八 角 形 に ゅ ー す
2005年11月6日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
死者の月に因んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50周年企画調整チーム座長 兼子
藤沢教会50周年記念コンサートによせて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 坂井
黙想会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 押木
壮年の集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 八子
2005年バザー終わる −神に感謝−・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2005バザー企画準備チーム 小藤
秋田・涙の聖母へ巡礼して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・南米コミュニティ マリア、ノルマ
バロックフルートへの誘い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 戸村
第38回横浜教区一粒会大会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一粒会 鈴木
典礼奉仕者養成コース報告 (第5回)
2004年SSVP藤沢協議会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・会長 高橋
死者の月に因んで
50周年企画調整チーム座長 兼子
この度、文化勲章を受けられた日野原先生の若さの秘訣は好奇心だそうである。先生の多方面でのご活躍は今更言うまでもないが、音楽と芝居がお好きな先生はあの『葉っぱのフレディー…いのちの旅…』をミュージカルにもなさった。そこで死者の月に因んで、この絵本を未だご存じない方にも紹介してみよう。それはけっして子ども用の絵本ではない。読者に具体的な葉っぱの一生を通じて生命とは何か、生命の大切さ、生きる意味。そんなことを考えさせ、私たち人間をふくむすべての生物が大きな宇宙的な生命の循環に繋がっていることを説く。たしかに私たち一人ひとりは生死を繰り返すけれども、しかしもっと大きな「永遠の生命」を生き続けていることが説かれている。著者はアメリカ人の哲学者レオ・バスカーリア。先生が仰るとおり、この絵本が日本の読者に広く読まれているのは、仏教的ともいえる誰にでも納得できる無理のない死後の世界観に貫かれているからだ。
葉っぱに生まれたフレディは兄貴分の物知りダニエルに季節の移り変わりや森羅万象の変化について教えられる。樹上での役割をはたし、冬が来ると他の葉はすべて落ちる。引越(死)を怖がるフレディにダニエルは言う。誰でもまだ経験したことがないことは怖いと思うものだ。でも世界は変化し続けており、変化しないものはなに一つない。死というのも変化の一つだ。最終的にはこの木も死ぬのというフレディの問いにダニエルは「いつかは死ぬけれどもいのちは永遠に生きている」と答える。
ここには古代ギリシャの「万物流転す」や輪廻転生もふくむ普遍的な「永遠回帰」の思想が、そして現代の自然科学的な世界観にも通じるものがある。人はなぜ生きるのか。そしてなぜ死ぬ定めなのか。難しい問いだが、大事なことは私たちが毎日の生そのものを充実させ、今というこの瞬間を精一杯、生きることではないか。徒に生を厭うこともなく、徒に死を恐れることもなく現実の今を力の限り生き切ることではないだろうか。
50周年のアニバーサリーイヤーが終わる。一つの通過点としてこの教会が新しいいのちを生きることを祈りたい。
教会委員会報告
(10月15日)
本年1〜9月累計で収入は3,870万円、前年比約200万円の減少。通常献金は横ばいながら祭儀献金、一般寄付金等が減っている。支出も信徒会館の什器備品新調に係わらず、一般会計で4,480万円と前年比140万円の減少。財務部では年末の収支は300万円程度の不足を見込み、昨年度の繰越とほぼ同額としている。(表参照)
財務報告(05.1〜9) (千円) | ||||
本年実績 | 昨年実績 | 差異 | ||
収入の部 | 献金 | 31,971 | 32,582 | -611 |
