八 角 形 に ゅ ー す
2004年6月6日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
藤沢教会の思い出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マーフィ神父
初聖体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・リーダー 梅田
パーティーに参加して・雑感・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂 益満
藤沢ブロック新人歓迎会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 奥原
藤沢ブロック新入者歓迎会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 山崎
ありがとう、さようなら、マーフィ神父・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 阿部
湘南台センターを去るにあたって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 落
ウガンダの会活動報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村
シスター渡辺を囲んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・片瀬教会 林
自分を見つめることを通して、召命に気づく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中高生会
召命を考える集いに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中二 和田
『グラシアス・アミーゴ』コンサート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ラテンアメリカグループ フジモト
スカウトバザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢16団 大森
神のことばとミサ聖祭・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村
仏教とキリスト教 (10)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢二区 兼子
藤沢教会の思い出
マーフィ神父
藤沢教会を去る日が刻一刻と近づく中、身の回りの物を片づけ帰国の準備をしていると、藤沢教会の共同体の一員として過ごしたこの三年半の間にあったいろいろな出来事を思い出し、胸が熱くなります。私の思いを全て書きつくすことはできませんが、少しでも皆さんと分かち合えたらと思い筆をとりました。
藤沢教会に赴任して間もないとき、新しい形での家庭訪問がスタートしました。これは希望者の家に司祭が行くというもので、その家の希望により時にはシスターや信者さんも一緒に行くこともありました。この新たな試みにより家庭訪問もいろいろな形をとるものになりました。司祭が一人で信者さんの家を訪ねて行ったり、他の人たちと一緒にその家を訪ねて行くこともありました。時には数家族が一つの家に集まったり近所の信者さんたちが集ったところに司祭が訪ねて行き、皆が普段思っていることなどを話し合いました。このように一人ひとりの信徒の考えや意見に耳を傾けることが主な目的でした。この新しい家庭訪問は一年半後に終了しましたが、訪問する側にとってもされる側にとっても良い経験でしたので、藤沢教会や他の教会でもまた行われたら良いと思います。
藤沢教会に初めて来たときから、ホームレスの支援や他の福音宣教活動のためにこの共同体のリーダーや信徒の方たちが一生懸命働いているのを見て感心していました。私が今まで働いてきた小教区の中で、藤沢教会ほど信者の方たちが率先してリーダーとなり、キリスト教講座で未信者の洗礼の準備を助けたり、人々が良く祈り、聖書を自分のものとして深く理解できるよう手助けをしているところはありませんでした。こうした意味で藤沢教会は、小教区が未来に向けてどのように発展し、教会としての役目を果たして行かれるかを示す良い手本であり、共同体の一人ひとりが祈りや行いを通して参加していくことが大切だと思います。
また、この小教区で病人の訪問をすることも私にとって大きなお恵みでした。病者の秘跡を行い、癒しを祈ることは喜びであり慰めでもありました。
この秘跡には、病者を癒し、死を間近に控える人には罪の赦しと神様に向かう最後の旅路を歩む力を与えるという意味があります。ですから病者の秘跡を受ける前に亡くなってしまう信者さんがいらっしゃることは悲しいことでした。私も死ぬ前にこの秘跡が受けられるようにと祈っています。病者の秘跡は大きなお恵みですから、この共同体の中で重い病にある方や、高齢のため身体が弱っている方がいらっしゃれば、是非この秘跡を受けてください。この秘跡を授けられることは司祭にとってもお恵みですから、秘跡を頼むのは迷惑かもしれないなどと思わず、声をかけてください。
この三年半を藤沢教会で過ごせたことは私にとって喜びです。別れというのは常につらいものですが、皆さん一人ひとりの優しさや思いやりを感じたこの教会を後にするのは特に悲しいことです。でも私たちはいつも信仰と祈りによって結ばれており、特に御ミサを通して一つでいることができます。皆さんの優しさに感謝します。特に金祝のとき皆さんが素敵なお祝いをしてくださったことは一生忘れません。そして、もし私が知らず知らずのうちに誰かを傷つけたことがあればどうか赦して下さい。
マリア様が皆さんを守り、とりなしてくださいますように。そして天の御父が皆さんと皆さんの家族、そしてこの共同体を祝福してくださいますよう祈ります。
教会委員会報告(5月15日)
5月末でやめられる落さんに代わるスタッフを公募したが実質的に申し込みがなく、落さんがでていた3日間は、北2ブロックの3名の方々がカバーすることになった。具体的には月曜日には宮崎さん、火曜日は 西島さん、土曜日には山根さんが担当する。
