八 角 形 に ゅ ー す
2011年6月2日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
希望に輝くご復活・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 トゥ
鵠沼ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 笠羽
チャリティお花見 IN 大庭・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼一区 片桐
「東日本大震災追善供養復興祈願祭」参列記・・・・・・・・・・・・六会 柴田
よくないことが起きるのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村
ローマとそとめ ―前教皇列福にちなんで・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野
HENRY Ssenyondoさんからのお便り(2010.12.9)
3部門共同連続講座 第2回「良かったことの祈り」・・・・・・・・・「祈りの集い」グループ
特別寄稿 明治の宣教師の足跡を訪ねて (5/7)
―横浜居留地から神奈川県央への巡回布教 (1)―・・・・・・鵠沼3区 高木
希望に輝くご復活
司祭 トゥ
教会の皆様、特に、徹夜祭で、洗礼を受けられた皆様、心からご復活の慶びを申し上げます。おめでとうございます。
東日本大震災と津波の発生から6週間も経ちました。その後、皆さんは、どのようにお過ごしですか?日本中が皆そのショックに引きずられ、未だに影響を受け、政府も一日も早い復興を望んでいるもののなかなか思うようには行かないようです。むしろ、その後、原子炉が爆発し放射能汚染による不安と恐怖が続き、日本中重たい空気に覆われて、息苦しくなったりしています。
一方、藤沢教会の桜は緑の若い葉が活き活きとし新しい命の芽生えを感じさせ、またこの湘南地方の太陽に照らされ、キラキラと輝く温かい春の風も吹いて参りました。私たちは少し気持ちを切り替えて爽やかな季節を楽しむこともできるのではないでしょうか。そして、教会典礼においても、待ち望む希望に輝く復活節に入りました。
聖パウロは「死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです」(1コリント15:21)イエス・キリストの復活は将来の私たちの復活のしるしであることを宣言したのです。勿論、キリスト者の私たちにとって、イエスの死と復活の出来事こそが人間の私たちの未来への希望をもたらしています。
十字架にかけられたイエスを見ますと、縦に神と繋がり、横に人間と繋がっていると考えることが出来ます。十字架におけるイエスを通し、イエスは架け橋として神と人間が繋がることを可能にしているのです。
縦に、イエスは父である神と親密につながり、罪人である人間のあがないのために真の「神の僕」となり、自分の命を捧げるまで従順を示しました。横に、神と人類との仲介者として広がるイエスは「他者の為にあること」すなわち、「自己奉献」と「自己放棄」としての存在として、全人類とつながり、聖霊により父のうちに一致させてくれました。
ですから、十字架の道を歩んだことによって、復活されたイエスは私たちの不安や絶望を、希望や永遠の命へと変えさせてくださいました。
この大震災により、日本人に留まらず、世界中の人々が、絶えず神に祈りながら、様々な形で、日本の私たちと手を繋いで、一日も早く復興することができるようにと応援したり、援助したりしているのです。この不幸な災害は、人間一人ひとりとの絆を確認し、強めたのです。そして、この出来事を通して、今の私たち一人ひとりはここに希望を見いだすことができます。縦に神につながり、横に世界の人々と繋がって生きていることを改めて知らされたのです。
この希望があるからこそ私たちは、聖パウロのように、「だから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの「外なる人」は衰えていくとしても、私たちの「内なる人」は日々新たにされていきます。私たちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」(2コリント4:16-17)と確信に満ち、胸を張って、今の状況を乗り越え、信仰に生きることが出来るはずではないでしょうか。
ご復活されたイエス様が私たち一人ひとりの心に真の平安・生きる喜びと希望を与えられますように。
教会委員会報告(2011年4月16日)
・当分の間募金を続ける。用意してある封筒に入れて、協力願いたい
・日本赤十字社などから支援要請がある。教会での募金額は今までで2百数十万円ほど集まった
