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八 角 形 に ゅ ー す

2008年6月1日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

名言と聖霊の風・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木

教会委員会報告(5月17日)

第5地区春の合同遠足

藤沢ブロック新人歓迎会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 堀田

鎌倉の殉教者遺跡めぐりに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 重野

教会庭の美化作業報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 レオ爺

「美術と音楽で知るキリスト教」講座・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 家田

インターナショナルデーに参加して

典礼歴における「年間」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

観想的祈りと中国・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 丸山

鈴木神父の川柳(3)

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名言と聖霊の風
司祭 鈴木

先月、渡辺神父様のお別れのミサがあり、久し振りに彼のお説教を耳にしました。その中で、脳梗塞で倒れたおじさんの話は印象的でした。「生命は俺のものというより神様からお預かりしているものだ。俺のものなんて罪ぐらいのものだ。お返しすることを恐がることはない」と言うおじさんの姿に聖霊の風が吹いたように感じたということでした。誰にも人生のどこかで吐く名言があるのでしょうね。心に暖かいものを伝えてくれる力が聖霊の働きというものなのでしょうね。

「天声人語」に月夜の詩人と呼ばれた吉川行雄の作品の一つが紹介されていました。

 月のらんぷに うっすらと 
 雲のカーテン ひかれます。
 いちごばたけの いちごには、
 霧のミルクを そえましょか・・・

心療内科医の永田勝太郎さんが筋肉が萎縮して力が抜けていく病気で寝たきりになり、絶望して、故ビクトル・フランクル先生(精神科医)の奥さんに出した手紙に返事が来たそうです。「彼がいつも言っていた言葉を贈ります」といって書いてくれたのが、<人生は誰しも心のなかにアウシュビッツ(生死を分かつような苦悩)を持っている。でもあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない>

私が絵を描き続けても一流の画家になどなれないのに描き続ける意味があるのかと考えていたとき、元東大総長の有馬先生のコラム記事を新聞で読みました。「北欧の画家達の展覧会を観たが、知っている画家はムンクぐらいだった。他の名もない画家たちは何の意味があったのだろうと考えたとき気づいたことは、この人達がいたおかげで、多くの人々が絵を観る機会を持ち、その中から新しい時代を画す大画家が産まれてくることにつながっていたのだと」

いつ、どこで人の心に響くよい言葉を発しているかわかりませんよ。大体「良いことを言った」と思っているようなときは、力が入っていて思うほど響かないようです。やはり聖霊はご自分の思いのままに吹く方のようです。



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教会委員会報告(5月17日)

1.第5地区共同宣教司牧委員会

4月20日大船教会にて上記委員会が開かれ、藤沢教会から鈴木神父と浮田委員長が出席。地区によって偏りがある司祭の配置であるが、教区からではなく第5地区から具体的なビジョンをもって発言してゆくことが大切。現在7小教区に10人の司祭がいる第5地区であるが、これを例えば普段司祭が常駐しない小教区をつくり、拠点教会から派遣される形式にする事などを視野に入れて今後話し合いを進めていく。今年の3つの課題である「祈る」「伝える」「証しする」とも関連させて議論する。「祈る力を育てる」についてのアンケートは浮田委員長が4月末にまとめて上記委員会に提出した。

2.教会建物整備関連

司祭館、聖堂等今後想定される大規模な建物整備関連の検討委員会は運営委員会が兼務する。エレベーター補修、庭木剪定は完了。アスベスト除去工事の見積もりはまだ出ないので報告は6月を予定。センタートイレ改修は設計依頼中

3.募集

  1. WYD(ワールドユースデイ、8月14日から17日於山中湖、18歳から35歳男女対象、国籍不問)への参加を積極的に呼びかけていく

  2. 殉教者列福式は入場ワッペンを藤沢教会から40数枚担当教会に申込み完了

  3. 2008年度神奈川県共同宣教司牧研修会はカトリック入門短期講座指導者養成コースと聖書の分かちあいリーダー養成コースの2つが申込み受付中

4.合葬の園

合葬の園建設委員会(仮称)の立ち上げ。現在建築確認書類準備段階。

5.初めて教会へ来られた方のための教会案内小冊子

9月完成を目標に旧版の小冊子や近隣教会の冊子等を参考に作成していく。主担当は広報部

6.災害義援金(ミャンマー、中国)

