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八 角 形 に ゅ ー す

2005年4月10日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

ご挨拶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 鈴木

教会委員会報告

ついに100回、神に感謝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 佐々木

「ケアセミナー」100回にあたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・テハン

コロンバン会の司祭方とのご縁・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 北岡

両神父様へ感謝のひとことと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 瀧田

聖コロンバン会の神父様方に感謝します・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・秦野教会 寺田

「静修の日の集い」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 綿貫

初聖体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クラス・リーダー 高橋、石井、彦坂

卒業にあたって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・リーダー 清水

「はるかぜコンサート」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 鈴木

辻堂ブロック新年会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 宮 

北ブロック合同親睦会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 佐野

作家久田恵さんをお迎えして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 前田

仏教とキリスト教(19)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子

4月の主な行事

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ご挨拶
主任司祭 鈴木

 この度藤沢教会・中和田教会主任司祭として任命をいただいた鈴木です。どうぞよろしくお願いいたします。

 略歴を記しますと、1947年横浜に生まれ、横浜で育ち、1977年司祭に叙階され、菊名教会を振り出しに、山手、教区事務所、海外研修をはさんで、磯子、大船、司教館を経て藤沢に参りました。 現在、当教会の担当以外に、教区神学生養成担当、神奈川県共同宣教司牧推進委員会、災害対策特別委員会、海外宣教司祭準備委員会、宗教法人責任役員会、司教総代理などの担当をしております。さらに、絵を描くことも私の大事な福音宣教活動の一部となっています。コンピューターは全くいじることができませんが、コンピューターを動かせる人を大事にしています。

 「歩く漢方薬」などとも言われておりますが、漢方薬も色々あって、「十全大補湯」というのが好きです。これはリンパ球を増やす効能があって体の抵抗力をつける薬です。10種の成分からできていますが、その中の一つ「桂皮」は実はリンパ球を増やす働きをしません。しかし、これを除く9種の成分だけではリンパ球の増え方が2割減ってしまうのだそうです。一見無用なようでそうではない不思議な存在なのだそうです。「桂皮」に憧れますね。でも実際は「仁丹」に似ているかもしれません。悪口で、仁丹は毒にも薬にもならないそうです。

 人間のすることはつまるところ「好きか、嫌いか」で決められていることが多いのではないかと思ってます。100%良いことも悪いこともないし、51対49のわずかの差で選ぶようなことが多いと思います。でも、神様がいるから大丈夫。わたしたちは、神様のための場所を用意しておく控え目な生き方を少し知っているところが、良い所であって欲しいと思います。大いに失敗しながら、「神様がいるから大丈夫」という信頼を深めましょう。



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教会委員会報告
(3月19日)

(1)課題への取組み

1.総会関連

@総評

 例年にも増して多くの方に出席いただき短い時間だったがよい分ち合いも持つことができ、概ね評価をいただいている。質疑の時間を充実して欲しいとか、分ち合いの時間がもう少し取れればいいとかの意見も出ているが、運営方法についてなお検討していきたい。

A維持費納入メニューの拡大

 質問の一つに教会維持費の自動引落しの件があったが、郵便局から16日に正式な許可が下り、郵便局に普通貯金口座を持つ信徒からの申請があれば、個人登録に3週間程度掛かるが5月末からの引落しが可能になる。事務手続きは財務部で行うので事務局に連絡いただきたい。引落し手数料は一回10円で、毎月末・3ヵ月毎・6ヵ月毎など選択できる。

B典礼フォーラムの開催

 現在の聖堂配置について文書での質問があり、5月に典礼全般のフォーラムを開催することとしているが、その運営方法等については典礼部で検討立案していただく。

2. 教会財政の現状分析と展望

昨年から教会財政検討チームが発足したが現状分析の段階で留まっている。今年の委員会課題の一つでもあり、小委員会で作業の枠組みを作り検討、推進を図りたい。

(2)50周年関係

1.近隣教会巡礼

 先月提案のあった第5地区教会巡礼は委員会の意見を基に北ブロックで再検討した。

その結果、1回目(6月5日)を鍛冶ヶ谷・大船・片瀬と定め、最初の教会でミサにあずかり順次訪問することとした。逆コースのチームも編成する。2回目(7月3日)は原宿・戸塚・中和田と逆コースのチーム。先方の教会に迷惑をかけないよう運営を考える。具体案はなお検討し、告知する。個人の巡礼ルートとしての参考にもなろう。

2.信徒会館什器備品の一新

 総務部から提案のあった会議室の什器備品の見本及び見積りが提示され、承認された。テーブル22台・椅子66脚・ホワイトボード6台で134万円。発注後2〜3週間ということで4月中には納品される見込み。

(3)売店関係

  1. 改装工事はほぼ完了。見やすくなった・スペースが広くなったなどの評価をいただいている。工事費は予算100万円に対し、90万円程度で収まる見込み。

  2. 工事期間中休業したが、1〜3月売上げは順調で前年を超える見込み。

  3. なお、販売ボランティアに空きがあるのでご協力をお願いしたい。

(4)合葬関係

アンケートの回収、この結果を基に具体的な計画をたてていきたい。

(5)ブロックより

1.鵠沼ブロック

 昨年11月から今年のバザーについて話し合ってきた。これまで担当ブロック中心で開催してきたが50周年でもあり、全般の提案、意見をまとめたい。各ブロックに呼びかけ27日に検討会を開く。

2.北一ブロック

6月25日(土)聖園マリア幼稚園で黙想会を企画している。地域の特性を踏まえたミサを考えるということで指導は国井神父。50周年で行事も多いことから北一ブロックだけでなく教会全体の黙想会として考えていく。別途ブロック会議で検討の予定。

