八 角 形 に ゅ ー す
2010年7月24日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
断章(4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木
第19回湘南キリスト教セミナー報告・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 牧野
トゥ師の司祭叙階式のこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木
トゥ神父様と菊名教会とのかかわり・・・・・・・・・・・・・菊名教会 中村
藤沢教会で体験した不思議な出来事・・・・・・・・・・・目黒教会 叙任司祭 いとう
藤沢教会の皆様・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・横浜教区司祭 宮内
共同宣教司牧フォーラム報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宣教部長 岡田
藤沢16団ボーイ隊巡礼プログラム・・・・・・・・・・・・・・・ボーイ隊隊長 柴田
小グループ活動紹介 「ラテン語に親しむ会」・・・・・・大庭 嶋永
合葬の園から(4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・建設委員会 辻垣
秘跡について考える (全12回) 第7回 入信の秘跡(4)―聖体の秘跡(その2)・・横浜教区司祭 宮内
断章(4)
司祭 鈴木
何もしないということが心が追いつかないほど忙しいわたしたちの感性を目覚めさせるために大事ではないのか。
人間は意識していないところで一番良いことをしているのではないか。
福音宣教もマイルドな表現が成熟のしるしではないのか。主張し過ぎると攻撃的になる。
ことばは控え目に、背中で語ったり、絵で表現したり…
皆ができる福音宣教で一番良いのは、ものごとを愛情を込めてやることではないか。
当たり前のことが実は不思議なことなのだと思えたら…
汚れを清めてくれる雰囲気が教会のどこかに欲しいもの。
問題だと思えば解決を急ぎたくなる。これも良いことでもあると思えば、別のものが見えてくる。
神のみ旨はわたしたち人間にははっきり把えられないものであるが、分かち合いを通して帰納的にはぼんやり浮かび上がるものではないのか。
「わたしの身に起こったこと(投獄)がかえって、ますます福音を広めるという結果をもたらしました」(フィリピ書1,12)
カンバーランド教会の牧師さんの述懐「教会をつくろうとして色々試み努力したが、信徒は増えなかった。しかし思いがけないことで信徒が増えて今日この教会の誕生を祝うことができました。」
若い人や中年の人が教会に来ない。来られないという現実は、受難と見られないか。
罪を認めること(砕かれた心)が不思議なことに赦される(救われる)道を開く。
思い通りに事が運ばないように見えても、神のわざは進められていることを思おう。
神の国に入るとは神との信頼関係に入ること。
祈りでも歌でも朗読でも、本当に上手かどうかは、人々が心を神に向ける方向に誘えるかどうかではないか。人々の目を自分に向けさせているうちはまだまだと思う。
教会委員会報告(2010年6月19日)
7月10日に上棟式予定 15時頃からを予定するが、詳細決定次第お知らせで告知
教会屋根の防水修繕は、遅れ気味であるが、6月末に完了予定
裏の階段は現在片方のみ手すりがついているが、杖をついての登り降りが不自由であるとの訴えがあり、反対側にも手すりを設置することを検討中
"子どもたちに笑顔を" 「ミンダナオの子どもたちとともに生きて」のテーマで、松居友さんの講話があり、子ども図書館によるフィリピン内戦孤児支援活動の話を聴いた (→こちら)
岡田宣教部長の教話の後、鈴木神父様から踏み込んだ講話を頂いた。その後、「祈る」「伝える」「証する」の3部門に分かれて分かち合いを行った
今春東京教区で叙階された伊藤司祭は、宮内司祭と神学校の同期で藤沢教会とも縁が深い。当日は良い天気に恵まれ、多くの方が参加して感慨深い初ミサであった
歓迎の横断幕を入り口にかけ、花束贈呈とミサ後のパーティを予定
トゥ新司祭は、教区司祭と修道会司祭の両方の立場をもたれる。修道会の管区長が27日ミサに一緒に司式予定
教会内有志の主催で、8月1日(日)17時〜19時30分に開催予定。なお当日18時のミサはない。
事前打ち合わせは7月4日(日)10時30分204号室で行われる。
・ 食べ物:有志が進める。焼きそば、ベトナムの春巻、ラティノスから焼き鳥なども含め基本的には例年通り。
・ 飲物:ビール他が例年通り
・ アトラクション:小藤さんのアレンジでハワイアンバンド、フラダンスなど。飛び入り歓迎
小教区内での共同宣教司牧の3部門の進め方について
典礼部、宣教部、福祉部から進め方についての提案(第1次叩き台)が出され、委員会メンバーで討議した。7月11日までに3部からまとまった叩き台提案をいただき、7月19日の教会委員会で継続討議し、これをもとに、当教会の共同宣教司牧全体の意見討議に用いる案を作成する
(北1)7月13日千葉県御宿へバス旅行
(教育)夏のキャンプ募集中 第5地区レベル
(典礼)養成者コース5名参加
(福祉)8月救急救命の講習を予定している。 消防と連携をする。日程決定次第お知らせする
(国際)外国人の代表を委員会へ招聘する気持ちはあるが、過去の経緯もあって中々難しい問題である
第19回湘南キリスト教セミナー報告
鵠沼3区 牧野
第19回湘南キリスト教セミナーの講演は、5月22日(土)14〜16時、戸塚教会において、ミンダナオ子ども図書館を主宰する松居友氏により「ミンダナオの子どもたちとともに生きて」のテーマで行われた。当日は天候に恵まれ、100名以上の参加(藤沢教会からは10名程度)があった。
現在も戦闘が続くフィリピン・ミンダナオ島で、戦争孤児の生活支援と教育に人生を捧げる松居氏の講演は時に過激性も帯びていたが、以下のような説得力のある内容であった。松居氏は紆余曲折した人生を送られてきたそうだが、柔和な語り口に秘められた強固な意志と使命感は常人を超えるものを感じさせた。
・ フィリピンに限ったことではないが、貧しい住民を犠牲にする内戦は、それにより利益(権益)を得ようとする勢力により意図的に起こされている。イスラム住民の多いミンダナオでは、天然ガス・石油・レアメタルの権益が、フィリピン政府・米国・中国などにより争われており、宗教対立・部族対立が戦闘の火種として利用されている。この30年間の5年毎に戦争が起こり、20万人の難民が発生している。イスラム反政府ゲリラが悪の元凶というマスコミの表現は正確ではない。
