八 角 形 に ゅ ー す
2013年5月19日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
大祝日・復活祭・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ロバート
幼児洗礼を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 筆内
復活祭 国際ミサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 鶴田
4月度3部門連続講座報告
「エンディングノート」を見ての分かち合い・・・・・・・宣教部 牧野
北2ブロック集会の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 矢部
ガールスカウト入団式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神奈川県第105団 Y.N
医療講座の開催・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 三神
卒原発を考える会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 緒方
南相馬市の子ども達を春休みに迎えて!・・・・・・藤沢2区 小野
教区付聖職者 (Secular Clergy)・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木
大祝日・復活祭
主任司祭 ロバート
復活祭はキリスト教の暦の中で、最も大きな祝日です。復活の主日は、祈りと節制と施しをもって過した四旬節の最後の日で、私たちキリスト者は、死者の中から復活されたイエス・キリストを祝います。
何故、復活が大祝日なのでしょうか? それは復活が、キリスト者の信仰の確固とした象徴だからです。聖パウロもコリントの信徒への手紙の中で「キリストが復活しなかったのなら、あなた方の信仰はむなしい」(1コリント15:17)と書いています。
藤沢教会では、復活祭に向けて、共同回心式を行いました。又、聖週間の間、私たち一人一人も小教区の3人の司祭と共にミサを捧げました。そして、復活徹夜祭には14名の洗礼・堅信志願者と2名の改宗者を迎えました伝統的にカトリックに入信する方は、長い勉強と準備をして、聖土曜日の日没後に入信式を迎えることになっています。
復活祭は新しい命のお祝いです。日本のほとんどの地域では、美しい桜の開花期と重なって、復活の新しい命が生まれます。今年、藤沢教会の桜は復活祭前に散り始めてしまいましたが、聖週間のミサに与られた方たちは、満開の桜の景色の中で沢山のお恵みを頂いたでしょう。
キリストは死者の中から復活された、アレルヤ・アレルヤ!
教会委員会報告(2013年4月20日)
1. 外国コミュニティーとのコミュニケーションについて
I田さんの提言:国際ミサで「平和の挨拶を各国語で」という試みは、やって見ようという人も増えてきた。もう一歩進めて「おはよう」「こんにちは」「さようなら」のような日常の挨拶ができたら楽しくなるのではないか。かながわ国際交流財団の作った災害時の情報交換のための「やさしい日本語でコミュニケーション」という冊子がある。そこに書いてあるように、同じ事を伝えるのも難しい日本語ではなく日常会話で使うことの多いことばに言い換えて話すなど少しの心遣いでわかり合えるのではないか。日曜学校も外国人が増えてきている。そこで、八角形ニュースなどの紙面を使いながら教会の中の国際交流に役立つことを紹介してみたいと考えている。
・ 多国籍の信徒が集う群馬県大田教会は毎週8カ国語で「お知らせ」のプリントを用意しているとカトリック新聞に掲載されていた。藤沢教会でも各国語のお知らせを作ってみてはどうか。
これについて
・ ひらがなで書く、ルビをふる、やさしい日本語で書く
・ 日曜学校はベトナム語と日本語でお知らせをだしている
・ 数年前から土曜日に、教会や国際部の活動ではなく有志で日本語の勉強会をして成果をあげてきたが時間や曜日、不況、交通費などの問題もあり集まりが悪くなった。そこで、集まりやすい方法を考え、昨年の10月から、日曜日のミサ後、ティールームでペルーやベトナムの人のための日本語講座をしているが場所を確保するのが難しい
・ 今後、外国人との交わりが減ることはないだろうと思う
・ 子供が中高生になると日本語が問題で授業についていけないとか進学の問題も起きる
・ 日本で生まれ育った子供と親子間でことばが通じない問題もある
・ 同じ共同体としてケアーするなどの意見があった継続的にやっていく方向で考える。広いニーズに対して善意にだけ頼ると限界もあるので、国際部の集まりで「何が必要か」を話し合い、次回の委員会にもってくることとした。
2. 2013年度研修一覧
・ 司祭・修道者・信徒による春の交流会には2名が参加する
