藤沢カトリック教会

八 角 形 に ゅ ー す

2012年6月3日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

はじめまして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ロバート

教会委員会報告(5月19日)

北2ブロック壮年会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 矢部

鵠沼ブロック集会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 牧野

鎌倉巡礼と遠足・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 牧野

小グループ活動 ―湘南俳句会 

第五地区教会学校運動会

被災地福島を訪ねて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 笠島

がりらや便り

鈴木神父の川柳(続15)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・編集部 編

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ロバート神父はじめまして
司祭 ロバート

略 歴:
誕生日:1975年4月3日
叙  階:2004年7月3日
来  日:2010年9月6日

私は日本に来て最初の6ケ月間横浜教区貝塚教会のステファノ本柳神父のところに滞在し、その後1年間東京神学院へ移り、以来日本語の勉強を続けています。川崎に滞在しているとき、ラファエル梅村昌弘司教さまに山手の司教館に招かれ初めてお目にかかりました。そして見事な心に残る食事をいただきました。司教さまには心から感謝しています。私はその日を忘れることはないでしょう。本柳神父と貝塚教会の皆様、東京神学院のスタッフの皆様のご親切な対応にも感謝しています。2012年3月22日から藤沢教会に移り、鈴木神父様のもとでお世話になっています。

<日本での1年半の経験から>

  1. 14時間以上を飛行機の中で過ごして成田空港に着いたのは、午後6時45分でした。最初に大きなショックを受けたのは言葉の壁のせいでコミュニケーションがとれないことでした。誰も英語が分からないように思えたので、状況を理解し、次にどうすれば良いかを判断するために本能に頼らざるをえませんでした。空港の職員も同様に英語を理解することができませんでした。なんとか手続きを終了し、空港の出口にたどり着きました。そこで私を待っていてくださった本柳神父に会えたときには私の心は喜びで一杯になりました。
  2.   湿気:日本ではこの季節、夜も昼間と同じように暑く、汗をかきました。もうすぐ夏が終わると言われました。
  3. 摩天楼:日本のほとんどの都市には、マンションやデパート、そして高層建築があり、どうやって人はあれほど高い建物のてっぺんまで行くことができるのか私には想像もつきませんでした。
  4. 途切れることなく来る列車:5分か10分毎に通過する電車の動きをいつもじっと見続けていました。
  5. 優れた教会建築:日本の教会は全般的に小規模ですが、基本設備がよく工夫されています。しかし、日曜日に教会に集まる信徒は一握りほどです。藤沢は他の教会より多くの人が集まりますが、それでも私の国とは比べ物になりません。
  6. 食べ物:おいしいですが、とても高価です。
  7. トイレ:無料で、いつも、どこも清潔です。
  8. 水:空港や駅、公園などでは無料で安心して飲めます。
  9. 大震災:2011年3月11日、東日本大震災が起きたとき、私は貝塚教会の司祭館に一人でいました。すべての家や木々とともに地面全体が揺れました。すぐに電話が使えなくなり、スーパーマーケットやコンビニではトイレットペーパー、パン、懐中電灯、塩、野菜、牛乳などの生活必需品がすべてなくなりました。警察のパトロールカーが、私にはまったく理解できない日本語で注意を呼びかけながら走り回っていました。後になって、それは人々に生活必需品の毎日の使用についての注意を呼びかけていたものだと言われました。その後、計画停電が行われました。津波は所有物だけではなく多くの人々の命をも奪いました。津波は非常に恐ろしいものでしたが、最悪だったことは津波が東北地方の原子力施設に与えたダメージでした。大地震は私にとって大変辛い経験で、私は母国ウガンダに帰りたいと思ったほどでした。
  10. 友だち:私が日本語を話すことも理解することもできなければ、人が私のところには近づいて来ない、と私は思っていました。英語を知っている何人かの人と会話ができるようになるまで時間がかかりました。私は、まるで私が残忍な獰猛な人間でだから誰も近寄って来ないのだ、と思い、大きなギャップを感じました。しかしこれが世界の文化の多様性と豊かさの現れなのです。

