八 角 形 に ゅ ー す

2009年12月13日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

断章(2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木

教会委員会報告(11月22日)

私の家のクリスマス

理想の共同体を目指して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野

懺悔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 鈴木

七五三祝福式

藤沢ブロック / クリスマス会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 藤村

第18回湘南キリスト教セミナー ―「ともに生きる」―・・・・長後 吉川

神学院祭・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一粒会 鈴木

「葬儀を考える会」フォーラム報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 佐々木

−めぐり合いの場を− 湘南婚活パーティ

2009年バザーの最終報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザーチームリーダー 牧野

洪水と台風・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フィリピンコミュニティ 秋元

小グループ活動紹介 「そばの会」

ユースプロジェクト最終報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ユースプロジェクトチーム

Q & A クリスマスツリーはいつごろから飾られていたのでしょうか。

がりらや便り

秘跡について考える その2 秘跡の恵みはどこから来るのか?・・・・・・横浜教区助祭 宮内

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断章(2) 
司祭 鈴木

奥村一郎師曰く「対話・協力・一致以外に人間に救いはない」――そういうことかな。

宣教にも信仰にも自己中心的になる危険があるのではないか。

ポンセレット師曰く「私は日本語がよくできなかった頃の方が、もっとよく宣教できた」――思い当たるなあ。

オイゲン・へリゲル氏の話「正しい弓の道には目的も意図もない。的に当たるのは“それ”が射て当てたのです」――聖霊が語らせてくれるというのはそういうことかな。

現代の教会の悩み‐掟や儀式・形式よりも心で神との繋りを確認したいから「分かち合い」をしようとするが、なかなか思いを共にするまでに至らないことではないか。

人間ができる「共にいる」とは、心を痛める、「う〜む」と言いながら、そばにいるあたりではないだろうか。

交わりの証しとは繋りの暖かさではなかろうか。

内輪話をきき出そうとしたり、色紙にサインを頼んだり、ご祝儀を出したりするのってあまり品が良くない気がする。
人間は誰しも、自分が不幸な状態にあることを認めたがらないようである。

感動させるタイプはカエサルのように時代の流れを変えた人で、伝記も書き易い。感心させるタイプはアウグストウスのように時代の流れを確実にした人で、書きにくいらしい。

「ローマ街道」のように一つの目的のために完璧に造られたものは、他の目的のためにも役立つらしい。軍用目的→民間の経済復興→人の交流・・・

幼稚と悟りは紙一重。

神様って空気のようなものかしら?

魂って何?人間らしさ、品性のことかな?

直感から分析は可能だが、分析から直感は不可能。本当かしら?

人間は自分の感覚や思考に基づいて行動するものだが、自分の行動を正当化せず、もしかしたら間違っている、足りないという思いで神を仰ぐのが信仰を生きることでしょう。

言葉より後姿を大事にするのも日本のキリスト者らしさにならないか?



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教会委員会報告(2009年11月22日)

<報告事項>

1.教会新人事

副委員長:里原、総務部長:沼波留任、典礼部長:片桐、鵠沼ブロック委員:八子、副委員長2名及び福祉部長は調整中

2.合葬の園

11月12日見積もりのため4業者を招き図面をみながら現場説明会。11月末までに見積書を提出してもらう。経営許可確認書類を提出。1ヶ月以内に許可がおりる予定。資金管理として聖心の布教姉妹会名義の通帳を作成、実際の管理は藤沢教会

3.婚活パーティ

11月7日、男性11名、女性11名で開催。同じメンバーでクリスマスパーティを企画中。会場は大船教会。次回は40歳以上対象で来年2月14日実施を検討中

4.藤沢周辺の生活困窮者(含む移住労働者)支援

厳しい状況は変わっていない。バザーの余剰米の寄付や蜜柑の寄付もあり役立てている。他に12月には食用油の寄贈がある予定。仕事の無いラティノス、ベトナムの方への支援も考えていく。現在ラーメンは1日10〜18個出ている状況。チームを作って現状を把握し活動していくことは以前より検討中である。就職情報収集にも協力をお願いする。教会に寝泊りしながら若い人は働きに出ている。11月15日の無料検診(外国人主体)では18人が受診。成人病要治療者が12人だった。
*藤沢市の生活困窮者に対する対応は悪くないが、生活保護の手続きをとっても決定するまで2週間から1ヶ月かかるのでそれまでの間教会のシャワーやラーメン提供は大きな支えとなっている。(川辺事務局長より)

5.片瀬教会との話し合い

第5地区の3ブロックの1つとしての藤沢/片瀬教会が合同で11月7日に両教会の司祭、教会委員長及び運営委員クラスが集り第1回話合いの場がもたれた。テーマは(1)共同宣教司牧(2)司祭数減少対策83)小教区の高齢化、少子化対策。小教区を越えて協力体制を整えていくことになった。次回は来年3月を予定

<討議事項>

信徒総会(2月7日予定)テーマ

第1部は1年間の報告。第2部は分かち合い。分かち合いのテーマが話し合われ、次のような案が出された。(1)司祭年(2)共同宣教司牧を「祈る・伝える・証する」の面から深めていく(3)私はどうして教会に来るのか(4)叙階式。
他に案があれば12月10日までに教会委員へ

<ブロック・活動部>

(鵠沼)バザーの会計報告:11月14日時点で収益253万円。当日余った米は教会に寄付し福祉に役立てていただく。11月28日のアフターバザーコンサートへの要請があった

(藤沢)11月29日ブロック集会とクリスマス会。バザーの福祉コーナーに対する会場費(寄付)徴収について、福祉の観点から来年度再検討してほしいとの意見がでている

(北1)来年5月8日聖心の布教姉妹会修道院にて英神父(イエズス会)指導による黙想会。他地区の方へも参加を呼びかける

(北2)12月12日(土)ブロック集会、クリスマス会

(教育部)11月23日神学院祭参加。日曜学校はクリスマス準備中

(国際部)11月15日のカラカサンパーティおよび水害への衣類支援に対する協力にフィリピンコミュニティから感謝。11月15日無料健康診断。11月29日英語ミサ後神奈川国際教育センターの教育相談員が藤沢教会にて個別相談。フィリピンコミュニティより月1回の教会庭掃除の申し出。日本語しかわからない外国コミュニティの子供たちは英語ミサに参加していないが、今後日曜学校のような形で子供達を指導してくれる協力者を募集していきたい、また奉納から子供達も参加するような方向性を探っていく

