれの自主性を保つ意味でそのまま掲載している。従ってこんごの検討課題とすべきものもあることを確認した。
第一回の会合を開いた。メンバーは大野・平野・沼波・片桐・篠澤・池田・石黒・川辺、8名の皆さん。現在のボランティア70名の協力を活かし、宣教拠点としての役割をどのように果たしていくかを検討する。皆さんのご意見をお寄せいただきたい。
当教会は1955年4月29日に創立され、来年で50周年を迎える。祝賀ミサの時期、記念事業の内容等意見交換がなされた。
過去の反省より、未来への発展の契機でありたいとの傾向が強かったが、叩き台を特別プロジェクトチームにするか委員会にするか等企画立案段階を含めて各ブロック・活動部の意見を次回委員会まで聞くことにした。記念事業についての意見・希望があれば直接委員・または事務局までお聞かせいただきたい。
また、1994年に新設された湘南台センターは今年が10周年である。「湘南台センターの現状とこんごの道を探る集い」で話合い、ある程度まとまった段階で報告したいとのこと。こちらも合わせてブロック・活動部の意見をいただきたい。
5月30(日)のミサを最期に日本を離れられるマーフィ神父の送別について話合われた。当日は9時半ミサ後ティーパーティを行う。
2月8日(日)新年会を開催した。参加者80名程度、詳しくは三月号参照。
3月14日(日)連絡会を予定。メンバー紹介と活動予定を確認する。
今年は典礼担当者の養成を図りたい。そのためにも研修会を開くなど典礼部の協力を頂きたい。
また、小グループでの家庭集会も考えていきたい。
5月16日(日)新入歓迎会を予定。
3月7日(日)ブロック集会52名が参加・。
隣組構想が賛同を得て具体化に動き出した。
「たのしいことを考えましょう」では春・バーベキュー、秋・行楽で、男性が女性をもてなす方向で考えている。
2月22日(日)ブロック集会開催、参加者43名、詳しくは三月号参照。
4〜5月に北二ブロックとバザーのあり方など基本的なことから話合っていきたい。逐次委員会に報告する。
2月はミサ当番であったので勉強会も開催した。初めてのことなので戸惑いもあった。先唱など典礼奉仕の学習が必要。
3月27日(土)13時半〜16時15分、湘南台センターでブロック集会を予定している。
3月21日(日)壮年の集い
4月4日(日)12時半〜15時半、センターホールで救急救命講習会を予定。藤沢消防署員の指導でビデオ学習、実技研修など。定員30名。
2月29日(日)昨年に引続き教区の合同入信志願式を当教会で開催。19教会から123人の入信志願者と代父母などで総勢約300人、梅村司教と12人の司祭の共同司式で盛大に行われた。
短期キリスト教セミナーの担当を大船教会に引継完了。
9月23日(木)一粒会集会があるが、会員を拡大したい。
宣教部は毎回テーマを設けて分ち合いを行っている。今回は「宣教司牧は私の生活と信仰・典礼にどう活かされているか」「最近自分の周りで不思議だと思った出来事」をテーマに行った。これからも続けていきたい。
2月11日教区典礼研修会で行われたミサのない集会祭儀を体験できた。
典礼奉仕がきまった人だけではなく、誰もができるよう努力したい。侍者も大人もで きるよう広めたい。
日曜学校 3月21日(日)9時半卒業感謝ミサ
中高生会 3月6日(土)これからの中高生会について話合う場をもった。学生3人と大人が2人、幅広い年代で考えていきたい。
青年会 2月28日(土)中和田ジャック神父を囲む会を行った。中心は藤沢・片瀬・茅ヶ崎の10名。暫くはJOCCのスタッフが中心となって行う予定。第四土曜日19時〜、当教会にて。
2月29日(日)「一緒に作って食べよ う会」でお赤飯と豚汁を作り、試食した。作り手はラティノス中心に20名が参加、食べるときはフィリピンのミサが終わった ので5〜60名と盛会、好評であった。次回は外国コミュニティからメニューを紹介する。
平塚教会聖堂建設のため、平塚ラティノスのグループがビンゴゲームで資金を集める。藤沢ラティノスがそれに協力するので支援をいただきたい。
5月23日(日)ボーイスカウトバザーに国際部コミュニティからも食べ物で出店する。
4月18日(日)11時15分〜12時45分、センターホールで勉強会を開く。 「地域でいかに生活していくか」「ボランティアに参加しながらどう生甲斐を見つけて生きていくか」講師は鵠沼二区・石崎継男氏
共助組合と相談しながら福祉基金の有効活用を図っていきたい。
茅ヶ崎在住のフィリピン親子が火災に会い困っているので、救急の会で支援した。
現在椅子の修理を行っている。庭木の植替え、消毒等で多忙。
第四土曜日10時から総務部会を開催することとした。中長期計画を含めて話合う。
イベントがあるときは事前に用意するものをメモで総務部長宛依頼願いたい。
ブロック代表会から、転入者をミサ後に紹介することが提案され、毎月第一日曜日各ミサで「八角形にゅーす」の転入者欄を参照して紹介することになった。
四旬節に訪問する病人リストが81名、現在三分の一が済んだ。
ブロック・活動部が協力し、共に未来に向かって外に広がる藤沢教会のシンボルマークが大庭・田辺氏の協力で出来上がった。ブロック集会でも紹介されたい。
「ぶどうの木」に藤沢一区の小倉さんが制作したパッチワークを飾った。また、「ぶどうの木」の聖句を亡くなられた藤沢一区の若松さんが書にしたが、大きくて入らないのでホールに展示した。
教会前の道路工事は4月中旬に終了する予定。復活祭を過ぎたウィークデーに教会入口を補修する。
2月29日(日)午後3時より藤沢教会において梅村司教様の司式により、横浜教区合同入信志願式が行われ、教区内の18の教会から入信志願者126名およびその代父母など約500名が参加しました。以下はその時の司教様のお話です。
ただいま、ヨハネの福音書から、弟子がイエズス様によって召しだされる場面が朗読されました。洗礼志願者の皆様方も、おそらくイエズス様から「来なさい、そうすれば判る」と言う呼びかけの声を聞き、それに応えられたのだと思います。
