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八 角 形 に ゅ ー す

2009年2月8日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

奇跡の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木

教会委員会報告

湘南台センター報告

キリスト者一致のための合同祈祷会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 梅澤

牛丼−北1ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 松尾

美術と音楽で知るキリスト教・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 小野

善きサマリア人は誰でしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・シスター キャスリン

キジト神父からの便り

信徒の教話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部

鈴木神父の川柳(10)

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奇跡の話
司祭 鈴木

1月の半ばに吉崎門下生のグループ展「道展」が今年もありました。私も毎年出品しています。約25人のメンバーですが、同じ師匠についているのですから共通するものがありますが、個性の違いもあります。人はすべてを学びとるということはないのだと思います。

「人は心に取り込んだ、ほんのいくつかの言葉を拠り所に生きている」と誰かがいっていましたが、絵の描き方にも通じるものがあります。その人の色の使い方は大体一定のものがあり、きっとその人には、そのような色に見えるからなのでしょう。そこから、好き嫌いも分かれてくるのはごく自然な成り行きだと思います。多くの人は自分が見たいものだけ見るからでしょう。それにしても、「いいなあ!」と思える絵があるのはどうしてなのでしょう。上手な絵が心に届く絵かというとそうでもありません。やはり素直に力を抜いて描けた絵が感動を与えるのだと思います。普通何かをする喜びは上手になることにあると考えられています。するとどうしても力が入りすぎて作為的になり、見ている方が苦しくなってきます。絵の場合も、心が動かないものを描こうとすると小細工をしたくなったり、気が乗らない、筆が進まないという経験をします。心動かされると不得意なことでも、上手に描こうなどとあまり考えず、苦労はしても、自分の腕で素直に謙虚に描けて、人の心に何がしかの感動を伝えることが出来ます。これは奇跡的なことだと思うのですが…。

人生も絵も偶然の積み重ねが多いというか、神様のはからいの中で営まれているのだと謙虚に思うのがよいのではないでしょうか。今年の私の絵はあまり得意でない建物、茶色系の作品ですが描く気になったものです。そのうち、藤沢カトリック・センターのホールに掛けますから、良かったらご覧ください。



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教会委員会報告(1月17日)

<報告>

1.国際部及び教育部の部長交代

国際部長は興膳さんから鶴田さん(藤沢1区)へ、教育部長は井出さんから西田さん(長後)へ交代

2.第5地区短期キリスト教セミナー新委員選出について

17年間継続してきた湘南短期キリスト教セミナーは昨年度より第5地区共同宣教司牧委員会第2部門「伝える」に組み込まれることになり、名称も第5地区短期キリスト教セミナーと変更された。したがってこのたび委員を一新してスタートする。当教会から2名の委員を人選中

3.第5地区共同宣教司牧委員会 事務局担当者新任

本年度は担当司祭鈴木神父、世話役浮田氏の体制ですすめていく。会場も藤沢教会となるため事務局担当として興膳さんが新任された

4.宮内神学生の助祭叙階式について

5月3日山手教会にて主日ミサ中に行われる。会場の収容能力から参加者は制限される模様

5.2008年度財務報告

2008年度の収入合計は7,015万円で前年比△4.2%。2000年度以降の傾向としては祭儀献金が減少しているが、維持費やミサ献金は横ばい。横浜教区の分担金は全支出の26%。2008年度の大きな修繕支出は、トイレ改修エレベーター修理。その他詳細は信徒総会で報告

<議題>

1.信徒総会

2月8日に開かれる信徒総会は2部構成とし、1部は2008年度の教会の動きと財務報告。浮田委員長より全体の報告および2009年度にむけての抱負、各ブロック長よりブロックの動きと抱負が語られる。2部は合葬の園事業についての説明と質疑となる予定

2.合葬の園

合葬の園は、聖心の布教姉妹会の修道院付帯設備として建設確認申請を行う。6500万円程度かかる総費用は10年程度で回収できる予定である(1体10万円で約700体収容の設備)が、建設着手時点で藤沢教会手持ちの資金から立替払いをする必要がある。1年目で200人の申込があるとしても4,500万円程度の手当てが必要。長期的設備修繕計画を含めた資金計画を1月末までに作成する。公益事業(公開事業)ではない為、原則的に藤沢教会信徒と修道院関係者を対象とする

