八 角 形 に ゅ ー す
2006年11月5日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
ひとりの司祭のこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 渡邉
2006年 バザーのお礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー準備チーム 曽根
黙想を終えて−壮年部黙想会より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 中山
北1ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 坂本
フォコラーレの集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 加藤
第39回横浜教区一粒会大会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一粒会 鈴木
ひとりの司祭のこと
司祭 渡邉
今年の7月31日に、30年程長野の天竜川沿いの泰阜村(やすおか)でひとり過ごした大阪教区の馬場神父さんが帰天しました。8月3日10時半、葬儀・告別式との連絡が入り、私は出かけて行きたかったけれど、ちょうど同じ時間にとあるところでのミサを約束していたので、葬儀には出かけて行かず、そこでのミサの中で心を合わせて祈りました。
私が最初に馬場神父さんを知ったのは、横浜教区の田代神父さんを通してでした。田代神父さんと馬場神父さんとは、神学生時代同期であって、以来ふたりは親しくしていました。田代神父さんは、私がまだ横浜教区の神学生になる前に、私が知り合った最初の横浜教区司祭で、私を見て、「あなたのようなものが横浜教区司祭のすべてだと困るけれど、あなたのようなものも横浜教区司祭に必要だ」と言い、また言い続けてくださいました。そして、「僕の同僚に馬場神父というおもしろい神父がいるから、会いに行ってごらん」と薦められていました。
私が最初に馬場神父さんのところに訪問する機会を得たのは、助祭として山手教会で一年間奉仕していたときでした。馬場神父さんは、外の仕事としてはただひとつ、裾野の聖心女学園での黙想を受けていて、その帰りに寿町にあるシャロームの家の原木さんのところに寄って、一度こちらに来てみないかと誘っていったとのことで、私がシャロームに立ち寄ったとき、今度いついつに、馬場神父のところへ行くという話があって、それならと私も一緒に連れてってもらうことにしたのでした。
それ以来何回か、馬場神父さんのところに会いに行きましたが、行く度に何か学ぶところがあったなと思い返しています。あるときは、こんな話をしてくれました。「おれは、ここで、ひとりでミサを奉げているけれども、大地のミサを奉げている、大地を通して一切とつながっているミサを。大地というのは、生きとし生けるものが己を奉げきって帰っていったところで、いのちのお奉げの歴史が積み重なりそこにある。おれは、百姓をすることを通して大地とつながり、一切とつながる中で、日々ミサをささげている。」
私は馬場神父さんが泰阜村に住むようになった経緯には詳しくないのですが、田口枢機卿に大阪教区から追い出され、縁あって泰阜村に住み着き、しかし、最初は村人はなかなかよそ者は受け入れない、しかもカトリック司祭などというのはよけい受け入れなかったそうで、でも田口枢機卿から司祭職停止処分を受けていたのだけれど、それがかえってよく、ただひとりの人間として村人の中へ入って行くことができ、20年そこに住み続け、ようやく村人のひとりになったそうです。
馬場神父さんは、村人の生活の厳しさを、ときどき語り聞かせてくれました。村ではあまり農作物はできず、戦前は赤貧のため多くの村人が満州へ開拓民としてでかけ、その中でも泰阜村からの人々は底辺の生活を強いられ、戦後、満州に残ったものも泰阜村に戻ってきたものも厳しい生活が続いた。しかし、そんなことは日本の中ではほとんど顧みられてこなかった。そういう誰からも顧みられずに厳しい生活の中にある村に、村人のひとりとして司祭が暮らしていることは、意味あることだと思うのだけれども、皆わからんのだなあ、とつぶやいていました。
