八 角 形 に ゅ ー す
2005年5月8日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
藤沢教会に赴任して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺
このとき、この日、この命を… ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教会委員長 片桐
教皇ヨハネ・パウロ二世の祈り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 緒方
受洗の感想・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 那須
小さき花のテレジア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 佐々木
中高生会の春の合宿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中高生会
壮年の集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・壮年部 里原
感謝50周年記念コンサート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・コロンバン会協力者会 興膳
神様が天国からおいでくださった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 古郡
嬉しいぞ、嬉しいぞ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 本多
鵠沼有料老人ホーム訪問・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台コールエンジェル
「合葬の園」の実現に向って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村
仏教とキリスト教(20)[最終回] ―永遠の今を生きる― "つまるところは同じ"・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子
藤沢教会に赴任して
渡辺
引っ越しの荷物と共に、藤沢教会の門をくぐると、大きな桜の木が目に入ってきました。桜の花がまさに開こうとしているところでした。着任してすぐに教会のいくつかのグループから教会の桜を眺めての花見に誘われました。
藤沢教会にきて初日から、ここは不思議な教会だなと思いました。教会の敷地の中にホームレスの人たちが数人生活しています。最初の主日を終え、翌日の月曜日に市役所へ住所変更届けと印鑑登録のために行くと、手続きに一時間くらいかかり待つ間、うとうとと寝入ってしまいました。そのうちに、「渡辺さんいますか」というアナウンスが繰り返されました。それでも私がうとうとしていると、ひとりの方が私の肩をたたき、「呼んでるよ」と起こしてくれました。あとで分かったのですがこの教会で生活している方でした。休みの日に、南図書館へ行ってみると、そこでも教会でよく会う人たちを見かけました。
ホールの中には、藤沢教会創立以来50年間のそのときどきの写真がありました。ここ藤沢教会も、また教会50周年という時に、コロンバン会の司祭から教区の司祭へと、ひとつの節目の時なのだと、あらためて感じました。私はここにくる前に、山梨地区の韮崎教会と諏訪地区の富士見教会の兼任でしたが、そこも初めて入る教区司祭としての任命でした。私たちは節目節目には危なっかしい道を歩まねばならないことも多いでしょうが、それはまた恵みをいただくチャンスでもあると思います。そういえば、全世界のカトリック教会も教皇さまが帰天し、ひとつの節目ですね。このときが恵み豊かな時となるように祈ります。
私たちを迎えてくれた桜の花も、もうすっかり散りました。一ヵ月すると私たち司祭のローテーションも一巡することになります。そろそろ腰を落ちつかせねばと思っています。
教会委員会報告(4月9日)
新しい三名の神父さま方をお迎えしてはじめての教会委員会が行われた。はじめにいつものように「静思のひととき」をもったあと、全員で自己紹介を行い、以下の議題に入った。
@典礼フォーラム
5月29日(日)9時30分ミサ後に行う。テーマは「私にとっての主日のミサとは」とし、数名の方によるプレゼンテーションと分かち合いを予定している。何かの結論というよりも、よりよい典礼のための材料にしたい。
A来期の教会委員の選出と引き継ぎ
本年末をもって委員長、副委員長全員が任期満了(2期4年)になる。また同じく本年末に交替するブロック、活動部の代表を含めて来期への引き継ぎを円滑に行うために10月以降の委員会は新旧委員同席して行いたい。そのために9月中に新委員を選出する必要がある。ついては各ブロックで教会委員長、副委員長の候補者(自分のブロック以外でもよい)を複数推薦してほしい。ブロック、活動部代表もそれぞれ行っていただきたい。
