八 角 形 に ゅ ー す

2010年4月22日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

2010年 復活祭特集号
テーマ「司祭」…司祭年・叙階式にちなんで

「召命」に関する証明・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木

司祭年にあたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 和野

世界の司祭と繋がって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・雪ノ下教会協力司祭 山口

「神の赦し」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村

Q & A 聖ヨハネ・マリア・ビアンネとはどのような聖人ですか。

教会委員会報告(3月20日)

ティエン神父ありがとう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・国際部 鶴田

お礼の言葉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ティエン

卒業感謝ミサ

司祭叙階式にむけて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第5地区準備委員会 曽根

辻堂ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 坂井

小グループ活動紹介「日本語教室」

ユースの会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 東

がりらや便り

合葬の園から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・建設委員会 辻垣

秘跡について考える その5 入信の秘跡2―洗礼の秘跡の恵みとしるし(2)&堅信の秘跡・・・・・・・・・横浜教区助祭 宮内

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2010年 復活祭特集号
テーマ「司祭」…司祭年・叙階式にちなんで

「司祭年」にあたり祈ります。司祭が、預言者イザヤの熱意と主イエス・キリストの「深くあわれむ」心で満たされますように。聖ヨハネ・マリア・ビアンネの模範に倣い、神のため、人々のために自らをわたして、キリストに従い、たゆみなく信仰と愛の証しを立てることができますように。
(司祭年開始のミサより)。



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「召命」に関する証明 
司祭 鈴木

「召命」というものをどう把えるかに、その人の生き方の特徴がよく出てくると思います。「神さまがその人(私)に何をお望みか」など考えない人もいるでしょう。考えてもわからないから考えなくなっている人もいるでしょう。でも本人が考えなくとも、わからなくとも神さまは何かを望んでおられると思っています。どうしたらそれがわかるのでしょう。

私自身の経験や神学生養成担当をしていて気づいたことを少し書きましょう。いくら考えても、黙想してもわからない時はわからないもののようです。それは私の努力が足りないとか、ダメだと思いすぎない方が良いようです。それは「わかるには10年早い」といわれているようなもので、「時」がまだ来ていないということなのでしょう。突然、必要な時にはわかるようになるのではないかと思っています。わかるようになるまでは、必ずといって良いほど、「わからない」という十字架を担う時期があるようです。それがどのくらいの長さか神のみぞ知るということですが、その人に耐えられないほど長いとか辛いということはないようです。その「時が満ちる」まで色々考えたり、忘れていたり、まわり道をしているように思えたり、迷ったりするのが人間なのでしょう。そして、ある日「ふと」気づくのです。思いがけない時に。そうすると心が穏やかに「仰せのごとく、我になれかし」と言えるのです。

復活とはこういうことかなと思うような不思議な体験です。どうして神の望みとして受け容れられたか説明しろといわれても、万人を納得させられるような説明はできないようです。「それはあなたの思い込みではないの?」という人も必ず出てきますが、その人には確かな「しるし」と言えるようなもので、それから後の日々にそれは確かめられていきます。この「召命」の自覚は一度だけの体験でもないようで、新たな暗黒の時、わからなくなる時も経験したりしますが、さらなる強い自覚とか「第2の召命」というような自覚が生まれても来るようです。

結局、人生は「十字架と復活の神秘」が永遠の生命を生きる枠組みなのだと気づかせてくれるのが、召命体験といえるでしょう。司祭召命はその中の一つと言うことで、司祭になる人だけに神さまのお望みが示されるということではないと思います。



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司祭年にあたり 
司祭 和野

司祭年を過ごす中で、これまで自分はどのようなことばに励まされて、この道を歩んできたのだろうかと振り返ってみた。

(1)「そう、いいんじゃない」
神学院に行きたいという気持ちを親に伝えるために、大学のあった鶴岡から実家の仙台にバイクで帰省した。途中、何故かサクランボを土産に買ったのは機嫌をとろうとしたのだろうか。母に神学院の旨を告げると、「そう、いいんじゃない」の一言。ここから始まった。

(2)「主のぶどう畑で」
東京カトリック神学院への入学試験を受けるために上京し、間違って向かいのイエズス会へ行ってしまうほど舞い上がっていた。神学院のガイダンスで渡された書類の表紙にこのことばがあった。「あなたも主のぶどう畑で一緒に働いてみませんか?」と。これを目にしたとき、心が踊り、わくわくし、そして共に働く先輩達と仲間達がいるんだ!と。自分もその一員になりたいと、心から希望した。

(3)「人間をとる漁師にしよう」
神学科に進級し、いよいよ神学生として司祭を目指すにあたり、あまりにも周囲と自分を比較してしまい自分を見失っていた。このままではいけないと、自分で自分を追い込んでいた。そんなとき、何度も何度も聞いていたイエスのことばがわたしの心と体をぐりりと回した。イエスはわたしに言った、「わたしについて来なさい、人間をとる漁師にしよう」と。だから、とにかくついて行くことにした。

