八 角 形 に ゅ ー す
2013年6月20日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
私の原点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・横浜教区司祭 宮内(静岡・千代田・八幡教会助任)
藤沢ブロック集会――新入の方々の歓迎会・・・・・・・・藤沢2区 西村
被災地ボランティア演奏旅行と交流会・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 本多
ローマ教皇と世界の仲裁・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木
鈴木神父の川柳(続19)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・編集部 編
私の原点
横浜教区司祭 宮内(静岡・千代田・八幡教会助任)
さる5月6日(祝)パウロ田邊敏彦助祭の司祭叙階式が山手教会で行われました。梅村司教様の司式で執り行われた叙階式には、約800名の方が参加されたそうです。聖堂には入りきらなかったので、スクリーンの映像を通して参加なさった方もかなりおられました。当日、私は助祭役として祭壇上で、司式者の傍につき、司式者を助ける役割を務めました。田邊新司祭は、私にとっては神学校で共に過ごしたこともある後輩であり、横浜教区に所属している司祭としては、私より年下の最初の司祭でもあります。そういうわけで、彼の司祭叙階はとても楽しみなことでしたし、彼の叙階式で助祭の役をできたことは大変大きな喜びでした。新しい司祭を神様が送ってくださって、心から「神に感謝!」です。
叙階式に参加しながら思い出したのは、私自身の司祭叙階式のことです。2010年4月29日、聖園女学院の講堂で行われたあの式の中で、藤沢教会の皆さんをはじめ本当にたくさんの方々に見守られ、祈っていただきながら私は司祭叙階の恵みをいただきました。おかげさまで、司祭として最高のスタートを切ることができたと今でも思っております。しかし一方で、あの叙階式の中で自分が決意したことをいつも心に留めているのかと言えば、そうではありません。田邊新司祭の叙階式に参加して気づかされたのは、司祭に叙階されてからのこの3年間で良くも悪くも司祭であることに「慣れ」てしまっている自分の現実でした。経験を積んでいくことは大切であるにしても、本当に大事なことには「慣れ」ることなくいつも新鮮な心で接したいと思ってはいますが、それはなかなか難しいことだと実感しています。何かにつけて自分の「原点」が何であったのか、絶えず確認し続けていかなければとしみじみ感じます。
私にとっては、自分の司祭叙階式はもちろん大切な原点の1つですが、出身教会である藤沢教会での体験は、いわばその原点の原点です。今年の3月10日、藤沢教会にお招きいただいたときに、そのことが心に強く迫ってきました。私の司祭召命は、藤沢教会という本当に豊かな土壌の中で育んでいただいたのだということが思い起こされました。同時に、自分が根を張ってきたその土壌のことをなんと私はしばしば忘れてしまうことであろうかと呆れる思いもしました。しかし、色々な思いが駆け巡った後、最後に感じたのは「原点を思い起こさせてくれる方々がおられ、そういう場があることはなんとありがたいことだろう」ということでした。
藤沢教会のみなさん、これまで本当にありがとうございました。藤沢教会という場でいただいたたくさんの恵みを忘れず、むしろそれを活かしていけるように励みたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
教会委員会報告(2013年5月18日)
聖霊降臨の主日の福音を読んで
1. 田邊敏彦新司祭について
