八 角 形 に ゅ ー す
2008年7月6日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
"Where have all the flowers gone?"・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ティエン
平塚教会巡礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 岩田
白河、米沢、猪苗代殉教地の旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 川辺
介護フォーラムに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 里原
ボランティア活動へのお誘い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部 前田
聖歌隊交歓会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 萩田
日野原先生講演「わたしとキリスト教」を聴いて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 緒方
新菊名教会の献堂まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村
鈴木神父の川柳(4)
"Where have all the flowers gone?"
―花*は皆どこに行ってしまったの?―
司祭 ティエン
世界青年の日(World Youth Day)が、7月15日〜20日オーストラリアのシドニーで開かれます。世界中からおよそ50万人の青年たちが集うと期待されています。青年たちは信仰のうちに巡礼を行い、神の愛と歓待を体験することができるでしょう。そして洗礼の召命、ミサにおけるご聖体の神秘、和解、そしてカトリック信仰の豊かさを再認識する機会を得るでしょう。今年のWYDのテーマは「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力をうける。そして私の証人となる。」(使徒言行録1:8)です。時々私は、WYDの何がこんなに多くの若者たちを惹きつけるのかと不思議に思います。 50万人の青年たちが1つの行事に参加することを想像できますか?それは、日本全国のカトリック信徒数よりも多い人数です。青年たちは休日を利用してそこへ行って楽しいのでしょうか?
私は2002年カナダのトロントで行われたWYDに参加しました。その時初めて世界の若者たちが教皇を非常に愛していることを目の当りにしました。彼らは、大きなテレビのスクリーンに映し出されたヨハネ・パウロII世を見ると大声で叫び泣いていました。ましてや、教皇が近くにいらっしゃれば、どんな反応を示すか想像がつくでしょう。彼らは教皇の名前を大声で呼び、一斉に「ヨハネ・パウロII世、いつまでもお元気で」と、言っていました。 彼らは、喜びにあふれ、生き生きして、教皇が座られた椅子をさわり、キスをして祈っていました。私は胸を打たれました。青年たちにとって、教皇はどうしてそんなに魅力があったのでしょうか?教皇だからということでしょうか?
私たちの共同体のことを考えてみましょう。教会には何故若者があまり来ないのでしょう?殆どの西欧諸国でも同じ現象が起こっています。若者たちはもはや教会に足を運ばなくなっています。どうしてなのか理由はわかりません。私は若い方たちに彼らの家に帰ってくるよう声を大にして提唱したいです。教会はあなたの家ですよ。そして、皆の家ですよ。また、若い人たちの地方離れも顕著です。彼らがどうして故郷を離れて、大都会や海外で働きたがるのかということも疑問に思います。彼らは家族を養うために都会に出て、お金を稼ぎたいのでしょうか?しかし、故郷を離れ、家族と離れて生活し、寂しい思いをしています。時には、支えも必要です。家族の人たちも寂しく思い、自分たちと一緒に生活できたらいいのにと思っています。
7月は青年たちのために祈りましょう。神様は彼らが必要な恵みと祝福を与えてくださいます。彼らが聖霊の力を頂き、キリストの証し人となることができますように。神様、私たちの祈りを通して、青年たちが神様に出会うことが出来ますように、一人一人を励まし、助けてください。(*花:若者たち)
教会委員会報告(6月21日)
@ このたびの送別に対し、ドミニコ会へ入会された渡辺神父より
