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八 角 形 に ゅ ー す

2005年8月7日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

60年目の八月を迎えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡邉

教会委員会報告

50周年記念黙想会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 鈴木

エマオのミサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村

第五地区教会巡礼記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 飯田

草津温泉と教会訪問の旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 久枝

召命を考える集いへの思い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一粒会 金子

50周年記念沖縄スタディーツアー

サマーキャンプを終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校リーダー 井出

典礼奉仕者養成コース報告(第3回)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

三者合同一泊研修会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 三神

8月の主な行事

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60年目の八月を迎えて
渡邉

 2001年9月11日に合衆国で起きた事件以来、世界の暴力化はますますひどいものになったように思います。今この世界をどのように受け取っていったらよいかさまざまな人の語るのに耳を傾けてきました。今度、藤沢教会50周企画としての沖縄スタディーツアーに同行しましたが、沖縄ということでは筑紫哲哉が今の世界の状況を世界の沖縄化だと捉えていたのを思い出します。アメリカ政府は沖縄を抑えることによってアジアを押さえている。そのようにイラクを押さえることによって中東を押さえようとしている。60年かけて沖縄でやって来たことを今、イラクでいっきにやろうとしており、全世界をそこに巻き込んでいる。そしてまた、この世界状況の中を私たちが生き残るためにいかに生きたらいいか、沖縄の人たちが60年間歩んできた道からヒントを得ることが出来ないと言い、米軍統治時代、沖縄の人々は自らの文化を大切にし琉球王朝最盛期以来の「第二の文化黄金時代」ともなり、自らの文化を大切にすることによって、生き残ったのだということを指摘する。そんなことからも、沖縄は行って見たい所でしたが、今回が初めての沖縄でした。

 実際に沖縄の地を踏み、3泊4日の滞在では何かわかったといえるようなものではないにしても本や映像から得る知識ではとどかないところを感じました。多くの方が亡くなった壕の前に立ちその中に入り、また、多くの戦死者を出した沖縄南部の地を車で走らせながら、その戦死者の数が20万人を越えるという数だけでなく、戦争が終わり畑をしようと土地を耕すとどの土地からも人骨が出てきて、まず骨集めからしなければならなかったという土地、そして、今もなお人骨が出たり不発弾がでるという地を巡りながら感じたこと。

 60年前の戦争で、本土にアメリカ軍が上陸するのを少しでも遅らせようと、捨て石とされたというばかりでなく今もなお沖縄が日本に返還された後も沖縄ばかりが米軍基地を押しつけられている中で、その広大な基地を前にして、また一年前に米軍のヘリコプターが墜落した沖縄国際大学の事故現場を前にして感じたこと。また、沖縄の地に住む人々に会い、その踏みにじられた歴史を聞き、その人々の痛みに触れたこと。しかし一方、辺野古で米軍のヘリポート建設阻止、命を投げ出して座り続ける人々の力強さに触れて感じたこと。

 いま、日本はイラクに自衛隊を送っています。幾つかの記事によると、イラク復興支援とは名ばかりで主な仕事はアメリカ軍兵士の輸送、アメリカ軍への給油などでアメリカ軍支援と言った方がよいとのこと。そのアメリカによって始められた戦争は今となっては何の合法的な理由もないことは明らかになりました。自衛隊はアメリカ軍によるイラクへの侵略戦争に加担しており、私たちは戦争の加害者となっている傷みを感じます。

 この加害者としての痛みについても沖縄の良心はベトナム戦争において、沖縄から飛び立つ爆撃機がベトナムの人々を殺してきたことに痛み、イラク戦争においてもたとえ自衛隊を送らなくても、イラクへ行ったアメリカ軍は沖縄から出て行ったのであり、そのアメリカ軍の基地は私たち、日本人の税金によって賄われていて、私たちはアメリカ軍によってなされた戦争においてすでに加害者となっていることを痛んでいました。

 戦後60年の今、このような世界状況の中、非戦を誓った憲法九条はずたずたにされています。日本政府は現状にあった戦争の出来る憲法に変えて行きたい意向のようです。戦争をしないという誓いを戦争の出来る憲法に変えて行きたい意向のようです。戦争をしないという誓いを憲法に盛り込むにいたったのには踏みにじられた多くの貴い命の犠牲ということがあったことを思いおこしたいです。そして、これからの世界において様々な、理由からもはや戦争は不可能だということに自覚したいです。

 剣を鋤とし、槍を鎌とする日を共に祈りたいです。



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教会委員会報告 (7月16日)

【討議事項】

(1)名簿作成について

 6月の教会委員会でブロックごとに改めて広く意見を求めるという方向に従って各ブロック代表が意見集約を行った結果が発表された。それによるとまず名簿をその必要性から作成するかしないかに関しては、作成しないという意見は全くなかった。また、内容については現名簿の後半の部分であるインデックス(氏名、地区、電話番号のみ)だけでよいという意見も少なからずあったが、現名簿と同じ内容のものを望む声が強かった。これをふまえて討議した結果、名簿は作成することとし、その内容については現名簿どおりかインデックスだけとするかはほぼ同数の意見であったが、最終的には現名簿と同じ内容のものとすることに決まった。

 具体的な作成・配布手順等はこれから検討するが、注文を受けて作成すること、費用は一部負担することもある。

(2)50周年記念ミサ

 11月20日(日)梅村司教様の司式によっておこなわれる記念ミサにおける招待者、典礼、式典およびその後のレセプション、記念品等についての案が50周年企画調整チームから示された。国際部から外国人の参加をしやすくするため、ミサ開始時間を少しでもおくらせて欲しいとの意見があった。