3.北二ブロック

 4月23日(土)一時半〜四時、湘南台センターでブロック集会を予定。

(6)活動部より

1.壮年部

ガーデンパーティを5月5日の50年祭と一緒に考えていたが、不可能なので別途検討したい。

2.総務部 

東洋建設に依頼していた教会建物のビルメンテナンス案が出たので大規模修繕チームで検討を進める。まずはトイレを洋式に替えることと配水管の清掃で悪臭を一掃したい。

3.国際部 

ビンゴの賞品集めにご協力いただきたい。

4.福祉部 

いつも教会に来られない方を復活祭のごミサに送迎を含めて10名程お招きしている。

5.典礼部

11月20日の50周年記念ミサで全員でハレルヤを合唱するために4月17日9時半のミサ後から毎回短時間で少しずつ練習を重ねていきたい。

6.宣教部

  1. 3月26日(土)13名の方が受洗される。

  2. 5・6月に新しい入門口座が始まる。

  3. 老朽化したピアノの新規購入のため湘南台センターで5月連休明けにバザーを行う。

  4. キリスト教連絡会の新メンバーに湘南台センター代表として北一辻垣氏にお願いした。任期2年。

  5. 一粒会「召命の集い」を6月に予定している。教育部との連携チームで準備していく。

7.教育部 

3月13日24名の子供が初聖体を受けることができた。また卒業感謝ミサで門出を祝うことができた。新学期は4月10日より。

(7)その他

  1. 駐車場 木曜日・金曜日が特に込み合い整理に苦慮している。別に検討の機会を設けるのでよいアイデアを考えて欲しい。

  2. 次回委員会 協力者会コンサートと重なるため次回は4月9日(土)15時より。



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ついに100回、神に感謝
辻堂2区 佐々木

 9年前の4月に始まったケアセミナーも、この3月をもって100回を迎えました。テハン神父様のご指導のもとに、初めは「誰かのために、小さな手助けを…」をモットーに、「Be助っ人の会」としてスタートし、具体的な手助けを目指しました。始まって半年もしないうちに、「人のケアをするためには、先ず自分自身のケアが大切でしょう」との神父様の言葉に、「そうかもしれない…」と思い始めました。それで、このことを「一番大切な事」として、学び、分かち合うように心掛けてきました。

 毎回のテーマに対するテハン神父様からのヒントは、いつも哲学的(?)で、心と耳を必死に傾けての参加でした。神父様は、「自分の体験を通して考えてください」と必ず付け加えられました。問いかけられたヒントに対して、あれやこれやしばらく考え、そして分かち合った100回でした。

 つい最近(昨年末)NHKテレビで放映されたキュブラー・ロスの「最後のレッスン」を98回目のセミナーで見ました。これは彼女が精神科医として、多くの死に行く人々と向き合い、走り続け、与え続ける人生の晩年(69歳)に脳卒中に倒れ、その後、後遺症のために9年間不自由な体での闘病を余儀なくされた苦闘の記録です。この中で、彼女にとっての「最後のレッスン」とは、「どうすれば、自分を愛せるのか…」であり、「自分を愛し、受容する事が一番大切なレッスンであったと気づいた」と言い切っています。

 聖書に、「隣人を愛しなさい(ルカ10:27)」の言葉の前に、「自分と同じように…」の言葉がありますが、その「自分を愛する」の部分は置き去りにされていることが多いように思います。それと同じように、自分を大切にし、意識し、心を向けて、自分の弱さをも受け入れることが出来る時、初めて人に対しての良いケアをすることが出来るのでしょう。

 今100回を終えて振り返るとき、毎回神父様から投げかけられる問い掛けに四苦八苦しながらも、少しずつ自分のあり方に目を向け、意識する訓練を続けることにより、「何か」が少しずつ心に蓄積されていったと、参加者の誰しもが実感し、夫々に与えられた場で、「種蒔き」の役を果たそうと努力しています。

 テハン神父様が藤沢教会を去られる時に、ちょうど100回のセミナーを終えたことは本当にとても不思議な気が致します。神父様がいなくなられることで、何か「父無し子」になってしまうような心細さを感じるのですが、エマオへの道で、復活したキリストに出会い、「心が燃えた」弟子たちのように、私たちも今までの100回のセミナーを通していただいた恵みを燃料として、これからもケアセミナーを続けて行きたいと、スタッフ一同燃えて(?)おります。このセミナーは机の上の勉強ではなく、生きた体験を分かち合う場です。どうぞ、今後ともどなたでも気楽にご参加ご協力下さいますようお願い致します。



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「ケアセミナー」100回にあたり
テハン

 「ケアセミナー」100回おめでとうございます。

 「ケア」とは何でしょうか? 英語の言葉「care」は関心か、思いやりか、親切か、大事にすることと共に、看病することも含まれています。人を看病することにより、長い期間をもち、一方的であれば、心からのケアよりも、機械的なケアになりがちだと思います。セミナーの言葉は、英語の言葉「seed]から出て、即ち「種」の意味です。私にとってケアセミナーの特徴は、どなたにでも信頼をもち、自分と相手の経験を分かち合い、新しい気づきとなります。心の世界の素晴らしさを体験し、その影響は日常生活にひびきます。楽に座り、心から出てくるもの、相手のための贈り物であれば、何でも良いと思います。その時、聖霊の働きが現れます。

 聖霊の働きは聖霊降臨祭の祈りのようです。「聖霊よ、来てください。あなたの光の輝きで私たちを照らしてください。貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。あなたは優しい心の友、さわやかな憩い、ゆらぐことのないよりどころ、苦しむ時の励まし、暑さの安らぎ、うれいの時の慰め。恵みあふれる光、信ずる者の心を満たす光よ。あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、だれも清く生きては行けません。あなたは汚れたものの清め、渇きをうるおし、受けた傷を癒してくださる。かたい心をやわらげ、冷たさを暖め、乱れた心をただしてくださる。あなたのことばを信じて、より頼む者に尊い力を授ける方。あなたはわたしの支え、あなたの恵みの力で、救いの道を歩み続け、終わりなく、よろこぶことができますように。アーメン、アレルヤ」