(宣教部)11月7日(土)中和田教会にて湘南キリスト教セミナーを開催。講師は山谷在住のフランシスコ会中谷神父。約110名参加で盛況だった。11月23日東京神学院祭に21名が参加予定。新年度のカトリック入門講座ヘルパー養成コース参加予定者は浮田、西田、藤田、堀田の4氏。12月12日藤沢教会にて市民クリスマスを開催。子供向けに人形劇を用意。
教会正門横の掲示板はあくまでも管理は宣教部ということを徹底していきたい。掲示する時は宣教部に連絡してほしい

(典礼部)新部長は片桐福子さん。6人のチーム制で運営。教会委員会はメンバーの一人が出席する。11月29日の9時半ミサ中の教話は辻堂1区の海老原さん

<その他>

共同宣教司牧資料、第1回教区懇談会「教区長の時間」の読み合わせ
・2009年9月付で教区長梅村司教から出された標題資料に基づき、聖職者・信徒全員が意識改革していかなければならない。今回はまず教会委員会メンバーで読み合わせ、質疑応答を行った。今後は教会内での勉強会などで理解を深めていく必要がある。
・鈴木神父から説明のあった内容のポイントは(1)「交わりとしての教会」は世界的な流れである(2)「祈る、伝える、証する」の3部門について、信徒も権利と義務がある(3)これまでの小教区・聖職者中心主義を変え、信徒が自立していくことが重要(4)各々の場で今後やるべきことを考え実行する



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私の家のクリスマス

 2年 さやか

今、わたしは、とてもワクワクしている。なぜなら、クリスマスがもうすぐだからだ。わたしのうちのクリスマスは、毎年たいこうせつになると、マリアさまとヨゼフさまと馬小屋と、クリスマスになると出てくる、イエスさまがねるかいばおけをよういする。そして、マリアさまなどをおいた場しょに、赤いろうそくとマッチをおき、学校から毎年もらう、たいこうせつのおいのりカード、というものにかいてあるおいのりをする。ろうそくに、マッチをつかって火をつけるのは、ちょっとワクワクする。ろうそくに火をつけておいのりをすると、もっともっとクリスマスがまちどおしくなる。一回目のおいのりがおわると、お母さんとわたしで、おしいれに入っているクリスマスツリーと、ツリーのかざりつけと、へやにおいたりするおきかざりを出す。そして、かざりつけをする。わたしの家にあるクリスマスツリーは大きいから、かざりつけをするのがすっごくたいへんだ。

かざりつけがおわると、家のそうじをする。そうじのあとは、サンタさんの人形をわたしのへやにかざる。それがおわっても、つぎつぎにかざりつけをしていく。かざりつけがおわると、わたしのおうちは、いつもの家とちがうふんいきになる。でも、何よりもかわるのは、毎年いっしょで、クリスマスが百ばいまちどおしくなることである。毎年わたしはお母さんに、「毎日がクリスマスだったらいいのにね。」と言うと、お母さんは、「バカね、あなたは。毎日がクリスマスだったら、イエスさまが毎日生まれることになるのよ。」と言うばかりなのだ。

11月のおわりになると、イギリス人のお友だちがアドベントカレンダーをおくってくれる。12月になると、アドベントカレンダーの日にちがかいてあるところをめくる。そして24日には、めくってでてくる絵がカレンダーいっぱいになる。24日には、わたしとお母さんとおばあちゃんとおじいちゃんで、あつまってパーティーをする。わたしはピアノをえんそうする。いつも、25日に、インドネシアでおしごとをしている、お父さんが帰ってくる。わたしのうちのクリスマスは、いつも、こんなふうにもりだくさんだ。

6年 美沙

私の家では、クリスマスに派手なかざりつけはしません。また、ごミサに与るので24日にパーティーもしません。ですから、待降節は毎年、静かに過ごしています。しかし、クリスマスに近い週末に、親せきみんなが祖母の家に集まり、おいしい料理を頂いて、さん美歌を歌った後、プレゼントの交換をします。この日ばかりは、にぎやかで楽しい夜を過ごします。
私は、静かにイエス様を待つ事について、深く考えた事がなかったのですが、それは私にとって大切な事だと思いました。私の家のクリスマスは、学校などの友達とはちがうと思いますが、イエス様を知っている私は、毎年 幸せなクリスマスを過ごしています。

 

理想の共同体を目指して
鵠沼3区 平野

人に最も肝要なるものは何ぞや?人に最も肝要なるものは宗教なり。宗教とは何ぞや?神に対する人の道なり。神とは何ぞや?天地万物を創りこれを掌り給ふお方なり。人とは何ぞや?霊魂と肉身を併せたるものなり。人は何のためにつくられしや?公教要理の最初の頁です。教会学校の教科書でした。終了試験に合格したら堅信式が受けられました。堅信は小学5年、初聖体は小学1年、幼児洗礼は、生れて21日すぎが普通でした。

長崎外海の黒崎教会の話をいたします。藤沢教会とは、時代も背景も異なりますが、理想の共同体作りに、何か参考になればと思います。外海は、長崎と佐世保の間の、西彼杵半島の一角にあります。外海の巡礼ガイドは、教会でなく、町の税金で作られています。町が「キリシタンの里」であることを誇りにしてもいるからでしょう。半島の中ほどに、昔、小佐々水軍の根城だった七ツ釜湊があります。高木一雄先生の名著「東北のキリシタン殉教地を行く」によりますと、キリシタン迫害がますます厳しくなって、宣教師たちは、陸から東北に入るのが難しくなった時、この湊を利用したそうです。舟で日本海を北上し、何日もかかって酒田湊に着き、そこで川舟に乗り替えて「五月雨を集めて早し」と謡われたあの最上川を遡って、山形や米沢に入りこむことが出来たそうです。舟での東北入りも命がけでした。キリシタン探索の厳しい時、七ツ釜には、敢えて湊を解放し、舟だ水だ食料だと、宣教師たちを支えた勇気ある人たちがいたことを嬉しく思います。殉教者ジュリアン中浦神父はこの七ツ釜の出身で、その父上は小佐々水軍の武将でした。小佐々水軍の城が外海の夕陽が丘にありました。その城跡には、いま、遠藤周作の文学記念館が建っています。夕陽が丘から見下ろす海岸には、ド・ロ神父の遺徳を顕彰する出津文化村があり、丘の反対側には、黒崎教会があります。黒崎教会の向う山には、今も先祖からのキリシタンを守っている「はなれ」の人たちの枯松神社があります。

