八 角 形 に ゅ ー す
2004年10月3日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
洗礼とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・テハン
CBSキャンポリーに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢16団ボーイ隊 岡田
マドレーヌの会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 津上
送迎ボランティア報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 小野
「きずな」の新しい一歩に向けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 川辺
NPOノアのこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・NPOノア代表 伊藤
小さな祈りの家のこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 堀
コンポンルアン通信・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・JLMM・カンボジア 平
仏教とキリスト教(14)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子
洗礼とは
テハン
幼児洗礼式の中で、聖香油の塗油をする時、司式者は次の言葉を誦えます。
「わたしたちの主イエス・キリストの父、全能の神は、あなたを罪から解放し、水と聖霊によって新しいいのちを与えてくださいました。神の民に加えられたあなたは、神ご自身から救いの香油を注がれて、大祭司、預言者、王であるキリストに結ばれ、その使命に生きるものとなります」
成人の洗礼式の時、特別な理由により、堅信が洗礼と切り離しておこなわれる場合、聖香油の塗油をする時、幼児洗礼の先のことばを使います。成人の堅信の時は、次の言葉があります。
「あなたも今、約束されたこの聖霊を受けていっそう深くキリストに結ばれ、主の受難と復活の証し人となり、キリストのからだをたてるために、愛と信仰に生きる人となってください」
幼児洗礼式の使っていることばは、成人洗礼式の使っていることばよりはっきりと言っています。すなわち、「神の民に加えられたあなたは、神ご自身から救いの香油を注がれて、大祭司、預言者、王であるキリストに結ばれ、その使命に生きるものとなります」
神の民という理念は、第2バチカン公会議が聖書の中から選ばれた、現代にあっている教会のイメージの一つです。神の民として、洗礼を受けているすべての人はキリストに結ばれ、その使命に生きるものとなります。キリストの使命とは福音宣教司牧することです。第2バチカン公会議の考えにより、現場で宣教司牧するのは司祭または修道者ではなく、すべての洗礼を受けているものです。
共同宣教司牧を考えると、そこから出発した方がいいと思います。司祭と修道者の役目は、現場で宣教司牧する神の民の支えとなる力になるように、活発的な共同体を育てます。 活発的な共同体とは、四つの特徴があります。すなわち祈り合い、分かち合い、奉仕、あかしです。
教会の場所から社会の現場へ共同宣教司牧をしないと閉鎖的な共同体になりがちです。ブロックと地区の活動が大事だと思います。各地区に先の四つの特徴のある活動があらわれれば、幸いだと思います。八月のリーダー黙想会でのように共同宣教司牧についての分かち合いを通して、具体的な経験から、共同宣教司牧は全く新しいものではなく、今までの活動をしていながら神の民の意識を持って歩めばよいのでないでしょうか。
2、3年前から始まったお茶の会(Tea Room)の活動は共同宣教司牧の例だと思います。平日の九時のミサの後、聖堂の入口にある委員会室でどなたでも歓迎します。初めて教会に来た人も古い信者も、自分の話を聴いてくれる人に会う、すばらしい経験を持つ人は少なくないと思います。洗礼の約束により、キリストに結ばれ、皆がキリストの使命に生きるものとなりますようお祈りしております。
8月7日のパーティには大人150名、子供20名ほどが参加した。各テーブルとも楽しそうで全体として家族的な雰囲気が感じられた。雪の下教会の中高生やキリスト教連絡会のメンバーとの交流もあり、参加者からは好評だった。運営を簡素化したことも良かった。
10周年記念
9月11日の記念行事には延160名(ミサには110名)の参加があり、多くの方の協力、一致によって講演、ミニコンサート、記念ミサ、パーティーそれぞれがすばらしいものであった。テハン神父からこの経験を50周年に生かしたらとの示唆があった。
センター移転に関して、新しい場所への移転を検討してきたが、結果として今の場所に留まることにして契約を更新した。今回は費用に関して細かい交渉を行い、経費面では年間90万円ほど負担が減ることになった。
なお、横浜教区としては湘南台あたりを将来の拠点として注目しているようであるので、藤沢教会として提案することを検討していきたい。この意味からも「湘南台センター運営委員会」のメンバーの充実をはかるとともに、これまで年数回であった開催を毎月行うこととした。
今年から新しいやり方で行うことにした。先ずは日曜日に教会に来ることが難しい方のために9月16日(木)ミサと病者の塗油そして食事の会を持った。聖体奉仕者や「ともに」のメンバーなど日頃接しているお年寄りを中心にお誘いし、希望者には福祉部が送迎を行い、約40名が参加された。
また、9月19日(日)の午前7時と9時半のミサを敬老ミサとし、希望者には病者の塗油がさずけられてミサに参加した共同体のメンバーとともに祈った。
8月11日に棚卸しを行った。品数で35,500点,売価で576万円であった。
スタッフ16名の役割分担を決めた。
販売ボランティアを募集し、現在の40名を70〜80名程に増やしたい。
当面は在庫の整理/圧縮をはかる。そのため仕入れも必要なもの以外はさしひかえる。
