八 角 形 に ゅ ー す
2007年10月7日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
神の国の笑顔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 山田
聖母被昇天の野外ミサにあづかって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 福井
藤沢ブロック集会に出て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 家田
壮年部主催2007年「黙想会」に寄せて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 李
平日の敬老ミサに関わって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 堀田
マドレーヌの会 年度報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 野田
ジョセフ君報告会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アジア学院 遠藤
キジト神父様来訪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田
不幸中の幸い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 レオ爺
窪田さんのこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 小藤
窪田さんを送る歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 八子
神の国の笑顔
司祭 山田
先日、私が働いている幼稚園で同窓会がありました。はたして何人の子供たちがやってくるのだろうと思っていたのですが、ふたを開けてみたら私が想像していたよりも多くの子供たちが集まってきました。
この幼稚園では毎年小学校1年生から4年生までの卒園者を招待して同窓会が行われているそうで、すでに退職された先生がたも集まりにぎやかな会となりました。プログラムは、みな小学生ですのでゲームが中心。その後、それぞれの学年毎に分かれておやつと歓談の時間となりました。
私がこの幼稚園でお世話になりだしたのは去年からですので新一年生以外は面識がないのですが、なぜか懐かしい印象を受けました。それはおそらく子供たちが楽しそうにしている姿からその子供たちの幼稚園児の頃の姿が垣間見えたからではないかと思います。
とても元気のいい4年生の子供についてある先生の話。
神父 『あのAちゃんは面白い子ですね』
先生 『はい(笑)あのAちゃんは幼稚園の時もあんな感じでした』
なのだそうです。
おそらく小学校ではもっと別の、大人の顔を見せるのではないかと思います。けれども子供の頃に過ごした幼稚園という場所と仲間が時間を戻してしまったのでしょう。これから大人になって、いつの日か小学校の同窓会、あるいは中学校、高校、大学の同窓会に出席するたびにそれぞれの時代に戻るのでしょう。私たちは年を重ねながら、またそれぞれの立場や環境で様々な顔を持っているのではないでしょうか。会社で仕事をしている時、自宅でくつろいでいる時や家族との団欒の時等。
ところで、聖書には『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない』(ルカ18:15)。
ここにでは、理屈で考えがちな大人としての理解よりも、子供のような素直さをもって、父である神様を信じる者について語られているのだと思います。けれども、さらにその先を想像してみると、はたして私たちよりも一足先に神の国にいる人々はどのような顔で過ごしているのでしょう。童心に返り、満面の笑顔で過ごしているのでしょうか。マリア様、使徒たちはどんな笑顔で過ごされているのでしょうか?そしてイエスさまは。
私自身は、聖書から想像されるイエスさまの顔はどうしても、どこか悲しげであり、苦渋に満ちた顔を思い浮かべてしまうのですが、『カナの結婚式』の時、先ほどの『子供を祝福』する場面や『ペトロの姑を見舞った』時、イエスは笑顔だったでしょうし、時には歯を見せて笑っている場面、弟子たちとの談笑風景もあったのだと思います。
皆さんはイエスのどのような顔を思い浮かべますか?
