八 角 形 に ゅ ー す
2008年4月6日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
愛の空気・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ティエン
教会委員会報告(3月15日)
「行く川の流れはたえずして」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 山田
山田神父様を通していただいた恵み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・学生会世話人 岡田
山田神父様ありがとう、そしてまた会いましょ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30代の分かちあい 千古
選びの体験を通して見えた若い人との関わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教育部 岡田
静修の集いに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 佐々木
鵠沼ブロック集会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 牧野
北1ブロック新年会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 浅野
湘南台センターのためのコンサート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 金子
Tさんのこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 大谷
受洗十年、幾多の恵みに与る歓び・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 小野
閑話休題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 池田
愛の空気
司祭 ティエン
「私の神、私の神、どうして私を見捨てられるのか?」イエス様は十字架にかけられて息を引きとられる時、御父にこう叫ばれました。父である神は、この時独り子イエスを見捨てられたのでしょうか?愛する独り子をどうして見捨てることが出来るでしょうか?皆様はどう思いますか?
ヨハネの福音書をもう一度読み返して、御父と御子イエスとの繋がりをよく考えてみましょう。「初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。この言は初めに神とともにあった。」(ヨハネ1:1)「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(同1:18)「御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。」(同3:35)「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることは何でも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、ご自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる」(同5:19-20)「私をお遣わしになった方は、私と共にいてくださる。私をひとりにしてはおかれない。私は、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」(同8:29)「私は命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父は私を愛してくださる。」(同10:17)「私と父とは一つである。」(同10:30)「父よ、私の願いをいつも聞き入れてくださって感謝します。私の願いをいつも聞いてくださることを、私は知っています。」(同11:41-42a)「私が父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。」(同14:31)「私が父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、私の掟を守るなら、私の愛にとどまっていることになる。」(同15:10)「私が彼らの内におり、あなたが私の内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたが私をお遣わしになったこと、また、私を愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。」(同17:23)
ここで抜粋した聖書に書いてあるように、神は確かに御子イエスを愛し、イエスも御父である神を愛していらっしゃいました。御父は、独り子が十字架上で息を引きとられ、三日間墓の中に葬られているのをご覧になって、辛かったにちがいありません。その後、復活の日の朝、何が起こりましたか?父なる神の霊、すなわち愛の霊がイエスの墓に注がれたことを想像できます。その日の墓は御父の愛で満たされ、独り子イエスを死の淵から甦らせたのでした。全世界は神の愛で満たされ愛の空気が漂っていました。
私は、御父の愛は今でもどんなところにも満ちていると信じています。私たちは、復活祭を祝うときその愛の空気を吸いこみます。それによって、憎しみ、偏見、苦しみ、失望、疑いなどをもつ心が清められるでしょう。ですから、その愛の空気を吐き出すと、その空気もまた愛で満たされたものとなるでしょう。神様、どうぞ私たちがいつもあなたの愛の空気の中で呼吸を続けることができますように助けてください。
ご復活おめでとうございます。
教会委員会報告(3月15日)
第5地区共同宣教司牧推進担当司祭に、大船教会の久我神父が決定。また世話役として、久我神父・Sr.松坂裕子(聖母訪問会)・梅津尚志(大船教会)の3氏が選出された。教区宣教司牧評議会の信徒評議員の候補者として島義明氏(鍛冶ヶ谷教会)の推薦を決めた。「祈る・伝える・証しする」3部門からは、祈る部門から各小教区にアンケート実施中。伝える部門から「湘南短期キリスト教セミナー」との連携を、また証しする部門から「第5地区近隣教会福祉懇談会」との連携を、今後それぞれ探るとの報告がなされた。
部長の引き受け手がないのが現状だが、壮年部のあり方について復活祭の後、改めて集いの場を持つ予定。
建築許可を得るためには墓地が教会の付帯施設である必要がある。この件で聖園の修道院と管理の問題等を含め、今後詰めてゆく。
信徒数、維持会費納入状況などの流れを把握し、建物の修繕費、合葬の園の費用などを各部門からデータを出してもらい、現状分析をして事業計画を立ててゆく。
メインテナンス委員会で、具体的な建物の整備の検討を進めている。エレベーター等緊急度の高いものから着手していくが、希望、要望は随時受付けていく。財務の展望との絡みもあり、司祭館の建て直し、センターホールの拡充、トイレ工事等、皆様に相談しながら包括的に進めたい。
