八 角 形 に ゅ ー す
2004年11月7日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
この半世紀の間に見た教会の変化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハンラティ
教会委員会(10月16日)
「50年の歩みに感謝――みんなでバザー」を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー実行委員会代表 辻垣
2004年藤沢教会のバザー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北2 三島
バザーに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 八木
道をそれるということ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 高橋
壮年部・鎌倉十二所の黙想会にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 田邊
壮年の集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 野澤
横浜教区一粒会大会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一粒会 鈴木
ジャン・ピェール君のお話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 宮内
〜人生の秋〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 大野
この半世紀の間に見た教会の変化
ハンラティ
私は、47年前若い宣教師として日本に来ました。言うまでもなく、その時から日本だけでなく世界中の教会で、さまざまな変化を見たり、体験もしました。そして、それらの内のいくつかを「考えられない」こととして述べてきました。私が最初に日本の教会に来た時、カトリックの信者はほんの少ししかいませんでした。しかし、司祭は沢山いて皆、若く精力的でした。また、日本の神学校にも多くの若者がいました。ですから、私たちは神学生の数もキリスト教徒の数も増え続けることを期待していました。
今日、キリスト教徒の数は確かに増えていますが司祭の数は大幅に減少しています。しかし、教会はより強く成長し続けています。それは、キリスト教共同体の生活の中で、信徒の参加の仕方が大きく変わったからです。
私たちの共同体は、数字の上だけでなく霊性、親密度、互いに助け合うという面で成長しています。私は「八角形にゅーす」9月号の中で、このことが藤沢教会でどのように起こっているか、詳しく書きました。聖書、祈り、神学、社会復帰のための自立支援奉仕の仕事を学ぶだけではなく、それらを実践し、指導している多くの信徒について書きました。そしてこれらのことに参加する信徒の数が、どんなに増え続けているかということも書きました。
また、その信徒たちはこれらの仕事を「司祭を手伝う」こととしてだけでなく、正に自分たちの使命だということに気づきつつあります。40年前、バチカン公会議は、教会にこの基本的な神学の観念を改めて意識付けましたが、再度実現するのにはかなりの時間がかかりました。それは今日の教会が、何らかの方法で初代教会のやり方に戻るということです。私は、そうあるべきではないかと思います。特に、宣教国の中で。
聖書は、私たちに霊的実りの結果によって物事を判断するよう教えています。もし、その実りがないならば考え方を変えたり、広げていく必要があるでしょう。私は、藤沢教会における霊的成長を見ると神様が、この変化は正しいと賛同していらっしゃるように思えます。
司祭の数が、こんなにも減少し続けていることは理解に苦しみます。司祭たちは高齢化し、体力も衰えてきています。神学校に入学する人は、ほとんどいません。そこに入学するべく、青年たちを奨励する努力はいろいろなされています。しかし、神様は、これらの努力にどうして恵みを下さらないのかと、疑問に思うこともあります。私たちは、この中で神様のメッセージを捜し求めなければならないのでしょうか?
私が想像する一つの解答は「教会は、司祭不足のために、キリスト教共同体の中における信徒の使命の重要性を、より早く再発見するよう導き戻されているのかもしれない」ということです。もし、そのことが一つの答えなら信徒の役割が再度確立し、次に、司祭の数が再び増えるということになります。勿論司祭と信徒の関係は、これまでとはやや異なったものになるでしょう。ともかく、このことは一つの答えかもしれません。
別の解答があるかもしれません。今日、私たちは大変少なくなっている司祭の召命を求めていますが、身近に可能性があるかもしれない人々がいることを忘れてはいないでしょうか?
基本的神学と私たち自身の体験によって、私たちは成長していくキリスト教共同体の霊的生活をする中で、ミサが非常に大切であることを知っています。しかし、司祭の減少とともに、ミサの回数もだんだんに少なくなっています。
言うまでもなく、集会祭儀は行われるでしょう。実際これは大変大切なもので、私たちは霊的に強められます。また、ここに参加する人たちは、共により良い準備をし、祈ることを教えられ、素晴らしい進歩をします。しかし、ミサにあずかることが出来るなら、もっと深く参加することになるはずです。人々は、最後の晩餐を再現する時、司祭と「共に」参加していることに気づくようになるでしょう。ミサは、ただ司祭にたててもらうだけでは意味がありません。共同体とのつながりが大切です。そのことを考えると、集会祭儀があっても、まだ私たちは司祭を必要としているということにもなります。そこで、私たちは司祭誕生の可能性があるすべてのところを思い巡らし、目を向けてみたらどうでしょうか?