金銭面については教会財務が行う。
北1北2ブロック
バザーの収益金について
賛助金は教会維持費に、物品売上げの収益は合葬の場をつくるための資金に充てることを検討中。
なお、例年行っている福祉関係への支援がないことについては、合葬の場を設けることは広い意味での福祉ととらえられるとの説明であった。
辻堂ブロック
となり組 東海岸一丁目の集まりで共同宣教司牧に関連して、司祭不在の葬儀について話し合いが行われ、いくつかの質問、意見があった。
11月6日 アジア学院訪問
藤沢ブロック
マップ作り 年内完成にむけて作業中
9月28日 家庭集会(枡居さん宅)
11月7日 ブロック集会
鵠沼ブロック
防災マップ/連絡網 年内完成にむけて作業中
9月25日 黙想会 アトンメント会黙想の家 久我神父指導 「重ねた年の生かし方」
宣教部
心の旅路 「ザ・フォローアップの集い」9月25日から毎月第4土曜日
キリスト教入門講座 11月9日湘南台センターで新しいクラス開始
入門式 10月31日(日)
入信志願式 11月28日(日)
幼児洗礼 12月25日(土)
キリスト教連絡会平和祈祷会 8月7日にあり、全体で108名、当教会から20名の参加があった。
結婚準備セミナー 9月11日から全6回のコースが始まった。今回は100回記念で5組が参加している。
壮年部
10月3日 壮年の集い
10月9日 黙想会 鎌倉十二所
財務部
来年度予算編成の時期となったので各活動部での準備をお願いしたい。
総務部
バザー準備のスケジュールが決まったのでご協力お願いする。
10月2日(土) 寄付品収納棚設置
10月16日(土) 衣料品用パイプハンガー、ゴミ箱設置
10月23日(土) 会場設営
みその合葬用地関連
湘南台センター設立10周年によせて
マーフィ神父(アイルランドより)
湘南台センター設立10周年おめでとうございます。アイルランドよりお祝いのメッセージを送ります。湘南台センターは藤沢教会の共同体から生まれたものですから小教区にとっても喜びです。
湘南台センターは、イエス様が私たちに教えて下さった福音の良い知らせを特に藤沢北部地区に広めていくため建てられました。誰もが天の御父に愛され、御国に招かれていることを述べ伝えるよう私たちは呼ばれています。天の御父はイエス様を全ての人の救い主としてこの地上に送られまし
た。そしてイエス様は福音を地の果てまで伝えるよう私たちに託されておられます。福音を藤沢北部地区の全ての人々に伝えたいという思いから湘南台センターができたのです。
この10年間、皆で協力しながら色々な方法で藤沢北部地区における福音宣教を進めてきました。湘南台センターでの活動は良い思い出となっています。湘南台センターでのミサはいつも楽しみでした。皆で祈り、家庭的な雰囲気に包まれていました。また、聖書研究のグループも実り多いものでした。私はほぼ3年にわたり、一つのグループを担当していましたが、そこでの分かち合いは私の霊的助けとなりました。また、湘南台センターでのキリスト教講座は、地域の人たちが信仰を見出す助けとなっています。
湘南台センターでのクリスマスや復活祭のパーティーは、地域の人たちがセンターに足を運ぶ良いきっかけとなっています。スタッフやボランティアの人たちは、人々の間の輪を広げていくよう努めています。皆さんの献身的な支えによりセンターが毎日開いていることはとても良いことだと思います。
これからも神様からの知恵と勇気を受けて藤沢北部地区での宣教の輪が広がっていきますよう祈っています。
李神父(韓国より)
皆様 こんにちは、お元気でいらっしゃいますか。私も元気にしています。
韓国の教会では夏、子供のキャンプで忙しいです。今年の夏は小学生、中高生、侍者会のキャンプ3件で大変でした。勿論リーダーたちががんばりましたが、僕も忙しかったです。
湘南台センターも変わっているでしょうね。それから、センター10周年、おめでとうございます。センターでのミサは何か違う雰囲気で、生き生きしていたという思い出があります。あまり書くことに自信がないのですみません。センターの皆様のためにお祈りを捧げます。
湘南台センター 開設10周年パーティに出席して
湘南台 下村
キリスト教講座に通っていた頃の懐かしい思い出に改めてひたることができ、とても充実した時間を楽しませていただきました。
沢山のごちそうに可愛い子供達のダンス、素晴らしい音色に歌声にとても素敵なパーティでした。
湘南台センター10周年記念式典を終えて
湘南台 宮崎
9月11日(土)午後1時30分より湘南台センターでは延べ160名の方をお迎えして開設10周年をお祝いする会が行われました。
初めに10周年を記念してテハン神父様、片桐教会委員長よりご挨拶をいただきました。
続いて兼子盾夫氏の講演となりました。遠藤周作の愛の二作品「おバカさん」と「ヘチマくん」をとり上げ日本人として、また、カトリック信者として神を求める素直な心が生きている作品であるということを控え目なユーモアを交えながらお話ししてくださいました。
次に行われたミニコンサートでは、湘南台センターを利用して活動している「オカリナ」「リコーダー」「コーラス」のグループが日頃の練習の成果を披露してくださいました。息の合った演奏の素晴らしさはもちろんですが、選曲にも心遣いが感じられ、心温まる一時となりました。また、「折り絵の会」と「みことばを書く会」の皆さんの作品も室内に展示されていて素敵な空間を作っていました。
午後4時からは、この10年間、湘南台センターを支えてくださった皆様に対する感謝と、これからのますますの発展を願って記念ミサが捧げられ、その後パーティーが開かれました。用意されたお食事は、北部を中心とする皆様の手作りの品々で、豪華でバラエティーに富みとても美味しかったです。フルートの演奏、子供たちによるそれはそれは可愛いペルーのダンス、オペラのアリアの独唱などが華を添えてくださり大盛況のうちに終えることができました。
半年以上前からこの日のために計画し、話し合いを重ねて準備をして参りましたが、無事終えることができて本当に良かったと思っております。ご協力くださいました皆様、一人ひとりの方に感謝し、心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