マーフィ神父様の聖書講座(月曜日)が5月でなくなる。参加していた方々は南部の方が大半で、かつ高齢の方が多かったので自主的に続けるとしても場所が変わるかも知れない。そうなると大きな時間があくの で、新しいことを考えている。
湘南台センター10周年は、9月に記念ミサを行うこと以外は決まっていない。湘南台センター運営委員会で検討していく。
運営委員(主任司祭は必要の都度参加してもらう)および財務の前山さん、渡辺さんをメンバーにチームを立ち上げた。テーマは財務の現状と今後の展望および財務部の体制で、支出削減・収入増加策、監査制度などを検討する。枠組み作りからはじめた。
一粒会がメッセージ・カードと餞別袋を用意した。神父様の希望でカードには、顔と名前が一致するようにできれば写真を貼ってほしいとのことである。30日9時半ミサを送別ミサとし、終了後ティーパーティを行う。
@鵠沼ブロック
・防災準備をはじめた。これに沿って電話連絡網を今年中に作る。
A藤沢ブロック
・ブロックの集いで活動部の報告を行ってもらいブロックの中に活動部の出先きを作る。
B辻堂ブロック
・4月24日のバーベキューには35余が参加(後記参照)
・ 「となり組」は地区で受けとめ方が異なり、辻堂一区で当初の理念どおり進める。
C北1・北2ブロック
・6月6日(日)に黙想会を行う
・バザー準備会があり、先ず今年のバザーは実施することが決まり、テーマは「50年の歩みに感謝、皆でバザー」となった。実行委員長は置かず、各係が責任をもってやることにした。
@壮年部
・6月6日(日)新人歓迎会
・防災体制をブロックと協同で推進
A典礼部
・五十周年にメサイヤを皆で歌いたい。
B宣教部
・リーダー養成講座修了者(現受講者を含む)の集いがあり、40名余が参加した。何が出来るかを考えたが、手はじめに堅信の準備を担当することにした。
・この1年に受洗された方で、まだゆるしの秘跡を体験されていない方のために、初ゆるしの秘跡を5月29日(土)に代父母も一 緒で行う
・湘南短期キリスト教セミナーの講師がきまった。
11月13日 村上和雄氏(国際科学振興財団バイオ研究所長)
11月20日 日野原重明氏(聖路加国際病院理事長)
11月27日 シスター高木慶子氏(生と死を考える会全国協議会会長)
C教育部
・日曜学校
4月25日 21名が初聖体を受けた。(後記参照)
5月9日 1年生入学21名
5月16日 土曜学校と一緒に遠足
7月24〜25日 教会でサマーキャンプ
・中高生会
*新しいリーダー(浅野澄さん)のもとでスタート
*5月23日 サレジオ会佐藤神父様を招いて召命について考える集い、片瀬、鍛冶ケ谷教会にも声をかけた。
*7月26日〜28日 サマーキャンプ箱根パウロ会山の家で
・青年会
5月22日 シスター渡辺真理子さんを招いて召命を考える会(後記参照)
D国際部
・平塚教会建設資金のためにフィリピンコミュニティがビンゴ券の販売を希望している
E福祉部
・4月18日 第1回福祉勉強会に40名が参加。 好評だったので第2回目を7月に行う予定
・5月22日 横浜教区福祉委員会「共に歩む集い」に7名が参加
・5月23日 ボーイスカウトのバザーと一緒に福祉コーナーを開く
F総務部
・「ガリラヤ」入口のひさしが老朽化したので作り替えたい 見積りでは25万円かかる(売店検討チームとの関係も含めて決める)
・網戸の補充・補修を行いたい
・床下の換気口の網も点検が必要
・6月13日に庭の草取りを行うので協力して ほしい
いろいろな場面でこれまで通りにいかないことがあろうが、心がまえを皆が持つこと、その中で自分がどう関わりあえるかを考えることが大切。 第五地区の司祭の集まりを2カ月に1回行って、お互いに情報交換をしたり、小教区を越えた勉強会などを考えている。「葬儀を考える会」では具体的事項を考える。宣教、典礼では将来、生涯教育的なプログラムを議論したらどうか。
できるだけ多くの方に関わり合っていただきたいとの考えから、ブロック・活動部などから意見を聴取、その中では名簿の更新、講演会、新しい50のアクション、新しく誕生するホームヘルパーを生かす方策、近隣教会などとの交流などが出された。いずれも考えている人が核になって進めていく、それを運営委員会なり、教会委員会なりがサポートとしていくのがよいのではないかと総括されたが、これらをふまえて運営委員会で枠組みを考えることになった。
初聖体
リーダー 梅田
前日のリハーサルは、途中から激しい雨に見まわれ、本番の天気が心配されましたが、当日は、天気も回復し晴天に恵まれました。
4月25日、子供たちはもちろん、家族の皆様が待ち望んでいた初聖体のミサが、テハン神父様の司式のもとで和やかに行われました。
昨年四月から始まり、ほぼ一年間かけて準備してきましたが、子供たちの努力と共に、大勢の方々の祈りやご協力のもとで、この喜びの日を迎えることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。
21名の子供たちは、白い服や花の冠で身を被い、緊張した面持ちで式にのぞみました。初めての御聖体をいただいて、拝領後は身体の中にいらしてくださったイエス様に、どんな語りかけをし、お祈りをささげたのでしょうか。神父さまから、一人ひとりおメダイと初聖体証明書をいただき、とても大切そうに持っていました。
これからも御聖体という形で身体の中に来てくださるイエス様をもっと身近に感じ、沢山話しかけをし、とても大切な祈りを沢山ささげて歩んでいってほしいと願っています。
はつせい体をうけて 三年 石井
わたしは、はつせい体をうけられてとてもうれしいです。そしてわたしは、ごせいたいとおメダイをもらうとき、一番さいしょだったので、ちょっときんちょうしてしまいました。ごせい体をいただいて元気がわいてきました。
初せい体をうけました 三年 古郡
私は4月25日に初せい体をうけました。とてもドキドキしました。私たちははじめてごせい体をもらいました。少しお姉さんになった気分でした。 おばあちゃんたちも来てくれて一緒においのりしてくれました。とてもうれしかったです。
初せい体 三年 ほりた
神様、私たちが、はつせいたいで、はじめてパンをもらったときに「これからは、いつもきょう会でパンを食べられるんだな」と思うと、うれしいです。 これからもがんばります。
初聖体 四年 萩原