ミャンマーサイクロン災害、中国大地震災害救援として5月末から6月初旬にかけて募金箱設置予定

<ブロック、活動部報告>

(北1、北2)10月19日開催予定のバザーにむけて、北ブロック全体で6月1日バザーチーム立ち上げの会。6月28日(土)10時から15時まで黙想会(北1ブロック主催)、聖園本部修道院にて、指導司祭は高野神父、他ブロックの方も参加募集中

(辻堂)6月8日(日)平塚教会訪問、テハン神父司式9時半ミサに与りその後「歓談茶会」で交流。他ブロックの方も参加募集中

(藤沢)7月18日(金)全体によびかけて平塚教会へ遠足。10時ミサ後ミニ黙想会

(教育)4月27日(日)日曜学校は40人の子供たちが第5地区交流会(於栄光学園)に参加。ティエン神父司式による野外ミサ、ミニ運動会が行われた

(典礼)7月13日9時半ミサ後、先唱者と朗読者研修会

(国際)国際ミサにむけての聖歌練習は順調にすすんでいるが外国人コミュニティも日本語の聖歌を練習していく

(宣教)6月29日(日)9時半ミサ後宣教フォーラム開催、テーマは「神が選んだ器」11時から15時、グループ分かちあい。軽食付き費用は500円

(福祉)6月15日(日)9時半ミサ後介護フォーラム開催



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第5地区春の合同遠足

4月27日(日)栄光学園にて、昨年度発足いたしました「第五地区教会学校リーダーの会」の企画で7教会が参加しての第1回春の合同遠足が行われました。藤沢教会からは子供40名、大人(司祭・保護者・リーダー・中高生・学生)20名の参加があり、全体として約140名の子供たちと約130名の大人が、シスター、神学生と共に、ティエン神父様司式の野外ミサにあずかり、ミニ運動会を行い、楽しい1日をすごしました。

2年 りんたろう

日曜学校のえん足にいきました。まえの日、ぼくは「あしたお天気になりますように」とおいのりしたら、本当によいお天気になりました。いろいろな教会のお友だちができてよかったです。ぼくは、いちばんリレーがたのしかったです。はじめてのや外ミサは、ふじさわ教会のごミサとはちがったかんじがしました。みんなでたべたおべんとうはとくべつおいしかったです。たのしい一日でした。

4年 恵南

わたしは、教会の日曜学校のミニ運動会にいきました。運動会は、ふじさわ教会の子  どもたちだけでなく、かたせ教会や雪ノ下教会の子どもたち、シスター、神父さままでさんかしました。子どもたちの中で、学校のお友達がいてよかったです。なので、ティエン神父さまもさんかしました。わたしが運動会で知ったのは、「アブラハムには7人の子がいる」ということを聞いたことがありましたが、本当は8人の子がいるということです。おいのりをしてから運動会を始めました。

さいしょにやったのは、ペアを作ってフラフープの中に入り、いっしょに走るゲームです。わたしは日曜学校に初めて入った1年生のお世話をしていたので、その子といっしょに走りました。「よーい。ピー」わたしと1年生の子は、思ったより早く走りました。そのつぎはパン食いきょう走をしました。うれしかったことは、1位になれたからです。あと、おもしろかったゲームは、紙に書いてあるものを客席から見つけてゴールまで走っていくゲームです。紙には「ペットボトル」と書いてありました。わたしたちはとっさに目の前にあるペットボトルをつかんで走りました。おかげで1位になれました。つぎは、おぼんの上にふうせんをのせて走るゲームです。わたしたちは1回落としてしまいましたが、なんとかゴールにつきました。このゲームはむずかしかったです。最後はきんちょうするリレーです。ピンチなのは白チームとむらさきチームが、今のところ同点なのです。わたしは一年生の子と「むらさきチームがぜったい勝つ」とちかいました。とうとうわたしの番がきました。わたしの前にいた子がバトンをもって近づいてきました。わたしはバトンを受け取ったあとに一生けん命走りました。だんだんつぎの子の所に近づいてきました。バトンをわたした後に気がぬけてしまいました。けれどすぐにおうえんしました。そしてアンカーが走りました。「ゴール」、なんとむらさきチームが1位になったのです。ほかのチームもおうえんしました。シスターやリーダーたちも走ったりしました。最後の最後は、結果発表です。わたしは手と手を合わせていのりました。「ゆうしょうは…むらさきチーム!」わたしはおおよろこびしました。みんながんばったと思います。また今度もすばらしい天気で運動会をしたいです。



