八 角 形 に ゅ ー す
2004年12月24日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
五十周年おめでとう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・テハン
藤沢教会の皆様へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マーフィ
教会委員長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 片桐
宣教部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 岡田
典礼部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 綿貫
教育部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 清水
国際部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 斉藤
福祉部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 曽根
湘南台センター・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 増田
クリスマスの飾りつけ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 高柳
クリスマスの食べもの〜ポルトガルでは〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 片岡
ベトナムのクリスマス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 グェン・キム
箱根 強羅の子供たち・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 生田
聖書100週間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻1 板津、藤1 小川、辻1 森田
聖書を祈る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 山崎
一信徒の体験・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 海老原
「ともに未来へ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 八木
俳句 宵の月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 池田
初めてカトリック教会を訪ねた日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 本多
神学生支援について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 長野
聖霊刷新セミナー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・秦野教会 寺田、大船教会 堀川
鵠沼ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 大谷
藤沢ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 安田
七五三・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黒田、たかの、水島、みずしま
「葬儀を考える会」フォーラムの報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 佐々木
カンボジアコンポンルアンへの旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 片桐
アジア学院見学会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 遠藤
スペシャルオリンピックをご存知ですか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 浅野
仏教とキリスト教・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子
「50周年おめでとう」
テハン
カトリック藤沢教会の50周年にあたっておめでとうございます。
マタイ福音書5章3節に、「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものだからである」と書いてあります。この言葉と幼児洗礼式の中で聖香油の塗油をする時司式者が唱える言葉と合わせて、私の50周年の挨拶をしたいと思います。聖香油の塗油をする時の言葉は「わたしたちの主イエス・キリストの父、全能の神は、あなたを罪から解放し、水と聖霊によって新しいいのちを与えてくださいました。神の民に加えられたあなたは、神ご自身から救いの香油を注がれて、大祭司、預言者、王であるキリストに結ばれ、その使命に生きるものとなります」と唱えます。
自分の貧しさとキリストの使命に生きるものになりつつある藤沢共同体のため、神に感謝しております。遠藤周作は小説「おバカさん」で同じ洞察を表現しているのではないでしょうか。登場人物の一人巴絵さんは、改札口のそばに立ちどまってホームを眺めていた時、「(バカじゃない・・、バカじゃない。あの人はおバカさんなのだわ)はじめて巴絵はこの人生の中でバカとおバカさんという二つの言葉がどういう風にちがうのか、分かったような気がした。素直に他人を愛し、素直にどんな人をも信じ、だまされても、裏切られてもその信頼や愛情の灯を守りつづけて行く人間は、今の世の中ではバカに見えるかもしれぬ、だが彼はバカではない・・おバカさんなのだ。人生に自分のともした小さな光を、いつまでもたやすまいとするおバカさんなのだ。」と初めてそう考えたのでありました。
パウロはキリストについて、フィリピ人への手紙で「キリストは神の身でありながら、神としてのありかたに固執しようとはせず、かえって自分をむなしくして僕の身となり、人間と同じようになった。その姿はまさしく人間であり、死にいたるまで、十字架の死にいたるまで、へりくだって従う者となった。それゆえ、神はこの上なく彼を高め、すべての名にまさる名を惜しみなくお与えになった。こうして天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものはすべて、イエスの名においてひざをかがめ、すべての舌は『イエス・キリストは主である』と表明し、父である神の栄光を輝かす」と述べています。
キリストの使命はもう終わったのではなくて、聖霊のはたらきのもとで私どもに任せてあります。50年の間神の恵みに恵まれたことを感謝し、皆で湘南台センター10周年をお祝いした精神と同じように、50周年をお祝いしながら、未来に向け、キリストの使命に生きるものとなりましょう。「心の清い人は幸いである。その人は神を見るであろう。」
藤沢教会の皆様へ
マーフィ
藤沢教会の皆さん、クリスマスと新年おめでとうございます。
六月にアイルランドに帰ってから、たくさんの方よりお手紙を頂きました。また、藤沢教会でのお別れのときには皆さんからのメッセージカード(霊的花束)を頂きました。そのときは読めなかったので、今住んでいるイギリスのコロンバン会本部に送りました。そして今、メッセージを一つ一つ読み、そこに貼ってある写真を眺めながら、たくさんの楽しかったことを思い出しています。皆さんの温かいメッセージや、祈りの約束に感謝しています。私も皆さんのことを毎日のミサや祈りの中で思い出しています。今年は皆さんの小教区ができてから五十年目になりますね。おめでとうございます。私は五十年前、荒井司教様が司式された、山の上の教会の献堂式に参加しました。この特別な年にあたり、主が一人一人を豊かに祝福し、また藤沢教会の守護聖人である聖シモンと聖ユダが皆さんを守り、とりなしてくださいますよう祈っています。
では、平和、幸福、喜びに満ちたクリスマスと新年をお迎え下さい。
賛美と感謝のうちに。 (イギリスより)
教会委員長より
鵠沼1区 片桐
2005年4月藤沢教会は献堂50周年を迎えます。これからの50年を考えますとちょっと気が遠くなりますが、積み重ねられてきた一日一日、積み重ねてくださったお一人お一人を思いますと、今の私達にリレーされてきたものの確かさ、尊さに胸が熱くなります。
50年目という節目に立ち会えることは一つの大きなお恵みだと思います。半世紀をかけて大切に育てられ、伝えられてきたものを確認し、さらにそこに私達が付け加えることができるものを見きわめるチャンスをいただいたのですから。今このときも過去にも増して、神父様方やシスターと共により成熟した共同体にしたい、そしてこの共同体が苦しみ悲しみの連続でもある社会に役立つものを発信し、次世代に引き継いでいけるもフになるようにと多くの方が様々な形で関わり一歩一歩進み続けていると思います。
私自身の50年を思いますと、私が何も知らない幼いうちからすでに様々な形で神に出会う準備がなされていたことを感じます。受洗の直接の動機になったのは息子の幼稚園で出会った一人のお母さんでした。ゆったりと静かに、そしてさりげなく三人のお子さんに愛情を注いでおられる姿が印象的な方で、話される度に感じられる思いやりや思慮深さ、私など及ぶべくもない豊かな人間性が、信仰という土台の上に培われたものであることを知って驚くと同時に、キリスト教を、音楽や絵画、文学といった芸術的な領域を超えた、身近な生活の中に生きている信仰という形で興味をもつようになりました。まだ幼かった息子が教会へ行きたがったこともそれを後押しすることになったと思います。
藤沢教会で出会った方々にも大きな影響を受けました。特に私自身が大きな苦しみの中にあった時に支え、祈り、見守り、今もなお心に留めてくださる方々が大勢いてくださることには何より感謝しています。そのおかげで私達に与えられる苦しみ、悲しみが実は神様の大きな計らいであることに気付かせていただきました。
遠い国から私達のために命をかけて海を渡ってきてくださった神父様方。その神父さまと共に草創期から共同体のために働いてきてくださった方々。そして、それに加えてどれほど多くの信者ではない人々や、ご家族がこの藤沢教会に関わり協力してくださっていることかとあらためて感謝の念を強くしております。また教会近隣の方々もこの50年間いつも私達の活動を見守ってくださっていたと思います。
私達はこれらのことをしっかり心に留め、特にこれからの一年間感謝と共に、今この瞬間にも始まっている未来に向かって、自信を持って私たちの信仰を静かに伝えて行くことができますよう、神さまのお導きとお働きにすべてを委ねて祈りの内に活動する日々を送れたらと願っております。
宣教部より
藤沢1区 岡田
藤沢教会50周年を迎えるにあたって、新たな宣教、社会のニーズに応える証しは何かが問われています。
多くの人が「不安」と「孤独感」を抱えながら、日々生きています。本当は心のふれあいを求めているのにもかかわらず、仕事やいろいろな活動に忙しく駆けずり回っています。「不安」と「孤独感」は、活動と心のふれあいのアンバランスから生じます。活動によって機械的繰返しと目的達成は得られても、心のふれあいは得られません。
私達は心のふれあいの場を持つ必要があります。家族、友人、分かち合いや祈りの集いなど、ありのままの自分を出し受け入れてくれる場です。心のふれあいがあって、自分、他者、神と出会うことができます。日常生活の小さな出来事の中で愛されている自分を実感することで他者を愛し、神を愛する人へと変えられます。「今までよくがんばってきたね」「ありのままでいいんだよ」「私はあなた達と共にいる」「安心して行きなさい」といった存在を受容肯定するメッセージは、神の国の到来を告げ知らせる福音です。
しかし心のふれあいが深まると恐れも感じます。これまでの関わりのように傷つけられたり、相手を傷つけたりするのではないかと不安になるのです。この恐れを乗り越え、互いに傷つきやすい自分弱い自分を、相手に知らせることによって本当の心のふれあいが生まれます。イエスがサマリアの女に「水を飲ませて下さい」と頼み、サマリアの女が自分の過去をありのまま話したことによって、女の中でいのちの泉が湧き出し、町の人々に溢れ出ていきました。
藤沢教会50周年のクリスマス、今年も救い主がお生まれになります。宇宙よりも大いなる神が赤ちゃんとなって来られます。「小さくなった神」なんと謙遜なことでしょう。藤沢教会の使命を考える時にとても良いヒントになると思います。