3.湘南台センター

昨年2年の賃貸契約でスタートした湘南台センターは1年が経過。次の契約交渉のため、今年6月までに委員会で存続について結論を出す。この1年の活動報告は2月の八角形ニュースに掲載するが、利用・運営状況は良好で、費用収支も大きく改善している

4.宮内神学生司祭叙階

鈴木神父より、司祭叙階式は出身小教区でとの司教様の意向を受けて、来年にひかえている宮内神学生の司祭叙階式は藤沢教会が中心となるが、1年位前より準備委員会を組織する必要があるのではないかとのお話があった

5.政府・定額給付金について

世の中を騒がせている定額給付金、賛否両論あるようだがこれを無駄に使うより本来の目的である弱者(ホームレス・職を失った外国人等)へ行き渡らせるべく、救済基金として教会が募金したらどうか、今後の情勢を視野に入れ、第5地区にも働きかけ賛同者が多いようなら運動を推進したいとの意見が出た。

<その他>

(総務)教会のごみ集積所を改善しネズミ対策をとった。

(教育)子供ミサは2009年度も第4週に行う。日曜学校は2月13,14日に一泊の小学生黙想会。ボーイスカウトは2月14日金沢教会でリーダー研修。2月28日スカウト創設者べーデン・パウエル祭

(典礼)@2月11日典礼研修会(申込用紙は聖堂)、3月1日合同入信志願式。いずれも藤沢教会にて。主日ミサ中の信徒教話は3月29日9時半ミサから行うA次期の聖体奉仕者を選任する必要がある。4月までに各ブロックから4〜5名推薦願いたい。再任可、任期2年

(国際)外国人困窮者の支援を考えていきたい。国際ミサは昨年より簡素な形で9月末頃開催する予定

(宣教)@12月13日の合同市民クリスマスの際の協力に感謝が寄せられている。A宣教部と典礼部の連携を進めるための第1回話し合いを2月1日に予定

(福祉部)アシストホーン貸し出し場所が分かりにくいため、ミサ時、聖堂玄関を入ったところに専用の机を設ける。福祉部とミサ案内がお世話する

(北1)4月25日(土)聖園修道院で英神父指導による黙想会開催。他のブロックにも参加呼びかけ。6月の遠足は高木さん案内で横浜の殉教地巡礼を企画中



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湘南台センター報告
スタッフ一同

昨年1月末に湘南台センターが神様の愛と恵みまた藤沢教会の多くの皆様からの暖かいご支援の内に、新しく場所を変えて発足してから1年が過ぎました。

この間のセンターの活動をご報告いたします。運営はすべてボランティアで行っています。ボランティアに登録された方々は37名、活動時間帯は、月曜から土曜まで1日2交代とし、10時から13時、13時から16時迄、現在、順調に当番を続けています。

活動内容は第2、第4土曜日の午後5時よりのミサ、また第3日曜日にはスペイン語のミサがあります。湘南台は南米の人達の住まいに近いことから、普段でも30名以上集まり、クリスマスなど大きなお祝い日にはセンターに入りきらないほどです。ギターや南米の楽器での活気にあふれたミサが行われています。特に最近の不況で生活に困っている人のために、どうしたらよいかという相談会も昨年12月から始まっています。彼らの相互扶助の精神には私たちも学ぶべきことを改めて感じさせられます。

キリスト教入門講座は毎週月曜日と木曜日の2回、司祭及び信徒による聖書のクラスを一ヶ月に13回、その他ロザリオの会・霊的読書の会・コーラス・リコーダー・聖歌(答唱詩篇など)刺繍・声楽・オカリナ・折り紙・かな書道・和洋裁・手作りの会などのクラス、外国人の子供たちへの算数教室、映画ビデオを見る会があります。手作り教室ではバザーのための作品、年末の船員さんのための帽子も作りました。また、毎週金曜日の夜にはAA(アルコール依存症)のグループの方々が使用しておられます。