父である神様は、イエズス様を通していつも私たちを呼んでいらっしゃいます。その招きに喜んで応えたもの、それが私たちキリスト者だと思います。私たちすべてのものは、神様によって、その命を受けたものであります。その意味において、すべてのものが父である神のもとにあって、兄弟姉妹であるということであります。しかし、そのことに多くの人は気づいていないのかも知れません。しかし気づく、気づかないによらず、父である神様にとってはわたし達一人一人がいとおしい子供であるということには、間違いないと思います。
イエズス様はそのことをいろいろな形でわたし達に語り、自らそのことを示してくださいました。洗礼志願者の方々はその準備にあたって、そうしたことについて学ばれたと思いますけれども、イエズス様のお話の中でわたし達にとって聞きやすい、判りやすいお話として、いろいろなたとえ話があります。
たとえ話、さまざまなものがありますが、その中でも特に有名なたとえ話として、ルカ福音書の15章に放蕩息子のたとえ話というのがあります。カトリックの幼稚園、保育園でしたら、幼い子供のときからこのたとえ話を耳にすると思います。二人の息子がいて、末の息子のほうが財産の分与を求め、その与えられた財産をもって放蕩の限りを尽くした。しかし行き詰ってしまって飢え死にしようとしたときに、改心の出来事が起こります。聖書には次のように記されています。
「わたしはここで飢え死にしそうだ。ここを発ち、父のところへ行って言おう。『お父さんわたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と。そして、彼はそこを発ち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い走り寄って首を抱き、接吻した。」
そのように語られています。「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて」とあります。おそらくこの父親は、毎日毎日この末息子の帰りを待っていたのに違いありません。だからこそ、遠く離れていたにもかかわらず息子を見つけ、自ら走り寄って行った、ということだと思います。そのことを、イエズス様はこのたとえをもってわたし達に語りたかった、と言うことだと思います。まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて走り寄った、天におられる父である神様も、そのようにわたし達の帰りを待っておられる、と言うことだと思います。息子の方は、「もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい」そう言おうと決意していました。でも父親にとっては、大切な息子であることには変わりはありませんでした。わたし達一人一人にとっても、そういうことだと思います。
旧約聖書の預言者の一人でイザヤと呼ばれる人がおりますが、イザヤを通して神様がいわれた次のような言葉があります。
「シオンは言う。 主はわたしを見捨てられた わたしの主はわたしを忘れられた」
神の民と言われたイスラエルの人々の嘆きの言葉です。苦難、苦悩の中にあって、神様はわたし達を見捨てられたんじゃないかなという思いが募っている中で告げられたのが、次のような言葉でありました。
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。 母親が自分の生んだ子を憐れまないであろうか。 たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない」
そのように神さまはイザヤの預言を通して語られています。母親が自分の生んだ子を忘れることは、まずないでしょう。しかし母親がたとえそうであっても、神さまはお前たちを忘れることは決してない、とそのように告げられているわけであります。このイザヤの預言を通して語られたことは、イエス・キリストを通して間違いなくわたし達にあらわされたことだと思います。わたし達にとってはそれが救いの出来事に違いありません。
わたし達一人一人は、かけがえのない存在として父なる神様から見られている、いつも見守られていると言うことだとおもいます。「父親は息子を見つけ、憐れに思い、走りよって首を抱き、接吻した」もういとおしくていたしかたない、そうした父親の姿が良く描かれていると思いますが、そのことは、イエズス様を通してわたし達に示されたことであります。
同じルカの福音書の七章には、「ナインのやもめ」という話しがあります。
「イエスはナインという町に行かれた。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられた。」
イエズス様はナインという町で葬列に出会ったわけであります。ただでさえ寒々としたものを感じられたと思いますけれども、その死んだものが若い青年であった、その青年は主人のいない母親の一人息子であった、ということをもって、なおさらこの葬列が寂しいものであった。町の人たちもそのことをもって、大勢の人がこの母親に付き添っていた様子が描かれています。イエズス様もそうしたこの母親の姿を見て、非常に心を動かされたのでしょう。「見て、憐れに思い、『もう泣かなくてもよい』と近づいて行って棺に手を触れられた。」とあります。
イエズス様を通して示された憐れみの深さは、父である神さまの憐れみそのものであると思います。この「憐れに思い」それは決して上の者が下の者を思っていう憐れではないと思います。聖書の中で言うこの憐れは、人の痛み、苦しみ、悲しみを自分のものとして感じることをもって、憐れに思うといっていることだと思います。