【報告事項】

(1)財務報告

 本年度の本部納入金(宗教活動費)1,747万円を一括して納付したため、6月末までの累計収支では1,000万円のマイナスとなっているが、これを調整するとほぼバランスのとれた動きとなっている。 事務運営費が昨年度比増加しているのは50周年記念事業の一つとして司祭館、センターの什器を更新したことによる。

(2)共同体奉仕者養成コース

 八角形にゅーす第160号(5月1日発行)で詳細をお知らせした各種コースのうち、当教会からは典礼奉仕者養成に毎回3名、入門講座指導者(ヘルパー)養成には鈴木神父、久我神父のコースに各3名、また司祭、修道者、信徒合同一泊研修会に1名が参加する。参加者からのフィードバックを生かすようにしたい。

(3)50周年関係

  1. 沖縄スタディツアー 7月26〜29日 中高生8名(男女各4名)が参加

  2. 湘南台センター講演会 9月10日(土)兼子盾夫氏

  3. 聖堂コンサート 10月1日(土) 3団体が出演

  4. 展示会 「み言葉を書く会」の作品展示予定

  5. 文化講演会  11月19日(土)三浦朱門氏

(4)典礼

 主任司祭に聖堂配置について一任することになった。指示に従って実際の配置を検討する。

(5)合葬

 近隣の方々と教会のチームとで7月24日に第1回の話し合いを行う。お互いの気持が分り合えるような話し合いを継続したい。

(6)ブロック

  1. 鵠沼  7月24日第1回バザー実行委員会を行う。各ブロックから2名以上が委員として選出されている。

(7)活動部

  1. 福祉部 敬老会 9月15日(木)11時から、昨年同様日頃教会に来ることが難しい方々も招いて行う。

  2. 教育部 教会学校サマーキャンプ 7月23,24日少年の森25名が参加

  3. 宣教部 宣教フォーラム 「宣教は、楽しいですか?」のテーマで明年1月に行う。



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50周年記念黙想会
辻堂1区 鈴木

 6月25日土曜日聖園マリア幼稚園を会場に、50周年記念行事の一環として各ブロック共催の黙想会が開催されました。御受難修道会の國井健宏神父様ご指導の下、60人程の参加者が日常の慌しさから離れて心静かに神のみ言葉を味わい祈る1日を過ごしました。午前の部には、渡辺神父、高野神父も参加されました。

 午前中の講話の冒頭で神父様は「自分の人生をどういう風に歩いて来ているか、どこに歩いて行こうとしているかを確認する恵みの時として欲しい。共同体としてどこに進んで行くのだろうか、人生の四つ角に立ち止まって振り返る時として欲しい」とおっしゃいました。神父様が心をこめ語られる聖書のみ言葉からは、その場の情景や人々の表情が生き生きと浮かび、人々の気持ちまでが伝わって来るようでした。

 マルコ10章エリコの盲人バルティマイの話…彼の信仰宣言とも思える精一杯の魂の叫びにイエスは応えて下さり、バルティマイは大喜びでイエスの後をついて行った。「私に何をして欲しいのか」と、今イエスに問われたら、私たちはどんなお願いをするのでしょうか?自分のこと?家族のこと?友だちのこと?神父様はご自分なら「あなたが一番望んでいることをして下さい」とお願いするとのこと。神は私に対して何か望みを持っていらっしゃるかもしれない。私たちはどういう神様にお願いしているのか、どういう神様を信頼しているのか想ってみて欲しい。

 また旧約の神は正義、怒り、罰の神であり、新約の神は憐れみ、赦し、慈しみの神である、と言われることが多いが、新約でイエスが示した神は、旧約で既に登場している。ベテルの預言者ホセアが苦悩の中で召し出された話が紹介された。旧約を通して語られる神と民の関係、ヤーウェとイスラエルの民は契約を結び特別な関係であったにも拘らず、民はカナンの地に入っても裏切りの連続で、そのたびに神は「もう一度」といって民を赦し愛して下さった。この「もう一度」という神の心は新約におけるイエスのメッセージと同じで、イエスとホセアの姿は重なる。講話の最後に重ねて強調されたのは「キリスト者として、人間として、私たちの姿は神の御心に適っているか。もし神が望んでおられないものを望んでいるとしたら、それは叶わないか、叶っても決して幸せにはなれない」ということであり、私が信仰者として望んでいること、一番願っていることについて黙想して午前の部が終了しました。

 午後の部は、何故日曜日にミサに行くのか?教会は何故日曜日のミサを大切にしているのか?という話で始まりました。初代教会の、エマオの2人の弟子に代表される使徒たちの体験を振り返ることで、日曜日の大切さがわかる、とのことでした。イエスは魅力のある人だった。イエスの話は、人の話の引用ではなく、迫力が感じられ、権威を持って話す人だった。だから弟子たちは皆、全てを捨ててイエスについて行った。だが、彼らには野心や計算もあり、最後の晩餐の席でさえ弟子たちは言い争いをしていた。その彼らがイエスの受難に直面してどうなったか。「死んでも離れません」と言っていたのに、「私は知らない」と3回も言ったペトロを見つめるイエスの眼差し…どんな眼差しであったのか…ペトロは激しく泣いた。ペトロだけでなく皆散り散りに逃げた。イエスが一番友だちを必要とした時、その十字架を背負ったのは、弟子たちではなく、キレネのシモンだった。弟子たちは群集の中に紛れ込んでイエスの最期を見た。十字架上のイエスを"どうして力を現してくれないのか"と胸の張り裂けそうな思いで見つめながら…。全部を捨ててついて行ったはずなのに、友だちらしいことは何一つイエスに対してせず、今の自分に残ったものは、自己中心、口先人間、無責任…自分のようにいやらしい人間はいない…。エマオに向かう弟子たちと一緒にイエスが歩き出されたが、"彼らは目が閉ざされていて分らなかった"―3日前まで一緒にいたのに分らない―それほど彼らの心の闇は深かった。イエスに合わせる顔がない、絶望、自己嫌悪、罪深さの中であがいていた弟子たち…。自分で罪を犯して、自分の罪を赦せない、底無し沼に落ち込んであがけばあがくほど落ちていく、そんな絶望のどん底にいる弟子たちに、イエスが触れて下さり、一挙に暗闇を光に変えて下さった。こんな私をイエスは愛し赦して下さっている、こんな私が今愛され赦されている、生きていていいんだ…。

