八 角 形 に ゅ ー す
2008年5月4日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
健やかで確かな関わりから溢れ出たもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 岩間
藤沢教会を離れるにあたって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 渡邉
さようなら 渡邉神父様・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部 飯田
渡邉神父様とのお別れ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・エルダーズの会
江戸巡礼記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 荒井
ペトロ岐部と187殉教者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 鈴木
教会の母マリア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部
鈴木神父の川柳(2)
健やかで確かな関わりから溢れ出たもの
司祭 岩間
4月10日、成田空港に降り立つとすぐに強風と雨に気づきました。これでは里の桜は散ってしまう、と気をもみました。1年と3ヶ月のフィリピンのEAPI(東アジア司牧研修所)での研修が終わり帰国しました。4月より藤沢教会の助任司祭として働くことになりました。皆さんと共に教会の最大の使命である福音宣教に尽くしていこうと思います。宜しくお願い致します。
EAPIには22カ国から92人の信徒、修道者、司祭、そして司教も研修に参加していました。ある時、Doing とBeing(存在、関わり)のどちらが重要なのかという論議が起こり、波紋が広がりました。確かに、イエスはマタイ25章における最後の審判の様子を描いて、小さな者に具体的に仕える重要性を説いています。主が到来することが誰にとっても重大なことに変わりありません。しかし、いつどのように到来するのかは誰にも分かりません。ですから、いつも具体的に支えあって主が皆の処に到来するように、その道を整え備えていく必要があります。
「父は今もなお働いておられる。私もまた働く」(ヨハネ5:17)とイエスは語ります。そこで多くのキリスト者がPraxis(実践)の道を走り続けます。私もそうでした。EAPIのPastoral Renewal コースには、長年、司牧宣教活動に従事して、いわゆる燃えつき症候群寸前の人たちも少なからず来ています。規則や義務感によってなされる業は、容易に空しいものとなり燃え尽きてしまいがちです。イエズス会士で哲学に詳しいスリランカ出身の所長のJが、Being の重要性を強調しています。休暇が得られると、よくアジアの貧しいキリスト者共同体を訪れました。津波や内戦で疲弊したスリランカ東部地域、マニラ近郊のシーサイドスラム(ナボタス地区)などです。ゴミの埋立地ナボタスには、ほぼ1000家族の人々が竹で家と通路を造り海の上で生活しています。20年以上、ナボタスの人々に尽くしてきたPPFというキリスト者共同体があります。給与は3000ペソで低いのですが、それでも半額を活動のために献金しています。そのため、この組織のスタッフの多くが独身です。男性スタッフのDomは「給料はとても低いが、貧しい人たちのために働けるのが嬉しい」と語ってくれました。フィリピンではNGOがこれほど長く続くことは奇跡的なことだと言われています。ある時この組織のスタッフから、貧しい人々に低コストで住宅を供給していた近隣のNGOが崩壊してしまった話を聞きました。このグループは、最近アメリカのメディアを通して公に支援を呼びかけました。その結果、1000戸の住宅の建設費をはるかに上回る献金が集まりました。しかし、巨額な資金の使途をめぐって激しい内部分裂が起こったのです。
