八 角 形 に ゅ ー す
2007年3月4日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
お母さん、わたしが買ってあげる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ぱうろ たかの
北二ブロック新年会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 千古
藤沢ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 平井
辻堂ブロック新年会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 野口
子供黙想会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校リーダー 清水
教育部黙想会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校リーダー 井出
典礼研修会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 子安
先唱者の勉強会を開催して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部 石塚
力トリック湘南台センターを考えるために・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村
追悼ミサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野
お母さん、わたしが買ってあげる
司祭 ぱうろ たかの
四旬節に入りました。主の死と復活の恵みを豊かに受けるため、準備をされていると思います。
私は、教会学校に関わっていることもあり、子どもたちと接する機会に恵まれているのですが、ときどき、子供たちが私の世話を焼いてくれるときがあります。私を見ていて放っておけないと感じるのでしょうか。親切に丁寧に教えてくれたり手伝ってくれたりします。その時、私の心は温かくなります。その時の子供たちの顔を見ると光り輝いていて、なんとも良い顔をしているのです。私の方がその子供たちの子供になったような気持ちになります。私の親になった瞬間です。
いつの事だったのでしょうか。去年か一昨年か・・・、買い物に行った時の事です。文房具売り場で何気なく眺めていると、私の隣で母親と娘が、同じように商品を眺めながら二人で話をしていました。その娘は小学生高学年ぐらいだったと思います。母親に話しかけながら、自分が気に入る物を探している様子でした。その娘の話を母親は聞いているのでしょうか。ときどき返事はしますが、視線は娘には向けず、商品に釘付けです。しばらくして、母親の視線がある商品に留まりました。それは、指輪か何かアクセサリーのようでした。手が伸び、その商品を手にすると、母親は食い入るようにその商品を見つめていました。その光景を目にした娘の反応は?・・・・「お母さん!・・・何見ているの?・・・私の話、聞いているの!?」とは言いませんでした。
娘は、その母親の姿を見るや、急いで自分のカバンから財布を探して取り出し、口を開けると、中を一生懸命のぞき込んでいるのです。「・・・お母さん、それ欲しいの?・・・買ってあげるよ。母の日にはまだ早いけど。・・・買ってあげるよ。(母親が持っている指輪を見て)そんなに安いのでいいの?」と言いながら・・・。母親は、その娘を見ることもなく、手に持った商品を元に戻し、その場から去ろうとしました。娘は、「買ってあげるから・・・」と言いながらも母親の後を付いて行き、二人とも私から離れ人混みに消えていきました。
私は、驚きました。想定外でした。自分では考えられない行動を子どもがしたからです。・・・不思議でした・・・余程、家庭での教育・しつけが行き届いているからなのでしょうか。・・・でも・・・
悲しみを背負いながらも、創造主である、いのちの源である神の似姿として創られた人間。交わり、与えることを本性に持ち、愛そのものである神の似姿として創られた人間。母親を愛するが故に自然に現れた姿なのでしょうか・・・。しかし、その愛はどこに届いたのか。・・・あの時、私はそんな事を考えもしませんでしたが、なんとも言えないもどかしさを感じながら、二人の背中を眺めていたように思います。
