八 角 形 に ゅ ー す
2010年2月23日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
マルタとマリア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ティエン
新教会委員長挨拶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 牧野
ラティノスのクリスマス・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 笠島
成人式を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 岡田
教会新年会に寄せて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 小笠原
アディオス「グラシアス・アミーゴ」・・・・・・・・グラシアス・アミーゴ 米山
キリスト者一致のための合同祈祷会・・・・・辻堂1区 鈴木
30代合同分かち合いに参加して・・・・・・・・・藤沢2区 田邉
Q & A ミサの時、聖体拝領の前にコートを脱がないと失礼なのでしょうか。
マルタとマリア
司祭 ティエン
「イエスがある村にお入りになると、マルタという女がイエスを自分の家に迎え入れた。彼女にはマリアと呼ぶ姉妹があった。マリアは主の足元に座って、その話に聞き入っていた。しかし、マルタはもてなしのため、忙しく立ち働いていた。それで、イエスに、『主よ、私の姉妹は私一人にもてなしをさせておりますが、あなたはなんともお思いになりませんか。手伝うように言いつけてください』と言った。すると、主は、『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに心を配り、思い煩(わずら)っているが、必要なことは、ただ一つだけである。マリアは、その良いほうを選んだ。それを彼女から取り上げてはならない』」。
この話の中で、マルタはイエス様をもてなすため忙しく立ち働きました。一方、マリアは何もしないで、イエス様の足元に座って、その話に聞き入っていました。そして、マルタは自分の妹に対して、文句を言いました。皆さんはどう思いますか。マリアは大事なお客さんの前で、文句を言われました。自分が恥ずかしくなったかもしれません。もし、マリアが立ってお姉さんと一緒にもてなしのため働けば…。 しかし、マリアはそうしませんでした。黙って、ずっと主の足元に座りました。マリアも悩んだと思います。自分の体面か、話に聞き入ることか、どちらか一つを選ばなければなりませんでした。どちらの方がよいか、多分はっきり分かりませんでしたが、イエス様の言葉で分かりました。「マリアは、その良いほうを選んだ」。マリアはイエス様を選びました。マルタは何故よいことを選ばなかったのでしょうか。もてなしのため、働くことは必要ですが、もっと必要なこともあります。もっと必要なことは主のそばにいて、主の話を聞くことです。つまり主を選ぶことだと思います。
この話を考えながらフランシスコ グエン・ヴアン・トウアン元枢機卿の獄中の話を思い出しました。次のように書かれています。「独りでいると、幾度となく一つの思いにさいなまれました。今、48歳、健康で働き盛りの壮年に達し、しかも8年間、司教として経験も積んできたのに、何故教区から1,700キロも離れた独房にいなければならないのかと。静まり返っていたある晩、わたしは心の底から響いてくる声を聞きました。『どうしてそんなことで思い悩んでいるのか。主と主の仕事とを区別するべきではないのか。あなたがしてきたこと、続けてきたこと、教区の巡回、青年・信徒・男女修道者の養成、教会や学生寮の建設、宣教地区の開設などなど、それらの働きはみな良い仕事であり、主の仕事である。しかし、それは主ではない。主がそれらの仕事をすべて、ご自分の手にゆだねるように望まれるならば、すぐにゆだねなさい。そして、信頼しなさい。主は、あなたの何千倍も、もっとよく働かれるのだ。あなたよりも徳の高い人に、ご自分の仕事を任せることもおできになる。ただ、主のみを選びなさい。主のみを選ぶのであって、主の仕事を選ぶのではない』」。
