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八 角 形 に ゅ ー す

2004年5月2日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

宣教生活を振りかえって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マーフィ神父

教会委員会報告

静修の日

北2ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北2 中村

記念すべき日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 佐々木

洗礼・堅信式を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 奥原

救命救急講習会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 益満

福祉部主催勉強会を聴講して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 前田

仏教とキリスト教(9)キリスト教的霊性、その1「聖霊の働き」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子

お墓を考える(2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・葬儀を考える会

5月の主な行事

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宣教生活を振りかえって
チリロ・マーフィ神父

 今年の1月、月に1度の司祭の黙想会が山手教会で開かれたときに、御ミサのお説教を私が担当することになりました。今年アイルランドへ帰ることもあり、今までの司祭生活を振り返って話をしましたので、その内容を皆さんにご紹介したいと思います。

なおこの日の福音はマルコによる福音書の3章第31〜35節で、この最後の部分を引用しながらお説教を始めました。

「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ3・35)とイエス様はおっしゃっています。私たちは皆神様のみ旨を行いたいと思っていますが、時々、それが何かわからない時もあります。

 ご存知のように、私は今年日本を去り、故郷のアイルランドに帰ります。神様のみ旨が何であるか長年考えた末、75歳になったら国へ帰り、アイルランドやイギリスでコロンバン会の福音宣教活動に参加しようと決心しました。これは容易な決断ではありませんでしたが、悩みながらも、自分の福音宣教についての考え方が今までどのように変わってきたかを振り返るよいきっかけとなりました。

 私は51年前に叙階され、その後すぐ日本に派遣されました。日本で7年間過ごした後イギリスに任命され、そしてアイルランドで20数年間働きました。そして20年前、再び日本に戻ってきたのでした。つまり私が司祭になってから、日本で計27年間、イギリスとアイルランドで24年間過ごしたことになります。

 20年前再び日本に来たときには東京の豊島教会に助任司祭として任命されました。ある日、森司教様が豊島教会の私のところに訪ねていらっしゃいました。一緒にコーヒーを飲んでいると司教様に「神父さんはどうして日本に帰って来たのですか? 日本の教会のために何かやりたいことがあるのですか」と聞かれました。当時55歳だった私は一瞬どう答えてよいのか戸惑いました。「何もできないかもしれませんが、信徒の皆さんと共に福音宣教のために働きたいのです」と答えたものの、このように質問されたことに私はとても驚きました。私が51年前、初めて日本に来たときにはこのような疑問は思いもつかないことだったからです。なぜなら当時、司祭や宣教師の役割ははっきりしていて、ミサを捧げ、聖務日課をこなしてさえいれば、神様の栄光のため、日本の人々の救いのために働く良い司祭、良い宣教師といわれたからです。

神様のみ心を行うということは教会の決まりを守ることでした。私をはじめ多くの司祭はこのような素朴な考え方を持っていました。神の掟と教会の法が、私たちの生活の中心でした。掟を破ることは神様に背き、救いの恵みを失うことにつながるので、司祭が人々をしっかり見張っていなければ、司祭自身も救いの恵みにあずかれなくなると思われていました。

 第二バチカン公会議後、ローマのグレゴリオ大学の先生の講義を受ける機会があったのですが、このときの話は私の考え方を大きく変えました。その神父様は「公会議によってもたらされた最も大きな変化は、教会の考え方の中心が『掟』から『人』に変わったことです」と話して下さいました。公会議以前は司祭が悩みを抱えた信者に出会うとまず「自分は教会法が定めることをどう行うべきか」ということを考えましたが、公会議以降は「このような状況の中で、この人をどうやって助けることができるか」と考えるようになりました。掟も重要ですが人はもっと大切なのです。