(4)「わたしは良い羊飼いである」
助祭の頃、ある同級生が言った、「イエスが羊飼いなら、俺たちは牧羊犬だな」と。イエスが良い羊飼いであるなら、忠実な牧羊犬が必要だろうと言うのだ。かっこつけんな!と思ったが、そうかも知れない。彼はもう亡くなったが、このことばは思い出に残る。 さて、司祭叙階式の司教のことばにこうある、「司祭たちは司教団の協力者として立てられ、祭司の務めによって司教と結ばれて、神の民に奉仕するよう召されています」。であるなら、教会の牧者である司教の示す導きの実現のために、良い羊飼いであるキリストに忠実な司祭であろうと思う。



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世界の司祭と繋がって 
雪ノ下教会協力司祭 山口

「司祭」ということばを聞いた時、それぞれが頭に描く司祭像は、当然違うと思います。しかし、その原点は、小さい時に遠くから見ていた司祭であったり、おとなになって出会った司祭であったりするはずです。その意味において、私がもっている司祭のイメージは、出身教会"藤沢教会"で幼い頃に見ていた司祭、また、大学時代に強い影響を受けた司祭、つまりコロンバン会の神父様の姿が積み重なってできていると思います。

右手にお聖堂を見ながら真っ直ぐに坂を上り右に曲がるとお聖堂の入り口がありました。お聖堂脇に垂れさがるロープを誰かが一生懸命引くと鐘の音が藤沢の街に鳴り響きます。入り口のところには、派手な祭服を着た神父様が、侍者と一緒に入堂を待っておられました。日曜学校の建物の裏辺りからゴトゴトと下界を走る江ノ電を見下ろしていると、「おはよう」と突然、真っ黒のスーツにローマンカラーをつけた大きな神父様が現れたことがありました。また、自宅の呼び鈴が鳴り、急いで玄関のドアを開けると、「スクーターここに停めていいですか」と、予期せぬ神父様の訪問に、一瞬「どうしよう」とたじろいだ記憶も蘇ってきます。

大学時代、丘の上の教会はなくなり、今のお聖堂になっていました。今思うと「何をしに、あんなに教会に入り浸っていたのだろう」と首をかしげますが、とにかく教会と司祭の存在が、自分の生活の大きな部分を占めていたことは確かです。ちょうどその頃、ベトナムからボートピープルが聖園の敷地内に収容されるようになり、常時80人前後のベトナム人が逞しく生活をはじめていました。着の身着のまま入ってくるグループがあるかと思えば、せっかく仲良くなった別のグループが第三国へ突然出国していく、そんな日が数年間続きました。このひとたちの存在を通して、私たち青年ばかりか、司祭自身が大きく変えられていったように思います。数年後、カンボジアから大量の難民がタイに流出しているという報道に、藤沢教会は直ぐに反応しました。私を含め、かなりの数の青年たちがタイの難民キャンプへ行き、そこで貴重な体験をすることになります。しかしそれを可能にしたのは、自分たちの背丈にあったやり方で、社会のニーズに具体的に応えることを教えてくださった司祭がおられたからでした。

現在、日本の教会は多方面からチャレンジを受けています。特に、グローバル化した世界の下、教会が多様な国籍、多様な民族を受け入れるようになり、藤沢教会もその中で模索し、成長していると感じます。勿論、信徒全員が国籍を越えて、互いに理解し合い、親しくなっているとは思いません。しかし、混沌とした21世紀のダイナミズムの中に存在し、「明日くるかもしれない誰かのために準備している教会」の一つのあり方を示しているように思います。そうした葛藤する藤沢教会に育てられ、今も力をいただいている私は、来年、司祭叙階20年を迎えます。この間、幸運なことに、全国を周り、また60数ヶ国で数え切れない数の異なる民族のひとたちと働く機会をいただいてきました。その中で、抑圧されているひと、戦争や民族紛争の狭間で心も体も傷ついてしまったひと、そうした弱い立場におかれたひとたちを優先する多くの司祭に出会いました。また、諸宗教との対話や自分の文化に根差した教会共同体を作るために、日本国内並びに海外でタレントを生かし働いておられる大勢の司祭の存在を知りました。

キリストの弟子の群れである教会が、この世で役割を果たすために、世界中の司祭が繋がって協力していくことはすばらしいことだと思います。どこにいても、ひとびとの叫びを聞き分け、弱い立場にあるひとたちのニーズを優先する。そのためには、広い視野をもち、ワンパターンな司祭像にとらわれることなく、いつも新しくなろうとする柔軟性(フレキシビリティー)と創造性(クリエイティビティー)が必要です。また、マザーテレサが言われています。「大切なことは、どれだけ偉大なことやたくさんのことをしたかではありません。どれだけこころを込めてしたかです」と。これは正に、嘗て私が見ていた神父様の姿でした。そして、今、その時蒔かれた一粒の種が収穫の時期を迎えています。その種の原型を自分の心の片隅にしっかりと納めて出発してください。同じ藤沢教会に育てられた仲間として、新司祭の誕生を心から喜び、神様に感謝します。主に動かされ、絶えず新しくされながら世界の教会と社会に派遣される宮内助祭、司祭叙階おめでとうございます。



