八 角 形 に ゅ ー す
2008年12月13日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
Christmas 2008・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ティエン
待降節と降誕節・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部
今日、救い主がお生まれになった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 川辺
クリスマスを迎えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 李
「心の貴族」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 小川
八角形の意味とFujisawa共同体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 家田
教会委員会報告(11月15日)
列福式に参列して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青年会 清水
湘南短期キリスト教セミナーに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 荒井
昇仙峡ハイキング・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 宮崎
第2回介護フォーラム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部 友田
介護フォ一ラムで学んだこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 石崎
「葬儀を考える会」フォーラム報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 佐々木
ヴィンセンシオ田辺さんを偲んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野
エルダーズに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 川南
鈴木神父の川柳(8)
Christmas 2008
司祭 ティエン
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住むものの上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えなり、人々は御前に喜び祝った。なぜなら、一人のみどりごが私たちのために生まれました」
毎年クリスマスの季節になると、このような同じ聖句を聞きます。「神様はこわれてしまったこの世に入ってこられた。神様は人間を救うために愛によって世に入り、人々はその偉大なわざを見て驚き喜んだ。神様はイスラエルの民の叫び、願い、祈りを聞き、ついに沈黙を破ってご自分の愛の計画を実現された」神様は人間となってこの世に来られました。その時から、世界は変わりました。神様の神秘は一人の男の子に凝縮されています。神様の愛は御ひとり子、イエス・キリストに表されています。神様は、夢や預言者の言葉を通してではなく、人間の姿をもってご自分の民を訪れました。神様は人間の世界に住まいを定め、人々と共にいる神となられたのです。
毎年、聞くクリスマスの話は同じですが、私たちは変わっていきます。私たちの世界も共同体も家族も自分も変わります。私たちの愛や希望や信仰は、試練を受け、人間としての経験を重ね、豊かになることによって変わってきます。苦しみや悲しみや辛さがあっても、クリスマスは新しい命、可能性を与えてくれるので、私たちはまた希望をもって、新たな出発をすることが出来ます。私たちは幼きイエス様から光と命をいただいて、どんな夢や希望をもつことができるでしょうか。
私はクリスマスのことを考えるとき、いろいろなことを思い出します。ベトナム戦争の時、皆が早く平和になって欲しいと願い、クリスマスの歌を沢山作り歌いました。歌の内容は、平和になって欲しいとか、平和になれば若い軍人たちは奥さんに会えるようになるだろうとか、戦地から帰ってきた息子たちが年老いた母親に会って再び世話が出来るようにとか切々と歌いました。二十数年前、私はベトナムから船で逃げ、家族とばらばらになりました。クリスマスにもう一度、家族みんなが一緒になることが出来るようにと希望をもって難民キャンプの教会の馬小屋の前で祈りました。
クリスマスは特別に何かを望む時です。私は今年何を望もうかと考えています。皆さんは今年のクリスマスに何を望みますか。私たちの夢と希望が実現できますように神様の力と愛と恵みを願いましょう。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」クリスマスおめでとうございます。
待降節と降誕節
典礼部
教会は11月30日(日)の待降節第1主日から典礼暦上新しい年(B年)に入りました。典礼暦年の1年の周期を通して、キリストの救いの秘儀全体が記念されます。この1年の周期のなかで、キリストの秘儀のうちの主要な出来事を祝う諸節を典礼季節といいます。これには2つあって、ひとつは復活祭を頂点として、その準備の季節としての四旬節と復活の主日に続く50日間つまり復活節があります。そしてもうひとつの重要な典礼季節が主の降誕、公現を中心とする季節である降誕節と、その準備期間としての待降節です。これらによって、教会による第一の来臨(主の降誕)の記念と第二の来臨(終末)への待望が結びつけられ、神の救いの恵みを喜び祝い、その完成を祈ることになります。
待降節
第2ヴァチカン公会議後に行なわれた典礼暦の改定によって待降節は「二重の性格をもつ」期間とされました。すなわち、「神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、また同時に、その追憶を通して終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間」と考えられています。そのため現在では、待降節は回心の期間ではなく、「愛と喜びに包まれた待望の時」として位置づけられています。