 私が日本に戻ってきたのは公会議後で、他の人との接し方は大きく変わりました。また信者さんとの交わり以外においても、自分の中でいろいろな変化がありました。例えば、エキュメニズムを進めるため、他のキリスト教会の人たちと対話し協力するようになりました。またキリスト教以外の伝統的な宗教も尊敬し、彼らと対話するようになりました。昔、私は一度も牧師さんやお坊さんと宗教について話したことがありませんでしたが、公会議をはさんで日本に戻って来てからは彼らとも交わるようになり、それにより私自身も豊かになりました。

 私に特に大きな影響を与えたのは、公会議が「教会は神の民である」と強く訴えたことです。私たちは司教も司祭も信徒も、そして教皇様もまた神の民の一員です。皆が神様の前に平等な存在で、異なった役割を持ちながらも神様の約束の国へ向かう旅を共に歩んでいます。カトリック信徒だけでなく、全ての人がその旅路にあり、互いに導き合い、助け合わなければなりません。この教えは私の司祭としての役割に対する考え方に大きな影響を与えました。司祭は神の人、祈りの人、そしてリーダーであり、また信徒は神の民です。信徒は神様のみ国のために働くよう呼ばれています。リーダーとして、私は信徒一人一人が共同体におけるそれぞれの役割を見つけることができるように招き、励まし、働くようにしなければなりません。

 公会議により、司祭の務めや役割はだいぶ変わり、難しいものとなったと思いますが、信徒たちと一緒にいろいろなことを話し合い計画を立て、そしてその計画を実現していくことは、私にとって楽しく貴重な体験でした。信徒の霊的成長を垣間見ることもできました。

 私は5月の終わりに国に帰りますが、日本で習ったこと、豊島教会、千葉寺教会、そして特に藤沢教会の共同体から学んだことを、少しずつアイルランドやイギリスの教会に伝えていきたいと思っています。様々な問題に直面する現地の教会に新たな息吹を送るきっかけになるようにと祈っています。日本を去るのは寂しいことですが、希望をもって感謝のうちに国に帰りたいと思います。



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教会委員会報告(4月17日)

<報告事項>

(1)財務報告

 本年第1四半期(1〜3月)の財務状況が報告された。

  1. この間の収支合計は123万円のマイナスとなった。

  2. 収入では前年同期に比べて祭儀収入が大幅に減った。祭儀の件数が少なかったのが主因。金額的に比率は小さいが施設設備使用料がふえている。センターの利用が活発化していると思われる。

  3. 支出では制度の変更によって本部納入金が296万円増える一方、人件費が152万円減った。その他布教強化費が若干増加しているのが目立つ。 

(2)湘南台センター関係

 湘南台センターのスタッフを開設以来担当されてきた落さんが五月で辞めることになった。後任は教会スタッフとしての勤務ではなくボランティアとして募集している。ただし有償ボランティアとして交通費、昼食費は支給する。業務内容は単なる留守番ではなく、落さんの代わりとしての役割を期待する。

(3)ブロック

@鵠沼ブロック

A藤沢ブロック

B辻堂ブロック

C北1ブロック

D北2ブロック

(4)活動部

@ 壮年部

A 典礼部

B 教育部

C 宣教部

D 福祉部

E 国際部

<討議事項>

(1)マーフィ神父様の送別関連

  神父様へのメッセージカードと餞別のための封筒を用意するので希望者は5月9日(日)から23日(日)の間にお願いする。(一粒会担当)

<その他>

(1)教会50周年

 いくつかの提案あったが、さらに広くアイデアを求めることにした。

(2)マーフィ神父様の後任

 今のところ後任はない見込み。ハンラティー神父様はこれまでの仕事に加えて、聖園と湘南台センターのミサも手伝ってくださるとのことで大変ありがたいが、マーフィ神父様の全部を二人でカバーすることは不可能。各ミサ、事務所の時間外の電話対応、葬儀関係など今までどうりは難しく、共同体として何ができるかを考えたい。

(3)堅信式

 6月27日の堅信式の案内を対象者600名に出した。その準備を第一回5月15、16日、第2回を5月29、30日、第3回6月5、6日、第4回6月12、13日に実施する。堅信希望者はそれぞれの回のいずれかの日に出席すること。



