八 角 形 に ゅ ー す
2009年4月13日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ティエン
−復活節−・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・典礼部
マグダラのマリアと復活・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 丸山
「人の子」の受難・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村
「あなたの隣人を愛しなさい」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 山内
ご復活おめでとうございます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ベトナム・コミュニティー フェン
旅の同伴者に励まされて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 岩間
Help第3報・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・国際部 鶴田
静修の集いに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 佐々木
「神の歩みを見た10年」−カトリック教会とロシア−・・・・・・・・・・・・善行 岡村
入信志願式に与って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 斎藤
鵠沼ブロック集会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 牧野
ウガンダから皆さまへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・クンバ大学 ヘンリー
SVP(聖ビンセンシオ・ア・パウロ会)2008年度藤沢協議会報告・・六会 高橋
合葬の園経緯と今後・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・建設準備委員会
お墓についての私の本音・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 梅澤
小グループ活動紹介 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聖歌隊
募集・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・広報部
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに・・・
司祭 ティエン
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取り除けてあるのを見た。そこで、シモン、ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。『主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私たちには解りません。』 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った・・・シモン、ペトロは墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た・・・それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。」
それは、復活の日の朝のことでした。まだ朝早く、辺りは闇に包まれていました。何も見えなかったにちがいありません。マグダラのマリアとシモン・ペトロはイエスの姿が見えなかったので、主が墓から取り去られたと思いました。
「朝早く、まだ暗いうちに・・・」何も見えません。しかし、イエスが愛しておられたもう一人の弟子も墓の中に入り、見て、信じました。彼は何を見たのでしょうか?彼は何を信じたのでしょうか?この弟子は他の二人、マグダラのマリアとシモン・ペトロが見えなかったものを見ました。彼は誰もいない墓を見て、主が復活されたことを信じました。
「朝早く、まだ暗いうちに・・・」イエス様が復活された日の朝の話を聞くと、私は最初のベトナム脱出に失敗して刑務所に入れられた時のことを思い出します。独房にいたある朝早く、まだ暗いうちに、私は何か騒がしい声で目覚めました。私は起き上がって、誰がこんな時間に話をしているのかと部屋の外を見回しました。しかし、辺りは真っ暗で何も見えませんでした。耳を澄まして聞いていると、信じられない言葉が聞こえてきました。驚いたことに、人々がロザリオを唱えていたのです。その人たちは独房の中で祈っていました。私の目が暗闇に慣れてくると、何人かの人たちが部屋の隅に座ったり、壁に寄りかかりながら祈っている姿が見えました。
私は胸が熱くなり幸せな気持ちになりました。そしてその瞬間、救われたと思いました。刑務所の中にもカトリック信者がいたのです。神様はここにもいらっしゃいました。朝早く、辺りはまだ真っ暗でしたが、私は何かが見えて、気持ちが高められるのを感じました。その頃の私の生活は、夢も希望もなく、未来は真っ暗でした。しかし、その朝体験したことは、私に生きる力と希望を与えてくれました。
「『朝早く、まだ暗いうちに・・・』 しかし、先に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」私は人生で、特に闇の中で苦しんでいる時に、このような復活の体験を出来るように願っています。神様、あなたを見て、信じることが出来ますように、私を助けてください。
復活節
典礼部
カトリック教会の典礼暦の上で、「復活の主日」の典礼である「復活の聖なる徹夜祭」から始まり、「聖霊降臨の主日」までの50日間を復活節といいます。
歴史的には、主の復活の日である「週の初めの日」が「主の日」と呼ばれて1週間周期で復活を記念する日として大きく祝われるようになり、これが1年周期においては「復活祭」として祝われるようになりました。そして1年周期では復活祭の祝いの1週間が1日を1週間に見立てて7週間・50日に延長され、その祝いの期間は聖霊降臨で完結します。したがってこの50日間は一つの祝日としてキリストの復活とその栄光を歓喜に満ちて祝う期間です。「アレルヤ」が特に歌われるのはこの季節です。このうち復活節の最初の8日間は「主の復活の8日間」と呼ばれて主の祭日のように祝われ、週日のミサにおいても「栄光の賛歌」と「復活の続唱」が歌われます。また、復活後40日目に主の昇天を祝います。典礼的には復活節第7主日を主の昇天の祭日としています。そして主の昇天後から聖霊降臨の前日の土曜日までの週日は、聖霊を迎える準備にあてられています。
復活節はまた、復活徹夜祭に「入信の秘跡」すなわち「洗礼」「堅信」「聖体」を受けてキリスト者となった新信者が共同体の中で秘跡を受けながら自分も秘跡(神の愛の証し人)になって行くための「信者としての生活の手ほどき」を受ける期間であり、同時に新信者を受け入れた共同体も共に喜び祝うときでもあります。新信者は求道期、洗礼志願期とは違って、共同体の一員として典礼の場で聖書を聴き、学び、信者として生きるための「教話」(「秘儀教話」ミスタゴギア)を受けてキリスト者としての使命により深く目覚めるように導かれます。したがって小教区共同体として新信者に対して次のような配慮が望まれます。
(1) | 可能な限り、主日の典礼を中心にした生活のリズムを作る | |
(2) | 典礼の理解、とくに典礼暦に沿った生活、秘跡を受けながらの生活を学ぶ | |
(3) | 小教区共同体の中に、自分の場を見つける | |
(4) | 典礼奉仕へ段階的に参加する(奉納、朗読、聖歌隊・・・など) | |
(5) | 家庭生活(子供の教育)、仕事の上での信者としてのあり方を考える |
藤沢教会は今年の復活祭に、10数名の方が入信の秘跡を受ける恵みをいただきました。
共同体としてともに喜び、感謝するとともに、主の過越しの神秘に預かったこれらの方々がキリスト者としての道を豊かに歩まれるように祈りたいと思います。
イースター福祉バザー
喜びの季節を、福祉にたずさわる方々と共に!!