寄付をあつめるだけではなく殉教について考える機会としたい。中央協議会列福委員会秘書イエズス会平林神父を招いて4月20日10時45分から1時間講演をしていただくことになった。具体的なことは宣教部が担当。
若い人に元気でいてほしい、もっと教会に来てほしい、そしてエネルギーをもらいたいとの思いのもとに、宣教部・教育部の部長及びこの問題に関心がある方の協力を得て進める。
総務:難聴者用アシストホーンの導入を検討中。3月24日9時ミサ後デモンストレーションを行う
典礼:横浜教区典礼委員会編集による小冊子「アレルヤ主をたたえ歌おう」が作成された。これを使ってみなで勉強していくことを検討中
国際:4月5日からミサ後おしらせのあと歌の練習がはじまるため、目下楽譜を準備中
福祉:介護について、する方とされる方をよくみつめてどういう問題があるか探っていく。そして福祉部としてどうかかわっていくかを考えていく。まず実際に携わっている方4,5人に話を聞いていくことになった
教育:日曜学校は3月16日終業式、4月13日入学式、始業式。4月27日春の遠足を第5地区と合同で行う。栄光グラウンドでティエン神父司式による野外ミサそして運動会を予定している
北1:4月10日の江戸巡礼は申し込み締め切り。目下キャンセル待ちの方数名という状況
北2:3月9日の湘南台センター支援コンサートに170人の参加をいただいた。ご協力に感謝いたします
「行く川の流れはたえずして」
司祭 山田
藤沢教会の皆様、あっという間の1年でしたが大変お世話になりありがとうございました。私は2006年に司祭叙階の恵みに与りましたが、小教区への派遣はこの藤沢教会が初めての教会でした。横浜教区のみならず日本全体からみても大きなこの教会への派遣ということで最初は不安と緊張をもってやってまいりましたが、藤沢教会の皆様の暖かいご支援と、特に祈りに支えられてなんとか「司祭」をやってこれたと思います。
私のこの教会から受けた印象は様々な年代の方々がとても活発に活動されてらっしゃる教会だなと感じました。それぞれに特技や才能を持ち寄って教会のために活動されていらっしゃる姿は教区の目指す「交わり」としての教会という理念の手本ともなるのではないでしょうか。また、私は2つの講座と教育部を担当させて頂きましたが、教えるなどというよりも、私自身にとっての良い学びの時間でありました。重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。
私にとって1年で移動というのは全くの予想外の出来事で非常に残念でしたが、これも神様の計画の一つとして受け止め、新天地で励みたいと思います。神様の計画であるならば「私が去っていくのは」良いことなのだと思います。もしも私がこの流れに従わないならば(不可能ですが)私はただの「よどみに浮かぶうたかた」となってしまうでしょう。
どうぞ皆さんお元気で、そしてこれからも交わりを大切にしながらキリストを証かしする共同体として励まれますように。また、絶えず神様の豊かな恵みがこの藤沢カトリック教会に注がれますよう、お祈りいたしております。
山田神父様へ
2年 奈玲
山田しん父さま、日曜日、教会の入り口で「おはよう、なるちゃん」とやさしく声をかけてくれてありがとうございます。そのおかげでいやな気分がなくなりました。いやな気分というのは、朝ねぼうしてしまったことと、日曜学校が心ぱいだからです。日曜学校で、センターホールの時、イエスさまのお話をしてくれました。一番おぼえているのは、5つのパンと2ひきの魚というお話です。
キャンプでは、2はく目のキャンプファイヤーの時、わたしのカチューシャをしん父さまがかりたので、何をするかと思ったら、げきでつかっていました。しん父さまは、あくまのやくでした。カチューシャには、ビョーンとのびるジャバラみたいのが、ついていました。1年間、ありがとうございました。
山田神父様を通していただいた恵み
学生会世話人 岡田
山田神父様にはこの1年を通して、私達教会の若者を信仰に導くための尽力と助言を数多くいただきました。特に中高生、学生という教会から離れがちになっている若者を教会に呼び戻すために、親睦会や月1回のぶどうの木での分かち合いの場を用意していただきました。残念ながら、山田神父様に用意して頂いたぶどうの木で行う分かち合いは、若者の側に熱意が欠けていたため、山田神父様がいらっしゃる間に軌道に乗せることができませんでした。
「中高生、学生の間に教会から離れていたとしても、時がたてば教会に戻ってくることになるから、教会から離れる時期があっても仕方がない」という声も聞かれます。しかし、人生と将来について悩み、人や社会のために何かできることはないかと深く考えるこの時期にこそ、キリスト者として聖霊と愛に従って自分の生き方を考える必要があります。
教皇ベネディクト16世は「世界青年の日」メッセージの中で、「大人たちが、理解をもって、また説得力のあるしかたで若者の領域に近づくことに困難を感じていることは間違いありません。これは聖霊が、若者の皆様自身がこの課題に取り組むよう皆様を促しているしるしかもしれません」と語られています。同世代の若者の理想やことば、その様々な傷と期待、そして善への望みを知っている私達若者自身が、熱意を持ってキリストの教えを宣べ伝える必要があるのです。
また教皇様は「宣教活動が成果を上げるかどうかは、よく考えて作られた『効果的な』計画や、司牧的な方法に主としてよるわけではありません。むしろそれは、共同体の絶えることのない祈りの結果です。さらに、宣教が効果を上げるために、共同体は一致しなければなりません。すなわち『心も思いも一つにし』(使徒言行録4・32参照)、聖霊が信じる者の心に注ぐ愛と喜びを進んであかししなければなりません」とも語られています。
山田神父様を通していただいたキリストの恵みを大切に、仲間の若者を信仰に導くために、共同体の絶えることのない祈りに基づいて、キリストの愛と喜びをあかしすることが今、教会にいる若者に求められているのです。学生会、中高生会への参加をよろしくお願いします。
山田神父様ありがとう、そしてまた会いましょ
30代の分かちあい 千古
30歳代の分かち合いの集いが始まってそろそろ一年になろうとしています。まだ人数も少なくあまり知られていない小さい集いですが、この集いに初めから山田神父さまは参加してくださり、わたしたちの信仰的なアドバイスをしていただいています。人見知りな私はようやく山田神父と普通にお話ができるようになったのに・・・、せめてあと1年いらしてくれればもっとよい交わりができたのに・・・と残念に思う今日この頃です。
私は2年前にプロテスタント教会からこちらに移ってきた外様信徒なのですが、聞くところによると成人洗礼を受けてから叙階される神父は珍しいようで、大抵は幼児洗礼からトントンと『信徒街道』を経て若いうちに神学校に進学し、叙階されるケースが多いようです。お話では、山田神父は社会人になってからキリストに初めて出会い、成人洗礼を受けてキリストに身を捧げる決心をしたそうです。ですから分かち合いの時にも、わたしたちの会社社会の悩みや問題に共感し、現実的な助言をしていただき、いい意味で庶民的な神父だと感じました。また最近になって『恋の悩み』も得意らしいことが判明したのですが、如何せん相談できるような恋の悩みがないところが悲しいところである(あ、ないのが悩みか!)。