・ 自らが犠牲者の中に入り、孤児を主体とした生活の建て直しと教育の活動を進めていくことにより、自分が助けられ救われた。人を救おうと言うのは傲慢に過ぎない。自分はカトリック信者だが、仏教の教えでも同じことを唱えている。自分の主催するミンダナオ子ども図書館の活動では、キリスト教、イスラム、仏教、民族宗教など、それぞれが平等に尊重され、年間行事で交互に取り入れられている。
・ 物質的に豊かでも情報が遮蔽された日本にいるだけでは、ミンダナオの状況を十分理解することは難しいと思うが、自分の活動に共感される方は、わずかでも構わないのでご支援願いたい。
以上のような内容の講演後の質疑応答は活発で、立正佼成会からの参加者を含む多くの聴衆から共感と支援の意見が出された。
このような思想性の強いテーマに対して違和感を覚えられる方もおられると思うが、虐げられた小さな人々の中にキリストを見る松居氏の生き方には強い感銘を覚え、改めて自分の生き方を反省させられたセミナーであった。
トゥ師の司祭叙階式のこと
司祭 鈴木
ホテルを一歩外に出るとモワーッと暑いホーチミン市を朝7時に出て、ラッシュアワーの車とバイクの洪水の中を叙階式会場まで車で1時間15分、フー・クウォン教区のカトリック・センターに着きました。巨大なテントの張られた庭が式場で、司教さんや他の司祭を紹介されながら、まず、トイレに行って、祭服に着替えて、式の説明を受けているうちに8時30分司祭団の入場が始まりました。300人を超す司祭団が2列で入るので前の方の人が祭壇に着いても、後の方の私達は水を飲んだり、おしゃべりしながら待つというのどかな雰囲気でした。
祭壇に着いてからザッと会衆を数えたら、3,000人以上だなと思いました。ベトナム語独特のイントネーションを心地良く感じながら、人々を見ていました。アオザイもよそ行きは豪華なものなのだと思いましたし、こんな暑い国でも男性はネクタイ・スーツ姿の人がいることに驚きました。司祭もカズラまで身につけているのですから、ベトナムのカトリックの雰囲気がわかろうというものです。
叙階式ミサは日本と同じように進められていきましたが、ところどころにベトナムらしさがありました。祭服は、両親ないしは親族の代表2名が受階者とともに奉納しました。そのときのBGMが演歌っぽいメロディでドラマチックな雰囲気を盛り上げていました。ベトナム語の聖歌は独特のややセンチメンタルなメロディのものが多いのですが、独唱部分を歌う人はオペラ歌手のように熱唱していて人々の祈りを励ますというより酔わせている感じでした。言葉がわからないことと野外のミサであったことが、いくらか、その人間くささを緩和しているように思いました。
式の最後に26人の新司祭の代表の挨拶がありましたが、司教様、司祭団、両親、会衆への感謝の最後に政府への感謝が述べられ、ベトナムの国情が表れていました。26人の中には20年間叙階の日を待った50才を越える人を最高齢に28才の若い人までいましたが、トゥ師も慣れない難しい日本語で神学の勉強をして、やっと叙階の日を迎えました。司祭団との平和の挨拶のときには抱擁しながら思わず涙ぐんでしまいました。
こうして3時間に及ぶ叙階式が無事終わりましたが、式の間にトイレに行きたいと思わないほどビッショリと汗をかきました。
トゥ神父様と菊名教会とのかかわり
菊名教会 中村
「神父になるためにベトナムから来日されたトゥさんです。神学校に入る前に日本語の勉強をしなければなりません。皆さんよろしくご協力下さい。」と、ミサのとき初めて紹介されたのが確か8年ぐらい前のことでした。緊張と不安で硬くなって挨拶された姿がとても印象的でした。梅村司教様が横浜教区でベトナムの方をお引き受けになり、ハー・ミン・トゥ神父様が菊名教会にいらっしゃいました。
1988年から始めている日本語教室で勉強されたのは勿論ですが、ご自宅でお勉強を見てくださる方もいて、猛勉強をなさいました。東京大神学校に入学されてからも、今は亡き石川神父様が公私にわたりバックアップしてくださいました。その間、風邪をこじらせたり重い病気にもなりましたが、トゥ神父様の召命に対しての強い確信と、何事にもねばり強く、そして血の滲むような努力の結果、多くの試練を乗り越え、無事大神学校を卒業されました。
在学中も、菊名教会では神父様方を助け、日曜学校では子供達の指導やサポートをし、また青少年達の良き相談相手にもなってくださっていました。特に黙想会や青少年との分かち合いの会には熱心に参加しておられました。その他、いろいろな会にも出席して貴重な助言をしてくださり、まわりのどんな人にも分け隔てなく、優しいかかわりの心で接するトウ神父様の非常に細やかな心配りの結果、老いも若きもトウ神父様を慕っていました。
石川神父様がブラジルへ派遣され、ニューヨークで客死された後、笹気神父様、ケルソ神父様にもよくつくされ、無事、昨年助祭に叙階され、今年5月25日にはベトナムのフークン教区で司祭に叙階されました。
菊名教会の信徒はずっと近くにいて欲しいと希望している人々が多いと思いますが、神様のご計画で藤沢教会へ派遣されるトゥ神父様が、ますます多くの人々に福音を伝えるために、活躍されることをお祈りしております。
藤沢教会で体験した不思議な出来事
目黒教会 助任司祭 いとう
先日は初ミサにお招き下さり、誠にありがとうございました。心よりお礼申しあげます。おかげさまで、今まで存じあげなかった方々との新しい出会いの喜びと、旧知の方々との懐かしい再会の喜びとを、味わわせて頂きました。「八角形ニュース」にも寄稿させて頂く機会を与えて下さり、感謝致します。ご依頼では、司祭召命についてとのことでしたが、すでに「カトリック生活」誌や目黒教会のホームページなどで何度か書いておりますので、今回は、召命を意識するきっかけとなった、今まであまり人に話したことのない、私が藤沢教会の聖堂で体験した不思議な出来事について、お話ししたいと思います。
それは15年前のちょうど今頃、初夏の蒸し暑い日曜日のことでした。その日、私は藤沢教会の9時半のミサに与っていました。八角形の聖堂は、窓もドアもすべて開け放たれていましたが、そこから入ってくる風はありませんでした。幾つかの扇風機が必死に首を回して、重く湿った空気をなんとか動かそうとしていました。司式はハンラッティー神父様、こんな日によく似合うゆったりとした口調で、ミサは進められていました。