日 時 | 4月26日(日) 10:30〜14:00 |
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場 所 | 聖堂前広場、駐車場、 センター・ホール | |
出 店 | ・各福祉団体 ・Helpコーナー(国際部) ・食堂 カレー、そば、パン、白玉だんご |
マグダラのマリアと復活
鵠沼1区 丸山
天使たちが、「婦人よ、何故泣いているのか」と言うと、マリアは言った。
「私の主が取り去られました。どこに置かれているのか、私には分かりません」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、何故泣いているのか。誰を捜しているのか」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたが、あの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私があの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である(ヨハネによる福音書20;12−16)。復活祭が来るたびに、よく読まれ、黙想される箇所です。
聖書は、はじめマリアが「それがイエスだとは分からなかった」と言い、イエスが「マリア」と言われたとき、「ラボニ」と言い、初めて、それが復活したイエスだと分かったと記しています。分からなかった時と分かったときの間に超えられない壁、次に大きな飛躍があるように思えます。普通の日常的な生活から,突然マリアは神の霊を受け生まれ変わり、神の国が現出したような感じさえします。その間に何があるのでしょうか?
そのために、「新しい神秘主義」を提唱しているジョンストン神父の著書「愛する」―瞑想への道― の一部を引用します。
神父はまず、恩寵に助けられれば努力次第で祈れる、いろいろな形式のすべての祈りについて述べます。そして「しかし次の一歩となると、急に飛躍する感じで、賜物として注がれた観想(注賜的観想)と呼ばれ、普通でない特別な祈りとなります。その特徴は、神の現存を経験的に知覚することです。私たちは、皆だれでも神の遍在を信仰によって知っていますが、注賜的観想においては、その現存が明白に経験されるのです。「神が私の周りに現存しておられることが分かります。経験しているので、疑いようもありません」とは、そういう観想家の一人の言葉です。その観想家はまたこうも言ったようです。「この経験は自分の方から求めたものではありません。他から与えられたもの、全くの賜物です」と。これは聖霊の訪れです。
私の知人のこの聖霊の体験者の話を、そのまま引用します。
聖霊は内的な炎として具体的に体験されているのが分かります。そして、実はこの体験者が、言葉に表すのが難しいその体験を、聖書に映してみると、冒頭の聖書のキリストの復活の場面の、マリアの体験と全く重なると言うのです。「神の炎・エネルギーが外から訪れるのを体で感じた。頭が狂ったのではないかと。イメージではない。実在の体験だった。神の訪れの時、自分を忘れていた。そして今までは、自分のほうから神に向かって祈っていたが、神のほうからこちらを見る体験が出来た。境がない。神の国はイメージではなく圧倒的な実在で、人間の思いをはるかに超えていた。日常の意識レベルの生活とは、天と地ほども違う神の世界が普通の生活のここにある不思議さ」
ジョンストン神父は、神秘主義を「経験による知識(智慧)であり、抽象的なものは何もないリアリティの世界です」と言っています。 我々は、このような時間を越えた、永遠の生死を越えた、至福の世界を体験することは極めて難しいと考えますが、この体験は、仏教の悟りという体験と極めて類似していると云われています。例えば、鎌倉の禅堂に行き、老師(禅指導者)に「悟りたいのです」と言えば老師は「では教えましょう、座ってください。人間誰でも仏性を持っており、悟りはひらけるものです」と言われる筈です。
ジョンストン神父は新しい神秘主義について、「観想者への手紙」(現在翻訳中)の中で、いくつかの特長を挙げ説明しています。
興味深いものを引用すると「伝統的なキリスト教神秘主義の教えは、これまで修道士や修道女たちのものでしたが、この新しい神秘主義は、一般信徒にも語りかけるものです。一般の人々がメッセージに目覚め、耳を傾けるようになり、悟り(enlightenment)への道を勇敢に歩みはじめているのです。今や私たちは瞑想が少数の人たちのものではなく、すべてのさまざまな人たちに開かれているのに気付いています。おそらく神秘主義には普遍的な使命があると語った昔の神学者たちは、ようやくその正しさが立証されたでしょう。カール・ラーナーが未来の熱心なクリスチャンは神秘家であると述べたのは正しかったでしょう。それとも、招かれた客たちが来なかったので、主人は通りに出て、だれでも婚礼の祝宴に入るよう強いたのでしょうか?」と。
「人の子」の受難
善行 岡村
生前のイエスは、ご自分のはたらきを「人の子」という名称であらわされました。
これは、人と成られたキリストをあらわすのにふさわしいと同時に、私たち一人ひとりに、その生き方を問われている言葉として受け止めなければならないように思います。ユダヤ人にとって、神とは別に、人の考えや思いで人を考えることは出来ない、無意味なことでした。「人の子」は、神と共にある「人の子」で、イエスご自身、共に居られる父から遣わされていると繰り返し語られるのを、決して忘れてはならないでしょう。
四旬節に当たりわたしは、「人の子」の受難を思わずに居られません。
次の問は、今までもずっと気になっていました。そして、今も当時のユダヤ人と共に問わずに居られません。
何故「人の子」は受難しなければならないのか、と。
「どうして、人の子は上げられねばならない、というのですか。人の子とは誰なのですか」(ヨハネ12:34)モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない」(ヨハネ3:14)