 悩み苦しむ魂に触れて下さるのは神様だけ。そのように今働いて下さる方は今確かに生きておられる。復活は深い内面的出来事であって、根源的な回心を体験しなければ分からない。自分は闇しか作らない人間なのに、主は私を光で満たして下さった。その体験が聖霊降臨である。"弟子たちは信じなかった"―信じられなかった、信じる為には回心が必要だった。復活信仰=回心である。愛し赦されている=じかに魂に触れて下さった、ということ。そんなことは、生きておられなければ出来ない。そして弟子たちの多くが殉教した。しかし弟子たちの宣教によってイエスがメシア(救い主)だと受入れた人々は、どうやって信仰を守っていった(いく)のか?その為に日曜日のミサがある。"私(イエス)があなたにとってどういう救い主であるか、心に刻んで毎日生きて行きなさい"――ひとりでは信仰を守ることは出来ない、キリストの体として集まること、共同体として集まることが必要。私が行かなければキリストの体は欠けたものとなってしまう、定期的に集まることで共同体として信仰を伝えていくことが出来る。天気と同じように信仰も良い時も悪い時もある。信仰を保つ為には集まることが必要。

 講話後、少しの間黙想の時を持ち、その後は参加者全員でミサが捧げられました。ミサはエルサレムからエマオへの道をたどる形で行なわれました。ホールの正面をエルサレムとし、そこで聖書朗読が行なわれます。イエスと弟子たち(司祭と信徒数人)がエマオ(部屋の後方)への道(真ん中の通路)を下り移動します。その道の両側には民衆がいます(会衆席)。エマオに着いてもイエスと弟子たちの会話(聖書朗読)は続きます。エマオで私たちは、主イエス御自身がパンを割いて下さる場面に立ち会い、食卓を共にします(感謝の食卓)。「主だ」と分かった弟子たちは、回心したその燃え上がった心と共に(イエスと共に)、再び仲間の待っているエルサレムへの道を上り、急ぎ帰って行くのです(派遣)。主日(日曜日)のミサとは違う部分が幾つもあるものの、私たち主イエスを信じて生きる者が、何故ミサを大切にするのか、集まって食卓を囲むことを何故必要とするのか、ミサの意味をよく考え味わうのにとても良い体験が出来たように思います。

 外は陽射しが強く暑い一日でしたが、冷房が必要ないほど涼しい風が抜けていく幼稚園のホールをお借りしての黙想会は、日常から離れて自分を見つめる良い機会であったと同時に、ミサと生活をしっかり結びつける為の恵みのひとときであったように感じています。



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エマオのミサ
善行 岡村

 黙想会のために国井神父が考案されたミサを体験して、ミサについていろいろ考えさせられました。第一に、復活されたキリストがエマオで二人の弟子とされた会食をミサに見たてたことです。復活されたイエスが、道々二人に話されたことは、み言葉の祭儀になっていて、その後の会食が感謝の祭儀になっているのです。復活されたキリストが弟子に会い会食されたのは、おそらくこれが初めてでしょう。二人は、聖書を長い間聴いて来て居たのに、その思いや考えに妨げられて、キリストの十字架上の死が復活につながると気付いていなかったし、生前のイエスの予告も聞えなかったのです。

 私たちも同じように日常生活の対応の仕方に妨げられていて、聖書と日々の引合わせを通して語られているいのちの言葉を聞き漏らしているのです。み言葉の祭儀には、改めてその妨げを取り除き、呼びかけ、日々私たちがまさに目の前にしている現実を、しっかり見聞きするように変えるはたらきがあります。それはまた、今も私たちの中に続いている、死から生へ私たちを解放する救いの御わざに招くキリストの、「わたしについて来なさい」という呼びかけでもあります。ミサが私たちの回心の祈りからはじまるのは、その呼びかけに応えるためなのです。

 主は復活されたと悟った二人は、ただちにエルサレム、復活されたキリストが御わざをはじめて居られるところへとって返します。これは目覚めさせられた二人の復活されたキリストによる派遣です。人々のなかでキリストの死と復活を証しするために。そして国井神父は、エマオへの道は下りで、エルサレムへの道は上りであると言います。み言葉を聴いて二人は、信じない者ではなく信じて生きる者になったのです。み言葉を、いのちの言葉とも言うのは、死から生へ私たちを開放するからです。

 エマオのミサでは、キリストは既に死んで復活されているので、それに気付かない二人の弟子は、日々引合わされて居るキリストの現実に気付かずに眠っている私たちを表しているのかも知れません。まことに黙想会にふさわしいミサではありませんか。これで、ミサで聖体祭儀の前にみ言葉の祭儀が欠かせない意味がはっきりします。私たちの感謝とは何に対しての感謝なのかも明らかです(感謝の祭儀とも言われます)。思いや考えに囚われて眠っているいる私たちを解放し、そのいのちの創造の御わざに必要とされて、呼びかけ招いてくださることに対しての感謝なのです。その感謝の表れが、復活されたキリストによる派遣に、私たちが応えることではありませんか。