人として来られ悪魔の誘惑を受けた主イエスが、私たちの罪への弱さに同情できるように(ヘブライ2:18、4:15)、社会経験のある聖職者(神父とか牧師)は、キリスト者が日本の会社など一般的な社会生活の中で受ける苦しみや誘惑がどのようなものであるかを体験的に学んでいるため、私達のようなサラリーマン世代がかかえる悩みがどのようなものかがよく理解できるのではないでしょうか。その点から山田神父様が叙階されるまでの「一般的社会人」としての歩んだ経験は、神父の「牧者」としてのはたらきにおいて大きな財産(タラントン)となるのだと思います。
今の私の世代(30歳代)は、第2次ベビーブームによる受験戦争の激化、そして学校を出てもバブル崩壊による就職氷河期。この弊害から社会不信や無気力化がおこり「引き籠り」や「ニート」を数多く生み出してしまった世代でもあります。俗に「失われた」世代と比喩され、今日本において最も「福音」が必要な病んだ世代です。しかし、教会の中を見まわしてみると一番数が少ない世代なのです。一番福音が必要なのに、最も福音が伝わっていない世代なのです。
そしてその世代が集まった小さな集いに、貴重なタラントンをお持ちの山田神父様が神様によって導かれ、私達の良き分かち合いを助けていただいたことに本当に「神に感謝」であります。
そして今度は、神様のはたらきのため山梨へと導かれることになったのです。しばしの別れは残念ですが、今は神の働きのために、山田神父様をこの藤沢教会から信徒一同喜びと感謝をもってお送りしましょう。
最後に山田神父様本当にありがとう。そしてまた会いましょ。
選びの体験を通して見えた若い人との関わり
教育部 岡田 芳明
3月2日(日)9時半ミサ後、毎年恒例の教育部研修会が山田神父を講師として開催されました。当教会に赴任して1年、教育部担当として、日曜学校の保護者勉強会、中高生会・学生会の連携、30代の集いの指導等布石を打って来られた山田神父の転任にあたっての思いを聞こうと、日曜学校、中高生会、土曜学校の各リーダー、ボーイスカウト団委員、ガールスカウト代表、30代の集いメンバーなど18名が参加しました。
午前の講話は、子供の頃怪我をしたらおばあさんからタバコの葉を当てておけと言われてその通りにしたら血が止まったという思い出から始められ、その日の福音で、目の見えない人が、イエスがつばでこね、目に塗られた泥を洗ったら見えるようになったのは、既に心が開かれていたからだと話されました。そして人間には宗教心の種、神に自然に向かう方向性が備わっているのに外れてしまうのを戻すためイエスは来られたこと、自分はなぜキリスト教を信じるに至ったのか、自分とキリストとの出会いを思い起こすよう話されました。その後、グループに分かれ、キリストとの出会いの体験を分かち合いました。幼児洗礼からまっすぐ育ってきた人、カトリック校で受洗した人、若い時は離れていた人、プロテスタントから改宗した人、紆余曲折あった人、多くの出会いが語られました。
午後の講話では、上京して会社の先輩から聖書の話を初めて聞いたこと、プロテスタントの教会に通った後、コルベ神父の文庫本に出会って友のために命を捨てた人が現代にもいたことの驚きから、洗礼を受けるならカトリックでと思ったこと、人間関係に悩む内に私でなくおまえが離れたとイエスから言葉を受けたこと、友人とカトリック教会を探し回ったが見つからず、山手教会に初めて行ったら教会の婦人に信徒会館でやっていた入門講座に入れられ1年後受洗したこと、そのうちに司祭の生き方に魅かれ、ある時モヤモヤが晴れぴったり噛み合い深い喜びを感じた体験など、今に至る選びの道を話されました。そして回り道も必要な時であること、弱さ・失敗こそ、神の力・あわれみが現われる時であり、神の前で弱さを素直に認めることの大切さを説かれました。その後、グループに分かれ、それぞれの弱さ・失敗のうちにキリストと出会った体験を分かち合いました。
若い人の教会離れに対して有効な手立てが見出せない中、この1年山田神父と教育部は、変革の歩みを始めていたのですが、異動によって回り道を余儀なくされた感じがしていました。この研修会で、若い人に蒔かれている信仰の種の成長を気長に見守るべきこと、同時にキリストとの出会いの場を様々な形で呼びかけ、提供することの大切さを再確認することができました。山田神父様、沢山の置き土産ありがとうございました。残された私達は、弱さの中にも神の力が発揮されることを信じつつ、改めて変革の歩みを起こすこととします。本当にありがとうございました。
今回の復活祭で13名の方が洗礼を受けられました。おめでとうございます。
藤沢1区 中富
とうとうこの日を迎えることが出来ました。友人たちは、「いまさら、どうして?」「何かあったのか?」と驚きました。
私自身も、家は代々浄土真宗で、これまでキリスト教に格別の関心もありませんでした。一方で、永年続けてきた合唱活動で数々の宗教曲を歌いながら、教会音楽の荘厳な神々しい雰囲気に魅せられ、何か霊気のようなものを感じて鳥肌が立つような思いをすることが度々あり、そんな体験を重ねていくうちに、キリスト教を身近に感じるようになってきていました。
そうしたとき、一昨年末に母が亡くなり、その弔いを営むなかで、それまで浅薄だった自身の信仰心が少しずつ高まってきていました。それらの気持ちが重なって、昨年初めころ初めて藤沢教会に出かけてミサを体験し、ときどき足を運んでいるときに講座の開催を知り、どちらかといえば野次馬的な関心から受講を始めました。しかし、聖書の文言や教えをなかなか理解することも得心することも出来ず、自分は何のためにこの講座を受け始めたのかと、自問を繰り返していました。
そしてしばらく過ぎたころ、たまたま読んだ晴佐久神父様の説教集の中に、「聖書の読み方にはコツがある。聖書に出てくる登場人物やたとえ話に出てくる人やものを『これは私のことだ』って思うのがコツです」とありました。
そうか!難しいとか理屈で考えるのではなく「自分のことだ」と思えばよいのかと、それまでモヤモヤがさっと晴れたような気持ちになりました。“キリストの復活”も信じよう、素直に思えるようになりました。こうして次第に聖書の世界に心を開かれ、神に導いて戴こうという思いが募ってきました。
洗礼を受けてキリストの家族の端に置いていただき、日々の祈りや感謝を通して、その導きに従った生涯を送るように努めようと自らに誓いました。2008年3月22日は、68才の私の再生の日です。講座を指導して戴いた増田さんをはじめ、私の決意を受け止めて、あらためて洗礼を喜び温かく祝ってくれた友人や家族に感謝しています。
藤沢2区 重野