説教が始まったころ、聖堂入口から誰かが入ってくる気配が感じられました。「静まり返った説教の最中に、真正面から堂々と、神父様に向かって行くなんて・・・。いったいどんな人だ?」聖堂後方の中央通路に近い席に座っていた私は、無邪気に後ろを振り向く無作法を恐れ、その人が横を通り過ぎるのをじっと待ちました。私より後ろの席はおおかた埋まっていたはずなので、座るのであれば前方の席に向かうに違いないと推測していたのです。事実、ゆっくりとではありましたが、その人は立ち止まることなく着実に前進しているようでした。「歩調がずいぶんゆっくりだな、お年寄りかな?でもその割には足音が軽いな、子供なのか?う〜、誰だ誰だ誰だ?」気配は私のすぐ後ろまで近づき、やがて真横を通過しました。そしてとうとう視界にその姿が入ってきたとき、私は思わず声を上げてしまいました。やって来たのは人ではなく、にわとりだったのです。一羽のにわとりが胸を張り、辺りを睥睨しながらゆっくりと中央通路を祭壇に向かって進んでいるのです。賓客が、遅刻したのに悪びれることもなく堂々と、用意されているはずの来賓席を探して歩いている、あたかもそんな風情でした。驚きはすぐに可笑しさに変わりました。「なんでにわとりが?」説教に耳も傾けず、私はにわとりのうしろ姿を目で追いながら、「こいつ、いったいどこまで行くんだ?祭壇まで行ったら、ハンラッティー神父様、どうするんだろう?」などと、けしからぬことを想像してニヤニヤ笑っていました。
そのときでした。それまでゆっくりと真っ直ぐに中央通路を進み、かなり前の方まで行っていたそのにわとりが、いきなり振り向くと、私をキッと睨みつけたのです。赤く燃えた目で射竦められた私は、ニヤついていた自分の顔がどんどん強張っていくのを感じ、思わず目を逸らしました。しかし、それで終わりにはしてくれませんでした。彼は、それまでよりずっと速足で、こちらに向かって来たのです。心臓がドキドキし始めました。「なんで来るの?何をしたっていうの?」彼はますます近づいて来ました。やがて、前席の背もたれの陰に彼の姿が一瞬隠れ、視界から消えました。私は態勢を立て直し、自分に言い聞かせました。「落ち着け!偶然だ!私に向かって来たわけじゃない!」彼が前席の下から再び姿を現し、私のすぐ足元で、勝利を確信したかのようにもう一度私を睨みつけたとき、私は自分の希望的観測が誤りであったことを悟り、観念しました。彼の標的は明らかに私でした。次の瞬間、ビーチサンダルをだらしなくつっかけた私の素足を、彼は思い切りつつき始めたのでした。「わ、わ、わ!」あまりのできごとに私は小さな悲鳴を上げてしまいました。ミサの、しかも説教の最中にです。にわとりはひとしきり私の足をつつくと、怯える私に軽蔑も露わな一瞥をくらわした後、満足げに中央通路を後方に去って行きました。そのときの周囲の人々の反応はどんなだったのでしょう。おそらくは笑いをこらえておられたのでしょうが、当事者の私は、周囲の反応をみる余裕など、まったくありませんでした。驚愕と恐怖に包まれて呆然としていたのです。
翌日、ひーちゃん(藤沢教会のMさんのお嬢様、当時S学園で私が顧問をしていた部活動のキャプテン、初ミサのときに花束を渡してくれた方)にこのことを話すと、「あぁ、それ。昔、ガラハ神父様が、お祭りでひよこを買ってきたんですよ。それが大きくなって、放し飼いにされてるんです。私もチャボ貰いましたよ」との返答でした。「にわとりがなぜ教会に?」という疑問は、ひーちゃんのこの情報で解決しました。しかし、「にわとりがなぜミサ中に入堂し、なぜ振り返ってまで私をつつきに来たのか?」という疑問は、解決しませんでした。
それまで合理主義者だった私は、この事件以来、想像もつかないようなものを用いて、神様のなんらかの意思が具体的に示され、導きが与えられる可能性を意識するようになりました。にわとりが何に腹を立てていたのか、今もって謎のままですが、とにかく私の何かを批判するメッセージが提示されたことだけは確かだと、今では考えています。また、それはある意味で、司祭召命への導きであったとも感じています。にわとりに、なんだか分からないけど「お前、ちゃんとしろよ!」と叱咤され追い立てられた、その延長線上に今の私があると思うのです。ということは、私が司祭召命の道のりの初めの一歩を踏み出したのは、あのにわとりの愛の一撃がきっかけなのであり、彼が闊歩していた藤沢教会のおかげなのです。いや、ホントに。
<略歴>
1961年 生まれ
2010 年 東京カテドラル聖マリア大聖堂 にて叙階
現在 目黒教会 助任司祭
もと藤沢教会所属
藤沢教会の皆様 このたびは私の司祭叙階にあたり、見事な祭服をはじめ過分のお祝いをいただきまして、誠にありがとうございました。心より感謝いたしております。また、御礼のご挨拶が遅くなりましたことを心からお詫び申し上げます。 藤沢教会の皆様には、私が小さい頃から始まって、小、中、高、大それぞれの学生時代、そして6年間の神学生時代に至るまで、いつも私の歩みを見守って下さり、また私のために祈っていただきました。私にとりましては、藤沢教会は本当に故郷であります。 そして、4月29日に行われました司祭叙階式におきましては、計画・準備から当日の運営や片付けに至るまで、藤沢教会の本当に多くの方々に支えていただきました。何度感謝の気持ちを申し上げても足りないくらいです。 さらに、5月2日の藤沢教会での初ミサの際にも、私を暖かく迎えて下さり、ご一緒にミサをささげる喜びを共にしていただきました。このことも心より感謝申し上げます。 今後、これまでのように藤沢教会の皆様と関わることが出来なくなるのは、本当に残念ですし、さびしいことです。その代わりに私は、藤沢教会の皆様を通していただいた大きな大きなお恵みを、私がこれから出会い、関わる共同体の方々と分かち合っていきたいですし、そうすることが藤沢教会の皆様への一番の恩返しになるのではないかと勝手ながら思っております。 どうぞこれからも私のためにお祈り下さい。私も藤沢教会の皆様のためにお祈りいたします。本当にありがとうございました。 2010年6月14日 |
6月6日、ぼくは、初聖体のお恵みに与りました。ぼくは、小さいころからご聖体を早くいただきたい、と思っていました。でも、2,3週間前から、だんだんといやになってきました。前日のリハーサルも行きたくありませんでしたが、行きました。当日の朝も、行きたくありませんでしたが教会へ行きました。侍者服に着がえて、心の中で、み御心のままになりますようにと祈りました。ミサが始まり、ミサ中歌を歌っていた時よく歌う人は2倍祈る人という言葉を思い出して一生懸命歌いました。だんだん心が明るくなってきました。ぼくのご聖体をいただく番がきました。初めてのご聖体は、ぼくが生まれてから、今まで食べた物の中で一番すばらしくおいしい食べ物でした。1日に2回ぐらい食べたいと思うほど、すばらしい味でした。ぼくの心は、ご聖体をいただき、とても元気になりました。神さま、ご聖体のお恵みをありがとうございました。