私たちが、新しい司祭を求めていることを考える時、勿論若い人や神学生のことを思い浮かべます。これらの若者たちは、高校や大学を卒業後、6年から10年の間、神学校で学びます。彼らはほとんどの時間をそこで生活をしながら、人間として成長し、霊的生活を深め、人々を神様とより良い関係になるよう教え導くことができるよう養成されます。それは聖書、神学を学び、彼ら自身の信仰を深めることです。しかし、私たちのキリスト教共同体の中から、適当な志願者はなかなか出てきません。
一方、これまでには認められなかった、また考えられなかったことですが、私は可能性のある志願者の大きなグループがあると、思うようになりました。例えば、藤沢には会社学校などを退職した男性が沢山います。彼らは、ずっと聖書、霊性、福音を学び、現在他の人々の指導をしています。これらの人々はそれまで培った豊かな経験をもっているので信頼され、勤勉、有能であり、他人の話を聴いたり、他人と一緒に仕事をしたり、決断をすることが出来ます。彼らは家族を養う体験もしています。彼らは神学校で若い学生たちと同じ訓練を受ける必要はありません。ほとんどの方は、成長段階で信仰を発見し、それをさまざまな困難な状況の中で実践する体験をしてきました。彼らは、今真剣に、祈りと霊性を深める努力をしています。また他人を指導したり、養成もしています。そのような人々を、2年間位で司祭として叙階する準備が出来ないものでしょうか?
私は、親方と内弟子の関係のように「仕事をしながら」指導を受けることを考えています。定期的な作業、黙想会、良い霊的指導者、1、2ヵ月位他の志願者たちと「生活を共にする」こと、違うタイプの小教区の体験などは素晴らしいことですし、叙階のための十分な準備となるでしょう。
唯一の障害は、私がふさわしいと考えている人たちの大部分は、既婚の男性だということです。しかし、私は、例えばロンドンで、結婚して小教区を経営し働いている司祭たちを知っています。彼らは、以前は結婚している聖公会の司祭でしたが、現在はカトリックの司祭として働いています。これは、その決まりが例外として改訂され、結婚して働くことが許されるようになりました。もし、先に書いた男性たちが、自分たちの国で司教様を助けることが出来るなら、結婚はしているけれども司祭にふさわしいと思われる人々が宣教国で働けるよう規律を広げ、例外を作ることができないものでしょうか?
勿論、私は、教区司祭のことだけを考えています。彼らが、宣教会や修道会で叙階されることは、不可能でしょう。しかし、この変化は他の現代社会のさまざまな変化と、調和が取れるように思われます。
一部の方々にとっては、ここに書いた私の答えは「考えられない」変化でしょう。しかし、私が始めて日本に来た時、日本語でミサを行うことは「考えられない」ことでした。普通の信徒が、ましてや女性の信徒が病人にご聖体をもっていくことも「考えられない」ことでした。日本人のシスターがコロンバン会の司祭たちに、5日間の黙想会を指導することも「考えられない」ことでした。日本人の信徒宣教者が活動することも「考えられない」ことでした。もっと沢山の例も思い浮かびます。ですから、私は「考えられないこと」が本当に起こっても、あまり驚きません。これが、私の召命のための祈りの一部です。
教会委員会報告(10月16日)
50周年事業検討の当初の段階で4つのブロックから提案のあった名簿作成について議論があった。
名簿については、教会活動上都合がよいこと、近隣の情報源になること、名簿に載ることで疎外感がなくなるなど利点は多いが、一方で個人情報の漏洩につながる危険があること、コストがかかることなどの問題点が指摘されたが、結論として作り方や管理の方法に何等かの形で工夫をするという前提で作成することになった。
なお、内容の正確性については各ブロックが責任をもって調べてほしい旨テハン神父から要請があった。
準備チーム座長の兼子さんから大枠として以下の点が決まった旨の報告がなされた。
本年11月28日(日)待降節第一主日をもって50周年記念のスタートとし、明年11月20日(日)王であるキリストの主日に記念ミサを行って終了する。
期間中講演会を2回行う。1回目は教会の献堂記念日に当たる4月29日(祭)に50年の歩みに深いかかわりのあるテーマで行い、2回目は記念年最後の頃に広く教会の未来につながるテーマで行うことにする。
50周年の概念としてさきのアンケートをもとにテーマを決め、また、それにふさわしいシンボルマークを作る。 外国人コミュニティから教会への感謝のためビンゴゲームをやりたいという要望があり、認めてほしい旨の強い申し出があったが、それを含めて詳細は早急に検討することになった。
全体としての趨勢は前回報告(6月末)と変わらず、予算消化率70%となっている。収入の部では献金収入のうち祭儀献金が前年比300万円減となっている。支出の部では宗教活動費の中で本部納入金が前年比1200万円ほど増えているが、本年度分はこれで全部支払い済なのでこれ以上の増加はない。一方人件費は収入減にほぼ見合う額で減っている。
9月19日(日)ミサ中の敬老の祝いについては、いずれのブロックからも特段の意見はなかった。今年の敬老会についてはやり方が変わったことで一部にとまどいがあったが、結果として多くの方々が参加し、喜んでいただけた。今後どうするかの課題は残った。