最後に会ったのは、帰天する一年程前のころ、そのころ「おれが、ここ泰阜村に来るようになったわけがようやくわかった」と何度も繰り返していました。日本の教会の戦争責任に関する記事に触れ、田口司教も戦争に協力し、占領地に司祭を派遣したりしていることを知り、すべてがほぐれるように腑に落ちたようでした。「おれは田口のおやじに追い出されて泰阜村へやってくることになったけれども、戦中戦後、日本の中で最も厳しい生活を強いられ、あの戦争の犠牲となった泰阜村の村人のひとりになって、村人とその苦しみを共にすることによって、それでここで、田口のおやじのいわば子であるおれが、田口のおやじの戦争責任を償うために、神がおれをここに運んだのだ。」
人にはあまり知られずに、その司祭職を全うした馬場神父のことを、ちょっと何かの折に書いておきたいと思い、この場を借りてここに記しました。
教会委員会報告(10月14日)
前回の教会委員会での発表、その後の横浜教区長梅村司教様からのメッセージを受けて、各ブロック或いは活動部などの話し合いで出た意見が披露された。磯子区にあったカトリックセンターを訪れたことのある人が少なく、センターそのもののイメージが湧かない。まずはセンターの機能や、センターの使命は何かを知りたい。小教区としてはどうなるのか。交通の便、地の利からみても、藤沢教会が候補になるのは当然、などといった意見が出された。
センター・プロジェクト・チーム(略称CPT)のメンバーが座長の鈴木神父より以下のとおり発表された(敬称略)
座長 鈴木 神父(司教総代理・藤沢教会主任司祭)
北尾(新子安教会・前教区宣教司牧評議会事務局長)
シスター西岡(ベリス・メルセス宣教修道会)
林 神父(教区事務局長)
小藤(藤沢教会教会委員長)
片桐(前藤沢教会教会委員長)
川辺(藤沢教会事務局長)
前回の委員会での意見に沿って総務部にて調査した結果、仮に今回封じ込め(費用450万円)を実施した後、将来全面除去を行う場合の除去費用は400万円となる。(封じ込めを実施せず除去のみの場合は700万円)との報告がなされた。これをもとに今回封じ込めを実行するかどうかにつき、審議された。これまでは何らかの対策を講ずるという方向で検討が進められてきたが、この度の教区センター化という全く新しい局面において、センター化の構想が2007年末にはまとまること、現在アスベストの飛散は認められず、また飛散の恐れも小さいという調査結果が出ている状況下、対策の実施はセンター化構想の内容を見極めた時点で再度検討した方がよいとの意見が複数の委員から出された。活発な議論がなされた後、最終的に採決をとり、賛成多数で実施を延期することが決定された。
ただし聖堂内の空中飛散有無の検査は来年度に実施する。
11月5日(日)喫茶ルームを開く。中高生と辻堂ブロックの信徒合同。
9時半のミサの前が騒がしいが、もう少し静かにできないか、という意見が出された。(これに対し、久しぶりに顔を合わせる人、近くに座った人との挨拶など多少のおしゃべりは 許されるのではないかとの意見もあった)
10月、11月、12月当番月。
AED自動対外式除細動器(心臓の動きを自動解析し必要に応じて電気ショックを与える器具)を教会に設置してはとの提案があり、設置の可否を含め運営委員会に検討を一任することになった。
11月5日(日)(中高生会)コーヒーショップ
11月11日(土)〜12日(日)(中高生会)中和田教会の中高生と交流勉強会、神山復生病院泊
11月19日(日)第5地区福音宣教委員会研修会 「児童青少年の宗教教育を考える集い」大船教会(中高生会・日曜学校リーダー5名参加予定)
11月23日(木)(日曜学校・中高生会・学生会)東京神学院ザビエル祭を参観
11月26日(日)(日曜学校)聖劇練習開始
教育部の部長が2007年1月より岡田さん(F1)に替わります。清水さん長い間ありがとうございました。
第15回湘南短期キリスト教セミナー(3回) 講師 11月11日 五木寛之氏(作家) 18日 阿部仲麻呂師(サレジオ会司祭) 25日 森 一弘師(司教)
「キリスト教講座リーダー会」は「キリスト教講座担当者会」と名称が変更になります。
藤沢教会・財務報告(9月分) | ||||
2006/10/8 | ||||
(収入の部:単位千円) | ||||
区分 | 項目 | 今年実績 | 前年実績 | 対前年差異 |
一般会計 | 献金収入 | 31,558 | 31,971 | -413 |
指定献金収入 | 2,675 | 2,948 | -273 | |
寄付金収入 | 2,230 | 2,449 | -219 | |