5月6日(月)末吉町教会出身の田邊助祭の司祭叙階式が山手教会で行われた。藤沢教会からも前山委員長他数名が出席した。藤沢の人達にはあまり馴染みがないが、日曜学校の子ども達は山手教会巡礼の時などにお世話になっている。藤沢教会として田邊神父に初ミサをお願いする方向で、日程の調整は鈴木神父にお任せすることとなった
2. 聖体授与の臨時の奉仕者研修会について
信徒養成の一助として横浜教区典礼委員会は、6月9日は「秘蹟の中心である主日のミサ」「司祭と信徒の役割」について、7月14日は「病者に聖体(みことば)を運ぶ奉仕」「聖体授与の臨時の奉仕者の心得と実習」について研修会を開催する。広く奉仕をしていただきたいので、各ブロック・活動部は希望者の名前を5月26日までに浮田典礼部長に出す
6月は藤沢ブロック、7月は辻堂ブロックの担当になる
(北1) 7月15日(海の日)に十二所黙想の家の英神父(イエズス会)の指導で「黙想会」を行う。場所は聖心の布教姉妹会本部修道院
(藤沢)6月が当番月にあたっているので、5月19日(日)センターホールで新しい方の歓迎会を兼ねてブロック集会する
(鵠沼) 4月21日(日)にブロック集会をして新受洗者と、この一年間に亡くなられた方への祈りを捧げた。またバザーについて話し合いをした。核になるチームができないので鵠沼ブロックとしてはできない。この報告を受けてフリートークをした
・ 教会行事だけれども、各ブロックが中心になってやってきた
・ 縮小したバザーを考える
・ バザーをやめて、福祉に必要な募金をする
・ バザーはお金集めだけではない
・ 教会の維持発展、福祉のためにバザーをするのか
・ 一つのブロックが担うのが難しいなら、広く全体で担う
・ バザーはやめる
・ 1970年代後半に一時できなかったがセンターを建てることでバザーは復活した
鈴木神父:「企画を私達がやります」と言う意見があればできる。その点だけに絞ってはっきりさせる
各ブロックは話し合って、建設的な意見があれば、1週間以内に前山教会委員長に伝えることとなった
(宣教)
・ 5月18日(土)藤沢市内キリスト教連絡会
・ 5月25日(日)片瀬教会で湘南がキリスト教セミナーが開催される。講師はシスター山本紀久代(援助修道会)。テーマ『信仰年〜「愛される者」となっていく道』。現在、定員の90%の申込がある
・ 5月25日(土)14時〜16時、イエズス会三浦功神父の連続講座「人生の終わりを迎える日に備えて」の第1回が開催される。テーマは「真の喜びをもたらす死と復活〜死の意味と目的と価値」。第2回目からは、毎月第4土曜日に定期的に終活関連のテーマで開催する。参加費は無料、信者ではない家族や友だちを誘っていただきたい
・ 6月9日(日)9:30のミサ後、聖堂にて「共同宣教フォーラム」がある。エンディングノートの作成についての具体的な話を予定している
・ 湘南台センターでロバート神父の新しい講座が始まる。第1、第3の木曜日10:30〜12:00に聖書を読む。第2の火曜日14時〜16時は「教会の教え」について学ぶ
・ 今年の堅信準備講座は9月から来年の3月まで開講する。対象者には6月に案内を出す
(教育)
・ 5月19日(日)第5地区教会学校合同運動会
・ 6月 2日(日)初聖体
・ 6月 9日(日)日曜学校遠足
・ 6月23日(日)保護者勉強会
・ 6月29日(日)ガールスカウト:一泊キャンプ
(国際)
・ 国際部担当司祭がロバート神父になった
・ 今回は「one communityを目指す」をテーマに話し合った
・ 3月ラティノスの「アジア学院のためのチャリティーコンサート」はフィリピンコミュニティーも参加してとてもよかった。今後、このようなイベントはベトナムコミュニティーさらに日本人も、どんどん参加してゆくとよいと思う
・ 日本人は一般に丁寧で、嫌なことも嫌だと言わないのでかえって困る。はっきり言ってもらった方がよい。話し方が複雑だと分かりにくいなどの意見があった。こうした意見を「八角形ニュース」などで伝えてゆく
・ リディアさんが日本語で朗読をしたのがとてもよかった。国際ミサは国際ミサでよいが、その他のミサでも参加したい