10月1日から新しい体制でスタートした。平野さん、大沢さんをチーフに約10名のスタッフが書籍チームと聖品チームに分かれて担当することにした。9、10月は来年のカレンダー、手帳の仕入れを行い、現在クリスマス関係用品を調達中である。皆様が利用しやすいように工夫しているのでご利用いただきたい。また、販売ボランティアのスケジュールにはなお余白があるので特に新しい方々の呼びかけをお願いしたい。
具体的案作成のためにスタッフを募集中
@辻堂ブロック
11月6日アジア学院訪問は参加を広く教会全体に呼びかけることにした。
A北一ブロック
バザーの今後の課題ということで新しい人をいかにとり込むかが提起された。一つの方法として入門講座受講中の方にも呼びかけてはとの意見が出され、宣教部でも検討することにした。
@福祉部
第五地区各教会と福祉交流会を行う。なお実施は来春早々を予定している。
A宣教部
結婚講座 全6回にわたって行われ、4組のカップルが終了した。
B湘南台センター
もっと広く活用してほしいとの希望があり、空室情報を提供する。教会がいっぱいの時はセンター利用を考えてほしい。またブロックの集会を年一回はセンターで行うことも検討してほしい。こうしたことを通してセンターへの意識が高まればと期待する。
10月17日の集まりで共同宣教司牧の具体的なやり方として湘南台センターの活動について分かち合いを行う。
信者ではないが、かねて教会での葬儀を希望されていた方が亡くなられたが、湘和会堂で「葬儀を考える会」のメンバーが中心となって司祭不在の通夜や、告別式を行った。信者、未信者が一つになって歌と祈りのうちにお見送りすることができ、すばらしい体験となった。宣教の機会としても今後ブロックなどで取り組みを検討してほしい。
「50年の歩みに感謝―みんなでバザー」を終えて
バザー実行委員会代表 辻垣
5月から準備を進めてきたバザーは、北1、北2地区の企画チームを中心に、教会全員の祈りと多大なご協力によって無事終了することができました。
2005年は藤沢教会が片瀬教会から自立して50年目を迎える節目に当たり、未来へ向かって何ができるか何かをしようという強いメッセージがこのテーマには含まれています。
賛助金は教会の建物を始めとする施設の維持管理のため、売上金は、実現化に向かって動き出した「合葬の園」建設のために使われます。いずれも未来へ向かっての歩みです。
壮年部の屋台村の火起しの煙が立ちのぼる中、テハン神父様の歓迎の挨拶で始まりました。
午前・午後2回行われたビンゴゲームは川辺氏の名司会で子供中心の楽しいゲームになり売場全体が活気づきました。全体に福祉の参加数も減り、衣料、日用品の点数も少なめでしたが、その分会場にゆとりが生まれ聖堂の中の顔が見えるバザーという雰囲気が生まれたのではないでしょうか。
センターホールの食事コーナーも全て完売となりメニュー会計での調整が効果をあげました。新しい企画としては、ぶどうの木における「バラの花作り体験教室」とシスター吉岡のレースの十字架の出展は大盛況でした。もう一つはボーイスカウトによる、手作り土窯のピザ焼きは味もよく活動を見るよい機会になりました。これからのバザーのあり方に一つの道を示したのではないでしょうか。
またこれから考えなければならないこと3点
若い人と新しく洗礼を受けた方の参加。カトリック入門講座の最終段階の方々の参加と分かちあい。
共同宣教司牧の上で聖心の布教姉妹会とのできるだけの協力。例えば野菜作りのお手伝い、豊かな土壌作りと収穫への参加。
外国コミュニティとの共生に対する努力。ミサの一元化と地区への参加、協力。
バザーに全く入り込んだことのない私がなんとか無事に切り抜けることができましたのも、裏方に徹してくださった多数の方々のお蔭です。心から感謝いたします。
なお売上金の一部は、新潟地震の被害者へ急遽カリタス・ジャパンを通して送らせていただきます。
2004年藤沢教会のバザー
北2 三島
台風に、大地震に災害続きの翌日。神様に守られてお天気もほぼ良好、予定通り藤沢教会のバザーは開催されました。
子供たちに中高生、シルバーたち、外国の方々、少し体の不自由な方々もみんな、ここ藤沢教会に集いました。 みんなで喜び、スマイルし、笑い声はお聖堂に庭にセンターホールに満ちあふれ、美味しい幸せな香りいっぱいに包まれた一日になりました。
このバザー当日をお迎えするのに、表舞台で働くお仕事、裏舞台でコツコツ作業するお仕事等々、多くの人々が知恵と心と体力と時間を重ね、寄り合いを重ねました。
このような時にいつもいつも神様は一緒にいて私達をお守りくださいました。そればかりか神様は私達に思いがけない「出会い」や「気づき」のプレゼントを沢山くださったのです。
このように兄弟、姉妹がつどい、沢山の「出会い」や「気づき」がいただけるバザーが次の年も次の年も続きますように「バザーの灯火」を絶えることなくともし続けたいと祈りました。
なによりも、テハン神父さまの隅々まで行き届いたお心配りと沢山のお力添えに励まされこのバザーの日が迎えられました。 テハン神父さまほんとうにありがとうございました。
バザーに参加して
大庭 八木
「50年の歩みに感謝・みんなでバザー」。このテーマの通り、今回のバザーは、今まで歩んできたバザーのやり方を踏まえつつ、新たな試みも取入れ、心一つに皆で作り上げていくバザーが出来たと思っています。