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「神の赦し」 
善行 岡村

ルカによる福音の第4章16-21節ほどわたしのこころをゆさぶられる箇所はありません。

主が共に居られたのでイエスはこれらのことをなさったのが、ありありと記されているからです。イエスは、「この聖書の言葉は、あなたがたが耳にしたこの日に、実現した」と話し始められた。

ミサ聖祭は、生きている私たちにとってどんなことですかと問われたら、躊躇せずわたしは、「神の赦し」です、と応えるでしょう。「罪のないキリストは、罪の世に神の赦しをもたらされた」と歌われるように、人となられたキリストが私たちの中にこられ、「いのちの交わり」、父と子と聖霊の交わりを、お見せになりました。今も私たちの目の前で、その時の順序で行われています。私たちの間を歩まれ、「いのちの言葉」を語り、また、私たちの間を歩まれて十字架にかかり死んで復活され、私たちを人々に遣わされます。ミサ聖祭はそれを目に見えるかたちで表しています。何時、どこでも「いのちの言葉」は私たちの中で語られています。「ことばの典礼」の意味とはたらきの原典が、ルカによる福音のこの箇所にあります。

「神の赦し」は、私たちをその見えなくて分からないその先に結ばれて、今ここにある「いのちの交わり」の中で、賜物として与えられます。神の選びと引き合わせは、私たちには選べないのでそれは賜物なのです。このように神は私たちを、その今までのところ、見えていて分かるところで終わりには決してなさらないのです。それが「福音」ではないでしょうか。それが「神の愛」です。人の愛とは異なり、人の思いや考えを遥かに超えるその絶えず新たな選びと引き合わせによって、神は私たちに「いのち」を創造されます。その卓越するいのちの創造のみわざ・栄光が、「主の平和」なのです。「あなたがたに平和があるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わす・・・聖霊を受けなさい」(ヨハネ20:21,22)

残念ながら、それに応えられない私たちがいます。先ほどのルカによる福音の22-30節を読むと、一体私たちの何が聖霊を受けるのを妨げるのか、考えさせられます。今までの自分の思いや考えから離れその外に立つことが、私たちにはなかなかできないのではないでしょうか。神によって水に沈められて引き上げられるのは、一度では足りないのでしょうか。



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Q & A

★聖ヨハネ・マリア・ビアンネとはどのような聖人ですか。

☆「パウロ年」に続いて昨年6月19日からの1年間が「司祭年」として教会の特別年であることはご承知のとおりです。これは聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭の没後150周年を記念して開催されているもので、そのテーマは「キリストの忠実、司祭の忠実」です。聖ビアンネ司祭についてはすでに多くの媒体で詳しく紹介されていますがまだ目にされていない方のために、あるブログを中心に概略をまとめておきます。

聖ビアンネは、1786年フランスのリヨン市の西北にある小さな村の農家に6人兄弟の次男として生まれました。信仰深い両親のもとで育てられ、自身も17才で司祭になる望みをもちましたが、家の仕事の手伝いにいそがしく勉強をすることができませんでした。しかし当時フランスは革命の混乱期にあり、司祭の不足で満足な信仰教育がなされてなかったことに心を痛めたビアンネは、思い切って司祭になることを決意し、神学校に入りました。家が貧しくて教育を受ける機会に恵まれなかったビアンネにとって、勉学に追いついてゆくことは大変なことでしたが、苦労のすえようやく29才で叙階し、1816年フランス南東部のアルス村の主任司祭となりました。

この村は約50世帯230人ほどの小さな村で村民はカトリック信者ではありましたが、フランス革命や当時の考え方の影響もあってその信仰は世俗的で、主日のミサや祈りの務めはしばしば軽んじられていました。ビアンネはその中で、熱心に、忍耐強く信徒たちに働きかけていきました。自ら厳しい祈りと悔い改めの生活を行ない、すべてを人々の回心と救いのためにささげていきました。ビアンネは、特に神との出会いの場である秘跡(ミサ、ゆるしの秘跡)を大切にするよう招きました。このような彼の活動は多くの反対と誹謗をも受けましたが、身寄りのない少年少女のためには「摂理の家」を建てるなど日夜努力を重ねるうちに、人々は次第にビアンネの聖性を認め、その言葉に耳を傾けるようになっていきました。ビアンネの名声は周辺の町に広がり、人々が祝福とゆるしの秘跡を求めてアルスへとやって来るようになりました。1年間に10万人もの巡礼者があったといわれています。このようにビアンネ神父は1小教区の主任司祭としてその身を捧げながらも多くの人々の救霊のために働き1859年に亡くなりました。1929年、ピオ11世に「全世界の主任司祭の守護聖人」と宣言されるにいたっています。