指定献金 | 2,948 | 2,984 | -36 | |
寄付金 | 2,449 | 3,738 | -1,289 | |
その他 | 1,320 | 1,334 | -14 | |
合計 | 38,688 | 40,638 | -1,950 | |
支出の部 | 宗教活動費 | 22,415 | 25,021 | -2,606 |
指定献金 | 2,798 | 2,853 | -55 | |
維持管理費 | 1,112 | 886 | 226 | |
人件費 | 9,426 | 9,972 | -546 | |
事務運営費 | 9,065 | 7,293 | 1,772 | |
その他 | 10 | 151 | -141 | |
小計 | 44,826 | 46,176 | -1,350 | |
大規模修繕費 | 2,245 | 263 | 1,982 | |
計 | 47,071 | 46,439 | 632 | |
差引 | -8,383 | -5,801 | -2,582 | |
合計 | 38,688 | 40,638 | -1,950 |
なお、来年度の予算提出の時期となり、次回委員会まで各ブロック・活動部で立案することとなった。
テーマは「李庚宰(イ・キョンジェ)神父のこと」、韓国のハンセン氏病施設聖ラザロ村の創立者との出会いの体験をもとに話していただく。
告知は近隣教会、カトリック新聞、ミニコミ紙等。入場無料。
ミサ式次第が典礼部で立案された。共同祈願は5ブロック及び3コミュニティ、奉納は6カ国の子供達にお願いする。
ミサ後のレセプションは簡単なティーパーティを想定しているが、招待者への対応もあり、教会委員会で担当することとする。
記念品は鈴木神父が描いた教会関連の絵はがき(3枚セット)が進行している。
信徒名簿の申込を事務所で10月末まで受けつけている。申込数により作成する。1部500円。
新しい方式で順調に進行している。協賛金の集まりが少ないので、必要に応じ各ブロックで連絡する。
10月1日(土)14:00、50周年を記念して行われた。約300名参加、必要経費も皆さんからのカンパで賄うことができた。
10月1日(土)9:30〜16:00日本殉教者修道院(鎌倉十二所)にて行われた。参加者は女性4名を含む16名。(詳しくは後記参照)
10月2日(日)ミサ後センターホールで行われた。32名の出席。ミサ中の案内、献金の扱いなどがブロックにより違うのでマニュアルを典礼部でまとめて欲しい。
9月はじめに行ったブロック集会で「葬儀を考える会」の話を伺った。こんご多くのメンバーの対応が期待され、理解することができた。
ミサ後センターホールがあいている場合、立ち話程度の分ち合いができないかとの提案が出ている。
典礼形式が変わったが、ミサ中の所作の意味を知りたいとの意見がある。(ミサの中での話しは時間的制約もあり必要なことは絞らせてもらい、個々にはいつでもご説明したいとの主任司祭の意向)
湘南台センターのミサのやり方を変更した。11月27日(日)ブロック集会を予定。
既にご報告したアスベスト検査を10月17日に実施する。結果は1ヵ月後に判明。
お聖堂入口ドアに目隠しのため刷りガラス的なシールを貼付する。また、小聖堂との仕切りのガラスには強化のため透明シールを貼付する。
駐車場の1台当たりのスペースを広げた。
国際コミュニティ合同の50周年座談会を行った。
外国語ミサにも出きるだけ出席いただき一緒に歌って欲しい。
英語 第1・第3・第5日曜日13:00〜
ベトナム語 第1日曜日16:00〜
スペイン語 第2日曜日13:00〜(湘南台センターは第4日曜日10:30)
12月10日(土)10:00〜 心の病を抱える人達を理解するための勉強会を行う。講師は藤沢病院事務長岩崎先生。
毎月第2・3・4週に行っている子供のミサを中止し、9:30のミサに大人と一緒に預かる。家族で預かる本来の姿に戻し、司祭のいない近隣教会に協力するため。そのため日曜学校のクラス授業はミサ後となり、信徒会館の部屋は11過ぎまで使用する。いろいろ試行錯誤をしてできるだけ短時間にするが皆さんにはご不便をおかけすることになる。
教育部合同の黙想会を11月6日(日)11:00〜中和田教会で行う。
11月23日(水)教区教会学校の研修会が戸塚教会で行われる。
50周年中高生座談会を行うべく調整中。
以前から先唱・朗読に多くの方が参加していただくための勉強会を検討していたが、今日提案のミサ中の案内等のこともあり、早急に検討したい。