モーセが荒れ野で蛇を上げた時、イスラエルの民はどんな状態だったでしょうか。イエス・キリストが十字架に架けられた時、イスラエルの民はどんな状態だったでしょうか。神の赦しにとって、イエス・キリストと蛇に共通するはたらきとは、何でしょうか。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る」(民数記21:8) 私たちが、十字架に架けられたイエス・キリストを見上げるとは、どういうことでしょうか。「人の子」が上げられるとは、十字架に架けられて殺されることではないでしょうか。
先の問は、私たちのなかに今も生き続けています。常に神と共にあり、共に居られる神から遣わされている「人の子」とは、一体、誰でしょうか。復活したキリストは、「あなたがたに平和があるように、わたしもあなたがたを遺わす。」そう言ってから、息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハネ20:21−23 )と言われました。聖霊を受けなければ、私たちは人の罪を赦すことは出来ないでしょう。しかし、聖霊を受けると私たちは、荒れ野に送り出され、試みと苦しみを受け受難に向かうのでしょう。
「あなたの隣人を愛しなさい」
藤沢2区 山内
キリスト・イエズスはたびたび弟子たちに、そして人々に「あなたの隣人を愛しなさい」とおっしゃいました。
私たちは永い間この「隣人」という意味を大変浅くとらえていたように思います。イエズス様は仲のよい友人のことを指しておっしゃってはいらっしゃらなかった。人生観、価値観の違う人、宗教の違う人同志、また資本主義、社会主義のように全く価値観の違う考え方の人々の住む国々がイエズス様のみ言葉の中に深く意味づけられていると確信します。
人間はそれぞれ環境により、また生まれた家族により人生観・価値観が異なる生き方をするようになるのは仕方のないことですが、各々大きく道徳的に間違っていない限り、お互いを認め合い授けあい共に生きるため努力するのが良く、また、そうしなければ神の前で正しくないとおっしゃっているのです。
ご復活おめでとうございます
ベトナム・コミュニティー フェン
皆様こんにちは。 年に一度の復活祭は世界中の人々がイエス様の復活を祝う大切な日です。
幼い頃私は、ただイエス様が生き返るとしか知らなかった。 なぜイエス様が十字架に付けられなくてはならないのか?・・・・それは私たち人間があやまちの多い不完全な人間だから。このことを知るようになったのは少し大きくなった頃からでした。
大きな罪はなくとも日々の生活の中で気づかずに他の人を傷付けています。神様はそんな私たちのあやまちを身に負い犠牲になってくれました。そしてすべてをゆるされた。それは人間が愛されている証とでも感じられます。だからこそイエス様のゆるしを受け入れ、身も心も入れ替えた気持ちで新しい日々を送りたいと思います。
日々遠い存在のように感じる神様ですが、この時期にはなぜか少し近くに感じられます。教会学校でいろいろ学んできましたが、もっと神を近くに感じられるよう日々の祈りを大切にしたいです。
旅の同伴者に励まされて
司祭 岩間
聖金曜日に十字架を担ぐことになった。役割が決まるとすぐに、4年前に見た手足を失った十字架像を思い起こした。
2005年1月9日、スリランカ東部の海岸沿いで、津波で半壊した巡回教会の祭壇上にその像を見つけた。1メートル程になったキリスト像が紫色の祭壇布の上に置かれていた。聖堂の半分は津波で飛び、内陣はコンクリート製の祭壇だけが残っていた。一週間も経たぬ内に、信徒たちは細い木材と波板トタンを使って小さな仮設聖堂を造り、再び司教総代理レオ神父司式のミサに与った。
イエスは苦痛を取り除いてくれる訳ではなかった。しかし、同じ重荷を担って最後まで共に歩んでいることを、彼らは祭壇の回りを囲んで思い出したように見えた。エマオで、2の弟子はパンを裂く同伴者の手に深い傷を見出して、イエスに気づいたのではないだろうか。復活したイエスは、十字架上で受けた傷を負っていた。福音は、神が遠くにおり、恐ろしく、避けられる復讐の神ではなく、人間の苦しみに心の奥底まで揺り動かされ、我々の苦闘の全てに関わってくださる方だと告げる。この神との分かち合いから新しい命が生まれてくる。苦難を我々と共に分かち合うイエスが、復活の霊をもって励ましている。イエスと共に重荷を担うことによって、新しい命に向かって進んでいく。神の愛はこの世の最も厳しい現実まで至り、この世の苦しみを身に負う。その深い愛は、神のいないこの世の最も深い淵をも、その中に包み入れる。御父は自らをこの世に対して罪あるものとし、それによってこの世の罪を取り除かれる。神の深い胎内で、命は常に生まれ変わっていく。
4月から、富士山西麓にある共同体に派遣されました。山の上で示された模範に従って、各自の場で御国の建設作業に従事しましょう。それでは皆さん、私は西に向かいます。1年間、藤沢にある教会と共に歩めたことを感謝します。ありがとうございました。
湘南台 鈴木
折角、おなじみになれてきましたのにもうお別れ。残念です。典礼のグループに月1回参加させて頂きました。神父様のユニークなお人柄に親しみを感じ、何でもお話出来そうと感じておりました。冨士に行かれましたら遠足で伺います。
長後 中村、湘南台 宮崎
"いつくしみと愛があればどこにでも神はそこに共にいる"お元気で!ありがとうございました。
長後 西尾
この一年、きめ細かなお導きをありがとうございました。お教え下さった祈りは時にふれて続けて行きたく思って居ります。感謝いっぱいでございます。
湘南台 鈴木
毎月の第一木曜日にお話できることを楽しみにしておりました。いろいろと有難うございます。お元気でご活躍されることをお祈り申し上げます。
第3報
国際部 鶴田
外国籍の方の就職に関し、みなさまにお心にかけていただいてありがとうございます。その後の簡単なご報告です。