待降節は12月17日を境に前半と後半に分けられます。前半の典礼では、待降節直前の年間の結びに記念した終末的な要素を受け継いで、終末におけるキリストの再臨への期待が強調されます。そして、17日からの後半において主の降誕への期待が強調されます。
ところで、藤沢教会では待降節中4本のローソクを用意して第1主日から順次灯火する本数を増やし、降誕が近づいてきた喜びと期待の高まりを表します。ローソクの色は3本が待降節中の祭服と同じ紫ですが、1本だけがばら色となっています。このローソクには第3主日に灯火されますが、待降節第3主日は、この日のミサの入祭唱「主にあっていつも喜べ、重ねて言う、喜べ、主は近づいておられる」のラテン語の冒頭の言葉Gaudeteにちなんで「ガウデーテの日曜日」(喜びの日曜日)と呼ばれ、この日のミサではばら色の祭服を用いることができるとされていることによるものです。
降誕節
降誕節は、主の降誕の「前晩の祈り」に始まり、主の公現後、すなわち1月6日直後の主日まで続きます。12月25日の降誕祭で主の受肉の秘儀を記念し、ついで、主の公現、主の洗礼を記念し、イエス・キリストの公生活の開始までの生涯の神秘を記念します。
なお、カトリック信者が「守るべき祝日」はすべての主日(日曜日)のほかにふたつありますが、それは主の降誕の祭日(12月25日)と神の母聖マリアの祭日(1月1日)で、いずれも降誕節中に迎えます。
今日、救い主がお生まれになった
鵠沼1区 川辺
もう30年以上も前になると思います、ある年のクリスマス・イブ、わたしは久しぶりに藤沢教会の夜のミサに参加しました。聖堂の中は立錐の余地も無いほどの人であふれ、外の寒さを忘れさせるような暖かな雰囲気で、ミサはすすんで行きました。ミサが終わり人々が聖堂から出てくると、聖堂前の広場は人で埋め尽くされました。みなお互いにクリスマスの挨拶などをにこやかに交わしています。その時わたしはその中にポッカリと空いた空間があることに気づきました。見ると、その直径2メートルほどの空間の真ん中に一人の人が立っていました。無精ひげを生やし、真っ黒に汚れた服を着た60才過ぎた野宿者風のおじさんでした。聖堂前の広場の真ん中あたりにぽつんと立っていました。聖堂から出てくる人波は、自然とそこを避けるように流れていくように見えました、まるでそこに誰も存在していないかのように。彼に話しかける人、挨拶する人は誰もいないようでした。先ほどまでのミサ、今もにこやかに語り合い挨拶する人々の群れ、そこに空いた空間とたたずむおじさん。何か違う、何か違う・・・と思いながら、わたしもどうして良いかわかりませんでした。人波が少し引いた後、わたしは思い切ってそのおじさんのところに行き「こんばんわ、クリスマスおめでとう」と小さな声で言うのがやっとでした。
その後、30年の間にわたしはたくさんの出会いを体験させていただきました。ベトナムから命をかけて海を渡ってきた難民の人々、タイの難民キャンプでのカンボジアの子供たち、全国を無銭で旅して歩いていて気が向くと教会に滞在してお掃除を手伝っていたKさん、いつも頭にタオルを巻いて、かっこだけ庭を掃いていたYさん、酔っ払ってないところを見たことの無い、教会の床下で死にかけていたアルコール依存の元大工Fさん。仕事を求めてやってきたフィリピンの人々やラテンアメリカの人々、居場所の無い社会から助けを求めるように訪れる心の病をかかえた人々・・・。
数年前から月1回、野宿の仲間の座談会と称して食事と話し合いの会を行っています。その会がはじまってしばらくしたころ、12月にはクリスマス会をやろうかどうかとの話しが出ました。いろんな人がいるから、宗教的なにおいのする「クリスマス」よりも単純に「忘年会」で良いんじゃないかとの声もありました。でもそんな時、パトロールの仲間で信者でもない人が言いました。「イエス様は一番しんどい思いをしている人々のために来られたんでしょう。だったらここでクリスマスをお祝いするのは一番ふさわしいんじゃないかな」。それは、わたしにとって、何年も前の「何か違う、何か違う・・・」への答えだったように思います。
「泊まる場所のなかった」なかで生まれたイエス様、最初にその知らせを受けたのは「野宿していた」羊飼いたち。30年前のクリスマスからたくさんの出会いを通して、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」とはどういう意味なのか、少しわからせていただいたような気がしています。
クリスマスを迎えて
藤沢1区 李
今度のクリスマスで、受洗五年になる。当時は、遥か極西のアイルランドから極東の日本まで出向いて来られたテハン神父様、ハンラティ神父様が居られ、自然体で放射される神の教えを諭される熱意に心を寄せられた。テハン神父様の司式でクリスマスの時に受洗した私にとっては生涯の記念になっており、今では、クリスマスが向後の道標となっている。古希を越しながら、己の未熟さを自覚して神の御心に沿うよう努めているところである。
最近ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」を読み返してみた。主人公のジャンバルジャンは1本のパンを盗み、19年間も獄舎に繋がれる身の上となったが、刑を終え世間の風当たりの冷たい時に教会の神父様の篤い世話を受けながら、出て行く時に銀の燭台を盗み憲兵に捕まった。神父は自分が与えた物ととりなし、無事に釈放され、神の愛を自覚するストーリーになっている。西欧ではキリストの教えが生活の下敷きになっているようで、この様な行いが無理なく理解される仕組みになり、宣教的意味合いも含まれているように思える。善悪・黒白の区別が歴然としている東洋の勧善懲悪風土の下敷きでは少し無理があるように思える。盗人も捕らえてみれば神の子か(ヴィクトル・ユーゴーはパリにいる友人に出版社への出稿を委ね、原稿の評判が気になり、友人に出した手紙は「?」。折り返し友人から「!」と返事が来ており世界の最短往復書信とされている)
聖書が世界のベストセラーを誇る書籍に数えられているが、イスラエル、ヘブライ、ラテン語など等から翻訳されており、解釈の仕方は時と場所により、難しいものがある。中世期のカトリック教会の堕落は半端ではなく、ドイツでのルターに拠る宗教革命に繋がった。宗教における根本問題は神と人間の関係であるが、当時のドイツでは、カトリックは猿とその児の如きであり、ルター派は猫とその児の関係の如しとしている(=猿猫の神学)。カトリックでは人間の自由意志に大きな価値を置き、救済のためには人間の自由意志に拠る協力を必要として、丁度、猿がその児を抱く時、児の方も協力して母親にすがる姿を想定している。一方、ルター派においては、救いは神の一方的な行為となり、人間の自由意志は本質的に問題にならない。即ち、人間の「善行」というものは理論的に否定される。人間は信ずればよいのであってカトリックの道徳的行為に価値を置かない。それは丁度、母猫が児猫を運ぶ時、首根っ子を咥えるが、児猫の意志は問題にならないのと同様であるとしている。従って、人が悪い事をした場合でも、カトリックでは個人の自由意志が問題になるが、ルター派は個人の凋落も神の意志とされている。室町末期、日本に来たフランシスコ・ザビエルが日本の阿弥陀宗の事を聞いた時、「此処にもルターの猫がいたのか」と云われたのもその意味であるされる。(渡辺昇一:「ドイツ留学」より)