そして、気付くと私は言われるのです。「・・・話、聞いてなかったでしょ!」と・・・
交わりの中で生きたいと望みながらも、自分の世界に閉じ込められている人間の悲しみ、いつの間にか隣人を傷つけている悲しみを感じながら、・・・そんな私たちの悲しみをしっかりと受け止めて、キリストはエルサレムへ向かいます。そして言われるのです、「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。(ルカ19:5)」と・・・
教会委員会報告(2月17日)
若い方が少ない今、高齢者ががんばりましょう
二十世紀に生きた人間が作った環境汚染について、便利さだけでよいのか考えたい
教会での結婚式が少なくなった今、結婚式がどうあるべきか考える必要がある
プログラムの確認
事前質問紹介などを話し合った
1月の教会委員会での運営委員会からの提案について、各ブロック、活動部で話し合った結果をもとに今後の方向性につき活発な議論がなされた。結論として:−
現在の湘南台センターについては、今年12月末を一応の目途として閉鎖
各活動の詳細、今後の継続の是非、継続の方法など、検討していくことが必要
そのために教会委員会の中に作業チームを設置し、活動に直接かかわっている人、グループと話し合い、具体策をいっしょに考えていくことになった
1月28日(日)先唱者勉強会を開催。後日、実践についての勉強を予定
2月12日(月)横浜教区典礼研修会、当教会において
2月25日(日)横浜教区合同入信志願式、午後3時から当教会にて
2月17日(土)5・6年生黙想会、中和田教会にて
2月25日(日) ・教育部会・中高生コーヒーショップ、大船中高生会と交流
3月4日(日) 他教会学校リーダーとミーティング、中和田教会にて
国際部長に興膳美保子さん(辻堂1区)が就任
10月8日横浜教区一粒会大会 聖園女学院にて(年間行事予定に追加)
第5地区福音宣教委員会2月18日当教会で行われる
神奈川県共同宣教司牧推進委員会主催の2007年度各種研修会・講座の案内
今年度の信徒総会が2月18日10時40分よりお聖堂で150名以上が参加し開催されました。浮田教会副委員長の進行で、先ず小藤委員長より「昨年度の総括」として@共同宣教司牧への対応...以下8項目の説明により、一昨年50周年を迎えたが、昨年は次の50年に向けての初年度として無事踏み出したとの報告がありました。今年度は新たに「教区センター機能の付加」「将来へ向けた財政基盤の検討」の2つの大きな課題が取り上げられることになりました。財務状況については引き続き財務部長の説明で、献金収入の減少が続いており2006年は2000年に比べ20%減、今後老齢化が進む中、維持費の7割が60才以上の方によって納入されているという現状の改善が検討される時期であるとの問題提起がありました。この老齢化は、次に川辺事務局長から説明のあった教勢表でも明らかであり、信徒の総平均年齢は47.7才(前年比+0.5才)で年々上昇し続けています。(以上についての詳細資料はリーフレット「2007年藤沢教会信徒総会」をご覧下さい。)
次の議題の湘南台センターについて、委員長より1994年このセンター設置の経緯をはじめとした説明があり、教会委員会では検討小委員会を設置し、昨年4月以来北部宣教拠点としてのセンターのあり方につき検討を続けてきたが、@今後の藤沢教会の厳しい財政見通しとA梅村司教の掲げられる「交わりとしての教会」を目指し、共同宣教司牧の推進を勘案し、小教区内のみの自己完結でなく近隣との交わりも考慮の上、結果として「現拠点は本年末をもって閉鎖する事を前提に、教会委員会の中に作業チームを設置し、これまでに築かれてきた活動をどのように継続していくかの具体的方策を活動に直接関わっている人たちとも話し合いながら、検討、確定していくことになった」との話がありました。しかし、これには主としてこのセンターを利用している信徒の方々から異論があり、いずれも見直しを要望されましたが、これを含めて今後作業チームで具体的に対応していくことになりました。この後、今年度教会委員、活動部長の紹介があり、新任は岡田教育部長、米谷福祉部長、興膳国際部長でした。