バザーのお手伝いをしたことはありましたが、企画の段階から係わったことは初めての体験でした。私はバザーのポスター・パンフレット作りや印刷、食券の制作などを担当しましたが、その仕事を通して、一つのバザーを開く大変さ、沢山の人との係わり、そして様々な係との調整の難しさを感じ、多くのことを学ばせていただきました。と同時に、北2・北1ブロックの人達が中心に「このバザーを成功させよう! より多くの方々に楽しんでいただこう!」という心意気がひしひしと感じられ、自然とやる気が沸いてきたように思います。
今年は、例年になく猛暑の日々、秋に入ると長雨に台風と悪天候続き、バザー当日の晴天を願わずにはいられませんでした。幸いバザー当日は天候に恵まれ本当に心から「神に感謝」と思いました。
バザーの準備が佳境に入ると連日のように教会で準備やミーティング、前日も朝から夕方まで準備、当然、当日はゆっくり昼食をとったり買い物をしたりといった余裕はなく…これは私に限らず、バザーの企画、お手伝いをしてくださった方皆に共通のことと思います。それでも、皆さんに楽しんでいただきたい、それ以上に皆が喜んで働いているようにすら見えたことはすばらしいこと、藤沢教会信徒のパワーと思いました。
沢山の方々の協力を得、お一人のけが人も無く、バザーは大成功とひたすら感動に浸りたいのですが、初めて企画から参加し、まだまだ教会の中では若者と言われる私としてバザーに対していくつか気がついたことがありました。
その一つは、従来通りの形式のバザーがこのままで良いのかということ。 もう一つは、バザーに協力し沢山の商品をご寄付くださった方々とバザー当日楽しみにご来場下さる方々のニーズに主催者側が適切に応えているかということです。 さらに、藤沢市民が多数参加する、ふるさと祭りと同日開催はさけた方が良いのではないでしょうか。
今年は、初めて子供も大人もお年寄りも皆で楽しめるビンゴゲームを行ないました。進行係のすばらしさもあり、結果は大好評。子供たちは「こんどいつやるの」と迫り、特別賞はテハン神父様とのツーショットのお写真。皆大喜びで写真に納まり、写真のできあがるのを楽しみにしていらっしゃるようです。沢山の子供たちは商品の他に参加賞をもらいニコニコ顔。皆「次は自分がビンゴだ!」と最後まで諦めず真剣な表情。残念ながら賞品に手が届かなかった方も満足気でした。こんな体験からビンゴゲームに限らず、もっともっと子供も大人もお年寄りも皆で共に楽しめるコーナー、そんなコーナーがもっとあってもいいように思いました。
福祉の方々、外国コミュニティーの方々、そして日曜学校・ボーイスカウト・中高生会・青年会・多大な労働力を提供して下さった壮年部の方々とバザーの経験豊かな女性方、皆が一つになって明日への第一歩を踏み出すことができたでしょうか。私には夢と希望にみちた明日が神様に祝福されているように思えたのですが。
神父様をはじめ、バザーに係わって下さった沢山の方々に心から感謝申し上げます。と共に、度重なる台風による水害や新潟の地震で多大な被害を受け疲労困憊していらっしゃる方々のうえに神様のお助けがありますように、又、日本全国の方々の温かい支援の手が注がれます事を心から祈りつつ、バザーに参加できました事に感謝申し上げます。
道をそれるということ
鵠沼1区 高橋
『モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」
主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。』(出エジプト記3・1〜6)
モーセは道をそれて柴が燃えているところへ見に行きました。そこから神様が声をかけられました。今まで何不自由なく生きてきた道をそれて、神様の声を聞きに行くということは、勇気のいることです。場合によっては、それる勇気も必要であると、久我神父様はおっしゃいました。
私にとって道をそれるということは、今まで不自由のないところから、神様の道を選んで歩いていくということです。安穏とした生活を捨て、険しい道を歩んでいくという感じがします。今でも充分、厳しい道を歩んでいるのではないかと思うのですが、神様は何をお望みでしょうか。今回の黙想会は、心が安心して救われるといういうよりも、岐路に立たされたような、私に覚悟を与えてくださったように思います。
それでも私はまだ甘くて、安穏と過ごしてしまうかもしれません。あんまり悲しい思いもしたくありませんし、辛いことは嫌だと思ってしまいます。楽して生き過ぎたかな、とも思いますが・・。
洗礼を授かって5年になりますが、その前の生活と百八十度、価値観、生き方が変わってしまったということも実感です。神父様は何をするかでははなく、誰になっていくか、という生き方があるとおっしゃっていました。自由になり、解放され、奉仕する人、他者を生かす人、祈る人になるということ。聴く人、神様の声を聴く人ということと、おっしゃっていました。
今回のテーマは上手な年の重ね方から、重ねた年の生かし方ということでした。自然にしていればよいともおっしゃっていました。イエスの弟子として、生きてきて、今、ということでした。
考えさせられる良い黙想会に参加させていただき、感謝の気持ちです。
壮年部・鎌倉十二所の黙想会にて
大庭 田邊
10月9日、台風22号の伊豆・三浦半島に接近し、黙想会を予定通り出来るか如何か危ぶまれて居た。しかし、午前中は台風の影響も少なかったが、午後の講話は急遽中止し、早めに切上げる状況で始められた。
その様な状況の中にも関わらず、イバニエス神父は一年振りの再会を喜ぶが如く玄関に立ち、参加者15名の一人一人を優しく迎え入れてくださり、本当に心温まる思いでした。