A ペトロ岐部と187殉教者列福式への寄付に対し、日本カトリック司教協議会列聖列福特別委員会委員長溝部脩高松司教区司教より
集まった寄付金50万円は25万円ずつカリタスジャパンを通して届ける。現地にカリタスインターナショナルが入っているので確実な方法と思われる
鈴木神父からのメッセージ「若い人の居場所作りが必要。押しつけないこと、謙虚さをもって」をうけて、教会委員、青年層からなるプロジェクトチームが発足。中高生から30代未婚者を対象とした若い層の活性化をはかる。他教会の取り組みも参考にして行く
建築確認を取得するのが難しい昨今であるが、聖園の聖堂と合葬の園の建築確認をまとめて申請することで加藤設計士の協力の申し出があった。申請が出せるとわかった時点で本格的な設計をはじめる
司祭に恵まれた第5地区から他の司祭不足地区へ司祭を派遣することに対して各ブロックの意見を集約していく
アスベスト除去に関する最終見積もりはまだ出ていない(来月の教会委員会)女子トイレは目下設計段階、なるべく早目の着工を心がける。補聴器は難聴者用赤外線放送システムの導入に向けてテスト中。4セット準備し、モニター募集中。
福祉基金に関しては一般会計に戻し、そのうちの特別会計の中に福祉基金勘定を設ける。特別会計の中には建物修繕基金、宣教拠点のための基金が従来からあり、合葬の園関連も時期を待ってもうけて行く
従来土曜日に開かれていたが、外国籍信徒を考慮して今年は8月3日(日)17:00〜19:30に開催決定。
日 時:7月11日(金)17:30〜7月13日(日)15:00
場 所:イエズス会日本殉教者修道院(通称:鎌倉黙想の家)
参加費:14,000円(2泊6食)
指 導:イエズス会英神父およびCLCの信徒
問い合わせは0467-25-1616まで
キリスト教連絡会による平和の合同祈祷会が8月2日(土)に行われる。
8月3日今春叙階なさった谷脇神父の藤沢教会における初ミサが行われる
(北1)6月1日バザーチーム立ち上げ。36名の参加があった。目的、テーマは討議中。バザー世話人1名、窓口2名を選出していく
(北2)7月13日(日)、雨天の場合7月19日(土)「カヌーで遊びましょう」を開催。片瀬教会でミサにあずかり、そののち境川にて
(辻堂)6月4日平塚教会巡礼訪問、25名参加。テハン神父を交え懇談
(藤沢)7月18日(金)平塚教会へ遠足
(教育)日曜学校サマーキャンプを7月26日(土)〜7月28日(月)山中湖星美ホームにて中高生会、学生会と合同で開催予定。
(宣教)第5地区一粒会では毎年召し出しを求める祈りのリレーを行っている。今年は6月が藤沢教会が当番月だったのでミサ中、召し出しの共同祈願を行った
(典礼)7月13日(日)先唱者・朗読奉仕者の研修会
(福祉)6月15日の介護フォーラムに90名の参加を得たことに感謝。これからも継続的におこなっていきたい
(国際)国際ミサにむけての外国語の聖歌練習へのご協力に感謝。引続きのご協力をお願いしたい
5月25日(日)に22名のお子様が初聖体に預かりました。その感激をご紹介いたします。
3年 あさがお
よそうしていたごせいたいの味は、パンの味でした。神父さまは「どんなふうにわるのかな?」と思って見ていたら、パリパリッとふつうにわっていました。じっさいに食べてみたら、パンの味でした。日によって味が少しずつかわっていくと知ってびっくりしました。もっといっぱい食べて、神様がわたしたちのことを、いっぱい まもってくれるといいなと思っています。はつせいたいは、すごくきんちょうしたけど、ちいさな声でもへんじができてよかったです。
3年 のあ
日曜学校へ初めて行った日、ボクの教室がどこか教えてくれるやさしい人がリーダーでした。友達もできて、いつも楽しみながらみんなで色々なことを学んでいきました。初聖体に近づく一歩は、みんなでつみ重ねてふみ出す大きな一歩になりました。
いよいよ「ゆるしのひせき」です。「ゆるしのひせき」は、自分が悪いと思ったことを神父さまに伝え、神さまに心をこめて言うことがだいじです。ボクはその2日前に、本当に神さまに近づきたいのかという話しを、お父さんお母さんと考えました。 「ゆるしのひせき」の前には他にもじゅんびをしました。色々な悪いことを紙に書きました。書いたのに当日はきんちょうしてしまいました。
「初聖体」の日には白い服を着て行きました。さいしょはドキドキしました。でも神父さまや色々なリーダーが来てくれて、たくさんの人から「おめでとう」と言われて、うれしくなってきました。ぶじに終われたのも、みんながいたからです。ミサが終わったあと、みんなで参加したパーティーのときは、もう楽しかったです。ボクが初聖体の日にしゅくふくしてくれた人みんなに言いたいです。「ありがとうございました。」