湘南台センター10周年記念講演会 「おバカさん」と「ヘチマくん」より
藤沢2区 兼子
慶応大学在学中に評論家として出発した遠藤周作は昭和25年にフランスに留学。肺結核のため志半ばで帰国し、外国文学研究者ではなく作家として再出発、処女作『アデンまで』を発表。昭和32年に芥川賞に輝く『白い人』、続いて『黄色い人』、『海と毒薬』と中堅作家の道を着実に歩む。そして初めての新聞小説がこの『おバカさん』である。
次は朝日に載った彼のPR文である。「哀しいがあかるい小説を書いてみたい・。主人公はぼくが平生からあこがれているような人物です。・おバカさんと呼びます。しかし『おバカさん』はバカという意味ではありません・母親がイタズラ小僧の耳もとで愛情を籠めて囁くときのおバカさんなのです。一生懸命書くつ
もりです。ご愛読ねがいます。」 評論家の江藤淳氏によって、それまでの遠藤作品のなかで一番の傑作であると評された『おバカさん』は昭和34年3月26日から8月15日まで朝日新聞夕刊に連載された。そう聞くと皆さんのなかにも、あるいは微かな記憶がある方がおられるのでは。江藤氏によれば、この作品は『海と毒薬』が頭で書かれたのに対して、心で書かれており、日本人カトリック者遠藤の神を求める素直な心がそのまま生きている作品である。一見、只のユーモア小説に見えながら、近代日本の小説世界にないスケール・・・それは単なる人間の基準ではなく、聖なるもの、即ち神様の基準・・・の大きさをもつ。
だから巴や隆盛の発する「ガストンさんは一体、なぜ日本にやってきたのかしら」という問はいつまでも新鮮さを失わない。その答えこそ当時の日本社会に一番、必要な要素であり、また現在の内外の社会の救済にも通じるものだから。即ちテーマは憎しみを超えた愛。この地上には憎しみと争いしかないが(角川文庫179頁)、人を信じ愛し赦すこと、そして徹底した非暴力の主張。主人公は人一倍臆病ではあるけれども、一度、目的を定めたら決して諦めない、極めて意志強固な、そういう意味では宣教者パウロ的な強さをもつ。 だからすべてに間が抜けた臆病な大男ガストン(ガストンとは昔、フランスで流行ったマンガの主人公)に対する外資系会社のタイピストで、しっかりものの檜垣巴の見方は少しづつ変わっていく。それまでは経済力や指導力という強さを基準に男性を見ていて、必ずしも遠藤が言うところの人生や真に人生を生きる人間が見えてはいなかった巴。兄のおっとりした銀行員隆盛は「巴にはまだ本当の男というものがわからんなあ」と嘆く。しかしガストンの崇高な愚かさによって彼女もようやく、以前には間抜けとしか思えなかったガストンを「バカじゃない。あの人はおバカさんなのだわ」と見直すようになる。
中・高生をターゲットにしたこの作品はそれまでの、日本人の罪意識の欠如とか神不在の悲惨さの追求という深刻な純文学の小説とはガラッと変わった底抜けに明るく、楽しいものになった。そういう意味でユーモア作家としての遠藤の素質が十分に発揮されている作品だ。とにかく人間一人ひとりに注ぐ作者の眼差しが優しいのである。たとえガストンの行動が間が抜けていても、少々、卑猥でも作者の目が優しいから笑えるのである。
小説の中では相反する人物や価値がぶつかり合って止揚される。 ガストンによる愛、信頼、非暴力(平和主義) 、赦しという諸価値が殺し屋遠藤による復讐心(憎しみ) 、人間不信、暴力と対立するが、結果的には作家遠藤の「わたしのキリスト」たるガストンにより殺し屋遠藤は回心にいたる。内心は臆病のあまり恐怖にふるえながらガストンは「どんな人間も信じよう。疑うまい。だまされても信じよう」と勇気を奮い起こし殴られても蹴られても「エンドさん、一人ぼっち。かわいそう。わたし、ついて行く」と言う。だからガストンは後の「同伴者イエス」の原型と言える。そんな弱虫なガストンであるが、彼は暴力による報復をけっして許さない強固な意思をもつ男でもある。ここに人間的な弱さにもかかわらず、ガストンの内部にキラッと光る聖なるものが秘められている。
もう一つの小説『ヘチマくん』は永遠の女性(典子) に無償の愛(アガペー)を捧げる純情無垢な青年の話。銀座というジャングルのなかで、今日もまた弱肉強食の闘いが繰り広げられているが、戦時中に一目あっただけで心に深く刻印されてしまった永遠の女性典子。彼女はまだ少女でヘチマくんのベアトリーチェというわけ。この小説にはキリスト教のキの字も出てこないし、作者遠藤はヘチマくんがなぜ彼女に心惹かれるのか、またなぜ報われない愛を捧げ尽くすのかを彼自身が理解していないように書いている。ヘチマくんは人間のもつ打算、拝金、性愛(エロス) からなる世間の競争、「世間の渦」が大の苦手である。風のふくままにブラーリ、ブラリと揺れるヘチマそのままに殆ど自分の確固たる意思や目標をもたない点で明確にガストンとは異なる。銀座というアリーナでヘチマくんや典子と対峙するのはバー林檎のマダム菊地銀子とそのパトロンたち。つまり主人公のヘチマくん(凡庸な聖人) と典子(永遠の女性)の対極にあるのは銀子(誘惑者としての女性、悪魔) と銀子に惹かれている典子の夫、大実業家の御曹司、鮎川英一郎(ドン・ファン) である。『おバカさん』のターゲットが中高生なら、『ヘチマくん』は大人向けである。『ヘチマくん』にはもう一つ、『海と毒薬』で使われた象徴や暗喩が効果的に使われている。例えば、黒、果実、イチゴ、林檎、銀子、ヘチマ(ひょうたん) などであるが、因みにキリスト教図像学では「林檎」は死や悪の象徴。ヘチマが典子にプレゼントする「イチゴ」は聖母の純潔の象徴であり、ヘチマは瓢箪の一種だが、瓢箪の象徴とは死と対立するもの、キリストの復活の象徴でもある。ここに遠藤の苦心の跡が見られると言える。
敬老ミサに寄せて
福 祉部
今年の敬老会ミサは9月16日(木)11時よりセンターホールでハンラティ、テハン両神父の司式で行われました。
今回はおからだの具合などで日曜日のミサにおいでになれない方々が対象で約40名の方が参加し、付添いや送迎のお手伝いなどの方々を含め、80名程が集まりました。ご参加いただいた方からの感想が寄せられましたのでご紹介いたします。