フランシスコ トウアン元枢機卿は牢の中で主を選びました。マリアは主を選びました。わたしたちはどうでしょうか。そろそろ四旬節に向かいます。わたしたちはもう一度「良いほうを選ぶ」という生き方をすすめられます。わたしたちの上に神様の恵みを願いましょう。マルタとマリアに思いを寄せて…。
教会委員会報告(2010年1月16日)
副委員長として牧野陽子さん(辻堂1区)を選任、福祉部は曽根和子さんが代表に選任された
支援委員会が立ち上がり、活動を開始した。先ず外国コミュニティ対策として、川辺、リディア、ノルマ、児玉、鶴田、曽根の皆さんが集会をもった。教会周辺の生活困窮者、特に在留許可のない外国の方々に対する課題が多い。日本に長く滞在し、子供も大きくなってきた方の摘発・収監されるケースなどがある。このときには強制送還と言うこともあるが、ビザがないために、帰国時の航空運賃も高額になり、たとえば一家で南米に帰国というと100万円を超えてしまうケースもある。このケースでは国などの支援も期待できない。また、日本人でも、仕事を失ってしまう人もあり、今、大変に厳しい状況にある。情報を得ることがこれからも必要になる
教会の屋根の防水工事などの工事提案があり、現在見積もりをとっている。信徒総会に間に合うように進めるが、まだ不確定である
叙階決定が1月末頃に予定されているので、決定次第正式な活動に入る。なお叙階式日程は4月29日を第1候補、5月5日を第2候補として、聖園と調整を進めている。1月23日に今年初めての準備委員会を開催予定。教会からはストラとカズラをお祝い品として検討している。デザインなどの検討が進められ、ほぼ決定段階に来ている
建築を発注する建設会社候補4社への現場説明を済ませて、見積もりが提出された。これら各社と面接をして、提案内容を確認した。予算を勘案して、一部仕様変更をし、3次見積もりを12月25日までに各社から提出頂いた。家具工事費・ステンドグラス・設計監査料等を含む予定価格を6,900万円としていたが、一番低額の見積もりでは7,200万(消費税込み)となっている。この一番低額の見積もりを頂いた建築会社D社の財務状況を精査したところ、建築業界の評価基準と照らして見ても問題ないので、この会社に決めていきたいという建設委員会の提案であった。この件を図り、討議の上、教会委員会として決定をした。なお建築開始時、中間時、完工時に各々総額の1/3ずつ支払いをすることになる。完成を待っている方々も多いので、早期に着工し、今年8月中の完工を予定する。教会からも、当面の不足額について最大10年間の返済を前提として、最大6,000万円程度を立て替えすることも承認された。(新旧委員会メンバー22名の全員賛成)なお利用希望者は、できるだけ早い申し込みをお願いする
信徒総会が2月7日(日)の9時30分ミサ後に予定されている。このプログラムを討議、決定した。事前に記名でのご質問を受け、その回答も用意する。第2部の分かち合いでは、「何故、私は教会へ来るのか」というテーマで開催する。総会後、お汁粉を用意するので,多くの方々のご出席を期待する
(北2) 1月7日「ミサと信仰について」の分かち合いの場を持った。今後さらにこのような分かち合いを進めたい
(藤沢)今年はバザー担当であり、3月頃から動き出す予定
(財務)2009年度の一般会計は、収入5,452万円、支出4,923万円、収支は+529万円。献金はやや減少したが、維持管理費と人件費が減少したためプラスに。特別会計を含め全体としては、収入6,830万円、支出6,103万円、収支は+727万円。合葬の園の設計料として約150万円支出あり。売店は193万円の黒字となっている。詳細は2月7日の信徒総会で報告する
(教育)2月13日にボーイスカウトの研修会を和野神父指導で行う。3月22日に教会リーダ研修会を平塚教会で開催
(宣教)本日午後、日本聖公会教会で開催されるキリスト者一致のための合同祈祷会に参加