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藤沢ブロック新人歓迎会に参加して
藤沢1区 堀田

去る5月4日(日)に藤沢ブロックの新人歓迎会が行われました。2人の受洗者、1人の転入者をお迎えして、3人の神父様にもご出席頂いて、全部で56人の参加となりました。テーブルの上には、1区の連絡員さんが中心になって準備してくださったお弁当、お吸い物、柏餅、お菓子、差し入れの筍の煮物等が、手作りマットの上にきれいに並べられて、かわいいお花も飾られていました。ブロック長さんのお話、教会委員会の報告に次いで、新入者の方のご紹介とご挨拶がありました。皆様、にこやかにご挨拶くださいました。同じ地区といってもなかなかお顔をあわせることもありません。このような機会にお互いに顔見知りになることは、とても大切なことだと思いました。

お祈りの後、美味しい昼食を頂きました。手作りのお吸い物、筍の煮物もとても美味しく、ワインもあり、なごやかな食事のひとときとなりました。食事が終わる頃、岩間神父様のお話がありました。自己紹介に加えて、今までの神父様の歩みを簡単にお話くださいました。 その後はお楽しみタイム。ハーモニカの演奏、聖者の行進の余興、手品、鈴木神父の歌と続きました。ハーモニカを吹いてくださった小倉さんはとてもお若くお上手で、80才を超えてらっしゃる・・とおっしゃいましたが、とてもそんな風には見えませんでした。聖者の行進は替え歌で、お茶碗とお椀を持っての余興でした。私も参加しましたので、コメントは差し控えます(笑)。手品はお馴染みの小野さんに、他の地区から飯田さんもいらしてくださって、得意の手品をご披露くださいました。お二人とも手品の腕前もさることながら、話術が巧みで、皆を大いに笑わせてくださいました。そして、ピアノに合わせての鈴木神父様の歌はとても素晴らしく、聴き惚れてしまいました。最後に、ピアノの伴奏に合わせて全員で「アーメンハレルヤ」と「花」を歌い、お開きとなりました。この日ピアノを弾いてくださった方は信者さんではなかったのですが、連休の最中にわざわざお時間を割いてくださったそうで、有り難いことです。

あっという間に時間は経ちましたが、地区の皆様と美味しい食事を共にして、大いに笑って、楽しいひとときを過ごさせて頂きました。この心温まる会を準備してくださったブロック長、連絡員の皆様、お手伝いの皆様、余興で盛り上げてくださった皆様に心から感謝申し上げます。



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鎌倉の殉教者遺跡めぐりに参加して
藤沢2区 重野

まあ、5月8日はそれまで続いた不順な天候がうそのような、ピクニック日和のお天気になりました。今シーズン初めて日傘をさしました。高木先生のお話を伺いながら、新緑の鎌倉の美しさも満喫できて、充実した1日でした。

先生はすらすらと年代も交えて解説してくださり、その博学さには驚嘆しました。先生の頭の中にはどのくらい知識が詰まっているのでしょう。私は洗礼を受けたばかりで、教会に知り合いのかたが少ないのですが、参加させていただいて良かったと心から思いました。今回の参加者が12人というのも、お顔を覚えるのにちょうど良く、皆様とお話できてうれしかったです。がんばってお名前も覚えさせていただきましたので、朝ミサでまたお会いできる楽しみができました。