最後に今年度の話し合いのテーマ「これからの藤沢教会―横浜教区センター機能付加プロジェクトを踏まえて−」に入り、先ず鈴木神父から「まだセンター化が決まったわけではない。しかし上大岡のセンターが3年前に維持資金不足と不便ということで閉鎖されてから、借り会場などで凌いできたが、教区本部としては、やはり自由に使える自前の施設がほしいということで、交通至便の藤沢教会に白羽の矢が立った。これにより、藤沢教会という小教区がなくなるわけではないし、当事者であるこの教会の信徒の意見もよく聞きながら、教区にとってもより良い結論を出していきたい。」との説明がありました。その後全員が20のグル−プに分かれ熱心な話し合いが行われ、その発表後12時50分に総会を終了しました。(この話し合いの内容のまとめについては、別途次号でお知らせする予定です。)
北二ブロック新年会
長後 千古
この藤沢教会のメンバーにして頂いてまだ日の浅い私には、実際どうなのか良くは判らないのですが、北二ブロックは教会から最も離れた場所に位置しており、実際の活動人数も少なめの集まりのようです。活動場所も教会でなく湘南台センターで行われ、やはり他のブロックと比べ少し特殊なのかもしれません。しかし、湘南台センターの部屋の広さ、活動人数など、私が2年程前まで毎週通っていたプロテスタントの街の小さな教会によく似ているせいか、どこか懐かしく、不思議と落ち着きます。
さて、今年の北二ブロック新年会は「日本の伝統芸能」でした。まず婦人有志による、琴の演奏から始まる。やはり新年には琴がよく似合いますね。どこか雅な音色に聞き入っていると「皆さんも歌いましょう」と、「ふるさと」や「富士山の歌」など、かつて小学校の音楽の授業で歌った懐かしい歌を歌うことになる。「あたまを雲の上に出し〜四方の山を見おろして〜かみなりさまを下に聞く〜」こうも良く表現したものである。特に詩に関心はないのですが、この歳になって改めてじっくりっと歌ってみると詩の表現のうまさに感動を覚えました。巌谷小波(作詞家)はたいしたものです。文部科学省が推薦するのも当然です。とにかく新年らしい綺麗な音色に感動し、アンコール。「今度は、御聖堂で、琴で聖歌を歌いたいですね」との意見も。上品で雅な琴の音と聖歌は意外に合うかもしれません。
続く催しは茶道。さすがに畳はないので飲み方のみを伝授して頂き、おいしいお抹茶と和菓子を頂きました。「これは美味しい」と和菓子をパクパク食べていたら、この菓子はかなり有名どころの高級和菓子であったと聞き及び、もう少しゆっくり味わうべきだったと反省する。やはり聖書と銘菓はゆっくりと味わう方が後で後悔しない・・・・・
さて、皆さんは茶聖とも称された千宗易(利休)が、じつはキリシタンだったらしい・・・と言うことを耳にしたことはありますか?実は、現在の茶道の本流である裏千家の古文章では、宗易はキリスト教に帰依し、今だ謎とされている「切腹の本当の理由」もキリシタンだったから・・・ということらしいのです。しかし現在の歴史教育では封印(?)されているらしく、大河ドラマや「信長の野望(パソコンゲーム)」の大好きな私にして、今回の新年会で始めて聞く驚くべき新事実でした。確かに自分の口を付けた所を丁寧に拭取りながら同じ茶を同じ茶碗で丁寧に飲み回す所など、司祭と奉仕者が御血を拝領する姿に良く似ていると印象を持ちました。また訪れた客の身分を問わない精神、茶を喫し退出するまでの全てを「一期一会」の充実した時間とする場。確かに茶道と教会は共通する所が多い事に気づかされました。さすがは千宗易、やってくれます。千宗易キリシタン説の真偽はともかく、高山右近、小西行長、大友宗麟など彼の弟子や深く関わった大名の多くがキリシタンであったことや、彼が宣教師を招いて茶会を催した事は有名で、当時のキリスト教の「こころ」が彼の茶道の「わび」「さび」に影響を及ぼしたのは間違いないのでしょう。
琴の音色に癒されて、巌谷小波の詩に感心し、お茶の味に舌鼓、銘菓に教訓を覚え、茶道に日本の隠された歴史を学んだ・・・・このように、今回がブロック新年会初参加の私でしたが実に充実した会でした。最後に、素敵な琴を演奏してくださった、中村さん、長野さん、ありがとうございます。そしてこの新年会のために特別参加してくださった、琴の先生の清水さん、ありがとうございました。美味しいお茶と、菓子、そして私の大好きな戦国史を教えてくださった伊藤さんありがとうございます。今年も頑張りましょ!
