藤沢カトリック教会

八 角 形 に ゅ ー す

2012年11月26日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

「信仰年」の開始を受けて ―信仰を伝える力が育つために―・・・・大船教会 主任司祭 久我

教会委員会報告(10月27日)

10月度3部門連続講座報告 「ミサの中に見えるキリストの現存」・・・・・・・・・・・宣教部 牧野

私の国の聖体拝領―9月30日 国際ミサ教話より―・・・・・・・・・・ラ・ティノスコミュニティー 田中

希望の灯 ―バザーを振り返って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー委員長 矢部

東北復興応援アフターバザーコンサート・・・・・・・・・・・・・・・・アフターバザーコンサート担当チーム

第45回横浜教区一粒会大会 ―神様ありがとう 再宣教150周年―・・・・・・・・一粒会 鈴木

東北ボランティア活動サポートチーム報告

藤沢教会の皆様へ

カンボジア報告(7月29日)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・JLMM(日本カトリック信徒宣教者会) 篠田

カトリック伝道士になった浦賀奉行所同心・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木

小グループ活動 湘南台センター聖書の分ち合い水曜グループ

がりらや便り

12月号原稿募集

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「信仰年」の開始を受けて  ―信仰を伝える力が育つために― 
大船教会 主任司祭 久我

信仰年10月11日「信仰年」が始まりました。この大切な年の始まりに当たり、日本の司教団はそのメッセージの中で信仰年の意味を「カトリック教会の信仰の遺産を保持した上で、新しい時代への適応を打ち出した第二バチカン公会議の教えをどのように実践しているかを振り返り、これからの歩みを整え『カトリック教会のカテキズム』を学び、その内容を確認した上で信仰生活を刷新すること」と記しています。この信仰年の開催に先立ち昨年、教皇ベネディクト十六世ご自身が自発教令『信仰の門』を出しておられます。とても示唆に富んだものなので、その冒頭の言葉を引用しておきます。

「『信仰の門』はつねにわたしたちに開かれています。それはわたしたちを神との交わりの生活へと促し、神の教会へと導き入れてくれます。神のことばがのべ伝えられ、わたしたちを造り変える恵みによって心が形づくられるとき、わたしたちはこの門を通ることができます。この門に入るとは、生涯にわたって続く旅に出発することです。この旅は洗礼によって神を父と呼ぶことができるようになるからです。そして、旅は死から永遠のいのちに過ぎ越すことによって、終わります。永遠のいのちは主イエスの死と復活がもたらしたものです。」(『信仰の門』1)

教皇様のこの提案は、突然生まれたものではなく、第二バチカン公会議以来歴代の教皇が育てられ、要職を歴任された現教皇が、多くの著作を通して系統的に述べられて来た道筋の上に生まれたものです。

信仰が述べ伝えられるためには、まず、みことばが聴かれ、受け取られ、生きられる必要があります。この4月に邦訳された『主のことば』(現教皇による使徒的勧告)の中で、現教皇がたびたび触れられる<新しい福音宣教>について次のように述べられています。

「それゆえ、現代のわたしたちは、ますます新たに神のことばを聞き、新しい福音宣教をおこなわなければなりません。」(前掲書122)

この主張は、「典礼行事にとって、聖書はもっとも重要なものである。聖書から朗読が行われ、これが説教によって説明される。聖書から詩編が歌われ、聖書の息吹と感動から典礼の祈りや祈願や聖歌が湧き出し、また行為としるしが聖書からその意義を受けるのである。したがって、聖なる典礼の刷新、進歩、順応を推進するには、・ ・ 聖書に親しむいきいきとした心を養う必要がある。」(典礼憲章24)また「聖書研究はあたかも神学の魂のようなものでなければならない。ことばの奉仕も、すなわち、司牧的説教、教理教育、各種のキリスト教的教育、この中で特別の地位を占める典礼中の説教は、聖書のことばから、健全な栄養と聖なる活力を与えられる。」(神の啓示に関する憲章24)という第二バチカン公会議の大切な教えの忠実な継承とみることができます。

信仰年このように、教皇様は、第二バチカン公会議のラインを着実に推し進めておられます。『主のことば』(74)では、さらに具体的に、1997年に改訂された『カテケージス一般指針』にふれ、「『カテケージス一般指針』は、聖書から霊感を受けた信仰教育に関する優れた指示を与えます。すでにわたしはこの指針に従うように勧めました」と述べておられます。

この指針では、すべてのカテケージス(信仰の養成)が、神のことばを信仰の源泉とし、復活徹夜祭を中心とした典礼暦年にそって、人間の成長段階に配慮しながら人間としての円熟を目指して、信仰共同体の中で行われるように勧めています(『カテケージス一般指針』91,94,171,220)。

藤沢教会のキリスト教講座は、それぞれこのラインにそって行われるように配慮されているようにお見受けします。「この門に入るとは、生涯にわたって続く旅に出発することです」(『信仰の門』1)という教皇様の呼びかけに応えて多くの方々が講座に参加され、生涯にわたって続く人生の旅を続けられるよう願っています。

日本の教会における「信仰年」の過ごし方、また課題は、司教団のメッセージにより詳しく述べられていますので、参考にしていただければ幸いです。

(今後機会を見て近隣教会のメッセージも紹介する予定です)



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教会委員会報告(2012年10月27日)

<行事関連事項>

1. 天主堂献堂150周年記念ミサ・講演会

203名の申込みがありました。少し余裕をみて210名で申し込んであります。まだ入場票と弁当の引換券がとどいていない。日程に余裕がないので各ブロック・国際部と事務所は申込者への配布の協力をお願いします

2. 研修会参加募集(入門講座ヘルパー養成コース、宿泊交流会)

共同宣教司牧サポートチーム神奈川よりお誘いのあった、聖書とともに信仰を分かち合「宿泊交流会」の参加希望者はありません。「入門講座ヘルパー養成コース」への参加者を宣教部を通して募集している。現在数名の方に、参加するだけでなく参加後に講座のヘルパーとして協力できるかの意思確認中です