それにしても、キリシタン迫害から逃れて、鎌倉の地で殉教した方も尊いですが、転びキリシタンになった方々も辛く勇気のいることであったろうと感じ入りました。その人たちがいたから、その思いが今も教えとして伝わっているのでしょう。当時の事情から、その方たちのお墓が残っていないのは、悲しく、哀れを感じます。

お昼は雪ノ下教会のホールでいただきました。皆様は自己紹介で自然と暖かな分かち合いができていて、お人柄や信仰の深さが感じ取れました。私は皆様の優しさに包まれながらも、まだまだ心を開けませんでしたがいつかそうなりたいです。江ノ電を途中下車しながら、キリシタン村跡地などを歩き、JR鎌倉駅から北鎌倉まで行き、転びキリシタンゆかりのお寺など訪ねましたが、皆様の健脚ぶりには驚きました。70代、80代の方もいらっしゃったのに、朝10時から3時ごろまでお昼を除いて、ほとんど歩きどおしだったのですからすごいパワーですね。また植物についても皆様、造詣が深く、楽しく勉強させていただきました。再び機会があったらぜひ参加させてくださいね



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教会庭の美化作業報告
鵠沼3区 レオ爺

4月22日から28日まで、雨で中2日を休んで、造園業者による教会庭の美化作業が実施されました。主な作業は8本のサクラを整姿剪定し、カイズカイブキの19本を間引き除去し、23本を剪定したことでした。

サクラは上にも横にも伸びすぎて隣接建物に接触するようになり、垂れ下がった枝葉のために、正面からも、江ノ電の車窓からも聖堂が見えなくなり、サクラの下にある花木も日陰になって花が殆ど咲かなくなったからです。

カイズカイブキは、ご存知、聖堂が山の上から現在地に移設された時、井阪様からご寄贈戴いたものです。その後順調に伸びたので、東道路側にあったヒマラヤスギとイチョウも除去しましたが、さらに伸びて電線や街灯も抱え込むほどになったので、リラ駐車場側の一部も含めて今回の処置をすることになったものです。

美化作業の結果は、レオの予想以上に良くできたと思います。むしろ手を打つのが遅かったと反省しています。近所の方たちからも、「街灯が明るくなって夜道も安心でき、教会の建物が見えるようになって身近に感じるようになりました」と、総務部長や交通整理にあたったレオにお話があったそうです。

大仕事でしたが、作業期間中事故もなく怪我人も出なかったのは何よりでした。また皆さんには、駐車禁止にご協力いただき有難うございました。クレーン車も駆使しての高所作業は、通行にも危険をともなう上に、数人の庭師さんたちに、気持ちよく、効率よく作業を進めてもらうためにもやむを得ないことでした。

それでも駐車禁止無視の信者が数名見られたのは残念でした。教会に駐車できるということは信者の特権ではなく、利用させてもらえる度に感謝すべきお恵みだろうと思うのですが。



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「美術と音楽で知るキリスト教」講座
藤沢2区 家田

去年6月から12月まで16回おこなった当キリスト教講座のきっかけには次のようなことがありました。キリスト教講座の世話人として働く故窪田さんの福音宣教に情熱を注いでおられた姿に心打たれるものがあり、私自身が何かお手伝いできることがあればと、「美術と音楽を通してキリスト教を知る講座」を提案しました。窪田さんはぜひお願いしますと、積極的に賛成してくださり、色々な準備立てをしてくださいました。しかも、ご自身もこの講座の担当者としてさまざまの協力を惜しまず、奥原さんをアシスタントとして迎え3人体制で講座が開かれました。時期的に遅く始まったので適当な部屋が無く202室でささやか15名定員で始まりました。今年も昨年と同じ内容で始めています。センターホールで、定員も30名程度です。4月と5月で3回を経たことになります。参加者の皆様が受付とか資料配布、会場設営など積極的に協力してくださり、皆で作る講座の感を呈しています。

