八 角 形 に ゅ ー す
2012年4月8日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
自然界に倣い、神の力に委ねて生きましょう・・・・・・・・・・・・・司祭 トゥー
トゥ神父様ありがとう、お元気で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ベトナムコミュニティ
トゥ神父様と私たちの金婚感謝ミサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 扇
HELP喫茶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・HELP喫茶有志
静修の集いと共同回心式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 遠藤
(連続講座第9回) 「東日本大震災から1年を迎えて
犠牲者追悼と復興祈願の集い」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宣教部 牧野
北2ブロック集会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 矢部
北1ブロック集会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 淺野
辻堂ブロック集会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 森田
教会の「未来への展望」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 吉田
壮年有志の集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武田
東日本大震災ドッグレスキュー本部(寒川)
―手をつなぎ共に復活する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 本多
俳 句・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 藤田
自然界に倣い、神の力に委ねて生きましょう
司祭 トゥー
長く厳しかった今年の冬がようやく過ぎ、教会の庭に咲く花々や日々色鮮やかになる木々の葉を見て、やっと春の訪れを感じるようになりました。復活祭を迎えた私たちにとっては、今が一番の喜びの時です藤沢教会の桜の木を改めて見ていると、開花も例年に比べ遅かったようです。寒い時は寒いように、暖かい時はその暖かさに合わせて、自然の中の創造物は素直に時を過ごしていきます。私はそのことを今年の本当に厳しかった冬の日を過して気付いたように思います。今年は満開の桜を愛でながら、復活祭の喜びを重ねて味わうことが出来たらイイなぁとずっと願っていました。私たち人間がどんなに頑張っても、復活祭に桜が間に合うかどうかは分かりません。はっきりしていることは私たちの努力ではなく、自然の力、すなわち自然の理によるものです。
神の子でありながら人となられ私たちのために、十字架に架けられたイエスは、お望みになれば自分自身の力によって避けることも出来たでしょう。しかしあえて、イエスは自然の理に従い、厳しい冬とも言える様々な苦難に身を委ねて、父である神に完全な信頼を示されたのです。その結果「キリストが御父の栄光によって、死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです」(ローマ6:4b)と記されることになったのです。
このみ言葉は私たちにとって、大きな希望であり、慰めです。しかし、現実には、この世的なものに捉われ、心まで縛られてしまう傾向がある弱い私たちは、ともすると、悩まなくて良いことで、悩んだり、自分のことだけではなく、家族や周りの人のことを考え過ぎてしまったりします。つまり、私たちは自分の力に頼り、自分で蒔いた種の実りを自分の目で確かめたいと思い、自分で解決しようとしてしまうのではないでしょうか。今教会に来る人々は高齢者が多いようです。その人々が自分の子供や孫たちがなかなか教会に来ないことをとても心配しています。でも、日曜日のミサを通して良く祈り、共同体を大切にする人々はきっと、その良い影響を周りの人々に届けていると思います。特に、キリストに倣って生きることを知っている私たちは、日々の生活の中で良い種を蒔いているなら、その種は良い実を必ず結ぶはずです。神を信頼し、委ねて生きてまいりましょう。
「蒔く」という字が表わしているように、種を蒔いた後は、芽生え、花開く時を待つだけで良いのです。「種を蒔いて、花が咲くまでに時間がかかるように、祈りの効果が現れるまでには、時を必要とする」と言われています。つまり、祈りは人間の努力でするものではなく、神が招いてくださるものであり「神の技」だからです。「神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです」(使徒言行緑17)」。
ご復活、おめでとうございます!2年間大変お世話になりました。ありがとうございました。皆様、どうぞ、お元気で!