3. 2012年度信徒総会の日程について

2013年2月10日(日)に予定。委員会メンバーは任期2年でお願いしてありますから、このメンバーで準備をお願いしたい

<審議事項>

1. 梅村司教様の小教区訪問

公式訪問は各小教区からの希望を調整して日程が可能ならいらしていただけるが、12月2日の「堅信式」そして来年2月17日に藤沢教会を会場に行われる「横浜教区合同入信志願式」にもいらしてくださるので、2013年は特別に公式訪問依頼はしないこととなった

2. ミサ前後の物品販売ルールについて

毎週物品の販売が行われている現状と2003年に作成されたルールの経緯の説明があり、物品・チケット販売についての見直しをした。ルールとしての「第2・第3日曜日に限る」を残しつつ、生鮮食品などの不定期は事務所に申し込むこととなった。何のためか目的をはっきりわかるように表示してください

<ブロック・活動部>

(鵠沼)9月16日(日)にブロック集会をした。後半はコンサートを聴き良い時間を持った

(藤沢)来月は当番地区にあたっているので、10月28日にブロック集会をする。行事として11月11日に七・五・三祝福式と11月8日・9日に障子の張り替えをする。障子は全張り替えをしますので皆様の協力をお願いします

(辻堂)メーリングリストで連絡網を流し始めた。メール以外の人にうまく伝わらないなど問題もあるが今後改善していく

(北1)10月28日に東北復興応援アフターバザーコンサートをします。コンサートは「鵠沼海岸チャンネル」でインターネットから放送される。バザーの純収益は集計途中で200万、これからアフターバザーなどの収益が加算される

(北2)バザーへの協力を感謝します。大きな事故もなく無事に終わりました。11月4日のブロック集会は北1・2合同の予定でしたが北2のみで行う

(宣教)
・ 入門講座3グループと短期講座2グループを開催中。現在入門講座ヘルパー養成コース受講者を募集中、締め切りは11月18日(日)
・ 売店もバザーの日は盛況でマリア像や十字架などが外国信徒によく売れた
・ 12月8日(土)に藤沢教会で、市内キリスト教連絡会主催の第40回市民クリスマス「今、手と手をとりあって―祈りと共に―」が開催される。11月17日(土)17時から藤沢教会で全体打ち合わせがある
・ 9月22日(土、秋分の日)の一粒会大会にはタム神父と子供2名、大人23名が参加した
・ 11月23日(金、勤労感謝の日)日本カトリック神学院でザビエル祭がある。第5地区一粒会でバスを用意する。藤沢出発07:30、帰着17:00の予定。大人2500円、子供1000円。 詳細は鈴木さんまで
・ 堅信準備講座の受講者は、日本人30名、ベトナム人15名、フィリピン人15名、ペルー人1名で熱心に準備中です。保護者の勉強会も開いている。保護者の半数くらいが参加、特に外国人の保護者が熱心に参加している
・ 11月に4回コースで結婚講座を藤沢教会を会場に開催する
・ 10月28日(日)から幼児洗礼の申し込みを受け付ける。洗礼式は12月23日(日)を予定している

(典礼)
・ 10月28日(日)は藤沢教会の守護聖人、聖シモン・聖ユダのお祝い日です。子供と家族のミサで説教・共同祈願と子供たちが霊的花束の奉納をする。また昨年と同じようにパネルを用意する。ミサ後、簡単なお茶とお菓子でお祝いをしたい
・ 11月11日(日)小教区内三部門連続講座で「葬儀フォーラム」を行う。12月に予定していた連続講座は子供の共同回心式と重なったため会場の都合で11月25日(日・王たるキリストの祭日)に変更する
・ 堅信式の日の聖歌について、国際部から希望があればだして欲しい

(教育)
・ 11月11日(日)にボーイスカウト入団式・上進式
・ 11月24日(土)横浜未来館への遠足と天主堂献堂150周年記念ミサに参加
・ 12月24日(月)子供と家族のミサ後のサンタさんのプレゼントの目的や範囲はどこまでか関係者の中で話し合う

(福祉)
・ 11月に開催予定だった救急救命コースは調整がつかなかった。来年、2月9日か2月16日に予定したい
・ 個人情報、プライバシーの問題もあるが、高齢一人暮らしの方の見守りに各ブロックと協力して取り組みたい。意見があれば福祉部に提案してほしい
・ 12月9日(日)に福祉バザーを開催する

(国際部)
・ 国際ミサをとても喜んでいる。次の国際ミサの準備をしている
・ 12月2日(日)堅信式の後の司教様との懇談会・会食について準備を進めている
・ 11月25日〜12月3日まで秋元国際部長はフィリピンで行われる移住者の国際会議に教会から派遣される



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10月度3部門連続講座報告 「ミサの中に見えるキリストの現存」
宣教部 牧野

10月度の3部門連続講座は「祈る力を育てる部門」として典礼部の浮田久之さんを講師に迎えて、10月14日(日)9時30分ミサ後、聖堂で開催されました。タイトルは「ミサの中に見えるキリストの現存」で、日頃、漫然とミサに与っている小生にはまことに意義深いお話でした。

浮田さんは、「ミサの内容は知っているようで知らないことが多い。そもそもミサは形骸化した儀式ではなく、ライブで行われる最後の晩餐であり、キリストは今そこに私たちと共におられる」ということから話に入り、ミサ典礼の流れとおのおのの箇所での意識のポイントが以下のとおり解説されました。 「入祭の歌は現存するキリストを迎える嬉しさで歌う。あわれみの賛歌は会衆と一緒におられるキリストに向けて歌われる。ことばの典礼で朗読者と司祭を通して語られるのは聖霊・神ご自身である。福音は現存するキリストが語られる。その言葉を歓迎し、喜びを表すのがアレルヤ唱である。朗読は『聖霊の言葉』を聞くのであるから、そのとき『聖書と典礼』を読むのはふさわしいことではない。聖霊の言葉を全身全霊をもって受け止めるべきである。感謝の典礼は、最後の晩餐の流れに従って整えられ、パンと葡萄酒の生贄が現存化される。キリストが生贄として祭壇に上られるとき、喜びの歌、感謝の賛歌が歌われる。聖変化はミサの中心であり、司祭の聖別の言葉でキリストが現存される。記念唱ではキリストの死と復活の栄光が称えられるが、キリストは今ここに現存しているのであって、過去のできごとではない。交わりの儀で聖体拝領の後、閉祭に移るが、ここで司祭は『主は皆さんとともに』と改めて主の現存を宣言する。そして我々は、いただいた恵みを日常生活に生かすために派遣されていく。このように、ミサでは主キリストが我々の真ん中にライブでおられるという意識が大切である。また、ミサは聖霊降臨でもあり、ミサ中は我々の上に聖霊が降り注いでいる。我々はキリストの身体を自らの身体の中に入れて、宣教に派遣されるのである。日常生活でキリスト者としてふさわしい態度で暮らすことがそのまま宣教につながる。」