・横浜教区青年有志が支援のためにPeace Be With YouというTシャツを販売する
・和野神父と川辺さんは仙台教区カテドラルに出向き、要請されていた、ヘルメット、手袋などを渡した。また石巻にも出向き、調達した洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなどを渡した。当教会の軽トラックは石巻で活用して貰うよう置いてきた。なお今回は集まった募金の中から、とりあえず50万円を仙台のサポートセンターに届けた。連絡を取り合えるようになったので、随時必要なものを教会から送る。一歩ずつ現地の復興は始まっているが、今後息の長い支援が必要。藤沢教会でも、被災者が生計を立てられるよう支援が望まれる
管理委員会が動き始めた。管理費として年間3,000円を集める
4.営繕関係
センターホールの3階から1階までの水漏れがあり、現在漏洩箇所を調査中
連続講座第2回は4月3日に「良かったことの祈り」をテーマに行われた。第3回は5月1日に「聖書を祈る」と題して行われる予定
和野神父の送別会を4月24日9時半ミサ後教会前庭で行う。現在餞別と祈りの花束を集めている
復活祭に受洗された方々の祝賀会を4月24日9時半ミサ後センターホールで行う。各ブロックは受け入れてよくフォローして欲しい
今年の幼児洗礼は5月1日に予定している。本年は3名受洗予定である
5月8日に福祉バザーを予定している。各外国コミュニティーも参加予定
今年第2回第5地区共同宣教司牧委員会が5月8日藤沢教会で行われる。司祭、修道者、信徒が一堂に会し、共同宣教司牧の方向付けを話し合う
カトリック中央協議会の有村浩一氏を招いて、当教会で6月5日(日)9時半ミサ後「司祭減少下での共同宣教司牧」と題して開催される
6月11日(土)午後2時より鍛冶ヶ谷教会でシスター小野恭世さん(イエズス孝女会)を講師に「親と子のかかわり」をテーマに開催される。特に子育て中のお母さん方の参加が望まれる。参加募集は復活祭以降に予定している
(鵠沼)4月3日にブロック集会を行い、特に防災・震災対応について話し合った
(辻堂)4月10日に臨時ブロック連絡会を行い、東日本大震災支援について話し合った。被災地からの要望を聞き、それに沿った効率的な支援が望ましいとの意見が出た。また、今年のバザーは支援を中心としていきたい
(北1)震災被災地のための祈り中心の花見の集いを4月12日に行い、同時に支援募金も行った
(宣教部)報告事項にある通り、いろいろな活動を行っている。なおスカウトのバザーを5月15日に予定
(典礼部)先唱・朗読・答唱研修を5月に予定している
(福祉部)大震災支援のためのチャリティー音楽会の申し込みが3件ほどある
(国際部)ベトナムコミュニティー代表がバンさんからキムさん(2年前のリーダ)へ交代した。広報より「八角形にゅーす」に外国人コミュニティーのことを取りあげたいと要望があった
・パイプ椅子について
各地区のブロック集会などで出た意見を4月末までに書面で委員会に提出することになった
・カトリック大辞典購入要請
カトリック大辞典購入について、広報部から要望が出たが、費用対効果を考え、今回も見送りとした
・ 共同宣教司牧サポートチームより2011年度研修・養成コース案内
今年も多くの研修コース案内が来ている。教会活動に活かすことを条件として、奮って応募してほしい
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4月23日(土)の復活徹夜祭、1年のうちで最も重要かつ偉大な夜に27名の方々が洗礼を受けられました。キリストの死と復活、「過越」を祝うに最もふさわしいこの日は、それにあずかる秘跡である洗礼の授与に最もふさわしい日とされています。続いて2名の小学生を除く25名の大人は堅信の秘跡を、そして感謝の典礼の中で聖体の秘跡を受けられ、洗礼・堅信・聖体の秘跡からなる「キリスト教入信の秘跡」が完了しました。 神様の大いなる恵みに感謝し、藤沢教会共同体の仲間となった新受洗者の皆さんを心から歓迎したいと思います。これからは代父母に導かれて典礼の中で、またブロックやいろいろな教会活動を通して教会共同体の一員として皆さまとともに歩んでゆくことになります。どうぞよろしくお願いします。 |
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1年生ではじめて行ったキャンプは、ちょっと心ぼそかったけど わのしんぷさまがいたから楽しかったです。こんど、ぼくにも神様のことをいっぱいおしえて下さい。そのときには、ぼくもせんれいをうけてます。さく教会に行ってもお元気でがんばってください。こんど、あそびにいきたいです。まっててください。