教会委員会報告(2012年3月17日)
1. 第5地区共同宣教司牧委員会
2月19日に中和田教会で開催され、「祈る・伝える・証しする力を育てる」3部門から昨年度の活動報告があった
(1)「祈る」部門
集会祭儀セミナーを実施し、参加者からは方法がよくわかったと好評であった。また
「第5地区各教会・修道院の祈りの会」のアンケートの詳細な報告があった。家庭での祈りについては、重要な項目であり、「伝える部門」「証し部門」とも連携すべきテーマかもしれない
(2)「伝える」部門
伝えるために「何をするか」より前に、「どのような自分になれるか」を考えることが重要である。今後の課題として、対象としていた青少年を考えた時、信仰を伝えるはずの親・大人の信仰養成の大切さに、自分たち自身が「祈り・伝え・証しする」自分になれるかという事実に気づいた
(3)「証しする」部門
「証しの力を育てる」事にはなかなか踏み込めなかった。各教会で実施している事項の共有化を確認できた。個人レベルではなく、共同体として信仰を育てる力にしていきたい
・ 共同宣教司牧委員会は年に4回開催され、2012年度は藤沢地区から「信仰を伝える部門」に前山委員長・Sr横山(聖心の布教姉妹会)、「神の愛を証しする部門」に鈴木勁介神父が参加する
・ 第5地区として情報の共有を図っていきたいので、要望があれば前山委員長まで知らせる
・ 次回は5月20日に開催
2. 聖週間
今年の聖木曜日は「親子の朗読」はしない。洗足式には皆さん参加してください。聖土曜日の入信式は大人8名と子供1名、4月15日(日)に幼児洗礼がある
3. トゥ神父送別
4月8日に向けて3月25日から3週間で、祈りの花束とお餞別の準備をする。イースターミサ後、前庭で歓談の場を持つこととした
4. 信徒・修道者・司祭の宿泊交流会
4月29日〜30日に開催。関心のある方は3月末までに前山委員長に申し込む
5. 戸部教会叙階式
4月30日(月)エスコラピオス修道会デハクトJr助祭の叙階式が行われ、国際部より代表が参加する
6. タム助祭叙階式
5月29日にベトナムで行われ、鈴木神父が列席の予定
(鵠沼)5月20日にブロック集会を予定
(藤沢)2月19日の拡大ブロック連絡会で今年度の役員紹介をした
(辻堂)3月18日にブロック集会で4月のミサ当番などを話し合う
(北1)
・ 3月4日にブロック集会をした
・ 5月12日に聖心の布教会本部修道院で一日黙想会をする。指導はイエズス会の英隆一師
・ 巡礼・遠足など計画していきたい
・ バザー担当地区として10月21日に実施の方向で準備を始めた。バザー委員長は矢部さん(北2)、その他バザー委員は森里さん・中村さん(北2)、八木さん・里原さん(北1)、広報担当は浅野(士)さん(北1)
・ 葬儀の連絡が流れてこない。連絡網で流す場合とそうでない場合があるようだが、祈りはどこでもできるから「連絡をする」と位置づけてほしい
(北2)復活祭の後、受洗者や転入者がいれば、お祝いを兼ねてブロック集会を開催する
(国際部)3月11日にトゥ神父様の送別会を開いた
(典礼部)聖週間の典礼奉仕への協力依頼
(教育部)
・ 中高生会は藤沢教会と山梨地区合同で3月24〜25日に、藤沢教会で合宿
・ 4月15日(日)日曜学校始業式・入学式
・ 5月13日(日)日曜学校保護者会
・ 5月20日(日)第5地区教会学校運動会を湘南白百合学園で実施
(福祉部)
・ 6月に東北支援の福祉バザーを予定
・ 5月12日(土)に障害について学び認識を深め交流する、第16回「障害共に歩む集い」を大和教会で開催(横浜教区福祉委員会主催)
(宣教部)
・ 3月4日(日)に三部門連続講座の実施
「東日本大震災から一年を迎えて〜犠牲者追悼と復興祈願」をテーマに、被災者支援体験報告と祈り・歌の集いを開催した。次回は6月3日(日)の共同宣教司牧フォーラムで、藤沢教会の将来ビジョンに関する話し合いを行う予定
・ 4月19日(木)から新キリスト教講座スタート
・ 5月12日(土)からキリスト教短期講座(3ヶ月)スタート
・ 5月26日(土)キリスト教セミナーを開催。テーマ「闇に光を〜マザーテレサの生涯に学ぶ」。講師は六甲教会片柳弘史師
・ 市内キリスト教連絡会が3月4日にあった。4月以降は当教会からの代表者の見込みが立たないため、会合には欠席するが分担金は継続支払し、運営には協力する
藤沢教会の将来ビジョンについて
・ 各ブロックは6月の共同宣教フォーラムで検討経過の報告が出来るよう意見の吸い上げをして欲しい
・ 自分たちの将来を自分たちでつくっていく「未来」が描けたら良いのではないか
・ ブロック・活動部の意見だけでなく将来を担う青年や子供たちの意見も取り入れたい
・ 6月のフォーラムに参加を呼びかける
葬儀の連絡について
北ブロックから「葬儀連絡が来ない」との指摘に対して意見交換をした。
現状
・ 最近の葬儀は「身内だけで」と言われる方が多く、その場合は帰天された方のブロックだけに連絡している
・ 連絡網の問題で連絡が流れないことがある
改善のために
・ 葬儀の場合のつながりをブロックとして考える必要がある
・ 日曜日のミサの時にお知らせをして、皆でミサの中で祈る様にしていく