・ 祈りのヘルパー養成コースは5月7日が締め切りとなっている。参加には主任司祭の承認が必要。今後に研修してきたものを活かせる人の参加を希望する
3. 藤沢教会のホームページについて
皆さんは藤沢教会のホームページを見ていますか?八角形ニュース、お知らせなどは更新しながら載せている。海外からも八角形ニュースなどは読まれている。キリスト教についてとか藤沢近辺に行くのでミサの時間を調べたいなどグーグルで検索すると藤沢教会のホームページが出てくるので、福音宣教にも役立っている。しかし古い記事は更新しながら見直していく必要がある。教区の方針として、トラブルの原因にもなるので責任のとれるように教会の中での位置づけをはっきりさせる。一つの教会は一つのホームページしか持つことはできないとなっている。広報部の中に、八角形ニュースの担当とホームページの担当をおくように位置づけをするのがいいのではと考え、担当してくれる人を募集することとなった
4. その他
・ センター204室の壁の修理とLEDへの交換が完了しました。窓の修理に関しては鍵の修理にとどめた
・ 5月6日に田辺敏彦助祭の司祭叙階式が山手教会で行われる
5月は鵠沼ブロック、6月は藤沢ブロックの担当になる
(北2) 4月13日(土)湘南台センターでブロック集会をし受洗者のお祝いと川辺さん・中村さんの説明を受けて「臨終から葬儀まで」の勉強会をした。新受洗者にはメールでの連絡網に入ってもらった
(北1) 3月14日にブロック集会をして「臨終から葬儀まで」を使い勉強会と分かち合いをした。4月は当番月で、多くの人の協力を得ている。恒例となっている「黙想会」を十二所黙想の家の英神父の指導で7月15日(海の日)に行う。場所は聖心の布教会本部修道院
(辻堂) 3月の当番でミサ・掃除の他に、枝・卵の準備、復活祭タム神父送別など多くの行事があった。2月17日のブロック集会で話し合って協力できた
(藤沢) 6月が当番月なので、5月19日(日)センターホールで新しい方の歓迎会を兼ねてブロック集会する
(鵠沼) 4月21日(日)にブロック集会をして新受洗者とこの一年間に亡くなられた方への祈りを捧げる。また「臨終から葬儀まで」の勉強会とバザーについて話し合いをする
(宣教)
・ 3月30日(土)復活徹夜祭で14名が入信の秘跡、2名が改宗、1名が堅信を受けられた。3月31日(日)9:30のミサ後、祝賀会をした
・ 4月7日(日)9:30のミサの中で4名の幼児洗礼式があった。ミサ後、受洗祝賀会をした
・ 4月7日(日)9:30のミサ後、センターホールで「祈る・伝える・証しする」三部門連続講座を開催し、ビデオ「エンディングノート」(90分)を見た後、終活について分かち合いをした。40名の参加があった
・ 5月25日(土)14時から片瀬教会で湘南キリスト教セミナーが開催される。釜石被災地支援関連の講話を予定している。講師は、現在釜石ベースに派遣されているシスター山本紀久代(援助修道会)
・ 4月に磐田教会から1名、神学院に入学する。5月6日山手教会で田辺助祭の叙階式が行われる
・ 湘南台センターでロバート神父の新しい講座が始まる。第1、第3の木曜日10:30〜12:00に聖書を読む。第2、第4の火曜日14時〜16時は教会の教えについて学ぶ
・ イエズス会三浦功神父の連続講座「人生の終わりを迎える日に備えて」第1回は5月25日(土)14時〜16時。テーマ「真の喜びをもたらす死と復活〜死の意味と目的と価値」、その後は毎月第4土曜日に定期的に終活関連をテーマに開催する。参加費無料
・ 6月9日(日)9:30ミサ後、共同宣教司牧フォーラムを開催する
(教育)
・ 4月21日(日)中高生会歓迎会
・ 5月12日(日)スカウトバザー
・ 5月19日(日)第5地区教会学校運動会
・ 6月2日(日)初聖体
・ 6月9日(日)日曜学校遠足
(国際)
・ ベトナムコミュニティーの代表がティノ・フー・ティエンさんに代わる
・ 4月14日(日)ラテンコミュニティーが中心、フィリピンコミュニティーが協力して「アジア学院」の為にチャリティーコンサートをした。16万円集まり、全額寄付をした
・ 国際ミサの振り返りとことばによるコミュニケーションについて話し合いをする予定
(典礼)
・ 四旬節から復活祭にかけて多くの協力に感謝する
・ 教区の「聖体授与の臨時の奉仕者」研修会がある。日程は6月9日と7月14日。各ブロックと活動部は推薦者を5月18日までに典礼部長に提出する。主任司祭の承認を得て研修会に参加する
(福祉)
・ 「エンディングノート」のビデオの貸し出しをします。希望者は申し出てほしい
・ 5月11日(日)教区福祉委員会主催「第17回:障がい共に歩む」の集いを浜松教会で開催する。来年は神奈川の予定
・ 5月11日(土)に東北支援チャリティーコンサートがセンターホールで行われる。6月8日に「福島のこどもたちとともに」西湘の会が主催するチャリティーコンサートが平塚教会である。協力をお願いする
(広報) 4月24日原稿締切、5月5日に発行の予定。早めに原稿をだしてほしい