 もしも派遣がなければ、私たちがキリストの身体になる意味はありません。共同体とは従ってキリストの名つまり、キリストのはたらきによって呼びかけられ集められる共同体ではないでしょうか。



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第五地区教会巡礼記
大庭 飯田

 6月5日の第一回地区巡礼に参加して早や1ヶ月7月3日の第二回も参加いたしました。実は本年の壮年部新年会の席上で、他の信徒さんとの懇談の時、有志をつのって近隣教会訪問をしたいものと個人的に語っていたこともあり、今回のこの企画にはその先取りと思い喜んで参加した次第です。巡礼は本来皆さんと一緒に電車、バスを利用したかったのですが、家内の身体の都合もあり車の利用を許していただきました。幸い大庭地区のH氏の奥様から同乗したい旨申し入れがありましたので、思わぬボランティアの実践の運びとなり、道中退屈もせず楽しい巡礼となりました。

 今回20名の参加者は、原宿教会・戸塚教会・中和田教会のコースを選択しました。午前中は素晴らしい敷地内にある原宿教会を訪問、9時のミサに参加することが出来ました。多くのシスターや信徒の皆さんに出迎えられ親しく話し合いをすることが出来ました。特にシスター西には最後まで気を使っていただき家内は大変感激しておりました。ミサ終了後美味しいコーヒー、紅茶をご馳走になり戸塚へ移動。途中戸塚駅前の渋滞も何とか乗り切って戸塚教会を訪問。丁度聖堂内で信徒の方々による賛美歌練習中で邪魔にならぬよう拝聴。何時聞いても素晴らしいものです。聖堂内の脇室のご聖体を訪問しているうちに逆コースの別班と合流。二階のホールで神父様を交えようやく皆で昼食、狭い敷地内に聖堂を優先的に建てたため他の施設は犠牲になってしまったとの事、狭いホールは皆様の熱気でいっぱいでした。途中Y氏の奥様から珍しい、たい焼きの差し入れがあり、疲れた身体には勇気百倍の源となりました(これは家内談)。昼食後別班と別れ最後の中和田教会へ移動。当教会は地下鉄が通ってから交通の便が至極良くなったそうで、敷地は今は珍しい砂利敷。また裏側には信徒さんが借用している広大な畑があり、丹精込めたキレイな花や実益を兼ねた野菜類が沢山植っておりました。収穫後はバザーの商品として大活躍しているとの事です。教会全体はモルタル造りのこじんまりとした建物で、何か教会の原点に立ち戻ったような感じがしました。当日は高野神父さまがおられ私達を出迎えてくださいました。常駐する神父様がおられないので、藤沢教会兼任の鈴木神父、渡辺神父、高野神父の三名が交代でミサをとり行っているとの事でした。ご聖堂で高野神父様を囲み全員でお祈り、巡礼の無事と成功を神に感謝いたしました。最後に教会の信徒の皆さんと茶菓を囲みながら懇談し、あっというまの一日でした。帰り際曇っていた空から雨がポツリポツリ落ちてきて、でも一日中降られずに本当にラッキーでした。

 このようにして巡礼も無事終了。どの教会でも神父様、信徒の皆様方、またシスター方の暖かい歓迎を受け分かち合いが出来た事は素晴らしく、地区共同体としての意識の大切さを親近感と共に共有出来た事を今更ながら神に感謝です。私達も他教会からの訪問には、同じ思いで接しなければと思いました。願わくは第五地区の他の教会訪問を引き続き企画していただきたく、今回の企画を立案した皆様には感謝の念を持って、ペンを置く次第です。



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草津温泉と教会訪問の旅
鵠沼3区 久枝

 毎週月曜日に集る私達エルダーズの会では最近の旅行体験などを踏まえ、教会訪問と温泉で憩う集いを計画しました。私とKさんが調査提案役を引き受け、旅行会社と話し合いを重ねました。まず旅行の目的は美しい緑あふれるコースをゆったりと旅すること、宿泊地は温泉、2ヶ所以上の教会を巡礼すること、そしてより楽しい仲間作りができること、などでした。募集も無事終り、25人乗りバスに総勢23名、高野神父様が同行してくださることになり勇気100倍、当日を迎えました。

 7月6日朝9時教会を出発し、パーキングエリアでの休憩を入れながら軽井沢教会へ。道中ジュース(一日分の野菜)、緑茶などのサービスもおつなものでした。70年の歴史が創り出す軽井沢教会ではカルロス神父様が笑顔で迎えてくださり、共に聖歌を歌い、お祈りのひと時を持ちました。宿泊地草津までの深緑に心も体もあらわれるようなドライブを満喫することができ、ホテルに到着。ホテルビレッジのロケーションは絶景、連泊したくなるようでした。日本有数の温泉地で心と体を休め、美味しい夕食を頂きながら分ち合いもとても有意義なものでした。

 7月7日(2日目)の長野教会は非常に美しく重みのある聖堂でした。高野神父様司式のミサに皆感謝と感動の内に参加しました。 ミサ後婦人会の方々が長野ならではのお漬物と美味しいお茶で大歓迎して下さり、親睦のひと時をたのしませていただきました。まだまだ続けたい旅でしたが一路藤沢へ。お一人の怪我人もなく、渋滞にも会わず、無事旅を終えることが出来ました。これも一重に神様のおとりなしによるものと一同深く感謝いたしました。後でお聞きしたところでは教会出発の折見送ってくださった鈴木神父様が、9時のミサの中で一行の無事を皆様と共にお祈りくださったとのこと、本当に感銘を受けました。有り難うございました。礼儀正しかったドライバーさんにも恵まれ、気持良く旅が出来ました。因みに今回の旅の参加者は男性9名、女性14名、70才以上8名、60才以上10名、50才以上5名でした。旅の余韻を残しながら帰宅と同時に知ったのがロンドンでの同時爆破テロ事件、藤沢での落雷ニュース、僅か2日の旅の間の出来事、めまぐるしく動く最近の世界そのもので、これもこの旅を忘れない思い出になることと思います。

