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八 角 形 に ゅ ー す

2008年8月17日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

安全ではなく平和の道を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 岩間

教会委員会報告

谷脇神父さまの初ミサ

ガーデンパーティー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小川

カヌーの初体験・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 山口

一粒会交流会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中学1年 小比賀

教会学校サマーキャンプ

北ブロックの黙想会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 嶋永

ミニ黙想会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 山内

世界難民移住移動者の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

第3回宣教フォーラム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 押木

介護フォーラム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 石崎

書評「ストーリーオブマリア」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子

止まる勇気をもちましょう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野

「みんなのバザー」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザーチーム

鈴木神父の川柳(5)

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安全ではなく平和の道を
司祭 岩間

宇宙から肉眼で見える人間が作った唯一の建造物は、中国戦国時代から建造された「2700キロにも及ぶ壁」であるという。私たちは自らの安全を確保するために、様々な境界線や壁を設けてきた。中国とモンゴルを隔てているこの壁は、歴史的には外敵防御という目的をほとんど達成しなかった。現在も延々と壁が築かれている。イスラエルはパレスティナとの境界線上に、700キロにも及ぶ分厚いコンクリートの壁を築いている。自国の安全を配慮する必要がある、だが暴力の応酬と憎しみは終わらない。

「平和の君」と呼ばれた主は、誕生から死に至るまで隔ての壁を壊して歩まれた。第二次世界大戦終結直前、ナチによって処刑された牧師D.ボンヘッファーは、安全に至る道を通って平和に至ることはできないと語った。なぜなら平和は、そのために敢えて行動しなければならないものだからである。安全を求めることは相手に不信感を抱き、壁を造るということである。この不信感が再び戦争を引き起こす。安全を求めることは、自分を守りたいということである。他方、平和は御言葉に自らを委ねて安全を求めないということであり、諸国民の運命を御手に委ねて自分に都合よく左右しようと思わないことである。サンフランシスコ講和条約席上で全権の吉田茂首相は、自由世界のための再軍備を迫るアメリカ国務長官ダレスの要求を拒否した。吉田は国連平和維持軍が国々の安全を確保すべきだと考えていたのである。さらに彼は国会で野坂議員の問いに対して「ほとんどの戦争は自国防衛の名の下に行われてきた」と答弁している。自己防衛の戦いを認めることが、戦争への引き金になるからだ。

兄弟の交わりを築き皆が一つになるように、一人の幼子が歴史の中心に置かれている。「まつりごとが、幼子の肩にある」(イザヤ9:5)と預言された「平和(シャローム)の君」が到来した。世を生かすパンとなった飼い葉桶に寝かされた幼子には、誰もが恐れを抱くことなく近づくことができる。この幼子は、神と人とのシャローム(「fellowship:親交」)によって、上から来る平和をもたらす。他方、皇帝(カイサル)やファリサイ派(ペルシン)の語源は「分け隔てられたもの」である。両者がもたらす平和は実に対照的なものである。ローマ皇帝がもたらす平和は、暴力と強制力を背景としている。かつて死海の辺に高さ441mのピラミッド型の山の頂上に、ヘロデの宮殿を含む巨大なマサダ要塞(600×130-230m)が造られた。ヨセフスによれば、洗礼者ヨハネがここに拘留されていた。ローマ軍による大規模なマサダ要塞攻略(AD66−70)は、最終的に集団自害に至る墓場の静けさをもたらした。実際、非暴力による抵抗を行ったガンディーは、銃口を向けて得られる静寂を「墓場の平和」と呼んでいる。一方、幼子のもたらす平和は皆を一つにする、愛し愛される自由の中に息づいている。「憐れみによって、我らの歩みを平和の道に導く」(ルカ1:78)。下線部(ディア スプランクノン エレウース)直訳は「はらわたの共感を通して」となる。みすぼらしい飼い葉桶や酷い十字架は、今も消えない光を放っている。飢えた者や罪びとの苦しみに共感し、自らいのちのパンとなったメシアを頂いているからである。「十字架において、神は神の全被造物に対する外に向かっての救いを創ると同時に、内に向けられた全世界の災厄を神自身に引き受け受苦される」(『三位一体と神の国』J. モルトマン)。



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教会委員会報告(7月19日)

<報告>

1. 第5地区共同宣教司牧委員会(7月6日)

(1)祈りの部門からの提案

・藤沢教会信徒からの提案も組み込んで、資料「自らの力で祈ることができる共同体づくりをめざして」がまとめられた。「祈りについて様々な理解を分かち合うテーマ」等に基づいて、関心のあるところから進めていただきたい。この資料は準備して聖堂に置く予定

・第5地区内各教会・修道会からのアンケート回答詳細をまとめた冊子は教会事務局で保管。閲覧できる

(2)信仰を伝える部門からの提案

・湘南短期キリスト教セミナーを発展させ、各教会委員会の協力の下、新委員会を発足させる(田坂委員長、荒井副委員長)