(主任司祭より) 三浦神父様の連続講座に、家族や友人を誘っては如何でしょう
3月30日夜、無事洗礼の恵みに与ることができました。心から感謝しております。
いつも与っているミサとは違い、暗闇の中始まった復活徹夜祭では「これからどうなるのだろう?」と一瞬不安になりましたが、次第にろうそくの光が聖堂内に広がってホッとしました。手元に灯されたろうそくの炎を見つめていると、炎といっても様々な燃え方があることに気がつきました。ゆらゆらとゆらめく炎、消え入りそうになる炎、また力強く燃え始める炎・・・そんなことを考えながら、ミサに与っていました。後から「神様はあの炎のようなものなのかな」と何となく感じました。
洗礼によって新しい命をいただいた今、これからの生活にもあの時の炎のように様々な局面が訪れるであろうと思います。それは全て神様から頂くものであり、特に苦しい時ほど神様からのメッセージと思い、祈りとともに落ち着いた気持ちで向き合って行けたらと思います。私の大好きな平和の祈りにあるように、私を平和の道具として神様に使って頂けるように、いつも準備して自然体で信仰生活を送って行きたいと思います。これまで出会い、導いて下さった皆さま、ありがとうございました。共同体の一員としてこれからどうぞよろしくお願い申し上げます。
この復活祭で洗礼の恵みをいただきました。ここまでお導きくださった講座担当の方、神父様、教会の皆様に心より感謝いたします。
私は中学より、プロテスタント系の学校に通っておりました。厳しい受験競争を経て触れたイエス様の教えは子ども心に衝撃であった記憶があり、この出会いが私の人生を変えることとなります。しかしながら、親の反対もあり学生時代の受洗は叶いませんでした。
結婚後、実は何度か藤沢教会のクリスマスミサにお邪魔しております。その時はプロテスタントとは全く違う様式美のミサに圧倒され、やはりカトリックは別世界であるとすごすごと帰って参りました。その後プロテスタント教会を回りますが、なかなか所属教会を定められず、無教会派の集会に参加するなどして過ごしておりました。
転機は去年、鎌倉のカトリック学校から思いがけず専任教諭のお誘いをいただいたことでした。40過ぎ、プロテスタント学校出身と、あまり普通では考えにくいご縁です。この私がカトリック学校の専任となってもよいのかと大変驚き、同時にこれは神様のお導きになのでは、との予感で再度藤沢教会のミサに参加してみました。今度は初めての自分にも親切にミサの次第をお教えいただき、私もお仲間になれるのではないかしら?との思い、さらにたった一日の仕事の休日に短期講座が開催されるという巡り合わせに神様のお導きを確信し、30年越しの洗礼の希望を申し出ました。
後に代母となっていただく講座担当者のご配慮、神父様のご理解、たくさんの恵みのもと、カトリック学校赴任直前、3月末の復活祭で洗礼の恵みを受けました。思えばこれも大変不思議なタイミングでした。これから新しい人生のスタートです。多くの子ども達にイエス様の福音を伝えていける様、子ども達と共にゆっくりと信仰の道を歩んで行きたいと存じます。
今回、講座担当者、代父の方はじめ藤沢教会の皆様方のお祈りを戴いて、無事、洗礼を受けさせて頂くことが出来ました。本当に有難うございました。
当日はかなり緊張しましたが、実際に洗礼を受けさせて頂く中で、「洗礼」が、「悪霊の拒否の宣言」と「信仰宣言」というふたつの明確な、本人による意思表示によってなされ、それが「罪」と「悪しきもの」からの救済を目的とするものであることを、儀式を通じて改めて、身体で感じることが出来ました。
今回の受洗を機に、私の人生の中での本当に長かった「家出」のあいだも、神様がずっと私に目をかけ愛して下さっておられ、今赦されて漸く「神様の家」に戻らせて頂くことが出来た大きな驚きと喜びを決して忘れずに、これからは神様と共に歩ませて頂きたいと願っております。
藤沢教会についての今までの私の印象を一言で言えば、「開かれた教会」ということです。このような教会で受洗させて頂いた幸運を、感謝させて頂くと共に、今後は、まだ本当に入門の入門を終えたばかりの者として教会の諸先輩から多くの事を学ばせて頂きながら、将来は、この素晴らしい教会で、微力ながらも、出来れば「祈り」の方面でのお手伝い、「霊性面」での御奉仕をさせて頂ければと願っております。今後とも宜しく御指導をお願い申し上げます。
例年より早く咲いた桜がヒラヒラと散り始めていた3月30日、洗礼式の為に教会に向かいました。毎週、藤沢教会に足を運ぶようになって数ヶ月になりますが、復活徹夜祭のごミサは特別なものでした。
ローソクによって始まるごミサはいにしえの時空を思い起こし、どれ位の年月続いてきているのでしょうか? 1本の道に繋がれた長い歴史を感じました。緊張の中で式が進んでいく中で「今日からカトリック信者として生きていくのだ」と言う決意を新たにし、私の人生に於いて大きな第一歩を踏み出したのだと足が竦む思いもしました。又、信者としての聖体拝領を受けられた時はやっと一人前(?)になれたのだと安堵と喜びを感じました。