皆様がささやかなお祈りとお祝いの会に大きな感謝をしてくださり手伝いに参加した私達の方が祈りと交わりの時が持て、大きな喜びをいただきました。
神に感謝
最高の敬老会
藤沢3区 高嶋
近所の方々の車で、私にとっては初めての敬老会に招かれました。 脳梗塞三回で粗相の危険があったのですが、甘えてみることにしました。会場でまず、いきなり司式の神父の握手の歓迎に驚きました。
近頃疎遠だったミサが始まり、周りの人々の顔とお名前が10人を越えて浮かび上がり、やっと冷静を取り戻し「私は痴呆症から救われたんだ」と嬉しさからなみだ目で聖歌も唱和できました。おいしいお弁当もたまわり、今日来られて良かったなァと神に感謝をしてから、その足で藤沢市内をゆっくりゆっくり歩きながら、お医者を二軒回り、帰宅後久し振りに神経安定剤も飲まずにグッスリ深く深く眠れました。今まで、いろいろの敬老会に出ましたが、藤沢教会の敬老会が最高でした。
敬老会のお恵み
聖母の園にて 山岸
神の家族の一人として 祝福のうちに 日々あるために 祈りをもって
歩むことが できますように帰りにいただいた、神父様直筆のカードのお言葉です。
秋らしい涼気の朝、今日は藤沢教会の敬老会に招かれたので、身支度諸々を整えお迎えを待つ、川辺さん運転の「あかね号」に乗車。 途中「ココ湘南」の村野様同乗、介添えは天ケ瀬さんがしてくださる。
11時にミサが始まる迄久し振りの教会なので御聖体とルルドのマリア様にご挨拶。センターホールの中が一杯になる程の人で驚いた。 皆座ってミサに与る。落ち着いたゆったりとハンラティ神父様、テハン神父様の御ミサ、福音の後「病者の塗油」神父様の祝福と香油、聖体拝領が両形色であったのは感謝。終わってすぐ帰られる方も多く約半数はセッティングされたテーブルで和やかな談笑のうちに美味しいお弁当を頂く。終わり頃、丁度練習で来合わせた男性コーラスの方13名による予定外の慰問。力強く、美しいハーモニーで3曲、最後に毎年恒例の「故郷」を皆で合唱した。
杖の方も何人か見えたが車椅子は私一人、トイレその他にお世話になって心から感謝。皆様と共に家族として交流させて頂いたこと神に感謝。平和で満ち足りた恵み一杯の敬老会でした。
敬老日 恵みと祝福 それぞれにミサ聖祭 悠久のうちに 敬老日喜寿は喜寿 古希を近ざら 長寿の秋
9月16日の敬老会
鵠沼1区 小笠原
殊の外猛暑の夏もさすがに過ぎ去り、爽やかな快晴の16日、日頃思うように教会に出掛けられない、お年を重ねた方々のために感謝のミサが、センターホールで行われました。十字架を中心に円を造り神様の子供として、神父様と共に祈りを捧げる機会に恵まれたことに心より感謝いたします。92歳と年を重ねた私の母は、常に祈りと生かさせてもらっているいのちの日々に感謝して暮らしておりますが、ふっと寂しげな苦しげな表情を示すことがあります。気ままに暮らしてきた母には、神様に訴え改心し償わなければならないことが色々あるようです。娘の私としては、きっと主は共にいて許してくださっていると思うのですが・・。日頃身体の不安から外出がままならない日々ですから、この会に出席できたことは大きな喜びでした。旅する教会としては、今回参加できなかった方々にもまた連絡できて来年もつづけられることをお願いいたします。懐かしく歓談できた皆様のお顔は輝いて見えました。準備に、送迎車にと時間をさいてくださったスタッフの皆様に感謝いたします。
敬老会ミサ
鵠沼1区 平岩
さわやかな秋空の9月16日、教会で敬老のミサ、病者の塗油の秘跡をささげてくださいました。
その日は、日頃教会に伺えない主人と共に御ミサにあずかり、神様の恵みに感謝し、祈り、幸せな一日でごさいました。
その後美味しいお弁当をいただきながら、久しぶりにお会いしたなつかしい方々とも談笑の一ときを過ごし、最後に男性コーラスの方々が昔なつかしい歌の数々を歌ってくださり満ち足りた気持ちで帰宅いたいました。神父様、お世話くださいました方々に心からお礼申し上げます。
山の上の教会で受洗いたしました頃は、若くピチピチ(?)しておりましたのに今や老化の一途をたどり人生の秋を迎えました。これからはホイヴェルス神父様のお言葉のように老いの重荷は神の賜物と思い、少しづつくさりをはずしよく祈り、神の恵みをもとめおだやかな日々を感謝のうちに過ごしたいと思っております。
CBSキャンポリーに参加して
藤沢16団ボーイ隊 岡田
8月5日〜9日、大阪府立総合青少年野外活動センターで全国カトリックスカウトキャンポリーがあり、藤沢16団ベンチャー隊、ボーイ隊も含め1200名が参加しました。
私はボーイ隊上級班長として参加しましたが、3日目位で疲れがたまり、隊長の指示にちゃんと応えられるかプレッシャーを感じたり、リーダーシップについて悩んだりしました。しかし隊の仲間がいつも通り接してくれたことや笑いで救われました。そして仲間との食事づくりによって、きずながさらに深まりました。
神奈川支部や他県、外国のスカウトとの交流の集いが持てたことやカトリックスカウト担当司教の梅村司教様のミサの侍者をしたこともよい思い出となりました。テハン神父様にも1泊して頂きましたが、自然と一体になったオーラのようなものを感じました。
これからは、キャンプでの経験を活かし、スカウトのスローガンの「日々の善行」につとめ、リーダーシップについても経験を積んでいきたいと思っています。
マドレーヌの会
辻堂1区 津上
マドレーヌの会のこの一年の様子をご報告いたします。
昨年10月に、皆様のご支援のもとに集まった売上げをお届けしていたステファニー神父様が、現地の険しい道路や悪天候などの条件が重なり、車ごとがけに転落され亡くなられました。藤沢教会にも訪ねてくださった神父様の在りし日のご活躍を偲び心からお祈りしたいと思います。東ティモールでカトリックのミッションとして、子供たちの教育、環境整備などに力を注がれていらっしゃいましたことは、広く新聞などにも紹介され、記事を目にされた方も多かったと思います。
現地では、ひきつづき学校や寮の建設というハードウエア、奨学金というソフトウエア両面での支援が引き継がれています。