迫害前はこの半島全体がキリシタンでしたが、迫害の後は一人のキリシタンもいなくなりました。信教の自由の時代になって、パリ外国宣教会のド・ロ神父が外海地区に赴任するや、それまで隠れて、教えを守り伝えてきたキリシタンが、「私も同じ心の者です」と次々に名乗り出てきました。この人たちの願いは、ただひたすらに「声を出して祈りたい、同じ心の人たちに出会いたい、教えをもっと良く知りたい」ということだけでした。この言葉にいたく感動したド・ロ神父は、彼らの望みに応えるためにご自分の故郷、ノルマンディーのボスロール村の教会に似せて、出津と黒崎に聖堂を建て、公教要理を編纂して与えたのでした。黒崎は、家屋敷には垣根もない、戸締まりもしない平和な里山でしたが、永い間、キリシタンが隠れ住んだくらいですから、不便で貧しい所でした。食べ物といえば、段々畑を耕して天に至る、猫の額の、痩せた畑でとれる薩摩芋と、外海の海でとれる鰯が主でした。「芋と鰯大好き」などと、うらやむ勿れ。これが毎日だと、年中、四旬節です。 公教要理は「人間の苦しみや、神の計らい」についても教えています。人々はカトリックの信仰からは、死んだ後の世界に宝を積む生き方の大切なことを学びました。 貧しさは、他人の苦しみ悲しみの辛さを人々に分からせるための、神の計らいと教えられました。これに勇気づけられた信者たちは、教会を中心にして一つの家族のように、喜びも苦しみもみなで分かち合い、慰め励ましあって明るく生活していたのでした。黒崎教会の建物は、信者が自分たちの手で造り上げたものです。電動工具もない時代のことでした。親は、子供の躾教育には特に熱心でした。自分の子、人の子区別なく、何時でも何処ででも、良ければ誉め、悪ければ叱ったり、気合いを入れたりしていました。今なら直ぐ社会問題になるところでしょう。子供たちは皆土曜日は半どんで、学校から真っすぐ教会に集まり、今は「お告げのマリア修道会」になった女部屋のアネさんたちから公教要理を学びました。終われば聖堂の床の雑巾がけ、窓ガラス磨き、庭の草取りをして日曜日に備えました。

毎年、ご復活祭前に3日間の黙想がありました。この時期は畑の種蒔きの準備期間です。畑仕事が遅れて黙想にこれない人が出ないよう、部屋のアネさんたちや余裕の出来た信者たちは、手分けして、手弁当で野良仕事を手伝っていました。日曜日は信者にとって、ミサと休養と出会い語らいの楽しみな一日でした。信者の中には、朝暗いうちから、提灯を頼りに2時間近くもかかって山奥から坂道を下ってくる家族も何軒かありました。町や炭鉱に働きに出ている子供からの手紙を、字の読めない人たちが大事そうに持ってきて、字の読める人に読んでもらっているのをよく見かけました。教会は安心して話の出来る所でした。秘密を守ってくれる所でした。前に、人の秘密を言い広めた者が、告解の罪の償いとして「自分の家の鶏の毛をむしりながら教会に来なさい」と言われました。言われた通りに毛をむしって教会に着いたら「今度は、その毛を拾い集めて持って来なさい」と云われたそうです。二度と取り返しのつかないことは、言わないようにとの戒めだったでしょう。藤沢の町なかには鶏がいなくて何よりです。戦争前、黒崎教会には、優しい響きのアンジェラスの鐘がありました。朝昼夕に鐘がなると、人々は仕事の手を休めて「主のみ使いの告げありければ、マリアは聖霊によりて懐胎し給へり」とお告げの祈りを唱えました。ご復活節には「天の元后喜び給えアレルヤ」と慶び祝いました。この鐘は、葬式の行列が十字架を先頭にして教会を出る時も、間をおいて鳴りました。田畑に働く人たちは鉢巻きをとり、アネさんかぶりもはずして、鐘が鳴り止むまで畑の畦で見送りました。悲しくも美しい情景でした。戦争が終わり復員して黒崎に帰った私は、このアンジェラスの鐘が日本の憲兵隊に撤去されて、人殺しの鉄砲の弾になったと聞きました。言葉を失いました。

ド・ロ神父は、出津・黒崎の人たちの、余りに貧しい暮らしぶりに深く心を痛め、己むなく、県内移住計画を作成して提示しました。この計画を受け入れた人たちは、五島に、平戸に、生月にと、泣く泣く、外海を去りました。「祈り且つ働け」をモットーに頑張ったこの人たちは、やがて生活が落ち着くと、住み着いた先の津々浦々に、すぐ自分たちの教会を建てました。外海にとっては子供教会、孫教会です。今やその数、なんと90近くもあるのです。これらの教会の信者たちの中には、今も外海に親戚縁者が多く、生活習慣も信心形態もよく似通っているのは、その昔、先祖が外海で同じ心の人たちだった証しでしょう。90近いこの教会の中には、世界遺産の話題もあって嬉しいことですが、もっと嬉しいことは、ここに移り住んだ人たちの子孫の中から、大勢の青年男女が神学校に、修道会にと、召し出しに応えている現実です。神の計らいの限りなきを、目に見る想いがいたします。

ここまでの話で考えられるのは、外海と、外海につながる教会の信者たちの生きざまは.一貫して信仰の精神と家庭の精神に支えられていたように思います。信仰の精神と家庭の精神が、毎日の生活の中に深く染み込んで、活かされていたと感じるからです。このことは、私たちの共同体にとっても大切な教訓でありましょう。
前にこの教会におられたハンラティ神父の言葉が思い出されます「理想の共同体は互いのために祈ります。理想の共同体は互いを許します。理想の共同体は互いに助け合います」。
(本年8月30日の教話をもとに書かれたものです)



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懺悔
鵠沼1区 鈴木

聖園女学院は、二人の娘が学んだ学校である。長女が高校を出るまでの校長は、シスター聖園イグナチア(現・新潟修道院)だった。次女が入った頃、小・中学校の校長はシスター石橋弘子(現・秋田保戸野修道院)だったと記憶している。当時、出版の仕事にかまけていたわたしは、娘の養育は総て妻に押し付け、全く家庭を省みなかった。そのことが原因だったのか、どういうきっかけからそうなったのかよく判らないが、妻はイグナチア校長に心の相談をするようになったらしい。それ以来ざっと44年、聖園イグナチアは99歳を超えた今も、妻の精神的な師となっているのである。