・ 電話連絡網だけでなく連絡方法について地区の実情に合わせた改善も考えていく
トゥ神父様ありがとう、お元気で
ベトナムコミュニティ
トゥ神父様、いつも私たちのために一緒にお祈り頂きどうもありがとうございました。神父様には国際交流会・日曜学校にいらっしゃって頂いたり、教会でお話ししたりといろいろお世話になりました。雪ノ下教会へいらっしゃっても、お元気でお過ごしください。そして藤沢にも時々遊びにいらしてください。短い間でしたが誠にありがとうございました。
時がたつのは早いものです。トゥ神父様が藤沢教会に来られてから、あっという間に2年が過ぎました。2年は長い時間ではありませんが、心に残るトゥ神父様との思い出はたくさんできました。
藤沢教会は外国人が多いという特徴があり、ベトナム人のコミュニティもその一つです。 30代という若さですが神父様のお蔭で日本人とベトナム人のコミュニティの間に新しい風が吹き、良い橋がかけられたと思います。神父様はお年寄りに対してはいつも笑顔で敬意をもって話され、また若者に対しては距離をおくことなく友達のように親しく話に入って時には食事を共にしてくださいました。特に私たちベトナム信徒の中では、神父様としてではなく、家族の一員のように皆の幸せを願い、悩みを聞いて沢山アドバイスをしてくださいました。
一方、私たちの不注意な発言や態度で、神父様の心を傷つけたりストレスになったりしたこともあったのではないかと反省しています。神父様の言葉はいつも正直でした。プライドの高い私たちには時にはきついこともありましたが、偽りのないアドバイスは有難く心にしみるものでした。日本の慣習をあまりよく分からない私たちのためにいろいろ教えていただき本当にありがとうございました。
神父様が藤沢教会を離任されることになり私たちは大変寂しく思っています。でも、神父様がどこにいらっしゃっても、藤沢教会で一緒に過した神父様との思い出はずっと忘れないでしょう。新任地でも神父様が神様の恵みのうちに、信徒の皆様と実り多い日々を過せますよう心からお祈りいたします。
今まで、神様やイエス様の事を おしえて下さり、ありがとうございます。サマーキャンプの時にいっしょにあそんで下さりありがとうございます。日曜学校にかよっていて、友達もいっぱいできました。神父様は、ぼくが侍者をしていた時 わらって下さるので嫌な事を忘れる事が出来て良かったです。ぼくは、引越ししちゃうけど、日曜学校とごミサに行きます。お体にきをつけて下さい。
いつも、前で立ってごミサをして下さりありがとうございます。ベトナム人なのに日本語がペラペラでとても優しく気づかって下さり「すごくうれしい」っていう気持ちになりました。でも、神父様が他の教会に行くって言われてとてもびっくりしました。なんか、ちょっとさびしくて、ちょっとうれしい気持ちになりました。なぜちょっとうれしい気持ちになったかと言うと、多くの人達にトゥ神父様の事を知ってもらえるからです。たまには、藤沢教会に遊びに来て下さい。私たちの事を忘れないで下さい。今まで本当にありがとうございました。
トゥ神父様と私たちの金婚感謝ミサ
長後 扇
2012年2月18日は私共の金婚の記念日でした。2年くらい前から、子供達の中から、お祝いしなければと云う声がありましたが、まだまだ先の事と思っていました。思い返してみると、50年という年月。「あっと」いう間に過ぎてしまいました。本当にいろいろの事がありました。私たちは神様の操り人形。
2人が出会った時、お互い共通して知っていた方は、1人だけ、聖園の修道院関係のお仕事をして隠遁生活をしていらした(故)船木さんでした。後から考えると不思議な事ばかり、結婚式の侍者は彼がしてくださいました。神に感謝。その後7年間、私共は子供に恵まれませんでした。お医者様にはあきらめなさいと言われました。宮内毅神父様の母君(当時は聖園の女学生で妹と親友)に漢方薬を教えて頂き、取り入れたのついこの間の様です。
山の上の教会の頃、父が孫が欲しいので、これから侍者をしますので孫を...と神様にお願いをし、ラテン語のミサ答をしました。紙に書いたカナのラテン語を見る為、眼鏡を入れるポケット付自分用の侍者服を、当時、茅ケ崎の聖血の会のシスターに作って頂きました。理由が解りましたと、シスター方も一緒に取り次ぎを願ってお祈りをして下さいました。その年の復活祭のローソクやホスチアを教会のミサ用に、婦人会の方が頼みに行かれる時に連れて行って頂いた時の話です。その2、3ヶ月後、私は「おめでたです!」と言われ、「エ、ウソ、..!」と神様に失礼なことを言いました。それ以来「感謝」「感謝」。「お願い」「感謝」の連続です。ダイナマイトカップルと名付けていただいた私共。多くの方が認めてくださっている「けんか」の夫婦に、3人の子どもが恵まれました。そして何十年。なるべく波風たてぬ様にバタバタと過ごし、今年50年を迎えました。