昨年、1年の休暇で出発する時、12年いたこの「黙想の家」に帰れるとは思えなかったこと。休暇での活動、帰郷を待っておられたお母様との再会、そして、一週間後に主のもとに召されて行かれたこと。その時に母との約束は「日本語で御ミサをあげて欲しい」と言う希望を適えることが出来た。等話しが続いた。
今日のテーマは『キリストに向かう「心」によって、真の幸福に暮らす』である。
始めに「黙想どろぼうの日記」の二つの講話を中心に取り上げて話された。
15話(キリストによる贖いの体験)=祈りのダイナミックが大切です。それは、自分自身の内に生きて居られるキリストを通した神の助け・御子イエズスの愛・ご自身をお捨てになった神の御子を信じること・イエズスの受難と復活が毎日の生活の中に在るのを感じて祈ることです。23話(イエズスに従う妨げとなっているもの)=信仰の「心」が大事。心の中で神様と向かい合い、祈りの中でイエズスと出会い対話による内なる喜びが大切です。自分には良いところがこんなに多くあるのを悟らせ、そこに人生の大きな導きを与えてくれます。
人間の有限と無限=ここに私がいるのは神様がそうさせていることに気付いて欲しい。
スペインのレストランで家族達と食事している間、家族の話より、隣の男性グループの話しが気になり聞き耳を立てていた、どんなことに興味を持っているのか知りたかったからだ。殆どがお金に関わる話で、人は物の奴隷になっていると感じた。人々は毎日教会に来て神の愛を賛美しているのに、教会を出ると人は「名誉」によって評価するのか。そのために欲求を満たす手段を考え、私を何とか見て認めて欲しいと働きかける。日本で言う「本音と建前」です。人間の「自惚れた心」が災いしているのです。
これは自分自身が中心になっていて、神様が中心になっていないからです。 イエス様は自己中心でなく、回りの人物について常に考えておられた。お金や権力で決して判断しなかった。
「キリストに向かう心」の妨げになるのは何か? キーワードはルカ18・18(有力な金持ち)とルカ19・1(ザアカイの回心)に表現されていますので思い起こしてください。
毎日の生活の中に、少しでもキリストと向き合う心が自然に生まれるように願いつつ講話を聴くことが出来ました。そして、参加者全員が御ミサに与かり、昼食の場に着き楽しく歓談出来ました。
最後になりましたが、指導司祭のイバニエス神父及び、昼食を準備して戴いたシスターに感謝します。また、この企画を担当して戴いた壮年部の方々に感謝します。
壮年の集い
藤沢2区 野澤
10月3日の日曜日に壮年の集いがセンターホールにて開かれました。出席者約40名が輪になりテハン神父様の挨拶から始まりました。
教会委員会報告が里原壮年部長からあり50周年準備チームなどについて話されました。
10月24日に行われるバザーでの役割分担の確認があり、その際、バザーで出される食べ物に余りがでないように話あわれました。
11月27日に親睦旅行が小田急新松田にあるアサヒビール工場を見学することになり、そこで、ビールを飲みながら親睦がはかれればとの担当者からの話でした。
売店販売をお手伝いしてくださる方を募集している話もありました。一ヵ月の内一日だけでも、午前中だけでも構わないので、是非皆さんの参加をお待ちしているそうです。
送迎ボランティアについて小野さんから話をしていただきました。あかね号運転、付添人が地区によって多い所、少ない所とばらつきがあり、今後高齢者が増えるのは確かなので協力してくだる方を募りたい。そしてお年寄りの方、お身体の不自由な方が遠慮せずにあかね号を利用していただきたいと話されていました。藤沢教会には、送迎活動に熱心な人々がいらっしゃるのでどんどん利用していただきたいと思います。最近、教会に来られなくなった年配の方がいらっしゃれば送迎サービスを行っていることを話し、利用できることが分かれば共同体から離れずに生活出来ますし、あかね号の価値も今以上に上がるのではないかと思いました。
最後に例年と同じ行事を行いながら、50周年の活動もしていかなければならないので行事に追われ過ぎないようにとの意見もありました。
横浜教区一粒会大会
一粒会 鈴木
9月23日秋分の日、横浜教区一粒会大会が二俣川教会聖堂にて開催され藤沢教会からは7名が参加しました。
今大会のテーマ「召命をもとめて」に沿って梅村司教様の基調講話、教区青少年委員会メンバー等によるパネルディスカッションが行われ、大会ミサで終了しました。
梅村司教様の講話は「横浜教区は召命に恵まれている」というお話から始まりました。梅村司教様は司教叙階後4人の司祭叙階を行っており、東京神学院には今年横浜教区から3名が入学したこと(ベトナム2名、藤沢1名)、在籍中の3名を含め、司教様にとっても、横浜教区にとっても大きな恵みであり、喜びであるとおっしゃいました。そして「現在一人の召命も無い教区があることから、他教区にも何らかの手助けをしたいと思っている。かつて濱尾枢機卿様がおっしゃったように、有り余る中からだけでなく手を差し伸べるのがキリスト者としての支援、援助であると考えている」との考え方を示されました。