藤沢ブロック集会
藤沢2区 平井
2月4日は大変天気もよく また少し暖かく50名以上の方々が貴重な時間をさいて出席して下さいました。皆様、お茶とお菓子を摘みながら、下記の内容について一つ一つ前向きな意見交換が行われました。
今年度の各地区連絡委員の自己紹介
藤沢ブロック福祉委員の紹介
年間予定について説明
湘南台センターについて
その他
売店より
辻堂ブロック提案の今年度のバザーについて
教区のセンターについて
売店説明の中で年間を通して売店収入が教会運営に、大変貢献している事をあらためて知りました。売店のお手伝いの協力のお願いの説明もありました。教会バザーは教会運営をしていくためには続けていく方がよいのではないか等聞かれました。福祉委員の方からも活動の説明が行われました。最後に全員立ってアカペラで聖歌を大きい声で?!!うたい終了しました。
集会終了後、藤沢1区の一人のお年寄りの方からうれしい一言がありました。「先日、誕生日カードを受け取り、とっても嬉しかったです。本当にありがとうございました!!」ととっても嬉しそうな表情でお礼の言葉を伝えるために連絡委員の所まで来て下さいました。このことは、すぐに藤沢1区の福祉委員の方にお伝えしました。地味な活動ですが、お互いの心と心の中に平安を感じた瞬間でした。
辻堂ブロック新年会
辻堂2区 野口
「新年おめで....??? 今日は2月ですよね。」そんな高野神父様のご挨拶で始まった2月11日の新年会には約50名の方々が出席しました。神父様のご挨拶の後、ブロック長の益満さんからブロックの昨年度の動きと今年の予定説明、そして新入会員、新役員の紹介がありました。その後いよいよ宴会、待ちに待った今や辻堂ブロック名物、「ちゃんこ鍋」の登場、魚津さんを中心とした男性方が昨日から仕込んだ鍋の味は年々良くなる一方です。それぞれに配られ、益満さんの音頭でビールで乾杯、途中渡辺神父様も加わり、皆おいしい「ちゃんこ」に舌鼓を打ちながら話も盛り上がる。お代わりの「ちゃんこ」にはうどんが入り、これまた美味。行列を作って取りにいき、アルコールも回りお腹もいっぱいになった頃、持ち寄りの賞品でビンゴ開始。2,3枚カードを持つ人、初めての人も教わりながら、一喜一憂。そしてビンゴ完成1番の人が出て、その後完成者ぼつぼつ...大小美しく包装された賞品は大きなものから無くなるようです。私は自分の出したものを、誰が持っていくか気になりました。でも最後の方まで残って、ちょっと寂しいと同時に安堵がありました。ある人が私のちっちゃな賞品袋をちらっとのぞいて「ここは教会だよね」でも残して行きました。私は2枚目のカードを完成して、自分の出した賞品を取りました。「ああよかった、戻ってきた。」そうです大切にとって置いたルルドの付いたロザリオです。誰かに使ってもらえればと出したのですが......。
長らく教会に来られなかった方が「なごやかに楽しく過ごせた」と言われるのを聞いて、本当に良かったなと思いました。準備、進行、片付けと多くの方のご協力で、良い新年会をやって頂いたことに感謝いたします。
2月17日〜18日に、小学5年・6年生の子供達が高野神父様のご指導の下、一泊黙想会を中和田教会をお借りして行いました。初めての試みで、また子供達も黙想会って何?という状態のようでしたが、藤沢教会の子供が12名、中和田教会からも4名、計16名の参加がありました。
まず始めに仲間を知るためのゲームから始まり、その後は普段のクラスで勉強をしたモーセ物語の十戒をテーマに進めました。神父様が「水からの伝言」という各地の水、あるいは同じ水でもその水に対しあたえる言葉の違いにより水の結晶の形が様々であることを紹介した本、また「海のおっちゃんになったぼく」と言う本を読んで下さり、十戒の理解を深く掘り下げていきました。
1日半にわたり内容の濃いプログラムで指導して下さいました高野神父様、そして黙想会明けにお顔を出して下さり、モーセ物語の話を身振り手振りを使い話して下さった宮内神学生、温かく迎えて下さった中和田教会の方々に感謝いたしますとともに、参加した子供達が、今後この黙想会で感じたこと得たことを、実りあるものとして行きますことを願っております。
私は、教会は藤沢教会しか知らなかったし、見た事もありませんでした。でも今回は『中和田教会』という初めていく教会に行くというので、「どんな教会かな〜」とずっと考えてました。17日、私は教会に1時頃に着き、みんなで駅に行きました。湘南台に着くとしのちゃんがいました。
中和田教会に着いてみるととてもきれいな教会でした。あとで見たおみどうもきれいでした。教会に着いて最初に楽しかった事は『ふとんリレー』です。下から順番にバケツリレーみたいに運んでそれがきっかけでみんなと仲良くなれました。その後神父さまのゲームをやりました。特に『名し交かん』はみんなの名前を楽しく覚えられました。あとモーセの『十戒』の事で聖書を見て日曜学校でやったのを思い出せました。それに宮内神学生の話がおもしろくて笑ってしまいました。夕食のカレー準備もたまねぎが目にしみて涙が出たけれど味もとってもおいしかったし準備も楽しかったです。あんなにたくさんの人数の食事を作ったのは初めてでした。
夜、神父さまが水の話をしてくれました。色々な水の結しょうを見てびっくりしました。その後ゆるしのひせきをしました。個室でのゆるしのひせきをやったのは初めてで部屋に入って穴の空いた板があって、「あれっっ!?神父様が見えない!どうしよう!?」と思っていたら声がしたので「声だけなのか・・・」と思いました。
夜はなかなかねむれなくてけっきょく1時ごろねました。朝、5時に起きてまだまっくらでした。仕たくをして食事の準備をして食べてそうじをしてミサに出ました。いつものミサと歌などがちがいました。
このもくそう会に出てとても楽しかったです。たくさんのお祈りをして、いつもとはちがう事をやっていろいろな事をやりました。またこういう事があったら参加したいです!!