夏も終わろうとする8月の末、図らずも4年ぶりにイグナチアにお目に懸かることができた。神の導きであるかのように。新潟の修道院に居る筈のシスターが、藤沢の本部に滞在して居るというのだ。聖園女学院の運営母体である聖心の布教姉妹会(旧聖心愛子会)との縁ができたのは「聖心の布教姉妹会創立史」を編集する些かのお手伝いをした時からである。その編集委員長シスター石本知子(現・藤沢本部)と、幾度となく打ち合わせをした。1978年(昭和54年)〜1979年頃のことである。総長はシスター久野芳子だった。

小田急線藤沢本町の西方、緑の木立に囲まれた小高い丘陵にある聖心の布教姉妹会本部をなぜか訪れたのは、25年〜6年も昔のこと、その佇まいは変わっていなかった。目の前のイグナチアは、驚くほどの若々しいお顔であった。シスター石本も出迎えてくれる。総長後藤澄子も、わざわざ挨拶に顔を出された。小一時間、久闊(きゅうかつ)を交わした後で、つい先日納本された「生きて良かった」を、イグナチアに手渡す。この2年間、脳出血後の歩行失調に苦しむ妻との、日々の出来事を一冊にまとめたものである。2007年(平成19年)夏の第一作、妻の介護覚え書き「もう一度歩きたい」も、新潟へお贈りした。何度も、版元からは書店販売を強く勧められたが、お世話になった方々の、個人名が活字になっていることから、2冊とも私家版として上梓(じょうし)したものである。別れ際、イグナチアに今の心境を「八角形にゅーす」に寄稿するようにと、促される。

突然の小脳出血で妻が倒れたのは、2003年(平成15年)クリスマスを目前にした日曜のこと。予期しなかった事態に、救急車を呼ぶのがやっとだった当時のことは、今でも鮮明に覚えている。あの混乱の夜から、6年になろうとする月日が経過した。繰り返した入院は10回にも及ぶ。透析治療と歩行失調と言語障害の妻は、それでも健気に車椅子で生きてくれている。もちろん、適切な医師や看護士の処置もあってのことだが、正しく“神の加護”としかいいようのない出来事が、幾度もあったことは紛れもない。にも係わらずわたしたち夫婦はこの6年、一度も教会へ行っていないのだ。妻の闘病と介護にその原因があるとはいえ、神への言い訳にはならない。そのことは百も承知している。昨年来、日曜のミサに妻を何とか連れて行こうとした。然し強い便秘の妻は、服用している薬のせいで、非透析日の朝6時から11時にかけて便通がある。それを、色々と服薬時間を変えて便意を催す時間の調整を試みたが、どうしても上手く行かない。土曜日に薬の服用を中止して、日曜日に備えもした。ところが翌朝、血圧が180/100に上昇してしまうこともあった。ただ、どう弁解したとてこれだけの長い間、ミサにも行かない信者は、もう信者とはいえないのではないだろうか。今更、懺悔しても遅過ぎてしまったことは、取り返しがつかない。恐らく、神はお許しになるまい。(敬称略)



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七五三祝福式

11月8日(日)小春日和に恵まれ、10数名の子供たちが七五三の祝福を受けました。今年はインフルエンザで出席できなかった子供たちもいて残念でしたが、喜びに包まれたひとときでした。

優作(5歳)

神様といつもいっしょのお歌は、幼稚園で歌って知っていたので、歌えて嬉しかったです。少し緊張したけれど千歳飴とおメダイをもらえて、少しお兄さんになった気がしました。

優作の母

これまでの子供の成長を感謝し、今後も心身ともに健やかにとお祈りいたしました。ありがとうございました。

喜生(5歳)

おメダイと千歳飴をもらって嬉しかった。どんどん大きくなって早く大人になりたいです。神様のことが好きですかと言われたので「大好き」と言いました。

咲生(2歳8ケ月)

アーメンした時、楽しかった。千歳飴もらって楽しかった。

喜生・咲生の父母

家族揃って、七五三の祝福式に参加することができました。幼い子ども達が、神父様と「アーメン」の練習をする姿は、微笑ましくもあり、目頭が熱くなる時もありました。息子が「神様大好き」と無邪気に返事する姿に、その純粋な心を親も見習わなくてはと思いました。幼い娘が小さな手を合わせ、神父様から祝福とおメダイをいただく姿を見て、その成長を心から感謝いたしました。この日を迎えられたことを、心から神様と見守って下さる皆様に感謝いたします。



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藤沢ブロック / クリスマス会
藤沢1区 藤村

待降節の始まった11月29日9時半のミサ後、藤沢ブロックのクリスマス会が開催されました。信徒50名と、鈴木神父様のご出席もいただき、平野さんの開会の言葉で始まりました。

まず、ブロック長の風間さんがご挨拶され、最近の各種の活動状況の報告がなされました。特に、来年の信徒総会での分かち合いのテーマを募集中とのお話があり、意義深い信徒総会に向けて心の準備を呼びかけられました。鶴田さんより、国際部の活動が報告され、外国の方々の信仰心の篤さ、特に、物質ではなく、心の豊かさに学ぶべきところが多いというお話に、一同頷きあったしだいです。続いて、新旧委員の交代の紹介がありました。今回退任される皆様にはこの場をお借りして、御礼申し上げます。

お楽しみのお食事は、委員の皆さんによる力作の、具沢山のトマトスープ(ミネストローネ)を主菜にサンドイッチ、ロールケーキ、みかんと工夫が凝らされました。ミネストローネはおかわりを希望する方が続出し、喜んでいただけたものと思います。温かい食事に、ほころんだ笑顔とともに賑やかな会話も弾みました。

続いて、ゲームをふたつ楽しみました。ひとつは、「円盤しりとりゲーム」で、例えば、「マリア」をスタートの言葉とし、最後が「マ」で終わる言葉となる連鎖を作り上げる速さを競う というゲーム。もうひとつは、「クリスマス物語」と言うテーマで、クリスマスに関係した固有名詞と、聖書の御言葉のカードを合わせるゲームでした。 賑やかな内にも、アイディアを凝らしたゲームに、脳の活性化とともに、聖書の勉強の場にもなり、大いに盛り上がりました。

その後、聖歌「きたれ友よ」「静けき」を心静かに歌い、イエス様の到来に心を向け、天使祝詞を唱えて締めくくりました。参加された多くの方から、「楽しかった」と言う言葉とねぎらいをいただきました。皆様のご協力により、盛会に終えることができ感謝しております。