<霊的活動>

私は2011年から川崎と藤沢のフィリピンコミュニティの英語ミサを捧げています。また横浜の山手教会(司教座聖堂)と末吉町教会でも英語ミサを捧げています。東京にいる間は用賀の清泉インターナショナルスクールで英語ミサを行っていました。時々は鹿島田、溝ノ口、中原、貝塚の各教会、そして東京神学院でシスター方のために日本語でミサを行いました。藤沢教会に任命された今は藤沢教会で毎週日曜日と週日5日間、湘南台センターで月に一度、また、週に一度聖心の布教姉妹会の支部で日本語のミサを捧げています。

<要約>

私は文化の違いによるギャップを乗り越えて、特に司牧的な分野で自分自身を表現できるように日本語を学び、祈っています。藤沢教会共同体の皆さんに、また私が日本語を勉強するのを手伝ってくださるボランティアの皆さんに感謝しています。日本は安全で、良いコミュニケーションができ、交通システムが発達しています。食産業はよく発達しており、どこへ行っても好きなように好きなものを食べることができます、私は日本で生活することが気にいっています。しかしながら、若者も高齢者も満足することを知らないようです。その心を満たすために霊的な指導者を必要としています。ある人は基本的なニード、友人や大金を持っているかもしれませんが、神さまからいただいた贈り物を楽しむ心の平安を持っていないかもしれません。だからこそ霊的な指導者が必要なのです。



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教会委員会報告(2012年5月19日)

<報告事項>

1. 堅信式延期

梅村司教が10月7日に新潟教会の100周年記念式典に出席するため、10月7日に予定されていた堅信式を12月2日(日)に延期する。受堅準備講座は延期期間中も継続させる

2. 湘南短期キリスト教セミナー

5月26日(土)に六甲教会片柳弘史神父を講師に招き開催。テーマ:「闇に光を〜マザーテレサの生涯に学ぶ」

3. 共同宣教司牧フォーラム

6月3日(日)開催予定。藤沢教会の将来ビジョンについて話し合いを持つ

4. 片瀬教会マリオ師金祝

6月24日(日)10時よりミサ。12時より祝賀会。招待状が主任司祭、教会委員長宛にきている。前山委員長出席予定。お世話になった方はどうぞ出席ください

5. その他

・ 5月29日ベトナムでのタム助祭の司祭叙階式に鈴木神父出席。鈴木神父は28日に出発し、31日に帰国予定
・ 8月12日(日)横浜教区の平和旬間ミサが藤沢教会を会場に行われる

<審議事項>

1.ガーディンパーティーについて

例年、8月初め頃に開催しているが、今年の開催について、開催の可否、時期などについて次回6月の教会委員会までに意見を集約したい。国際部は開催希望。例年有志で開催しており、日程は8月4日か5日あたりが有望。100名程度の参加見込み。

<ブロック・活動部>

(辻堂)(北2)連絡網を検討中

(北1・北2)5月20日にバザーティーム立ち上げ

(北1)6月2日に黙想会を聖心の布教姉妹会本部修道院で実施する。参加者は60名まで

(宣教)売店の売り上げが減少気味

(典礼)典礼の研修会開催の希望が多く、秋に開催を検討中

(国際・典礼)第5日曜日に英語ミサを行っていたが、その代わりに9:30のミサを全コミュニティーの集うミサとすることを検討中

(国際) 月に一回、日曜日に外国人コミュニティーで、屋外の清掃と草花の世話をする予定

(教育)
・ 5月20日(日)第5地区教会学校運動会
・ 6月10日に14名の初聖体

(福祉)
・ 南相馬の被災地支援の湘南地区連絡会を設立し、息の長い支援を目指す
・ ボランティアの交通費補助などを目的にファンドをつくりたい
・ 6月9日(土)10時30分からセンターホールで山口神父より福島の現状などを聞く会を開催

<その他>

2020年ビジョン アンケートの試行

前山委員長より、ビジョン検討の経緯について第2バチカン公会議、1987年第一回福音宣教全国会議および梅村司教教書に基づき検討してきたとの説明があった。その後、アンケートに回答し3グループに分かれて、小教区の姿を様々な角度からありのままに見るための質問について分かち合った