お話の後、4グループに分かれて分かち合いを行いました。受洗時期がバチカン公会議の前後で典礼に対する意識が異なるようでしたが、ミサを例にとって説明されたとおり、秘跡と典礼はキリストの現存を体験することを助ける手段であるという本日のお話は誰にとっても目を開かされたものでした。

本日は事前告知が十分でなかったことやバザー準備などの行事と重なり参加者が少なかったですが、原則として毎月第2日曜日の9時30分ミサ後に3部門連続講座を開きますので、奮ってご参加いただくようお願いいたします。来月は11月11日(日)に葬儀関連の講座を予定しています。


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私の国の聖体拝領 ―9月30日 国際ミサ教話より―
ラティノスコミュニティー 田中

南米コミュニティーでは聖体拝領をする人が少ない、と日本人共同体の多くの皆さんが驚かれます。理由は簡単で、ご聖体を頂く準備が出来ていないと感じているからです。たとえば、午前中のミサの場合、早く起きて拝領の1時間前までに朝食をすますことが出来なかった、ミサに遅れて来た、誰かと口論し腹をたてた、でも回心の秘跡を受けていない、など人それぞれ理由は様々です。

この教会に来るようになって何年にもなりますが日本人共同体からのこの様なコメントを耳にしたのはつい最近のことです。またその理由をきいて驚かれることもあります。ですから、私はこうした小さな事でも皆様と分かち合うのは良い事ではないかと思いました。普段ミサの中で分かち合うことはありませんし、また多勢の人の前で話すのは苦手な人もいるでしょう。でも他のコミュニティーの習慣などを深く理解できるすばらしい機会になると思います。私たちの共同体が更に成長する様、これからも分かち合ってゆきましょう。

La Eucaristia en mi Pais

Se que a muchos en la comunidad japonesa, les causara asombro, al ver que son muy pocos los mienbros de la comunidad extranjera que en el momento de la comunion, se acercan a recibir la eucaristia, pues la respuesta es sencilla, no nos sentimos preparados para compartir este momento tan especial; cada persona tiene un motivo especial, por ejemplo, si la misa es en horas de la manana y no nos dio tiempo de levantarnos temprano y no ha pasado una hora entre el desayuno y el momento de la eucaristia, preferimos abstenernos de comulgar, lo mismo sucede cuando sentimos fastidio porque ya estamos sobre la hora y se nos hace un poco tarde, o porque simplemente tuvimos alguna discusion y nos sentimos irritados, es por esta razon, que si nos da tiempo de confesarnos, decidimos abstenernos.

Llevo muchos anos frecuentando esta iglesia , sin embargo hace solo menos de un mes que pude escuchar de algunos miembros de la comunidad japonesa, el asombro porque los extranjeros no compartimos este momento, igual de asombrados quedaron al oir nuestras razones.

Despues de esto pense que seria una buena idea compartir esta pequena experiencia con todos ustedes.

Durante la celebracion de la misa tampoco tenemos este momento para expresar ideas o compartir experiencias, y se que a muchos no les gusta la idea de salir adelante y hablar frente al publico, pero creo que es una oportunidad muy grande para todos de poder conocer mas sobre las costumbres de otras comunidades, es por eso que hago un llamado a todos seguir colaborando para que nustra comunidad catolica siga creciendo.

Muchas gracias.


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希望の灯 ― バザーを振り返って
バザー委員長 矢部

希望の灯今年10月21日(日)のバザーには「希望の灯」がテーマに選ばれました。ミサではこの歌が閉祭の歌として私たちの心を高揚させてくれました。これは東日本大震災の被災者たちを励ます大きな祈りになったと思います。今回の収益は、被災者の支援と、地元福祉団体の支援、そして私たちの教会が少しでも安全で居心地よい場になるよう願って、営繕のために使われます。時節柄「堅い財布のヒモ」をできるだけ緩めていただくことも、隠された課題でした。

おかげさまでたくさんの品が寄せられ、多くの方が訪れました。ご協力に感謝します。正門入り口に昇り旗を立ててがんばった東日本支援コーナーは完売に近い成果を上げました。日用品の売り場も好評だったようです。国際村も活発で、ベトナムのホーを食べる姿がたくさん見受けられました。本部には、ビンゴゲーム券について尋ねる子連れの母親がずいぶんやってきました。喫茶ぶどうの木は狭いながらも、心身を休めるのに最適な、落ち着いた雰囲気の空間を提供してくれました。

今回のバザーは長年の経験で培ったベテラン、自称「若くない」方たちが中心になってスムーズな運営を支えてくれました。クスリをのみながら、あるいは病院に通いながら、体にむち打ちつつ活動されている方も多々見受けられました。しかし、バザーのベテランに限らず、販売、料理、設営等々で協力してくださった方たちの、一見小さいような、目立たない協力も大きな支えであり、小さな笑顔でさえも励みでした。

当初は、そんな大人たちのパワーが若者を追い出してしまうのではないかと恐れたのですが、それは思い過ごしでした。初めての試みであった写真展に応募してくれた子供たち、ありがとう。韓国料理のチジミを売る少年が走り回っていました。かわいいガールスカウトたちがマイクを握り、聖堂前で声を張り上げてお菓子を売っていましたね。来年はマイクを独占しましょう。中高生たちも、マイクに向かって恥ずかしそうに喫茶の宣伝をしました。バザーの打ち上げ会をしている席に、たくさんの中高生たちが突然現れましたが、これは出席者みんなの感動を誘いました。いつの日か若い世代が、自称「若くない」世代に取って代わることを願っています。