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第18回湘南キリスト教セミナー ―「ともに生きる」―
長後 吉川

11月7日(土)、中和田教会にて、フランシスコ会の中谷功神父様をお招きして「イエスと出会う−山谷の寂しさと豊かさ」というテーマでお話いただきました。神父様は1989年以来20年間にわたり山谷に住まわれて「山里の家」を開き、同じ思いの方々と一緒に、そこに集まる方々の支援を続けておられます。

=講演から=
活動の中で気付かされたことに「人が人を救うことはできない」という現実を感じる。人生を諦めている人は、本人が変わりたいと思わないかぎり変わらない。人が変わるためには、立ち直りたいという環境を作ることが必要。マザーテレサの言葉のように、「自分のことを心配してくれる人が世の中にいる」ということがきっかけで立ち直る人がいる。「あなたがどのようであれ、私は側にいる」という姿勢が大切ではないか。神に似せて創られた人間であることの尊さを意識し、人間の存在を尊ぶ。どのような人間でも神にあがなわれた存在であるということに目を向けていく。イエス様は貧しい人、弱い人にこだわった。神様のこだわりを家族、社会の中で築いていくとよい。

現実の社会の中で、助けたくても自分にはどうすることも出来ないという無力感・空虚感を感じるとき、自分をその方の傍らに置くと、存在そのものが祈りになる。イエス様が十字架につけられたとき側にいたのは誰か。マリア様です。それは人間の最終的な姿、人間としての力です。

つらい生い立ちをしている人々が山谷には多い。しかし、そのような弱く傷ついている人が、より弱い人、困っている人々に声をかけ助けていく姿を見てきた。その豊かさを感じるとき、神様はこのような人たちを通して働かれているのではないかと思う。山谷の寂しさと豊かさと書いたが、それは象徴的なもので、山谷だけではなくどこにでもある寂しさと豊かさではないか。どこでも人は人との関わりの中で生きている。「出来ることを、出来るときに、出来るだけ行い、疲れたら休む、気軽に始める」あなたの身近なところで始めてはどうか。



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神学院祭
一粒会 鈴木

11月23日第5地区一粒会でバスを用意し、日曜学校の子供たちと共に日本カトリック神学院東京キャンパスの「神学院祭」に行きました。4月の東京と福岡の神学院合同に伴い、名称も昨年迄の「ザビエル祭」から「神学院祭」へと変わり規模も縮小されました。哲学科1・2年と最終学年の神学科4年(助祭)の20数名の神学生が、色々変化があった中で一生懸命準備して下さった「神学院祭」を子供も大人も楽しんでいました。藤沢からは小学生7名、学生1名、大人15名の参加がありました。行きのバスでは、和野神父様と共にお祈りの後、神父様が考えて来て下さった「神学院カルトクイズ」を楽しみました。大人も子供も皆、神学院に対する関心は高いようで、誰も答えられなかった問題は殆んどありませんでした。
神学院祭は副院長の松浦信行神父様主司式のミサから始まりました。ミサは今年は野外ではなく聖堂で捧げられました。松浦神父様はお説教で、絵本を読んで子供たちに語りかけられ、子供たちは熱心に見つめ聴いていました。その後、大人は院長の牧山神父様の「司祭年について」の講演や展示を、子供たちはゲームをしたり広いグランドを走り回ったりしながら、神学生とのふれ合いを楽しんでいました。院内巡りもあり、神学生の部屋に入れて頂いた子供もいたようです。規模が縮小された結果、子供の参加も昨年までより減ったため、逆に子供たちは神学生に沢山遊んで頂き、とても喜んでいました。養成担当の神父様方も、ポップコーンを売ったり、神学生と一緒にステージで踊ったりと大活躍でした。
神学院で私たちは思いがけず懐かしいシスター我妻にお目にかかりました。修道会の異動で10月から神学院にいらっしゃるそうです。シスター我妻、宮内助祭、以前湘南白百合学園の先生だった伊藤助祭(東京教区)は、忙しい中を私たちとの記念写真に入って下さり、私たちのバスを見送って下さいました。

青年会 山本

2年ぶりの神学院祭、今年も神学生、助祭の方々は準備で大変そうでした。福岡と合同してから初の神学院祭ということで、今回は例年より人は少なかったですが、その分神学生と触れ合う時間が多くよかったと思います。藤沢出身の宮内助祭はおそらく来年司祭叙階されると思いますが、これからも教会として訪問できれば、子供たちにとって、いい刺激になるのではと思います。宮内助祭に続く神学生が出てくれることを期待しています。

4年 比嘉

神学校の学院祭にいきました。バスに乗っていきました。ぼくはちょっとおくれました。神父様がクイズをしました。バスをおりてから中にわでおにごっこをしたあと、ミサをしました。おひるをたべて、宮内じょさいとあそび、ポップコーンをたべて、トゥアンとあそびました。へいかいしきの前に風船であそび、へいかいしきが終わってかえりのバスでドラえもんをみました。また行きたいです。

4年 グエン・ミン・トゥアン

風船のショーはすごかったです。神学生が、キリンとライオンなどをつくってくれました。

2年 グエン・ミン・ティ

えんそくでたのしかったのは、さかで走ったことです。たのしかったのでまたいきたいです。しんがくせいのへやがきれいでした。

2年 ファム・ビツ・トゥイ

ティちゃんといっしょにさかで手をつないであそんだのがたのしかったです。ティちゃんといっしょに、おべんとうやぽっぷこーんをたべたのがおいしかったです。バスでわたしはドラえもんをみたのがたのしかったです。バスからみたまちがきれいだったです。



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「葬儀を考える会」フォーラム報告
辻堂2区 佐々木

11月1日の9時半のミサ後、「葬儀を考える会」のフォーラムが開かれました。今回は多様化される昨今の葬儀を、今後どのように捉えていけばよいのか・・・をご一緒に考えていこうとの目的で、お二人の方の体験をうかがいながら考えてみました。