 ケアセミナーを通して、私に沢山の恵みをいただき感謝しております。自分を大事にしなければ、ケアすることは難しくなり、相手を利用することになりがちです。相手に奉仕することよりも、共に依存の問題が起こるでしょう。エゴと先入観を乗り越え、現実に向かい合い、今の瞬間に生きることができることは幸いでしょう。ケアセミナーは、心を成長させる方法です。あなたもやってみませんか?。



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コロンバン会の司祭方とのご縁
藤沢1区 北岡

 藤沢教会献堂50周年おめでとうございます。復活祭以後横浜教区となりコロンバン会神父様方は去られるとお聞きしております。テハン、ハンラティ両神父様始めコロンバン会の司祭方今まで長らくありがとうございました。

 若い頃卒業論文提出期限までに論文を出さなかったという後悔が主因で非常に長い間不眠が続き、いつ家より母に連れ出されたのか全く記憶にありませんが、その頃住んでいた堺の何とか保養院へ入れられ、ついで父の転勤で東京の杉並区天沼に移ってまた東京の病院に入れられました。正直に申せばいわゆる精神科神経科系の病気です。入院中30歳頃のことでしょうか。カトリックと私とのご縁は、「月曜会」という週に一度神父様が来られ、カトリックの勉強会に出ませんかと誘われて、是非出席したいと主治医にお願いして許してもらってよりです。

 そこで初めて、去年お亡くなりになったドイツ人のゲレオンゴールドマン神父様にお目に掛かりました。お説教の言葉に苦労したことはないと言われるだけあって、とても雄弁な方で背の高い(188cm)熱心な信仰と愛の感じられるお方でした。聖書と聖歌集を持って全病棟より10人前後の集まりに毎週通いました。お祈りに始まり聖歌を合唱してから、スライドなどで、イスラエル人が奴隷となってエジプトで苦しんでいる場面やモーゼやパウロの話、過ぎ越しの意味、また復活が本当でなければキリスト教は明日でも止めるとよく言われたことなどを思い出します。一年ほどしてゲレオン神父様は去られ、豊島教会や徳田教会などから神父様が二、三人ずつぞくぞくと来られ、ざっと数えるだけで十二、三人の神父さまとの出会いがありました。お若い頃のテハン、パドルノス、バーガー、グリフィン、キーリー、カレン各神父様を存じ上げております。その頃持参してくだった「カトリック生活」「家庭の友」「聖母の騎士」などの本を夢中になって読みました。また幼きイエズスの聖テレジア伝やルルドのお話なども読みました。

 月曜会が後に水曜会になったのですが、ミサも告解も聖書読みもロザリオのお祈りの意味も入院中に理解いたしました。勿論洗礼・堅信の秘蹟も受けました。遂に退院して藤沢で、両親と住むことになりました。もう二度と入院しないでも済むと思っておりましたのに、ある日鎌倉方面へ一人散歩して湘南記念病院の前に来た時、どうも身体全体が突っぱるような気がして診てもらいたくなり、レントゲンを撮ってもらいましたら、全体的に状態が悪く第5頸骨椎間板症の重症と診断され、近くの春日整形外科を紹介され通院することになりました。退院してから程なく藤沢教会を訪ねております。

 その頃の教会はミサ中も何か落ちつきのない感じで、グループの集りに出てもお祈りから始まるのでないのに失望というか違和感を感じました。この度の入院騒ぎのきっかけは、平成13年10月31日の夕方頃2階の自室で仰向むけに倒れ2日後の11月2日、上の妹に発見され弟も来てくれ2階から下まで運ばれ、救急車で藤沢市民病院に入院しました。いろいろ検査の後6階のリハビリ科病棟に入りました。その時は右の親指、人差し指、中指が効くだけで両手を使ってお食事も出来ず、さあリハビリですよと車椅子が来るのですが、乗っても左肩が痛くて痛くて三本の指でナースコールばかり押して遂に25日ほどで今の病院に移らせられました。ところがこちらへ来てからおむつ老人も2ヵ月ほどしましたが、理学療法士さんや看護婦さんの言われる通りに関節や骨を押すリハビリに励むと一日一日めっきりと快くなってゆくのが分かりました。同じ病棟に信者の方がいて、私もテハン神父とシスターに年賀状を差し上げましたところ、早速ご聖体を私のところにも持ってきてくださいました。マーフィ神父様も二、三回いらしてくださいました。自由外出の許可も出ておりましたので、主治医に教会へ行く許可を得て以後日曜ごとにご弥撒に出られるようになりましたこと本当にありがたく感謝いたしております。カトリックは決してご利益宗教ではありませんが、良い方へ神様のご加護があったのかもしれません。お祈りは神様へのお願いですから、祈ることは何でも必ずいつか叶うことは信じておりました。たとえもっと苦しい目にあったとしてもそれも御旨だったと思います。

 今の藤沢教会は本当に聖なる場所に来たという雰囲気があり、また昔ながらのなつかしい方々にお目にかかれて嬉しく思います。今度着任される鈴木勁介神父さまと二人の助任の方のためにお祈りいたしております。



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両神父様へ感謝のひとことと
善行 瀧田

 平日朝のミサ後、リリーン、リリーンとすずやかなベルの音と共に開かれるティールームは、お陰さまで今年の8月で満4年を迎えようとしています。

 ところがこの春テハン神父様、ハンラティ神父様との『お別れ』と言う状況に直面し、神様の思し召しとは言え…心が痛みます。

 今日まで私達に、「交わりを大切に…」との助言や、励ましの言葉をいただき暖かくティールームを見守り、支えてくださいましたことに、スタッフ一同感謝の気持ちでいっぱいでございます。

