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八 角 形 に ゅ ー す

2005年12月10日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

暦の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木

教会委員会報告

藤沢教会50周年記念ミサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 鈴木

三浦朱門氏50周年記念講演会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子

感謝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50周年企画調整チーム

壮年部小旅行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 岡田

七五三

「葬儀を考える会」フォーラム報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 佐々木

介護研修を受けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・雪ノ下教会 松山

ヘルパー研修を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 福山

典礼奉仕者養成コース報告 (第6回)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

思い出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 小川

「バカの壁」を読んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 池田

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暦の話
司祭 鈴木

 「暦」というものを発明したのは誰でしょうね。世界にはいろいろな暦がありますが、人間が元気に生きるために大切な役割を果していると思います。私は写生に出かけることが多いので、季節の移り変わりには、それなりに敏感になりましたし、いつ頃、どこへ行くかということを仲間と計画する上で暦はなくてはなりません。皆さんはどんな暦を使っていらっしゃるでしょうか。キリスト教の信仰も「典礼暦」というこよみを使って、神さまとの関わりを励ましていますが、どうでしょうか。ご自分の生活にどのくらい、このこよみが影響しているでしょうか。「クリスマス」と「復活祭」ぐらいしか思い出さない方も少なくないのでしょう。忙しいときはそんなものかもしれません。

 典礼暦は現在最もよく使われている太陽暦では11月の終わりの日曜日から新しい年が始まります。今年は11月27日が「待降節第一主日」で、降誕祭(クリスマス)までのほぼ4週間、旧約時代の人々が救い主の訪れを待った「とき」を記念します。太陽暦だけになじんでいる私たちの多くには、なんとも中途半端なときに暦がきりかわり、妙な感じもいたしますが、救い主の誕生を祝って新年の正月を迎えるための、心を整える期間と考えればこの時期を待降節と呼ぶのはよいことだと私は思っています。「師走」と呼ぶだけより、少し楽しみ方が豊かになると思いませんか。

 この一年、やり残したことを馬力をかけて片づけたり、お世話になった人を思い出して感謝したり、来年の計画や準備をしたり、やはり忙しい季節ですが、そんな中で、「救い主」のことをちょっと思い出すと何か気づくかもしれません。「いつ死んでもよいように心を砕く」ということになるかもしれませんね。忙しいときほど、ふとボンヤリすることがあるもので、これが実によい、大切なときなのです。

大好きなヒマラヤのシェルパの話

 登山家が道を急ぐため、シェルパ(荷を担いで同行する人)に言った。「2倍払うから急いでくれ。」一行は2倍近くの道のりを1日歩いた。次の朝「もう2倍払うから急いでくれ」といったがシェルパは動かない。「なぜ?」と問うと「いくらもらってもダメだよ。昨日急いだから、心がおいてけぼりをくってしまったんだよ。今、おれたちは、心が追いつくのを待っているんだ」

 あんまり忙しい人、でもこの文を読むていどには暇をつくれる人、「ボンヤリ」できるのは恵みだと思いませんか。心を空にしないと「救い主のメッセージ」が聞こえませんよ。



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教会委員会報告
(11月12日)

(1)次年度新教会委員

 本年度をもって任期満了となる現教会委員にかわって、2006年度以降の新しい教会委員長に小藤さん(鵠沼B)が就任することになった。また、副委員長には浮田さん(辻堂B)、萩田さん(藤沢B)、竹内さん(北一B)の三名が決まった。その他ブロック、活動部の代表交替も本年中には終る模様。

(2)50周年関連

 50周年最後の行事となる11月19日(土)の記念講演会ならびに翌20日の記念ミサとそれに伴うレセプション等について50周年企画調整チームから詳細な進行計画とその準備状況、役割分担の説明があり、全員が協力して進めることが確認された。

(3)バザー企画チーム報告

 さる10月23日(日)に行われた教会バザーの収益は寄付品売上によるものが192万円、賛助金が109万円の合計301万円となった。これは全額教会に寄付され、当初からの予定どうり半分は教会建物の維持のため、半分は福祉関係先への寄付にあてられる。寄付先は福祉部で検討し、年内には配布される。

 今回のバザーは新しいやり方としてブロック持ちまわりの鵠沼が中心となりながら、その他の各ブロックからもそれぞれ2名の参加を得てバザー企画チームを構成し、また、それぞれの売場を各ブロックが担当した。結果として短期間に準備が進められたことが特長としてあげられた。

(4)2005年度の課題・進捗状況と次年度への引継ぎ

 年度当初に挙げられた9項目の課題(以下)についてその進捗状況と次年度への引継ぎ事項が説明された。合葬プロジェクトは地元住民の反対で中断となったが、その他については順調に推進されていることが報告された。

(5)アスベスト問題

 10月17日に財団法人化学物質評価研究機構による測定が実施され、まず聖堂中央で2時間にわたって計600立方米の空気を採取して分析した結果、アスベストの空気中への飛散は確認されなかった。その他壁材、窓枠下のほこりについては分析作業中で、結果がでるまでにはしばらく時間がかかる。