湘南台のトゥ神父様のクラスの後だったと思います。少し早いのですが、金祝の感謝のミサを家族だけで小聖堂を借り、そっとお願いしました。これは大事な事ですと受けてくださいました。共同祈願は本人達と子供、孫それぞれ1つづつ準備するようにと。私は普通お願いするミサの中のつもりでいました。当日、私達のために丁寧なミサ次第のプリントを用意して下さり、「誓約の更新」もあり、感激しました。細かいお心づかいも頂きました。お話しの中に、孫「はるき」は自分の名前を入れていただき、本人は嬉しくて思わず声を出して笑ってミサの雰囲気が和らぎました。また、2年生の孫は昨年の聖体の祝日に初聖体を頂き、最近、侍者に燃えさせて頂いていますが、まだ新米で後から突いて貰っているのに、白い侍者服を着せて貰い張り切っていました。共同祈願はぼくが作ると、「はるき」は自分の祈りを作りました。「あとで」と見せてくれませんでしたが、神父様には一寸見せたそうです。役割分担をして幸ちゃんはこれを、未洗のいとこは「ひい祖父ちやん」の写真を持っていきました。
こんな素晴らしい感謝ミサになるとは思ってもいなかったので「主に賛美」「神に感謝」、トゥ神父様には「本当にありがとうございました」。「記念日」を大切にして、何年目でなくても「感謝のミサ」をお願いなさる事を是非おすすめいたします。
HELP喫茶
HELP喫茶有志
日曜日9時半ミサ後、信徒会館の前で不定期に開かれている「HELP喫茶」をご存知ですか?手作りのおいしいクッキーと、淹れたての香り高いコーヒーまたは紅茶を200円にてご提供しています。
売上金は全額、近隣のお困りの方々のために、炊き出し、緊急にお金が必要な時等に使わせていただいております。
これから桜や新緑の季節、ごミサのあとご家族や親しい方々とのご歓談にご利用くださいませ。係一同お待ちしています。
静修の集いと共同回心式
辻堂2区 遠藤
3月25日午前10時45分より静修の集いがあり、200名を超える参加者がありました。ごミサに引き続き、栄光学園で教鞭をとられているイエズス会の李聖一神父様に講話を頂きましたので、その概略をお伝え致します。
神父様は今年の四旬節は、東日本大震災と復活信仰について考えてみたいと話を説き起こします。記念日症候群といわれるものがあり、何を記念するかによって人の心は変わり、嬉しいことにしろ悲しいことにしろ人はその気持ちを再び味わいます。どの様に3月11日を過ごしたのか、日本中がその時に黙祷し、悲しみや苦しみ、そしてその負担感を乗り越える努力をした日でもありました。ここで宗教者は一体何をしたのか振り返ってみたいと思います。
列王記上第19章には、激しい風、地震、火の中には主はおられなかったが、それが去ると静かにささやく声が聞こえたとあります。震災に遭ったある少女が、この天災のどこに神はいるのかとパパ様に手紙を書き、パパ様は、私にも分からないと返事をされたそうです。私も同感です。このときには、この質問は意味がありません。ボランティア活動の内容=質には、二つの段階があります。第一段階は、生存に関わること即ち生きるか死ぬか、救出し水や食べ物を与える、自衛隊の生存者の捜索や米軍のトモダチ作戦のレベルです。第二段階は、人間的・文化的な普通の生活を取り戻す段階になります。がれきの片付け、思い出の写真の整理、スポーツ選手や芸能人による励ましの段階です。しかしこの第二段階に進む気力をなくした人も多く、無気力からアルコールやギャンブルに溺れる人も出てきます。ここに第三の段階、実存のレベルがあると思います。助かった命、残された人生をどう生きて行くのか、被災者だけではなく私たちの問題でもあるのですが、自分はなぜ生きて何をすべきなのか、自分と自然の力を超えた存在である神との出会い、第二段階よりもはるかに深い問いです。命の意味=宗教的なそれをどのようにサポートしてゆくのか、ここに宗教者、信仰者の役割があるのではないでしょうか。火や地震の中に神はいない、ささやく声、この時にこの第三段階の意味が生まれるのです。
もう一つの視点は、復活信仰の私事化が起きている点です。家内安全、無病息災の世界、生存・生活の私事化、これではいけません。キリストの復活は古いものから新しいものへ、新しい創造の業です。コリント信徒への手紙U第5章19節の神との和解は、個人的レベルに止まってはいません、世が一新されることです。またローマの信徒への手紙第8章の中に被造物が全て今日まで、ともにうめき、ともに産みの苦しみを味わっている、とあります。異なった見方をすれば、この世の被造物は救いを待ち望んでいる、世が一新されることを自然が願っている、地球の環境、新たなる世とどのように人間は向き合ってゆくのか、信仰の私事化を超え、自分の生活と目に見えない地球の裏側に住む人との和解をしなければならない、信仰の私事化を超えること、自然との和解が大切です。
このような視点で、四旬節に信仰のありようをとらえなおすことが必要なのではないかと、私達全てに神父様は問いかけられたのでした。
その後各自、講話に基づき短い黙想をし、昼食休憩を経て午後12時45分から半数の約100名が残り、共同回心式に入りました。川辺さんの導入に続いて、李神父様、鈴木神父様、トゥ神父様を通してゆるしの秘跡を受けて、四旬節の心の準備をし、午後2時過ぎ派遣の聖歌のもと静修の日のプログラムを終えました。
(連続講座第9回)「東日本大震災から1年を迎えて
犠牲者追悼と復興祈願の集い」
宣教部 牧野
祈り・伝え・証しする力を育てる3部門共同連続講座第9回は、東日本大震災1周年の7日前にあたる3月4日(日)に、犠牲者の追悼と復興祈願の集いとして開催されました。内容は当教会メンバーによる被災地への訪問・支援活動の報告2件と、全員での被災地復興を願う祈りと歌からなり、約60名の方が参加されました。
