八 角 形 に ゅ ー す
2006年6月4日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
福音を生きる教会共同体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・梅村司教
教会委員会報告 (5月20日)
10th「共に歩む集いin藤沢」報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部
「共に歩む集い」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 宮崎
「壁」−共に歩む集い− ミサの説教より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・梅村司教
4ブロック合同黙想会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・T1 板津
神山復生病院訪問記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・F1 阿部
アフリカウガンダ宣教報告会 〜本柳神父様のお話を聴いて〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村
福音を生きる教会共同体
第10回 -障がい−共に歩む集いの講話より
司教 梅村
今日は、第10回を迎えて、福音を生きる教会共同体、一人ひとりが大切にされる場というテーマが掲げられています。少し福音を生きる教会共同体、一人ひとりが大切にされる場としての教会共同体について振り返ってみたいと思います。今、私たちは復活節にあって、イエス様が復活なされたことを祝っています。私たちは洗礼によってイエス様が受難、十字架上の死、復活を通して得られた新しい命を預からせて頂いています。この神秘を過ぎ越しの神秘といいますけれど、私たちは洗礼を通してこの神秘に預からせていただいたことを感謝しながら、イエス様が復活なさったことをお祝いしているわけであります。しかし、この復活節はただ単にイエス様の復活なさったことをお祝いするだけの季節ではありません。復活節の間、復活のろうそくがずっとともし続けられます。いつまでこの復活のろうそくがともし続けられるかというと、今の典礼暦に従うと、聖霊降臨までです。聖霊降臨は弟子たちの上に聖霊が下り、その聖霊の賜物によって弟子たちは力強く宣教を始められます。そして、弟子たちの力強い宣教によって少しずつイエス・キリストを信じる人が増えていき、そして教会共同体ができあがっていきました。そうしたことをよく伝えているのは、新約聖書の中で使徒言行録と呼ばれる書物であります。聖霊降臨は教会の誕生を祝う日でありますけれども、その聖霊降臨を通して教会がどのように形作られていったかということをよく伝えているのが使徒言行録です。ですから復活節の間ずっとこの使徒言行録が読みつがれます。復活節はある意味で聖霊降臨を迎えるための準備の季節だからです。教会の誕生を祝う聖霊降臨に向けて、私たちは準備をする中で使徒言行録などを通して、イエス様が望んだ教会共同体というのはどういう共同体なのかということを改めて思い巡らすことはとても大切なことだと思います。
さて、復活なさったイエス様、たびたび弟子たちの間に現れますけれども、聖書を開いてみますと、次のように記されています。たとえばルカの福音書「こういうことを話しているとイエスご自身が彼らの真ん中に立ち、あなた方に平和があるようにと言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」。彼らというのは弟子たちのことですね。イエスご自身が弟子たちの真ん中に立ち、「あなたたちに平和があるようにとおっしゃった」と現れた次第が語られています。また、ヨハネの福音書にも記されています。「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、弟子たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへイエスが来て真ん中に立ち、あなた方に平和があるようにといわれた。そういって手とわき腹をお見せになった」。これがヨハネによる福音書に従った復活なさったイエス様が現れる場面であります。今ルカによる福音とヨハネによる福音書だけ読みましたけれど、同じような描かれ方がしていることに気づかれたと思いますね。イエスご自身が弟子たちの真ん中に立ち、あなた方に平和があるようにとおっしゃった。イエス様を中心に弟子たちが集っています。ということは、教会というのはイエス様を中心に集う共同体であるということであります。復活なさったイエス様を中心に集う共同体、それが教会だということであります。とても意義深いことだと思います。イエス様を中心に、物理的な意味でのイエス様を中心にということだけではないと思います。私たち、日々の生活の中でもイエス様を中心に生きているかなということが問われているのではないかしらと私自身は思っています。