@今後の継続
会員(藤沢教会で170名)の会費納入を、当分の間これまでどおり納入袋の方法で続けることが了承された。
Aコンサート収益
出演者の謝礼を除いて全額聖コロンバン会へ寄付することが確認された。同会への感謝として5月5日のビンゴの収益やその他例えばバザーの収益の一部など全てをまとめて11月20日の50周年記念ミサで渡すことなど意見があったが、今回のコンサートは個別に扱うものとし、後者については検討することとした。
鈴木神父が座長を努める「神奈川県内司祭・修道者・信徒による共同宣教司牧推進委員会」が企画した研修会・養成コースについてそれらの内容と希望者の募集方法などを教会委員長、副委員長がまとめ、「八角形にゅーす」を通して広く通知することにした。
本年1月〜3月の財務状況は別表とおりだが、収支の差異が1,200万円と大きいのは本年度の本部納入金1,700万円を3月までに一括納入したことによる。復活祭が昨年は4月だったものが今年は3月で、関連する特別献金の時期がずれたために献金が昨年比大幅に増えている。これらの2点を調整すると収支それぞれ数パーセントの微増で、バランスのとれた内容となっている。
郵便局の自動引き落としによる維持費納入についてはすでに事務所に申込み用紙が備えてある。説明書その他を掲示するほか、案内を維持費納入袋に入れたり、「八角形にゅーす」で知らせる。申し込んでから引き落とし開始まで3週間程度かかる。
聖コロンバン会協力者会コンサート 4月16日(土)
森司教講演会 4月24日(日) カトリック新聞に掲載(4月10日号)されたほか、第五地区各教会およびその他近隣教会にチラシ、ポスターを配布した。森司教には当日9時30分ミサの司式をしていただく。
50周年祭 5月5日(祝日)10時、聖園女学院グランド
近隣教会巡礼 先月号でお知らせしたとおり、 第一回(6月5日)鍛冶ケ谷→大船→片瀬とその逆コース。 第二回(7月30日) 原宿→戸塚→中和田とその逆コースで行う。お知らせ、申込みは5月5日からはじめる。現地集合、現地解散とし、車の必要な方は申し出てほしい。
中学生キャンプ 藤沢教会出身で現在由比が浜教会主任の山口神父のアドバイスを受けて12歳から18歳まで(ただし中学生以上)の青少年を対象に教育部の行事として次のとおりキャンプ(体験学習)を行う。
行き先 沖 縄
期 日 7月26日(火)〜29日(金)
人 数 最大12名
費 用 一人約6万円(費用補助は検討する) 山口神父は沖縄との関わりが深く、キャンプに同行して戦跡の見学など案内にあたる。なお、事前の勉強会、オリエンテーションを6月中に開催する。
先般実施したアンケート(日本人の回答120名)では、合葬墓地を作ることの支持が圧倒的に多かった。費用としては平均として一体10万円程度が考えられている。また二つのイメージ・スケッチは日本人と外国人で支持が異なるが、納骨堂と合葬の中間的なイメージがアンケートから見えてきた。最終的な形は5〜6月中に決めて次の段階に進みたい。着工は来年になる公算が大きい。
@鵠沼ブロック
3月27日 各ブロック代表の方にも出席していただいてバザーを考える会を開催した。バザーについては肯定的な意見が多く、開催には大半が賛成であった。
全体の雰囲気としては悪いところを修正しながら続ける方向であった。さらに広く意見を聞くために各ブロックごとに話題として取り上げてもらい、再度5月8日(日)に話し合いを行うことになった。
A北一・北二ブロック
・6月25日(土)5ブロック共同で黙想会を行う。
場 所 聖園マリア幼稚園
指導司祭 御受難会 国井神父
テーマ 「キリスト者としてどう生きるか」費 用 1,000円
人 数 150名以内
・5月21日(土)10時から湘南台センターでミニバザーを行う。
現在湘南台センターで使用しているピアノが老朽化したため、新たに寄贈いただいて入れ替える予定だが、その運搬費を捻出するのが目的である。
@教育部
7月10日(日)9時30分ミサ中に日曜学校の生徒に大人も参加して聖劇"麦の種"を演ずる。
A福祉部
聖園の子供のホームから勉強の補修を見てほしいとの以来を受けたので検討する。
B宣教部
7月10日(日)召命の集いを行う。12歳〜25歳が対象で堅信のアフターケアも兼ねている。
C典礼部
11月20日(日)50周年記念ミサ中に全員で歌うハレルヤコーラスの練習を4月17日(日)9時30分ミサ中からはじめる。
これまでに決まったものは次のとおり
鈴木神父 教会委員会 宣教部
渡辺神父 典礼部 湘南台センター
高野神父 教育部
岡村正さん(善行)にかわって浅野洋子さん(善行)が任命された。
「このとき、この日、この命を…」
教会委員長 片桐
2005年3月27日、午前9時半「復活の主日」のミサは、トーマス・テハン神父 マラキ・ハンラティ神父の司式で行われました。