イエスは「まず神の国を求めよ」と命じています。Doingが実るためには、健やかで確かなBeing からあふれでたものでなければならないからです。EAPIのクラスメートのレデンプトール会士Fr.Jamesはネグロス島で長年の間、BEC(教会基礎共同体)造りを担当してきました。彼は「まず、コミュニティー造りから始める必要がある」と強調します。4月5日から8日にかけて、彼のコミュニティーがあるネグロス島南部の街Dumagueteを訪れました。ここから50キロ離れた漁師の小さな集落で、毎週行われるBECの集会に参加しました。土曜日の夕方、近隣から来た老若男女の信徒20人が、祈りの内に福音と各々の生活(課題、喜びや悲しみ共々)を1時間ほど分かち合いました。その後、持ち寄りの食事で夕食を共にしました。復活節は使徒言行録が読まれていますが、この時、家の教会の原型を垣間見たように思いました。この時、家の教会の原型(生きた細胞)を垣間見たように思いました。教会は、このような生きた草の根の共同体から立ち上がってきたのではないでしょうか。
三位一体の豊かな共同体は、恵みを内側に閉じ込める閉鎖的な家族ではありませんでした。この共同体の互いに支えあう豊かな交わりは外にあふれ出ていき、イエスと聖霊とが世に派遣されました。貧しくても喜びを持って暮らしているアジアの家族の笑顔を見るたびに、御父(真実)と他の人々との健やかな交わりが人間の命であることに気づかされます。体の命で終わってしまう命ではなく、御父と隣人に開かれた命にイエスは生きています。イエスはいつも日中の活動が始まる前に「アッバ父よ!」と祈り始め、「あなたは私の愛する子」という御父の声に信頼して歩んでいきました。この人間を内側から生かす力に支えられて、イエスは宣教活動を続けています。御言葉と祈りと共に、弱っているところからケアしていく関わりを大切にして歩みましょう。健やかで確かな関わりから溢れ出たものに支えられるなら、「走っても弱ることがなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:31)からです。
教会委員会報告(4月19日)
WYD(world youth day世界青年の日)第23回「世界青年の日」が今年は7月15日から20日にかけてシドニーにおいて開催されるが、日本でも下記の通り国内版を開催することになり参加者を募集している。
日程:8月14日(木)〜17日(日)
会場:星美ホーム山中林間寮
費用:1万8000円
参加資格:18歳〜35歳の青年男女
定員200名、申込み締め切り6月30日
入場ワッペン(無料)の申込みを受け付ける。但し交通、宿泊に関しては各自手配。教区公式巡礼団および旅行社が手配するセット旅行も企画されている。この場合は個人的にワッペンを取得する必要はない。
信徒、修道者、司祭による宿泊交流会(5月、11月)他多数準備されている(詳しくは各教会委員まで)。
エレベータ定期改修(発注済み)と樹木剪定及び消防署からの指摘のあったベランダ避難梯子更新について実施を承認した
アスベスト除去作業については再見積もりが確定した時点で再度委員会で審議する
センターホールトイレ改修は、来年2〜3月実施を前提に設計中(1Fは全部女性用トイレとする)。聖堂トイレは、今年度中は着手しない
防水工事、修繕工事が必要となっている聖堂の補修を2010年実施にむけて検討して行く
献堂50周年(2020年)にむけて司祭館とセンターホール分離によるセンター増床と司祭館(事務所を含む)の拡充を図る案が出され、別途検討チームの発足を提案された
4月20日9時半ミサ後。中央協列聖列福評議会事務局平林師による講演会。テーマは「現代に生きる殉教者のメッセージ」。列福式への献金箱を聖堂内に設置する。
聖園の施設として作り、管理運営は教区とする覚え書きをかわすことになり、目下作成中。
渡邉神父様はドミニコ会へ入会。5月11日(日)9時半ミサ後聖堂前庭で送別のティパーティを行う。祈りのカードと餞別は5月4日、11日に準備する。
委員を引き受け頂くよう、各方面にお声をかけている。10代の学生から30代及び外国コミュニティの方まで、それぞれグループ分けし今後ヒアリングしていく予定。