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静修の日

 3月28日(日)当教会のマーフィ神父様によって九時半のミサに引き続き静修の日(講話、黙想、共同回心式)が行われましたのでご報告いたします。

 復活祭の準備として毎年この日があります。皆さまの信仰のため、そして私の信仰のためにも午前中この一時間祈りについて話します。

 この教会では祈りについて沢山の話、講座などあって皆さまは祈りについてご存知かと思いますが、今日は話を聞くだけでなく、心から祈る時間を作りたいと思います。

 イエスは祈りを大切にし、いつも祈りなさと何回も話されました。それはちょっと無理かも知れませんが一つの方法として、私は先日のニュージーランド巡礼旅行の時、皆さんに朝夕の祈りのカードを差しあげました。それはこのようなものです。

「新しい朝を迎えさせてくださった神よ、きょう一日わたしを照らし、導いてください。いつもほがらかに、すこやかに過ごせますように、物事がうまくいかないときでもほほえみを忘れず、いつも物事の明るい面を見、最悪のときにも、感謝すべきものがあることを悟らせてください。自分のしたいことばかりでなく、あなたの望まれることを行い、まわりの人たちのことを考えて生きる喜びを見いださせてください。アーメン。」 この祈りは時間にしてわずか1分くらいのものでしょう。カードを渡した後、ある方から「神父さま、朝の祈りのカードありがとううございました。じつは私は朝の祈りをどのようにすればよいのかよく分かりませんでした。これで毎朝祈りができます」とお礼をいわれました。

 私も毎朝ひざまずいて神の栄光と賛美、そしてこの教会のために祈ります。これによって一日を神のみ手にゆだねます。

 祈りには大体三つの種類があります。礼拝の祈り、感謝の祈り、恵みの祈り(ゆるしを願う祈り)があります。

 第一の「礼拝の祈り」は神を賛美し、神をほめたたえ、この時は自分のことを考えず神のことのみ考えます。全能の神は私達を全き愛をもって天地創造をされ、神にかたどって人間を造られたことなど、神のすばらしさを思いただ頭をさげて祈ることです。

 第二の「感謝の祈り」についてはこういうことがあります。信者でない人は感謝の心はもちろんありますが、神様に感謝の気持ちをささげようとはたぶん思っていないようです。何か苦しみのある時、問題のあるとき手を合わせてその時だけ祈るのです。正月の時にもこの一年の幸せを祈るかも知れませんが、余り前の年の恵みのことはないかもしれませんよく分かりませんが。しかし信者の場合はよく考えて祈ります。夜になって今日一日を思い出し、恵みを感謝します。例えば、古い友達にあって楽しかったです。またいいことがありましたとか、ですが祈りも時と場合によって少し変わります。例えばこのたびの洗礼志願者はキリスト教講座を勉強する機会を与えられ、自分を知るようになったことなどで洗礼をうけることになり神に感謝します。また私達は自分の歴史を見ましても自分が生まれたこと、そしてつらいこと、いろいろなことがたくさんありますが、このことは単に偶然でしょうか、よく見ますと神様のみ手の中で、神様の導きがあったことを思い起こされます。私達は洗礼の時のことを感謝し、私は叙階の時を思い出して感謝します。

 第三の「恵みを願う祈り(ゆるしを願う祈り)」について、昔はこのことは二つに分けられていましたが、神の恵みは、ゆるしですので私は一緒だと思います。私達は自分自身が欠点だらけだということを認めます。これは正しいことです。そしていろいろ一所懸命やっています。しかし私達は口には出しませんが心のなかではいろんな働きがありますので神のゆるしを願わなければなりません。

 私達は自分の罪だけでなく、世のすべての罪、共同体の罪もあるのです。例えば世界では沢山の人が殺されています。私達も同じ人間ですから、私の心の中に殺人の罪はなくても種はそこにあるのです。そして罪をおかしたことになるのです。ですからそのために祈らなければなりません。