(3)信仰を証する部門からの提案

・第5地区及び近隣教会福祉懇談会と協力して活動を進める

(4)ブロック分けについての藤沢教会からの提案

・将来の司祭不足・高齢化を想定したビジョンつくりのため、第5地区を3ブロックに分けて、司祭の数・常駐場所などの検討を進めることを提案

・3ブロックとは、@藤沢・片瀬(司祭4名、信徒4653人)、A大船・鍛冶ヶ谷(司祭2名、信徒2048人)、B戸塚・中和田・(原宿)(司祭2名、信徒1687人)

・横浜教区の現在の司祭数は80人。10年後には75歳(定年)以下の司祭がほぼ半数になる見込み

2. 2008年度上半期財務報告

(1)収支

・収入3,227万円、支出2,941万円、収支差額286万円

収入は予算比47%、支出は予算比42%

(2)今後の見通し

・下期はトイレ改修で数百万円、アスベスト工事で1,000万円程度の支出を予定しているが、修繕積立金(約4,500万円)から充当するため、通年収支では予算通りとなる見込み

3. 敬老会

・日曜ミサに来られない方のために、9月18日(木)11時からミサ、その後、センターホールにて軽食の会。送迎には福祉部が協力する。各ブロックで送迎手配の必要な方をリストアップする

・敬老ミサは9月14日(日)9時半より。75歳以上の希望者に病者の塗油式

<議題>

1. 教会建物関係

(1)消防・避難関連設備の更新

・老朽化した避難梯子と火災報知器の更新。予算50万円が承認される

(2)トイレ改修

・センタートイレとともに、聖堂横のトイレについても洋式化・手すり整備・排水改善などを織り込んで、総額500万円程度で再検討する

・女子トイレ主体の整備なので、要望事項あれば曽根・佃両副委員長まで申し出ていただきたい

(3)アスベスト対策

・安価で迅速な新工法が考案されているので、継続検討することとなった

(4)補聴システム

・借用期間は8月末まで。30人のモニターから意見聴取。20人は効果ありとのこと。問題点については改善可能

・大船教会で使用しているアシストホーンについても試行の予定

2. 聖堂まわり除草

・7月27日(日)9時半ミサ後実施

3. ガーデンパーテイー

・ 8月3日(日)17時より19時半まで。今回は外国コミュニテイも参加

<ブロック・活動部報告>

(教育)

・7月20日、中高生は雪の下教会の中高生会と交流

・7月26〜28日、日曜学校・中高生会・学生会合同キャンプ

・8月4日、召命練成会

(典礼)

・7月13日(日)、朗読奉仕者研修会。20数名参加。継続して行っていく

(宣教)

・6月29日(日)、宣教フォーラム。40名参加。男性が半数であった

・8月2日(土)18時よりYMCAにて平和合同祈祷会

・8月30日(土)10時〜15時半、キリスト教講座のリーダー担当者主催黙想会「祈る・伝える・証する」。久我神父指導

・9時半ミサ後の聖書分かち合いは、9月以降、第1日曜から第3日曜に変更

(国際)

・9月28日(日)、司教様を迎えて国際ミサ。ミサ後、交流会予定

・8月15日(金)17時より被昇天ミサ。ベトナムコミュニテイ主体

(北1)

・6月28日(土)、聖園修道院にて黙想会。高野神父指導。60名参加。ベネディクションは好評であった

・バザー準備中。テーマは7月20日に決める

(北2)

・7月13日(日)、片瀬教会にてミサとカヌー遊び

・バザー出品のための手作り品準備中

(藤沢)

・7月18日(金)、平塚教会にてミニ黙想会。テハン神父指導。40名参加



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谷脇神父さまの初ミサ

12歳の時「母と双子の弟と三人で長崎にある小神学校へ向かったのを昨日のように思い出します」とおっしゃる谷脇神父さまは長崎県ご出身で今年4月29日に司祭に叙階されたばかりの30歳。8月3日藤沢教会での初ミサをあげていただきました。

お説教の中で、パンを群集にわけあたえたイエス(マタイによる福音書より)にふれ、「イエスはパンを増やしたとはいっていない。パンで人々が残らず満たされたといっている。このことが大切なこと」とお話しなさいました。

谷脇神父は横浜教区の方針で、一年間司教館で教区のお手伝いをなさっており、教区内の教会を東西南北飛び歩く多忙な日々を過ごしておられます。双子の弟さんも昨年長崎教区で司祭に叙階されました。



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ガーデンパーティー
小川

暑い夏の昼下がり、屋外に出るのに勇気が要るような炎天下で汗びっしょりになってテーブルを用意し、ステージを作り、椅子を並べる壮年の紳士たち。みんな決して若くはなく(失礼!)家では主と呼ばれる方々が、お客様をおもてなしするために綺麗にテーブルを拭いて、テーブルの角にはテープを巻いて、椅子のねじが緩んでないかを点検し、配置を考え、冷たい飲み物を用意して、笑顔で準備をしている。そんな人達と一緒に作業をするのが楽しく、日曜日の午後の時間が流れていく。