私は初聖体を受けるために、ずーと風間リーダーに勉強を教えてもらいました。そしてとうとうその日がきました。私は初めてのご聖体をいただいて、とてもうれしかったです。これからも神様の子供としてがんばりたいです。
楽しみにしていた初聖体 五年 小尾
リハーサルに行けなかったから、初聖体の日はきんちょうしました。神父様からご聖体をいただきうれしかった。口に入れると練習で使ったおせんべいとちょっと味がちがっていました。これからはご聖体をいただいて強い心になりたいと思います。
パーティーに参加して・雑感
辻堂 益満
4月24日、浮田邸で行われた辻堂ブロックのバーベキュー・パーティーに参加しました。私は信者でありません。ただ、妻は辻堂2区に所属し、私は昨年から「キリスト教講座」を受講中であります。昨年リタイヤー後、妻と二人の娘が長らくお世話になっている藤沢教会で、改めてキリスト教について勉強してみたいという向学心? から思い立った次第です。実際、私の回りでも、長い勤めを終えた後、小説類を出版した者が数人、大学や大学院に入りなおして、好きなテーマで学んでいる者もいます。
私の家は神道ですが、多数派の仏教徒にしろ、日本の宗教は冠婚葬祭の儀式として用いられるだけで、最近坊さんが説教されることがふえているとはいえ、機会は少なく、ましてやその教義、教典に接する人はほとんど無いということに、飽き足りない人は多いと思います。しかし、私のこの決断に、同世代の友人は「今更(その年で)、キリスト教入門?」と、男がその信義を今更変えるのかと言わんばかりの反応が一般的なものでした。
土曜の夜の講座で15名のメンバーと毎週お会いしていくうちに、私の向学心(好奇心)のみという原点が揺らいできました。それは今まで40年を越える長い「会社人間」としての人とのお付き合いが、往々にしてTechnician(取引などを通しての技術的に止まる関係)やSpectator(見物人のような第三者的関係)に止まっており、改めてContemplator(人を熟視し深める関係)としての人間関係の形成が大切なことに、講座を通して気付いたからです。そして、それを気付かせてくれた人びとに出会えたからです。
バーベキュー・パーティーには、四十名近い方々が参加される盛況で、後半幸いにも雨が降ってきましたので、全員が部屋に入れていただき、自己紹介など、皆さんの話を聞くことも出来ました。この場でもまた、人との出会いの大切さとContemplatorの思いを強くしました。これも神のお導きとおっしゃる方にはまだ付いて行けませんが、今後も、この時、浮田氏のご母堂から伺った「後からきた人が、前の人を追い越すことがあるのです。私の夫のように」という言葉を胸に講座を続けたいと思っています。
最後に、この機会を作っていただいた方々にお礼を申し上げると共に、一つ気になった事を付け加えますと、パーティーの参加者に若い方をほとんど見なかったことです。このことは、私も地元自治会の副会長として、大きな課題として取り組み中です。市内でも平均年齢の最も高い地区の一つと言われる中でいかに若年層の参加を求めるか難しいところですが、バーベキューなどはその良い機会だと思います。運営の一部を若者に任せるなどの工夫で若い方との交流も出来れば良いと思いましたので一言付け加えました。
藤沢ブロック新人歓迎会に参加して
藤沢3区 奥原
先日、藤沢ブロックの新人歓迎会に参加させて頂きました。心のこもった手作りのおにぎりやサンドウィッチ、お菓子が用意されていて、ご家庭から持ち寄ってくださったというきれいな花々に彩られたテーブルを囲んでの会は、とてもなごやかなものでした。
ハンラティ神父様のお話の後、私を始め、ご復活祭で受洗した新しいメンバーと、最近藤沢ブロックに転入された方々の自己紹介がありました。皆様が温かい笑顔と拍手で迎えてくださり、私たちは大変うれしく思いました。神父様のお話にもあったように、食事をともに囲むということは大きな意味のあることで、たった二時間の会でしたが、いろいろな方とお知り合いになることができ、大変有意義でした。
会は楽しいだけではなくとても役に立つもので、様々な部の代表の方が活動に関して簡単に説明してくださる時間も設けてありました。受洗したばかりの私たち新メンバーは、教会のために、共同体のために、そして社会のために何ができるのかということがまだ分かりませんが、いろいろご説明頂いたおかげで活動内容も分かるようになり、自分がどういう場面で活動していけるかということを考えるきっかけになりました。
会の後半には山崎さんがお琴の生演奏をしてくださり、会は大変華やかになりました。歓談するだけの時間がもう少しあったらもっと皆さんと仲良くなれたかしらと思う場面もありましたが、最後には全員で「茶つみ」と「ガリラヤの風かおる丘で」を歌ってなごやかに終了しました。帰り際に、飾ってあった美しいお花で作った小さなブーケを頂きました。そんなお気遣いがとてもうれしかったです。
同じテーブルに座らせて頂いた方にも仲良くして頂き、大変楽しいときを過ごさせて頂きました。会を企画してくださった方々や、会を盛り上げてくださった方々を始め、藤沢ブロックの皆様、ハンラティ神父様、そしてこの会をこんなにすばらしいものにしてくださった神様に感謝します。ありがとうございました。
藤沢ブロック新入者歓迎会
藤沢3区 山崎
5月16日、藤沢地区の新入者、転入された方の歓迎と親睦会が行われました。出席者は60名、共に楽しい一時をもてましたことは大きな喜びでした。
ブロック長、安田氏司会のもとで、ハンラティ神父様のお話、受洗者、転入者、役員の紹介。平野氏より教会の活動内容、および実際に活動されている方の報告などがあり、その後は昼食をとりながらの余興、最後に全員の合唱、祈りのうちに終わりましたが、何か一つ行事をするにも皆様の協力が無ければできないこと学びました。
3年前の4月、初めて藤沢教会のミサに訪れた時、私にとってなぜかとても入って行けそうもない雰囲気、疎外感を覚えた。
仕事中心の生活で20年以上も教会を離れておりましたので、ここに溶け込むには容易でないと少々悩みましたが、友人に「役員をやれば顔も名前も覚えられ、少しは慣れてくる」と言われ引き受けてみましたが、新人同様の私にはわけがわからないことばかり、しかし必ず誰か助けてくださる方がおられるということは、これも神様のお恵みかと感謝しております。
