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八 角 形 に ゅ ー す

2006年12月9日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会

クリスマス特集

目次

キリストをさがせ!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ぱうろ たかの

この一年を振り返って思うこと

教会委員会報告

「藤沢教会のセンター化について」のご意見・ご要望をお寄せください

「藤沢教会のセンター化」について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 安田

藤沢教会のセンター化についての疑問・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 辻垣

教会学校リーダー研修会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 神山

「児童・青少年の宗教教育を考える集い」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校 梅田

「ザビエル祭」

神山復生病院を訪れて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 大畑

七五三

笑い合える喜びと、話し合える幸せの中で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・エルダーズの会 八木

巡礼に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 小川

介護ヘルパー講座を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 逸見

「葬儀を考える会」フォ−ラム報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 佐々木

外国籍信徒と共生のために〜共助組合の試み〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・共助組合藤沢支部 遠藤

「聖霊による生活刷新セミナー」について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・秦野教会 寺田

神秘につながる挨拶の言葉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 家田

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キリストをさがせ!!
司祭 ぱうろ たかの

 教会学校の子どもたちは、降誕祭で行う聖劇の練習が本格的に始まります。今年は何役か?どんな台詞があるのか?などなど・・・子どもたちの楽しみは膨らんでいることでしょう・・・。また、台本自体も毎年バージョンアップされるようで、本番が楽しみです。

 ところで、皆さんは「ウォーリーをさがせ!!」という絵本?をご存知でしょうか。私も本屋の立ち読み(立ち見?)程度で、ちゃんと見たことはないのですが、見開き一面に、たくさんの人が描かれていて、その中に「ウォーリー」が紛れ込んでいるのです。この沢山の人の中からウォーリーを見つけ出すというものです。よーく目を凝らして探していると、人混みの中のウォーリーを見つけ出すことができます。結構夢中になってしまうのです。とんでもない所に隠れているウォーリーを探すことができると、嬉しくなります。

 さて、待降節が始まりました。私たちの主が「やってくる」のを待ち構える時です。これから準備しようではなく、今か今かと待っているのです。待ち望んでいるのです。ウキウキしながら待ち構えるのです。私たちにその、「ウキウキ」はあるでしょうか?何を望んで「ウキウキ」しているのでしょうか?

 今、私たちの主はこの世に「受肉」しました。貧しいマリア様の中で。マリア様の「みことば通りになりますように」の言葉によってです。余計なものを一切含まない、貧しい言葉で・・・。今、受肉しているのを知っているのはマリア様だけです。そして時がきた時に、マリア様は、貧しい「飼い葉桶」に幼子を寝かせます。その幼子の中に、主なる神の威厳を見出すのは誰でしょうか?あの貧しさと弱さの中に・・・。

 主を探しに行きましょう!私たちの救い主を!・・・いや・・・探しに行きたいと思っていますか?・・・・沢山の人ごみの中でどのように探せばいいのでしょうか?どこに行けば良いですか?案内図はありますか?・・・それは役に立ちますか?・・・

 貧しい羊飼い達も、博士達も自分達が思っていた所で幼子を見つけたのでしょうか?

 今、あなたは誰に導かれていますか?私たちを「ひそかに」導いておられる方が、「ひそかに」幼子イエス様まで導いてくださいますように。 アーメン。



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この一年を振り返って思うこと

教会委員長 小藤

 もうあと一ヶ月も経たないうちに今年も終わりです。ここ数年のことですが、年ごとに時が過ぎていくのが本当に早く感じるようになりました。そう感じるのは私だけでしょうか。さて、年の終わりにあたりこの一年、教会委員長として何をしてきたのだろうかと、八角形にゅーすの毎月の教会委員会報告を読み返しながら振り返ってみましたが、一言で言えばたいしたことは何ひとつしなかったじゃないか、ということに帰結しました。これはそれほど大きな問題がなかったということでもありましょうが、なによりも信徒の皆様一人一人が夫々の立場でやるべきことをしっかりやって藤沢教会を支えて下さっていることの証であろうと、心から感謝しています。「委員長、もっと頑張れよ」とお叱りの言葉を受けるかもしれませんが、実のところ、私はどうもこの「頑張る」という言葉が苦手なのです。小さい頃から学校で、社会に出てからも会社で「頑張れ、頑張れ」とずっと叱咤激励され続けているうちに、いつの間にか反抗心が芽生え、「いいじゃない、そんなに頑張らなくたって」と心の中で思うようになってしまったのかもしれません。「頑張らない症候群」(?)とでも言うのでしょうか。広辞苑によれば「頑張る」は当て字で、「我に張る」から転じたとあります。つまり本来の意味は「我意を張り通す」ということで、そこから「どこまでも忍耐して努力する」という意味でも使われるようになったと思われます。「頑張ってください」、「頑張ります」、日本では老若男女を問わず、何かにつけて本当によくこの言葉を使いますね。時にはもっとほかの言い方はないの?と言いたくもなります。外国ではどうなのかな、と思って英語で「頑張る」を調べてみたら、状況によって実にいろいろな言い方があるのに驚きました。ある時TVでアメリカ映画を見ていたら、中学生ぐらいの男の子が全寮制の学校に入ることになり、家を出て行く朝、父親がその子に向かって「Be Strong!」(直訳すれば、強くあれ!)と言って、送り出す場面がありましたが、日本語の字幕ではやはり「頑張れよ」と訳していました。

 さて、「頑張らない症候群」にかかった私のいい加減な態度を神様はちゃんとお見通しだったようです。今度は、藤沢教会に横浜教区のセンター機能を持たせるという教区にとっても、藤沢教会にとってもたいへん重要な課題を与えて下さって、お前もまじめにしっかりやるようにと、プロジェクトチームの一員を仰せつけになりました。来年はこのプロジェクトにかなりの時間とエネルギーをつぎ込むことになるでしょう。私としては「I'll do my best!」と言うしかないのですが、日本語では?うーん、やっぱり「頑張ります!」になってしまいますかね。

 神父様がた、信徒の皆様、この一年本当に有難うございました。2007年が藤沢教会、そして皆様にとって素晴らしい年になりますよう願っております。

藤沢ブロック 澤内

 今年の初めての藤沢ブロック集会(2月5日)に、とても緊張していた自分、5月の新入者歓迎会(藤沢ブロックに転入された方と洗礼に授かった方)ではマジックやウクレレで参加して下さった方々と一緒に楽しい時間を持てた事。6月の黙想会では聖心の布教姉妹会の本部での黙想、祈り、分かち合いと緑の木々の中で穏やかな一日を過ごす事が出来ました。9月のブロック集会ではバザーの事、<みんなで葬儀のことを考えてみましょう>等を話し合いました。10月22日のバザーも大勢の方々の協力で無事に終わり、あっと云う間の一年が過ぎようとしています。