そのことがよく語られている聖書の箇所として、出エジプト記、モーセの召命のところにそのことが記されています。ご自分の民としてお選びになったイスラエルの人々はエジプトの地にあって、大変な苦しみを味わっていました。その苦悩の中にあって、主がモーセに言われた言葉、
「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。」
「その痛みを知った」この知るというのは、単に知識を持って知るというよりは、自分の痛みとして受け止められたということだと思います。これが新約聖書に言われている「憐れに思い」と同じ意味に他ならない、ということはすぐわかるかと思います。神様はイスラエルの人々のその痛みを知った。
「それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へと彼らを導き上る。」
実際、イスラエルの人々をこのエジプトから救い出されました。出エジプトの出来事、救いの出来事の圧巻のところがこの出エジプト記の14章にあります。イスラエルの人々が迫ってくるエジプトの軍隊を逃れるために、海を渡る場面です。
主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の渇いた所を通ることができる。」
実際、そのようにしてイスラエルの人々は難を逃れることができましたけれども、この後ろからエジプトの軍が迫ってくるときにどういうことがあったかということが、さらに述べられています。
イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ちエジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇を貫いた。
そのような記述があります。神の使い、そして雲の柱はイスラエルの人たちの先頭を行っていました。イスラエルの人々を救い出すために、その導き手となっていたのでしょう。それが、この人たちの後ろにエジプト軍が迫ったときに、先頭にあった神の使い、そして雲はその間に立ちはだかったとあります。雲の柱、それは神様の現存を表すしるしだと言われています。神さまご自身が神の使いを通して、またご自身がこのイスラエルの人々を救いへと導いておられた。そしてこのイスラエルの人々は最後とも思われるその瞬間に、神さまはイスラエルの人々を守るためにエジプト軍との間に立ちはだかったと言うことであります。昔、「モーセの十戒」と言う映画もありましたけれども、勇ましい兵隊たちは先頭を行き、若い者、元気な者がそれに続き難を逃れる間に列は長く長くなっていきます。その後方には、子供やお年寄りが残される。最も弱い者が、最初にエジプトの軍隊の手にかかることは目に見えたことであります。そうしたときに、もっとも弱いものの背後に雲の柱が立った、立ちはだかった。神様はそのような方だということを出エジプト記はわたし達に語っているのかもしれません。
皆さんはキリストに従い、キリストが示された道を通って、父である神様のもとへこれから歩み出そうとなさっておられると思いますけれども、その旅の途次にはさまざまな苦悩、困難なときがあるかと思います。そのときこそ神さまはわたし達とともにいてくださるということを、出エジプト記はわたし達に今、語っているのかもしれません。そうした神様の信頼をもって、これから神の子としてイエズス様が教えられたその真理の道を歩んでいただけたら、と思います。
わたし達は決して一人ではありません。キリストを同じく信じる兄弟姉妹がたくさんいる、ということです。互いに、本当に兄弟姉妹として受け入れあい、助け合い、手を携えながら、ともにこの同じ道を歩むことができたら幸いに思います。
その恵みを願って、今日、心をひとつにして祈りたいと思います。
司祭叙階式に参加して
辻堂2区 宮内
3月20日(土)にカトリック沼津教会にてパウロ高野哲夫師の司祭叙階式が行われました。高野師は今後、横浜司教区の司祭として働かれることになります。横浜教区の一員として、本当にうれしい限りです。
当日は朝から雨が降るあいにくのお天気でしたが、聖堂に入りきれないほどの参加人数でした。今回の式典は静岡県東部地区の九つの教会が一緒になって準備してきたものだそうです。それらの教会の人々に加えて、高野師が神学生時代に関わった諸教会からも多くの方達がいらっしゃっているようでした。
梅村司教様の司式で始まった叙階式は、30名を超す司祭団と共に執り行われました。叙階の儀の中で、高野師は司教様と司祭団から按手を受け、信徒の方達が準備なさったという手作りの祭服を着せられ、手に聖香油を塗られ、パンとぶどう酒を授与されて、晴れて横浜教区の司祭団に加えられたのでした。
祭服姿の高野新司祭を見ていて、「ああ、この方もまた神様に召し出され派遣されていくのだなあ」と思われてきて、胸が熱くなりました。
私は今回生まれて初めて叙階式に参加しましたが、本当に感動させられてしまいました。叙階の儀の直後に奉納が行われたのですが、泣けてしまって奉納の歌をうたうことが出来なかったほどです。叙階は本当に恵みなのだということを実感できた素晴らしい体験でした。
ところで、今回の叙階式では、聖堂内の前の何列かが子どもたち専用の席として用意されていました。高野師の特別の意向であるとのことでした。また、式の終わりに高野師は侍者をしてくれた子供達を祭壇の前に立たせて、私達に紹介して下さいました。新司祭の人柄が伝わってくる温かい場面でした。
さて、叙階式の中で梅村司教様は、「司祭は交わりの人」ということを強調しておられました。そしてその交わりには、神との交わり、人々との交わり、司教や司祭団との交わりの三つがあり、それらすべてが司祭に求められるとおっしゃっていました。
高野師が「交わりの人」として、司祭としての道を歩んでいかれるようお祈りしたいと思います。