その他収入 | 960 | 1,320 | -360 | |
[収入計] | 37,423 | 38,688 | -1,265 | |
修繕特別会計 | 0 | 0 | 0 | |
がりらや会計 | 8,871 | 8,307 | 564 | |
【収入合計】 | 46,294 | 46,995 | -701 | |
(支出の部:単位千円) | ||||
区分 | 項目 | 今年実績 | 前年実績 | 対前年差異 |
一般会計 | 宗教活動支出 | 16,853 | 22,415 | -5,562 |
指定献金支出 | 2,525 | 2,798 | -273 | |
維持管理費 | 2,005 | 1,112 | 893 | |
人件費 | 9,463 | 9,426 | 37 | |
事務運営費 | 8,059 | 9,065 | -1,006 | |
その他支出 | 184 | 10 | 174 | |
[支出計] | 39,089 | 44,826 | -5,737 | |
修繕特別会計 | 0 | 2,245 | -2,245 | |
がりらや会計 | 8,913 | 8,983 | -70 | |
【支出合計】 | 48,002 | 56,054 | -8,052 |
横浜教区の信徒・修道者・司祭の皆様 主の平和 この度、藤沢教会をもってセンター機能を持つ小教区として整備することを計画し、その検討をするためのプロジェクトチームを設置することとなりました。つきましては、この計画を検討するため、ご意見とご協力を賜りたく皆様にお願い申し上げる次第です。 ご存知のように、横浜カトリックセンターは、横浜カトリックセンター検討特別委員会からの答申(2002年6月)を受けて、2003年12月をもって閉館いたしました。2002年12月発行の『横浜教区報』第47号でその旨をお知らせするとともに「当面、教区レベルのカトリックセンターという建物はなくなります。そして、教区の宣教司牧のためのニーズを見据えながら、将来に向けてどのような形のセンター機能が求められるのか、あらためて検討していくことになります」とお伝えいたしました。 横浜カトリックセンター検討特別委員会からの答申では、横浜カトリックセンターの閉館とともに、「少なくとも、2006年の終わりまでに、新しい計画を練るために、教区の宣教司牧のニーズを調べて、そのニーズに応えるための人材と財源を検討する委員会を設立する」ことが提案されておりました。これを受け、熟慮を重ねて参りましたが、新たに土地を購入して独立したカトリックセンターを設けることは財政的に困難ですし、また同時に横浜カトリックセンターと同様の問題を生じ兼ねません。そこで、交通の便がよく、これまでにもしばしば教区行事等を行ってきた藤沢教会に教区のセンター機能を持たせてはどうかとの案が出てきました。今年6月の司教顧問会に諮ったところ、全員異議なく、検討を進めることの賛意を得ました。そこで、鈴木勁介師(司教総代理、藤沢教会主任司祭)を座長とし、藤沢教会センター化に向けてのプロジェクトチームを設立することにいたしました。 つきましては、最低限のセンター機能として。教区行事や小教区を超えた集まりを行う場の確保が考えられますが、教区のセンターに求められる役割や機能について、ご意見やご要望がありましたら、書面にて鈴木勁介師(藤沢教会)宛てにお寄せください。 2006年9月25日 教区長 司教 ラファエル 梅村 |
2006年 バザーのお礼
バザー準備チーム 曽根
10月22日(日)さわやかな秋空のもと恒例のバザーが開催されました。今年は藤沢ブロックが担当となり準備をすすめていくなかでいろいろな意見がありましたが、私達にできる「手づくりのバザー」をしたいということになりました。それにはあまり負担にならないように、おひとりおひとりの短時間づつの参加で、省力化、簡素化に努めました。
他ブロック、各活動部にも声を掛けて、準備期間には延べ400人ほどのご協力をいただきました。バザー当日は約1000人のご来場を得て、聖堂、庭は溢れんばかりの大盛況でした。これも皆様方のご協力のお陰でございました。各コーナーには皆様からの心のこもった品々、日頃のグループ活動の作品が数多く並び、又国際色あふれる食事を楽しんでいただけたと思います。