2009年7月の藤沢教会で山中湖にキャンプをしに行きました。キャンプで楽しかったのは、バーベキューとカレー作りの鍋洗いと野球です。この中で一番楽しかったのは、野球です。一日目の夕方にゴムボールと落ちていた木で野球をやりました。野球のメンバーは和野神父様とりょうたさんと4年生1名と3年生は2名と僕で野球をやりました。僕がピッチャーで和野神父様がバッターの時、1回目は三振でしたけど、2回目はホームランを打たれてしまいました。その試合は僕達が2対1で負けてしまいました。2日目早朝に野球の練習をしました。それで昼に試合を6名でしたら3対2で負けてしまいました。その試合で僕は打撲をしてしまいました。和野神父様とまた野球をしたいです。
長野県佐久市でもがんばってください。
秋のバザーの時のこと、和野神父様は私がサッカー好きだと知りボーリングの時は、私だけに蹴らせて下さいました。キャンプの時は、まんまるで心優しい和野神父様は『ビックコアラ』とあだながつきました。いつも和野神父様はニコニコ、ニコニコしていて『ビックコアラ』と言われてもニコニコしてくれました。和野神父様は「子供のミサ」のときは、子供がわかりやすく、おもしろいミサをして下さいました。「子供のミサ」でなくても、と〜ても私にはおもしろく感じました。そんな和野神父様のわかりやすいミサが大好きでした。
他の教会へ行ってもニコニコの『ビックコアラ』でみんなを楽しくさせて下さい。ありがとう。そして、さようなら。
数回ユースの会で共に楽しく分かち合いをさせて頂きました。しかし実際にはもっと多く関わってきた感じがします。それは神父様が信徒に近しい存在だったからでしょう。それだけにあと1〜2年藤沢に留まって頂けたならなぁ〜と残念です。寂しくなりますが頑張ってください。そして、ありがとうございました。
この度は和野神父様、佐久教会へのご転任誠におめでとうございます。神父様のことですから良いお働きをされると思います。神父様にはユースの会でもお世話になりましたが、個人的にもご相談に乗っていただき感謝しております。とても気さくにお話くださり、得難い神父様だなあと嬉しく思っております。ご転任先でも私のように弱い立場の人に、得難い救い、ご助言くださいましたらありがたく思います。ご迷惑をおかけいたしましたら誠にごめんなさい。心暖かな楽しい神父様でいらっしゃってくださいませ。神父様はえらいなあと本当に思っていました。神父様、佐久教会へいっていらっしゃい!藤沢も母なる教会で、神父様のことを応援しています。短い間でしたが誠にありがとうございました。
和野神父様、いつも私達のために一緒にお祈り頂きどうもありがとうございました。神父様にはユースの会の分かち合いのときにいらして頂いたり、教会でお話したりといろいろお世話になりました。佐久教会へいらっしゃっても、お元気でお過ごしください。そして藤沢にも時々遊びにいらしてください。
和野司祭の名が出ると、生活をちゃんとしないと、と思い、日常生活にいい影響が出ていたと思います。ありがとうございました。
2年前、私が受洗した春に和野神父様は藤沢教会にいらっしゃいました。ユースの会にも関わって下さり、不思議な親しみを感じていました。これからの佐久教会でのご活躍をお祈り致します。 2年間、ありがとうございました。
神父様のお話から四旬節など大事な時に気持ちを落ち着けて過ごすことができました。新しい派遣先でも神様のご加護を願っています。
和野神父は藤沢教会着任直後の2009年4月から岩間神父のあとを受けて典礼担当となり、典礼部にとっては「和野神父によって」「和野神父とともに」歩んだ2年間でした。
典礼部は毎月1回、各奉仕グループ(侍者、聖歌隊、香部屋、結婚式・・・)、各ブロックの典礼担当、湘南台センターなどに教会委員会、日曜学校、教区典礼委員が加わり20名ほどが参加する定例部会を開催しています。また、それに先立って、限られた時間での定例部会を充実したものにするために数名で準備会を行っています。和野神父にはこれらの集いに毎回参加していただき、貴重な意見や適切な判断をいただいて進めてきました。和野神父は物事の本質を見極めるのが早くて的確であり、また、判断の理由や根拠を明確に示して下さいました。このことはわれわれにとって大いに参考になり、学ぶところが多く、かつ心強いものでした。その発言は単刀直入で、野球に譬えれば豪腕投手の直球のようで、当初は戸惑いもありましたが・・・。
典礼部は常に「より豊かな典礼」を目指してきました。そのために先ずは典礼部会に参加するメンバーのレベル・アップをはかるために、部会の中に学びの時間を設けましたが、和野神父からは周到な準備と資料に基づいて典礼暦年を中心に解説していただきました。また、この2年間私達の共同体には幾つかのチャレンジがありました。主日のミサの中での教話を始めたのは2009年5月でした。「典礼暦に生きる」ためにC年初めの2009年11月に活動部連絡会が発足しました。その時々に担任司祭として暖かく、またときには厳しく導いていただきました。これらから今日の典礼部を考えると和野神父の存在が非常に大きかったことを改めて感じます。