3時間近くもかけて準備を整え、夏の夕暮れにバーベキューの匂いが漂ってきてようやく本番。大勢のお客様がこられて、ステージから流れてくる熱い演奏と、ダンスを横目に見ながら生ビールの売り場には早くも人の列。誰がみてもビールを飲むのには最高のセッティングだから無理もない。中には一人で6杯も買われていく方もいて、にわかウェイターの自分は天手古舞。折角だから美味しい生ビールを飲んでいただきたいと焦りながら、ずっと昔にデパ地下で天婦羅売場のアルバイトに1週間ももたなかった苦い経験が記憶の底から甦る。普段何気なく飲んでいる生ビールなのに、泡を1割程度にして生クリームのように盛り上げるのは難しい。内心、缶ビールにしてよと悲鳴を上げていると、横から高柳さんが「グラスはもっと斜めにして、一気に注ぐんだよ」と丁寧に教えてくださる。自分がお客だったら、「こんな泡ばかり」と文句をいいそうな生ビールを「ありがとう」といって受取ってくださったお客様の言葉が今でも少し心に痛い。

家でごろごろしていた自分に浮田さんから「明日ガーデンパーティーだから来ない?」といただいた1本の電話から始まった夏の出来事。最近は教会からはめっきり足が遠のいていて、教会の前は通っても、見えない敷居を越えられずにいたのに、久しぶりで藤沢教会を満喫させていただきました。今年の生ビールは、注ぐのが下手で本当に申し訳ありませんでした。来年はもっと上手に生ビールが注げるようにこれから毎晩練習に励みます暑い夏に乾杯!



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カヌーの初体験
湘南台 山口

7月13日、片瀬教会に行った。そして、片瀬教会のミサに出た。そのミサでは神父様のお説教が、最近話題の環境問題のことからはじまった。神父様はいろいろなお話をされたが、まず自分から行動しましょう、という力強いメッセージだった。

ミサが終わってカヌーに行く人たちの準備が済むと、片瀬教会の目の前にある境川を直線距離で150メートルぐらい上がったところに、昔漁港があったところにカヌーが置いてあった。2人乗りのカヌーが3艇と1人乗りのカヌーが1艇あった。ほかの人は、2人乗りのカヌーにインストラクターの人と乗った。でも1人乗りのカヌーが余ったので、インストラクターのおじさんに「1人で乗らない?」と聞かれたので、頭と心が迷っているうちに「よし乗ろう!」と言われた。そして、おじさんが、ちゃんとついて来てくれると言われたので断るわけにもいかなかった。

パドルの使い方の講習を受けてから、人生初の体験をした。静かな水面の上をパドルで掻く音と水の音が耳に入った。風の音もわずかに聞こえた。木のカヌーが(スイー)と進む人生初の体験はいい経験になった。あの時の、気持ちよさは、一生脳のどこかに残るであろう。教えてくださったインストラクターの皆さんには感謝しています。今回の企画をしてくださった坂本さん、ありがとうございました。カヌーはすごく楽しかったです。



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一粒会第4地区交流会に参加して
中1 小比賀

私は7月20日に中高生会の人と由比ガ浜教会に行ってきました。雪ノ下教会や逗子教会の人たちも来ていて、いっしょにミサにあずかったり、交流会をしたり、神父様(雪ノ下保久要神父様)のお話を聞いたりしました。最初は班の人たちも知らないひとばかりであまり話せなかったけど、ゲームをしたり同じ班の人たちが話しかけてくれたりしたので仲良くなれました。最後は班の人たちと将来の夢の話をしました。みんなすてきな夢を持っていました。私は由比ガ浜教会に行って、たくさんの人と仲良くなれました。機会があればまた行きたいです。



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教会学校サマーキャンプ

7/26〜28日2泊3日で山中湖の星美ホーム山中林間寮へ行ってきました。

小学生17名、中学生5名、学生4名、日曜学校リーダー5名、そしてティエン神父様宮内神学生、聖園のSr.菅原、志願生2名の計36名が参加いたしました。27日の主日のミサは、マルシリオ神父様とティエン神父様の共同司式で、同宿の下井草・関町教会の教会学校のお友だちと合同であずかりました。28日の野外ミサでは、中学生がこねて炭火で焼いた手作りの種無しパンをご聖体としていただきました。

4年 良太

1日目、山のぼりはつらかったけど、ついたらきりが見られてけしきがよかった。2日目は、湖で水きりやスイカわりをやったのが楽しかった。スイカわりでスイカがわれなかったのはざんねんだけどスイカが食べられてよかった。バーべキューがおいしかった。肉とやきそばがおいしかった。今日、げきをやるのが楽しみです。

6年 あゆみ

キャンプ1日目は、山中湖にある明神山に初めて登りました。じゃりがあって、すべりました。そして、やっと頂上に着くとみんなでお弁当を食べました。しばらく頂上にいたら、きりがすごくて周りがみえなくなり、最初に見えた富士山が見えなくなりました。きりが少しずつなくなったので下山しました。泊まるところに着き、16時になるとみんなでおふろに入りました。少し小さかったけど、きもちよかったです。18時に夜ごはんを食べました。ハンバーグとゆかりスパゲティーと野菜と、ももゼリーとお茶でした。19時から宮内神学生が、部屋の電気を全部消して、こわい話をやってくれました。そのあと外で、山ちゃん(山本さん)と清水リーダーのむすめさんと、梅ちゃん(梅沢さん)が打ち上げ花火をやってくれてきれいでした。22時ごろベッドで寝ました。