私たちは来る4月29日(木)に宮内毅助祭の司祭叙階式を迎えます。この司祭年のさなかに新しい若き司祭の誕生に遭遇できるということはこのうえない恵みです。聖ビアンネ司祭はフランス革命というある意味ではカトリックにとって試練の時代背景の中で司祭の使命を全うされました。新司祭にはミサを挙げ、説教をし、ゆるしの秘跡を行いながらこれからの新しい社会を共同体とともに歩むことが求められるのでしょう。この日を心から祝い喜び、行く末を祈りたいと思います。



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教会委員会報告(2010年3月20日)

<報告事項>

1.宮内助祭叙階準備委員会

4月29日の叙階式のための手伝い表(聖堂横)に、更に書き込みをお願いしたい。 宣教部から祈りの花束を用意、聖歌練習開始と献金準備(4/11より)

2.第5地区共同宣教司牧委員会

第5地区7教会で将来ビジョンの答申を行うこと、また「祈る、伝える、証しする」の3部門での方向性を討議して、小教区に落とし込みをするための議論を進めている。今年度は、司祭、修道者、信徒のメンバーにより年間3回集まり討議し、11月14日司教来訪日に藤沢教会で梅村司教に答申する。鈴木神父、浮田前委員長は「祈る」部門に、牧野委員長は「伝える」部門に参画

3.総務部工事関係

・聖堂トイレ改修。温便座を入れて、合計約35万で発注済み。3月23,24日に工事予定
・聖堂屋根防水工事の件は、教区の認可待ち。工事予定はその後
・センターホールの照明改修済み。中央の丸い蛍光灯で十分な明るさが確保されているので、それ以外の灯りはどうしても必要なとき以外は点灯せず、省エネルギーに協力を期待する
・水漏れ検査によって水漏れは2カ所判明。その結果、事務所脇と、聖堂入り口辺りで水を止めた。それによって、共助組合前散水栓と、自転車駐車場脇の水栓が止まっている。 当面はこのままで行くが、必要であれば来年か再来年に再工事を考慮する

4.合葬の園

3月10日に起工式が終わった。周辺も整い、必要な土地確保のための樹木伐採も終わって、本格的な工事が始まった。6月頃上棟式を予定。利用申し込みも徐々に入りつつある。3月21日の各ミサ後、説明会(5分程度)を行い、申し込みの方法についても説明する。外国語(スペイン語)対応は検討中

5.復活祭への準備

各地区・家庭へ聖週間予定と献金袋を配布済み。総務部が教会内外の整備対応をしている。掲示板の改修も進めている

6.ティエン神父送別会

4月4日復活祭ミサ後お別れ会。皆様からの餞別として3月21日と28日に献金ボックスを用意

7.宮内新司祭初ミサ

当教会での初ミサは、5月2日9:30。 その後、皆様とささやかなお祝い会をしたい

8.第5地区キリスト教セミナー

5月22日に戸塚教会で開催。講師は松居 友氏で、宣教部対応。4月10日頃ポスター等入手予定である。講演は「ミンダナオの子供たちと共に生きて」と題して行われる予定

9.2010年度研修・養成コース

昨年同様、共同宣教司牧サポートチームにより信徒養成の様々なコースが設置されている。それぞれのコースへは参加は別途担当部からお願いする。詳細は事務所まで

<討議事項>

1.センター全体の利用者向け保管場所について

センター利用者の物品置き場がほしいという提案を頂いた。今回の提案は、聖書研究会などの会合で使用するための機材、資料などの常設的な保管場所があると便利かつ有効にセンター活用ができるとの提案である。現状では、センターホール台所にある10個のロッカーは一時的な保管場所としての本来機能をなしていない。常時半数以上が恒常的に使用されているので、改善が必要である。教会の施設の私的利用制限も含めた検討が必要。討議として下記の内容が話し合われた

・現有ロッカーの有効活用をすることがまず必要
・2,3階の倉庫は活動部などの各部担当が利用場所を決めていたが、その管理が機能していないという問題もある。全体の倉庫管理責任者も決まっていない。又、ホール脇の機械室内も現在物品が乱雑に置かれている。ここは全く管理者を決めたことはない
・下駄箱辺りにロッカーを設置したらどうかとの提案もあったが、総合的な観点で判断をしたい
・利用に際して、責任を持って頂くためには、使用料を取るか?或いは無料で対応するか?有料にすると、使用権が与えられたような誤解もあろう。鍵の管理もどうするか課題。 まだ、考え方の統一まで至っていないので、総務中心に検討継続をすることになった

2.第5地区藤沢・片瀬ブロック協議会

昨年11月7日に第1回目の協議会を行い、すでに育っている協力関係を更に進めて、今後どのような協力ができるかをリストアップすることになった。それを受けて、藤沢教会の各活動部、ブロックから、片瀬教会との協力の可能性について意見を集約し、明日3月21日に片瀬教会と打ち合わせる予定である

鈴木神父より
無理にやるとうまくいかない。この辺りの教会は自己完結的になっている。地方の教会は自己完結できないところが多い。藤沢も片瀬もお互いに呼びかけが有ったときに動き出すか等検討し、あまり無理しないで、自発的な動きを大事にしたい。