「心の貴族」
辻堂2区 小川
今から63年前、戦争が終った直後、1945年、ただ、学びたい一心で「田舎の友達を忘れないでね」との疎開先の女学校の友達の言葉もそこそこに、私は東京に戻って来ました。食べるものも着るものも住む家も無かったけれど、進学を許された私の心は満たされていました。世の中は一変し日々アメリカ化して行きました。勉強の方は基礎学力が無いのに難しい講義が有ったりしましたけれど、そんなある日恩師から「心の貴族で有りなさい」と云うお話を伺いました。
「心の貴族」――食べるものはお芋ばかり、着ているものは更生服、住む家はバラック、ただ学べる事の喜びがその恩師のおっしゃった言葉を受け入れる事ができたのでしょうか。それから4年間、私は努めてそうでありたいと願いながら学生生活を送っていました。そして同時に少女の頃から考えていた"愛"って何だろう――の思いはトルストイの小説「戦争と平和」に出合い、「神は愛である」「愛は神である」との言葉が聖書の言葉であったのを知りました。何か人生が割り切れたような気持ちでした。20才頃でした。
それから卒業して何年か経った頃、父の知人のお勧めで三河島のカトリック教会に公共要理に通って半年ほど経った頃、カトリック教会の保育園で保母が一人欠員になっているので働かないかといわれ試験を受けましたら運良く受かり、実習はお手伝いをして居りましたので免除で保母の仕事をさせて頂いておりました。その間、働きながら考えて居て一番辛かったのは山上の垂訓の一番目、「心の貧しい人は幸いである。天の国はその人のものだからである」「自分の心が貧しい人」それが何だか解かりませんでした。それが本当に苦しくクリスチャンになるには今の自分を捨てなければいけないのか、そんな事できない。解からない、解からないでした。今から思えばそれこそが最高の貴族なのだと理解できるのですが、自分を捨てるのは難しいと思っております。
しかし人生の最終章を日々生きながら一歩でもイエス様に近づければと思いつつも、何事も皆様のお力を頂かなければ暮らせなくなりました昨今、どうぞより良いクリスマスが迎えられますように。待降節も近づきましたので、つたない祈りが少しでもできますようにと願っております。
八角形の意味とFujisawa共同体
藤沢2区 家田
わが国で単層の平面が八角の建物のうち最も有名なものは、天平建築の法隆寺等院本堂の夢殿です。鎌倉建築には、興福寺北円堂と広隆寺桂宮(けいきゅう)堂の八角堂があります。珍しいと言えばそうですが、日本人にはなじみ深い建築物です。
さて、藤沢教会の八角形は教会建築としては珍しい形です。恐らくこれほど大きな八角形聖堂は日本では唯一のものではないでしょうか。ヨーロッパでは八角形の建造物は洗礼聖堂にその形を見ます。古いものでは北伊ラヴェンナに5・6世紀の素朴な洗礼堂があります。ロマネスク様式で12世紀末から建築が始まったパルマの洗礼聖堂は八角形で壮麗に厳然としてそびえています。フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレの正面にある八角形のダンテが洗礼を受けた洗礼聖堂も美しい姿を示しています。ロマネスク建築では南仏コンクの聖堂の十字形の屋根の中心部に八角形の塔が聳えています。南仏トゥールーズのサン・セルナン教会の塔はその高さと美しさで目を惹きます。高い八角形の美しい塔には天国への憧れが感じられます。このようにヨーロッパでは八角形の建造物はたくさん見られます。
キリスト教では、イエスが復活後八日目に弟子トマスらに現れたことから「八」は、復活の象徴の「聖なる数」と考えられています。したがって「八」は再生・復活の象徴として、塔や柱、洗礼堂と洗礼盤などが八角形で作られたわけです。とくに聖堂の天を目ざす八角形の塔は、天を表わす円と地を表わす方形の中間状態の形状として人間の行為そのものと考えられたり,または天上を憧れる地上の構造物と考えられたのです。天国への憧れを象徴するものが高い美しい塔なのです。洗礼堂が新しく生まれ変わる場所であり、塔が天国への憧れであると言うことは、われわれがかつて洗礼を受け、最終的には神の国で神との一致をめざすその姿の象徴であるとも言えます。藤沢教会の八角形大聖堂はわれわれが新しい命を生き,永遠の生命を目指す場所であると考えることができます。
また藤沢教会の大聖堂の原型は洗礼聖堂で、その目標はヨハネ黙示録が描く神の国、天のエルサレムであり、神の愛の中に入る「愛の完成」です。藤沢教会(エクレジア)は神に呼び出された者の集会の場です。ここで最も大切なことは主の食卓を囲むミサ典礼です。ミサは愛について集中的に話された最後の晩餐を目前にし,イエスの受難による救いを想い起こす大切な時間です。しかも聖体拝領によって、イエスとともに聖なる晩餐の食事に与り、神と一致できる素晴らしい時です。
「救われた者たちの集まり」である藤沢教会の人びとは、この時個人的な聖体拝領ではなく、共同体として拝領し、キリストを頭とする神秘体の中で一つになります。魂は神の恵みに満たされ、神の国に入る保証を得ます。すべての人が神と一つなる天国と同じ経験をすることになるのです。この「神秘体」は全世界的な広がりを持っています。これがカトリック教会の素晴らしさではないでしょうか。 この八角形の大聖堂は、四方八方へのカトリック福音宣教の拠点でもあります。主のご降誕によって始まったキリストの救いに続く教会による「救いの継続」は、われわれもその担い手です。八角形聖堂の藤沢教会の諸活動がいずれもオメガ(最終目標)「愛の完成」に向かう共同体として、人びとすべてが前進する姿でありたいと思います。
わが主のご降誕に始まる「救いのみ業」にわたしたちもイエスの福音の教えを携えながら、共に歩んで行きたいと思います。
教会委員会報告(11月15日)
10月20日工事着工。順調に進行中。12月初旬完成予定
11月29日(土)13:30~15:30、大船教会にて。テーマは「あなたは大切な人」(別項参照)