教会委員長は各ブロックからの推薦をもとに鈴木神父に調整いただく。ブロック長はそれぞれ決まりつつある。活動部長も一部交替、調整中。
カリタス・ジャパンに協力して10月末まで献金箱を用意する。
11月6日(日)9:30ミサ後
藤沢教会50周年記念コンサートによせて
辻堂1区 坂井
ついこの間までの暑さを忘れてしまいそうな、爽やかな10月1日の午後、カトリック藤沢教会50周年を祝うコンサートが当教会の聖堂で催されました。整理券の用意がなかったので少し早めに着いた私は、準備のため午前中からいらしていた方々がベンチに腰を下ろしてお弁当を召し上がっているそばに座り、聖堂のなかから聞こえてくるオルガンの響きに耳を傾けました。前庭は、ミサのときお見受けするお馴染みの方々が挨拶をかわしながら入場を待って、あちこちで立ち話をなさり、和やかな空気に満ちています。聖堂の中は、中心近くまでしつらえられた演奏者の椅子を取り囲むように席が並べられています。
藤沢地区の萩田さんの司会で、高野神父さまのお祝いの言葉、鵠沼地区のステージマネージャー小藤さんの挨拶に続き、教会のオルガニストでもいらっしゃる藤田さんのバッハのオルガン曲が豊かに響きました。そして世田谷からこの日のために、わざわざ参加くださった"あんさんぶる のぞみ"12名のアカペラによる「アヴェマリア」6曲が歌われました。休憩をはさんで、第2部は藤田さんのオルガン、小島さんのソプラノ・ソロ、湘南エールアンサンブル、そして湘南アマデウス合唱団の皆様によるモーツアルトの4曲の教会音楽が演奏されました。総勢100名以上の演奏者全ての響きが堀部隆二先生の指揮のもと、美しいハーモニーとなって、この日の音楽を聴くためにいらした300人の方がたの祈りと溶け合い、聖堂の中に満ちみち、今までどの音楽会でも得られなかった嬉しい体験をさせて頂きました。
この教会に参加するようになってまだ日の浅い私は、暖かく、自由で、しかも中心にあるものに向かって結び合う空気がとても好きです。バザーや様々なイヴェントに参加させていただく度に、それぞれが与えられた力を出し合ってまとまる素晴らしさを感じてきました。音楽会を企画なさった方々、外部のグループに声をお掛けくださった方々、そして快くお受けくださった大勢の方々、その他当日のために色々お働きくださった沢山の方々。50周年を祝う聖堂コンサートは、まさしく皆様の思いが一つの形になったものではないでしょうか。この教会の50年かけて築き上げた素晴らしい空気がさらに膨らんで、聖堂の外へと溢れますように。
満たされた気持で振り仰げば、聖堂に掲げられた50周年記念のシンボルマークが、あたかも今聞いたばかりの音楽が祈りの渦となって昇っているように見えました。
黙想会に参加して
湘南台 押木
夏の暑さと煩雑な日々に疲労した身体がようやく回復に向っている10月1日、十二所での黙想会に参加することが出来ました。まだ夏の日差しの名残で照りつける光の中、なんとなく秋を感ずる海風に押されて、アクセルをふかし、街道筋から急な上り坂を一気に上り詰め、玄関で、イバニエス神父とシスターに参加者最後の一人と迎えられて黙想会が始まりました。行動するための原動力は、心の動きです。心が動いていないと行動したくない理由は頭でいくらでも作り出せると、神父様と亡くなったお母様との係りの中での出来事やルカ24-13〜35などを例に分かりやすいお話に何となく、本日のテーマを理解し始めた次第でした。
自分の生活の中で、…したくない、やりたくない などの場面は日常茶飯事に出くわす。その理由は忙しいから、疲れているからなど、いくらでも言える。しかし、自分の好きなこと、たとえばゴルフに行くとか釣りに行くとかの場面では、いくら前夜遅くまで仕事していても、酒を飲んでいても、翌朝早く目覚め、そそくさと出かけて行く。心が楽しく働いているからであろう。自分は、洗礼を受けキリストを着る者となり、イエスと出会い、対話することが、日々の活動の原動力になっているのだろか? ついつい、忙しいとの口実で、怠っているのではないだろうか? 自分の泉を掘り起こし、水を汲むことをしているだろうか? ミサは、キリストとの出会いの場、義務感で与ってはいないだろうか? 御言葉の中に、御聖体にキリストと出会っていますか? など、など神父様の口からほとばしり出る言葉をきっかけに、自分の心の状態や信仰を見直す絶好の機会でした。