こんな具合で、ほとんど毎日利用されている現状です。センター利用者の数は、平均して延べ人数で1ヵ月約300名程度です。昨年度のセンター主催の行事は、1月末の開所式ミサ2月にウイリアム・ジョンストン神父による黙想会がありました。今年度の行事は、お知らせにも記載していただきましたが、1月24日の開所一周年の記念ミサ及び31日の下窄神父の黙想会がありました。2月24日には「イエスの小さい姉妹の友愛会」のシスター・アガタ・貴子にお話をしていただく予定です。シスター・アガタはルアンダから一時帰国中で、限られた時間を割いてくださることになりました。映画とビデオを見る会では「テレーズ」「デッドマン・ウオーキング」「ガンジー」などを予定しています。また、エコロジカルな意味で廃油を使った石鹸を作り、希望される方にお分けしています。廃油は信徒および一般の方々のご協力をいただいております。その他、これらの活動に信者でない一般の方々が、入門講座はもちろん、コーラス・リコーダー・刺繍・オカリナ・和洋裁・折り紙の各教室等に参加してくださっています。

近隣の教会への働きかけとして、中和田教会の方々へ大きな行事についてはお知らせし、参加していただいております。藤沢教会の子供としての湘南台センターの活動に主のお導きと皆様のお祈り、ご協力を心から感謝しつつ、ご報告いたします。



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キリスト者一致のための合同祈祷会
辻堂2区 梅澤

1月17日(土)午後2時から藤沢市内キリスト教連絡会主催の「キリスト者一致のための合同祈祷会」が鵠沼めぐみルーテル教会で開催されました。今年の聖書のテーマはエゼキエル書37章17節から「それらはあなたの手の中で一つとなる」でした。<すすめの言葉>は「海を超える教会−伝道によって結ばれる民」と題して日本キリスト教団藤沢北教会の藤盛牧師から頂戴いたしました。藤盛牧師は、人間の計画が挫折した時に初めて神の声を聞き、神のご計画を知る事になる、と話されました。そして、神の声を聞く時に人の本当の声(魂の叫び)を聞く事が出来きるのだ、とも話されました。昨年「キリスト教一致祈祷週間」として合同で祈りが共にされるようになって100周年を迎える事が出来ました。しかし元々、この運動が起こったのは1740年スコットランドで聖霊の働きに目覚めた先達方の信仰覚醒運動(メソジスト運動)の祈りであったと記されております。長い歴史を振り返る時、私たちは沢山の先達方の計画と挫折、そして神の声を聞いた彼らが神の声に聴き従って隣人の魂の叫びに耳を傾けそして隣人を自分のように愛していった姿を知る事になるのだと思います。

当日は小さな冊子が用意され、その冊子に従って会が進行されましたが、この冊子の原案は韓国カトリック司教協議会と韓国基督教協議会からの代表者グループによって準備されたそうです。韓国も日本もアメリカも現代に於いては世界中が一段と隣人の心の声(魂の叫び)を聞く事の必要性を求められております。それこそ宗派を超え教派を超えキリストの名の下に一つにならなければと痛感いたします。そしてそれには、まず私の隣人とは誰か?を知り自分を捨てて、家庭において、学校や職場そして地域において神の声に聴き従い、神のご計画の平和の国づくりのために働いて行かなくてはいけないのだと気づかされた一日でした。会の終わりには会場を付属の幼稚園に移し、温かいコーヒー・紅茶、手作りケーキなどを戴きながら楽しくお互いの教会の近況報告会となりました。

尚、当日の出席者は10教会・1修道院・1団体・一般1名からで合計84名の参加者がありました。献金60,335円は会場となりました鵠沼めぐみルーテル教会の働きのために捧げられました。

最後に各教会から藤沢市内キリスト教連絡会として働いて居られる兄弟姉妹、特に当日会場を提供して下さり司会のお役を担ってくださった鵠沼めぐみルーテル教会の高野牧師、パイプオルガンを演奏して下さった遠藤さんの方々に心より感謝してご報告を終わらせていただきます。



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牛丼 − 北1ブロック集会
六会 松尾

新春のミサを終え、初日の陽光輝く教会の広場で、にこやかに新年の挨拶を交わしている時「松尾さん北一ブロックの集会について八角形にゅ−すに載せる原稿を書いて下さい」と声が飛んできました。その声は威厳に満ち、反発する余地なく「はい」と答えてしまいました。さて困りました。私がこの集会に参加したのは、ある連絡員さんの「おいしい"牛丼"がでますよ」という甘言に釣られてのもので、私の関心は専ら"牛丼"にあり、会で何を話し合ったのか、話し合われたのか記憶があまり定かでないのです。でも「はい」といった以上、書かねばなりません。頭の隅に残っているかすかな記憶の糸を手繰ってみましょう。