藤沢教会から、中和田教会へもくそう会・ゆるしのひせきをうけるために合宿をすることになりました。藤沢のお友達だけでなく、中和田教会のお友達とも仲良くすることもできました。めったにない、いい機会でした。お友達を覚えるため、めいしこうかんなど色々なゲームをしました。
1日目の夜、夕ご飯のカレーをみんなで作り、それを食べてから、ゆるしのひせきを受けました。今まで心に引っかかっていたことすべてを告白し、なんだか心がスッキリしました。これから私が悪い事を口に出していないか、見守って下さるようおいのりしました。
2日目、朝食を食べてから、そうじをし、9時から中和田教会のごミサでした。藤沢教会ではない教会でごミサを受けるのは、ひさしぶりで、しんせんな感じでした。
1日目〜2日目にかけて神父さまが「モーセ物語」の十戒のことをお話して下さいました。宮内神学生は「モーセ物語」のお話をして下さいました。その他たくさんのリーダーが来てくださいました。
私はあまり教会にとまったことがなかったので、新しい体験をすることができて良かったです。
私が一番楽しかったのは『夜』です。夜といってもみんなでねる時です。10時くらいにおふとんに入って、初めの方は遊んだり話をしたりしていました。そしてうるさくすると清水リーダーが見回りに来ました。みんなはあわててねたふりなどをしてごまかそうとしました。けれどもバレバレでした。それから、なんだかんだで夜の2時くらいにねました。わたしは、少しねむかっけど、友だちと遊んでいる方がたのしかったのでグッとがまんして夜ふかしをしました。
楽しかったのは夜だけじゃなくたくさんありました。たとえば、夜にカレーをいっしょに作ったり、「十戒」についてゲームをしながら勉強したりして、すごく楽しかったです。しかも、このきかいをきっかけに中和田教会の人たちとも友だちになれたので良かったです。
そういえば「ゆるしのひせき」もやりました。まず紙に『ありがとう』や『ごめんなさい』を書きました。そしてゆるしのひせきを一人ずつ受けました。中和田教会のゆるしのひせきのやり方は藤沢教会と少しちがいます。藤沢教会は1つのへやに入って神父さまと顔を見せ合ってやりますが、中和田教会は小さい部屋に入って、少し穴のあいているかべがあり、その向こうに神父さまがすわっています。そして少し顔が見えながら、話し合います。私的には、中和田教会のやり方が良いなあ〜と思いました。
とにかくたくさんの思い出ができました。このもくそう会に参加して良かったです。
私は、中和田教会に行ってみて、藤沢教会とはちがって小さいけれど聖堂はおおきくて広かったです。藤沢教会のお友達は多かったけれど中和田教会のお友達とも仲良く出来ました。
一日目の夜、聖堂でゆるしのひせきをしました。少し緊張したけれどゆるしのひせきが終わると心の中がすっきりしました。
二日目の朝、ミサをしました。聖堂には人がいっぱいいました。藤沢教会と全然違うやり方でした。私は『ミサには色々なやり方があるんだな』と思いました。ミサが終わり、次は部屋でウノをしました。少ししか続かなかったけれど楽しかったです。次は十戒の理由を書いたりしました。少しむずかしい十戒もあったけれど楽しかったです。二日間とても楽しかったです。
昨日から今日まで、私達は中和田教会の子達といっしょに過ごしてきました。私は、少し人見知りをするところがあるので仲よくできるか心配でしたが、全く大じょうぶでした!この2日間のことを書きます。
1日目―pm1:00藤沢教会集合 pm2:00中和田教会とう着、中和田教会に着いてからは、ふとんを運んだり、荷物をおきに行ったりしました。そのあとは何をするかと思えばゲームをしました。めいしを作って友達と交かん、返すという友達の名前を覚えるためのゲームです。そんなこんなできおくゲームをして過ごしました。それから宮内神学生にモーセ物語の話をしていただきました。ジェスチャーつきのDXばんでした!! そしてカレー作りをしたり、高野神父様に水のけっしょうの話をきいたりしました。この話はおもしろかったです。夜はゆるしのひせきをしました。いつもとちがうけいしきでやったので、きんちょうしました。2階へ寝に行ったときはみんなぜんぜん寝なくて深夜までさわいでいました。おかげでよく日のごミサでは全員寝不足でゆれるつめくさじょうたいです。その日の午前中は十戒のおさらいをしたり、お昼ご飯をいただいたりしました。
今まで過ごしてきた中和田教会の友達とは、もうすぐおわかれですが、また会えるといいです!