 午後からはミサについて講話がありました。

 マーフイ神父様はテハン神父様からこの黙想会の担当をいわれた時、私はすぐにミサについて話したいと思いました。なぜならミサは私たちの信仰生活の中心だからです。

 私達は何回もミサについて説教、話などを聞いています。そして私達はたびたびミサにあずかりますが、その偉大さについては忘れがちになります。繰り返しミサの意味を黙想することは霊的に大変深くなると思います。

 私はミサの時、最後の晩餐の記念をイエスと兄弟姉妹とともに祭壇を囲んでイエスのご受難ご死去を思い出します。私達は十字架上の時はイエスと共におりませんでしたがミサの時は一緒です。そして聖変化の瞬間は私達は一致します。特に聖体拝領の時はイエスと一致し、そして共同体とも一致します。これらの神秘的なことは説明することもむずかしいことです。イエスは私達の罪のため、十字架上で亡くなられましたが、今は復活されたイエス(生きておられるイエス)は、この祭壇の上におられ御父の栄光と私達のために天の門を開かれたのです。そして「わたしがあなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい」とおっしゃられました。

 ミサにあずかる前に、私達は静かにして心の準備を整えます。聖霊に力によって司祭を通してキリストの御体、御血をいただくことイエスは復活して祭壇の上におられることを黙想します。



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北2ブロック集会
北2 中村

 今年度初めての地区集会が3月27日(土)午後1時30分より4時まで、湘南台センターで行われました。出席者30名、そのうち初参加者4名が大きな喜びでした。

 はじめに新役員紹介、続いて受洗・転入された7名の方に心ばかりの花束で歓迎し、出席できなかった方には、お近くの人がお届けの約束をしてくださいました。

 その後、年間行事の確認、係の役割(地区集会係、当番月係、ミサ当番月係、黙想会係バザー対策係、カード配り係、福祉委員の手伝い)これらの係を一人一役で担当し、皆で手助けし役員の負担を軽くする。この係の中には新しい方も加わり教え合い、係の輪を広げていくなどが話し合われました。

その他

  1. 4月11日、4月24日にバザーについて北一ブロックと合同で打合せ会。

  2. 6月に北一、北二ブロックと合同黙想会の予定。

  3. 7月のミサ当番月には、担当する箇所を具体的に教え合い、勉強会を開く。

  4. 9月15日の湘南台センター10周年記念行事について。

  など参加者の皆様から楽しい意見がたくさん出されました。

 その後、今後のセンターの活用はどうあるべきかなど北一地区の方も加わり4つのグループに分かれ話し合いが進められ、まとめとして地区の皆が交われるコミュニティーの場所が少しぐらい遠くてもいいから欲しい、なるべく一階で、もう少し安い所を皆で探しましょうとの声もでました。



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記念すべき日
藤沢1区 佐々木

 主の平和 三指

 「神様のお導き‥‥」とは、まさにこのことなのでしょうか。

 多くの人びととの出会い。そして、様々な影響を受け、人生のきっかけを得て、今日こうして洗礼を受けられましたこと、喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。

 「イエス様」「キリスト教」

 言葉としては理解していたものの、身近になったのは、十数年前、息子が女子パウロ会の保育園に入園してからです。単語しか話さなかった息子が、初めて一続きの文として話したのが「父と子と聖霊の御名によりてアーメン」だったような気がします。湾岸戦争が始まった時、「どうして戦争するの? みんながお隣の人に"仲良くしてね"って言ったらいいのに・・」息子のこの言葉こそ私達家族の原点。まさに「互いに 愛し合いなさい」だったのです。

 こうして私達は、息子を通じて神様に出会いました。ですから中学を選ぶ時も迷わずカトリックの学校を選びました。神父様でいらっしゃる校長先生のもと、信仰に支えられた教育理念は私達の理想とするところでした。

 そして、私は「聖書研究会」に入りました。二度目の出会いです。

 子育てに悩む時、校長先生はいつも「あせってはいけません。待ちましょう。子供を信じましょう」と優しく語りかけてくださいました。愛することは信じること。信じることは待つこと。そう教えられました。福音書を読むたび心の波は静まりました。そして、聖書研究会のクリスマス会の時のこと。