 エルダーズの会では沢山の方々の応援を頂きながらこれからも巡礼の旅を企画したいと思います(宿泊は温泉地ですね)。その折にはどうぞ多数の方々がご参加下さいますようにお誘い申し上げます。

 神に感謝、神父様方に感謝、そして支えて下さった全ての方々に心から感謝申し上げます。



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召命を考える集いへの思い
一粒会 金子

 毎年、復活節第4主日は召命祈願日として司祭、修道者への招き(召命)にひとりでも多くの人がこたえることができるよう祈りを捧げる日とされています。藤沢教会では、この召命祈願の行いとして、教会の若い人たちが自らの召命について静かに考えてほしいということで、その集いを毎年の教会活動のひとつとしておこなうこととしました。そこで、これまで教会の中高生や青年たちとの関わりや、活動目的として召命について関係している教育部、宣教部、中高生会、リーダー会そして一粒会が主体となり、「中高生及び青年の召命を考える集い」の準備を2月から進めてきましたが、この7月10日に召命を考える集いを行いました。

 最初、この集いをどのように進めていけばいいのか話し合う中で、2001年の「世界召命祈願日」に教皇様が著された「召命としてのいのち」を読みました。そこからは、人の尊厳の最も崇高な面は、人が神様と交わるよう召命を受けていることであり、人が生涯の完成に向かって歩みながら自分の個性に従って成長していくためには、その基礎を神様との対話のうちに置かなければならないことを学びました。そしてその一人ひとりの召命の原点は、「神様はいつも私とともにいらっしゃる」ということです。そのことに一人ひとりが、まず気づき、そして自分の生き方の中心にいつも神様がおられる。そして「神様は、この私に何をお望みになられているのか」という問いかけに対して、「この私はどう答えていけるのか」がまず大切なことではないかということとなりました。

 これらのことから、集いの中心テーマは、すべての若い人にとって「神様、あなたはわたしを心にかけ、わたしのすべてを知っておられます」ということとなりました。その召命の原点は、やはり「神様はいつも私とともにいらっしゃる」ということです。「神様は、この私に何をお望みになられるのか」一人ひとり、自分の心の奥に問いかけられる、そしてありのままの私に働きかけられる神様の声を聴いてみることが大切ではないかということとなりました。この集いの中では、普段静かな時間の中で御ことばを味わうことに慣れていない若い人たちが親しみやすい流行歌や短くても想像力をかきたてる御ことばへの黙想と分かち合いを通して、「イエス様と私」との世界を少しでも感じてほしい、そんな思いから集いの内容を検討してきました。

 皆さんは、歌手平原綾香さんの歌う「JUPITER」をご存じでしょうか。有名なホルストの「惑星」から、ジュピター「木星」の曲に詩を付け、平原綾香さんが歌ったものです。宇宙の無限の壮大さを感じさせるメロディの中に、とても大きな自然界の摂理と自分との関係を歌っています。この歌を、集いのテーマでもあります「神様とわたし」の関係にそのまま置き換えても、自然に受けとめることができる、そんな歌だと思います。この歌詞をもとに、「神様とわたし」、「イエス様とわたし」というつながりを想像し、歌詞を黙読しながら自分の心に響くところに線を引き、なぜそう感じるのか黙想しました。その後、皆が感じたところを分かち合いました。人それぞれ感じるところ、惹かれるところが違うことについても、相手の話をよく聴き、それぞれの考え方や感じ方もあるということを気づきました。

 一人ひとり、皆、神様から愛され、神様に目を向けた生き方、一人ひとりに求められる生き方について、マタイ福音書から「あなたがたは地の塩、世の光である」を黙想し、その役割について静かなひとときの中で黙想しました。

 「塩」は私たちの生活に欠くことのできない調味料です。「地の塩」とは、一見すると無味乾燥なこの世界にあっても、一人ひとりが関わる人たちからその人の味わいを引き出す人のことでもあります。イエス様から、「あなた方は地の塩である」と呼びかけられている私たちは、どのような働きをするのでしょうか。実際に、「地の塩」の意味を味わうために、岩塩のかけらを口に含んで味わってみました。「塩がこんなに奥深い味だったのか」など、皆それぞれあらたな感じ方もあることに気づきました。

 「光」の働きも、これに似ています。「世の光」とは、この世界を明るく照らし、人の心を暖かいものにする働きに関係しています。つまり「地の塩」も「世の光」も、この世界に彩りを与えて味わいあるものにする、生きるに値する美しいものにするということです。

 集いの最後には皆で輪を作り、その中央に灯されたロウソクの小さな光を見つめ、私たちが「世の光」として働くことを黙想しました。イエス様は、「地の塩、世の光になりなさい」と命じておられるのではありません。イエス様は「いまのあなたは地の塩なんです」「ありのままの、いまのあなたは世の光りなのです」と仰います。神様はありのままの私を愛してくださり、キリストの光を受け、その愛に生かされている私たちは、もう既に地の塩であり、世の光なのです。大切なことはそのことに気づくこと。そして神様が求められる自分の役割を意識し、一人ひとりがそれぞれのやり方で周りの人を活かすことができることを感謝し、祈りの中で集いを終わりました。