6年 詩万

キャンプ2日目、待ちに待ったローソク作り。6本半を使って、こんな感じ(白、黄緑、うす青緑の3層に仕上げた)です。家でも作りたいと思いました。BBQは野菜がもりだくさん(たまねぎ・なす)、もちろん肉も食べました。すっごくおいしくてサイコーでした。山本さんが、がんばってみんなのためにやきそばを作ってくれて感激、しかもおいしくって感激、桃も甘くてサイコーなBBQでした。ここラウラ(宿泊棟の名前)に住みたいほどサイコーなキャンプでした。みなさんありがとう。

聖心の布教姉妹会志願生 リン

恵みの神様!毎日、私は楽しんだり、お世話になっていました。夕方のBBQ,、若い人達は親切で熱心にいろいろなことを教えてくれたり、働いたり、一生懸命なすがたを見て、とても感動しています・・・焼き肉と焼きそば、おいしかった。たくさんの体験・出会いがあり感謝の気持ちで一杯です。子供達もいろいろなこと、日本語を教えてくれました。来年もまた参加したいです。みなさまに感謝しています。

同上志願生 リェン

私はキャンプに参加することははじめてで、日本語はまだ上手ではなくて行く前は本当に心配でした。日本の習慣にまだ慣れていませんので、皆様が思いやりの心でおしえてくれてとてもうれしかったです。子供たちといっしょにあそんだことは、本当におもしろかったです。リーダーたちをはじめ、ティエン神父とシスター菅原と若いリーダーたちと子供たちに心から感謝しています。ありがとうございました。



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北ブロックの黙想会に参加して
大庭 嶋永

6月28日(土)聖心の布教姉妹会修道院本部にて、高野哲夫神父様の指導の下に60名弱の参加者が集いました。梅雨の合間の気持ちの良い天候に恵まれ、受付を終えられた方たちのお顔が期待に満ちて明るく見えました。以前から一度訪れてみたいと憧れていた修道院は期待通り素晴らしい環境で、落ち着いた雰囲気の中にレンガ造りの建物が周りの緑に映えていました。奥に進んで日本的なお堂の様な造りの聖堂に集まった私達の前、お元気で溌剌とした高野神父様の懐かしい声でミサが始まりました。静かな落ち着いた綺麗な聖堂で、小人数で心を合わせお祈りし、シスターの弾かれるパイプオルガンのきれいな伴奏で聖歌を歌い、神父様から御聖体をいただく。とても幸せな気分で感謝、感謝。

ミサの後祈りについての講話。「祈らない(祈れない)時」「祈りたい時」「祈る時自分は」など1〜5の項目の箇条書きに自分の考えを書いていくという神父様の独自の方法を使っての黙想会への導き。私にとっては初めてのやり方で、さすがは若い神父様のお考えと感心させられました。この方法は、午後に組み込まれた「分かち合いの場」でスムースに意見を出しやすかったという良い結果が出たように思います。また、さだまさしの「風に立つライオン」などの歌を取り入れて、祈りの心が自然と人の心に生まれることも感じさせていただきました。私自身日頃から祈るということが苦手だと感じていましたが、神父様の「イエスさまの教えてくださった主の祈りを極める。心から深く意味を考えながら祈ることでも十分神様に届くのですよ」のお言葉で何となく安心し納得したものです。とても印象的な言葉でした。

午後から聖堂で行われたベネディクションも、子供の頃に歌っていたラテン語を思い出して懐かしく、久しぶりに御聖体賛美の思いを深く体験出来たと感激しましたし、皆様も同じ思いでいらっしゃるように感じました。その後神父様を囲んでの懇談を終え、充実した一日を過ごせたことを感謝しながら4時ごろシスター方のお見送りをいただいて修院をあとにしました。

この度は、高野神父様はじめシスター方また準備をしてくださった委員の方々のおかげで、感慨深く実り多い黙想会に参加できたことを感謝いたします。



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ミニ黙想会
藤沢2区 山内

7月18日(金)藤沢ブロックの方々の計画により、献堂式後3年という美しい平塚教会を訪れる機会に恵まれました。台風9号の影響で雨風が強まるという予報でしたが、穏やかな天気で藤沢教会から35名の方々が集いました。主任司祭テハン神父様は藤沢教会で永く司牧していらしたので、久し振りにお会い出来たことをうれしく思いながらミサに与りました。先月6月29日はコロンバン会創立90周年に当るそうですが、ミサの中で神父様は「アイルランドの聖人である聖コロンバンは、西暦590年頃聖霊に満され英仏海峡を渡り、フランスのリュクスクユに先ず大きな修道院を建てた。厳しい会則にもかかわらず、直ぐに300人以上の修道士を数えるようになり、その後、福音を述べ伝えるためフランス、ドイツ、イタリア、スイスを伝道して歩いた。後にローマに行く事を決意したが、北イタリアのボッビオに新修道院を設立し、そこで死去した。現在はバティカンの聖ペトロ大聖堂の地下聖堂の一室をいただき眠ってる」と話されました。神父様が故国アイルランドの聖人を大きな恵みと受けとめていらっしゃるのを感じました。日本はまだ歴史が浅いのですが、私たちも日本の26聖人と多くの殉教者を尊敬し親愛の心で黙想し感謝したいと思いました。