私はミサの終わりに神父様がおっしゃられる「行きましょう、主の平和のうちに」というお言葉が好きです。また今日から新たに一歩、人生を踏み出すための勇気と力をいただける気持ちがします。今までは、ちょっと遠慮がちに受け止めていたのですが、洗礼式を受けさせていただいたこれからは、そのお言葉にも「はい」とまっすぐに返事ができます。だって本当に神様と約束をさせていただけたのですから。指折り数えた待ち遠しい日を無事に迎えることができ、今はただ嬉しく、ホッとしています。これからは聖霊と教会の皆様に導かれ、少しずつ信仰生活を深めていきたいと願っています。洗礼式での体で感じた印象としては、水は思ったより冷たく、けっこうじゃぶじゃぶかけるんだなということと、聖体拝領のぶどう酒が辛口で文字通り身に染み渡ったということでした。洗礼式を見守ってくださる皆様のまなざしはとても暖かく、いっそう喜びが増しました。ずっと心配し応援してくださった入門講座の皆様、とりわけ代母にまでなってくださった増田さん、ありがとうございます。心から感謝いたします。
長後 比嘉
わたくしは息子2人(慈英、乃章)と共に3月23日の復活祭に受洗いたしました。私にとって洗礼を受けるという事は小さい頃からの念願でありでもその「時」を得る事は無いのだろうと思っていましたが、長男のたっての希望もあって受洗できるこの日を喜びの気持ちいっぱいで迎えました。受洗に際して親族友人や見守って下さる皆様から頂く心のこもったお祝いの言葉により、更に喜び溢れる日となりました。これも神様から頂く愛なのだと実感し、また気の引き締まる思いがいたします。これから歩む信仰生活の中で共同体の一員として愛し愛され、神の小さな道具となれますように念願しております。
その他 太田
御聖体を初めて頂き葡萄酒に浸たす時、その中に御聖体が浮いているのが見えました。頭は冷静でいるのに、何で手が震えているんだろう?背後に大勢の信者がおられ緊張しているものの、不思議な位精神的にリラックスしていました。理屈ではなく、大勢の信者にも支えられて今洗礼を受けられて良かったなと感じました。
これからも分からない事ばかりなので、宜しくお願い致します。お導きと、キリスト教講座の講師としてしてお世話になりました魚津様には感謝の気持ちでいっぱいです。又、鈴木神父様、岡田様には色々とお世話になり、ありがとうございました。あと、沖永良部島におられるシスター我妻様にも洗礼を受けたことをご報告したいです。娘の愛里と亜里沙がヨチヨチ歩きの際、大変お世話になりました。このニュースを見て頂けたら幸いです。
坊主頭で悪人面ですが、自動車関係のサラリーマンです。自動車関係の経験は豊富ですので何か御座いましたら気軽に声を掛けてください。
湘南台 石井
復活徹夜祭のキャンドルの炎を見ていると自分が洗礼を受けた日を思い出します。入門講座を担当させていただいて2年、参加者のみなさんに多くのことを教えていただきました。遠藤周作氏の言葉に「神とは私のなかにある“働き”である。」とあります。受洗・受堅者の方々は、すでに私達に神様の愛を示してくださいました。みなさん、おめでとうございます。そしてなによりも神に感謝。
毎年ご復活の徹夜祭でベトナムの方々が作ってくださる緑豆のぜんざい・チェー・ダウ・サンは心もからだも温まるご馳走ですね。その作り方を教えていただきました。ぜひおためしください。 緑豆のぜんざい(チェー・ダウ・サン:Che dau xanh)材料:(20人分)緑豆 400グラム、砂糖 500グラム、タピオカ 150グラム、ココナッツミルク 400ml バナナエッセンス 適量、水 3リットル 作り方:
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静修の集いに参加して
辻堂2区 佐々木
2月最後の日曜日、9時半のミサから静修の集いが始りました。指導は戸塚教会のバーク神父さまです。お説教の中で、サマリアの女は40代半ばの、きっと可愛くない人だったでしょうけれど・・(この言葉に皆大笑いしました)イエスに受け入れられたことによって、変えられ、救いの恵みに与ったことを、分かりやすく話してくださいました。ミサ後、バーク神父様は「藤沢教会でのミサは初めてでしたけれども、皆さんに友好的に受け入れられたと感じました」と、感想を伝えてくださいました。休憩の後、11時から講話がありました。神父様がお好きな箇所と言われるルカ5章の「ペトロの召命」を引用されました。
湖の上から話すと遠くまで、また広く声が伝わります。そのためイエスはペトロの舟に乗ったのでしょう。イエスはペトロに「網を下ろしなさい」と言われた。ペトロは心の中で「今、魚が取れなかったのだから、取れないに決まっている。それを知らせよう」と、仕方なく網を下ろしたでしょう。そうしたら、取り切れないほどの大漁でした。イエスは罪深い私たちに大漁の恵みを与えてくださいます。ペトロは「どうぞ、罪人の私から離れてください」と言うが、イエスは「魚ではなく、人を漁る人になりなさい」と命じる。それで、魚を捨ててイエスに従った訳です。罪深い私たちに対する神のこの寛大さに心を向けて、許しの秘跡をうけましょう。放蕩息子のたとえも、罪びとに対する父なる神の愛の深さです。
バチカン公会議以後、年に2回の共同回心式が用意されています。今、自分の中にある中心の問題は何か・・この問題にイエスが触れるように。それによって、解放の喜びが得られます。自分の罪の中心は何かに目を向け、告解の準備をしましょう。告解場での場合は、司祭から助言があります。ご主人と喧嘩してしまったから・・でしたら「償いとしてご主人の好きな料理を作ってあげてください」と言います。そうすればご主人が喜ぶでしょう。それが大切です。霊的成長のために、司祭の指導を受けることは大切です。けれども、共同回心式の場では個人の問題をゆっくり聴くことは出来ません。人間は弱いから同じ過ちを再び起こしてしまいます。二度と犯さないように・・と言われたペトロも弱い者です。ペトロのことを考えてください。イエスを3回も否んだ人を、イエスは後継者として選びました。ペトロは自分の弱さを知りながらも、イエスの許しと愛を信じ切って生きたのです。
180人余りの方がこの講話を聴き、黙想の時を持ちました。昼食後1時から典礼聖歌184番「私は静かに神を待つ」を歌って、共同回心が始まりました。導入として、振り返りのためのヒントを川辺さんがゆっくり丁寧に読みあげてくださいました。この後、120名近い方々と一緒に回心の祈りを捧げました。神父様の聖霊の助けによって教会がゆるしと平和を与えるようにとの祈りに続いて、個別のゆるしをいただきました。祭壇中央と左右に司祭が立たれました。先ず司祭同士が祭壇中央で罪を告白し合い、その後3方に分かれて夫々に手短に自分の弱さや、癒していただきたい点を告げゆるしていただきました。元の席に戻って、祈りながら皆が終わるのを待ちました。この間約1時間でした。共にゆるしの恵みへの感謝の祈りを歌い、償いと回心の表明としてフランシスコの平和の祈りを唱えました。最後に和解のしるしとして皆で平和の挨拶を交わし、「行け、地の果てまで」を歌って閉祭しました。
全てを終えた後、誰しも笑顔で輝いていました。ホールに熱いお茶とキャンディーを用意してくださっていて、30名の方が集い、今日1日の感想を分かち合いました。異口同音に「良い1日だった」との感想でした。本当に寒い1日でしたが、バーク神父様の素敵な笑顔と温かなお人柄によって皆心からゆるされたと実感し、幸せな気持ちで静修の日を終えました。心から、神に感謝の1日でした。
鵠沼ブロック集会報告
鵠沼3区 牧野