さいしょたのしくなかったけど、どんどんたのしくなってきた。リーダーとべんきょうするのが楽しかった。パンをはじめてたべておいしかった。ちょっとだけわかってきた。べんきょうをするのが楽しかった。パンとおさけで食べるのがおいしかった。ほんばんのときドキドキした。しんぷさま、リーダーがたありがとうございました。楽しかったです。
共同宣教司牧フォーラム報告
宣教部長 岡田
5月30日(日)9時半ミサの教話に始まり14時まで「共同宣教司牧フォーラム」が開催されました。ミサ後の鈴木神父の講話には約60名、分かち合いには約30名が参加いただき、熱心な質疑応答、分かち合いが行われました。また片瀬教会の木村委員長も参加され、片瀬・藤沢ブロックの連携も始めることができました。
1.9時半ミサ教話(宣教部長)
宣教部では、毎年「宣教フォーラム」を4回重ねてきたが、横浜教区で2000年に梅村司教が打出された共同宣教司牧の取り組みが具体化し、2007年から各地区に共同宣教司牧委員会が設置され、第5地区レベルでも地区ビジョンの検討、祈り・伝え・証する3部門での討議が進んでいるという状況にあることから、共同宣教司牧について改めて学ぶため、「共同宣教司牧フォーラム」と改称し、「改めて共同宣教司牧とは?」をテーマに、典礼部、福祉部等とも連携して分かち合うこととした。まず、共同宣教司牧の背景にある高齢化について、司教は「共同宣教司牧は、単なる司祭不足を解消するための制度改革ではない。司祭、修道者、信徒すべてのキリスト信者の交わりという、教会の本質を実現するための制度」と強調されている。ただ司祭の高齢化が背景にあることは確かであり、75歳以下の司祭が現在約50人のところ、10年後に40人位に減少し、第5地区7教会を5人の司祭で司牧する状況が想定される。信徒の高齢化も進んでおり、信徒総会で説明される教勢表では、毎年1才ずつ平均年令がアップし、今年は平均50.1才であった。数字上は各年代がバランスよく見えるが、ミサに来ている信徒の実態は60代以上が多数である。
一般的に、日本社会の少子高齢化をめぐっては、悲観、楽観、2つのシナリオが言われる。
宣教部では、今回、教会委員と宣教部メンバーを対象に「日本社会の振れ幅の中で、どんな教会でありたいでしょうか?」というアンケートを実施し、約20名から回答を得た。回答をあえて分類すると、3つに分かれる。1つは「外向きのアクション型、社会派」、共同体のエネルギーを外に向けて発揮していこうとするタイプである。2つ目は、「内向きのアクション型、教会の使命堅持型」、エネルギーを共同体の内側で高めていこうとする立場である。3つ目は「自然体、成り行きまかせ、省エネ型」であった。どれか一つが正しいということはなく「多様性の中の一致」を目指せばよいと思う。司教も多様性の中の一致を導くために、各地区で将来ビジョンを描くことと、3部門を設置するという具体的アクションを求めている。
3部門とは、私達がキリストの教会としてあり続けるために欠かせない3つの要素、「祈りがささげられ、信仰が伝えられ、愛の証がなされていること」に基づいており、小教区としても地区としても、信徒が司祭・修道者に頼らないでも、自らの力によって、祈りをささげ、信仰を伝え、人々に愛をそそいでいけるような共同体に成長するために、各地区に(1)祈る力を育てる部門、(2)信仰を伝える力を育てる部門、(3)神の愛を証しする力を育てる部門を設けることが求められている。なぜ3部門に分かれて活動しなければならないのか、という疑問が起こるかもしれない。司教の言葉によると「私達一人ひとりが3つの使命に呼ばれているが、それ以上にキリスト者の共同体として、3つの使命を果たしていくことが求められている」、「3部門は、活動部門であると同時に養成
部門、育てる部門である」とのことである。活動だけでなく養成を担当するとなると、得意分野や関心のある分野を選んで、分担していく方がよいということだろう。
私は先日、以前当教会助任だった高野神父が主任司祭の鷺ノ宮教会の主日ミサに与かったが、100人も入れば一杯の聖堂で、3分の1が60代以上の日本人、3分の1がペルー人家族、3分の1がベトナム、フィリピン人信徒という構成だった。しかも座る場所は渾然一体、前列にはペルー人家族と障がい者、難病の人が座っていた。聖堂入口の掲示板には3部門ごとに名前を記入する紙が張り出されていて、部門ごとに10人以上の名前が書き込まれていた。既存の活動部の枠組にとらわれない形で、3部門の取り組みが広がっている。小さいけれど温かい「交わりの教会」を垣間見た感じがした。
最後に、司教が特に感じていることについてふれたい。「私が特に感じているのは、信仰が涵養されることの重要性です。3つの使命にあずかるという時、信仰に促されてということがないと本来的でないし長続きしない。活動だけでなく、信仰を育てる手立ても同時に考えていかなければならない。信仰を育てる、霊性を深めるといった時に3部門の活動に直接つながらないかも知れない。でも、そこが抜け落ちてしまっては土台を欠くことになる。」
外向き・内向き・成り行き、祈る・伝える・証する、いずれのアクションを取るにしても、土台は信仰、霊性ということである。何かアクションというと、人間のわざに走りがちとなるが、それでは、会社、町内会、ボランティア団体と変わらない。嫌な人間関係に直面したり、他に興味が移ったりすると、教会から離れてしまうだろう。人間のわざに頼ることなく、ありのままの自分の奥深いところに分け入り、そこに働かれるキリストに出会い、そしてキリストのからだである教会共同体と出会い、ミサを中心とする秘跡に養われて、家庭、職場、社会に派遣されていく。宣教部が長年、キリスト教講座で順を追って伝えてきたこの「自分との出会い、キリストとの出会い、教会共同体との出会い」がなければ、共同宣教司牧の目指す「交わりの教会づくり」も絵空事に終わる。多くの人々が自分・キリスト・教会共同体との3つの出会いを体験できるように、司祭・修道者・信徒の3者が、祈り・伝え・証する3部門で分担して、継続的にお手伝いすること、これこそ父と子と聖霊の交わりである三位一体の神が私達に望んでおられることだろう。「交わりの教会」を目指し、共に歩んでいくことができるようよろしくお願いします。
2.鈴木主任司祭講話・質疑応答
・ 共同宣教司牧は、今までの教会活動とどこが違うのか?何かやり方を変える必要があるのか?