藤沢16団 ボーイ隊 真理恵

今年、ボーイスカウトは、「ピザ」と「焼き芋」を販売しました。朝早くからかまどから立ち上る煙と買って下さった方々の口コミのおかげか、順調な売れ行きでした。「ピザ」はドラム缶の周りを泥で固め、その中で手作りの生地を焼きました。一人で何枚も買って下さる方、「予約ね!」と注文して下さる方もいらっしゃいました。私達がトッピングしたピザが焼き上がるのが間に合わないくらい、お客さんが並んでしまった時は少し焦りました。一方の「焼き芋」も「たちかまど」という手作りのかまどで焼きました。新聞紙とホイルで包んだサツマイモをじっくり焼いていきます。早々に完売してしまい、「食べそびれた。残念!食べたかった〜。」という声も聞こえて、朝早くからずっと立ち仕事は大変だったけれど、リーダーと一緒に頑張ってよかったなと思いました。来年も、ボーイスカウトならではのやり方でみなさんに喜んでもらえる品物を販売したいと思います。

ガールスカウト105団  京香

教会バザーは、いろいろなものを買ったり、ブラウニーを売ったりして楽しかったです。

買い物した中で1番楽しかったのは魚つりです。なかにはシールやおもちゃが入っているからとてもうれしいです。もちろんブラウニーを売るのも楽しかったです。いろいろな人に声をかけて「ブラウニーはいかがですか」と言うのが楽しかったです。


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東北復興応援アフターバザーコンサート
アフターバザーコンサート担当チーム

希望の灯「2012年バザー」皆様方、本当に沢山のご協力ありがとうございました。タイトルを「希望の灯」とし、東北復興応援に心をこめました。

今日(10月28日)はカトリック藤沢教会の守護の聖人、聖ユダ、聖シモンの祝日にあたります。この日に私たちが、アフターバザーの催しとしてこのチャリティコンサートを企画し、フルート奏者の吉川久子さんのご協力を頂けましたことに心から感謝申し上げます。

吉川久子さんは、生命と深い関係を持つ「母の声」のフルート奏者としてクラシックの曲は勿論の事、ポピュラー、映画音楽、日本の抒情曲、子守歌、ボサノバ、タンゴなどのジャンルにとらわれない演奏家でいらっしゃいます。「マタニティーコンサート」の草分けとして知られ、そのコンサートは1200回以上を数え、20万人を超える方々の心に「母の声」のフルートの音色を届けていらっしゃいます。また海外の演奏者との共演も数多く、好評を得ていらっしゃいます。 「日本の施律は、息を風にかえて音にするフルートの音色が絶妙にあう」吉川さんは「音楽の原点は日本の抒情曲、クラシックの名曲同様に日本の抒情曲をフルートで吹きたい。絵を描くように、詩を朗読するように」と著書で述べていらっしゃいます。鎌倉のペンクラブに所属し、コラムやエッセイの執筆、また大学や講演会で活躍の場を広げています。昨年宮古市山田町のコンサートでは、桜の木を植樹され「鎮魂樹」と命名されたそうです。

アフターバザーコンサート湘南藤沢とご縁のある吉川さんのフルートコンサートがいよいよ開演です。心ゆくまでお楽しみください。 このような挨拶のあと千代正行(ギター)種田博之(ギター)三枝俊治(ベース)の共演者とともにシューベルトのアベ・マリア、ムソルグスキーの展覧会の絵など美しい音色が、聖堂いっぱいにひろがりました。

400人近い方々が、巧みなトークとすばらしい演奏に魅了され、至福のひと時を過ごすことができました。第2部終了後のアンコールでは、バザーテーマソングの「希望の灯」が演奏され、皆で東日本災害地の復興を願い、祈りと共に合唱し終了しました。

5月から準備を始めたアフターバザーコンサート、たくさんの方々に支えられ、勇気を頂きながら終わることができました。皆様から頂きました東北復興応援のチャリティの贈り物はおひとりおひとりのお気持ちにそえるよう、早速に東日本災害地にお届けいたします。沢山のあたたかいご支援、ご協力ありがとうございました。

なお、このコンサートを再度楽しみたい方は、インターネットで「鵠沼海岸チャンネル」をご覧になれば録画公開しています。どうぞお試しください。


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第45回横浜教区一粒会大会 ―神様ありがとう 再宣教150周年―
一粒会 鈴木

9月22日(土・秋分の日)鎌倉の清泉小学校を会場に今年の一粒会大会が開催されました。

一粒会大会

藤沢教会からはタム神父様、大人23名、子ども2名が参加。講話は藤沢教会出身の山口道孝神父様。自己紹介された後「鎌倉に教会は何年前からあったか」との質問。389年前の元和9年(1623年)、ヒラリオ孫左衛門とその妻の住む伝道所が小袋谷にあり、そこを巡回中だったスペイン人のガルベス神父(フランシスコ会)等と共に捕縛され、高輪の札の辻で処刑された(元和の殉教)のが、文献に鎌倉キリシタンつまり鎌倉に教会があったことが書かれている最後だそうです。その後今から150年前日本の教会は復活し、復活した日本の教会に多くの外国の方々(特にフランス)がお金を下さったことを忘れてはならないと、お話は始まりました。