牧野委員長より
片瀬教会の木村委員長とよく話し合い、慎重に進めていきたい。

3.3部門設置について

共同宣教司牧について梅村司教が昨年の教区懇談会の「教区長の時間」で話された教区の司牧方針、特に2007年の復活祭に出された司教教書「共同宣教司牧に向けた新たな宣教司牧評議会と地区共同宣教司牧委員会」で提起された「祈る・伝える・証する」の3部門について次回委員会で討議する。この3部門をそのまま現在の典礼部、宣教部/教育部、福祉部を受け皿として割り当てると、これまでと変わらないことになってしまう。当面は、小教区内に部門は設定せず、教会委員会等において自由討議、話し合いを進めていく。司祭が支えなくても自ら祈る、伝える、証しできるように、自由な立場から意見を出し、積み重ねをしていくことで進めたい。

<ブロック・活動部>

・ブロック・活動部からの報告について
今後、委員会の効率化をしていきたいので、ブロック・活動部などの報告事項はメモであらかじめ提出し、説明省略。特別なことは説明をしても良い。あらかじめメールなどで交換をするのも良い。ブロック内での話し合いは、その後の委員会にフィードバックをすることで進めたい。

(辻堂)ブロック集会で今後の老齢化社会、認知症の現状などの課題の話を頂いた

(北2)5月8日(土)に聖園で黙想会開催予定、内容などは復活祭後、英神父と相談して決める場所の制限から定員60名

(鵠沼)4月25日にブロック集会開催予定

(国際)3月14日国際部として、すべてのコミュニティーの皆様と日本人を含めて、ティエン神父送別会を行った

(福祉)4月18日に福祉バザー開催予定。カリタスジャパンから今年の「つなぐ」が出たが、教会委員会の中で分かち合いができそうもないので、関心ある方は資料を持ち帰り頂きたい。

(典礼)聖週間典礼のおさらいを行った

(宣教)4月3日の受洗者の所属するブロック長は、4日のお祝い会に出席のこと
・ 4月11日に幼児洗礼あり。この地区のブロック長も出席を願いたい。幼児洗礼準備の時は、宣教部と教育部と連携ができた。これを下地に、大人の信仰養成プログラム作りを両部共同で進める。継続的に進め、堅信まで進みたい
・ 宣教フォーラムは共同宣教司牧フォーラムと改称して5月30日に開催する予定で、片瀬との連携を考えている。ただ、無理強いはしないように進めたい。



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ティエン神父ありがとう
国際部 鶴田

春は出会いと、そして別れの季節です。国際部でも3月14日(日)定例のミーティングの時間にティエン神父様の送別会が行われました。ティエン神父様はベトナムは勿論すべての外国人コミュニティの方たちに慕われていらっしゃいましたので、今回の移動を皆とても残念がっていました。そのため会場の「ぶどうの木」は入れ替わり立ち代り、いろいろな人が出入りし、神父様とのお別れを惜しみました。また今回は牧野教会委員長、牧野副委員長とご主人様など国際部以外の教会の方々が参加してくださり、牧野委員長はなんとお手製のビールと焼き鳥をお持ちくださいました。ビールはラベルも神父様へのメッセージが入ったオリジナルで皆びっくり!このように日本人信徒、ことに教会の中心になる方たちが参加してくださったことで外国人コミュニティの方たちも藤沢教会の一員という意識が強まったのではないでしょうか。

ともあれいつも優しく、冗談をいいながら、かつ真剣にひとりひとりに接してくださったティエン神父様の存在は国際部にとってかけがえのないものでした。神父様への外国人信徒の方の思いは後日また「八角形ニュース」に掲載されると思いますが、私に向けられた忘れられないお言葉があります「彼らの話をよく聴いてください。彼らは日本人に遠慮して気をつかっていますから」同じような厳しい道を通ってこられた神父様ならではのお言葉を日本人信徒としてとても重く受け止めました。神父様、本当にありがとうございました! 

小学3年 アン

ティエン神父様、3年間ありがとうございました。次は、かながわ区のきょうかいに行くんですね。ティエン神父様はやさしいし、元気だし、なんでもおしえてくれます。わたしも元気なティエン神父様にもっとおしえてほしいです。でも、はなれると ちょっとさびしいけど、できればまたあそびに来てください。または、きれいな神父様になってくださいね。

中学2年 諒子 小学5年 詢子

私は初めてティエン神父様のミサをうけたとき、日本語でお説教をした後に外国語でも話していてすごいと思いました。日曜学校の子たちとサッカーをしたり、大人の人と話したり、中高生会の集まりにチョコをくれたこともありました。いつも忙しいのに笑って話してくれてうれしかったです。他の教会に行ってしまうのは、すごくさびしいけれど、また藤沢教会のミサやキャンプに来てほしいです。ありがとうございました。