 兄と九歳違いで、まだ、四歳になったばかりの小さな娘は校長先生に手を引かれ校長室へ。やがて、マリア様を胸に抱き嬉しそうに出てきました。

 マリア様がわが家にいらっしゃったのです。

 それから数年が経ち、娘は小学生。ボーイスカウトのカブ隊年齢、藤沢16団に入団いたしました。

 これが三度目の出会いでした。

 たびたび御ミサにあずかり、神父様のお話を伺い、人生の大先輩のお話に耳を傾け、こうなることがごく自然であったかのように、私達は神様と共に歩む決心をいたしました。偶然というより、これは必然だったように思えてなりません。

 多くの人に支えられ、助けられ、今やっと扉が開きました。これからは、神の子として皆様と共に歩んでまいります。

 ボーイスカウトにあって子供たちの水先案内人となれますように、世の中にあっては地の塩、世の光となれますように、一歩ずつあゆみを進めてまいります。

 どうかこれからも神様のお導きがありますように‥‥。

        神に感謝  弥栄

洗礼・堅信式を終えて
藤沢3区 奥原

 まずは感謝の言葉から述べたいと思います。ここまでお導きくださった天の父、イエス・キリスト、聖母マリア、そしてすべての天使と聖人に感謝します。それから、洗礼・堅信までの長い道のりを一緒に歩いてくださった代母の桜井さん、講座リーダーの窪田さん、キリスト教講座の方々、日曜日ミサ後の準備講座の仲間達、両方の講座に同席していろいろご指導くださったマーフィ神父様、受洗の相談をしたときに温かく迎えてくださったテハン神父様、受洗準備の報告をしたときに抱きしめて喜んでくださったハンラティ神父様、そして教会で出会った共同体の方々にも感謝します。皆様が笑顔で導いてくださいました。それから、初めてキリスト教に出会ったときに太陽のような暖かさで見守ってくださり、そしてキリスト教の愛を教えてくださったシスター宮野と、私の決断に反対することなく見守ってくれた家族と友人にも感謝の言葉を送りたいと思います。私の家族の中には誰も信者はおりませんが、家族は反対することなく、入信式にも参加してくれました。皆様、本当にありがとうございました。

 初めてのキリストとの出会いは聖園マリア幼稚園で、その頃からキリスト、聖母マリアとはつかず離れず生きてきました。ときどき神の愛、特に守護聖人に選ばせていただいた聖母マリアの温かな愛は感じつつも、受洗の決心をする勇気もなくここまで来てしまいました。受洗を初めて思い立ってから十年も経ちましたが、昔から愛読していた三浦綾子さんの本にあった一節に背中を押されてやっと藤沢カトリック教会に伺ったのは去年の秋でした。まずは教会に行ってみてください、神の愛を願うだけではなく共同体に加わって活動に参加してください、という言葉が胸に響いたのです。その後は神の導きとしか説明できないほど事がとんとん拍子に進み、このご復活祭で洗礼を受けることができました。

 家族の中に、信者がいない私にとっては何もかもが新鮮で、先日の合同洗礼志願式を初め、どの段階においても神の愛、共同体の温かなまなざしを感じることができました。入信式では決意を新たにすることができたのはもちろんのこと、神の愛を最も深く強く感じ、この藤沢カトリック教会の共同体に参加することができたことを心から嬉しく思いました。水が注がれたときに聞いた水の音、キリストの光をいただいたときに感じた暖かさと崇高な思い、初めてご聖体をいただいた味と湧き上がった喜びは一生忘れることがないと思います。

 まずは一つのゴールに到達しました。長い道のりの中でさまざまな障害物を乗り越えて来て、やっと神にたどり着いたという充実感でいっぱいです。けれどここが本当のスタート地点であると入信式で確信しました。これからは仕事と両立しながら、できる限り共同体の一員として積極的に活動していきたいと思います。30歳、体力と気力はありますが経験も知恵もまだまだです。皆様のご指導をいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。最後に、皆様の温かな愛とお導きにもう一度心からの感謝を送ります。本当にどうもありがとうございました。