教育部黙想会に参加して
日曜学校リーダー 井出
おだやかに晴れた2月4日(日)、聖園本部修道院の広々とした和室をお借りして、教育部の黙想会を行いました。講師に下窄(しもさこ)英知神父様をお招きし、日曜学校リーダー、スカウトのリーダー、中高生会リーダー総勢14名が参加いたしました。
神父様のお話は、「キリスト教は出会い(私と神の出会い)の宗教であり、その究極の教えは'ゆるす'ということ」について、丁寧にかみくだいて教えてくださいました。さらに、子供たちと接する私達には、「子供はまだ未完成ではあるが、一人一人自由と意志があり、その子供を尊敬しながら、神様と人格的に出会う手助けをする使命がある事を心して下さい」と。また、ご出身の長崎での日曜学校で受けた教育なども聞かせてくださいました。昼食後のお話の後、東洋的な建築の聖堂で、修道院のシスター方も一緒にごミサにあずかり、ティータイムの後閉会となりました。忙しい日常からしばし離れ静かな時間を皆で共有でき満足でしたが、私達の使命を日常で果たしていけるよう心を新たにした一日でもありました。
典礼研修会に参加して
藤沢1区 子安
出エジプト記を読むと「神はイスラエルの民の代表者たちに向かって手を伸ばされなかったので、彼らは神を見て、食べ、また飲んだ。(24章11節)」に目が留まりました。ここにミサの原型があると思い、ミサについてもっと深く知りたいと思っていました。典礼研修会は私にその機会を与えてくれました。2月12日(月)、横浜教区全域から参加者が大勢集まりました。長野、静岡等遠くから参加された方もかなり居られました。
最初のテーマは「主日のミサ典礼書改定の動き」。講師はカトリック中央協議会典礼委員会秘書宮脇俊光氏。現在の日本語ミサ典礼書は完成版ができるまでの暫定版です。2002年に出されたラテン語の規範版第三版をもとに慎重に改訂がすすめられています。ラテン語のローマミサ典礼書の日本語版を出す時、使徒座であるバチカンの認可が必要です。ローマ典礼としての伝統が保たれると同時に、日本の土壌や文化などになじむ日本語版が望まれています。専門委員会ではそのための模索を続けています。
次のテーマは「ミサのもたらす実り」。講師は末吉町教会主任司祭A・V・カンペンハウド神父で、主に参列者にとっての実りについて話されました。内容は「キリストの記念を行う」「三位一体の命に与る」「契約の祝儀を祝う」「兄弟愛を強める」「キリストの祭司職に与る」「キリストを証しするお恵みが与えられる」の6つの点でした。私にとってどれも意味深い話でしたが、特に印象的であった所は「三位一体の命に与る」でした。ミサは御父のために御父に向かって祈るのです。聖霊の交わりの中で、イエスの従順を捧げるとともに、自分の従順をも捧げます。こうして、聖霊によってキリストにおいて参列者は御父に向かって一つに結ばれます。
最後のテーマは「『エマオへの道』に暗示されているミサの構造」。講師は大船教会の久我純彦神父。『エマオへの道』では最初二人の弟子がイエスの喪失への失望で打ちのめされ、嘆いていますが、旅の途中で復活したイエスと出会い、ともに交わり、希望と喜びに満たされ、福音を伝えるために急いでエルサレムへ引き返した事が記されています。ミサも嘆きから喜びに変わる構造となっています。開祭での「主よあわれみ給え」の祈りは嘆きであり、言葉の典礼では神が一人一人に語りかけられるみ言葉を聴いて味わい、感謝の典礼では神の命への交わりへと高められ、交わりの儀では共に神の子羊であるキリストの体と血を食する事によって神の民となります。こうして嘆きは喜びと感謝に変ります。
おわりのミサに参列した方々の顔は活き活きしているように思えました。この日に招かれた皆が一つになって祈り、歌い、パンを分ち合いました。主が共に居られるように感じ、神を賛美しました。
先唱者の勉強会を開催して
典礼部 石塚
1月28日9時30分ミサ後、新しい方を対象とした先唱者の勉強会を行いました。皆でミサに参加するという意識を大切に、どんどん新しい方にも先唱をして頂きたいと思い行いました。勉強会では、ミサ先唱者の為の資料を元に、一連の流れを説明し、質問にお答えする形で進めました。