一般社会では、大きいものはますます大きくなり、小さいものの声はかき消されがちです。「塩がその塩味を失ったら何の役に立つであろうか」という、み言葉の通り教会が社会のやり方を模倣していては意味がないのです。神の力が発揮されるためには、社会のやり方とあえて違うことをする必要があります。小さくされた人々に開かれるだけでなく、小さくされた人々を優先し、交わる教会へと、ともに生まれ変わる必要があります。この道は、試行錯誤を続けながら聖霊に導かれて前進キる道です
また藤沢教会は他の小教区と比べてマンパワーも資源も働きも恵まれています。その恵みを培った五十年に感謝しつつ、ブロックや小教区の枠を超えて、ともに未来に向けて、自分達の力を誇り、比べるのではなく、より謙遜に、助け合うことが必要だと思います。
これからの50年、社会も教会も大きく変わり、宣教においても信徒や共同体の役割が広がり、インターネットやメディアの活用も進むことでしょう。しかし変わらない私達の拠り所は、本当の心のふれあいと真の謙遜を通して頂く、神のいのちの泉のあふれです。
典礼部より
藤沢1区 綿貫
50周年のテーマが、「ともに未来へ」と決まりました。典礼部の活動でも、「共に、未来へ」の精神でこれからも進もうと思っています。典礼の中で、特に「ミサ」においては、この精神が大切だと思います。
以前、横浜教区典礼研修会で、「これからのミサの在り方」について研修しました。そのときの指導司祭のお話で、「ミサで私たちは単にお客としているのではなく、本来、祭儀の一員として参加するものだ」というお話がありました。つまり、ミサのなかで必要とされる侍者、先唱、朗読、オルガン、聖歌、奉納、花等は特別なことではなく誰もがその役割を担う必要がある、というお話でした。
昔からこれらのことは、よく訓練された一部の人が受け持ってきたことが多かったと思います。それで、担当していただきたいと思ってお願いしても、やったことがない、よく分からない、その器ではない、旨くできない、上手なかたがほかにいる等の理由で断られることが多くありました。しかし、今慣れていられる方も、始めた頃は緊張して間違えたり旨くできないことが度々あったはずです。イエスを囲む食卓は単にそこに座っていればよいのではなく、そこに集まった人々が皆で準備し、皆で進めて行くものだと思います。
今、月の第二主日をブロックのミサとし、侍者、先唱、朗読等を、ブロックの方に担当していただいております。呼びかけられましたら、ぜひ引き受けていただきたいのです。そして、経験された方々が回りの方々に声を掛けていただくことで、さらに多くのミサの「参加」者が生まれると思います。更に、もう一言つけ加えると、ミサの中の応答も、それぞれが応えるような気持ちでいれば生き生きとした食卓になると思います。
このようにして、藤沢教会のミサが連帯感と共に神を賛美する兄弟の集まりとして発展していくことを願っています。
教育部より
鵠沼3区 清水
藤沢教会50周年に当たり次の・組み方向・50・年を考えた場合に、現在教会学校・ボーイスカウトに来ている子供たちがその時代の教会の担い手となっていると考えられます。またそうなっていて欲しいとも思います。そのように、子供たちの気持ち、心が育っていくことを願います。その気持ちなり心を育てていく土台、石杖を作っていくのは言うまでもなく各ご家庭ですがその手助けをし関わっていくのが教育部であると考えています。基本となるのは各家庭の信仰教育であり、各家庭で種まきをして水や栄養を与えながら成長をしていく。教会では時々別の栄養を補給する。そして両者で成長を見守り、より良い実となり収穫できるようなものへと育って行くことを願うのであります。教育部といっても、年齢層に開きがありますし、また全ての家庭がカトリック信者であるわけではありません。しかし、与えられた環境の中で、子供たちの純粋な気持ちを大事にはぐくんで行きたいと願っています。
50周年行事の中では、教育部としてはスポーツ大会に関わらせていただくことになっていますが、若者を中心に各リーダーは後ろでサポートをしていく形がとれたらと考えております。みんなで支え応援をしていきたいと思っておりますので、教会の皆様もご協力をお願いいたします。このほかに教育部として何か子供たちの心に残るようなことをと考えております。具体案ヘまだ見つかっておりませんが、これから一年をかけ、毎月の教育部会で検討をし話し合っていく予定でおります。
今後50周年記念ミサに向かい、日曜学校では当日に何かが出来たらと検討に入っております。またこれは、教育部の各グループでの検討課題でもありますが、他教会との交わりについて50周年を期に今まで以上に前向きに検討し、行動を起こし前進していきたいと考えております。
国際部より
鵠沼1区 斎藤
現在国際部には英語・ベトナム語・スペイン語のミサに出席しているフィリピン・ベトナム・ペルー・アルゼンチン・ブラジルの人たち、そして私達藤沢教会の共同体の代表を含めて月一回の定例会が出来るようになりました。
今年は新年会を皮切りに2月には「お料理をつくって食べよう会」を企画し、まずは、とん汁とお赤飯のメニューを皆で楽しみました。5月には「日本の着物を着て写真を撮る」という企画がペルーの人たちから持ち込まれて、着物を提供してくださった方々、着付けをして下さった方々、写真撮影を受け持った方の大奮闘で無事終了しホッといたしました。また8月にはガーデンパーティにフィリピンコミュニティの人たちがバーベキューで参加しました。仲々好評ですぐに売り切れてしまいました。炭火焼きが大成功だったようです。・10月のバザーにはバーベキューをはじめベトナムのはるまき、ラテンアメリカのミートパイなどで参加することができ、少しずつお互いの親しさも増して来ているように思われます。
問題もいろいろあると思います。各コミュニティはそれぞれ成り立ちも異なり現在抱えている問題も少しずつ違うようです。それでも私たちはせっかく藤沢教会の共同体の仲間として集まっているわけですから、一緒に知恵を出し合い、助け合い、時には忍耐しながら、ともに未来へ歩いていくことができたら、と願わずにはいられません。
来年には積極的に日本語のミサの聖書朗読や奉納にも参加して欲しいと思っています。またお互いの「悩みを話し合う会」のような企画など、思いは次々とふくらみます。
どうぞ皆様からのお知恵も拝借させてください。よろしくお願いいたします。
福祉部より
藤沢2区 曽根
藤沢教会4・周年を機に福祉部はスタートし、来年迎えます藤沢教会50周年で1・年を迎えようとしており、感無量の一年になることと思います。この9年間を振り返り、また新たな一歩を踏み出すためにも”初心”にかえり教会50周年に向けて福祉活動についての所感を述べたいと思います。
私たちは、約9年前に福祉部をスタートさせましたが、最初は「歩きながら考え、考えながら歩く」式で、月一回10名位の人たちが集まって「無い知恵くらべ」の日々であったと記憶しております。そのうちに段々とブロックとの結びつきが始まり、福祉担当者が部会に出席してくださるようになり、輪が広まっていきました。このように暗中模索の数年が経つうちに、行きついたところは、頭で考えることよりも、きびしさのうちにあっても重荷を負う人たちと共にということになり、現実を見つめ、まず行動することでした。このように一歩一歩と歩み続けて、来年で・組み方向・10・年を迎えようとしております。そして部会ではいつも「私たちの福祉は活き活きとしているだろうか」と議論されております。私はそのことは良いことだと思います。そして福祉の世界も日進月歩が生命線ではないかとも思います。ここで過去を振り返り、未来に前進するために、この9年間の概略と締めくくりとして教会50周年に向けての福祉活動についてできるだけ具体的に述べたいと思います。
これまでの活動として「講演会及び勉強会」「敬老コンサートの開催」「送迎ボランティアのスタート」「教会バザーへの福祉団体の参加」そして「福祉フォーラム」等の活動を行ってきました。
教会50周年に向けての福祉活動としては、次の4点を重点的に推進して行きたいと思います。
@高齢化社会に入り身体の不自由な方お年寄りの方々がミサに参加でき、また教会の行事に参加するために、地域の互助的なボランティア(例として車による送迎)を充実させたいと考えます。
Aボランティア活動を希望する人たちを支援いたします。無理をせず、一人でも出来るボランティア活動の情報を集め提供いたします。例えば「特別養護老人ホーム」や「児童福祉施設」などでできるボランティアの情報を集め提供いたします。
B「横浜教区福祉委員会」主催の勉強会に出席して交流をはかり、幅広い活動を目指して行きたいと思います。
C第5地区及び近隣の教会との情報交換のため、懇談会を今後も継続したいと思います。
湘南台センターより
辻堂1区 増田
湘南台センターは、藤沢北部地域の人びとが身近にカトリック教会と出合える場を提供するとともに、そこで行われる様々な集会や活動をとおして地域の人びとに福音を宣教し、またこの地域にすむ信徒の教会活動の拠点として活用することを目的に、1994年布教所として開所されました。
現在、キリスト教講座、聖書講座に加え、種々の文化教室が開かれ、月2回のミサに加え、月一回スペイン語のミサも行われるようになっております。道行く方々に見て頂けたらとの願いから、“みことば”を掲示板に掲げることも行うようになりました。また、「親子で集うクリスマス」は毎年多くの親子が集う恒例行事となり、楽しい中にも本当のクリスマスの意味をお伝えできるようにと努めております。そして本年9月、お蔭様でセンター開所10周年を迎え、記念ミサを捧げることができました。この藤沢教会50周年の年、湘南台センターも皆様と共に新たな一歩を踏み出したいと思います。
湘南台センターの課題として、今後3つのことに取り組んでまいります。一つ目は湘南台センター開所の目的の一つである、「地域への宣教」の役割についてです。地域との交流を図るために、「湘南台商店連合会」の夏祭りに何度も参加し、バザーを行ってまいりましたが、残念ながら夏祭りは中止となり、湘南台地区全体をまとめて大々的に行われる「湘南台ファンタジア」という行事になりました。参加のお誘いを受けましたが、未だに参加は実現しておりません。多くの方々が参加しますので、教会50周年を機にバザー品出店で参加できたらと考えております。地域の人びととの貴重な交わりの場になると思います。
二つ目は、今年3月の「湘南台センターの現状と今後をさぐる集い」で、「地域の拠点として、ネットワークを作り、活動の中心になる事を目指してほしい」との要望が出された点です。幸いセンターにはスタッフもおり、また場所もあることから、小グループで気楽に話しをすることから一歩を歩みだしていけたらと思います。
三つ目は、第五地区福音宣教委員会定例会議へ積極的に参加していくことです。初めてお誘いを受けて10月に参加し、「湘南台センター10周年のあゆみ」を中心に湘南台センターを紹介いたしました。今後も委員会を情報交換と交わりの場として参加し続けていきたいと思います。
尚、従来からありました「湘南台センター運営委員会」は、センターの未来に向かってのビジョンを明確にし、また藤沢教会として横浜教区に、北部の福音宣教について提案していけるようにメンバーを充実し、これまで年数回であった開催を毎月行うこととして、新たに出発をいたしました。どうぞこれからもお祈りとご協力をお願いいたします。
クリスマスの飾りつけ
辻堂2区 高柳
毎年、待降節になると、聖堂の内そとにクリスマスの飾りつけが施され、主キリストの誕生を祝う準備に入ります。聖堂の中央・売店ガリラヤのショーウインドウ・事務所入口の植え込み・ぶどうの木入口の窓・湘南台センターには聖家族と三博士と動物たち、そして聖堂前の植え込みと、うらの聖ヨゼフ像にはイルミネーションが輝きます。聖堂入口の屋根上に、大十字架のデコレーションも置かれ教会にくる人、通りを往き来する人も共にクリスマスを祝います。
これらの設計施工は、20数年前、まだセンターホールもなかった頃、教会の建物や敷地内の整備を行っていた三、四十代の男性たちが教会と子供たちの成長に夢を託して造ったもので、この男性たちの団体は、LEOに引き継がれ、教会の「縁の下の力持ち」として発展して行きました。
ビックリしたのは歴代の神父様方が惜しげもなく寄贈してくださった聖家族と三博士と動物たちのご像です。精巧な名工による木造の日本彫刻。パンで造ったコチコチの像は軽くてイエス様のオナカ
がはじけていました。竹製の日本人形の精緻を極めた姿には、手を添えることさえ拒否する伝統芸術の極致を見せ付けられました。残念ながら、パン以外は残っていません。それもどこにあるのか・・。
うれしいことに藤沢教会は、ゴテゴテのコマーシャリズムよりも、しっとりと落ち着いた簡素な祝い事を好む傾向があり、造る側も安心です。
湘南台センターの飾りつけの特徴は「家庭的」なクリスマスクランツとディスプレイです。クランツは地区の方からの寄贈品。飾りつけは、タテ×ヨコ×高サわずか90cmの中に白陶器の聖家族と三博士。そして満天の星の空に大金星が輝き渡っているだけ。誰もが造れる”家庭ディスプレイ”です。10年前の湘南台センター発足時の運営委員、故我妻氏の発案によるもの。二階の正面ベランダを飾るデコレーションもすばらしいものです。
毎年バザーあとの一カ月間、教会の小父さんたちはワクワクしながらクリスマスの飾りつけを造っています。
みなさんと同じように、主キリストの降誕を、一日、一日待ち焦がれているのです。
メリークリスマス!