集会は昨年のクリスマス(12月25日)昼のミサ終了後、センターホールで開かれました。話し合いはブロックが担当する本年1月11日のミサ当番に備えて、ミサについての勉強から始まりました。教材には「聖書と典礼 2009・1・11」を使いました。「ミサには流れがある」講師の口から最初に出た言葉です。福音書に流れがあるようにミサには流れがある。その流れの方向は「聖書と典礼」の表紙に@小さく書かれている一節(この方は水と血を通って来られた方、イエス・キリストです)、そして次のページ下段に書かれたA入祭唱・最後のページのH拝領唱よって知ることができる。ミサが始まる前に@〜Bに注目し、その日のミサの流れを知ることが大切です。その日のミサの朗読、福音、答唱詩編、共同祈願すべてがこの流れの上にあります。流れをつかむことはこれらを理解する大きな助けとなります。

そして第一朗読(イザヤの預言)第二朗読(使徒ヨハネの手紙)を読み、印象に残った言葉をお互いに発表し合いました。このように朗読・福音を聞くとき、その全てをとらえようと考えず、その日の自分の心の琴線に触れる言葉や文章があったら、それを心に留め、吟味することが大切です。また朗読に当たっては読み聞かせるというのでなく、参列者の皆さんと一緒に読むという気持ちで読む。そうすることで「心のこもった朗読」ができる。などなどといろいろのご指導を頂きました。(講師の岡村さん、私はお話をこのように理解しましたがこれでよろしいのでしょうか、間違っていたら次の機会にご指導お願いします。)

勉強の次はミサ当番に当たっての、先唱などの役割を決めなければなりません。(これは難題だな。"牛丼"は遠くなるばかり)と思っていると司会者の巧みなリードもあって意外にも皆さん積極的に手を挙げて下さってあっというまに手打ちになりました。昨年の北一ブロックの活動の中で特筆すべきはバザーを担当したことでしょう。皆さんの絶大な協力をいただきつつ、ブロック役員の献身的な奉仕があって立派な成果があったとのこと本当にご苦労さまでした。

大分時間も過ぎました。そろそろ"牛丼"のお出ましの時間です。厨房から良い匂いも流れてきます。あれよあれよという間にテーブルに溢れるばかりのご馳走が並びました。"牛丼"は勿論、すき焼き、珍しいベトナムのチャーハンもあります。ビールも林立しています。さあ頂きましょう。にぎやかな歌声に乗って食欲が進みます。今日は北一ブロックの皆さん、中でも女性の皆さんの熱意溢れる奉仕の姿の一端を見せて頂きました。日頃の地味なご奉仕にも心から感謝申し上げます。またご馳走のある時だけ顔を出すような私を温かく迎えて下さって有り難うございました。

(追記)ミサ当番に備え勉強して参りましたが、1月11日のミサは成人式のミサとなりました、ミサ当番は新成人に譲ります。次の機会の糧としましょう。



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美術と音楽で知るキリスト教
藤沢2区 小野

昨年4月より12月まで、藤沢2区の家田さんによる非常に素晴らしい講座がありました。講座名は「美術と音楽で知るキリスト教」、藤沢教会のセンターホールで毎月2回(第2・4火曜日の午後2〜4時)16回に亘る長期講座で、参加者はいつも20名前後と盛況でした。前年にセンター2階集会室、10名程度で行われた講座を継ぐものです。

講座は毎回マラナタの斉唱で始まり、講師の丁寧な解説を聴きながらテーマに応じ準備されたスライド・DVD・CDなどを視聴して、キリスト教への理解と感動を深めるユニークな企画であり、終りは参加者の質疑応答およびフリートークやラテン語聖歌を歌って、いつも感動のうちに帰宅しました。テーマの内容は、@キリスト教の文化的表現 Aイエスの原像(聖書)と美術 Bミサ曲における神のイメージと信仰の内容 C水野源三の詩による賛美歌 D教会暦が表現するキリスト教の全体像 E最後の晩餐とミサ Fヨーロッパ中世の聖堂が表すキリスト教AロマネスクBゴシック Gバッハにおける信仰の表明 Hキリストの十字架上の七つの言葉 I黒人霊歌 Jサン・マルコと聖母マリアの夕べの祈り K天使的修道士フラ・アンジェリコの世界 Lモーツアルトの宗教曲 Mヘンデルのメサイアは何を歌うのか、でした。