3年 奈玲
わたしは、はつせいたいをうけました。前の日には、はつせいたいミサのリハーサルをしました。いよいよ本番の日がきました。朝8時集合でした。まずさいしょに、302号室でいしょうにきがえました。おひめさまみたいになりました。その日は雨がふっていたので、かさをさしてせいどうの前まで行きました。
ミサのと中、わたしはほうのうのかかりなので、きょう同きがんの時に、後ろの方に行って自分たちが持つ持物を持ちました。わたしはドキドキしてきました。前に行って、しん父様たちにホスチアをわたしました。「やった、大せいこう」と心の中で思いました。
そしていよいよこの時がきました。1年間このために勉強してきたごせいたいをいただきました。おん血をつけて食べました。びみょうな味でした。でも、おいしい気がしました。はつせいたいミサが終わるとパーティでした。わたしのお母さんや友だちのお母さんの手作りりょう理をたくさん食べました。わたしもみんなもたくさん食べてもり上がっていました。とても楽しかったしうれしかったです。
4年 理子
私は、初聖体がなんだか分かりませんでした。でも、とくべつ初聖体クラスで勉強してわかりました。初聖体とは、神様の体をいただくことです。初聖体がなんだか分かってから、いつもごミサで大人の方がもらっているパンが、どんな色でどんな形をしているかいつもそうぞうしていました。わたしがそうぞうしていたのは、白くて丸いグミのようなものでした。でもふつうのパンみたいでした。神様の体をいただいているんだな、と思うと、だんだんうれしくなってきました。神様の体をいただく事は、神様といっしょにいられる事です。だからわたしは、友だちと仲よく、人にやさしい人になろうと思います。
5年 雅樹
ぼくは、1月から5月まで、特別初聖体クラスで勉強して、やっと初聖体を受けました。初聖体の当日のミサで、少し緊張していました。特に、いちばん緊張したときは、奉納をやったときでした。いちばん後ろだったので、神父様の前に立っていました。初聖体を受けたとき、ご聖体の味はどういう味だろうと思っていました。聖体拝領のときが楽しみでした。なんとその日は、ぼくの誕生日でもあったので、より思い出に残る一日でした。
平塚教会巡礼
辻堂1区 岩田
辻堂ブロックでは、この時期に近隣教会を巡礼するのが恒例の行事になっています。 今年は6月8日に第6地区の平塚教会を訪問しました。藤沢教会からは25名が参加しましたが、たまたま港南教会からも二人の方がいらっしゃって、合同の巡礼となりました。
私たちが到着すると、聖堂の入り口でテハン神父様と平塚教会の方々が出迎えてくださり心温まるものを感じました。3年前に建てられた教会は、まだ木の香りが残る清々しい建物です。聖堂に入ると、祭壇は正面ではなく、右手奥のコーナーにあって部屋を斜めに使う、しゃれた配置になっていました。中は、やはり八角形の造りになっていて、天井にも小さな八角形の天窓があり、親しみを覚えました。この4月に赴任されたばかりのテハン神父様の子供ミサに与りました。藤沢で長い間宣教司牧をして下さった神父様のごミサで、皆様お一人お一人脳裏をよぎるものがあったことと思います。
ごミサの後は"パトリックホール"に移動して、懇親会と相成りました。当日は各部会が開かれる日だったそうですが、宣教、福祉、典礼部会の方々も参加してくださり、3つの教会の50名近くが、テハン神父様を囲んで歓談しました。神父様は挨拶の中で、藤沢教会のブロック制のことを紹介され、ブロック単位で大きな行事を行える力のあることについて話されました。私は他の教会のことをよく知りませんので、ブロック活動を当たり前のように思っていましたが、パワフルな我が教会のことを改めて知る思いでした。皆さん近くに座った方々とお菓子を頂きながら談笑されていらっしゃいましたが、私も隣り合わせた平塚の方といろいろお話しすることができました。その中で、第6地区の教会の様子をお聞きして思うところがありました。第6地区では、9教会のうち4教会が司祭不在とのこと、また、どの教会も主日のミサが月1回は集会祭儀になるそうです。どうしても小さい共同体から司祭不在になってしまうとのことでしたが、イエス様は小さきものを大切になさいます。こうした巡礼を通して、信者同志の交流を通して、お互いの共同体の情報を交換し、理解し、共有することは大切なことではないでしょうか?