クリスマスの食べもの ―ポルトガルでは―
鵠沼1区 片岡
待降節の頃になると、リスボンの食料品店では干鱈を買う人々が並んで順番を待っています。ポルトガル語で「バカリャウ」(バカヤロではない)というその干鱈こそが、クリスマスに欠かすことのできない代物であって、ノルウェーからの輸入品です。
さて、料理法は先ず魚の切り身半分くらいの大きさに切った「バカリャウ」を水に漬けて塩抜きをします。腹の薄いところで一昼夜、身の厚い背の方ですと・組み方向・48・時間位でしょうか。この塩抜き加減が難しく、必ず塩気が少し残っているうちに水から引き上げるのがこつ。次に大鍋で「バカリャウ」を茹で、その出し汁を別鍋にとり、じゃがいも、にんじん(面取りなどしない)玉葱、緑鮮やかな肥った菜っ葉などの大切りにした野菜を豪快に煮ていきます。その暖かい「バカリャウ」と野菜を大皿に盛り合わせ、オリーブ油を添え、メインデッシュの出来上がりです。料理というほどのことはない、いとも簡単で素朴、故に美味しい!
次はお菓子です。「ボーロ・デ・レイ」と言い王冠を象ったもので、色とりどりのドライフルーツで飾った日持ちのする焼菓子で、一見クリスマスリースのような型をしています。その中には小さなメダル、またはそら豆が忍ばせて入っています。切り分けていただく時、そのメダルが当たった人は来年「ボーロ・デ・レイ」を買うお役目とか。私はいつも密かにメダルを期待しておりました。私の買う「ボーロ」を皆様が待っていてくださると思うだけで楽しく心が弾むのです。しかしそのチャンスは巡ってまいりませんでした。
ある年のクリスマス、私達はポルトガル経団連会長のF氏宅に招待されました。食卓には眩しく輝く銀食器がセットされどんな御馳走が?・・と。何とそれは一般家庭と同じあの親しみのある「バカリャウ」だったのです。F氏のお心づくしは、地下の貯蔵庫から取り出された埃のつもった1930年のポルトワインでした。その年に私達は生まれました。それにも増して忘れられないことは、三人の美しいお嬢様が替わるがわる席から立たれ、湯気の立った「バカリャウ」の大皿を手に細やかなサービスをしてくださたことです。その夜、使用人は食堂の中に入りませんでした。遠い東洋の国からの客に温かい心の通ったおもてなしをしてくださったのでした。
ベトナムのクリスマス
長後 グェン・キム
ベトナムのクリスマスは日本と違い祭りのような熱いものでした。人口の二割弱しかいないカトリック教徒ではあったが、12月に入ると各々の家庭や教会では競って、大きな馬小屋やクリスマスツリーを作っています。サイゴンに入る手前までの国道一号線では1km間隔で教会が立ち並んでいる道沿いにも、馬小屋やクリスマスツリーのライトアップがされています。有名なのはサイゴンにある聖母マリア大聖堂(サイゴン大教会)でした。19世紀末に建てられた赤レンガ造りの美しい教会です。クリスマスイブは聖堂内に入りきれず境内や道路にまで人が込み合っています。まさに人間渋滞のようです。ミサが終わると若者たちが町に飛び出し朝方までにぎわっています。クリスマスが終わっても馬小屋やクリスマスツリーは旧正月前までしばらくは飾り付けされ、教会に来る人々の祈りを捧げる場でもあります。
箱根 強羅の子供たち
辻堂2区 生田
私が初めて箱根の「強羅暁の星園」の子供たちに会ったのは、もう4年近くも前です。2001年1月に現在の園長であるマ・スール大橋が藤沢教会にいらして、『定期的に子供たちに会いに来てくださるボランティアが欲しい』というお話しをなさいました。その後、小藤とみ子さん(鵠沼2区)から「私たちで音楽ボランティアできるんじゃない?」とお声がかかり、教会内外の音楽友達とアンサンブルを組み、3月3日に「雛祭りコンサート」という企画で「暁の星園」を訪問したのです。
ホールにはお雛様がきれいに飾ってあり、そこに3才から18・才までの園生40名ほどが集まって、上田和男さん(鵠沼2区)の愉快な司会も交え、クラシックの曲やポピュラーな歌などの演奏を聴いてくれました。特に子供たちと一緒に「翼をください」を弾いて、彼等の熱い歌声に感動しました。
それ以来何回か形を変えて、音楽ボランティアに「暁の星園」を訪問しているうちに、私たちの演奏を一番熱心に聴いてくれる幼児組のところへ、毎月一回小藤さんと二人で、ピアノとヴァイオリンのセットで訪問するようになりました。幼児用の教材を使ったピアノレッスンも初めは混沌として、大騒ぎでしたが、最近ではきちんと手を挙げてできるようになり、私のヴァイオリンの演奏もよくきいてくれます。格段の進歩です。帰る時は「おばちゃーん、また来てね」と言ってくれます。ずっと続けているうちに彼等が私たちを友達にしてくれたのだと思います。私たちも彼等の心に、ピアノやヴァイオリンという楽器が身近なものになり、音楽が親しいものになってくれたらと、密かにもくろんでいます。何よりも子供たちが抱きついてきて、可愛いです。孫?!! 園にはいろいろな事情で親と暮らせない18才までの子供たちが、約40名暮らしています。彼等は仲間や先生方に見守られていますが、外の人たちが定期的に会いに来てくれることも望んでいます。話し相手? 遊び相手? ちょっと遠くてたいへんですが、お気持ちのある方、ボランティアしてみませんか。私たちが癒されているのです。
1975年に、マルセル・ルドールズ神父様の「聖書を開いて一緒に読みましょう」という呼びかけで始まりました「聖書100週間」は、今年で29年目を迎えます。藤沢教会では、1998年の9月から始められ、現在二回目が行われています。全聖書の通読に三年半かかりますので、三年半の連続黙想会のようなものと考えられています。決められました箇所を良く読んで、感想を述べ合うのです。旧約聖書の神様のご摂理は、信仰の心を持って読みましても、難しく感じられるところもございますが、読んでいるうちに今に分かるようになる、と神父様のご指導を頂いています。実際、「今理解出来ました」と感動なさる方がいらっしゃいます。皆様、本当に素直に感じられるままに感想を述べられます。二年経ちました現在、このような分かち合いの中で、次第に皆様と心が一つになり、ここに素晴らしい聖霊のお働きを感じております。クラスには、お互いの信頼感がみなぎり、今ではお一人でも欠けてはならない存在になっています。三年半かけて、苦労と努力と喜びを共にしますので、丁度今読んでおりますシラ書6・・組み方向・14・「誠実な友は、堅固な避難所。その友を見出せば、宝を見つけたのも同然だ」のとおり、皆様は宝物です。
聖書を読んでいるうちに、信仰の基礎を知識面で確認し、キリスト者とはどういうものか把握出来るようになる、と神父様はお仰っています。キリスト者として、信仰の喜びのうちに生き、信仰に基づいた判断によって行動することが出来るように、というのが「聖書100週間」の目的の一つです。
本来、聖書100週間では養成を受けたリーダーが皆様をご指導するはずなのですが、この藤沢教会では、まだリーダーがいらっしゃいませんので、テハン神父様のお考えにより、その資格を持たない私達が担当者としてご指名を受けました。信仰の薄い私ですので、とても勤まらないと思いご辞退を致しましたが、二回目の100週間に携わらせていただいて、困難な時にも(主人が大手術を受けました時)私一人ではない、皆様が祈っていて下さるのだと思いますと、とても心が落ち着きました。私達は皆、ご一緒に分かち合えるのは後一年半しか残っていないという気持で、この100週間をとても大切なものに思っております。
イエス・キリストの神秘は、旧約聖書の初めから告げられていました。長かった旧約も、もうすぐ終ります。いよいよ人類の全ての罪を償って下さるイエス様の新約の時代へと入って行きます。またF様と共に、神様の道を探り求めながら沢山の喜びをいただけることと楽しみに致しております。
マルセル・ルドールズ神父様は、ご高齢になられましたので、現在はフランスにご帰国なさっておられます。最後になりましたが、神父様のご健康を心よりお祈り申し上げます。
☆主のおはからい
聖書の次回の箇所を読む前に、目を瞑り、クラスの皆様を思いうかべながら祈ります。
神様は、見事に人々をお集めになられました。30代から90代の方々が一堂に会します。男性もおられます。シスターもおられます。居てくださるだけで心なごむ人、細やかな心くばりの人、深い祈りの人、物静かな人、日常の生活の中から心の奥を話してくれる人、楽しくなる人、etc 。
主がお互いのために、私達14人を集めてくださったのだと思います。今では無くてはならない、それぞれが役割を持ったメンバーです。
皆様を通して、神様の御言葉を味わう喜びをいただいております。
目を瞑ると、シラ書1章27節の”誠実で柔和”な皆様の顔が目に浮かびます。
☆主が道を整えてくださる
聖書100週間の三年半は、この慌ただしい日々にとても長く感じます。
日常の他の事に優先して、聖書を読む決心と努力が必要ですし、その間、心も体も健康でいるのは難しいことです。
前回のグループの中で、信仰浅く、神様から遠くいた私が、色々ないきさつから司会を引き受けてしまいました。
荷が重く、先が長く感じられる日々でしたが、このようなつたない私のためにクラスの方々は祈ってくださいました。OさんやMさん達が助けてくださいます。 神様はそんな貧しい私だからこそ、もう一度必要なのだよ、とこの時をくださったのでしょう。今ではこんなに深い時を過ごせることに感謝しております。