和野神父自身は横浜教区典礼奉仕者養成コースに唯一の司祭として参加されましたが、典礼への関心が強い司祭とともに歩めたことに心から感謝したいと思います。
鵠沼ブロック集会
鵠沼2区 笠羽
いつもより遅い桜が美しく咲いた4月3日11時から13時、センターホールに52名が集いました。帰天・転入・受洗の方、連絡員8名の紹介があって4つの議題に入りました。
ミサ当番は4月、イースターには沢山の方の案内をしっかりやりましょう。聖体奉仕者3名が決まりましたがあと3名。聖堂の椅子に関して意見交換、パイプ椅子の現行のよさがいくつもあって、心があれば祈れる、かえなくても良いが大半の思いでした。
3月11日心震わせる大震災があり、海辺に暮らす私達は大津波の怖さも知らされました。鵠沼2区石黒様は防災NPOに関わって、日頃自治会活動をなさっておられます。地震災害を小さくするためには、近隣の顔みしりをつくっておく事が一番、藤沢には90の避難所があること(見直しがいりそう)、11日当日湘南学園4階での300名の避難の様子も機を得てお聞きしました。
朝8時に10名余で用意したマッシュルーム入りの温かなシチウ、丸パン、サブレー、フルーツケーキ、アップルティに楽しく心なごませました。
チャリティお花見 IN 大庭
鵠沼一区 片桐
北1ブロック有志の方々からの呼びかけに誘われて、大庭城址公園の桜を愛でつつお祈りをし、東日本大地震の犠牲者を追悼し、またエールを送る会に参加させていただきました。総勢40人あまり、今を盛りの桜の樹の下に集まり、静かにロザリオの祈りが始まりました。
この美しい自然の中で祈る私たちに、その同じ自然の力に打ち負かされ、翻弄されている人々、その人々を必死で支えている人々にどこまで心を添わせることができるのか、と思いましたが、朗読されたみ言葉、イエスさまの十字架の道行きの苦しみと東日本大震災の言いようのない苦しみを重ねたお祈りの言葉に、この祈りが今苦しむ人々に届きますようにと、皆の心がひとつになっていくような気がしました。私たちに何ができるのか、と問いかけ続けている日々ですが、ひとりでは出来ないことも、共に祈る仲間、共に食卓を囲む仲間がいることで、何かが出来そうな気持ちになります。美しい桜がその思いを一層強くしてくれるようでした。
この会に参加できなかった方々からの温かい思いも合わせ、13万7405円となった義援金が、ちょっぴり冷たい風を忘れさせてくれました。「参加できてよかった。」「ひとりでは来られないけれど、連れて来ていただいてよかった。」…。やさしい言葉が私の心に嬉しく響きました。こんなに温かく優しい気持ちにしてくれるお花見もあるのですね。
「東日本大震災追善供養復興祈願祭」参列記
六会 柴田
段葛は今は盛りと咲く桜のトンネルだった。その中を通り抜け、八幡宮舞殿前に着く。震災後一ヶ月4月11日午後2時30分から2時間に亘り、鎌倉八幡宮舞殿に鎌倉の宗教者が宗旨・宗派を超えて結集し、合同追悼・祈願祭が執り行われた。
舞殿前に大きなテント2基を設え、右に仏教僧侶・神道神主と信徒・門徒が着席、左にはキリスト教信徒とシスター達が着席し、テントに入りきれない信徒・門徒がその両脇・後方に立ち、さらに通り合わせた観光客も声を掛けられて回りを取り囲んで参列した。鶴岡八幡宮神主、鎌倉市仏教会僧侶、キリスト教諸教会司祭・牧師の各代表者数名が舞殿に登壇する。定刻、舞殿上にて八幡宮楽士の雅楽奏、次いで八幡宮宮司・神主団の祝詞、仏教会会長・僧侶団の読経、キリスト教司祭・牧師団の祈祷とグレゴリアン聖歌(レクイエム)等が、香煙の立ち昇る中それぞれの宗教スタイルで順次執り行われた。最後に雅楽奏のもと八幡宮巫女二人による舞が厳かに奉納された。
祭式後、多数の参列者が焼香する中、午後4時30分八幡宮から由比ガ浜へ向って托鉢(義援金募金)行が数グループに分かれて進んだ。グループはさらに交通赤信号で分断されたが、私はその一つ、ボランティア警備員の先導で、義援金募金箱を持ったシスター二人、托鉢僧数名、大きな木の十字架を持った雪の下教会侍者服の青年と香炉を持った侍者服の少女、祭服を着用した司祭そして聖心侍女会シスター、清泉小学校生徒とその保護者、雪の下教会信徒などがロザリオを唱えながら進む一団に加わった。沿道で托鉢行を見ていた市民も募金に応じた。由比ガ浜海岸砂浜に設えた祭壇で、津波で海上に失われた人々への鎮魂の祈りが祝詞、読経、祈祷によりそれぞれの祭司によって捧げられた。最後に多勢の僧侶の読経のうちに参列者一同が海に向けた祭壇に焼香をして終了した。私は難聴なので祈りの詞は全く聞こえなかったけれど、参列者全員が心を一つにして災害で亡くなられた方々への追悼と災害地の復興の祈願を捧げた厳かな祭儀であった。
