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八 角 形 に ゅ ー す

2006年10月1日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

この夏に出会った人々・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 鈴木

教会委員会報告

藤沢ブロック集会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 堀田

敬老会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 窪田

神学生と第五地区子供たちの交流会

遠藤周作著 『侍』 講演会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 山本

湘南短期キリスト教セミナーのご案内・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子

アジア学院より御礼申し上げます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 遠藤

マドレーヌの会報告

藤沢教会の皆様へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東ティモール Sr中村

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この夏に出会った人々
主任司祭  鈴木

 以前、私の絵をお買い上げいただいたKさん宅に招かれて、嫁入りした娘にでも会うような気分で出かけました。久し振りに会うのはちょっとドキドキします。やけに拙さが目立つこともありますので。でも、今回はまだ魅力が感じられてホッとしました。描いた場所はKさんにとって思い出深い所だそうで、作者の思いに何かを加えて味わっていただけているようで、よかったなと思いました。

 この夏もある先輩から「司祭が絵を描くのは趣味なのだから、ちゃんと仕事をしろ」と叱られました。20年以上描いていますが、今だにそうです。福音を伝えるとか、証しするって教会の中にも新旧の考え方があるようで、しかもお互いなかなか認め合えない不寛容さがあるのですね。

 知人のIさん宅をお訪ねしたとき、改宗者としてご両親や子供達家族の信教の自由を尊重しながら、信仰を生きるご苦労や喜びを伺いました。司祭はあまり背負っていない重荷ですが、これも復活の喜びにつながる十字架であってほしいと思いました。

 夏休みは某温泉で湯治と決めていますが、そこに「玉子屋」さんという「わらび餅」で有名なお菓子屋さんがあり、そこに毎日のようにコーヒーを飲みに行きます。もう何年にもなるので奥さんとは顔なじみです。たまに顔を合わせる御主人とは挨拶するだけの間柄から、だんだん話をするようになり、今年はこんな話をしてくれました。

「由布院という温泉街を立て直そうと20年近く前(?)最初に動き出したのは4、5人だったそうです。今では全国トップになりましたが、そうすると新しい悩みが生まれてきたそうです。大資本が入り込もうとするんですね。ファースト・フードやコンビニが増えると街の風情はどうなりますかねえ。全国トップはよくない。7、8位ってところがいいですね。ここはどうしようかって考えるんですよ。先日もある友人に農家の民宿をやれと勧めたんですよ。古い大きな家で、窓をあけると一面田んぼが見えて、水洗便所なんてなくても、せんべい布団でも、清潔なシーツと枕があってさ、おかずは地の野菜ぐらいで質素でも、ご飯とみそ汁は飛びきりうまいなんてやつをね。まだ決断つかないみたいだけど。」

 色々な人の所に出かけたり、招いたりして話をしてくるこの人のエネルギーが自然に私にも元気を与えてくれました。たとえばこんな関係の中で、問われたら、「キリストを信じてるよ」って、ちょっとだけ漏らすような宣教が粋でおとなでいいと思うのですがねえ。



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教会委員会報告(9月16日)

(1)バザーについて

(2)合葬の園について

以前に事務局長から説明のあったように聖園の内の別の場所を考えているが、予定地よりベビーホームへの距離が条例の定めより不足しているため、条例の但し書の適用が必要である。県の担当部署に適用の可否を問い合わせるための資料を現在作成中で、近日中に県の担当者と打ち合わせる予定。

(3)聖堂アスベストについて (総務部からの報告)

前回の委員会で対策として全面的措置ではなく、損傷、欠損部を固めることを提案し、具体的な工事について業者と話し合いを行った結果、工事には聖堂周囲全面に足場を組まねばならないことから全面的に固めてしまう方法が得策である。費用は約450万円、工期は月曜から土曜までの6日間。これについては将来、アスベストを全面撤去する場合のコスト削減になるのかを業者に確認し、次回の委員会に諮ることする。

(4)横浜教区のセンター機能整備について

主任司祭より横浜教区長梅村司教のご意向として藤沢教会を教区のカトリックセンターの機能を持つ小教区として整備したいとの申し入れがあったとの報告があり、この計画を検討していくことについて当教会としてどう考えるか(賛否を含め)各ブロック、地区あるいは活動部で話し合うことになった。詳しくは別掲の記事をご覧下さい。