宮内さんが四月より横浜教区の神学生として東京カトリック大神学院に入学することになりました。これからの六年間、教区司祭を目指した養成を受けながら神さまの呼びかけを識別していきます。宮内さんが神さまの招いていらっしゃる道を歩んでいくことが出来ますように皆様の支えとお祈りをお願いいたします。 |
壮年の集い
鵠沼1区 八子
3月21日(日)11時より、恒例の「壮年の集い」がセンターホールにて開かれました。約30名の壮年が集まり教会の現在の姿そしてこれからについて話し合いました。
岡田芳明さんの司会でテハン主任司祭の祈りと挨拶で始まりました。
その中で藤沢教会の新しいシンボルマークが発表されました。大庭地区の田辺徳成さんがデザインされたもので、信者の心構えを表現しているそうです。三位一体の神と共に私達が外に向けて活動する形を表しています。抽象的なデザインですが、中心から外に向かう形がよく現れていると思いました。皆さんはこれからこのデザインを見る機会があると思いますが、多いに話し合って欲しいと希望していました。
次に里原広光壮年部長より委員会報告、及び今年の壮年部の活動予定が述べられました。委員会報告の中では「売店検討チームの発足」について発足の理由、また意見、質問がありました。藤沢教会の売店は神奈川県のカトリック教会の中でも規模が大きく、駅から近いので藤沢教会のみならず他の教会の方もたくさん利用しているそうです。また宣教の点からも期待されているということです。今年の壮年部の活動予定もたくさんあり、教会での壮年部の役割が大きいことを感じました。
次に各活動部長から活動報告と壮年部に期待していることを中心に発言があり、壮年部と活動部の係わりについて一緒に考えました。
最後に意見の交換が行われ、たくさんの発言がありましたが、司祭の減少について心配する意見があり、私たちにとって大きな問題であると皆感じているようでした。、また新しく受洗された方、転入された方を積極的に藤沢教会に迎え入れる方法についていろいろの意見がでました。
たくさんの意見が出る中、閉会の時刻の12時30分となり終了しました。
辻堂ブロック集会
辻堂1区 浮田
3月7日(日)に50人以上の出席者を得て「辻堂ブロック集会」が行われました。当日はテハン主任司祭よりお言葉をいただいた後、スタッフ紹介、そして今年度ブロック運営方針の二本の柱である「隣組構想」及び「楽しいこと考えましょう!」について熱心な話し合いが持たれました。私達の教会にブロック制が敷かれて約十年・・・掃除当番や葬儀のお手伝い人員が少ない・電話連絡網も上手く回らない・災害時の対応が不十分・信徒の居場所がない・信仰を語り合える、また福音宣教の場がない・共同体と言うが、教会外(地域)でその恩恵を受ける場がない・・等々、これを見直す時期が来ているのは、確かなようです。少数の人達が重い荷物を背負わされ大変苦労されている現実も、決して軽視できることではありません。
「隣組構想」とは、御近所の信徒(十世帯程で一単位)がグループを作り、家庭集会・お茶飲み会、また「ぶどうの木」の利用等、自由なカタチで年に数回分かち合いの場を持ち相互に絆を深めて行くことにより、身近にある様々な情報(問題)を掘り起こし、共有しもしそこに問題があるなら、解決を図るのが目的です。「隣組」単独での対応が難しければ、活動部、地区、ブロックそして最終的には教会委員会まで、協力や助力を求める。小さな細胞に過ぎない「隣組」が発信源となって、教会全体を動かす・・この教会がブロック制を敷く本来の意味を、ここに実現できるのです。多くの人がブロック運営に関ることで、一人一人にかかる重荷を軽くしたい・・そんな思いも込められています。また横浜教区から求められ、現在壮年部が中心となってまとめている「防災計画」にも、「隣組」は大きな役割を担うことになるでしょう。この構想を進める上で、一区・山崎御夫婦、二区・福山御夫婦、そして三区・内嶋御夫婦に委員になっていただき、今後詳細を詰めることが決定しています。分かち合いの中で、「この隣組の考え方は大賛成! 我が家を開放します!」との発言も早速飛び出し、大変嬉しく、また心強い思いをいたしました。
ブロック内のコミニュケーションを良くすべく、もう一本の柱である「楽しいこと考えましょう!」の方も、二区の魚津靖太郎さんに座長をお引き受けいただき、男性陣を中心に早くも春のバーベキュー、秋の行楽の計画が具体化し進んでいます。
キリストの体にも例えられる「共同体(ブロック)」を、皆の力を合わせて隅々の毛細血管にまで温かい血を送り込み、もっと健康に! もっと元気にしたい! そんな思いが一つになった「辻堂ブロック集会」でした。
藤沢ブロック集会を終えて
藤沢2区 安田
例年になく暖かい3月14日、藤沢ブロック集会がセンターホールで開かれた。先ず代表と連絡委員の自己紹介が行われ、入信間もない人や教会に移ったばかりの人が多く、新しい感覚に期待しよう。 本年の活動計画については典礼を中心とした定例行事の充実した遂行に心がける。
典礼について北一ブロック代表辻垣正彦氏から懇切丁寧な説明を受け、典礼要員の拡充のため講習会への積極的参加と典礼チームの立ち上げが提案された。
家庭集会を各地区一回実施する。
藤沢一区の古沢尚美氏からカトリック以外の信者や未信者も参加して自宅で実施されている「祈りの会」の報告があり、感銘を受けた。公民館等の利用も考えたい。
連絡網の断線防止について地域的まとまりや長さを短くする等が提案された。
黙想会は一月に片瀬教会で実施ずみで、すばらしい会であったが反省意見も出され、他ブロックとの共催が望ましいとの結論を得た。
遠足は五月に市内近い所で行う。
新人歓迎会は5月16日11時からセンターホールで行う。
教会五十周年、湘南台センター十周年の記念行事についてのアイデア提案を募集することになった。連絡委員までどうぞ。
隣組構想について辻堂ブロック代表浮田久之氏から詳しい説明を受けた。
このような会合に他ブロック代表二人から 情熱あふれるご意見を頂いたことは特筆される良き前例となろう。心から謝意を表したい。
国際交流「料理を作って食べよう会」