話に花が咲いて、一時間ほどの懇親会を終わりました。 最初から最後まで、平塚教会の皆様の温かさをしみじみ感じた巡礼でした。皆様、ありがとうございました。
白河、米沢、猪苗代殉教地の旅
鵠沼1区 川辺
6月4〜5日、恒例になったエルダーズの「巡礼」(ついでに温泉を楽しむ旅)が行われました。今年はペトロ岐部と187殉教者列福の年でもありましたので、殉教者ゆかりの地をめぐる旅となりました。総勢25名のメンバーは、最長老の89歳になられた常連久枝氏をはじめ、所謂「後期高齢者」が多数参加されましたが、大事をとられて今年は参加を見送られた方もおられ、平均年齢72歳と予想をやや下回りました。
朝6時半にバスは藤沢を出発、最初の目的地、福島県白河市へと向かいました。予定通り11時前に白河に到着し、最初の訪問先白河のハリストス正教会に向かいました。1915年に建てられた現聖堂はロシアから贈られたイコンとともに県の重要文化財に指定されているとのこと。正面には明治の日本人イコン画家山下りんの画いたイコンがあります。正教会も信徒の高齢化と司祭不足の問題を抱え、125年以上続いたこの教会も、20世帯ほどの信者が月1回巡回してくる司祭の下で懸命に教会を守っているそうです。その後、白河のカトリック教会を訪れ、同行した鈴木神父様と白河教会の高橋神父様の司式によって殉教者を記念するミサが捧げられました。ミサ後高橋神父様も合流し南湖公園で昼食を取り、次いで石切り場の殉教地を訪れました。
その後バスは一路福島から栗子の峠を越えて米沢に向かいました。米沢では甘糟右衛門をはじめ多くの殉教者が処刑された北山原の刑場跡を訪れ、53人の殉教者を偲びました。そこから宿泊地の裏磐梯までは、厳しいつづら折りの峠越えの道でした。新緑の美しい白布峠を越えると、眼下には桧原湖が姿を見せました。12時間近くのバス旅を終え、午後6時ころ宿舎の国民休暇村に到着しました。温泉で一風呂浴びて美味しいバイキング料理とお酒を堪能した後は、翌朝に備えて早寝する人、今日の感想を分かち合う人、温泉を楽しむ人、カラオケに興じる人などそれぞれに時を過ごしました。
翌朝は雲ひとつない晴天で、磐梯山の雄姿が目の前に広がっていました。日の出とともに散策やスケッチ、写真撮影などに出かけた人も多かったようです。朝7時過ぎには曾原湖畔の自然の中で野外ミサを行い、その後朝食となりました。朝食をたっぷりいただいた後は五色沼の散策です。4キロ弱の山道を神秘的な色に輝く沼を見ながら巡ります。89歳の長老もゆっくりではありましたがしっかりと歩き通されました。帰路の途中で猪苗代町の土津神社脇の谷間にある殉教地バテレン塚を訪ね、森の中にひっそりと眠る殉教者たちに思いをはせました。そして猪苗代でご一緒してくださった高橋神父様と別れ、一路藤沢へ向けて走りました。
かなりきついスケジュールで高齢のグループであったにもかかわらず、どなたも具合が悪くならなかったのは感謝の限りです。それにしても宿舎のレストランで、エルダーズの皆様の食欲の旺盛なことには驚かされました。何回も料理をおかわりされていました。きっとこれがお元気な秘訣なのでしょう。亡きご主人の後を継いで、緻密な企画を立てていただいた八木さんはじめエルダーズのお世話係の方々、それぞれの殉教地にまつわる出来事をわかりやすく説明をしてくださった高木さん、さまざまな無理難題にも快く応じてくださり、安全かつ正確にバスを運転してくださったフジ交通の運転手さんなど、この巡礼の旅をすばらしいものにしてくださった皆さんに感謝いたします。
介護フォーラムに参加して
大庭 里原
6月15日(日)9:30ミサ後の介護フォーラムに、男性の方の積極的な参加を呼びかける福祉部長の一声に押され参加しました。以前、母が祖母と父の介護を同時に行っていたことがあり、介護は精神的にも体力的にも大変なエネルギーが要ることは理解していましたが、今日フォーラムに参加してあらためて、その時の母の苦労を思い出しました。