(5)ブロック・活動部報告

@藤沢

A辻堂

11月5日(日)センターホールが空いていたので9時半ミサ後の喫茶室を試みとして開く予定。今後は中高生会とも協力しながら、センターホールが空いているときに開きたい。各ブロック、教育部と相談しながら検討していきたい。

B北1

9月24日(日)9時半ミサ後、ブロック集会テーマ「ミサには流れがある」

C北2

10月7日(土)ブロック集会「バザーにどのように協力するか」等

D国際部

E宣教部

F福祉部

G典礼部 

10月1日(日)横浜教区秋期典礼研修会「障害を乗り越え、ともに捧げる典礼」鹿島田教会にて

H教育部

大学・専門学校生を対象とした学生の会が発足した。当面、教育部に所属することにするが、発展していくよう皆さんの応援をお願いします。

Iその他



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藤沢ブロック集会に参加して
藤沢1区 堀田

 去る9月3日(日)10時45分からセンターホールにて、藤沢ブロック集会が行われました。74名のご参加を頂き、連絡員の一人として準備に関わった私はとても嬉しく思いました。内容は、ブロックミサ当番、葬儀、敬老ミサ、バザーについて・・と盛りだくさんでした。

 まず、ブロック長の澤内さんから10月の当番についての説明を頂きました。そして、ミサ中の案内係もブロックから出すことになりました、との報告がありました。これを受けて、1区の岡田さんが案内係の仕事をお話くださいました。

 皆様の関心が高かったのは葬儀についてでした。葬儀を考える会の皆様が作成してくださった「元気な時に考える葬儀メモ」に沿って1区の高野さんがご説明くださいました。司祭数の減少等の現状をふまえると、今後、葬儀を信徒が行わなくてはならなくなることもありうるということ。ミサを除いてほとんど全ての儀式を信徒も司式できること。そして葬儀はブロックが担当し、皆で祈り、皆で送るということ。そのためにも信徒一人一人が、まだ元気なうちに、自分の葬儀についての希望等を書き留めておき、家族や共同体がその本人の思いをできるだけ尊重しながら葬儀ができれば意義深い葬儀にできるのではないか・・等をお話くださいました。質問や意見も色々と出され、皆様の真剣なお気持ちがよく伝わってまいりました。子育て奮戦中の私などは「まだまだ先のこと」という意識が強かったのですが、今回のお話を伺って決してそうではないのだと感じました。

 バザーについては2区の曽根さんから説明頂き、今年のキャッチフレーズは「差しのべよう、両手にのせて」に決まったことや各パートの担当者の紹介、皆様への協力のお願い等がございました。藤沢ブロックは、10月はミサ当番とバザーが重なりかなり忙しくなるかと思いますので、ブロックの皆様一人一人の力を貸して頂けますように改めてお願い申し上げます。

 内容は盛りだくさんだったのですが、参加者の皆様のご協力で和やかに速やかに集会が終えられましたこと、感謝申し上げます。お話くださいました皆様、準備、お手伝いくださいました皆様、ありがとうございました。神に感謝!



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敬老会に参加して
鵠沼1区 窪田

 夜半からの強い雨がやっと上がった昼前のひと時、私は久々に教会の敬老会に参加させていただくことができました。昨年末より体調を崩しあまりごミサに与れなかったのですが、最近少し回復の兆しが見えていたところ、ちょうどこの敬老会にお招きいただき、ごミサと病者の塗油に与れるということで期待と不安の気持ちでセンターホールの会場に入りました。入り口ではスタッフの皆さまが本当に温かく迎えてくださり席に着くことが出来ました。ごミサは藤沢教会のお三方の神父さまがお揃いで司式してくださり、びっくりすると共に本当にうれしく思いました。「人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり・・・」、主司式をしてくださった渡辺神父さまのお説教の中で紹介してくださった「最上のわざ」という詩のこのフレーズは、本当に現在の私の心にしみる思いが致しました。無事に病者の塗油を受け、ご聖体をいただいたあとは、テーブルを囲んでのお食事をいただきました。普段なかなかお目にかかれない懐かしい方々と楽しいお話のひと時をもち、また鈴木神父さまからは会場に展示されているご自身の絵画について興味深いお話をたっぷり伺うことが出来ました。食後には教会のお庭で育てられたぶどうとみかんをいただき、甘酸っぱく新鮮な教会の味と香りを堪能させていただきました。普段教会のごミサに参加できない私たちのためにこのような敬老会を催してくださった多くの皆様のお心がしみじみと伝わってまいりました。また普段気がつかないところで多くの方々にお世話になっている事も改めて感じることができました。どうも皆さま、本当に有難うございました。感謝!