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お礼の言葉
司祭 ティエン

4月から藤沢教会の共同体と離れて新子安教会に参ります。行く前に、二つのことについて感謝したいと思います。一つ目は、まず、鈴木神父さんをはじめ、和野神父さん、教会の皆様とコロンバン会のお陰で一年間、日本語を勉強して、無事に卒業が出来たことです。二つ目は、また鈴木神父さんを初め、渡辺神父さん、山田神父さん、岩間神父さん、和野神父さん、そして教会の皆様のお陰で、無事に助任司祭の卒業が出来たことです。神に感謝。今度、本当に初めて、主任司祭として、教会で働きます。どうぞ皆様、真面目ではないわたくしのためにお祈りください。お願いいたします。いろいろなことをお世話になりました。ありがとうございます。どうぞ皆様お元気で。さようなら。



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卒業感謝ミサ

中学卒業 万里奈

3年前の小学校卒業の時、自分では卒業という節目を迎えられ、少し大人になれたと思っていました。ですが、今思うとまだまだ子供だったなあという事、そしてそう思える事が成長の証なのだと感じました。こう書くと、あたかも自分が立派になったかのような気になりますが、また3年後「今」を振り返ったとしたら、やっぱりまだまだ未熟なのだろうと思います。今回のミサで神父様が仰っていた、「神様に支えられる成長」は、当分の間続きそうです。もしかしたら人間の成長に上限はなくて、だから人間は「完成」することはないのかもしれません。どれだけ年を経たとしても、ずっと神様に支えられて成長する子供なのかもしれません。実は、「みんな神様の子供」という言葉はそんな意味も秘めているのではないかと、このミサに気付かされました。なので私は、ずっと成長を支えて下さる神様に、ずっと感謝していきたいと思います。

高校卒業 千歌

私はこの春、まだ肌寒い3月の始めに高校を卒業しました。あっという間の3年間を幸せだと感じながら過ごせた事をとても感謝しています。最近なかなか教会に行けず、今回の卒業感謝ミサに久々に出席してみると、沢山の方に再会し祝福を受け、私が無事に卒業できたのは、多くの方々 そして神様がいつも私を見守って下さっているからなのだと、改めて感じました。幼稚園から大学まで、卒業した私たちが神様と共に新しい道を歩んで行けますように。

大学卒業 紘奈

3月21日、卒業感謝ミサが行われました。幼稚園の卒園生、小・中・高・大学等の卒業生、そして東京カトリック大神学院をご卒業された宮内さんがミサにて祝福を受けました。神父様より祝福のお言葉と本をいただきました。本は幼稚園生には小さな絵本を、私たち大学生には"マザーテレサ日々の言葉"というように、各年齢に合ったものを贈って下さりました。

祝福を受けた時、日曜学校での出来事が次々と思い出されました。楽しかったキャンプ、わくわくした初聖体、悲しい気持ちになった赦しの秘跡、少し難しかった神父様のお話、特別だったクリスマスミサ、頑張った聖劇・・・。中でも強く心に残っていることは、日曜学校のミサで毎週聖歌を歌ったことです。ピアノとギターで楽しそうに伴奏するリーダー達の姿が今も鮮明に浮かんできます。今日は何の歌なんだろうと、聖歌が日曜学校へ来る楽しみの一つとなっていました。今は子どものためのミサが月に一度となってしまいましたが、リーダーのお誘いで聖歌の伴奏をさせていただいております。今回の卒業感謝ミサでは、拝領の「アーメンハレルヤ」で生徒が手話をしながら歌い、派遣の「ビリーブ」は6年生の子がピアノ伴奏をしてくれました。卒業後は大人としての自覚を持ち、自分に出来ることを一生懸命行っていきたいです。その一つとして、子ども達のために聖歌の伴奏をすることが、神様のお与え下さった使命と感じております。 子ども達が教会へ来ることが楽しみになるお手伝いが出来ればと思います。

最後に、これまでお世話になった神父様方、リーダー方、教会の皆さまに心より感謝申し上げます。



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司祭叙階式にむけて
第5地区準備委員会 曽根

待ちに待った宮内助祭の司祭叙階式が4月29日(木・祝日)11時から聖園女学院講堂で行われます。会場につきましては藤沢教会では手狭なこともあり、聖園女学院にお願いいたしました所、大変快くお引き受けくださり感謝しております。この叙階式は第5地区7教会で準備委員会を作り、祈りのうちに皆様とご一緒に進めております。大船・鍛冶ヶ谷教会は典礼部門、戸塚・中和田・原宿教会は祝賀パーティ部門、藤沢は片瀬教会と一緒に総務担当となっております。皆様には事前と当日のお手伝いをお願いいたします。

4月11、18日の9時半ミサ後には新垣壬敏先生が今年叙階される方々のために作曲されました「キリストと共に新しい生命に生きる」の練習をいたします。お祝い品として藤沢教会から「カズラとストラ」を、また「祈りの花束」をお贈りいたします。「カズラとストラ」は只今製作中ですので当日を楽しみにお待ちください。横浜教区に誕生する新司祭のために数々のお願いをすることになりますが、どうぞ皆様の心からのお祈りとご協力をお願いいたします。