高橋さん(K1)の体験:夫の母は今年1月の初めに亡くなりました。母は信者ですが仏教徒の父と一緒のお墓に入りたい、けれどもカトリック教会で葬儀はしてほしいと言っていました。葬儀は教会で致しましたが、お墓に入れることが難しくお寺と話した結果、お墓に入れるためには戒名をつけなければならず、その上お寺で葬儀もしなければなりませんでした。お金を払ってやっとお墓に入れていただきました。葬儀は初めてのことで、どうして良いのか分からずにいましたが、教会の方の協力もあり、夫と相談して通夜と葬儀を執り行いました。自分としては何も分かっていないので戸惑いました。葬儀の最後にお花を棺に入れる時に、葬儀社の人から3つのやり方があります・・と言われてとても困り、兎も角簡単な方法を選びました。細かい段取りを知らなかったので、書いたものがあれば良いと思いました。戸惑うことも多かったのですが、母の希望通りに歌も歌っていただいて教会での葬儀を終えられて本当に良かったです。その後の葬儀と納骨はお寺さんの言う通りにし、十字架のついた骨壷のまま弔いの読経をしていただき、納骨していただけて良かったと思います
(高橋さんのケースは一人は信者、もう一人はお寺と言う日本に多いケースで参考になります)。

神戸さん(北1)の体験:息子を8月27日、37歳で亡くしました。入院したその日に亡くなったので、すぐに葬儀を考えなければなりませんでした。嫁は全く何も考えられなかったので、私は「あなたさえ良ければ、藤沢教会で葬儀をしていただいてもよいか」と聞きました。「はい」と言われ、教会に決めました。キリスト教講座の折りに出た話題で、評判が良いと言われた葬儀社の名を覚えていたので、そこに決めました。私だけが最近受洗し、今までに参列した葬儀は100%近く仏式で、2か月前に亡くなった義妹の葬儀も仏式でしたので教会の葬儀は経験ありませんでした。教会での大きな違いは故人に対する話でした。仏式では故人の名前が全く出ませんが、教会では神父様がたびたび「隆宏さん」と名前を言ってくださり、そのたびに涙が出ました。息子が大切にされていると感じました。亡くなった日、息子が無言の帰宅をしたのは夜遅かったのですが、教会の方が家に来てくださり本当にありがたいことでした。通夜葬儀の司会は友人がしてくれました。式では息子の友人が話してくれたり、息子が好きだったビートルズの曲が流れたりしました。挨拶は主人がしましたが自分の言葉で出来ました。私は聖歌隊に入っていますが、仲間の方、講座でご一緒の方、教会の地域の方が多くいらしてくださいました。火葬場にまで来てくれました。息子が大切にされ、多くの方々に支えられて息子を送ることが出来たのは、大きな慰めでした。
(一人だけが信者のご家庭で、他に取り立てて付き合いがない場合には、葬儀をどのようにするか決めるのは難しい。)

お二人の体験談への質問がありました。

Q:高橋さんが出棺の折りに戸惑ったとのことですが、それはどういうことですか?
A:「その時」に聞かれても、3つのやり方がどう違うのか分からないので、出来るだけ簡単で早く済んで、夫は参列者に迷惑にならないようにと言いました。
川辺さん:告別式の最後のところで献花した花を棺に入れるのがスタンダードな形です。場合によっては2度献花するようになってしまいます。司会者が事前にご遺族に確認して希望を聞き、葬儀社の人に伝えるようにすると良いです。度々教会の葬儀に参列していても、当事者になると戸惑ってしまうことが多いので、手伝いの折りには意識して良く見ながら参加したら良いです。

Q:神戸さんのお嫁さんから、葬儀の後何かお話しなど無かったのですか?
A:特に何も無かったのですが、お骨になって家に帰ってきてからどうしたら良いのか全く分からなかったようです。仏教ではお線香を絶やさないようにするとか・・・教会では何か決まりがありますか?
川辺さん:地方によっては何かあるかもしれませんが、教会としては特に何もありません。ご家族が今までやってきたしきたりなどでご遺族の慰めのためにプラスになることであれば、なされば良いです。例えば、49日位の間家に置いてその後納骨したら良いと思います。教会としての決まりはありませんが、葬儀は表面に出る式は亡くなった人のためですが、その背景は悲しみにある遺された方々が立ち戻って生きられるように行われるものだと思います。そのために必要なものを大切にしたら良いです。たとえば月命日にミサを捧げるとか、1回忌、3回忌、7回忌など仏式でする人が多いです。家族の中で、自然で違和感のないやり方で出来ることが望ましいです。

最近の葬儀について:高齢化し、社会との接点がなくなり社会生活から離れてから亡くなる方も多い。老人ホームに長く入居している人など。家族葬が増えていると葬儀社の人は言う。簡素に身近な人だけで送るケースが多い。教会でも同じ。高齢の親を送る息子も定年で会社との関わりもなくなっている。通夜と葬儀を必ずしなければならない・・・ということはない。〜ねばならないと考えると負担ばかり多くなる。その人の置かれている立場、事情に応じて色々なパターンを考えても良いのではないか。藤沢市民以外の人の火葬は、午前11時以前のみ可能なので、住民票を移して老人ホームに入っている人などは、通夜と葬儀を一緒にしても良いのではないか。自分たちに合った方法で良い。負担に思ったり、義務でするのではなく、喜んで神様にお委ねできる送りの方法を考えていきたい。以前用意した葬儀メモなど利用したら良いのではないか。

この後、40人が4つのグループに分かれて分かち合いをしました。最後に合葬の園について進行状況の説明が川辺さんからありました。来年早々には、着工される見通しですので、募集を始めています。「共同体の皆の記念される場所」とのコンセプトですすめられています。関心のある方は申し込んでくださいとのことです。葬儀の司会、コーディネイトなど、関心のある方のご協力を今後ともよろしくお願いいたします。


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−めぐり合いの場を− 湘南婚活パーティ

11月7日(土)夕方から第1回の湘南婚活パーティがセンターホールで開かれました。参加者は聖霊の働きか、図らずも男女同数の計22名でした。最初の鈴木神父の聖書のお話の時は緊張気味であった皆さんも、大船教会の伊東和子さんのリードのもと、いろいろなゲームをやるうちに打ち解けて、食事会やその後のフリータイムでは笑い声が絶えませんでした。予定の3時間もあっというまに過ぎ、最後には「これから二次会をやろう」という声もあって盛り上がっていました。第1回の試みとしてはまずまず成功裏に終わったようです。

鈴木神父も「同じ信仰を持ち、価値観も近いであろう方々のめぐり合いの場を教会が提供することは意味があると思う」と継続して開催することを考えておられ、早速来年2月14日(日)のバレンタインデーに40歳以上の未婚の方々のパーティを企画中のようです。皆さんも参加してみては如何ですか?神のお導きを。
(広報部)