(6)合葬の園

 聖園修道院から代替地を提供してもよいとの話があった。ただしこの土地は、学校、福祉施設から至近距離のところに墓地を作ってはならないという県の条例に抵触する。県知事の特例認可を期待して申請するか、あるいは来年4月以降、本事項の管轄が県から市へ移行するのを待って対応するか検討中である。

(7)ブロック、活動部

(8)その他

主任司祭より

  1. ブロック、活動部の担当者は自らの役割をはたすと同時に、教会全体のことを意識の上においてやってほしい。

  2. 各活動の予算を立てる場合、企画が先ずあって予算が決まるのが基本である。金額だけを確保するということのないように願いたい。

クリスマス、元旦のミサ

12月25日および元旦が日曜日となるが、ミサの時間は以下のとおり。
12月25日  7:00 9:30 (夜のミサはない)
2006年元旦  0:00 11:00 (夜のミサはない)
なお、12月24日は例年どおり午後5時、8時および深夜(12時)に行う。
また、待降節のための共同回心式は、50周年行事の日程等の関係で行わない。



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藤沢教会50周年記念ミサ ともに未来へ−50年の歩みに感謝−
辻堂1区 鈴木

 11月20日王であるキリストの祭日に横浜教区長の梅村司教様をお迎えして、色々な行事を通して1年間かけて祝って来た50周年の締めくくりの記念ミサが捧げられました。ミサは梅村司教様の主司式で、鈴木神父様、高野神父様の他、聖コロンバン宣教会から、日本管区長のホーガン神父様、グリフィン神父様、ケンズ神父様がいらっしゃって下さり、共同司式して下さいました。

 梅村司教様は「司教叙階から7年目を迎えた。就任当時50周年を迎える教会が立続けにあったが、この藤沢が、私がこの世に生を受けてから設立された教会の50周年を祝う最初の機会となった」という言葉から始められ、お祝の言葉と共に次のような説教をして下さいました。

 「藤沢教会では50周年を1年間かけて祝い、教会の使命について確認し、その使命を果たしていく期間とした、と聞いている。その記念ミサを年間最後の主日、王であるキリストの祭日に祝うのは大変ふさわしい日に祝うことだと思う。世の終わりまであなたたちと共にいると、弟子たちが使命を相応しく果たす為に約束して下さったキリストは、御父のもとに行かれ今も私たちと共にいて下さるのですから。

 10月にシノドス(世界代表司教会議)に参加した。『聖体(エウカリスチア)の年』をこの1年(2004年10月10日〜2005年10月23日(シノドス閉会日))祝って来たが、キリストは聖体を通して私たちと共にいて下さる。ご自分の身体と血を今も分け与えて下さっている。キリストは、今もみことばを通して共にいて下さる。典礼は信仰を目に見える形で表しているが、ろうそくはその意味で照らされている。感謝の祭儀の時にろうそくは祭壇の上に移される。祭壇には白い布が掛けられておりその上にろうそくが置かれる。そこに(死んで葬られた)イエスが復活し共にいて下さるということが表されている。今日の福音の中で"私にしてくれたことである"とあるが、聖書の中で小さな者、貧しい者の中にイエスがおられることが語られている。奉仕という形で表していくように、と呼びかけられている。一人一人の命を、父なる神は温かく、生命が輝くように見守って下さっている。@聖体AみことばB貧しい者に仕えることを通して私たちは使命を果たしていくことが出来るよう召されている。言葉を換えれば、@祈りを捧げることA信仰を伝えることB愛を表していくこととなる。シノドスの中では、エウカリスチアについてだけでなく、司祭不足について、秘蹟をかかすことがないようにするにはどうすればいいか、ということも討議された。先程の3つのことは横浜教区でも大切にしていきたい。信徒にも使命が与えられており、洗礼を受けた人は皆それぞれを担い合っていくことになる。藤沢は教区の中で中心的な教会であり、その役割に範を垂れていただきたい」

 共同祈願では、5つの地区ブロックと3つの国際コミュニティから感謝と未来への決意を込めた祈りが捧げられました。奉納では、私たちの喜び、感謝、希望の象徴である50周年の祈りとシンボルマークが、パンとぶどう酒と共に、ベトナム、フィリピン、ペルー、韓国、日本の子供たちによって捧げられました。

 またミサ後の挨拶で梅村司教様は「50周年は教区にとっても喜び。コロンバン会の神父様方には心から感謝を申し上げたい。今日共に感謝のミサを捧げられたことも有難うございます。湘南沿線で一番発展したのが藤沢であり、大きな犠牲の下に建てられたと聞いている。今は駅に隣合せで地の利の良いところにあるが、50年前こんなに発展するとは皆思わなかったのではないか。教区の行事、地域の中で大きな役割を果たして来た。これからも発展を願う。50年目の節目にコロンバン会から教区へと移ったことは不安もあると思うが、司祭だけが使命を与えられている訳ではなく、皆が使命を果たす中で大きなお恵みが与えられる。地区にあって、神奈川県で、近隣の諸教会との交わり・協力もお願いしたい。皆さんのご協力をこの機会にお願いしたい」との言葉を述べられました。