全部を把握しているわけではありませんが、「求職票」などを作り、仕事を求める方に条件を書いていただいた結果、わかっている限りですが、ラティノスのかた8人が介護ホーム等に就職、介護補助やお掃除で頑張っていらっしゃいます。ありがとうございました。でも残念なことに条件があわず、仕事をもとめながら就職に結びつかない方もいます。メディアでも報道されておりますように、3月31日にはさらに多くの人が職を失うことになりそうです。引き続ききめ細かな支援を行っていきたいと思いますのでご協力をお願いいたします。
教会委員会報告(2009年3月21日)
復活祭以降、岩間神父様は富士教会へご転任。あらたに和野神父様が当教会に赴任されます。
現在の急激な不況下で、静岡県西部の浜松、磐田、掛川教会が、外国人移住労働者への緊急支援を行っていることに対する支援依頼あり。藤沢教会としては、現在進めている「HELP!」運動とも絡めて、当教会関連の外国人支援活動を考慮しながら対応していく。
・委員長:曽根
・委員:鈴木神父、浮田、荒井、篠澤、福井、佃、沼波、川辺、および第5地区の他6教会から各1名、合計 15名
セコムからのレンタル(月5,000円程度)、自動販売機設置条件でのAED無料設置等再検討中
2009年度春(年2回実施)は4月28〜29日鎌倉十二所でおこなわれる
教区から依頼のあった静岡地区の支援と藤沢教会関連の支援は関連付けて進めていく。先ず支援金及び生活物資を集めるための呼びかけをおこない、福祉部の協力のもと、必要なところへ振り分けることとする。また国際部では仕事をさがしている外国人へ必要な情報を提供し、時には仕事の斡旋をする。すでに湘南台センターでは緊急支援を必要としている外国コミュニティの5家族のために物資を集め提供している。4月26日には福祉バザーをおこなう
事業内容も充実し運営状況は良好なので、討議の結果6月から2年間の事務所の契約更新を決定
八角形にゅーす203号に掲載された投稿に関する討議がなされた。
・説明が尽くされていないための誤解もあると考えられるので、事務局でこれまでの時系列を考慮した全体的経緯説明文書と閲覧用原資料ファイルを準備し、また今後のこととして入札のことなども触れ、疑問のある方々の閲覧に供する
・疑問点に対する説明の例として、「納骨費用は受益者負担という発想ではなく、余裕のない人でも安心して入れるように最低10万円と設定している。この趣旨に聖心の布教姉妹会が賛同して下さり、土地の提供の申し出があったという経緯がある。またこの金額を超えての寄付もおおいに歓迎する」
(教育))3月15日卒業感謝ミサとパーティ。30名の参加があった。日曜学校は3月15日終業式、4月19日始業式。ボーイスカウトは3月20、21日オーバーナイトハイク、4月12日復活祭プログラム、26日箱根キャンプ、引地川ハイク。ガールスカウトは3月29日、4月12日、26日体験集会。中高生会は4月5日コーヒーショップ、11日イースター卵作り、26日春の遠足、関口カテドラルインターナショナルデー参加
(福祉))4月26日のHELP福祉バザーは福祉部と国際部共催。福祉関連25団体(教会の方が関わっている団体)がフリーマーケットの方式で出店。HELPコーナーは国際部の出店で屋台形式。ベトナムコミュニティは春巻き、フィリピンコミュニティはバーベキュー、ラティノスはミートパイを出品。食堂はカレー、そば、白玉など。カレー用白米の寄付を依頼する。開催時間は10時半から14時
(典礼)信徒による教話5月31日は大泉氏が担当
(宣教)今後幼児洗礼は時間がかかり過ぎるという理由から復活祭、クリスマス以外の主日のミサでおこなう。復活祭の日受洗者を招いて歓迎パーティ、各ブロックの方の出席も歓迎。堅信準備講座案内を4月発送
(広報)教会案内パンフレット原案作成。内部で印刷できる簡単なものとする
(国際)外国コミュニティに求職用の用紙を配布。記入の上教会事務室で管理。 すでに2,3の仕事を紹介した。
(鵠沼)バザー準備チームは復活祭後に立ち上げを予定
(藤沢)5月3日新入者歓迎会、5月下旬鎌倉遠足予定
(辻堂)復活祭用卵、お菓子準備担当
(北1)4月25日聖園修道院で英神父指導による黙想会。会費1,500円。後日参加を募集する
(北2)3月24日東チモールで活動されているシスター諏訪の講演会(詳細はこちら)
静修の集いに参加して
辻堂2区 佐々木
桜の開花の待たれる3月22日9時30分のミサより、イエズス会の光延神父様のご指導により静修の集いが持たれました。 テーマは「罪と許し…神の恵みを生きる」です。
ミサの説教の中で、ご自分のお母様が2月26日に脳梗塞で倒れられた事、この間神父様が息子として感じられた事、体験された事、厳しい状況に立たれたお母様の在り方などを分かち合って下さいました。 体験からの実感を伴われた言葉には、人の心を深く打つものがありました。神父様の涙を溜められたお姿が心に残りました。
ミサ後10時50分から第一講話が始まりました。和解に至る道に恵みがどのように働くかを考えたいと前置きされて、昨年5月にピースウォークで共に歩き、平和とは何か・・をずっと考えていると言われ講話に入りました。以下、講話より。
平和(シャローム)に対抗、敵対する源は罪である。偶像崇拝ではなく、キリストの道をしっかり見つめなければならない。ドイツのASF(償いのしるし平和行進、ナチスの生き残りの人たちが償いのために働いている団体、50年くらい前に発足)の代表が日本に来た時に「日本では戦争の和解がしっかりなされていない」と言った。和解について話すのは難しいが、完全な和解のためにはどうしても宗教が必要になるってくる。秩序を維持するためには裁判が必要であるが、被害者と加害者が互いに許しと和解をするためには、対話(体験を分かち合う)が必要で、この対話を通して心を見つめ合うことで和解が可能になるのではないか。被害者と加害者が話し合うと水掛け論になるが、これを越えるためには神の恵み(宗教)が必要なのではないか。