幸か不幸か司祭が減少していることから、長年にわたる教会の聖職者中心・小教区中心主義の反省に立って、本来の教会の姿を目指して皆で力を合わせ、教会の使命を果たすにはどうしたらよいか、今考え直してみましょうということです。司祭には信徒に信頼してまかせること、信徒には何でも司祭に依存しないやり方、修道者には修道院から出て教会の使命を一緒に果たすことが求められています。しかしそう言われてもそれぞれスタイルができており、信徒も司祭にまかせた方が楽だし、遠慮もあるだろうし、修道者も高齢化が進み、自分達の事業もあるので出ていきにくい面はあるでしょう。それにもかかわらず、今までのあり方を変えて協力していこうという動きが生まれつつある。これは不思議なことでもあります。
「今までの活動との違いは」と聞く人に変えたくない気持ちがあるなら、先に進みません。各自がこうしたいと思うことを大事にしてください。本当に力になるのは、聖霊の働きに促されて気持ちを動かされることでしょう。これまで横浜教区は、他教区と異なり、組織変更を優先せず、意識改革を優先してきました。3部門も専門担当者を置くことに意識を置くと、中身が伴わないことになります。祈る・伝える・証するは本質的なものであり、個人としては分けにくいかもしれませんが、教会共同体として主体的に果たしていくために、もうちょっとできることは何かを考えてください。藤沢教会にはすでに色んな動きもあり、困難はあっても、3つそれぞれに具体的にできることはあると思います。(例:祈ることなら、ミサのささげ方)
将来は、司祭だけでなく、信徒、修道者もリーダーとなるように育てていく必要があるでしょう。ただリーダーは誰でもできるわけではないので、教会共同体の中で誰かにお世話をお願いし、そういう人を育てていくことを、教会のあり方としてもっと考えていくのがよいでしょう。そこで研修、経験を積んでもらいたいという呼びかけがされています。将来は、宣教司牧を司祭、信徒、修道者のチームで行い、その周辺に多くの信徒がいる形になっていくでしょう。急ぐ必要はありませんが、自分達で変えていこうという思いがあれば大事にしてください
・ 個人として何をしたらよいのか?
まずは周りの人と話してください。よいものであれば伝わっていくでしょう。第5地区の共同宣教司牧委員会も最初はなかなか話が進みませんでしたが、司祭の数が減るということがわかると、話が進むようになりました。現段階で、祈る部門では、秋の研修(病者訪問、通夜葬儀、集会祭儀)を検討しています。伝える部門は、湘南キリスト教セミナーをどう発展させるのか試行錯誤しています。証する部門は、各小教区の必要・出会いで色んな活動が現状あるが、それらを持ち寄り、もみ洗いしています
・ 分かち合いについて
共同宣教司牧がうまくいくかいかないかの鍵は、分かち合いがうまくできるかどうかにかかっていると思っています。今までのところ、分かち合いにアレルギーを持つ人、逆にマニアの人に分かれていますが、なるべく多くの人が立場を超えて率直に聞き合える関係の成熟がないと、わずらわしいだけでしょう
・ 教会の運営管理について
3部門とは別にこの役割を担うリーダーも必要でしょう
・ 共同宣教司牧の普通の信徒への浸透について
第2バチカン公会議が浸透するのに時間がかかったように、時間がかかるでしょう
・ 他教区の共同宣教司牧の動きについて
複数司祭による複数小教区の司牧という意味でのブロック制を、大阪、京都、東京の3教区が導入したと思いますが、大阪は阪神大震災で必要に迫られて進んだ面があります。京都は形は整ったが苦労しているようだし東京はあまりうまく行ってないように見えます
3.3部門に分かれての分かち合い
(1)信仰を伝える力を育てる部門に関心のあるグループ
・ 実現されていること
信徒による典礼奉仕(道行・ロザリオ・テゼ、通夜・葬儀)合葬の園、分かち合い、祈り、聴きあう仲間・グループが沢山ある。キリスト教講座、結婚講座、教会学校、外国籍コミュニティ、ホームレスとの関わり
・ 足りないこと
祈りが足りない、共同体の意識、共に祈ること、参加者が少ない、司牧的リーダー、次世代に渡せない
・ 私がありたいこと
まず祈りの時間を持つ、共同体で祈る、他の小教区のために祈る、秘跡を大事にする、毎日のみことばを読み、味わい、祈る、家庭を教会にする、分かち合い、自然に伝わり祈り証するができるように、共同体との関わりの中で必要な働きをする、皆が色々の動きをする
(2)祈る力を育てる部門に関心のあるグループ
・ 実現されていること
信徒によるキリスト教講座、日曜学校、スカウト、沢山の主体的集まり(聖書講座、分かち合い、祈りの集い)、奉仕、様々なところでの信徒リーダー(ブロック、活動部、キリスト教講座等)、チームスピリット(担当者会、堅信準備、幼児洗礼、ユースプロジェクト、結婚講座)
・ 足りないこと
互いに愛し合うこと(信徒の横の交わり)・分かち合い、世代間の交わり、30・40代の親の交わり、居場所づくり、孤独感のある信徒への声かけ、受洗後のケア、外国籍信徒との交わり、他の小教区との交わり、中高生・大学生の養成、より多くの信徒の養成
・ 私がありたいこと
祈りと生活の統合、祈りを大切に深める、日常生活の中で祈りを深める、様々な壁を越える交わり、周りの人に神の恵みを伝える、仲間を増やす、中高生の信仰の養成、次世代を育てる、祈りと教会作業の両面で支える、自分ができる小さなことから実践、天の声を待つ
(3)神の愛を証する力を育てる部門に関心のあるグループ
・ 実現されていること
ボランティア活動、高齢者への誕生日カード、福祉バザー、介護フォーラム、片瀬教会との福祉部との連携、ホームレスの支援
・ 足りないこと
司祭に頼りすぎ、自立の意識改革、活動のしすぎへの意識
・ 私がありたいこと
他の部門と一体で福祉も祈りが必要、地域へ向けての福音的な価値観の発信、フォーラムなどに参加していない人への伝達、心の病・高齢者・病床の方たちへの傾聴、開かれた教会づくりに役立つ