お話をいただいた4人のパネラーの方々は、福祉や介護に専門的に携わっている方であり、4人それぞれの立場から、これまでの体験を通して得られたとても貴重なお話を伺うことができました。その中で、印象に残ったことや感想を述べたいと思います。最初のパネラーの方が、「介護は、豊かな平和な国であって初めて成り立つ崇高な文化である。」このことを地域社会で支えていく必要があり、共同体として教会が奉仕の心でどのように関わっていくか大切である。というようなことを話されていましたが、その崇高な文化を営利に捉われないより質の高いものにしていく必要があると思います。地域包括支援センターに携わっている方から、支援センターが藤沢市に8ヶ所あり、様々な相談を受け付けているので、どこにあるのか、元気なうちに確認しておくことが必要であり、事前に介護サービスを提供している施設、事業者、病院などを調べておくことが大切であるとのお話がありました。また、訪問介護ヘルパーの方から、ある家庭を初めて訪れる時、他人が入ることに抵抗を感じることがあるが、2、3ヶ月すると家族的な雰囲気になり、心と心のふれあいを感じ、利用者から元気をもらうことがある。男性の方はヘルパーさんを世話してくれる人、仕事としての関わりしか見せず、なかなか心を開かない方がいるということを話されていましたが、男性の一人として、なるほどなぁと思い、反省させられました。
最後に社会福祉士の方が、「支え」の上手な見つけ方、つきあい方として、いくつかのポイントを丁寧に分かりやすく説明されました。福祉=介護というようなイメージを持っている人が多く、その分野の学生の応募が減っているとのことでした。まとめに、「神様はドアを閉められたら、窓を開けられる」とのことばをいただきましたが、すてきなことだなぁと思いました。心にも、どこか窓を開けておく必要があると感じます。今日のフォーラムに参加して、介護について考える時間をもてたことに感謝しています。介護にとって大切なことは、まずは心と心だなぁと感じました。
ボランティア活動へのお誘い
福祉部 前田
福祉部では、教会信徒の対外福祉ボランティア活動の一環として、老人介護施設「クローバー・デイケアセンター」での活動を2005年1月より実施し、既に3年6カ月を経過しました。
これらの活動は福祉施設の当事者は勿論ですが、利用者の方達にも大層歓ばれておりますことを、今迄ご協力を頂きました多数の方々、更に現在また今後もご活動予定の皆様にお伝えし、本誌上をお借りして心より厚く御礼申し上げます。福祉部としては、ご承知の通り、この活動は、本年4月より横浜教区にて実施されている3部門の一つである「神の愛を証しする力を育てる部門」(カトリック横浜教区報54号参照)として、今後共不断に継続して行きたい教会共同体の大切な活動と考えています。
ただ、実はお子様方が、幼→小→中→高→大→社会へと入・進学・卒業して行くように、私達グループも卒業生を補充する必要に迫られており、新しくご協力・ご支援下さる方々を求めています。福祉部掲示板の「お誘い文」をご覧頂いたりして、ご関心のある方々には、参考資料を差し上げたり、施設見学の案内も致しますので、私宛(電話 0466-25-7272)にご遠慮なくお申し出下さい。
ビーバー隊 琳太郎
5月18日、ぼくは、スカウトバザーにさんかしました。教会でのごミサのあと、バザーがありました。ビーバーたいでは、ひとりひとりが500円を持っておかいものをしました。ぼくは、その500円で、大すきなわたがしを何回もならんでかいました。お昼ごはんは、みんなで焼きそばをいただきました。とくべつおいしかったです。とてもたのしい一日でした。
カブ隊 瞭太郎
5月18日にスカウトバザーがありました。ぼく達はごミサに出た後、やきそばとフルーツポンチを販売しました。やきそばはあっという間に売り切れになってしまい、買えない人もたくさんいました。これにはぼくもビックリでした。フルーツポンチは最初なかなか売れませんでしたが、最後には全て売切れになりうれしかったです。
この日は、保土ヶ谷カトリック教会のガールスカウトの人たちも手伝いに来てくれて、知恵の輪やクラフトを教えてくれたり、歌を教えてくれたりしました。知恵の輪はなかなか解くことができないほどむずかしかったです。