さて、私たちの活動ですが、教会での福祉のあり方などが、福祉フォーラムなどの手順を経て検討され、その結果をふまえて大幅に変わってまいりました。見直しによって、私たち自身も教会内のほかのグループの活動にも関心を持つようになるきっかけとなりました。現在は、大体月2回ひらかれる福祉コーナーに参加、皆様にお買い上げいただいております。時には、マドレーヌ以外にバナナケーキやマフィンなども作りました。ケーキを作る作業に携わっている方々だけでなく、日曜日に販売で協力してくださる方、福祉部の方などがこの会を支えてくださっています。今春から販売日が減りました結果、全体では今までの3分の2ぐらいの結果になりましたが、クリスマスとイースターの時期に「東ティモール子供募金」に送金させていただきました。皆様の温かいご支援を心から感謝いたします。
東ティモールでは、建国後も依然、厳しい道のりがつづき、栄養状態も悪く、水道施設、トイレも無いというような環境の中で子供たちが暮らしています。兄弟の中で、学校にも行ける子と行けない子のある家庭が随所に見られるそうです。そして学校まで片道3時間もかけて通うこともしばしばとのことです。子供の奨学金は、1年に約2千円あれば学費と制服がまかなえます。
これからも困難の中、一生懸命生きている東ティモールの子供たちのために、みなさまのご協力をよろしくお願いいたします。個別包装などのご注文もお受けできますのでぜひご連絡ください。月2回金曜日の午後センターのお台所で活動していますので、興味のある方の参加をお待ちしています。
送迎ボランティア報告
藤沢1区 小野
福祉部に『車による送迎ボランティア制度』がスタートして2年余り経過。登録ボランティアによる初の全体会議が、8月22日(日)11〜13時にセンターホールで開かれたので、そのポイントを報告します。出席者は31名で、活発な意見が出され関心の高さが伺われました。
送迎ボランティアの利用実績がコーディネータから報告された。 約2年間の利用者は延べ16件19名。内訳は、・敬老会出席3件6名・ミサ出席5件5名・洗礼式出席1件1名・講座出席1件1名・病院通院3件3名・特養デイサービス通所1件1名12回・相談のみ2件2名。これを整理すると、教会関係が10件、その他が6件でした。ボランティアの実働は14件延べ45名でした。
鵠沼ブロックの長期継続送迎の事例を中心に、気づいた点の話し合いが行なわれた。
送迎先が横浜市栄区でもあり、毎週1回継続して引き受け出来るか否か、当初はコーディネータに戸惑いがあった。
そこで主だったボランティア達と相談し、出来る範囲内で可能な限りの対応と割り切って、スタートさせた。
長期化に備えて、居住地域のボランティア中心に登録者以外の希望を募り、送迎体制を再編成した。
実働2ヵ月で藤沢市内の施設利用に変更となり、お役ご免となる。その4ヵ月後に帰天された。
利用者がデイサービス利用の間、ご主人はゆっくり休めたので、レスパイト効果があった。
今後の進め方について、出席者の皆さんから活発な意見が出された。
(1)送迎ボランティアの利用件数が少ない、との印象を受けるが?
ご迷惑をかけたら申し訳ないなどの気持ちで、気楽に依頼できないのでは?
送迎ボラ検討のきっかけは雪ノ下教会だが雪ノ下でも利用件数は少ないと聞いている。
病院から病院への移送は自分で手配せねばならないが、送迎ボランティア制度があることが大きな安心である。
この制度が存在していること自体が、安心で大切なこと。
(2)このサービスが必要とされる方に浸透しているか?
八角形にゅーす(2002年6月号)掲載の送迎イメージ図が複雑なため、分かり難い。
地域毎に複数のコーディネータを置き、その氏名・電話番号を明記してはどうか。
乗用車以外にリフト車「あかね号」を追加動員して、手動/電動の車椅子利用者、ストレッチャー利用者へも対応しては。
「あかね号」運転者は送迎ボランティア登録者との重複が多く、今後は合体して柔軟に運用していく。
(3)地域の方々との支え合いとブロック内での話し合いが大切。
利用者の気持ちと、送迎ボランティアの気持ちとの間にギャップがある。
緊急送迎と日常送迎に分けて対応してはどうか。
日常送迎は各地域で担当し、特殊な場合の緊急対応も出来る事を皆に知らせておいては。
利用者が当日断る例もあるが、高齢者や病人は「その日の調子があるのが当然」と受け入れること。
これらの議論を受けて、登録ボラ者が地域別に大きく偏っている現状(鵠沼B11名、藤沢B12名、辻堂B3名、北1B5名、北2B1名 合計32名)の改善がまず必要です。また地域別コーディネータの登録依頼など、着実な前進を目指して福祉部など関係者と詰めて行きたいと考えております。皆様のご理解と積極的なご協力をお願い申し上げます。
「きずな」の新しい一歩に向けて
鵠沼2区 川辺
皆さまのおかげで「NPO湘南ライフサポート・きずな」も活動の2年目を無事終了し会員総会も終えることが出来ました。
最初の1年は、何もかもが手探り状態でした。2年目はその経験を生かし、スムーズな運営やより実効のある自立支援のお手伝いが出来るのではないかと期待を持ってスタートしました。しかし、実際には私たちの力量や経験不足を様々な局面で味合わされ、私たちの理念として掲げている「きずな」の回復と自立への道筋が一筋縄ではいかないものだなと言うことを実感させられた1年でした。
2年目も1年目同様自立支援生活施設「ポルト湘南・茅ヶ崎」の運営が事業の主体でした。ポルト湘南・茅ヶ崎は入れ替わりはありましたが通年で平均して33名の方々が生活されました。下は30代から上は70代半ばまでの幅広い年齢層で、これまでの生き方も様々、かかえている問題も様々、健康状態も様々、今後の展望や希望も様々な方々です。そのような中で一人ひとりの自立や生きがい、きずなの回復につながるような作業やレクリエーションも色々試みました。すべての方に満足のいくようなものではないでしょうが、成果を上げつつあるように思います。今後も様々な方々のニーズに少しでも応えられるよういろいろな試みを続けていきたいと思っています。