昼食を作るということでも、皆さまそれぞれの特技をもっており、お花は各自で持ち寄り、テーブルはあっという間に豪華な食卓と化し、お花はその場を和らげてくれました。共同作業のすばらしさ。さすが主婦歴?十年の方たちと私は感心するばかりでしたが。
ただ心残りは、イエス様が百匹の羊のうち迷った一匹の羊をさがしに行かれたことを思えば、それぞれの理由があると思いますが、出席されなかった方々も、共に信仰を分かち合いできればと思い残念でした。
ただ祈るのみです。
ありがとう、さようなら、マーフィ神父
藤沢1区 阿部
「アベさーん!」小春日和の昼下がり、自宅前の坂をバス停へ下る私の背後から、聞き慣れない声で呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、見慣れない、しかしひと目で神父とわかる背の高い外人が、近くに住むご婦人と二人で歩いてくる。誰だかわからず、にこにこと話しかけてくるその神父に、私は恐る恐る記憶を手繰ろうとした。だが、それはまったくの杞憂。つい先週藤沢教会に来られた新任の助任司祭、ご聖体を持ってうちの団地の人を訪ねられた帰りに、同伴のご婦人に、この近所に他に信者はいませんか。と尋ねられ、前を歩いている阿部さんという人がそうです。と聞いて、「アベさーん!」と呼びかけられたのだった。それが私のマーフィ神父との出会いだった。曲がりなりだったが半世紀、カトリック教徒をやってきた私だが、見ず知らずの神父から名前で呼びかけてもらったのは生まれて初めてのことだった。教師は生徒の名前を覚え、呼びかけることが教育のもっとも大切なことだという。ひとり一人を大切に。キリスト教は愛の宗教。言うは易く、行うは難い。このときの暖かさは私の中で増しこそすれ、忘れることができない。
昨年八月、私は北アイルランドに遊んだ。夕方ベルファストのホテルに着くと、丁度一時帰国されていたーフィ神父から思いがけずメッセージがあり、その晩訪ねて下さって予期せぬ再会を果たした。その翌日、弟さんご夫妻Donal & Maureenもご一緒していただき、市内、街中教会だらけの中のいつくかの教会、そして泊まっておられるDonal & Maureenの家にまでご案内いただいた。教会にてマーフィ神父に抱きつかんばかりのシスター、ベルファスト城での昼食のときの、「(兄がベルファストを出てから)50年は長かった…。」というDonal の述懐が、宣教師の家族、祖国の人々の犠牲の上に、長く外国人宣教師に寄りかかってきた日本人信徒の私の胸に重く応えた。それにもかかわらず、マーフィ神父が75才の区切りを迎えられたことを知り、本能的にある種の惧れを抱いていた私は憶面もなく、「神父様、まだ暫くは藤沢に居て下さるんでしょう。」と尋ねてしまった。「管区長と相談しなければなりません。しかし、ご復活まではいます。」という答えにそれと知って、落胆の気持ちと、Donal & Maureenがともに聖体奉仕者をしておられることからもわかる、ここでも聖職者が足らないこと、そしてこの目で見た故郷の人々の様子から、もうその恩寵を十二分に受けた私たちはマーフィ神父を故国にお返ししなければならない。という思いがない交ぜに交錯し、もう会話が続かなかった。
ダブリンに向かう私たち夫婦をベルファスト中央駅プラットホームまで送って帰っていかれるマーフィ神父と弟夫妻の後ろ姿を見送って、私は別離の寂しさと帰郷の歓びの予行演習をしているような、名状しがたい気持ちでいつまでもホームに立ちつくした。
帰りなん 弟妹の待つ故郷へ
遠く遥けき宣教の旅
フランシスコ・ザビエル以来450年。一体何人の宣教師が日本での布教を目指してやってこられたことだろう。奮闘の末にこの国の土となられた外国人宣教師の数はこの数百年間、日本全国ではいかばかりであろうか。キリシタン迫害時代の苛烈な殉教。明治維新後、入国を認められたとはいえ、和魂洋才・ようさいと国家神道を奉じる権力との軋轢、戦後漸やく信教の自由が得られた途端、物質至上主義に急速に傾斜していった私たち日本人社会。信徒数がすべてではないとは言うものの、カトリック人口は40数万人で、キリシタン時代と変わらず、その価値観も社会に浸透したとは言い難い。この長い間、私たちは外国人宣教師の血の滲む努力にどこまで報いることがあったのか、忸怩たるものがある。
他方、召命の減少、聖職者の高齢化がいわれて久しい。第二バチカン公会議後の修道理念の多様化により、日本の布教を数百年に亘って支え続けてきた修道会の力が衰え、福音宣教の現場に有能な会員を送ることができなくなっている。教会は位階制中心の制度的教会から、「神の民」の教会に変わり、教導職は「神の民」に仕えるものとされるようになった。高い文化的教養を持った人格者である外国人宣教師の存在が信徒をまとめ、惹きつけてきたが、それはもはや叶わなくなった。日本の教会はどこへ行くのだろうか。
日頃聖職者の減少を嘆く私たちであるが、一歩退いて、他の国のカトリックの世界と、信徒1万人当たりの司祭数を比べてみるとどうだろう。キリスト教のいわば本家本元である西欧社会では、イタリアで9.8人、ポーランドで7.4人、ドイツで7.0人、アメリカで7.6人。第三世界のカトリック教国に至っては、フィリピンが1.2人、ブラジルも1.2人というのが、世界の現実なのである。それに対して日本では、なんと34.1人という圧倒的な比較多数の聖職者を擁し、ジャパンアズナンバーワン。後続がなくなったとはいえ、戦後の外国人宣教師来日ラッシュのおかげで、遺産の食いつぶし気味ながら世界に冠たる司祭潤沢国なのである。司祭数の減少傾向は万国共通とはいえ、この恵まれた環境にいるという自覚が私たちにあるだろうか。今、マーフィ神父を送り、その後任の補充はないと聞く。あたりまえと思って受け取っていた恵みの大きさに、今ごろ気づく私である。
このたびの異動で、藤沢教会は深刻な打撃を蒙るだろう。危機にはふたつあると考えられる。ひとつは未信者への福音宣教、信徒の司牧。ふたつは秘蹟の執行。