これが50年間続いた聖コロンバン会の神父さま方による最後のごミサでした。ミサの始まる前からお聖堂は多くの人々で一杯になり、ミサが進むにつれお聖堂の外にまで溢れてしまいました。ここまで私達と共に藤沢教会のベースを築いてきてくださった多くの神父さま方、その神父さま方を私達に送ってくださったアイルランドの方々、そして何よりすべてを導いてくださった私達の主イエスキリストへの感謝と尊敬の思いがミサに与る多くの人々の胸を熱くしたことでしょう。淡々とミサを進めてくださった神父さま方が本当に印象的でした。「ささやかに、シンプルに」という神父さま方のご意向を受けて、みなさまが、お寄せくださったお餞別とお花を、お祈りと共にお渡ししたあとはティパーティとなりました。
イースターの喜びと感謝の思いを表した手作りのお菓子やケーキは一口でも神父さま方に届いたでしょうか。日頃教会にいらっしゃるのが大変な方々もご近所の方や福祉部の助けでお顔を見せてくださっていましたが、一言でもお話ができましたか。例年イースターの頃には花開く桜が今年はかなり蕾がふくらんではいましたが開くには至らず残念な思いが拭えませんでした。お一人お一人神父さまとお別れをしておられる様子を見ております内に、このお別れの先にあるものが見えて来るような気がしました。積み重ねられてきた一瞬一瞬が50年となるこの2005年に新たな旅へと歩みを続けていく神父さま方と私達。
今、このとき、ここで、共に生きている私達。このお別れがもたらす思いは広がり、そして深まって私達の信仰の力をさらに強めることでしょう。私達も、ささやかに、シンプルに感謝とお別れの言葉を申し上げましょう。
神父さま方、ありがとうございました。どうぞお元気で「旅」をお続けください、と。
教皇ヨハネ・パウロ二世の祈り
藤沢1区 緒方
教皇ヨハネ・パウロ二世が遂に天に召されたと4月4日の朝刊を開くとトップに大きく報道されておりました。長い闘病生活の末バチカンの法王宮殿でご逝去なさいました。84歳でした。胸に万感の思いがあふれ心からお祈りを捧げました。
連日のように新聞やテレビのニュースは、弔問には4百万人がローマを訪れ、寝袋を持って野宿する人たち、たくさんのローソクが灯されたポーランドの街の写真や、8日の葬儀には各国の首脳が来て教皇の死を悼む様子など報道され、それを見るにつけ今更のようにその偉大さを感じました。と同時にこんなに大勢の人たちがローマに集まっているところで、テロが起きたら大変なことになるという危惧がよぎりました。どうか安らかに昇天されますように祈らずにはいられませんでした。しかし何事も起こらず無事に終わりました。やはり教皇さまが平和と人権の大切さを東奔西走して世界に訴えられたことによるものと思います。これこそ対話の重要さと武力による戦争は問題を解決しない証しではないでしょうか。湾岸戦争やイラク攻撃に反対し、嘆きの壁に向かって祈り、イスラエルとパレスチナの和解を望み、81年には広島、長崎を訪れ、「戦争は死そのものです」とおっしゃって平和の祈りを捧げてくださいました。故シスター野口は広島で大勢の人々の間から拝謁し、「その背中を見ただけだったが霊性に打たれた」と話されたことを想いだします。
高齢と病気をおして対立する国々を説いて回られたお姿は、まさにキリストの愛の実践であり、宗教を越え、主義を越え、国境を越えて人々に敬愛の念を抱かせたものだったと思います。私たちは小さな存在ですが、世界平和を祈る教皇さまのご意志を継いで行かなくてはならないと思います。
受洗の感想
大庭 那須
私は病気(宿痾の心臓病)療養のためこの藤沢に移り住みました。
私は旧約は時代小説を読むようで好きです。しかし新約はさっぱり分かりません。全くお手あげです。そこで教会の門をたたき、初心者講座にいれていただきました。一年半の間、リーダーの方は、私のような項のかたい年寄りに相当手を焼いたことと思います。
洗礼の話が出たときは、私にそんな資格があるのだろうかと悩みました。そんなとき、遠藤周作さんに「おまえのような、ぐうたらでもいいんだよ」とささやかれたような気がして、そのささやきに従いました。
復活前夜祭、洗礼式はカトリック教会の伝統ある儀式と祈りに圧倒されました。いま、私たちは神様の温かなまなざしを躰いっぱいに浴びているんだと感じました。
遂に受洗するまでにこぎつけてくださった萩田さんとグループの皆さま全員に心より感謝いたします。
小さき花のテレジア
藤沢1区 佐々木
代母の岡田さんから「小さき花のテレジア」という霊名をいただきました。とてもよい名前だと思いました。そしてこれで本当に洗礼を受けるんだなーと思いました。
昨年の3月から家族がキリスト教入門講座に行くようになり、私もついていきました。そこで色々な話を聞きました。そして、早くみんなの仲間になりたいと思うようになりました。3月26日は朝からドキドキしていました。テハン神父さまからお水を額にかけていただいた時、冷たかったけど、とってもうれしかったです。これで神様の子供になった気がしました。そして、講座の人たちやボーイスカウトの人たちがとても喜んでくれたので、私は幸せだなーと思いました。これからも、みんなと一緒に神様の子供として歩んでゆきます。
3月20日から21日まで、三浦半島にある「栄光学園海の家」で春合宿をしました。高校3年生にとっては旅立ちの合宿、そして、新中一になる6年生にとっては少し背伸びをした合宿でした。春休みで藤沢に帰ってきていた宮内神学生も参加してくれました。