「祈り合い、証しし合い、奉仕し合い、支え合い」の言葉を胸に、今後もこのティールームの中に、皆で喜びを共に過ごして行きたいと思っております。

 テハン神父様、ハンラティ神父様、有難うございました。そして神に感謝。



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聖コロンバン会の神父様方に感謝します
秦野教会 寺田

 1960年ころ、勤務地が藤沢市に移転となり、それに伴い住まいも藤沢市に引っ越してきました。当時の教会は小高い丘の上にありました。坂道の途中に民家は数軒ありましたでしょうか、丘の上はカトリック藤沢教会のみ、とても素晴らしい静かで落ち着いた環境に大満足でした。暫くしてミカエル・グリーン神父様が赴任してこられ主任神父様でした。その当時のミサはラテン語で旧典礼でした。私は朝ミサに参加して教会で朝食をすませてから会社に通勤していました。グリーン神父様とよく話す機会があり、特に印象深いこととしてはケネディ大統領暗殺事件でした。とても悲しく残念な気持を互いに話し合っていたこと思い出します。

 藤沢教会には13年間お世話になったのですが、その間、いろんなことがありました。嬉しかったことは結婚と妻の受洗、三人の子供の誕生と受洗です。また、悲しかったことは母と次男が天に召されたことでした。

 長男の霊名のことを思い出します。長男の誕生予定が9月ということで、グリーン神父様はご自分の霊名である「ミカエル」としなさいと言われましたが、私は人の名前をつけたいと主張していましたところ、生まれたのは9月29日晴天の朝「大天使ミカエルの祝日」でした。グリーン神父様は「私の勝ちだよ」と言われ、私も大喜びで「ミカエル」と名づけました。ちなみに、次男には「ガブリエル」と名づけたのでした。

 話を戻します。グリーン神父様の外出にお供したとき、昼食をご馳走していただいたことがありました。スパゲッティの食べ方はそのとき教わりました。ところが、帰りは重くて持ちづらい包装箱(中身はタイプライタだったと思います)持ち帰ることになったのです。右手に持って数歩、左手に持ち替えて数歩。それの繰り返し、重くて持ちづらく大変な苦行でした。神父様はゆっくりと後から・・・彼は軽いものを僅かに・・・手ぶら同然でした。

 ある日、教会委員を受けるようにいわれ、若すぎるからと辞退しましたが聞き入れられませんでした。その時、教会の建て替えの大きな仕事が始まったのでした。賛否両論真っ二つ・・・、市の要望に応える形で決着・・・私は青年会と組んで廃品回収で地域を回る。売上は僅かでも、新教会建設の旗頭のつもりでした。

 八角形の新しい教会に移り、グリーン神父様から上智大を訪ね「共助組合を設立」をせよとの命題。グリーン神父様はSVP(物資を持って家庭訪問活動)の指導司祭でもありました。霊的講話では「全ての人の内にイエス様を見るようになりなさい」と繰り返しお話しになったのを記憶しています。信仰生活の基本的な教育を受けていたのでした。そしてまた、この時、第二バチカン公会議の資料をもとに解説を聞きました。当時はよく分かりませんでしたし、早く終わればよいのにと願ってもいました。・・・訪問活動の具体的な話になると活気づいていたようでした。ある日のこと、当時のメンバー6、7人位だったでしょうか、すき焼きをご馳走してくださったことがありました。

 その後家庭の事情で、1973年に逗子に82年に秦野に転居し現在に至っています。

1980年の春、私はカトリック『聖霊による刷新』グループの「聖霊による生活刷新セミナー」に参加し、初代教会の使徒たちのように聖霊に満たされ大きな恵みを受けました。聖書に書かれた弟子達の生活が、私の生活の上に実現しているかのようでした。素晴らしい体験でした。今も続いています。その後このグループに身を寄せながら受けた恵みを成長させつつ充実した信仰生活を送っています。「受けた恵み」すなわち『喜びの体験』を分ち合いたくて出会う人々にいつも話しています。

 1990年、藤沢教会には、また別な形でお世話になったのでした。即ち、このグループの主な活動「神奈川祈りの集い」を有志の方々と共にたちあげ16年目になります。また1994年には「聖霊による生活刷新セミナー」の開催をし始めたのでした。11年目になります。顧問としてエドワード神父様(浅田教会主任)にお願いしています。

 毎年、主任神父様には活動報告をさせていただいていますが、常に、寛大なお心で受け止めていただき、活動には便宜を図っていただいてきました。神に感謝、聖コロンバン会の歴代主任神父様方に感謝します。そして、共に未来へと、新しい歩みが始まります。藤沢教会の神父様方と信徒の方々の上に、神の祝福が豊かにありますようにお祈り申し上げます。



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「静修の日の集い」に参加して
藤沢1区 綿貫

 2月27日に、ご復活を迎える心の準備としての「静修の日の集い」に参加しました。

 3部から構成され、ハンラティ神父様の司式によるミサから始まりました。

 第1部では、共に「感謝する」ことから始まりました。コロンバン会も藤沢教会共同体も、神様からいただいたものへの感謝と天国の仲間たちのことを思い出すということです。その中で、特に印象に残ったことは、この50年間にいただいた沢山のめぐみに感謝することでした。

 第2部は「ゆるしと和解」の部です。まず神様の寛大さに感謝し、招きに応えていない自分を認めることから始まり、イエス様が、私たちの弱さや習慣を、新しい力に変えてあげようと、願っていらっしゃることに気づくことが大切だということことでした。そして、福音の中でイエスに出会った人(放蕩息子や、傲慢なペテロ)を思い浮かべながら、それは大きな助けとなるはずだということでした。一緒に回心の祈りを唱える中で、感謝の勇気をもって再び生活に戻れるような希望を感じました。2部の最後に、典礼聖歌408番「行け地の果てまで」を歌いながら、常に私たちは、福音を述べ伝えるために「派遣」されていることを実感しました。

 第3部は「聖霊降臨」の部です。私たちは、次の50年に向かって新しい歩みを始めます。新しい旅路に向かう準備をしている司祭や人々の上に、聖霊が下りますように、共に祈ることです。そこで、全員が聖堂全体に二重の輪を作り、神父様から庵手を受けました。次にテハン神父様とハンラティ神父様が中央に座られ、私たちが順番にお二人に庵手をして終わりました。これは、復活祭で藤沢を去られるお二人の神父様への「霊的な送別」を表したものでした。霊的花束を行動で行ったような新鮮な感激でした。