また、病で倒れられたり、重い風邪をひかれたり、高齢のご家族を看られたり、公用でご多忙だったりと、困難な状況の方がいらっしゃいました。でもいつの間にか、好ましい方向へ導いてくださいます。お互いに喜び合うことができます。 神様は、あネたに希望をおく者の道を真っ直ぐにされる。道を平らにしてくださいます。(イザヤ書26章7節)
もう間もなく新約聖書に入ります。皆様と共に、イエス様を待ち望んでおります。そしてご多忙なテハン神父様が、いつも静かに見守っていてくださることに、心から感謝いたしております。
個性豊かな15人の仲間を乗せて、方舟は神様に沖へ沖へと漕ぎ出されて二年経ちました。もしこの集いに参加しなかったら、ほとんど出会わなかったであろう方々との出会いを不思議なこととして、一人ひとりが感じていることと思います。やはり神様が引き合わせてくださったことだと感謝しながら、後一年半の航海を共に進んでゆきたいと思います。
旧約聖書の最初に書かれている創世記には「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって…」とあるように、私たちの舟出も初めは闇の中で混沌としていました。でもすぐ神は「光あれ」と言われ、私達はその光を見失いそうになりながらも、み言葉を信じて少しずつ少しずつ旧約を読み進んでおります。光を求めながら、モーセ五書、歴史書、預言書、教訓書と進みながら今、メシアの姿がおぼろ気に見え始めている所まで漕ぎ出されてきました。
旧約の神はこわい、とよく言われますが、読んでいく内に、なんと神様は憐れみ深く、私達の度重なる背きに耐え、私達の悔い改めを待っておられることかということが分かってきます。
一週間に何章から何章までを祈りながら読むようにと与えられる聖書の箇所を、それぞれ家庭のさまざまな事情のただ中で読んでくるのですが、分かりにくかったり、心に響かなかったりすることも多々あります。それでも15人が集まってその感想を分かち合っていくと、最後には何かひとつの丸い形のようなものになっているのが感じられます。聖霊が働いて下さっています。
現代は国内のことはもとより、世界中の情報が矢継ぎ早に私達の生活の中に入ってきます。私達は少しずつ自分だけの世界から脱してまわりのことも見え始め、それは感想の分かち合いの後の祈りとなって、神様に向かって立ソ登ってゆきます。
またそれぞれの人生の中でつまずきや苦しみを味いますが、そのような時でも一つ一つ告白しなくても、み言葉に触れ分かち合うことで希望を見い出します。
聖書は私達へのラブレターとのこと。
主よ、これからも耳と目を開いて下さい。かたくなな心を砕いて下さい。素直に読むことのできるよう、私達三艘の方舟をあなたの平安の内に引っぱっていって下さい。アーメン
聖書を祈る
辻堂1区 山崎
聖書は書かれた文字であり、読まれる文字ですが、本質的に、それは「語られることば」であり、「聞かれることば」であり、「思い巡らすことば」であると言われます。
その聖書の「思い巡らすことば」は、神の創造された世界が多様であるだけ、多様に展開すると思いますし、当然神に造られた人間の生活も多様であって、その悩み、苦しみ、悲しみの様相は広く深いものと思います。ある日私は、私の様相を持って、教会の「聖書を祈る」集いに参加します。私は神に招かれた気持ちでいそいそとその集いに参加するのです。その日はどんな言葉が私を励まし勇気づけてくれるのでしょうか。書かれた文字がどう私の魂を呼び覚ましてくれるのでしょうか。確かにこの集いに参加するごとに私の魂が呼び覚まされるのです。その日も私の「耳」が神の前に開かれるようにと祈りながら、「聖書を祈る」の集いを始めます。私は静かな空気の流れを感じながら、目を瞑ってその日の朗読される「語られることば」に耳を傾けます。聖書の声を感じとろうとします。じっと耳をすましその言葉を聞きとろうとします。なかなか心に聞かれない時、そんな時は少し気持ちを集中させて、朗読箇所の情景に自分を投入させて思い巡らします。ある時は段々と、ある時はパッと「聞かれることば」から私の想いが浮かび上がってきます。その後、数人の小グループに分かれて、分かち合いをします。
それは心に深く響いたこと、気付いたこと、あるいはどうしても皆さんに分かち合いたい強い想い等が、ある時は静かに淡々と、ある時は熱っぽく、ある時にはを浮かべながら話されます。そこにはなんの拘りもありません。初めに私達は神に「今日もよろしくお願いします!」って挨拶をしています。今日も分かち合いの丸い輪には神父がおり、輪の真ん中には神も参加して黙って聞いてくださっているのです。
ある時、その日の聖書の祈りの回想からこんな分かち合いがありました。その方は難しい事にぶつかりました。最初は心中どうしたらいいものかと大きな困惑を感じましたが、「向かって行くしかない!」とその方は事態に向かってとにかく誠実に取り組んでいきました。本当に一時はどうしたらいいものか、どうなる事かと不安で一杯でしたが、いつものとおり毎日の生活の中で聖書への深い祈りをもって行動をしました。そしてなんとかなったのです。そこには普通ではとても叶えられないいろいろな人たちとの良質なかかわりが生まれていたのです。そこから全く予想もしなかった時に、予想もしない形で手が差し伸べられたのです。
あとになってみて感じたのですが、それはどう考えても神がその人たちをとおして働かれたのだとしか思わざるをえないのです。その日も私は、分かち合いをとおしてあらためて「祈る」を感得したのです。私たちは、時にはどうしようもない人生の現実に直面しますが、そのような場面においても神は言葉をもって励ましてくれるのです。神の言葉が魂を呼び覚ましてくれるのです。
神は黙っていますが、ちゃんと見てくれているのです。私はこれからも、先ずは「聖書を祈る」をもって一日を始めていきます。そしてそれによって新しい一日を明るく元気よくスタートしたいのです。
一信徒の体験
辻堂1区 海老原
それは数年前私が藤沢教会で初めて入門講座を受け持ち、集まった方々と語り合いその中から洗礼を望まれた方と出合った時のことです。
それ迄は全く知らなかった人同士が週一回教会に集まりキリスト教入門講座のテキストに従って、自分との出会い、キリストとの出会い、キリスト共同体との出会いと、話し合いを進めるうちにお互いに心を開いて話をするようになり、お互いの話を聴いて気づく体験をするようになります。そこでは自分の心が今まで気づかなかったことを視る機会を戴くようにもなったと思いました。心を開いてかかわるこのような新しい体験をするうちに、神様によって造られた「わたし」は人との交わりを大切に生きていきたいと人生の歩き方が積極的になってきます。それは聖霊の御働きでしょう。その年のクリスマスの夜、神様の呼びかけ、聖霊の御働きを敏感に聴き、キリスト教徒として福音を伝える人になるために洗礼を受けた方のお顔は輝きに満ちていました。その秘蹟のお式に与り共に祈ることが出来たのは神様のお恵み以外考えられぬことでした。以来私の日常生活で暗さ、弱さ、にぶい心に悩まされる時、あの年のクリスマスに体験した新しく生まれ変わった方の輝き、それを周囲にお福分けしてくださったよろこびに加えて、テハン神父様が教えてくださった「神の民に加えられたあなたは・・王であるキリストに結ばれその使命に生きるものとなりますように」(八角形にゅーす154号参照)を付けて祈るようになりました。
クリスマスおめでとうございます
神に感謝
「ともに未来へ」
大庭 八木
テハン神父様 信徒の皆様へ
拝啓
初冬の候、謹んでお便り申し上げます。
聖堂入口の小さな側室で集いを持ち始めて8年目、試行錯誤を重ねながらエルダーズの会が立ち上げられました。
8年前、藤沢教会にも現役で大活躍された後、豊富な話題をお互いに提供しつつ、楽しい仲間と共にいる場があってもよいのではないかとエルダーズの会を発足させました。じきに聖堂側室が手狭になり、センターの204号室をお借りし、毎週月曜日10時より12時まで分かち合いを続けております。笑いの絶えない話題の数々、政治談義など話に夢中になり、隣室にご迷惑では? とドアを締め切ることもあります。
そんな中、悲しい出来事も数々ありました。病気になられた方、ご家族にご不幸ェあった方、神様の元に召された方、それは様々でした。でも、どんな時にも、仲間の熱心な祈りと支えで乗り切れたように思えます。
皆様、センターの204号室に落ちついてお座りになり、四季の移り変わりを鑑賞なさったことがおありでしょうか。
窓から眺める満開の桜の花に手が届きそうになり思わず大喜び、春の香りをたっぷり頂きながらの集い、夏には「マリア様の祈りの場」の緑の木陰に心を奪われ涼にひたりながらの集い、秋には紅葉を楽しみに待ちながらバザーの準備にお忙しい方々に目を向け、年相応に発奮し私達も協力したいと話し合う集い、冬には皆で暖をとり、待降節を祈りながらの集い、過ぎた日々を振り返れば、やはり「神に感謝」「仲間に感謝」の思いが溢れます。
八年目を迎えるエルダーズの会も、時には204号室が手狭になってきました。204号室が手狭なら、次はセンターホールですね。明日に向かって、毎週月曜日、センターホールで沢山のお仲間と集うことが出来たら、どんなに素晴らしいことでしょう。
「ともに未来へ50年の歩みに感謝」私達も未来に向かって大きく第一歩を踏み出したい、そんな思いの昨今です。年齢を問わず、お友達をお誘い合わせになり、ぜひ、エルダーズの集いにいらしてくださいませ。
テハン神父様、そして信徒の皆様、後日「私達、センターホールが手狭なんです」等とご相談する日があるかもしれません。未来に向かって神様に祈っております。皆様と共に歩むことが出来ますように・・と。