北1:4月10日の江戸殉教地巡礼は57名の参加を得て大成功のうちに終了。関係各位に感謝いたします。6月1日にバザーチームを立ち上げるので皆様のご協力をお願いいたします
北2:4月26日ブロック新人歓迎集会
藤沢:5月4日11時半〜13時新人歓迎会
教育:スカウトバザー5月18日。初聖体5月25日、目下準備中。4月27日東京教区インターナショナルデーに中高生参加
典礼:新任の岩間神父が典礼担当司祭となった。各ブロックで新しい典礼奉仕者をつのっていく
国際:国際ミサへむけての外国語の聖歌の練習が始まった。4月はベトナム、5月はフィリピン。5月11日は国際部朗読の日。外国人の緊急時に対応するための募金活動は、第2第3日曜日に限定せず行っていきたい旨要望があり、承認された
福祉:6月15日介護フォーラム。実際に介護に携わっている信者の方をパネリストとしておよびして体験談を語っていただき、福祉の人々が話し合っていく。各ブロックの参加をお待ちします
藤沢教会を離れるにあたって
司祭 渡邉
藤沢教会の皆さん、共に過ごした2年半、いろいろなことを皆さんと分かち合えたこと感謝します。
広報担当の方から、藤沢教会を離れるにあたっての挨拶をと頼まれましたが、先日鈴木神父様から発表があった通り、藤沢教会を離れるということが私が横浜教区からドミニコ会へ移ることと重なりました。司祭にとっての「第二の召し出し」という言い方があります。司祭になった後にもある、司祭として特にこのことに身を差し出し、専念していくようにとの召し出しのことです。そのことを思い巡らし、司教様はじめ幾人かの方々と話し合い、模索していく中、めぐりあい、開かれ、運ばれてきた次第です。そして、司教様の許可のもと、この度ドミニコ会に志願者として受け入れられることになり、これから正式にドミニコ会士となってゆくプロセスに入ります。
この場を借りて藤沢教会の皆さんばかりでなく、横浜教区の皆さん、神父様方、司教様にも感謝申し上げたいと思います。神学生のときを含めて20年間、受け入れ、支え、育ててくださったこと、感謝いたします。
まだこの新しい歩みは始まったばかりで多くを語れる状況にないのですが、横浜教区を離れるといっても、この広く豊かなカトリック教会の伝統のひとつに属しており、キリストさまにおける一致において、これからもみなさんと共にキリストさまの道を歩んでいけたらと願っています。
さようなら 渡邉神父様
福祉部 飯田
6ヶ月にわたるサバティカルを終えられ、藤沢教会に戻られるよう信徒内で切望されていた渡邉神父様が、ドミニコ会修道院の修道士として新たな道に進まれる事が発表されました。当教会にとりましては誠に残念な事ではありますが、信徒一同祝福をもってお送りするのが責務と思っております。
思い起こせば2年半前に初めての日本人司祭3人のおひとりとして、芒洋としたご容貌で赴任されて来た事が非常に印象的でした。外見とは裏腹にその包容力の広さから、早速福祉部のアドヴァイザーとして私達の活動を見守って頂き、時には適切な助言を送ってくさいました。私達信徒に必要な福祉活動「愛の証」の重要性を説いていただきました。また、福祉部が取り組んだ「心の病」の勉強会には、そのご経験からギャンブル依存リハビリ施設「ワンデー・ポート」の方々をご紹介下さり、患者の方々の切実な経験談を聞く講演会を成功裏に終える事が出来ました。本当に感謝の至りです。
その後福祉部では介護の問題に取り組んでおり、渡邉神父様の助言が更に必要になっただけに離任は残念でなりませんが、今迄のお教えを守り更に福祉活動を活発に実践する事が渡邉神父様への贈物と考えております。どうか新任地に於かれましても、私達に暖かい祝福を送って頂きたく心よりお願いいたします。
渡邉神父様とのお別れ
エルダーズの会
私達エルダーズのグループにとって渡邉神父様は本当に大きな存在でした。神父様には
どんな時でも必ず助けて下さるという安心感と希望を託すことが出来たように思えるからです。神父様エルダーズの会の皆の思いに一寸耳を傾けて下さいませ。