 今回の静修の日は、司祭と共に生きる私たちがここに集い、神様の福音を伝えるためにいつも喜びと感謝を忘れずに、日々を過ごすことの大切さを肌で感じた一日でした。



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初聖体
クラス・リーダー 高橋、石井、彦坂

 3月12日、午後1時30分。テハン神父様は時間どおりに大聖堂のリハーサルにいらしてくださいました。子供達の集合時間がその時間だったので、少し遅れていらっしゃるかと思っていましたが、さすが時間に正確な神父様でした。リハーサルは聖堂の左右の入口から12名ずつの子供達が、侍者を先頭に入堂するところから始まりました。十字架の侍者が説教台の右に十字架をさし、司祭を真中に小聖堂側とオルガン側に縦1列にならんだ、計24名の初聖体の子供達が並ぶ姿は実に壮観でした。そして十字架に一礼して名前の書かれた自分の席に着こうとしたその時です。「そうじゃなくて、静かに、静かに、波のように子供達がバラバラに動き、話しをしながら行こうとしていたのでした。「波のように、サーッと一緒になるように」テハン神父様のアドバイスです。「静かに、サーッと一緒に、波のように」私は口の中で復唱していました。具象性を宿した半ば抽象的とも言える表現はこの方の最も得意とするところで、確か12年半前に藤沢に戻っていらした時の説教も、宇宙の彼方へ行ってしまいそうな感じがしたのをふと想い出してしまいました。それはともかく、懇切丁寧なアドバイスで、入堂は期待出来そうです。

 次は奉納です。2年生はセンターホールのミサで一回しか経験がなかったのですが、「ゆっくり、ゆっくり」の神父様の声で、ゆっくり、ゆっくりと8名の奉納者は祭壇に近づいてゆきます。子供達は少し緊張していましたが、三回、四回と練習するうちに上手に動けました。聖体拝領の練習では、クラスでやった時とちがい、右手、左手が逆になったりしましたが、神父様が手とり、足とりして教えて下さいました。メダイと証明書授与の練習でも、メダイを首にかけられ、証書を受けた後、「左右に一礼して席に戻る様に」との神父様のアイデアで、子供達はお辞儀を何回もしていました。・・そして初聖体当日、早く着替えをすませた子供はマリア様の前でお祈りして、家族と一緒に写真を撮ったり、あるいはなぜか中庭を走ったりしていましたが、9時30分のミサが始まる頃には、おとなしくり、前日神父様から教わった通りにミサは進み全員笑顔での初聖体となりました。ミサ後保護者の方々が準備して下さったパーティーではご馳走をいただきました。神父様、保護者の方々、リーダー達に支えられて、大変素晴しい初聖体となりました。



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卒業にあたって
リーダー 清水裕子

 3月13日、6年生17名が、日曜学校を巣立って行きました。これからの中学校生活、そして輝かしい未来に向け、青い大空へ向け、羽根をいっぱい広げ、羽ばたいて行きました。一人ひとりが、希望という力強い大きな羽根を持ち、尚かつ、その活かし方を知っているので、今後さまざまなところで、活躍していってくれることをことと思います。卒業にあたり、未来に向けて希望を書きましたので紹介いたします。

6年 山本

☆私は、一回かぜをひいて教会には行かなかった時があって、その一週間があんまりよくなくなってしまったから、なるべく教会に行きたいと思います。

6年 元橋

☆私は、中高生会などに入って、侍者などをする回数が増えて、もっと神に近づくと思います。そしてもっと神の教えや考えなど理解して、より良い人間になることを望んでいます。

6年 松下

 私は日曜学校にはよく行く方でしたが、日曜学校で神様の全てを学んだわけではありません。これからも教会に行って、たくさんのことを学びたいです。中高生会にも入って、人のためになることをしたいと思います。

6年 穂積

 わたしは教会で「神様との結びつき」を教えていただきました。また、ミサや聖げきなどでは奉納やナレーターの係をやらせていただき、本当に感謝しています。今までの小学生の間、優しく導いてくださり本当にありがとうございました。これから中学生になっても神様の教えに従いたいろ思いました。

6年 古郡

 ぼくは今、日曜学校を卒業しようとしています。中学生になったら日曜学校にはもどれないけど、毎週教会には行こうと思っています。それはなぜかというと、ミサにあずかってご聖体を受けたいからです。

6年 西田

 教会にいつ行っても、心がなごむ関係をもっていたい。

6年 坂本

 中学生になったら、社会とも関わりながら教会の役に立てるようなことをしていきたいと思います。教会を基にしながら、自分のできることをしていきたいと思います。

6年 金子

 勉強などがいそがしい時もあると思うけれど、なるべく日曜は教会に来るようにして、いろいろな行事などにも積極的に参加していきたいです。

6年 柏木

 私は日曜学校を卒業したら、できるかぎり教会に行き、神様のお恵みをいただきと思います。そして、いつも神様といっしょにいられるようにお祈りしたいです。

6年 石田

 僕は今まで、苦しいことや困ったことがあったときに神様に助けていただきました。だけど、今後は教会とどのようにかかわればいいのかが分からないので、これからも勉強し続けていきたいと思います。



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「はるかぜコンサート」
湘南台 鈴木

 3月5日、ビオラとピアノによる「はるかぜコンサート」が湘南台センターで催されました。

 ご近所の方をお誘いして早目にセンターへ。手造りブローチを胸につけたスタッフの方々の笑顔のお迎えを受け、それだけで何かホッとした温もりが感じられ、コンサートへの期待に胸が膨らみました。

 センターのミサでオルガン奉仕をしていられるビオラ奏者のKさんが"ビオラとはそれだけではあまり主役になることのない地味な楽器です" とビオラとヴァイオリンの音色や形の違いを説明してくださり、ひとつ利口になりました。