中高生から30代の既婚、未婚青年層までの活性化プロジェクトが進行中。中高生の保護者へ子供達を取り巻く状況についてインタビュー。学生会は青年会と名前を変え、学生、社会人を対象に年齢枠を広げたものとし、毎月第3日曜日ティエン神父様にかかわっていただいて、ぶどうの木で例会を開く。今後は外国人コミュニティにも参加を呼びかけていく。30代未婚グループは毎週日曜日9時半ミサ後集まりをもち、鎌倉ハイキングや新年会を予定。また12月このグループを対象に教会とのかかわりについてアンケートを実施する。30代既婚グループは4組に対してインタビューを行い、今後ゆるやかな集まりを持っていく
合葬の園は、聖心の布教姉妹会の付帯施設として年内に建築許可がおりる見通し。12月の教会委員会で資金計画と申込要領等の原案を審議し、信徒総会で決定する予定
10月26日(日)9時半ミサ後に報告がなされた通り、横浜教区では、10年後司祭数が半減し司祭が常駐しない教会が出るという予測がなされている。本件に関し、藤沢教会としてどの様に対処するかを全員で討議した。
信徒から「いざとなれば必ず対応できるので今から心配することはない」「人材をもっと育成する必要がある」など。鈴木神父様から「各教会に神父が常駐することはなくなるという前提で、第5地区の教会(司祭、信徒)、学校、修道会全体としての協力体制を模索することになろう」との話があった
(財務)トイレ改修費の2分の1(約300万)を工事着工時に支払済
(広報)「八角形にゅーす」アンケートを回収(別項参照)
(福祉)購入したアシストホーン(補聴器)10台の保管・使用・管理要領は11月23日(日)の各ミサ後に説明する。貸し出しは11月30日(日)から。当面は主日ミサ時のみ実施
(国際)来年度の部長に鶴田光子さんが就任予定
(典礼)来年から、第5週主日9時半ミサ中で信徒が教話(神父説教に替わるもの、10分程度)を行う方向で準備中。1回目は3月を予定
(教育)日曜学校は11月16日(日)聖園にて十字架の道行。11月22日(土)東京神学院へザビエル祭参加。12月24日クリスマスミサで聖劇。ボーイスカウトは12月14日クリスマス会
(事務局)来年度から教会委員、教会内グループ代表などを対象として、インターネットを利用した教会カレンダーを作り、情報の一元化を図りたい
(鵠沼)11月9日(日)センターホールにてブロック集会
(北2)11月21日(金)十二所黙想の家にて黙想会。指導は英神父様。11月29日ブロック集会。典礼の分かち合いを予定
(藤沢)12月7日(日)ブロックのクリスマス会
列福式に参列して
青年会 清水
11月24日に行われた列福式に参列して来ました。前日23日に長崎に入り、浦上教会で行われた溝部司教様による“前夜の祈り”と26聖人記念教会で長崎教区の青年達が企画した“朗読と黙想”にあずかることができました。前夜の祈りでの溝部司教様のお話は、主に天正遣欧使節の一人としてローマを訪問したジュリアン中浦について話されました。セミナリオで司祭を目指し勉強に励んでいた11歳から15歳ぐらいの青年達にとって使節団の一員という役目は名誉なことであり、また夢も大いに膨らんだことであったと思われます。ローマでのパパ様との謁見、勉強その他・・・・。幾多の困難を乗り越え、やっと帰りついた日本。20代になった青年達にその当時の日本はどのように眼にうつり、どんなことを感じたのだろうと考えさせられました。
列福式当日は生憎の雨模様で、188名の殉教者の悲しみと喜びの涙なのだろうと思いました。式中、雲の切れ間から太陽の光が覗きました。偶然に起こったことかも知れませんが、この時だけは“キセキ”だと思いました。それは、とても綺麗で感動的で神様や殉教者の方々が天国から喜んでいるのだろうと感じ、思わず涙が出そうになりました。白柳枢機卿様のお説教では、「怖れずに歩み一緒になって進みましょう。怖れるな怖れるなと神様がそして殉教者が呼びかけています。」と力強いお言葉で述べられていらしたのが印象に残っています。
今回の列福式のために作られた、数多くの歌がミサ中の所々で歌われました。殉教した子供たちに思いをのせて「空にとどくように」、ペトロ岐部をたたえるための「恵みの帆をあげて」、188人の殉教者のために「ペトロ岐部と187殉教者賛歌」など。「あかしびと」という歌に
“あなたのためならこの命さえ惜しくはない”
“あなたを離れて誰の所にいきましょう”
“たとえその先に死があろうとも恐れはしない”
などのフレーズがあります。正に殉教者達はこの思いで神のもとへ旅立って行ったのだと思いながら、会場で3万人の人達と共にこれらの歌を歌えたことに喜びを感じました。
188人のうちの多くは、家族や親族での殉教でした。家族の絆が薄れつつある現代社会の中で、日本で初めて行われた列福式に家族とともに、また多くの信徒という家族とともに一緒に会場で直接に同じ感動を味わうことができ貴重な体験ができたと思いました。
湘南短期キリスト教セミナーに参加して
大庭 荒井
11月29日、第5地区共同宣教司牧委員会「信仰の力を育てる」部門の公認行事として、「あなたは大切な人」をテーマに、セミナーが180人の参加者を迎え大船教会で行われました。
第1講師、澤信子シスターは、女性の緊急一時保護施設ミカエラ寮の現場の生々しい実情を朴直に話してくださいました。行き場ない女性、DVによる母子生活解体の危機にある女性たちのための「駆け込み寺」が必要とされている実態。3人に1人がパートナーから暴力を受け、経済的困窮にある女性の姿。そしてDVが次世代の子供達に連鎖して行く可能性。10年の我慢は回復に20年かかるという驚きの事実。最も親密のはずの集団である家族で暴発する暴力の回復は、身内では難しく、他人の力が求められると言われる。その時は、イエスがマグダレナのマリアを受け容れられたように、その女性を無条件で受け容れると説かれる。ミカエラ寮は、年間150人以上を受け入れ、ボランティアの支援と大半は寄付によって運営されていると言う。セミナー参加者は、シスターの関わっている問題を単に傍観者的に見るのではなく、自分の問題としてとらえるきっかけにすることができたのではないでしょうか。お話の始めと終りに「キリストの平和」と「いつくしみと愛」を合唱したことは象徴的でした。
第2講師、平林冬樹神父は、11月24日に長崎で行われた「ペトロ岐部と187殉教者」の列福式の印象をこう述べられました。「全国の信者が一箇所に集って祝うことはすばらしかった。これまで、様々な分野の全国大会はあったが、45万信徒の内3万3千人が集って祝うことの意義は測り知れない。みな満足して帰ったと思う」