(典礼)第5日曜日に信徒による教話を好評裡に進めており、今年も続けたい。1月31日は浮田久之さんにお願いした。2月11日に教区主催典礼研修会を、四旬節第1主日、2月21日に横浜教区合同入信志願式をいずれも藤沢教会で行う
(国際)バザーへの参加や、ガーデンパーティー、国際ミサの活動を行っているが、クリスマスミサなどに外国コミュニティの方々がその国の歌を披露するなど、より参加できるよう検討をしたい。また、教会発信の情報についても(たとえば信徒総会など)参加ができるような工夫をしたい。教会の活動により参加できるよう、共助組合、合葬の園やお墓などについても情報を共有し,信徒としての役割をはたしたいとの希望があり、工夫が必要との意見があった
外国人の支援については、八角形にゅーすのHelp!欄などにも都度掲載されているので、情報共有と言うことを進めていきたい
(広報)「八角形にゅーす」に行事予定欄があるので、もっと活用して頂きたい
(福祉)2009年バザー収益配分先について「八角形にゅーす」1月号に報告した
最後に新教会委員長の牧野さんより、皆と協力し合って前進したい旨挨拶があり、閉会した
新教会委員長挨拶
鵠沼3区 牧野
この度、教会委員長になりました鵠沼3区の牧野です。会社を定年となり、余生をのんびり故郷で過ごそうと5年ほど前に藤沢に帰ってきた出戻りです。そこへある日突然「天の声」が降りまして、小生のような者で良いのかと暫し考えましたが、お受けすることにいたしました。特別の抱負とか大それた考えなどありませんが、教区の指針に沿って、司祭団の皆様を支え、教会のスムースな運営のために微力を注げるよう努めてまいります。
前任の浮田委員長のご活躍により、すでに第5地区の共同宣教司牧推進や若年層の育成プロジェクトなどが軌道に乗りつつありますが、これ以外に聖堂屋根修理、アスベスト対策、合葬の園運営、将来の財政問題など多くの課題が残されています。これまでの勢いを削ぐことなく、課題解決に向け少しずつ前進していけるよう努力していきたいと存じます。
頼りない委員長を支えるべく、藤沢ブロックの風間孝子、辻堂ブロックの牧野陽子、北1ブロックの里原廣光の方々に副委員長を引き受けいただきました。大変頼り甲斐のある布陣となりましたので、併せて宜しくお願いいたします。
教会は、信徒すべての皆様の支えと協力があって初めて生きた共同体としての発展がなされます。教会委員会は一丸となって、今後2年間、精一杯勤めさせていただきますので、皆様のご支援・ご協力・ご鞭撻を宜しくお願いいたします。3000人を超える信徒の皆様が、各自に与えられた恵みと使命を意識し、出来るところで、出来る範囲内でお力添えいただけることを願いつつ挨拶に代えさせていただきます。
ラティノスのクリスマス
湘南台 笠島
昨年12月に、湘南台センターでの日本語のミサに時々来るブラジル人のメイレさんから、「20日に湘南台センターでクリスマスのお祝いをするから、来てね」と誘われ、20日にセンターに行きました。いつもの通りセンターでのスペイン語のミサに出席するつもりでしたが、着いてみたらセンターの中にはご馳走が並び、ミサは同じビルの中にあるスタジオでするとのこと。スタジオに行って見ると、なんと100人近くの南米の人々がいてすごい熱気です。ウンベルト神父様は正面に設けられた祭壇の前に座っておられ、定刻にミサが始まりました。説教の前に子供達の聖劇まであり、いつもお手伝いをなさっているシスター・ヨランダと、もう一人のシスター・ロサリオが、練習不足の子供達の世話をなさっていました。衣装もそれなりに用意されておりました。子供達のなかには、母国語での台詞がつっかえ、つっかえなどという場面もありましたが無事に終了。ミサが終わると、皆で協力してスタジオの後片付けなどスムースに終わり、センターに移動しました。最初は子供達は入りきれませんから、外でお菓子などいただいていたようです。なごやかに持ち寄りのパーティーが始まりました。私の知っていた限りでは、日本人は、いつも南米の方達のお世話をなさっている児玉さんはじめ、2、3人しかいませんでした。パーティーのときにメイレさんに聞いたところでは、ウンベルト神父様が、ビルのオーナーの片山さんにスタジオをお借りする件など直接に交渉なさったとかでした。日本に寄留されている人々が楽しくクリスマスをお祝い出来て、本当によかったと感じました。シスター・ヨランダは、葉山のイエズス孝女会のシスターで(アルゼンチン人)シスター・ロサリオは、川崎に在住のスピノラ会のシスター(スペイン人)だそうです。彼女は神奈川県在住の南米の人たちのお世話をなさっておられるとのことでした。