プログラムは典礼部片桐さんのガイドで進められ、最初に元国際部長、現教会副委員長の鶴田光子さんから石巻を中心にした3度の訪問支援活動の報告がありました。とても生活の場とは言えない仮設住宅で被災者に寄り添い、お声を聴くことは大切だが難しい、第三者のよそ者であるが故に話を聞けることもある、これからも被災者を忘れることなく、ともにおられる主の思いを被災者に届けていきたいとのお話には心を打たれました。
鶴田さんのお話の後、福島南相馬の原町教会にあった復興のための祈りの歌「希望の灯(あかり)」の歌詞を皆で唱え、被災地へ思いを馳せました。「私たちは 主において ひとつ・・・」
次に事務局長の川辺克郎さんから地震と原発事故の二重の災害に遭われた飯館村と南相馬の現地訪問の報告がありました。原発事故という人災により生活と仕事の場を奪われた状況を目の当たりにして強い怒りを覚えた、責任をとらない日本という国のシステム自体がおかしい、これをキリストの目で見直し不正を許さないようにというお話は印象的でした。
お二人の報告を聴いた後、改めて現地の復興を願いながら「希望の灯」を皆で歌いました。「耳をすませば はるか彼方より 立ちて歩めと 主の声がする。イエスはいつでもともにいるから 信じて歩めば 希望の灯が・・・」言葉は心に染み、感動と決意が湧いてきました。 続いて福祉部長の曽根和子さんから、今後の支援活動として、第6地区と共同で開催する被災地の子どもたちを招く夏の合同キャンプ、これから藤沢教会で立ち上げる支援ボランティア募集などのお願いがありました。
最後に「東日本大震災被災者のための祈り」を全員で唱え集会は終わりました。今後も引き続き支援活動を行うにあたって皆の心が一致した素晴らしい分かち合いの集いになったと思います。「主の名において働くもの 主とともに その実りを味わう 信じて歩めば 実りは豊かに・・・」なお、次回の連続講座は、6月4日(日)、藤沢教会の将来ビジョンについての話し合いです。奮ってご参加いただくようお願いいたします。
北2ブロック集会
長後 矢部
北2ブロック集会(2月26日、10:45〜12:00)でバザーその他の行事・例会予定等について話し合い、2020年教会ビジョンについての意見交換を行いました。短い時間でしたが、29名が参加し、202号室は超満員の盛況でした。
バザーを北1ブロックと合同で10月21日に実施する予定であり、私が委員長の重責を担うことになりました。その他の行事は、バザーによる繁忙が予想されるので、状況を見ながら随時決めます。ブロック集会は今回のほかに、復活祭後(新受洗者・転入者を確認して、歓迎会・お祝い会を兼ねて実施)、バザー前、および11月4日(センターホールを予約ずみ、次期役員の選出とクリスマス会を兼ねて実施したい)の計4回を計画しました。
笠島さんより湘南台センターからのお知らせとして、ボランティア会議を2カ月ごと(奇数月、第4土曜日午前)に行う、3月10日は鈴木神父様がミサをあげる。トゥ神父様の講座は3月15日で終了するので、その後はロバート神父様にお願いしたい、という話がありました。
教会委員会で提案された2020年教会ビジョンについては、全員にコピーを配布し、すべての内容を読み上げて話し合いました。これについては提案の内容が抽象的であると、委員会で批判申し上げたのですが、集会では建設的な意見がたくさん出ました。例えば湘南台センターを宣教活動の場として生かしたい、ボランティア活動に若者が参加しやすい場を提供するべきである。などです、集約にはもう少し時間がかかりますが、期待していただきたく思います。
北1ブロック集会報告
善行 淺野
3月4日のミサ後に開かれた今年最初の北1ブロック集会は、皆さんの集まりがよく11時の予定を15分も繰り上げ、ミサでともに歌った聖歌に因んで、♪キリストの愛が被災された方々の心の隅々にまで行き渡りますように♪と「被災者のための祈り」を共に祈って始められました。
会は、大泉ブロック代表の丁寧な解説によってまず今年度からの各活動部担当者の方々の紹介があり、次いで入信志願式の話さらにゲストとして矢部北2ブロック代表を紹介本年度のバザーに向けての意向もこめて簡単な自己紹介を頂きました。その後教会委員会から提題されている「教会のビジョン」の作成について、平易な説明があり出席された皆様への協力依頼、併せて本年のブロック活動について配付資料を基にしての解説がありました。特に今年は当番月が一つにまとまってミサ当番、活動当番等が同じ月に行われるようになったこともあって入念な説明がありました。