 第一部ではブラームスのハンガリア舞曲他、低く憂いを含んだ音色にうっとりしました。紅茶とクッキーの20分のティータイムを楽しんだ後、Kさん率いるアンサンブル、ポムの演奏。ポムとは韓国語で「春」。小さな芽生えがやがて美しい花を咲かせるという願いを込めてKさんが名付けられたと伺いました。

 古参の方で3年、始めて7ヵ月というご婦人、シニアの男性も加わった7人のグループに勇気を戴いたような親しさを覚えました。「小さな古時計」「早春賦」を全員で合唱して楽しかった一時間半はとても短かく感じられました。Kさんはじめ伴奏の方、ポムの皆さん、この日のために準備をされたスタッフの方々、素晴らしい早春の一時をプレゼントしてくださり有り難うございました。



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辻堂ブロック新年会に参加して
辻堂3区 宮

 1月29日(土)教会センターホールにおいて辻堂ブロックの新年会が催されました。今にも小雪が舞いそうな底冷えのする日でしたから、今回のちゃんこ鍋パーティは嬉しい企画でした。何しろ初めて参加する私にはどんな新年会が待っているのか楽しみで期待に胸を膨らませながら会場へ向かいました。

 会場にはすでに沢山の人が集まっていて賑やかな新年会になりそうな予感がしました。そして辺りを見回すと、ちゃんこ鍋パーティに合わせた演出になっているのでしょうか、壁には番付表が貼られていたり、お相撲の太鼓の音色が流れてきたり、始まる前から何だか楽しい気分になってしまいました。大勢の人の中にやっと知った顔を見つけ、内心ほっとしながら隣の空いた席に着いて会が始まるのを待っていると、ブロック長さんから挨拶があり、続いてテハン神父様のお話、新連絡員の紹介と進み、乾杯の音頭で新年会がスタートしました。お互いに初対面の方、知った顔ぶれとさまざまで、今年は初めての方の参加も多く、新鮮な感じがしてとてもよかったようです。途中からハンラティ神父様もお元気そうな姿を見せられ、検査の結果も大丈夫だったとのご報告に皆一同ほっと致しました。お喋りもだんだん盛り上がり、雰囲気もすっかり和やかになってきた頃、いよいよ本日のお楽しみ、ちゃんこ鍋が美味しそうな香りと共に登場。じっくり煮込まれたその味は旨味たっぷりで、フーフー言いながら食べ終わった頃には身体がポカポカ暖かくなってきました。早くから準備してくださった男性の方々ありがとうございました。楽しかった時間も残り少なくなり手締めの掛声と共にお開きとなりました。

 あっという間の2時間でしたが、初参加の私にとって、沢山の方と出会えた事は大きな収穫となりました。この出会いを大切にしお互いにつながりが出来て、今後少しずつでも輪が広がっていけばこんなに嬉しいことはありません。

 最後に、企画を立て準備して下さった皆様有難うございました。楽しい一時が過ごせました事を感謝致します。



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北ブロック合同親睦会に参加して
湘南台 佐野

 前日の寒さがうそのような暖かな春の日を感じながら、3月5日(土)に聖園マリア幼稚園の協力を得て、北一.北二ブロック初めての合同親睦会が行われました。総勢90名の出席者です。

 まず、ブロック代表の挨拶・報告事項・委員会報告では聖堂配置についての質疑がなされ、またそのことについては検討余地があること、献金についての質問など、典礼委員会に出席された方からの説明、50周年記念イベントについての説明、また、北一北二合同で記念イベントの一環として、第5地区巡礼を考えて、先日、下見をして、6月5日実施に向け調整中との説明がありました。新人の方、転入者の方の紹介がなされました。印象的だったのはベトナムから日本にいらして、現在はベトナムの方のための手助けをしている方のお話でした。日本中にいるベトナムの方に何か起こったとき、手助けが必要なとき、彼女が駆けつけて通訳やお世話をしているため一年中忙しく教会や地区の行事になかなか出られないが、何か行事があるときは知らせてください。なるべく出たいのですと言っておられました。ベトナムの方が日本にいらして20数年の月日が流れました。今、彼女のような形で目に見えない所で活動してくださっている方がいることを知り胸が熱くなりました。後半、テハン神父様がいらしてスキヤキパーティーになりました。一テーブル5名ずつ18テーブルに別れそれぞれのお鍋を囲みました。

 余興の始まりです。その中でも池田さんの素敵な、演歌80%シャンソン20%の歌(実況中継付き)が忘れられません。また、くじ引きなどもあり私は素敵なブローチをいただきました。和気あいあいとなったところでテハン神父様のご挨拶です。

『日本の教会活動の中でつらい体験がありませんでした。今日のスキヤキパーティーは今までにないすばらしい集いで、この場を提供してくださったシスター山下に感謝します。また、新しく教区からこられる司祭は、信徒総会、教会委員会に参加し、病人訪問にも同行して、自分達もこれらを続けたいとの言葉がありました。命の豊さを、聞くことより見ることによって引き継ぎたいとも言っておられました。

 神様はいつも皆さんや私をびっくりさせます。寂しいことにとらわれるのではなく互いに足を洗い合い、持っているものを出し合い、互いに愛し合い、慰め合いながら聖霊の働きによるこれら豊な贈り物を今に、そして未来へと委ねましょう』とのお言葉があり感激しました。本当にその通り、神で結ばれた私達が共同体を通して豊なものとなり未来へつなげるようにと。その後花束贈呈、合唱、記念撮影があり解散となりました。

 当初、スキヤキパーティなんてできるのかと心配していましたが、目に見えない所で働いてくださる方々の大きな力を頂き、楽しく、知らない人同士同じ鍋を囲むとてもすばらしい体験でした。心に残るそして次に向かうための集会となりました。心から感謝いたします。ありがとうございました。神父様お元気で。