家田さんは1932年生れ76歳、上智大学文学部を卒業後、同大学院西洋文化研究科に進み、現役時代は名古屋にある南山短期大学教授として「キリスト教文化史」を2002年まで講義、さらに非常勤講師として「ヨーロッパ芸術論」を2005年まで担当された、の研究者です。藤沢へ転居されてから藤沢教会に所属。「藤沢教会の八角形の意味」に関する記事(八角形にゅーす第200号、2008年12月発行の7頁)を参照ください。このような方が私達の身近に居ることは誠に幸運です。家田さんは講座中の9月に新たな著書「メサイアは何を歌うのか―その魅力と醍醐味」を聖公会出版から発行され、多数の受講生が購入しサインして頂きました。今年はメサイアの作曲家ヘンデルの1759年没後250年という記念すべき年であり、あちこちでメサイアが演奏されることでしょう。タイムリーな書籍出版として喜ばれており、藤沢教会の売店がりらやでも好評のうちに取り扱われています。

私は50歳を過ぎて入門講座を5年間に3度受けて11年前に受洗。アフター講座にも1年間参加しましたが、今回のようなユニークな講座は初めてでした。幸い会社員時代から横浜YMCA混声合唱団などに30年余り在籍し、ミサ曲やメサイアを含む宗教曲なども数多く歌ってきました。Y混の常任指揮者はカトリック信者の高校教師で、各曲の意味や背景の説明は勿論、夏冬休みの欧州旅行で体験した現地教会でのエピソードなどを色々と披露してくれました。その時はピンと来なかったのですが、自分が信徒となり欧州旅行を重ねるうちに少しづつ心に響いてくるものがありました。それらが今回の講座を聴きながら体系的に整理され、美術と音楽の視聴覚素材の裏打ちを受けてグーンと理解と感動が深まるという、実にありがたい貴重な体験でした。



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善きサマリア人は誰でしょうか…
シスター キャスリン

つい最近の事です。私のお正月休みの最後の日の夕方,ぎゅうぎゅう詰めで暖房が効きすぎている電車に乗りあわせてしまいました。子どものころから、十分に酸素がないところで気を失うことが時々ありました。そのときにも気分が悪くなり耳鳴りがし始めて視界もぼやけてきてしまいました。前の席の人に頼んで席を譲ってもらい、やっとの思いで座りました。電車が戸塚駅で止まった時、降りて新鮮な空気を吸った方が良いと思いました。足に力が入らないので、やっと降りたプラットホームに座り込み柱に寄りかかって目を閉じてじっとしていました。私は、どなたかが助けて下さるであろうかと思いながら、ラッシュアワーのホームで数百人の人々が通りすぎてゆく足音を聞いていましたが、立ち止まって声をかける人は、誰もいないのです。深い孤独を感じました。ついに一人の男の人の声が駅員さんを呼びましょうか?と尋ねて下さいました。「お願いします」と答えますと、男の人は駅員さんを呼びに行ってしまいました。また独りでかなりの時間座っていました。すると、耳元で優しい声が聞こえてきました。「大丈夫ですか?何かしてほしい事ありますか?顔が青いですよ。暖かくした方が良いですよ」目を開けてみますとホームレスに見える少しアルコールのにおいがする男の人でした。私は決して彼の優しい顔を忘れる事はないでしょう。駅員さんが私を事務所に連れて行って下さるまで、彼は私のそばに居続けてくれました。その後、事務所で横になってしばらくしたら回復しましたので無事に帰宅しました。