「春合宿に参加して」
新中一 山本
私は3月20日、中高生会のみんなと春の合宿に行きました。
はじめは、油壺のマリンパークへ行きました。マリンパークに着くと、3グループに分かれてそれぞれいろいろなところを見ました。
次に、みんなで宿泊するところへ行きました。夕方になり、夕食の準備にとりかかりました。夕食は焼き肉と焼きそばなどいろいろでした。「いただきます」のお祈りをしておいしくいただきまいた。夜、なかなか眠れなくて、ほとんどの人は起きていました。話をしたり、ゲームをしたりして、けっきょく2時か3時まで起きていました。そのうち、だんだん眠くなってきて、私はドラエモン気分で(押入れの中で)眠りました。
私が起きたのは6時30分ぐらいでした。眠かったけど、なぜか目がさめてしまいました。私がトイレから帰ってくると数人の人が目をさまして、ふとんの中でゴロゴロしていました。ふとんをたたんで食堂へいきました。朝ごはんはハヤシライスでした。とてもおいしかったです。そのあと掃除をして宿泊施設を出ました。
私は中高生会の合宿は初めてで、どんなところだろうと思いながら行きましたが。こんなに楽しいとは思ってもいませんでした。また夏の合宿もあるようなので行きたいです。
新中一 西田
中高生の春合宿で、一番よかったと思えるのは、中学生の先ぱい達と友だちになれたことです。
一日目は、油つぼマリンパークに行きました。そこでグループにわかれて行動しました。そのとき、同じ学年の子とわかれてしまったので、ドキドキしましたが、先ぱいとは仲よくなれました。マリンパークではサメ・うみうし・ひとでをさわったり、魚を見たり、ショーを見たりしました。
夜は、先ぱいとトランプのスピードできそいあったり、ごはんをつくたり、合宿に行った人全員でUNO(ウノ)をしたりしました。
とても楽しい合宿だったので、また行きたいです!。
壮年の集い
壮年部 里原
4月3日(日)11時から壮年の集いが行われました。約30名の方の参加がございました。参加していただい方々有り難うございました。 最初に着任なされた神父様方からご挨拶いただきました。主任司祭の鈴木神父は中和田教会へ出かけておられ、渡辺神父、高野神父がご出席なされました。高野神父は別のご予定があり、挨拶された後ご退席なされましたが、渡辺神父と時間をとって懇談することができました。懇談の中で、家庭の中での信仰について、受洗のきっかけ、大地震など自然災害や戦争で犠牲になっている多くの弱い人々に対する救いについてなど一人ひとりが感じていることを多数の方々からお話していただきました。連絡やお願いだけでなく、何か結論を出すということではないが、日常思っていることを自由に分かち合う時間を持てたということは良かったと思います。今回の集いには、ご復活祭で受洗なされた益満さんと那須さんに出席していただき、自己紹介をいただきました。藤沢教会の仲間として一緒に歩んで行きたいと思います。懇談後に教会委員会の報告、壮年部今後の活動予定の報告を行いました。
その後に小野さんから送迎ボランティア募集とマジックへのお誘いについて、米谷さんから篠原湘南クリニックボランティア参加のお誘いと聖園の下草刈り作業へのご協力のお願い、続いて石黒さんから売店の販売スタッフ応援のお願い、八子さんからバザーを考える話し合いの報告、また総務部から土曜日のレオの作業へ参加のお誘いの話がなされました。この教会で活動している様々なところで、壮年の方々の参加と協力を期待されていることを改めて感じました。
壮年部は、毎月第2日曜日11時から世話人会を行い、教会委員会報告や壮年部の行事のことなどを話し合っていますので、ご関心おありの方は、どなたでも一度覗いてみてください。世話人会で話し合ったことで必要な内容は教会委員会で報告しています。壮年部は他の活動部、ブロックと連携して教会行事を下から支えていく役割があると思っていますので、壮年の皆さんのご協力をお願いいたします。
感謝 50周年記念コンサート
コロンバン会協力者会 興膳
4月16日(土)午後、お聖堂は300名余りの人で一杯でした。コンサートでは、過去にも二回、藤沢教会で演奏されたマリア・クレアリさん(ハープ)が昨年結婚されたダビデ・モンティさん(ヴァイオリン)と息の合ったデュエットを聴かせてくださいました。
全曲バロック音楽ということで、硬い演奏を想像していましたが、ある時は厳格に、ある時は幻想的に、またある時は動物の鳴き声を奏でてユーモアたっぷりの演奏でバライエティに富んだ豊かなコンサートとなりました。アンコールでは、ダビデさんがイタリア語の歌も聴かせてくださり、ご本人も体の中から楽しんでいらっしゃる様子がうかがえました。後でお聞きすると、「あの歌は美しい女性に語りかけている歌で、本当はお聖堂で歌うような歌ではない」ということで大笑いいたしました。