教会委員会報告(9月15日)
川辺事務局長からCPTからの提案についての当教会内アンケートの集計報告があった。206名から回答があり、関心の高さを示すものであった。アンケート結果を踏まえ、運営委員会での話し合いを通して作成された藤沢教会としてのCPT提案に対する回答案が委員長から提出された。協議の結果、藤沢教会としては今回の「藤沢教会を全面的に建て直す」というCPTの提案には反対の回答をすることとなり、回答案も了承された。9月16日9時半ミサ後、説明会を開き、信徒の皆さんにアンケートの集計結果報告と回答案の説明と質疑を行った。(回答文別途掲載)
7月の教会委員会で作業チームから提案された新しい物件(場所は現センターから200mぐらい六会寄り、広さは約40uで現センターの約半分)を借用して活動を継続することについて審議された。家賃の軽減、スタッフを全員ボランティアとすることにより、経費は現在の約3分の1程度になる見込み。期間は2年。審議の結果、承認された。ただし、スタッフが全員ボランティアと謂えども、しっかりとした運営体制をつくること(北部の人たちが中心とならざるを得ないのではないかとの、主任司祭コメント)経費負担についても利用料のみならず、支援者によるサポートなど自助努力の方法を更に検討していくこととする。
湘南台センターでは10月13日まで湘南台フェアーを開催中。大勢の方の来場を期待している。
今年のバザーチーム高久リーダー(辻堂)より報告。10月28日(日)の開催に向けて着々と準備が進んでいる。
新しい試みとして:
賛助金袋で抽選を行う
ウェルカム券(500円相当)を発行し、信徒の友人、知人、近所の人たちに来てもらう
衣料などの残品をバザー終了後1週間、ぶどうの木において、アフターセールを行う予定
聖心の布教姉妹会から横浜教区が譲り受ける土地が確定し、登記手続きを開始した。登記完了しだい、利用者の仮申し込みの受付を開始予定。着工は来年の4月以降の予定。プロジェクトが具体的に動き出すにあたり、手伝って下さる方を募集中(川辺まで)。
9月30日(日) 国際ミサ 10時半〜(9時半と13時の英語ミサなし)ミサ後、お茶、お菓子で交流。大雨のときには中止。
外国人信徒のために日本語教室を始めた。土曜日7時〜8時半まで。9月1日第1回目を行ったところ、ベトナム、南米の人たち10名が参加。講師は信徒のボランティアで現在10名。ご協力いただける方は国際部まで。
アスベストについての報告。聖堂内の空中において飛散はしていないが、アスベストを含んだ埃の清掃を検討中。
バザーの準備 10月14日(日)より作業をはじめる。バザーに向けての庭の草むしり。
第一日曜日9時半ミサの後、その日の朗読、説教などから感じたことの分かち合いを企画している。
ゴミ処理委託について。10月から藤沢市のゴミ有料化にともない、現在民間業者の委託先を選定中。ゴミを増やさないようご協力ください
2008年度の教会委員長候補の推薦を受付け中(ブロック委員を通して主任神父まで)各ブロック委員、活動部長は10月末までに決定できるようご協力下さい
藤沢教会ではCPTからの今回の提案に関して主旨説明会を行った後、信徒の方々に広く意見を求めました。その結果意見を表明した信徒の過半数がまだ一部の建物を除き通常の保守をしていけば20年以上使える現在の建物(聖堂・信徒会館)を今の時点で取り壊し、建て替えることについて、環境保全や物を大切にすると言う視点からも反対を表明し、また半数近い方々があまり利用頻度の高くないであろうと思われる大規模施設に15億円という巨額の投資をすることは、資金的にも、また将来の維持管理の面からも否定的でした。結果的に、意見を表明した信徒の7割以上が今回のCPTの提案には反対であり、また反対とまでは言えないまでも同じような理由で賛成しかねると表明した方々(17%)を併せると9割近くが否定的な意見となりました。 このような状況から、藤沢教会としては今回のCPTからの「藤沢教会を全面的に建て直す」という提案には反対いたします。 教区レベルの典礼、行事を行う場所についてはこれまで以上に近隣の修道会、学校、小教区が協力して行くことが共同宣教司牧、交わりとしての教会を目指すという精神に適っているのではないでしょうか。大聖堂・大ホールを造るとするならば、将来どう役立てられるかなど、展望にもっと説得力が必要でしょう。 教区として、大勢の人々が集う大規模な典礼、行事、様々な活動のために自由に使える場所の確保が必要であるという教区長のお考えに対しては、これからも藤沢教会の場所を利用していただくことはもとより、より良い環境、より良い使い勝手のために聖堂をはじめとした現諸施設を、改修などにより整備していくなど、できる限り協力していくつもりです。以上のような観点からCPTにて再検討頂ければ幸いです。 |