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救命救急講習会に参加して
辻堂2区 益満

 冷たい風に教会の桜が散り始めた4月4日、藤沢消防署の救命救急士の方と、すでに講習を上級まで学ばれた方々の指導により救命救急講習会が開かれました。

 救命手当てとは、突然のケガや病気に襲われた時、救急車が来るまでの間、助かる命を助けるために役立つ応急手当の方法のことです。命を救うために大変必要な手当てです。

 40数名の方が参加されました。今回は心肺蘇生法を学びました。蘇生法の流れのビデオを見ました。その後、8名のグループに分かれダミーを使って実際に練習しました。一つ一つ流れを行う時は、声を出しながら行います。声出しは、手当ての確認と次に何をするかの準備に必要であることがやってみるとわかりました。人さまのしている様子を見ていますと出来そうなのに、いざとなると緊張し、なかなか思うように体が動かず難しいものでした。練習を重ねるにつれ冗談を言いあい、笑いあったり、楽しい雰囲気となり、あっという間の3時間が過ぎました。

 最後に救急救命士の方は、実際に遭遇した時はまず落ちつくこと、たとえ学んだことの流れが違ったとしても、この人の命を救うのだと思えば出来ます。救急車が来るまで続けてください、と言われました。命を救う手助けをするために機会がありましたら一人でも多くの方に、講習を受けることをおすすめしたいと思いました。ありがとうございました。



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福祉部主催勉強会を聴講して
藤沢2区 前田

 陽春の4月18日(日)9時半ごミサ後、かねて高齢社会問題にご造詣深い石崎様(鵠沼二区、ひろまち文庫代表者)をセンターホールにお迎えして「ゆたかな老後をむかえるための生きがいづくり」=誰もが元気に地域に暮らすには=と題してお話をお伺いしました。

 最初にご本人の地域問題や地域福祉を生涯のお勉強とされている経緯、神奈川県内住民の意識調査など活躍の様子をうかがいました。 次いでわが国において現在進行形の高齢化問題につき、各種統計を参考にお話をききました。残念ながら紙面の都合でほんの一部のみしかご紹介できず、講師および読者の方にはお侘び申しあげたいと思っています。

 まず、現行の介護保険制度では、高齢者の定義として65〜74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼ぶそうです。さて横浜市のデーターによれば、65〜69歳は殆ど自立(病気もなく、日常生活も十分できる。外出可能) 70〜74歳の92%は自立可、75〜79歳の87.2%自立可、80〜84歳の72%は自立可ですが、85歳以上となると47.5%が自立可能とやや減少し、この辺りが段々と限界となるようであります。

 一般的に高齢者の関心事は「パートナーと家族の生活を大切にしたい、友人をふやしたい、社会的意義のあるお手伝いを少しでもしたい」などとお考えのようです。

 何故私達がこんなに長生きになったかについては、*医療技術・制度の発達、*公衆衛生・食品衛生の優良化、*栄養事情の改善、住・衣では冷暖房器具、防寒具などの発達等による生活水準の向上が大きいようです。因みに藤沢市の現況の一つは総人口約38万9千人ですが、平成15年10月1日と平成16年3月1日現在の高齢者人口を比較してみると、100 歳以上51→66人、95〜99歳410 →431人、90〜94歳1686・→1790人と刻々と増加していることです。

 わが国に於けるこのような高齢化の主因は出産率の低下、未婚者の増加等であります。

 今高齢者にとり必要な心掛けとして、石崎様は次の7Kを挙げてくださいました。即ち1家庭、2健康、3経済、4心、5交流、6好奇心、7感動 だそうであります。

 さて、ひるがえってわが身はどうか、実は今年7月の誕生日には後期高齢者の仲間入りすることになり、他人ごとではなくなってまいりました。しかし、幸いなことに、私にはもっとも大切なKがあるのです。キリスト、教会、共同体、兄弟、神の国。これらを束ねても8番目のKとなる幸せが身近にあることです。神のおゆるしを受け、神のみ旨に沿い教会と社会に奉仕する幸せがあることです。