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北2ブロック壮年会
長後 矢部

4月28日(土)の午後、湘南台センターに70代以上ばかりの男子10名が集まり、交流を図りました。豪華な料理のうえに飲み物もたっぷりあり、いつもは言葉を交わしたことのない壮年たちが、沈黙の時を持つ暇もなくしゃべり続けました。センターを利用するのは女性が圧倒的に多いのですが、男性にもこんな力強さが潜んでいるのです。この成果はいつか花開くことでしょう。


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鵠沼ブロック集会報告
鵠沼3区 牧野

鵠沼ブロック集会5月20日(日)9時30分ミサ後、今年第1回目の鵠沼ブロック集会が行われました。ロバート神父様と以前藤沢教会で司牧の任にあたられ、たまたま米国から一時帰国されていたティム神父様の飛び入りご出席もいただき、合わせて45名ほどが参加されました。

今回は、前日開催された5月度教会委員会の報告、受洗・転入者紹介、物故者お知らせ、ブロック当番にあたる6月度のミサ当番割り当てなどの諸事連絡と、6月3日の共同宣教司牧フォーラムに向けての教会ビジョンに関する話し合いが主な議題でした。

教会ビジョンに関しては、すでに案として提示されている4つの基本方針に関連して、今できていること、改めて欲しいこと、こうあって欲しいことなどを話し合いました。開かれた教会へ、若い層を教会へ、高齢化問題、ブロックの問題点などについていろいろな意見が出されましたが、評論するだけでなく、先ず自ら具体的な一歩を踏み出すことが大切であるという意見が印象的でした。いただいた意見はまとめた上で共同宣教司牧フォーラムに反映させる予定です。

話し合いの後は、皆で昼食をいただきました。準備簡略化のため購入弁当とフルーツのメニューでしたが、歓談しながら楽しい時間を過ごすことができました。


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鎌倉巡礼と遠足
辻堂3区 牧野

「古都鎌倉の新緑を楽しみながらの巡礼と遠足」と題された北1ブロック恒例の「小さな巡礼の旅」に今回初めて参加させて頂いた。目的は、雪の下教会での「ミニ黙想会」と鎌倉近傍の転びキリシタンの遺構を尋ねることで、いつものように鵠沼ブロック高木氏のご案内を頂いた。当日の5月8日(火)は曇りで、時々雲間から太陽が顔を見せる日であった。私たちは9時に藤沢駅を発つ江ノ電に皆で乗り込み、一緒に鎌倉雪の下教会に向かった。他のルートから来られた方々とは教会で一緒になり、32名の参加となった。

雪の下教会では、藤沢教会から移籍されて1ヶ月のトゥ神父様のお話のあと黙想の時間を持った。神父様のお話は、信仰について改めて考えさせるものであった。

鎌倉巡礼と遠足5月はロザリオの月であるが、最近ではロザリオの信仰が薄れてきているのではないか。ロザリオを一環唱えることで、イエス様とマリア様の生涯がすべて黙想できるようになっているので、マリア様を通して信仰を深める大きなお恵みである。天の父は我々からは遠いので理解しがたいと思うこともある。しかし、マリア様は本当の「人間」であるので、親しみやすく、マリア様に願って信仰を強くすることが勧められる。神父様はいつもロザリオを離さない。

このあと、30分ほどの短い間であったが各自思い思いの場所で沈黙の時間を持ち、私もお話の意味を自分なりに思い巡らせた。昼食で準備を頂いていたのは、おいしい中華料理であった。食べながらの会話も弾み、楽しいひとときであった。残念なのはトゥ神父様が雪の下教会でのお仕事の都合から、ご一緒できなかったことであった。

昼食後は、転びキリシタンが葬られている寺々のうちから、日蓮宗本覚寺と浄土宗安養院に行った。予め雪の下教会で黙想会の後、鵠沼ブロックの高木様より「相模国鎌倉極楽寺村の転びキリシタンたち」という資料を用意して頂き、予備知識として説明を頂いていた。それによると、江戸時代キリシタン禁教令の最中、極楽寺村の転びキリシタンたちはこれらが檀那寺であり、埋葬されたことが分かっているが、身分が低くて埋葬の時に墓標として木の札が立てられれば良い方で、埋葬場所が分かるようなものは残されていない。従って、どこにあるのかは不明と言うことであった。