神様のお導き、多くの方々のお力によってここまで来られた事、この様な式に授かれた事に感謝しています。
これからは神様の御言葉に従い、どう毎日を過ごして行ったら良いのか分らない事が多いのですが、皆様に色々教えて頂きながら少しでも御心に添える様に一日、一日を大切に生きて行きたいと思います。
私、私の家族、私の知人・・・∞ 一人・・・一人の幸せの為に・・・・
私は、小さい頃から神様というのが心の中にあり、ある日文通をしていた友達からロザリオを戴きました。もともと、仏教系の家で育ち、親には打ち明けることができず、高校生の時にも気持ちが変わらず、初めて教会に行きました。最初はドキドキしながらも周りの方々が優しく教えてくださり、それから何度か教会に行くようになりました。
それから更に数年が経っても変わらない気持ちがあって、入信を受けたいと思い、入門講座を受けさせて頂きました。最初は、何もわからずでしたが、ヘルパーの方々が毎週いろいろと教えてくださり、やはり自分としての「居場所」だと感じました。
洗礼式を終えて、小さい頃から今までのことを思うと、いろいろなことが神様の導きだと思いました。そして、今もこれからも、神様の尊さと毎日神様に感謝していく、信仰を続けていくように毎日、お祈りをしていきたいと思います。
幼児洗礼を終えて
藤沢3区 筆内
4月7日に長女乃愛が洗礼を授かり、教会の一員となりました。前日までの豪雨もどこへやら、天候に恵まれ、晴れ晴れとした気持ちで当日を迎えることができました。幼児洗礼とはいえ、乃愛は既に2歳の誕生日を迎えていました。乃愛はアメリカで生まれたのですが、私が間もなく日本への帰国を決め、その後引越しやら職探しやらで日々慌しい毎日の中で、教会からは暫く遠ざかっていました。
生活が少し落ち着いてきた頃のある日、妻が突然乃愛の洗礼について話を持ち出し、私は忘れかけていた何かを思い出しました。私は幼児洗礼で、妻は別のキリスト教宗派の成人洗礼で、元々は別の教会員でした。そこで、将来生まれるかもしれない子供のことを考えると、両親が同じ教会員でないのは何かと不都合が生じるのでは、と妻が問題提起してくれたのです。その問いには賛同したものの、妻の宗派に転身する決心はつかず、逆に妻にカトリックの仲間入りを果たしてもらいました。その決意に至るまでの過程は、ことばでは言い表せないほどの悩みに満ちたものであったと思います。
そのことを思い出し、特別な思いで洗礼式に臨んだ私ですが、たくさんの副産物に恵まれました。ひとつは、方々に散らばった家族がお祝いに駆けつけてくれて、久しぶりに再会ができたこと。母はオランダから、妹は大分から、そして妻の両親は横須賀から来てくれました。もうひとつは、乃愛が2歳を過ぎていることから、もしかしたらこの日の出来事が記憶に残るかもしれないということ。更には、私と妻が再び教会に通うようになったこと。そして何よりも、親が子供のためにいかなる計画を立てようとも、神様が立てられた計画だけが形に表れて実現する、ということを改めて認識したことです。
最後に、鈴木神父様、洗礼式と祝賀会の準備に奔走してくださった皆様、祝福のおことばを頂戴した皆様に心より御礼申し上げます。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
復活祭 国際ミサ
藤沢1区 鶴田
昨年から、それまで年1回だった国際ミサが第5日曜日に行われるようになりました。3回目の第5日曜日はちょうどご復活祭にあたりました。それまでの経験の中から、進行をスムーズにするために、だれか進行係がいた方がよいということになり、私がそのお役目を仰せつかりました。それからというもの、私は日ごとに緊張が高まり、ご復活の日は前の夜聖土曜日で遅かったにもかかわらず、朝早く目が覚めてしまいました。身動きのできないほど人でうずまったお聖堂にミサの式次第を片手に緊張の面持ちで、うろうろしていたのですが、結果的には小さなアクシデントはあったものの、とどこおりなく最後の派遣の祝福をいただくことができました。これはひとえに外国コミュニティはもとより、先唱の興膳さん、役割の一部を引き受けて下さった福井孝子さん、児玉さん、藤沢最後のごミサをささげてくださったタム神父様、何よりもこころをあわせてごミサに預かってくださったみなさまのおかげです。
今回、進行は私が指示するまでもなくスムーズに進みました。みな段々日本人のやりかたになれてきたこともあるのでしょうか。次の聖歌の合図をしようとコミュニティリーダーの方をみると「OK、わかってる」というような自信に満ちた目がかえってきました。日ごろにぎやかで冗談好きな方たちですが、このときは民族の誇りを負っているような凛としたものを感じました。日本の暮らしに慣れてきた方が多いとはいえ、このように母国の歌や聖書朗読を、しかもご復活に聴き、歌うことはどれほどうれしく励まされることでしょうか、色とりどりの民族衣装にもその思いが表れているようです。心を揺さぶられるラテンのリズム、明るいフィリッピンの歌、哀調をおびたベトナムのメロディなどが次々流れると、本当に世界の教会に広がる教会の中にいることが感じられました。日本人だけの典礼では、味わえないことです。「共同祈願」で被災地のために祈っていただいたのもありがたいことでした。「平和の挨拶」を外国語でトライした方もあったでしょう。