藤沢教会は今年献堂50周年を迎えました。片瀬教会から分かれて、山の上に小さな教会が作られ、それから50年藤沢市の発展と共に教会も大きく成長しました。これはひとえに聖コロンバン会の神父様方が熱心に宣教司牧してくださったお蔭です。昨秋、そのコロンバン会に「50周年の歩みに感謝」の思いを何らかの形で表したいと思っていたときに、今回出演された若いカップルが来日される話を聞きました。教会委員会の賛同を得て出演者に依頼し、準備の段階に入り始めたころ、横浜教区の人事異動が発表され、過日の復活祭でコロンバン会司祭が藤沢教会を去ることが決まりました。しかし、鈴木新主任司祭の寛大なお許しをいただき、予定通り実行に向けて準備を進めることができたことは大きな喜びでした。
状況が変わった中で、チケットがどの位売れるかなど不安はありましたが、多くの方々がご協力くださり、中には「その日は伺えないけど、感謝の気持ちを…」と、何枚もお求めくださる方もおられ、最終的には382枚のチケットを買っていただくことができました。当日はコロンバン会の懐かしい神父様方も大勢お見えになり、新任の神父さん3人ともども楽しんでいただいたこと、本当に嬉しく思っています。
売上金は一部出演者のお礼を除き、当日の献金も含めて全額聖コロンバン会への「感謝」としてコンサート後、片桐委員長から副管区長へお渡ししましたことを報告させていただきます。たくさんの方々に温かいご協力をいただき、楽しみながら「感謝」の気持ちを共有できましたことを心から御礼申しあげます。
「カトリック聖コロンバン会」よりのお礼状 暖かい風が吹き、樹々には葉っぱが現れ、春の到来は心和む今日このごろです。藤沢教会の信徒の皆様はいかがお過しでしょうか。 さて、先日、当宣教会のチャリティーコンサートを催していただき、そして多額の献金を賜わり、心からお礼を申し上げます。当宣教会の布教司牧活動のためにつかわせていただきます。 福音宣教の道を共に歩んでまいります私たち聖コロンバン会へ、今後益々のご支援を特にお祈りくださいますようにお願い申し上げます。 藤沢教会の皆様の上に神様の祝福とお恵みが豊かにありますようにお祈りいたします。 平成17年4月20日 |
神様が天国からおいでくださった
六会 古郡
私の手元に一枚のオメダイがあります。
幼きイエズズ様をお抱きになったマリア様の絵柄の裏に、「献堂記念 1970・3・8 藤沢カトリック教会」と刻印されています。藤沢教会の50年という歩みの中で、最も大きな出来事は、お聖堂が現在地に移設されたことだったと思います。
最近、JRの駅はどこも画一化されて面白味が無くなってしまいましたが、当時はそれぞれの駅に個性がありました。電車が止まると南側の車窓に、小高い丘、松林の中に十字架を掲げた教会の見える駅がありました。駅の看板を見なくても「藤沢駅」に着いたことが分かったのです。
市民の憩いと散策の場であった素敵な丘、私たち信徒にとっては、天国に近い祈りの場でもあった教会を地上に降ろして、平地化しようとする「藤沢駅南部区画整理事業」がもちあがったのは昭和42年ごろのことでした。
その年の4月、当選したばかりの新米議員だった私は市議会の中で話題になったこの問題に当惑しました、
教会のある丘が削られるなどと言う話は一度も聞いていなかったからです。早速、当時の主任司祭のグリーン神父様と教会委員会に報告して、その対策に取り組んでいただきました。
藤沢市役所から担当の部課長を教会に招き、問題の経過と藤沢市の見解を質したのです。藤沢市の説明では、「街の中心地に丘があることは、これからの藤沢市の発展を考えるとき大きな障害になる。特に駅南部で火災が発生したときに緊急な消防活動ができない。丘を削って平地化できれば整然とした街並みができる。地価が上がり地権者にとっても有利だ」というようなことでした。
しかし、皆さんの意向や教会委員会としても、この藤沢市の計画は受け入れがたいものでした。街としての風光や自然保護から考えて丘は絶対に崩してはならない。丘が大火を防ぐ壁になる。地価が上がったとしても教会には何のメリットがない。しかも区画整理法の規定で教会の敷地は30%も減少される、という理由からです。
近隣の方たちとの情報交換、藤沢市との協議に長い時間がかかりました。その結果として、藤沢市の方針は、国や神奈川県でも計画決定されたものであって、変更できないところまできている。教会だけが反対したとしても強制執行される恐れがある。それなら教会の将来のためにも、できるだけ有利な条件で聖堂の移設に踏み切った方が良い、との方針に改め司教様のご承認をいただいたのです。
そのうえで藤沢市に対しては、江の電の駅は地下か半地下方式にして電車の騒音が「祈り」の妨げにならないように、という注文をつけました。司祭館の増設と防音工事費を負担していただくことも市との協議の中から出てきました。
いよいよ教会を移設して、新しいお聖堂を新築する、という事になったときには教会内外から様々の建設的、積極的な意見が出されました。
「藤沢教会の将来を見越して、800人から1,300人が一度にミサに与れる大きさの聖堂を」「ここの規模は500人程度までとして、長後方面にもう一つ教会を」「建設費の総額と信者個々の負担額について」等々。