「大学生の頃、藤沢教会には50人くらいの同年代の仲間がいた。ホームレスのこと、難民のこと、教会にいると仲間と沢山のことが出来ると思った。その時訪れたタイのカンボジア難民キャンプには、かつて絵本にも書いたが、親兄弟を無惨に殺されたった一人でキャンプに来た小さな女の子などがいっぱいおり、そういう人たちの為に何か出来るのは、教会があり、教会の仲間がいたからだと思った」そう話された後、ベトナムとミャンマーで写した写真を解説付きで見せて下さいました。ベトナムで枯葉剤などの戦争の後遺症や、HIV、貧しさで苦しむ人たちに寄り添う司祭の活動、ミャンマーで貧しい人と共に生きる司祭や、日本の中古車が街中を走る様子など。その貧しさは日本人から見た時、わずかと言える金額があれば助けられるものであるのに、そのお金が無い、とのこと。その後、子どもたちに語りかけられました。「今写真を見せ話したことから、どんな教会になって欲しいか、こんなことが出来たらいいなあ、ということを考えてみて欲しい」と。

ここから子どもたちは体育館に移動し、クイズやゲーム等を楽しみました。大人は引続き山口神父様の講話をうかがいました。

「一粒会の会則を見ると、ただお祈りをするだけでもお金を出すだけでもなく『本会の目的を達成する為に必要な事項』を行なうとあり、教会が人数が少なくとも活き活きとすることを目指していると言える。私は皆さんのお蔭でインドに留学し神学の勉強をすることが出来た。インドの大学院で最初にしたことは「神学する」ことだった。自分の信仰に照らし合わせて、イエスならどうするか、神様は何を求めているか、それをやっているか。そのベースにあるのはアジア司教協議会が出している、3つの対話を大切にする教会ということであり、3つとは@貧しい人と対話する教会A他の宗教と対話する教会B地元の文化と対話する教会(その土地に合った教会、インカルチュレーション)である。これは、教皇庁の協議会の一つ開発援助促進協議会で、課題として挙げている次のことと繋がる。@貧困に対して無視しないA先住民、少数民族を大切にするB難民移住移動者を大切にするC女性子供の人権を守るD環境保護を熱心に行なうE他の宗教を尊敬し協力し合うF世界が貧しい1つの理由である汚職と戦う」そのようなお話の後におっしゃったことは「私たちには150年やって来なかったことがあるのではないか、それをしていくことが出来たらいい。瞑想、黙想すると共に活動すること、祈りと共に動きがないといけない。やって来なかったことを反省し、オープンにし、言葉にし、やることが大切。それを思い巡らしたらいい。カンボジアでお寺は人を育てるところという。宗教の場所は人を育てるところであり、私たちは教会を次の人に繋げていく、それも誠心誠意繋げていく「つなぎ」とならないといけない」ということでした。

午後は梅村司教様と31名の司祭団による共同司式のミサが参加者とともに捧げられました。お説教はタム神父様でした。お説教で語られた言葉は「神は福音の種を誰のところにもまいてある」「神の教えをよく聞くことが出来るようにお祈りをし、沈黙の時間を持っている」「信仰は根っこ。強ければ木はよく成長し、花も咲き実もなる」「信仰を生かす為には、憐れみの心を持っていなければ、信仰の行ないはない」そして「このことを続けて考えていけば、聖霊の導きがあって教えてくれる」とのことでした。短いながらもとてもわかりやすいお話でした。

今回の大会は、藤沢からは子どもの参加が少なかったのが残念でしたが、それでも日曜学校や中高生会のリーダーが何人も参加して下さいました。来年の大会は第六地区の担当で強羅で開催されるようですが、より多くの皆様にご参加頂けることを願っております。

一粒会大会

一りゅう会大会のかんそう 3年 空保

ぼくが通っている小学校で、一りゅう会大会が行われました。ぼくは、お母さんと一しょにさんかをしました。
一番楽しかったことは、ビンゴゲームをして、ダブルリーチになったのに当たらなかったことでした。そして、学校の先生方がたくさんいらっしゃったので、とてもうれしくなりました。

一粒会大会に参加して 5年 論子

講話をしてくださった神父さまに「10人、友だちを作って下さい。」と言われ、ドキッとしました。正直、友だちはできなかったけど、夏のサマーキャンプの時に、友だちになった子や、交流を深められた教会学校のリーダー達に会えました。それと私が藤沢教会に行き始めたころの少し後に知り合った宮内神父さまに会いました(ふんいきが少し変わっていて、いっしゅん、ダレ?と思いました)。あと、前まで藤沢にいたトゥ神父さまも来ていました(聞きたい事があったけどお話ができませんでした)。会った事がある、あれ見た事がある方々や神父さまを見て、少し嬉しかったです。


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東北ボランティア活動サポートチーム報告

岩手県(釜石ベース)

これまで仙台教区サポートセンター経由で釜石ベースでのボランティア活動の申し込みをしてきましたが、10月16日(火)より釜石へのブログ経由申し込みか、Tel:0193-27-9030 への直接申し込みに変更になりました。解らないことがありましたら丸山までお願いいたします。他のベースへの申し込みは従来通り仙台のセンター経由です。

釜石のセンターでは10月、11月のボランティアが少ない状態だと言っています。「みなさんおひとりおひとりの力が必要です。どうぞお力をお貸しください。ボランティアが初めての方でも安心してお越しいただけます。おひとりでも多くの方のお申込みをスタッフ一同心からお待ちいたしております」 よろしくお願いいたします。(丸山)

宮城県(石巻ベース)

10月は藤沢教会から男性5名、女性1名の合計6名がカリタスの石巻ベースにボランティアとして派遣されました。ベース1階にあるホールを訪れてくる近隣の被災者への応対、石巻市に点在する仮設住宅団地へ出向き、その集会所でお茶会を開き、住民の方々と一緒にお茶を飲みながら話をしました。また男性はお隣の南三陸町まで出かけて、まだ残っている瓦礫の撤去作業なども行いました。11月はまだボランティアへの応募がありません。一度行って見ませんか。

石巻ベースにスタッフとして常駐しておられる聖母訪問会のシスター松坂裕子さんが鎌倉の本部に10月に一時帰っておられましたが、その間、藤沢教会事務所に立ち寄られ藤沢教会からのボランティア派遣に対してお礼を述べて石巻に戻られました。(小藤)

福島県(原町ベース)