ミサの後神父様は「祈り方」について、「祈り」とは言葉だけでするものではなく、心の中だけでするものでもなく、霊魂と体(行動)一体となり神を賛美し感謝するのが良く、創世記一章、神は「光あれ」から始められ地球上の全てのもの、動物、植物そして人間を創られ「全てとても良し」と思われた。神の創られたこの地球上の全てのものは何ひとつ神の聖心(みこころ)に適わないものは、本来一つもないのです。」21世紀に生きる私たちは神への感謝と祈りから遠ざかり、人によってつくられた悪いものがあふれ、自ずから地球上を住みにくいものにしていることに気づかされました。神父様は、現代は言葉と真実がちぐはぐになっており、沈黙の神秘を忘れがちである。祈りの最後の「アーメン」という言葉は息を吸って、それをゆっくり吐くという動作で「いただいた恵みに感謝します」という大切な意味を思い出すことができると教えて下さいました。

最後になりましたが、当日は平塚教会のレジオマリエの集いが予定されていたのですが、このミニ黙想会に心優しく協力し参加されたことを、有難く心より感謝申し上げます。



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世界難民移住移動者の日
典礼部

典礼暦の中で毎年9月の第4日曜日は「世界難民移住移動者の日」と定められています。今年は9月28日(日)がその日にあたり、藤沢教会では当日、梅村司教様をお迎えして9時半の主日ミサを「国際ミサ」として捧げます。

「世界難民移住移動者の日」(以下「移動者の日」)は1970年、時の教皇パウロ六世が教皇庁移住・移動者司牧評議会を設立したことを受け、「各小教区とカトリック施設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と"共に生きる"決意を新たにする日」として設立されました。「移動者の日」では、おもに滞日・在日外国人、海外からの移住労働者、定住・条約難民、外国人船員や国際交通機関の乗務員とその家族のために「祈り・司牧的協力・献金」がささげられています。

歴代教皇は毎年、この日のために「公文書」を出されています。2008年の「移動者の日」のための「公文書」は昨年10月、教皇ベネディクト十六世から「若い移住者」というテーマで出されました。「公文書」では、キリスト者は何にもまして移住者や難民たちが直面する困難を見過ごすべきではなく、これらの人々の助けをもとめる叫びに耳を傾けなければなりません、と訴えられ、母国を離れた人々を受け入れるように呼びかけておられます。

2000年の大聖年にローマで行なわれた「移住者と移動者の祝祭ミサ」で教皇ヨハネ・パウロ二世は「教会にとって、だれもよそ者ではなく、だれも疎外されず、だれも敬遠されない」とし、「教会は社会のうちに移住者、難民を歓迎する愛(カリタス)の文化を浸透させるために働かねばならない」ことを強調されました。同じミサの前に、当時の教皇庁移住・移動者司牧評議会議長の濱尾文郎大司教は、教皇様に「慈父の心で、祖国、親兄弟、友人たちから離れている移動者たちを見守り、侵された人間の尊厳の叫びを聞いていただきたい」と願われました。

横浜教区の外国籍信徒司牧の「基本方針」の冒頭には「外国籍信徒は横浜教区民である」とし、「外国籍信徒は"お客さん"ではなく、わたしたちの兄弟姉妹である。邦人信徒と同じく教会のフル・メンバーである」と述べられています。そのうえで私たちは一つの教会として「交わり」を目指すのを理想とし、そのための一つの方法として国際ミサ(多言語ミサ)を挙げています。「交わりのためには相互の理解と努力が大切である。お互いに同じ兄弟、仲間として受け入れる心の準備、メンタリティを刷新する、一緒に他国語の歌を歌ったりするなどの努力も求められる」と奨められています。

9月28日の国際ミサで、皆が同じキリスト者として心を一つにして祈り、歌い、主への賛美と感謝のうちに主の食卓を囲むことができますように願っています。



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第3回宣教フォーラムに参加して
湘南台 押木

6月29日(日)に第3回宣教フォーラムが「神が選んだ器」をテーマに開催されました。私は、宣教フォーラムが開催されることは知っていたのですが、積極的に参加しようとは思わず、何かとバタバタとした日々が続いておりました。ある日、宣教フォーラムでプレゼンテーションをして欲しいとのメールが届きました。適任の方は大勢居られるのに、なぜ私がプレゼンテーションをしなければならないの?私はそんな「器」ではない!とお断りしたかったのですが、「神が選んだ器」がテーマであることであり、この依頼も「神が選んだ」のかと思いお受けした次第です。この時点から、何をお話すれば良いのだろうか?「神が選んだ器」とは聖書のどこにあるの?色々な思いが頭の中を駆け巡りました。最終的に自分の経験を通して「今、私に出来ること」を主題に現在の思いをまとめて、プレゼンテーションとしました。