こうした皆さんのご希望やご意見に対して主任司祭だったグリーン神父様、伊藤赳委員長、設計事務所の岡村さん、辻垣さん、清水建設にお勤めだった高桑さんなどが日夜奮闘されていたお姿が今でも目に浮かびます。
当時の荒井司教やコロンバン会菅区長の物心両面にわたるご支援と藤沢教会の総力によって現在のお聖堂が建立されました。
冒頭に記載しました献堂式のミサに来賓として参列くださった故金子小一郎市長のお祝いの言葉も印象的でした。
「神様が天国から地上に降りてきてくださった、藤沢市民はとても喜んでいます」
嬉しいぞ、嬉しいぞ
辻堂2区 本多
早朝、小柴の「力丸」を連れて海岸に行く。湘南の海も空も、潮風の香りも波の音、松のざわめきにも何もかわりはない。朝日に映える富士山はあくまで鮮やかである・・・。
藤沢教会創立50年。私が所属して20余年の間にも、時の流れの中で、共に歌い、共に語った何人もの友が逝った。
香部屋で立ち話をした神父様、紫の衣が似合い若き日には従軍司祭として欧州戦線で地獄を見たという神父様は祖国で天に召された。司祭館の仕事をしていたおばさんも今は亡い。
金曜夜の、近隣のコロンバン会の神父様方が集まっての食事会の手伝いをして、よく料理を誉めていただいた母も、今は病の身となり「皆に料理を作ってあげられないのが残念」と言う。
「コロンバン会」の日、母を迎えに行き待っている間、聖堂前で"奉納演武"のつもりで祈りをこめて空手の型を演じたものだった。そんな時「私もアメリカで太極拳をやりました」「韓国でテコンドーをやりました」と話しかけてきて、暫し武道談義になった聖コロンバン会司祭団も藤沢を去った。
「お母さんの料理、いつも美味しいよ」と声をかけてくださった神父様は、「もう一度生まれてきたら、また神父の道を選び日本で働きたい。復興して行く日本を見るのが楽しかったから」と言われていた。そして「焼け野原を、ジープで貧しい人たちに闇物資を運んでも警察はフリーパス。何といってもこの顔だからね」と笑ってご自分の顔を指さされた。 彼も昨年、私が見舞った直後に、愛した日本の地で一粒の麦となられた。病床の窓辺には両親の写真と共に、50年以上前の寒々としたアイルランドで叙階式の日に、厳格そうな教授を囲んで極東宣教への決意に満ちた若者たちのセピア色の写真があった。
そして、今年その在任期間は、私がカトリックに関心を持ってから、今日までの日々とほぼ重なる教皇ヨハネ・パウロ二世が亡くなられた。
・・湘南の海も空も潮風の香りも、波の音、松のざわめきにも何も変わりはない。朝日に映える富士山はあくまで鮮やかである。
ただ人だけが変わっていく
悲しいぞ、悲しいぞ
寂しいぞ、寂しいぞ
そしてキリストの教会にはいつでも
同じ愛、同じ水・・
嬉しいぞ、嬉しいぞ
嬉しいぞ、嬉しいぞ
鵠沼有料老人ホーム訪問
湘南台コールエンジェル
先生の両腕の指先に、皆の視線が集中する。一番緊張する一瞬である。今日は市内にある有料老人ホームに歌声を届けに来た。今回で4回目を迎えた訪問だけど、毎回胸がドキドキするのは皆同じなのかと思いながら、いつの間にか、普段歌っている楽しさのペースに。聞いてくださっている皆さま方も、私たちのうたの中に一緒にとけ込んで、お互い楽しい一刻をもつことができて嬉しく思った。
このようにして湘南台コールエンジェル総勢28名は、毎月2回の練習の積み重ねによってたくさんの方々の前で発表出来たことは、ほんとうに素晴らしいことと思っている。
「合葬の園」の実現に向って
善行 岡村
「合葬の園」のイメージ展示とそれに対するアンケートの実施で計画は一歩前進しました。「お墓を考える会」に途中から参加したわたしは、委員会の中で他の委員たちとは考えを異にするかも知れません。これからお話することは私見として受け取ってください。
二つのイメージ案は、合葬ということについての視点がかなり異なるように思います。アンケートが用意された時私は、アンケートに参加する人たちが合葬ということをどのように受け止めているのか訊ねる一項をいれたらどうかと提案しました。
しかし他の委員たちは、大方の人は理解していると考えたのでしょう、いれられませんでした。アンケートの結果を見ると、わたしの心配はかなり当たっていました。はじめから合葬を望む方は数名に過ぎず、大半は納骨堂を望んでいるようです。
家族制度のなくなった今、社会一般でも血のつながりによって物理的にお墓を維持するのが困難になっており、血のつながりや世代を超えてお墓を維持管理する共同体が必要であると、お墓を必要とする人たちは認めています。
お墓は何のためにあるのか、何に必要とされるのかという根本的な問いは既に「お墓を考える会」で十分に話し合われたことでしょう。しかしわたしはそれを聴けなかったので一人で考えました。
お墓は死んだ人と生きている人との「交わり」のためにあり、とりあえず遺骨を納めなければなりません。しかし「葬る」と「弔う」とがあると言いましたが、人は「交わり」のなかで生きるので、その「交わり」は死で終わらないのは誰でも認めるでしょう。
どんなことでも、目に見えないはたらきに関わるには、そのはたらきを表す目に見える「しるし」が人には必要なのです。お墓はその「交わり」のための「しるし」として必要なのです。またその「交わり」の場でもあります。墓地とは、その特別なことをする場所のことです。