 ここ数年、私は10月に健康診断を受けて11月の自分の誕生日に1年を振り返ります。教会の行事以外にもさまざまな出来事がありました。2月と4月には私達夫婦がとてもお世話になった片瀬教会の方が亡くなり悲しい別れがありました。7月にはアメリカの友人家族と5年振りに再会し我が家で楽しい時間を持てた事。8月には、夫がひどく腰を痛め、病院の送り迎えなどと慌ただしい日々でしたが、3月、4月には近県に出かけて桜を楽しみ、夏の海は満喫出来なかったものの2月に暑い国でのシュノーケリングを楽しみました。家の庭を見ると南天の実や千両の実が赤く色付いています。

悲しい別れ、友との再会、新しい方々の出会いや分かち合いとチャレンジという一年が過ぎ去ろうとしています。健康診断の結果は身長・体重は変わらず、コレステロールは年々増え続けています。忙しい中で四季を感じ取り、健康でいられたこと周りの方々の協力で過ごす事ができました。 

神に感謝!  これからも宜しくお願いします。

辻堂ブロック 益満

 一年経つのが早く感じる2006年でした。ブロックの意見を聞き、これを如何に反映させるかに努めました。いろいろな意見...「当番月のミサでの役割を再確認して、新しい奉仕者の育成・教育をして欲しい」、「葬儀のあり方への要望−― 葬儀施行体制の見直しや、弔電は読んでほしいなど」「喫茶ルームが欲しい」「9時半のミサ前を静かにして欲しい」などさまざまなテーマで、実現したものもあり、しないものもありました。

 2007年は教区センター機能整備が検討されると共に、小教区の在り方も見直される機会にもなるのではないでしょうか。鈴木神父の「どうしたら私たちの教会(一つ一つ)が元気になれるか」の問いかけに対し、小教区の核となるべき「トナリ組」活動を強化することにより共同体の意識が高められ、また、「信徒一人一人が内だけでなく外にも目を向けることが大切だ」と、鎌倉での黙想会で学んだことに努めることが、教区センター化への理解にも繋がるかなと思っています。

 来年は、バザー当番ブロックですので全ブロックの新しい方々も積極的に参加し、外に強く訴え掛けられるバザーに出来たらと願っていますので、全ブロックのご協力をお願い致します。

北1ブロック 松尾

 丁度一年前のことを想い出しています。先にブロック委員を経験した私と他二名の方と一緒にAさん宅に伺って、本年の北1ブロック長の役をお願いに上がりました。Aさんは引き受けて下さるものと思っていました。後日信徒会館で行われた地区集会でAさんは高齢のため引き受けることが出来ないとご辞退なさいました。そして突然皆さんから私にブロック長にとの指名がありました。何故私が?私こそ高齢なのにと、天を仰いで考えました。でも誰かがやらなければならないこと、地域の方々の支えを受け、私にできる範囲で何とかやってみようと。それからもう一年が終わろうとしています。

 新年会は「善行森の幼稚園」の古郡さんのご好意で楽しい餅つき大会を開催することが出来ました。ご復活祭には当番月に当たっていましたので、中高生会のための「ゆで卵」を作ったり、お菓子、飲み物の買い出しに、卸売り市場まで出かけたり、楽しい想い出と共に準備を致しましたのに、思わぬ雨の復活祭、でも喜びの春の日を過ごしました。5月20日聖園マリア幼稚園に粕谷甲一師をお迎えし黙想会を致しました。ご高齢の神父様、ご不自由なお体にかかわらず私たちの願いを聞き入れて藤沢までお出で下さり、感謝、感謝でした。6月には遠足も計画しましたが、雨のため取りやめ、大船フラワーセンターに行く予定でした。あとでその日バラの花が素晴らしかったと聞き残念でした。来年再挑戦しましょう。9月24日センターホールでブロック集会を開き「ミサには流れがある」のタイトルで岡村さんにミサの大切さについて話をして頂き大変参考となりました。ご出席下さった渡辺神父様の「暖かい食事は作る人の苦労はあるけどいいですね」という言葉を耳にしつつ、早朝から準備して下さった方々に感謝しながら昼食をおいしく頂きました。12月はミサ当番月に当たっています。鈴木神父様の「神を大切に、集う人を大切に」とお話になったキリストの愛を実感できるミサに奉仕できることを感謝し、近日中にブロックの集まりを持ち、「ミサには流れがある」の教えを心に留め勉強したいと思っています。

 今年を振り返り、トマス・テハン神父様が「人は失敗をするものだ」とお話下さったことなど想い出しながら自らを慰めています。来年は今年の経験を生かしながら、地域の皆様と一緒に豊かな共同体として活動したいと願っています。

北2ブロック 笠島

 今年は恵みの年であったと感じています。最初はブロック長としての仕事が、もう老齢を迎えた私には大変重く思われ、出来れば逃げたいとばかり思っていたのですが、いざ、1月、2月となって見ますと、連絡員の方々、また、北2のメンバーの皆様方が、私がもたもたしているのを気の毒に思われたのか、びっくりするほど助けてくださり、大変有り難く思っております。

 北2ブロックではブロック集会を4回、長後の家庭集会を一回開きました。6月初めには富士山二合目へのバス旅行をいたしました。渡辺神父様が快くご一緒してくださり、中和田教会での神父様の聖書の講座にご出席の方々も参加してくださいました。北1の方々も3名ご参加いただき、二合目の白い大理石の大きなマリア様のご像の前, 小鳥のさえずりの中でのミサに、皆様、感激なさっておられました。ミサが終わり全員がバスに乗り込んだ直後にものすごい雹が大きな音で降り始め、バスが五合目に着くころにはあたりが一面真っ白になるほどでした。五合目の売店でこんなことは珍しい、皆さん運が良かったですねと言われました。その後は雲も切れ、雄大な富士山を見ることも出来ました。バザーでは湘南台センターで中村さんを中心に手芸グループの方々が一年間かけてお作りになった手芸品の数々を出品できましたが、皆さん和気あいあいの雰囲気で、今までブロックの方々のなさっていたことをあまり知らなかった私にとっては、驚いたり感心したりの一年間でした。また、わがままな傾向が人一倍強い私の気質に不平もおっしゃらずにご協力くださっている連絡員はじめ皆様方に感謝いたしております。

 来年はどのようなことを神様が用意してくださっているのでしょうか。1月は北2のミサ当番月にあたります。松田さん、清水さんがミサのお世話をしてくださいますので、これも有り難く思っております。田中澄江さんの本の中に「民主主義の基本とは、しっかり自己主張をすること、そして他人の主張をもしっかりと聞くこと」とありましたが、互いにそれぞれの意見を自由に言い合えるという真に自由な、互いを尊重しあう雰囲気をもっと盛り上げていけたらと願っております。それと出来れば中和田教会の方々との交わりも、もっと深められればいいと思っています。