4.まとめ
鈴木神父より「やらなければということと、自分でやってみようということとのギャップがある。呼びかけられるところに、呼びかけてみればよい。形を整えるより皆が動きをする中で形ができてくる」、宣教部長より「リーダー養成の大切さとともに、分かち合い・1人1人の持つ1タラントのネットワークの大切さを、呼びかけられた。特に人知れず苦しむ人のそばにいて、声をかけられる人を育てることも大切と思う」との話がありました。 終わりの祈りを木村片瀬教会委員長にお願いしてしめくくりました。
藤沢16団ボーイ隊巡礼プログラム
ボーイ隊隊長 柴田
ボーイスカウト藤沢16団ボーイ隊では、初めての試みとして6月13日に巡礼プログラムを実施しました。スカウト4名、指導者3名が岡田副団委員長の案内で、江戸時代の初期に起こった「元和の殉教」(1623年)の足跡を辿ったのです。
先ずは、当時フランシスコ会ガルベス神父とキリシタンたちが潜伏し、捕縛された鎌倉・稲村ケ崎です。今ではその痕跡は何も残っていませんが、岡田さんの話に想像力を働かせて極楽寺駅から稲村ケ崎駅までを歩きました。途中、海岸では皆で祈りを捧げました。ガルベス神父達は船で江戸に運ばれたそうですが、私たちは電車で牢屋敷のあった小伝馬町に向かいました。
牢屋敷があったところは今の大安楽寺、身延別院、旧中央区立十思小学校、十思公園とその周辺、2600坪の広大な土地です。十思公園で牢獄の様子、処刑について挿絵を交えながら話しを聴きました。その残酷な内容にスカウトは少なからずショックを受けたようでした。ここから当時江戸の入口であった芝口札の辻(田町付近)の処刑場まで、市中引き回しにされた道程を歩きました。日本橋、京橋、銀座、新橋を通るこの道は今も日本一の繁華街銀座通り(国道15号線)です。歩行者天国になっていましたので、見せしめになった気持ちを味わおうと皆で真ん中を歩いて行きました。途中沈黙を守って歩くこともしました。
札の辻は小高い丘になっているので当時は江戸の街が見渡せたのでしょう。今は周りの建物の方が高くなっています。ここには「元和のキリシタン殉教碑」があり、私たちはその日ガルベス神父、2008年に列福されたジョアン原主水を含む50人が、火刑により殉教したことに思いを馳せ祈りました。最終地はカトリック高輪教会です。この教会は殉教地に近いことから「殉教者の元后聖マリア」に捧げられています。地下の納骨堂の入口には現代の作品ですが「江戸の大殉教」(江副隆愛作)の絵画があり、今日歩いてきた道を改めて思い起こしました。
スカウトには3つの「ちかい」があります。スカウトがボーイ隊への上進の時に宣誓するのですが、この第1番目は「神と国とにまことを尽くしおきてを守ります」というものです。神とは各々が信じる神であり、現在の日本ではこのちかいをたてるのに何の障害もありません。それは信仰の自由が保障されているからです。しかし江戸時代の初め、キリストへの信仰を持っているがために多くの人々が時の権力者から迫害を受け、棄教を迫られました。その中である人々はキリストへの信仰を捨て権力への忠誠を誓い、ある人々は信仰を守る道を選び殉教していきました。今後日本では信仰の自由が制限されるようなことはないと信じますが、万が一そうなった時あるいはそこまで深刻でない場合でも、私たちは何を拠り所にして生きていくかを考える機会になりました。私は殉教の道を歩む自信はありません。むしろそんな選択をすることがないよう社会が危険な方向に行かないよう監視し時には反対の声を上げていく、子供たちにもそれを伝えていくことが大切だと思います。子供たちへの信仰教育、社会教育の大切さを考えさせられた巡礼プログラムでした。
僕が巡礼ハイクをして思ったことは、殉教者が死刑の前に見せしめの為に歩かされた道は、とても長かったので、かなり長い間苦痛に耐えてきたことがすごいとおもいました。また、殉教者がいたからこそ、僕たちはキリスト教を信じているのであって、殉教者がいなければ今の僕たちのキリスト教を信じる気持ちはなかったと思いました。殉教者の命を捨ててまで教えを受け継いだ勇気ある心に感謝して讃えたいと思いました。僕が巡礼ハイクにいって色々な話を聞いて思ったことは、こんなに残酷な刑罰にも耐え抜く精神を僕は見習いたいと思いました。
新司祭の初ミサが続き藤沢教会は喜びに満ち溢れています。外の雨音を聞きながら、感謝の思いに浸って飲むお茶は一段と心に沁み渡ることでしょう。売店ではおいしい茎茶(500g 1,750円)ほうじ茶(300g 700円)を用意しております。 「神に聴く祈り 祈りのガイドブック」 「愛ある生き方」ヨゼフ・ピタウ著 海竜社 1,500円 「聖書読解へのアクセス 50のポイント」 |
≪小グループ活動紹介≫「ラテン語に親しむ会」の活動紹介
大庭 嶋永
この会は、2009年4月から家田足穂さんのご指導の元に14名の申し込みを受け付けスタートしました。2年目の今年も、申し込み者14名、通常出席人数8〜9名で4月に始まりました。センターの202号室で10時から出席者の皆さんが熱心に楽しく学んでいます。私もこの4月から参加させていただき、毎回いろんな発見があり、納得する貴重な時間となっております。
去年に引き続き内容は、天使ミサ曲、アヴェマリスステルラ、レジナチェリなど教会暦にそって選ばれています。テキストは、毎回たくさんプリントして用意して下さっています。まず音読して、対訳の解説があり 楽譜を読みながら皆で一緒に歌います。家田さんが美しい声でリードして下さるので、とても歌いやすいです。私など昔ミサ中にラテン語で歌っていた日々を懐かしく思い出し感無量です。美しいラテン語の響き、それも意味が解って心から歌える幸せは素晴らしいことだと思います。