3月2日(日)9時30分ミサ後、センターホールにて、鵠沼ブロック集会が開催されました。今年初めての集会でしたが、好天にも恵まれ、65名と多くの方のご参加をいただきました。前教会委員長の小藤氏の歯切れ良い司会により、新委員・連絡員の紹介、転入者の方々の紹介、連絡事項伝達などの後、今年度の教会課題に挙げられている、共同体としての「祈る力を育てる」ことに関する話し合いが、4グループに分かれて行われました。
堅いテーマでしたが、話し始めると思いの外、話が弾み、予定の30分をオーバーするほどでした。祈り・ミサ・葬儀などについて出されたご意見・ご要望はまとめて教会委員会に報告する予定です。話し合いの後は、ちらし寿司と、恒例となった有志手打ち蕎麦の昼食をとりながら、レオハワイアンズ(鵠沼ブロックのメンバー主体)の演奏と鈴木主任神父様の歌(リンゴの木の下で、高校3年生)を聴き、楽しい時を過ごしました。最後に、皆で聖歌「大波のように」を斉唱して、2時間の集会はお開きとなりました。準備と運営にご協力いただいた皆様には、この場をお借りして、厚くお礼申し上げます。
北1ブロック新年会
善行 浅野
色々な事情で遅れてしまった北1ブロックの新年会は2月17日、ミサの終了後に開かれました。前日午後からご婦人方の奉仕で準備された名物カレーライスと持ち寄りの逸品料理が、ホールの中央に設えられたテーブルに所狭しと並べられており、周りを二重に囲んでイスが70脚ほど用意されていて、開会前から雰囲気は盛り上がっておりました。
八木ブロック長の司会のもとに、11時定刻に開会され、和気藹々とした雰囲気が「初めの祈り」から会場に漲っておりました。会は先ず、辻垣さんの担当で「ミサの勉強会」が行われ、ブロックが受け持つ「受難の主日(3月16日)」の典礼の解説と、朗読箇所の読み合わせがスムーズに行われた後、当日の先唱者、朗読者、奉納、共同祈願などの担当者の依頼が一部ありました。会には3人の神父様、浮田教会委員長それに川辺事務局長も参加してくださって、暖かいお言葉をかけて頂き、会の雰囲気の中に融け込んでくださったのは嬉しいことでした。勉強と打ち合わせに45分ほど費やした後、「旧年度役員」への感謝と「新しいブロックの連絡員の紹介」そして「今年度の活動計画」のうちのほぼ決定しております内容について、八木さんから報告と説明が行われました。その概要は次の通りです。
4月10日(木曜日)遠足(江戸殉教者の遺跡巡礼)
6月28日(土曜日)黙想会(聖心の布教姉妹会本部修道院)指導は高野神父様
10月19日(日曜日)教会バザー(北1・北2ブロックの担当)
このほか、七五三もブロックが担当することになるとの報告もありました。
お預けの状態のまま待ち兼ねていた昼食は12時半から、思い思いのお料理を皿に取っては座席に戻り、隣同士あるいは出かけて行ったり迎えたりしての談笑で、明るい笑い声に満ちた豊かな昼餐の時となりました。それぞれの胸に付けられた名札から、お互いにより知り合い分かち合えたことは、参加者にとっても大きな喜びだったことでしょう。ひとしきりの談笑が盛り上がった後に、佐藤さんの司会での「ゲーム」が行われ、子どもに帰って楽しみました。懐かしい歌もたくさん歌い、和やかな空気がホール内を満たしておりました。お終いにしてしまうのが惜しいくらいの充実した会合は、14時にお開きになったのですが、神父様もご一緒に片付けに参加して下さり、最初に願った北1ブロックの「小さな和」が世界中に拡がって、「大きな和」に発展するようにとの祈りを、それぞれに改めて実感した素晴らしい共同体の集いでした。
湘南台センターのためのコンサート
長後 金子 カツ子
3月9日11時より聖堂で行われた湘南台センターのためのコンサート“シューベルト「冬の旅」朗読・歌・ピアノ吉田旅人独演会”は皆様のお陰をもちまして成功裏に終えることができました。心から感謝申し上げます。センターの存在が価値あるものにもかかわらず、財政上の理由で閉鎖するとのことで、何かお役に立つことができないかと考えたことが発端でした。吉田旅人氏は私の師でとても高潔な方で、実力・実績があるにも拘わらず聴衆が10人でも20人でも聴いてくださる方がいらっしゃればと、ドイツリートの真髄を演奏し続けておられます。「ただでもいいよ」の一声で今回のコンサートが実現することになりました。当日の演奏は深い感銘を皆様に与えたことと思います。真摯な青年の嘆き、悲しみ、りりしさの中にも絶望。しかし光はいずこにあるのか、復活を待ち望むその実現への道・・・何と素晴らしい作品と再現芸術であった事か。ボランティアの方々がすべてスムーズに、素敵に働いて下さいました。神父様、教会委員長の浮田様、心から御礼申し上げます。そして吉田旅人様と御家族の上に神様の豊かな祝福がありますようお祈り申し上げます。(尚、当日の入場者は約170名、約14万円を湘南台センターへの献金として財務に納めさせていただきました。)
6年 美椰
卒業感謝ミサで、私は共同祈願をやりました。ミサで、6年生がいろんな役割を果たせて、良かったと思います。日曜学校を卒業しても、神様のいろいろな事を勉強していきたいです。神父様、リーダー達に感謝します。
6年 裕一
僕が日曜学校に入ったのは3年生の時でした。僕は「友達ができるかな。」と緊張しました。だけど日曜学校に通っているうちに、日曜学校に通っている人達と友達になりました。これが僕の最初の思い出です。日曜学校でのクリスマス会は、毎回楽しみでした。ナレーターの役をやったりした事が楽しかったです。最後にサンタクロースが出てくるのが印象的でした。日曜学校で色々な事を学べて、とてもよかったです。
典礼暦を生きる
典礼部
教会には1年の周期で、救いの歴史とキリストの生涯の神秘を記念する典礼暦があります。私たちは先月、桜の開花とともに「復活祭」を大いなる喜びのうちに盛大に祝いました。それは、典礼暦の中でもっとも重要な日は主の日(主日)、すなわち週の初めの日(同時に、週の終わりの日の8日目)主が復活された日曜日であり、主日の中でもっとも大切な日は主日の起源である「主の復活の日」であるからです。
教会の1年は「主の年」ともいわれ、キリストとともに生きる教会の1年の過ごし方、構造を意味し、待降節第1の主日に始まって「王であるキリスト」の祭日で終ります。ですから、教会の1年の行事もその暦にそって行われます。以下、典礼暦について見てゆきます。
待降節:降誕祭の4つ前の主日に始まり、降誕祭前日まで続くイエスの誕生とキリストの再臨を待ち望む時期をいう。
降誕祭:「みことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた」。(クリスマス)
降誕節:イエスの誕生から、ご公現を経て、主の洗礼の主日までの間。
年間1:日本では、主の洗礼の主日後の月曜日から始まり、灰の水曜日の前日まで続く。朗読はA年、B年、C年それぞれの福音から読まれる。(西暦を3で割り1余ればその年がA年、従って2008年はA年)
四旬節:入信志願者と新信者を迎える教会共同体が、典礼を通して養成され、準備される期間
復活祭:キリストの過越、すなわち、キリストの死と復活を祝う。
復活節:喜びと感謝の内に、復活徹夜祭に入信した新信者と、入信者を迎えた共同体が、聖霊降臨までの間に、信者としての生き方を学ぶ期間。
年間2:年間は聖霊降臨の主日後の月曜日に再び始まり、待降節第1主日の前晩の祈りの直前まで続く。朗読は年間1から続き、イエスの弟子教育を通して、私たちも戸惑いながらイエスの心を学んでゆく。