・ 第1日曜日の英語とベトナム語のミサに際して、駐車場の使い方で永年ベトナムコミュニティーとフィリピンコミュニティーの間でトラブルがあった。このたび、2時40分まではフィリピン、それ以降はベトナムが駐車するというルールを作った。お互いに注意しながら、このルールを守りましょう
(典礼)
・ 聖霊降臨(復活節の最終日)で典礼暦が年間になるに併せて、5月26日(日)より、「ミサ曲1」になる
・ 6月から、試みとして聖歌は典礼聖歌集のみを使用する
・ 聖堂のマリア様の前に、たくさんのお花がある。お祈りにこられる人が持ってきているが、これから夏場に向かい痛みやすいので、気が付いた人が世話をしたり、片付けの協力をお願いしたい
(福祉)
・ 6月8日(土)10時から「エンディングノート」のビデオをまだ観ていない人のために、もう一度上映会をする
・ 5月11日(土)に東北支援チャリティーコンサートがセンターホールで行われた。収益の一部を沖縄県久米島で開催されている福島の子ども達保養プロジェクト「珠美の里」へ募金した
(広報)5月26日原稿締切
藤沢ブロック集会 ――新入の方々の歓迎会
藤沢2区 西村
ブロック代表井上さんからの教会委員会報告、各活動部メンバーからの報告を静かに聞いた後、新入の皆さまがおひとりずつ、自己紹介をなさいました。2週間前に初めての赤ちゃんを出産された方、お仕事で夜勤明けにも関わらず「ご挨拶だけでも」と駆けつけてくださった方もいらして、本当によく来てくださったなあとありがたい気持ちでいっぱいになりました。鈴木神父さまをお迎えしてから、連絡員の皆さま手作りのあたたかいお吸い物と、ちらし寿司のお弁当を皆で和やかに、美味しく頂きました。
お食事の後は、お楽しみの、小野さんによるマジック・ショー。「ミュージック、スタート!」のかけ声から始まった、楽しいトークを織り交ぜながらの手品の数々。目を見開いて見ていても、タネがわかりません。生卵をお箸でくるくる溶いたものを小野さんがかぶっていた黒い帽子にタラーリと入れ、勇気ある若い新入の男性の頭にかぶせてみたら、あら不思議。私は最前のテーブル席からじーっと見ていたのですが、あの溶き卵が結局どこに消えてしまったのか、わかりませんでした手品の後は「マリアさまのこころ」を皆で歌い、マリアさまの祈りを唱えて、お開きとなりました。
昨年、新入でご挨拶なさった方々も今年は迎える側で参加していらっしゃいました。各活動部メンバーのお話をうかがうと、いつも、教会の活動は見えないところでたくさんの方々に支えられている、多岐にわたっていると感じます。受洗した頃、教会の活動でわからないことはまず身近な地域の人にきいてみるといいですよ、とアドバイスされたことを思い出しました。以前、講座で3年ほどご一緒した方が帰天し、その後も心にかかっていたのですが、今回の集会で彼女のご家族が受洗なさって、藤沢ブロックに新入でいらしているのにお会いできました。
数々のお恵みを感じながら帰途につきました。ご準備くださった連絡員の皆さま、本当にありがとうございました。
「おはよう」
英 語 : グッドモーニング
タガログ語 :マガンダ ウマガ
スペイン語 :ブェノスディアス
ベトナム語 :シンチャオ
韓国語 :アンニョンハセヨ
第22回湘南キリスト教セミナーの講師として5月25日(土)片瀬教会で14時から16時まで援助修道会のシスター山本紀久代が『信仰年―「愛される者」となっていく道―』について話されます。シスターは釜石カリタスベースで活動中で、被災地でのご経験などもお聴きできると思います。
前回お知らせいたしましたが、近藤さんが5月14日〜17日まで釜石にボランティアに参ります。7月1日〜7日丸山が同地にボランティアに参加する予定です。御一緒できる方がおられましたらご連絡ください。部分的でも結構ですから一度行ってみませんか。(丸山)