この日は薄曇りで、「遠足」を楽しむには絶好の日であった。両寺は雪の下教会から歩くのには適当な距離で、皆思い思い話しながら各人のペースでぶらぶらと遠足を楽しんだ。途中ツツジなどの春の花々も盛りで、目の保養にもなった。雪の下教会に戻り、トゥ神父様司式で聖体賛美式に参加したあと、神父様からのおいしいお茶とお菓子を頂き、解散した。

短い時間ではあったが、私にとっては近隣にあった昔の信徒の苦労を忍ぶことができ、改めてキリシタンの人々の思いを振り返った。私たちの平和な今をお恵みと感謝しつつ家路についた。ご準備頂いた北1ブロックの大泉様はじめ皆様にお礼申し上げます。


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小グループ活動
湘南俳句会 ―どなたでも参加歓迎―

「はじめに」 11年ほど前に辻堂ブロック集会で「趣味やカルチャーの活動でお互いの人間関係を親密にしたい」との声が挙がりました。その時、内嶋が「私は俳句の創作と指導なら担当出来る」と名乗りをあげ発足しました。そして毎月月例会を続けています。

「メンバーは」 初心者からベテランまで、20名近い会員がおります。信者や教会と関わりの深い人達の5〜6名が中心になり、俳句会や小旅行で作句活動と研究会を行っています。

「活動の内容は」 毎月第1土曜日に、信徒会館で例会を開きます。6句を提出し互選をして作品の批評をし合います。年に2回程度日帰りで近くの名所旧跡を訪れ、競詠と親睦会も行います。近くの教会で俳句グループがあれば合同行事も面白いと思います。初中級者のために、内嶋が指導をして易しく楽しく学ぶ勉強会も、毎月第4火曜日に開いています。一流のメンバーが指導に当たります。

「入会の規定など」 教会に出入りするマナーを守って頂けば、条件・制限は一切ありません。会費は、毎月会場費・資料代などの実費を頂くだけです。一般に比べ大変割安です。

「興味のある方は」 全くの初心者大歓迎です。信者のお世話係迄お申し出下さい。見学と一日のゲスト参加も出来ます。時間のない方のために「通信教室」もあります。資料や合同句集もあります。一部有償ですがお申し出下さい。  

「世話係」 

辻堂2区 桜井  ・・・ 湘南の海を歌ひて卒業す       

辻堂3区 内嶋  ・・・ 叱られて蹴散らしてゆく霜柱       

湘南台  森  ・・・ 信仰の埋火ほのと十字切る

※連絡先  内嶋



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第五地区教会学校運動会

第5地区教会学校運動会2年 理久翔

パンくいきょうそうで、3位にゴールしました。パンがとてもおいしかったです。リングリレーで2回、3位でした。くやしかったです。全いんリレーで2回やって1回目が2位で2回目は1位でした。むらさきが160点、1位は赤組で180点でくやしかったす。



第5地区教会学校運動会5年 彩香

今日、2年生の友達といっしょに教会の運動会へ行った。最初はごミサをして、次にチームにわかれた。私とお友達はむらさきチームだった。チームにわかれた後、競ぎをはじめた。 一番おもしろかったのは、むかで競争とリレーだ。むかで競争は練習をしていないままやったので、心配だった。最初は息があわなかったけれど、いっぱいやるにつれて 息があってきた。結果は、みごと1位! リレーは自信があった。私は5番目に走った。とうとう順番がきたときは2位だったが、走っていくにつれて、差をちぢめられて、次の人にバトンをパスするときには、1位だったので、(やったー)と思った。結果はなんと1位! 総合結果は2位だったが、1位だったかのように喜んだ。楽しかった。


第5地区教会学校運動会3年 春輝

日曜学校のうん動会に行った。まずみんなで体そうしてから、パン食いきょう走をした。春きはビリから二番目だった。パンが口でなかなかとれなくてむずかしかった。 おべん当を食べたしょうたからからあげをもらった。しゅうへいは、もっとスイカや、ぶどうをもらった。 午後に、つな引きをやって、一番まけた。つぎにリングリレーをやった。さい後は、リレーで、とても楽しかった。しゅうへいが、まちがって一しゅう走ってしまった。春きも一しゅう走りたかった。 思ったよりも楽しい一日でよかった。来年もうん動会に行きたい。 第5地区教会学校運動会