私たちは日常生活の中で、やはり自分のことばかり考えている自分が見えてくると思います。自分が、自分が、と生きている、そういった自分自身のあり方がやはり見えてくるのではないかなと思います。しかし、私たちは洗礼を受けて教会に属するものとなりました。復活なさったイエス様を中心にというのは、いつなんどきにあってもということであります。どんなときも復活なさったイエス様を中心にということで、ただ単に日曜日、ごミサのために教会に集まるときだけではありません。ですから、私たちは自分を中心に生きている生き方から、復活なさったイエス様を中心に生きるように召されているわけであります。人と言葉を交わすとき、あるいは行動するとき、イエス様だったらこういうとき、どう話されるかな、どんなことを思われるかなと。
それからもうひとつイエス様はこの弟子たちに不思議なことをなさった、そのことをちょっと振り返ってみたいなと思います。マタイの福音書から、最初に今との関連性があるところを読ませていただきます。マタイの福音書の18章なのですけれども、「そのとき弟子たちがイエスのところに来て、いったい誰が天の国で一番えらいのでしょうかといった。そこでイエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせ、言われた。はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くしてこの子供のようになる人が天の国で一番えらいのだ。私の名のためにこのような一人の子供を受け入れるものは、私を受け入れるのである」。同じようなことは、マルコの福音書にも記されています。マルコの福音書は9章のところで次のように言われています。「イエスが座り、12人を呼び寄せて言われた。一番先になりたいものは、すべての人の後になり、すべての人に仕えるものになりなさい。そして一人の子供の手をとって、彼らの真ん中に立たせ、抱き上げていわれた。私の名のためにこのような子供の一人を受け入れるものは、私を受け入れるのである」。突然弟子たちと話をしているなかでですね、一人の子供をわざわざ呼び寄せて、弟子たちの真ん中に立たせ、そして「私の名のためにこのような子供の一人を受け入れるものは、私を受け入れるのである」とおっしゃいました。このようなことこそ、復活なさったイエス様を中心にという意味でもあるということだと思います。子供は神様からいただいた命を育み、育てていくためにあらゆる人の手助けを必要としています。しかし、子供だけではありません。私たちの周りには、自らの力によってはその命を保つことも育むことも育てることもできない人たちが大勢いるのではないでしょうか。私たちがそういう人たちとともに生きる中で、本当にその人に与えられた、神様からいただいた命が尊重されて、その命が大切にされて育まれ、生きるようにと私たちは気遣っていかないといけないということだと思います。
今日のテーマ、「福音を生きる教会共同体、一人ひとりが大切にされる場」、このテーマ、まさしくイエス様が望んだ共同体というのはこういう共同体なのだということであります。そして、この私たちの共同体、この集いがもっともっと広がっていくように、全世界に全人類にあってこの共同体が広がっていくように、そういう使命を私たちはいただいています。ですから、私たちは復活なさったイエス様を中心に集う共同体として、この言葉とこの行い、このしるしをもって、召されているのかもしれません。そうした意味で、私たちの「共に歩む集い」というのは、本当に教会共同体の真のあり方を示す一つの証になっているのではないかなと思います。ですから、今後ますます「共に歩む集い」を発展させていかなければと思っています。司教一人の思いでは実現されることではありません。皆さんのそれぞれの協力、力添えがあって実現されることであります。ぜひこれからも真のイエスキリストの教会といわれる教会になっていくためにこの「ともに歩む集い」のためにお力を貸していただければなと思っています。
(文責:藤沢教会広報部)
教会委員会報告 (5月20日)
6月24日(土)黙想会。聖心姉妹会本部にて。
6月11日(日)隣組グループリーダー会議
7月9日(日)茅ヶ崎教会巡礼
5月20日(土) 聖園マリア幼稚園にて北1、北2、鵠沼、辻堂ブロック合同黙想会が開催された。80人ほどの信徒が参加した。
6月11日(日)大船フラワーセンター遠足
5月27日(土)ブロック集会
6月7日(水)富士山バス旅行
聖堂のパイプ椅子の背中に聖歌集などの収納スペースの取り付けを検討中。
聖堂内のアスベスト対策検討の一環として劣化度を判定するための付着力試験を実施する。(費用約20万円)
5月7日(日)1回目の湘南台センター小委員会が開催された。
6月11日の堅信式に備え、準備講座始まる。既に堅信を受けた中高生も参加し、分かち合いのグループに入ってもらう。
5月14日(日)外国人信徒の共助組合活用につき各外国人コミュニティー代表に説明を行なった)
5月13日(土)神山福生病院訪問 (32名が参加)