皆様からご協力頂きました毛糸・生地・ネクタイ・和服などを利用した作品作りが進んでいます。10月21日のバザーではたくさんお買い上げ頂き有難うございました。作品を見ていただいた上で注文を受けることができ、先方に取りましても力強い応援になると思います。皆様からも色々なアィディアを提供して頂き、更に多くの作品作りを目指して行きたいと思っています。ご自分の好きな物を自由に楽しく作って頂けるように協力することも大切な支援のひとつだと思います。

引き続き毛糸・生地・中古ミシンなどのご協力をお願い致します。 寒い冬になる前に福島・南相馬へのボランティアにご一緒しませんか?(曽根)

被災地の物産販売

毎月第2,第3日曜日の福祉コーナーでの販売や今月のバザーで、色々お買い上げ頂き感謝しております。バザーでは、石巻の山形屋さんの味噌などの醸造品で約4万円売り上げました。これは通常の福祉コーナーでの売り上げの約3倍ほどでした。今回のバザーには、雪の下教会山口神父様を中心に、湘南地区教会が応援している二本松の「福島やさい畑」復興プロジェクトの直接販売があり、藤沢教会員からも販売支援をした結果、新鮮な野菜やお菓子などの産物の売れ行きも好調でした。こちらは15万円弱の売り上げがありました。

福島やさい畑では、復興支援をより活発化するために、ハイエースを購入し、風評被害で苦労されている福島二本松の農家の皆様の応援に今後活用されるとのことでした。このハイエース購入資金も是非ご支援下さい。なお、湘南地区の他教会(今のところ横須賀大津、横須賀三笠、逗子、雪の下、由比ヶ浜)では、毎月定期的に二本松の農産物販売を行っております。(牧野)




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藤沢教会の皆様へ

仙台石巻、山形屋さんからのお礼

藤沢教会の皆様いつもありがとうございます。

山形屋商店早いもので震災より1年7か月が過ぎました 弊社も震災直後は、どうしてよいものか悩み、再建を決断してからも、自社だけでなく、従来のお得意先も被災している中で、泥かき、製造、販売と苦しい時期が続きました。その時に石巻の教会の方からカリタスの皆様をご紹介頂いたり、各地の教会でバザーや販売して頂き、色々と元気付けて頂きました。その中でも藤沢教会の野村様は、石巻に来て頂いたり、その後も継続して販売して頂き、藤沢教会の皆様には本当に感謝しています。

現況としましては、施設、設備の方は、大きくは未だ手を付けていない状況ではありますが、仲間の力を借りて、製造の委託と、工場設備を借りて製造させて頂いたりと震災前の商品は、出荷できる体制にはなりました。売上は震災前の40%程度という所まで回復しました。復興商品として、フリーズドライのみそ汁を発売し、地元被災企業コラボ商品としてわかめ用ドレッシングを発売しました。このわかめ用ドレッシングは9月24日の日本経済新聞にも取り上げて頂きました。合わせてわかめの販売もはじめ、現在塩こうじも製造販売できる所まできました。

今後は、1日でも早く自社工場の完全再建を目指しながら、二重債務等の問題と向き合い前に進んでいこうと思い頑張っている所です。本来ならば、藤沢教会に行きたい所ではありますが、文章にて御礼申し上げます。

(株式会社 山形屋商店 山形)

二本松、福島やさい畑からのお礼

野菜バザーでは大変お世話になりました。お陰様で、藤沢教会での売り上げは、145,080円でした。皆様のご協力を心から感謝申し上げます。

また、車の件では皆様には本当にお世話になり、恐縮しております。車も買うなら、レンタル料を毎回払っているよりも、早く購入した方がよいと思い、買いました。福島やさい畑からは出せないので、個人的に立て替えております。自分の車が持てたことで、スタッフもやる気も出て、また、レンタカーですと、ハイエースが予約済で借りられないことも時々ありましたので、そうした心配もなくなったことも大きいです。今度山口神父様が二本松においで下さる機会がありましたら、その時に祝別してくださるようお願いしました。

本当にいろいろとありがとうございます!さらに前向きに頑張りたいと思います。今後とも宜しくお願いいたします。

(福島やさい畑 柳沼)やさい畑



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カンボジア報告(7月29日)
JLMM(日本カトリック信徒宣教者会) 篠田

<藤沢教会の皆さんへのお礼>

いつもコンポンルアン水上村へのご支援とお祈りありがとうございます。私が今現在コンポンルアンで活動を続けていられるのはこれまでの三人の先代と日本からご支援くださる皆様、特に藤沢教会の皆様のおかげだと思っています。ありがとうございます。藤沢教会からのご支援も私達派遣者と同じだけの年月を過ごし、藤沢教会の皆様と共に活動をしてきたように思います。先日、前任者の高橋真也の結婚式に列席した時に初代の頼子さんに会うことができました。その際に「コンポンルアンでの活動が10年も続くとは当時は思っていなかった」と言っていました。それほど厳しい環境の中での活動ですが、最後の支えとなるのは皆様からのお祈りだとひしひしと感じています。これからもご支援お祈りよろしくお願い致します。

<カンボジアの位置>

カンボジアはベトナム、ラオス、タイに囲まれ南側は海に面しています。国土は日本の約半分で人口は一千三〜四百万人なので人口密度は日本に比べると1/3ほどになります。その人口もプノンペンなどの都市部に集中しているので田舎のほうはゆったりとしています。

<水上村の位置>

カンボジアの中央部にはトンレサップ湖という大きな湖があります。この湖の特徴として雨季と乾季では湖の大きさが変わることです。乾季の一番小さな時で湖の大きさは東京都と同じくらいですが、雨季では水量の増したメコン川から水が湖に流れこみ湖の大きさは3〜4倍になります。その湖に水上村が200個ほどあるのですが、その中でも最大級のコンポンルアン水上村で活動をしています。水上村の住民の70%はベトナム人です。メコン川を魚を追ってやって来たベトナム人がそのまま住み着いたのが水上村の始まりだと言われています。

<水上村の生活環境>

家は竹やドラム缶などでいかだを作り、その上に家を建てます。水上村には陸地にあるものはほとんどなんでもあります。お店(野菜や肉やお菓子や雑貨など、物売り船もあります)も学校もお寺も教会もあるので産まれてから死ぬまで生活に必要なものはほとんど水上にあります。