色々なことが経験できて、とても楽しい一日でした。来年は、今年以上にたくさん売ってたくさん楽しみたいとおもいます。
ベンチャー隊 幸人
今年のスカウトバザーは天候に恵まれ、皆様の温かい支援によって品物も完売し、無事終えることができました。ご協力ありがとうございました。毎年経験していることですが、品物をお渡した後、「ありがとう」と言われると心があたたかくなります。藤沢教会の皆さんのあたたかさと神様の恵みだと思います。このような経験は私だけでなく、他のスカウトたちも味わっていることでしょう。
今回の売上はこの夏、岩手山で開催される「CBS(カトリックボーイスカウト)キャンポリー」の資金として有効に活用させていただきます。このキャンポリーで、スカウト達が仲間と出会い、自然に触れ、神様を賛美することによって一回り大きくなることができるようお祈り下さい。
聖歌隊交歓会に参加して
藤沢1区 萩田
52回目の湘南地区聖歌隊交歓会が、6月2日午後、茅ヶ崎教会でありました。私達は指揮者の堀部先生と混声24名で参加し「O Jesu Christe」「Tristis est anima mea」の2曲を歌いました。いつか藤沢教会の皆様にも聴いていただきたい曲です。
茅ヶ崎教会の聖堂は、とても音(声)が良く響き、大船、片瀬、菊名、茅ヶ崎、藤沢、山手、由比ガ浜、雪ノ下の各教会の聖歌隊が日頃の練習の成果を祈りと共に歌い、そして聴きました。今年1月に入れていただいた私は、聖歌隊の一員として交歓会に出るのは初めてでしたので教会ごとに特徴があって面白いとおもいましたが、歌う曲は異ってもみな神を賛美し感謝する心の一致が伝わり、私の心に穏やかな感動が広がりました。休憩の後、ベネディクション(聖体賛美式)がパウロ会の戸村神父さまの司式で行なわれました。
私の30数年の信者暦で2度目のことでしたが、日々いただいている「キリストの御体」を、私の命の糧として尚一層大切に、そしてありがたいことと感じました。また教会ごとではなく、全員がソプラノ、テノール、バス、アルトに分かれ、200人ちかい人が心をあわせた聖歌の歌声は本当にすばらしく、滅多にないような豪雨の中でしたが、教会の屋根を突き抜けて、私達の捧げものとして真直ぐ天に昇っていったように感じました。終了後は茅ヶ崎教会の方の"お心づくし"が山盛りの懇親会でした。
いつも私達を笑わせ、とても楽しくご指導くださる堀部先生と、来年の由比ガ浜教会へ行くのが今からたのしみです。
日野原重明先生講演「わたしとキリスト教」を聴いて
藤沢1区 緒方
6月8日、 日本キリスト教団藤沢教会主催により日野原先生の「わたしとキリスト教」講演が行われ、平和と愛について解りやすくお話しして下さいました。チケットが1週間で満席となり申し込んだ時にはキャンセル待ちでしたので、教会から返事を頂いてようやく入ることが出来、その喜びはひとしお強く心から感激致しました。と同時にキリスト教の素晴らしさも今更のように深く心に刻まれました。日本キリスト教団の聖歌隊によって「ガリラヤの風かおる丘」が合唱されると先生はすぐにヘンデルのハレルヤコーラスの一節を歌いハレルヤとは神への賛美であるとおっしゃいました。その声は朗々として96才には思えない響きでした。以下心に残った幾つかを要約致します。
韓国の若い青年留学生がJR大久保駅のホームで線路に落ちた日本人を救おうとして線路に飛び下りて犠牲となりました。とっさの愛の反射的行動であり、死をもってしても人に与えたことこそキリストの愛の精神であります。これによって日本と韓国の友好関係が深まり日本人の心を揺り動かしました。アメリカのブッシュ大統領は9.11のイラクによる爆撃に対して、ユダヤ教による「目には目」を引用して報復を叫びアフガン、イラクを攻撃し、テロは失くなるどころかロンドン、パリにそして世界中に拡大して戦争は終わらず多くの人が亡くなっています。キリストは「右の頬を打たれたら左の頬をさし出しなさい」と教えました。「戦争は絶対にあってはならない。私達は憲法九条を守るために国民投票が行われたら多くの人が参加して勇気ある行動を起こさなければならない。これは日本の存亡にかかっている。軍事費をもっと教育や福祉等にいろいろ使って武器をもってはいけない。」と強く主張されました。大江健三郎、井上ひさし等9人の著名人が発起人となって「九条を守る平和の会」が国中に広がっていますが、先生が痛切に訴えられるとその意志の強さと大切さがひしひしと心に滲みて参りました。