次に司祭職について「司祭職が神の賜物、恵みであると思うことが難しくなっている状態が現代社会に生まれている」との指摘をされました。"教会は聖職者中心から信徒中心となったと言われるが、意味が誤解されている。教会の始まりからそれははっきりと言われており、聖書の中で復活されたイエスは必ず「弟子たちの真ん中に立ち」と描かれている。3年前の大会で「司祭への批判は日常茶飯事で、それを見聞きしている若者が司祭を志すだろうか」という話をした。使徒たちがいかに足りない者であったか福音書を読めばわかる。使徒たちはイエスを裏切った。その彼らにイエスはご自分の救いの業を引き継がせようとした。神の救いの業を私たちはいつも思い起こさなければならない。教会自身が罪人の教会で、罪多き者だからこそ私たちは神に呼ばれた。司教、司祭もそこのところから使命を全う出来る恵みをいただける。司教、司祭の欠点や悪いところに目がいってしまうかも知れないが、神父の悪口、時には誹謗を耳にしている若い人たちが、果たして司祭職を目指すだろうか。"
しかし「司祭職の恵みは尊いもの、信仰生活にとって必要不可欠なものであると、私たちがこぞってそれを認めるならば、私たちに心からの願いがあれば、その熱い思いに応える人が出て来る。」との希望があることも語られました。
最後に司祭の養成についての話がありました。司祭の養成には人間的、霊的、知的、司牧的の4つの要素があり、全ての養成の基本的な部分に人間的な養成がある。人間的な養成は家庭から始まっている、司祭の養成は家庭から始まっているのだと強調されました。 信徒が司祭の至らなさにつまづくという時、信仰面でのことより、司祭の人間的側面がつまづきになる場合が多いということを、率直に認められての発言でした。また「神学校で一生懸命頑張っても召命は生まれません」と発言され、「召命が生まれるのは家庭、それを育むのが神学校で、良い牧者が育てられるのが教会共同体です」とはっきりおっしゃいました。締めくくりに司祭職が神の賜物であることを重ねておっしゃり、だからこそ祈りが求められていると、私たちに熱心に祈ることを促されました。
ミサは、梅村司教様と23名の司祭団と聖堂いっぱいの信徒で捧げられました。説教は新司祭の高野哲夫神父様でした。「私が今生きているためには、ミサによる交わりが必要なのだ」というふうに思っているでしょうか?一人一人が本当に司祭を必要としているでしょうか?」で始められ「現実の社会の中で神を必要としなければ、司祭は必要とはならないのです」という言葉は、私の中に真剣に信仰を問う言葉として強く響いてきました。
一粒会は、皆様に会員になっていただき、毎日の祈り、そして献金で司祭召命を支えて行こうという会です。現在は藤沢教会出身の神学生もおります。神学生のために(これにはベトナムからの神学生も含まれます)、高齢司祭のために、どうぞ皆様のお力添えをお願いいたします。
ジャン・ピェール君のお話
辻堂二区 宮内
「世界難民移住者の日」にあたる9月26日のミサ後、聖堂で現在ウガンダから農業リーダー研修にアジア学院に来ているジャン・ピェール君のお話を聞く会が開かれました。
はじめに通訳をしてくださったアジア学院の遠藤抱一さんから学院の紹介がありました。西那須野にあるこの小さな学校に今年はアジア、アフリカの12カ国から31人が入学したそうです。英語による地域開発論、指導者論などの講義のほかに、米・麦・イモ類などの主食作物や50種類を超える野菜を栽培する有機農業を中心に、畜産、養魚の実習など途上国の農村で働く指導者養成のための研修を自給自足の生活の中で行っています。ウガンダの国連難民キャンプで活動されているキジト神父様も4年前にここを卒業しました。神父様が指導する難民家族開発協同組合からジャン・ピェール君は研修に派遣されてきました。アジア学院は主に教会と教会関係者からの献金によって経営されているNGO(民間国際協力団体)ですから公的補助がなく、財政担当の遠藤さんは資金集めにご苦労なさっています。また20人ほどのボランティアが学生と寝食を共にしながら研修を助けていまして、藤沢3区の酒井かほりさんも献身的なボランティアのひとりです。
ジャン・ピェール君はコンゴ民主共和国(旧ザイール)からウガンダに移った28歳の難民の一人です。14歳のとき父親と一人の兄がコンゴで殺されています。98年以降ウガンダでキジト神父の指導のもと組合の青年グループの中で重要な役割を担っています。難民の生活のさまざまな問題と困難 ・・食料の問題に限定しても、トウモロコシの生産は充分に可能ですが、必要な水を確保するための井戸、生産物を備蓄するための施設、生産物を輸送するための交通機関、産物の製粉加工に必要な設備、等々の不足あるいは欠如・・ それらすべての困難な問題を彼は充分に把握し、打開と展望を切り開く努力を帰国後その生涯をかけて続けるであろうことを確信しています。
しかしなによりも私にとって感動的であったのは、お話の題目にもなっていた「信仰は希望の結果」(Faith is the Result of Hope)という言葉でした。
互いに信頼しあう関係にあれば自然に希望も湧いてくるはずですが、対立によって殺しあうような関係においては相互の信頼は失われ、希望を持つことは不可能です。ではなぜ「信仰は希望の結果」なのでしょうか。おそらく、飢え、病気、暴力という生命を脅かす極限の状況の中で、わずかな希望の芽が生まれたとき、その芽を育て実を結ばせるためには相互の固い信頼こそが求められたのではないでしょうか。希望の芽は肉親や同胞への限りない愛を通して与えられた恵みであるはずです。私達には想像もつかないような厳しい現実の体験の中でジャン・ピェール君は「信仰は希望の結果」ということを身に沁みて、肌で感じ取ったに違いありません。