ノルウェーの平和学者ヨハンカルドゥングは超越法を提唱している。これは角突合せ合っている関係では解決はつかないが、これを越える共通の目標を共に見つめる事で解決の道を見出そうとする方法である。枠組みを超えて双方が共に満足の行くやり方を探す事で、紛争を解決して行ってはどうかと提唱している。被害者と加害者が共に癒される事が大切である。加害者は被害者に対して先ず罪を認め、謝罪し、償う必要がある。これに対して加害者が癒されるためには(後に社会にきちんと戻る)どうしたら良いか・・和解に向けた超越の道は社会的な和解だけでは不充分であり、お互いが見つめられるような理想(共に研修し合い、共通の目標となるような)を持つ必要があり、これが癒しのプロセスとなる。
イエスの許しと和解について、聖書で「左の頬を叩かれたら、右の頬を出しなさい」とか「汝の敵を愛しなさい」との言葉があるがとても難しい。イエスは単に非暴力(何も抵抗しない)を説いているわけではない。第三の道として敢えて侮辱される立場に立ちなさいと言っている。イエスは何故「敵を愛しなさい」と言ったのか…水掛け論からは報復、復讐の道しか生まれない。これを押し留める必要がある。アメージンググレースの歌のように回心することによって恵みの道(大きな力が与えられる)に向かう。
加害者と被害者の問題で一番行き詰まる事は、死刑の問題である。映画「デッドマンウオーキング(シスターヘレンプレジャンの実話に基づく)」を例に、死刑囚マシューはシスターとの関わりを通して自分の主観(人のせいで殺した)のみに捉われていた状態から、自分の罪を認め神に心を開いて行った。キリスト教のゆるしは法的許しとは異なる。母親の子供に対するゆるしと似ているのではないか、神のゆるしとはこのようなものではないかと思う。和解について、人間同士、または神との関係の中でどのように捉えていくのか・・少し考えてくださいとの呼びかけで、15分の黙想に入りました。
第二の講話として、神戸の榊原少年の事件を例にし、殺された木下彩花さんの母親は手記を通して「もし、自分の息子がこのような罪を犯したら…抱きしめて共に罪を背負ってやりたい…」愛する娘を殺した少年に対する憎しみと、また少年の更生を願う思い‥この母親の苦しみの体験を通して「汝の敵を愛する」とはどれほどの苦しい過程であるかを語った。娘への真の愛故に罪を克服するに至ったのではないか。憎しみもゆるしも共に大きなエネルギーを必要とする。しかし、ゆるしは未来に向い、憎しみは滅びに向かう。人を許そうとする人には、神に向かうエネルギー(恵み)がいただけるのではないか。他者からのゆるしがあって、初めて更生出来るのではないだろうか。ゆるしは生きる力を与える。
昼食を挟んで、1時から共同回心式がありました。聖歌「私は静かに神を待つ」を歌って式が始まりました。振り返りのためのヒントが落ち着いたゆっくりした口調で投げかけられました。どの問いかけも心に思い当たるものでした。個々の罪ではなく、心の弱さや傾き、足りなさに目を向けることによって罪の原因に気づき、神に出会うことによって多くの恵みがあるとの説明の後、回心の祈りを皆で一緒にしました。司祭の祈りの後、3人の司祭が立たれ、回心式が始まりました。100人余りの全ての方が終わるまでに1時間ほどかかりましたが、その間全員が席で待っていました。平和の祈りと平和の挨拶をして、式は終わりました。
3時前から有志の方が準備してくださった温かいお茶をいただきました。20名の方が残りました。それぞれに今日の感想を分かち合いました。皆良い一日であったと喜びと感謝の言葉を口にされました。お母様の看病で大変な中、藤沢教会共同体のために一日ご指導下さった神父様に、心からお礼を申し上げたいと思います。
おとうさんとおにいちゃんときょうかいにいきました。しらないおいのりがいっぱいで、ようちえんといっしょのは、ひとつだけでした。「ようちえんのひと」とよばれたら、おとうさんが「いってらっしゃい」といったので、まえにいきました。ようちえんをそつえんしたこは、すこししかいませんでした。おおきいこたちは、もっといっぱいいました。プレゼントをもらいました。せいしょかなー?とおもったら、「おいのりのつばさ」というほんでした。おうちで、おじいちゃんがよんでくれました。どうもありがとうございました。
私は卒業ミサの時の侍者をやらせていただいて、良かったと思います。これで卒業なんだなぁと思いました。低学年の時は日曜学校もわりと参加していたのですが高学年の時は風邪をひいてしまったり体調をくずす事が多くて休みがちになってしまいました。でもリーダーに教わりながら侍者ができて本当に感謝してます。ミサ後にやったパーティーで学生の人達がクイズなどをやってくれたのが、うれしかったです。ありがとうございました。
私が一番印象に残ったのは、ミサが終わった後に青年会の皆さんが企画してくださった、パーティーの中のたくさんのゲームです。幅広い年齢層で楽しめるものを考えてくださり、小さい子から大きい人まで皆で参加できていて、とてもよかったと思います。中でも、味覚を利用したゲームが面白く、皆で笑うことが出来ました。ゲームの最初には顔も名前も知らなかった人と終わりには話し合い、協力することが出来ていて、自分でもとても驚きました。なぜかはわからないけれども皆でひとつになった後のティエン神父様のお祈りはとても心に響き、幸せになることが出来ました。このひと時の楽しみは忘れないと思います。私たちのためにパーティーを開いてくださり、本当にありがとうございました。
卒業ミサで私は改めて自分がこれから新しい第一歩を踏み出すんだなと実感しました。同時に、友達や家族、周りの人々、そして神様の祝福があってこうして卒業できたのだと感謝の気持ちでいっぱいになりました。ミサ後のパーティーでは食事をしながら、4つのチームに分かれてゲームをしましたが、小学生や中学生の子たちと楽しく参加できました。どれも意外と難しくて、特にセンターホール内の間違い探しは全然わかりませんでした(笑)。今回このような会を開いてくださった青年会のみなさん、本当にありがとうごさいました。高校を卒業して中高生会も卒業となりましたが、今後は青年会のメンバーとして活動し、新しい発見、出会いをしていきたいです。