中高年の女性でも被災者の方々と一緒にお茶を飲んでお話をするボランティアならできますよ!というお誘いに、石巻へ2泊3日行って来ました。1日目はお昼に到着し、午後からベースへお出でになった被災者の方と少しお話をすることができました。
2日目は東松島市のひびき工業団地仮設住宅の集会所へベースのスタッフの皆様とお茶会に行きました。ここはほとんどの方が同市野蒜地区の皆さんで、80歳の男性のお話を聴きました。初めてのボランティアの人には毎回お話をなさっているとのことでしたが、少し高いところにある公民館に避難して、物凄い勢いで押し寄せてくる青い海に恐怖で身体が震えたこと、流されそうになった90歳のおばあちゃんの手を必死につかんだこと、今も不明の奥さんのことなど話されるとやはり涙を拭いながらのお話になりました。それでもその男性は毎日を前向きにとても明るく過ごしていらっしゃることを知り、重いお話でしたが、少しホッとする思いがしました。
3日目は被災地の今を見て皆さんに伝えて欲しいとのスタッフの方のお申し出で、朝から車で石巻周辺の火災による犠牲者も多かった門脇町、原発があるために町が裕福で整備が進んでいる女川町、全滅した雄勝町、最後に大川小学校を案内していただきました。大川小には昨年10月には無かった大川地区全体で亡くなった方の名前が刻まれた石碑、その前に天を仰ぐ天使の像が立っていました。途中、復興商店街を3ヶ所まわり、ささやかな買い物もし、午後3時石巻駅前でスタッフの方とお別れをして帰途につきました。寒かったり、暑かったりでしたが、感謝の3日間でした。(竹内・萩田)
原町ベースにもやっと春が来たようです。5月31日からボランティアに入る予定が、6月1日の原町ベース開所1年と重なり、前後にいろいろと行事がある為延期となりました。
5月11日、センターホールで東北支援チャリティコンサートがあり、売り上げの一部を沖縄・久米島の福島からの定期的な保養を受け入れている「球美の里」へお送り致しました。
「がりらや」に福島県川俣町の有志の方々が作っている聖書カバーが置いてあるのをご存じでしょうか。皆様から提供された生地で作られています。ある時、「あら、私が出した生地が使われているわ、お役に立てて嬉しい」との声を聴きました。とても嬉しい事です。引き続き生地・毛糸などの提供をお願い致します。(曽根)
毎月第3日曜日に行っている福島の農産物販売は、都合により6月から第2日曜日に変更致します。なお、仙台・石巻の味噌醤油などの販売は従前通り毎月第2,第3日曜日に行います。
今年の天候不順もあって、野菜類はなかなか育たず、商品になるまで時間が掛かり心配しておりましたが、やっと順調になってきたとのことです。これからもよろしくご協力をお願い致します。(牧野)
被災地ボランティア演奏旅行と交流会
鵠沼2区 本多
プリエアンサンブルのメンバー6人は4月16日から18日まで東松島、石巻と鳴子にボランティア演奏旅行と交流会に行って参りました。今回の企画は、ボランティア活動サポートチームの石巻ベース担当の小藤晃さん、鈴木神父様のご尽力によって実現したもので私にとっては震災後初めての東北訪問でした。2年を経過して「心のケア」や「精神的な癒し」が求められていますが、現地の方たちは今どんな様子なのか、音楽の力で気持ちを少しでも前に向けられるかしら・・・などと思いながら臨みました。
出発日朝は大船駅の人身事故の影響でメンバー6人のうち半分が予定の新幹線に乗り遅れての始まりとなりましたが、東松島ひびき仮設集会所でのコンサートは何とか30分遅れで始めることができました。震災支援のためのコンサートはこれまで何度か参加させてもらいましたが、実際の被災者の方々を前に演奏会をしたのは初めてで、感慨深いものでした。最初の日は演奏会中ずっと下を向いたままじっと聴いていらした高齢の男性が気になりました。浜辺の歌では口ずさんでいましたがその他はじっとうつむいたままです。ところが交流の時間になったとたん、せきをきったように震災当時の様子を話し始めました。あの日、地震で避難をしてから津波が来るまでにまだ時間があったので奥様は長男から預かっていた犬を連れ戻しに、お家に戻られたまま帰って来なくて未だに行方不明とのこと。でもこのことはご長男には絶対話せないのだと。話しながらもボロボロ涙を流されました。