聖母被昇天の野外ミサにあづかって
鵠沼1区 福井
8月15日聖母被昇天の祭日に、べトナムコミュニティ主催の聖母行列と野外ミサが行われました。
昼間の炎暑が幾分和らぎ、祈りの庭の木々の蝉時雨の中、午後5時に聖母行列が始まりました。祈りのうちに聖堂の周りを行列し、引き続き野外ミサになりました。ティエン神父様を中心に鈴木・渡邊両神父様の共同司式であげられました。日ごろ日本語のミサにあづかり半ば習慣的になってしまった祈りの言葉が、意味の解からないべトナム語であげられ、聖歌隊の哀調に満ちた美しい聖歌を聴いたとき、深い想いで祈ることが出来たのは不思議な体験でした。ミサの直前に入った窪田直明さん突然帰天の悲しいニュースに、皆心を合わせて永遠の安らぎを祈ることもできました。
思い起こせば藤沢教会に初めてベトナムの方々がいらしてから二十余年の月日が経ちました。言葉に言い尽くせない苦労を乗り越えられ今日あるのは、ベトナムの方々の並々ならない努力とそれを支えられてきた藤沢教会の多くの先輩の方々のお陰と、しみじみと感じました。
ミサの後のパーティはお国料理の数々が並べられ、参加者全員が交流を深めながらご馳走になりました。コミュニティ代表のキムさんは「もっともっと大勢の日本人も参加してくださいよ」とおっしゃっていました。来年は是非大勢の方が参加して藤沢コミュニティの輪が広がりますようにと希っております。
藤沢ブロック集会に出て
藤沢2区 家田
9月2日ミサ後、藤沢ブロック集会がありました。C.P.T.についての関心の高さも手伝って、51名の各層の人々が集まっていました。会場のセンター・ホールでは和やかな中にも熱心に集会に臨もうという熱意が感じられました。この日の議題と報告は(1)CPTに関する意見の分ち合い (2)合葬の園についての報告 (3)湘南台センターについての報告 (4)その他 でした。
CPTについての分かち合いでは、1グループ6−8人で7グループを作り、効果的にこの問題について話し合い、様々な意見を交わすことが出来て大変有意義な意見や考え方を共有することが出来ました。主な反対意見は、現在の聖堂を創った時の事情やこの聖堂の歴史を考えると、今後も充分に使用できるものを造り直すことは考えるべきではない。また、この藤沢教会は使い方によっては十分にセンター化に対応できる。提案では、センター機能が必要なのか、カテドラル代替機能をもつ大型化が考えられているのか、よく分らない。 提案には長期的ヴィジョンが示されていない、本当に必要なものは何か、という疑問も投げかけられました。教会では高齢化が進んでおり、建設資金を調達するのにはかなりの困難が伴う。などの反対意見が目立ちましたが、これは切実な意見でした。賛成意見では耳を傾けるべきものもありましたが少数に止まりました。このような意見が交わされ、分かち合いの中でブロックの人々の意見が自由に語り合えるような民主的な方向で、自分たちの教会の将来について考えていくということは、これからの教会の健全なあり方ではないかと考えさせられました。
合葬の園は法律改正があり、予定より遅れるものの順調に進んでいることが報告され、新しい墓地のあり方に期待が寄せられています。湘南台センターの今後のことについて明るい報告がありました。センター化も大事なことですが、藤沢教会にとって湘南台センターの維持発展は身近かな問題として皆で考えなければならないと思いました。その他、次期教会委員長の候補者推薦と藤沢3区からのブロック長推薦の要請がありましたが、これも大切な問題と感じました。
いずれにしても地区ブロック集会の健全で活発なあり方を確認できる集会は今後も継続して行きたい集いである、と思うこと大でありました。
壮年部主催2007年「黙想会」に寄せて
藤沢1区 李
10年以上も続けて来られたプラチド・イバニエス神父様主導の最終黙想会が9月15日鎌倉の日本殉教者修道院で開かれた。テーマを「希望の光と聖霊の導き」と題されたキリストの教えを中心にした祈りの会でありました。藤澤教会から男女25人の壮年が参加されましたが、私としては初めての経験で、良い機会が得られたと喜んでおります。