私は、本当に善きサマリア人に出会ったと確信しています。そして移動中にお会いするホームレスの方々に新しい眼差しを向けています。



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キジト神父からの便り

我が親愛なる友人達、浮田様とお仲間の皆様

ウガンダのキヤングワリ難民居留地内聖パトリックセンターより私たちのすべての愛情をこめて、ごあいさつ申し上げます。雨季が始まろうとしています。雨のない8カ月の後、そして104°F(40℃)の長期にわたる酷暑の後、今や毎日雨降りです。川は満ち溢れ地面のひびは消え、我々の難民居留地までの道は強靭な四輪駆動車以外はほとんど走行不可能です。すべてのものが、緑に変わりつつあります。あなた方の親切なご援助で最近造られたばかりのRain Water Harvest Project(雨水による収穫事業)を役立たせる機会が与えられつつあります。自然は再びよみがえります。それは、危険な蚊やゴキブリたちの天国でもありますが…。私たちは、エボラ熱は言うまでもなく、マラリヤ、コレラ、腸チフス、下痢、このような最も予測されうる、しかも死に至る病気をとても恐れています。しかしながら待降節、クリスマスの時期に、この新しい命の始まりを経験することはすばらしい事です。それは、私たちがイエズス様を通して全ての命の始まりをお祝いすることこそがクリスマスであるからです。皆様方が楽しいクリスマスと幸せな2009年の新年を迎えられますように。

2008年という年は、多くの異なる驚きによって特徴付けられる年でした。私達の住むアフリカの地域では、2008年は政治的激動の年でした。年の初めにケニアでは選挙があり、それによって何千という死者、行方不明者が出ました。酷い出来事が近隣のジンバブエで続けざまにおこっています。一方、コンゴでは東コンゴ反乱軍とキンシャシャ政府との間の生々しい内戦の戦火から逃れようと、何千という難民が大挙して押し寄せております。今まで、500万人以上の人々がコンゴでの10年に及ぶ紛争で亡くなりました。スーダンのダルフールでは何がおこっているのかという酷い事実をご存知でしょうか。それと同時に自発的に本国スーダンに戻る難民達が昨年はピークに達し始めました。今こそ平和を望む時です。その本国でさえも、安全が脅かされ続けていると訴えて、私達の居留地に戻って来る者が多くいます。それゆえ、今年はイラクばかりではなく、ここも多くの戦争,死、破壊、テロ一色でした。そして、実際今だかつてないほど私達は多くの難民を受け入れました。

神のご加護によって、聖パトリックセンターでの生活は比較的順調です。多くの祈り、集会、ワークショップが行われ、難民たちの苦境を知って来る世界中からの訪問者達を歓迎しています。あなた達の援助、祈り、経済的援助、手紙、小包などそのどれにおいても、私達の生活に奇跡をもたらしてくれます。あなた達からの莫大な援助の受け取り手たちについて少々お話しましょう。2008年10月現在難民人口は3329人から16677人に増えております。内訳は、コンゴ、スーダン、ルワンダ、ブルンジ、ソマリア、エチオピア、ケニアからです。コンゴが最も多く50.24%で、続いてスーダンの48.87%です(2008年11月3日付け総理大臣月間報告より)。

皆さん、私は生まれて54年、そしてこのような不透明な状況下で無私の神父として27年目の年にあたり、27歳だった叙階式の時の私とは、今や同じ自分ではないと思います。活動力は徐々に衰えつつあります。ここの人々は私を"Muzee"すなわちスワヒリ語で「老練な賢者」と呼びます。が、この上品で熟練した名前にもかかわらず、私は27年前の自分と何ら変わらぬ熱心さで難民を助ける使命を果たしていると感じます。マラリアにしばしばかかりますが神様は寛大にもいつも私にマラリアと戦う手段を与えて下さいます。ほとんど休暇をとる機会はありません。苦闘が続きます。この任務において、私にたゆまない支持を常に下さる数少ない友人であり後継者の一人があなた達である、ということをお伝えできますことを幸福に思います。2008年という年にあなた達は特に私達にとって特別に大切な方々であります。あなた達の援助のおかげで、経済的によりよい状況にいるというわけではないとても多くの難民と、難民受入国の人々の命を私は救い続けることが出来ます。感謝感謝です。私とこの巨大な難民社会から皆様方に私の心からの祝福と祈りを送ります。クリスマスと新年が皆様により多くの喜びと友情、ご健康、ご多幸をもたらしますように。多くの飢えた人々がその命に新しいキリストを必要としている事に気付きます。それゆえ、そうした人々が特に来る新年に「東方からの賢者(マタイ伝2章11節)」を私達の心の中から見出せますように。