黙想会から数日経過して、神父様の言葉を思い浮かべていると、ふと、我が家で飼っていた犬のことが頭に浮かんできました。その犬と遊んでいると、犬は主人に全幅の信頼を寄せているのであろう、寝転がって無防備な腹を見せ、されるが儘にじゃれて喜んでいました。自分は、この犬の様に、神様の前ですべてをさらけ出して委ねているのだろうか? いや、いや。信仰とは言えそうもない自分の浅はかさと、御父との対話にならず自己中心的な独り言と思えるような黙想だったと気づいた次第です。まだまだ道のりは遠い。また、このような機会があれば参加したいと思っています。
幹事さん有難うございました。 黙想会に参加する気持ちにさせて下さった神様に感謝。
壮年の集い
鵠沼1区 八子
10月2日(日)9時半のミサ終了後、センターホールで恒例の「壮年の集い」が行われました。「壮年の集い」は壮年部が春と秋の年2回行っています。壮年の新人の紹介、親睦、教会委員会の報告、壮年部の活動状況等を話し合っています。当日は30数名が集まり、たくさんの意見がかわされました。
鈴木神父にもご出席いただき、最初にご挨拶をいただきました。壮年の集いがどのようなものか、少しでもご理解いただけたものと感謝しています。福祉部の曽根さんからも挨拶があり壮年の皆さんも是非福祉活動に参加してほしいと依頼がありました。福祉部、壮年部の交流ができ密接な活動をしてほしいという事でした。また、バザーも近く行われますのでバザー企画準備チームの小藤リーダーから今後の予定、手伝いの要請がありました。
里原壮年部長より今年の行事の報告と今後の予定が話されました。内容は1.新年会2.防災訓練3.春の壮年の集い4.ガーデンパーティ5.黙想会6.秋の壮年の集い7.秋の親睦旅行等です。これらを計画するのは壮年部長と世話人です。常時世話人は募集しています。特に若い方、新しい方は大歓迎です。協力をお願いします。しかしなかなか集まらないのが現状です。このことは壮年部に限らず教会全体の問題といえるかもしれません。
そのほか、ミサ当番の案内の方法や新しいお祈りについて話し合いました。約1時間の会でしたが有意義な集まりだったと思います。
2005年バザー終わる −神に感謝−
2005バザー企画準備チーム 小藤
10月23日、私たちのバザーのために神様はなんと素晴らしい舞台を用意して下さったのだろう。
前日とは打って変わった紺碧の空と目映いばかりの秋の陽射しのもと、2005年バザーが開催されました。9時30分渡邉神父の開会の挨拶が始まる頃には、既に聖堂入り口には来場者が長蛇の列を作っていました。開場と同時に大勢の人が聖堂内に設けられた売場に殺到、各売場のスタッフは笑顔で応対に追われていました。聖堂前庭では10時から善行子ども囃子による和太鼓と笛の演奏が始まり、バザーの雰囲気を大いに盛り上げてくれました。絶好の日和のお蔭で、飲食の方も大繁盛、正午には完売する売場も出るほどでした。
今年は50周年という節目の年にあたり、バザー企画準備チーム(従来のバザー委員会)には各ブロックから2名ずつ参加してもらい、企画、運営方法など皆で話し合いながら決めていきました。また売場についても各ブロックがひとつの売場を担当する方法を試みましたが、新しい人が積極的に参加し、いろいろと新しいアイデアも出てきたことは良かったのではないかと思います。ご協力ありがとうございました。
本稿を書いている現時点では最終的な収益は確定していませんが、賛助金と当日の収益と合わせて300万円弱になると思われます。これら収益の活用については当初の計画どおり、半分は教会建物維持管理のために、半分は福祉活動の支援に振り向けますが、支援先に関しては福祉部とバザー企画準備チームとで十分話し合って決めたいと思っています。最終収益、支援先ともに確定しだい、報告いたします。
好天に恵まれ、盛況のうちにバザーを終了することができましたこと、神に感謝。そしてご協力いただいた方々皆様に感謝。
秋田・涙の聖母へ巡礼して
南米コミュニティ マリア、ノルマ
湘南台センター、南米コニュニティの有志グループは7月29日から31日まで秋田の涙の聖母へ巡礼に行きました。到着してまず、和風建築の素晴らしい聖堂に感動しました。木造建築で祭壇も御像もすべて木製です。1978年、シスター・アグネスに涙を表わされた聖母マリアの像が祭壇の左側にあります。その像の前にいると私ひとりに目を向けられているように感じ、また涙を流されたその眼差しは毎日祈るように、特にロザリオの祈りを捧げるよう私たちを招かれているように思えました。この巡礼では各自がそれぞれの体験をしたようです。ある人にとっては毎日の生活の中でマリア様がいつも一緒に歩いて下さっている事、またある人は喜びの時も悲しみの時も、困難にあっても、順調な時にも − 言い換えれば聖母はいつでもどこにでもいて下さると言う事の再確認でもありました。