この講座が意図するところは何か、一言でいえば「美術と音楽で知るキリスト教」ですが、キリスト教美術や音楽の素晴らしさを知り、キリスト教の信仰の深い内容に触れるということです。キリスト教の文化的表現には、聖書、神学、典礼、芸術、生活、社会の六つの表現があります。この講座では、このうち美術と音楽の領域で見事にキリスト教が表現されているものを取り上げています。16回のテーマのなかで、例えば「キリストの生涯」「教会暦について」「ロマネスクとゴシック大聖堂」などでは、キリスト教のヴィジョン(全体像)を具体的に知ることが出来るものがあります。あるいは「ミサ曲における神のイメージ」「最後の晩餐とミサ」「モーツアルトの宗教曲」などでは、典礼文の言葉がどのように表現されているかを知り、キリスト信仰の重要な部分を深く知ることに向けられた内容のテーマもあります。また、「水野源三の詩による賛美歌」「SPIRITUALS(黒人霊歌)」などキリスト教的希望に生きた人々の生々しい姿も見詰めます。これらのテーマをスライドやDVDおよびCDを使って映像や音響で具体的に感じ、受け止めて頂けるようにしています。これがこの講座のもう一つの特徴となっています。

この講座とは別に、待降節と四旬節の時期には3回の「特別講座」を予定しています。主題と内容は「待降節・降誕祭とヘンデルの《メサイア》」と「四旬節・復活祭とヘンデルの《メサイア》」および「キリストの十字架上の七つの言葉」です。これについては今回の申し込み以外の方にもご参加頂けるものです。あらためてご案内します。



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インターナショナルデーに参加して

年に一度、多国籍の人々が共にミサを捧げ、バザーなどの祭りを楽しむ催しが東京カテドラル関口教会で開かれました。当教会からも若者が参加し、その様子を知らせていただきました。

中学1年 山内

4月27日、大きな教会の中に入ると他の国の人が大勢集まっていました。黒人の人もいるし白人も、そして私たち日本人もいました。ミサは普段のミサとは違い、他の国の人も大勢いるので英語や色々な言葉で歌を歌ったり、聖書を読むときはその人の国の言葉で朗読されたりしました。ミサの雰囲気は明るく、心を楽しませてくれる、そんな気がしました。聖堂から外に出ると、他の国の食べ物がいっぱい売っていました。中には見たことがある食べ物もあるし、見たこともない食べ物もありました。ミサが終わって、イベントに来ている皆さんは陽気で、ちょっと怖そうな人は少ししかいない平和なところでした。ミサも食べ物も忘れられない思い出です。

高校1年 渡辺

4月27日、私たち中高生会はリーダーを含め9名で東京カテドラルにて行われたインターナショナルデーに参加してきました。カテドラルに着くと、早速模擬店がたくさん並んでいてとても賑やかな雰囲気でした。すれ違う人には外国の方もたくさんいました。中でも私が特に参加して印象に残ったのは、やはり国際ミサでした。様々な国の言葉で歌われた賛美歌、そして最後に皆で歌った「アーメンハレルヤ」は国の壁を超えての一体感がありとても感動的でした。信仰によるつながりの強さを感じることができました。お互いの異なる文化を理解し合い触れ合うことで、世界中に平和が広がっていけばいいなと思いました。



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典礼歴における「年間」
典礼部

カトリック教会は典礼暦上、5月11日の「聖霊降臨」の翌日から「年間」の周期に入りました(八角形にゅーす4月号参照)。教会では典礼暦にしたがって典礼や朗読の配分、祭服の色などが決まり、いま、毎日曜日の「聖書と典礼」は「年間第○○の主日」A年となっています。祭壇には復活のロウソクがありません。司祭の祭服も成長、希望、生命を表す緑に変わりました。