今後とも、宜しくお願いいたします。
かしこ
追伸
大事なことを忘れていました。実はエルダーズの会では、毎月一回、センターホールにてお食事会を行っております。このお食事会が大好評! Mさんを中心に、お若い女性達の心のこもったお食事の数々です。
ヘルシーでパワーアップ、いつまでも若々しく美しく、男性は力強く、そんな食事なのです。このようなイベントもエルダーズが長続きする要因です。皆様、一度召し上がってみてください。ちなみにコーヒー・緑茶・デザートつき200円です。
湘南台センターでも、同じように、S様ご夫妻を中心に月一回第三木曜日十時から十二時エルダーズの集いを行っております。家庭的なあたたかな集い、ぜひぜひ、いらしてくださいませ。
初めてカトリック教会を訪ねた日
辻堂2区 本多
私が小学生だった頃のことだ。私は学校の帰り道に、遠回りをしてそのカトリック教会の門を入ってみた。
教会は、私がそれまでに知っていた新教の教会より、ずっと大きく庭も広かった。マリア様の像もある。
砂利を敷きつめた庭では、少年たちが竹の棒を振り回して、チャンバラをしながら騒いでいる。砂利も跳ね返り、下の土もところどころ見えてしまっている。すると聖堂の裏手から、黒いスータンの裾を翻して、二メートルはある赤鬼のような外人神父が現れた。犬を数頭、綱で引いている。私の人生で初めて出会った神父である。
「コラー!」
冷酷そうな巨漢の一喝に、四、五人の少年達は、竹の棒を投げ捨てて逃げてしまった。すると、突っ立ったままその光景を見ていた私の方を向いて神父は言った。「お前たちだろ! いつも汚すのは!」
「僕はやっていません!」
初めてその教会の庭に入った私の言うことには嘘はなかった。しかし・・
「嘘をつくと、この犬たちに噛みつかせますよ!」そう言って、黒衣の福音宣教者は、犬の綱を振りかざして怒鳴った。
彼にすれば、日本人のガキなど皆同じに見えたのだろう。そして、当時一つの学校に二千人位いて、クラスや学年が違えば、全く”仲間ではない” 場合の方が多いことに思いがいたらなかったのであろう。しかも、当時私は、生来の重度の潜在斜視と遠視のため、頭痛と両眼の疲労でボーッとしていた。そして頭に響くので鈍重であった。とにかく、神父にすれば、逃げ遅れたスローなガキを捕獲したつもりであったのであろう。
黒い服装、巨大な体躯、栗毛色の髪、頑固そうな太いアゴ、峻厳孤高を感じさせるピンとした背中、”自分は間違っていない!”との確信と威厳に満ちた顔、ジャイアント馬場のライバルの、”モルモンの暗殺者” ドン・レオ・ジョナサンによく似た巨漢の脅迫に私は屈した。そして、夕暮れの中で知らない少年たちのやったことの後始末をさせられながら思った。
“僕が女の子だったり、外人の子だったら信じてくれただろう。僕が英語がペラペラだったら信じてくれただろう”
今考えても、結構当たっていると思っている。
後に、マタイ伝の「毒麦を抜こうとして、麦を抜いてしまわないように、収穫の時まで、両方とも育つままにしておきなさい。」と言うところを読んだ時、あの暴漢を思い出したものである。
初めてカトリック教会を訪ねた日、初めて会った神父という役職の人に教わったこと、それはまさにカトリックの奥義、真髄である『苦しみに耐え忍ぶこと』であった。そして今も同じ場所にあり、全てをご覧になっていた聖母像の下で、いわれのない不条理な取り扱いを受けた私は、イエス・キリストに似た者とされた。
勿論、あの神父の生涯の全ての瞬間が、「善」であり「聖」でなかったとしても、そして彼に間違いや弱さがあったとしても、愛深き神は、ご自身の栄光を現すために、土の器として彼を用いられたであろう。しかし、少なくともあの時、あの神父が宣教の地の神の目には尊いはずの一つの『人格』としてランドセルの私を大切にしてくれていれば、それから何年も、私がカトリック教会というところに近近付かぬようにすることはなかったであろう。“神父ではなく、天の神を見上げよう” と考えるには幼なすぎた。人生の厳しさ、理不尽さ、という他に学ぶ機会など幾らでもあることを、初めてカトリック教会の門を入ったその瞬間、初めて出会った『神父』なる人に教わった。
にもかかわらず、全てをご覧になり、きっと泣いておられた聖母の計らいであろうか、大分たってから、私はカトリックになった。そしてあの原体験は、教会で嫌なことがあっても、深いところでは私の心は驚かないようにしてくれた。
私を文字通りの入門段階より、激し厳しく鍛えてくれた “モルモンの暗殺者” に感謝 !?・
神学生支援について
長後 長野
半年がかりで準備したバザーも、天候にも恵まれ無事終ることができ、北2の一員として、ホッとしております。福祉の店の売上げも、平均して例年なみだったようでどのグループも来年の出店を希望されています。
今年のバザーが例年と違った事は、その売上げが福祉のグループに分配されなかったという事です。バザー当日お店を出すことができたグループは良いのですが、それができなかったグループもありました。私が推薦して、ここ数年五万円ずつ頂いていた「ESAアジア教育支援の会」の神学生支援費もその一つです。この会はアジアの子供と神学生の教育費を支援する会で、今まで藤沢教会有志として、ダージリンの神学校で学ぶ神学生を支援してきました。福祉委員会では度々現地からの報告書、写真、ご本人からの感謝の手紙やカードなど、見て頂いておりましたが、その写真もとても明るい感じの青年で、昨年哲学科を終了し、二〇〇九年叙階の予定です。それまで何とかがんばって立派な司祭になって頂きたいので、どうしようかと考えておりましたがふと思いついて、毎月福祉コーナーでお店を出して見ようと思い、先日手もとにあったフリーマーケット用の品を売らせて頂きましたところ、皆様のご協力のおかげで、一ヵ月分の学費四千円を上回る売り上げとなり、感動し感謝しております。今後もできる限り続けて行きたいと思っておりますので、皆様のご理解とご協力をよろしくお願い致します。
秦野 寺田
昨年の7月秦野教会からEメールが転送されてきました。「寺田様、始めまして、ニュージーランド在住のWです。聖霊のバプテスマを受け二年、新しい人生を歩んでいます。法事のため帰国の計画があります」感激のメールでした。質問に答えながら返信しました。
教会報掲載の私の記事が仲介しているだろうことはすぐ分かりました。同時に “主が働いておられる” ことを直感しました。そしてわくわくする様な気持を抑えながら第二信を待つことにしました。しかし十二月となり、待ちきれなくなりました。そこでクリスマスの ”ご挨拶” を送信しましたところ、今年一月の中旬に彼女からの第二信を受信しました。「日本でも聖霊による生活刷新があることをインターネットで知り、お便りしました。幸いに、22歳になる息子も、昨年復活祭に洗礼を受けました。帰国の際には聖霊による刷新に係わっている方々にぜひお目にかかりたいと思っています。これからも御連絡を保っていきたいので、よろしくお願いします」とても嬉しい便りで、またまた感激しました。
ところで、2004年度の聖霊刷新関東大会は9月18日から二泊三日、富士箱根ランドで行なわれました。Wさんはこの大会に参加してくださいました。主に感謝。出席の皆さんからも歓迎を受け、また、彼女は直ぐに雰囲気に慣れ、楽しそうでした。今大会は初めから、主への賛美が満ち溢れ、主のご臨在と活気に満ちた素晴らしい大会でした。分ち合いの小グループではWさんと同じグループとなり、日々の活動の分ち合いが出来ました。そしてその場で、インターネット検索をして藤沢教会ホームページに掲載されている「神奈川祈りの集い主催の、聖霊刷新セミナー」勧誘案内文を読んでEメールをしました、と話してくださいました。 ということで、ニュージーランドと日本の聖霊刷新との出会いがあり、キリスト者どうしの交流が出来ました。主の計らいに感謝します。まだまだ続きがあるはずです。
大船 堀川
「聖霊刷新」について、私は永い間誤解と偏見を持っておりました。確かめもせず噂や中傷を真に受け、それは異端だと決め付けておりました。
ある日、友人が訪れてくださり「どれほど聖書を読んでも『聖霊の満たし』を受けなければ『み言葉』を正しく理解する事も、真の信仰生活も出来ない。」と教えてくださいました。私は、幾年も前から、己の信仰に疑問を持ち、このままではいけない、何かが欠けている、真の信仰とは何かと信仰の核心に触れたいという思いが心の中で渦を巻いておりました。聖書を学び黙想会や祈りの会に出席しても一時は確かに何かが私の心の中に起こりましたし、暫くの間は神に対する深い愛や喜びがありました。しかし、それも束の間、求めても求めても核心に触れることは出来ませんでした。激しく飢え渇いていた私に彼女の一言は、神からのメッセージのように聞こえました。長年閉ざされていた頑なな心は、いつしか聖霊刷新へと導かれていました。自らの意志によらず、不思議な力に促されるまま、聖霊による生活刷新セミナーに参加し、『聖霊の満たし』を受けました。そして溢れるほどのお恵みを戴きましたし、新しい生命が始まりました。それなのに不遜な私は、依然として聖霊刷新の真髄に触れることが出来ませんでした。『聖霊刷新ローマ国際会議』の議事報告書に出会ったのは、それから数週間後のことでした。重い心を抱きつつグループの祈りの集いに出席し、リーダーから六枚のプリントを戴きました。そこには理解に苦しんでいた聖霊刷新の本質と重要性が明記されておりました。長い間、闇の中をさまよい霧に覆われていた心は一瞬の内に光に包まれました。思わず「神に感謝」と絶叫しました。