2年目は施設運営以外にもいくつかの新たな展開がありました。 まず、介護保険法に基づく「訪問介護員養成研修事業」(ホームヘルパー2級研修)を実施したことです。ホームヘルパー2級研修は、ポルトに入居している方や路上や他の施設にいる方々の就労自立の一助になればと企画したのですが、事前の広報なども不十分だったため別の研修を実費で申し込んでしまわれた方もあり、また3ヵ月・延べ130時間を超える長丁場ということもあり、当初参加を希望していた方々も開始が近づくにつれ二の足を踏む方が出たことなどで、25名の定員に対して実際の参加者は16名、ポルトからの参加者は1名のみとなってしまいました。その1名の参加者は、非常に熱心に受講していましたが、とても残念なことに受講中に亡くなられてしまいました。
また、新しい流れとして神奈川県よりの委託を受け〔ホームレスの自立支援等に関する特別措置法〕に基づき路上生活を行っている方々の「就労ニーズ調査」も実施いたしました。就労ニーズ調査は「NPO湘南ライフサポート・きずな」が委託窓口となりましたが、実施に際しては神奈川全県夜回り・パトロール交流会メンバーの諸団体が実行部隊として活躍して下さいました。同調査は今後の神奈川県の実施計画を具体化していくための一助として行われ、この結果も参考に様々な自立支援策が企画されていくことと思います。
実施してみての感想では、ここ数年神奈川県域での宿泊施設の増加で数百名の方々の住居が確保できたにもかかわらず、前回調査とほぼ同数で同じような年齢層の方々が路上生活を送っている実体を目の当たりにし、この問題の構造的な根深さと自立へ向けての対応の難しさを再確認させられた思いです。
新しい年度からは社会福祉士の資格を持つ若いメンバーも新たに専従スタッフとして働いています。それに伴い、相談業務や自立支援のためのプロジェクトの充実などこれまで以上の展開も期待できるのではないかと考えています。これからも一歩一歩わたしたちの理念の実現に向けて歩みを続けたいと思いますので、今後も皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。
NPOノアのこと
NPOノア代表 伊藤
「東条湖の家」が生まれて3年目、1993年の秋でした。私たちが作ったジャムを、初めて藤沢教会のバザーで販売させて頂き、皆様に買って頂きました。それ以来10年もの間毎年バザーにお招き頂き、売店にもジャムを置かせて頂いています。加えて、毎年のように温かいご寄付をお送りくださいました。皆様のご支援のお蔭で、今年で丸14年を迎えた「東条湖」の家では、4人のハンディキャップを負った友人と4人のアシスタントが一つの家族のように信頼しあい、生き生きと生活し、働き、祈る毎日を送っています。この紙面をお借りし、遠い兵庫県の小さな家のみんなに喜びを与えてくださった皆様に心から感謝申し上げます。
2002年9月にNPO法人「エヌ・ピー・オー ノア」を立ち上げました。目的は、「東条湖の家」の将来にわたる継続。もう一つは、孤独の中に閉じ込められているハンディキャップの人達を迎え入れるために姉妹的な家を準備するためです。私たち夫婦は『戻る家庭のない知的、身体的ハンディキャップを負った人達の家庭を作ること』を願って「東条湖の家」を始めました。覚悟はしていたものの困難に満ちた年月でした。現在の東条湖の家のように『そこには互いの信頼と愛がある』家庭に育つまでには長い試練の時間が必要だったのです。けれども、主は私たちが願った何倍もの恵みを以って、このような家庭に育つようにと全てを計らって下さったことを私は今はっきりと確信しています。
多くの方々のご協力とご援助によって第2の家の工事は順調に進んでおり、12月には竣工の予定です。来年からハンディの方々を迎えて新しい生活が始まり、経済的にも2軒分の経費がかかります。 経済的なことも含めてこれから歩む道も様々な困難に耐えなければならないでしょう。
主はご受難が近づいたときペトロを見つめて言われました。 『Do you love me?』主は同じ質問を私たちにも問い続けておられるのではないでしょうか。祈りの中で、ご聖体の中で、生活の中で、仕事中も。ハンディキャップの方々も又、私たちにいつも一つのことを問いかけています。『Do you love me?』 皆様、どうか私たちのために祈って下さい。
『Yes,I do』とこたえられるように。そして荒波の中を漕ぎ出そうとしているNPOノアを一層サポートして下さいますようお願い申し上げます。
小さな祈りの家のこと
藤沢2区 堀
「東条湖の家ニュース」には毎号、美しい言葉があります。「この家は小さく、こわれ易く、いろいろな意味で不安定さを抱えています。まるでガラスで出来た家のような感じさえします。常識からいえば、ガラスで出来た家など余りにも弱すぎます。でもこのガラスの家は神様だけに頼るように、神様の手の中で支えられるようにと導かれているような気がするのです」94年11月(12号)
念願の第二の家の建設も進み、伊藤さんが湘南地方のご出身のこともあり藤沢をはじめ横浜教区の多くの方も懸命に、この家を支えておられます。しかし、経済的なこともボランティアの方の募集なども、とても困難な状況にあります。「東条湖の家ニュース」には、そんなことも切々と語られています。
それを読むと「神様が支え、導いてくださる」そのことは、本来、大きな試練のなかにあることを強く思います。いろいろな形で多く方のご支援をいただければ幸いです。
コンポンルアン通信
JLMM・カンボジア 平
<はじめまして!>
カトリック藤沢教会の皆様、はじめまして! JLMM,Cambodiaの平です。前任者の鎌田さんから引継ぎ、8月からコンポンルアンでの活動を開始致しました。まだまだ慣れない事も多い上に、語学も十分でないため、いろいろな人から支えられての活動です。一歩一歩、ゆっくりとした歩みになると思いますが、これからも御支援をよろしくお願いいたします。
<活動の始まり>
8月から前任者の鎌田さんと共に、コンポンルアンへの訪問を開始しました。8月中旬から新しいナショナルスタッフのパナリーを迎え、彼女も一緒に同行しています。彼女はプロジェクト・アシスタントとして今後、コンポンルアンでの活動を私と一緒に行います。現在は、子どもの水浴びプログラム(子どもの健康管理と協力者の健康・衛生に関する知識の向上を目的とする)と病人支援(交通費・薬の援助、緊急食費援助)、粉ミルクの支援を行っています。また識字教室に対する支援も行っています。活動開始から1ヵ月の間、私が不慣れなことには関係なく(当然なのですが)たくさんの病人や支援してほしいという人たちがやってきました。これまでで一番多い数の支援をする事になりました。