このご復活の国際ミサが外国人コミュニティは勿論、日本人信徒、ことに悲しみや苦しみの中でご復活を迎えた方、普段はなかなか教会にいらっしゃれないけれど、やっとご復活のごミサにはあずかれた方に、大きな喜びと元気をもたらしますように。
4月度3部門連続講座報告 「エンディングノート」を見ての 分かち合い
宣教部 牧野
4月7日(日)9:30ミサ後、センターホールにて開催。最近、巷では良い死を迎えるための準備「終活」が話題となっていることを受けて、ビデオ「エンディングノート」を見ての分かちあいを企画しました。参加者は約40名と盛況でした。
ビデオの内容は、某大企業の重役を勤め上げて退職した男性が直後に余命1年弱の癌宣告を受けてからカトリック教会(麹町教会)を訪れ、最終的に娘さんから臨終洗礼を受けて旅立たれるまでの経過を、娘さん自身が撮影・編集したドキュメンタリーです。それなりの脚色はされていますが、素晴らしい家族愛と信仰に支えられた幸せな死という一つの事例は深く心に響くものがあり、90分という上映時間が短く感じられました。因みにエンディングノートというのは、死を迎える準備のために作成される自分史・葬儀に関する希望事項・遺産処理手続きなどを記述したメモのことです。
ビデオ鑑賞の後、「あなたは安らかな死を迎えるためにどんな準備をしていますか」をテーマに分かち合いを行いました。家庭が幸せなら後顧の憂いなく幸せな死を迎えられること、天国での幸せを信じるカトリックの信仰は死を恐れないこと、エンディングノートのことは知っているがなかなか書けないこと、死を迎えるためにはある程度の時間の余裕がほしいこと、家族の葬儀で教会共同体の皆様にお世話になり感謝していることなど、さまざまな感想と意見が述べられました。鈴木神父様からは、人は生まれた時から死に向かって生きており、生と死は表裏一体のものであること、自分の死を考えることにより自分の生き方の具体的なプランが出てくるというコメントがありました。
このビデオ(DVD)は事務所に保管してありますので、希望される方はご利用ください。また、終活関連で5月から毎月第4土曜日に、イエズス会三浦功神父様による連続講座が開催されますので併せてよろしくお願いします。
北2ブロック集会の報告
長後 矢部
4月13日(土),湘南台センターで北2ブロック集会が開かれました。部屋は33名の参加者でいっぱいになりました。今回は5名の受洗者と1名の幼児洗礼受洗者のお祝いができて、とてもうれしい会となりました。
お茶休憩のあと、今回のメインテーマであるエンディングのお話になりました。教会で発行された「臨終から葬儀まで,カトリック信者の手引き」を一人ひとりに配布し,中村裕子さんがゆっくりと読みながらわかりやすくお話を進めていきました。川辺さんも同席してくださいました.
大切なことは、家族が重篤のときや、病院や自宅で亡くなったときには教会事務所に連絡してくださいということです。時間外の場合には川辺さんのケイタイにつながります。そして、納棺,通夜,告別式,火葬,納骨,追悼の祈り,葬儀の費用,教会への謝礼へと続きました.香典,通夜,葬儀,納骨の希望や質問にも川辺さんが答えてくれました。
キリスト教で故人を見送ったことのない私には、とても実りある貴重なお話でした。よりよい人生を送るため、元気なときに死を考える機会になりました。中村さん、川辺さんありがとうございました。緊張していらした受洗者の方たちも終わりの時にはおしゃべりも弾み、和やかなうちに閉会となりました。
恒例の 緑に包まれた中での黙想会静かに祈るひと時を 今年も過ごしませんか
今年は 7月15日(国民の祝日)に決まりました
指導はイエズス会 英神父様
場所は 聖園本部修道院
次号又はポスターでテ−マ 時間等 詳細をお知らせします
北Tブロック 担当者
4月14日、日曜学校は新しく信仰生活に入る一年生を迎えました。6年間を通して子供達が イエス様と良い関係を築くことができる様に
皆様のお祈りをお願い致します。
入学式の新1年生と保護者の感想と抱負の一部を掲載させて頂きます。
にちようがっこうのにゅうがくしきはたのしかった。
これから かみさまのことをたくさんべんきょうしたい。にゅうがくしきはたのしかった。カードやおメダイもうれしかった。
にちようがっこうに はやくいきたかったので うれしかった。いえでもおいのりをしている。イエスさまのことをしりたい。
たのしい にゅうがくしきだった。おメダイやおいわいカードがうれしかった。
にゅうがくしきで ともだちができてよかった。えんそくやキャンプにもいってみたいです。
ぼくはにちようがっこうのにゅうがくしきのひ さいしょはドキドキしてはずかしかったけれどすぐにおともだちができて たのしいきもちになりました。これから にちようがっこうにかようのがたのしみです。