長い間計画していたこの巡礼が実現できた喜びと、また教皇ベネディクト16世がまだラッツィンガー枢機卿のころに宣言されたようにファティマのメッセージを送られた無原罪の聖母がこの日本の地でそのメッセージを私たちに送り続けて下さっている恵みに心を満たされて帰って来ました。
バロックフルートへの誘い
長後 戸村
去る10月8日(土)午後2時から湘南台センターにて催された”18世紀の輝き”と銘打ってのバロックフルートの楽しみは、満員の盛況で60余名溢れんばかり、高橋弘・野澤まり子両演奏者も惜しみない拍手に応え、用意されたアンコール曲に加えて清やかな笑顔で2曲追加演奏され、聴く者も共に一体となって無償の喜びと満足感を味うことで一致を見た思いがしたのは、私だけではなかったのではないでしょうか。
家を出る時は少々雨催いの空を気にしながらも、深み行く秋の午後のひとときを、センターは初めてと不安げな友人2人と駅で待合わせ、案内出来た甲斐あって、それぞれ思いもかけない喜びと満足の表情が見てとれて、ほっと安堵したことでした。
今やポピュラーとなったヴィヴァルディの四季”春より”に始まり、第一部と第二部の間の休憩タイムには温かい茶菓の振舞いもあって、参加者同志なごみ語り合いの時を味わってゆったり気分で第二部に聴き入ることができました。心なしか演奏者も第一部での緊張も解けて、リラックスしてトークを交えながら使用楽器のブロック・フレーテやフラウト・トラヴェルソ等々、誕生の時代背景、音調、曲目の一つ一つの解説、エピソード付き素人にも管楽器の愉しさをより判り易く説明しての至れり尽せりで、終りに祈りを込めて全員で”あめのきさき”を合唱してまたとないうれしいひとときとなり、それぞれが豊かな心の琴線に触れたことと思います。
今、改めて、まぎれもなく生かされていることへの実感に満たされて、思わず神に感謝!
第38回横浜教区一粒会大会 ―なぜ司祭召命が増えないのか―
一粒会 鈴木
9月19日敬老の日、今年の横浜教区一粒会大会が横浜市あざみ野のカリタス女子短期大学にて開催され、神奈川、静岡、山梨、長野から総勢450名の参加者が集いました。藤沢教会からは高野神父と共に信徒8名が参加しました。今大会のテーマは『主と共に働く我らは、主と共にその実を味わう』、準備は神奈川第7地区(厚木、相模原、津久井、大和)が担当。午前の部は大阪教区司祭の中川神父の基調講演。午後の部は3名の神父が壇上に上がり、参加者からの質問に基づく意見交換。講演と意見交換の時間、子供たちには別のプログラムが用意されました。高野神父始め若い神父様方が子供たちを担当して下さり、時折歓声が聞こえて来るほどの楽しく有意義な時間を子供たちは過ごしたようでした。最後は参加者全員でミサを捧げて終了しました。
基調講演の演題は"なぜ、召命が増えないのか?"中川神父の著書『妖怪の棲む教会』のデータや記述に基いての話でした。中川神父は現在共同宣教司牧チームの一員として神戸西ブロックを担当。その地域には10年前は5人の司祭がいたが、現在実質2.5人、中川神父53歳、他の司祭は70代と80代で、10年前と比べ確実に高年齢化し減少していることを肌身に感じている、とのお話が最初にありました。
「日本の教会は戦後10年位の間に外国から1000人位司祭が来た。1970年頃のピーク時の司祭数は外国人1200人、日本人800人で計2000人程であった。邦人司祭の増加もあるが、1000人とか2000人という数はとんでもない数である。現在の高齢化と減少の背景にあるのは、@外国からの宣教師が減少A邦人司祭の召命が少ない、の2点が挙げられる。世界の状況を見ると、1960年頃アジア・オセアニア・アフリカの司祭・神学生数は欧米の足元にも及ばない。ところが40年後の2000年には逆転して、北米・中米の神学生数は激減、欧米も減少、そしてアジア・オセアニア・アフリカの司祭数は増加、神学生数に至っては著しく伸びている。今後この傾向はますます強まるだろう。日本に来る宣教師は今迄殆ど欧米からで、このデータからも減って来るのは当然と言える。また召命が少ないのは、日本の教会に、欧米の教会と同じような部分があるからなのではないか?