成人式を終えて
藤沢1区 岡田
1月10日(日)9:30のミサで、私達7名の成人をお祝いいただき、ありがとうございました。
私が成人式を終えて感じたことは両親への感謝でした。物心ついたころから神様の存在を知る環境で育ったことは恵みと感じています。ただ神様に対する感情は、振り返ってみると時期によって様々でした。小さい頃は「何でもできるすごい方」、中高生くらいになると「いい子だと思われたい」、辛いときには「神様って何なんだ!?」と不信感が湧いたこともありました。今は「いつも見守ってくれている」ことへの感謝が多いです。これからは自分で選択することが多くなるので、今まで見守り続け、これからも共に歩んでくださる神様の意向に少しでも沿うような選択ができればと思っています。
日曜学校では、さいしょにおいのりをしてから、はつせいたいのおべんきょうをして、さいごにおいのりをして帰ります。ぼくは、はつせいたいにむけていっぱいおべんきょうをしてがんばりたいと思います。ぼくのせんれい名はパウロです。ごみさの時のリーフレットに「しとパウロの〜の教会への手紙」とかいてあったら、うれしくなります。この前の日曜学校の新年会のとき、ホールでぶどうしゅのお話を聞きました。「ぶどうしゅは、イエスさまのちのさかずき、パンはイエスさまの体」ごみさの時に、いつもぼくは頭をさげておいのりをします。だけど、お兄ちゃんはパンをもらっておいのりをしています。ぼくは、はつせいたいをおわらせて、パンをもらっておいのりをしたいです。はつせいたいが楽しみです。
前の日曜日、しんぷ様がぶどうしゅとパンのお話をしてくれました。「パンだけたべても、神さまの一部。でも本当は、ぶどうしゅとパンを食べたら、神さまの血と体が重なるんだよ。」ということや、しんぷ様がパンをわるときに、なにかじゅもんをいっているとか。そういうことを、くわしく わのしんぷ様がおしえてくれました。自分は、しんぷ様がじゅもんを言ってるのを聞いたことがないので、こんど聞いてみたいです。そのあと、きょうかいのキャンプでもやった、魚・鳥・木 モンスカモンサヌカゲームをやりました。わたしに来たらどうしようと思い、ドキドキしていました。木があんまり思いつかないので、よけいにドキドキしていました。1年生の女の子が、はずかしがって鳥のことを言っていたので、「かわいいな」と思いました。「ライオン狩りにいこうよ」も、友だちとなかよくなれたので、うれしかったです。これからも、しんぷ様のお話をきいてみたり、いっぱいゲームを友だちとやってみたいと思いました。
今年になって2回目の日曜学校は、新年会でした。神父様の御聖体のお話を聞いたり、みんなで歌を歌ったりしてから、リーダーが企画してくださった、みんなで出来る色々なゲームをやりました。日曜学校のみんなと遊んだのは、久しぶりです。あと少しでこの日曜学校も卒業してしまうし、いつもはあまりふれあわない他の学年とも一緒に歌ったり遊んだり出来て、うれしかったです。最後に頂いた鎌倉カスターもおいしかったです。
教会新年会に寄せて
鵠沼1区 小笠原
藤沢教会の新年会が1月21日(木)に行われました。10時30分よりごミサを奉げ、その後センターホールで新年会のお祝いを致しました。