 主の恵みを切望しつつ、新たな発見の年でありますようにと願っております。



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教会委員会報告(11月18日)

(1)バザーについて

  2006年バザーへのご協力、ありがとうございました。収益金(概算約250万円)は、半分は教会の修繕積立金に、半分は福祉活動への配分。収益の最終数値および福祉関係の配分先については12月の教会委員会で報告する。反省会では開催日が学校の文化祭と重なったため、中高生の参加が少なかった。(毎年のことだが近隣教会のバザー、地域の公民館祭とも重なっている。思い切って開催月を変えてみることも必要か)外国コミュニティーの盛り上がりがあまりなかったのではないか。センター台所が食器洗いのため相当混雑していた、などの意見が出た。次回の参考にしてほしい。

(2)ブロック・活動部報告

@鵠沼

ミサ当番のために、ブロックで先唱、朗読、特に答唱詩編ができるように各地区で候補者のための勉強会を開いてもらいたい。

A藤沢

今年、障子の張り替えは行わないことになった。

B辻堂

11月5日、中高生会と共に、センターホールを利用して喫茶ルームを開いた。40席を設け、ケーキなどを用意したところ盛況であった。中高生会の感想として、共同してやった割にはブロックの人との接点があまりなかった、後片付けが遅くなったなどの話があった。今後の継続については日時、場所、方法など中高生会と調整し、各ブロックで検討する。

C北1

12月ミサ当番月。スムーズにミサが進められるよう準備していきたい。

D総務

聖堂のアスベスト対策は前回の教会委員会で少なくとも2007年末までは実施しないことになったが、メンテチームとしては同様に大規模な保守・改修工事も当面行わないものと判断し、同チームの活動を向う一年間凍結することとした。通常の保守・修繕については従来どおり総務部で対応していく。

E教育

F典礼

G国際

国際部長の席が空いている。ご推薦下さい。

H福祉

11月26日 福祉勉強会「カトリック・ボランティアの心」廣岡洋子氏藤沢教会、センターホールにて

(3)湘南台センターの課題と展望について

  今年4月に発足した「湘南台センター検討小委員会」から湘南台センターの課題と展望について答申が提出された。(骨子については別掲の要旨を参照)答申内容について教会委員より様々な意見、感想が述べられたが、運営委員会で今後の取り扱いについて一定程度の方向性を検討し、次回教会委員会でさらに討議することになった。



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「藤沢教会のセンター化について」のご意見・ご要望をお寄せください
センター・プロジェクト・チーム(略称CPT)

横浜教区の信徒・修道者・司祭の皆様

 2006年9月25日付「藤沢教会のセンター化について」という梅村司教様のお手紙にある通り教区長の意向を受けてプロジェクト・チームをつくりました。このメンバーで、教区の宣教司牧のニーズを調べながら、藤沢にセンターをつくるのがよいのか、つくるとすればどういう機能を持たせるのがよいかを考えるところまでをとりあえず任務といたします。その後、建設計画の段階になれば、もう少しメンバー調整していきたいと考えております。どうぞ現時点での皆様のご意見、ご要望があれば書面にてお寄せください。いずれまた構想がまとまった段階で皆様のご意見をうかがう予定です。

宛先 センター・プロジェクト・チーム

締切 2007年2月末日



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「藤沢教会のセンター化」について
藤沢1区 安田

 このテーマについて、2006年10月号 「八角形にゅーす」で鈴木主任司祭、2006年9月25日梅村教区長から一般信徒への意見、協力の依頼があった。それを受けて当教会壮年部は10月1日にセンターホールで熱心に討議した。しかし、このテーマについて経験、知識、関心がまちまちで議論が堂々巡りになり、まとめようがなかった。

 そこでこのテーマについて次の点を明確にして今後の議論の出発点としたい。

  1. プロジェクトのメンバー構成と作業スケジュール

  2. 同チームと教会委員会の関係

  3. 同チームまたは教会委員会は次の事項についてまとめて公表する

藤沢教会がセンター化され良い方向へいく様に信徒も意見を出していきたい。



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藤沢教会のセンター化についての疑問
善行 辻垣

八角形ニュース176号の中で「藤沢教会を教区のカトリックセンターとして整備したい」との報告がありました。賛同するもしないも「寝耳に水」のこと、次の点をご教示頂けるとありがたいのですが。

  1. 教区のカトリックセンターの機能、又教区事業とは具体的に何を指すのですか。小教区を超えた集まりとは何を指すのでしょうか。

  2. 2003年に解体されたカトリックセンターは、交通の便がただ悪いというだけで消滅したのではないと思われます。これ迄の反省を生かしたいものです。

  3. 3年間「宣教司牧のニーズ」を検討特別委員会が検討した(9月25日司教様の各小教区へ当てた書簡)とありますがニーズとは具体的にどのようなことでしょう。教会とは神を頭とする信徒の集まりを指すのであって、物理的建造物、交通の便や建物機能の不備を、まず問題にすべきではないでしょう。

  4. 司教と司教顧問会の決定は尊重しなければなりませんが、小教区3000人を超える(外国人信徒を含めるともっと)信徒の意向と関係なく小教区にとって重要な計画が決定、進行できるものなのでしょうか。

司教様の書簡が9月25日に既に各小教区の信徒、修道者、司祭宛に発送されて居ります。日本は民主主義の国です。少なくとも社会常識の中、透明とはいかないまでも民主的な手続き解り易い情報伝達で計画が進められなければ、人々にキリストを宣教することは益々できないでしょう。交通至便な所に建物を建て整備すれば宣教司牧がより充実し信徒が増えるのでしょうか。今、信仰の中身が問われている時ではないでしょうか。



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教会学校リーダー研修会
辻堂2区 神山

 11月3日(文化の日)に教会学校リーダー研修会が小高い丘の上に建っているカトリック戸塚教会で開催されました。藤沢教会からはシスター2名とリーダー6名が参加しました。テーマは「将来につなげる教会学校のあり方を考える」です。講師は数多くの本を執筆されている晴佐久昌英神父様です。

 初めに神父様は天の父との重要なつながりと子供達との関わりについて話され、子供達には生きている信仰を伝える福音宣言という言葉を強調して語られました。福音宣言、それは神の歩く言葉としてあらゆる状況にあっても神のよい知らせを力強く届けて行く事が大切で、神の愛を伝えずにはいられないほとばしる言葉を持ち、自分が元気になって奮い立つ行動力と使命感が必要だという事です。ミサ聖祭は真の福音宣言そのものです。神に心を向けて祈る大切な時間ですから、ミサの典礼の流れの中で神の福音を五官を通して感じて欲しいのです。神を大切にする人々の集まりである教会は、いつも輝いていなければなりません。生き生きとしている教会は若い人達も魅力を感じ集まってくるでしょう。