国際部 フジモト
藤沢在住の外国人と日本人の交流を深めるために、最初の試みとして2月29日(日曜日)午後2時からフィリピン、ラテンアメリカ、ベトナム人を含む約50名の参加で料理を作って食べる会が開かれた。
料理は日本の先生による「豚汁」と「お赤飯」で、材料を洗って切るところから教えてもらい、とてもおいしくいただき家で作るのに役立ちそうです。この料理を教えてくださったことに厚く感謝しています。これからも沢山の人達が利用されるように私たちの文化の交流を続けていきたいと思っています。
福祉部だより
ホームレス支援の活動
現在藤沢では火曜パトロールの会を中心に、藤沢駅周辺での支援活動を行っています。火曜パトロールの会では奇数週火曜日の夜のパトロール、第2火曜日の食事と話し合いの会、年数回の行政との話し合いなどを行っています。それ以外にパトロールに参加している方を中心に、毎週金曜日のおにぎり配りも行っています。また、藤沢市内には駅周辺以外にも海岸砂防林や湘南台を中心とした北部地域にも野宿生活をしている方々がおり、そこで訪問支援活動をしている他のパトロールグループやボランティアの方とも連携して活動しています。
そして日常的な活動としては、教会事務所を窓口としてカップ麺の提供、シャワー利用の受付、様々な生活相談を行っています。生活相談の中には、健康面での問題、福祉にかかる上での相談、衣類や生活必需品について仕事についての相談、帰省するためや就職活動で面接する際の交通費の工面など様々なことがあります。その中で公的な支援を使えそうなものに関しては福祉事務所への働きかけをしたり、NPO湘南ライフサポート・きずなの宿泊施設提供事業や保証人バンクの利用、口コミでの仕事探し、金銭についても必要に応じて最小限度の貸し出しを行うなど出来る範囲でのサポートを行っています。
そんな中で、昨年度のバザー収益金の中から50万円という思わぬ大金をいただき感謝しています。暖かくなると同時に増えてくる野宿の方々へのこれからの活動に有意義に活用させていただく所存です。
関心のある方は是非ご参加ください。
卒業感謝ミサ
日曜学校 清水
3月21日、23名の子どもたちが日曜学校を卒業して行きました。6年前、日曜学校の入学式でお兄さん、お姉さんの前で、一人ずつ名前を言って自己紹介したことが昨日のように思い出されます。
途中、受験勉強やスポーツなどのために来られなくなってしまった子どもたちも多数おりましたが、聖劇には参加したり、また卒業感謝ミサでは、様々なミサ奉仕をしてくれました。これからも教会の中でそれぞれのタレントを生かし、活躍して行ってくれることを望みます。そしてまた、心も体も成長して新しい学校でも頑張って行ってくれることを期待しています。ご卒業おめでとうございました。
六年 大渡
私は卒業感謝ミサというのはどういう感じだろう? 学校の卒業式と同じような感じかな? と思ってました。でも実際、想像とは違ってました。 はじめ、私は奉納だと言われて「あぁ、奉納か」と思っていたら、急に侍者と言われ、びっくりしました。けれど、失敗せず、うまくできました。すごくホットしました。
卒業感謝ミサの侍者、うまくいってよかったです。
横浜教区カトリックスカウト団・指導者研究会
藤沢16団 岡田
3月13日(土)山手カトリック教会にてカトリックスカウト団神奈川支部8ヵ団の団指導者研究会が、梅村司教(カトリックスカウト指導者協議会担当司教)のご指導のもと各団の団委員、リーダー約30名の参加を得て行われました。藤沢十六団からは清水団委員長以下、9名が参加しました。
司教様の講話は、@教会がスカウト活動に求めること、Aスカウト活動における典礼の取り入れ方,というテーマについて二回に分けて行われました。
まず「教会がスカウト活動にもとめること」としては、教皇様の『受肉の秘儀』(2000年)、『文化間の対話 愛と平和の文明に向けて』を手がかりに、様々な壁を乗り越えて互いに愛し合うこと。具体的に教皇庁公認団体である国際カトリックスカウト協議会のメンバーとして、民族、文化、言語の相違を理解しあい、認めあい、受け入れあうことによって、世界平和のために協力していくこととされました。その際、司教ご自身のローマ留学中の異文化体験が分かち合われ、日本人として当たり前のことがインドやアフリカの文化の中で育ってきた人には当たり前でなかったこと(アフリカからの留学生神父のドアの開閉がうるさいと思っていたら、ドアのある生活が初めてだった等)、そしてイエスも当時の価値観をひっくり返された(よきサマリア人のたとえ)のであり、特に外国籍信者が増加している日本の教会は、異文化への偏見を取り除き、互いに理解しようとする姿勢が求められていると話されました。
次に「スカウト活動における典礼の取り入れ方」について、スカウトのほとんどを未信者が占める場合、ミサへの参加より、福音を伝えることが重要であり、み言葉の祭儀をスカウトと共に行ったり、スカウト活動自体の中で福音を伝えるよう工夫して欲しいと言われました。併せて司教様は、今の子供の他者感覚のなさに対して、「共感する心」を育てること、日本社会の画一性・効率優先・異物排除の論理に対して、「多様性の中の一致」を育てることの大切さを強調されました。そしてそれ即ち、神のあわれみの心、いのちへのまなざしを共にすることだと話されました。
その後、参加者同士で各団の事情を分かち合い、信徒でない隊指導者と教会側との壁を乗り超える努力と、スカウトに福音を伝えるための進んだ取り組み(当団のキリスト教章講座等)を学び合う必要性を共有しました。
最後に司教様から講評として、司祭同様、団指導者の高齢化が進んでいることに対して後継者を育成するよう希望が述べられました。 司教様の講話は、団指導者だけでなく、育成団体である各教会の信徒にも向けられているように思います。「肝心なことは(スカウトに)福音を伝えることです」という司教様の言葉は、私達の信仰生活、教会共同体のあり方に確かな道しるべとなることでしょう。