教会は今、典礼暦年の頂点である、キリストの復活祭に始まり聖霊降臨(今年は5月11日)に終る復活節に入っています。復活節は、復活徹夜祭に入信の秘跡(洗礼、堅信、聖体)を受けた新信者が共同体の中で、秘跡を受けながら、自分も秘跡(神の愛の証し人)になってゆくための「信者としての生活の手ほどき」を受ける期間(ミスタゴギア)であると同時に、「洗礼の約束の更新」をした共同体一人ひとりが新信者を受け入れてともに喜び祝いながら、自らも霊的に成長してゆく時です。
3月2日(日)、藤沢教会のベトナム語ミサにローマ教皇庁大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教様がいらっしゃいました。日本でのベトナム人信徒の司牧の現状視察が目的だと聞きました。この訪問、当初は2月3日に予定されていましたが、当日が雪のため延期されていたものです。2月も前日から大司教様を迎えるための準備をしていたベトナムコミュニティの方々は、延期されたために、2ヶ月続きの準備に大忙しでした。
当日3時ころ、ベトナム語ミサ担当のヒエン神父様をはじめベトナムコミュニティのメンバーが出迎える中、大司教様が到着しました。一息入れた後、3時半より大司教様司式でミサが始まりました。ミサは大司教様がイタリア語で司式され、イタリア語堪能なヒエン神父様が必要に応じてベトナム語の通訳をしながらベトナムの方々はベトナム語で答えるという形で行われました。説教も大司教様のイタリア語をヒエン神父様がベトナム語で通訳されました。残念ながらどちらもわからないわたしには意味不明でしたが、聞いたところでは異国の中に生きるベトナムの人々の信仰を励ますようなお話しだったようです。ミサの終わりに、ベトナムの子供たちと若者が、この日のために準備したちょっとコミカルな結婚式の民族舞踊を披露しました。
ミサ後、センターホールでベトナムコミュニティの方々が2ヶ月続けて準備したベトナム風シチューとサラダ(そして大司教様の席にはちゃんとスパゲティも用意されていました)でパーティが行われました。しばし歓談された後、5時過ぎに大司教様は帰路につかれました。
Tさんのこと
鵠沼3区 大谷
2月の寒い朝のことです。しばらく振りにTさんが車椅子に乗って、信徒会館で開催しているある小集会に現われました。その折茶色の小封筒をお出しになって、「遅くなりましたがクリスマスの献金です」と言われ、リーダーに渡されました。中を拝見すると数枚の千円札と、かなりの硬貨がありました。Tさんのご説明によると、昨年の待降節の期間、現在おられる介護施設の自室の机の上にご降誕のミニチュア祭壇を自作し、横に献金箱代わりにコップを置いて祈っておられた由。その折日常生活のお世話に当たっている方々が可愛いモデルに興味を抱いて立ち寄り、キリスト教について問われるままにいろいろ話し合いが持たれたそうです。そのあと彼らが部屋を去る時に献金をコップに入れて行ったものとのことでした。
Tさんは以前私たちのこの小集会に加わっておられましたが、3年ほど前に体調を壊して介護付きの施設に入られました。病状は一進一退でしたが、昨年春先から一転して目に見えて元気になられ、今は歩行練習を主にしたリハビリの日々を送っておられます。この施設は40名程の高齢者が入居して、約30名のスタッフが24時間体制でお世話をしており、病状に応じた完全看護が行なわれています。しかし、Tさんの言に依ると、入居者間の会話交流は殆ど無くて淋しい思いをしているとのことでした。特に宗教関連の話題は全く出せない由。このように伺ってきた折からの、この度の出来事に驚かされました。もっとも献金を置いて行かれた人々は、お世話に当たっているスタッフの方のようでしたが、Tさんのお人柄に加えて、大きな導きの力が作用している事を感じました。
今回私たちの会合では、隣人と仲良くする事の大切さが話題になり、Tさんは最近の施設内の交わりの様子を楽しそうに紹介してくれました。特にピアノの伴奏で皆で歌う昔懐かしい小学校唱歌の時間のご披露が印象的でした。「桜貝のうた」からは、亡くなられた奥様と腰越の浜辺で一緒に桜貝を拾った時に、喜ばれた奥様の美しい笑顔を思い出されて幸せそうでした。これらのお話の端はしに、Tさんの前向きに変わって来た視線と生活意欲が感じられました。月に一回開催している私たちのこの会合を心待ちにして出席の準備をしていると言われ、楽しそうに語られる笑顔に引き込まれて時間の経つのをすっかり忘れていました。
私たちのこの会は、発足以来7年を経て、その間メンバーに出入りもありましたが、この日のTさんの、お元気で明るく語られる様子に接して、一同信仰の力の偉大さを如実に感じる事が出来ました。神に感謝
受洗十年、幾多の恵みに与る歓び
藤沢2区 小野
今日は初孫(生後8ケ月)のお雛祭り。次男に授かった女児の成長を祝って少し無理をして新調したお雛様が飾られている部屋で孫を抱き上げると、彼女は正面から私をじいっと穢れのない瞳で見詰めてきます。その勢いに気押されて、私はいささか照れてしまう。その様子を見て妻と次男夫婦たちは大笑いしながら、現在の幸せを噛み締めています。
思い返せば、32年前に先妻は男児2人を残して胃癌の為に32歳の若さで天国に旅立ちました。生後3ヶ月で生母と離された次男は社会福祉法人「聖園ベビーホーム」で2年間を過ごした後で、現在の妻による献身的な子育てのお蔭で、幾多の試練を受けながらも順調に成長。彼は学校卒業後1人前の社会人となり、その後に誕生した三男と長男とを結ぶ働きを務める貴重な存在になっています。一昨年結婚し平塚に一家を構えて、昨年6月に長女を帝王切開の末に授かりました。孫は2000グラム以下の超未熟児でしたが、幸いにも関係者たちの温かいご支援を受けて順調に生育し、現在は8000グラムを越えて母乳だけでは不足で、ミルクを飲んで元気よく動き回っています。
4年前の藤沢教会福祉部月例会で「聖園ベビーホームが男性ボランティアを募集中!」と藤沢2区大澤さんから聞いて、私はご恩返しを感じて直ぐに応募。その後も月2回午後に通い続けています。保母さん達の指導を頂きながら生後2才以下の乳幼児13名を相手に各2時間余り、自分なりのやり方で一緒に遊び大いに楽しんいます(ミルク授乳、食事介助、入浴世話を含む)。彼らはいつも女性職員と過ごしているので、男性に会うと初めは戸惑っていますが、やがて馴れて来ると肩車や馬乗りなどで遊び、夕方に別れる時は仲々離れようとせず、愛おしく心安らぐ瞬間です。数人が里親の家に引き取られたり、2才を過ぎると隣接の「聖園子供の家」へ移りますが、また新たな乳幼児が入って来るので、多くの出会いと別れがあります。<現在もボランティア募集中です>
こんな体験を重ねながら3年前に、昔ベビーホームで世話になった次男と妻を連れて園長先生(Sr.平尾)に挨拶に行き、当時の看護婦にも成長振りを見て頂くことが出来ました。皆さんそれぞれに感慨深いものがありました。そして上記のように初孫の誕生に結びつき、大きなプレゼントに与ったのです。今後はベビーホームでの経験が、初孫との触れ合いに大いに役立つことでしょう。さらに、今年の復活祭で初めて代父を務めることになりました。18年前の合唱仲間と昨年12月のミサで偶然出会い、話がトントン進みました。代父として自信がある訳ではありませんが、これも神様のなされた計画と素直に受け止めることにしました。洗礼志願者向けの勉強会にも参加させて頂き、改めてキリスト教について色々な学習をすることが出来ました。