5月20日(土)横浜教区福祉委員会主催の−障がい−「共に歩む集い」が当教会で開催された。170名参加。梅村司教様の講話、グループによる分かち合いを行い、最後に司教様司式によるミサで閉会。
5月21日(日)ボーイスカウト・福祉の合同ミニバザー
5月14日(日)湘南台文化センターへ遠足。高野神父、シスター浜崎、他33名参加。
6月18日(日)初聖体
ミサ先唱者と朗読者のマニュアルを修正し、近々関係者に配布予定。
国際部、福祉部からの報告として、現在両部と共助組合を加えた三者で外国人信徒も共助組合を利用できるような仕組みを、福祉基金から共助組合への出資を前提に検討中であり、5月21日(日)に行なわれる共助組合の総会で基本方針が承認された後に運営方法など具体的な詳細について三者で協議し、早期実現を目指す。
6月4日(日)鍛冶ヶ谷教会で開かれる地区別懇談会で各小教区から説明する財政(維持費、ミサ献金の現状、増収策など)、建設(教会建物の耐用年数、長期修繕計画など)の内容について事前打ち合わせを行なった。また共同宣教司牧の現状については委員会出席者全員が4グループに分かれ、各自の思い、感じていることにつき、分かち合いを行なった。
5月20日(土)藤沢教会におきまして、横浜教区(神奈川、静岡、山梨、長野の4県)福祉委員会主催の10th「共に歩む集い」が開催されました。
すがすがしい若葉の緑が目にしみるような晴天に恵まれ、約170名(藤沢教会より35名)の皆様が参加されました。10回目の記念集会が藤沢教会を会場として開催され、皆様をお迎えできましたことは、私達の大きなよろこびでした。
はじめて司教様の手話ミサに感激して、手話を習いたいと話された方、身体の不自由な方のお話しを聴いて、何かお手伝いをしたいと声をかけてくださった方もおり、この集いは私達にとって大変実り多いものでした。この集会成功のためにお手伝いをいただきました皆様に心からお礼申しあげます。感謝と祈りのうちに
横浜教区 ―障がい― 「共に歩む集い」に参加して
湘南台 宮崎
1996年に始まったこの集いは、今年で10回目の開催となりました。横浜教区4県から総勢170名の方が集まり実り多き集いとなりました。10周年という区切りにあたり、梅村司教様が基調講演をして下さいました。
復活節の間、聖霊降臨の日まで復活のローソクが灯されます。その灯された火の意味は何なのか。それは、過越しを通して復活されたイエス様をお祝いすることだけではなく、聖霊降臨を迎える準備の期間でもあります。ルカやヨハネの福音書に、復活されたイエス様を中心に人々が集う様子が書かれていますが、果たして、日常でもイエスを中心に生きているのだろうか。司教様は「復活されたイエス様を中心に」と言う言葉を何度か繰り返し仰いました。私達がもしそれを実践できるのであれば、障害を持った方々を理解する事、ありのままを受け入れる事、共に歩むこと、一人一人を大切にする事ができるようになると思います。第二の講話は、「日頃思うこと」というテーマで、車椅子の生活をしている方、聴覚障害の方、「教会の窓口として」ということで藤沢教会の川辺さんが、それぞれの立場、視点からお話下さいました。
その後、小グループに分かれて昼食をとり、引き続き分かち合いとなりました。この分かち合いのなかで何人もの方が、川辺さんの、心の病を持つ人との係わりに付いてのお話のなかで「自分が疲れたら正直に、ごめんなさいと言う」「少し距離をとる」「神様にお任せする」という言葉を聞いてホットした、助けられたような気がする、と仰っていたことが心に留まりました。最後は、梅村司教様司式の手話ミサにより、感謝のうちにこの集いを終えることができました。
「壁」−共に歩む集い− ミサの説教より
司教 梅村
今日は最初の中で復活節の意味についてお話させていただきましたけれど、聖霊降臨までずっと復活ろうそくがともされています。復活ろうそくに示されていることも、私たち、思いめぐらすことができればと思います。復活徹夜祭に多くの方が洗礼を受けられました。なぜ復活徹夜際にといえば主の過ぎ越しを祝うその時に主の過ぎ越しの神秘に預かる秘跡である洗礼を受けるわけであります。まことにふさわしい時期であるというわけです。
今、私たちの日本の社会にあって多くの人は、楽して得することばかり考えているようであります。株、そのほかの取引、投資というのもちょっと似たようなところがあるのかもしれません。そんなことに一喜一憂している人が今たくさんいます。残念ながらイエス様は楽して得する方法は教えて下さいませんでした。復活の命にいたるその道筋もやはり楽な道ではありません。それはイエス様ご自身が示して下さったことであります。ローマ人に宛てたパウロの手紙には次のように書かれています。「あなた方は知らないのですか。キリストイエスに結ばれるために洗礼を受けた私たちはみな、またその死に預かるために洗礼を受けたことを。私たちは洗礼によってキリストとともに葬られ、その死にあずかるものとなりました。それはキリストがおん父の栄光によって死者のうちから復活されたように私たちも新しい命に生きるためなのです」。聖パウロは洗礼の意味をまずイエス様の死にもあずかることなのです、とはっきり述べています。その死を通してイエス様の復活の命にあずかるものなのです。洗礼のときに私たちはこの復活のろうそくからともされたろうそくを手渡されます。キリストの光をうけなさい、私たちはそれぞれに復活のろうそくを手にして、イエス様の復活の命の輝きをともすようにと神様から召されている。でも、よく考えて見てください。このろうそくは、わが身を削って光を放っています。わが身を削ることなくして、この光を灯すことはできません。そこに過ぎ越しの神秘の秘儀が復活のろうそくを通して示されているのかもしれません。