昨年まで、兄の付き添い気分でいた娘も今年入学となり、いつもは小聖堂でのミサでしたが、4月14日慣れない聖堂でのミサは親子共々ハラハラ・ドキドキの時間でした。今後は日曜学校を通して、お友達と一緒に楽しく倫理感を学び、まずは初聖体を目指して勉強させていきたいと思います。
ガールスカウト入団式
神奈川県第105団 Y.N
4月14日、ガールスカウトの入団式がありました。どのような式なのか、わたしははじまってからずっとドキドキして、きんちょうしていました名前をよばれて、しん父さまにチーフをかけていただき、リーダーにバッジをつけていただきました。
ちかいの言ばを言う時には、もうドキドキしていなかったので、まちがえずに言えてよかったです。さいしょはドキドキしてどうなるかと思ったけれど、あとからだんだん楽しくなってきました。
パーティーでは、じゅんびや後かたづけをみんなでてつだいました。ピーナッツバナナサンドが食べられなくてざんねんだったけれど、ほかの食べ物もみんなおいしかったです。楽しい一日でした。
医療講座の開催
大庭 三神
4月18日(木)10:15〜11:30、エルダーズの会主催で「安心した生活を営むために」として医療講座が204号室で開かれました。今回のテーマは「介護保険の利用について――自宅で暮らし続けるために」と題して須藤信宏氏((株)ケアネット徳州会有料老人ホーム グランレーヴ厚木施設長)の講演です。身の回りの人のために、あるいは自らのために介護保険の利用方法を知っておきたい方、実際に利用しているがよりよく活用したい方など20名ほどの参加です。長年ケアマネージャーとして実地を経験された須藤氏のソフトな語り口、OHPを使ったわかりやすい解説に一同熱心に耳を傾けました。
2000年からはじめられた介護サービスも13年が経ちその内容も多岐にわたってきました。そのサービスを利用するための介護認定の手続き・介護認定調査・ケアプランの作成から施設との契約に至るまでの流れ、そして訪問・通所・施設サービスの種類の一般的な説明、さらに老後の住まい方などちょっぴり施設の宣伝を交えての話でした。国の財政上の問題から要支援の予防給付サービスがいずれ廃止される話も出ているそうです。また、病院にそのまま留まる療養型医療施設は平成30年3月で中止になるとのことです。特別養護老人ホームには神奈川県では4,200人が待機状態であるとか、藤沢市では要介護認定に2カ月かかるなどの業界事情も織り交ぜての内容でした。夜間対応や定期巡回訪問介護等の地域密着型サービスで藤沢市は全国でも充実している都市だそうです。
講演終了後コーヒーを飲みながら若干の質疑応答があり、最後にこの講座を企画された久枝正八さんから次回に向けての案内がありました。今回は昨年辻堂に開業した湘南藤沢徳州会病院の仲介で開催したが、今後は湘南鎌倉総合病院の医療講座も含め検討していくので両病院の公開講座の中から希望するテーマを連絡していただきたいとのことです。誰にとっても関心のある医療の話、「安心した生活を営むために」次回を期待いたしましょう。
卒原発を考える会
藤沢1区 緒方
大船観音の庭には、広島の原爆で黒く焼けた岩と屋根瓦が記念碑と共に祭られて、昭和20年からヒロシマの火が灯り続けているのをご存じでしょうか。私は家から近い事もあって時折初詣に出かけます。今年は特に平和がいつまでも続きますようにと心からお祈りいたしました。それは浮田さんや益満さんの率先する卒原発のグループに参加させていただいて多くの事を学び、平和の幸せと尊さを新しい面から知る事ができたからです。東日本大震災がおこるまでは当たり前のように生活を楽しみ、家庭や地域社会の小さな幸せを求めてまいりましたが、唯新聞やテレビのニュースだけでは分からない事があることに気づかされました。昨年の卒原発のグループではいろいろなイベントが催されデモ行進にも参加いたしました。今も心に残る講演を書いてみたいと思います。
山秋真さんはまだ若い女性でした。能登半島の小さな町珠洲(すず)に起こった原発計画の反対派と賛成派とに分かれた選挙で、買収や電力会社等の圧力に屈しなかった記録を頬を紅潮させながら熱心に話されました。当時まだ大学生だった彼女がこれほど迄に青春のエネルギーを傾けた事に深い感銘を受けました。
次に重工業の原発製造に配属され33年間従事した小嶋武志さんの反対運動のお話です。カトリック信者である彼は神からの呼びかけを感じ強い意志と勇気を定年退職するまで貫きました。退職勧告やいやがらせをうけながらも脱原発こそ人類の生き残る道である事を悟って、現場に居たからこそ見えてきた被爆労働の危険性を訴え続けました。その体験談は本当に心打つものでした。
最後に有権者として原発を0パーセントにしたいという自分の意見を書いて藤沢地区の衆議院議員にファックスで送る事ができたのは初めての経験でした。僅かでもお役にたてたと思うと神のお導きのような気がして力が湧いてくるのでした。これからもいろいろなことに目ざめて老後の人生の支えにしたいと願っております。
南相馬市の子ども達を春休みに迎えて!
