八 角 形 に ゅ ー す
2011年2月28日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
ベトナム人にとっての旧正月とは ?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 トゥ
辻堂ブロッククリスマス会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 宮崎
成人式を迎えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 大畑
北1ブロック新年会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 荒井
教会の新年会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 嶋永
キリスト者一致のための合同祈祷会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 デシルバ
トウ神父講座について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 矢部
特別寄稿 明治の宣教師の足跡をたずねて(2)
―横浜居留地から3多摩地方への巡回布教―・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木
秘跡について考える(全12回)
第11回 交わりをはぐくむための秘跡(2)―叙階の秘跡・・・・・横浜教区司祭 宮内
ベトナム人にとっての旧正月とは ?
司祭 トゥ
新しい年である2011年を迎えてから、早いもので1ヶ月が経ちました。皆さんは穏やかな毎日を過ごしていることでしょう。
私の母国ベトナムでは、中国の暦に従って、TET (テット)=旧正月を目前に迎えようとしています。そしてテットは日にちが毎年異なりますが、だいたい2月頃です。今年のテットは2月3日で、いつもより早く迎えることが出来ます。ではベトナム人にとって、テットとは何でしょうか。すでにご存知の方もいるでしょうが、皆さんにこの「八角形にゅーす」の紙面を借りて、紹介させていただきます。
ベトナム人にとって、テットはとても大切なものです。たった数日の迎春ですが、ベトナム人の心を現しています。この時期、海外に住んでいる多くのベトナム人は帰国します。家族から離れ、遠くに生活していても、必ずこのテットの時に家族のもとに帰り、大家族に戻ります。そして優しい心に触れ、子供の気持ちに戻るのです。
ベトナムのカトリック教会は、テットの4日間を、ミサを捧げながら賑やかな雰囲気を過ごします。
1日目(元旦)は、ミサで「新しい一年が平和になるように」
2日目は「亡くなった先祖や今生きている親のために」
3日目は「仕事を聖化するために」
そして4日目は、「召し出しのために」
元旦のミサが終わってから、家族の皆ではお墓参りをし、祈ってから、一番大事な家(普通親の家)に集まって、共に食事し、お年玉を頂き、ゲームをやります。その後に親戚、近所、同窓会、教会のそれぞれの活動の場など、一軒、一軒を回りながら「おめでとう」という気持で挨拶をします。これは互いに深い交わりを目的としています。ベトナムのテットは家族をはじめ、周りの人々と交流し、互いに新年を迎えられることを大事にしながら、宴会をするのです。そして日本人には理解出来ないほど、ベトナム人にとって、テットは大切な行事なのです。それは歴史の中で、1960年代の南北の戦争中さえも、テットをお祝いするために、南側も北側も一時的に停戦したほどです。
今も殆どの活動修道会では、旧正月をお祝いするために、修道院が空っぽになります (もちろん修練期の者は残るのですが)。 修道者もそれぞれ皆実家に戻り、家族と共にテットを過ごしているのです。因みに私の修道会(ベトナム管区信仰の宣教修道会)においては、神学生はテットのために、3週間も休暇を取れます。旧正月が遅い時に、灰の水曜日に重なる場合もあります。厳しいベトナムのカトリック教会であっても、その時には灰の水曜日を後に移動して、旧正月を優先してお祝いすることもしばしばあります。
最後にこの旧正月を通して、カテキズム、2204項「キリスト者の家庭は、教会的交わりの特別であり、実現です。」を紹介します。これはカトリックの家庭は愛を守り、表現し、伝える使命を身につける大切な場でなければならないということです。それでは、皆様には長い間留守をしてご迷惑をおかけし申し分けありませんが、私は今年のテットを楽しみに帰省します。では、行って参ります!