 

 

 

 

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被災地福島を訪ねて
湘南台 笠島

被災地福島を訪ねて5月15日、16日の2日間「卒原発を考える会」のグループの方々が計画してくださったバスツアーに参加いたしました。以前、娘たちや孫などが東北のボランティアに参加し、私も一度だけでも現地に行きたいと思いましたが、なにしろ昭和一けた生まれではボランティアをするどころか、皆様の足手まといになるだけと、あきらめておりました。今回、良い機会を与えてくださり感謝しております。

15日朝、7:30に藤沢を出発、16日夜、大体定刻の21:10に藤沢に戻りました。帰りのバスの窓から見たお台場の眼を見張るばかりの華やかなイルミネーションと、数時間前に見た被災地の悲しく寂しい風景が重なり、私たちの祖国、日本でこのような莫大な電気エネルギーの正しい使い方を導く立派な政治家がいないのか、確かに日本は精神的に貧しい国なのか、いろいろ考えさせられたバスツアーでした。

旅の1日目は、東海第二原発をバスから遠望、昼食はスパリゾート・ハワイアンズで食べたのですが、フラガールのダンスを見る時間がなく、愛育園に直行しました。福島出身の素晴らしい女性であった瓜生岩子氏が明治26年に創立なさった児童養護施設です。この施設全域に高い放射線量検出が続き、屋外の遊びが制限されていることから、今年の夏は藤沢でのびのびと外で遊べるようにとの計画があり、藤沢教会でもボーイスカウト、ガールスカウトなどの方々も協力しての計画だと伺いました。その後、飯坂温泉で1泊、夜中に地震もあった1日でした。

翌日は、前日の雨もあがり、いよいよ飯館村に向かいました。皆様ご存知のように、飯館村は放射能の汚染がひどく、途中道路工事で作業中の方々は全員防禦服、防毒マスクのようなものをつけておられました。無人の村落の中をしばらく行った所に、飯館村で一人踏みとどまって汚染された馬や牛を保護しておられる細川さんのお宅があり、ここでバスを降りました。放射線量計器は8マイクロシーベルトを示しているとのことでした。もっとも前日、二本松を過ぎる辺りから0.3マイクロシーベルト以上あり、係りの方が持参した放射線計量器はバスの中でも鳴りっぱなしの感がありました。

細川さんは缶コーヒーやら熊本産のオレンジなどを用意してくださっていましたが、この方の立派なお家の隣に馬小屋と牛小屋がありました。動物好きの私は、先ず馬小屋に行きました。すごく大きな馬で私がそばにいったら首を伸ばしてきたので、撫でてやりましたら、もっと首を伸ばして私のジャンパーをもぐもぐするのです。岡村さんも傍にいらして二人でしばらく馬の傍にいました。とてもきれいな大きい眼の馬で、なにか言いたげな様子があわれでした。もちろん汚染されている馬です。人手も足りないから当然のことなのでしょうが、脇腹には藁くずや糞が附いていて、時間があって経験があるなら洗ってあげたいなあと出来もしないことを考えました。人だけでなく動物も人恋しがっているのだとのことでした。

細川さんはこの他にもご自分の馬や牛、そして殺すに忍びないという方たちの馬や牛をも預かっている牧場があるとのことです。細川さんのお宅には彼の友人、星さんも私たちを待っていて下さいました。お二人のお話では、飯館村では震災の後住み慣れた家を離れ、仮設住宅に住んでいても仕事もなく、希望もなく、自殺なさった方も多く、細川さんの娘さんも自殺をはかり、発見が早かったので一命を取り留めたとのこと、また男性はアルコール依存症になったり、女性はバーなどで働く人も多いと聞きました。また、細川さんの家は他県から汚染されていない土をトラック何十台もいれて、ご自分の家の周りを除染したけれど、偉い先生が「そんなことをしても2,3ヶ月したら、モトノモクアミだ」といわれたが、その通りだったと話しておられました。