トゥ神父様もお忙しい時間を割いてご出席くださり、北1ブロックのいきいきとした活動についてお褒めの言葉を頂戴し皆様の気持ちを一層和やかなものとしてくださいました。折角の機会ですからと皆様から質問をお受けになりましたがその中に葬儀の連絡のあり方について、他の地区の方であってもお祈りを望んでいるのにお知らせがないのは教会の兄弟として寂しいというご意見と共に内輪でと望まれるご遺族のご意向を尊重したいとのご意見もありました。活発な意見交換があったのですが神父様からのお話として帰天された方が神様のところに喜んで行ってほしい。自分の思い教会の思いと共に神様の想いや願いを尊重してほしい。信仰から遠ざかっているその方の子ども達が教会に立ち帰る機会として、一緒に祈る姿勢を表す機会を大切にするように。教会の皆様に迷惑をおかけしたくないという希望が増えているのは教会共同体としては哀しい。老齢化少子化あるいは通夜に出かけるのは大変などと事情はいろいろあるでしょうが、各家庭でも個々にでも共に信仰を表明した友のために祈ろうではないか、と示唆に富んだお話を頂きました。このことは信仰共同体教会共同体の最小の単位である、それぞれの方や家庭また地域やブロックとして「ビジョン」やあり方を考える上でも非常に参考になりました。
昼食には前夜から支度をし朝8時には集まって整えてくださった「北Tレストラン」の心づくしのビーフシチュー、サラダに舌鼓を打った後、今年の活動の最大の行事であるバザーについて矢部さんから今後の予定の報告があり、バザー委員会の役員の委嘱を皆さんで承認したのでした。この件も含めての詳細は後日に改めて報告しますが、今年の黙想会については、6月2日(土)にイエズス会の英神父様のご指導で開かれると報告され、今年の遠足巡礼についても多くの意見を頂いて有意義な会合を終えたのでした。
辻堂ブロック集会に参加して
辻堂1区 森田
四旬節も第4週に入り、ことのほか寒かつた今年の冬もようやく春の温かみが感じられるこの頃ですが、3月18日に、年度初めのブロック集会が開かれました。新ブロック委員長佐々木さんの司会のもと、50名ほどの参加者がありました。いつものように新連絡委員、典礼や福祉の担当者の紹介、受洗者、転入者の紹介がありました。また、昨年度のバザー担当係の方から、被災地への支援活動報告があり、支援活動は今も続いています。「石巻を支援する会」として辻堂3区の野村さんを中心に仙台味噌、醤油、エゴマ味噌などを毎月第2、第3日曜日のミサ前後に販売しています。
ブロックでの検討事項として、掃除、各種の行事、ミサ当番は昨年までと違がって同じ月に当たるようになりました。年々、掃除する人数が減少する事から、皆で頭をひねり、早速、試みに4月の当番表が作られ、自分の都合の良い日を書き込む事になりました。帰天された方々の報告があり、昼食となりました。お手伝い下さった方々の心尽くしのおにぎり、豚汁、クッキーなどでしばし談笑しながら、美味しく戴きました。
昼食後、教会委員会からの要請で「2020年を見据えて、どんな教会であってほしいか?」のテーマで、6グループで分かち合いました。老若男女を問わず----とりわけ高齢化は確実にやって来ますが----教会は、みことばを大切にし、福音を述べ伝えるところ、人と神とが出会うところで今よりますますそこから喜びや元気を頂ける教会であって欲しい。挨拶を交わせる教会であって欲しい。また、私たちは神に賛美と感謝を捧げ、回心のために教会に集まっている。キリストはひとつになるよう言われているが、同じ考え、同じ気持ちを持つという事ではなく、あなたと私はいろいろ違っていても、お互いに受け入れましょうという事で一つになっていくのではないか。そして、どこかで支えが必要な時、自分に出来る事を人との比較ではなく、小さな事でもさせていただく、ということではないか今、社会に起きている事をきちんとキャッチして、神から頂いている命を何よりも大事にするという事ではないか。原発の事も関心をもつて学んで行くことから始まると思う。未来の10年後、というより、今日、いま、このような事をすこしずつ積み重ねて、祈りつつ、模索して行くことでしょう。などなど話し合って、それぞれに何かを頂いて閉会になりました。
今後も、ブロック集会の時に、教会全体としてのテーマで話し合えると良いと思います。
教会の「未来への展望」
辻堂2区 吉田
さる3月18日(日)辻堂ブロック集会が行われました。その日は、「2020年を見据えて、どのような教会であってほしいですか?」とのテーマで10年後の教会のあるべき姿と期待等が話し合われました。
ご存じのように、日本は今後ますます少子高齢化が進み、老人社会が極端に広がってゆくと警告されています。教会においても、司祭の減少と高齢化は重要な問題点でありましょう。しかし、教会のメンバーとして私達は、神様のもと同じ兄弟姉妹です。「袖すりあわすも他生の縁」ともいわれますが、この縁(出会い)を大切にして、互いに知り合い、必要な折には助けあい、身近なところから問題点を掴み、改善できることから一つずつ知恵を絞って解決してゆくなら「未来への展望」にもつながるものと思います。
また教会の「未来への展望」については、新約の初代教会の信徒の生活から学び得ることも多いように思われます。初代教会の信徒たちは、生活を共有し、相互扶助のもとに密なる交流を持っていたとも聞きます。私たちの世代が、彼らの生活スタイルを模範とすることは無理であっても、彼らの生活及び信仰生活から「未来の教会」への展望を臨まれるのではないでしょうか。
かって私が、アメリカに住んでいたころ、所属の教会では、初代教会の例に倣い12−13名の小グループを編成して、毎週、次週に読まれる聖書のテーマを勉強することが奨励されました。多くの信徒がこの勉強会に喜んで参加いたしました。集会は、毎週、各家庭を回り、ティーとケーキで一服した後、勉強し、共に分かち合い、1週間の間に体験した気になることや、問題などを話し合い、談笑したりしながら、互いに知り合い、次第に友情を深めてゆきました。