復活のろうそくにはピンがさしてありますけれども、これはイエス様の十字架上の傷跡のシンボライズされたものです。やはりそこのところもしっかり私たちは見つめなければと思います。ヨハネの福音書にはとても意味深い言葉でそのことが語られています。イエス様がいよいよ受難の道を歩み始めるとき、イエス様ご自身が弟子たちに向かって「人の子が栄光を受けるときがきた」とおっしゃいました。ヨハネの福音書で言われている栄光は、ただ単に復活の栄光のみをあらわしているわけではありません。受難も十字架上の死も、そしてそれらを通して与えられる栄光であります。ヨハネが非常に意味深い言葉をもってそのことを語っているなと思います。私たちもやはり復活のろうそくを洗礼のときに授かったものとして、何らかの形でわが身を削って光をともし、まわりの人たちにこのキリストの灯を、光を届けることができればなと思います。
また話が飛びますが、NHKの福祉ネットワークという番組があります。今年の初めに去年放映されたものの再放送があったのですね。非常に考えさせられましたけれど、ある青年のことが報じられていました。非常に難しい難病にかかった青年が登場していました。20万人に1人の難病なんだそうです。神経が麻痺してしだい次第に力が入らなくなる病気。それで発病後普通の学校から養護学校に転向しました。養護学校に入ると様々な病気を持った人たちがいるわけですね。なかなかそこに溶け込むことができなかったのですけれども次第にやはり友達も出来るようになりました。ロック好きのルームメイトだったり、笑顔の絶えないからだの不自由な友達と仲良くなったり、あるいは同じように難病を抱えている友達と出会ったりし、しかし中にはやはりこの養護学校の生活の中で亡くなっていく友達もいるのですね。その度に自分自身も死と向き合わなければいけない、そんな中で生活しているその青年がひとつの詩を作りました。その詩が紹介されていました。私は早速それを書き写したのですけれど、「壁」という詩なのですね。
誰だって
大きな壁に当たって
くじけそうになる時があるだろう
でもそれは壁のように見えているけど
もしかしたら扉なのかも知れない
人間誰しもこの青年のように一度二度大きな壁にぶつかることはあると思います。この青年は難病という大きな壁にぶち当たったのかも知れません。でもその壁を単なる壁と見ていないのですね。もしかすると扉なのかも知れない、新たなる希望への道の入り口なのかも知れないと自分の難病を見ているということなのですね。どんな時にも希望を見出しながら生きるその素晴らしさ、それを改めて感じました。この詩を朗読していたのが、中島さんという体格のいい声楽家の人がいますね、歌手の中島さんという人がそれを朗読していたのですね。そして本番の番組の中で朗読する前に何度も何度も読み返したのだそうです。この詩を作った青年のその本意がテレビを見る人に本当に伝わるように。そして一つのことに気づいたのだそうです。
三行目の朗読箇所に引っかかったのだそうです。
誰だって
大きな壁に当たって
くじけそうになる時があるだろう
「あるだろう」ならば単なる推測に過ぎない、そんなことを言っているわけではないということに気がついたのだそうです。「誰だって大きな壁に当たってくじけそうになる時があるだろう!」そういうニュアンスが含まれているんだ。自分の本当につらい病気を抱えながらも、同じように病気や障害を抱えている人を思いやっての言葉なんだ、そういう人たちに向けてこの詩を通してメッセージを送っているのだ、希望のメッセージを送っているのだということに気づいたんだそうです。私もそれを聞いて確かだなと思いました。
誰だって
大きな壁に当たって
くじけそうになる時があるだろう
「あるだろう」じゃ推測に過ぎません。でも「誰だって大きな壁に当たってくじけそうになる時があるだろう!」それは本当に心のこもった言葉、希望のメッセージを人に伝える言葉になっていると私自身も思いました。自分のことはさておいて人のことまで思っている彼になりきって朗読しなくてはと中島さんはひたすら思って、この詩の朗読の準備に励んだそうです。この互いに愛し合いなさい、キリストから受けた復活の光、希望の光を人々にもたらすものになるように、この詩を通してその道筋が私なりに見えたような気がしました。今日「共に歩む集い」の中で皆さんにもこの詩の素晴らしさを味わっていただいて、そしてこの詩を通して私たちに向けられているこの青年の心を受け取って、日々これからを歩んでいけたらなと思います。
誰だって
大きな壁に当たって
くじけそうになる時があるだろう
でもそれは壁のように見えているけど