 最後に、高野神父様をはじめ、準備を進めてくださったスタッフの皆様、そしてこの集いに参加してくださった中高生、青年の皆様に感謝致します。この集いの恵みをお与えくださった神様に感謝致します。



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50周年記念沖縄スタディーツアー
50周年企画調整チーム 小藤

50周年記念事業の若者を対象としたプロジェクトとして企画された沖縄スタディーツアーは中高生7名(男子4名、女子3名)に神学生(宮内 毅君)を加えた8名の参加者、山口道孝神父、渡辺裕成神父、引率者2名の総勢12名で7月26日から29日の4日間にかけて、天候にも恵まれ、無事終了しました。これも皆様のご理解とご支援の賜物と感謝いたします。特に私たち一行を温かく迎え入れ、移動のための車2台と素晴らしい自然環境の中にある黙想の家を宿泊のために提供して下さった那覇教区の押川司教様はじめ関係者の方々にこの紙面をお借りして厚くお礼申し上げたいと思います。ツアーの内容については以下の参加者のレポートをお読み下さい。また8月下旬には報告会も予定しています。

沖縄スタディーツアーに参加して

橋本

 7月26日から29日にかけて藤沢教会50周年記念企画の沖縄スタディーツアーに参加させていただきました。僕は、以前にも二度ほど沖縄に行ったことがありましたが、今回のように戦跡や資料館をゆっくりと訪れたり、島のご老人や牧師さんのお話を伺ったりするのは初めてのことで、とても貴重な体験をさせて頂いたと思っています。

 ツアー初日は太平洋戦争のときに陸軍病院として使用した鍾乳洞の上に立つひめゆりの塔や、沖縄戦の戦没者の名が刻まれた石碑のある摩文仁の丘を訪れました。その後、重症患者を収容していた糸数壕の中に入り、暗闇の中で亡くなった人々のために皆で祈りました。旅行の直前に見た映画「ひめゆりの塔」や、資料館の展示物、戦火を生きのびた方の証言などから戦争のむごさ、醜さを実感し、このようなことを二度と繰り返してはならないと強く感じました。またこの日案内してくださった山田さんの、「君たち若い世代は将来歴史の証人としてこれらのことを語り継いでいくのだ。」という言葉にはとても重みがあり、深く考えさせられました。

 翌日は世界遺産の斎場御嶽を見学した後フェリーで久高島に向かいました。島の酋長こと元久高島区長は長いあごひげを生やした老人で、ユーモアをまじえつつ島を案内してくださいました。その夜は本島に戻り、長い間平和活動に携わっておられる牧師の山崎さんから沖縄の歴史や平和活動についての話を伺いました。

 3日目は展望台から普天間・嘉手納の米軍基地をのぞみ、毎年日本政府が基地に数千億円もの資金をつぎ込んでいることを知って、やりきれなさを感じました。その後訪れたちびちり壕では自分と同じぐらいの年齢の多くの若者が壕の中で自決したことに衝撃を受けました。午後からはミッションビーチで泳ぎ、ウニ、ナマコ、タコを捕まえたりして楽しみました。

 最終日は、黙想の家の庭でミサにあずかった後、大規模な基地の建設予定地となっている辺野古を訪れました。そこで座り込みなどの反対運動を行っている団体の理事の方から防波堤の上で基地建設が辺野古の自然豊かな海にもたらす影響について伺い、ここには絶対に基地を作ってはならないと強く感じました。

 今回の旅行では、沖縄の歴史や文化に加え、人々の平和への切実な思いを知ることができました。この沖縄の人々の思いを自分のものとして日々の生活の中で活かして生きたいと思っています。

最後に送り出してくださった教会の方々やお世話になった方々に心からお礼を申し上げます。有り難うございました。

岡田

 私がこのスタディツアーで一番印象に残ったものは、ひめゆり平和祈念資料館です。

 そこには、沖縄戦でのアメリカ軍の無血上陸、ひめゆり部隊、戦争の悲惨さなどが多数展示されていました。中でも衝撃を受けたものは、証言文集の中の「従軍看護婦について」のコーナーの一冊でした。それは次のような内容でした。

「看護していた15歳の負傷兵が急に、私の腕を強く掴んで『あぁ、お姉ちゃん、迎えに来てくれたんだね。お母さんにも心配させてごめん。』私のことを姉だと勘違いして泣きながらこう言ったので、ついもらい泣きしてしまいました。…」

 自分と同じ歳の少年が戦争にかり出されたと知り、私は衝撃を受けました。私の想像では、本当は兵隊に行きたくなかったのに、お国のためだと思って行き、帰らぬ人になってしまったのだと思います。自分を重ねて、とても心が痛みました。戦争がなかったら、家族と楽しく暮らせたことでしょう。

 この少年や、ひめゆり部隊の人々、ほかにも戦争に行って帰らぬ人になってしまった人々のご冥福を祈ると共に、二度とこのような尊い生命の犠牲を出さないために、平和な世界を築いて行くよう努力して行きたいと思います。そのためにも、ひめゆり平和祈念資料館をまた訪れて、じっくり観ることができればと思います。

日野水

 沖縄と聞いて、まず最初に浮かぶイメージは"青い海 青い空"でした。しかし、現実はそんな甘いものではありませんでした。

 初日のひめゆりの塔は、本で読んで知っていましたが、実際に体験談を聞いて、戦争で追いつめられた女性や子供たちの気持ちが良くわかって、胸が痛くなる思いでした。

 二日目は、久高島の方のお話しを聞き、昔からある神さまが住んでいるといわれているウタキという所を見ました。ここには、王族と女性しか入れないそうです。戦争で破壊されてしまったのにもかかわらず、今も変わらず昔の伝統を守って生活している姿に尊敬の気持ちがわきました。沖縄にいくつかある米軍の基地についても学びました。米軍は美しい海を埋め立てて基地を作ろうとしています。反対している人の気持ちがよくわかり悲しくなりました。