先日、大学の卒業式に先駆けて藤沢教会で卒業ミサが行なわれました。今までお世話になった神父様、リーダーたち、信者の皆さま、そして家族に祝福されて社会へと大きな一歩を踏み出す勇気をいただきました。その後のパーティーでも日曜学校からの友人らに励まされながら、残り少ない学生としての時間を楽しみました。22年間歩んできた道は決して平坦ではありませんでしたが、常に傍で支えてくれる存在があってここまで辿り着きました。この先も自分の人生は決して自分ひとりのものではないということを忘れずに前へ進んでいきたいと思います。
「神の歩みを見た10年」−カトリック教会とロシア−
善行 岡村
3月24日(火)の午後、湘南台カトリック・センターに、聖母訪問会のシスター諏訪をお招きして、お話を伺いました。1998年から2008年まで、ハバロフスクに滞在し、信徒の生き残りを集めてカトリック教会を再建することができた次第に耳を傾けました。
地球の6分の1、日本の46倍のロシアは大国、西から東に広がる広大な土地は極寒の地で、ハバロフスクはシべリヤも東の端です。社会主義ソビエト連邦であった73年間は、ロシア正教は弾圧されカトリック教会も閉鎖されていました。1991年のペレストロイカによってようやく解放されましたが、カトリック信徒の集まりはハバロフスクにはなかったのです。カリタス・ジャパンの責任者としてローマでの会議に参加した浜尾枢機卿は、帰途イルクーツクに立ち寄られポーランド人ピョートル神父に聞いた当地の状況を、聖母訪問会アジアグループでシスターたちに話されました。東ロシアはアジアなんだよね。日本の教会は何か手伝えるだろうか。枢機卿の言葉に感動してシスターたちは、考えて話し合い各種必要な知識を専門家から学び、準備をしました。現地に着いたシスターたちは、たまたま視察に来ていたメリノール会の神父たちに引き合わされ、一緒に働くことになりました。
信徒たちの集まる場所もないので、小さな家を2時間借りることからはじめました。カトリック教会に対して、土地はもちろん家を手に入れることも行政は許さないのです。神父の行動も始終監視していて、咎めては禁止するので何人も交代しなければなりませんでした。その裏にロシア正教が居るのが分かって、和解しなければならないと思います。やっと借りられた古い工場は、入ってみるとぼろぼろで、修繕しなければ使えません。日本に帰ってはお金を集めて、直し直しして10年かかりました。その間に信徒たちの集まりも形がととのい活動しはじめます。
一方、7,8年経った頃、当地にロシア正教が神学校を建てようとしていて、聖遺骨が手に入らなくて困っているのを知ります。毎月、浜尾枢機卿に報告していたので、そのことを伝えますと、ローマにあるから持っていってあげようと言われました。
そして、2007年にロシア正教との劇的な和解が実現し、浜尾枢機卿を迎えロシア正教の街中を挙げてのそれは華やかな行事となり、沢山の人が集まりました。その後まもなく枢機卿は亡くなられ、新潟教区の菊池司教が引き継がれます。また、アルゼンチンの、第二バチカン公会議後に生まれた修道会<み言葉の受肉>から、神父とシスターたちが派遣され引き継ぐことになりました。
ざっと出来事だけを語られたシスター諏訪は、次のように静かに、胸中の溢れる思いを話されました。
今のわたしは、ヨハネによる福音第1章35−39節のイエスについて行った二人の弟子のような気持ちです。10年間に引き合わされた苦しい出来事を通して、神がその勝利に歩まれるのを見たような気がしています。カトリック聖歌にある「涙の谷にも花咲きみだれ」とはどんなことか分かりました。言葉の不自由を超え、全身を耳にして聞くことを知りました。キリストのからだの実現する時の力強さと、新しい二千年に向けてのヨハネ・パウロ二世の指摘、「深いところに網を下ろしなさい」を思い出します。インマヌエル(共に居られる神)が出来事を通して語られる御言葉を聴く――わたしはあなたたちの外に立って戸をたたく――今の時代の宣教は、毎日の生活の中に立っておられるイエス・キリストの呼びかけを感じてそれに応えるので、もしも制度だけに留まるなら、福音からはずれてしまいます。私たち一人ひとりは、神の愛のしずくなのです。
入信志願式に与って
鵠沼3区 斎藤
3月1日の四旬節第1主日に横浜教区合同入信志願式が藤沢教会で行われました。 遠く静岡や山梨からも入信志願の方々が来られ、聖堂も一杯の人で溢れ、圧倒される感じが致しました。私は教会に通うようになって日も浅く、講座の中で聞く「共同体」という言葉に馴染みにくい感じを抱いておりましたが、この日、同じ信仰を求めて、この様に多くの人が集まったという事と、ミサの中で皆さんが右手を挙げ、私達を共同体の一員としてこの志願式に派遣して下さるのだという事が理解出来た時、言葉でなく「共同体」の意味が判ったように思います。私達志願者のために、多くの祈りが捧げられ、梅村司教様から額に塗油を戴きました。神の招きにより、ここまでたどりついたという感激で胸の熱くなる思いでした。
入信の秘跡を受ける日も近くなり、喜びと緊張を綯い混ぜた落ち着かない気持ちの日々ですが、神の導きに信頼して、洗礼式に臨みたいと願っております。 優しく私の背を押して下さった講座の仲間の方々、見守ってくれた夫にも感謝しております。
鵠沼ブロック集会報告
鵠沼3区 牧野
2月22日(日)9時30分ミサ後、センターホールにて、少し遅めの新年会を兼ねた鵠沼ブロック集会が開催されました。 今年初めての集会でしたが、好天に恵まれ、鈴木神父様、岩間神父様、川辺事務局長を含めて63名の方のご参加をいただきました。
今年度の委員・連絡員の紹介、転入者・帰天者の方々の紹介、連絡事項伝達などの後、今年度鵠沼ブロックが担当となるバザーについての話し合いが行われました。主な意見としては、(1)バザーは例年通り実施する方向で進める、(2)日程は当教会と片瀬教会の行事予定と関連するので早めに決定する、(3)ブロック内でバザー準備のためのプレ委員会を作り、具体的に議論していく、等が出されました。