藤沢教会では先に平林神父にこの列福について講演していただきました。師が今回も強調されるのは次のことです。「列福列聖をつくるのは、本人のためでなく、私たちのためなのです。イエスを知る手掛りは聖書にあります。福音書の中にも曖昧なところがあります。例えば『イエスは祈っていた』というが、何を祈っていたのだろう。どういうふうに祈っていたのだろう。それを導いてくれるのが先輩である聖人なのです。そして日本人らしいキリスト教を私たちは先輩たちの中に見ることができるのです」「何年もかけて調べ上げ、教会がお墨付きをつけた信仰の模範となる先輩、世界に通用する日本人信者の先輩が福者たちなのです」「殉教とは犠牲ではありません。漢字の語感とは違います。マルティリア即ち証しする。これが殉教の語源。苦しみは神と出会う場です。苦しみを良き訪れにするには『命をかける』ことです。殉教者イコール証し人と認識しましょう」「188人の各様の信仰生活。それは現代の私たちにも多様な信仰に基いた生き方を示してくれます」
188の先祖のメッセージを自分たちの信仰生活に生かしていこうではありませんか。
今回のセミナーをふりかえるとき、今日のDVにおいても、また歴史的な殉教にあっても、そこに通底するものは何でしょうか。力ある者が支配を示そうとするとき、その者が弱い者に対して力を行使することだと思います。身近かで親密と思える家族家庭の内で、ある価値観の支配関係から暴力が生まれDVとなりましょう。また、日本人同士という隣人の間で、権力者の論理と価値観による支配関係から日本人仲間のキリスト教信者に暴力・弾圧が加えられ、歴史に残る殉教者を出したのではないでしょうか。
人は弱いと強くなろうとします。「でも、強くなんてならなくていい。頑張るだけでいいんだ。今より少しでも人の気持ちを想像するだけでいいんだ」どこかで読んだことばが、セミナーが終わったあと、胸に浮かんできました。
東京カトリック神学院「ザビエル祭」
一粒会 鈴木
11月22日、今年も第五地区の教会が一緒に東京カトリック神学院の「ザビエル祭」に行って参りました。今年は2日後に長崎で列福式があり、昨年よりは少ない人数でしたが、大船、片瀬、藤沢から子供たち約30名を含む、幼児から大人まで計50名を超える参加者でバスはいっぱいとなりました。
ティエン神父様のお祈りの後、片瀬と藤沢の日曜学校のリーダーが考えて下さったゲームを楽しみながら神学院に向かいました。神学院では野外ミサから始まり、子供たちは広いグランドで走り回ったりお化け屋敷などに入ったりしながら、神学生とのふれ合いを楽しんでいました。宮内神学生とトゥ神学生は、忙しい中を子供たちとの記念写真に入って下さいました。
東京カトリック神学院としては今年が最後ということで、ザビエル祭も来年からはまだどのようになるかわからないということでしたが、多くの神学生と子供たちが触れ合える機会として、神学院祭がこれからも続いていって欲しいと願っております。
小学1年 もとひろ
ぼくはザビエルさいに行きました。これで3回目です。みや内神学生や山田神父さまに会えて、うれしかったです。いん内めぐりと、こどもスポーツきかくが たのしかったです。らい年も行きたいです。
小学3年 奈玲
ザビエルさいでは、色々なことがありました。1つめは、宮内神学生とあえたことです。7月にあった時いらいでした。2つめは、野外ミサでのことです。その野外ミサでは、なんと・・・宮内神学生がとてもたくさんの手話を、耳の聞こえない人にやってあげていました。わたしはとてもびっくりしました。3つめは、神学院の中をたんけんしました。神学生のお部屋がたくさんありました。神学生は、そうじとうばんもきめているそうです。4つめは、今よりまえの古い神学院のおにわには、中くらいの池があったそうです。5つめは、おみやげを買ったことです。一つ100円で4つ買いました。6つめは、広い野原がありました。とても楽しかったです。
中学1年 世鈴
私は、今日で3回目のザビエル祭に行きました。今までとちがう経験をしたのは、宮内神学生以外の神学生とお話ができたことです。とくに、いっしょにお話ができたのは、宮内神学生、大西神学生、春名神学生です。神学生達は、私たちの話しに、すぐこたえてくれたり、のってくれました。春名神学生とは、野球の話もしました。神学生の話がいっぱいきけて楽しかったです。
大学3年 麻美
初めてザビエル祭に参加して、神学生の日々の生活を垣間見ることができたような気がしました。また、神学生の部屋を見させていただくという、貴重な体験もさせていただきました。神学校は、想像以上に広くきれいで、その静かな環境の下、司祭になるための勉強に励まれているのだろうと思いました。これからも、立派な司祭になるため、神様のお恵みを受けながら、勉強されてほしいと思いました。
11月16日(日)男の子12名、女の子11名の大勢の子供たちを迎えて七五三の祝福式が行われました。岩間神父様に祝福を受け、聖家族のおメダイを首にかけて頂き、千歳飴も頂きました。ご両親を初め多数の大人達の見守る中、もじもじする姿も微笑ましくなごやかな式になりました。
七五三しゅくふくしき ひろこ
いわましんぷさまのおはなしをききました。さむくなって、なかなかえさもみつからなくなってしまう、おさるのおやこのおはなしでした。でもかみさまは、きびしいさむさでもおさるのために、ちゃんとたべものをよういしてくださるとおはなししてくれました。名まえをよばれてまえにでたときは、ドキドキしたけれど、しんぷさまにおメダイとちとせあめをいただいたときは、うれしかったです。
しちごさん 珠里
きょうしちごさんのしゅくふくしきでした。ぎりぎりでおわっちゃったとおもったけれどやっていてよかったです。まえにでていっぱい人がいてびっくりしました。ちとせあめがとてもおいしかったです。おめだいをみて「わあ」とおもいました。
昇仙峡ハイキング
湘南台 宮崎
11月4日、「岩間神父様と共に紅葉・ほうとう・温泉を楽しむ旅」がおこなわれました。ハイキング日和の朝7時、総勢25名の参加者を乗せたバスは藤沢を出発し、最初の目的地、甲府へと向かいました。バスが走り出すと、お世話役の八木さん、黒江さん、そして萩田さんのご挨拶の後、神父様にマイクが渡り、朝のお祈りとなりました。今回の旅は「自然に触れることによって、神様のお恵みをより近くに感じる」ことを目的に計画されました。そして、自己紹介で皆さんが様々なところで岩間神父様と関わっているということがわかりました。