今年は新しい参加が6団体ありましたことも私達のよろこびでした。最後の片づけは神父様も一緒にされ、聖堂にはごみ一つありませんでした。テーマ「差しのべよう 両手にのせて」の目的を十分達成できたと思います。たくさんの反省もありますが、無事バザーを終えましたことを心からお礼申しあげます。有難うございました。
祈りと感謝のうちに、会計報告は次号の予定です。
黙想を終えて−壮年部黙想会より
辻堂2区 中山
イバニエス神父様の黙想会に与りたいと思いながら、なかなか機会に恵まれずにいました。今回(9月30日)は壮年部の主催だけれど、「どなたでもどうぞ!」と呼びかけて下さったので、感謝のうちに参加させていただきました。
祈りに始まる第一講話は、社会と文化という言葉を踏まえたもので、今迄気付かずにいた沢山の事を教えていただきました。時折ご自分のご両親のことを例に、分かり易く話して下さいました中で、私の心を捕らえたのは、92才で帰天されたお母様の話でした。
お若い頃は広範囲にボランティア活動をなさり、お年を召して足が不自由になられてからは、お母様の部屋がボランティアの場となったそうです。沢山の人々が訪れ、話しを聞いてもらって、心を癒されて帰っていったそうです。歳に応じ、体力に応じた人への尽くし方に、私は深く心を打たれました。
私事ですが、日本尊厳死協会関東甲信越地区に相談員制度が作られたので、ボランティアとして参加するかどうかを迷っていました。この黙想のお蔭で、もう一つの広がりの中へ一歩を踏み出すことが出来ました。
講話の後、さわやかな秋空の下での黙想はすばらしいものでした。修道院の庭には、ほたる草、水引草、キバナコスモスなどが咲き乱れて秋の風情にあふれ、時折は鳶の声も聞こえて、通常とは異なる時の流れに身を置くことの大切さが心に沁みました。沈黙の中での昼食も良かったし、第二講話もすばらしくて、感動と感謝の一日を過ごさせていただきました。
企画、設定のお世話をして下さった方々、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。私は今、黙想の実りを味わいながら、ヘンリー・ナウエンのこんな言葉を書き写しています。
"ぶどうはつぶされてこそ いいワインになる"
北1ブロック集会
大庭 坂本
9月24日、センターホールにて渡邉神父様や新しい仲間もお迎えし、ミサ勉強会と懇親会を目的とする北1ブロック集会が開かれました。最初に善行の岡村さんから、「ミサの流れは福音書の流れと同じである。ミサは同じことの繰り返しではなく、その度ごとに新しいものである。ミサの中で私たちはキリストの死と復活を体験する。それは新しい命を与えられ、終わりが始まりになることである。そして私たちは神の御わざを行うために派遣される」というお話をいただき、そのことについてしばし思いをめぐらせました。次に、誰でもミサのご奉仕ができるようにと、先唱、朗読、奉納について、典礼部などで作られたプリントをもとに勉強しました。形よりも心が大切なのはもちろんですが、これらのことをあらかじめ知っておけば、余計な心配をせずに落ち着いてミサのご奉仕ができると思いました。また「元気な時に考える葬儀メモ」についてもお話をいただきました。自分が朗読してほしい聖書の箇所など、もう一度ちゃんと聖書を読み直して考えておかなければと思いました。
勉強会の後は昼食の時間です。手作りのシチューなどのおいしい食事をいただき、おしゃべりがはずみました。十字架の縦は神に、横は人にとはよく言われることですが、人と人とのつながりの中に神はおられるということを実感しました。このように教会に集うことのできるお恵みに感謝し、次回はもっと多くの方たちと喜びを分かち合いたいと思いました。そして、いろいろな事情で参加できなかった方たちへもこの祈りが通じますようにと、心から思いました。
フォコラーレの集い
藤沢2区 加藤
皆さんは"フォコラーレ"という言葉を聞いた事がありますか?2年前から年に2,3回センターホールで集まりを持つようになりました。
"フォコラーレ"はイタリア語で"暖炉""家庭"という意味で、1943年イタリアのトレントで創立者キアラ・ルービックと共に福音に根ざした生き方をするグループを呼ぶようになりました。毎月聖書から一節を選び、毎日の生活の指針としています。教会入り口に"いのちの言葉"というプリントがおかれていますが、世界で90ヶ国語に訳されています。フォコラーレは皆、共に神に向かって歩む道、一致の霊性です。現在創立者キアラ・ルービックの功績は世界的にも評価されています。