生命に特許はいらない
ポール神父
先日のことですが、日本政府は特許だけのための新しい裁判を作ることになりました。 問題というと遺伝子は生命の基礎的成分なのです。遺伝子に特許を設定することは、生命に特許を設定することになります。遺伝子が科学者や会社のものになり、その科学者や会社が生命を所有することになります。
これでいいでしょうか。生命は神様が私達にくださった贈り物です。一人の科学者、一つの会社がその生命を自分のものにしていいのでしょうか。科学者の中でもこれはいけないという人が沢山おります。教皇さまもそうおっしゃっています。生命は人類のための皆のものです。こういうふうに遺伝子に生命に特許を設定することは生命を商品にすることです。生命を販売することになります。生命を商品にしていいのでしうか、生命を販売してもいいものでしょうか。
特にアメリカなどでは、多くの農家は遺伝子組みかえの種を蒔いて大豆、稲、小麦、とうもろこし、綿などを作っています。遺伝子組み換えの植物の花粉が虫、風、鳥などによって飛ばされることがあります。このため近くの畑のものが、汚染され知らないうちに遺伝子組み換えの植物に変わることがあります。こういうふうに全世界の植物が特に食品になる植物が少しずつ遺伝子組み換えのものになってくること可能性が高いのです。そうなったら私達に食べられるのは遺伝子組み換え食品だけになり選ぶことが出来なくなります。これと一緒に生物の多様性がだいぶ影響を与えられて少なくなってきてきます。
世界の環境動物、植物が私達にどんな影響を与えるか未だ分かっていません。全世界の食べるものが遺伝子組み換えのものになったらその特許を持っている会社が、全世界の食べるものを支配できるようになります。例えばアメリカと日本は今は仲がいいですが、仲が悪くなって来たら、その特許の種を持っている会社は、日本の農家に来年は、その会社の種を売らないことにするかも知れない、こういうことも考えられます。遺伝子組み換えの種は普通の種と違って農家は毎年毎年、その会社に使用料を払わなければなりません。一回買って蒔いて作って収穫して、次の年までその種をとっておいて蒔けるわけではありません。毎年毎年毎年、種を買って蒔かなければなりません。もちろん貧しい国の農家は毎年払うことが出来ません。
もう一つの問題は、この技術を研究している会社は科学者を全世界の貧しい国々に遣わしてその国の植物、動物などの遺伝子を探しています。いいもの、いいお金になるものを見つけたら、それをアメリカやヨーロッパへ持って帰って特許を設定して貧しい国の植物や動物の遺伝子をその会社のものにしています。動物、植物だけでなく、原住民の血液もだまってとってその血液に入っているいろいろなものに特許を設定しています。このために貧しい国々の人びとは非常に怒っています。
それから遺伝子組み換えという技術にも問題があります。遺伝子組み換えの「さけ」が出来ています。この「さけ」は普通より、早く大きくなります。特に頭の方が早く大きくなりその魚は呼吸が出来なって、最後に頭が大き過ぎて苦しみながら死んでしまいます。人間が神様がお作りになった動物を勝手にいじったり、苦しめてもいいものでしょうか。
遺伝子治療のことでも特許を設定すればお金になるので会社は特許設定が出来上がるまで秘密にします。当然のとこです。こういうこともあるのです。ある会社はある病気のことを研究しました、その病気の治療と原因が大分分かってきました。この病気が起こった時、医者が会社にその病気に必要な知識(データー)を与えてくれるよう頼んだら会社は拒否しました。この知識はうちの会社のものですから病気の人のためでも与える必要はないといっています。このことは特許を設定している国の制度の問題です。日本で一月から京都大学は実験のためにES細胞を提供することにしました。ES細胞は人間の体のどんな部分にでもなれることが出来ます。手になれる、脳になれる、骨にでもなれることができます。この会社は細胞を実験のために欲しいのです。問題は女性が普通に妊娠できない時に体外受精があります。この時に一つだけの受精卵だけでなく、いくつかを作るのです。その中から一つだけ選んで女性の体の中に入れます。残った受精卵を利用してその中からこのES細胞を取り出して実験に利用します。この受精卵はもちろん生きているものです。人間になる可能性があります。このように実験に勝手に利用していいのでしょうか。
最後に恐ろしいことと思いますが、この遺伝子組み換え技術がもっと進んで来たら、人間は注文赤ちゃんが出来るようになってくるそうです。例えば頭のいい必ず東大に入る子供が欲しかったらその知識の遺伝子を買って、医者にそのヒトハイ赤ちゃんの中に組み替えしてもらってそういう子供を作ることが出来るようになってきます。野球がすきな方は野球がうまい子供を作りたいと思うかも知れません。そのために必要な遺伝子を買ってそういう赤ちゃんを作ることが出来るようになってくるでしょう。
科学者がいうのは、こういうふうになって来たら人類は二つに分かれてくるでしょう。この特別の遺伝子を持っている人と、私達みたいな普通な人の二つに分かれ、全然別な違うものになって来て、お互いに結婚出来なくなるくらいです。私達みたいな古い人間はその超人間の僕か肉体労働者になるでしょう。もちろん注文赤ちゃんが出来るのは金持ちだけですね、遺伝子は非常に高いものですから。人類一部にだけそういう赤ちゃんができるでしょう。
こういう状況から昨年コロンバン会は他の団体と一緒にキャンペーンをおこしました。 今日の福音書は、この状況に深い意味があると思います。私達は本当に神さまだけに仕えているでしょうか。神さまだけに頼っているでしょうか。変な道をたどっているんじゃないでしょうか。
「カンボジア福祉基金藤沢」の活用状況と今後の計画
応援する会世話役代表 小藤