教会委員会報告(2011年1月15日)
2011年度予算は前年並み(合葬の園関連を除く)の数字で教区に提出した。2010年度決算については、合葬の園費用立替支払いの分が赤字となっているが、それ以外の通常収支では黒字となっている。詳細数字については、2月6日の信徒総会で報告する
今まで50数名の方々が納骨堂に埋葬された。近々合葬も開始する。今後管理運営委員会を計6名程度で発足させる予定
4.幼児洗礼式
12月25日ミサ中、4名の幼児洗礼があった
1月9日9時半ミサ中に9名の方々が祝福を受けた
1月10日、中学・高校・社会人になると教会から離れていく若い人たちを対象にした対策を協議した。当教会からは西田、岡田両委員が出席した
1月20日11時ミサから有志主催で行われる
1月22日午後5時記念ミサとパーティーを行う。今年、目黒さんから、中村さんへ責任者が交代
(辻堂)2月20日のブロック集会でバザー開催についての討議を予定
(北1)1月16日新年会を予定
(典礼部)国際部コミュニティー代表が行っている毎月第2日曜のミサの第2朗読は、今後1月のみ新成人の方で手配する
(宣教部)売店責任者変更にともない、開店時間を変更した。平日は10時から15時、日曜朝は7時ミサ後から8時半、9時半ミサ後から15時となる
(国際)スペイン語による教育相談を2月13日スペイン語ミサ後204号室で開催予定。また、共助組合の説明を外国コミュニティー向けに予定
1.センター階段登り右側への手すり設置
設置で決定、施工する。見積金額は22.8万円(工事費含め)2.2007年6月更新の聖堂音響装置設備の支払い
聖堂の音響装置は外国コミュニティーの方が更新したが、諸般の事情で支払い請求が遅れていた。今回、請求書ベースで総額20万円を支払うことに決定
3.信徒総会プログラム
プログラムを決定した。なお、終了後有志によりお汁粉が用意される
辻堂ブロッククリスマス会
辻堂1区 宮崎
辻堂ブロックでは、12月25日クリスマスミサ後、センターホールにてクリスマス会を開催しました。私は昨年1年間1区の連絡員を務め、ささやかながらこの会の準備のお手伝いをさせていただきました。
どれくらいの数の方が来て下さるか、ちょっと不安でしたが、飛び入りの方も多数おられ、最終的には42名の参加者となりました。皆さんには、お名前の他に地区と町名を書いた名札を付けていただきました。お互いに住んでいる地区を知ることで、話題の端緒ともなり、親睦が深まればと考えたからです。
この会のために、1区の山本澄子さんと津上幸子さんが、それぞれシフォンケーキとクッキーを焼いて来て下さいました。ケーキもクッキーも素晴らしい出来映えで、皆さんに大好評でした。また、浮田久之さんが、ユーモア溢れる楽しい司会をして下さったお陰で、会場が盛り上がり、和やかな楽しい会となりました。しばらくの歓談の後、一人ひとり自己紹介をし、クリスマスソングを皆で歌って閉会となりました。
参加された方の中には、お帰りの折に私達役員に「とても楽しい会でした」と、お声をかけて下さる方もおられました。この度のクリスマス会が、地区の親睦をより深めるための一助となったなら、たいへん嬉しいことです。
成人式を迎えて
藤沢2区 大畑
私たちは今年成人式を迎えました。ここまで育ててくれた両親には本当に感謝しています。また、いつも暖かく迎えてくれる教会のみなさんにも感謝の気持ちでいっぱいです。1月9日にはごミサでたくさんの祝福を受け、パーティーも開いていただきありがとうございました。
これまでを振り返ってみると、私は赤ちゃんの頃から教会でミサを受け、小学生になると日曜学校に通い、中学生からは侍者会、中高生会に入っていました。教会に来るのは基本的に週1回とはいえ、たくさんの思い出があり、教会のみんなと一緒に育ってきたと思っています。
成人した今、何か変わったかというとそうでもないし、大きなことが出来るかというとそんなこともありません。しかし、成人としての自覚、責任感は少しずつではありますが持ち始めています。
それでもまだまだ未熟で、一人で全てできるわけではありません。これからも、親や友達、周りの人、そして教会のみなさんにも頼っていくことになると思いますが、日々の感謝を忘れずに一緒に成長していきたいです。
北1ブロック新年会に参加して
大庭 荒井
1月16日は平穏な日でした。新しく仲間になった方々、3人の子供たち、神父様をまじえて50人の出席者が和やかな期待に満ちた顔をそろえました。ブロックと活動部との連携を一層円滑にするため、特に教育部長と宣教部長が出席されました。子供たちとリーダーとの間に育まれた体験を次世代に引き継いでいくこと。子供たちの活気を取り込んだ共同体をめざしたいという教育部長。いろいろな講座に参加して信徒個人の変革をしよう、幼児洗礼を世代をこえた家族でサポートしようと呼びかける宣教部長。そして、総掛かりで用意された料理での和気あいあいの会食。赤い衣装の北1娯楽座座長マイケル・ジャクソン飯田氏のゲーム司会役のパフォーマンスには大喝采。