 神はリーダーとして、その人でなければ出来ない人を選ばれました。それならば神の愛の業に応えられる様に努めてください。神父様の貴重な講和の概要になりますが熱く語られる神父様のお話の中に生きた神の御業を感じる事が出来ました。最後にミサ聖祭にあずかり、参加者全員が喜びを分かち合い豊かな恵みを戴き感謝のうちに落ち葉の散る道を帰途につきました。



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「児童・青少年の宗教教育を考える集い」に参加して
日曜学校 梅田

 11月19日(日)に、大船教会で、横浜教区第5地区「児童・青少年の宗教教育を考える集い」が開かれました。参加者は、鍛冶ヶ谷・片瀬・戸塚・中和田・原宿・藤沢・大船教会の教会学校リーダー、栄光学園・湘南白百合学園・清泉女学院・聖園女学院の先生方、鍛冶ヶ谷・戸塚・藤沢・大船教会委員長、バーク神父ほか2名の司祭たちでした。

 前半は全体会で、自己紹介も兼ねながら自分達の学校や教会学校の実情について話したり、各学校や教会から回収されたアンケート結果を見ながらの話がありました。途中ティータイムをはさんで、後半は、いくつかのグループに分かれて、グループ討議されました。学校側からは、生徒の中での信者数が10%に満たない現状での宗教教育のむづかしさという話が出されました。アンケート結果からは、各学校・教会学校が同じような問題をかかえていることがわかりました。グループ討議では、私は小学校リーダーのグループに参加しましたが、「初聖体後四年生になると、子どもの教会学校への出席率が低下する」という問題点が出され話し合いました。リーダーは子ども達の中に福音の種まきをし、その種を育てていくこと、教会から離れていっても、5年後10年後にはもどってきてくれることを考えて教えていくことが大切ではないかという意見が出されて印象に残りました。

 集いに参加して、他の先生方や教会学校のリーダー達の話を聞き、情報交換ができたことは、とても有意義でした。



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「ザビエル祭」

一粒会 松田

 11月23日、第五地区一粒会が呼びかけ、鍛冶ヶ谷、片瀬、中和田、藤沢の4つの教会総勢60数名が、大型バスとマイクロバスに分乗して、東京石神井にある東京カトリック神学院の第38回ザビエル祭に参加しました。藤沢教会は、日曜学校が秋の遠足として、高野神父様、リーダー、父兄とともに20名はどの子供たちが、参加してくれました。

 あいにくの曇り空、寒い日でしたが、10時から野外ミサにあずかり、その後、それぞれステージ、院内ツアー、模擬店、イベント、展示などを楽しみました。ザビエル祭は毎年開催されていますが、藤沢からは初めて神学院を訪れた方も多かったようでした。ふだんはなかなか見られない神学生の勉強と生活の場を見ることのできるよい機会でした。最後には神学生1人1人が紹介され、院歌が歌われました。色々な木々に囲まれた広い神学院の敷地の中で30数名の神学生とともに過ごした1日は、子供たちにとって貴重な体験であったように思います。

中高生会リーダー 山本

 中高生会のリーダーとして、初めてザビエル祭に行かせていただきました。昨年も行きたかったのですが、行けなかったのでこの企画に感謝しています。神山復生病院の方々ともまたお会いすることができよかったです。

ザビエル祭は多くの教会からの出店があり、文化祭やバザーともまた違う雰囲気でした。

晴佐久神父様が提案されたという高円寺バーガーもおいしくいただきました。神学校の存在を知り、神学生として勉強している先輩方に触れ、今回、一緒に行った日曜学校の子達は貴重な経験をしたと思います。自分が小学生だった頃は、神学校の存在を知らなかったと思います。ちょっと羨ましいですね。

 来年もまた行きたいと思います。神学生達がびっくりするくらいの大人数で行きましょう。

中高生会 吉田

 先日のサビエル祭ですが、思っていたより普通の学園祭で楽しかったです。東京教区のみなさんが出していたお店もとても料理が美味しかったですし、宮内神学生の姿も見れ、元気そうだったので行って良かったと思いました。何より、山本リーダーの知り合い、東京教区の青年の方や神父さまともお話できとてもいい経験になりました。来年は大学に入りますので色々な青年企画に参加し、他の教会の青年達と交流を深めて行きたいと思います。

日曜学校リーダー 大竹

 約30年ぶりの訪問になった東京神学院は、建物がすっかり新しくなり、随分雰囲気が変わったように思いましたが、庭の木々を眺めていると少しづつ昔の記憶が甦りました。あいにく気温が低く子ども達は野外ミサの時間を辛抱できるかと少々不安だったのですが、さすが子ども達、寒さに負けずにきちんとミサにあずかることが出来ました。その後のお店めぐりはとても楽しんでいたように見え、早起きしてバスに乗り来て良かったなと思いました。昼食後には神学生の方たちの日々の暮らしが垣間見られるお部屋見学も出来て、いろいろな個性を持った方が将来司祭職に着かれるんだなと楽しみになりました。神学生の方たちを身近に感じる良い機会を与えられたことを、感謝したいと思います。

藤沢2区 小比賀

 娘の論子(幼児)にとって、朝早く起きて、たくさんバスに乗ってというのは珍しい経験なので、行きはやや興奮気味でした。私(親)と離れた席での御ミサというのも不安だったせいか、寒さのせいか、途中疲れて不機嫌になったりもしましたが、お祭りは楽しんで、わたあめを食べたり、スライムを作ったりとワクワクすごせました。

 一番良かった事は、他所の教会の神父様や信者さんと交流したり、日曜学校のお姉さんたちと遊んでいただいたりしたことでしょうか。帰りのバスではひと眠りした後、唐突に「聖母マリアのいのり」をしたり、「聖劇」の練習をしていたので何か思うところはあったのかなと親は期待しています。

四年 文 

11月23日木曜日に神学院のザビエル祭に行きました。最初に、ミサをしました。次に、スタンプラリーのスタンプを持っている神学生をさがしました。次に、おばけやしきに入りました。おばけやしきはこわいと思ったけどあまりこわくありませんでした。次に、おべんとうを食べました。その次にたこ焼きを食べて2かいで天使を作りました。最後にミサをして帰りました。楽しかったです。