アジア各国で地域の人たちと一緒に生活しながら、支援活動を行っているJLMM(日本カトリック信徒宣教者会)の事務局長山口道孝神父から、私たちの「カンボジア福祉基金藤沢」が活用されているカンボジアのトンレ・サップ湖上村コンポンルアンの現状と今後の活動計画について以下のようなメッセージが届いていますので、皆様にお知らせいたしますとともに、今後ともご協力をお願いいたします。
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藤沢教会の皆様へ
日本カトリック信徒宣教者会事務局長 山口道孝神父
JLMM.C.(日本カトリック信徒宣教者会・カンボジア)は、「カンボジア福祉基金藤沢」(藤沢トンレ・サップ・パートナーシップ)に支えられて、想像を絶する最悪の住環境の下におかれているトンレ・サップ湖上生活者のこどもたちのために活動しています。どうか、ご理解とご協力よろしくお願い申しあげます。
人口約1万人、約1500世帯の内、その半数は、現金収入がほとんどなく、食料、薬、教育費を捻出することができない。中には、栄養不足のため母乳の出ない母親、食糧が買えず飢えている家族がいる。また、大多数は、カンボジア生まれのベトナム人で、経済的理由もあって教育を受けられないためカンボジア語を理解できないばかりか、ベトナム語ですらその識字率は非常に低い。
健康上ならびに経済面で極度に深刻な状 況にある乳児、あるいは老人に対する粉ミルクや薬、食料、病院への救急搬送費の支 給、またその家族を対象にしたホームケアの指導
ベトナム人のこどもが、カンボジアの公立小学校で学習できるようになるための、カンボジア語予科教室(プレ・スクール)の実施
プレ・スクール終了後、公立小学校に入学可能な子どもの一部を対象とした奨学金制度の導入(2004年9月から実施開始予定)
外部との接触がなく、教育もまったく受けたことのない成人女性を対象とした識字教室の実施
前記4を継続しながら、女性に健康管理、予防、衛生に関する基礎的知識を提供する教室の実施 (2004年5月から実施開始予定)
女性のエンパワーメントをベースとした医療専門家不在の第一次医療(プライマリ ーヘルスケア・PHC)、並びにコミュニ ティ・ヘルスのための人材を育成するセミナーの実施(2005年度実施予定)
A.母子共に深刻な栄養状態にある乳児10人前後に対して粉ミルクを支給する。(上記1)
医療処置が必要である母子・老人を医療機関に送るための交通費を支給する。(上記1)
1缶1キログラムの粉ミルク(乳児約1か月分)約700円、年間8,400円の10人分、84千円及び医療機関への交通費(1か月2ケースの支援)約6千円、年間72千円、計156千円
B.上記5、6を実施するためのスタッフの養成
衛生教育、コミュニティ・ヘルス、識字教育指導を対象とした養成コース(3ヵ月コースの予定)に、村出身の2名ないし3名を派遣。交通費、食費、コース参加費を含め3ヵ月派遣1回分約53千円、3人分として約16万円(AからBへ活動内容を徐々に移行していくことを計画しています)
2004年2月29日
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「カンボジア福祉基金藤沢」の基金は、定期預金の年利3%によって、年間約750〜800ドルの利息額をプログラムにまわす事が可能です。しかし、前頁AB,を実施するためには充分とは言えず不足分は継続した募金収入に頼らざるを得ないと考えます。
2001年の藤沢教会のバザーの収益金300万円をもとに発足した「カンボジア福祉基金藤沢」はその後二回のバザーの収益の一部、また信徒の有志の方々からの援助により基金は今日現在約370万円になりました。そしてこれらの資金はJLMMカンボジアに送られ米ドルにて管理・運用されています。これまでのご協力に感謝いたしますとともに今後とも引き続き応援して下さるようお願いいたします。
なお「カンボジア福祉基金藤沢を応援する会」では原則、毎月第2日曜日9時半のミサ後「福祉コーナー」にて皆様かのご支援を申し受けますので、どうぞお立ち寄り下さい。
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仏教とキリスト教 (8) 日本的霊性、その三「師家」
藤沢2区 兼子
日本人は純粋に教義上の優劣ではなく、その教えを信奉している人の人格や徳によってその教えの価値を判断する。つまり「あの方がそうおっしゃっているのだから間違いない。教えの内容はともかく、あの方がそうおっしゃるのだから信じよう」。それが日本的信仰の特徴だと思う。そう言う意味では日本人は教義や宗教的理論のもっている体系美や言表された真理の効力よりも、師から弟子へと文字を介さず(不立文字)体験的に伝えられる真理の方(教外別伝)を重視するようだ。しかし古代のイエスと弟子の関係を見ていると、やはりそうだったのではないか。懐疑家のトマスはイエスの傷痕に触れると翻然としてイエスの復活を信じたし、かつてイエスの上京のもつ意味をそれほど深く理解していなかったときでさえ(それを言えば、イエスの弟子の誰一人、生前にイエスの死に終わる使命の意味を理解していた者はいない)、「イエスの行く所にどこにでもついていき、ともに死のうではないか」と言っているのだ。意味はわからないが、師イエスに殉じようとするのだ。
禅宗はじめ日本仏教では師弟の関係は重視される。だからキリスト教においても多くの信徒、そして私自身もやはり聖職者の徳に魅かれる。そう言う意味では、私たちの周りには数多くの有徳の師がおられるが、とりわけ奥村一郎師はキリスト教と日本的霊性を考える上で、先ず第一に挙げられよう。著作や講演によって存在を存じあげていたのだが、実際に謦咳に接する機会を得たのは2000年(大聖年) のファチマ・ローマ巡礼の時である。旅の途上のごく早い時期に大テレジアで有名なアビラで相見の機会に恵まれた。