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2009年バザーの最終報告
バザーチームリーダー 牧野

10月18日(日)の藤沢教会バザーについては、11月号の「八角形にゅーす」で中間報告をいたしました。その後、11月28日(土)午後に「アフターバザーコンサート2009」が予定通り開催され、暖かな好天の下、盛況裡に終了しました。その詳細は下記のとおりです。

コンサートの収益は約6万円で、バザー会計に加算されました。この他に、鈴木神父様の絵葉書の売上約3万円を加えて、今回のバザー収益総額は約263万円となりました。新型インフルエンザ、厳しい経済環境下にもかかわらず、物心ともに恵まれた成果をいただきましたことは、藤沢教会の皆様を始めとして、多くの方々のご協力の賜であります。ありがとうございました。

11月29日の最終バザー委員会での議論の結果、この収益配分は教会建物維持管理と福祉関連費用に6:4の比率で配分することを決定し、財務部に手続きをお願いしました。今年のバザーでの反省事項は多々ありますが、ノウハウとして来年度に申し送り、出来る限り皆様のご要望にお応えしていきたいと存じます。神に感謝。

「アフターバザーコンサート2009」
今年はバザーの構成として、物品の販売だけでなく、精神的に豊かな新しい試みを加えられないかと考え、このアフターバザーコンサートを企画しました。一寸背伸びして、質の高いプロを招聘しようということになり、バッハ・コレギウム・ジャパン所属のテノール歌手谷口洋介様と東京藝術大学大学院古楽科のチェンバロ奏者流尾真衣様にお願いしました。当日は暖かな日射しにも恵まれ、100名以上の方々のご来場をいただき盛況な催しとなりました。たまたま教会の前を通り、ポスターをご覧になられてご来場いただいた方々もおられたことは望外の喜びでした。内容としては、バッハ「目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声」に始まり、モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」に終わる中世教会音楽を主体とした、スピリチュアルな曲目が主体で、テノールとチェンバロの至上のアンサンブルを聴くことができました。聴衆の皆様にもご満足のいただける素晴らしい演奏会であったと思います。演奏会の後は、カンボジア支援そばの会主催の会食に演奏者お二方とチェンバロ製作者をお招きして、楽しい宴を持ち喜びを分かちあいました。当日の収益約6万円はバザー会計に入れさせていただきました。皆様のご協力に改めて深く感謝申し上げます。今回の企画の評判が大変良かったことから、機会があれば、またこのような企画をさせていただきたいと思いますので、宜しくお願いいたします。



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洪水と台風
フィリピンコミュニティ 秋元

2009年10月、フィリピンは台風と洪水に見舞われ、多くの人々の命が喪われたくさんの家が崩壊し、母国は大変でした。日本コミュニティの皆さんから頂いた洋服類、大変ありがとう御座いました。フィリピンコミュニティのと合わせて大きなダンボール5個になりました。直ぐに母国に送りました。大変喜んでいます。本当に日本コミュニティの皆さん、ありがとう御座いました。
これからは各国のコミュニティが協力しあって行動していけば幸いと思います。


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小グループ活動紹介 
「そばの会」

毎月第4土曜日の夕方4時ごろになると、頭に手ぬぐいを巻き、前掛け姿の男性が数名センターホールに集まってきます。床にブルーシートを敷き、テーブルを出し、その上に大きな木の鉢、まな板、丸棒などを並べ始めます。そうです。そば打ちの始まりです。鉢にそば粉を入れ、お湯を加えながら、練り始めます。余計なおしゃべりはせず、真剣な顔で練り込みます。つなぎを全く入れない十割そばです。練り終わると、伸ばし方、切り方と回り、そばが打ちあがります。打ち上がった6時ごろ、ご婦人方が自慢の手料理一品を持って集まって来ます。打ちあがったばかりのおそばを茹で、持ち寄られた料理とともに感謝のうちに楽しいおしゃべりのひとときが始まります。この会はカンボジア福祉基金藤沢を応援する活動の一環として2003年から続けられています。参加費(一人1000円)から得られた収益をカンボジア福祉基金に寄付することになっています。始めたころは太くて、ブツブツに切れ、スプーンを使わないと食べられない?とまで言われていたおそばも倉橋久輝さん(鵠沼1区)のご指導と皆の精進のお陰で、最近では街のおそば屋さんに負けない?くらいになってきたようです。そば打ちに興味のある方参加してみませんか?

この会発足当初からずっと一緒にやってきた大谷浩洋さん(鵠沼3区)が11月27日急逝されました。大谷さんの天の国での永遠の安らぎをお祈りいたします。
(鵠沼2区 小藤 晃)


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ユースプロジェクト最終報告
ユースプロジェクトチーム

ユースプロジェクトは、教会委員会の特命プロジェクトとして2008年4月から1年8か月間、浮田委員長、教育部(井出、岡田)、宣教部(鈴木)、中高生会(山本)、青年会(清水)、ユースの会(千古、嶋永)共同で「若い人の居場所づくり」のための活動を実施してきました。この度、委員長任期満了に伴い、チーム活動を終えることとなり、11月22日に総括を行いましたので、報告させて頂きます。

(1)成果
・ ユースの会(30代未婚)、YOC(ヤングおしどりクラブ、30代既婚)が立ち上がり、月1回9時半ミサ後に聖書や日常生活を分かち合うメンバーが定着するとともに、新規参加者の受け皿として事務所から紹介も受けるようになった。30代合同イベントも実施予定
・ 青年会も、月1回ぶどうの木で和野神父とともに聖書を分かち合うメンバーが定着し、中高生会と合同の分かち合いも実施し、クリスマス会や成人式も合同で企画予定
・ 広報部のご好意により八角形にゅーすに「エリアY」欄を頂き、交代で寄稿
(2)課題
・ 中高生会は、クラブ活動や塾通いのため、定期的に集まる人数が一定しないこと、第5地区等の中高生との連携、大人の信仰への成長を支援するプログラム提供、リーダーの増員・養成、保護者の関わり方が課題
・ ユースの会は、新規メンバー勧誘のための認知度アップ、親睦イベント、バザー等教会行事での積極的役割が課題
・ 外国籍コミュニティの若者との連携を模索したが、未進捗

このように着実に成果を収めてきましたが、積み残した課題も少なくありません。理想と現実のギャップを感じつつ、少しでも良くしていく活動として有意義だったと、メンバーの一人が感想を述べてくれました。最後に浮田委員長から、第5地区ビジョン策定に伴い、片瀬教会との連携が青少年活動においても求められること、また第5地区全体として若者・リーダーの養成を重要課題として取り組むよう提案したいとの話がありました。併せて、地区の共同宣教司牧活動の一環として、中学1・2年生を対象とする大人の信仰への成長支援プログラムを、今年当教会で実施した堅信準備講座等を参考に提供することを考えようという話になりました。