 続いて鈴木神父様が「教会の祝いは、私の祝いであり、また私たちのお祝いである。梅村司教様、コロンバン会、近隣の教会からも来ていただき、喜ばしいことである。50周年の色々な企画を含め皆で準備し進めて来たことに主任司祭としてお礼を言いたい。神様がなさって下さることの不思議さ、50年の節目に教区から司祭が派遣されたこと、その他のことも、皆様にとって驚きであったと思う。神様はこれからも私たちを驚かせて下さる。神様がなさることはきっと善いことなのだと思って、皆様と歩みを進めて行きたい」との挨拶をされました。

 最後に私たちと50年間共に歩んで下さったコロンバン会に対し、皆の感謝の心が込められた花束が、教会を代表してコロンバン会協力者会世話人興膳さんからコロンバン会日本管区長ホーガン神父様に贈られました。ホーガン神父様は次のような温かい言葉を贈って下さいました。「今まで神様は数え切れない恵みと祝福を藤沢の信徒と司祭に与えてくれた。山の上の聖堂に集い、心の糧をいただき、多くの大人と子供が受洗し、多くの男女が結婚し、沢山の方々を天国へ見送った。毎日多くの方が祭壇の前で祈りを捧げている。藤沢市民にとっても大切な場所である。この4月までコロンバン会が信徒と共に歩んで来たことに感謝の気持ちで一杯。50年の間多くの方の中に灯された信仰の光は永遠に燃える光。私たちは祈りで繋がっている。これらの絆を感謝し、これからも色々な形で実り続けるように祈ります」

 ミサ後聖堂前で記念撮影と祝賀会が行われました。心配した天気も、雲ひとつ無い晴天に恵まれ、神奈川県下の諸教会から多くの方がお祝いに駆けつけて下さいました。沢山の方々が奉仕して下さったおかげで、無事に記念ミサと祝賀会を終了することが出来ました。



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三浦朱門氏50周年記念講演会 「李庚宰神父のこと」
藤沢2区 兼子

 「よいことをする時は、それが正しいからではなく、それが心地よいからするのだと考えよ。キリストが神であり、かつ人であるという教えはなんと素晴らしいことか。現代のキリスト者は己の信仰(真理)を絶対的に正しいことと信じても、同時にそれを他者に押しつける愚は歴史的に克服されねばならぬ」。11月19日の先生の講演は森司教様のそれと異なり、宛ら春の嵐が凄まじい勢いで吹き抜けた感が致します。代父遠藤周作によって「エンチクロペディ・ミウラニカ」と評された非凡な頭脳から速射砲の如く繰り出されるお話は「歎異抄」の「弥陀の本願まことにおはしまさば釈尊の説教虚言なるべからず」に始まりイスラム教史、17世紀西洋史と止まる所を知りません。先生によれば17世紀は実に面白い世紀で、様々な科学的発見がガリレオに地動説を撤回させたキリスト教会に対しても深刻な打撃を与えた。それはまた西欧が30年戦争とウエストファリア条約を経てプロテスタントとカトリックが互いに宗教を理由に争う愚を悟り、政教分離(宗教と世俗。非宗教との分離)の理念に近づいた世紀でもあり、経済活動でも株式会社(東印度会社)が出現、資本の論理に基づき株主の発言が場合によっては王権に勝る時代の始まりでもあったのです。翻って我が国は世界から孤立してはいましたが、やはり独自の文化的発展を遂げつつありました。

 さて冒頭に印象的な三浦語録を掲げ、かくご講演を要約してきたのですが、これは「是の如く我が聞いた」もので間違いあらばこ容赦下さい。そもそも李神父とは誰か。曽野綾子氏の「神さま、それをお望みですか」(文春春秋)に詳しく書かれていますが、李神父は韓国でハンセン氏病故に社会から疎外された患者のために援助・自立施設「聖ラザロ村」を作られた方。1986年の教会報によると師は当教会をも来訪・講演されています。李神父はもともと北朝鮮のご出身ですが朝鮮動乱で南に逃れ、その後アメリカに留学され、アメリカでは神父になる資格をとり司牧も経験されたが疎外感を抱かれて帰国。韓国に帰国後、同胞からやはり疎外されているハンセン氏病患者の救済を決意。

 ここで大事なことは李神父が最初からハンセン氏病患者の救済を志されたわけではなく、神様に追い詰められて結果的に御旨から逃げきれず生涯を捧げられたこと。つまり「いいことだからするんではなくて追い詰められた結果、李神父はいいことをされた」のである。(私は「旧約」のヨナを想います)そして李神父を支援する側も、それが正しいことだからではなく、それが心地よいことだから支援するということ。