「秋にお別れ致しましてから、早くも半年近く経ち、そしてお戻りになりましても又お別れと思いますと少し悲しいのですが、それでも今度はご赴任先もわかり御動静も伝わって参りますでしょうと安心して居ります。この半年間の御休暇をどのようにお過ごしになりましたか大変興味をもって居ります。機会がおありでしたらお話し下さいませ。藤沢教会でのこの2年間、神父様はエルダーズの会にもお時間をさいて度々御参加下さり、私共も思うままに発言し楽しい時を過ごすことが出来ました。有難うございます。藤沢教会として日本山妙法寺お坊様方の平和行脚に協力し、共に平和を祈念しお宿とお食事を提供する行事がもう20年も続いておりますが、神父様はいつもご一緒に歩いて下さいました。『主の平和』をめざす立場で色々ご協力下さいましたことを心から感謝申し上げます。信徒に近い所に静かに立っておられ、一人ひとりに応えて行動して下さいましたことは、皆の大きな支えでした。また昨年千葉への巡礼旅行の折に鋸山で『私は登りが好きです!』と言われ、長身でさっさと登って行かれるお姿に接しました時には、ああ、やっぱりお若いなあ、力強いなあ・・・と感嘆いたしました。今後何処へいらっしゃいましても、お元気で渡邉神父様らしくお働きになりますようお祈り致しております。」
「公私とも大変お世話になり感謝しております。くれぐれも健康に留意されご活躍をお祈り申し上げます。」
「ワタナベ神父さま、ほんとに有難う。OBRIGADO!」(カタオカ、ヒサエダ)
「何処の教会に行かれても持ち前のバイタリティーで布教願います。」
「2年有余、大変お世話になりました。新しい場でのご活躍をお祈りします。」
「エルダーズの旅行もご一緒出来、楽しい思い出有難うございました。」
「神父様、沢山のあたたかさを有難うございました。また困った時、悲しい時、苦しい時、いえ、うれしい時、お話を聞いて下さいませ。有難うございました。」
江戸巡礼記
大庭 荒井
4月10日 参加者57名のロザリオの祈りで、江戸巡礼バスの旅はスタートしました。第一の目的地高輪教会は「殉教者の元后聖マリア」に捧げられています。札の辻の顕彰碑や江戸大殉教の図を目の当りにし「江戸の殉教者を讃える祈り」の一字一句を心して称え、ティエン神父司式のミサに与りました。札の辻殉教地跡は、ジョアン原主水を初め50名が火刑に処せられました。ビルの谷間の小高い丘に小さな石碑が残っています。江戸全体で2000人が殉教し「江戸の大殉教」と言われています。
リラ冷やビルの谷間の殉教地
次の訪問先は、有形文化財に登録されている神田教会です。聖フランシスコ・ザビエルに捧げられています。美しいステンドグラス、ザビエルの聖遺骨、切支丹の高札等々拝観に大忙しです。どこかヨーロッパの教会を思い出させます。教会の方々に見送られて一路浅草教会へ。聖パウロに捧げられた教会です。巡礼記念のスタンプを押して来ました。
桜蘂降る文字のうすれし殉教碑
もう10年も前のことですが、香港・マカオに吟行の旅をしました。今は亡き俳句の師が信者ではなかったのですが、ペトロ岐部に関心を持ち、かつてペトロ岐部が立ち寄ったというマカオの焼け残った聖堂の前面「ファサード」を皆で訪れました。そして今、待乳山公園の新鳥越村のペトロ岐部神父の殉教地跡に立ち胸が一ぱいになりました。
雨はげし殉教跡の残花かな
この度は、雨の中、スピーカーマイクを手に熱の入った高木先生の御説明と引率の八木京子先生のおかげで、実り多い巡礼の旅を賜りましたことに感謝致します。
ペトロ岐部と187殉教者―愛を証しした人々―
辻堂1区 鈴木 崇代
4月20日平林冬樹神父様(イエズス会)をお招きし「ペトロ岐部と187殉教者」についての講演会が開催されました。わずか1時間程でしたが、日本の殉教者たちの生き様が、現代に生きる私たちと縁遠いものではないこと、彼らの死に方よりも生き方の中にある
メッセージを聴くことにより、私たちの生き方が深められるとのお話でした。
188名の殉教地は日本全国に亘り、また全員が日本人です。父親・母親・子供の家族、低い身分の者、障害者、武士、町人と色々な人が含まれており殆どが信徒でした。激しい迫害の中にあって各地に「信徒の教会」が形成されていたことがわかります。