歯切れの良い江戸っ子口調のイバニエス神父の解説は、集約された深い意味の言葉が速射砲のように発せられ、その真意を理解するのに手古摺り、閉口しながらも啓発される点が沢山ありました。スペインのグラナダを故郷とされる神父様は28歳で来日され、半世紀に及ぶ在留で厳しい修行を積まれた様である。田浦で神学を修められた後に叙階され、イグナチオ教会の大改造などを手掛けられ、多くの著作を含め多大な功績を残されております。
歯に衣を着せない諧謔に富んだ造詣の深さは深遠であり、カクシャクとして情熱的な解説は知らず知らずの内に参加者一同を引きずり込んでおられました。自称怠け者のスペイン人と言われながらも、ドイツ人以上の時間厳守と長年の滞在で修行を積まれ、日本人魂の後光を背にされ、鋭い眼光に優しさを秘められる魅力的な方でありました。
受洗して3年足らずでは口幅ったい事になりますが、聖書の読み方も、一度読めば字面通りの理解をして分かったような気がしてきます。然しながら、何度も繰り返して読めば、言われる意味がそうとは限らない事に気付くことがあり、成程と頷けた時の感動は、血の巡りが良くなったのでは無いかと思える程の喜びを感じることがあります。
自分に都合の良い所だけを読まないで、全体を読むよう示唆を頂いた事は大いなる戒めとなり、向後の指標として多とする点がありました。
「コリントの信徒への手紙」や「ローマ人への手紙」などの解説は、聖書の理解の仕方として判り易く、頷けるものがありました。「ヨハネ16章22節」には、力が込められ、女性の出産の苦しみと喜びと幸せを味わい、乗り越えてこられた事を喜び、祈りと感謝の歌に?がる事を説かれ、マリア様がキリストの苦しみを見つめてこられた慈愛の意味の深さを諭されました。
日本各地を巡ってこられた中で一番気に入られた所が、鎌倉時代から現在に至るまで16万人余の変わらぬ人口を示す鎌倉だそうであります。この地に骨を埋めたいと言われた言葉は印象的でありました。
最後に、神父様の信条を尋ねましたら「喜びに生きる」事と答えられました。魂が貫かれるような講話に接した今回の黙想会に参席出来た事を改めて感謝する次第であります。今回で最後となりましたが、これに代わる機会は無いものかと思っております。
幹事の野沢、里原両氏のご苦労に感謝します。
平日の敬老ミサに関わって
藤沢1区 堀田
去る9月13日(木)に、普段教会に来られない方々のための敬老ミサが行われました。私は当番月の連絡員として、準備のお手伝いを致しました。当日はお天気に恵まれ、18名の方々がご出席くださいました。4名の方が送迎をお手伝いくださり、付き添いとして参加くださった方もいらっしゃいました。
11時からセンターホールにて、4名の司祭の共同司式でミサが行われました。ピアノ、答唱、朗読、祈願、奉納等にいろいろな方がご協力くださって、みんなで心を合わせてミサに参加することができたのでは・・と思いました。教会のお庭のぶどうを籠にきれいに盛りつけてくださった方もいらして、ぶどうも奉納できました。ミサ中、病者の塗油が行われました。ご病気で辛い思いをなさっていらっしゃる方々にとって、大きなお恵みだったことと思います。
ミサ後、大急ぎでテーブルをセットして、お食事会が始まりました。教会委員長のご挨拶、鈴木神父様のお祈りの後、食事を始めました。お弁当とお菓子だけの簡単なものでしたが、皆さん近くの方とお話なさりながら、美味しそうに召し上がっていらっしゃいました。お食事が終わった頃、渡辺神父様のヴァイオリンとティエン神父様のピアノの演奏が始まり、その美しい音色に、暫しうっとりと聴き入っていらっしゃいました。それから1区の方が用意してくださった楽譜で「紅葉」と「鎌倉」を全員で歌いました。「鎌倉」という歌は、尋常小学校の教科書に載っていた文部省唱歌ということで、この日ご参加された方々にとっては懐かしい歌のようでした。皆で声を合わせて歌うことでお互いの距離が近くなったように感じられました。
予定より少し早く、12時50分頃お開きとなりました。お帰りになられる時は皆さん笑顔で、お元気そうにみえました。やはり、御聖体を頂き、病者の塗油をして頂き、たくさんの方とお食事を共にしたからではないでしょうか?お年を召した先輩方の今日までの働きに感謝して、どうぞこれからもお健やかでいらっしゃいます様にとお祈り申し上げます。最後にご協力頂いた全ての方々に、この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。神に感謝!