荒天にも係わらず27名の参加があり、ボランティアで送迎、準備のお手伝い、各ブロック・地区でのお声かけのお陰で出来たことへの御礼と又,来年出来たら嬉しいです。(福祉部)



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神学生と第五地区子供たちの交流会
辻堂1区 鈴木

 8月6日日曜日中和田教会において「仲良くなろう―神さまと、友だちと」のテーマのもとに、神学生と第五地区の子供たち(主に小学生)の交流会を行ないました。横浜教区の濱田助祭、宮内神学生、エスコラピオス会のネルソン神学生、そして高野神父が、第五地区の各教会から集まった約30名の子供たちとゲームやワークをしながら1日を過ごして下さいました。藤沢教会からは、3名の子供たちが参加して、感想文を書いてくれました。

 プログラムは濱田助祭が考えて下さいました。中和田教会のミサに参加して、ともに祈ることから始まり、各教会の子供たちが役割を分担しミサ奉仕をしました。ミサは渡邉神父も共同司式して下さいました。ミサの後はまず私たちの教会がどこにあるのかを知ることでした。地図を見せて日本→横浜教区→神奈川県→第五地区→各教会の位置を確認しました。その後は子供たちに神学生、神父様、数名の大人も交えての楽しいゲームの時間。くじを引いてのジェスチャーゲーム、そこで分けられたグループ対抗のゲーム、ゲームは自己紹介も兼ねていました。

 昼食はテーブル毎に大きなパンを、代表のひとりが手でちぎり、皆に分け合って食べました。おかずは、中和田教会の方が教会の畑で育てたトマト、キュウリ、ジャガイモもが大きなお皿に盛られて、皆おなかいっぱいになるまでいただきました。畑から収穫したばかりの野菜はそれだけで美味しく、子供も大人も大喜びでした。昼休みは、神学生を先頭に追いかけっこ、子供たちは歓声を上げ大騒ぎで走り回り、大人たちはそのエネルギーの大きさに圧倒されていました。

 午後のプログラムでは「私たちの教会自慢」、教会毎のグループワークで模造紙に各教会の特色を、子供たちが一生懸命考えて書き、皆の前で発表しました。最後はカード交換、1人1人名前や自己紹介、交流会の感想等を書いたカードをじゃんけんゲームをしながら交換して、当日の記念に各自持ち帰りました。

プログラムの終わりは子供も大人も一緒に輪になって手をつなぎ祈りで終了。スイカや飲み物、おやつをいただいてから帰路につきました。(スイカは野菜と同様、中和田教会の畑で収穫したものを提供していただきました)

 今回の交流会は一粒会が企画しましたが、初めての試みでもありいたらぬ部分が多く、皆様に随分ご協力をいただきました。日曜学校リーダー、中和田教会の方々には特にご負担をおかけしました。関わって下さったすべての皆様に、心から感謝申し上げます。

中和田教会
3年  渚

 ぼくが、一番楽しかったゲームは、くじのゲームです。さいしょはちゃんと自分のポーズの所に行けるか心配でした。でも、ぎりぎりのところで自分のポーズのグループを見つけました。あと楽しかった事は、自分の教会のしょうかいをかいた事です。八木とこうたいでやっていました。八木が書く時なにを書けばよいのか考えなくてはいけません。考えられるのかなと思いましたが、なんとか考えられました。

 あと、お昼もおいしかったです。その中で一番おいしかったのは教会のはたけでとれたじゃがいもです。とくに、しおをつけるとおいしかったです。

 楽しく一日をすごすことができたのでとてもよかったです。

はま田じょさいと子どもたちのこうりゅう会
2年  まさと

 はじめによこはま市えいち下てつにのり、立ばでおり、5分間歩き、みちにまよいながらいきました。中わ田教会にいってミサをしました。はま田じょさいが、かんがえたゲームがすごくおもしろかったです。ひるごはんは、じゃがいもとパンだけでおなかがいっぱいになりました。おやつのスイカもおいしかったです。ぼくたちのつくえはかぶとむしのぐんたいみたいでした。立ばからしょうなんだいまで、ちかてつでかえりました。