別の女性は、合唱で歌っていることやバトミントンをしていると、現在の活動の様子を明るく話して下さった合間にふと「全部流されてしまって何もなくなってしまったんです」とさびしそうに一言触れただけでした。腕に光るビーズの素敵なアクセサリーを「これ私の唯一の宝物なんです!」と大事そうに見せて下さいました。
2日目はカリタス石巻ベースに行く前に日和山へ立ち寄りました。行き道、石巻海岸沿いに水の高さを示したポールがあり6m10pがどれだけ高いか思い知り改めて恐ろしくなりました。
日和山の桜は満開でした。見晴台から津波の来た一帯を望むと、まだまだ瓦礫の山があちらこちらに残り全く復旧がされていない状態でした。ここでご家族全てを失い一人ぼっちになってしまったという男性に出会い話を伺うことができました。彼にとってはあの日から時間が止まったままでした。逃げてきた道、救助を待っていた公営施設を目の前にしながら'あの時'のお話を追体験しました。津波から生還できた方の中に、着替えもなく濡れたままであったため低体温症で亡くなった方もいたという話や地震の後津波が来るまでの40分に通帳などを取りに帰った方は流されてしまったとの話には生死の運命は紙一重であることを感じました。また国の救援物資の到着はおくれ、友達作戦のアメリカ軍で船が2日後に到着して助かったことなどあまり報道されなかった話も伺うことができました。そして今も毎朝拝みに来ているんです、との言葉を最後にこの方と別れました。
さてカリタス石巻ベースでの演奏会は和やかに楽しく過ぎていきました。ここではアンコールで「ふるさと」になったとたん、ある女性が大声で泣き出し止まらなくなってしまいました。歌詞の「かの山、かの川」を見て「かの」という名前だったお母様を思い出してしまったのだそうです。後から「母は高齢だったけれどとても元気で、寝たきりになる前に亡くなったのはきっと'子孝行してくれたんだ'と思うことにしている、そうでなきゃやりきれない!」とお話下さいました。午後は車で女川町、雄勝町、防災庁舎、志津川町、南三陸町を見ながら海岸線を北上しました。大川小学校の慰霊碑の前では、私の耳に大勢の子供たちの声が本当に聞こえて来て思わず手を合わせました。いくつもの港町が跡形もなく消え去り行けども行けどもまた荒野のような光景が続く様は、聞いてはいたのですが言葉がありませんでした。鵠沼海岸や湘南地域が全て入る広がりであり、想像すると恐ろしくなりました。
3日目の鳴子小学校は、避難中の子供たちも沢山いるとのことでした。校長先生も南三陸の家を流され、ご家族は仮設でご自身は鳴子に単身赴任と云う被災者でいらっしゃいました。「仕事があるので救われています」と私たちを迎えて下さいました。演奏会は子供たちも一緒に歌い、会場が彼らの元気いっぱいの歌声で包まれ、逆に私たちの方が力をいただきました。その後プリエメンバーも各クラスに分かれて一緒に給食を頂きました。
今回の旅行では同行の方や現地の方々との涙あり笑いありの、充実した深く心を動かされる時間を過ごすことができ、多くの貴重な体験をさせて頂きました。ご家族を失った方のお話に心が張り裂けるような思いをし、祈るような気持ちでお話に耳を傾けると深く閉ざされた表情が幾分和らいで見える瞬間があることが、何よりの救いでした。そして被災者の中にも明るく前向きに活動を始められている方、まだまだ涙ながらにお話して下さる方、ただ黙ったままの方など色々いらっしゃることがわかりました。言葉として自分の体験を表現できない方々にはもっとゆっくり寄り添う時間が必要だと思いました。また集会場やベースには教会や全国からボランティアの方が手伝いに来ていて心強く思いました。寄り添い続けることでお一人お一人がそれぞれの方のペースで癒され立ち直っていかれることをお祈りするばかりです。東北で目にしたこと、耳にしたことはこれからも度々思い出して被災された方々に思いを寄せ続けて行きたいと思います。ありがとうございました。