愚かな私を暖かく静かに見守り励まし忍耐強く祈りの内にお導きくださったリーダー、友人、グループメンバーの皆様に心から感謝申し上げます。これから「聖霊に満たされて信仰を生きるのは、Lリスト者の標準だと確信を得るまで」を目標に成長させていただきたいと思っています。未だに聖霊刷新に不信感を抱いておられます聖職者に、是非2003年の聖霊刷新国際会議の議事報告書をご検証いただきたいのです。新しい千年期の教会の聖性と福音宣教の使命を果すために聖職者、信徒が一つに結ばれ聖霊の導きに従って歩むことが出来ますようにお祈りいたします。天の御父は無知で不信仰な私を「聖霊の満たし」によって変えてくださいました。
神に栄光!賛美と感謝をお捧げ致します。
宵 の 月 |
宵の月架かりたる空肩寄せて 到来の水瓜ですがと笑みて立つ 酷暑なり鈴懸の葉も動かざる 江の島の海に積乱雲の影 鈍行の駅のホームの立葵 勾配の苦しきときの沈丁花 主の平和交せし兄弟の瞳は澄みて 料理本読むキチンの妻の真摯なる 鶺鴒のサイドミラーを覗きいる 乾きたる水楢の葉の街を飛ぶ |
教会委員会報告
(11月20日)
事故もなく天候にも恵まれて終了できたことに感謝する。
課題として若い人や新しく洗礼を受けられた方々がもっと参加すること、また外国コミュニティとは日常からの交流の必要性を感じた。
例年野菜を提供してくれている聖園修道院ではこれまでどおり畑を作ることが難しくなっており、協力することを考えている。
収益は物品販売による収益金が190万1千円、賛助金が149万6千円、計339万7千円となった。体験教室やビンゴ等新しい企画による収入も計上されている。
10月末に販売ボランティアのための説明会を開催し、約30名が参加した。
当面の課題としては
在庫の整理
クリスマス関係品の取り揃え
売店を開いている時間を11月29日から12月24日の間、午後3時までから午後7時までに延長する。この時間帯の販売ボランティアを募集する。
改装、レイアウトの変更をすすめており、1月以降工事にかかる予定である。費用としては100万円程度を見込んでいる。
50周年記念事業として提案された発想や案件について採り上げるかどうかの条件として以下の3点を定めた。
@目的が50周年の主旨およびテーマに沿うものであること
A責任主体が明確であること
B内容・シナリオがはっきりしていること
50周年関係予算として大枠300万円とした。2回の講演会(各50万円)名簿(70万円)レセプション(40・円)などを考慮して申請した。
シンボルマークの素案ができたので検討する。
50周年に関連して総務部ではセンター各階の机、椅子およびホワイト・ボードを整備することを考えており、このための次年度予算として200万円を申請した。
@辻堂ブロック
11月6日アジア学院訪問
A藤沢ブロック
来年は隣組の集会を励行することと典礼チームを発足させたい。
B鵠沼ブロック
来年のバザーは実施する方向で考えており、広く意見を求めながら良いものにしたい。
C北一ブロック
他ブロックを連携しながら隣組あるいは教会に来られない方々の対応や外国人ファミリーとともに歩むことなどをすすめたい。
D北二ブロック
50周年への何らかの参加と湘南台センターのファミリークリスマスの手伝いを考えている。
@総務部
クリスマスの飾りつけ作業を本日からはじめる。
大規模修繕について長期の計画はあるが本年はほとんどやらなかったので、来年はチームを組んで実施に移したい。
A国際部
B宣教部
さきの堅信式で約50名の中高生が受堅したが、その準備講座をとおしてエネルギーを感じた。これをこのままで終わりにせず、終了後の分かち合いを行うなどしてフォローしていきたい。
洗礼の代父母の意識を高めたり、入信後のアフターケアを行いたい。
C福祉部
聖園修道院に関連したことですが、手伝いできることがあるかどうか問い合わせた。12月上旬までに先方から回答がある。
検討委員として葬儀を考える会から高野(F1)浅野(善行)、建築関係専門家として辻垣(善行)岡村(善行)、一般から大井(K2)田辺(大庭)、教会委員会から興膳(T1)の7名の皆さんにお願いすることで了承された。
活動計画 ブロック、活動部からそれぞれ予定が提出されたのでスケジュールを調整して12月初金までに決定する。
予算 売店改修、50周年関連、総務関連などをそのまま計上することで約600万円の出費増が予定されるが、一部繰り延べ扱いとすることや人件費減や湘南台センターの賃料引き下げなどがあり、基本的には本年度とあまり変わらない見込みである。
皆様からご協力いただいた金額は49万2千円となった。これにバザーの収益金から10万円、福祉基金から10万円を加え70万円としてカリタス・ジャパンを通して被災地へ送ることで了承された。
鵠沼ブロック集会
鵠沼3区 大谷
11月7日11時から教会センターホールで49名の参加のもと窪田氏司会で開催された。
テハン神父挨拶
定例会、新年会、黙想会、等々ブロック集会が活発に行われるのは結構だが、限定された信徒の会合だけに終わらず、信徒全体に及ぶ行動を伴うものになりたい。ブロック内信徒がお互いに良く知り合い、理解し合って助け合える体制に持って行きたい。このためには何が求められているかニーズを把握することが肝要である。その上で多くの信徒が、広く教会の活動に参加できるように、向こう一年の目標を掲げて努めてほしい。
平成17年度鵠沼ブロック行事予定
八子ブロック長から、定例集会(毎月第3日曜)、新年会(1月)、春秋ブロック集会、黙想会(秋)を行う旨紹介。
バザーについての話し合い
小藤総務部長から、来年の教会創立五十周年記念行事に関しての準備状況要旨報告のあと、次のバザー(鵠沼ブロック担当)を開催するか否かについて、出席各位の意見を出しあった。バザーの在り方について種々の意見が出されたが、開催については、信徒相互並びに一般の人々との交流に資すること大なので、近隣教会の意見も入れて、十分の事前検討が必要だが、やるべしとの意見が優勢であった。
来年度の電話連絡網(防災の準備)
八子ブロック長から、地震発生時の相互助け合いのための、近隣協力体制の強化を目途にした「防災兼電話連絡網」を整備中であることが紹介された。鵠沼1、2、3各区の信徒それぞれの、住所所在別に分別された連絡網(案)が示され、12月中旬までに決定して各戸配布することになった。
その他
昼食を挟んで出席の各位から教会の在り方などについて貴重なご意見をいただいた。
前回の鵠沼ブロックバザー収益金で設立したカンボジア福祉基金藤沢が、現地で有効に活用されており、識字教育の結果カンボジアに住むベトナム人の子供たちが、カンボジアの公立学校に入学できるようになった旨紹介された。
孤独に暮らしておられる方に対する援助の取組を強化したい。ミサにお連れする事など、送迎ボランティアを実施する事から始めたらよいとの提案があった。・新しく作成中の防災兼電話連絡網を、日常時の信徒各位の現状とニーズ把握の手段にも活用するようにしたいとの提案があった。
五十周年記念行事の一環としての広報活動を支援してくださる方の参加募集があった。
最後に、八子ブロック長から、信徒一人一人を大切にして、相互の絆を強めていく教会を目指したいとの発言があって13時閉会。
藤沢ブロック集会
藤沢1区 安田
11月7日11時から聖堂側室で第2回藤沢ブロック集会が行われた。
主任司祭のお話と篠沢副委員長の教会活動報告に接し、50周年に当たり、イベントの消化に終わることなく、永続的活動に乗り出したいと感じた。
次いで本年活動の反省と来年活動の展望、特に・活動部の藤沢支部作り、・隣組活動の具体的取り組み・典礼チームの新設について討論が行われた。その結果、隣組集会の実施と典礼チームの新設が決定した。
隣組活動とは教会配布物ルート単位で隣組を作り、隣組集会や分かち合いを持ち、相互理解と絆を深めようというもので、住宅マップ作りを始めている。
典礼チームはブロック担当ミサの対応と要員の充実と隣組集会の宣教を目的としている。
皆様の理解と協力を期待する。
黒田(7さい)
とってもたのしかったです。とってもうれしかったです。ずっとわすれません。まえへでて、めだいとちとせあめをもらったとき、とってもうれしかったです。プレゼントをもらったときとてもうれしかったです。パパとままと、ちひろとゆうたろうとおばあちゃんと五人でいきました。かみさまといつもいっしょといううたが、とってもいいうただとおもいました。
たかの(7さい)
11がつ14か、にちようび、ふじさわカトリックきょうかいで、七五三しゅくふくしきをしてもらいました。さいしょにせいかをうたいました。そのあと、しんぷさまに、しゅくふくをしていただき、おメダイと、ちとせあめをもらいました。さいごに、みんなでしゃしんをとりました。しんぷさまに、しゅくふくしてもらって、とてもうれしかったです。あと、おともだちにもあえて、うれしかったです。
水島(七さい)
とてもきものはおもかったけれど、とてもたのしかったです。
みずしま(五さい)
みんなであめをいただいたのがうれしかった。みんなでしゃしんをとりました。
「葬儀を考える会」フォーラムの報告
辻堂2区 佐々木
11月21日9時30分のミサ後、「共同体として、葬儀を担っていく」をテーマに、フォーラムが開かれました。初めに、テハン神父様からお話がありました。