<識字教室>

水上村の70%の人はベトナム人です。彼等はクメール語(カンボジア語)が話せないと学校や病院にも行くことができません。そこで教会と共に子ども達を集めてクメール語を教える識字教室をしています。クラスは二つあり、下のクラスはベトナム人の先生が教え、上のクラスはカンボジア人の先生が教えています。子ども達が識字教室に来るにあたって問題があります。それは家の船を親が漁なので使ってしまうとその子どもは家から出られないということです。そこで通学船を用意し子ども達の送迎もしています。

<幼稚園>

2011年11月から幼稚園を開園しました。一日の流れとしては午前中に授業を2回行い、お昼は給食をみんなで食べます。お昼寝を、午後にも授業があります。情操教育を中心に二人の先生が熱心に指導してくれています。この幼稚園の特徴としてはカンボジア人ベトナム人分け隔てなく受け入れていることです。

<病人支援>

水上村の人達はほとんど漁で生計を立てているのですが、雨季は魚の産卵期のために漁は禁止されています。年間に半年しか漁の出来ない彼等は貧しい生活を強いられ病院に行くお金もありません。そこで貧しい家庭を中心として教会とJLMMが半分ずつお金を出し合って病人に病院に行ってもらうように支援しています。

<栄養改善・水浴びプログラム>

毎週火曜日に行っているプログラムです。栄養改善プログラムでは具の沢山入ったおかゆを配り、栄養のあるものを取る大切さを知ってもらうことを目的としています。

その後に水浴びプログラムを行っています。水上村では全てのゴミを湖に捨てトイレも湖にするのできれいな水を確保することはたいへん手間とお金がかかります。きれいな水は飲み水に使われるので水浴びまできれいな水を使う余裕はありません。特に乾季の水の汚い時はブツブツができている子どもがいるほどです。そこで週に一度ですがきれいな水で水浴びをしてもらっています。

<浄水プログラム>

水上村できれいな水を確保しようと思うと、まず湖から汲んだ水にミョウバンをかき混ぜ汚物を沈殿させます。そしてその上澄みを沸騰させてから飲み水として使います。しかし沸騰させるのに必要な薪を買うお金のない家庭は沸騰させずに飲んでいます。

そこで浄水器を設置しきれいな水を市場で売っている約1/3の値段で提供しています。

<里親プロジェクト>

水上村にも学校がありますが、中学・高校にいこうと思うと大きな町に行かなくてはいけません。そこでJLMMはバッタンバンという町にある教会が運営している学生寮で生活をし学校に通えるように支援をしています。現在は5名の里子が日本の里親の方の支援を受けています。里子と里親の関係は支援するされるという関係以上に、遠く離れたところに大事な人が一人増えるという関係が素晴らしいと思います。

<最後に>

以上のことを主な活動としています。一年間の活動を通じて思うことは、今行っている活動は神様の愛の代行だということです。水上村にいると神様が水上村の人達を愛していると感じることがよくあります。しかし2012年の水上村にはイエスキリストはいないので神様が水上村の人達を愛するには誰かが必要となるのです。そこで私が水上村に遣わされ活動をしているのだと思うようになりました。これからもどのように神様の愛の代行ができるか楽しみにしていますので、これからもご支援お祈りよろしくお願い致します。


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カトリック伝道士になった浦賀奉行所同心
鵠沼3区 高木

明治6年(1873)2月、明治新政府は全国津々浦々からキリスト教を禁じた太政官高札を撤去しました。そこで全国七ヶ所の外国人居留地に付設された外国人遊歩規定内からキリスト教の布教が始まりました。そこは外国人宣教師たちが外務省からの免状もなく自由に歩けたからでした。

明治8年(1875)パリ外国宣教会テストヴィド神父は横浜居留地を中心に巡回布教を始めました。そこで日本語の上達していないフランス人宣教師にとって旅籠屋での交渉や道中での道案内、役場や巡査派出所への届け出などに日本人伝道士が必要でした。彼等は細渕重教、目黒順蔵、新城信一、一条鉄太郎、村田盛勝、藤沢銕次郎などの人々でした。その中、私達藤沢地区の信者にとって最も馴染のあった伝道士は細渕重教・とら夫妻でした。

彼は嘉永5年(1852)8月15日、浦賀奉行所与力細渕重礼(80俵)の長男として生まれました。それはアメリカ合衆国特派大使ペリー提督が浦賀沖に現れる一年前のことでした。その頃の日本の世情は混沌としていて慶応3年(1867)10月14日に大政奉還が行われ12月9日には王政復古の大号令が発せられていました。そして翌慶応4年(1868)正月3日には鳥羽伏見の戦いが始まり正月10日には将軍徳川慶喜の追討令が出され東海道鎮撫軍が京を進発しました。

続いて3月2日、薩摩・長州を中心とした征東軍の先峰が箱根の山を越えて相模国に入りました。そして3月19日には旧神奈川奉行所に横浜裁判所を設置しました。そこで4月17日浦賀奉行所に対して沙汰あるまで待つよう申し渡しました。

次に4月20日鎮撫軍総督東久世通禧が横浜裁判所に入り、更めて神奈川裁判所を設置しました。そこで閏4月3日勅使大原重徳が浦賀奉行土方出雲守勝敬を呼びつけ浦賀奉行所の明け渡しを命じました。そのため閏4月5日浦賀奉行所の機能が一切停止され、閏4月11日には新政府に引き渡されました。そこで閏4月13日旧奉行所の与力・同心全員が去ってしまいました。

丁度、その頃慶応2年(1866)10月8日以来、三浦郡横須賀村にはフランス人による製鉄所(造船所)があり付属の職工養成所がありました。そこで細渕重教はフランス語を学ぶため入所しました。そして製鉄所内の集会所や職工養成所ではミサが行われ、慶応2年(1866)3月に来日したマラン神父が横浜居留地からランチで往復していました。ところで慶応3年(1867)5月には長崎からフユーレ神父が来て8月25日ハイカラな聖ルイ教会が献堂されました。だが職工養成所には薩摩・長州出身の生徒が多く旧幕臣の細渕重教は絶えず嘲笑の的になっていました。