プレゼンテーション

先輩方を前に、私がこの場でお話する器ではないと申し上げたいところですが、今、聖書朗読で「神が選んだ器」と聴いたばかりなので、少しお話をさせていただきます。私が、キリスト教と出会ったのは、ほぼ10年前の事でした。その当時、私は会社勤めをしており、頭の中は数量的・論理的、勝った・負けた、得した・損したを重視した経済社会の価値観、思考回路で日々の生活をしていたわけです。その中で、なんとなく日々の生活に違和感を覚えている時、入門講座の内容を小耳に挟んで、参加して見ようかと思い、この教会の入り口の坂道を上ったのが始まりでした。今だから言えることですが、その時が、聖書にある「主よあなたはどなたですか」との気付き、神の呼びかけだったのでしょう。入門講座に参加し始めたのですが、自分の論理的思考で理解しようという態度から抜け出ることが出来ず、講座を進めておられた方をずいぶん困らせた事を思い出します。1回目の入門講座は、自分の頭で理解しようとする態度に固執して、"見えないものを信じる者"になることが出来ませんでした。
でも、コチコチ頭の私がここでお話をしているという事は、私は変えられたわけです。2回目の入門講座を受けている時点でも、頭で考えても理解できない状況が続き、何か変だな、変だなと思いながら講座が進み、第2期に入ってしばらく経ってから、何だか人の知恵で考えて論理的に理解できない領域の話なのだと思いはじめました。これは、私の頭の思考回路が実証的世界から信じるという世界へのパラダイムシフトの始まりでした。論理的理解に拘っていた自分を捨て、初めて"見えないものを信じる者"となれたと自分を分析して理解しています。
今では、そのような自分が入門講座を担当しているわけでして、ハンラティ神父様に「押木さん、10年前に自分がこのようになるとは思わなかったでしょう」と言われてしまいそうです。自分の経験から、私にとって、重要なポイントは何だったかと思い起こしますと、第1に入門講座はどんなものだろうと思い、参加する気持ちを持った事、第2に現実社会で自分の固執している物の放棄でしょうか、執着からの離脱、第3に信じて一歩を踏み出す事の3点だった様な気がしています。入門講座のヘルパーとして今、私に出来ることは何だろうと考えると、自分が初めてキリスト教と出会ったときの、驚きと言うよりも戸惑いを思い起こし、初心に戻り入門講座に参加の皆さんの戸惑いや疑問に寄り添い、大丈夫だよとのサインを送り続ける事だと思っています。そうすれば、おのずから神様が気付かせて下さる時が来て、私のような3つのハードルを越えられるものと信じています。
最近、悲惨な事件が多く起こっております。先般の秋葉原の事件もそうです。20世紀は物の時代と言われ、21世紀は心の時代と言われて久しいですが、心が満たされなくて悲しい状況に陥っておられる方々も多いのではないかと思われてなりません。ここに集う私たち一人一人が、キリストに出会ったときの感動を思い起こして、目の前の事態に丁寧に対応してゆくこと、またその輪が広がって行くことによって、昨今の殺伐とした世の中が少しずつでも変わって行くのではないかと思っています。それこそ、神が選ばれた器である私たち一人一人の宣教ではないでしょうか。有難うございました。

宣教フォーラムに相応しい話が出来たのだろうか??はなはだ疑問でしたが、グループでの分かち合いが豊かになされた様子を見て、胸を撫で下ろしました。全体の分かち合いを通して、私たちは「器」である。「器」の中空な空間には、聖霊の息吹、みことば、神の愛が満たされる。そうして初めて、私たちが機能する、との思いを改めて感じることが出来ました。



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介護フォーラムに参加して
鵠沼2区 石崎

介護の体験談は一人ひとりの悲喜こもごもの人生です。明日はわが身の少子高齢化時代です。しかし、介護をする立場になると、いったいどこから手をつけていいのか判りません。漠然とした不安を解消するために、まず知っておきたい事は介護の心得、自分が置かれている現状、介護保険の基本などです。

去る6月15日、そのような要望に応えるフォ一ラムが当教会福祉部の主催で行われました。4人のパネラ一がそれぞれの立場で話され、私のテ一マは「介護の現場の動向」でした。「介護」とは何かと問われたら、何と答えますか?地球上で唯一、人間だけが行うことの出来るものだと私は考える。地球上には子育てはしても、介護をする生き物は人間しかおりません。高度なコミュニケ一ション能力と豊かな情感を持ち、知的な生き方が出来る人間のみが可能な崇高な行為です。それも平和で豊かな、世界の一部の国しか許されてはいません。それが介護です。今、私たちはこの貴重な時代を生きています。介護に直面したら、まず、この幸せな側面を思い出し、深呼吸し、そして介護の「介」という字を眺めましょう。この字が、人を下から両手で支えているように見えます。一心に捧げあげる人の姿ではないでしょうか。介護は福祉文化だと考えます。