日曜ミサの時に唱える回心の祈り「私は、思い・言葉・行い・怠りによって、度々罪を犯しました。罪深い私のために神に祈ってください」のうち、最近は「怠り」が気になることが沢山あります。そこで勇気を奮って相手の状況に配慮しながら「建設的な提言」を心掛けていますが、今では私の意思が相手に少しづつ通じるようになり、心から感謝しています。今後とも、「祈りによる聖霊の導き」を信じて「無理をせずに豊かな人生と素晴らしい出会い」を座右の銘として、関係者との協働を通してゆとりを持った人生を過ごしたいと考えております。今後とも宜しくお付き合いくださるよう、心よりお願い申し上げます。
閑話休題
大庭 池田
今日も日一日、春の訪れと並んで四旬節が進み、復活祭が近づいています。今のところ医師に余命を告げられることもなく、主のいたわりに感謝の毎日です。それでも時折ふっと、そうですね、例えば家からリハビリの病院までは300メートルもあるでしょうか。季節ごといろんな花を咲かせてくれるこの小道がこよなく好きで---しかし時には、あれは厚木へでも向かうつもりなのでしょうか、戦闘機の轟音が去ってゆく青い空を見上げながら、ついうっかり俗念を洩らすこともあります。~~~あの戦闘機はいいよな、行く先が決まってて。俺は死んだら何処へ行くのかな。こんな危うい気分のとき、パウロの異邦の信徒に宛てた書簡の一節なんかが思い浮かんだりすると、ラッキーですね。
『わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。』(1コリ15章51〜52)~~~えっ、復活のときラッパが鳴るんですか?なんとまァ劇画的というか、黙示的というか。ラッパはともかく、私の予想になかったのは、復活によって<変えられる>ということでした。しかも<朽ちない者に>ですから、再び肉体(霊に対する意味での)を有する者には戻れません。ここで明らかになったことは、復活は<死>によってもたらされたのではなく、<勝利者>に与えられるもの、ということです。では使徒パウロがどうしてこんな、ラッパが鳴ったらとか、一瞬のうちにとか、コリントの信徒のカルチャー・レベルを疑わせるような<分かり易さ>に気を遣ったのでしょうか。コリントっていう町はギリシアのペロポネソス半島の付け根の地峡にある商業都市ですが、その町の南部にアクロ・コリントスという山があって、パウロが乗り込んだ後一世紀にもまだそこに、アフロディテという神殿があったらしく、そこに千人に及ぶ神殿娼婦がいたと云われています。当時のギリシアではコリント的に生きるといえば、性的享楽主義を意味したそうで、そんな不道徳な町に教会をひらいたパウロの愛がこの手紙の独特な文体に現れています。最後の審判に触れなかったのが不思議なくらいです。
曽我の梅を観てきました。「あなたったら、いつでも唐突なんだから」思い立ったら吉日。朝は繰り言を行っていた女房も小田原に着く頃には満面はれやか。タクシーの運転手さんも、関西かな、と思えるほど歯切れがよくて、小田原の街を抜ける辺りから運転手さんは、梅林では観られない,糸を引くような<枝垂れ梅>の美しさを鼓吹するのです----あ、見えました、このお宅の庭です、降りてご覧になりますか。生まれて初めて観る、しだれる紅梅。結局は曽我梅林の、迷路のように広がる白梅の海を彷徨って帰路についたのでしたが、今でも、心象に残っているのはあの、枝垂れ紅梅のナイーヴな美しさでした。
いつもの梅見は湯島の天神様。わが家ではそう決まってました。折しもの受験期。社の渡り廊下には真新しい絵馬が積み上げられます。学問の神様、菅原道真公の面目、躍如たるものです。
こち吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ(拾遺集)
リハビリの小道は今、山茶花の咲き残りが、あちこちに紅い未練を点綴させています。それはさながら、この世に対する朽ちるべき者の執着みたいで、哀れを誘います。それに比べて、椿の潔さはどうでしょうか。椿の花冠はある日、今が盛りという花期に、パウロの言葉を借りるなら一瞬のうちに、です。首からポロリともげて落ちます。その為よく武士道の礼賛などの場面で椿の落花が引合いに出されたりしますが、はて如何なものでしょうか。そんな椿の潔さよりも、たとえ容色は未練がましく枝にすがりついていても、自分が存在することに誇りを持っているかにみえる山茶花に、私は肩入れしたいのです。
この度は私共の団体のために貴重なバザーの収益からのご寄付をありがとうございました。バザーの準備、開催がどれほど大変なことか、ほんの僅かなお手伝いしかできなかった私でもよく存じております。そのようなバザーの貴重な収益からのご寄付をいただき心から感謝しております。
私共のNPO法人「MICかながわ」は主として外国籍の方が医療機関にかかられるとき病院に「医療通訳」を養成派遣するNPOです。昨年サッカー日本代表のオシム監督が倒れられたとき、奥さまが日本語ができないため救急車を呼ぶのが大変遅れたという報道がありました。このような病気のとき、言葉が通じないのは本当に不安で、時としては命に関わります。日本にこられた私たちの隣人が、少しでもこうした不安や危険を味わわれないよう、現在10言語、170人余の研修を受けて登録されたボランティア通訳が頑張っていますが、依頼は増える一方で、病院にかかるのに困っている外国籍の方がこんなにも多いのかと日々驚くばかりです。
この増え続けるニーズに応えるための最大の悩みは経済面です。公的な支援はあるものの、このご時世、縮小傾向にあり、残りの部分をNPOで担うには、さまざまな努力をしても負担が大きすぎていつも苦労しています。このような状況ですから、今回のご寄付はどれほど有り難かったか、あらためて感謝申しあげます。また、これを機会に会員として、通訳やその他のボランティアとして、私共の活動を支え、参画して下さる方も求めています。詳しくはMICかながわ事務所045-314-3368又は鶴田0466-29-5433にお問い合わせ下さい。
この度は、「かたくりの里」の活動にご理解をいただき、バザー収益の中からご寄付をいただきました。ご支援に心より感謝すると共に、御礼を申し上げます。かたくりの里は、精神障害者の地域作業所として、1988年10月1日に円行に開設され、その後湘南台駅近くに移転し現在に至っています。最初の半年間はいこいの場としてスタートしましたが、翌年よりクッキー・マドレーヌ等の焼き菓子の製造販売を始め、順調に売り上げを伸ばしてきました。地元湘南台では、公民館祭り・色々な団体のバザーやコープ店頭での販売を通し、地域の皆様に知られるようになってきました。藤沢教会のバザーにも昨年より参加させていただいております。また最近では、ネパールの農民とフェアトレードを展開している団体「ネパリバザール」に、フェアトレードの商品である紅茶・コーヒー等を使ったクッキーを作り出荷していて、仕事量も大変安定してきています。2001年には二つ目の作業所を開設し、ゆったりと自分のペースで軽作業等ができるようにし、利用者の対象を広げました。そして、昨年の4月に二つの作業所が合併し、自立支援法に基づいた就労継続支援B型事業に移行し、より安定した支援をめざしています。またケアホームも周辺に4箇所あり、各事業所が連携し合い60人弱の精神的な障害を持った人々の日々の生活を支えています。今後ともどうか私どもの活動を暖かく見守っていただけますようお願い申し上げます。