プロジェクトチームは終了しますが、引き続き教育部・宣教部が連携しながら各活動を支援していきますので、皆様の温かいご理解、ご協力をよろしくお願い申し上げます。
(岡田 芳明)


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Q & A

★クリスマスツリーはいつごろから飾られていたのでしょうか。

☆イエス・キリストの誕生日が何日であったか正確にはわかっていませんが、古代教会では4世紀ごろにはキリストの降誕を祝っていたようです。

ローマで当時盛んだった太陽神崇拝のミトラス教が、冬至にあたる12月25日を不滅の太陽神の誕生としていましたが、キリストこそ真の正義の太陽であるとの考えからこの日を主の降誕の日として祝うようになったとのことです。

クリスマスツリーをクリスマスに飾る風習はずっと後世になってからで、ドイツのフライブルクで1419年パン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾ったという記録が残されています。それから時間がかかりましたが17世紀にはドイツ各地に伝わったとされています。イギリスへはビクトリア女王の夫アルバートがドイツ出身であったため伝わり、アメリカには1746年ドイツ移民によって飾られたということです。日本では1860年プロイセンの使節オイレンブルクが公館にはじめて飾ったということですから、世界的の風習になったのはそんなに昔のことではないようです。

中世の聖夜の降誕祭の序幕に行われていたアダムとエヴァの舞台劇での「知恵の樹」はもともとリンゴでしたが、冬は葉が落ちてしまうのでその代用に常緑樹のモミの樹が使用されました。寒い間も緑を保つため強い生命力の象徴とされたためです。ドイツのフライブルクはフランス、スイスの国境近くにあり、市の4割以上が森林という恵まれた自然環境でもあるのでモミの木が身近にあったのでしょう。クリスマスツリーはモミの木が定番になりました。そういえば緑と赤のクリスマスバージョンはモミの木とリンゴが原点ということでしょうか。

ちなみに、教会に飾る馬小屋(プレゼピオ)は、アッシジの聖フランシスコが1223年の降誕祭に、キリストがもっとも貧しい者として生まれたことを思いめぐらせイタリア中部の町グレッチョで、飼い葉桶や敷き藁、牡牛やロバまでも用意してミサに参加したことが起源といわれています。



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がりらや便り

希望に満ちた待降節、今月の新刊を数点ご紹介します。他にもカード、クリスマスのプレゼントにふさわしい商品をいろいろ取り揃えております。なお売店はクリスマスイヴの24日までは毎日午後7時まで開いてます。是非、「がりらや」にお立ち寄りください。


「カトリック教会の諸宗教対話の手引 実践Q&A」
日本カトリック司教協議会諸宗教部門編カトリック中央協議会 903円

カトリック信者が他宗教との関わりに感じる、疑問や戸惑い等種々の問題に答える手引書です。「祖先と死者についてのカトリック信者の手引」の後継図書としてさらに充実した内容となっています


「Nativite ご降誕」
ほしのローザ著 おむらまりこ絵 ドン・ボスコ社 1,260円

やさしい色合い、ポップアップの飾られたご降誕のお話、小学校高学年から


「クリスマスに贈る100のことば」
アルフレート・ハルトル編女子パウロ会 1,260円

古今の思想家、神秘家たちのクリスマスの観想から生まれた味わい深い言葉集です


「CD FESTIVE FLUTES フルートの饗宴」
女子パウロ会 2,100円

いろいろなフルート(優美なパンパイプ、リコーダー、現代のフルート)が輝かしく生き生きとキリスト降誕の喜びを奏でるクリスマス名曲集です




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秘跡について考える その2 秘跡の恵みはどこから来るのか?
横浜教区助祭 宮内

「秘跡とは、キリストによって制定された、恵みを効果的に与える外的しるしである」

これが、前回提示した伝統的な秘跡の定義でした。今回は、この中の「恵み」に注目してみたいと思います。ここで言われている「恵み」とは一体何でしょうか?そして、その「恵み」はどこから来るのでしょうか?

「恵み」とは何か。この問いに対する一番簡単で本質的な答えは、「恵みとは父である神からイエス・キリストを通して送られる聖霊である」というものです。それは、聖霊がすべての具体的な恵みをもたらすからです。言い換えるならば、わたしたちに与えられる具体的な恵み一つひとつは、恵みそのものである聖霊がわたしたちの間ではたらかれていることの表れなのです。同じように、秘跡によって私たちに与えられる恵みもすべて、聖霊のはたらきによるものです。そして、秘跡の場合にはそのような恵みが、外的(目に見える)しるしを通して与えられます。ですから、「秘跡による恵みは、外的しるしと聖霊のはたらきを通して与えられる」と言うことが出来ます。

次に、この秘跡による恵みについて、違う角度から考えてみましょう。そのためにまず、現代のカトリック教会の教えに大きな影響を与えた、新しい神学的な理解を確認したいと思います。それはイエス・キリストと諸秘跡との関係、そして教会と諸秘跡との関係についての理解です。それを敢えて短く述べるならば、「人となられたイエス・キリストは、父である神の現存、愛、ゆるし、恵みを示すしるしである。だから、人となられたイエス・キリストは、すべての秘跡の源泉である。そして、キリストによって建てられた教会は、そのキリストを表すしるしであるから、すべての秘跡の基礎である」ということになります。

ところで、「秘跡による恵みは、外的しるしと聖霊のはたらきを通して与えられる」のですが、聖霊は目で見ることが出来ませんし、他の五感を用いても聖霊を捉えることは出来ません。しかし、人となられたイエス・キリストは、当時の人々にとって目に見える存在でした。つまり、人となられたイエス・キリストは神の恵みを表す「しるし」でありました。また、イエス・キリストの福音を伝え、あかしするために、聖霊によって建てられた教会共同体も、七つの具体的なしるしである秘跡を通して、イエス・キリストのはたらきとその恵みを表す「しるし」です。このように、七つの秘跡は、イエス・キリストが「しるし」であり、その教会も「しるし」であることに基づいています。

これらのことから、次のように結論付けることが出来ます。すなわち、諸秘跡は、神の恵みのしるしであるイエス・キリストがお与えになる聖霊と、そのイエス・キリストを示すしるしである教会のはたらき(目に見えるしるし)を通して与えられる聖霊からの恵みです。



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