殉教とは何かを愛するために自分の何かを使うこと、苦しみの向こうに素晴らしい生命がある、神様と出会える素晴らしい場所がある、という希望を持って生きた人々の「証し」の姿が「殉教」であり、キリスト教が本来持っているDNAが殉教なのだ、とのことでした。
当時司祭の数は少なく、密かに巡回して来る司祭の役割はミサを捧げることと赦しの秘蹟を授けることだけでした。教会の建物は勿論無く、誰かの家や野原で集まっていた当時の信徒たちは、組長や惣親などの養成されたリーダーの下で「御聖体の組」「サンタマリアの組」「ミゼリコルディアの組」等の組を構成して信仰を深めていました。米沢では2千人から3千人の信徒がいましたが、信者であるかどうかを問わず身分を超えて助け合っていたことから、キリスト教信者は大切にされていました。殉教者の生き方は、時代を超えて司祭の減少と高齢化が進んでいる日本の教会に信仰共同体の在り方を示してくれています。
米沢のルイス甘糟右衛門とその家族、熊本の小笠原玄也・みや夫婦と子供たち、2つの家族共に両親が祈りを深め、子供たちに立派に信仰を伝えていました。彼らの示す生き方に対して、どちらの藩もキリスト教を禁じながらも最後まで出来る範囲で彼等を大切に扱ったことが、殉教者の遺言書を藩が保存していたことや残されている史料からわかります。
生月のガスパル西も教会のリーダーであり、既に列聖されている次男のトマス西を始めとする子供たちも皆教会のリーダーとなりました。平林神父様は「現代社会では親は親、息子は息子という考え方であることが多く、洗礼についても同じ様に思っている人が多いが、本当に大切な価値を子供に伝えることが親の役割である」と強調されました。幼い子供と共に火刑となった京都のテクラ橋本も、この親の役割を立派に果たした1人です。
ペトロ岐部やジュリアン中浦は親の信仰をしっかりと受取り、幾多の困難を乗越え司祭となった人たちです。人生50年といわれた時代に司祭は少なくなるばかりであったのにも拘らず、当時の日本では40歳以下での司祭叙階はありませんでした。リーダーとなる人はしっかりとした信仰を持っていることが必要で、その為の養成が行なわれていました。
ミサが無ければ私たち信徒は生きて行けません。司祭はミサを捧げ告白を聴くその為だけに司祭となり、隠れながらの命がけの人生でした。山中で餓死したと思われる司祭もいました。その様な司祭の霊性に支えられ、養成されたリーダーの下で多くの困難や迫害の嵐の中にあっても、日本の教会の信仰の灯は今に到るまで消えることなく続いているのです。
教会の母マリア
典礼部
新緑の萌える美しい5月、特にこの月を教会は「聖母マリアの月」としてマリアへの尊敬と愛を深め、その信心によって守りと御子への取り次ぎを願います。
イエスの母マリアは「聖母」と呼ばれ、教会の初めからずっと特別の信頼と親しみをもって崇敬されてきました。それはマリアがイエスと共にいて、最も忠実な理解者であり、祈りをもって彼の宣教活動に伴い、最後には十字架のもとで苦しみを共にして、神の救いの業に徹底的に参加したからです。
福音書は、マリアが処女として「聖霊によって」身ごもったとし(マタイ1:18〜25、ルカ1:26〜38)、古代以来の代表的信条も「おとめマリアから生まれ」として処女懐胎を信じてきました。また、「聖霊があなたに下り、いと高きかた(神)の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ1:35)といわれています。そのため、「神の母」がエフェゾ公会議(431年)以来、マリアの公の称号となりました。
マリアはキリストによって救われた者の代表的存在であるので、キリストに結ばれ、キリストの救いにあずかる人々の集いである教会を象徴しています。
福音書では、十字架の上からイエスは弟子に向って「見なさい。あなたの母です」(ヨハネ19:26〜27)といわれ、聖母を「教会の母」として与えたことを示唆しています。また、聖霊降臨の直前、「弟子たちは皆、婦人たちや、イエズスの母マリア、およびイエズスの兄弟たちとともに、心を合わせてひたすら祈っていた」(使徒言行録1:14)とあり、聖霊を受ける教会の中心にマリアがいます。