ひとつ目は、私たちの努力が試されるところであろうし、藤沢教会は何人もの先人のご努力のおかげで幾ばくかの備えもなきにしもあらずであろう。中身はまだまだ伴っていないが信徒の時代から聖職者の時代への後戻りは効かないであろう。いわば常在の課題であるので、ここでは敢えて触れないが、一言でいえば、信徒が使徒的情熱を持って、神父・シスターに成り代わる使徒職として教会に於ける役割を果たすということであろう。しかし、ふたつ目は、努力とか尽力の域を超え、人智ではいかんともしがたいことである。いっとき名案のようにいわれた終身助祭養成制度もあるにはあるが、百人の助祭が集まったところで、ひとつのミサもあげることはできないのである。最近、師事する聖職者にこの問題の逢着するところを尋ねたところ、そこがバチカンの目下の最大の課題であって、将来なんらかの指針を出さざるを得ないのではないか。ということであった。私たちとしては、祈るしかないだろう。
しかし、召し出しを求める祈りを唱え念じていればいいというものだろうか。その前になぜ召命が減少したのかを考えてみなければなるまい。その原因には大別してふたつある。
ひとつは前述の第二バチカン公会議の負の遺産、即ち信徒の役割を強調するあまり、修道生活と信徒の世俗生活が並列され、相対的に修道生活の位置付けが判然としなくなったことにある。ふたつ目は私たち信徒自身の中にあると考えられる。高円寺教会主任司祭の晴佐久神父から、信徒として福音を生き抜いた両親の下に育った彼の召命について聞いたことがある。耳に痛く彼は言った。「両親が信者であっても福音を生き抜かない家庭に召命がありますか。あるはずはないでしょう。」晴佐久神父に限った話ではあるまい。日本に来られた外国人宣教師は同じように福音を生きる両親の薫陶の下に、召命があったはずである。翻って我が身はどうか。聖と俗、絶対と相対、彼岸と此岸、無限と有限。なんだかんだとこのふたつの世界を泳ぎ渡ってきたこの身では子女に召命が下るはずはない。
祈りは万能ではない。私たち一人ひとりの生きざま。それだけの人生を歩んでいるということ。このことを天が嘉かし給うたとき、はじめてこのことの光明が見えてくるのではなかろうか。
湘南台センターを去るにあたって
藤沢1区 落
藤沢教会の長年の懸案であった北部布教所の設立が、1994年9月15日に「カトリック教会湘南台センター」として実現してから、今年早くも10周年を迎えることになりました。10周年が過去に目を向けるのではなく将来の新しい一歩となるために、スタッフにも新しい風が必要と考え、私は5月末で湘南台センターを去ることにいたしました。
思い返せば約10年前、湘南台センターのスタッフ募集の記事を見た時、私の心の中で二つの相反する気持ちが起きました。一つは、この仕事を是非したいという心の底から湧き上がるような強い気持ちでした。もう一つは受洗間もない私のような者がそのようなことを考えるなんて・・人に笑われるに決まっている・・と私の望みを打ち消そうと働く心でした。この私の心の戦争を何日も祈りのうちに見つめてみました。その結果、この仕事をしたいという思いだけでも表してみよう、後のことは考えずにお任せしてみようという気持ちに落ち着きました。
応募して、志沢さんと共にスタッフに決まった時は、嬉しさと同時に望みが叶ってしまったという戸惑いも感じました。
また教会として湘南台センターをどのようにしていくかほとんど白紙の状態だったため不安そして皆様からの期待を感じ、私は先の見えない真っ暗な長いトンネルに入ってしまったような気持ちがいたしました。
そのような時にシスター豊原との出会いをいただきました。月曜日の聖書の集いを担当してくださったシスター豊原は、少しでも多くの求道者が湘南台センターを訪れてくださるように・・また湘南台センターが、み旨に適うように・・といつもお祈りで支えてくださる大きな協力者でありました。その他の方々からも、温かいお心とご協力をたくさんいただいてきました。
この約十年、小さな教会として神のみ国の建設のため(1996年5月より、志沢さんに代わって増田さんがスタッフになられました)試行錯誤しながら、努力してきたつもりです。けれども足りないことも多く、皆様のご期待に添えなかったかと存じます。今までお祈りくださった方々、ご協力くださった方々、そして私とパートナーを組んでくださった志沢さん、増田さんに心から感謝申し上げます。
そして、開所以来、復活祭、降誕祭毎に受洗者が生まれ続け、そのお一人お一人に主の御計らいを目の当たりに見せていただき、私のような貧しい者がその主のみ業の証人にさせていただけたことが、私にとってこの上ない大きなお恵みだったと感謝を捧げます。
わたしの魂よ、主をたたえよ。
わたしの内にあるものはこぞって
聖なる御名をたたえよ。
わたしの魂よ、主をたたえよ。
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
(詩篇103)
ウガンダの会活動報告
善行 岡村
この会がウガンダのキジト神父様を支援する会として発足してから約15年経ちました。 今春、大神学校に入学された宮内毅さんが昨夏約40日間にわたりウガンダでキジト神父様と共に過ごされたことによって、あちらの様子がさらによくわかるようになりました。(報告会・「八角形にゅーす」1月号)
今までも神父様の農業研修のためのご来日、折りにふれてのお手紙や写真の交換、こちらのバザーの時に、地元の方々の手作りの作品を送っていただき、その売上金を送金するとか、私たちに出来ることをお互いの顔が見えるかたちで・・との思いで、いろいろの交流、支援を続けて来ました。
今回はその経済的支援について、昨年一年間の報告をさせていただきます。
現在20名の会員の任意額による会費、藤沢教会内外の方からの寄付金が、ある程度集まりますと、大体年2回、復活祭とクリスマスの頃に、コロンバン会のコル神父様を通じて、ウガンダのキジト神父様に送金しています。出来る時にはその中間でもう一度送ることもあります。このお金によって、地域の方々や難民の方のための教会や小学校の建設・運営、神父様が司牧などのために広域を廻られる時の基点となる施設、農場の設備、井戸掘り、乳牛や山羊・鶏を飼うことなどが出来るそうです。また、会員の中には会費とは別に里親となって一人の子供さんに学費などを送り続けておられる方もいらっしゃいます。今年に入って、栃木のアジア学院に留学生として来日された、コンゴ難民出身のジャン・ポールさんの渡航費と滞在費を補助するために、別途に30万円を送金しました。彼は、宮内さんがウガンダ滞在中に友人となられた方です。夏休みには藤沢教会にも訪ねていらっしゃるということです。その時にはどうぞよろしくお願いいたします。 お願い!