 本日は、私自身の反省と将来の心構えにつき誠に大きなインパクトを受けた一日でありました。またの機会に福祉の具体論を承ることを期待したく存じます。



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仏教とキリスト教(9)キリスト教的霊性、その1「聖霊の働き」
藤沢2区 兼子盾夫

 師の入滅を前に「私たちはこれから一体、誰をたよりにすればいいのですか」と嘆く弟子たちに釈尊はこう言われた「これからは人をたよりとするのではなく、ただ法ダルマ(永遠の真理) だけをより所とせよ」と。移り行く人間ではなく法(永遠の真理) こそ究極的より所にせよとは如何にも理性的な(宗教と言うより) 哲学の最高の師たる釈尊に相応しい言葉である。同様にキリストの弟子たちも主が御父のもとに行かなくてはならぬことを告げると激しく動揺した。しかしキリストは優しくこう告げられた「心を騒がせるな、神を信じなさい。(自分は父のもとに行かなければならぬが自分が去った後も) 父なる神に自分とは別の弁護者パラクレートスを遣わしていただくようお願いしよう。その方は永遠にあなたがたとともにいる真理の霊「聖霊」である」と。(ヨハネ14:16〜17)

キリストは続けて、その聖霊を世間は受けいれようとしないが、キリストの弟子たちやキリストを信じる人達は彼らのなかで聖霊がいつまでもともに働き続けることを理解するだろうと。すなわちキリストはその生前の言葉や自らの残した「互いに愛し合うように」という教えのすべてを、父なる神がキリストの名によって遣わす「聖霊」によって弟子たちに悉く思い起こさせて下さることを約束されたのだ。このように生前に自分の去った後のことを心配し「おまえたちを孤児にはしない。自分は必ず戻ってくる」と復活を約束され、しっかりとそれらの約束を成就されたキリストに対して弟子たちはどんなに心強く感じたであろうか。ではキリストが遣わすことを約束された「聖霊」とは何か。また私たちはそれをどのように体験的に知っているのだろうか。

神の「実体」とか「本質的存在」と言われてもピンとこない私たちにも、私たちの内に働く「聖霊の働き(機能)」と言うと比較的わかりやすい。これも私たち日本人が抽象的概念の極みである「唯一神」という存在を理論的に把握できないと言うのではなく、むしろ私たち日本人が仏教的な空クウ(すべては関係性によって成立っているので、すべての存在に固有の本質・実体を認めない)という発想に慣れているからではないだろうか。つまり、私たち日本人は「存在」について議論するよりも、或る「前提」を真理だと仮定し、そこから演繹的に議論を展開しその議論の展開に破綻がなければよいとする。その「前提」は、だから言うなれば「作業仮説」みたいなもので絶対的に真なる前提とはしない。議論の展開は精緻で見事な迄に論理的、整合的なものではあるが、(もしそうでなければ、日本人が数学の分野や理論物理学の分野で優れた業績をあげられる筈がない。余談ではあるがアインシュタインやハイゼンベルクよりも、ある意味ではもっと秀れていたとも言われるボーアは囲碁に大変な興味を抱いたと言う) 議論の中核に据える最初の「仮説」の実在性にはあまり頓着しない。さらに言えば日本人が存在よりも機能を重視するのは、日本人が民族としてプラグマティスト(論理よりも経験的実用性を重んじる哲学の徒)だからとも言えよう。それが何であるかと本質的存在について侃々諤々の議論をするより、それが巧く機能するかしないか(私たちが生かされているか)。理屈では不分明ながら、もしそれが有効であればよしとする考えの持主だからではなかろうか。