 今回のツアーで感じたのは、いつまでも自然の美しさを残したいということと戦争の悲惨さでした。

山本

一日目に「ひめゆり平和祈念資料館」へ行きました。私は、沖縄での戦争の事はなにも知らなくて資料館の中に入ってこんなに大変な戦争だったんだ!とびっくりしました。その中でも2階の証言のコーナーで読んだ本がものすごく心に残りました。足が吹っ飛んでいたとか、見たら友達の頭が無かったなど普通では考えられない事が書いてありました。これを読んだあと、本当に戦争はしてはいけないと思いました。

石田

 僕は沖縄に行く前まで、海のことばかり考えていました。しかし、沖縄に行くと、戦争という悲しい出来事があった事を思い出しました。実は僕の祖父の兄も沖縄戦によって戦死しました。そこで、平和の礎を見に行きましたが、その時戦争の悲惨さを改めて実感しました。戦争はいけないという事が世界中に伝わってほしいと思いました。しかし、沖縄は戦争だけではありませんでした。二日目は久高島の酋長の楽しい話を聞き、久高島の人々の深い関わりを感じました。三日目は海に行って遊び、バナナボートで満点のスリルを味わいました。そして四日目、沖縄最後の日は、沖縄に新たに基地を作らせまいとする人々の強い団結力を感じ、首里城の立派さに驚きました。沖縄には戦争だけでなく、きれいな海やたくさんの自然、人々の深い絆もあると改めて感じました。そういう意味で、このツアーは色々な知識を学べた大切な機会だったと思います。

近藤

 初日は台風から逃げるように出発しました。沖縄に着いたあと、ひめゆりの塔や平和祈念資料館などを見学して、戦争がもたらす残酷さや悲惨さを感じました。

 二日目は主に昔の琉球王国の宗教の遺跡を見学しました。女性が男性より位が高いということが私にとって新鮮でした。

 三日目は1996年に日本政府が7年後に返還すると発表したが未だに返されてない米軍の普天間基地や嘉手納基地を遠望しました。昼はプライベートビーチで泳ぎました。沖縄の海は雑菌がほとんどないので塩の匂いがあまりなく、日頃の天候のせいもあって水がどんどん蒸発し、塩が海の表面まで上がるのでとても塩辛いです。

 四日目は辺野古周辺を見学しました。ここは普天間基地を返還するかわりに基地が移設される場所です。

 全体を通して一番印象に残ったのは初日に行った糸数壕です。戦争当時に使われていた洞窟の一つで、爆風によって天井に張り付いた残骸などがまだ生々しく残っています。

中和田教会 美底

 私は、このツアーでいろいろなことを聞いたり、見たりしました。

 一日目は、ひめゆりの塔や糸数壕を見に行きました。ひめゆりの塔平和祈念資料館では、自分が実際に、そこにいるような気になって、とても怖くなりました。一日目で、戦争はあってはいけないと改めて思いました。

 二日目では、久高島の島内遺跡を見学しました。久高島の昔からある文化を聞いて、もっと知りたいなと思いました。

 三日目は、嘉手納基地を遠望しました。とても大きい基地に圧倒されながら、早く基地が無くなってほしいと思いました。

 四日目では首里城を見学しました。沖縄は昔、いろいろな国とつながりを持ち、深いつながりを持っているのを知って、自分が思っていた沖縄と違う沖縄が見えました。

 私は、このツアーでいろいろな事を体験しました。これから、私達がツアーで体験した事を教えて、平和な世界が続くようにしたいです。

横浜教区神学生 宮内

 今回のプログラムでいちばん強く印象に残っているのは、ツアーの始めに訪れた、ひめゆり平和祈念資料館でした。実は、私はちょうどツアーの前日に映画「ひめゆりの塔」を見ていました。それは、山口神父様がツアーの事前学習として見ておくようにと、おっしゃっていたからです。映画自体とてもショッキングな内容でしたが、その印象が薄れる前に資料館に行くことが出来たのは、本当によかったと思います。記憶していた映画の登場人物の名前が、展示してあるひめゆり部隊の生徒達や引率なさった先生方の名前と同じだということに気付いた時、あの映画の出来事は事実だったのだ、映画の中だけのことではなかったのだと実感させられました。同時に、この余りにも悲惨な出来事を、一体どうやって自分の中で消化していったらいいのかわからず戸惑いました。帰ってきた今、この戸惑いを忘れず、心に抱き続けていきたいと思っています。



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サマーキャンプを終えて
日曜学校リーダー 井出

 7月23日・24日、日曜学校のサマーキャンプに土曜学校の子供達も加わり少年の森(藤沢市打戻)へ行ってきました。暑さが心配でしたが、幸い曇天で涼しく、小雨は降ったものの全てのスケジュールを無事に行うことが出来ました。地震にはびっくりしましたが、何事もなくほっとしました。参加者は、子供24名、同行のお母様5名、リーダー達10名高野神父様の総勢40名、また夕方からは渡辺神父様もかけつけて下さいました。キャンプでの出来事をできるだけ子供の目線で思い返してみたいと思います。

朝早くからお弁当を作ってくれたお母さん、とってもおいしいよ!
教会ではこんなに長く遊んだり、おしゃべりした事なかったね神父様
キャンプ場のお兄さんお姉さんのあだ名は面白いね、楽しそうだね
かまどでお米を炊くのを初めて見たけどお母さん達すごいね
おやつのスイカ、スイカ割りして食べたらとってもおいしかったよ
お夕食のおにぎり、ぶた汁、ソーセージとってもおいしかったよ!