毎月1回、第3日曜日に30分ほど福祉コーナーに立って、会費を集める仕事をしています。簡単で楽な仕事ですが、立っている私どもが老齢化し、平均年齢が74歳というのが実態です、お一人でもお二人でもこの仕事に加わっていただければ・・と思います。やはり若い方々に受け継いでいただきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします・。
シスター渡辺を囲んで
片瀬教会 林
5月22日、藤沢教会において聖心会のシスター渡辺をお招きし、召命の集いが行われました。和やかな雰囲気の中で自己紹介に始まり、次に「自分の歩み、生活を振り返りそこに働いている神を感じる」といテーマを考えるために、最近嬉しかったことについて分かち合いをしました。私も含めた約10名の参加者の方々は、個々のライフステージで大小の差はあるにしても、何かしら問題を抱えているが、そんな中で日常の些細な人との触れ合いなどから幸せを見出しているという声が多く聞かれました。私は皆さんの話を拝聴して、神は普段の何気ない人との交わりを通してご自分の存在を示されるのだとを改めて実感しまた。分かち合いの後「自分が本当に望んでいるものは何か、神は自分に対して何を望んでいらっしゃるのか」ということについて静寂の中で考える時を設けていただきましたが、忙しい日々の中で自分自身、また神と向き合うことを忘れかけていた私にとってこの時間はとても貴重なものでした。この日シスター渡辺のお話や分かち合いの中から得ることができた心の糧を元に、また力強く歩んでいこうと思います。最後になりましたがご多忙にもかかわらず私たちのために遠くから足を運んでくださり素晴らしい時間を提供してくださったシスター渡辺に心からお礼を申し上げます。
自分を見つめることを通して、召命に気づく
中高生会
5月23日(日)中高生会は、「召命を考える集い」をしました。
藤沢教会出身の佐藤直樹神父様(サレジオ会)は、他に2人の神父様を誘って3人でいらしてくださいました。
どんなに藤沢教会の人たちを、中高生達を大切に思い、この集いを準備してくださったかが伝わってきました。しかし、残念なことに、この時期は試験と重なってしまい、参加は高校生3人、中学生3人とリーダーたちでした。最後まで参加できない人もあり、もったいない集いでしたが、佐藤神父様は「今日は布石です。また、呼んでください」と。
プログラムは、自分にとって、キリスト信者として「大事、第一、大切」はなにか? それは何故か?イエス様から「一緒に働いて欲しい」と頼まれたら、イエス様に何をさせてくださいと言うか? そのために「願いなさい、あなたに与えよう」と言われたら、あなたは何をイエス様にお願いするか? と、いうようなものでした。
召命を考える集いに参加して
中二 和田
はじめは、2時になったら帰るつもりでした。でも、話を聞いているうちに、結局は最後まで参加してしまい、自分でもおどろきました。佐藤神父様の話は、すごくよく分かるしほかの方の話も面白かったので笑えました。自分の気持ちを書くとき、"自分のことは一番よく知っていて、自分のことを書くなんてことは、すごく簡単"と思っていましたが、意外に分からないことが多かったので、自分のことは分かっているつもりでも、本当は一番よく知らないのかも、と思いました。
神父様たちは、小さい頃から洗礼を受け、ずっと教会へ行っていた人ばかりだと思っていたけれど、酒井神父様のように、中学生の時にはまだ、キリスト教のことをほとんど"知らなかった"と聞いて驚きました。
本当だったら、中高生の方がもっとたくさんおるべきだと思いました。現実には、最後に中学生2人だけになりました。私も行くつもりはなかったのですが・・。でもきっと話を聞けば、それだけでも勉強になるし、ああいう機会には、皆様も是非参加してほしいと思いました。
『グラシアス・アミーゴ』 コンサート
ラテンアメリカグループ フジモト
・・誰が人生で時間とお金と愛を失わなかったことになるのか・・
5月23日の日曜日、私はコンサートに出掛け、その途中で公演会場の楽しい雰囲気を想像して、開演の時間に到着しました。
その時、会場は座る席がないほどの満員の盛況で、沢山の藤沢カトリック教会の参加者や友人たちそしてグラシアス・アミーゴ会のメンバーと共に、この催しに協力してチャリティで出演して、素晴らしい舞台で私たちを楽しませてくれた演奏者、歌手、ダンサーの人たちや支援者の方々に強い感動を覚えました。皆様に厚く感謝いたします。
「この日には祝福者が出た」そして私と同じように沢山の子供たちも笑顔を見せてくれると思うので、もっと多くの幸福がもたらせられることでしょう。
スカウトバザー
藤沢16団 大森
今回のバザーは、ボーイ隊に入って2回目のスカウトバザーでした。
今年ボーイ隊は、どら焼きを作りました。前日の準備で苦労したけれど何とかホットプレートの上に丸い形を作れるようになりました。
次の日はいきなり本番です。ちゃんと丸い形を作れるか心配していたけれど思ったよりは上手に出来ました。すごく達成感がありました。そしてとても楽しかったです。