四年 湯山

はじめて、ザビエル祭に参加して、楽しかった事は、お父さんといっしょにお買物をしたり、おにぎりを食べたりして、あと、スタンプラリーをしたことです。でも、スタンプラリーは、スタンプが6こしかあつまらなくて、ざんねんでした。でも楽しかったです。お買物をしたときは、かわいい物がいっぱいうっていて、いっぱい買いたかったです。とてもいい思い出になりました。

五年 馬嶋

今日は、東京カトリック神学院のザビエル祭に行きました。はじめのごミサでは、ザビエルのお話などを神父様から聞くことができて良かったです。その後も神学院の中をあんないしてもらったりして、神学院の中がよく分かりました。スタンプラリーで、神学生にスタンプをおしてもらい、バッチをもらいました。とても楽しかったです。神学生はとてもやさしく、またおもしろかったです。へいかい式では、神学生1人1人のしょうかいがありました。kurisumasutokushuu今日は、東京カトリック神学院でとても楽しくすごすことができ、とてもいい思い出になりました。

六年 山内

今日、東京のカトリック神学校のザビエル祭と言うお祭りがありました。最初一時間ぐらいミサがありました。たくさん人がいてびっくりしました。次におばけ屋しきに入りました。最初はこわくなかったけれど中に入ってきゅうにこわいという気持でいっぱいになり出てきてしまいました。その後私は、お昼を食堂みたいな所で食べました。最後にへいかい式をしてバスへもどりました。今日はとても楽しい一日でした。



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神山復生病院を訪れて
藤沢2区 大畑

 11月11・12日の1泊2日で御殿場にある神山復生病院へ、中和田教会の子たちと行ってきました。この病院は、1889年にフランス人のテスウィド神父様が ハンセン病診療所として設立しました。参加者は5人、と少なかったですが皆で協力しておいしい食事などを作る事が 出来ました。

 今回、復生病院を訪れ、「ハンセン病」について学びました。私は以前から名前は聞くことがありましたが、どんな病気なのかという知識はほとんどありませんでした。昔はハンセン病患者たちが強制隔離されていたという事実を知りショックを受けました。復生病院を訪れる前の私もそうでしたが、皆ハンセン病に対する正しい知識を持っていなかったために起きてしまったことです。ハンセン病は「らい菌」という細菌による感染症で、末梢神経が麻痺したり、皮膚がただれたような状態になったりします。しかし、感染力はとても弱く、すぐに薬で治すことができます。私たちは、そこで生活をなさっている藤原さんのお話を伺い、辛い思いをなさったことを知りました。子どもの頃に親元を離れ、連絡を取ることができなかったそうです。また、ハンセン病というのが誤解されていることも辛いとおっ しゃっていました。藤原さんのように、ご自分が辛い経験をなさったという方から直接、話を聞くことができたので、よく伝わってきました。まだまだ、この病気についての知識が少ない人がたくさんいると思います。そんな人たちに患者さんの辛い経験や、ハンセン病に対する正しい知識を持ってもらい、また私ももっともっと学んでいき理解を深めていけたらと思います。



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七五三

まりえ

しゅくふくしきの11月の12日は、青い空にお日さまいっぱいの日でした。しんぷさまにしゅくふくをしていただいて、おめだいをもらったときとてもうれしかったです。千とせあめももらえてうれしかったです。きょう会のたくさんの人が「おめでとう」といってくださいました。小田きゅうの中をあるいていたらおみせの人も「おめでとう」といってくれました。はずかしかったけどうれしかったです。たくさんのおともだちと七五三のおいわいができてよかったです。こうたろうくんや日ともだちのなるちゃんもいっしょにしゅくふくをうけました。おぞうりのはなおがすこしいたかったけど、もう一どおきものをきたいです。

ちひろ

七さいになってみんなにおいわいしてもらってうれしかったです。おとうさん おかあさん ここまでそだててくれてかんしゃします。これからもいろいろといっしょうけんめいべんきょうしてがんばります。



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笑い合える喜びと、話し合える幸せの中で
エルダーズの会 八木

 11月のエルダーズのお食事会は、ことのほか沢山の方々が参加して下さいました。日曜日のお知らせに、今回のお食事メニューは「きのこの炊き込みごはん」と載せて頂いたからでしょうか。それともエルダーズの会発足10年目の応援にいらして下さったのでしょうか。はじめての方々も含め50人以上の方々が参加して下さいました。お料理係の方々も10年にわたる大ベテランの応援団です。「きのこの炊き込みごはん」には自信と共に力が入りました。キッチンに広がるきのこの甘い香りと共にお釜のスイッチが切れました。誰ともなく「早い」「スイッチの切れるのが、早すぎるんじゃない?」全員の顔がまっ青になりました。「おかしい芯がある」「水が足りない」「お釜がこわれているんじゃない」スイッチを何回も入れ直したり、ごはんをかきまぜたり、ガス台をとり替えたり、水を足し、味見をしては首を振り、ごはんの炊き上がり具合に皆呆然。「炊き直した方が良いのでは?」でもホール一杯のお客様は座って待っていらっしゃるしキッチンでの騒ぎと不安と緊張は大変なものでした。でも神様は私達の中にいて下さいました。何とか皆様に召し上がって頂く段階で「大丈夫・・・おいしいよ。味付けがとても良い」等々・・・やさしいお声を掛けて頂きました。果物のサラダ、おみそ汁そしてお菓子とコーヒー。ふと気がつくと、私達スタッフ8人がいただく分もなくなり完売でした。大成功!! 10年間お料理を担当し続けて下さった応援団もほっとしながら皆で笑い合える喜びをかみしめました。

 エルダーズの会10年の歩みもこのお食事会のようなものでした。沢山の方々の応援を頂きながら、病気の方を支え、亡くなられた方々(4名)のご家族と共に悲しみをわかち合い、でも「笑い合える喜びと話し合える幸せを」いつもかみしめながら、私達の中にはいつも神様がいて下さると実感し感謝の祈りを捧げた10年でした。 次回のお食事会は来年2月5日(第1月曜日)を予定しております。皆様どうぞ楽しみにいらして下さいませ。お料理係の方々も益々みがきをかけ輝いて下さることと思います。そして来年は応援団として支えて下さる方々がもっともっと増えて下さることを願いつつ11年目にむけて歩み続けたいと思っております。



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巡礼に参加して
辻堂2区 小川

 11月16日、「横浜教区カトリック女性の会 パスカ(過越)」主催のバス巡礼に参加させて頂きました。当日は朝7時20分に集合して先ず西千葉教会を訪問しました。その目的は来年188名の殉教された方々の列福式が無事に行われますようにとの御ミサでした。西千葉教会は京成西千葉駅から近い所にあったと思います。御ミサは典礼聖歌42番「神のおきてを喜び」から始まり歌っている中に皆の心が一つにつながって行くのを感じました。司式は細井保路神父様、お説教は「博士の数式」を書かれた小川洋子さんの事からのお話でした。献金は永年教会のためにおつくし下さった神父様方のために皆でさせて頂きました。ローマを思わせる十字架の前で御聖体を頂き感謝の念で一杯でした。閉祭は「救いの時にアヴェマリア」を唱い満たされた気持ちでした。