その頃、教会の内部は、聖霊が燃え立つような活気に満ちていました。グループを通じて、私も良き友に恵まれ、幸せな一時を過ごしておりました。しかしある日、突然私は発病し、入院、手術という最悪の状況下におかれました。家族もなく、頼れる身内もないアメリカでの一人暮らし。何の準備もなく、突然、入院の現実に遭遇して困り果て、病院側からは"手術後あなたの面倒を見てくれ、食事を作くてくれる人はいるのですか?"と問われてわが身の惨めさに打ちのめされる気分でした。しかし、困り果てていた私に神様は、思う以上に優しく行き届いた配慮を示してくださいました。私の入院を知って、私の属するグループリーダーが直ちに病院に駆けつけてくれ、私のケースに立ち会ってくれました。その時から、入院、退院、リハビリと続く2カ月間、彼女は時間の許す限り、私のベッドサイドを訪れてくれたのでした。他のグループメンバーも入れ替わり見舞ってくれました。日本人の私に対して、彼女たちは偏見の一つも持ち合わせませんでした。外国で病気をしたら大変、、、というのが常なのですが、苦しいはずの入院生活も、人々に恵まれ、普段感じる孤独や疎外感もなく、このグループの仲間に支えられ、グループリーダーのモイラ・マ−フィーには徹底的に助けられました。彼女が私に示してくれた親切と好意、費やしてくれた彼女の時間と労力は神様だけが報いてくださる"天国の宝"といえます。図らずも、私の入院のケースは、小グループだからこそできた、初代教会の信徒たちの生活の一場面を思わせるものがあるように思うのです。 若し教会がなかったら、私は一人、長いアメリカでの生活を過ごすことができませんでした。教会があり、神様を知る仲間がいればこそ、助けられた私のアメリカ生活でした。
壮年有志の集い
武田
私は、プロテスタントの信者ですが、毎月「八角形にゅーす」を拝読しており、毎週オリエンス宗教研究所発行の「聖書と典礼」よりカトリックの教えを学んでいる者です。
3月3日(土)午後5:30より9:00頃まで開かれました壮年有志の集いに参加する機会が与えられました。13世紀に完成されましたゴシック式の大寺院であるノートルダム寺院(フランス語でNotre Dame は「聖母マリア」の意)より流れてくる荘厳なバッハ(ドイツ語でBachは「小川」の意)作曲のまさに小川の如く流れる「G線上のアリア(Arie)」を聞きつつ筆を執り始めました。使徒信条(the Apostle's Creed)に表明せられている「聖なる普遍の教会」の意であるカトリック教会(ecclesia catholicus)の信者の方々とともに鈴木勁介司祭、川辺事務局長、前山教会委員長等とともにちゃんこ鍋を頂きつつ有意義な霊的な交わりの一時を大庭の里原さんの名司会のもと過ごさせて頂きました。
藤沢2区の家田さんより小羊を担ぐイエス・キリスト像の由来、ノアの箱舟と古代オリエント神話との関連、パリ外国宣教会(Paris Mission)カンドウ(Candau)神父が、聖フランシスコ・ザビエル(St.Francisco Xavier)同様バスク人(Basque)であることを学びました。又藤沢2区の小野さんのすばらしい手品を心ゆくまで堪能することができました。
神様の摂理(Providence)により選ばれた民・信仰の神秘に思いを馳せました。信仰・希望・愛をもって生活している信徒を実感しました。さらに、1人1人に神様が与えられている才能(タラント)を深く感じました。どうか父・子・御霊の3つにして1つである三位一体(Trinity, 中南米のトリニダードTrinidadはスペイン語で三位一体の意)の神秘を享受します信者が共通の尊厳と働きの点で平等でありますように(第2バチカン公会議 教会憲章32)。
このたび新任されたロバート神父様のプロフィールをご紹介いたします。
お名前: Fr. Robert Ojulunn ロバート オジュルン
1975年生まれ 36歳、2004年司祭叙階、 ウガンダ、トロロ大司教区司祭
2010年9月来日、同年11月より藤沢教会にて英語ミサ担当
趣味はドライブ、目下国際免許取得を目指しています
日本語猛特訓中、みなさまのご協力よろしくお願いいたします
東日本大震災ドッグレスキュー本部(寒川)
―手をつなぎ共に復活する
辻堂2区 本多
我が愛犬の小柴の力丸の父親はチャンピオン犬だ。飼い主の柔道の先生宅から種付けのために宮城に長期間貸し出されていて、東北で製造した数百匹の力丸の兄弟犬と共に被災した。また漁船は板子一枚下は地獄と言われる。漁師は弱かったらやってられない。それで漁村や水争いのある農村では、昔から子供に心身鍛練に武道を習わせる親が多い。被災した地域も武道が盛んである。私(日本空手協会5段)の道友の先生達、私も呼び出し係をやった文科省認可の全国少年大会で活躍した小さい仲間達も被災した。震災の後、涙だけが出て言葉が無かった。私に出来る事は祈りと貧者の一灯の募金しかないと思っていた。