もしかしたら扉なのかも知れない
(文責:藤沢教会広報部)
4ブロック合同黙想会
T1 板津
5月20日(土)聖園マリア幼稚園にて、4ブロック(北1、北2、鵠沼、辻堂)合同黙想会が、参加者90名で一日開かれました。指導司祭は、世界的にご活躍の粕谷神父様でした。
「人類は根本的に滅びの方向に向かっている。洗礼の秘跡を受ければ、天国へと方向転換が出来る。人類の殆どが洗礼を受けていないが一体この人達はどうなるのか。第二バチカン公会議後はある意味で、イエス・キリストの十字架上の死によって全人類は洗礼を受けたと言っていいという楽観主義になった。では、なぜ福音を宣教するのかといえば、神は人類の救いに万全を期されたのだから人間の救いは大丈夫だという楽観主義を証するためである。そこまでやって下さったのだから、その神の愛を証しなければならない。これが宣教である。
その宣教について、キリスト教国としてのヨーロッパが優位という宣教によってアフリカは根こそぎとられてしまった。この中で何が生まれるのか。ヨーロッパは神の国としてアフリカの上に君臨するのは当然という思想。このような中で真の宣教は出来ない。真理を求めつつ異質を受け入れる心の広さが必要。宣教には相手を受け入れ尊敬の念を持たねばならない。それには『人間の本質とは何か』というキリスト教の哲学と神学の本質部分にせまり、その国固有の文化・宗教を正しく理解し重んじること。そこから、本当の宣教が始まる。自分の命を捧げようと考えるのが宣教。その中でキリスト教は本当に生きる。
神父様は最近西アフリカの小国シエラ・レオネから帰国されたばかりです。シエラ・レオネはダイヤモンドの発見により10年余りによる悲惨な内戦で平和だった国情が一変。これは、ダイヤの産出による人間の根底に宿る禍根であるというお話しのあと、「何故キリスト教」というテーマで講話がありました
今の世の中で考えなければならないことは、自分の大切なものを切ることによって人に仕えるということ。自分の大切なものを手放すことの恵み。そして、自分にしてもらいたいことを、人にしなさいというキリストの福音の黄金律。聖書を知らなくても黄金律を示してくれることはある。ご聖体の秘跡は、自分を犠牲にして相手を生かす。どれだけセルフレスになれるか。イエス様のように生きるために、ご聖体を受け告解をする。このように我々は神につながっているか。神の愛に応えるために秘跡を受け神と出会い、救われ恩恵を受けて変わって行く。十字架を担うということから逃げない。耐えられないような十字架を神は与えない。神は人を招き続けている。この他、今年の2月に行かれたアフリカで、飛行機の中での黄金律の体験談や、内戦に巻き込まれ苦しみの中にいる二人の少女が、神様の癒しによって立ち上がって行くお話がとても心がひびきました。
講話の後は静かに個人黙想に入り、その後ごミサをあげていただきました。ゆっくりと昼食をとったあと質疑応答になり、キリスト教の本質について熱心に話し合われました。ローマ(ヨーロッパ)とアジアの感性の矛盾については、両方の見方があって良いとのこと。ヨーロッパは深いキリスト教の精神を持っているが、日本は日本人の感性で良い。ヨーロッパ的なことがキリスト教的と思うのは間違いである、ということでした。
予定通り15時に会は終り、私達はキリスト者として生きることの意味を真摯に考える時間を頂きましたことを感謝しながら帰路につきました。この日夕方の雨の後、縦に二本美しい虹が現れました。今日の黙想会の最後に神様は素晴らしいことをして下さいました。豊かな日本にも悲惨な事件が絶えません。私たちに癒しを与えて下さったものと感動しながらしばし見入ったことでした。粕谷神父様と、黙想会をご準備下さいました皆様に感謝申し上げます。
教会学校遠足の報告
日曜学校 奥原
教会学校では、5月14日に教会学校遠足で湘南台文化センターへ行ってきました。土曜学校、日曜学校の子どもたちがたくさん参加しました。
当日は、高野神父様とシスター方が同行してくださいました。あいにくの天候で行き先が変更となりましたが、神様が子どもたちのために雨を少しお休みさせてくださったようで、出発前には雨があがり、一日傘を使わなくて済みました。湘南台文化センターでは、ワールドカップにちなんだ特別展示を楽しんだり、プラネタリウムで藤沢の星空を味わったりしました。一日、子どもたちが楽しく、無事に過ごせたこと、神様に感謝いたします。
えんそくで 2年 原口
5月14日.しょうなんだいぶんかセンターにいきました。
おべんとうをたべてからみんなでプラネタリゥームに入りました。入るときドキドキしたけど、だんだんなれてきました。さいしょ、ほしがまわるので目がまわったけどせつめいをきいてちきゅうや金せい、土せいのことがよくわかりました。とてもおもしろかったです、またいきたいです。
遠足の思い出 3年 下村