 講演内容全体は当教会の今後、或いは国際化する日本の教会や日本人キリスト者の未来にとって極めて含蓄に富んだものでありました。これは私の臆断ですが先生は藤沢教会の信者なら、まあこれくらいは理解可能だと思われ、李神父を例に引き「信仰と正邪」のあるべき関係を説かれたのだと思います。先生を講師にお迎えすることが決まった時に女性の信者の方から先生について尋ねられ、私は「きっとアルバート公のような方だと思う」と答えました。心底敬愛された公が亡くなられた時、女王は悲しみのあまり引退まで決意されたそうです。これは要約としては蛇足です。



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感 謝

 アニバーサリーイヤーの最後を飾る記念ミサは、やや肌寒さで引締まるなか好天に恵まれ、老若男女、外国コミュニティ、多くのかたがたのご協力で盛大にあげることができました。梅村司教さまからも王であるキリストの祝日にふさわしい行事とのお言葉をいただき、藤沢教会が次ぎの時代への素晴らしい第一歩を踏み出すこととなりました。

 当日は聖コロンバン会からホーガン神父・グリフィン神父そして保土谷教会からケンズ神父が鈴木神父・高野神父ともども共同司式をしていただきました。また、聖心の布教姉妹会はじめ17の近隣教会からお祝にお越しいただき、ミサ後のレセプションでもともに楽しいひとときを過ごすことができました。心から感謝申しあげます。

 この一年間、皆さんには展示会・コンサート・講演会などさまざまなイベントに取組んでいただき、多くの思い出と記念の実績を残していただきました。私たち7名の企画調整チームは当初の方針どおり皆さんの自発的な提案を支えていこうと、毎月打合せを重ねてまいりました。力不足でご迷惑をお掛けしたことも多々ありましたが、お陰様でこれまで紹介されたように多くの催しが開催でき、何とか任務を果たせたのではないかと安堵いたすとともに、この節目の年に居合わせた幸運を喜んでおります。

 今回の50周年は信徒の皆さまが主役でした。このエネルギーが次ぎの100周年の発展につながりますよう祈念いたし、まだ仕掛中のものもありますが、とりあえずご協力への御礼の挨拶といたしたいと思います。誠にありがとうございました。

50周年企画調整チーム



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壮年部小旅行
藤沢1区 岡田

 11月5日(土)、毎年恒例の壮年部小旅行が行われました。午後1時、小田急片瀬江ノ島駅に「サムエルコッキング苑」を目指し集合したのは里原壮年部長と私2名でしたが、3時の「江ノ島アイランドスパ」に3名が駆け付け、5時の「丸だい磯料理仙水」には、鈴木神父以下22名が集まり、壮年部らしい宴会中心のイベントとなりました。

 高田さんの司会により進行した宴会では、人生物語、近況報告、教会・壮年部への注文、趣味等、壮年らしい多様性に富んだ分かち合いが行われました。また「50周年記念○×ゲーム」もあり、魚津さんの顔もあって、おいしいお酒と食事を楽しむことができました。

 盛り上がったのは壮年部のあり方についてで、男性の集まりとして堅持すべきとの意見、女性も交えてブロック中心に移行すべきとの意見、月1回くらい教会で飲み会があればいいとの意見等、過激派、穏健派、楽天派入り混じって、多様な意見がありました。

 今後とも壮年部を中心に、ブロック、性別、国籍、世代、位階、小教区の違いを超えて、懇親・分かち合いの場が持てるよう、新壮年部長の下、工夫できればと考えております。

 一方で「喜びを共にしなさい」との主の呼びかけに反し「喜びを共にできない・させない」現実もあります。これを注意深く識別しながら、神の国の実現に向け、老・壮・青の力を結集するため、壮年部の役割を再認識した小旅行でした。ご協力ありがとうございました。



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七五三

 11月13日(日)に七五三の祝福式があり、13名の子供たちが渡邊神父様から祝福を受けたあと記念のおメダイと千歳飴をいただきました。以下はその感想です。
「きょうはみなさんにおいわいしてもらってうれしかったです。シンプさまのはなしをみみにいれることができてよかったです。これからもすべてかんしゃして大きくなりたいです。」  菜々子(7才)
「みんながおいわいしてくれて、うれしかったです。きれいなあかいきものをきれてよかったです。」  亜美(7才)
「おめだいとちとせあめをもらってうれしかったです。しんぷさまといっしょにしゃしんをとってもらってうれしかったです。」  知歩(7才)
 親として、子どもの成長した姿を見て感謝できるのは本当にありがたいことでどことなくぎこちない晴れ姿で「祝福式」に緊張する姿が、成長を感じさせてくれ可愛らしく、また私自身にとっても小さい頃から慣れ親しみ、結婚式を挙げてた同じ聖堂で、親子三代揃って祈ることができ感慨深く嬉しく思いました。息子(5才)にとっても、家族や教会の皆様に囲まれ祈っていただいたこの日のことは大切な日として心に残ることと思います。 感謝のこの日を心にとめ、明日からまた真攣な気特で、神様の祝福のうちに歩み大切に育てて行きます。ご準備下さいました教会の皆様、ありがとうございました。  善行 浅野