「主日によって特別な事が加わる場合は事前に確認するっていったい誰に確認すればいいの?」、「掲示板の操作の仕方やマイクの電源の入れ方は事前に教えてもらえるの?」、「ミサの時間になったらすぐはじめていいの?」などなどいろいろな質問をお受けしました。初めて先唱者として奉仕する場合、失敗したらどうしようとか、いろいろと不安な気持ちがあるかもしれませんが、必ずサポートをする方と一緒にペアを組んでもらいますので、事前に教会事務所にあるリーフレットを持ち帰り、家でよく読んで準備頂ければ大丈夫です。
また、共同祈願の意向は
教会のため
種々の困難に悩む人々のため
すべての人と全世界の救いのため
共同体のため
となっておりますので、それぞれの意向に沿った共同祈願を読んでいただければと思います。もしサポートを誰にお願いしたらよいのか分らない場合は私まで声をかけていただけたら大丈夫です。先唱という奉仕を通してミサをより深く味わうことが出来ると思います。ぜひひとりでも多くの方のご参加をお待ちしています。
バザーからの援助ありがとうございました |
このたびは、MICかながわの活動にご理解いただき、バザー収益よりご寄付を賜りましたことを心よりお礼申し上げます。藤沢カトリック教会から賜りました温かい浄財は、MICかながわの活動資金として有効に活用させていただきます。
MICかながわは、日本語を母語としない住民が病気や怪我で受診が必要なときに、言葉の支援を行う医療通訳を派遣するだけでなく、必要な知識や技術をもった医療通訳の養成も行っています。また、そのような患者さんが安心して受診できるよう医療通訳派遣を支える制度づくりにも取り組んでいます。このような活動を通して、誰もが安心して活き活きと暮らせる地域づくりに貢献することを目的としております。
神奈川県には約16万人もの外国籍住民が暮らしています。言葉の壁で受診をためらったり、誤った服薬や不必要な検査・治療に甘んじていたり、感染症の正しい知識を持たずにいたり、あるいは医療者側が患者を理解できないため治療方針をたてられないなどの問題を解決するためには、医療通訳を広く社会的に受け入れることが必要であると私たちは考えています。キリスト者である皆様方に高い関心をおよせいただきましたことに、MICかながわ理事会・職員一同重ねてお礼申し上げます。このような広がりが、多文化共生社会を作る始めの一歩だと考えております。今後とも物心両面での温かいご支援ご指導を賜りますようお願い申し上げます。
「カラカサンー移住女性のためのエンパワメントセンター」は、移住女性とその子どもたちのエンパワメント支援のためのさまざまな活動をしている民間団体です。カラカサンは、この活動に集うフィリピンの女性たちをはじめ、さまざまな国籍のシスターや信徒たちがスタッフやメンバーとして働くことにより、活動を支えています。2002年に会を設立した頃には、ドメスティックバイオレンスを受けた女性など、日本の中で外国人であり女性であることの2重の弱い立場の中で差別や暴力に苦しむ女性たちが多く相談に訪れました。そのためカラカサンでは、問題を抱えた女性と子どもたちへの緊急対応としての相談やカウンセリングのほか、暴力の被害を受けた女性のヒーリングや自立支援の活動に力を入れてきました。また、このところ際立ってきているのが、子供たちの問題です。移住女性の子供たちは学校や社会の中でのいじめ、差別、家庭の中の暴力などに苦しみ、自らの力を奪われてきました。そんな子供たちのエンパワメントをめざして、カラカサンでは、フィリピンの料理、語学などの教室のほか、フリースペースの運営や相互交流活動などをつうじた同じ境遇の子供たちの居場所づくりをすすめています。