愛を通して希望が、希望から信頼と信仰が恵みとして与えられたので、お話は「いつくしみ深き友なるイエス」への感謝の祈りで閉じられることになりました。
難民の皆様のためにこれからも祈りを捧げたいと思っております。
〜人生の秋〜
善行 大野
この度、秋の訪れと共に、元気じるしの私にも定年というお話が起き、「がりらや」を退職することになりました。世代交代を考えなければと思っていた矢先でしたので、戸惑いながらも神様のお考えとして受け止めました。永い年月ご一緒に過ごしていただいたお当番の方々に感謝の意味を込めて、皆様との思い出を書かせていただきます。
ボランティアの皆様方の熱意に支えられ、お客様への対応、宣教を第一に考えての日々の生活でした。他教会の方々との繋がりもでき、「皆さん、楽しそうでいいわね」と言っていただいたりもしました。また一般の方々が「皆さんの表情が明るくてマリア様のような優しさがあるのよね」と言っていただいたりもしました。原宿の修道院のシスターからは「毎日開いているし、時間も延長をしてくださって感謝です」というお言葉もいただきました。
天に召された数名の方々のこともお一人おひとり忘れることができません。『私、教会で売店のボランティアをしていました』とみなさま神様に報告されたでしょうか。
まさに継続は力なりとばかりに、20年以上前から続けてくださった方々、転出された後も、月一回は必ず来てくださった方、その努力に感謝です。
或る日のこと、お客様の合間に話の中でお一人の方がおっしゃいました。「ごめんなさいね、70歳を越えたのに続けさせてもらって脳の活性化に役にたつのよ」と。どうぞこれからも頑張ってくださいませ。
そして気持ちよく車を出してくださって仕入れに協力してくださった方、小袋を手作りで作ってくださった方々、自宅で「しばらくお休みしちゃったからこれ位だったら出来ると思って」と売上金を入れる袋を手づくりでお持ちくださった方、そんな皆様方の優しい心遣いに支えられて、今日まで過ごすことが出来ました。本当にありがとうございました。
宣教についてはこんな思い出もあります。30代の女性が「がりらや」にいらっしゃいました。未洗者の方です。「母が亡くなり、心落ち込むことがあって胃の具合を悪くし、クリニックへ行っているのですが、その帰りに寄りました。」その日はボランティアさんはOさんとKさんと私の3人がおりました。お話を伺い、聖堂へお連れして「このまま、30分ぐらい静かにしていてごらんなさい。
お祈りは文章どおりでなくても良いのよ、神様とのお話でも良いのよ」とお話しました。その方が売店に戻って見えた時、そのお顔に笑みがありました。後日事務所に「売店で親切にしていただいて」とお礼の電話が入りました。
春の野原をかけめぐる蝶のように、踊るようにお店に来ていたJ子ちゃん。ある日父親の手で殺められてしまいました。彼女のことは前にも書いたので今回は辞めます。でも忘れられない少女です。
ここ2、3年前から世相を反映するかのように、心の病を持ってしまわれた方が何人も見えています。そのうちの一人と、夜のロザリオの祈りの後、聖堂の玄関で出会った時、「奥さん、そんな顔しちゃいけないんだよ。千円を持って教会に来ることだって大変なんだよ、そんな人たちを冷たくしちゃあいけない」と言われました。聖堂の外に彼の顔が見えて、やはり引いていた私を敏感に察知したのでしょう。反省させられました。この方とは昼間「がりらや」の中では何度も大変な思いをしていました。
「がりらや」を去ることになり、少々落ち込んでいた私に神様は宣教の仕事のお恵みをくださいました。50代くらいの綺麗なご婦人が「娘が亡くなったので、ベールをかぶせて綺麗にしてやりたくて」と見えました。少し話を伺うと、仕事場で倒れて救急車で病院に運ばれたとのこと。36歳だったそうです。「父親も駆けつけましたが間に合わず、私も最後は会っていないし、娘も自分が死ぬなんて思いもせずに仕事をしていて亡くなったので実に綺麗な寝顔です」とおっしゃいました。一緒に見えたお友達も、綺麗な顔をしていらっしゃるのよ」とうなずかれていました。あまりにも突然の死でしたので、亡くなって2ヵ月余りたつのですが、未だに手放せなくて・・でももういけないから、思い切り綺麗に飾って送り出そうと思っていますというお話に私も、その場にいらした六会のAさんも思わず涙が出ました。そして「今日は教会に来て良かった」「また、お買い物に来ます、今は教会が心の支えです」「是非またお出かけくださいね」と言葉を交わしてお送りしました。もしまたいらして下さったら次のスタッフの方が優しく対応してくださることを信じてペンを置きます。沢山のお恵みと、ボランティアの皆様に頂いたパワーを神様に感謝しながら過ごしました10数年を閉じさせていただきます。
10月のある日、曇りのち晴れ、になるようなあたたかいお言葉を頂きました。
「卒業でしょ! 長いことお疲れ様でしたね」と。全て神に感謝
・・・・・・・○・・・・・・
大野さん長いあいだ有り難うございました。
1(月)諸聖人
5(金)初金、例会
14(日)七五三祝福式12時
21(日)王であるキリスト 葬儀を考える会
27(土)壮年部親睦旅行
28(日)待降節第1主日 静修の集いと共同回心式
7(日)スペシャル・オリンピックス・聖火ランナーの隋走者として、中高生の二人が銀座通りから市役所まで走ります。応援しよう!