なお、叙階式当日は大変混雑が予想されます。あらかじめ情況をお確かめの上でご参加をお決めください。会場に入れない方々のためにスクリーンが用意される予定です。また、駐車場は限られております。公の交通機関をお使いになることをおすすめします。



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辻堂ブロック集会
辻堂1区 坂井

3月7日、9時半のミサ後、センターホールで辻堂ブロックの集まりをいたしました。鈴木神父様のお祈りに続いて、長年介護の現場に携わっていらっしゃる内嶋揚一さんから「高齢化社会と介護を考える」というテーマで介護職の視点からお話を伺いました。

高齢化と要介護の増加(65歳以上が25%、うち要介護は20%)、家族内での支え合いには限度があること、人間関係の希薄化と独居老人の増加という現実を認識して行政に頼るだけでは不十分であるけれど、情報を得て上手に制度と施設を活用することの大切さを教わりました。藤沢市は鎌倉市に比べて行政の面で遅れている点もあるので、個々人がその都度訴える必要があるということです。また、教会の福祉部に相談して知恵をお借りするのもよいということでした。介護の問題は皆にひとしくふりかかってくることなので、真摯に耳を傾けました。

お昼には有志の方々による手作りのおいしいチキンカレーとサラダそれにお菓子もいただいて、外の冷たい雨と介護という少々深刻なお話に冷えた体と心もすっかり暖められてテーブルを囲んで話がはずみました。お食事のあと、小さなグループに分かれて辻堂ブロックの活動について分かち合いをいたしました。介護の話を伺った後ということもあって、ブロックの人たちの繋がりの大切さに思いが至り、活発な話し合いとなりました。

共通の趣味(俳句、手芸、園芸など)を通しての交流を計ること。となり組(辻堂ブロックでは近隣10軒程度を一つのグループ「となり組」とし、リーダーを置き取りまとめている)ができて6年近くになりますが最近はあまり機能していないところも出ていること。もう一度初心に戻り、近隣から始まって地区全体をみることが出来、それが教会の活動へと繋がって行くようになることが理想・・・。

話し合いの後、鈴木和子さんが手品を披露してくださり、「ふしぎなロープ」や「お利口なアヒルさん」に皆さん目を丸くし、拍手喝さいでした。辻堂ブロックからお出になった宮内助祭が東京教区で行われた叙階式と重なり残念ながらご出席になれなかったのですが、今後のご活躍とともにブロック全体で支えることができますようにと最後にお祈りをいたしました。


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小グループ活動紹介 日本語教室

藤沢教会には南米、アジア諸地域からおよそ400人の外国人がミサに来ています。しかし、一部の方々を除いてなかなか日本人と交わることができません。その最も大きな理由の一つは言葉の壁があるからです。日本人も外国人も一つの共同体として仲良く交流したいと思う気持ちは皆同じでしょう。その願いを込めて2007年9月何人かのボランティアと共に「日本語おしゃべり教室」を始めました。難しい語学教室ではなくやさしい日本語で親交を深めるのが目的です。来日したばかりの方から20年以上日本にいる方、レベルはさまざまですが机に向かう勉強だけではなく、時には遠足、時にはパーティー、また困っている時には助け合う仲良しグループです。帰国、転職、出産など、いろいろな事情で出入りはありますが、この2年半でおよそ30人の方々とかかわり、町や教会で出会うと抱き合うほど親しくなることができました。当初の目的にはまだまだ遠い道のりですが、昨年は日本語検定試験に合格した方もいらっしゃいます。これからも細く長く続けて小さな芽が育っていく根を作っていきたいと願っております。
(文責 辻堂1区 興膳)


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ユースの会に参加して
藤沢2区 東

私は2007年4月7日に受洗し、聖体をいただくようになって、3年になろうとしています。ユースの会には、名前が決まる前の30代の未婚者の集まりの時から参加しています。参加者は、それぞれ仕事を持っていたり、就職活動中だったりしますが、月に1回、日曜9時半ミサ後、昼食持参で集まり、ミサのリーフレットで分かち合いを行っています。

分かち合いの中では「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか」(マタイ16:2-3)というみ言葉が印象に残っています。また世話役のまとめの祈りによって「あなたがたはキリストの体であり、また一人ひとりはその部分です」(一コリント12:27)の通り、キリストを感じることができました。同世代の信仰の分かち合いの場として、より多くの方々の参加をお待ちしています。



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がりらや便り

ご復活おめでとうございます。教会の庭でも咲き始めた花々が祝っているようです。今月の新刊書をお知らせします。また皆さまからご要望の多かった「毎日のミサ」用のブックカバーを準備中です。藤沢教会オリジナルの素敵なカバーとなることと思います。どうぞお楽しみに。


「教皇ベネディクト16世 霊的講話集 2009」
カトリック中央協議会発行 1,260円

ベネディクト16世の講話集の2009年版。「パウロ年」閉幕の講話、聖ヨハネ・マリア・ビアンネ没後150周年を記念する「司祭年」の解説などに加え、「第2アフリカ特別シノドス」に先立つアフリカ司牧訪問、ベツレヘムのアイダ難民キャンプにおける演説など68編を収録