わたしは、遠足に電車で行くのがはじめてなので、どきどきしていました。しょうなんだいセンターにつくと、みんなおべんとうをひろげたので、わたしもかいだんのところでおべん当を食べました。おべん当を食べおわると、みんなでおかし交かんをして、しょうなんだいセンターの中であそびました。わたしが一番楽しかったのは、お友だちと、シスターとわたしで、いろいろな、おようふくをきたりしたことです。ほかにも、みんなでプラネタリウムを見て、星ざの作り方を教えてもらったり、コンピューターでいろいろなことをしらべたりしました。帰ってから、お父さんと、お母さんに、いっぱいお話を聞かせてあげました。来年の遠足も楽しみで〜す。
日曜学校の遠足 3年 湯浅
5月14日に、私は、日曜学校の子と、「湘南台子ども文化センター」に行きました。そこで、一番楽しかったものは、『プラネタリウム』です。なぜかというと、いろんな、星や星座がでてきたからです。私はおとめ座でおとめ座がしし座のとなりにあることもわかりました。また、星座のほかに太陽のうごきもわかりました。太陽のおんどは、私が思ってたより1000どくらいひくかったです。でもとっても楽しかったです。こんどは、学校の友だちともいってみたいです。
遠足の感想 5年 小比賀
湘南台文化センターに行ってとても楽しかったです。私は、自分のあく力をためす所や自転車をこぐと風が出てくる所が楽しかったです。妹の詢子はプラネタリウムが楽しかったと言っていました。私もプラネタリウムは楽しかったです。楽しい友達と行って楽しい所を回ったので最高でした。帰りもおもしろかったです。詢子は、顔に絵を書いて帰ってきました。また行きたいです。
楽しかった遠足 6年 井出
私たちは、湘南台文化センターに行きました。文化センターではみんなでおいしいお弁当を食べて、展示ホールでは世界の国々の民族衣装や楽器などで遊びました。プラネタリウムは春の星座と太陽に関する話でした。本物の星みたいでとてもきれいでした。みんなで楽しく、安全に行けたのがよかったです。
遠足に参加して シスター菅原
今回の遠足は湘南台文化センターということで、場所も適当で遊べるスペースもたくさんあり、思わず神様のみ旨は素晴らしいと賛美致しました。(私事ですが、私はプラネタリウムが大好きです。)五感を使っての(味覚は昼食時のみでした・・・)実体験は大人にとっても実のあるもので子ども達も目を輝かせていました。この機会に子ども達のありのままの姿を観ることが出来(ふとした瞬間の優しさ・逞しさなど)一人一人が伸び伸びと過ごしているのを感じてとても嬉しく思いました。本当に今の時代、体験して学んでいくことが大切で、子どもの頃体験したことは、大人になっても覚えているものですし、良い心の糧になっていくと思います。私たちも参加させて頂きましたことを心から感謝致しております。これからも様々な体験を通して神様の愛を感じていくことが出来ますように・・・。
本当にどうもありがとうございました。
神山復生病院訪問記
F1 阿部
新緑の葉に雨滴の滴る5月13日(土)朝、福祉部・壮年部共催の、ハンセン病療養施設・神山復生病院見学会に応募した我々28名と高野神父を乗せたバスは御殿場に向けて出発した。東名を経由して2時間余、現地に到着した我々は聖堂にてまず長年ここで過ごされた元患者の藤原登喜夫さんのお話を1時間かけてお聴きした。70才を超えられた藤原さんは数十年間の耐え難い苦痛と、4年前のハンセン病に関する国の責任を認めた熊本地裁判決を国が控訴せず曙光がもたらされた今も、社会の根底に残る偏見のため12才で神山復生病院に入るとき別れた家族を探すことさえためらわれていること、長い苦しみの末自分が神を必要としているように神も自分を必要とされているとの考えに至ったこと、などを話された。そののち、今は復生記念館となっている元の病院事務所にて、117年の歴史を語る数々の写真や記録を拝見した。創立者・パリミッションのテストヴィード神父のセピア色の遺影、5代目院長レゼー神父のレゼー家より寄贈された今も動く180年前のグランドファーザークロック、6代目院長岩下壮一神父の数々の遺品を実見し、この方々の凛とした自己および真理に対する峻厳さ、他者、とりわけ弱者に向けられるやさしさが粛然と真に迫って私に語りかけてきた。団体行動で長居は叶わず、ハンセン病患者数減に伴う数年前の業態変更でできたホスピス病棟見学に移り、最後に、ここで3年間働いて召命を考えておられた高野神父の司式でミサに与り帰途についた。
明治20年、御殿場地方を宣教して歩くテストヴィード神父が、路傍の水車小屋から洩れてくるうめき声に、隔離放置され苦痛に呻吟するひとりの女性ハンセン病患者に遭遇し、憐れみに堪えず御殿場に農家の軒先を借りて、のちの日本最初のハンセン病療養所である神山復生病院を設立された。テストヴィード神父が教区司教にその設立を願い出た文書を読むと、ハンセン病患者の悲惨と病院建設の動機を述べたのち最後にこう書いてある。「私はどんな危険に身をさらしているかをよく承知しています。ことによったら同僚宣教師らとの交際も出来なくなる日がくるかもしれません。…私は司教様に最後の恩典として、私の愛するライ患者と生死を共にするご許可をひたすらお願い申し上げます。」