藤沢2区 小野
『東京スカイツリーがバスの近くから見えたよ!、小学校の卒業記念として湘南旅行に来ました!、普段は二本松に住んでいるのですが娘や孫に付いて来たので、お邪魔ですが宜しく!』など、元気な自己紹介で始まった「福島の子ども達を湘南に呼ぼう!」春休みプロジェクト。南相馬市から8家族21名(小学生11、幼児1、大人女8、男1)を迎えて3月28日(木)から31日(日)まで行われました。宿舎は中井町の古い民家(山口様宅、築百年余)と隣の町立児童館(1階と2階)。故郷とは違う田舎や都会を体験しながら、放射能汚染を気にしないで保養して頂き、とても喜んで頂きました。
初日は、迎えの江ノ電バスに7時間乗り、途中で利用したスーパー銭湯(秦野市)は広くて色々なお風呂があって楽しかったと好評でした。歓迎夕食会ではスタッフ手作りのバーベキューを味わいながら、バス車中で仲良くなった子ども達が母親と離れて一緒に座り、中井町長の歓迎の挨拶を聞いてから自己紹介。その後は、数々のマジック演技に興じたり、2階で元気に走り回っていました。
2日目は全員で新江ノ島水族館へ行き、イルカショーや水中ショーを見物。かわいいキーホルダーなどが土産。午後は辻堂のテラスモール湘南へ行き、それぞれが好きな店での飲食やショッピングに分れました。
3日目は自由行動の日。鎌倉や横浜へ行き、中華街や山下公園、カップヌードル・ミュージアムなどを楽しみました。中井町に戻り、ご近所の4軒から「貰い湯」を頂き、家族単位で親しく交流する機会もありました。その晩は、お別れ前の懇親会。地元のハーモニカ・サークルの演奏を聴き、色々な話合いを行うとともに、アンケートにも記述して頂きました。主なものを紹介致します。
・ 自分でチケットを買い、バスや電車などを乗り継いで、目的地に行く良い社会体験が出来ました。
・ こども達の目の輝きがキラキラし、全身から喜びがあふれている姿を見て、親として嬉しい
・ 地元の方々から沢山の野菜をお土産に頂き、チョコレートやイースターエッグなどの差し入れにも感謝です
・ 放射線を気にすることなく外で遊べたり、水も心配なく飲めるのが嬉しかった
・ こどもだけでなく、イルカショーに興奮するなど大人も楽しめてとても良かった
・ もう少し横浜に居たいです
・ 私達のことを忘れずに末永く気に掛けて頂ければ、嬉しいです
・ スタッフの方々だけでなく、いろいろな方にお世話になり、ありがとうございます。感謝の気持ちで一杯です
・ 楽しかった、気分転換になりました
・ また機会があれば来てみたいです(また来るぜ!!ベイビー)
3月17日に四谷ニコラ・バレーで釜石のボランティアの集まりがありました。釜石の責任者の伊勢さんも含め40名ほどの方々が参加され当藤沢教会からも私以外に2名の方が来られました。被災からこれまでの釜石センターの活動をスライドなどを使い説明され、現在の新しい問題や今後の活動などについても話し合われました。「人」と「人」が寄り添ってひき続き歩んでゆくことの必要性を深く実感させられました。
3月30日釜石でボランティアを続けておられた荒井さんが宮内神父のおられる静岡教会で伊勢さんを代母として洗礼を受けました。被災地での祈りが生んだ洗礼のように感じられました。多くのボランティア仲間がお祝いに駆けつけました。
6月11日〜14日まで近藤さんが釜石にボランティア申請をしております。(丸山)
4月16日から18日まで、プリエアンサンブルが鈴木神父様を団長にボランティア演奏旅行を行いました。この詳細は来月号に掲載致します。
沖縄県の久米島「球美の里」の施設を訪問して来ました。2012年8月から始まり今回で第10期の福島の子供達45名(山形へ避難している子供達を含む)が元気に生活をしていました。2週間の予定で、班毎に活動目標を決めて、ボランティアと共に自主的に取り組んでいたようです。海岸で拾って来た貝殻で工作をしたり、図書館で本を読んだり、施設の下の大きいグランドでサッカーをしたり、ベランダでヨガをしたり、水辺の生き物の生態を観察したり、自然の体験をしたりしていました。
子供達は「楽しい」、「又、来たい」、「友達が出来た」などと話していました。その施設のボランティアのスタッフは、最初来た時は弱々しく食欲がなかった子供達が、後半になると食欲も増し元気になって帰って行くと話され「球美の里」が目指す目的が少しずつではありますが成果を表して、地元の久米島の人々の協力を得ながら、着々と地元に根付いていると思いました。久米島には公共の図書館がないので、「球美の里」の書物を充実させ、地元にも開放して行く計画もあるとの事でした。