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信徒の教話
典礼部

「教話」はラテン語のプレディカチオ(praedicatio)、ギリシャ語のケリグマ(kerygma)の訳で、生きた神の言葉である福音を人々に伝えることを意味しています。ですから、これは教会の基本的な務めであり、本来は洗礼を受けたすべての信者に託された預言職としての働きです。教会の長い歴史の中で、さまざまな異端との戦いを通して「教話」は福音の体験を証しするものよりも正当な信仰を誤りなく伝える手段として、聖職者を中心として行うものになって行きました。

特にミサの中で行われる「説教」(homilia)は、典礼暦の流れを通して読まれる聖書をもとに、信仰の神秘とキリスト教的生活の規範が説かれる卓越した教話として、司教、司祭、助祭の聖職者のみに留保されています。しかし同時に、信徒もある条件のもとで必要とされるか有益であるとされる場合、許可を受け教会で教話を行うことが出来るとされています。それにしたがって、これまでも神学生が養成の一環として教話を行ったり、特別な意向の典礼で、司祭とともに信徒が信仰体験を分かち合うなどのことが行われています。

藤沢教会では、主任司祭の提案で年に数回(今のところ月の第5週の日曜日を考えています)、ミサの中で司祭の導入に続いて信徒によるみことばや信仰体験の分かち合いに基づくお話しを試行してみようと計画中です。これは、さまざまな方が持っておられる信仰の体験が、みなの前で分かち合われることによって共同体の信仰が励まされ、より豊かなものとしていかれると言うことを期待しての計画です。また、それは同時に、司祭不足が明らかな今日、藤沢教会でもミサのない主日に集会祭儀が行われる際、みことばが豊かに分ち合われるように、私たちの共同体として今から養成されていくことにもなるでしょう。

一人一人の信者に与えられた預言の賜物を共同体の中で分かち合い、それを受けたわたしたちが、社会に向けて「主の福音」を証ししていくことを目指すひとつの試み、みなさんもちょっと心に留めて考えてみてください。



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鈴木神父の川柳(10)

今号はA年その4です。今回をもって、このシリーズ(C・B・A[05-08]年の3年間に詠まれた句の紹介)を一応終了します。全10回で所載した句は112句でした。

2008年

9/14
与えれば与えるほどに生き生きと
(十字架称賛)「ヨハネ3・13-17」
(神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された)

9/18
こうなればお恵みだけが頼りなの
(敬老ミサ)「パウロ・コリント書(一)15・1-11、ルカ7・36-50」

9/21
一度ぐらい変えてみたいなこの尺度
(年間第25主日)「マタイ20・1- 16」
(後にいる者が先になり、先にいる者が後になる)

9/28
正しいと思うことほど変えにくい
(年間第26主日)「マタイ21・28-32」
(あなたたちはそれを見ても、後で考え直してかれを信じようとしなかった)

10/5
捨石を親石とする神のわざ
(年間第27主日)「マタイ21・33-43」
(家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった)

10/12
天国はゆるしを願う柔らかさ
天国は最後の楽しみ未だ早い

(年間第28主日)「マタイ22・1-14、または22・1-10」
(招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない)

10/19
神のものでないもの何かあるかしら
(年間第29主日)「マタイ22・15-21」
(神のものは神に返しなさい)

10/26
人間は助けたいなと思うもの
(年間第30主日)「マタイ22・34-40」
(隣人を自分のように愛しなさい)

11/2
いつか死ぬ受けとめられるかよいことと
神さまはどこにいるのかこの体

(死者の日)「ヨハネ6・37-30」
(一人も失わないで、終わりの日に復活させることである)

11/9
苦しみは救いの希望のゆりかごさ
(ラテラン教会献堂)「ヨハネ2・13-22」
(あなたがたは神の神であるというパウロの言葉を受けて[鈴木神父の注])

11/16
タレントは苦手なことと見つけたり
(年間第33主日)「マタイ25・14-30、または25・14-15、19-21」
(そのタラントンをこの男から取り上げて、...)

11/23
そんなもの思わず助けたカンダタも
(王たるキリスト)「マタイ25・31-46」
(わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである)

最後に鈴木神父さまからのメッセージをお伝えします。

「お気づきとも思いますが、下手でも続けていると、わりとスラスラ川柳ができるようになります。得意でないことでもやってみようと思ったのはなぜか?不思議ですねえ。気が向いたら、あなたもいかがですか。そのうち、賞品付きの“投柳会(?)”でもやりませんか。」

(文責益満)



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