その「交わり」の場は、生きている人の生活の場に近くにあってこそ意味とはたらきがあります。遠くにあるなら目に見えないはたらきと変わりありません。死んだ人と生きている人との「交わり」は、その間隔が空きすぎると意味がなくなります。
それで、故郷にあるお墓を生活の場の近くに移すことも行われるようになりました。おそらく春と秋、二回のお彼岸と死者の命日は最小限の「交わり」でしょうが、その他にも死んだ人と生きている人との、「交わり」の必要が起こることがあります。
生きている人に何か特別なことが起こった時、喜びはもちろん、悲しみ苦しみ困難などそこへ行って死んだ人と語り合い分かち合いたくなります。
「弔う」つまり、訪れるという死んだ人と生きている人との「交わり」がそれなのです。
これらを必要を考えると「合葬の園」の利用者は誰でもという訳にはいかず、必然的に限られるでしょう。 お墓を維持する、血のつながりや世代を超える共同体は、これらすべての人が共有する死んだ人と生きている人との、「まじわり」の持続を支える共同体でなければならないでしょう。共同体はそのために何をすることが出来るのでしょうか。
「合葬の園」を単独で訪れる人が、その「交わり」を常に支えている共同体の存在をその場に感じるには、その場の設営をどのようにしたらよいか。その場で共同体は具体的に何をすることが出来るのか、その問いがイメージ案を作る課程で、終始わたしのなかにありました。
中央に共同体の祭儀の場を広く取ったのも、その中心に合葬の場を設けたのも、奥まった場所に生きている人たちに向かい合う象徴的な死者の園を設けたのも、「合葬の園」全体に「交わり」を支える共同体の存在を感じてほしかったからです。
これから私たちのしなければならないのは、お墓の意味とはたらきを理解してこの場所を利用できる人がどれだけ居るか、年間どれだけの死者が加わるかをもう一歩踏み込んで具体的にしらべ、遺骨の一時預かりは何年ぐらいになるかを想定し皆さんにはっきり知らせることです。それによって造営の規模が定まり予算も決まるでしょう。
それから「合葬の園」で共同体が、死んだ人と生きている人との「交わり」を支えるために何が出来るかを具体的に考え発表することです。それによってイメージが一層はっきりして実現に協力したい人も増えるでしょうし、利用者も合葬の意味を正しく理解して申し込むでしょう。
折角、無料の土地提供があり理想的な場の実現が出来るのです。経済的理由で人々の従来の望みに合わせて妥協し、合葬の理想を中途半端なものにするのは残念です。まだ他のどこにも実現していない「合葬の園」という意味とはたらきを、私たちの一致によって是非実現しましょう。
仏教とキリスト教(20)[最終回] ――永遠の今を生きる―― "つまるところは同じ"
藤沢2区 兼子
インドは不思議な国である。世界有数の大富豪とカルカッタの路上の極貧の人達。多数の国民の識字率の低さと、反比例する上流知識階層の天才的頭脳。桁外れの相反する要素の共存という、ダイナミズムから宗教的天才も生まれる。2400年前の釈尊は当時の既成宗教(バラモン教)に対する宗教改革を試みた。イエスもまた形骸化した律法、教条主義化した当時のユダヤ教に対して宗教改革を断行された。イエスの思想は、インドの人達にも無縁ではない。ガンジーの非暴力主義はイエスの非暴力・無抵抗に倣ったものだという。そのガンジーはある時こう言った。「私はキリストが好きだ。もしこの世の中のキリスト教徒が皆キリストのようだったら、世界はキリスト教国になっているでしょう」これはキリスト教徒にとっては耳の痛い話だ。こういう人の出るインドが相手だと、キリスト教の宣教者であっても、自ずとマザー・テレサのように謙虚になるのだろう。現代の聖人マザーについて今更、私が何かつけ足すことは何もない。むしろ私は或る晩、マザーに関する夢を見たのでその内容を語ろうと思う。古典哲学や文学ではロゴスが沈黙した所でミュートス神話が始まる。それを今ここで少し真似てみよう。場所は70年代のカルカッタ。僕はマザー・ハウスにボランティアに来ていた。マザーは、まだそれ程有名ではなく超多忙でもなかったので、早朝のミサの時に声を掛けることが出来た。するとマザーは病院に手が足りないと言う。そこでその日一日、僕はマザーが絶えず出入りする病棟で働くことになった。マザーのすぐそばで僕が手伝っていた時、僕は思いきって尋ねた。「マザー、どうしてこの世の中には貧困があるのですか」マザーは答えた「それは持てる人たちが貧しい兄弟たちに分け与えようとしないからです」「なるほど。では何故この世の中には苦しみがあるのですか」(マザーは人間が傲慢にならないためだと答えた気がする)。「マザー、昨日、僕は見たんです。3歳になる女の子が病気で死にました。神様はどうしてこんな小さな女の子の命を召されたのですか。この子は傲慢になりようがないんです。生まれた時に、親に捨てられて栄養不良をやっと生きてきたんです。それなのに、その子は3歳の誕生日も迎えずに死んでしまった。