歌うことは祈りに通じると言われています。毎回声をそろえて歌いながら、出席者の皆さんも平和な気持ちを味わっていらっしゃるのではないでしょうか?男性の方々もとても熱心にとりくんでおられ、質問や意見などよく出されています。
皆様もラテン語の歌に興味のある方は、家田さんまでお問い合わせ下さい。
この会は2011年2月まで、第1・第3火曜日センター202号室にて10:00から11:30となっております。(8月は夏休み)
★先月号に「今年のバザーは10月31日(日)で聖シモン・聖ユダの祝日を祝いつつ行うことになるでしょう」とありますが、この二人の聖人について教えてください。
☆ご承知のとおり当藤沢教会の守護聖人は聖シモン・聖ユダ(祝日10月28日)です。
二人は聖書にあるように十二使徒の一員であり、イエスが故郷ナザレで「この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨゼフ、シモン、ユダではないか」(マタイ13:55)といわれたことからイエスの親戚、さらには聖母の妹の子でイエスの従兄ではないかといわれていますが、当時の同姓異人が多い記述からは定かではないようです。
聖シモンについて聖書は殆ど触れていません。イエスが十二使徒を選んだ場面(ルカ6:12〜16)で「ペトロと名付けられたシモン」にたいして「熱心党と呼ばれたシモン」と書かれています。熱心党はモーゼの律法を忠実に守りローマの圧政に反発する民族主義者の団体といわれていますが、ここでは単に律法に熱心な者を意味しているのではないかとの説もあります。また、カナン人であったことからカナの婚宴にイエスを招いた家の主人だったとも伝えられています。
聖ユダはイエスを裏切ったイスカリオテのユダと区別するために呼び名で「タダイ」といわれています(マタイ10:3、マルコ3:18)。やはり聖書にはあまり登場せず、最後の晩餐のとき「主よ、私たちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのはなぜでしょうか」(ヨハネ14:22)と質問しているだけです。しかし布教地から小アジアの諸教会宛に、極端な自由主義者らの甘言に乗らないよう書簡をしたためています。本人かどうかの異論はありますがそれが新約聖書にある「ユダの手紙」です。
イエスの昇天後、二人はエジプト、メソポタミアにまでも宣教したようです。いつもそばにいてイエスから学び、生き方を身につけた使徒の言動は説得力あるものだったのでしょう。最後はペルシャで、新約の教えによって利益を失う魔術師や祭司の扇動で、鋸や斧で大衆に引き裂かれ殉教したということです。殉教日は紀元47年7月1日と伝えられています。その遺体はペルシャの国王によりバビロンの聖堂に安置されたとも、ローマに運ばれサンピエトロ寺院のある場所に葬られたともいわれています。
昭和30年、当藤沢教会の設立には財政的に一米国人信者の支援があったと聞いています。守護聖人はその方の要望だったようです。ご本人が聖シモン・聖ユダに特別信心されていたのか、窮乏の保護者といわれる二人の聖人に当時経済的に喘いでいた日本の一教会の行く末を託したのか憶測するしかありません。いずれにしてもバザー企画委員から提起された私たちの守護聖人に、改めて想いを巡らしてみてはいかがでしょうか。
合葬の園から(4)
建設委員会 辻垣
メキシコ湾の原油流出事故は2ヶ月経った現在も、止めることが出来ずにいます。これは、人間を含めた全ての生物に対する最悪の環境事件でもあります。このことは、石油資源に頼っている我々への警告であります。身の回りをみると、衣食住あらゆるものが石油に依存しています。建築界も然り。合葬の園は、電気エネルギー使用を最小にとどめています。太陽が出て西へ沈む迄が利用できる時です。石油エネルギーを使わず、この地球環境を美しく保つことは、神への感謝の表現と云えましょう。
みそのの森は、今緑がいっぱいに溢れています。この森には、聖園女学院、聖心の布教姉妹会 修道院、ベビーホームなど子供達の福祉施設が点在しています。工事中は、トラックやミキサー車が出入りして、静かな環境をいささかでも乱すことになります。この事実を受け入れて下さっている皆様に感謝しております。
現場では枇杷の実が黄色に輝き、娑羅の白い花が咲き出しました。この合葬の園は東、西、南の3つの各々240体が収容できる納骨室が花びらのように展開し、中心の小聖堂(約30人収容)を取り囲むように配置されています。聖堂で祈る時、死者の霊と祈る私達との間に交流ができますように、天井には杉の無垢板が張られ、空間の連続性を強調しています。外からの空気が納骨ゾーンの床下から入り、上部から自然換気されます。小聖堂には四角錐のトップライトがあり、自然光が降り注ぎます。
小聖堂は藤沢と同じ八角形です。森の中に咲いた娑羅の花のように、時間とともに森と調和した景色になればと思っています。
建物の廻りは盛土で固められています。新しい基盤に四季の花が咲き、花々に囲まれた合葬にしたいと思いますが、これからの話です。
屋根が造られ、いよいよ7月10日(土)午後3時より、上棟式が催されます。コンクリート屋さん、大工さん、トビさん、電気屋さん、建具屋さん、設備屋さんなど、この現場に携わる20種以上の職人の方々への感謝と、これからの安全の祈りが神父さまの司式で始まり、職人さんとの交流の場を持ちたいと思います。
皆様の参加をお待ちします。
秘跡について考える(全12回) 第7回 入信の秘跡(4)―聖体の秘跡(その2)
横浜教区司祭 宮内
前回に引き続いて、聖体の秘跡を扱います。今回もミサについて考えながら、聖体の秘跡の意味を深めてまいりましょう。
ミサに参加することを「ミサにあずかる」と言うことがあります。この場合、ミサに参加することで恵みをいただく、という意味が強調されています。一方で、「ミサをささげる」という言い方もします。司教や司祭がミサの司式をする場合だけでなく、会衆としてミサに参加する場合も、そのように言うことができます。この場合は、ミサに参加する人々の主体性が強調されています。今回は、この「ささげる」という言葉に注目してみます。