足腰の弱まった老夫婦の細腕で、尊厳ある人の命の重みを支え続けることは、共倒れの危機が待っています。それゆえ、多くのサ一ビスと支援の手を借りる事が、介護には必要なのです。支える手が太く、強く、幾重にもあれば介護者はもちろんのこと、介護される人も安心です。いまや介護は家族だけ、女性だけが歯を食いしばって支えていくものではありません。社会全体で担う社会保障制度の5番目として生まれたのが介護保険です。介護保険制度ができ9年目。2006年4月に施行された改正介護保険制度によって、介護を必要とする高齢者の受け皿は「施設」から「在宅」、「予防」重視の介護に転換されました。さらに、医療制度改革の一端で療養病床が2011年度末までに大幅に削減されることが決まり、「介護難民」増加に追い討ちをかけられそうです。具体的には療養病床38万床は医療型15万床を残し全廃し、23万人の高齢者が行き場は失います。削減分の高齢者は老人保健施設、ケアハウス、有料老人ホ一ム、グル一プホ一ム等に振り分ける方針が示されています。実際の受け皿の状況は、受け入れ態勢が十分とはいえません。結果として、高齢者の居場所は在宅以外に考えられない状況が見通せます。そうなった時、問われるのは「家族の介護力」です。今後、家族に介護を継続する力は備わっているのでしょうか。

国は、要介護者の37%以下を施設で受け入れる方針です。施設の総量規制が行われているので、公的施設(特養ホ一ムや老健施設)には3年以上の待ち時間が必要で、数の不足が明らかでも施設増加見込みは低い状態です。有料老人ホ一ムも総量規制の枠に入り、入所費用や月々の費用を考えると決断が難しい。高齢者専用賃貸住宅は増えているが不安が多い。介護現場の実態は、家族関係、家庭環境、経済状態等により大きく異なります。@老々介護A配偶者介護B高齢逆転現象C中抜き介護Dシングル介護E多重介護F介護の長期化G同居と介護H介護費用負担と相続I介護難民の発生等が課題になりつつある。少子高齢化が進む中、私達はどのような介護力を身につけられますか。



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書評「ストーリーオブマリア」
藤沢2区 兼子

この本(A・ハント著内田みずえ訳、いのちのことば社)は昨年公開された映画のノベライズ版ですが、とくにこれから結婚を考えている若いカップルにはお勧めです。映画(DVD)と違うところは2箇所。即ち本編の降誕物語の前にプロローグとして聖劇の練習風景があり、またエピローグではこの物語の歴史的背景が説明されます。クリスマスには世界中で降誕劇が演じられますが、私自身も44年以上も前に渋谷のドミニコ教会で青年会の仲間と演じた降誕劇(私はナレーターでしたが)を想い起しました。

「ルカ」に基づくこの降誕の物語では、誰もがそれ程、不思議に思わないことに焦点が当てられます。それは著者の言葉を借りると、子どもたちにはまだ理解できない事柄ですが、マリアの「処女懐胎」に伴うスキャンダルです。マリアと許嫁(夫)ヨセフの経験した周囲の人々の非難に満ちた眼差しや、両親の感じる恥かしさ、そして最後にベツレヘム迄の苦難に満ちた旅のすべては、若い二人にとって試練の連続でした。

それらの具体的な場面は、「がりらや」で本をおもとめになるか、DVDでじっくり見て頂くとして話をすすめます。この物語ではヨセフはマリアを見初めましたが、マリアは父が決めた許婚(いいなずけ、フィアンセのこと)のヨセフをよく知らなかったので、最初、それほど愛してはいませんでした。それは当時のごく普通の結婚の形態だったのです。だからそのまま行けば二人は貧しいながらも平凡で幸せなユダヤの若夫婦になる筈でした。しかし聖霊による懐胎という不思議な、とうてい受け入れがたい話が二人の身の上に起きます。周囲の人々のあからさまな非難の眼差しや、両親の失望に満ちた態度にも、天使の言葉を信じるマリアはひたすら耐えます。そのマリアを信じ支えるヨセフ。そうして二人の愛は少しづつ本物になっていくのです。

考えてもみて下さい、若い未婚の女性が突然、神の御子を宿すなどということを。本当に神を信じ、二人が互いを信じ、愛し合っていなければ乗り超えられる苦難ではありません。でも信仰に支えられ、一つひとつ苦難を乗り越える度毎に二人の愛は深まっていく。

その描写は溜息が出るくらい感動的です。だからこれは単なる降誕の物語ではなく、なによりも若い二人の純愛の物語なのです。二人が信仰や忍耐に支えられながら深い愛で結ばれ、遂に洞窟の馬小屋でイエス様が生まれたときの喜びの大きさ。私は映画(DVD)で涙を流し、小説でも再び感動の涙を流してしまいました。興味のある方(精神的にいつまでも青春の只中にあると思われる方)は、忍耐強い二人の愛を見て、ぜひ清らかな涙を流して下さい。