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「葬儀を考える会」フォーラム報告
辻堂2区 佐々木

 死者の月を迎え、11月6日9時半のミサ後に、恒例になりました葬儀に関するフォーラムを開きました。約60名の参加者と共に、渡辺神父様の祈りで始まりました。神父様は、今後葬儀が増え司祭が少なくなる状況の中で、どのようにして行くのかを皆で共に考え、話し合う場にしたいと南米の例をあげて言われました。

 司会の高野さんからは、この教区でも司祭のいない教会もあり、藤沢教会の司祭も手伝いに行かねばならない。良い方向に進むためには、私たち信徒が担わなければならない事もあるのではないかとの呼びかけがありました。

 続いて川辺さんから、「葬儀を考える会」の経緯について説明がありました。

 「今まで主に葬儀に関る司会者やケアセミナーの人たちが、この会をすすめて来た。1998年にカンペンハウド神父様を迎えて、葬儀に関する話を聞いた。今後、信徒の関わりが求められることを踏まえて、月に1回の集まりを持ってきた。毎年11月にはフォーラムを開いてきた。2000年には、「臨終から葬儀まで」のパンフレットを作成した。コロンバン会でも、司祭が少なくなり信徒が協力することを考え、納棺、教会の代表としての弔問、火葬場での祈りについても考えた。亡くなった方を良く知る方が、共に祈る事はとても良いことと考えた。2003年には「納棺と火葬場での祈り」の実習をしたり、パンフレットを作成した。現在、信徒数実質約3200人のこの教会で70歳以上の方は500人位おられる。60歳から70歳が500人、50歳以上と考えると1500人程になる。現在年間25から30の葬儀が行われている。しかし、10年後を考えると年間50から60の葬儀が予想される。毎週1回以上、多ければ3から4回の葬儀が予想される。このような事を視野に入れながら、今後のあり方を考えて行きたい。今後チームとして葬儀に関っていくように考えたい。

1)専門的な知識を持つ、時間的に自由が利く、遺族と関わりを持つ。このようなコーディネーター、あるいは司令塔になれるような人が5から10名必要になる 2)このコアになる人々に協力する形で、司会、典礼への奉仕、オルガンなど様々な役を担う方 3)各地区からの手伝いや当日参列して祈り歌う方。以上の1)2)3)があれば、今後、葬儀を支えることが出来るのではないか。司祭の負担も少なくて済む。今から考え始めなければ、間に合わなくなる。以上を考え合わせて、皆さんから提案を出し合って今後のあり方を考えたい。意見、質問を含めてブロックの集まりなどで話し合い、皆の意識を高めて行かれたら良い。先ずコアになる人がいないと動かないと思うので、意識や関心のある人に関ってほしい。司会、手伝いのみならず、家族へのケアも含めて、考えていきたい。」

 この後、5グループに分かれて、1時間近い分かち合いをしました。その結果

  1. 自分が死んだ時にどうしてほしいかきちんとしておきたい。地区の人に祈ってほしい。葬儀を宣教の場と考えたい。

  2. 葬儀によって、参列者が少ない。共同体の一員として共に折り合うのは、権利であり義務である。出来れば、生前の接触がベースになることが望ましい。親しい人とコーディネーターが共に関れたら良い。

  3. 教会から紹介してもらえる葬儀社はあるのか。教会への連絡はどうしたら良いか。生前からの関わりが大切である。地区毎に関心のある人が関ることが必要。

  4. 亡くなった方のために、祈ることが第一だろう。コアを早急に作って欲しい。病気や入院の時などには、教会に届けてほしい。

  5. 家族がきちんと打ち合わせが出来れば良いが、動転していることが多いので、親しい人を介してチームの人と関ってはどうか。火葬場では家族と親しい人と祈るのは良い。

  6. 深夜や未明に亡くなられた場合には、教会への連絡を朝まで待ったほうが良い

  7. このような事をすすめる場合、信徒がどこまでして良いのか教えて欲しい。

  8. 司祭がいるのに火葬場に行かない事に、納得が出来ない。天国に行かれるか行かれないか、死ぬときが一番大切と思う。無理してでも司祭に行って欲しい。

などの意見が各グループから出ました。信徒の積極的な参加について川辺さんが「カトリック儀式書・葬儀」の緒言から、「ミサを除いて助祭または信徒も司式することができる。とくに故人宅および墓地での故人への表敬、通夜、告別、火葬場での祈り、埋葬の祈り、命日祭の祈りは、信徒によって行われるよう勧められる(ローマ規範版19参照)。したがって、司祭はこのことに留意して信徒を養成し、協力を求めることが望ましい」と引用し、この点も考慮しながら今の活動の方向性を考えていると説明した。また、司祭からは、病気で入院した場合などは、時間的な余裕をもって、連絡して欲しいとの申し出がありました。