「フラガ神父の料理帳」
セラール・フラガ著 池田 宗弘画 ドン・ボスコ社 2,100円

来日58年になるサレジオ会のフラガ神父が、故郷スペイン・ガリシア地方の家庭料理を紹介。スペイン風じゃがいものオムレツ、パエリアなどのメインディッシュ、カトリックコーヒー、りんごの丸焼き等のデザートをはじめ、復活祭、聖母被昇天、クリスマスなど祝日の特別料理も簡単かつ、豪快に作れそうです。オールカラーで、愉快な語り口で繰り出される料理の数々、見ているだけでも楽しくなります。古い友人で彫刻家の池田宗弘氏による版画挿絵も深い味わいがあります



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合葬の園から
建設委員会 辻垣

3月10日朝10時、前日の雪も止み、薄日のこぼれる中、起工式(一般には地鎮祭)が鈴木勁介 神父の司式で行われました。教区本部から古川神父、事務局の白井さん、シスター、小教区の信徒、工事を請負う門倉組の社長さんら、40名位が出席しました。深い森の中、そこだけが明るく伐り開かれ、建物の位置が縄で張られた中で、祈りと聖歌で工事の安全を祈願しました。申し込まれた方々も、初めて敷地を訪れた方が殆どで、自然豊かな環境を楽しんでいるようでした。

6年間という年月がようやく結実することになりました。聖心の布教姉妹会にかけがえのない「この地」を提供して頂けなかったら、実現しなかったでしょう。「聖園の聖堂」の隣地であり、建て直しの時が偶然合致したためです。この「合葬の園」は、恵みに満ちています。6月には建物の外形がわかる上棟が行なわれ、8月末には完成する予定です。「合葬の園から」の便りは毎月工事の進み具合を報告致します。


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秘跡について考える その5 入信の秘跡2―洗礼の秘跡の恵みとしるし(2)&堅信の秘跡
横浜教区助祭 宮内

前回に続いて、もう少し洗礼について考えてみましょう。洗礼の秘跡がもたらす重要な効果の一つに、「受洗者がキリストのからだの一部となる」ということがあります。これを具体的に言い換えると「受洗者が教会共同体に組み入れられる」ということです。洗礼によって人はキリストのからだである教会共同体に結ばれ、そのメンバーとなるのです。このことは、洗礼の秘跡の恵みが、受洗者個人のためだけにではなく、教会共同体のためにも与えられることを意味しています。受洗者は、いただいた恵みを教会共同体のために、そして教会共同体の使命である福音宣教(神の愛の証し)のために用いることが求められているのです。

さて、次に堅信の秘跡について考えてみましょう。堅信の秘跡は、洗礼式に続いて行われる場合と、別の機会に独立して行われる場合とがありますが、いずれにしても洗礼の秘跡と深いかかわりがあります。堅信の秘跡は、洗礼の秘跡が与える恵みを深め、完成するものです。まず、堅信式の中心部分であるしるしとことばを見てみましょう。堅信の秘跡の通常の執行者である司教が、右手の親指に聖香油をつけ、右手の残りの指を受堅者の頭において、額に十字架のしるしをしながら、「父のたまものである聖霊のしるしを受けなさい」と唱える場面がそれにあたります。これらのことから、堅信の秘跡の効果が、受堅者に聖霊を与えるものであることがわかります。唱えることばの内容はもちろん、「塗油」という行為が、油を塗られる人に聖霊が注がれることを意味しているからです。しかし、聖霊が与えられるのは、堅信のときが初めてではありません。洗礼の秘跡によって聖霊は注がれています。だからといって、洗礼の秘跡による聖霊の注ぎが不充分であったいうことではありませんし、聖霊が二つあるわけでもありません。むしろ、洗礼と堅信は、聖霊の豊かで多様な恵みの異なる面を表していると言えるでしょう。

前回、洗礼の恵みを表すキーワードとして、「新しい誕生」ということばを挙げました。受洗者の聖霊による生まれ変わりを意味することばです。これに対して、堅信の恵みを表すキーワードは、「堅固にして派遣する」です。堅信の秘跡の効果は、聖霊によって受堅者がその信仰を堅固にしていただき、神の愛を証しするものとして、キリストから派遣されることです。もちろん、洗礼・堅信それぞれの効果は、明確に区別することは出来ませんが、堅信の秘跡の恵みは、洗礼の秘跡の恵みを受けた人の信仰を成熟させ強めます。

洗礼・堅信という二つの秘跡を受ける人は、キリスト者として新しく生まれ、キリストに従う者として生きる使命のために強められます。キリストに従う者の使命として、最も重要なのは福音宣教です。洗礼・堅信を受けたすべての信者は、信徒・修道者・司祭というそれぞれの立場に応じて、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)というキリストの命令を果たすよう招かれています。



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