カトリック藤沢教会とカラカサンの関係の始まりは、藤沢フィリピンコミュニティ主催の「カラカサンチャリティ抽選会」が2003年に藤沢教会で開かれた時だったのではないかと思います。その後、毎年このチャリティイベントには、教会のホールの場所の提供や、チケット販売など、藤沢教会の皆さまからたくさんのご協力をいただいています。また、2005年、2006年と2年続けて藤沢教会の基金の中からカラカサンの活動にと、ご寄付をいただきました。ご支援に心から感謝を申し上げますと共に、今後もカラカサンの活動を暖かく見守っていただけますよう心からお願いいたします。
力トリック湘南台センターを考えるために
善行 岡村
何時、何処でも、私たちが考えるために必要なことがあります。それは、そのことの周りで起こっていることすべての中でそれを考える、ということです。そのことだけを切り取って考えると、本当のことは見えてこないでしょう。
八角形にゅ−す第180号にはさまれた「キリスト教講座等一覧」は、藤沢教会で今行われている活動の一部を一覧表にしたもので、その他にも多くの活動があります。一体どのような考えの方向で私たちはそれらを行っているだろうか。その中で湘南台センターはどのような役割をはたしているだろうか、をまず話し合ってほしいのです。藤沢教会のセンターを建設する時、教会の外に活動の拠点をつくるための資金を残したのは、私たちが何を考えてだったのか思い出してほしいのです。
また、私たちは今何を目指してこの先の活動をしようとしているでしょうか。横浜教区のセンターをこの藤沢に置こうとしている今、それに結びつけて状況の変化の中で考えなければならないでしょう。はたらきは違っても一つのからだである私たち、それぞれの活動の中で私たちに、教会の活動についてどのような考えと方向が生まれているでしょうか。例えば、「教会の未来を考える会」では、「宣教部」では、「典礼部」では、すべての「福祉活動」では、「葬儀を考える会」では、「墓地を考える会」では、信徒と社会の人々との関わりをどのように考えはじめているでしょうか。今年の「宣教フォーラム」では、「神が宣教しておられる」ということをどう思うかが俎上にのぼるでしょう。神は、世界中すべての所でみことばを語っておられます。教会の中だけ、みことばは語られているのではありません。そのみことばが語られている所にみことばを証するために私たち信徒は派遣されるのです。「典礼フォーラム」も準備中ですが、たぶん「どこで、どのように、みことばを聞いていますか」が話題になるでしょう。共同宣教司牧を考えるとき私たちは、イエスが弟子たちを人々のなかに派遣して、それが同時に司牧となっていたことを思い出します。それは、派遣されることが、教会の外で人々に語られているみことばを私たちが聴くチャンスだからです。
教会の中だけでは出来ないことを、湘南台センターでは感じることができるのです。ヨハネ福音書10章3-4節にも次のように記されています。
「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れだし、羊を皆引き出すと、先頭に立って行く。」
追悼ミサ
鵠沼3区 平野
2月が命日の両親と長兄のために、2月14日に追悼ミサを挙げて戴きました。長兄の帰天が、たまたまバレンタインデーだったので、この日を選んでお願いしたのでした。私の実家では、8月20日の命日が印象深い。5男がフィリピンで戦死し、7男が大阪の戦時徴用先で病死したのです。しかも同じ日に、2人の子供の死を知らされた母が、2通の電報を両手に握り締め、肩を震わせ、天を仰いで祈っていた姿が悲しく心に刻まれています。
敗戦が色濃くなって、学徒出陣した私の年代は戦死者も多く、混乱の中に命日も分からず、墓も建てられない無名戦士扱いの人たちも多いのです。命日を記憶してもらい、祈って貰える人たちは本当に幸せだと思います。
追悼ミサの後で、司祭からマリア様の聖絵をいただきました。裏には直筆で、一字一字丁寧に次のように書かれてありました。
ご依頼により 2007年2月14日
(故人の霊名と氏名を明記)様の
永遠の安息を祈り
ミサをささげました。
鈴木神父
驚きました。大きな感動でした。喜びでした。今までにないことでしたから。その聖絵を早く送って下さいと、長崎そとめの兄嫁から催促されています。