最初の訪問先である甲府教会には予定通り10時半過ぎの到着でした。係りの方が出迎えて下さいました。1925年に建てられたという聖堂はローマから運ばれたステンドグラスで飾られていて、内陣のアーチ状の壁の高い位置には、これもまたローマからやって来た等身大の6体の聖像が並んでいました。聖フィロメナ、聖ヨセフ、聖心のイエス、無原罪の聖母、聖テレジア、トマス篭手田の6体です。これらの方々の見守る中、私達は心を合わせ先日帰天されたヴィンセンシオ田邊徳成さんのために祈りを捧げました。
甲府教会を後にして次に昇仙峡へと向かいました。12時ちょうどハイキングスタート。約5キロの上り坂でしたが、いつもと違う空気、音、景色の中で皆の足取りは軽かったようです。途中、天鼓林で昼食をとりました。見上げると半分程紅葉しかかったもみじ葉の間から青空が覗いていました。トテ馬車という馬車に乗った方もいましたが、久枝さんと家田さんが最後まで歩き通されたのには本当に驚きました。そして、この渓谷を上りきった所にある影絵美術館を見学し、バスに乗り込み山中湖・紅富士温泉へと向かいました。この山中湖への道を走っている時、めったに鳴らないという萩田さんの携帯電話が鳴りました。それは反対車線から私たちのバスに気が付かれた片桐さんからのお電話でした。思いがけないハプニングでバスの中が和やかになりました。
そうこうするうちにバスは紅富士温泉に到着しましたが、休館日に当たってしまいお休み、急遽、河口湖の別の温泉へ。少し温泉タイムが短くなってしまいましたが温かい温泉でハイキングの疲れを癒すことができました。次はお食事です。甲州名物のほうとうを「小作」でいただき、お腹いっぱいになったところで帰路につきました。藤沢には8時40分到着。予定より少し遅くなりましたが、皆さん楽しく、元気に一日を過ごすことができました。
引率して下さった岩間神父様、お世話係りをして下さった方々、バスの運転手さん、そしてご一緒して下さった方、皆さんに感謝いたします。
第2回介護フォーラム
福祉部 友田
「イザという時、知っていれば役立つ、介護保険制度の基礎知識」の内容で、11月9日(日)ミサ後、聖堂にて鵠沼2区の石崎氏を講師に迎えて、介護システム、要介護と要支援の違い、施設、在宅のメリット、デメリット等、身近な問題を、石崎氏が関わっておられる「ひろまちだより」をレジメとして、高齢化の現状を含め丁寧な語り口で分かりやすくお話して頂きました。
ブロック、地区集会も重なりましたが50名ぐらいの方が参加され、石崎氏のお話後3つのグループに分かれて、短い時間でしたがそれぞれの感想等の分かち合いました。その中で、自分に介護が必要になった場合なるべく家族には負担をかけたくない、自分が我慢しても施設に、また、一人では教会に来れず介護が必要になった場合でも、信仰を持ち続ける、それを支援するシステムが教会内に出来たら、お互いに助け合う場所ができれば等の活発な思いの分かち合いを持つことができました。これらの思いを来年度の福祉部の活動に生かしていければ、と願ってフォーラムを終えました。
介護フォ一ラムで学んだこと
鵠沼2区 石崎
生きていれば誰でもが、いつかは歳をとります。自分の老いる姿については、自分自身がよく見えないで、それほど気付かないでいます。ところが何十年ぶりに幼な友達や懐かしい学友たちに会って、その頭の輝き、白髪の様子、皺の多さにハッとさせられ、自分も同じ年輩なのだと諭されることがあります。考えてみれば、私たちは毎日毎日が老いとの一瞬というわけです。しかしその老いについて、苦にしても仕方がないことですし、苦にしないことにしています。むしろ、老いは老いとして率直に受け止め、人間本来のものを失わず、ますます大切にして、一途に生活し続ける努力をしたいと思います。
人間本来のもの、人間ならのものとはなんでしょうか。それは「心」だと思います。もっと具体的には、真心、誠意、熱意、兄弟愛、感謝の気持ち等々ではないでしょうか。それらは時には涙をさそい、微笑みをもたらします。ロ一ソクの蝋はとけながら明るく輝きつづけています。私たちもお互いに最後まで、灯しつづけて生きていきたいと日々祈り、思いつめています。それには、私たちの心の中に一貫した、しっかりした芯を持っていかなくてはならないと考えます。その芯とは、深く神を信じ、祈る心、みなの幸せを願う心を持つ事ではないでしょうか。そういう心があれば、逆にいつまでも若さを保つことになります。このような心を持って、人生を歩み続けていくには、人の力も、助けも必要な場合があります。ともに励ましあいながら豊かな心を持って老いを迎えていきたいと願っています。
超高齢社会の到来は待ったなしで、突入しています。これからは「介護の質」「介護の量」が社会の豊かさを示す重要な指標となってきます。しかし「成熟」という人生の課題が、介護という「社会問題」に回収され、矮小化されている現状で、日本人の「老い」の貧相な実像があります。介護保険が導入されたとはいえ、世界の国々では例を見ないほどの急激な高齢化による「社会の変動」はいろいろな摩擦や葛藤を生んでいます。高齢社会の諸問題については、最先端に歩み出している日本人の取り組みに、世界は注目しています。少子化、核家族、高齢者の自殺・心中・虐待等々介護の大変さと関連する諸問題もあります。人の繋がりが弱まる地域社会では様々な活成化対策が練られて、動き始めています。救いの共同体である教会も熱い思いで取り組む必要があります。介護や福祉に関わっている専門職の方、家庭内での介護体験者、地域のボランティアとして介護に関わる人々が共に力を合わせて、変動する時代に対応するための手がかりを造っていくことを提案します。
まず一人一人の信者ができることは何か、を見出していく努力が必要です。次に小回りのきく、目配りのある小さな活動グル一プを起こし、その志や目的に応じて活動していくことです。生活者の価値観が多様化している地域社会の課題は、人間同士の信頼関係をどの様に築いていくかです。活動として高齢者の場合、相談や話し相手。訪問や外出活動、食事や家事支援、趣味や製作活動支援等です。介護保険でできること以外のことを、一人ひとりに向き合い心に響き、結び付きを強めることではないでしょうか。教会全体が高齢者をどのように包み込むことができるかが、問われていると考えます。
「葬儀を考える会」フォーラム報告
辻堂2区 佐々木
死者の日である11月2日、恒例の「葬儀を考える会」のフォーラムが開かれました。参加者は約50名、今回のテーマは「臨終洗礼」でした。初めに、教会が臨終に近づいている方々に対してどのようなサポートをしているかの説明がありました。