さて10月1日午後1時半、雨の降る中、東京、厚木、横浜、大船、藤沢、茅ヶ崎から参加者23名、子供3名が集まりました。イタリア人、ポルトガル人、アメリカ人、韓国人と国際的で、若者から年配の方、シスターも加わり、皆で円形になり2時に始まりました。今回の黙想のテーマは"健康、病気、老い"でした。私達の身体は神様から頂いた尊い"賜物"で"聖霊が宿られる神殿"です。健康管理も神様を愛し、兄弟を愛するためにしたいと望みます。また神様は病気を通して人々を清められます。病気の苦しみで私達のエゴや執着を清められ、神様の望まれる姿に私達を変えて下さいます。創立者キアラは現在86才ですが、神様の愛を信じて日々福音を生きるなら高齢である事は人生の尊さを強く証しするものであると語っています。神様と兄弟を愛するため"健康に気をつけ""病気の苦しみを捧げ""老いを生きる"ことを心にとめて日々の生活の中で生きることを話されました。
現在74歳になられる藤沢教会の方が、ご自分の経験を語られました。35年前ひどい喘息で外出もできない状態でした。25年前フォコラーレに出会い自分がこの世の常識で生きている事に気づき、キリストとの一致、自分の思いではなく相手と一つになる愛を生き始めました。そして知らないうちに発作もでなくなり、今自分のできる事を神様のみ旨に問いかけながらさせて頂いているとの事でした。
東京のフォコラーレセンターからいらしたポルトガルの方は、イタリアでの世界一致少年少女大会に日本の子供達を引率していく事になっていました。ところが急に具合が悪くなり入院して手術を受ける事になりました。その苦しみを神様にすべて捧げ、イタリアにいる子供達と心を一つにした事、今おかれている場で愛し続けた事を話されました。
テーマと経験の後、この9月14日から16日にかけてハンガリーで行われた国際大会の報告がありました。1956年旧ソビエト軍によるブダペスト侵攻が起こった時、ハンガリーの人々が抱いた自由への夢は崩れ去ったようでした。その時創立者キアラはフォコラーレのメンバーに「人々の心から神の名を取り去ろうとする社会が築かれています。それならば神をあるべき場所に取りもどす社会が必要です。」と呼びかけ、"神のために働くボランティア"が誕生しました。この50周年を記念する国際大会がブダペストで行われました。日本も長崎、奄美大島、名古屋、東京、(藤沢教会2名)から30数名が参加しました。9月16日の最終日には世界各地から1万1700人が参加し、その様子を写真を見ながら説明されました。世界各国の経験から2つが紹介され印象も語られました。3時半から3つのグループにわけ、若い方、年配の方、外国の方がお互いの経験、印象をわかちあいました。4時半からお茶とお菓子を頂きながら歓談し、日本語の話せない方には通訳を通してお互いに知り合う機会になり、とても暖かな雰囲気のうちに終わりました。
(フォコラーレのホームページ:http://www.geocities.jp/focolarejapan/)
第39回横浜教区一粒会大会
一粒会 鈴木
9月18日午後、今年度の一粒会大会が長野教会にて開催されました(担当:長野北信地区)。今年のテーマは『収穫は多いが、働き手が少ない』300名ほどが入れる聖堂がほぼ満席となりました。委員長の挨拶の後、会長である梅村司教様のお話。そのあと高野神父様が今年の召命練成会について話しました。また北信地区の教会を担当しているフランシスコ会清永神父様の「信仰と召命」の題での講話があり、大会ミサで締めくくられました。ミサの説教は新司祭の山田宏亨神父様。藤沢教会から4名の信徒が参加しました。
梅村司教様は話の冒頭で、色々な困難を抱えながら大会を準備し開催した北信地区の各教会と信徒の方々へ感謝を述べられました。横浜教区の召命についての現況報告をされ、「召命は"私たちの中から"しか湧いて来ないもの。神学院の中から召命は生まれない。皆さんの中から生まれた召命を育てるのが神学校。"私たちの内から"を心に留めて欲しい」とおっしゃいました。また高野神父様も「子供たちに召命練成会に出会う機会を与えて欲しい。教会学校やキャンプ等とは違う3泊4日の体験を、子供たちにさせて欲しい」と話されました。高野神父様の話を受けて梅村司教様は「召命は司祭との関わりの中で生まれます。召命練成会に1人でも多くの子供を送って下さい」と皆にお願いされました。
清永神父様の講話「信仰と召命」は、信者として司祭の召命のために祈る、ということはどういうことなのか、同時に信者としての使命とは何なのかという内容でした。