マドレーヌの会 年度報告
藤沢1区 野田
2006年9月から2007年7月までの活動は、毎月2回の福祉コーナーでのマドレーヌ販売と3回目となったクリスマス マンドリンチャリティコンサートでの募金が主なものでした。そのほかにもイベントに応じて注文してくださる個人、グループの方々、さらに自家製のママレードを毎年提供してくださる方などの応援を頂き、その結果43万円ほどの収入がありました。
そして今年の皆様からの御支援の賜物に昨年度よりの繰越金も合わせ、「ラファエラ東ティモール募金」に50万円を送金させていただくことが出来ましたし、売上金の一部を藤沢教会のホームレス支援のお米代として協力させていただきました。皆様の日頃の御理解、御支援に感謝申し上げます。
現地で活動を続けられている清泉侍女修道会シスター中村葉子さんからの報告によれば、東ティモールでは、独立4年目の昨年大変な危機に遭遇し、とりわけ首都では暴動で、破壊、焼失した家は2千件以上にのぼり、学校などもひとつとして平常どうりには機能しなくなり、社会全体が崩壊、人々の心がすっかり傷つき果てているということで、想像を絶する困難に直面しているようです。今年6月30日に総選挙がありその結果が注目されるところですが、危機的状況が果たして改善されるか 誰にもわからないそうです。
しかしこのような状況にあっても、私たちの送金も含まれる「ラファエラ東ティモール基金」は確実に有効利用されているとのことです。中でも学生、生徒への食糧支援、奨学金支援をはじめ、避難民宛食糧支援、避難民輸送費、小学校再建、増築プロジェクトなどの開発支援がとても喜ばれているとのことです。シスターより藤沢教会の皆様にくれぐれもよろしくお伝えしてほしいとの感謝とお礼の言葉を頂きました。
最後になりましたが、マドレーヌの会の製品はトランス脂肪酸の問題に対処するためマーガリンをバターに切り替えましたことをお知らせいたします。これからも安心して召し上がっていただけますよう、私たちも誠心誠意努めてまいりますので今後ともよろしくお願い申し上げます。
夏休み8/18(土)、8/25(土) 2回にわたり「みその子供の家」の池で幼児から中学生まで約70名の子供たちとカヌー遊びを楽しみました。初めて乗るカヌーに子供たちは大喜びでした。好評でしたので、今後も年間を通して続けたいと思います。興味のある方はいらして下さい。主に土、日ですが、時間は後日連絡致します。
連絡先: 北2 坂本
ジョセフ君報告会
アジア学院 遠藤
去る8月5日9時半のミサ後から一時間半に亘って、アジア学院学生ジョセフ・ンバ・テンジョ君の報告会がセンターホールで開かれ、約30名の方々が報告に耳を傾けました。
カメルーンは、アフリカ大陸西部の人口1700万人、面積日本の約1.24倍の国で、植民地時代分割統治されていたため全国10州のうち8州の公用語はフランス語、ジョセフ君の勤務しているNGOの活動する2州は英語を公用語としています。農業に従事する人口は55%で換金作物は、ココア、コーヒー、綿花、バナナ、油ヤシ等です。
ジョセフ君の活動する英語圏2州は特に貧しく、人口の4分の3が農民で、そのうちの半数は貧困線以下、更にその半数は極貧層に属するといわれています。耕作地は化学肥料や殺虫剤等の化学薬品の大量投入で年毎に地力が弱まり、収穫量を維持するのに更に化学製品を増やさなければなりませんが、それに見合う収穫は得られず農民は益々困窮して行く現状です。農民の抱える多くの問題、栄養不良、マラリア、HIV/AIDS等の疾病、低い就学率等は、全て貧困に起因しています。その解決のため農家の収入を向上させるには、化学肥料と薬品の投入をやめ有機農法によって土壌を回復させることにより生産力向上を図るしか方法はないと、終身誓願直前に修道院を出てNGOに身を投じたジョセフ君は言います。有機農業と家畜とを組み合わせた有畜複合農業を学べるのは日本のアジア学院(ARI)だけ、そこで学ぶことを可能にしてくれたのは藤沢教会の渡航費の援助だったとジョセフ君は重ねて感謝の言葉を口にしていました。