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止まる勇気をもちましょう
鵠沼3区 平野

鵠沼1区の倉橋さんは、永年に渡るご努力と功績が評価されて、交通安全功労者として、7月2日に、総理大臣表彰を受賞されました。素晴らしい快挙です。共同体の仲間として、心から喜びを分かち合い、誇りにしたいと思います。

私の高齢者運転免許証の更新の頃でした。安全運転の心得をお聞きしたら、「止まる勇気をもつことです」と、即座に、にこやかに、明快な答えが返ってきました。今も鮮明に私の脳裏に焼きついています。まこと、何時でも止まれる用意があれば、多くの事故を未然に防ぐことが出来ると思います。車に乗っていて、あまりにも多くの、どきっとする場面に出会うからです。

「止まる勇気をもちましょう」。この呼び掛けは、交通安全の面ばかりでなく、人間生活の中でも、突っ走りがちな人々への、大切な、示唆に富む教訓ともなりましょう。



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「みんなのバザー」
バザーチーム

今年のバザーは、例年より1週間早く、10月19日(第3日曜日)に行われます。その準備は今、担当の北ブロックを中心に進められております。そのために何回かの会合が開かれ、意義、目標、方法についてと話し合われ、積み重ねられて参りました。また、モットーについて、教会共同体の一員としての願いや理想が熱意を込めて話し合われ、それだけでも意義深い話し合いでした。環境問題や、エコロジーについて、そしてさらに地球の未来についてまでもの話題が、折からのサミットとも絡んで何人もの方から提案され、「地球のために」いう言葉も出て参りましたが、結局、私どもの万感の想いや祈り希望をこめて「みんなのバザー」というタイトルに決定しました。ご高齢の方もいらっしゃる、幼い方々も共同体の一員である、中高生も、ご婦人も壮年もと考え、私たちの藤沢カトリック教会が常に祈り、志しているものをこのバザーを通しても世に展開し、広く多くの方々が、その目的のための歩みを共に出来るように願っております。

そのようなことを踏まえて、収益金の配分についても多くの意見が出ました。それらがすべて、愛に根ざしたお考えであったことは、素晴らしいことでした。私どもは例年通り、収益金の半分を修繕積立金に、残りを福祉とお手洗い改修費の一部にさせて頂きます。特にご婦人用のお手洗いは、一刻も早く改善をと望まれる方が多く、改善のための費用総額に対しては、僅かな金額だと思います。しかし、こうした機会にさえも語られる「小さな声」を、大きなものにしていく使命もまた、このバザー準備の集いの中で語り合われ確認した収穫として、集われた多くの方々が心に留めたのでした。

こうして話し合う私たちの心に、マタイ福音書の聖句が強く響いて来たのでした、

「はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」

バザーの内容そのものは目新しいものではないかも知れません。しかし、今までのバザーを通して多くの方々が積み上げ、語られて来られたことを大切に受け継いで、今年もまた実践し深めて参りたいと思っております。愛を深め福音を伝える場として、私たち教会の中に向けても外に向けても、働き、仕えて参りたいと願っております。どうぞ、多くの方々が、お力ぞえとお祈りをくださいますようにお願い申し上げます。



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鈴木神父の川柳(5)

今号よりC年(2007年)に詠まれた句をご紹介します。先ず2007年前半に詠まれた句です。

2007年

1/7
気がつけば星が導く主人公
(主の公現)「マタイ2・1-12」(星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった)

1/14
何事も信じられなきゃ始まらない
(第2主日)「ヨハネ2・1-11」(この人が何か言ったら、その通りにしなさい)

1/21
わかるかな貧しき人は幸いと
(第3主日)「ルカ1・1-4、4・14-21」
(貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれた)

3/18
そのまんま迎えてくれる暖かさ
(四旬節第4主日)「ルカ15・18」
(父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した)

4/29
何事も押してだめなら引いてみな
(ご復活節第4主日)「ヨハネ10・27-30」

5/20
聖霊に黒子のごとく働かれ
「ルカ24・46-53」(父から約束されたものをあなたがたに送る)

6/3
つながりはトカゲのしっぽとちょとちがう
(三位一体の主日) 「ヨハネ16・12-15」
(あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる)

6/24
空しさの中に見えるか神のわざ
司祭になりそれから何もやってない

(洗礼者聖ヨハネの誕生)「ルカ9・51-62」
(わたしのために命を失う者は、それを救うのである)

7/1
見てみたい愛と未練の境目を
(第13主日)「ルカ9・51-62」
(鋤に手をかけたら後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない)

7/29
祈るのは信じているのかいないのか
(第17主日)「ルカ11・1-13」
(求めなさい。そうすればあたえられる)

先月号でご案内した「鈴木神父の川柳」についての感想のまとめは次号に所載の予定です。匿名で結構ですので、引き続9月中旬まで皆さまの投稿をお待ちしています。

(文責益満)



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