 はま田じょさいとネルソンしんがく生みやうちしん学生とわたなべしんぷさまとたかのしんぷさまがきました。すごくたのしかったです。

はま田じょさいと子どもたちのこうりゅうかい
1年  真理恵

 さいしょにでん車にのってしょうなんだいからたてばにいって、中わ田きょうかいでごミサをしてつぎにゲームをしておひるをたべました。ゲームははま田じょさいがつくったゲームでした。しょくじは中わ田きょうかいのよこのはたけでとれたやさいでした。

しょくじのパンをたべるとき4年生のおにいさんがパンをちぎってごせいたいをくばるまねをしていました。おにいさんがスイカにしおをかけてたべていました。かえりのでん車にのって、たてばからしょうなんだいまでかえりました。はま田じょさいはわかくて、げん気でめがねをかけていました。こうりゅうかいはとってもたのしかったです。



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遠藤周作著 『侍』 講演会に参加して
辻堂1区 山本

 9月9日(土)湘南台センターにて兼子先生のお話を伺うことが出来ました。「深い河」「おバカさん」「沈黙」に引き続いて、今回遠藤没後十周年 並びに湘南台センター十二周年を記念して「侍」を取り上げて下さいました。きびしい残暑の中であるにもかかわらず、渡辺神父様も参加され、親しみ易い小じんまりした会場は ほぼ満席、遠藤研究を長く続けていらっしゃる先生のお話は、いつにも増して熱が入っていた様に思います。

 はじめに侍という題名、武士、士(さむらい)とは言わず、「侍」としたのは「人に侍(さぶら)ふ」という遠藤氏の思いが込められているとのこと、私達の生き方が問われているようでハッと致しました。第一にこの小説のあらすじ、次いで仮の回心、第三にこの小説の言わんとする処は何かという順序でお話が進められました。さらに史実と多少のずれがある点にもいくつかふれていらっしゃいました。例えば主人公支倉常長を矮小化している点、あの時代7年という年月をかけてあれだけの事をやってのけた支倉は、かなりの人物であったに違いない等々。

自ら欲した訳ではなく、ただお役目のために心ならずも受洗した主人公、長谷倉六右衛門が最後に到達した信仰の境地とは? 全編を貫くしみじみした哀感のなかに、長谷倉ならぬ遠藤が実感する、もはや西欧でも東洋でもなく十七世紀でも二十世紀でもない、まことのキリスト教信仰の方向性が示唆される。
〜〜〜講演会パンフレットより〜〜〜

 受洗する時は神もキリストも信じていなかった主人公の侍が、いつのまにか神さまにつかまり捕らえられ、一度「信じます」と口をついて出た言葉によってあちらからの呼びかけに答えるようになり、やがてはその恵みの中に包み込まれていったその不思議さ・・・。これはまさに大きな秘跡(ミステリウム)・サクラメントであるという。遠藤氏のみならず半分疑いながら受洗した私自身とも重なります。何といっても本書の主意は「洗礼の秘跡」ということでしょうとお話を結ばれました。

 係の方が用意された冷たいお茶と熱いお茶、そしておつまみのお菓子を戴きながらしばしの交流の時がもたれました。「わたしはあなたと共にいる、あなたを決して離さない」と言って下さるあのお方の声が背後から聞こえて来るような気がしました。と同時にその声に答える事とは何なのかとしばし思いめぐらせ、コトコトと小さな階段を降りて帰途についたのでした。兼子先生、並びにいろいろ企画された係の方々に心から感謝申し上げます。



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湘南短期キリスト教セミナ−のご案内
藤沢2区 兼子

11月11日(土) 午後3-5時 
五木寛之氏(作家) 「こころの風景」

11月18日(土) 午後2-4時 
阿部仲麻呂師「花は花でないから花である」

11月25日(土) 午後2-4時 
森一弘師「キリストのメッセ−ジの普遍性」

セミナ−のコンセプト:

 今回のセミナ−全体のテ−マは「諸宗教対話」です。仏教、イスラム教、ヒンズ−教との対話、交流、協力は第2バチカン公会議が全教会に義務・課題として託した務めです(1965.10.28 『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』) 。言うまでもなく諸宗教対話は特にアジアの教会にとっては不可欠です。諸宗教を理解し互いの優れた霊性を尊長すること、それは私たちキリスト者にとっても自らの信仰を深める上で極めて有益と思います。今回の講師の五木氏は仏教の、森司教はキリスト教のそして阿部師はお二人を結び付ける諸宗教神学の視点から話をして下さいます。

講師紹介:

五木寛之氏、森一弘司教

 司教様については改めてご紹介する必要もないのですが、今回のセミナ−にお呼びできた作家の五木さんとの関わりで述べます。団塊の世代の方は若き日に五木さんの『さらばモスクワ愚連隊』『青春の門』等の作品を感動をもって読まれたことと思います。その後、多くの傑作をものにされ超売れっ子の五木さんが、ある期間、休筆され真宗を学び『蓮如』で再登場された時には驚きでした。ダンディ−でモダンなイメ−ジが売りの五木さんと仏教というのは直ぐに結びつかなかったからです。しかし『蓮如』は現代という、真の宗教に飢えた時代の日本人に、大衆とともにつねに歩んだ宗教者の姿を鮮やかに伝えました。今回、講師をお願いするきっかけになった森司教との対談『神の発見』を読まれた方も多いでしょう。『神の発見』の中で五木さんは自分のことをブッディストと呼び、自分は聖書に深い感動を覚えるけれどもあくまでブッディストのままだと。 森司教がマザ−テレサのインドでの活動とその信仰に言及されると、五木さんも「心から自分の信仰を大切にしていなければ、他人の信仰を尊重することは出来ない」と応じます。森司教と五木さんのお二人は共に、仏教とかキリスト教とか言う個別の宗教の枠を超えた本質的・普遍的な宗教の目指す方向を見据えておられます。日本文化のなかで育ったキリスト教は欧米の教会とは異なる貢献が出来るのではと仰る森司教のことを五木さんは『聖書のことば』の推薦の帯でこう評します「森司教のような人が幾人となく現れることで、いつかキリスト教も日本人の血となり肉となるのかも知れない」と。 紹介の終わりに彼のエッセイ『大河の一滴』から含蓄のある言葉を引用します。「私たちの生は大河の一滴にすぎない。私たちはそれぞれの一生という水滴の旅を終えて、やがては海に還る。母なる海に抱かれてすべての他の水滴と溶けあい、やがて光と熱に包まれて蒸発し、空へのぼってゆく。そしてふたたび地上へ」。ここには『葉っぱのフレディ』にも通じる東洋的な永遠回帰の思想があります。それから最新のエッセイ『新・風に吹かれて』を読んでいて気がついたのですが、使われている言葉の一字一句が実に見事です。 そして地名、人名、作品名等に振ってあるルビが実に正確でキチンとしている。そういう所にいかにも五木さんらしい、もの書きとしての誠実さ、お人柄が滲んでいるのを感じます。

阿部仲麻呂師

 同師のことは多くの方が直接にお話を伺ったことはないが、お名前だけは存じ上げていると言う新進気鋭の神学者です。 そういう私自身も6 月10日にイグナチオで開かれた日本カトリック司教協議会諸宗教部門主催の「シンポジウム2006諸宗教対話って、どうするの? テ−マ: 信徒が取り組む諸宗教対話」で初めて師の肉声に接しました。そして今、同協議会編の『諸宗教対話−公文書資料と解説』と言う本を読んでいます。それによると西欧のキリスト教神学の「イエスの十字架上の死」( 「自己無化」ケノ−シス) が仏教の「空」、西田哲学の「絶対無」などと共通する所をもち、ここが対話の接点ないしは根本場になると師は考えておられます。私が考えるのですが、異質なものとの対話で大事なことは異なる点に注目することではなく、先ず対話の土台となる「共通の場」を探すことです。なぜなら絶対なるものに向かって導かれる人間の霊的体験はキリスト教も諸宗教もともに自覚する真理だからです。話が少し難しくなりましたが、諸宗教対話に関して、私たち藤沢教会の信徒は既に実践しています。つまり平和祈願という共通の目的のために、従来から仏教のお坊さんの平和行進に協力したり部分的に参加してきました。また平和という大きな目的のために、1999年バチカンの諸宗教者の集いや、1986年にアッシジで開催され、その影響をうけて京都で始められ、先頃、再び京都で36年ぶりに開催された「世界宗教者平和会議」 等の諸宗教者の集まりに深い関心を抱いておられる方もあります。 あるいはもっとみじかな問題を抱えておられるかも知れません。 家庭の主婦でご主人がカトリックではないので遠慮しながらミサに与っているが、もしご主人が亡くなられたときに、受洗されていなければ自分と異なるお墓に入ることになるのかとか、逆に自分が先立った場合、婚家の菩提寺に入ることになるのか等々、深刻な疑問を抱えておられるかも知れません。こういう疑問をおもちの方はセミナ−で是非、師に質問して下さい。