愛に生きると口で言うのは易しいが、それを実行するのは生やさしいことではない。しかし、それにもまして私たちキリスト教徒にとって重要なのは、テストヴィード神父がこの2年後、ハンセン病患者のために命を捧げられたそのあとを継がれたヴィグルー神父に、教区司教が書き送られた次の手紙「ライ病患者の衣食住の経費を、ミッションが貴下に与えることが出来ないのは申し上げるまでもない。貴下はその資金をテストヴィード神父が求めたと同じところに、すなわち摂理の金庫の中に求めるよりほかに道はないのである。お気の毒ではあるが、貴下は親愛なるライ病患者諸君のために、かれらと同じく乞食をしていただきたい。…」藤原登喜夫さんは患者から見てこのことに懐疑的に触れられたが、教会と社会福祉事業とを峻別しなければ、キリスト教会は成り立たないことを極限の状況の中で吐露された司教の苦衷は察するに余りあり、教会としての考えどころが内在している。
昭和5年、レゼー神父は81才の生涯を復生病院院長の現職のまま終えられた。後任に岩下壮一神父の就任が発表されたとき、驚かぬ人はなかった。暁星、東京帝大哲学科を銀時計で卒業後、ソルボンヌ、ロンドンで学び、ローマで叙階された岩下壮一神父は、ヴェネツィア教区の宣教師として帰国し、その使命を我が国がキリスト教に市民権を得させるための知的活動に見出し、学生・知識人を対象とした布教と啓蒙、さらに高度な神学研究、執筆と出版、いずれも軌道に乗り、展望も開けていた。ライ病院院長の職務は重要且つ尊いことはいうまでもないが、いかにレゼー神父と親交があったとはいえ、そのために天職と衆目がみとめるものまで放棄する必要があるのか。心中葛藤がなかったとは思えない。留学中の欧州から、召命の決意を明治の財界大立て物である父・岩下清周に告げたときの父の言葉「日本にはライ患者が多い。この方面に尽くせ」を心に深く持ち続けておられたのか。
帰り道、バスの車窓から入り口近くにある復生病院の小さなゴルフ場が見えた。これは身延の日蓮宗ライ療養施設・深敬病院の運動場を見た岩下神父が発想を得て、患者が野球ができるようにと、岩下家の遺産を惜しげもなく注ぎ込み、作られた野球場が、患者の高齢化に伴い、ゴルフ場に造り変えられたものである。岩下神父は患者のチームを作り、自身ユニフォームを着て走り回った。復生記念館にユニフォーム姿の岩下神父の写真が展示されていた。堂々と胸を張っているが、細い体を右手のバットを杖のようにして支えている姿が、彼の幼少の頃からの関節炎か脊椎性の小児麻痺といわれる右足の不自由さを伝えていた。もし岩下神父に右足の不自由という身体上の障害がなかったら、彼の一生はどうだったのだろう、とふと考えてみた。ひょっとしたらただの金持ちの坊ちゃんにとどまったかもしれない。他の人の不自由、つらさ、悲しみ、寂しさを、頭では知っても、自分のこととして共有、共感することはできなかったかもしれない。そこに、超越のはからいがある。これが宗教を信じる者の感性なのだろう。
この野球場の思い出を、遠藤周作が「心の夜想曲」という講演CDで話している。彼は学生時代、友人と復生病院を訪れ患者のチームと対抗試合をした。ヒットを打って一塁に出た遠藤周作が盗塁を試みたが一二塁間に挟まれてしまった。一塁手が球を持って追ってくる。行く手には二塁手が待ちかまえている。思わず立ち止まってしまった。そうしたら一塁手の患者に「触りません、お行きなさい」と言われた。なんともいえない自己嫌悪に陥った、と述懐している。遠藤周作の学生時代といえば終戦直後の頃である。ハンセン病の特効薬プロミンが開発され、不治の病でなくなったのは昭和18年。そんなに時間は経っていない時であり、意識であっただろう。しかし、たとえ一二塁間で立ち止まったにせよ、彼と友人はその時代に患者のチームと試合することによって、外部から隔離された患者に、ひとときだけでも外の人間としてへだてのない交流をして、人間としての当たり前の人間性の回復を実感してもらったはずである。21世紀の今、ハンセン病は感染力も極めて弱く、我が国に感染源となるものはほとんどない安全が確認され、国でさえ過去の責任を認めたこの時代。その昭和18年生まれであるのに、私にはその勇気すらなく、今頃になって漸く、それもやっと見学会に応募して、なんのキリスト教徒のかんばせあってここへやってきたのか。
私はこの数年ずうっと、観念的信仰と実践的信仰、ヨハネによる信ずる者に永遠の生命が与えられる個人性を座とする信仰と、パウロの共同体性を座とする信仰、そして第一の掟「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主たる汝の神を愛すべし」と、第二の掟「隣人をおのれの如く愛すべし」の間で踏み迷い往ったり来たりしてきた。しかし、復生記念館でテストヴィード神父と岩下壮一神父の遺影、その包み込むようなまなざしを見つめているうちに、そのように分けて考えることはないんだよ、と諭されているような気がした。不二、二元の否定、と言ってしまえば肩が凝るが、一二塁間で立ち止まろうが、遅れてこようが、自分に天から与えられた賜を生かし、遠くの光を見失わないように歩いていく。行く手の光さえ見失わなければ、こんな貧しい私でも赦され、受け容れられている。共観福音書は等しくイエスがライ病の人を癒される場面を描いている。