2004年キジト神父様の推薦により来日した、難民のジャン ピエール君を藤沢に招き初めての報告会を開きました。2005年にはベナンのベジ神父、2006年には同じくオボッス神父、またシェラレオネからのチャールス君には初めて藤沢から渡航費の支援を頂き、今回のジョセフ君と続きました。この間2004年2005年と2回に亘り延べ19名の方が藤沢から栃木のARIキャンパスを見学に来て下さいました。
アジア学院は、もともとプロテスタント神学校の一コースが独立したもので、日本が戦場としたアジア・太平洋地域の国々に対する償いを、現地の人材を養成するという働きの中で実現することを目指してきました。従って、創立当初はアフリカは対象ではありませんでしたが、世界教会協議会(WCC)の強い要請と渡航費の支援によりアフリカ諸国からも毎年数人ずつ受け入れ始めました。しかし渡航費の嵩むアフリカからは原則旅費支援のあることを条件にせざるを得ず、WCCはカトリック教会が会員でないことを理由にカトリック関係者には渡航費支援を認めないことは、ARIにとって頭の痛い問題でした。ですから藤沢教会がその渡航費を負担して下さることは、アフリカからカトリック関係者をもう一人受け入れるのを可能にしているのです。そしてその一人はその地域に暮す何百何千の人々の生活の向上に関わる事なのです。
アジア学院は、創立から34年目を迎えました。この間52の国・地域に1,072人の卒業生を送り出しました。これらの卒業生と共にこの地球上のどこか片隅で、この時を共に分かち合って生きている人々に思いを馳せつつ、日々の職責を果たしたいものと思います。
キジト神父様来訪
辻堂1区 浮田
9月8日〜14日ウガンダのキジト神父さまが、アジア学院で行われたセミナーの講師として招かれたのを機に当教会に来訪されました。ビザの制約があって当初の予想より早期の慌しいご訪問となりましたが、多くの方がたとの心温まる出会いがあり、またさまざまなおもてなしの機会を作って頂いて神父さまはもとより「キジト神父さまをお援けする会」の私たちメンバーは、どれほど感謝、感激したことでしょう「まるで奇蹟みたい」と思わずつぶやいたほどでした。本当に、本当にありがとうございました。
もう十数年も前のことになりますがキジト神父さまがコロンバン会を通じて、世界最貧国の一つであるウガンダから救援を求めてこの教会に来られました。当時のムローニ神父さまから貧富の差がこれほども甚だしい現代世界に於ける援助とは、特にキリスト者同士の場合、単に金銭的な援助でおわらないように、お互いが祈りの心でつながり助け合う関係を辛抱強くそだてるように心がけてほしいといわれたことが思い出されました。
ただ今後について心配している事があります。それは、私たち「キジト神父様をお援けする会」のメンバーが高齢化しており、人数的にも心細い状態になっていることです。仕事としては、毎月会員からご寄付を集める事、それを年2回、イースターとクリスマスにお送りすること(但しこれは当教会の会計の方を通じて送る手筈ができていますのでご心配は要りません)。また折にふれて、神父さまと通信する必要がありますので、英語が使える方が望ましいということはあります。でもそれは、多士済々の当教会の場合、ボランチアの方をお探しになるのは、それほどむずかしい事ではないでしょう。どうか私たちが元気なうちに、この大切なお仕事を受け継いで下さる方が、申し出てくださいますように祈っております。この祈りがどうぞ聞き届けられますように。
今回のご来訪を機に現在のウガンダの状況について、また神父さまのお仕事について直接うかがうことができてたいへん有益でした。これはぜひ皆さまと分かち合わなければと思います。そのような機会ができたら幸せです。
キジト神父さまは、9月19日無事ウガンダに帰国されました。お別れに際して藤沢教会でお会いできた神父さまがたをはじめ、信徒お一人一人に心からの感謝を、とのお言付けを託されましたのでこの紙上であらためてお伝えいたします。本当にありがとうございました。
不幸中の幸い
鵠沼3区 レオ爺