 ミサ後、細井神父様にお見送りいただいて佐倉の国立歴史民俗博物館をたずねました。余り時間がありませんでしたが日本文化の形成過程、鉄砲伝来を知る事が出来ました。そして殉教者、ジョアン原主水佐胤信の生誕の地、臼井城址へ参りました。田舎道を皆さんと歩き、美しい印旛沼を見下す城址でお祈りを捧げました。400年前を思って主の教えを信じ36才で世を終わった原主水佐胤信他、多くの殉教者の御霊が平安であります様に、安らかに眠って下さいと祈らずには居られませんでした。幸にお天気も良く暖かくてこれもお恵みと感じ、無事に6時半藤沢小田急前に到着した時はほっとしました。この巡礼を企画された方々、殉教者の研究を懇切にお教え頂いた高木一雄先生、細々したご配慮頂いたお世話の方々、ご参加下さった皆様に心より感謝申し上げます。



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介護ヘルパー講座を終えて
六会 逸見

 9月より教会ホールにて週3回の講座が始まりました。今回の受講者はインターナショナルな仲間で、フィリピン、ペルー、アルゼンチン、ウクライナ・・・

最高年齢は?才と本当に様々な仲間と学びました。各国の事情や様々な感覚、高齢者、障がい者に対する思いなど、沢山の違いをお互いに認めながらディスカッションしたり実習した事(時には感情のぶつかりがあったりして・・・)今となっては楽しい思い出です。

 各講師の方も経験豊富で、常に現場の話をしながら進めてくださり、内容の濃い授業でした。施設や在宅でのご利用者からも沢山の事を学びました。研修の時は常にご利用者様が先生でした。障がいを持っても前向きに歩こうとする人、周りから離れて自分の世界を楽しむ人、心を閉ざす人、とにかく明るい人、ただ眠る人・・・どの方も私達とは違う時間の流れを歩いていて、そんな姿を見ていると、この方は今迄どんな人生を歩いてこられたのかな?と想像を膨らませたりしました。101才のある方は、不自由な体を一生懸命動かして、窓ガラスを拭いている私に何か言っていました。よーく耳を凝らして聞いてみると「がんばれよー」とエールを送ってくれていて、30分後くらいに再び出くわすと「がんばれよー」という、どうやら昔は教師だったらしく、研修生の世話は私がやる!と意気揚々とした101才でした。仕事が終わると、手をとってフーフーと息を掛けて手を撫でてくれました。大きな思いやりを頂いてとても嬉しかったです。面会の家族の方からは、昔はこんなじゃなかった・・・という少し淋しいような、疲れたようなお話も伺いましたが、長い人生を歩いてこられた方々の知恵袋の中や、思い出の中に少しだけおじゃまさせていただいて感じた事は、2人として同じ人はいない事、その日、その時でコロコロ変わる方々を前にして、介護の現実の大変さや孤独を感じ、それは想像以上のものでした。しかしそのような現実の中にあっても、心の目を使うと思わぬ発見も多く、私達は人と人との交わりの中で、それぞれの役割を持って神様に使わされている・・・という事も今回の研修の中で実感させて頂きました。

 福祉の仕事は、入り口あって出口なし!と言うそうです。ベテランも初心も同じだそうです。限られた時間の中で、失敗しながらも、その中から一つでもサインを拾って、寄り添うお手伝いをしていきたいと思います。指導してくださった施設の方々や、講師の方々、シスター益尾、鶴田さん、川辺さん、曽根さん、皆様に感謝します。ありがとうございました。



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「葬儀を考える会」フォ−ラム報告
辻堂2区 佐々木

 11月19日のミサ後に、毎年「死者の月」に恒例になりましたフォーラムが開かれました。今回は「元気な時に考える葬儀メモ」を中心に共に考えてみましょう・・と川辺さんの呼びかけで始まりました。

 以前は「葬儀」の事を話題にするだけで「縁起でもない」と言われましたが、少子高齢化が進む現代、若い人たちも葬儀に関して迷っています。身内の死に直面して、家族はパニックに陥ります。葬儀が済んでから悔いが残ったり、後味の悪い思いを経験する事も少なくありません。それで、元気な時にこそ自分の葬儀を考えておくことが大切です。教会でもその方の思いに添えるように協力したいと考えています。「希望」は本人の気が変わったら書き直せば良いのです。本人と家族が安心して生きるために、また喪失感からの回復のためにも、考えておくことは大切です。「儀式」だけではなく、教会も心を一つにして共に考えて行きたいと願っています。

自分の葬儀を考えることで、他の人の葬儀にも関心が向きます。たとえ知らない方の葬儀の連絡にも無関心ではなくなります。

 この「葬儀メモ」は各地区での集会で、多くの方が目を通されました。特に家族が信者でない方、お一人暮らしの方、お子さんのいない方、家族が遠方の方のためにはご希望により教会でプリントをお預かりすることも出来ます。以下、川辺さんが各項目毎に丁寧に説明して下さいました。

 これに続きいくつかの質問がありました。

教会へのお礼について、教えてほしい。

教会によって異なるので、当教会では一つにまとめて欲しい。司祭への謝礼は教区に一旦納められ、その後司式者に渡される。具体的に決められた金額はない。各家によって全く事情が異なる。葬儀費用を含め、心を合わせて無理のない範囲で考えて欲しい。10万〜30万の方が多い。謝礼は維持費に次ぐ収入になっている。

葬儀社で以前祭壇のサンプルを展示してくれた。最低の金額はどのくらいか。

火葬式といわれるものは、15万〜18万円。一般の祭壇は、30万、50万、70万くらいで、教会では2割引が適応される。50万〜70万位の祭壇が多く使われている。食事を用意すると10万〜15万かかり大体100万円(含教会へのお礼)で足りる。

今後司祭が司式しない場合があるのか、また他教会から司祭を呼べるのか。

遠くない将来司祭不在の教会が生じる。現在でも平日に司祭不在の教会がある。司祭がいるとしても高齢の場合、必ず司祭が司式してくれるとは限らない。信徒の高齢化で今後葬儀が増えると、益々難しくなる。葬儀ミサ以外は司祭でなくても司式できる。追悼ミサを共同体で捧げるのも良い。私達で出来ることはしっかり行うように、発想を変えていかねばならない。