明治4年(1871)7月、マラン神父は東京居留地鉄砲州稲荷橋脇に一軒の家を借りマラン塾を開き青年たちにキリスト教やフランス語を教えました。勿論、細渕重教も入りました。20歳の時でした。ところが明治5年(1872)2月26日居留地の大火で焼けてしまいました。そしてマラン神父は東北地方へ布教の視察に出てしまい函館居留地へ移ってしまいました。

明治5年(1872)3月、アンブルステ神父が東京府麹町一番町に「漢字ラテン学校」を開きました。そこでは布教のため漢字や支那版の公教要理を教えていました。生徒は約50人集まりましたが、前年の廃藩置県により職を失った青年士族たちが無料の食事と住居を求め集まってきました。その中には細渕重教もいましたが明治6年(1873)2月12日洗礼を受けています。22歳の時でした。その他、第19代内閣総理大臣原敬や第30代内閣総理大臣斉藤実もいました。彼等南部藩士は戌辰戦争の時奥羽越列藩同盟に加わったため明治新政府では職がありませんでした。

明治7年(1874)1月、「漢字ラテン学校」は横浜公教神学校と合併して神田猿楽町に移転しました。ところが所詮長崎浦上の神学生と失業武士とではキリスト教に対する考えに差があり明治10年(1877)ラテン学校は閉鎖され神学生は長崎へ去ってしまいました。だが細渕重教のように立派な信者に育った人もいました。

明治8年(1875)10月、細渕重教は伝道士となりドルワール・ド・レゼー神父に従い新潟居留地へ赴任しました。24歳の時でした。そこで3年間活躍しましたが、その間片原町4丁目の渡辺家に滞在中、長女とらと結婚しました。とらは文久元年(1861)2月2日生まれですので9歳違いの夫婦でした。

明治11年(1878)細渕伝道士は横浜居留地へ転任となりました。27歳の時でした。当時横浜天主堂にいるテストヴィド神父は神奈川県下隈なく多摩地方へも巡回していました。とりわけ藤沢宿から大山みちに入る羽鳥村四谷にはペトロ武藤ユキヨ(40)、妻エリザベト・イネ(37)、娘マグダレナ・フサ(19)、マルタ・フク(17)、息子トマス・時次郎(16)、娘アガタ・ハネ(5)、娘マリア・チカ(2)、母アンナ・チワ(65)の一家8人がいました。その他、明治10年(1877)3月から明治31年(1898)3月まで羽鳥に8人、大庭に4人、藤沢宿に12人、弥勒寺に1人、片瀬に6人、遠藤に4人、用田に3人、葛原に1人、西俣野に1人、下土棚に1人の信者がいました。細渕伝道士は明治15年(1882)小田原緑町の聖ヨゼフ教会に住み、明治16年(1883)からは横須賀稲荷谷戸の聖ルイス教会に住んでいました。

明治31年(1898)11月、細渕伝道士は神奈川県を去り宮城県大河原教会へ移りました。そして昭和6年(1931)8月10日、80才で亡くなりました。墓は大河原町の安浄寺(柴田郡大河原町大谷一軒地141番地)のカトリック墓地にあります。なお妻とらは昭和9年(1934)11月18日、73歳で亡くなり府中市天神町のカトリック墓地に眠っています。



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小グループ活動
湘南台センター聖書の分ち合い水曜グループ

聖書私たちは毎週第2と第4水曜日、午後2時から4時まで湘南台センターに集まり、「聖書と典礼」を使ってみ言葉の分かち合いをしています。特に会の名前はありません。どなたでも、いつからでも参加できる会です。

集まった日の次の主日の第一朗読、第二朗読、福音朗読を順番に読み、少し黙想タイムをとります。すると誰ともなしに分かち合いが始まるのです。心に響いた言葉、気に入った個所、思ったこと、閃いたことなどを自由に話します。又、わからないところがあると、ああでもない、こうでもないと皆で知恵を出し合います。それでもわからないことは、そう、そのままで・・ということになります。

私たちはみ言葉によって緩やかに、でも、確かに結びつけられている感じがしています。聖書の素晴らしさ、深さ、楽しさ、面白さを感じています。



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がりらや便り

日暮れが早く感じられるようになりました。古来、秋はもの思う季節とか。聖句や、名言には時折り人生を変えてしまうほどの力があるようです。今月は「ことば」を主題とした本を紹介します。

「大地の祈り」
写真・編 関谷義樹 ドン・ボスコ社 1,365円 B5版 47頁

自然の風景に、聖書の一節や聖人たちの言葉を添えて、祈りに招く写真集。プレゼント用にもどうぞ。編者は藤沢市に生まれ岩手県滝沢村に育ったサレジオ会司祭。「カトリック生活」編集長を経て現在はドン・ボスコ社代表。


「ドンボスコのことば100」
サレジオ会日本管区編・浦田慎二郎監修 ドン・ボスコ社 525円 A6版 205頁

添え書きに「心が強く優しくなる」とあります。ドン・ボスコのことばには、寄り添い、人を笑顔にし、導いてくれる力があるといわれています。苦しい時、勇気づけてほしい時、道しるべが必要な時に支えとなることばとしていかがでしょう。


「恐れるな」
晴佐久昌英著 日本キリスト教団出版局 840円 四六版 80頁

東日本大震災後に聴くべき言葉を精選したシリーズの1冊。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたとともにいる。」(使徒行録18:9)晴佐久神父が被災地で宣べ伝えた福音のメッセージ。



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12月号原稿募集

「八角形にゅーす」12月号(クリスマス特集号)は12月8日(土)に発行を予定しています。クリスマスに思いを寄せて、思い出、体験などを寄稿してくださいよろしくお願いいたします。

締 切: 11月25日(日)
字 数: 1600字
応 募:  e-mail  広報部 hakkakukei@gmail.com  教会 catholic@cityfujisawa.ne.jp

文中の数字は半角をご使用ください、書面の場合は教会事務所までお願いいたします



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