わたしたちが、「ミサをささげる」と言うとき、具体的には一体何をおささげしているのでしょうか。もちろん、聖別されてイエス・キリストのいのちに変えられたパンとぶどう酒をおささげしているのは言うまでもありません。
しかし、同時にイエス・キリストがわたしたち一人一人に対して、自分を一緒にささげるように招いておられることを忘れないようにしたいと思います。わたしたちの生活、わたしたちが抱えている問題、そしてわたしたちの弱ささえも含めた、わたしたちの丸ごとすべてが、ささげものになるのです。これはどういう意味なのでしょうか。
聖体の秘跡の源は、イエス・キリストが十字架上でただ一度、ご自身を父である神におささげになったという事実です。こうして、キリストご自身がささげものとなられたことによって、罪によって隔てられていた父である神とわたしたちと関係は回復しました。その結果、イエス・キリストは死んでしまいますが、父である神によって復活の栄光へと挙げられ、わたしたちもその栄光にあずかるようになったのです。つまり、イエスの十字架上の死と復活の出来事によって、わたしたちは罪と死の支配から解放されたのです。
わたしたちが、ミサにおいて自分自身をおささげするのは、キリストがご自身をささげられたその行為に結ばれるためです。そうすることで、わたしたち自身もキリストの死と復活の出来事、つまり過越の神秘にあずかることになるのです。
このことは、ミサの奉献文の中にも表れています。たとえば、第二奉献文では「キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、聖霊によって一つに結ばれますように」と言われています。「キリストの御からだと御血にあずかる」ことは、ただ聖体を拝領するというだけはなく、過越の神秘にあずかるということに他なりません。
ところで、この文言にはもう一つ重要なメッセージが含まれています。それは、後半の「聖霊によって一つに結ばれますように」という言葉に表れています。キリストの死と復活にあずかることによって、わたしたちはキリストのうちに一つになるのです。同じキリストの体を分かち合う聖体拝領は、そのことの目に見えるしるしなのです。聖体の秘跡が、キリストのからだという神秘的な共同体を作りあげると言われるのはそのためです。
このように、ミサにおいてわたしたちが、イエス・キリストの自己奉献に合わせて自分自身をおささげすることはとても重要です。そのためには日々の生活において、自分の歩みを振り返り、イエス・キリストとともに神に自分自身をささげることがとてもよい準備となります。聖体の秘跡によってもたらされる恵みの大きさは、はかりしれません。その恵みにより深く味わえるように、努めたいものです。
鈴木神父の川柳(続7)
編集部編
今回はC年その2です。
( )内は鈴木神父の注記です。
2010年
3/7
神さまを眺めるうちはまだなのね
(四旬節第3主日)「ルカ13・1-9」
神さまが空気になれば本物ね
(回心せよというけれど、どうすりゃいいの?という疑問に応えて)
3/14
資格なしそれがわかれば全てマル
(四旬節第4主日)「ルカ15・1-3、11-32」
(まともに生きていて、救われる資格あるとどこかで思っているうちは神の救いはまだまだわからない。資格(四角)なしと思えれば○)
3/21
ゆるゆるにまかせりゃ見える神の業(わざ)
(四旬節第5主日)「ヨハネ8・1-11」
(切迫した場面のわりにイエスのことばはスキだらけに聞こえるが、姦通の女を訴える人々は皆何もせずに立ち去った)
3/28
為すよりも為さぬことこそ人の道
(受難の主日)「ルカ23・1-49」
(何もこたえず、自分を救おうとせず、神に委ねるイエス)
4/2
み旨をば酒と思えば飲めるかな
(聖金曜・主の受難)「ヨハネ18・1-19,42」
(父がお与えになった杯は飲むべきではないかと主イエスに言われて)
4/4
利口でも死ななきゃわからんことがある
(復活の主日)「ヨハネ20・1-9」
(何らかの死を引き受けて新しい生の体験を経験しないと復活は信じられない)
4/11
日々生きて日々死んでまた復活し
(神のいつくしみ)「ヨハネ20・19-31」
(復活を経験しないとキリスト教信仰の行き方は苦しいものとなる)
4/18
師弟なら声が聞こえるすぐわかる
(復活節第3主日)「ヨハネ21・1-19、または21・1-14」
(本当の師弟関係は人生の大事な場面でヨハネやペトロのように師を思い出す)
4/25
本当は聞くのではなく聞こえるの
(復活節第4主日)「ヨハネ10・27-30」
(聞こうとしてもすぐ聞こえない神の声)
5/2
告白は「愛さなかった」だけでよい
(復活節第5主日)「ヨハネ13・31a、34-35」
(罪の究明は愛したか愛さなかったかということに集中すべき。それ以外は言い訳しているにすぎない)
5/9
こだわりも過ぎればきっと仲間割り
(復活節第6主日)「ヨハネ14・23-29」
(こだわりもいいものだがすぎると一致を壊す。神のわざにまかせる謙虚さがあるのは大切)
5/16
つらいときゃ空を見上げて主を探し
(主の昇天)「ルカ24・46-53」
(天に昇られた主は同時にいつも共に居てくださると両方信じられるかな?)
5/23
教会が一つだなんて神秘だね
(聖霊降臨の主日)「ヨハネ14・15-16、23b-26」
(教会という現場にいると、なんとか一つにまとまっているのは不思議な気がする)
5/30
大丈夫君もそのまま生きていて
(三位一体の主日)「ヨハネ16・12-15」
(三位一体の生命の交わりの中に私達はいるので安心してよい。その一つのしるしは意識しないでしていることの中に一番良いことがある)