支援内容は病院受診のための交通費、緊急食費、薬の支給、粉ミルクの支給、など12名に対する15件でした。これら全てにカンボジア福祉基金藤沢が支援しています。
<知らないことの重大さ>
コンポンルアンだけでなく、カンボジア全体がそうなのですが、病気や健康に対する正しい知識を持たないために、安易に薬などに頼ってしまう傾向があります。熱が出ると、すぐに生活費をはたいて点滴をします。ただのブドウ糖の点滴を…。栄養を取り身体を休めることが大事なのですが、点滴をするために食費はなくなってしまいます。基本的な健康管理や病気の知識がないために安易に薬に走り、かえって病状を悪化させる人が多いのが現状です。先日も、脳梗塞後遺症で栄養がかなり不足している人に、食費の支援をしました。でもその人は薬を飲めば後遺症が治ると信じています。彼は支援した食費で薬を買って飲んでしまいました。一体、何の薬を飲んだのか、本人すらわかっていません。 とにかく薬を飲めば治ると信じているのです。これはほんの一例にしか過ぎません。ほとんどの方が同じ考えを持っています。熱が出たといっては子どもにすぐに薬を与えてしまうため、薬の過剰投与の副作用と思われる症状が出ている子もいます。
また母親の育児も同じ事がいえます。粉ミルクが高価な物なので母乳よりも良いと信じているのです。粉ミルクを与えるため母乳は出なくなり、赤ちゃんも一度覚えた粉ミルクの味から母乳へ戻る事はできません。母親は粉ミルクにたくさんの砂糖を混ぜて飲ませるので、赤ちゃんはアトピーのような湿疹ができている子もいます。 現在、保健省や他のNGOでは粉ミルクをやめて母乳を飲ませるよう推進しています。ある保健婦の話によるとよっぽどのことがない限り,母乳がでないということはないそうです。原因は母乳を与えないので止まってしまうか、母親の栄養不足のようです。今後、病人に対しても母親に対しても、対処的な支援でなく根本的な改善が図れるような支援ができたらと思っています。
<ご挨拶>
新スタッフ、パナリーから皆さんにご挨拶があります。
Fujisawa Church no minasama
My name is Chea Phannary, 24years old. I would like to work with JLMM organization, Because I think that I can help to develop Human Resource in my country. Especially give love to them and encourage them, when they have a problem. So I'm very happy that I do with them and make them happy.
Phannary
現在、パナリーを始め、現地での活動を手伝ってくれるヨウや、識字教室の先生などがいろいろな面で協力してくれています。パナリーもヨウも、私と同じ時期に働き始めました。彼らは私に「この仕事ができてとても楽しい」「コンポンルアンをもっと良くしたい。 だから平を手伝える事が嬉しい」と言ってくれます。実際、働いている時の彼女達の顔は生き生きとしています。現地の人たちが、自分達の国の事を考え、そして喜びを持って働けるというのは素晴らしい事だと感じました。そして彼女達の姿に私も励まされています。コンポンルアンの訪問では、毎回、発見と驚きと苦悩の連続です。また次号でご紹介したいと思います。
仏教とキリスト教(14)キリスト教的霊性その6「ヨナのしるし」
藤沢2区 兼子
ローマを訪れる人でシスティナ礼拝堂にあるミケランジェロの天井画(天地創造)と祭壇画(最後の審判) を見ない人はいない。人類史上最高の傑作であるその二つのフレスコ画の接点に巨大なヨナの姿が描かれている。今まさに審判をくだそうと右手を高く掲げているキリストの頭上に見事な短縮法の実例としてヨナは坐っている。 彼は当時の漁師の着る短い皮チョッキを着て体を後ろに反らし両手は右の脇の方にねじっている。これはその方向に描かれたハーマン(モルデカイをつるそうとした木に自分が吊るされたエステル記の宰相)を指すのではなく復活後のキリストが不漁で帰ってきた弟子達に「船の右舷に網を降ろせ」と命じ、その結果大漁だったと言う聖書の記述ヨハネ21章6節に依るものだ。
では何故ヨナなのか。ヨナは神からニネベに行きその民に悔い改めを告げよと命じられるや否や逆の方向に逃亡した人物だ。ところが船でタルシシュに向かう途中、海は大荒れになり水夫達に大海原に投げ込まれる。そして大魚(鯨)に呑み込まれ3日3晩、腹の中にいた。話は二つのテ−マからなり、一つはヨナの逃亡と3日3晩大魚の腹の中にいたこと。もう一つは神の命じるままにニネベにおもむいたヨナが、ニネベの民の示した悔い改めを嘉する神の寛大なやり方に不満を抱くことである。 しかし「新約」に出てくる「ヨナのしるし」マタイ12章40節、16章1−4節とルカ11章30節の記述は解釈が二つに別れている。即ちマタイでは鯨の腹に3日3晩いたことからイエスが復活に言及しているという解釈。しかもニネベの民(異邦人)の方がユダヤ人より素直に悔い改めたことが評価されている。ルカではヨナがニネベの民にとって「しるし」となったように「人の子」もこの時代の人々に対して「しるし」となるだろう、つまりヨナはイエスの運命の予表という解釈に分かれる。だから「新約」のここの意味は全体としてもう一つピンとこない。
しかしミケランジェロがここにヨナを描いた意図ははっきりしている。一つはミケランジェロに彼の生きていた時代が邪な世であるという認識があったこと。さらに神の救いはイスラエル人(ローマ教会) よりもむしろニネベの人々(異邦人) に向けられているのかも知れぬこと。そしてこれが大事なのだが、ローマ教会の罪深い体制派がニネベの人々のように直ちに悔い改めれば神は寛大にも人類の罪を(そこには彼も含め) 赦して下さる希望があること。復活されたキリストにより人類もまた再生の希望が許されている。悔い改めて再生を願う人類を愛そのものであるキリストが決して見捨てられることはない。だからあれは厳しい「最後の審判」ではなくダンテの「神曲」と同じく再生を謳った愛の曼陀羅なのだ。ファリサイ派(彼の眼には敬愛するヴィットリア・コロンナを拷問で転向させたローマ教会の体制派がそう映ったかも知れぬ) はイエスに天からの「しるし」を要求するが、イエスは「邪な世にはヨナの徴ししか与えられない」と答える。