しかし遠藤周作は「イエスの生涯」の中で、聖書の奇跡物語よりも慰めの物語のリアリティに関心を寄せ、イエスは人々が忌み嫌うライ者たちの谷を訪れ、ライ者をもとの体にしてやりたかった。しかしそれができなかったとき、彼の眼には悲しみの色が浮かんだ。彼はライ者の手を握り、彼らの苦痛やみじめさを引き受けたいとひたすら願った。彼らの苦しみをわかちあうこと、彼らの連帯者となることはイエスの願いであった、と書いている。人には与えられた賜がある。誰もが野球をやって野茂のように豪球を投げられるわけではない。誰もがスケートをやって荒川静香のようにビールマンスピンを舞えるわけでもない。しかし草野球でいいではないか、野球ができれば。涙を流したってなんの役にもたたないよ。それより、ここに来て、洗濯でも手伝うんだね。そう岩下神父の温和なまなざしは語りかけているようだった。
アフリカウガンダ宣教報告会
善行 岡村
もともとアフリカが大好きで、かつて信徒宣教者として働いていらした本柳神父様が、この度三年間の任期を終えウガンダから帰国されました。
一口にアフリカと云っても、あの大陸には何十という国があり、その.歴史も多様、現在も平穏と戦乱の地が入り乱れているようです。神父様の任地であったウガンダ北部コティド教区は治安が不安定で、その原因は昔ながらの牧畜を生業とするドドス族とジエ族がお互いの牛の奪い合いで対立し、殺し合いを続けているためです。昔は争いがあっても槍と刀の戦いなので犠牲はそれ程でもなかったのが、今は銃器が入ってきて犠牲者がふえ、道路上の車もいつ狙撃されるかわからず、かなり危険度が高いとのことでした。神学校時代の友人、渡邉神父様が現地を訪問されたときは、首都カンパラから教会までの車で10時間の道中兵士に警備を頼まれたとのこと。現地生活は厳しく、渡邉神父様の訪れは大きな励ましと癒しになったと話されました。
それこそ電気もガスもなく、メールの送受信も大きな街まで行かなければ出来ない所です。水は雨季には井戸の水も出て助かりますが、乾季には泥まじりの水に.なります。現地の女性、子どもはとうもろこし粉のお餅のようなものが主食で、男性は狩に行き肉を持ち帰り、主食はとうもろこしのビール状のようなもの。神父様は余りお酒は飲めないが、雨季中は時々飲み、乾季中の水で作ったものは絶対に飲まないようにされたそうです。どの地方にも干魃でなければ豊富に獲れる芋、野菜、果物等があります。
ウガンダは大体に北部は貧しく南部は豊かで、新しい大統領の施策によって、教育も南部の方は進み現地の聖職者も増えて来ました。任地のコディトの町は人口1万人のうちカトリック信者は約7割で、受洗者は幼児洗礼と女子中学生が多く、共に年間100人ずつ位です。男性の成人受洗者は殆どなく、幼児洗礼を受けた男の子が大人になってもあまり教会に来ないそうです。3年間で殆どお葬式も結婚式もなく、死者は川や藪の中に捨てられるとのこと。教会は病人を車で病院へ運んだり、警察や行政に相当するようなことを受け持っており平和を築くために努力していますと話されました。
アフリカの地図には長い直線で区切られた国境が多々見られます。かつての宗主国が自分達の都合で線引きし支配した結果でしょう。現在も先進国からの武器の流入で部族間の抗争も助長され、殺し合いが納まっていない所も多いのです。
本柳神父様はこれからイスラム教圏内にあるカトリック教会に赴任され新しいお仕事に就かれる予定だそうです。今までの3年間も、横浜教区とのつながりが大変支えになったと話されました。新しい任地の状況、何が必要なのかなどの情報を送っていただきたいと思います。かつては遠かったヨーロッパ、アメリカ、カナダなどから、たくさんの宣教師が再び故郷へ帰れない覚悟で日本に来られ、私たちと共に生きて下さいました。今、私たちの教区からも何人かの司祭がアジア、アフリカ、南米などに派遣されています。現地との往復も出来ます。この派遣、交流によって私たちも遠い国の人々とよりつながるようになりました。このように「知ること」によって、私たち一人一人のはじめなければならないことが色々と見えて来たように思えます。
今回は時間が十分でなかったので、又お話し合いをする機会がほしいと思いました。
作品展を終えて
湘南台センター スタッフ一同
湘南台センターでは、4月27日から30日まで4日間「鈴木勁介 作品展」を行ないました。レオの方々が短期間であったにもかかわらず最高の会場を用意してくださいました。正面には「イングランドの初夏」の爽やかな絵が飾られ、そして、絵を座って見るコーナーが、神父様のお勧めにより設けられました。そこでは訪れた方々と思いがけず和やかな交流を持つことができ、大きな喜びとなりました。「自然描写の中に神様の息吹を感じた」「温かで心が癒された」等、多くの感想も頂きました。近隣教会の方々、ポスターを見て初めてセンターに来て下さった方々、藤沢教会の皆様方等、お蔭様で約250名の来場者がありました。
期間中多くの恵みと出会いを下さった神様と、大切な絵をお貸し下さった鈴木神父様、準備から撤収まで大変な作業を快くして下さったレオの方々、会場ボランティアの皆様に心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。