16年前の1月16日は今日と同じように平穏な日でした。そしてその翌日1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災。6,434人の命が奪われ、10万棟以上の建物が全壊。私達はこの震災を切っ掛けに自分達の生活行動、信仰生活、これまでのブロック活動の反省と今後のあり方を真剣に考えたことを憶えています。信徒間の連帯、隣組活動交流の活発化、緊急時の支援体制の整備、社会の中での教会のあり方など多岐にわたり勉強し、提案もしました。
当時、それぞれのブロックで輪読した大阪教区がまとめた冊子「新生の明日を求めて」の一節が思い出されましょう。「あの大地震で体験した人の心の暖かさや皆が利己的ではなく互いに思いやりを持ち合えた体験。福音的な社会とはこういう人間的なかかわりに生きることだと実感したものでした。一時の気まぐれではなく、人間の暖かさの本質が表面に出てきたあの貴重な体験から学んだものを放置し、放棄することはできません。」そして、今、ある遺族のことばがあります。
「あの震災の日、私の心に感謝の種がまかれた。その種は育ち、いま私の心に花を咲かせている。この花が実になり、種を作り、私もまた誰かの心にその種をまくことができればうれしい。」
私たちは福音を求める社会、福音を告げる使命の教会で生きています。今日も明日もきっと昨日と同じように朝が来る。、そのことに些かの疑いも抱かずに…。今日、このブロック集会に平穏なうちに参加できたことを深く感謝しました。
教会の新年会に参加して
大庭 嶋永
1月20日(木)午前11時より、トゥ神父様の司式のもと新年を祝うミサがあげられ、その後センターホールに移動して、企画していただいた有志の方々の用意して下さった心のこもったお昼を参加者65名で、楽しく談笑しながらいただきました。
再び聖堂に移動して、いよいよメインイベント余興が始まりました。ファミリーバンドの演奏が始まって心は軽やか、外はかなり気温が低く寒かったのですが、暖かい雰囲気に包まれはじめました。今年初めての企画は太極拳を学んでいる方達の素敵な衣装をつけてのパフォーマンスでした。観客の方達の思わず出た歓声にこたえて、優雅に気持ち良く体を動かしてとても感動的でした。その後は、例年お馴染みになったレオハワイアンズの演奏に心も軽く明るく楽しいひととき。フラの方達も年ごとに上達されて、流れるように美しいダンスを見せていただきました。鈴木神父さま、川辺さんの歌も毎年聞かせていただき、暖かい気持ちになります。マジックショーもどんどんお上手になられて、ご自分たちも笑顔で楽しんでいらっしゃる様子はほほえましいものでした。
楽しかった新年会も終わりに近づき、最後に鈴木神父様とじゃんけんで勝った人にお花のミニポットのプレゼントがありました。 皆さん大きな声でじゃんけんぽん。今年は私もピンクのかわいいお花をいただきました。寒い中準備をして下さった方々に心から感謝いたします。
キリスト者一致のための合同祈祷会
鵠沼2区 デシルバ
今年もキリスト教一致祈祷週間のために、藤沢市内キリスト教連絡会主催による合同祈祷会が1月15日(土) 14時より日本キリスト教団辻堂教会にて開催されました。この祈祷会のために日本キリスト教協議会(NCCJ)・カトリック中央協議会共同発行式文を基に式文が作られ、藤沢市内のキリスト教会や修道院、団体、一般からの参加者86名が心を一つにして祈りました。カトリックからの参加は修道院、教会合わせて26名(藤沢教会5名)でした。
今年のテーマは「イエス・キリスト=他者のための存在」で、川上清己伝道師(日本キリスト教団辻堂教会)が司式され、参加者は坂元俊郎牧師(湘南台バプテスト教会)によるメッセージを聴きました。その内容は、家族・地域などの共同体に全く期待しない風潮の現代を対比しながら、「イザヤ書」「使徒言行録」「ルカによる福音書」の祈祷会の3つの朗読を通して、その個人主義時代に生きる私達がキリスト者として生きることの意味を「苦難の僕の姿」「初代教会の姿」「イエス様の姿」に見ることでした。また、さらに他者のために生き、他者の罪責を負う生き方に私達も一致し、共にキリストの姿を現すいろいろな働きを続けるよう話されました。
お祈りの後は、会場教会の皆様の暖かで細やかなおもてなしに感謝しつつ、ご用意くださったお茶とお菓子を頂きながら、各教会、修道院、団体の近況報告や分かち合いがありました。今回、会場で捧げられました献金の合計は64,420円でした。会場教会の方々の働きのために献金されました。来年の合同祈祷会にも多くの方にご参加いただき、今回と同じように超教派で共に祈りたいと思いました。