5月12日はスカウトバザーがありました。スカウトバザーは、毎年5月にあります。私たちは、チョコバナナを売りました。
作るのは簡単そうだとおもったのに、作ってみたらうまくいきませんでした。
バナナは曲がっているから、割りばしにさすのが難しかったり、チョコがかけにくかったので、作業がしにくかったです。
できたのを売りながら、買い物をしました。
フリーマーケットのコーナーで、文ぼう具を買ったり、わなげをしてもらった商品で、遊んだりしました。 すごく楽しかったです。また来年も参加したいです。
ローマ教皇と世界の仲裁
鵠沼3区 高木
ローマ教皇による国際問題の調停は初代教会の時代からありました。その一つが大航海時代の1493年(明応2年)5月4日の教皇アレキサンドル6世による「インテル・チエテラ教書」の発布でした。それは大西洋アゾレス諸島の西100レーグアの地点を境にして地球上の勢力範囲をポルトガル王国とスペイン王国に二分したことでした。その結果、ポルトガル国王援助のイエズス会宣教師たちはアフリカ最南端の喜望峰から印度洋に出て日本へもキリスト教を伝えてくれました。一方のスペイン国王の援助によるフランシスコ会宣教師たちは一旦メキシコへ渡りアカプルコから赤道以北の貿易風を利用して呂宋島に至り黒潮を利用して日本へと来たわけでした。そして更に黒潮と偏西風を利用してメキシコへと帰っていました。
近代においては1880年(明治13年)スペイン国が永いこと放置していた南洋群島のヤップ島をドイツとイギリスの軍艦が砲撃して占領しました。そこでスペイン国王の訴えにより教皇レオ13世が裁定して再びスペインの領土としました。
また、1914年(大正3年)7月28日に始まった第一次世界大戦では教皇ベネディクト15世が1915年(大正4年)7月28日と1916年(大正5年)12月26日、そして1917年(大正6年)8月1日の3回に亘り交戦国に対して和平を提案してくれました。そこで1918年(大正7年)11月11日、約4年3ヶ月に及んだ世界大戦も終わったわけですが、その間参戦した双方の国々の司祭・修道士は6万3000人にも及びました。当時、世界の人びとは教皇ベネディクト15世のことを「世の助け手」と呼んでいました。
ところで1914年(大正3年)12月7日、第一次世界大戦が始まった頃、プロテスタント国であるイギリスは教皇庁に特命全権公使を派遣して情報を収集していました。そのため戦争が終わった1922年(大正11年)1月にはローマ聖座と大使、公使を交換していた国は25ヶ国にも及び、一方的に教皇庁から派遣していた国は18ヶ国もありました。それが1930年(昭和5年)の統計では直接に大使、公使を交換した国は34ヶ国にも達していました。
続く1939年(昭和14年)9月1日に第二次世界大戦が始まると1942年(昭和17年)現在で大使交換国はドイツ、アルゼンチン、ベルギー、ボリビア、ブラジル、チリー、コロンビア、スペイン、フランス、イタリア、ニカラガ、ペルー、ポーランド、ポルトガルの14ヶ国であり公使交換国はコスタリカ、キューバ、エクアドル、ガテマラ、ホンジュラス、ハンガリー、アイルランド、リベリア、リトアニア、モナコ、パナマ、ルーマニア、ドミニカ、サン・マリノ、サン・サルバドール、チェコスロバキア、ウルガイ、ヴェネズエラ、ユーゴスラビアの19ヶ国でした。
そして一方的に教皇大使や教皇公使がちゅうさつ駐箚している国はエストニア・ハイチ・オランダ・リトアニア・ルクセンブルグ・パラガイ・スイスの7ヶ国でした。それに日本と同じく一方的に教皇使節が駐箚している国は中華民国、中央アフリカ、アルバニア、アンチーユ、アラビア、オーストラリア、ブルガリア、伊領中央アフリカ、カナダ、ベルギー領コンゴ、エジプト、アメリカ合衆国、ギリシャ、印度、印度支那、イラク、イラン、メキシコ、フィリピン、シリア、トルコ、南阿連邦の23ヶ国でした。