中高生の六年間は八幡宮の側道を通学した。その八幡宮舞殿に他宗祭司とともに司祭が登壇してレクイエム聖歌を捧げ、多数の信徒が司祭とともに「主の祈り」を唱えるなど思いもよらないことであった。戦中、敵性言語・宗教の排斥、神風が吹く神仏の国をいう国民教育とカトリック家庭との狭間で幼児期を過ごし、戦後は反動で他宗排斥的宗教教育の中で育った。第二バチカン公会議を経て、「己の信仰を尊ぶならば、他人の信仰もその人にとって尊ぶべきもの、故に他宗にも敬意を表すべきである」という考え方を受け入れるには少なからぬ日時を要した。
今宗教者、無宗教者を問わず日本中、世界中の人々からの善意と行動が被災地に向けられているとき、宗教者を自負しながらも知力・体力の減退と病と障碍とに付きまとわれ、僅かばかりの義援金のほか何も出来ないことに忸怩たる思いである。出来ることはただ祈るだけ、朝に夕にそして様々な祈りの集いに出向いて。
「神よ原子力事故の危機から日本を救って下さい。大災害に遭った人々を哀れんで下さい。障碍者特に激変した環境に戸惑う視覚障碍者に暖かい支援がありますように。様々な援助をする人々、被災地で働く人々を祝福して下さい。災害で亡くなられた人々に永遠の安息を与えて下さい。アーメン」
よくないことが起きるのは
善行 岡村
このたび日本の東北地方を襲った地震と津波で多くの人が命を失いましたが、それを、一国の、一地方の事件とみてはならないと思います。それが全世界の注目を浴びたのは、それによって原子力発電の事故が起こり、その危険を全世界の人々に明らかにしたからです。そもそも問題を残したまま今も原子力発電が世界各国にあり続けているのを、すべての人は分かっているのです。チェルノブイリやスリーマイル島の事故は原発が決して安全な技術ではないこと、その廃棄物処理も未解決のまま、新たな危険の種としてあり続けるのを誰でも認めています。
しかし、事故後の検証がどのように進められ、どんな結果が新たに表れているのかに関心のある人は僅かで、その報道もされていません。またわたしたちは、改めて原子力電発の原理や機構を問い考えようと、どれだけしてきたでしょうか。にもかかわらず、石油と同様に私たちの電気の消費の仕方も、このままでよいのだろうかと問い考えようとはせず、ただ、消費は増すばかりでした。私たちが原子力発電は必要であるという背景には、そのような状況がありました。
どんな物事も、人の生きる他のすべてのこと、いのちに結ばれてあるのだとして問い考えようとはせずに、ただそのことの快楽と消費だけを追求する傾向、それが人の欲望です。世界の人々にとって、原子力発電はそのような傾向の象徴なのです。世界の水も空気もいのちも、国境を越えて一つにつながってあるのを考えず、切り取りかこいこむことを、誰ひとりにも許してはなりません。まして、いのちのはたらきについて、自然について私たちの知らないことは、まだまだ多いのです。専門家も実は、その専門を、人の生きるすべてのこと、いのちに結ばれてあるのだと、問い考えようとはしません。だから、わたしたちがその生きることに結びつけて訊ねても専門用語の意味を答えられないのです。相手が何を知りたいか、さっぱりわからないのです。
よくないことは常に私たちに、しなければならない何をしてこなかったかを、明らかにします。それは私たちがその必要に目覚めて生き方を変えるようにと起こるのです。今度のようなひどい災害が必要なほど、今まで私たちは、いのちに結ばれてある物事を問い考えてこなかったのです。今でも、また東電や政府のせいにして、私たち自身を問い考えるのを終わりにしていませんか。亡くなられた人々は、私たち全世界の人々の罪を背負って亡くなられたのだと考えることもできます。そうであるなら、これはどういうことか、なぜそうなるのかと問い考え続けて、私たちに生まれ始まる新しいいのちがあります。そのいのちに結ばれて、亡くなられた人々が復活されるまで、この状況は続くでしょう。
ローマとそとめ ―前教皇列福にちなんで
鵠沼3区 平野
教皇ヨハネ・パウロ2世に随行して長崎に入った報道関係者は、里脇枢機卿と田口枢機卿が、同じキリシタンの里、そとめ町のご出身と知って驚き、「こんな小さな町から、枢機卿が二人も出るとは、他には例を見ないのではないか」と、急ぎ本国に打電したそうです。このニュースは世界に大きな感動を呼び起こしたと聞きました。
キリシタン迫害によって疲弊し切ったそとめに、ローマから派遣されたパリ宣教会の ド・ロ神父は、布教と文化と福祉活動に生涯を捧げつくし、一度も故国の土を踏むことなく、ここ、そとめの野道の墓地に骨を埋めました。その平らな墓石には、「我が選める者の労や空しからず」(イザヤ書65章23節)と記されています。ド・ロ神父の蒔かれた種は着実に成長し、代々の信者の中から多くの青年男女が聖職の召出しに応えています。今年叙階される大分教区の浜口司教もそとめのご出身です。ド・ロ神父はノルマンディのボスロール村の貴族のご出身で、その故郷には神父の縁者がご健在です。そとめからド・ロ家の墓地に移植された鎮魂サクラが、満開時には人寄せサクラに変わるそうです。もう30年が過ぎましたが、そとめ町とボスロール村は双子の姉妹都市の縁結びをしています。物に拠らない心の繋がりを大切にし、今日に至るまで、互いに行き来をしながら友情を深めてきました。