竹内さんのご挨拶に始り、神父様とともに、主のご加護のもと、旅する教会が充実した歩みで1年間過ごせますように、まず「乾杯」。心も身体も温まるようにと心ずくしの「豚汁」も頂きました。午後は浮田さんの司会で、プログラムに沿って、手品あり、歌あり、演奏ありと賑やかで楽しい時間を過ごすことが出来ました。レオ・ハワイアンズの演奏で懐かしのメロディーや、ハウリオ・フラ・レディースの フラダンスも披露されました。鈴木神父さまの多才な芸と甘い歌声にもしばしうっとりしてしまいました 藤沢教会の皆様は特技(タレント)をお持ちの方々が多く、力あるスケールの大きな教会であることは前々から感じていましたが、今回も新たに実感しました。キリストの精神のもと、聖霊の強い働きの中で、皆さんが協力して盛り上げ、全ての行事が実行されて行くパワーは素晴らしいものですネ。
「使徒パウロのコリントの教会への手紙」の文にあるように、「身体は一つでも それは多くの部分からなり、身体のすべての部分は多くても 身体は一つである。皆一つの身体となるために 洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませて頂いているのです」。一人ひとりは多くの部分から成り立っているように、藤沢教会も一つであり、聖霊の力により一つの共同体になっているのですネ。身体のいらない部分は一つもなく、一つ欠けても成り立たないのです。一人ひとりの命は、大切な教会の宝物です。
新年を迎え心を新たにして、昨年出来なかったことも めげずに目標を持って進みたいと思います。新年会の準備に、運営に、会を支えて下さった皆々様に感謝いたします。
アディオス「グラシアス・アミーゴ」
グラシアス・アミーゴ 米山
南米ペルーの学童教育支援グループ 「グラシアス・アミーゴ」は、1月23日に藤沢教会ホールにて「ファイナル・チャリティ・コンサート」を開催、多数の参列者の盛大なそして温かい拍手の中で20年間にわたる定期チャリティ・コンサートの歴史を閉じました。
当会は、1991年にペルーの小学校児童のための制服と学用品支援で発足、1995年に学業成績が良いが経済的事情で進学の希望を果せない中高及び大学生に対して学費援助を行う里親と里子の顔の見える里子/里親教育支援制度を設けました。この間に、小学生の600人以上に制服と学用品支給をチャリティ・コンサートなどの浄財で行ってきました。里親は、42名の里子の教育支援を行い、既に35名の里子はその学業を修了し、社会人として活躍、当会の意志を継いで後輩の支援に携わっています。当初、想定されていなかったペルーの大学制度の変更で、4〜6年の大学教育終了では学士号は授与されず、その取得のために学士論文作成やその他の義務が課されその費用は約20万円にもなり、この多額の費用を里親には負担させられないので、チャリティ・コンサート、バザー、ご寄附などの浄財で当会として支援してきました。現在就学中の学生は7名で、里親も高齢化したため、新規の里子は募集せず、今回で定期的なコンサートを終了とする事になった次第です。この間、里親の皆様、教会関係者はじめ多数の賛同者の皆様やボランティアで快く出演を引受けて下さった方達の温かいご支援、ご協力を厚く感謝申し上げます。
今後も、必要に応じて開催する行事を行う時にはよろしくご支援の程をお願い申し上げます。永らくの皆様のご支援、有難うございました。
キリスト者一致のための合同祈祷会
―あなたがたはこれらのことの証人となる―
辻堂1区 鈴木
毎年1月18日〜25日は『キリスト教一致祈祷週間』とされており、この期間は特に世界中でカトリック、聖公会を初めとするキリスト教諸派がともに集い祈る時と定められています。藤沢市では、市民クリスマスを主催している藤沢市内キリスト教連絡会が、毎年この期間に合わせて合同祈祷会を開催しています。今年は1月16日(土)聖公会の藤沢聖マルコ教会を会場に行なわれました。参加者は80名、うちカトリックからは20名の参加、聖公会、日本キリスト教団、バプテスト教会、ルーテル教会、ナザレン教会、ホーリネス教団等の諸派が、キリスト者の一致のための祈りを捧げることを目的に集いました。
礼拝の中では、今年のテーマ「あなたがたはこれらのことの証人となる」(ルカ24章)に基づいて、日本聖公会藤沢聖マルコ教会の宇津山武志司祭の説教がありました。