だからキリストの頭上にヨナ(こちらの方が旧いのだが) が描かれていると言うのは実に意味深長だ。
聖書のなかの「しるし(奇跡)」を私たち現代人はどう捉えたらいいのだろうか。宇宙に人工衛星が飛び交い遺伝子操作により両性を必要としないクローン動物が誕生した今、イエスによる不思議な業は科学や合理主義になれ親しんだ者にとってどう理解したらよいのだろうか。私はある時、次のように思ったことがある。即ち神はなぜ奇跡をもっと頻繁に行おうとされないのか。もし神が次々と人前で不思議な業(奇跡) を行えば、それこそドミノ倒し的にこの世界の人々を篤い信仰に導くことが出来るだろうにと。そうすれば話は簡単ではないか。(勿論、いまはそう思わない。何故なら私にも人間というものが分かってきたし神は初めから知っておられたのだ) 人間の信仰というものがそれ程、確かなものではないことを。 いま仮に眼の前で(神による) 不思議な業が行われたとしよう。そのとき無神論者や懐疑主義者も含むすべての人々、善男善女は挙って「ホザンナ、ホザンナ」と神を賛美し、争って不思議な業を行った人(神) の膝下にひれ伏し、口々にその業を誉めそやすだろう。 しかし翌日になったらその人々のうちの何人かは「はて、あれは自分の見間違いだったかも知れぬ。あんなことが今の世の中でおこる筈がない」「そうだ、自分はあの時、きっとどうかしていたのだ。 あれには容易に見抜けない何か手品の種か仕掛けのようなものがあるのだ」「あの体験はショウとしては実に面白かったが、あの出来事によって今の自分の生活を変えたり世の中の何かが変わるわけではない」と口の中でぶつぶつ呟き始める。そして翌日になるとさらにもっと多くの人々がそう思い始めるだろう。そして1月もたつともはやその不思議な業のことなど誰の口の端にも登らなくなる。そう、それが人間なのだ。しるし(奇跡) をみて最初の感激がどんなに大きくてもやがて最後には単なる摩訶不思議な手品か何かと思ってしまい、あんなことはもう忘れたい、或いはもっと面白い手のこんだ手品がみたいものだと思う。そうなることは古今東西の人間性から言って間違いない。それが不思議な業(神の奇跡) に対する人間の性サガなのだ。 いつの時代の人々も他の時代に負けない位に邪なのだ。ただしニネベの民の如く異邦人であると否とにかかわらず神の愛に対する信頼、悔い改めの心、不思議な業に対する幼子のような感嘆、困った人を放っておけない憐れみの心が、ほんの芥子粒ほどでもあれば、人類は変わり得るのである。少なくとも変わろうとし始めるのだ。その変わろうとし始めることこそが現代における「ヨナのしるし(奇跡)」の意味ではないだろうか。
1(金)初金ミサ・例会
2(土)壮年の集い
9(土)壮年部黙想会
24(日)バザー
バザーに参加、協力し、関わりの輪も広げましょう!
3(日)11時からセンター202 室で中高生会。バザーのこと、これからの予定などを話し合います。
17(日)コーヒーショップ (雨天中止)準備を手伝える人は、8時45分にセンターの台所に来てください。
23(日)午後2時からバザーで販売するゼりー作り。
24(日)バザー、集合は8時30分
16(土)ニュースレター作り 藤沢教会・片瀬教会・茅ヶ崎教会の青年達が合同で集まっています。センター203
室で、午後7時〜9時。
23(土)、24(日)バザーの準備や当日、自分でできることを積極的に見つけて協力しましょう。
11月3日、ハイキングを企画中。
年間テーマの募集 来年11月20日(王であるキリストの祝日)に献堂記念ミサを予定しています。それまでの1年間をアニバーサルイヤーとし、皆さんからご提案いただいた記念事業の検討・推進を行ってまいります。 現在のところブロックや活動部の活躍に加え、講演会・コーラス・展示会等が俎上に上っていますが、詳細を検討するにあたって大きく包みこむ年間のテーマを必要としています。8月号でもご案内のとおり「50周年をきっかけとして教会活動の未来に向けての足がかりをつくる」という方針を基に、このテーマを皆さんで考えていただきたいと思います。 つきましては来る10月10日(日)ごミサの後、アンケートを行いたいと思いますので、お手間ですが信徒の一員としてご協力のほどよろしくお願いいたします。詳細は当日ご説明いたします。 |
前回報告しましたように、合葬の場所に「みその」の敷地内の土地を使わせて頂くという方向で、法的な問題や実現の可能性について基礎的な検討を開始いたしました。まず、聖心の布教姉妹会に教会として「みその」の中の土地を使わせて頂きたい旨連絡し了承して頂きました。次のステップとして、藤沢教会の事業ですので法的には事業主体は宗教法人カトリック横浜司教区としなければなりません。そのために教区事務所にこれまでの経緯を説明し、今後の具体的なすすめ方について相談をいたしました。 当初、聖心の布教姉妹会と横浜教区との間で土地の貸借契約を結ぶことを考えていたのですが、調べた結果墓地の申請は事業主の所有地でなければ認められないことが分かりました。そこで再度、聖心の布教姉妹会にその旨を説明し、墓地部分の土地を譲渡して頂けるかについてお伺いしたところ、前向きなお返事をいただけました。これで法的な問題については実現の目処がつきましたので、いよいよ具体的な企画の段階に入ります。そのために、皆さまの同意が得られれば、葬儀を考える会から2名、教会委員会から1名の他に、企画設計などに専門的な知識をお持ちの方2名、その他から2名の委員を公募して企画委員会を立ち上げたいと思います。そこで皆さまからのご意見をいただきながら具体的なプラン作りに入りたいと思います。皆の知恵と力を出し合って作り上げていきたいと思いますので、皆さまのご協力をお願いいたします。 |