待降節、降誕節、四旬節、復活節以外の期間を「年間」と呼び、「年間」といわれる主日は年によって33週〜34週あります。「年間」は1月6日直後の主日の次にくる月曜日から始まって四旬節前の火曜日まで続き、いったん中断します。そして「聖霊降臨」の翌日からまた年間が再開し「王であるキリストの主日」で終了して「待降節」から新しい典礼暦が始まります。今年は11月23日(日)が年間第34主日(王であるキリストの主日)です。34週の場合は、四旬節の始まる週の直後の週から数えられ、33週の場合は聖霊降臨後の最初の週を一つ省いて数えることになっています。これは最後の2週間に割り当てられている終末に関する朗読箇所を待降節前に確保するためです。ですから、年間最後の週は第34週になります。

A年、B年、C年それぞれに異なった朗読配分があります。年間第2主日の福音はヨハネ福音書が朗読されますが、年間第3主日からの福音はA年にはマタイ福音書、B年にはマルコ福音書、C年にはルカ福音書が朗読され、イエスの宣教活動の主な場面を順に読んでいきます。これらの共観福音書とは違って、キリストの神秘を深く解き明かすヨハネ福音書は、復活節を中心とした季節や、重要な年間主日や、比較的短いマルコ福音書が朗読されるB年に配分されたりしています。重要な祝祭日はA年、B年、C年とも同じ箇所が読まれますが、基本的に3年周期の福音朗読配分を中心に、第一朗読(旧約聖書や使徒言行録)、第二朗読(使徒の手紙と黙示録)も3年毎に違う箇所が配分されていて、私たちが聖書に、より豊かに接することが出来るようになっています。このように年間の聖書朗読の箇所は、信者一人ひとりの生活が、聖書朗読を通して語られるキリストを中心に営まれ、深められていくことを願ってのものです。



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観想的祈りと中国
鵠沼1区 丸山

イエズス会のジョンストン神父と、4月13日より22日まで中国に行ってきた。帰ってまもなく、中国四川省を襲った未曾有の大地震の生々しい映像が連日報道されている。今回の旅で知り合った神父様達からも、犠牲者やその家族、被災者のために共に祈ってほしいとメールが届いている。中国の教会では、募金活動や支援活動が大規模に始まっている様子である。近くて遠い国といわれる中国であるが、共に力を合わせてこの難局を乗り越え、新しい日中の歴史が開かれることを切に祈りたいと思う。

今回の旅は、北京教区に隣接するXIANXIAN 教区で28名の公開教会(政府の宗教事務局の管轄下にある)の教区神父(修道会は存在しない)に観想的な祈りについて話すために行われた。仔細に書けないがお許しいただきたい。現地の神父たちは、当局の権限が強大だといいながらも、中国式に巧みに交渉に当たっておられる様子で、当局も時に片目をつぶってくれるようであった。

今の中国の課題のひとつは指導者養成員の不足であり、特に霊的指導者が少なく、体験を通した深い祈りの機会が極めて限られているということである。これは、1950年から70年代後半まで、文化大革命とその後の混乱から神学校が閉鎖されていたためであり、その結果30代から40代の司教も多く、70代から90代の司教との間の世代が全く欠けているためである。

その中国の教会に、ジョンストン神父の観想的な祈りを伝えることは大きな意味があることを説明したい。観想的な祈りとは聖書にある神秘主義のことで、心のうちにキリストが存在するようになり、「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテアの信徒への手紙2−20)というところまで私たちを導く。祈りは一般に推論的な祈り(記憶、理解、意思をもちいる)も、次第に沈黙の言葉のない観想的な祈りへ、さらに神秘的な祈りへと深まる。

ジョンストン神父は神秘主義を「経験による知識(智慧)であり、抽象的なものは何もない、リアリティ−の世界です」と言う。あの荘厳な「大きな喜び」が起きた頃の、初期キリスト教の聖霊の炎を私たちがいただけるように招かれるのである。そして望むものには、誰でも永遠の命、神の国がどのようなものであるかを具体的に、体験的に、このために私たちはこの世に生まれてきたのだと、理解させるものである。2000年前に起きたこの大きな喜びは単に遠い歴史上の出来事でなく、永久に続き、現在いつでも到達しうる事実であり、あの時と同じように今現在も起きていることを私たちに思い出させてくれるものである。それはアジアで言う「悟りへの道」である。そして喜ばしいことには、決して秘教的なものではなく、修道者ばかりでなく、ごく一般の人々がこの霊的な呼びかけを感じているのが今の時代の特徴であると言う。公会議後の神学に大きな影響を与えたカール・ラーナーも「将来のキリスト者は神秘家でなければならない」と述べている。