トウ神父講座について
長後 矢部
10月より第1・第3木曜日10時半から12時まで湘南台センターでトウ神父様の講座が始まりました。テーマは「聖書に基づくカテキズム」、「質問何でもありでQ&A」と名づけました。出席者は15名です。初日は、洗礼名、いつ頃信者に、そのいきさつ、などを含めて自己紹介をしました。その折、神父様は参加者の洗礼名(聖人)のこと、ベトナムのキリスト教事情などをいろいろお話してくださいました。
カトリック教会は聖書と聖伝を大切にしています。信仰は頭や知識だけではなく、体と肌で感じるものです。これからもキリスト教の知識を確認しながら、信仰生活の大切なお話を進めてくださいます。ベトナム出身の神父様が漢字を書きながらの説明には、ひらがな文字で生活している私にとって驚きでした。
ある日の講座は、人間の成長過程と秘跡の関係についてのお話でした。「私たちは神様とともに歩んでいますので、成長・生活と秘跡との間には次のような関係があります。生まれる―洗礼、育てる・学ぶ―堅信、食べる―聖体、病気―塗油、悪いこと―ゆるし、独立―叙階、結婚―婚姻。 以上のようなことを菊名教会で高校生に話したことがあります。それは親に勧められての堅信準備講座でした。ところが何と、16名中15名の高校生が堅信の秘跡に与かったのです」とトウ神父様は得意そうな顔で話してくださいました。神父様の真剣な熱い語りに魅了されて、気がつけば終了の時間です。「ぼく先生やった」と、笑わせます。
「信仰生活も長くなると、ほこりをかぶってさびてくる。今日の講座で身が引き締まったわ」との話も。トウ神父様の講座はわかりやすいので楽しいし、面白いです。皆様もどうぞご参加ください。お待ちしております。毎回テーマがあるのですが、会話が弾み、すそ野が広がります。
特別寄稿 明治の宣教師の足跡をたずねて(2)
―横浜居留地から3多摩地方への巡回布教―
鵠沼3区 高木
安政5年(1858)9月3日調印の「日本国仏蘭西国修好通商条約」第3条ではフランス人の神奈川(横浜)開港を定めフランス人の居留も許しました。そして神奈川方御役人会所から十里四方の範囲内を自由に歩いてもよいということでした。すなわち「神奈川より六郷川筋迄歩行すべし」とし、「其外は十里まで行くべし」として自然の山や川を境としていました。そのためフランス人は広く多摩地方までも自由に歩けたわけです。
明治3年(1870)閏10月12日、新たに東京居留地外国人遊歩範囲が定められました。このため明治4年(1871)11月20日明治新政府は武蔵国多摩地方を横浜居留地のある神奈川県の管轄下としました。だが翌明治5年(1872)8月19日には中野村外31ケ村が東京府の管轄に返されました。すなわち中野村、野方村、杉並村、井萩村、高井戸村、和田堀内村などであり、後の東多摩郡の村々でした。
明治6年(1873)2月24日以降、日本人に対してキリスト教布教が黙許されました。そこで横浜居留地天主堂にいたパリ外国宣教会の司祭たちは一斉に日本人への布教を始めました。明治8年(1875)頃横浜天主堂には日本へ来たばかりのテストヴィド神父、ルコント神父、ムガブール神父などがいました。時あたかも明治8年(1875)11月2日居留する外国人は遊歩規程範囲内で自由に旅籠に泊まってもよいことになりました。その頃、多摩地方の農家では養蚕が盛んであり人々は生糸の商いで頻繁に横浜居留地へ往来するようになりました。
明治9年(1876)元八王子村大字下壱分方の福岡部落から2人の青年山上卓樹と山口重兵衛が横浜居留地天主堂でテストヴィド神父から洗礼を受けました。それから間もなく2人は郷里の元八王子村へ帰りカトリックの布教をはじめました。そして明治10年(1877)5月には下壱分方に伝道所ができ日本語が上達したテストヴィド神父が巡回するようになりました。
明治11年(1878)10月25日、多摩地方で初めて聖マリア教会が献堂されました。それに付属小学校も開設されました。それから間もない11月2日多摩地方160ケ村が西、南、北の3郡に分けられました。いわゆる三多摩になったわけです。また、明治17年(1884)八王子八日町にも伝道所ができました。明治20年(1887)頃の記録によると下壱分方の信者は約90人もいたということです。ところが明治25年(1892)1月19日村の大火で聖マリア教会は焼けてしまいました。そして明治26年(1893)年には再建されています。現在の八王子市泉町1287番地にある教会のことです。
このようにして三多摩地方でのカトリックの教えは2人の青年によって芽生えましたが、明治11年(1878)には元八王子村からは山上かくと山口とわの2人の女子が横浜居留地でサン・モール会に入会しています。とりわけマルグリット山上かくは14歳で修道女となり生涯孤児の救済に力を尽くし昭和14年(1939)5月31日75歳で亡くなっています。現在墓は山手外国人墓地にあります。