存在論的に語られた神を私たちは西欧中世の哲学や神学の概念による信仰上の教理として受けとるが、本当に実感するのはキリストを信じる私たちが二人、三人と集まり互いに愛し合う時、そこにキリストがおられ、愛の教えを実践する人々の行為の只中に「聖霊」が働いていることである。それはちょうど、空気の存在はふつう眼に見えないが、梢が風に揺れることは眼に見える。したがって梢が揺れることによって、眼に見えない空気の存在が分かるというのと同じである。しかしここで注意しなければならぬことがある。それは私たちの内に神(聖霊) が働くという時に神をあまりに内在化して把握しては危険だということである。現代人である私たちは、ともすれば神の存在を内在的に心理学等の合理的な言葉で語りがちである。現代人はその思考方法において科学的、合理的であらねばならぬが、同時に科学には明確な限界があること。ハムレットの、友人ホレーショに対する科白ではないが、この天地の間には我々の与かり知らぬものが多くあることも・弁えねばならぬ。そしてなによりもすべての救いは人間の内部ではなく、外から、神から来ることを忘れてはならぬと言うことである。つまり神を人間の心の中の良心と置き換えることは陳腐なモダニスティックな誤りである。人間の良心を神と代替することは出来ない。人間の良心はどんなに崇高であってもやはり限界を持つ。20世紀の二つの大戦、アウシュヴィッツを初めとする民族大虐殺、原爆投下、世界中で現在も続く圧政や拷問という、人間の犯す言語に尽くせぬ愚かな行為を未だに繰り返している我々はそれを忘れてはならない。すべての救いは人からはこない。人間は小さなものである。人間が偉大なもの、素晴らしいものであり得るのはただ神から力をいただいたときだけである。「互いに愛し合うように」教え、しかし愛し合えぬ人間を愛し合えるようにと少しづつ導くことの出来るのは人間ではなくただ神ひとりである。ここにヒューマニズム(人類愛) とクリスチャニティー(キリスト教) の違いが存する。キリストが「(私が去っても、私の代わりの弁護者を遣わし、私の教えをいつもあなたたちに思い起こさせ)私はあなたがたに私の平和を残し、あなたがたに私の平和を与える。(ヨハネ14:17)」といわれたのはこのことである。



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葬儀を考える会より

お墓を考える(2)

 先月号の「八角形にゅーす」に掲載させていただきましたように、共同体のための墓地のひとつの形として藤沢教会の敷地内に合葬の場を作るという方向性について、4月18日の各ミサ後に参加されていた皆さまの意向をうかがいました。

 まずこの件について今まで「葬儀を考える会」で話し合われたことや合葬の場についての簡単なイメージを説明させていただいた後に、@この計画を進めていくことに賛成、Aよく分からないので検討を進めながら具体的な情報が欲しい、B反対またはこのような計画は必要ない、の3つの選択肢から意思の表明をしていただきました。その結果半数近くの方が@を、4分の1くらいの方がAを、数名の方がBを表明され、残りの方は意思の表明をされませんでした。

 この結果を持ちまして、合葬の場の具体的な検討につきましては多くの方にご支持をいただけたものと考え、次の段階に進んでいきたいと思います。

 今後のすすめ方としましては、まず9月頃を目標に出来るだけ多くの地区やブロックの集会でこの件について話し合って意見を出していただきたいと考えます。その意見をふまえ、どの様な形が考えられるか、具体的な配置や設計などを年末か来年初めくらいまでに作成し、再度皆さまの意見を聞きたいと思います。そこで賛同いただければ、その後に近隣への説明会や行政上の手続きを行い、来年秋にも完成させたいと考えています。

 上記のように検討を進めながら、随時「八角形にゅーす」などを通じて状況を報告していくつもりですので、よろしくご協力をお願いいたします。



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5月の主な行事

7(金)初金ミサ・例会

9(日)日曜学校一年生開始 

16(日)教会学校遠足、藤沢ブロック 新人歓迎会

23(日)ボーイスカウト・福祉部ミニバザー

30(日)聖霊降臨、マーフィ神父送別会、共助組合総会



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