次は、南相馬に向かうのですが、この南相馬の避難区域に奥様と二人きりで住んでおられるのが、細川さんの友人の星さんです。お二人は私たちのバスに同乗してくださり、いろいろ説明して下さいました。無人となった白石小学校、立派な構えの農家、洒落た新築の家、どこもかしこも無人です。家と家の間には広い田んぼが、見捨てられてタンポポや雑草が一面に生え、もはや農作業が不可能であることをまざまざと感じさせられました。ですが、新緑の木々、空き家となった家々の庭にはピンクや白の美しい花木、直ぐ裏には野藤やウツギの花が満開で、自然の美しさがいっそう人気のない寂しさ、虚しさを訴えているようでした。星さんのお宅には時間がなくてお寄りしませんでしたが、千坪もある敷地の立派な家に老夫婦お二人で住んでおられ、お正月にはすっかり除染をしてお孫さんたち大勢に来てもらうつもりだったが、それも叶わなかったとのことでした。

バスは南相馬市の市街地に入りお二人とはお別れし、やっと人々の姿のある町に来て、原町教会に入りました。美しい聖堂で小さなパイプオルガンがあり、信徒の方の伴奏で私たちがバスの中で練習した「希望の灯り」の歌を信徒の方々と共に歌いました。仙台教区では司教様のご意向で、カテドラルも方々壊れているが、それは後回しにして、先ずは小さい教会の建て直しから、ということで、原町教会の修復は終わっていました。原町教会は、震災前は巡回教会だったところが現在は神父様がいらっしゃるようになり、ちょうど1週間前に新任の神父様が名古屋教区からお見えになったとのことで、私たちが着いたときは前任、新任のお二人の神父様がいらっしゃいました。
被災地福島を訪ねて

神父様のお話の後、南相馬でクリーニング店を営まれ、商工会議所の仕事もしておられる高橋美加子さんが、涙を浮かべながら話し始められました。「人間が処理できないゴミを出すエネルギーに頼って生活するのは悪だ、しかし私たちは、そして若い人たちは、志(こころざし)を持っています。この志をもって、新しいものに向かって前を向いています。真の意味での復活を目指しています。頑張ろう、昔の生活を取り戻そう、などとは言いません。」何度か涙を拭いながらのお話に、私はついさっき見た飯館村の見捨てられた農地、自然、またそこにあるご自分たちの家を後にして、長屋のような仮設住宅に住んでおられる方々を思い、涙なしではいられませんでした。

次に教会委員長のお話で、南相馬から避難されている信徒の方々も多いこと、子供たちのこと、日曜日のミサには現在、10名前後の方々しかミサには来られないなどと原町教会の現状を話されました。小さい教会での心温まる助け合いがあるのではないかと想像しながら、暖かい気持ちになりました。信徒の方のご案内で美味しい昼食をいただき、相馬野馬追いの小さな博物館も急いで見学し、最後の訪問先、介護老人保健施設、ヨッシーランドの津波跡を神父様のご案内で見学しました。17メートルもの津波に襲われたとのことでしたが、津波の泥水の後が白い壁にそのまま残っていました。36名の方々が亡くなられたとのことで、恐ろしい津波の力をまざまざと感じさせるところでした。建物の中にある小さな机の上に、いろいろのお供え物や花束などがありました。神父様がそこにマリア様のおメダイを置いておいたのだが、しばらくしたら無くなってしまっていたとのこと、寂しい思いをしながら、ツアーを計画してくださった人たちが用意して持ってこられた篭に入った鶴の折り紙をお供えし、皆で亡くなられた方々へのご冥福の祈りを捧げました。 海からは2キロメートル弱離れていて、津波の来る前は畑や市街地がずっと海まで続いていたところだったそうですが、今は全く何もありません。ただ、茫漠たる平地、その向こうにかすかに海が見えました。青い海です。私は昨年震災のニュースで一瞬見た津波を思い出していました。上に白い波頭、その下に実に美しい青い緑色の海水が壁のようにそそり立って見えたその瞬間、波が人家の上に崩れ落ち、たちまちにして美しかった海の水は、瓦礫、家々、人々を飲み込み、巻き込んで、泥水と化し、恐ろしい速さで陸地をゴーっと走って行った画面でした。このヨッシーランドでも同じようなことが起きたのでしょう。その海を前にして、私は、聖霊の続唱で歌われる「受けた痛手を癒す方」が来られることを心から祈ること以外何も出来ない自分を見つめていました。