観想的な祈りに基づく信仰は、不毛な砂漠のような状況においてさえ、生きておられる神への生きた信仰を生きていけると言う。むしろ不条理の中でこそ、一層その炎は輝きを増すのである。今回お会いした神父様の中に、ご高齢で長く牢獄に入れられていた方がおられたが、牢獄の中でこの炎が確かに支えてくれたと思う。旅で大きな喜びであったことは、お会いした中国の神父達が恵まれない環境の中にあっても、「主の十字架のほかに誇るものがない」と言う如く、うちに燃える信仰をもたれていることを、共にする生活を通し感じられ、大きな慰めと励ましを戴けた。聖霊は地の表を変え、聖霊を受けた選ばれた人々は神の証人となるということを目にしたように思う。

中国の教会はたくさんの問題を抱えているが、現在目指しているものは、第一に貧しい人、弱い人に手を差し伸べること、第二は知識人のキリスト教への興味関心に答えていくことだという。この方向は正しいと思う。香港の湯漢司教が来日公演の時、個人的な考えとして、孔子、孟子の性善説と荀子の性悪説という中国の法哲学の話をされたことを読んだことがある。荀子(298BC〜238BC)は「人間は悪に向かう傾向がある」とし、これを制御するには法が不可欠であると説き、これが秦の始皇帝をはじめ中国の歴代統治者に多大な影響をあたえて今日にいたっていると言う。個人の独立は社会のためにならない。現代においてこの哲学が、マルキシズムを含むどんな西欧の哲学もしのぐ影響を、中国共産党の指導者に与えたといわれる。激動する社会にあって2000年前と同じく聖霊の炎に鼓舞され、愛の証をする中国教会の働きは、中国の社会を改新していくものになるように祈っていきたい。



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鈴木神父の川柳(3)

 今回は2006年(B年)初めから四旬節までに詠まれた句をご紹介します。

2006年

 1/1

祝福を信じて忘れる呑気者
祝福を信じて歩む幸せよ

「ルカ2・16-21」
(天使の話したとおりだったので、 神をあがめ、賛美し)

 1/15

呼ばれてる耳を澄ませば呼ばれてる

(第2主日)「ヨハネ1・35-42」
 (来なさい。そうすれば分かる)

 1/22

時が満ち私は生まれやがて死ぬ  

(第3主日)「マルコ1・14-20」
(時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい)

 2/5

信じたい解放されると信じたい
宣教に伴うしるしが見えるかい 

(第5主日)「マルコ1・29-39」
(イエスは・・大勢の人たちをいやし)

 2/12

祈るのは信じているのかいないのか
信仰は神にまかせる余裕だね
いつの日かみ旨のままにと祈れるか
神さまは泣く児と祈りに勝てるかな

(第6主日)「マルコ1・40-45」
(御心ならば、わたしを清くすることがおできになります)

 2/19

赦してと言えずガンバルキツクなる
愚かかな赦されるより癒されたい
赦されるこの嬉しさをわかるかな

(第7主日)「マルコ2・1-12」
(「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた)

 2/26

なぜなのか古いといわれて腹立てる

(第8主日)「マルコ2・18-22」
(だれも新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない)

 3/5

鏡見る信じるものの目だろうか

(四旬節第1主日)「マルコ1・12-15」
(時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい)

 3/12

十字架の先に救いがあるという

(四旬節第2主日)「マルコ9・2-10」
(人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない)

 4/2

一粒の麦よりえらいか俺達は

(四旬節第5主日)「ヨハネ12・20-33」
(一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ)



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