第二バチカン公会議においては「教会憲章」の最後の章でマリアの役割が取り扱われています。この章はマリアを「教会の母」として救済史の中に位置づけ、来るべきこの世の終わりにおける教会の姿を指し示す予表として位置づけています。
マリアはキリストによって救われた者の代表的存在で、教会はこのことをマリアに関する二つの教義で示しました。
この教義は、マリアがその存在の初めから原罪の汚れととがを一切受けておられな かったという教えです。キリストがこの原罪を取り除く救いをもたらされた方であるならば、マリアはキリストの救いにもっとも完全な形であずかった者であるといえます。お告げでは、「おめでとう、恵まれたかた」(ルカ1:28)とあいさつされ、神がともにおられるという恵みが、特別にマリアに与えらたとして祝福されています。また「おことばどおり、この身になりますように」(同1:38)と答えて、神のご意志に完全に従っています。
「マリアが、その地上の生活を終わった後、肉親と霊魂とともに天の栄光にあげられたこと」(教皇ピオ十二世)を教えています。つまりマリアは復活の恵みを受け、キリストを通しての神における人間の完成に到達したことを確信をもって宣言しているのです。
この二つの教義は、マリアが存在の初めから神の救いに与って神と一致し、その生涯と死を通しのちの完成に至ったということ、そしてそれは人類に対するキリストの救いのわざのもっとも完全で典型的な現れであるということを示しています。
教会は、マリアへのさまざまな信心を認め、その取り次ぎを願うことを勧めています。「聖母マリアへの祈り」や「ロザリオ」などの祈りがあり、ルルドやファティマなどの巡礼地もあります。神とキリストにもっとも近い方であり、同時にわたしたちに近い方だからです。教会憲章62には、「マリアは天にあげられた後も、・・・数々の取り次ぎによって、われわれに永遠の救いのたまものを得させる」と書かれています。しかし、同60では「使徒のことばによれば、われわれの仲介者はただひとりである。すなわち"神は唯一であり、神と人間との仲介者も唯ひとり、すなわち、すべての人のためのあがないとして自身を与えた人間キリスト・イエスである"(1テモテ2:5〜6)」とし、極端なマリア中心の信仰を戒めています。(同67)マリアは救い主ではなく、救われた第一の人間だからです。
マリアは、すべての創られたものの内、最も優れた方です。マリアは神の恵みに対して完全に応えられた方です。それゆえ私たちもマリアと共に神の栄光を賛美し、その救いの恵みに感謝しましょう。
国際部 キム ティエ
ベトナムの私の家の向かい側に大きな教会がありました。毎朝4時30分、それから夕方5時にミサがあります。私は毎日ミサに行きました。初めは、本当はお母さんのために行きました。そのうち不思議なことに、私自身が本当に行きたくなりました。今考えると、ベトナムでの生活は現在よりも大変でした。けれども、毎日ミサに出席できて良かったと思います。夕方のミサが始まる前に、子供たちは初聖体の準備や聖霊を受けるための勉強をします。今、私は藤沢教会にいる子供たちのために、日曜学校で教えることができるのでとてもうれしく思います。
ベトナムの教会の中に小さなお庭がありました。そこには噴水があり、いつも美しい花が咲いていました。皆がそれぞれマリア様の前でお祈りをします。時々集まってロザリオを唱えます。特に試験の時や悩みごとがある時、マリア様のところへ行きました。そしてうれしかった時もマリア様に感謝するために行きました。時々お花や献金をもって行きます。マリア様は本当に皆の良い友だちですよ。
今、日本でも私は悩みがある時やさびしい時に教会に行って、マリア様のところでお祈りします。帰る時、私の心はいつも平安になります。
5年 亜美