調理をしている女性は地元のパートとして働いています。野菜は地元から差し入れが多くあり、大変助かっていると伺いました。ボランティアは地元の人は勿論、全国から参加している若い人、定年退職をした人など、幅広い年齢層の人がおり素晴らしい施設になっていると思いました。
元気に遊び、飛び回っている子供達に「福島」の復興を託したいと心から思いました。(曽根)
定例の仙台の醸造品、福島の農産物販売も皆様の多大なご理解とご支援で順調にいっております。4月に行った福祉バザー時には、いつもに増して約10万円の売り上げがありました。今は農産物の端境期に当たりますので勢い加工品が多くなりますが、これからの新鮮野菜にご期待ください。(牧野)
去年の夏、キャンプや遠足を一緒に行ってくださって、ありがとうございました。そのおかげで、たくさんのお友達もでき、楽しいけいけんができました。そして、日曜学校で神様の事を教えてくださって、大変かんしゃしています。雪ノ下教会へ行っても、藤沢教会の私達のことを忘れないで下さい。雪ノ下教会でもお元気で、ごかつやくをお祈りします。
ぼくのタム神父さまの思い出はサマーキャンプです。神父さまは十字架のイエスさまのお話をぼくたちにして下さいました。 ぼくに神父さまが声をかけてくれた時うれしかったです。
教区付聖職者 (Secular Clergy)
鵠沼3区 高木
昭和20年(1945)8月15日、日本は戦争に負けました。
敗戦直後、日本国内のカトリック教会や男女修道院、及びその付属施設までもが多大な損害を蒙り司祭や修道士、修道女たちも抑留や徹兵、徴用によって疲弊しきっていました。そのような中で昭和21年(1946)11月26日長崎教区長山口愛次郎司教様の招聘でオーストラリアからシドニー大司教ノーマン・ギルロイ枢機卿様がマックケープ司教様を伴い日本に来ました。
その目的は廃墟と化した日本の教会事情の視察と呉に進駐しているオーストラリア軍兵士の慰問のためでした。そこで11月30日、列車で東京から呉、長崎へと向かいました。そして12月3日再び東京へ戻り、12月4日厚木飛行場からシドニーへと帰りました。
その時、日本の教会では司祭が不足していましたので何人かの教区司祭を5年間の契約で派遣してくれることになりました。当時は日本の教会でもごミサはラテン語でしたので、日本人信者も問題はありませんでした。彼等司祭団の正しい名称は教区付聖職者と言うことでした。いわゆる今日でいうボランティア・プリーストでした。
昭和22年(1947)10月20日、7名の司祭が到着しました。名前はアンドレ・バーン・ケネス神父(浦上)、ジョン・カリネン神父(逗子)、ヨゼフ・カラン神父(長崎)、イーモン・パトリック・ダントン神父(神戸)、ピーター・フェラリー神父(横浜戸塚)、トーマス・フェネル神父(豊中)、ケビン・フレデリック・フリン神父(大浦)でした。
続いて昭和23年(1948)8月にも同じく7名の司祭が到着しました。名前はレオ・マホン神父(横浜山手)、ジョン・マックスィニー神父(甲府)、ピーター・オスリヴアン神父(甲府)、ジョン・スタック神父(八代)、アール・ストーク神父(大浦)、ヨゼフ・ウオリシュ神父(佐賀)、エドワード・ウイルキンソン神父(福岡)でした。
結局、長崎教区4名、横浜教区5名、大阪教区2名、福岡教区3名の14名でした。その中、横浜教区へはジョン・カリネン神父、ピーター・ファレリー神父、ピーター・オスリヴァン神父、ジョン・マックスイニー神父、レオ・マホン神父の5名が手伝ってくれることになりました。それとは別に横浜教区ではハンガリー人のヨゼフ・ロコナイ神父様が金沢文庫教会で手伝ってくれました。
彼等14名の神父様方は夫々5年後に契約通り帰国しましたが、その中、ケビン・フレデリック・フリン神父様とピーター・オスリヴァン神父様は再び日本での布教を希望してオーストラリアで聖コロンバン会に入会し東京都、神奈川県、和歌山県、熊本県などで布教して下さいました。
ところで逗子教会にいたジョン・カリネン神父様は当時信者たちが日本に留まることを願って運動したようですが、帰国して後に1959年キャンベラの補佐司教、1967年メルボルンの補佐司教などを歴任して2000年に亡くなりました。
今年の春は暖かさと寒さが入り乱れ、毎年暦に沿って咲く花の順序が錯綜している感じがします。それでも自然は着実に新緑から深緑へ移行していきます。このすごしやすい季節に読書のすすめとしてカトリック月刊誌に連載され単行本となった2冊を紹介いたします。 「人はみな、けなげに生きている」 「イエスに出会った女性たち」 |