みそのの共同墓地は、現在どのようになっているのか。

是非とも実現したいが、県への問い合わせに対してまだ返事が届かない。悪しからず。

 この後、各ブロックの担当者の紹介がありました。必要な時に、相談をお受けしたりお手伝いをいたします。地区にこだわらず、お声を掛けて下さい。

 冷たい雨の降る日でしたが、80人を超える方々が1時間のフォーラムに熱心に参加してくださいました。これからも皆さんとご一緒に考えて行きたいと思いますので、ご意見、ご質問などお寄せください。なおこの印刷物をご希望の方は事務所にありますのでお尋ねください。



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外国籍信徒と共生のために〜共助組合の試み〜
共助組合藤沢支部 遠藤

私達の教会には、大きく分けて3つの外国籍信徒のグループがあります。ベトナム出身の人々、フィリピンから来ている人々そして南米(ラテンアメリカ)からの人々。勿論そのいずれにも属さない外国籍蔭の人々もいます。グループの一員こ数える在日の形態は千差万別です。南米に至ってはそもそも一つのグループと考えるのには無理があるかもしれません。来日してから相当の年月がたち、既に藤沢或いは近隣にしっかり生活の根を下ろしている人もいれば、近々帰国することを計画している人もいるかもしれません。

 異国で生活する彼らには、私達とは異なる様々な問題に直面することもあるでしょう。

自国と異なる文化、言葉、習慣、法律などの環境の中で生活するには、仮に自ら望んで来日したとしても、多くの困難を克服しなければならないでしょう。経済の問題もそのうちの一つかも知れません。もしかすると、ある人々、ある家庭にとっては最大の問題かも知れません。

 藤沢の共助組合は、聖堂が丘の上から今の位置に変わる時に組織化の準備が始まりました。そして36年後の今日まで、927件、3億円弱を信徒組合員に貸し出し、信徒の経済生活の安定に貢献して来ました。この中には、組合員として、既に加入している外国籍の人々も少なからずいます。しかし、組合加入の要件を満たさない外国籍の信徒も近年特に増加し、彼らの多くは資金の必要に見舞われても市中の金融機関を利用出来ないままにいます。

 共助組合運動は、20世紀の始め、カナダ、米国のカトリック教会を出発点として、その時の社会の経済的弱者、マイノリティーの人々の日々の日常生活を互いに支えあう信用協同組織として発展して来た歴史があります。そしてこの両国から送られて来た修道会.宣教会の神父様方の努力により日本各地の小教区に共同体活動の一つとして植えられました。その相互扶助の営みを忘れては、共助組合の存在理由は無いとも云えます。

 今回共助組合はこの初心に帰り、共同体の中で資金の貸付を必要とする上記3つの外国籍信徒グループを団体会員として迎え、既に組合員になっている人々と可能な限り同様に、サービスの提供が出来るよう制度を整えようとしています。この事業を、ここ藤沢教会共同体に連なる外国籍信徒の方々に広く周知を図ると同時に、現在の組合員始め多くの信徒の方々の理解と協力を頂かなければなりません。ここに改めて共助組合加入のお勧めをすると共にこの制度に特定した出資を広くお願い致しております。(詳しくは、日曜日9時半のミサ後、共助組合窓口でお尋ね下さい)

 今日本のカトリック教会には、少なく見積もって日本人信徒と同数、多く見積もればその倍の外国籍信徒がいるといわれています。これからの教会は彼らとどう共生してゆくのかは大きなテーマでしょうし、また多様で開かれたより恵み豊かな時代を迎える機会にもなるでしょう。共助組合は、その可能なそして現実な一つの方法として、彼らにその門戸を広げたいと考えています。



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「聖霊による生活刷新セミナー」について
秦野教会 寺田

 「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』とはいえない」(1コリント12・3)。「神は『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、私たちの心に送ってくださった」(ガラテヤ4・6)。信仰によるこの認識は、ただ聖霊の助けだけによって可能となります。(カトリック教会カテキズム683冒頭文)神の御業によって私たちのクリスチャン生活は希望に満ちた素晴らしいものとなっています。この「聖霊による生活刷新セミナー」は、神の愛と恵みについての学び、聖霊との交わりをどのように持ったら良いかを実体験するプログラムがあります。そして兄弟姉妹の交わりを深める小グループの分かち合いの場も用意しています。この「聖霊による生活刷新」は世界中に広まり、教皇庁に公認されています。そして、藤沢教会の歴代の主任神父様初め信徒の皆様方のご支援とご協力により順調に活動できますことを主に感謝しています。

以下に、今年のセミナー参加者からの感想文を一部紹介させていただきます。

原宿 飯塚

 私が聖書を学ぼうとした動機は、病を通じて命の大切さを痛感したことと、幼少から母の愛情をもらっていないという淋しい思いからでした。1年間にわたるシスターのご指導の下、10年前に洗礼をさずかりました。その後日曜日のミサ、聖書会、家庭集会に参加し、聖書の勉強はしたものの、難しく自然と足が遠のいてしまいました。

 そんな折ふとしたことで「聖霊による生活刷新セミナー」を知り、参加しました。初めは教会のミサしか知らない私にとって、不安と、戸惑いがありましたが、回を重ねる度に主が共におられ、働きかけてると確信しました。第5週目の聖霊の満たしでは皆様の助けにより、異言をいただいた時は感動で涙がとめどなく流れました・・・・と同時に歓喜と自由の恵みを与えられたのでした。さらにもっと主に近づきたい、知りたいという気持ちが湧き上がって参りました。今後も信仰生活を歩んでゆきたいと思います。

 ご指導くださった方々や、多くの人々の出会いが私の後押しとなり、セミナーを無事終えられたことに深く感謝致して居ります。

雪ノ下 上野

 教会の聖堂の入り口においてあった地味なリーフレットが目にとまったのはセミナーの始まる一週間ほど前でした。他のカラー刷りの案内などに混じって並べてありましたが「生活刷新」という聞きなれない言葉が気になりました。なんとなくいただいて家に持ち帰り読んでみると「私たちは自分の力で生活を変えることはできません。・・・そうするなら私たちは聖霊に満たされ聖霊の働きに気づき、感謝と喜びに満ちた人生を送ることができると信じます。」と書いてあるではありませんか。人生を何とかして良い方向に変えたいといくら頑張っても自分の力では何も変っていかないことに半ば諦め疲れていた私にとってこの案内はまさに福音でした。

 プログラムのすべてが始めての体験で不安もありましたが、リーダーの方をはじめ皆さんにあたたかく迎え入れていただき、愛に支えられリラックスして参加することができました。得意でもない賛美の歌も回を重ねるごとに自由にのびのびと身体まで動かして楽しく声を出すことができるようになり、神様を賛美するのはこんなに嬉しいものなんだ、神様も喜んでくださっているんだという気持ちで満たされてゆきました。