5月のマリア様の月に私の通っている清泉小学校では、良い行いを沢山してその実行をマリア様におささげしています。たとえば、こまっている方がいらしたら、「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてさしあげたり、下級生がわからない事があれば、やさしく教えてさしあげています。5月は学校中がいつも以上に善意の和であふれていて、私はマリア様の月が大好きです。
もし、このような活動を、世界中の人々がマリア様の月に実行したら、どんなにすばらしいことでしょう。私たちの小さな心がけによって、まわりの人が幸せになるなんて、とてもすばらしいことだと思います。私たちのお母様でいらっしゃるマリア様をお喜ばせするために、どんな小さな親切でも、心がけていきたいとおもいます。
5年 あゆみ
私の洗礼名は、マリア・インマクラータです。「無原罪の聖マリア」という意味です。12月の聖人はマリア様で、私は12月生まれだから、その洗礼名にしたそうです。私はその洗礼名を聞いた時や、マリア様の事をよりくわしく知った時、とてもうれしかったです。うれしくなった時には「マリア様の事をもっと知りたい!」と思うようになりました。
私は何か神様にお願いがある時に、たまにマリア様にお祈りする事があります。イエス様にお願いしていただくためです。マリア様はやさしいから、それが正しいなら何でもお願いして下さいます。私は、マリア様に会ってみたいと思いました。マリア様のような、清らかな心になりたいです。
5年 美沙
私は、2年前のご復活の日に洗礼を受けました。洗礼名はマリアです。なぜ、マリアにしたかというと、マリア様のようにやさしい、心のきれいな人になりたいからです。お母さんが沢山、洗礼名を教えてくれましたが、マリアが良いと言ってマリアになったのです。たとえ、どんなにつらい事があったとしても、どんなに苦しい事があっても、マリア様は絶対にあきらめなかったと思います。私も、そのように何があってもあきらめたくないからです。マリア様のように強くてやさしくなりたいです。そして周りの人を助けてあげたいです。
私はマリア様のように強くなります。やさしくなります。マリア様のように神様を信じます。
鈴木神父の川柳(2)
編集部編
前号でご紹介した、鈴木神父が川柳を詠まれた日の福音のお話を思い出しましたか?では福音の出典箇所と福音の一部のみことばをご紹介します。
忘れてた神さま来るの忘れてた
「マルコ13・33-37」(気をつけて、目を覚ましていなさい。・・)
千年を一日のごとく神を待つ
「マルコ1・1-8」(主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。)
千年を一日のごとく待てるかな
おいお前となりにいるのはもしかして
「ヨハネ1・6-8,19-28」(あなたがたの中には、あなたの知らない方がおられる)
本号では2005年(B年)に詠まれた残りの川柳を、福音の出典箇所と共にご紹介します。同じ日に複数詠まれたものもあります。また出典箇所の引用が難しい句もありました。
11/30
呼びかけのことばに宿る主の力
「マタイ7・21,24-27」(わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者が皆、天国に入るわけではない)
12/2
幼子の心と書いて何と読む
「マタイ9・27-31」(「わたしにできると信じるのか」・・二人は「はい、主よ」と言った)
12/8
今日もまた委せられずに負かされた(聖母の祝日)
「ルカ1・26-38」(お言葉のとおり、この身に成りますように)
めでたきは毛が(怪我)なく妻なく文句なし(池田師金祝あいさつ)
12/13
委せても委せきれない今日のぼく
委せても委せられずに今日も行く
「マタイ21・28-32」(あなたたちは彼(ヨハネ)を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じた)
12/23
こんなはずじゃなかったけれどもまあいいか(マリアの苦労)
荷は軽いまったく神さまよく言うよ「ルカ1・57-66」
信じなきゃ始まらないよ何事も(クリスマス)
12/24
クリスマスどうしてしるしは小さいの(クリスマス)
「ルカ1・67-79」
(文責:益満)