宇津山司祭は「信仰者一人ひとりの一致なくしてキリスト教の一致はない」との話から説教を始められました。また「この1週間は、活動をするのではなく、同じテーマの下に聖書を読み、一致のために祈る週間として欲しい」と奨められました。そして「今年の祈祷会の朗読箇所ルカ24章はキリストの復活の箇所であり、おもに復活のキリストとの3つの出会いがそこには書かれている。"証人"とは、断ち切られた神との絆がキリストによって回復されたことの証人である。いがみ合う状態はイエスの悲しみでしかない。主義、主張、立場が一致を妨げる原因となり、復活の証人として生きることは困難なことではあるが、神が、喜びの証人として生きるキリスト者の生涯を、全うさせて下さいますように祈りましょう」とおっしゃり、説教の最後は「同じ思いと言葉をもって主を賛美することが出来ますように」との祈りで結ばれました。
祈祷会の後は、聖マルコ教会の方が焼いて下さったケーキなどのお菓子とともにお茶を飲みながらの和やかなひとときが持たれました。当日の献金は57,220円で会場教会の働きのためにささげられ、今回はハイチの大地震の被災者のために送るとのお話でした。
今年のカトリック藤沢教会からの参加者は5名でした。年に1度藤沢市内のキリスト教諸派が集い、キリスト教一致の為に祈る合同祈祷会に、来年はもっと多くの皆様が参加して下さるようにと願っております。
30代合同分かち合いに参加して
藤沢2区 田邉
聖家族の祝日の12月27日(日)、ユースの会(30代未婚の会)とYOC(30代既婚の会)の初めての合同分かち合いが開かれ、世話役の浮田さん、岡田さんご夫妻、ティエン神父様、そして、子どもや未信者の家族を含め約20人が集いました。聖家族の日にふさわしく、皆で一緒に食事をしながら、まるで大きな家族のような楽しい雰囲気のひとときを過ごしました。
私たちの世代は教会の中では少数派で、普段交わる機会もあまりありません。また仕事や家庭の背景もそれぞれだと思います。でも今回皆でみことばを読み分かち合い、ともに食事をし(忘年会という意味もあったのでお酒も少々!?)歌ったりする中で、温かい雰囲気が生まれてくるのを感じました。私たちには同じ信仰を持つ仲間がいる!と心強く思いました。
この交わりの輪がどんどん広がっていきますように! 皆さん、ユースの会やYOCの集まりにどうぞ気軽にいらして下さいね♪
立春とは名ばかりの寒い毎日、チョコレートを食べながら中々読破できなかった「カトリック教会のカテキズム」について思い巡らすのは如何でしょう。 「カトリック教会のカテキズム 要約」 「現代の荒れ野で」悩み迷うあなたとともに 「かみさまのゆめ GOD'S DREAM」 |
★ミサの時、聖体拝領の前にコートを脱ぐ方が多いですが、脱がないと失礼なのでしょうか。
脱ぐと置き場所も必要で(かさばって)不便ですので、寒くても長いコートは着て行かないようにしています。ずっと以前、和服時代に目上の方の前では羽織を着なかった習慣のなごりのような気がしますが・・・。
☆「コートを脱ぐ」をキーワードにインターネットで検索をしてみました。
「週刊マナー美人」のサイトに「会社訪問のときには、その会社のビルの玄関前でコート、マフラー、手袋は脱ぎます。つまり受付に向かうときには、コートを片手に持っている状態です。これ原則。個人宅を訪問するときは、呼び鈴を押す前にコートは脱いでおきます。・・・マナーは時代と共に変化します。でも、いつの時代も変わらぬマナーの基本というものがあります。それは他人への思いやりの心」とありました。一方別のサイトには「欧米ではコートを脱いで玄関に入ると『長居をします』『奥へ通しなさい』という意味になるので、コートは着たまま入るようです。日本より寒い地域が多いので、暖房の利いていない玄関で客がコートを脱ぐと、早く暖かい部屋に通す必要に迫られたからでもあるのでしょう」とあります。部屋に通されれば当然脱ぐことになるのでしょう。おかれた環境で多少の違いはあるようですが、訪問先ではコートを脱ぐのが現代でも一般的なマナーとして通用しているようです。