田舎なれども、そとめの里にはフランス語学校があります。地域文化振興功労賞にもかがやきました。1984年10月、当時のカトリック信者の町長を団長にして、20名の生徒を含む36名が、ホームステイを兼ねてボスロールを尋ねました。その時、教皇様からローマにも寄りなさいとご招待を戴きました。待ちに待ったその日、みんな大喜びで、手に手に日の丸の小旗を振りながら、大声で「ビーバーパパ、ビーバーパパ」を繰り返し、世界各国からの9千人近いお客様がいた接見会場の中央通路を、2列縦隊で法王様のすぐ近くまで案内されました。町長がそとめからの贈物を差し上げたあとで、教皇様は親しみを込めた、分りやすい日本語で挨拶なさいました。「日本のそとめの皆さん、ようこそ。私は皆さんの、双子の姉妹都市縁結びを聞いて、とても喜んでいます。世界の平和のためにも、この素晴らしい関係が永く続くように、そして、他にも広がるよう願って使徒的祝福を贈ります」と仰有って、祝福して下さいました。世界の人々の前で、日本語での、そとめへだけの特別なお言葉をいただき、申し訳なくも亦、うれしく誇らしく感じました。併せて、教皇様の日本語学習のご苦労を思い、心から感謝しました。
私たちが今日まで接してきた多くの外国人司祭たちの、見事な日本語を駆使しての司牧活動も、魅力溢れる人柄も、すべて「ローマから日本に派遣された宣教師」という使命感と、教皇様の率先垂範からきていることに思い及び、尊敬と親愛の念を一層深くしました。最近、カトリック新聞で、西山神父様が連載されている「パパ様だけのニホン語私塾」を拝読して、バチカン訪問を懐かしく思い出し、教皇様の列福式を真近に控えて、本当の身内の慶びを感じています。あの接見会場で教皇様から祝福を戴いた小学生の中の数人が、シスターになっています。慶びを共にしたいと思います。
HENRY Ssenyondoさんからのお便り
(2010.12.9)
私の後援者のみなさま、
クリスマスのご挨拶が遅れて申し訳ございません。実は大学に提出するリサーチ・ペーパーの書き出し部分の事で忙殺されていましたので。とかくご無沙汰ばかりで済みませんが、いつも皆様を敬愛しお祈りをしております。ここであらためて私の大学生活を支えてくださる事を感謝いたします。おかげさまで、法律の勉強は大変順調に進んでおります。
6月に最後の学年がはじまりました。つまり、来る6月にこの科目を終了するのですが、私はこの科目に興味がありますので、試験をパスするようにがんばります。来年の6月には各科の成績とリサーチ・ペーパーのコピーをお送りしたいとかんがえております。
去る3月18日は24歳の誕生日でしたが、勉強でいそがしかったものですから、あまり楽しめませんでした。でも伯父のキジト神父が難民の方たちと共に私のために特別のミサを奉げてくれました。もうすぐクリスマスです。皆様に恵みあふれる祝日でありますようにそしてHappy NewYear!
幼な児イエスがいつも皆さんと共にいてくださいますように、主に在ってあなた方の息子、ヘンリー センヨンドより
(註 このお便りは、去る1月始め、手許にはいりましたが、諸事に取り紛れ、翻訳がおくれました。お詫び申し上げます。)
3部門共同連続講座 第2回「良かったことの祈り」
「祈りの集い」グループ
4月3日(日)、3部門共同連続講座の第2回が、「良かったことの祈り」をテーマに約120名の参加をいただき、T.「良かったことの祈り」概要,祈りの基本、U.祈り方、などの説明の後、V.「良かったことの祈り」のエクササイズ・分かち合い、を行い充実した祈りの時間を過ごすことができました。
I.「良かったことの祈り」の概要、祈りの基本
(1)この祈りは、藤沢教会で司牧された、コロンバン会マラキー・ハンラティ神父様が長年にわたる祈りの講座で培われた祈りの集大成として『良かったことの祈り』を出版されたこと(現在は、「良かったことの祈り」が改訂されて「神に聴く祈り」が出版されています)
(2)祈りの基本は、祈りの中で、『良かったこと』を頭の中で考えて探すのではなくて、神様が示してくださることを待つこと
(3)『良かったこと』とは 自分が嬉しいと思えた事や幸せと思えた事など色々あるが、喜び、安堵、清々しさ、驚きや平和な気持ち、などの心の動きが伴う
(4)『良かったこと』をより多く気付けば、気付くほど日常生活における神様の計らいをより深く感謝する気持ちが生まれ、神様により近づいていく感じを持つ、などについて現在講座を進めている感想を交えて話しました。