その頃、私の心の中には大きな疑問があった。昭和40年代の中頃に私は渋谷のドミニコ教会で教会学校の校長をしていたのだが、疑問とはその教会学校での体験に由来する。小学校高学年クラスで初聖体の準備の時間だった。私が「ご聖体とはイエス様の体です」と言ったところ「それじゃあ、人食い人種だ!」とある学童が喝破した。その言葉は私の心の底に永い間、沈んでいたが、最近になって疑問として浮かび上がって来たのだ。
奥村師は一言「大事な問題ですね」と呟くと、直ぐに私を小部屋へ招き入れ話をじっくり聴いて下さった。日本でも古来、超自然的な霊威に対して生贄を捧げること、供犠の習慣(人身御供人柱) はある。古代のギリシャと同じく捧げられる生贄動物は生きた動物から米(小麦)の粉で作られた餅に変わったが今でも収穫物を供えることはその名残である。しかし地中海世界で行われていたように生贄動物を屍り、その血を完全に抜いた後に火に炙り神(神々)に捧げ、しかもその肉を陪食する習慣はない。イエスが最後の晩餐の席上、パンと葡萄酒を祝別され、ご自分の肉と血であるとして、その後のミサにおける聖体祭儀のモデルを制定されたときに、お弟子たちは暗にイエスが生贄の小羊として、まさに祭壇上の犠牲獣に擬されていることを意識しただろう。「以後、私の記念としてこれを行いなさい」。レヴィ記によればユダヤ人が動物の血を飲んではいけない理由は「血は(その動物の)生命」だからである。逆に言えば、イエスの血を飲むことは、その生命そのものをいただくことであり、その体をいただくことはその聖なる生命に与かることである。だからこそ永遠に死なずに生きると言われるのだ。それは理解できる。しかし問題はその聖変化させられたパンが象徴ではなく、文字通りイエスの体である点なのだ。恰もイエスの体である「かのように」振る舞うことならば、つまり象徴として受け取ることは出来る。しかし師は「いいえ、象徴ではありません」と明言された。しかしそうならば、文字通りイエスの体で、それは食人カニバリズムだ。勿論復活されたイエスの体は生前の人間としての体ではないと言う解釈(パウロならそう言うだろう)もあるだろう。奥村師は「難しいが大事な問題ですね。しかしそれは神秘なのです」と仰ったように記憶している。
私の素朴な、十歳の児童のような質問を師は正面から受けとめて下さった。解決するよりも、とにかく受けとめて下さる方を私は欲していたのだ。その時いらい、私は師のお供をして毎年、巡礼に参加したり黙想会でご指導を仰ぐ。その中で私が特に忘れられないのは2001年の10月の巡礼だ。9・11テロの直後だけに私自身も家族の強い反対にあった。巡礼そのものが中止になるかも知れない。いっそ、その方がいいのだ。誰もが迷った。どんどん出発の日は近づく。しかし不思議な事に三、四日前になると迷いは一切なくなった。明鏡止水の境地である。成田に集合しルルド(私は近代合理主義の哲学の徒であるから、それ迄ルルドには些か縁が薄かった)アッシジ、ローマへの巡礼に旅立った。病欠の一名を除いて最初の申し込み時から一人も欠けなかった。この師と一緒なら死んでも本望であると誰もが思ったに違いない。帰国後に上野毛迄お送りした時、神父様との付き合いが長いもう一人の方から伺った。一時は神父様も血の汗を流して判断に苦しまれたそうだ。大勢の信徒の生命に関わることなので責任感から中止の選択もあった。「中止はしかし、旅行社の方の生活がかかっていますからねえ」と仰ったそうである。出発の直前迄、文字通り皮膚から血の汗を流し、どうすべきか神様に祈られ、ご自分の体調まで崩して、しかも、巡礼の途上でそれをおくびにも出されない師。食卓においては壮年を凌ぐ健啖家、ミサの司式においては謹厳実直、人々に混じっては談論風発たえず微笑を絶やさぬ度量の人。自己に厳しく他者に優しい修道者。日本の土着性と東西の最高の知性の組合せ。仏、伊への巡礼の間中、侍者もどきを勤め、つねに師の傍に侍った至福の十日余であった。
「葬儀を考える会」が発足して5年余りが過ぎました。その間、葬儀費用の見直し、業者との折衝、〈臨終から葬儀まで〉の手引き書の作成などを行ってまいりました。
今、未来に向けての課題として挙げられたのが、〈お墓の問題〉です。藤沢教会には共同体のための墓地はありません。近隣の教会のいくつかは、概ねそれぞれ準備しているようです。そこで私達も教会として、何らかの方法を探すか、各自で解決して行くしかありません。
共同の墓地を作ることは、大変に難しいことです。土地の確保、許可を取ることも簡単なことではありません。考えられる一つの方法として、教会の敷地の一部を活用することも考えられます。とはいえ、個人の墓や納骨堂を建てることは、たやすいことではありません。
そこで未来に向けて、共同体の人びとが共に葬られる「合葬」という考えが浮かび上がってきました。これは「葬儀を考える会」で話し合われたことで「キリストと共に葬られた者は、キリストの復活の生命に与る」の聖書の言葉を現す一つの形でもあります。また環境問題、資源、土地、少子化、高齢化、後継者、経済的問題等のニーズにも適っていると思われます。
藤沢教会の共同体が、来年迎える50周年の記念事業の一つとして、今後このような方向で考えを進めることに賛同をいただけるかどうかを、皆様にうかがいたいと思います。つきましては、簡単な方法ですが4月18日(日)の各ミサにいらした方々と、ベトナム、フィリピン、南米コミュニティの方々のご意向を確認させていただきたいと思います。
この結果を踏まえた上で、今後各ブロック等での検討を考えておりますので、皆様のご協力をお願いいたします。
2(金)初金ミサ・例会
4(日)受難の主日(枝の主日) 救急講習会 12時30分より
8(木)聖木曜日:ミサ・洗足式 午後7時30分
9(金)聖金曜日:十字架の道行き 午前9時半 受難の祭儀 午後7時30分
10(土)聖土曜日 復活徹夜祭 洗礼式 午後8時
11(日)復活祭
18(日)日曜学校始業式、福祉勉強会
25(日)初聖体