9月7日未明に関東地方を直撃した台風9号は、各地に大きな被害を残して去りましたが、私たちの藤沢教会には、建物には異常はなく庭木が2本倒されただけで済みました。不幸中の幸いでした。倒されたのは事務所前の赤のハナモモと聖堂南側のゴールドクレストでした。ハナモモは根こそぎ倒され、老木でもあり再起不可能と判断しましたので、植込から引っ張り出して電鋸で切断し、トラックに積込みました。月曜日に石名坂に運んで焼却するためです。ゴールドクレストは片寄って伸びていた枝をバランスよく剪定し、芯を止め、根元を固めて支柱で強化しました。
これらの仕事は教会委員長、事務局長、主任司祭と司祭団によって、手際よく1時間余りで完了しました。また、暴風雨で庭一面に散らかった枝葉末節濡れ落葉の清掃は、初金のごミサを終わった当番月のご婦人たちが引き受けてくれました。
その昔、大雨・大風があれば翌日には教会の様子を見に駆けつけた人たちがいましたが、私は今日、台風が去って間もなく被害の後始末に司祭と信徒が一体となって汗を流す様子を見て、レオが発足した頃の姿を想い出しました。当時と大きく異なるのは、若い司祭団が新しく加わったことでしたが、嬉しさと懐かしさで胸がいっぱいになりました。
「あの人と教会へ、そうだバザー!行こう」いよいよバザー月となりました(お知らせとお願い) バザーは10月28日(日)9:30―14:00に行います。今回は「みんなが参加し、またどなたでも暖かくお迎えして、バザーを共に楽しみ、共同体の輪と絆を拡げましょう」をテーマとしました。多くの皆さまの参加とご協力をお願い致します。
*品物のお持込は10月14日(日)―−21日(日)の間、受付時間は月―土曜日:10:00---17:00,日曜日:7:00---18:00です。*品物は衣類・日用品・食料品など種類ごとにまとめてお名前・地区を明示して下さい。*皆さまからいただく品物についてのお願いは、バザーのパンフレット3ページをご覧下さい。*今年10月よりごみ収集が有料となりますので、有料ごみの削減にご協力をお願い致します。判断にお困りの場合はバザー委員までご相談下さい。
多勢の皆さまのご協力により準備は予定通り進んでおりますが、今後も皆さまのご支援を頂き楽しく実りあるバザーにしたいと願っております。よろしくお願い致します。 |
窪田さんのこと
鵠沼2区 小藤
8月15日の午後3時過ぎ教会事務所から私のところに「窪田さんたちの乗ったヨットが転覆して、窪田さんが意識不明で救急車で病院に運ばれた」との知らせが入ったとき、えっー、まさか、いったい何が起こったのか、我が耳を疑いました。なぜなら、あの頑丈で、ベテランのヨットマンである窪田さんにそんなことあるはずがない、と思ったからです。しかしかけつけた藤沢市民病院で静かに横たわっている窪田さんの姿を見たとき、それがまぎれもない事実であると知り、あまりの衝撃に言葉もありませんでした。
私が窪田さんと初めて会ったのは1996年の秋であったと記憶しています。彼が熊本での勤務を終えて藤沢に戻ってきて間もない頃でした。それ以来12年にわたる付き合いが始まりました。後に彼からきいたことですが、彼は熊本に転勤になるまで、教会に行ったこともなかったし、無論洗礼も受けていませんでした。その彼が熊本在勤中、あるとき知人からゴルフに誘われ、熊本チョンガの身で時間もあるし、行ってみるかということでゴルフに参加しました。そこで出会った人たちが、それまで彼と関わりがあった人たちとは全く違う人たちで、世の中にこういう人たちもいるのかとえらく感激したそうです。その人たちはカトリック信者だったのです。それから彼は熊本の教会に通い始め、入門講座を受け、1994年熊本の武蔵が丘教会で受洗しました。当時武蔵が丘教会では洗礼の際、聖堂の床下につくられたプールに全身つかる方式だったと、そのときの写真もみせてくれました。