「私は1983年叙階された。会の養成担当だったこともあり、今も週1回アントニオ神学院に行く。自分が勉強していた時は17、8名いたが、現在フランシスコ会の神学生は2名のみ。その他の会からも勉強に来ているがそれを含めても20数名。男子修道会だけでなく女子修道会も大変な状況。召出しが本当に少なくなっている。だが否定的イメージではなくプラス面もあり、新しい状況が開けて来ているのではないかとも思う。現在は共同宣教司牧が行われ、信者の奉仕職を取り戻し、また新たにしているとも言える。
司祭召命は共同体の祈りの実りとして与えられる。司祭召命の祈りは、更に意義深いものとするために見直す必要があるだろう。次の3つのことをここで話したい。
1)常日頃祈っている祈りとは、2)司祭召命を祈る意味、3)信仰共同体とは一体何か。
今年の『一粒会だより』6月号の"常任本部委員会から"に真剣な祈りにも拘らず召命が生まれない、という記述があった。召命の祈りの現状は臨界点、飽和状態に達している。これは新しい状況が開けているということで、一見行き詰まっているようだが、私たちはターニングポイントにあたっている。日本では宣教師が沢山やって来て、何もないところから教会を創った。今は共同体があって、そこから司祭が召し出されている。司祭召命の観点が変わった。"私たちの内から"では、私たちがどの様な信仰共同体なのかを問われることになる。
1)祈りの持つ一面として、真剣になされるもの(言葉だけでは祈りになっていない)は、祈ったことが心の中に留まり生活の中に調和していく。祈りは生活を一貫させていくもの。祈りには徹底性というものがある。だからこそ祈る人は、そして祈れば祈るほど変わっていく。現状維持ではなく絶えざる回心。もっとそちらの方へ向けていくことが、変えられていくこととなり、大きな実りをもたらす。
2)司祭の働きとは信仰共同体の中で感謝の祭儀を司式すること。司祭が欲しいというのは、その(司式する)人が欲しいということ。私たちは本当に司祭を必要としているのか?感謝の祭儀は本当に必要なのか?基本的な姿勢としてミサを大切に出来ているのか? (集会祭儀の方が30分で終わるからいい、という人もいるようだが…)完全ではない人間の司祭がミサを挙げていく、ということに意味を見出していくこと。親と一緒に子どもがミサにあずかる時、普段と何か違うと子どもが感じれば、子どもはミサの意味を段々と分かって来るし、大人になって立派な社会人として生きる。司祭になりたいと思うかもしれない。ミサにあずかることによって何かが違って来る。
3)昔の子どもは甘いお菓子を食べる機会があまりなかったが、甘いアメをしゃぶる時子どもは嬉しそうな顔となった。それと比べてミサ中の聖体拝領は私たちにとってどうだろうか。神様は私たちが探すために隠れているが、私たちは隠れている神を発見出来ているのだろうか。そのために後から喜びが訪れているのだろうか。そこから信仰共同体の中で祝われる感謝の祭儀に目が奪われていく。家庭についての回勅でヨハネ・パウロ2世は"健康、力、才能、若さは自分だけのために与えられたものではない、誰かのために生きられた時に神様から祝福されたものとなる。そうでなければ実りのない孤独な不毛の人生となる"と述べている。葬儀で私たちは亡くなった方の代わりに祈り、つぐないをすることを約束する。沢山の重荷を負っている人というのは、誰かの重荷を担っているということ。私たちが想像する以上に信仰共同体は結び合っていて誰かが分け合ってくれている。司祭の召命のために祈ることも同じ。共同体は三位一体に行き着く。独自性を持って尚且つ一つである。そして限りなく分ち合う。私たちはそこに呼ばれている。召命のために祈ることは共同体がもっと豊かになるように祈ることと同じである。召命は共同体の実りである」
横浜教区一粒会は、司祭召命と司祭の成聖を、祈りとそれに伴う献金を捧げることで、支援する会です。すべての信徒が会員ですので、より多くの皆様のご協力をお願い申し上げます。毎年開催される一粒会大会では、教区内の各地から集まった信徒が司教、司祭、修道者とともに召命について考え、心を一つにして祈ります。神奈川第5地区では、7つの教会を召命のために祈ることで繋ぐ祈りのリレー、召命について皆さまに関心を持っていただくための色々な記事を掲載した「第五地区一粒会だより」の発行を行っています。また今年は、初めての試みとして神学生と子どもたちの交流会も開催しました。