また、日本の教会には構造的な原因がある。@少子化:日本の総人口は減少しており、65歳以上が20%ということの裏返しは少子化であり一人っ子も多い。A愛の体験のなくなった社会:現在の日本社会では、聖書の善きサマリア人のたとえ話にあるような"憐れに思う=胸が痛む"という体験をすることが無くなっている。10年前阪神淡路大震災後、平日は神戸の被災地でボランティア、土曜夜遅く大阪に戻るという生活をしばらく続けた。その時の思いはまさに"胸が痛む"であった。その自分が、新潟中越地震の時は、ビールを飲みながらテレビでその報道を見ていた。"あの時神戸以外の人は、こんなにさめた目で見ていたんだ"と思った。"胸が痛む"という言葉は死語になっていると思う。これでは福音の説く愛が分かる訳がない。拝金主義と言わないまでも、何でもお金と交換の社会システムは"価値の違い=お金の量の違い"で、価値の違いに対して人々を無関心にしている。この状態で召命が増える訳がない。B依存的体質の強い教会:戦後1200人もの膨大な数の外国人司祭が沢山お金を持って来てくれたお蔭で、日本の教会はすごく大きくなることが出来た。これら3つの原因が挙げられると思う。
福音宣教推進全国会議(NICE)で示された方向は間違っていなかったが、中途半端に終わっている感じがする。当時、皆の熱気は感じられたが、司教団が出した課題に対して人材や能力が無かった。日本の教会は、先程も述べたように外からの人やお金で成長した。その依存的体質から抜けきれていない。だから、自分たちの中から司祭を生み出そうと、本気になっていない。私たちは『信仰宣言』をミサの中で唱えるが、本音の部分で信じているか?そのために私は救われた、と感じているか?それがわからない状態で若い人に信仰は伝わらない。インカルチュレーション(文化内開花)は1960年代に出て来た言葉だが、頭で理解しているだけではダメである。私たちは自分の信仰を伝える時に、自分の言葉で伝えられているだろうか?」
大会は、子供たちも加わってのミサで締めくくられ、梅村司教様と20名以上の司祭と参加者全員がひとつになって召命のために祈りました。司教様の説教は次の内容でした。
「1990年のシノドス(世界代表司教会議)後、教皇ヨハネ・パウロ2世が出された使徒的勧告『現代の司祭養成』に召命を阻害する様々な要因について@合理主義A個人主義B快楽主義C物質主義などが挙げられている。いわゆる消費社会の誘惑が強いため、これらの主義に青少年が囚われている。召命を阻害する最たるものが消費主義であり、どのように生きるかでなく、何を持つかが大切になっているようだ。私たちが消費主義に打ち勝つ術を求め、態度を持たなければ、それを見ている青少年は同じようになる。キリスト者のものの見方を持つことが、召命を促進する一番の基本である。司祭叙階は秘蹟であり信仰の秘儀であるから、私たちの信仰がいつもいつも問われていることになる」
横浜教区一粒会は、毎日の祈りと献金で司祭召命を支える会です。藤沢出身の神学生もおり、この4月から藤沢教会は3名の教区司祭によって司牧されています。神学生のため、高齢司祭のために、皆様どうぞ会員となって、毎日の祈りと献金をお願いいたします。
典礼奉仕者養成コース報告 (第5回)
典礼部
結婚前の準備として式場、招待者等に関してはよく行われるが、例えば結婚の秘跡とミサの秘跡の関係(エフェソ書5章「妻と夫」)などについて落ち着いて話すことが少ない。結婚の機会に日頃主日を守っている信者の信仰をさらに深めるためにはどうしたら良いか。(人生の計画、結婚前のゆるしの秘跡、ミサにあずかって夫婦の上に神の恵みを願う。)
準備の間結婚講座には来るがミサには来ないなど、通過儀礼の一つとして結婚式を願う受洗者、あるいは親の望みだから教会の式を願う受洗者の指導
子供の洗礼は結婚の一つの条件だが、これを拒む受洗者にたいして結婚をことわるかあるいは司教の許可をもらうか。
若い夫婦にとってともに時間を過ごすのは大切なことで、したがって結婚後に日曜日の朝教会に来るのは難しい。また妊娠したときや子育てもあって長い間共同体との交わりが途切れると再び教会に来にくくなる。当初は罪悪感があるが次第になれてしまう。こうした人をどうするか。子供の信仰はどうなるのか。