人生最後の見送りである「死」を通して学ぶことができる。これを生活の中に取り入れる事により、私たちは成長することができる。私たちの人生には様々な別れがあるが、「嫌々ながらの別れ」は、人に傷を残す。「良い別れ」は辛さの中に喜びの種子があり、十字架の愛に気づくことになる・・と。
今回司祭がいない中「葬儀を考える会」のスタッフが中心となって、通夜と告別式を行いました。この体験を3人の方に話していただきました。
体験談から
片瀬山に住む高橋さんは、お向かいの老夫婦と2・年来のお付き合いをしています。お子さんのいない未信者のご夫婦です。奥様は日頃から高橋さんに「私が死んだら、あなたの教会で葬儀をお願いね」と口にされ、気軽に「はい」と返事をしていました。そんなある日、入院していたその奥様が急死され、同じく入院中のご主人より高橋さんに電話がありました。近くの教会やプロテスタントの教会に電話をしましたが、どこも連絡が取れず、藤沢教会に電話をしました。司祭は不在でした。「葬儀を考える会」のメンバーが電話を受けたことで、司祭のいない通夜と告別式が実現されることになりました。頼りにしている川辺さんも、偶々休暇で不在だったために全く手探りながら、呼び集めたのではなく吸い寄られるように「葬儀を考える会」のメンバーが4人揃いました。「亡くなられた方の望みを何とか叶えてあげたい」と思う高橋さんの気持ちが伝わってきました。勿論充分ではないけれども、亡くなられた方の望みを私たちの望みにして、お手伝いさせていただこう・・足りないところは神様が補ってくださると話し合い、納棺から葬儀までをお手伝いすることになりました。聖歌が沢山あった方が良い、誰かオルガンを頼めたら・・と話し合っているところに通りかかった方が、「キーボードを持って行きましょう」と引き受けてくださいました。「司祭のお話し」のところは、生前親しかった方から思い出を祈りに代えて、追悼の言葉をいただきました。前回、納棺の練習もしていましたので、慌てずにできたと思います。高橋さんの友人である雪ノ下教会の尾崎さんもお手伝いくださり、火葬場での祈りは、お二人にお願いしました。
全く計画的ではなく、必要に迫られて、導かれるままに祈り、力を合わせることによって不思議な力が働き、納棺から告別式を、皆が一つになって心からのお見送りをする事ができました。悲しみの中にも、ご遺族も、関った人々も皆が喜びを感じた体験でした。
この体験談を聞いた後に、参加者約・組み方向・50・名の方が5つのグループに分かれて分近く分かち合いをしました。その結果各グループから殆ど同じ感想が寄せられました。
とても感動したと共に、安心しました。
どんな状態に置かれても、力を合わせればできると感じました。
日頃の訓練や、体験があれば、あわてないでできると思いました。
共同体の意識、信頼関係、分かち合いが大切と感じました。
この結果から、何事もお客様として参加するのではなく、自分の問題として受け止めて関る姿勢が大切であることが分かりました。これからは、教会での通夜や葬儀のお手伝いをさせていただく時に今まで以上に意識的に関っていく必要があると、各自が感じて会を終わりました。
一年に一度、死者の月に開かれるフォーラムに、貴重な体験をうかがい、良い分かち合いの時間を持つことができました。皆様のご協力に感謝いたします。
カンボジア・コンポンルアンへの旅
鵠沼1区 片桐
2004年10月29日から11月5日まで東南アジア、カンボジアの中ほどにあるトンレサップ湖のコンポンルアンの水上村への訪問を含んだスタディツアーがJLMM(信徒宣教者会)により実施され藤沢教会から4名、二宮教会から1名の計5名がJLMMのスタッフ1名、そして山口神父さまに引率されて成田を出発しました。
〔カンボジア福祉基金〕がスタートして4年。現在も40・名以上の人が協力を続けています。2001年のバザーの収益金が送られて以来、識字教育、衛生教育の費用の一部に充てられていますが、今回現地の状況を私達自身で見、感じ、人々と交流することで今後につながる何かが得られるのではないか、また、私達の活動を客観的にとらえることもできるのではないか、などの思いをのせて予定通りの夕刻6時近く首都プノンペンに降り立ちました。
プノンペンはちょうどシハモニ新国王の戴冠式が同日に行われたところで、空港からホテルに向かう道路の至る所に新国王の大きな写真が飾られており、予想以上に明るく活気に満ち、祝賀ムードが溢れていました。
10月30日JLMMのオフィスでのオリエンテーションの後ステミエンチャイのゴミ集積所、隣接のルッセイ村、ツールスレン収容所博物館(ポル・ポト時代に収容所として使われた学校がそのまま博物館になっている)、キリングフィールド(プノンペン郊外の処刑と埋葬が行われた場所)を見学
10月30日コンポンルアンへ移動 途中チュノックトゥルー教会を訪問しごミサに与る コンポンルアンにて水浴びプログラムのお手伝いの後水上村を見学
11月1日 子供たちの識字教室見学 折り紙お絵書きのお手伝い 公立学校見学
11月2日 シャムリアップへ移動 夕刻アンコールワットの日没鑑賞
11月3日 アンコールワットの日の出鑑賞 アンコール遺跡群見学
11月4日 水上のチョンクニーズ教会訪問 地雷博物館見学 バンコクへ移動
11月5日 夕刻成田着
この間コンポンルアンの教会の皆さんにはコンポンルアン滞在中の全食事の準備、船泊に泊まる時の寝る場所の準備、蚊帳吊り、など大変お世話になりました。言葉は通じませんでしたが笑顔が絶えずとても親しくなれたような気がします。特に子供達の人懐っこさと夕焼けの美しさは忘れられません。山口神父さまはじめJLMMのスタッフのみなさんの周到な準備と細やかなお心配りのおかげで一人も病気も怪我もすることなく貴重な体験ができましたことを感謝いたします。 以下に参加者の一言を添えさせていただきます。
<小藤>参加できて神に感謝。まだ現地にいるような感じ。基金が少しでも現地の活動に生かされていることを感じとることができ、それを伝えることによって継続していきたいという思いが強くなった。現地で働いておられるJLMMの若いスタッフは素晴らしいと感じた。
<斎藤>気持ちがだんだん高まりコンポンルアンに入った頃には本当に来て良かったと思った。もう一度旅を辿りたい気分。JLMMの活動に心を熱くした。
<リディア>色々なところへ行ったが一番状況がひどかったと思う。藤沢教会だけではなく外の人にも知らせたい。コンポンルアンの若い人たちのトレーニングが必要。
<片桐>行ってきたことで誰かに伝えることができる。教会外の人が関心を持ってくれ、できることをしたいと言ってくれた。現実を見たことがささやかながらエネルギーになると感じた。若い人たちが行くチャンスがあるといいと思う。
アジア学院見学会
辻堂2区 遠藤
11月6日(土)定刻を5分過ぎた午前7時5分、マイクロバスは、13・人を乗せて辻堂駅北口から北に向かった。目的地は、栃木県西那須野町にあるアジア学院(ARI)。
当初は辻堂地区のみの企画で、後、教会全体に呼びかけもしたが、尚半分の余席を残しての出発となった。しかし却ってゆったりとした片道4時間を越える道中ではあった。
県内、都内を抜けるのに時間を要し、予定に遅れて11時過ぎ学院に到着。早速ここに勤めて12年目に入った遠藤が説明を始める。あたりを見渡すと、田畑があり、森があり、養魚池もありで農業学校の面持ちだが、実際は開発途上国で活動するNGOの専従者を、農村開発指導者として一年間教育研修する機関だ。
ARIは、元々町田にあるプロテスタントの農村伝道神学校のなかにあった東南アジアコースがその母体になっている。今から31年前の1973年現在地に、よりエキュメjカル(超教派)、いやインターレリージャス(超宗教)な教育機関として再出発した。
今年ここに学ぶ学生(といっても海外からの者は、平均年齢約35歳で、内半分は家族持ち)は31人、その出身国は、アフリカ5カ国、アジア7カ国の計12カ国。男性19人、女性12人、うち青年海外協力隊等で国際協力事業に携わる希望を持つ日本人の若者6名も一緒に学んでいる。
ARIには幾つかの特徴があるのだがその一つが、自身で入学願書を出す事が出来ず、必ず所属する教会関連団体などNGO(民間開発援助団体)の推薦がないと入学出来ない事だ。この他、途上国の辺境地に働く人材の養成を目指しているので、元々負担の無理な研修費用の支払いを求めず、教会を中心とした寄付金で経営されてきた事、様々な国の出身者に対応して、授業と生活の共通語に英語を採用している事、広く門戸を開放し、キリスト教各派のみならずイスラム教徒仏教徒、ヒンドゥー教徒等多様性の維持を大切にしている事などだ。
野外実習の行われる畑、稲刈りの済んだ水田、豚舎、バイオガス発生装置、合鴨、鶏、クロレラ培養システム、牛舎、炭焼き釜、堆肥場、動力を必要としない揚水装置の水撃ポンプ、養魚池、椎茸畑等を見学した後、学生達と食堂で昼食。土曜日昼のメニューは残念ながら、本場のカレーではなく日本式だった。
9月に藤沢教会に来てくれたキジト神父様に送られてきたウガンダからのジャン・ピエール君、ボランティアとしてこの一年食品加工部門で奉仕している酒井かほりさん(F3)達にも再会し、有機野菜のお土産を手に午後2時半学院を後にした。
百聞は一見にしかず、見学して初めて実感し理解出来る事も多く、参加された方々に喜んでいただけけたのは幸いだった。幹事役をお引き受け下さった魚津(T2)、浮田(久)(T1)両氏に御礼を申しあげたい。
スペシャルオリンピックスをご存知ですか?