 この中で私たちの出来ることを段階的に考え、出来るだけ早くコアを作り、スムーズな対応が出来るようにしていきたいとの一致した意見で、閉会しました。今後ともご意見や提案をお寄せください。

募 集

教会の葬儀に中心(コア)となって関わって下さる方を募集しています。

葬儀のコーディネーターとして、ご遺族・葬儀社との打合せ、奉仕者の手配、会場設営や進行の管理などを、司祭、事務所とともにチームで行っていきます。

平日にお時間の取れる方5〜10名程度で構成するチームを考えています。必要な養成研修も行います。

教会事務所までお申し出ください。



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介護研修を受けて
雪ノ下教会 松山

 数年前、親が事故で2ヶ月動けなくなった際、介護生活の大変な負担を経験していたこともあって、介護技術を少しでも身に付けられたら・・・そんな思いから参加した研修講座でした。寝たきりの人を指先一本で手品のように動かしたり、起こしたりする技術もびっくりものでしたが、技術以上の学びとなったことは、根本的な人との係わりだったように思います。日頃教会では、語られるだけで終りがちなキリストの慈しみを、社会の中で具体的に見せられたという感じがしています。

 介護の第一線で働く講師の方々のお話しは、退屈する暇もない程、引き込まれるものでした。現場のびっくりするような現実も、悲愴感を漂わせるのではなく、熱い思いやりを感じさせる明るさとバイタリティーの持ち主が多かったように思います。参加費は民間企業のヘルパー講座のおよそ半額というコース設定なのに、あれだけの講師を集められたのは、スタッフの方々の人脈なのでしょうか?

 一方で、介護ヘルパーに求められている専門性と責任の重さを認識するにつれ、こりゃ大変だ・・・と青くなったのも事実です。しかし、全員揃って最後まで学び通すことができたのは、17名という他にはない少人数制のコース設定のおかげかもしれません。受講生は、国籍もブラジル・アルゼンチン・フィリピン・日本と様々で、男性も5名、年齢層も幅広く、いつもどこかで笑い声の聴こえる個性豊かな楽しいクラスでした。手作りのお菓子を焼いてきて下さる人がいたり、一人一人が互いに声を掛け合い、又無言のうちにも励ましあった3ヶ月だったように思います。

 研修の最後に行う4日間の現場実習は、特に印象に残っています。身近な社会にこれ程多くの認知症の方、麻痺や障がいを抱えた方がいるとは、正直認識していませんでした。折りしもこの夏、映画マザー・テレサが公開されたばかりですが、カルカッタまで出掛けていかなくても、私たちの小さな手助け、思いやりの心を必要としている方が大勢いたのです。入浴や排泄の介助は確かにきつく汚い仕事でした。でも、見知らぬ人に介助される側の心境を思い向き合うなら、介助する側よりもつらいのだと実感させられ、躊躇する気持ちも消えていきます。一人一人の人と心で向き合うことができた時、触れているその身体を通して、「私は渇く」・・・あのイエスの言葉が胸の奥に染み渡っていったように感じます。

 介護というのは、介護する側と介護される側が互いに支えあわないなら、とても続かないものなのかもしれません。確実に進む高齢化社会にあって、介護の現場はどこも人手が足りないようです。折角認定証を頂いたのですから、ペーパーヘルパーにならず、どこかの現場で係わっていければと考えています。ありがとうございました。そして、お疲れ様!



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ヘルパー研修を終えて
辻堂2区 福山

 9月から約3カ月、藤沢教会で行われたヘルパー研修に参加する機会をえて「介護」を言葉で耳にするのと、実際に少しの時間でも実習したことで感じたことは、とても重労働だと言うことでした。

 いくつかの施設を回って改めて高齢者が多くいるのが分かり、それに対して施設の少なさやヘルパーの人数も少ないことが良くわかりました。施設によっては、900人待ちだそうです。きっと困っている高齢者の方が、「たくさんいるのではないか?」と恩いました。

 今回、研修を受けて分かったことは、人と人との信頼関係で成りたっていることがわかり、また、実習で施設に行った時は、職員の方達の苦労、大変さがすごく実感できました。例えば、利用者さんと会話が出来なかったり、言葉が通じなかったり食事を食べさせてあげたりと「顔」や「行動」「しぐさ」などで判断をしなくてはならなかったりと色々大変だなと思いました。でも、そのひとつひとつをこなしている姿を見て「さすがは、プロだな」と関心しました。