ところで第二次世界大戦の主要国であるイギリスはプロテスタント国であり教皇庁に公使を派遣していましたが、教皇庁からは宗教使節が派遣されていました。そして同じプロテスタント国であるアメリカ合衆国は1933年(昭和8年)9月5日以来、教皇庁から参事官が駐在していましたが、1938年(昭和13年)からは私的に大統領特使が教皇庁に駐箚するようになりました。いわゆる1941年(昭和16年)9月9日、私的特使マイロン・テイラーが赴任していました。
2013年現在、ローマ教皇庁から全世界179ヶ国に外交代表が送られています。
これまで日ごとにあるいは朝晩に寒暖の差が激しく、体調管理に苦慮されていた方も多いようです。ようやく心地よい初夏の風に恵まれたとホッとしたのも束の間、早くも梅雨入り宣言。今年は雨量が多く、その後は酷暑のようです。このところの自然は極端な変化が好きのようですが、私たち人間は揺るぎない信念も大切にしたいところ。今月はオリエンス宗教研究所最新刊2冊を紹介いたします。 「聖書入門」 「信じる力」
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鈴木神父の川柳(続19)
編集部編
今回はC年その2です。( )内は鈴木神父の注記です。
2013年
2/3
わからないと思うときには愛がない
(年間第4主日)「ルカ4:21−30」
(イエスを救い主ではないかと出会うことに失敗した人々は、
イエスが誰か知っていると思っていただけでなく好意を持っていなかったのではないか)
2/10
信じなきゃやってられないこの派遣
(年間第5主日)「ルカ5:1−11」
(苦労しても成果を得られない経験をする中で、
神と出会うから 神の派遣にも従えるのではないでしょうか)
2/17
誘惑に勝ちたがるのも誘惑か
(四旬節第1主日)「ルカ4:1−13」
(誘惑に勝つのも負けるのも、 聖霊の導きがあるもの
それに気づかないと信仰生活も力(チカラ)わざで送ることになり苦しいものとなる)
2/24
信仰も変わるしるしの読み方で
(四旬節第2主日)「ルカ9:28b−36」
(人生のできごとにどんなしるしを読みとれるか、
ムリヤリ読むのでなく聖霊の働きで読めるものを待てばよい)
3/3
あゝ神よ切り倒すとはご無体な
(四旬節第3主日)「ルカ13:1−9」
(愛する子のことを思えば叫びたくもなる)
3/10
まだましと思う間はまだ遠い
(四旬節第4主日)「ルカ15:1−3、11−32」
(この兄弟と比べて私はまだましと思っていると怪しいことになる)
3/17
ダメな子と認めた時が卒業さ
(四旬節第5主日)「ヨハネ8:1−11」
(自分が罪人と認められたとき、新しい自分になるチャンスになる)
3/24
沈黙は見捨てることと違うのか
(受難の主日)「ルカ23:1−49」
(神の沈黙の意図に信頼を置くとはなんとすさまじいことでしょう)
3/30
信頼も愛も希望も空(から)が鍵
(復活徹夜祭)
(空の基の意味するものは・・・)
3/31
究極の姿は存在消したとき
(復活の主日)「ヨハネ20:1−9」
(「自分が」という思いを消したとき、本当の生命が生きられる)
4/7
信仰を育てる方は神なのね
(復活節第2主日)「ヨハネ20:19−31」
(トマスの話も、使徒達の宣教の展開もそれを教えてくれる)
4/14
逆らっちゃダメな相手は女房じゃない
(復活節第3主日)「ヨハネ21:1−19」
(「私に従え」といわれるイエスのことばは、あなたにどう響きますか)
4/21
聞き分けがよいもわるいも親ゆずり
(復活節第4主日)「ヨハネ10:27−30」
(子供の信仰について嘆くことはないのでは・・・)
4/28
愛したくない時神はよそ見かな?
(復活節第5主日)「ヨハネ13:31−33a,34−35」
(互いに愛し合えといわれても、できない時があるのはなぜ?)