さて、1996年当時の藤沢教会にもどりますが、まず窪田さんをレオのグループに誘いました(レオとは教会施設全般の営繕保守に奉仕する壮年有志のグループです)。そこで彼は類まれな才能を発揮します。彼の趣味のひとつが木工で、家には立派な工房もあるくらいですから、教会の設備のちょっとした修繕などお手の物でした。以来、ほぼ毎週土曜日にレオの仲間と汗を流しながら働きました。恒例のバザーの準備やクリスマスの飾りつけなど、レオでの活動を通して徐々に交わりの輪が広がっていきました。そしてその後、壮年部長、鵠沼ブロック長などの役目を快く引き受け、持ち前の大きな度量で共同体のために働いてくれました。
窪田さんは私より5つ年下ですが、二人とも2003年のほぼ同じ時期に会社勤めから足を洗いました。それ以来、土日に限らず平日も一緒に活動する機会が増えました。そのひとつに"火曜パトロール"があります。"火曜パトロール"というのは藤沢駅周辺の野宿者を見回るボランティア活動グループで、彼は"弱い立場にある人ため"を信念に以前からこの活動に参加していましたが、それに退職した私も加えてもらい、隔週火曜日の夜、9時過ぎから駅周辺を何人かで回りました。それが終わると11時近くになりますが、必ずと言っていいほど八子さん(鵠沼1区)も入って、三人で駅近くのジャズの流れる店でビールを飲みながら、教会のこと、趣味のことなど、話しました。三人三様、考えが違う面もあり、夫々結構頑固なところもあって、時の経つのを忘れ、白熱した議論になり、気がついたらだいたい日付が変わっていました。三人とも音楽が大好きで、この火曜の深夜会談から生まれたのが、ハワイアンバンドのレオ・ハワイアンズです。八子さんが若い頃やっていたギター、私がウクレレとヴォーカルを担当、窪田さんはベースがないとバンドにならないと、弾いたことのないベースを担当。そこは凝り性で、始めると徹底的にやらないと気がすまない彼はすぐ教室に通い始め、ウッドベースが弾けるようになりました。また音響システムも徐々に高性能・多機能なものに変え、今では彼以外操作できないような高度なものになってしまいました。丁度同じ頃、教会のご婦人方有志のフラダンスのグループも発足していましたので、最近ではフラダンスチームと一緒に高齢者介護施設で訪問演奏したり、教会での行事の際にも一緒に出演するようになっていました。8月4日のガーデンパーティーに続いて、13日にもクローバーデイケアセンターで演奏したばかりでした。大きな身体で、大きなウッドベースを本当に楽しそうに演奏していた彼の姿が忘れられません。また彼の受洗のきっかけとなったゴルフも"ゴルフも宣教だ"などといいながら、一緒によくやりました。
しかし、窪田さんは遊んでばかりいたわけではありません。退職後は上智大学の夜学に3年間通い、教会史や神学を学び、いろいろな研修会、講座にも積極的に参加し、自己研鑽に励んでいました。ここ数年はずっと入門講座を担当し、最近は講座リーダー会のまとめ役として、共同宣教司牧に力を入れていました。彼の担当した講座を受けて受洗された方も大勢おられるのではないかと思います。
最後に今回の悲劇の舞台となったヨットのことですが、窪田さんはヨットが大好きで若い頃から始められ、会社の仲間で江ノ島のヨットハーバーをベースに乗っていました。私も3年ほど前から毎年1,2度は乗せてもらっていましたが、今年になってこれまで一緒にやっていた仲間がもうやめるということになり、これからどうしようかという話が彼からありました。永年やってきたことだし、もし我々教会仲間でやれるなら続けたらどうかということで、教会の有志数名で続けることになりました。彼も去年までは年に1、2度しか乗らなかったのに今年はもうこれまでの何年分も乗れたよ、と楽しそうに話していたのが忘れられません。それがこのようなことになってしまい、無念の思いで一杯です。10年余という短い期間ではありしましたが、いろいろなことを一緒に楽しくやらせてもらい、また彼から多くのことを学びました。窪田さん、本当にありがとう。神とともに永遠の喜びのうちに憩われますように。
窪田さんを送る歌 |
まっ直ぐに明るく生きた我が友よ |
誠実に生きて我らに道示し |
大きな夢抱きつ友は海の中 |
夏の海帰らぬ友を支える友 |