教会の皆様にたくさん協力していただきました。これからも教会の一員として活動していきたいと思います。
神のことばとミサ聖祭
善行 岡村
「多くのかたちで また 多くのしかたでかつて 神は 語ったが 先祖たちに 預言者において この日々の終わりには 彼は語った 我々に御子において」
雨宮 慧師は、「この日々の終わり」を、「神は御自分の思いを、御子においてすっかり表したので」「イエス・キリスト到来以降」「神は御子において我々に語る」と言います。
(NHKテレビ・こころの時代テキストから) 私たちは、神のことばを日々どのように聴くのか、をこれは示しています。
そして神のことばは、私たち一人一人にその状態において呼びかける召命vocationのことばであるとも言います。
キリストの方から私たちに近付き、私たち一人一人がその周りとどのように関わっているかを「見る」。そして今までのところを超えて私たちが未知のその先を「私に従って」生きるようにと呼びかけられるのです。
私たちに関わろうとして、キリストは先ず私たちの状態をご覧になり、それから呼びかけられるという召命に共通のかたちを、マルコによる福音一章を引用して雨宮師は示されました。
神が、私たちより先に動かれるというこれを感じるなら、私たちのみことばの聴き方に革命的な変化をもたらすでしょう。
イエス・キリストの御名「神は共におられる」インマヌエルを、これほど身近に感じることはありません。ミサ聖祭を、もっと身近に感じたいと思っていた私は、みことばを聴くのが呼びかけに応える召命であるというこの啓示にハッとしました。
これこそミサ聖祭が一貫した出来事であると私たちが感じる鍵だと思います。
人となられたキリストが入ってこられ、集められた私たちの中に立って語られ、私たち一人一人に呼びかけられる。そして「私に従いなさい」と、私たちのなかを歩まれて死と復活に向かわれる。そして私たちは、復活されたキリストに祝福されて人々のなかに派遣されます。
これがミサ聖祭ではないでしょうか。
私たちは、日曜日だけではなく毎日、人々との創造的な交わりの中で、キリストの呼びかけを聴いているのです。そのことを日曜日のミサに改めて自覚し、こころ新たに始めるために集まるのではないでしょうか。
私たちと共におられる神は日々「キリストによってキリストとともにキリストのうちに聖霊の交わりの中で」私たちに一つになっておられるのではないでしょうか。
十字架のキリストは、神の赦しであり救いです。またすべての人にとっての福音です。誰であれ私たちは、その今まで生きたところで決して終わりにされないからです。
仏教とキリスト教 (10)キリスト教的霊性、その二「復活」
藤沢2区 兼子
クレタ島にはラザロの墓があるという。それは単なる伝承だろうがイエスによって一度は蘇ったラザロも結局、最後にはまた死んだと言うことで興味深い。ここでラザロの蘇り(蘇生) とイエスの黄泉帰り(復活) とは異なるものだと注意を喚起しておかなくてはならない。ミサのなかで私たちは「神のひとり子、主イエスキリスト・死者のうちから三日目に復活し・」と使徒信条を唱える。このときの復活は単に蘇生したということではない。イエスキリストは二度と死なれることはないのだ。パウロの「コリントの信徒への手紙(一手紙十五章)」のなかで、「霊の体」の復活を遂げられたイエスキリストは二度と死なれることはなく、そのキリストにあやかって私たちもまた「霊の体」の復活を遂げ、永遠の生命を戴くことが述べられている。「霊の体」とは一寸、聞くと「丸い四角」のように形容矛盾に聞こえるが、要はパウロに言わしめれば来世における体は現世における体とは違うということだ。それ故、福音書の中で復活して弟子の前に現れたキリストが焼き魚を食べたりされると、当時の人々には生き生きした説得力があったとは思うが、現代の私たちにはむしろ当惑の種になる。復活の体(霊の体) は現世の体と同じではないと言い切った方が分かりやすい。いずれにしてもヨハネによる福音を繙くとイエスを信じるならば、私たちは永遠に死なないことが保証されている。つまり洗礼の秘蹟によってイエスの再生に与かった私たちは、その死においてもまたイエスの復活に与かるのである。言い換えるとイエスキリストを信じることによって復活されたイエスから永遠の生命を戴くのだ。
いずれにしても復活という奇跡をそのまま素直には信じられぬ私たち現代人も、インドにおけるマザー・テレサの奇跡的活動は信じられる。あのような働きを奇跡と呼ばずしてでは何と形容すべきか。マザーがカルカッタの路上で死にいく人々の人生をその最後の瞬間に意味あるものに変化させるのも、彼らが神の恵みを感謝し病や貧困でボロボロになった体を神の栄光の体に変化させるのも、只キリストの「復活」の奇跡によるのである。すべてはキリストの「復活」を信じるマザーのうちに聖霊が働くことによって可能となる。毎朝、ミサに与かりキリストのご聖体と御血を戴きキリストの「復活」を感謝と賛美のうちに確信し、体の隅々まで聖霊の力で満たされて再び路上の最も小さい人々への奉仕へと向かう。この時、マザーのなかにイエスが「復活」されたのだ。2000年前の愛の実践が現代に再現されたとき、イエスがマザーのなかに「復活」されたと言えないだろうか。