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がりらや便り

朝晩まだ肌寒さを感じる気候が続いているうちに梅雨入りの季節に入ろうとしています。今月は新刊の入荷が多く、とくに案内を依頼されている書籍を紹介いたします。他にカトリック中央協議会から出版されている前教皇、現教皇の回勅、講話集なども揃えています。

「典礼と秘跡のハンドブックU」
具正謨 著 教友社 1,575円 A5版 208頁

「典礼と秘跡のハンドブックV」
1,680円 A5版 222頁

3年前に「第二バチカン公会議の説く豊かな典礼を目指して典礼奉仕者が知っておきたい基礎知識」として出版された続本です。第U部は洗礼・堅信・ゆるし・結婚・病者の塗油の5つの秘跡を取り上げ、第V部は聖書における指導者像からはじめ、古代教会から第二バチカン公会議に至るまでの2000年にわたる「叙階の秘跡」の神学的な変遷を詳述しています。著者は韓国生まれのイエズス会司祭、2002年からの10年間に書かれた論文・記事・講演集として「論集 典礼と秘跡」も入荷しています。


「こころを病む人と生きる教会」 
英 驤齪N・井貫正彦 編 オリエンス宗教研究所 1,470円 B6版 232 頁

神の愛といやしの場である教会が、心を病んだ人とどうかかわるか――精神科医・カウンセラー・宗教者らが、医学と宗教の両面から分かりやすく解説しています。





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鈴木神父の川柳(続15)
編集部編

今回はB年その2です。( )内は鈴木神父の注記です。

2012年

2/5
つらくともなぜか集まる教会に
(年間第5主日)「マルコ1:29−30」
(苦しみの神秘は絶望に終らず希望を見い出す力があることでしょう)

2/12
主導権 取らせて握る神のわざ
(年間第6主日)「マルコ1:40−45」
(後の先ともいうが 相手に委せて善いものを引き出すのは
信仰を生きる道でもある)

2/19
君だって片目つぶれば神に似て
(年間第7主日)「マルコ2:1−12」
(屋根をはがした人々をせめずに 
その信仰を見るのが神の眼であるらしい)

2/26
近づいてほしくないような神の国
(四旬節第1主日)「マルコ1:12−15」
(神の国の完成は喜ばしいことだが 死を連想させる)

3/4
論じてもわからないものこそ大事
(四旬節第2主日)「マルコ9:2−10」
(復活させる神の恵みの力強さこそ頼り
アブラハムの献げもののできごと
ひとり子を十字架にささげた父なる神のわざから
何か感じとれるだろうか)

3/11
わが神よ ああわが神よ わが神よ
(四旬節第3主日)「ヨハネ2:13−25」
(神の恵みがなければ何も始まらない)

3/18
何事も信じられなきゃ始まらない
(四旬節第4主日)「ヨハネ3:14−21」
(神の愛を信じられるとき救いがあることがわかる)

3/25
一粒の麦の訴え聞こえるか
(四旬節第5主日)「ヨハネ12:20−33」
(犠牲がはらわれたとき新しい生命が生まれる)

4/1
勘違い ああ勘違い 勘違い
(受難の主日)「マルコ15:1−39」
(神様の思いをユダヤ人ばかりでなく
あなたも私も勘違いしていることが多いのに気づかない)

4/8
人生は聖なる三日の繰り返し
(復活の主日)「ヨハネ20:1−9」
(日々死んで日々生きる
さまざまな死と復活をくり返し永遠の生命に至る)

4/15
さて俺はいつから信じているのだろう
(復活節第2主日)「ヨハネ20:19−31」
(復活を信じられるようになるのは不思議な恵みで
いつの間にかという気がする)

4/22
わかろうとしなけりゃわかる聖書かな
(復活節第3主日)「ルカ24:35−48」
(イエスがわたしたちの心の眼を開いてくれないと聖書はわからない)

4/29
救われた思いがなけりゃそれなりに
(復活節第4主日)「ヨハネ10:11−18」
(救われた思いがなければ御父を知っているとは言いにくい
あまりそんな思いがなくても
この道を歩ませていただけるのは不思議)



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