話し合いの後は、ちらし寿司、恒例の手打ち蕎麦(代金はカンボジア向け献金として拠出)、豚汁の昼食をいただきながら、楽しい歓談の時を過ごし、13時にお開きとなりました。準備と運営にご協力いただいた皆様には、この場をお借りして、厚くお礼申し上げます。
ご復活を目前にしてがりらやでもイースター用品やカードを各種取り揃えております。ご来店ください。 「神への憧れ」―喜びとおどろきと 聖書が語る「生きる勇気のことば」 ラテン語カトリック聖歌集CD |
ウガンダから皆さまへ
クンバ大学 ヘンリー
浮田さま、そして藤沢のよきサマリヤ人のみなさま、さきごろ伯父キジト神父から、私の学費として多額を寄託いただいたことを告げられて、大きな奇蹟が起きたような思いでした。私は先にいただいた資金で勉強を再開してはおりましたが、これからさきの学費について心配していたところでした。いま、私はとても幸せで心おきなく勉強しております。2学期は6月に終りますので、成績表をお送りいたします。皆さまこの大きなミラクルを本当にありがとうございました。神さまは皆さまのような人々を通して、すばらしいことをしてくださいます。
私は難民のために働いている伯父を援けたいので、法律を勉強しています。なぜなら、世界には正義も平和も存在しないのです!皆さまのご貢献はその意味からも真に尊いものです。本当は皆さま、めいめいにお礼をお書きしなければならないのですが、あまり大人数ですし、なかには匿名の方々も居られます。申し訳ありません。どうぞ神様がみなさま総てを祝福してくださいますように、とくにご復活のお恵みをお祈りいたします。皆さまは私のこころに、伯父のこころのなかに、そして平和を愛するすべてのウガンダ人、苦しんでいる難民方の思いのなかにおられます。これからも当方からのご報告をこころがけます。
SVP(聖ビンセンシオ・ア・パウロ会)2008年度藤沢協議会報告
六会 高橋
SVPは1833年当時学生であったオザナムとその仲間によってパリで創立されました。言葉より行動をもってキリストの「愛」を証ししようと生活に苦しむ人、悩んでいる人々を訪問することから始められました。現在134ヶ国で活動しております。
当藤沢協議会も発足以来30数年、その時々に見合った活動を「出来る時に出来る事を」をモットーに続けてまいりました。
現在、点字図書館への定期寄付、横浜教区船員司牧(AOS)を通して「毛糸の帽子、タオル、石鹸」など多くの方々のご協力を得てお届けしています。また当教会「マドレーヌの会」のご協力を得て、クリスマスには特養ホーム、1人暮らしのお年寄り他にお持ちして 喜びを分かち合っております。なお、苦境にたたされた在日外国人の方々に物資、時には微力ですが現金援助なども行っております。資金と致しましては「個人寄付」「例会献金」など多くの方々のご協力をいただいており、厚く御礼申し上げます。
今後とも温かいご支援をよろしくお願い致します。
合葬の園経緯と今後
建設準備委員会
2004年 | 始め | 信徒の中より納骨施設建設の声が上がる |
4月 | ともに葬られる合葬のコンセプト説明会 | |
6月 | 聖心の布教姉妹会より土地提供の申し出 | |
7月 | 聖園での建設についての説明会 | |
10月 | 企画委員公募、決定、具体的な計画を始める | |
2005年 | 1月 | 中間報告 |
3月 | アンケート | |
5月 | 納骨堂型施設の計画報告、概算費用など公表 近隣住民の反対で計画断念、別の候補地を探す 聖心の布教姉妹会より別の場所が提示される |
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2006年 | 10月 | 県条例に抵触しその場所も断念 |
2007年 | 3月 | 児童福祉施設より規定距離はなれた場所に決定 |
4月 | 場所と基本スケッチ公表 | |
6月 | 具体的な概要を公表 土地の確定や建築への準備を進める |
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10月 | 建設準備委員会発足、実施設計を始める 仮申込み開始 公道への接道距離が長く、開発の問題が浮上、さらに藤沢市建築指導課は 土地用途の関係で納骨堂単体の建設は不許可との見解 |
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2008年 | 3月 | 検討の結果横浜教区の財産としての建設を断念し、聖心の布教姉妹会の 修道院付属として建築する方針で教区と聖心の布教姉妹会の承諾を得る
修道院付属聖堂の新築工事と兼ね合わせ、聖堂付属建物として開発および 建築確認を準備中 |
1. 保健所に対して事前協議書を作成し、本格的協議を開始
2. 条例にのっとった手続きを進める
3. 建築業者を入札により決定する
4. 信徒の中より利用希望者を募集、資金調達を始める
5. 建築確認取得後、建築開始
建築に先立ち利用申込を受付け資金調達を開始するが、建築時の不足分は教会手持ち資金などで充当し、今後の利用者の増加で回収する。回収期間はおよそ10年を見込む。維持管理については利用者の管理費を充当
お墓についての私の本音
辻堂2区 梅澤
私は教会にどうしてもお墓が必要なのでしょうか?と考えている者の一人です。個人的にはお墓には入りたくない者の一人です。 「千の風になって」の歌詞ではありませんが私は死んだ後、家族にお墓の前で泣いて欲しく無い者の一人です。