そんな時、所属する町内防犯活動の茅ケ崎わんわんパトロール隊より、隣町の寒川に代表達が決死の覚悟で救出に行った福島の原発20キロ圏内の犬も含む被災犬(猫)を保護している東日本大震災ドッグレスキュー本部(参HP)があり、我々も協力したいとの呼びかけがあった。「お前、お手伝いしろ!」との神様の声を聴いた気がした。私は、多くの物を失い先が見えない状況の避難所の被災者の愛犬を預かりお世話する事は、少しでも彼等と手をつなぐ事、共に生きる事、支える事、そして共に復活する事につながると思った。
5月の雨の日曜日、藤沢教会のミサに与ってから初めてボランティアに参加した。雨の中、支援物資のカッパを貰って、犬が散歩に出ている間に、3月に大工さんがボランティアで作った掘立小屋のシェルター内の犬舎の掃除・消毒・新聞紙敷き・餌の残し具合他の記録付けや食器洗いを、昼休み・3時の小休止を含めて4時間位した。秋田犬でも土佐闘犬でも格闘して世話してやる!と闘志を漲らせて完全武装で行ったのだが、最初から危ない事をさせられる訳ではなかった。避難所にいる飼い主の事を思えば愛犬家なら女性でも十分出来る仕事だった。ただ当初、恐怖の海を見た犬達、地獄の海を泳いだ犬達が普通の状態で無かった。戦場の様であった。犬達の脅えた目、吠える声が悲しみを訴えている様であった。体中に臭いが染み付く感じで犬好きでなければ出来ない。九州や愛知や静岡からも団体で借りてある宿舎に泊りがけで来てくれた女性達も犬の扱いが上手なので驚いた。お洒落なネイルアートの女性も流れる様に凶暴な犬も扱う。夏前には寄付されたクーラー付きの緑のプレハブシェルターも出来た。犬達も大分穏やかになった。近隣の家庭に一時預かりに出せる犬も増えた。シェルターで生まれた犬達の里親も募集している。
震災1年後の今、シェルターにいる二百数十頭や一時預かりに出した犬、飼い主のもとに帰った犬、里犬に出した犬も含めて約700頭のお世話をした。福島から埼玉に避難している家族が10カ月目に初めて面会に来た。もう会えないと思っていたかもしれない犬が喜んで喜んで家族一人一人の胸に頭を押し付ける。私は「またご家族と暮らしたいよな!」と声を掛けた。犬を抱きしめているご一家は皆「はい!」と答えられた。帰る時、小学1年生位の男の子が姿勢正しく直立して、大男の代表に「うちの子を宜しくお願いします」と言った。代表は「よし!まかしとき!」と力強く答えた。・・・と言っても、代表の過去も赤裸々に書いた著書『組長をカタギに変えた犬』のある代表夫人の郷里の沖縄の「ナンクルナイサ―(なんとかなるさ)」精神で始まった活動である。勿論、寄付もボランティアも大歓迎である。
俳 句
藤沢1区 藤田
朝明けて 晴れ渡る空 春の色 春風を 描くとすれば 何色で 天からの 恵みあふれる 春の朝 鶯の 初鳴き聴こゆ 朝まだき 天からの 福音聴こゆ 春の朝 |
ようやく春本番、この便りが皆さまに届くころには教会の庭はさくらで満開となっていることでしょう。お花見の合間にも信仰を深め、感性を高める下記2冊をご紹介いたします。 「自発教令 信仰の門―『信仰年』開催の告示」 「詞華集 日だまりに」
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Q 今年の信徒総会2月5日は日本26聖人殉教者の記念日でしたが、典礼は主日が優先するとの話がありました。その決まりを教えてください。
A 待降節で始まり「王であるキリスト」の主日で終わる典礼暦は第2バチカン公会議で、1年を通してキリストの救いのわざを想起して祝うという典礼暦本来の意味が再確認されました。同時に私たちを神に取り次いでくれる聖人の記念日の位置づけも見直されました。
先ずは毎週日曜日を主の日(主日)と呼び、主イエスの受難と復活と栄光を祈念し、神に感謝するために一つに集まらなければならないとして、キリスト信者にとって最も重要な根源の祝日であるとしました。公文書の一つ「典礼憲章」には「他の祭儀は、真にきわめて重要なものでない限り、主日に優先させてはならない」と記されていています。そして細則の「典礼暦年の一般原則」で祭日と主の祝日だけが主日に優先するとして聖週間の典礼を筆頭に典礼日の優先順位が規定されています。
さらに「キリストの神秘を1年の周期をもって祝う際、教会は、幸いな神の母マリアをも特別の愛をもって敬い、また、信者の信心のために、殉教者やその他の聖人を追憶する」として、聖母マリアと聖人の日をそれぞれの持つ重要性のいかんによって区別し、祭日・祝日・記念日と名付けました。記念日には義務のものと任意のものとがあり、普遍的で重要な意義をもつ聖人は全教会で祝い、その他の聖人はそれぞれゆかりの地方教会、国、修道会で祝うとしています。
たとえば3月19日聖ヨセフ、6月24日洗礼者聖ヨハネの誕生、8月15日聖母の被昇天などは祭日であり、10月28日当教会の守護聖人である聖シモン聖ユダ使徒は祝日、12月3日フランシスコ・ザビエル司祭は本来は義務ある記念日ですが、日本では「日本宣教の保護者」と命名され司牧上特別として祝日となっています。ご質問の日本26聖人殉教者は義務ある記念日となっていますが、今年は年間第5主日のため「カトリック教会のこよみ」には記載されていませんでした。ご自分の霊名の聖人の記念日がどのように決められているか、もう一度確認されてみてはいかがでしょうか。
長崎西坂の日本26聖人記念碑