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アジア学院より御礼申し上げます
オボッス神父、チャールス氏の受け入れ有難う御座いました
辻堂2区 遠藤

 西アフリカベナンからのコチョレ・E・オボッス神父とシエラレオネのジョン・A・チャールス氏の二人が、教会の多くの皆様方のお世話により、藤沢で大変良い夏休みを送らせて頂きました。篤く御礼申し上げます。

 8月12日夕刻JR藤沢駅に到着直前、突如強い雨に見舞われ、やや不安な二人の夏休みの幕開けでした。しかしそれもつかの間、センターホールで関西風お好み焼きや散らし鮨等、もう10人程学院の学生が来ても大丈夫と思われるほどの充分な、暖かい夕食会で迎えられ先程の不安などたちまちどこかに消えてしまったことでした。

 翌13日の日曜日には昨年のベジ神父さん同様9時30分の共同司式のごミサの後、御聖堂で簡単な自己紹介の後、ホールでの報告会に30名を上回る方々が参加して下さいました。チャールス氏の故国の内戦の傷跡や、残された多くの未亡人とその家族救済に奮闘している彼のNGO の活動報告を聞き、又オボッス神父の紹介する現地の祈りのダンスのDVDを不思議な感動とともに鑑賞しました。差し入れていただいた昼食をはさみ午後2時過ぎまで懇談は続きました。夜はご自宅の庭を会場に整え準備して下さったKMさんとネットワークともにの方々によるバーベキューの歓待を受け、最初から最後まで焼き手に徹して下さったKAさんに感謝しつつ豊かな一晩を、ともに語り、飲みかつ味わうことが出来ました。

 14日は一転MT神学生始め5名の若者達の案内で終日古都鎌倉見物、15日にはEYさんの案内により由比ガ浜教会でグレゴリアンの聖母マリア被昇天のごミサに与り、夕方にはヴェトナムコミュニティーのための5人の司祭団による被昇天のごミサにオボッス神父も共同司式。終了後は彼らと夕食歓談、藤沢の多様な共同体を垣間見ると共に、夜にはホームレスの人々のパトロールにも参加させて頂く等、アジア学院内並びに農業研修では触れることの出来ない貴重な経験を積むことが出来ました。この間鈴木神父様始め渡辺、高野両神父様方にも歓迎食事会にご参加頂き、また教会のゲストルームを5日間快く宿泊に利用させて頂き大変有難いことでした。

 2000年のキジト神父さんに始まり、4年のジャンピエール君、昨年のベジ神父さんそして今年の2人と、藤沢教会とアジア学院に学ぶアフリカからのカトリック教会関係学生との交流のパイプが、年毎に太く強くなっているのを実感しています。私が直接見聞きしたり、2人が話してくれたこと以外にも多くの方々が彼らの5日間をより実りあるものにして下さったことと思います。彼らが帰国し、この経験を仲間に話す時、皆様が播いて下さった種がたとえ小さくてもしっかりとした実りをもたらすことになると信じています。お世話下さった全ての皆様に心より御礼申し上げます。

(追伸 一期二会?もう一度彼らに会う機会は10月14日15日の学院での収穫感謝の日と12月9日の卒業式があります。どなたでも大歓迎です。)