教会は病気の信者を支えるために、2つの秘跡を大切にしています。聖体と病者の塗油です。出来れば主日のミサの後、その日の福音と共に聖体を届けることが望ましいのですが、少なくとも月に1度は届け、ともに祈りながら聖体を授けて病人を力づけます。また「病者の塗油」の秘跡は、病人を油を塗り祈ることによって支えます。昔は「終油の秘跡」と言われましたが、第2バチカン公会議後臨終の時のみならず、体が弱った時に受けるように勧めています。病者を励まし、病気に負けないように祈ります。また臨終の近い方には、神の国への旅路の糧の願いを込め、より多くの恵みが与えられるようにとの意味から聖体を小片として差し上げることもあります。
日本の現実は、妻だけが信者のケースが多く、死期が迫った時に「臨終洗礼」を授ける場合も多くあります。それは家族の信仰を支え、この世を去る人への支えにもなります。
続いて3人の方から、身近な方を支えられた体験を分かち合っていただきました。
沼上さんから、ご両親が洗礼と病者の塗油受けられた体験が話されました。今夏母が手術を受ける折に、父の肺に影が見つかり、しかも末期のがんと告げられました。もうなす術がなく、教会の敬愛する信者の方に相談して、父の誕生日に両親揃って受洗し、病者の塗油を受けました。不思議な導きの中にいると感じられ、本当に良かったと思います。
萩田さんからご主人に臨終洗礼を授けられた体験をうかがいました。3年前の7月に亡くなった夫は、常々「俺の葬儀は藤沢教会で」と申しておりました。6月末に腹部の激痛により救急車で運ばれるまでは、旅行をしたり、野菜作りをしたり、プールと元気に過ごしておりました。国府津教会の納骨堂が出来た時、2人で見に行き、主人は「ここに決めた」と申しました。まだ洗礼も受けていないのに・・と思いましたが、とてもうれしいことでした。胃がんの手術を受け、その後元気にリハビリをしていましたが、10日後に亡くなりました。亡くなる前に、私が夫に洗礼を授けました。息子と2人だけの静けさの中で洗礼を授け、とても満たされた思いがいたしました。すべての事がとても不思議で、すべてが感謝です。それで、主人を送った後直ぐに平常の自分に戻れました。すべてが神、聖霊の導きの中に生かされています。鈴木神父様が言われた「すべてが恵みの時」を実感しています。
魚津さんから、親友の洗礼、堅信に関わられた体験が話されました。10年先輩の親友にがんが見つかり、手術後、院内感染(MRSA)による高熱のために意識不明となり、飲み仲間であったネラン神父よりICUの中で洗礼を受けました。その後見る見る元気になり退院しました。3年後にがんが再発してなくなりましたが、本人は意識がしっかりしていて、死を見つめ改めて堅信を受け、1年後に亡くなりました。この体験から多くのことを教えられました。私は会う人毎に「私はカトリック信者」と伝えています。知人のご主人がくも膜下で倒れた時に、奥様から「主人に洗礼を受けさせたい」との電話が入り、すぐに鈴木神父様に相談しました。「あなたがしなさい」と言われて、筑波に行きました。偶々そこの教会の司祭と連絡がつき、洗礼と病者の塗油を受けることが出来ました。この場にいた家族とこの体験を通して親戚以上の関わりを、今も頂いています。
その後、5,6人に分かれて30分余り分かち合いました。皆異口同音に体験談がとても参考になり良かったとの感想が聞かれました。
最後にまとめがありました。もしも、本人が洗礼を望まないなら、無理に洗礼を勧めない方がいいかもしれません。ご主人が洗礼を受けなければ天国に入れないということではありません。天国へ行くかどうかは神様にお任せしましょう。それよりも一番大切なことはできれば元気なうちに話し合っておくことです。亡くなった後、遡っての洗礼は出来ませんが、墓石に十字架を刻むなりして、信者である家族の支えにするのも良いでしょう。洗礼はキリスト者として生きるための秘跡であり、めぐみです。死ぬためや葬儀のためではありませんので、本人が望まれる場合には、病気になったら早めに洗礼を受けることをお勧めします。キリスト者として生きることで、本人にとっても家族にとっても、より恵み豊かな時になります。死に方は選べませんが、生き方は選べます。これからも皆で考え、分かち合いましょう。
ヴィンセンシオ田辺さんを偲んで
鵠沼3区 平野
私が小学生の頃の公教要理に「徳とは善を行なう習慣なり」という一節がありました。名は体を表すといいますが、田辺さんはそのお名前の通り、正しく、善を積み重ねた徳の人でした。「私どもカトリック信者にとっての生き甲斐は、自分の一生の間に出会った人たちが、少しでも幸せになるように、精一杯努力し、協力をすることです」という教会の教えを、田辺さんは忠実に守られた方でしたから、私どもにとっても、生きた模範でした。私は、田辺さんとはレオの仲間として、永い年月身近に接する機会がありましたから、確信をもって申し上げることができます。
田辺さんは、教会のイベントの殆どに関与し、教会の設備、備品、家電、水回り、庭木などの維持管理にあたり、特に人の嫌がる仕事には自ら進んで汗を流してくれました。敬老の日の楽しみになってきた聖堂裏の庭ブドーは、本場の石和仕込みの田辺さんから、手入れの技法を伝授されたレオが、不器用ながらも受け継いでいるものです。田辺さんは多能多才な方で、その働きの総てがすぐれたセンスと明晰な頭脳と見事な職人わざに裏打ちされたものでした。田辺さんは人の心を傷つけないよう常に留意し、目立つことを避け、物静かで、万事優しく振る舞う方でした。何かを頼まれると「はい、いいですよ」と、明るい返事で引き受けていました。また椅麗好きで、何時も整理整頓を心がけておりました。聖堂の椅子の配列マークも、気分がすぐれない中で、永い時間をかけて、田辺さんが張りつけて残してくれたものです。口数少なく、泣きを入れず、暗い顔を見せたことがなかった田辺さんは、余程、芯の強い方だったのでしょう。そのためでしょうか、病状の悪化も、仕事の関係で知らされたレオ以外は誰も気付かなかったようでした。いよいよ、体を動かすことが苦痛になり、入院の日が迫るその直前まで、田辺さんはミサに与り、レオに顔を見せていました。まさに、信仰に基づいた気配りと奉仕の心を貫き通して、燃え尽きた生涯であったと思います。