21(日)コーヒーショップ(雨天中止) 11時から、センター202号室で、中高生会、クリスマスや春の練成会、50周年のことを話し合いましょう。
27(土)センター203室で、19時〜21時 藤沢・片瀬・茅ヶ崎教会の青年たちが合同で集まっています。皆さん、いらしてください。協力司祭は、中和田教会のジャック神父です。
『ともに未来へ −50年の歩みに感謝−』10月10日(日)に50周年のテーマに関するアンケートを実施しました。当日は7時、9時半19時のミサに来られた方々にアンケート用紙を配布し、お帰りの際に回収させていただきました。全部で327名の方から回答がありました。その内309名の方が準備チームで挙げた10の候補テーマの中から選択され44名の方から新しいテーマあるいは50周年に対する要望をいただきました。 上位は @『愛をもって 愛のうちに 歩んでいこう』(64名) A『ともにあゆもう』(46名) 同数で『50年 共に未来へ』C『社会とともに歩む教会』(40名)でした。 アンケートの結果を準備チームで分析、検討した結果、冒頭にあります『ともに未来へ−50年の歩みに感謝−』を50周年のテーマとすることにいたしました。候補として挙げられたテーマのキーワードとしては『愛』『ともに』『未来』ということになりますが、『愛』は私たちキリスト者の原点であり、私たちの全ての活動、行動が愛に基づいていなければ無に等しく、これまでもそうでしたし、これからも変わりません。従って回答の中のトップとなったのも当然といえるでしょう。それだけに50周年だからといって殊更テーマとして掲げるまでもないのではないか、またテーマはできるだけ短く簡潔がよい、ということで『ともに未来へ』といたしました。『ともに』には、キリストとともに、兄弟姉妹とともに、社会とともに、等々幅広い意味がありますし、いうまでもなく、そこには愛がなければなりません。また『未来へ』は過去を振り返るだけでなく、50周年をきっかけとして未来へ向けての足がかりを創ろうという今回の50周年の基本コンセプトです。 もうひとつ私たちが忘れてならないことは『感謝』ではないでしょうか。今年のバザーのテーマと同じになりますが、『−50年の歩みに感謝−』をテーマの副題といたしました。 また今回のアンケートに回答いただいた327名の年齢構成ですが、50代以上の方が Q22名(最多は60代の88名)と3分の2以上を占めましたが、10代も24名の方が回答してくださいました。 これから10代も60代も、年齢に関係なく老若男女、皆で『ともに未来へ』向かって、11月28日(日)から始まる藤沢教会献堂50周年のアニバーサリーイヤーを盛り上げて行こうではありませんか。アンケートにご協力有難うございました。 50周年準備チーム |
1.お墓について「みその」の中に合葬の場をつくるということについて、皆さまの基本的合意はいただけたように思います。そこで、具体的な計画を考えるチームを発足させることにしました。メンバーについては一部公募をした結果以下のように決まりました。 葬儀を考える会より:高野修(藤沢)、浅野洋子(北1)、教会委員会より:興膳美保子(辻堂)、設計などの専門家として:辻垣正彦(北1)、岡村正(北1)、一般公募より:大井令一(鵠沼)、田辺奈都子(北1)の7名の方々です。 今後会合を持ちながら合葬の場についての具体的な計画をまとめていきたいと思います。進捗状況は逐次お知らせしていきますが、合葬の場についてのご意見などありましたら教会事務所までお寄せください。 2.11月の集いについて7月に「納棺と火葬場での祈り」のテーマで私たち一人ひとりがどのように葬儀に関わっていくことが出来るかについて考え、実習を行いました。その続きとして、11月21日(日) 9: 30ミサ後「通夜と告別の祈り」を考えてみたいと思います。先日帰天された方の家族から教会で葬儀をしたい旨の依頼がありました。残念ながら司祭が不在だったのですが、有志の方々がご家族と相談の上斎場で通夜と告別の式を行いました。その時の体験を皆さまと分かち合いながら、いろいろな可能性について皆さまとともに考えてみたいと思います。どうぞご予定下さい。 |