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「主よあわれみたまえ
善行 岡村正

 上映が待たれた映画「太陽」が、東京銀座で8月5日から11日まで上映された。ロシアの監督ソクーロフが、「モロク神」「牡牛座」に続く昭和天皇を主人公にする映画をつくり、十二ヶ国以上で上映されていたのは知っていた。5日は初日で土曜日でもあり、大変な人出だったが友人と一緒に見ることができた。終わってわたしは心底人であることが悲しかった。人と人が互いに分かり合うこと、分からないところを他者に認め受け入れて、共に生きる者になることの難しさ。敗戦間際のご前会議で、支離滅裂で無力な大臣達に囲まれながら、天皇はなんと孤独であったろう。この破滅を回避できるのは今ここに彼一人の他には居ないと受け止める。この映画では至る所に、人と人の間で行き交う言葉の空しさがあらわれ、何故人はかくも愚かでそれに気付かないのかと考えさせられた。実は日常身近なところでも絶えずこの空しさを体験しているのに感じないのだ。この問いはすべての人の問いではないか。

 カトリック新聞8月6日号の一面トップタイトルは、「教皇<無防備の市民>気遣う」でレバノン情勢に見える無差別の破壊殺戮に巻きこまれる市民の姿を感じさせられた。人がその思いや考えでものごとを選ぶ限り、私たちから一方的な力の行使は無くならないだろう。武器はすべて一方的な力の行使のためにある。しかもそれは私たちの日常生活の中にもあり。何故それを認めず愚かにもそうなってしまうのかと、先の問いに連なる。支えにするものを持てば持つほど人は、未知の分からないところを恐れ、関わろうとしなくなる。己の今あるところを守ろうとする。宗教もその例外ではないだろう。同じカトリック新聞の記事、キリスト教一致推進評議会・議長の一方的な発言にそれを感じる。カトリックであるなら、カトリックを無限に超えてほしい。それでこそキリストの伝える福音ではないか。「なぜ、そんなに恐れるのか。まだ信仰がないのか」(マルコ4:40)近代戦になって、軍隊同士ではなく一般市民も巻き込まれるようになる。第二次世界大戦では。ドレスデン市の無差別殺戮爆撃に引き続き広島、長崎があった。市民を巻き込まぬようにという国際法は、批准した国の軍隊なら守らなければならない筈であるのに。無防備は、軍隊の存在を否定しなければ成立たないのがよく分かる。未知の分からないところを互いに認め受け入れて、共に生きるのでなければ、どうして話し合いになるだろうか。話し合いがなければ、どちら側も一方的な力の行使で、力の多い者が支配する。

 人の歴史はその繰返しのようだ。人の支えは見える知っていることでしかない。だから経済による支配はまさに量的な支配である。私たちの今までに欠けている足りないところを通して、今まさに生まれ始まろうとしていることに心を向けかえる必要がある。選んで生きている限り私たちは、その思いや考えを超える引き合わせが今ここにあっても気付こうとしない。特に他のすべてに結ばれてある『選べない引き合わせ』が見えず聞えないので、創造のはたちきに対して常に一方的な力の行使に終わるのではないか。



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マドレーヌの会報告
藤沢教会マドレーヌの会

 東ティモールの治安の悪化が新聞などで報道されたのは5月ごろのことでした。

皆様の御協力で支援を続けている聖心侍女修道会東ティモール修道院のシスター方、そして 修道院でともに生活しながら教育を受けている現地の学生さんたちの安否を大変心配しましたが、幸い何とか危機的状況をきりぬけられて無事にお過ごしになられておられるそうです。

 マドレーヌの会の昨年度の活動は主にマドレーヌの販売とクリスマスマンドリンチャリティーコンサートの開催でした。また販売を一手に引き受けてくださる方、臨時に注文してくださる方、自家製のマーマレードを作って毎年ご協力くださる方などの応援をいただき、本年度を締めくくることが出来ました。例年のように皆様の御支援の賜物は"ラファエラ東ティモール募金"に送金させていただきました。そのほかに教会の福祉の連帯という観点から、売り上げの中から藤沢教会のホームレスの方々のためにお米代として使わせていただきました。皆様のご理解ご協力を感謝申し上げます。

 夏休みも明け、一同新しい気持ちで頑張ってまいります。東ティモールでは政情不安の中、せっかく積み上げた日々の生活が略奪や焼き討ちで一夜にして破壊されてしまうこともあるそうです。その中で現地の子女を守るために薬、食料の援助、教育の機会を与える活動の資金の一部となって役立つことを願っています。