善行 淺野
2003年6月21日から29日までの9日間、アイルランドのダブリンで開催された第11回スペシャルオリンピックス夏季世界大会で、日本選手団のホストタウンになった、小さな町に暮らす「小さな大家族」のドキュメンタリー「ホストタウン(エイブル2)」の上映会があります。 2005年1月15・日(土)19: 00 藤沢市民会館小ホール
入場料:大人 1500円、 中学生・障害をお持ちの方1000円
エイミー18歳、ダウン症、妹にも障害がある。家族は14人。
ダブリン郊外の町ニューブリッジに住むエイミーは12人兄弟の9番目。妹のリンジーは脳性麻痺で下肢が不自由だ。二人の少女を支えるのは、やさしい父と気丈な母、そして兄弟たち。今でこそ家族思いのお父さんだが、昔は毎晩パブで酔いどれ、そのため家族は電気を止められるほど貧しかった。いろいろなことがあった。彼女が生まれた頃は、障害者への無理解や偏見も根強く、彼女が住む町では10年前まで、教会すら彼らに冷たかった。今では、エイミーの家族も町の人びとも、障害のある人びとを特別視せず、皆が一緒に楽しく普通に暮らしている。
2003年6月、エイミーの町に、スペシャルオリンピックス夏季世界大会に参加する日本選手団がやってくる。
障害があろうがなかろうが、一人一人の人間の可能性を本当に信じているのか、一人一人の個性が花開くために、この社会に「選択」の自由はあるのか。ダウン症の少女エイミーとその家族の姿を通して、全ての人が、「一緒に生きていく」ということを真正面からとらえたドキュメンタリー映画です。
「スペシャルオリンピックス」とは、知的発達に障害のある人たちに、さまざまなスポーツトレーニングとその成果の発表の場である競技会を、年間を通じて提供する国際的なスポーツ組織です。
スペシャルオリンピックスでは、これらのスポーツ活動に参加する知的発達に障害のある人たちをアスリートと呼び、多くのボランティアやアスリートのファミリーが一緒になって、彼らの活動を支えています。
2005年2月26日〜3月5日まで、長野県で知的障害者のスポーツの祭典「スペシャルオリンピックス冬季世界大会」が開かれ、約80カ国から3000人の選手が来ます。また、日本からも150人の選手が出場します。応援して下さい。
仏教とキリスト教(15) 釈尊とは誰か、仏陀とは誰か
藤沢2区 兼子
キリスト教はイエスをキリストとして信じる宗教だ。つまりイエス・キリストという呼称にはイエスをキリスト(メシア)として信じる信仰告白が籠められている。我々が実証的、学問的に史的イエスを求めていくと恰も玉葱の皮を剥いていくように何も残らない。
他方、我々は宣教の視点から記された福音書の記述を通じ、生きいきとしたイエス像を持っている。釈尊(釈迦牟尼シャーキャムニ)の場合はどうなのか。釈尊もイエスより史的証拠が多少多いとは言え、その史像と神話化された姿が渾然とする点は変わりない。
釈尊の全体像を挙げて行くと先ず歴史上の或る時点に出現した人間ゴータマ・シッタルタ(シッダンタ)の姿があり、その後、出家・修行し悟りを得(仏陀・覚者)、説法により弟子・修行者を教化され、さらに入滅(死)後には生前の説法と人格がともに尊崇の対象となり、そしてまた永遠の過去から未来へと無限に続く真理としての姿(法身) (ヨハネ福音書のロゴスと法身、久遠実成の釈迦牟尼仏には何と近い平行関係があるのだろう)、最後に宇宙全体を支配する構成要素たる密教的な大日如来(ヴァイローチャナ) と様々である。一言で尽くせば仏教とは仏陀の教えを信じる宗教と言えようが、では一体仏陀とは誰のことなのか。釈尊と仏陀の関係は。そしてまた本生譚ジャータカ(釈尊の前生の物語)の菩薩とは何か。史的釈尊とは一体、誰のことなのか、先ずそこから考えてみよう。 今から2400〜2500年位前(尤も西欧の研究者の年代より日本人研究者の年代は百年程下る場合もある)にインド北部ヒマラヤ山麓に近いカピラヴァスト国の王子として釈尊は生まれた。17歳または19で結婚し(ヤシューダラを含む3人の妃があった)、一人の男子を得たが29歳の時に出家し修行を積みガンジス河を南下してマガダ国で苦行を続けた。修行の方法としての苦行の虚しさを悟るが一人瞑想を続け3・歳のときにナイランジャナー河の辺で悟りを得る。その後、45年間に出家集団(僧伽サンギァ)を組織し修行の指導をし、また在家集団を教化指導され、80歳で故郷に近いクシナガラで入滅された。お釈迦様の伝記物語については『今昔物語天竺部』平凡社東洋文庫を読物として眼を通されるとよい。
釈尊とは釈迦族出身の聖者という意味だ。釈尊は経典の中で「世尊(バガヴァン)よ」と呼びかけられるが世尊も釈尊も同じだ。そしてイエスが「人の子」と自称されたように釈尊もまた自らを「如来タターガタ」と自称される。如来とは語義的には真理に到達した者または真理(如)から来て真理について証する者の意味である。修行者仲間は釈尊を親しくゴータマと呼んだようだが、シッダルタは釈尊の固有名詞で「願望が満たされた」という意味であり、王子として両親からその誕生が待ち望まれていたことが伺える。
仏陀ブッダ(如)(覚者)の仏ブツと言うのはサンスクリットの動詞(目覚める)であり、仏陀は正しい悟りを啓いた者、永遠の真理に目覚めた者、正覚(正しい悟り)をとった者と言う意味である。したがって仏陀それ自体は固有名詞ではない。さらに釈尊在世の頃に既に過去七仏という観念があり釈尊の出現以前にも、既に仏陀が存在したという信仰があった。いや過去だけではない。未来においてもまた仏陀(弥勒菩薩マイトレーヤ)が出現することになっている。従って釈尊はこの世の中に極めて稀に存在される仏陀の一人ではあるが、歴史上、唯一の仏陀ではない。その点がイエスとはっきり異なる点である。
日本では往生とか成仏とか言う言葉が日常的に使われる。また誰かが亡くなると仏ホトケになると言うが、仏教では本来、死んだからと言って仏になれる訳ではない。修行の結果、悟りをひらいた者だけが仏になるのだ。また同じく往生するという言葉も現代日本では一般に死ぬことを意味するが、これも仏教では浄土(仏の楽園)に菩薩(仏陀の有資格者)として生まれ来ることを言う。では悟りを啓く(解脱)とはどういうことか。それは六道(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)に永遠に生死を繰り返す輪廻転生から解放されることである。仏教では生死は苦であるから永遠に続く苦から解放されることになる。
私は系統だてて仏教を論じる資格も力もないが門外漢として大胆な言い方を許して戴ければ仏教の求道、即ち釈尊の悟りの中には本来、真理探究の姿勢「自利」とそれを衆生に分け与えたいという「利他」の二つの契機がある。自分だけ悟り切るのではなく無明という根源的な人生苦に懊悩する衆生を救済するという二つの姿勢があると思う。それが歴史とともに小乗仏教、大乗仏教として展開してきたと言えるのではないか(密教については割愛)。私は史的な釈尊を最も偉大な哲学者として尊敬する。そして仏教を世界で最も味わい深い宗教として故郷日本の山河の如く愛する。しかし仏教には同時に私を躓かせる教えも二、三ある。その一つが浄土教の中核的神学とも言える「弥陀の本願力」の根拠だ。阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩が仏になる前の修行の目標として願をたてる。そして阿弥陀仏は既に仏になられ、世尊の説法によると現に今もいつも、かの極楽浄土において説法を続けておられるという。だから論理的に言えば本願(誓)によって全ての衆生は浄土に往生している筈だというのだが、では本願はすでに成就されているのか、それとも進行中なのか。そして本願力の根拠はどこに求められるのであろうか。この問題に突き当たると私は『パイドン』におけるソクラテスの言葉「決してミソロゴス(哲学的な論究の態度を放棄する)になるな」を想起するのだが、私には世自在王如来(そして多くの陪席する諸天人)の前で誓願される弥陀の本願力の根拠がいま一つ納得できないままなのである。
3日(金)初金ミサ、例会
4日(土)マドレーヌの会 チャリティコンサート
8日(水)無原罪の聖マリア
11日(土)市民クリスマス
12日(日)ミニバザー スカウト・クリスマス
25日(土)主の降誕 幼児洗礼
26日(日)聖家族
5日(日)コーヒーショップ(雨天中止)
19日(日)コーヒーショップ(雨天中止)
25・日(土)湘南台センタークリスマス会に参加 11時15分湘南台駅改札前に集合
18日(土)18時からセンターホールでクリスマス会
藤沢・片瀬・茅ヶ崎教会の青年たちが合同で集まっています。皆さんいらしてください。
協力司祭は中和田教会のジャック神父様です。なお、2005年度から、集まりを第2と第4の土曜日にします。