 自然と自己否定や思い込みの気持ちから解放され喜びを感じるようになりました。また聖霊の満たしの際には皆が私のために祈ってくれ、私は子供のように声をあげて泣きだしてしまいました。それまで長年大人を演じて抑圧し蓋をしていた私の感情がいっぺんに開いた感じでした。それは幼子のように主を呼び求め、主がそれを受け入れて応えてくださったことの喜びの涙だったのだと後になって気づきました。その後はまるで体から悪霊が出て行ったかのように、少しずつですが心が平安になってきています。

 生き生きとした信仰を求め始めていた私にとってこの体験は素晴らしい恵みであり、このセミナーに参加できたのは本当に聖霊の導きだったと8週間たった今実感しております。これからも常に聖霊の満たしを受けられるように、求め、祈り、賛美をささげていきたいと思います。

港南 藤崎

 たまたま訪れた藤沢教会でチラシを見つけ、聖霊降臨の準備セミナーと簡単に考え一人で参加することにしました。

 初日に講師の説明を聞き、一緒の皆さんが生き生きと賛美の歌を歌い自由な祈りを自分の言葉で表現する喜びに満ちた姿を拝見し、長い信仰生活で次第に形式に流れていた私を発見し、大きな違いを感じました。

 神父様のお話の中で、何回も参加しながらソッポを向いていた一人の青年が、ある時をきっかけに大きな変革を遂げて聖霊の恵みがはっきりと現れた事をお聞きしました。私は恵みを深く体験出来ずに終わってしまうのではないかと不安な心があったのですが、このお話から主は各人をいつも適した時に必要なものをお与えになる事を確信し、平安な気持になりました。大きなはっきりした変化は、自覚出来ていませんが、このセミナーに導いて下さってり、様々な出来事に主の御摂理が働いている事を強く確信出来ました。また、聖霊の満たしを戴いてから、聖書を読んでいても今迄とは異なった受け取り方になっている事を感じました。

 必要な時に、必要な物を与えて下さる事を主に感謝し、祈り・学習・奉仕の"燃料を戴き"また、仲間の力を戴きながら補充し、燃え尽きることなく炎を大きくしていきたいと思っております。



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神秘につながる挨拶の言葉
藤沢2区 家田

 チベット人の挨拶は、出会った人が互いに赤い舌を出すことであると言われています。古いことになりますが、このことを小学生の時に知って驚きました。その南のインドでは、ヒンズー教徒も仏教徒も合掌して《ナマステ!》と挨拶を交わします。これは「あなたを信頼します」とか「あなたにお任せします」という意味です。わが国でも初対面の人に会う時「どうぞ、よろしくお願い致します」と信頼を込めて伝えます。この《ナマステ》という言葉には深い意味があります。「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」の《南無》という言葉はこの《ナマステ》から来ています。「南無阿弥陀仏」の念仏は、阿弥陀如来に心から帰依して成仏を願う祈りです。阿弥陀仏の無量寿(大いなる永遠の生命)を究極の願いとして求めるのです。このように阿弥陀如来と完全に一つになる「成仏」ということ、すなわち、超越的な神的存在と完全に一つになるということはすべての宗教の究極の憧れとなっています。

 人類の歴史をさかのぼって宗教の歴史を見渡しますと、古代インド宗教のパラモン教では、紀元前8世紀に世界最古の哲学思想であるといわれるウパニシャット哲学が生まれました。そこでは、宇宙の根源である最高存在(ブラフマン)、宇宙を創造しその中に入り込んでいるブラフマンと個々の小さな存在である人間アートマンの完全な合一を悟りの目標とし、これを「梵我一如」(ぼんがいちにょ)と言っていました。仏教における「仏我一如」や「成仏」も、ほぼこれと同じ意味を持っています。

 イスラエル人の挨拶の言葉《シャローム》は、平和や平安という意味を持っています。そのほか健康、健全、繁栄、充実、充満、充溢、完全などのあらゆる意味における幸福の状態を意味しています。さらに、現実を超えた宗教的理想の状態をも意味しています。イエスがエルサレムの最後の晩餐の席で弟子たちに「あなたがたに平安を残し、平安を与える」と言われた《平安》(シャローム・ラテン語ではパクス)は、神と人間の完全な一致である「愛の完成」、すなわち神の国における「神と一つ」になった永遠の生命そのものです。その意味は、同じ最後の晩餐のときの言葉「わたしが父の内におり、あなたたちがわたしの内におり、そして、わたしがあなたたちの内にいることを、その日(神の国に入ったとき)、あなたたちは悟るであろう」(ヨハネ福音書14,20)に表されています。ですから教会でミサの間に「主の平和!」(パクス・ドミニ)と唱えられる挨拶や手紙の初めに「主の平安!」と書かれる言葉には、言葉では言い表すことのできない超越的な神秘につながる深い意味があります。

 イスラエルのユダヤ人は《シャローム!》と挨拶し、アラブ人は《マルハパ!》と。トルコ人は《メルハパ!》と挨拶します。イスラム教徒もユダヤ人と同じ意味の挨拶をして、お互いの平安を願います。このイスラム教徒の《イスラーム》という言葉の意味は、神アラーと信徒モスレムの問の神秘における円融無障の完全な一致を意味し、まさに宗教の最高の理想を表すこの上なく素晴らしい言葉なのです。

 わが国古来の考え方や神道では、自然が神格化され「自然・神々との同化・共存」が人々の人生や宗教の理想でした。このように宗教は「超越的な神秘との合一」「神的存在との一致」を究極の目標にしています。そもそも、すべての人間が生きる真理として求めたもの「梵我一如」「仏我一如」「成仏」「無量寿」《シャローム》《平安》「愛の完成」、《イスラーム》「永遠の生命」など、共通した超自然の神秘的存在との一致、ないし合一を求めるところに、すべての人々が心の奥底に持っている宗教的な願望を感じることが出来ます。

 今わたくしたちが祝う《主(メシア)のご降誕》は、御子が「受肉の謙遜」によって世にくだり。「父への道、神の真理、永遠の命」にわたくしたちを導かれる時の始まりです。天使に天の大軍が加わり「いと高き天においては神に栄光。地においてはみ心にかなう人々に平安!」と神を賛美しました。

 天における神の栄光のうちに平安(やすらぎ)を求める人々の心の奥底に潜んでいる宗教的渇望を呼び覚まし、根源的に求められている「永遠の生命への願望」に新たに与えられる〈インスピレーション〉を期待したいものです。わたしたちが日ごろ使い慣れている言い方では、「聖霊の働き」を祈り求めながら生きたい、ということです。



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