八角形ニュースの第195号の巻頭言に「人生誰しも心の中にアウシュビッツ(生死をわかつような苦悩)を持っている。でもあなたが人生に絶望しても人生はあなたに絶望しない」と素晴しい事が書いてあります。日本は戦争の悲劇、南京虐殺等戦争の惨害を過去のものとして水に流してしまおうとする。ドイツはアウシュビッツの罪を子孫に伝えて悔い改め、過去を克服しています。命は誰にも平等に与えられたものであり大切にしなければならない。思わず私は家に帰ってもう一度八角形ニュースを読み直してその言葉を反復致しました。
日野原先生のことは新聞「あるが儘を行く」やテレビを通じて良く観て共感し、尊敬して参りました。今日は生(なま)で先生の講演を聴く事が出来まして心から感謝と御礼を申し上げます。有難うございました。アーメン。
新菊名教会の献堂まで
善行 岡村
F氏が亡くなったと聞いてわたしはすぐその夜、菊名教会で行われた通夜に参列しました。もう30年近い前に、藤沢カトリック教会の聖歌隊でリーダーだったF氏のことは、知らない方が殆どでしょう。当時の教会は典礼刷新のため、典礼聖歌を信徒に広める活動をしていました。聖木曜日の中で行われる洗足式に唱える詞があり、歌うように薦められていましたが作曲はされていなかったのです。それを取り上げ作曲してくださったのが福井氏です。今も私たちはそれを歌っています。高田三郎氏の大和の捧げうた(ミサ曲)に合わせてそれはつくられました。
菊名教会に着いてすぐわたしは、それが、今年の6月6日に献堂されたと知りました。その夜、久し振りにお目にかかったKさんから早速、新菊名教会建設の資料が郵送されました。献堂までの準備が、信徒全体の話し合いではじまり、10年の歳月をかけて信徒の合意と計画が練られた次第を読んでわたしは、日本の教会の現在によくぞここまで行うことができたと、感動しました。その日は通夜でもあり、歩きまわって見ることもせずに帰宅しましたが、天幕を模したという聖堂の、祭壇を囲む横広がりの空間を心地よく感じました。昼間にもう一度訪れて見て回り確かめたいと思います。
しかし、3年前に藤沢教会で典礼のため試みられた聖堂内の配置で(それは未だに私たちに受け入れられていないのですが)言葉の典礼と感謝の典礼との間を、十字架と燭台を先頭にキリストが私たちの中を歩まれる動きをまじかに感じて、典礼の美しさを味わったわたしには、今一つ満たされない思いが残りました。設計者は板倉建築研究所在籍中に、イグナチオ教会建設にも参加しておられた方のようです。私たちの中を今もキリストが歩まれるというイメージを含めミサ聖祭の現代をどのように受けとめるかは、未だに私たち信徒が、日々世界の現代にどのように応えているかに関わる課題であると思います。
特別聖年「パウロ年」
典礼部
教皇ベネディクト16世は、使徒聖パウロの生誕2000年を記念して、2008年6月28日から2009年6月29日までの一年を、使徒パウロにささげる「特別聖年」とし「パウロ年」と定めました。
教皇様は「親愛なる兄弟姉妹の皆様、初めと同じように、今もキリストは、すすんで自らを犠牲にする使徒を必要としています。キリストは聖パウロと同じようなあかしと殉教を必要としています。パウロはキリスト教徒を厳しく迫害していたとき、ダマスコに向かう途中で神の光により目が見えなくなって地に倒れました。そしてためらうことなく、十字架につけられたかたの側につき、ただちにこのかたに従いました。パウロはキリストのために生き、キリストのために働きました。キリストのために苦しみ、キリストのために死にました。現代にあっても、パウロの模範はどれほど意味深いことでしょう」と。
聖堂前の掲示板に、「パウロ年」のポスターが貼られているのをご覧になりましたか?