レオグループはこの数年の間に、頭と体が同時に動く、働き頭の我妻さんと窪田さんを失ない、いままた、田辺さんを見送ることになりました。今年のバザーを終わってみて、「田辺さんの存在が如何に大きかったか、よく分かりました」という声が、あちこちで聞かれました。これから後、一緒に汗を流す仲間も残り少なくなりました。寂しいです。親しい人との別れは辛く悲しいものです。しかし、私どもには小さいながらも信仰があります。私どもの身近な方が、天国にいることは何とも心強く、頼りになります。やがて再会の日も来ます。この想いは、深い悲しみの中にあるご遺族の皆様の涙を拭う慰めとなり、笑顔を取り戻す希望に繋がって欲しいと心から願っております。そして私はこの藤沢教会で、田辺様ご夫妻との素晴らしい出会いがあったことを、繰り返し神様に感謝いたします。
エルダーズに参加して
鵠沼3区 川南
毎週月曜日の10時から12時頃までお茶やコーヒーなど飲みながら、人生経験や時事放談など、10名から15名位で楽しいひと時を過ごさせていただいております。また春の花見、教会巡礼、月1回お食事会など多彩な企画を実行し、支えて下さる方々にお礼を申し上げます。
前回「日々の祈りについて」意見交換をしましたが、私は神父様と老婦人の忘れない会話を知っています。知人の老人は80才過ぎ病身になり娘さんに介護されながらベッドの上でいつまでこんな生活が続くのか、不安とみじめさを見舞いに来られた神父様に「こんな体になり娘達に迷惑をかけ役立たずの私を神様は召されずいつまでも生かして下さるのか…」と嘆きの声を出されると、神父様は「あなたに大事な役目を果たしてもらいたいから生かしておられるのです。手足が不自由になっても、それはベッドの上で充分できるのです。それは祈りです。祈る事を知らない人、知っていても多忙過ぎて時間のない人、忘れている人達のためにあなたが祈ることです。あなたにはあり余る程の時間があります。神様はあなたにその時間を与え、そして祈ってもらう役割を果たしてもらいたいのです。だから嘆かずお恵みに感謝して務めを果たしてほしい」と元気づけられたそうです。
今、私も老境に入り、この会話を改めてしみじみとかみしめております。若い時にはおろそかにした祈りの時間をこれから役立つ時間に…、そしてまだ生かして下さるお恵みに感謝しながら、エルダーズの会の皆さんと共に楽しく有意義な時間を大切にしていきたいと思っております。
200号を契機に編集内容を見直そうと皆さんのご意見をお聞きすることになり、54名の方から回答をいただきました。毎号800部を作製し、2〜30部程度しか余りませんので750部は活用されているとして7%程度の方のご意見ということになります。60歳以上、女性が中心になっています。(「回答者の属性」参照)
当然のことながら「ときどき読む」1名以外「毎月読む」と関心の高い方々です。記事のなかでは神父さんのメッセージ「巻頭言」が最も多いものの、総じてまんべんなく読まれているようです。(「どの記事を読むか」参照)その理由としては「福音を享受できる」「教会の動向が分かる」「投稿など信仰のヒントとなる」など前向きです。「今後どのような記事を期待するか」についてフリーアンサーをいただいています。現状に満足な方も多いのですが、主だったものを列記しておきます。
編集部としては「八角形にゅーす」が皆さんの期待にお応えし、教会が司祭、修道者、信徒が一体となって歩むことができるよう微力を尽くしたいと思います。このたびは貴重なご意見、誠にありがとうございました。
キリスト教的なこと、聖霊的なこと、魂の糧となるもの
神父様方の信徒、共同体への希望、メッセージ
教会の将来に関するもの
教会が信徒に望むこと、信徒が教会に期待すること等どのような共同体を目指すか折に触れてメッセージを
小さな動きにスポットライトを当て育てて行き、信者の意識改革を促すものとなって欲しい
老齢で教会に行けないので何でも知らせて欲しい
第5地区の他教会の動き
読書感想、書籍の紹介
典礼と行事予定を詳しく
鈴木神父の川柳を続けて欲しい
典礼部の典礼についてのシリーズを続けて
現在行っている講座、集まりの具体的な紹介
共同宣教司牧の様々な動きの紹介
若い人(特に20、30代)からの発信
報告記事ではなく前向きな記事を
教会についてのQ&A コーナーを設けてはどうか
各国際コミュニティからの発信、教会の普遍性に関わる記事を司祭や委員長との往復書簡の形で載せてはどうか
広く日本や世界のキリスト教についてのトピックを
時々編集後記など編集の様子が分かる記事を
教会に関係のないエッセイ、人生の教訓、ちょっといい話、ペット自慢など
個々の信者の人となりの分かるものを
なかなか発言できない人の心を表に
他の教会で今月のみ言葉として印象に残るみ言葉があったのが良かった
議論の巻き起こるようなテーマを年毎に
高齢化による様々な困難がある、若い人への移行をテーマに皆でかんがえたい
鈴木神父の川柳(8)
今月号はA年その2です。文中*印の付いた文は鈴木神父が添えられたものです。
2008年
3/2
見えそうで見えないぐらいが楽なのに
見えそうで見えないぐらいが丁度いい
信頼がなければ見えないものがある
(四旬節第4主日)「ヨハネ9・1,6-9,13-17,34-38」
(*信じる→見える)
3/9
永遠の眠りと生命迷うなあ
(四旬節第5 主日)「ヨハネ11・3-7,17,20-27,33a-45」
(*信じる→生きる・生命)
3/16
十字架は愛がなければ愚かなり
見事なりバカとオバカは大違い
(受難の主日)「マタイ27・11-54」
3/23
やせがえる負けるな神の備えあり
いたずらな神のユーモア空の墓
(復活の主日)「ヨハネ20・1-9」
(*アブラハムのいけにえの話)
3/30
なぜなのかわからないけど大丈夫
(復活節第2主日)「ヨハネ20・19-31」
(*神さまのなさり方の不思議をおもいながら)
4/6
全能の神にはできない放たらかし
(復活節第3主日)「ルカ24・13-35」
4/13
羊より山羊に近いかおれたちは
(復活説第4主日)「ヨハネ10・1-10」
(*自分の力で何とかしてしまい神の導きを待てないところ山羊に近い)
4/20
おい見たか捨て石見事に生かされた
(復活節第5主日)「ヨハネ14・6」
(*使途ペトロの手紙2・4-9 キリストは家造りの捨てた石。これが隅の親石となった)
4/27
おい見たか愛する者には見えるもの
(復活節第6主日)「ヨハネ14・15-21」
(*愛する者は...)
5/4
見上げれば空の広さに主が見える
(主の昇天)「マタイ28・16-20」
(わたしは天と地の一切の権能を授かっている)
5/11
案ずるな聖霊がいて君がいる
(聖霊降臨の主日)「ヨハネ20・19-23」
(彼らに息をを吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい」)
5/18
もうすでに三位一体その中に
(三位一体の主日)「ヨハネ3・16-18」
(文責 益満)