地震にはびっくりしたね、地ひびきがしたよ
キャンプファイヤー お兄さんお姉さん面白いゲーム沢山知っているんだね
初めてテントで寝るの わくわくするな 寝ぞうは大丈夫かな
おしゃべりが楽しくてなかなか眠れないな
6時に起きればいいのにもう目が覚めちゃったよ もうすぐ5時!
こんな朝早くから遊んだことないよ 楽しいな!
ごミサってどこでもできるんだね 神父様
ご聖体にぶどう酒をつけていただくのはじめて! 変な味!!
キャンプはもうすぐ終わっちゃうけど、早くお父さんお母さんに会いたいな!

このキャンプに参加された一人一人、また送り出してお家で待っていて下さった一人一人への神様の大きなお恵みを感謝したと思います。最後にキャンプの為に様々なご協力をいただきました保護者の皆様、神父様、リーダー、ひろや君ありがとうございました。



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典礼奉仕者養成コース報告(第3回)
典礼部

「主日のミサにおける信徒の奉仕」

1.ミサを捧げる共同体

1)「ミサの祭儀はキリストの行為であり・・・神の民の行為である」(ミサ典礼書の総則1)

 司祭が捧げるミサに信者が与るのではない。共同体が主役であり、司祭、信者は、その役割分担に応じて参加する。

2)ミサの歴史

3)ミサの構造と中心

2.ミサにおける信徒の役割

3.朗読の基礎実習

時代劇風例題: 「お綾(女性の名前)や、八百屋にお謝りとお言い!」



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三者合同一泊研修会に参加して
大庭 三神

 司祭・修道者・信徒の三者が一堂に集う一泊研修会が7月17日(日)〜18日(月)、聖母の園・研修黙想の家で行われました。当日は当教会の鈴木神父を始め5神父、7修道会からシスター方、神奈川県下20教会から26名の信徒の38名が集合、梅村司教はご都合で翌日朝から参加されました。この集いは既に教会委員会報告或いは「八角形にゅーす」5月号で紹介されているとおり、共同宣教司牧の実現に向けてのいくつかの講座・研修会の一環として企画され、「司祭・修道者・信徒がそれぞれの人生の歩みの中で気づいたことを、神様を思いながら語り合い、聞き合い、祈ることをとおして『出会い』を深めること」をねらいとして開催されたものです。

 副題が「ゆっくりおしゃべりしませんか」のとおり肩の張らない集まりで、初日は18時に集まり自己紹介後すぐ夕食、お互いの理解のため小グループに分かれ約一時間の聖書の分かち合い、そして持ちよりの飲物で自由に歓談という趣向です。なかには12時過ぎまで話し込むグループもあり、日頃の小教区を超えてそれぞれ環境の違う教会の有り様、苦悩を同じ信徒の立場から、あるいは聖職者の立場から意見交換をしておりました。私もこの話合いの中で、司祭が常駐していない教会が集会祭儀にどのように取組んでいるか、お手伝いする司祭の精神的、肉体的苦悩を直に聞かせていただき、藤沢教会がいかに恵まれているか、同じ信仰を持つものとして少しでも分ち合えないものか、考えさせられた次第です。翌日は朝食後再び小グループに分かれ信仰の視点からの分ち合い、そして梅村司教司式のごミサ、昼食後は司教さまの「共同宣教司牧について」の講話、この研修会の感想、意見交換等があり15:30に散会しました。

 共同宣教司牧については既に横浜教区報51号で詳しく紹介されていますが、この講話でも、ただ単に司祭の高齢化対策、司祭不足の緊急対策ではなく、「すべてのキリスト信者の交わりという教会の本質を実現するための制度」であり、「信徒・修道者・司祭がそれぞれの賜物を生かし合い、協力し合って働く協働体制」であることを確認されました。そして、法隆寺の宮大工であった西岡常一氏のことばを借りて、或いはSMAPの歌詞「ナンバーワンにならなくてもよい、もともと特別なオンリーワン」を例にとりながら、私たち一人ひとりが神の前でそれぞれ違ったかけがえのない存在であることを説かれ、共同宣教司牧を推進するためには司祭分担の制度の変更ではなく、私たち一人ひとりが同じ一つの教会の使命に預かっているという意識に目覚めることを優先したいと強調されております。

 今回の三者合同一泊研修会は年内に3回実施することになっており、一回目は4月28日〜29日でしたが、当教会からは連絡の行き違いもあり参加できませんでした。次回は11月2日(日)〜3日(文化の日)です。これまでの教会の活動とは違った小教区を超えての取組みに、梅村司教の言われるように一人ひとりのかけがえのない賜物が教会の中で生かし合えるよう、他の養成コースを含めてひとりでも多くの方が参加されることをお薦めしたいと思っています。



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8月の主な行事

 5〜7日  中高生サマーキャンプ

 6日(土)合同祈祷会、ガーデンパーティ

14日(日)横浜教区平和旬間・講演会とミサ

15日(月)聖母被昇天 野外ミサ・マリア行列

中高生会

夏の間、9:30のミサ後、麦茶のサービスと冷たい飲み物の販売をします。(雨天除く)準備は9:15分に台所です。

JOC (青年会)

25日(土)派遭会社について学んだこと

センター203号室19:00−21:00茅ヶ崎教会・片瀬教会の青年達が合同で集まりをしています。協力司祭は、二俣川教会のジャック神父様です。皆さんいらして下さい。



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