昨年のバザーから皆さんのお心として寄付をいただきましたことを感謝いたします。感謝の気持ちとともに、近況をご報告させていただきます。
一昨年より始めた神奈川県との共同事業である「総合相談室及びシェルター」事業は、予想を超えるニーズが有り、シェルターはいつも、ほぼいっぱいの状況で、緊急シェルターとしての機能が難しい状態です。そのために、緊急の場合「みその」のシスターたちが開いている平塚の「湘南希望の家」の一部を短期的にお借りしてやりくりしています。相談利用者も増え、生活相談やその後のアフターケアーなどにも相談員たちは多忙を極めています。当初の目論見とは違い、実際には居所を失った方が野宿に至る前のセーフティバリアのような使われ方が多くなっています。利用者も女性や子供を抱えた家族連れにまで広がっています。今までとは違う形の貧困が広がってきているように感じます。その他、今年も神奈川県から法律相談事業を委託されました。多重債務などの問題に加え、医療、福祉の問題や、離婚や相続などの問題も相談されています。また、法律相談に加えて、今年は神奈川県より「居宅支援」事業を委託されました。これは、居を失った人が不利な条件の中でも新たな居を見つけることをサポートするためのノウハウを蓄え、それを情報としてまとめていく作業です。
わたしたちの中核の事業である「無料低額宿泊施設」運営では、ポルト湘南・茅ヶ崎が昨年8月に設立5周年を迎え、法人の5周年ともあわせて、ささやかな記念の会を行いました。ポルトの入居者をはじめ多くのお客様や関係者にご出席いただき無事終えることが出来ました。5年たったポルトも、いつでも空きが出来ればすぐ埋まる状況で、30名超えの人数を常に保っています。わたしたちは出来るだけ困っている人であるならば受け入れようという方針で運営していますので、他の宿泊施設で入れてもらえないようなタイプの方々の依頼が福祉事務所からよくあります。そのために、就労自立できる方は比較的少数です。また、規則もあまり厳しくして弱い人が守れずに排除されてしまわないように、かなり緩やかにしています。そのため、入居者からも「甘すぎる」と言われたり自立の心をそぐような面もあるかもしれません。その意味では成績はあまりよくないのでしょうが、それがわたしたちの持ち味でもあると思っています。
そんなわけで長期滞在してしまう方も増え、高齢化もふくめ今後どの様にしようかと模索している中、昨年暮れに辻堂駅西口近くに、老人ホームが利用していた施設を借りられることになりました。古い建物ですが、まだまだ使用でき、交渉の結果かなり安く賃貸できることになりました。そこを利用して主に高年齢層でアパートでの自活にも不安を持っている方のための施設を作ることを計画しました。ただそれには高いハードルがありました。以前は、事業を開始後に届け出さえすれば良かったのですが、その後各地で類似施設をめぐって問題があったようで、法律的には届出制ですが、実質的にはかなり厳しいガイドラインが定められ、多くの事業者が新規の施設をあきらめているような状況になっていました。しかし、やるだけのことはやってみようと言うことで動き始めました。まず、茅ヶ崎の福祉事務所に事前説明を行うと、結構好意的でした。その後、最大の難関の近隣同意を得るために町内会長を訪ねると、とても福祉に理解がある方で、事業説明だけで同意の協定書に捺印してくれました。これには県の担当者も驚いていましたが、わたしたちもびっくりするような出来事でした。また、建物も家賃もこちらの提案どおり、仲介や保証人もなしで内部の改装も自由で返却時の原状復帰も一切なしと言う好条件で借りられました。町内会長さんを訪ねてお話した時も、大家さんと条件を交渉した時も、いつもどおりの服装で、ありのままで行ったのですが、契約時に大家さんが、「スーツを着て高級車ではなく、普段着で軽トラに乗ってきたのを見た時、この人たちなら信用できると思いました」と言って下さった時、何故か、これまでやってきたことはあまり間違っていなかったんだな思えました。これからも、形や成果よりも一人一人を大切にと言う姿勢を持ち続けて行きたいなと思っています。新しい施設は「ポルト湘南・辻堂」として3月1日に正式に立ち上げました。やはり準備のためにかなりの投資が必要でしたし、これからも新しいスタッフや施設の維持のことも考えていかなくてはなりません。また共同事業は、助成金がもらえる5年間が終わった後のことも考え始めなければなりません。人間相手のことで、どこかできりが着くと言う仕事ではありませんので、少ないスタッフでまわしていけるのかと言うことも考えなければならない時期に来ていると思います。これまで、皆様のご協力もあり、多少のたくわえも出来ましたが、これからもさまざまな面で皆様のご協力やサポートがますます必要になると思います。どうぞ、皆さまがこれからもわたしたちを見守り、支えていってくださいますようお願いいたします。
鈴木神父の川柳(1)
編集部編
鈴木神父様がお説教の最後に時折詠まれる川柳――これを期待されている方、どう解釈するのか戸惑っている方いろいろだと思います。そこでもう一度読みたいという方のために神父様から記録をいただいて、これをレビューしてみることにしました。
先ず神父様から次のようなお話を伺いました。
―川柳を作り始めたのは何時からですか?
ある友人が便りの中に時折川柳を入れているのを見て、興味は持っていましたが、作って発表したのはこの教会に来た年の11月27日が初めてです。
―では習ったことも先生もいないのですか?
全くの我流です。
―お説教で川柳を詠もうとされた動機は何ですか?
長らくお話をしてきて、どうしても話が堅くなる、それで雰囲気も硬くなる、また皆さんがどれだけ話を覚えているかも分からないという経験をしてきました。それで話を柔らかく、また心に残る方法として川柳は有効かなと思いました。
―それで効果はあったとお考えですか?
さあそれは分かりませんが、難しく考えずユーモラスなものと受け取ってもらえば良い。それで信仰の形が変わるかも知れない。また川柳はその時の福音の話を踏まえて詠んでいるので、お説教は忘れても川柳を覚えていれば、お話を思い出すかもしれません。
―今回2005年から2007年にかけてのB年とC年に詠まれた記録をいただきましたが、今年も作り続けてまたご紹介いただけますか?
はい。
今後、神父様の詠まれた川柳をシリーズでご紹介しますが、まず2005年に詠まれた句のうち次の3つをご紹介しますので、皆さんも何の福音のお話で詠まれたか考えておいて下さい。詳細は次号で紹介します。
11/27 ・忘れてた神さま来るの忘れてた (待降節第1主日)
12/4 ・千年を一日のごとく神を待つ (待降節第2主日)
12/11 ・おいお前隣にいるのはもしかして (待降節第3主日)
(文責 益満)