遠藤周作に『死海のほとり』という小説がある。『沈黙』の後の七年間を遠藤はこの作品の準備に費やし7回もパレスチナに渡った。後に一本『イエスの生涯』に纏められた連続エッセイの中に、2000年前の死海のほとりでおきたイエスの事跡に寄せる遠藤の思いが述べられている。『イエスの生涯』を読むと遠藤は聖書の奇跡について徹底した非神話化を行い、他の聖書的事跡に対してもイエスの同時代人にそれがどう受け取られたかという実存論的解釈にのみ真実を認めていることが読み取れる。堀田雄康神父のように「この小説は言わばブルトマンの非神話化理論の受肉化である」「対談集日本人はキリスト教を信じられるか」と言っても的外れではない。しかし遠藤の無力の人イエスはもとを正せば第2イザヤの「苦難の僕」から来ているのでありモダーンな聖書批評を真似たものではない。かくして「無力の人」が死を境に奇跡の人になる理由は実証的には最大の謎である。学問的にイエスの「復活」について納得のいく解決はない。そこで遠藤は「復活」を小説の形で提示してみせた。永遠に解けぬ謎だからこそ小説家の想像力で肉迫する。現代の哲学者や聖書学者ならば「語りえぬ所では沈黙する」のだが、遠藤は想像力でそれを超えたのだ。
『死海のほとり』の粗筋はこうである。遠藤の分身とも言うべき中年の小説家がヨーロッパの帰途パレスチナに立ち寄り、永い間の自分の中途半端な信仰にけりをつけようとして、イエスの足跡のなかに事実を探そうとする。つまり聖地に滞在する旧友の聖書学者戸田に導かれ、作家はイエスの足跡を辿り、イエス「復活」の謎を探ろうとする。謎とは生前にまったく無力だったとしか思われないイエスの死後に、あれ程、弱虫で裏切り者だった弟子たちがどうしてあそこまで強くなれたのかその秘密である。イエスの死と復活以外に手掛かりはない。しかしそれではイエスの「復活」とはいったい何なのか。
『死海のほとり』にはイエスを見倣う二種類の愛の行為が述べられる。一つは旧大戦中にナチスの強制収容所で若い男の身代わりとなって死んだ一人の神父(実在のコルベ神父がモデル) のイエスの愛の実践であり、もう一つは前作『沈黙』のキチジロー役に当たる「ねずみ」という仇名の修道士がイエスの愛によってちょっぴり聖化される話である。身代わり死を遂げた神父も戦時中に寮の舎監をしていた神父もともに『沈黙』の所謂「強かもん」であって、彼らに共通する行為の手本は2000年前のイエスの愛の行為である。他方、「ねずみ」は小心で、前者の如き自己犠牲的行為は到底出来ないが、「同伴者イエス」によってちょっぴり強められ、イエスの愛の行為の真似事が出来るようになる。主人公の作家と戸田は「ねずみ」の最後の様子を知るためにキブツの医者のもとに車を走らせながら、イエスが2000年前にモデルとならなければ、そのような二つの自己犠牲的行為は到底、人間にはできないだろうと言い、「復活」とは結局、人間がそういうイエスが示された愛の行為を受け継ぐということかしらんと呟き合う。私の復活観も今のところそうである。
Q.これから司祭の数が減っていく中で通夜や葬儀はこれまで通り行えるのでしょうか。 A.ご存じの通り、日本の教会でも司祭数の減少と高齢化が急速に進んでいます。横浜教区でも司祭の常駐しない小教区も増えてきていますし、かつて複数の司祭が働いていた中規模の小教区もほとんど1人の司祭のみになりました。 藤沢教会でも昨年までは主任司祭と2名の助任司祭、1名の協力司祭がいるという体制でしたが、昨年より助任が1名となり、このたびマーフィ師の帰国後はついに助任司祭はいなくなり小教区のために専従で働く司祭は主任司祭1名のみとなりました。 これまでのように納棺、通夜、葬儀、火葬、埋葬のプロセスすべてを司祭が担うということも難しくなる状況が予想されます。一九九三年に日本の司教団によって編纂された葬儀の儀式書もこのような状況をふまえ、ほとんどすべての儀式を信徒も司式出来るようにつくられています。 その緒言には『ミサを除いて信徒も司式することができる。特に個人宅での個人への表敬、通夜、告別、火葬場での祈り、埋葬の祈りは、信徒によって行われるよう勧められる。(ローマ規範版19参照)』と記されています。 わたしたちも今後葬儀のプロセスのいくつかの部分、特に納棺や火葬場での祈りを信徒が担って行くようにしていきたいと考えています。そのために奉仕して下さる方の養成を行うこととともに、わたしたち皆の意識を「司祭の執り行う葬儀」から「共同体で行う葬儀」へと変えていくことも必要でしょう。 |
4(金)初金ミサ・例会
6(日)・ゴシック・三位一体の主日
北部ブロック黙想会 聖園幼稚園 壮年部 新人歓迎会
13(日)キリストの聖体
18(金)イエスのみ心
27(日)堅信式
6月の中高生会の予定
6(日)コーヒーショップと中高生会 キャンプや、活動について話し合い
13(日)クッキング
20(日)ルワンダの報告会を聞く
6月の青年会
26(土)川崎JOCの方達と共に分かち合い
毎月、第四土曜日の19時〜21時に、センター203号室で集会をしています