II.祈り方
(1)どの様に『良かったこと』を見せていただくか
(2)祈る期間を決める
(3)祈りの回想
(4)分かち合い
などの話をいたしました。特に、どの様に見せていただくかでは、
@私と共におられる神様を感じ、
A受身の心で、
B見せてくださるのを待つ(考えない)
などが重要なポイントです。実際に考えないで見せてくださるのを待つ難しさ、雑念が湧いて来た時の対処など実践の難しさなどの実際に感じている事を話させていただきました。
III.エクササイズ・分かち合い
静思のひと時の後、昨日から今日ここに来るまでの「良かったことの祈り」のエクササイズを10分間行いました。参加者一人一人が、静思のひと時により自然に祈りの姿勢に導かれて行き、祈りの後の回想、10名程度のグループに分かれての分かち合いを行いました。各グループ共に分かち合いが深まり、所定の20分が瞬く間に過ぎてしまいました。分かち合いの後、もとの形に座席を戻した時、一人一人の顔は「良かったことの祈り」のスタート時点から大きく変わり、穏やかで、平安な顔に変わっている様に感じました。参加者の皆さんが「良かったことの祈り」の素晴らしさに触れることができたとの思いを深め、ハンラティ神父様、また導かれた神様への感謝の念がこみ上げてきました。後日談ですが、アイルランドにおられるハンラティ神父様にこの状況をメールでお知らせしたところ、大変お喜びで、神様のなさることへの驚きと皆様に感謝いたしますとの返事を頂きました。
「祈りの集い」のグループ(加藤誠一、神谷幸彦、押木満雅、桜井勝秀、山崎敏一)は、現在毎月第4土曜日10時からセンターホールで開催しています。なお、3部門共同連続講座の第3回は5月1日(日)9時半ミサ後、「レクティオ・ディヴィナ」をテーマに開催されます。
昔の「手品」は無言の演技が中心でしたが、最近は「マジック・ショー」と呼ばれ、テレビ番組のゴールデン・タイムに放送されるなど、大きなブームとなっています。おしゃべりを交えながら演技することで、色々な場面での触れ合いツールやコミュニケーション・ツールとして注目されるようになったからです。
私達のマジック教室のキッカケは、藤沢教会壮年部の新年会の余興として2003年から有志のマジック演技が始まり、場の雰囲気を盛り上げるのに役立っていました。やがて、教会内外のシニア年齢層を対象にしたマジック教室を開いて欲しいとの要望が寄せられ、藤沢マジシャンズクラブFMCのベテラン講師2名を迎えて2005年4月からスタートし、今や7年目です。毎月1回の練習会は第4水曜日の午後2〜4時、信徒会館2階の集会室、月会費500円で開かれ、いつも大きな興奮と笑いに包まれて楽しんでいます。
日頃のマジック練習の成果を確認するため、色々な高齢者デイサービスや特別養護老人ホーム、藤沢青少年会館祭りや各種の親睦会などに出掛けては、マジック演技を披露して来ました。アマチュアなので時々は失敗もあり、むしろそれが大いに喜ばれています。ここ数年間の年末年始は、藤沢内外の施設や団体等からお座敷の声が掛かり、期待される存在に成長しつつあります。藤沢教会の新年会でも、私達のマジックが常連団体となり、演技が上手になったと評価され、それなりに自信が付いて、心から感謝しております。
現在のメンバーは8名(講師2名・事務局1名・メンバー3名・休会中2名)です。藤沢教会信徒だけでなく、逗子教会信徒や一般社会人も居りますが、さらに幼稚園や保育所など子供達にもマジックを披露すべく、広くメンバーを募集中です。関心のある方は老若男女を問わず、小野事務局長へ連絡願います。
(文責:藤沢2区 小野精司)
特別寄稿 明治の宣教師の足跡をたずねて(5/7)
―横浜居留地から神奈川県央への巡回布教 (1) ―
鵠沼3区 高木
明治8年(1875)10月5日、横浜外国人居留地から八王子方面への往還道が少しく変更されました。いわゆる旧幕府時代の神奈川奉行所が廃止され、明治4年(1871)11月14日神奈川県が更置され、治所が横浜本町通に移されたからでした。それは居留地から芝生村、星川村を迂回して鴨居村、猿山村、中山村、榎下村、十日市場村、長津田村、原町田村へと通じる道でした。そして途中の榎下村(久良岐郡日下村)にはテストヴィド神父の常宿があったようです。
明治10年(1877)テストヴィド神父は久良岐郡芝生村の浅間下に伝道所をつくりました。そこは東海道神奈川宿から保土ヶ谷宿へ通じる途中、青木町の境から浅間神社のあたりにありました。人家は100軒位の集落であり近くには海岸があって、帷子川を隔てた向こう側は外国人の居留地でした。そして東京神田のラテン学校で学んだ旧仙台藩士の目黒順蔵伝道士を住まわせていました。
明治17年(1884)2月3日、芝生村に横浜聖心教会の分教会として聖ヤコブ教会が献堂されました。それは外国人居留地の聖心教会に対して日本人専用の教会でした。勿論、居留地の聖心教会にはムガブール神父やルコント神父がいました。