"正さなければならない結婚"(教会で式を行っていない)について信者でない人への説得、その結婚の典礼、場所、証人。
離婚して再婚した人のための"祝福"を与えることの可否、聖体拝領もよいか、子供の信仰教育をどのようにすすめることができるか。
結婚式の申し込みのとき、最初の面接は司祭がすべきか、あるいは信徒か。信徒の場合何を聞くべきか(どういうことが結婚の妨げなるか)を承知しているか。
一緒に準備をしたいと思っても、多くの場合当人たちは個性を出させようにも聖書の箇所を選べないし、聖歌は結婚と関係ない歌を選ぶこともある。夫婦の祈りも作れない。
教会の典礼(たとえば洗礼、初聖体、堅信、葬儀など)のなかで結婚式への共同体の参加が一番少ない。奉仕する信徒以外はほとんど誰も参加せず、共同体で受け入れることが少ない。
会衆の90%は信仰がなく、典礼に興味がない。写真を撮ることに熱心で説教を聞いていない。司祭も二人をほとんど知らないので同じような話になる。
−カトリック教会で挙式を希望されるお二人のため−(白浜満師)
(手引書の要点)
@挙式までの主なプロセス
まず二人は「結婚とは何であるのか」について、カトリック教会の基本的な教えを承知した上で、「挙式申し込み書」に必要事項を記入して提出する
教会は二人の結婚に民法や教会法上の障害(支障)がないことを確認した上で正式に結婚式を引き受ける
そして二人には結婚講座にあずかって内的な準備を深めてもらう
最終段階として二人と相談しながら結婚式の典礼の具体的な準備を行う
A手続きの窓口
通常は挙式を希望する二人のうち、どちらか一方の居住地を担当しているカトリック教会の主任司祭に連絡をとり、結婚式の手続きを行う。転出して籍が前の教会にある場合はその教会に連絡をとる。
Bカトリック教会の結婚観
結婚は人間が考案した制度ではなく、神が望まれる生き方(秩序)である
「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創2.24) 一夫一婦制の結婚(結婚の単一性)が本来の秩序で、同姓婚は受けられない
「神が結び合わせてくださった者を人は離してはならない」(マタイ19.6)
結婚は神のみ前でなされる一生涯に及ぶ男女の間の同意(誓約)で、離婚は神の意志に反するもの(結婚の不解消性)である。しかし、どちらかの配偶者の死によりこの誓約は解消されて、残された配偶者は再婚することができると考えられている
人間の性は、男女の相互愛および子どもの出産と教育を目的としている
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(創2.18) 相互愛(相互扶助)のうちに生涯の伴侶となるためである
「神は男と女を祝福して言われた"産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ"」 (創1.28) 子どもの出産と教育を通して、神の創造のわざにあずかる
C受洗者同士の結婚
二人とも受洗者であるときの結婚の場合は、その信仰を通してキリストからの恵み(秘跡の恵み)が与えられる。
結婚とは、愛し合う男女が生涯に及ぶ生活共同体をつくるため誓約を交わすことである。この誓約は当事者相互の合意に基づいて、神と人々の前でなされる
結婚は、夫婦の善益と子供の出産と教育、すなわち家族の幸福を目的としている。 結婚による夫婦の生活は、いのちの源である神の創造のわざにあずかるため相互の責任を伴う。このような使命と責任のゆえに神は、結婚が単一で不解消であることをのぞんでおられる
二人が受洗者(キリスト者)である場合には、その信仰を通してキリストからの恵み(秘跡の恵み)が与えられ、キリストは二人の間にいつも留まってくださる(現存する)。
D結婚のための民法・教会法上の要件
二人はカトリック教会での挙式申し込みの面接の際、結婚のための民法・教会法上の要件を満たしているかどうかを確認するため、次のような質問を受けることになる。
<二人のカトリック教会との関わり>
・ 二人はカトリック教会とどのような関わりをもっておられますか。
<すべてのカップルに共通する要件>