パウロの霊性に導かれて学び、典礼・文化行事を行い、教会一致を促進するように呼びかけています。また、教皇庁内赦院は、パウロ年に際して与えられる特別免償についての教令を発布しました。
東京大司教区
開年ミサ:麹町教会 2008年6月28日(土)正午
閉年ミサ:関口教会 2009年6月29日(月)午前11時
大阪大司教区
開年ミサ:玉造教会 2008年7月 5日(土)午後2時
閉年ミサ:玉造教会 2009年7月 4日(月)午後2時
長崎大司教区
開年ミサ:浦上教会 2008年6月29日(日)午後2時
閉年ミサ:浦上教会 2009年6月28日(月)午後2時
6月6日(金)に麹町教会(イグナチオ)で司教と共に学ぶ公開講座があり、その模様が放送されることになりました。
日時:2008年7月24日(木)午前9時〜と午後9時30分〜の2回(一時間放送)
チャンネル:CSデジタル放送スカイパーフェクTV216ch「ベターライフチャンネル」
「使徒―教会の起原」(教皇ベネディクト16世著)第三部に、パウロの人柄、生涯、思想などについて解りやすく述べられています。
「聖パウロ−神から生まれた月足らずの子」(アラン・ドゥコ著)
「聖パウロ−その心の遍歴」(和田幹男著)
「パウロの信仰告白」(カルロ・マリア・マルティーニ著):黙想書
「キリストの使徒パウロ」(脇田晶子):児童書
「レクツィオ・ディヴィーナ」小冊子パウロの書簡を毎日コツコツと読んでいけば、一年後には通読できるように、朗読配分表が載っています。
聖パウロの生涯に関連するローマの巡礼地が9ケ所発表されています。横浜教区内にも聖パウロの名を持つ聖堂が8つあります。磯子教会、熱海教会、韮崎教会、御殿場教会、上田教会、軽井沢教会、草薙教会、蒲原教会
特別な年にあたり、教会の偉大な使徒パウロについて学び、実り豊かな「パウロ年」を過ごしたいものです。
鈴木神父の川柳(4)
今回は2006年(B年)受難の主日からB年の終わりにまでに詠まれた句をご紹介します。
2006年
4/9
十字架を飾りにつける大胆さ
(受難の主日)「マルコ15・1-39」
4/15
捨ててこそ生きる命の不思議さよ
(復活の主日)
4/16
心あらば小さなしるしも見落とさぬ
(復活の主日)[「ヨハネ20・1-9」
(・・先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた)
4/30
十字架はただの重荷とどこ違う
何事も信じなければ始まらない
信じれば命(いのち)の不思議さ見えてくる
(復活節第3主日)「ルカ24・35-48」
(わたしについてはモーセの律法と預言者の書と詩篇に書いてある事柄はすべ て実現する・・)
5/7
羊飼いがいないと私はどうなるの
(復活節第3主日)「ヨハネ10・11」
(わたしは良い羊飼いである・・羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる)
9/17
こんんなはずでは無かったと思うところに恵みあり
(第24主日)「マルコ8・27-35」
(わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい・・)
11/5
この一年身を削っても目方増え
(第31主日)「マルコ12・28b-34」
(心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい・・隣人を自分のように愛しなさい)
これでB年(2005−6年)に詠まれた句を終わり、次号よりC年の句をご紹介します。そこで、ここまでレビューした句についての皆さまのご感想をお聞かせ下さい。また編集に対するご意見、間違いあればその訂正などにつき、あわせて7月末日までに広報部へお寄せ下さい。(Eメールcatholic@cityfujisawa.ne.jp又は教会事務所広報部引き出し)