お聖堂の中が内か外かで問題になるところですが、当教会はスペースも広く暖房も十分ではないので、寒い冬にはコートのままミサにあずかるのはやむを得ないことと思います。しかし、聖体拝領はキリストのからだをいただくことです。拝領前の祈りでも「神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ」「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」と唱えるようにキリストを迎えるに相応しい者でありたいとの願いをいたします。もちろんこれは精神的なことですので一般的なマナーは二の次のことでしょう。何らかの事情でコートのまま聖体拝領をすることを非難はできません。ただ、改まって前に出るときの日本の習慣に照らして誰もが気になるところです。おそらく質問者のように長いコートを着ていかないようにしている方も多いことでしょう。身体という物体を持っている私たち、少々不便でも形式的なマナーに配慮することがあってもいいのではないかと思うのですがいかがなものでしょうか。
毎月2回俳句会を開催しています。始めてから7年、150回を越えました。会員は信徒を中心に25名余りです。始めた契機は辻堂ブロックの集会で、「趣味とカルチャーの会を始めないか」と提案があり産声を挙げました。運営と指導は、全国結社・嵯峨野の同人が中心となり、流派と初心ベテランの分隔てなく愛好者が集まっています。クラスは上級組と初中級グループに分けて月例会を開き会報を発行しています。特に初心者には親切丁寧と楽しさに力を注いでおり好評です。お問合わせと入会希望は下記までお願いします。
桜井(辻堂2区) 内嶋(その他)
<教会の四季近詠>
十字架に海からの風初句会
怜
ごミサへの道幅占めて雪の富士
和 子
教会の十字架高し初つばめ
光子
葉桜の影らふ園やマリア像
恵 子
仲直りしては静ふ聖五月
滋 子
弥撒のあと庭にもてなす麦茶かな
良
教会の裏のほそ道青葡萄
憲 勝
新涼の聖堂燭を細くして
揚 一
コスモスの長き道尽き聖教会
静 子
教会の恵みの葡萄種多し
京 子
教会に落林檎売るミニバザー
清 次
聖樹灯し友饒舌の夜半なりき
君 代
鈴木神父の川柳(続5)
編集部編
今回はB年のその5です。これでB年を終わります。
10/4
夫婦仲なおりかけたる風邪ににて
「マルコ10・2-16,または10・2-12」
(神が結びあわせてくださったものを、人は離してはならない。
夫婦関係も長くなると熱は下がっても籍(咳)は抜けない・鈴木神父注)
10/11
無理するな時が満ちれば手放せる
「マルコ10・17-30,または10・17-27」
(金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい)
10/18
ささげると思うだけでもちょと変わり
「マルコ10・35-45,または10・42-45」
(あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり…)
10/25
救われた思いがあるからやっている
「マルコ10・46-52」
(行きなさい。あなたの信仰があなたを救った)
11/1
聖人はお前のことと言われても
「マタイ5・1-12a」
(神に選ばれているという意味では、わたしたちも聖人の一人だが・・―鈴木神父注)
11/8
貧しさを幸いと知る奇跡だね
「マルコ12・38-44,または12・41-44」
(皆は有り余る中から入れたが、
この人は、乏しい中から自分の持っている物すべて、生活費を全部入れたからである。
<そんなことがわたしたちの人生の中にも・・−鈴木神父注>)
分かち合いできないくらい富んでるか
11/15
明日死ぬと思わないから今日元気
「マルコ13・24-32」
(その日、その時はだれも知らない。…父だけがご存じである)
11/22
キリストは十字架によって王となり
「ヨハネ18・33b-37」
(わたしは真理について証するために生まれ、そのためにこの世に来た。
<王といっても人間の尺度とはずいぶん違うなあー鈴木神父注>)
(文責 益満)