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作家久田恵さんをお迎えして
藤沢2区 前田

2月20日(日)ごミサ後11時15・から、「家族のありかた」「自分の居場所探し」というテーマで作家久田恵さんの講演会がセンターホールで行われました。聴講者約70名、他教会の方や信者さん以外の方も来られ、高齢化社会の家族の老後に向けて、老親の介護や家族のあり方について、ご自分の体験から来る示唆に富む実のあるお話をお伺いする事が出来ました。

 久田恵さんは1990年にその著書「フィリッピーナを愛した男たち」で第二十一回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。また「母のいる場所シルバーヴィラ向山物語」は映画化されました。他にも「シクスティーズの日々」「愛はストレス」「サーカス村裏通り」等多数の著書があります。その他読売新聞では、豊かなご経験を生かした人生相談もなさっています。

 先生の生い立ち、思春期に続いて次の様な自伝をお伺い致しました。

<我が家の課題>

 父が70歳になって転勤していた北九州からリタイヤしてマイホームの藤沢へ戻って来た時、母は64歳、私が38歳。誰でも60代になると人生でやり残して来た課題をクリアしないと前に進めないところがあって、それが我が家では今もって都会でフラフラしていた末娘の私のこと。「そろそろ、いいじゃない」と母から手を差し伸べて来た。私自身も自立の道が見えて来ていたので、もの書きとして道を開きたい思いで両親と同居して暮らすことになった。

<介護>

 頼りにしていた母が、脳血栓で突然倒れ、失語症、半身不随、車椅子の生活になった。父と協力して母の介護をしていく事になった。事ごとに、味噌汁ひとつでも、理系・理論家の父と口論になり、その度に―出て行け―母はどうするの―この子(久田さんのご子息)はどうするの―子供は置いて行け、と口論になった。父80歳、私50歳の2人がかりでも母を車椅子に移せなくなった時、介護10年目でギブアップすることになった。

<シルバーヴィラ向山(練馬区向山)>

 自立ホームと介護ホーム(家族が介護出来る)があり、自立ホームに父が入り、側の介護ホームに母が入り、私は近くのマンションの部屋を借りて住んだ。父は毎日母の介護に通う事が出来た。その内父は、至れり尽くせりのホームでは惚けるといい近くに家を買い、父と私と兄の娘(東京の大学に通っている)3人で・80歳の父が作った「我が家の憲法」を拠り所に生活している。

<自分の居場所>

 自分らしく生きている夫の陰に絶望した妻がいて、こんなに幸せな60台はないという妻の側に絶望した夫がいる。両方が良いわけにはいかないのか。夫が妻を幸せにするのも妻が夫を幸せにするのも色々人のお話を聞いて至難の技だと分かった。この夫婦関係をある時期に仕切り直しをしてライフ関係の取り決めを作る事をしないと夫婦をやっていても本当は分かっていないことになる。

 家族って「誰かが自分を幸せにしてくれるのではなくて、それぞれが幸せになることで皆が幸せになる」というお話しがありました。本当にその通りだと思いました。

 誰かの犠牲の上での家族ではなく、それぞれが自分らしく生きる。それには我が家の憲法も必要かなと思いました。家族に病人が出た場合にも、家族だけで抱え込むのではなく、施設を利用したりして、自分の楽しみの時間も作る。そのことで、相手に対しても優しい気持ちで接することも出来ると思います。

 私は今、教会福祉部提唱の、石上3丁目にある篠原湘南クリニック・デイケアセンター(老人日帰り介護施設)のボランティアに行っていますが、お越しの老齢の方々は皆様楽しそうですし、刺激もあってご本人のためにもなり、その間、ご家族の方も自分の時間が出来て非常に良い家族関係が出来ると思っています。



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「手作りの会」ご紹介
長後 中村

 きっかけは、昨年のバザーでした。北ブロックがバザー担当になり、湘南台センターでお花のブローチを作っていました時、「ねぇ、この鍵の袋の作り方知っているいる人いない?」この一言から「手作りの会」が生まれたように思います。

 最初の手作りはこの鍵の袋でした。パッチワークで作られていて、製図をいただいたのですが、どう組み合わせどこから縫ったらよいか、皆で考え教え合いながらやっとのことで完成しました。昨年のバザーでは、それぞれのタレントを生かしてレース編み、パッチワークの袋、手さげ袋、体操服入れ、お花のブローチを出品することができました。

 お花のブローチも、いろいろアレンジされてさらに素敵になって、湘南台センター売店でお求めになれます。

 さらに毎月2回、7〜8名が集まっておしゃべりと手作業を楽しんでいます。お茶の時間にはケーキ、長後産の干し柿、たくわんなどが並びます。

 三月には刺しゅうにチャレンジしています。今年も皆さまに喜ばれるものを作ってバザーに参加できたらと考えています。

 手作りの会は第2、第4月曜日、午後1時から湘南台センターで集まっています。

 ぜひ一度、湘南台センターの扉を開けてみてください。



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仏教とキリスト教(19)『法華経』の方便「火宅」と「長者 窮子」の喩え
藤沢2区 兼子

その名のとおり白蓮花の如く美しく華麗壮大なエディフィスである『法蓮華経』。歴史的に日本仏教に最多の影響を与えた経典は『法華経』である。『法華経』を根本聖典とするのは日蓮宗やそこに発する新興の宗教運動だけではない。『法華経』は古くは聖徳太子の『義梳』により日本人の仏教信仰の定着に与って力があったし、平安時代に最澄が開いた天台宗という日本仏教の母胎、国家祭壇においても根本聖典とされたからである。この経典は内容的には大乗仏教が小乗の教えを包摂していく過程を反映する。また文学的な手法を駆使し、その功徳を再三強調する意味ではプロパガンダ的である。私自身にとってこの経は宮沢賢治と切り離せないものだ。国柱会に傾倒していた賢治は臨終にあたり父親(家の宗教は真宗だった) に国訳『法華経』一千部を配布するよう遺言した。彼の思想的背景をなす「法華経」による人類愛という創作の秘密にいつか迫ろうと思っている。