とは言っても死んだ後、人はお墓に入らなくともいいのでしょうか〜?そこのところ突っ込んで調べてみる必要性はあるでしょうが、昔から海に遺灰を撒く話しは聞いたことがあります。私も自分の死後を考えます時、出来れば海に遺灰を散布するか土に返して欲しいと思っています。海に散布する場合は我が家から一番近い海でいいのですが土に返す場合はどこの土に返したらいいでしょうか?この場合も突っ込んで調べてみる必要ありだと思いますが、私は出来れば所属する教会の敷地の片隅の土に返していただければ最高です。そしてここで家族が私を偲んでくれれば最高です。
以前、是非教会の敷地内に納骨堂を!と発言させていただいたことがありましたが、色々な手続きが必要だが出来ない相談ではない、という回答だったと記憶しております。この様な特定の場所を教会敷地内に用意するには色々と役所の手続きやらご近所との話し合いなども必要だと思いますが、そのことも今一度再考いただければ幸いと思います。
最後に、このような形にせよ、この小さき声をお聞き下さった方々で、実は私も小さな意見を持っている、とおっしゃられる方が居られましたら是非その声をお聞きしたいと存じます。
小グループ活動紹介
「聖歌隊」
ご復活おめでとうございます。
「よく歌う人は、倍祈る事ができる」と昔から教会で言い伝えられています。聖歌は祈りと言えると思います。典礼での聖歌隊は、参加している人々が、共にミサに参加し、キリストとの出会いを喜びをもって受け入れられるように、奉仕するのが役割です。それで現在は、毎週の主日のミサで、入堂から退堂までの聖歌を、皆さんと共に歌い、時にはリードすることによって、祈りを深める役割を担っていると思います。特別の典礼においては、ミサに参列する皆さんを代表して、歌う(祈る)こともあります。主日の答唱詩編、聖霊降臨、クリスマスの真夜中のミサ、受難の主日、聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日、復活の主日等色々ありますが、それぞれ、その典礼に沿った祈りの聖歌を歌っています。そのために、日ごろの練習が欠かせません。今は原則として、毎月第1火曜日と、第3火曜日の夜7時から、センターホールで練習しています。現在、隊員は20名余りですが、堀部先生の指揮のもとで、和気あいあいと練習に励んでいます。毎年6月末には、湘南地区聖歌隊交歓会を持ち回りで行っています。この会は52年間続いており、他教会の聖歌隊の方々と交流をもっています。
いま聖歌隊では、多くの方々の参加を望んでいます。特に男性パートが不足しています。ぜひ一人でも多くの方の参加をお願いします。経験は問いません。歌が好きな方、共に祈ろうと思う方なら、どなたでも参加できます。ご希望の方は、練習日に、センターホールをのぞいて見てください。または綿貫(0467-31-1176)までご連絡下さい。お待ちしています。
★当教会で毎月初金のミサが挙げられていますが、「初金」にはどんな意味があるのでしょうか
☆「イエスのみ心の信心」のひとつで、毎月第1金曜日に聖体拝領をする信心のことです。
1673年12月27日、修練女マルガリタ・マリア(アラコク)が祭壇の上に顕示された聖体の前で祈っていると突然キリストが現れ、ご自分の心臓を指しながら「この心をご覧なさい。人々を愛するあまり、みずから燃やし尽くすまで惜しまず与えた私の心を…。それなのに大多数の人々からは侮辱と忘恩しか受けないのです」と嘆かれました。そして「み心の祝日を設けること、初金曜日に聖体を拝領すること、信者の家庭にみ心の聖画を飾ること」などの約束を求めました。こうして名もない貧しい少女の献身的な勇気を見込んで、「み心の信心」を全世界に広めることを託されました。しかし、この信心の普及には、周囲から夢想者、危険人物、偽聖人などとののしられるなど多くの迫害に耐えなければなりませんでしたが、心ある神父たちの支援も得て次第に広まっていきました。教会も厳密な調査の結果この信心を公認、1690年マルガリタの死後には全世界にその信心会が1,000以上もできていたといわれています。1856年ピオ9世教皇がご聖体の大祝日の次週の金曜日を「み心の祝日」と定めたことで、彼女の使命はついに完成されました。み心の信心が高まるにつれ、マルガリタに対する人々の敬愛も深まり、1920年聖女の列に加えられています。
この信心では毎月第1金曜日のミサで9回連続して償いのための聖体拝領をすることで、もし秘跡(病者の秘跡など)を受けられなくても罪の中で死ぬことはなく、み心に受け入れられる特別な恵みが与えられるといわれています。・3月15日ユースプロジェクトにて保護者の皆様をお迎えし、活動報告、来年度の活動紹介をしました。また、これからは保護者の連絡網を作り、保護者の方々にも活動予定をお知らせしたいと思います。中高生会では、ミサやバザー等教会行事へ進んで奉仕してもらえるような雰囲気づくりを目指しております。新年度になり、多くの新入生、多くの学生が来てくれたら嬉しいです。
――今後の中高生会活動予定――
・4月 11日…イースター前日:14時からセンタホールで、毎年恒例イースターエッグの準備をします。
12日…イースター当日:7時45分頃に教会へ集合。7時ミサ後、9時ミサ後にイースターエッグを販売します。
26日…春の遠足:東京大司教区カテドラル関口教会で行われるインターナショナルデーに行きます。9時半に藤沢教会へ集合。12時からの国際ミサに与かります。
・5月以降も、夏のサマーキャンプ、バザー、クリスマス等、いろいろ企画しています。詳細は随時お知らせ致します。
・毎月第3日曜日は例会の日です。聖書の分かち合いをしたり、いろいろな方のお話を聞いたり、神様を身近に感じられる日にしたいと思っております。
活動予定をお知らせしていますので、ご希望の方はご連絡ください。(中高生会)
募 集
広報部
・当教会における小グループ活動を紹介するコーナーを設けました。皆さまからの情報をお待ちしております。
・Q&Aコーナーを新設いたしました。質問を募集いたします。教理、信仰、教会に関することで、わからないこと、いまさら人に聞けないこと、他の仲間にも知っておいてほしいことなどなんでも結構です。教会事務所広報部ボックスまでお寄せください。毎月順次掲載していきます。