ところが3年ほどたった明治20年(1887)11月18日午前2時頃、同じ町内に住む岡野庄太郎方からの出火で焼けてしまいました。それは38軒も焼けた大火でした。だが、そのころテストヴィド神父は山梨県や静岡県地方への巡回布教に忙しく、聖ヤコブ教会は再建されませんでした。その上、静岡県駿東郡神山の地で癩救助病院の設立に携わっていたからでした。ところが日本人用として横浜市野毛町2丁目に伝道所が設立されました。
次に明治13年(1880)テストヴィド神父は高座郡大沢村大字大島にも伝道所を設立していました。そこは八王子横山宿より相模川沿いに厚木宿へ行く往還道、片倉、相原、下九沢、田名への途中にある大島の舟場でした。すでにメソヂスト派の女性宣教師が教会を設立していました。矢倉沢往還道厚木の渡し場や大山道戸田の渡し場、中原道田村の渡し場東海道須賀の渡し場などへ行くのに便利でした。
明治15年(1882)10月17日、近くの下溝村四谷の角倉家4人が洗礼を受けています。
パウロ | 角倉 鉄太郎 | (37歳) |
レオ | 角倉 清弘 | (6歳) |
ミカエル | 角倉 弘武 | (4歳) |
フランシスカ | 角倉 キク | (25歳) |
上溝村、下溝村と言えば甲州街道八王子宿から片倉、相原を経て厚木宿へ通じる街道筋にあり村の中には1里塚もありました。現在の相模原市内です。
当時の宣教師の日記によると神奈川県内の巡回は雨の日には泥濘となり難渋したとあります。明治30年(1897)横浜鉄道が計画され、明治41年(1908)9月23日東神奈川・八王子間が開通しています。
5月1日、ヨハネ・パウロ二世が列福されました。あらためて世界の人々に親しまれた前教皇さまのみ心に触れてみてはいかがでしょう。 「立ちなさい さあ行こう 教皇ヨハネ・パウロ二世の自伝的回想」 「世界を愛で満たすために ヨハネ・パウロ二世100の言葉」 「ヨハネ・パウロ二世 日本の四日間」 |
鈴木神父の川柳 (続10)
編集部編
2010年 今回はA年その1です。 ( )内は鈴木神父の注記です。
2010年
11/28
忘れると心が亡びるものはナニ?
(待降節第1主日) 「ルカ21:25-36」
(忙しいという字も忘れるという字も心が亡びると書く。
目を覚まして、何か大切なものを忘れていないか思いめぐらしてみたい)
12/5
厳しいね そんな時代もあったよね
(待降節第2主日) 「ルカ3:1-6」
(洗者ヨハネの厳しさは、人間の限界を思わせられる。
救い主の想像を 超える大きさを思うことがクリスマスを迎える準備になる)
12/12
この人も救われるのかじっと見る
(待降節第3主日) 「ルカ3・10-18」
(洗礼者ヨハネは偉大だが、天国に入るか否かは人間的偉大さと違う規準らしい。
神様って信じられないくらい優しいんだなあ)
12/19
正しさは理屈じゃないよ優しさよ
(待降節第4主日) 「ルカ1:39-45」
(ヨゼフのマリアに対する配慮は、
自己主張の正しさをはるかに越える正しさと聖書は語る)
12/25
イエズスの名字じゃないよキリストは
(クリスマス夜半) 「ルカ2:1-14」
(イエズス・キリスト即ち救い主イエズスの誕生を祝う中で、
あらためて「どんな救い主」なのか思い巡らしてみたい)
12/25
神の子と名乗ってよいのかおれたちも
(クリスマス日中) 「ヨハネ1・1-18」
(わたしたちは神の子イエス・キリストから
「神の子となる」といわれたことを
どう受け止めているのだろうか)
12/26
我が妻(夫)も我が子もみんな神のもの
(聖家族) 「マタイ2:13-15 19-23」
(自分のものと思うと間違いを犯す)
2011年
1/1
人生は思えば不思議なことばかり
(神の母) 「ルカ2・16-21」
(聖母マリアばかりではない。
私たちも人生の出来事の不思議さを思い巡らし
神に信頼できるとよい)
1/2
神様の気前の良さについてける?
(主の公現) 「マタイ2・1-12」
(全ての人のために救い主を送られたその心の広さを思いたい)
1/9
神も親できそこないはなお可愛い
(主の洗礼) 「マタイ3:13-17」
(神はイエスを愛する子といい、
わたしたちも洗礼により神の子とされたことを思って)
1/16
わからない時にはじっと神思う
(年間第2主日) 「ヨハネ1:29-34」
(わからなくても信じられるというのが
本当の神との関係にはある)
1/23
神の目で物事見られるあんた誰?
(年間第3主日) 「マタイ4:12-23」
(人間の目には不幸に見えることも、
神様から見ればちゃんと意味のあるよいことなのだ)
1/30
貧しさの窓から見える主のみ旨
(年間第4主日) 「マタイ5:1-12a」
(世の無力な人を通して神は一番大事なことをなさる)