来年の第40回一粒会大会は私たち第5地区が担当です。10月8日(月・体育の日)聖園女学院を会場に開催されます。来年の開催に向けての準備も始まろうとしております。一粒会のことはよくわからないとおっしゃる方も、すでに祈りと献金で関わって下さっている方も、広く皆さまのご関心とご協力を頂けます様、よろしくお願い申し上げます。
10月8日(日)9時半ミサにおいて、毎年恒例のボーイスカウトの入団上進式が行われました。お蔭様でビーバー隊入団4名、カブ隊入団・上進6名、ボーイ隊入団・上進8名、ベンチャー隊上進1名と大がかりな式となりました。以下、入団上進スカウトの感想を記載します。
にゅうだんしき ビーバースカウト 要
ぼくは、みんなとなかよくします。ビーバーたいのきまりをまもります。しんぷさまのまえでやくそくしました。ぼくはとちゅうからはいったので、きょうがにゅうだんしきでした。チーフをしんぷさまにつけていただいてなんだかうれしかったです。まわれみぎをして、けいれいをしたときみんなにはくしゅをしてもらって、もっとうれしかったです。でも、ミサはねむかったです。
じょうしんしきにしゅっせきして カブスカウト りょうたろう
ぼくは、カブたいのじょうしんしきに出ました。「カブたいにじょうしんするもの」とほうそうがながれました。一ばんめに「まさと」、二ばんめに「りょうたろう」、三ばんめに「ふうが」、四ばんめに「としあき」、五ばんめに「しんたろう」とよばれました。カブたいのさだめを言うのがとてもきんちょうしました。ぼくはカブたいのせいふくがかっこいいとおもっていたので、とてもうれしくて楽しかったです。
カブたいに上進 カブスカウト 真智
10月8日ぼくはビーバーたいからカブたいに上進しました。今まではちゃ色いせいふくだったけど、今どは青くてかっこいいせいふくにかわりました。カブたいはどんなことをするかなって、わくわくしてます。いろんなことをがんばって「チャレンジしょう」をい〜ぱいそでにつけたいです。ぼくは、しぜんがすきなのでキャンプにもいっぱい行きたいです。
カブスカウト上しんしき カブスカウト 風河
10月8日にビーバースカウトからカブスカウトへの上しんしきがありました。しきでは、教会のみんなの前でカブの三つのちかいを、はたに手をそえて大きな声で言いました。しん父さまから黄色のチーフをかけてもらったとき、「ヤッター」と心の中で思いました。ビーバーとちがってカブたいでは、せいふくも青くてかっこいいです。お休みのれんらくも自分でリーダーにします。おとまりのキャンプもあります。ぼくは、ボーイスカウトが大すきなので、カブたいでがんばって、その上のボーイたい、ベンチャーたいへ行って、「ふじしょう」、「きくしょう」がとりたいです。
ボーイ隊に上進して ボーイスカウト 望
僕はカブスカウトからボーイスカウトに上進しました。当日は朝からドキドキワクワクしていました。そして、とうとう誓いをたてる時になりました。神父様と隊長の前で 隊旗の真ん中を持ち、神へのつとめ、まわりの人々へのつとめ、自分へのつとめの3つの誓いをたてました。思う通り大きな声ではっきり言うのが難しかったです。僕はボーイスカウトになってやりたいことは、キャンプです。食事も自分達で作ったり、テントで寝る事もとても楽しみです。4年間頑張ろうと思います。
ベンチャー隊に上進した喜び ベンチャースカウト 信
僕は今年、ついにベンチャー隊に上進をしました。ビーバーの頃からボーイスカウト活動を続けていることもあって、喜びはひとしおです。そして、ベンチャー活動では個人のプログラムにしっかり取り組み、技能を上げて技能章等を取りたいと考えています。ボーイ隊では菊章を取る事ができたので、最高の栄誉である「富士章」を目指したいと思っています。実際には大変な部分が多々あると思います。しかしそれを乗り切り、その章をとってやろう、と意気込んでいるところです。そしてベンチャー隊の一員として、これからも頑張っていこうと考えています。
クリスマス号原稿募集 クリスマスまで後1ヶ月半となりました。八角形にゅーすクリスマス号は12月9日(市民クリスマスの日)に発行を予定しています。出会い、思い出、体験、意見など何でも結構です、ふるってご寄稿ください。 原稿締切: 11月20日 e-mail:(catholic@cityfujisawa.ne.jp) または教会事務所までお持ちください。(ワープロの場合はデータもお願いします) |