 今の自分としては、ちょっとした知識が頭に入っただけですが、人として少しでも成長出来ることがあれば、研修を受けて良かったなと思っています。



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典礼奉仕者養成コース報告 (第6回)
典礼部

「共同体として病者・高齢者への配慮」について

 「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造のときからお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、私が……病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」(マタイ25:34〜35) 最高の見舞いは、イエスと共に見舞う、すなわち「聖体」を伴って見舞うことではないでしょうか。

 もし、病気でなければ、主日ごとに集い、エウカリスチア(感謝の祭儀=ミサ=聖体)を共にすることが最大の恵みです。ですから、共同体の配慮として先ず大切なことは、出来るだけ多くの人が、主日に集うことができるようにすることでしょう。たとえば、

 それでも来られない方々のために、「聖体」をお届けするのが「聖体奉仕者」の役割です。できるだけ多くの方々に主日の集いにつながってほしい、という共同体の望みに聖体奉仕者は応えます。

共同体の普段の準備としては、次のようなことが考えられます。たとえば、

「病者を訪問する聖体奉仕者のこころ」

「聴くこと」 

 人は誰でも、こころから聴いて欲しいのではないでしょうか。

人は誰でも、元気な時でさえも、誰かに「聴いてもらえること」を必要としています。まして孤独で病気に臥せるとき、老いと死に直面しているとき、その心の思いに耳を傾け共感してくれる人を必要とするのです。

 「なぜ、こんなに苦しまなければならないのか」
 「思い残すことがある…残念だ」
 「私が死ねば、この子はどうなるのか」
 「いったい私の一生は、何だったのだろう」
 「昔のことを聴いてほしい…あの頃は楽しかった」

 身体が病むとき、こころも不安と孤独に波立ちます。胸にわき上がるさまざまな思いや願いは、誰かに聴いてもらうことを求めます。そして、こころから聴いてもらえたとき気持が落ち着き、人は現在(いま)を生きる力が湧いてくるのです。

「何を聴くのか」

 身体的、心理的、社会的、スピリチュアルな苦痛を聴く。

 生きる意味や自己存在の意味や価値を見いだせない苦痛、「聖なるもの」に反応できない苦痛、言い換えるなら、生きることの無意味、無目的、無価値、虚無、孤立、疎外などの苦痛を聴く。

 「私はもう何もすることが無い。」無価値だと感じているこのつぶやきに対して、そのまま受け止めてあげたらいいのです。

 「ダメよ、そんなこと言っちゃ…」と励ますのではなく、「することが無いと思っているのね…」と、相手の思いを受け止めましょう。聴いてもらえたことによって、気持がおだやかになります。聴いてもらうために時間をおって、出来事を整理するようになります。状態は変わらなくても、良く生きる道を探し始めます。

 聴いてもらえないと、混乱し、イライラや不満が残ります。

 「もう、何もできない…」と、言われたら「そんなことは無い」と言うのではなく、「まだ祈ることができる」と、言えたらいい。一番苦しいのは無視されること。人とのコミュニケーションが断たれることです。

 病者・高齢者の方々に「私はまだ教会のメンバーなんだ」と感じてもらえるように、傾聴と対話、聖体奉仕者としての役割をもって、「あなたのことを忘れていません」と、その方の存在価値を支えましょう。

「配慮」

 こちらの善意をおしつけることなく、訪ねる方とそのご家族の希望をよく伺って、必要なことだけをすること。

 また、訪問することによって知ったことを、決して他言しないこと(ご家族にも)はとても大切なことです。



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思い出
辻堂2区 小川

 今年もクリスマスを迎える時期になりました。湘南に来てから四十五年。初めてこの土地に来た日、私は三十二才、一人息子は満二才丁度の冬至の日でした。そしてこの教会にお世話になってからの思い出を二、三たどって見る気になりました。

 息子は幼児洗礼でした。不思議な気持ちで参加した聖金曜日の受難の祭儀、日常の諸事を片付けてからでなければ連れて来られなかった日曜学校で、皆勤賞の人から順に戴けたクリスマスのご褒美に息子は終りの方で私は次か次かと待っていましたが戴けた時の嬉しそうな顔を思い出しています。

 江ノ電がまだ教会の下を通っていて、父母会の時気が付いたら一人で線路の所まで下りて行ってしまって驚いた事もありました。初聖体も私の病気のため一人遅れて新しい教会が出来るまでの仮の場所での拝領でしたが、梅田先生はご親切におメダイの入ったカードで祝って下さいました。

 私は悩み歩んで来た教会への道でしたがギル神父様の「教理を疑わないで下さい」とおっしゃった言葉を頭のどこかに置きつつも日常生活に追われ息子は小学五年生の復活祭を最後に家庭の事情で教会から遠ざかっています。私は本当に最低の信者でしたけれど心から教会を離れられませんでした。七年前、主人が亡くなった時、地区の皆様に大勢来て頂いた時は感謝でした。あれからの寡婦生活は苦しくないとは云えませんでしたが、息子もお蔭様で成人して何とか家庭も持って生活しております。先日来て色々話していると家のかみさんに味噌汁が薄いので文句言ったら「食べないでよ」と言われたけれど俺の稼ぎが悪いからか、と思ってだまっていたとの事で今昔の感をいだきました。「でももういっぺんお父さんに会いたいな。家へ来ると勉強したくなるけれど中々それは出来ないな」の言葉にこれからどういう時代になって行くのかな。それでも多くの子供を見ていると「元気でね」とエールを送りたい。今年こそ良いクリスマスが迎えられますようにと祈りたいと思っています。