その後、明治26年(1893)4月1日三多摩地方には東京府の水源池ができたため東京府に移管されています。
秘跡について考える(全12回)
第11回 交わりをはぐくむための秘跡(2)―叙階の秘跡
横浜教区司祭 宮内
今回は叙階の秘跡について考えてまいりましょう。教会によってふさわしいと判断された人(男性)が叙階の秘跡を受けることによって、その人はまず助祭、そして司祭、さらには司教とされます。また、叙階の秘跡を受ける(授ける)式を叙階式と言います。叙階式の司式者は、どの聖職に叙階する式であろうと、必ず司教が務めます。すべての聖職は、使徒の後継者である司教とのつながりの中で果たされるべきものであるという教会の考え方が、ここには現れています。
叙階の秘跡の中で最も根本的なのは司教叙階です。なぜなら、司祭叙階や助祭叙階は司教に与えられた叙階の秘跡がもたらす恵みにあずかっているからです。そして、前述のように、司祭も助祭も司教に委ねられている奉仕の務めを、司教とのつながりの中で果たしていくことを教会は求めています。使徒の後継者である司教の協力者として、司祭も助祭も立てられているからです。
さて、叙階式の中で最も本質的な要素が2つあります。1つは司式者である司教による受階者(叙階の秘跡を受ける者)への按手(両手を、相手の頭に置くこと)です。神から自分が受けている霊を受け継がせるしるしとして、その人の頭の上に両手を置くことは、旧約聖書の時代から行われてきました。目には見えない霊的な力を、按手を受けている者に与えてくださるように神に願うためです。按手は初代教会にも受け継がれ、現在に至っています。叙階式における司教の按手は、まさに司教自身が、自分に与えられている聖霊のたまものを受階者に受け継がせることを意味しています。
もう1つの本質的な要素は、司教による按手に続いてなされる叙階の祈りです。叙階の祈りによって、神が賛美され、受階者が奉仕の務めを果たすことができるようになるために聖霊のたまものが呼び求められます。按手と叙階の祈りによって、受階者には聖霊のたまものが確かに授けられ、助祭、そして司祭、さらには司教として立てられることになるのです。
それでは、次に叙階の秘跡が何のためのものであるかを考えてみましょう。司教、司祭、そして助祭に与えられている使命とは、教会において、神によって定められたそれぞれの奉仕の務めです。そこから、叙階の秘跡によってもたらされる恵みは、神の民への、またキリストを知らない人々への奉仕のためのものであることがわかります。司教、司祭、助祭は叙階の秘跡によってそれぞれが与えられている権能を、自分のためではなく奉仕のために、惜しみなく用いるように求められていると言えるでしょう。
ところで、叙階の秘跡を受けていなくても、キリスト信者は皆、洗礼の秘跡によって、キリストとともに働く役割や使命を与えられています。では、叙階の秘跡によって与えられる役割や使命(位階的・役務的祭司職)と、洗礼によってすべてのキリスト信者に委ねられる務め(共通祭司職)の間にはどのような関係があるのでしょうか。簡単に言えば、叙階の秘跡を受けた司教、司祭、助祭の役割とは、洗礼によってすべてのキリスト信者に委ねられる務めがよりよく果たされるために奉仕するということです。ですから、両者は共に歩み、互いに補い合う必要があります。どちらかがより重要であるということではなく、それぞれが大切な役割を神から与えられていると考えるべきです。
このグループの出来たのはもう10年ほど前の旧湘南台センターのころからですが、専門の指導者をお頼みしているわけではありませんので、腕前の方は上達しているとは申せません。オカリナ愛好家の素人の集まりに過ぎません。現在メンバーは8人です。教会信者でない方、プロテスタントの信者もおられます。今までに、旧センターの10周年記念の時に一度、あとは近くの老人会で数回、またプロテスタント泉教会でも一度吹かせていただきました。
練習日は第1、第3、第4木曜日の午後1時半から4時までです。メンバーのこんな曲を吹きたいという希望に合わせて練習しています。
オカリナはフルートなどと違って、どんな方でも音が出る易しい楽器です。興味をお持ちの方、お気軽においでください。お待ちいたしております。
この冬は殊のほか厳しい寒さが続きます。そのうえインフルエンザも流行とか…皆さまくれぐれもご自愛ください。 「あから始まる贈りもの〜たいせつなあなたに〜」 「キリスト教葬儀のこころ―-愛する人をおくるために」
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