何故なんです」するとマザーは手を休めることなく、あの鷹のような鋭い眼で僕をじっと見つめて「日本から来た若いお方(マザーの英語はゴツゴツして聞き取り難かった)、ちょっと、その鋏をとって」。期待した答えがないので僕は更に続けた。「マザー、生まれつき病気で親に捨てられたその子の短い一生の意味は一体何だったのですか、教えてください。その子は傲慢になりようがなかった。その子の人生に一体、どんな意味があったのですか」(もしマザーがその子は今頃きっとイエス様の傍らで苦しみから開放されて幸せになっているとでも答えたら、僕の行き場のない怒りはいっぺんに爆発したかも知れない)でもマザーは僕の問いには答えず、再び「ねえ、あなた、この包帯を鋏で切ってくださいな」と答えただけだ。痺れを切らして僕はもう一度、マザーに同じ質問をした。「ねえ、マザー、どうしてその子はこの世に苦しむためだけに生まれてきたのですか」それでもマザーは何も答えずに、僕にもう一度「さあ、こっちに来てこの人に包帯を巻き終わったら、今度はご飯を食べさせてくださいな」。その時、突然僕にもマザーの真意がわかった。マザーはこう言っておられるのだ。神様が創られた、この世の中のすべての存在には意味がある。
ただ、それがすべて、今判らないからといって判るまで手を拱いていては駄目だ。大事なことは現実に今、苦しんでいる人の痛みを癒すこと。現実に今、飢えている人に食物を与えること。現実に今、裸の人に服を着せて包帯を巻いてあげること。それが私達人間(キリスト者)に出来る一番大事なことなのだ。マザーはそう言われているのだ。ここで私は眼が醒めた。あるいはその時、本物のマザーがおられたのかも知れぬ。
釈尊は何事にも執着するなという教えを徹底し『金剛経』の中で譬えをもって悟、修行、教説の関係についてこう言われる。「もし此岸が危険に満ちた所で彼岸は安全な所だとすると、その間に横たわる大河を修行者は何とか渡ろうとし、その辺にある木や植物の材料を集めて船か筏を造り、これに乗って漕ぎ渡ろう努めるだろう。では無事に彼岸に着いたら、今度はその筏を背中に担いでその後の道を歩こうとするだろうか」弟子たちは「いいえ、そうはしません。」と答えた。釈尊はそれを肯定し、今迄に教えてこられた教説をも修行者が一度、悟りに達した後は執着せず捨て去ること。求道の道では悟りにいたる釈尊の教え( 筏、無上の法) でさえ捨てらるべきだ」と諭された。これは修行の最中に仏に遇ったら仏を殺せと教える禅宗では永い間、金科玉条の如き原理として扱われてきた。
かの宗教的英才道元禅師はしかし一層高い境地から批判的にのり超えられる。即ち「只管打座」である。その意味は「ただ座れ。座禅が悟への手段ではなく座りきることがそのまま悟」である。ふつう人は座禅(修行)をして悟(宗)を得ると考える。目的は悟を得ることで座禅そのものではない。座禅はこの場合あくまでも手段。しかし今、この瞬間(永遠の今)に座禅に徹し結果として悟の境地にいたれば、それは悟を目的とし座禅をその手段としてのみ考えることと雲泥の差がある。仏道の本質から言えば宗(悟) 、説(教) 、行(修行・座禅) の三つは一如であると。だからこそ我々信徒は修行として菩薩行に励み、神仏から与えられた毎日の瞬間を精一杯生き抜く。それがイエスの言われる「永遠の生命」に到る道なのだ。神の眼から見れば、3歳が短く90歳が永いとは言えない。 (終)
5(木)50周年祭(10時聖園女学院) スポーツ大会とビンゴゲーム
6(金)初金ミサ、例会
8(日)主の昇天
15(日)聖霊降臨 藤沢ブロック集会
22(日)三位一体の主日 共助組合総会
29(日)キリストの聖体 典礼フォーラム
中高生会のお知らせ
5月5日の50周年祭「スポーツ大会とビンゴゲーム」について
1(日)午後1時から準備の集まりをします
5(木)9時、聖園女学院グランドに集合 15時30分頃、現地解散
持物 水筒と聖園女学院までの交通費
15(日)29(日)コーヒーショップ 準備を手伝える人は8時45分にセンターの台所
JOC(青年会)のお知らせ
14(土)〜15(日)全国リーダー会が札幌で開かれるために、藤沢での集会はなし
28(土)全国リーダー会の報告と「生活の見直し」
センター203号室で、夜7時〜9時 藤沢・片瀬・茅ヶ崎教会の合同です
二俣川教会のジャック神父様が協力司祭です。青年の皆さんいらしてください
教会維持費自動引落のお知らせ 今年の信徒総会でも、ご質問がありました教会維持費の、預金口座よりの自動引落が、検討の結果このたび実施できる運びとなりました。これにより、教会維持費の納入方法がより幅広く選択出来るようになります。 対象の預金口座は、手続きや手数料の関係で、とりあえず郵便貯金の「ぱるる」普通預金口座のみとさせていただきます。 教会維持費の口座自動引落をご希望の方は、教会事務所に、申し込み用紙を用意してありますので、必要事項をご記入、捺印の上ご提出ください。手続き完了後(通常1〜2週間かかります)翌月より引き落とさせていただきます。 ご質問などありましたら、財務または事務局までお問い合わせください。 |