 時にはマドレーヌだけではなく、違った焼き菓子も登場させますのでどうぞお試しくださいませ。又12月2日土曜日午後にはマンドリンコンサートも予定しております。これからもよろしくお願いいたします。



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藤沢教会の皆様へ
聖心侍女会・東ティモール修道院  Sr中村葉子

 日ごろから様々なご苦労のある中で東ティモール支援を続けて下さる皆様に心から御礼申し上げます。自然災害、社会不安などによる多くの不幸が世界中にあるなか、皆様が小さな国、東ティモールを忘れず、息の長い支援活動を続けてくださっていることは本当にありがたく、私にとって大きな支えです。

 メディアでかなり報道されたと聞いていますが、東ティモールは独立4年目を迎えた今年の4月以降、大変な危機に遭遇しており、解決の目処は一向に立っていません。この危機の分析は世界各地で専門家などが取り組んでいますが、彼らとてすべてが分かるわけではないようでましてや情報の少ない現地の私たちは一体誰がこのような社会的、政治的不安を引き起こしているのか今もって分かりません。5世紀近くにわたって他国の支配下にあった小さな国が独立すること自体、多くの困難を伴う営みで、国連の支援があったにもかかわらず(人によってはその支援の仕方にも問題があった、と言っています)この国は思うように建国ができなかった、ということがある一方で、豊かな石油資源や戦略・通商などに便利な地理的条件を備えた東ティモールを影響下に置くことを狙う外国政府がこの国の不安定を企んだ、という分析もなされているのが現状です。

 私が住んでいるディリのべボヌック地区も、5ヶ月間以上放火略奪に遭って来ました。元は故ステファニ・レナト神父所有の家だった私たちの家自体は、修道院だということもあって狙われる危険は少ないのですが、近くの民家はほとんどが略奪や破壊に遭っています。20代の既婚者レオ君の家はブロックとピクという木の皮で出来た家でしたが、彼が避難している間に襲われ、トタン屋根が全部盗まれてしまいました。オーストラリア警官が駆けつけたときには強盗たちはすでに逃げ去った後でした。私は近所の目撃者たちと警官の間に入って通訳をしましたが、襲われた家のあまりの粗末さに、二人のオーストラリア警官は、「これが家だったのか」と驚いた表情でした。何の仕事にも就けないレオ君は生まれつきの彫刻の才能を生かして、わずかの収入を得て、この家を造ったのですが、こんな目に遭ってしまい本当に気の毒です。ディリ市内で焼かれたり破壊されたりした家は二千軒近くあると思われます。長引く暴力事件のため平常どおり機能している学校は一つもありません。社会全体が崩壊し、人々の心がすっかり傷ついてしまった感があります。

 植民地支配や侵略、占領の結果生じたとも言える地域対立が原因となって引き起こされたこの度の事態に接し、改めて国々が他の国々を侵略、占領することがいかに大きな罪であるかを体験しています。そうした侵害はその時、その期間だけにとどまる害ではなく、代々に亘って民族を傷つけるのです。いつもは優しい笑顔で、やってくるすべての外国人を惹きつけてやまない東ティモール人ですが、今彼らからその笑顔が消え、皆表情が険しくなりました。不安と緊張が極に達して久しいのです。

 私たちはこれまでの活動のほかに、この危機対応として何をしたらいいか、毎日話し合っています。平和構築のための対話の専門家グループの協力も得て、何かしら住民の実際の生活に役立つプロジェクト、たとえば家造りに不可欠なブロック製造などが始められないか、と思っていますが、情勢を慎重に見極め、しかるべきプロセスを経て行わなければならず、相当時間がかかると思います。でも、せっかくステファニ神父が購入したこの家を最大限に生かすべく全力を尽くしたいと思っています。今うちには近所の人々から預かっている所帯道具や食料が敷地内にたくさん置かれています。避難民はすでに他所に移ったりしているので、毎夜ここに泊まるのは一家族だけです。これほどの危機に耐えている人々から私たちは忍耐することの大切さを学んでいます。どうか彼らが一日も早く平穏な生活に戻れますよう、お祈りくださいませ。ごきげんよう。感謝のうちに。



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