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「バカの壁」を読んで
大庭 池田

 バカは風邪をひかない、と謂う。意味もなくて、おもしろい。そんなバカな、などと目くじらを立てるほどのことでもない。要するに、俺は風邪をひかない、なんて能天気に言うやつにちょっとウィットのある揶揄を返した、アハ、そんなところか。

 「バカの壁」(養老孟司著・新潮社)を読んだ。まずこのタイトルに注意したい。バカの話しだろう、と思うだろうが、違う。バカであるがゆえに自分の中に期せずして拵えて(あるいは巡らして)しまう壁(バリア)、それが主題なのだ。

 粉挽き小屋で、日がな一日、ぐるぐると同じところを回っているロバには、顔の両側に庇が掛けられている。余計なものを見ないで、ひたすら歩きなさいと。人間であれば視野狭窄症がそれだろうか。

 自分がこれでよい、これが正しいと決めてしまった後は、ロバのように思考の両側に庇を垂れてしまう。とくに指導的立場にある政治家に多い。バカの壁である。楽なのだ。いや古来より、英雄的指導者は、いろいろな人たちの意見に耳を貸していると、決断も鈍り、権威も降下し、普通の人になってゆく恐怖を感じる。だから説を曲げず、わが道を往く。

 ある国の大統領は、ついに03年5月、イラク戦争の終結を宣言した。にも拘わらず、以後16ヶ月間のイラク民間人の死者は1万1千人と国連は発表した。終わりのない戦争は今も、これからも続いていくのだ。聖書を借りよう。

 『ところがほかの種はよい土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。』(マタイ13・8〜9)

 主イエスは、ご自分の話を聞きたくない、または聞くに値しないと思っている人間がいることを知っておられる。さしづめこれが、耳のない者、ということになろうか。おまえの言うことは聞く前から知っている。しかし受け容れるわけにはいかない、と耳のないものは内心で思っている。常に自分の結論が先に在りき、なのだ。

 バカの壁にやられて聞く耳が失くなるタイプで比較的出現率が高い(とは申せ、せいぜい百人中、2人か3人だが)のは、役人・政治家・医者・学校の先生である。

 でははじめに医者から参る。

 「はい、どうしたかね」
 「風邪だと思うのですが…なんかだるくて、仕事に集中力が」

 「風冒だと診断したんだ。医者は要らんじゃろ。帰りなさい。帰れと言ってるんだ。」

 けんもほろろである。では少々手の混んだ奴をもう一つ。

 「あ、池田さんですね。いま超音波の検査結果を診てたんですが…。胆のうに、恐らく胆石と考えられる薄い、二つの影が見えるんですよ。」
 「薄い影、ですか。」
 「ええ。ま、この状態だと未だ1・2年は発作を起こしたりすることは無いと思いますが…。それとも外科へ行ってみますか?」

 私は早速この資料を外科に回してくれるように頼み、予約のとれたある日、私は消化器外科の診察室のドアを押していた。初めての医者である。40歳に届いているかどうか。彼は私がまだ対面の椅子に腰掛けていないうちに、矢継ぎ早に喋りだした。

 「外科って忙しいんだよなア、まったく。簡潔に言って、簡潔に。」
 「あのう、先生。だらだらも簡潔も私はまだ何ひとつ…」
 「そんなことはだね、どうだっていいんだよ。昨日なんか真夜中にどえらい救急が二つも…いや、きみねえ、来月までのオペの日程見せるかい?すげいんだよ。」

 私はこの時点でこの医者に見切りをつけていた。喋るのはすべて医者サイド、患者側の話しは引き出そうとしない。 さっきなんと言った? そんなことは、どうだっていい?言葉の暴力だ。ドクター・ハラスメントだ。

 「わかりました」

 滾る怒りを抑え、静かに辞去を申し出る。すると彼は急になにか忘れ物に気付いたみたいに私をベッドに誘い、仰向けにさせ、開腹手術の痕などについて質問し、ではそういうことだから、といって診察の終了を暗示した。

 教師のバカの壁には手が回らないうちに稿が尽きた。校則違反の生徒に処分を決める職員会議の話は皆さんにとってスクープに違いない。追って機会を見つけることにする。

 これを読んだ皆さんが気づいたことを当ててみよう。壁によって聞く耳を失くするバカって、みんな相応の知的レベルの保有者だということだ。風邪をひかないバカとは違う。



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