さて大乗仏教の興隆(紀元一世紀頃)と共に成立した『法華経』は当時の(釈尊の舎利を納めた)ストゥーパ卒塔婆信仰の隆盛を反映している。方便品では仏陀の舎利を供養するために金、銀、水晶、宝石、石・木材、煉瓦、粘土等によりストゥーパを建てることの功徳(成仏) が述べられる。私たちが何かの法会やお盆の施餓鬼会に卒塔婆を建てるのもこの故である。釈尊が多くの弟子たちに法を説いているその場所に巨大な七宝づくりのストゥーパが地中から出現し空中高く静止する。当世流行りのC.G.でも見ているかのようである。その中には多宝如来という過去の仏陀(大乗仏教では永遠に続く法身としての仏陀があり、法身は歴史的に受肉し応身となって地上に出現する。だから釈尊シャーキャムニの出現の以前にも無数の仏陀は存在し、釈尊はたまたま歴史の一点に生まれ悟りを開いて仏陀となった)が坐している。釈尊はそこに昇って横に坐る。智慧第一と言われる高弟舎利弗シャーリプトラが釈尊の周囲の人を代表して教えを聴く。

この経典は内容的に二つ(迹門と本門) に分かれ前者の中心的神学は方便品第二に記される、有名な火宅の譬え「三乗方便・一乗真実」である。それをかい摘んで紹介する。

ある所に老齢の長者(仏) が大きな古い邸に住んでいたが、ある時にその邸が火事(迷いの多いこの世)になった。邸内では大勢の子供達が遊びに夢中になっていて(凡夫が現世的な快楽にかまけ)火事に気づかず逃げようとはしない。長者は無事に邸外に抜け出し子供達に避難するよう呼びかけるが、子供達が驚いて恐怖の余り立ち竦んで仕舞わないように邸の外に面白い玩具(羊、鹿のひく車、牛車)が来たから出ておいでと誘導(方便) する。子供達は欲しがっていた玩具があるというので燃える邸から飛び出してくる。さて安全な所へ避難した子供達が面白い玩具を要求すると、長者はそれら三種類の玩具の乗物よりもっと本格的な乗物、即ち白牛に引かせた大きな牛車(一乗) を与える。

つまり仏は三界の火宅に迷う凡夫を救おうと三乗という三種類の車(羊車は声聞乗、鹿車は縁覚乗、牛車は菩薩乗)を方便として説いたのであるが、この三乗(方便) によって凡夫が迷いの世界の外に誘導されたからには、こんどは本物の車(一仏乗) を与えたのである。次に『法華経』には法華七喩と言う有名な七つの譬えがあるが、信解品シンゲホン第四の譬えが「長者窮子テョウジャ グウジ」である。これは我々キリスト教徒には「蕩児の帰宅(失われた息子)」として知られるルカ15章にある譬えと余りにも似ている内容である。私はかつてその二つの譬えの異同を詳細に論じた。紀元一世紀のローマとインドはかなり頻繁な交流があったので、両者の影響関係を検討してみたのだ。世尊(釈尊)の弟子たちのなかでも長老、即ち舎利弗以下5人の声聞ショウモン(小乗的な悟りを得ている人)は高齢でもあり、世尊が彼らも仏陀になれると説いてもそれ以上を望もうとしなかった。しかし舎利弗に世尊が今から決心して

菩薩(大乗仏教的な悟りをえている人)の修行をつめば、必ず仏陀になれると励ますと4人の声聞も歓喜し世尊の足元に跪き礼拝してその心境を譬えの形で述べる。それがこの長者窮子の譬えである。内容をかい摘んで述べると以下の如くである。特に関心の有る方は岩波文庫『法華経上』を読まれることをお勧めする。

 いま仮に他国で貧乏暮らしをしている男がいるとする。男は幼少時に父親と離れて生活するが、やがて衣食にも困窮し大金持ちの父親の下に帰ってくる。いったん生き別れとなった息子と再会した父親は大いに喜ぶが、息子が少しづつ親下での生活に慣れるよう色々配慮する。息子は便所掃除のような汚い仕事から始めて信頼を得ていき、父親は終に大勢の客の前で「これは生き別れた自分の息子である」と告げ彼に家督を譲ることを宣言する。この譬えを述べ終わり声聞は釈尊に「世尊よ、この大富長者とは如来(仏)のことであり、我々は皆仏子に似たり。如来は常に我等は是れ我が子なりと説きたまえばなり」と感謝して言う。つまり上の譬えで息子が貧乏暮らしに安住しているというのは声聞が小乗的な悟り、自己のみの救済に自足していると言う譬えであり、その声聞が少しずつ大乗の正しい教えに引き戻されていく方法が「方便」なのである。義人である兄がいない点でルカの譬えとは異なる。しかし我々が読む現存の訳(鳩摩羅什クマラジュウ『妙法蓮華教』)ではなく、失われた訳(竺法護ジクホウゴ『正法華経』)ではルカにかなり近い内容だったとも言われる。父親(仏・神)が一度は失った息子(罪人)が戻ってきたことに大悦びする点など、あながち偶然とも思えない。聖書のその箇所を読む度に気になる点ではある。



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4月の主な行事

1(金)初金ミサ・例会

3(日)世界青年の日  壮年の集い

16(土)聖コロンバン会への感謝コンサート午後2時より

24(日)50周年記念講演会 講師 森一弘司教 午前11時より

中高生会のお知らせ

 4月から、中学生になられた皆さん、中高生会に来てください。

3(日)コーヒーショップ  準備を手伝える方は8時45分にセンターの台所

10(日)クッキングとお花見

17(日)コーヒーショップ

JOC(青年会)のお知らせ

9(土)「労働法全般の勉強会」

23(土)「生活の見直し」

 センター203号室で、夜7時〜9時、藤沢教会・片瀬教会・茅ヶ崎教会の合同。青年の皆さんいらしてください。二俣川教会のジャック神父様が協力者です。

 4月の集まりはカトリック新聞が取材の予定です。



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