・ 二人の名前と生年月日を教えてください。
・ 二人の結婚について両親(保護者)の同意は得られていますか・
・ 二人にとって結婚は今回が初めてですか。
・ 二人は自由な意志で、誰にも強制されずに結婚を望んでいますか。また生涯、互いに愛と忠実を尽くす決意を持っていますか。
・ 二人は身体的に夫婦生活(性交)が可能な状態でしょうか。
・ 二人は(子どもに恵まれる場合)生まれてくる子どもの出産と教育に責任を持つ決意がありますか。
・ 二人の間には、近い血族関係がありませんか。
・ 二人の間には、直系の姻族関係がありませんか。
・ 二人の間には、養子から生じた近い法的親族関係がありませんか。
<一人がカトリック信者である場合の要件>
(カトリック信者でない方へ)
・ あなたは、結婚相手となるカトリック信者と宗教(信仰)のことについて話し合ったことがありますか。
・ あなたは、生まれてくる子どもがカトリック教会で洗礼を受け、宗教(信仰)教育を受けることについては、どう考えますか。
・ あなたは、結婚相手となるカトリック信者の信仰のことを考え、できれば自分も同じ信仰を持ちたいと思ったことはありませんか。
(カトリック信者の方へ = 二人がカトリック信者である場合も同じ)
・ あなたは、いまどの小教区に所属していますか。
・ あなたは、いつ、どの小教区の教会で洗礼の秘跡を受けましたか。あなたは、いつ、どの小教区で堅信の秘跡を受けましたか。
・ あなたは、以前、カトリック教会で結婚式をしたことがありますか。
・ あなたが結婚される相手の方の宗教は。
・ 二人の間には、無効な結婚、または周知もしくは公の私通関係(同棲)によって生じた一定の血族との結婚を禁じる公義障害はありませんか。
・ あなたは、以前、カトリック教会で叙階の秘跡を受けるか、あるいは公的に終生請願を宣立したことはありませんか。
・ あなたは、カトリック信者として結婚式の前にゆるしの秘跡にあずかることを考えていますか。
2004年SSVP藤沢協議会報告
会長 高橋
当会はフレデリック・オザナムおよびその仲間たちによって1833年にパリで創立された国際的信徒組織(Society of Saint Vincent de Paul) の末端の組織の一つで、日本の本部(日本全国理事会)は田園調布教会内にあります。年次報告を作るに当り、世界中あるいは日本のSSVPの活動なども紹介しようと、全国理事会発行の2004年の年次報告(入手次第図書室に入れます)を心待ちにしていました。秋も終りに近づき、結局希望がかなわず報告がおくれましたことをお詫び申し上げます。
さて私どもの会の活動は、創立以来貧しい人(Needy)への直接の奉仕活動が中心であり、具体的内容は最近ずいぶん変化してきました。世の中は景気がよくなり、生活程度も向上していると報じられている中、病気や怪我で生活が苦しい在日外国人、一人暮しで日常生活に援助が必要な人、病気で苦しんでいる人、施設などで孤独な生活を送っている人たちもたくさんおります。会としては会費も少なく、老齢化も進んでいますが、何とかこれらの人々と係わりを持ち続けています。近隣の協議会はNPOなどの他の会に積極的に参加しているところもありますが、藤沢協議会も担当司祭がマーフィー師から高野師に交代された機会に、今後どのように会を運営すべきか、これからの最大のテーマとして検討したいと思っております。
これからもどうぞよろしく、ご支援、ご鞭撻をお願い申し上げます。
会計報告(2004/1〜2004/12) | |||
収入 | 支出 | ||
定期寄付 | 121,400 | 援助費 | |
例会献金 | 39,700 | 物資 | 36,383 |
バザー収益金 | 13,400 | 現金 | 100,000 |
事務作業費 | 4,000 | 上級理維持費 | 31,000 |
交通費 | 1,650 | ||
報告書 | 7,500 | ||
送料 | 1,060 | ||
小計 | 178,500 | 小計 | 177,593 |
前年度繰越金 | 440,229 | 次年度繰越金 | 441,136 |
収入合計 | 618,729 | 支出合計 | 618,729 |